耳をすませば~ ♪

      心の声が聞こえる

      『傾聴習慣』のススメ by MAKIE

こんな「居場所」があったら・・・

2014-02-27 16:54:15 | 日記
母は、美しい人でした。(あーあ、母に似たかったよ・・・
鼻の高い、女優の小雪風な美人なのに、気さくで面白くて楽しい人でした。

そうした母の飾らないホットな人柄に惹かれて、連日、何人もの来客がありました。
(のべ、23人という日もあったかも~。)

一日に2,3回訪れる方もいました。

先客がいても、おかまいなしに上がりこんでくるので、いつも、茶の間は満席状態。

アポイントを取る必要もなく、いつどんな時に来ても、

母は、「どうぞ、どうぞ。」といやな顔一つせず、喜んで招き入れます。

茶の間が素敵なわけでもなく

美味しいお菓子が用意されているわけでもなく

特別な用事があるわけでもないのに

来る日も来る日も、朝早くから人は訪れます。

ある時は、スイス人の神父さんだったり、

ある時は、お寺の娘さんだったり、

ある時は、行商のほうき売りのおじさんだったり、

とにかく、途切れることなく、老いも若きも男も女もやって来ては、
おしゃべりし大笑いをし、
やがて、満足気で帰っていくのです。

時には、遠方からも、母の人柄に魅せられて、やって来ました。

人々は、言いました。

「落ち込んだ時でも、ここに来さえすれば、いやなことを忘れる」と・・・。

玄関のドアにカギなんぞかかってなんかいないので、
みなさん、当たり前のようにやって来ては、上がりこみ、
幸せ気分で帰って行く。

たまには、大学教授のようなインテリも交ざるけど、
高尚な話題になることはまれで、多くは、取るに足らないバカ話。

でも、どの人も帰ろうとしないのです。

新しい客人が入って来ても、誰一人立ち上がるそぶりすら見せないのです。

本当に居心地がよかったのでしょうね。

母は、分け隔てすることなく、笑顔でもてなし、
実に、自然体でいるので、
誰もが、肩の力を抜いてありのままでそこにいられたのです。

立派な自分を見せる必要がなかったのです。

だから、居心地がよくて、

だから、そこが、一人ひとりの「居場所」になったのです。

今は、母は他界し、みんなの「居場所」となったその家は、無人です。

あんな場所があったら、どんなにいいだろう。

いつでも気軽に訪ねられる家

どんな時でも、この上ない温かさで迎えられる家

ただ、いるだけで、楽しくて幸せが感じられ、心の底から癒される家

そのような、みんなの「居場所」があったら、どんなにいいだろう。

なんか、寂しいな、と思った時、

なんか、不安になった時、

うれしくて、この喜びを伝えたいと思った時、

すぐに飛んで行ける

そんな「みんなの居場所」をいつか、作りたいものです。

母のように美しくはないけど、

母のように多くの人に慕われることは難しいけど、

母のようにさりげなく下ネタ言って、笑わせたりできないけど、

いつか、そのような場所を作りたい。

いつか・・・






自由は子どもの特権

2014-02-19 18:24:36 | 日記
幼いお子さんをお持ちのママ(または、パパ)におききします。

あなたは、お子さんに、日々どんな言葉をかけていますか?

たった一日だけでいいから、朝起きてから寝かしつけるまでの間、あなたがお子さんにかけた言葉をすべて記録してみて下さい。

おそらく、

「・・・だめよ!」

「早く・・・しなさい!」

「何度言ったらわかるの!?」

こんなのがベスト5に入ると思います。

しかも、これ、すべてきつい調子で言っているはず。

子どもは、何をしていいか悪いかを判断する前に、まずは、自分が欲するままに行動しようとします。

だから、時には、道路の向こうに行きたいと思うや否や、車がビュンビュン走る道路に、かまわず飛び出すこともあるから目が離せません。

こんな危険な状況では、親はしっかり「ダメ!」と叱ることが必要です。

でも、安全な場所で、周囲の迷惑にならない程度であるなら、子どもが自分が思うような行動をしたいときは、極力妨げず、思い通りにしてあげてほしいと思います。

子どもは、好奇心の塊です。生まれ落ちたこの世界のことを知りたくてたまらないのです。見るもの聞くもの珍しいことだらけなんですもの。

同じように、子どもが親が望む行動をしたくなかったら、それも、認めてあげてほしい気がします。

たとえば、わが子が、大人に対して「こんにちは」や「ありがとう」をきちんと言えると、親はホッとしますが、言えないと、相手に必要以上に恐縮していませんか?

それは、同時に、わが子に対しては、「なぜ、言えないの?どうして、私に恥をかかせるの?」といった非難の気持ちを抱くことになってしまうのです。

自分に対して「きちんとしつけをしている立派なお母さん」という評価を望むからです。

世間も、「こんにちは」「ありがとう」と大きな声で言える子どもを良しとしてしまいがちですが、2歳や3歳の子どもが言っても言わなくても問題ない、という意識を持ったほうがいいと思います。

温かい眼差しで、子どもを見てあげましょう。

子どもだって、当たり前に挨拶できる子もいれば、自分でもわからないけど、何か恥ずかしくて言葉に出せない子もいます。

その時、挨拶できた子が、そのまま大人社会に順応できていくとは限らないし、挨拶できない子が、大人になったとき社会の規律に従わない、なんてことはありません。

なにしろ、まだ、できたてホヤホヤの幼い子どものことですよ。

そんなことは、大目に見てあげましょう。

子どもに社会の規律や礼儀を身につけさせたいのなら、まず、親が手本を示してあげればいいのです。

いつのまにか、親を習い、「こんにちは」も「ありがとう」も言える人に成長していくに違いありません。

幼い子どもの心は、羽が生えているように自由に飛び回る。

あっちへ向かったかと思うと、急に、こっちに~。

子どもの脈絡のないハチャメチャな行動を見ていると、どこかに置き忘れた自由な感覚がちょっとよみがえって来て、嬉しくなります。

でも、そんなことは、大人にとっては価値のないこと。

大人は、もっと、「りっぱなこと」「役立つこと」をやってほしいと願う。

あれもこれも・・・ちゃんとできてほしい。

子どもらしく元気で、でも、大人の言うことには従ってほしい。

あなたは、かつて、自分が子どもだったことを忘れて、子どもに多くを望み過ぎていませんか?

ママ(パパ)との出会いを心から喜び、ワクワク感いっぱいのわが子に、「生まれてきてくれてありがとう。ただ、いるだけでいいよ」という感謝の気持ちで接してあげたら、子どもの心に、幸福感の土台ができるのです。

「私は、ここにいていい」という存在への信念

さらに、「あなたも、ここにいていい」という他者を大事にする心・・・

そう、人間への信頼感の土台ができるのです。

小さな子どもが楽しそうに笑顔で歩く姿を眺めていると、こちらも幸せな気持ちにさせられます。

この子たちに対して、毎日毎日「ダメ!」「も~ぅ!」「バカ!」と繰り返し怒鳴り続けていれば、やがて、笑顔が消えていくでしょう。

ましてや、「もっと、~だったら。こんな子はいやだ。」と絶えず、わが子に否定的な思いを抱いて育てたら・・・。

その子にとって、かつて、キラキラ輝いていたこの世界が、淀んだ空気に包まれた住みづらい世界と化し、

自分の居場所がない

と感じるようになっていくのかもしれません・・・。








どっちがいい?

2014-02-08 18:06:27 | 日記
探し物があって、押入れをごそごそやっていたら、若い頃の写真が出てきました。

今の私からみると、そこそこきれい。

もちろん、30年以上前の私だから、今より、肌も髪の毛もずっときれいなはず。

今のように目を患ってもいないし、頭も冴えていたはず。

それなのに・・・

10代20代の頃って、なぜ、あんなにも苦しかったのでしょう?


歳を重ねた今の私は、しなびた老婆そのもの。鏡を見るのもいやになる。

記憶力も衰え、新しい言葉や人の名前がすぐに出てこないもどかしさを常に感じます。

根気も体力もなくなりつつあります。

それなのに・・・

今の私は、日々心地よく過ごせます。

失ったものは多いのに、気分は幸せを感じるのは、どうしてでしょうか?

それは、たぶん、私に限ったことではないように思います。

人生もすでに終盤にさしかかった年配者が楽しそうなのは、

まさに、人生のゴールが近いことを感じるからではないでしょうか。

人生

歩み続けて、やっと、ここまで来れた!という安堵感・・・

だって、「人生とは、重い荷物を背負って、坂道を登るが如し」だもん。

テレビや本のタイトルなどでよく目にする「ルンルン」「ワクワク」「イキイキ」というわけにはいかないもん。

だから、坂道のてっぺんが見えてくると、「やれやれ、もう少しだよ~。」とホッとするのです。

しかも、長い道中、さまざまな試練から逞しさを身につけ、

逆に、よけいな荷物を手放してきて、かなり、身軽になっています。

今さら、理想の自分を目指して日々精進、なんてこともしないのです。

実は、自分が「こうありたい」と思う理想の自分と実際の自分とのギャップが、苦しみを生み出すのです。

理想が高いと現実の自分が情けなく、無力感にさいなまれることもあります。

そんな時は、他人からの少々の批判にも傷つきます。

私たちは、長い年月、自分と付き合い、長い時間をかけて、自分を受け入れてくるのです。

50歳、60歳ともなると、慣れ親しんだ自分が好きになってくるもんです。

そうした意識が「快」を生み、余裕になるんでしょうね、きっと。

若さが苦しいのは、理想を求めるからです。

若さが美しいのも、理想を求めるからなのかもしれませんね。

ということは、

老いが気楽なのは、理想を手放しありのままでいられるから?

老いが醜いのは、理想を捨てて開き直ってしまったからかも・・・ね?

気楽、だけど、醜い?

ちょっと、考えちゃうなぁ


『傾聴習慣』のススメ    ハッピーイヤー

多くの人は、自分の話を聞いてもらいたいのです。 だから、コミュニケーション最強ツールは「聞く技術」! 相手の話に耳を傾けることは、「相手を大切にするあり方」です。 それだけで、人間関係が変わります。 あなたに幸せをもたらします。 だけど、「聞く」ことは、「話す」ことより、数倍難しい。 だから、「聞く技術」は、学ぶ必要があります。 そして、学びを通して、心の深さ、神秘、愛を知ります。