ニュージーランド南部で大地震が発生し、
多くの日本人も被災しました。
台風なら、その規模や進路や時間帯などが前もってわかるので
ある程度の対処が可能です。
でも、突然、何の前触れもなく起こる大地震には、なすすべもありません。
いつ、自分がどこにいる時に被災するか、なんてわかりっこないので、
たとえ、家の中に防災グッズを用意していても、
外出中に被災する可能性も大きいわけです。
三十年以上前、ちょうど岩手の実家に帰省していた時に、
宮城県沖地震を経験した私は
あの時の恐怖が忘れられず、地震には人一倍敏感です。
なんせ、ゆらゆらなんて生やさしいゆれじゃない!
大男が家全体を力任せにガァーっとゆすぶっている感じ。
自然のとてつもない脅威の前に、人間はただただ翻弄されるだけです。
でも、人知のおよばないのは天災だけとは限りません。
私たちの人生そのものが、たびたび想定外の出来事に見舞われます。
ハッピーな出会いもあれば、家族や自分の怪我や病気、
あるいは突然の死といった、予想もしない運命が待ち構えていることもあるわけです。
私たちは不運な出来事に苦しんでいる時、自分の運命をうらみ絶望的な気分におちいります。
私も、何度かそんなつらい状況を経験しました。
そんな時に、『それでも人生にイエスと言う』とうフランクルの本に出会い、運命を受け入れ乗り越える勇気と力を得ることができました。
今でも落ち込んだ時には、本を手に取りこの部分を何度も読み返します。
・・・私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っているのです。つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生ことが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。私たちは問われている存在なのです。私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、「人生の問い」に答えなければならない、答えを出さなければならない存在なのです。生きること自体、問われていることに他なりません。そして、それは、生きていることに責任を担うことです。
こう考えるとまた、おそれるものはもうなにもありません。どのような未来もこわくはありません。未来がないようにおもわれても、こわくはありません。もう、現在がすべてであり、その現在は、人生が私たちに出すいつまでも新しい問いを含んでいるからです。・・・
そして、アウシュビッツ収容所で極限の状況を経験したフランクルだからこそ、言える次の言葉もご紹介します。
「私は人生にまだなにを期待できるか」と問うことはありません。「人生は私になにを期待しているか」と問うだけです。
多くの日本人も被災しました。
台風なら、その規模や進路や時間帯などが前もってわかるので
ある程度の対処が可能です。
でも、突然、何の前触れもなく起こる大地震には、なすすべもありません。
いつ、自分がどこにいる時に被災するか、なんてわかりっこないので、
たとえ、家の中に防災グッズを用意していても、
外出中に被災する可能性も大きいわけです。
三十年以上前、ちょうど岩手の実家に帰省していた時に、
宮城県沖地震を経験した私は
あの時の恐怖が忘れられず、地震には人一倍敏感です。
なんせ、ゆらゆらなんて生やさしいゆれじゃない!
大男が家全体を力任せにガァーっとゆすぶっている感じ。
自然のとてつもない脅威の前に、人間はただただ翻弄されるだけです。
でも、人知のおよばないのは天災だけとは限りません。
私たちの人生そのものが、たびたび想定外の出来事に見舞われます。
ハッピーな出会いもあれば、家族や自分の怪我や病気、
あるいは突然の死といった、予想もしない運命が待ち構えていることもあるわけです。
私たちは不運な出来事に苦しんでいる時、自分の運命をうらみ絶望的な気分におちいります。
私も、何度かそんなつらい状況を経験しました。
そんな時に、『それでも人生にイエスと言う』とうフランクルの本に出会い、運命を受け入れ乗り越える勇気と力を得ることができました。
今でも落ち込んだ時には、本を手に取りこの部分を何度も読み返します。
・・・私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っているのです。つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生ことが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。私たちは問われている存在なのです。私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、「人生の問い」に答えなければならない、答えを出さなければならない存在なのです。生きること自体、問われていることに他なりません。そして、それは、生きていることに責任を担うことです。
こう考えるとまた、おそれるものはもうなにもありません。どのような未来もこわくはありません。未来がないようにおもわれても、こわくはありません。もう、現在がすべてであり、その現在は、人生が私たちに出すいつまでも新しい問いを含んでいるからです。・・・
そして、アウシュビッツ収容所で極限の状況を経験したフランクルだからこそ、言える次の言葉もご紹介します。
「私は人生にまだなにを期待できるか」と問うことはありません。「人生は私になにを期待しているか」と問うだけです。