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      『傾聴習慣』のススメ by MAKIE

否定されない幸せ

2013-11-28 17:06:57 | 日記
結婚して30年間、欲のない夫と人生を共に歩んできました。

「欲のない」というより「覇気のない」と言ったほうが当たっています。

生まれたての子羊のような目

闘志のかけらも感じさせない、パワーのない目

過去も未来も見ない、今そこにあるテレビやお菓子しか見てない目

そんな目をしたわが夫は、まさに、草食系男子の先がけです。

団塊の世代にギリギリ入る、競争社会の中で、よくぞ生きて来られた、と
奇跡に感謝したいくらいです。

かろうじて健康で平穏無事に生きてはきたものの

出世や富とは無縁の日々に

月並みな価値観を持った私自身は、それなりに不満はありました、若い頃は。

でも、今では、平和を愛する心優しい夫との穏やかな結婚生活もよし、

とやっと心から受け入れられるようになりました。

先日、ふと、気づいたのですが(遅いよ!)、

この30年間、彼に、私の言動を否定されたり批判されたりしたことがなかった、と。

私の容姿や趣味嗜好に対しても、否定的なことを言われたことはありません。

それどころか、ほめてくれます。

明らかに、お世辞とわかっていることでも、ほめられて悪い気はしません。

女房にお世辞を言っても、何の得にもならないと思うけど、
高給取って来なくても、妻を喜ばせられるのだから、
実は、お得なのかもしれません。

そうしたことが当たり前になっていて、夫のその対応に感謝することはなかったけれど、
私が、夫には気を遣うことをせずに、のびのびと家庭の中で過ごせたことは、
最高の幸せだったんだ、と、今、あらためて思います。

「否定されない日々」



「否定される日々」

そのどちらを過ごすかで、心の状態に大きな差が出てくるはずです。

もし、私が、夫に

「本当にチビだなー。」

「料理好きな割には、そんなに美味しくないね。」

「また、お出かけ?無駄遣いしてんじゃないの?」

なんてことを言われたら、やはり、ハッピーな気分にはなれない。

イライラやムカムカが生まれるばかりです。

いやな気分の対処に、無駄なエネルギーが使われ、今よりずっと疲れるはず。

大人になってからでも、心身にマイナスに働くのに、

これが、子どもの頃に、親から否定的な言葉を言われることが多かったら、

その子の心の成長に与える影響は計り知れないことは、容易にうなずけます。

生き物にとっての絶対悪は、存在の否定です。

動物にとっての存在の否定は「肉体の死」であるけど、

人にとってのそれは、「自分のあり方(様)」、

つまり、容姿だったり考え方だったり能力だったり感情だったり言動だったり

その人たらしめているものの全て

それらに対する否定なのです。

だから、人は、そうしたものを守るためなら、肉体的な死すらいとわないのです。

人は、否定されたら本能的に相手と闘い恨みます。

闘えない弱い存在である子どもは、その否定を受け入れます。

受け入れることは、自分を否定することです。

自己否定感が根付きます。

大人になって、どんなに優秀であっても成功しても、

いつも、どこか不安で、決して、心が満たされることはありません。

だって、自分は否定された存在

今、ここにいて、このようにあってはいけない存在なのだから。

先日も、そんな女性の悩みを聴きました。

エリートである夫、優秀な子ども、経済的にも恵まれ、
本人も、容姿にしても能力にしても申し分ないのに、
心は、いつも空虚で自己不全感がつきまとう。

なぜか、劣等感にさいなまれ、不安でいっぱい。

聴けば、親が厳しく、いつも、文句ばかり言われて育ってきたという。

子どもの時に、否定された「自分」を生き返らせることは、
けっこう、難儀なことなんだ、とこのような方を前にした時に、いつも、思います。

キラキラ輝いてイキイキと人生を謳歌できるはずの素敵な女性が、

親のまちがった言動によって、一生、幸せを感じることができないなんて、

本当にもったいないことです!

もし、彼女が、わが夫のような親に育てられたら、

きっと、自信にあふれ、輝くような笑顔でバリバリ活躍し、
多くの人に幸せを与えられるような
10倍魅力的な女性でいられたはずです。

世のためにも、否定は、いけません、特に、わが子に対して。

しつけは大切ですが、人格や容姿を否定するようなことは、
絶対、やめましょうね。

自分を認められる人を増やしていけば、
世界に愛があふれるような気がします。

これって、妄想?
















子どもに甘え過ぎていませんか?

2013-11-22 17:42:38 | 日記
子どもが親に甘えるのは、自然のことです。

その甘えが度を越すと、親は怒り出します。

過保護な親は、子どものわがままに応えようとし、
そうした行為は、世間からは「子どもを甘やかす」として非難されることもあります。

でも、甘え過ぎるのは、子どもの側だけでしょうか?

むしろ、親のほうが、子どもに甘え過ぎてはいないでしょうか?

親自身が、子どもに対して、わがままを言っている、と感じるのは、
私だけではないでしょう。

私たちは、わが子以外の人には、必要以上に気を遣ったりするのに、

わが子に対しては、思う存分自分をさらけ出すんですよね。

自分の感情をコントロールすることすら、忘れてしまうのです。

だから、怒りの感情に心が支配されると、
子どもの人格を踏みにじるような言動を、家という閉鎖された空間では、
平気で行ってしまうのです。

道で会うと、お上品な笑顔で優雅な挨拶をする女性も、
一たび、家の中に入ると、子どもに対しての、
野良猫を蹴散らすごときの罵声をドア越しに耳にすることもあります。

「この大バカ!」「のろま!」「死ね!」・・・

虐待の話ではありません。

ごく、普通のお母さんのふるまいです。

彼女たちは、わが子をそれはそれは深く愛しているはずです。

こんなに愛しているのだから、

ちょっとぐらい、怒鳴ったり

時には、怒りに任せてたたいたり、

耳を覆いたくなるような、ひどい言葉でののしっても、

許される、と思っています。

もちろん、子どもは、特に幼い子どもは、
お母さんなしでは生きていけないことはわかっているのだから、
どんなにひどく怒られても、ママを嫌いにはなりません。

お母さんは、そのことを承知しているから、遠慮なく平気でひどい態度をとれるのです。

わが子でなければ、そうはいきません。

そんな態度をとれば、相手に嫌われます。

嫌われることを恐れるから、相手に気を遣います。

この世の中で、唯一、まったく気を遣わなくても、

「ママ、ママ」と慕ってくれるのが、自分の子ども。

だから、子どもには、遠慮なく自分の感情をむき出しにできるのです。

何かでイライラしていると、傍にいるわが子に対して苛立ちをぶつけたり、

子どもが深く傷つくことを平気で口にできるのは、親の特権とでも思っているのでしょう。

もちろん、ほとんどの親は、多くの時間、わが子のお世話に心をくだき、やさしい笑顔で接しています。

でも、ときどき、わが子も、一人の人間、別人格の人間ということを忘れてしまうのです。

子どもには絶対愛されている、という安心感からくる甘え。

子どもは、自分の所有物と感じてしまう傲慢さからくる甘え。

いずれにせよ、甘え過ぎは、いけません。

幼くても、幼いからこそ、自分に向けられた親の言動は、しっかり心の底に残るかもしれません。

それが、その子の成長に影を落とさないと言い切れないはずですよ。

子どもは、無力でも、存在としては、親と対等であることを自覚しましょう。


などと、偉そうに言っている私ですが、

かつて、自分でも信じられないような汚い言葉で、
わが子を怒ったことがあるようです。

現在、30歳を過ぎた娘は、その言葉をよく覚えているんです!
(私は、忘れているけど・・・。)

その100倍も褒めて育てたのに、怒られたことはよく覚えている。

100倍褒めたお陰か、今でも、仲良しではあります。

褒めておいてよかったぁ!!






『傾聴習慣』のススメ    ハッピーイヤー

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