耳をすませば~ ♪

      心の声が聞こえる

      『傾聴習慣』のススメ by MAKIE

人生から期待されていること

2011-02-28 11:30:53 | 日記
ニュージーランド南部で大地震が発生し、
多くの日本人も被災しました。

台風なら、その規模や進路や時間帯などが前もってわかるので
ある程度の対処が可能です。

でも、突然、何の前触れもなく起こる大地震には、なすすべもありません。

いつ、自分がどこにいる時に被災するか、なんてわかりっこないので、
たとえ、家の中に防災グッズを用意していても、
外出中に被災する可能性も大きいわけです。

三十年以上前、ちょうど岩手の実家に帰省していた時に、
宮城県沖地震を経験した私は
あの時の恐怖が忘れられず、地震には人一倍敏感です。
なんせ、ゆらゆらなんて生やさしいゆれじゃない!
大男が家全体を力任せにガァーっとゆすぶっている感じ。
自然のとてつもない脅威の前に、人間はただただ翻弄されるだけです。

でも、人知のおよばないのは天災だけとは限りません。

私たちの人生そのものが、たびたび想定外の出来事に見舞われます。

ハッピーな出会いもあれば、家族や自分の怪我や病気、
あるいは突然の死といった、予想もしない運命が待ち構えていることもあるわけです。

私たちは不運な出来事に苦しんでいる時、自分の運命をうらみ絶望的な気分におちいります。

私も、何度かそんなつらい状況を経験しました。

そんな時に、『それでも人生にイエスと言う』とうフランクルの本に出会い、運命を受け入れ乗り越える勇気と力を得ることができました。

今でも落ち込んだ時には、本を手に取りこの部分を何度も読み返します。

・・・私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っているのです。つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生ことが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。私たちは問われている存在なのです。私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、「人生の問い」に答えなければならない、答えを出さなければならない存在なのです。生きること自体、問われていることに他なりません。そして、それは、生きていることに責任を担うことです

こう考えるとまた、おそれるものはもうなにもありませんどのような未来もこわくはありません未来がないようにおもわれても、こわくはありません。もう、現在がすべてであり、その現在は、人生が私たちに出すいつまでも新しい問いを含んでいるからです。・・・


そして、アウシュビッツ収容所で極限の状況を経験したフランクルだからこそ、言える次の言葉もご紹介します。

「私は人生にまだなにを期待できるか」と問うことはありません
。「人生は私になにを期待しているかと問うだけです。           

口は話すためにある

2011-02-27 21:06:03 | 日記
息を吸ったら吐きます。

お金を稼いだら使います。

内に取り込んだら外に出すのは自然な流れ。

だから、外からの何らかの刺激によって自分の心の中で生まれる
喜びや怒りや悲しみなどの感情を

私たちは、いつまでもためてはおけません。

話すという行為によってアウトプットすることは必要です。

感情を押し殺す男性が無口でいられるのも

感情豊かな女性がおしゃべりなのもうなづけます。
感じること思うことが沢山あってしゃべらずにはいられないのです。


私が主催するコーチングセミナーでは、
できるだけワークを多くし、
参加者が自分のことを話す時間を長めに取るようにしています。

セミナーという名を借りた「しゃべり場」にしたかったのです。

必ずペアを作りセッション形式で話していただきます。

ワークシートに書き込んだ時には見えなかったことが
相手に話すことによって明らかになったり

相手の何気ないひと言によって新しい視点が生まれたり・・・

そして、相手の共感が大きな励みになり元気もでます。

「あ~、スッキリした。やっぱり参加してよかったぁ!」
みなさんの満足気な表情が見られる瞬間。

だって、こんなに集中してこんなに一生懸命自分の思いを話せる機会はそうないはず。

しかも、ありのままを受け止めてもらえる心地よさを感じながら。

だから、セミナーが終了する頃には、
みなさんの表情が和らぎ笑顔が多くなります。

今回のセミナーでも痛感したこと

「口は食べるためのみにあらず、話すためにもある」

そして、

「話せば、ウツにはならない」とも


今、このときの幸せ

2011-02-17 10:44:26 | 日記
最近、視力低下が著しい。

もともと近眼ではあったけれど、コンタクトレンズやメガネで
矯正すればなんの支障もなくものが見えました。

それが、7年前、過酷な介護生活にピリオドが打たれ
ある意味ホッとしたところで、とつぜん左眼の不具合に気がつき
おそるおそる眼科を受診すると
診断は、黄斑前膜症 という聞きなれない病名。

なんせ、カットグラスを通して見るかのように
ものがグニャグニャと曲がって見えるのです。

でも、右眼は無事でしたから、さほど不自由は感じなかったのですが、
2年前から頼みの右眼も白内障を患い視力低下が進むようになりました

白内障って、高齢者の病いだと思っていたのに・・・。
(もしかして、私ももうりっぱにお年寄りかい?)

睡眠時間3,4時間、食事をする暇もない。
おまけに、永遠と繰り返される母の愚痴を聞かされる日々・・
そうしたストレスが、弱いところをねらってダメージを与えたのでしょうね。

遠くも見えない

近くも見えにくい

本を読んでいても一度に入る情報量が以前の50分の1

となると、頭の回転は極度に遅くなり思考力も低下の一途

おそろしいことです


・・・今朝、ふと思いました。

もし、今とつぜん、両目が以前のような大した問題のない状態に戻ってくれたら

以前のように、

短時間の立ち読みで多くの情報をゲットできたら
       (本屋さん、ゴメン)

道の向こうを歩くイケメンの顔がクリアに見えたら

車や自転車で自在に突っ走れたら
(今はどちらもやっていません)

映画の字幕も苦労なく読めたら

パソコン作業もテキパキ進めることができたら・・・

それだけで、どんなにどんなにハッピーだろう

でも、その後、こうも思いました。

だけど、その全部がスイスイできて

今よりずぅーっと頭も冴えていた(ホント?)頃は

今よりずぅーっと悩み多かったような気がする


その時には、目がちゃんと見える幸せに気がつきもしなかったんです。


今、思うと、なんだか、すごく損した気分。


もしかしたら、この先、いろいろ不具合が生じ
数年後には、眼の他は元気な今の私を思い出し、

「あの頃は、その幸せに気がつかなかった」

と悔しがるかもしれませんね。

だから、

「今、このとき」に感謝をし

「今、このとき」を大切に一生懸命生きることが

本当の幸せにつながるのだ、ということを
改めて痛感した朝でした。

もし、こうなったら幸せになれるのに

もし、これができたら幸せになれるのに

と今ないものにフォーカスして嘆くのではなく


今、このとき、すでに幸せであることを感じることなんですよね






手放しましょう、いらない物といらない悩み

2011-02-15 11:52:08 | 日記
どんなに幸せそうな人でも、
話を聞いてみると、悩みはあるものです。


世界には、その日の食料にまで事欠く過酷な生活を強いられている人も大勢いることを考えると、
少なくとも、日本に生まれただけでラッキーといえるはずなのに、
なんとまあ、悩める人の多いこと!


でも、考えてみると、最低限の衣食住を保障されているからこそ生じる
余裕の悩みなのかもしれません。

だって、明日の命をつなぐ食料が手に入らない、雨露をしのぐ家がないなんていう状況では、

親が口うるさい

夫がちゃんと話を聞いてくれない

子どもが言うことをきかない

なんてことは、気にもかけないことだろうし、

夫の給料が減った

子どもの受験が失敗した

姑とうまくいかない

なんてことも、なんのこっちゃーでしょうね。


でも、私たちは、お陰さまでそこそこ美味しいケーキも食べられるし、温かい暖房付きの住居の中で冬の寒さもしのげます。

だから、悩むんです!

恵まれているから悩むんです!!

人は、欠けているものに意識がいきます。

あるものより無いものを数えてしまいます。

足りないものをほしがるようにできているらしいです。

足りていても、「もっと、もっと」とさらにほしがるらしいのです。

それを、『欲』と言います。

過酷な状況下では、足りないものが多すぎるから意識すらしない。
とりあえず、今必要とすることだけを考えます。

でも、たくさんのものに満たされていると

足りないものをあれもこれもと数え出し(数えられるから)

ちょっとした不足分まで気になり出し

隣りの人とも比べ出し

結局、私は不幸せ~、と落ち込みます

就職できても、この仕事が合わない、と悩み

結婚できても、夫(妻)のここが不満だ、と悩み

子どもができても、学校の成績が悪い、と悩み

そして、生きていても生きづらい、と悩む・・・


「悩みは人を成長させる」とも言えます。

でも、たまには、

それは悩む価値のあることだろうか? 

と考えてみることも大切です。

いらない物を整理し捨てたほうがスッキリした気分になり運気すら良くなるらしいので、

だったら、

いらない悩みも手放したほうが幸せが寄ってくるのではないかしら



「前向きに~」って言われても・・・

2011-02-12 12:21:59 | 日記
東京も、昨日から雪の舞う寒さに覆われています。

身を切られるような冷たい風は、
駅から家までの10分を2倍も3倍も長く感じさせます。

5ヶ月前までの、太陽に灼かれるようなあの暑い夏なんて
今は、まったくイメージすらできません。

季節に暑い時も寒い時もあるように、
私たちの気分にも、
弾むようなウキウキしている時と重く沈んでいる時があります。

心身に力が満ち、いろいろなことがうまく進んでいる時は
このまま人生は順調にバラ色の未来に向かっていくはず、と思ってしまいます。

自分自身悩んでいたことは今や幻想とさえ思え、
心沈んでいる相手には、
「悩んでいる時間はムダ!」
「もっと、前向きに!」
「人生は楽しむためにある!」
とポジティブメッセージを連発して励まします


ところが、バイオリズムが下降線を描き出し
ひとたび、ネガティブモードに陥ると、
最近までのやる気モードはうそのように消え
未来はどんより暗い灰色・・・
幸せのイメージを取り戻すことはむずかしくなります

自分の人生に楽しいことがあったこと
自信に満ち明るい未来に向かって力強く歩んでいた日々があったこと
それが、つい最近であったにもかかわらず、
想像すらできなくなるから不思議です。

そんな時、自己啓発本を何冊も読んだり、
自己啓発セミナーに何度も通ったりしたところで元気になるどころか、
逆につらさが増すばかり、といったことがおきます。

家族や友人の「前向きに頑張れ!」の励ましは心を重くします。

風邪をひいている時に、
健康にいいから、と無理にジョギングするのと同じことかもしれません。

そこそこ健康な時にジョギングすることは
健康増進に役立つでしょう。

でも、風邪をひいてしまったら、体を休めることです。


人には、それぞれにその人に合った心の状態、
その時々の心の状態があるような気がします。

落ち込んでいる時に
無理にプラス思考で頑張ろうとしても
よけい不安になったりつらくなったりします。


そんな時は・・・

自分の心を感じること、感じたことを味わうことです

今、落ち込んでいる自分

今、不安でいる自分

今、憂鬱な気分でいる自分

今、迷いの多い自分

今、気力の出ない自分

そんな自分を受け入れることです。


そんな自分を感じ、受け入れている「自分」というもの
を意識してみることです。

そんな自分を愛おしむ「自分」の存在を意識してみることです。

その「自分」が本当のあなたです

その「自分」はゆるぎない存在です。

ただ、自分の心に浮かぶ悩みや悲しみを見つめ味わってください。

やがて、気持ちが穏やかに落ち着いてくる時が必ずきます。

その時、奥底から力が戻ってくるのを感じるはずです。

無理なポジティブパワーではない、あなたを支える本物の
エネルギーが静かに満ちてくるのです




『傾聴習慣』のススメ    ハッピーイヤー

多くの人は、自分の話を聞いてもらいたいのです。 だから、コミュニケーション最強ツールは「聞く技術」! 相手の話に耳を傾けることは、「相手を大切にするあり方」です。 それだけで、人間関係が変わります。 あなたに幸せをもたらします。 だけど、「聞く」ことは、「話す」ことより、数倍難しい。 だから、「聞く技術」は、学ぶ必要があります。 そして、学びを通して、心の深さ、神秘、愛を知ります。