耳をすませば~ ♪

      心の声が聞こえる

      『傾聴習慣』のススメ by MAKIE

ふたたび・・・それは、愛?それは、欲?

2011-09-29 11:15:47 | 日記
親がわが子に期待する気持ちって何だろう?

なのか?

なのか?

純粋にわが子を思う気持ちから生まれるものなら、愛?

自分に返ってくることを予想してなら、欲?


自分に返る

親としての評価を上げたい(自分がほめられたい)

だったり

将来、子どもが自分の面倒をみてくれるだけの余裕ある生活を送れるようになってほしい

だったり・・・。

「あなたのためだから」は、実は、「私のため」であるかどうか、


よ~く考えてみる必要があるのではないか?

期待されて育った子どもは、

親の期待に添えなかった人はもちろん、

ある程度添えた人も、まだ、足りない、と

焦燥感や挫折感を抱いて生きていくことになってしまいます。

一生、幸せな満足感を抱けずに生きていくことになるんです。


そんな人たちでいっぱいですよ、私の周囲は。

もしかしたら・・・

私もかな?



人がふつうに生きたいと言うとき

2011-09-04 06:47:11 | 日記
「ふつう」 という言葉にどんなイメージを抱いていますか?

人と話していると、

「私は、ふつうに生きたい。」

と言うのをよく耳にすることがあります。

でも、そういう人に限って、本音は、

華やかな成功者になりたい(なりたかった)

という思いが垣間見えてしまいます。

だって、ふつうに生きている人が、
わざわざ、「ふつうに生きたい」と意思表示する必要がありませんもの。

もしかしたら、本音の本音は、

つまり、その人の元の気持ちの中では、「ふつうがいい」と思っているのかもしれません。

でも、親から「成功者」「傑出した人」など親が世間に誇れるようになることを期待されて育った人は、「ふつうじゃだめなんだ」という認識が強くインプットされてしまっているのです。

「ふつう」って、人並みのこと。凡人ってこと。

ふつうであってはいけない

それなのに、私は、ふつうの人にしかなれない(なれなかった)

そんな挫折感がそういう方の心の底に流れているのです。

特に、クライアントさんに、それを感じることがよくあります。

理想の自分と比較し、自分はダメだ、と悩みます。

その理想像は自分の思いではなく、親にとっての理想像だったりすることに、なかなか気づかないのです。

そして、理想と遠い自分を自分自身が嫌ってしまうのです

親の意に添えない自分が受け入れられないのです。

悲しいことですね。

自分は自分でしかないことに誇りを持って生きていけたら、日々が充実し、その人らしくイキイキと輝けるのに・・・残念だなぁ。

・・・と、体がチョー小さいことすら楽しく感じられる今の私だから、言えることなんですが・・・。




でもね やがて桜も咲くし・・・

2011-09-01 17:36:52 | 日記
いよいよ今月末から、自宅のリフォーム工事が始まります。

セミナーやセッションの合間に、家の片付けに精を出す日々です。

先日、押入れの奥から高校時代の日記が出てきました。

大学ノートに、その時の心情をありのままに綴った日記

心の乱れに連動して字も汚くまとまりない形

なんだかつらそうな毎日

そう、あの頃の私は
ガラス細工のように傷つきやすく不安定だった

ニーチェやキルケゴールを読み、

「人生とは?」

「悪とは?」

「世界は何故に存在しているのか?」

・・・と深く考え悩みあがいたのを覚えています。

愛読書であるヘッセの「デミアン」をお守りのように持ち歩いていたものでした。

でも、悩める哲学者を気取っていても、
実のところ、悩みの中心は、「善悪の真実」でも「世界の存在理由」でもなく、自分の容姿に対するコンプレックスだったのです

身長140センチの私はその小ささを嘆き、自分の価値に自信を失っていたのです。

なにしろ、両親も父方の親戚も母方の親戚も標準以上の身長の人ばかり。

「あなたをこんなに小さく育ててしまい申し訳ないねぇ。」

と母が謝るのは、やさしさ故ではあっても

かえって、私を傷つける残酷なことばです

今思うと、笑っちゃいますが、

当時の私には、自殺すら考えるほどの重い悩みだったんです。

自分でも、つまらない悩みだ、という自覚がどこかにあったのかもしれない。

だから、それをごまかすために、

「生きるとはなんぞや?」みたいな、深遠な命題に苦悩するポーズを取っていたのでしょうね。

よく、放課後、先生や親友にこうした疑問をぶつけ議論し合ったものです。

こんなわけのわからん子に付き合ってくださって、

本当にありがとうございました!

あ~、恥ずかしい。

でも、嬉しいことに、なんとなくず~っと探していた紙切れが、
日記の間から出てきたのです。

それは、伊藤整の詩を書き写したものです。

落ち込み憂鬱な気分になった時、

いつも、この詩に励まされていたっけ。

今でも、へこんだ時、ふと、この詩の最初のフレーズが心に浮かびます。

「でもね
やがて桜も咲くし たんぽぽも咲きますよ」




   でもね

   やがて桜も咲くし

   たんぽぽも咲きますよ

   あの雪が

   消えてしまうと

   一面に黄色になって

   おてんと様と雲雀とが

   夢を見合っているような

   日が続きますよ

   まあ

   それまでお待ちなさい

   それは夢のように来ますよ

          伊藤整<冬の詩>より




『傾聴習慣』のススメ    ハッピーイヤー

多くの人は、自分の話を聞いてもらいたいのです。 だから、コミュニケーション最強ツールは「聞く技術」! 相手の話に耳を傾けることは、「相手を大切にするあり方」です。 それだけで、人間関係が変わります。 あなたに幸せをもたらします。 だけど、「聞く」ことは、「話す」ことより、数倍難しい。 だから、「聞く技術」は、学ぶ必要があります。 そして、学びを通して、心の深さ、神秘、愛を知ります。