ゲシュタルト心理療法学会についてお伝えします。
2日目の午前中は、体験的ワークショップに参加しました。
クライアントを志願した方にファシリテーターは
いつものように、椅子を本人の問題に絡む人たち(今回は家族)に見立て、心理的に納得できる位置に置くように指示します。
私たちは、その人が置いた空椅子の位置、方向により、それぞれの椅子の人物とその人の関係性を視覚的に捉えることができます。
興味深いことに、
第三者である私たち以上に、椅子を置いた本人が、
椅子の位置関係を見て驚くこともあります。
(自分とAは、こんなに遠い関係だったんだ)
(Bを好いていると思っていたけど、実は、どこかでうっとうしさを感じていたんだ)
(Cはいつも自分を見守ってくれていたんだ)
というように、潜在意識にはあっても、
自覚していなかったことが明らかになり
納得したり、戸惑ったり・・・。
ある程度ワークが進んだ段階で、
その椅子に本人自身が
自分も含めて登場人物をグループの中から選んで
それぞれの椅子に座ってもらうこともあります。
そこで、台本のないドラマが展開されるのです。
今回、私は、本人役に指名されました。
そして、所定の椅子に座ったとたん、
私自身ではない人物の感情モードに入ってしまうからびっくりします。
それが、私を選んでくれた本人の何かが降りてくるのか、
実は、私自身の潜在意識が目覚めるのか、
定かではありませんが・・・。
でも、椅子に座るまで、へらへらした私でいても、
座ったとたんに、私が私でなくなる感覚・・・。
今回もそうでした。
「ええーっ!?私が若い女性の役?あら、悪い気はしないわ。」
と半ばご機嫌で立ち上がり、
椅子に座ったとたん、襲ってきた感情
「なに!?この寂しさ!」
そして、涙がとめどもなくあふれてきたのです。
椅子に座った私は、
クライアントに選ばれて所定の椅子についた他の役の人たち
それぞれに対して、愛しさ、怒り、虚しさといった感情がこみ上げてきて
その思いに圧倒されるばかりでした。
一体、何が私に起きているのか?
そして、その場で役になった人たちが思い思いに演じたドラマは
クライアントにとって、
何らかの示唆や気づきを与え、
やがて、深い癒しとなったことを
私たちは、ワーク後の憑き物が取れたかのように
明るく輝く本人の表情から確信できるのです。
そこで、繰り広げられたドラマは、
あくまで、ニセの家族によるニセの物語のはずなのに、
ドラマの中のハッピーエンドは現実にも同じような結末を迎えることもあると聞きます。
すべては、つながっているのでしょうか?
おそるべし、サイコドラマ!
偉大なるゲシュタルト療法!
ご興味のある方は、ぜひ、一度体験してみてはいかがでしょうか