耳をすませば~ ♪

      心の声が聞こえる

      『傾聴習慣』のススメ by MAKIE

承認

2010-11-30 09:39:13 | 日記
コーチングの基本スキルに

『承認』というのがあります。

承認、つまり、「認める」ということです。

前回、人は、認められたい存在である、というようなことを
書きました。

だから、認めてくれる相手に対しては、
信頼感や好意をいだきます。

誤解しないでほしいのは、

認めること=ほめること ではないということです。

コーチングの『承認』は、

「あなたは、そこにいるんですね。」

「あなたは、がんばっているんですね。」

「あなたは、そんな風に感じているんですね。」

というように、

相手が、
どんな風に存在し、どんなふうに行動し、どんなふうに
思っているのか、

自分が、それを、受け止めましたよ、

ということを、
自分の言葉で、伝えることです。

だから、

「こんにちは」と挨拶することも、

「ありがとう」と感謝の言葉を述べることも、

『承認』です。

私は、そのことを学んでから、

喫茶店で、店員さんが、お水やお茶をいれてくれた時、

スーパーのレジで、レシートやおつりを受け取る時、

必ず、「ありがとう!」

と大きな声で言うようになりました。

相手の行為を認めるだけではなく、

自分も「生きてる!」と確認する瞬間でもあります。


そして・・・

このブログを訪問して下さるみなさんの行為、

それこそも、私に対する『承認』です。

訪問者数が、どんどん増えてきたことは、
本当にうれしく思っています。

でも・・・

訪問者が、かりに、たった一人だったとしても、

しあわせな気持ちに変わりはなく、

その方に、心から感謝します。

ありがとう!


認められたい!

2010-11-25 15:20:30 | 日記
先日、「パワーゲーム」について書いたところ(11月21日投稿)、

「パワーゲームに陥る原因は何ですか?」

というご質問をいただきました。

もちろん、原因は一つではなく、個々、微妙に違うかもしれません。

ここでは、その中の一つを取り上げてみます。

自分の力を誇示したい、勝ちたい
といった気持ちの奥には、「認められたい」という欲求が潜んでいます。

例えば、夫婦間で繰り広げられるパワーゲームだったら、

「夫(妻)の至らなさを、私が頑張って支えている。」

「私のお陰で、家庭は成り立っている。」

と相手に「負け」を認めさせたいということより、

むしろ、相手に、「あなたは、なかなか優れている。」
        「そんなあなたに感謝している。」

と、自分の存在価値を分かってほしい、という気持ちのほうが、
強いのではないかと思います。

だから、時々、相談者に言います。

「ご主人(奥様)に、一度、
『あなた(きみ)のお陰。ありがとう。』と言ってみてください。」と。

その言葉を発した時、パワーゲームは、ゲームセットになります。
なぜなら、ゲームから降りた相手とゲームを続けられなくなる
からです。
さらに、自分の存在を認めてくれたことで、
もう、ゲームを続ける必要がなくなるからです。

そして、面白いのは、

「認めてほしい」相手は、必ずしも、
ゲームの相手に限ったことではない、ということ。

もしかしたら、自分の親かもしれません。
あるいは、特定の誰か?不特定多数の世間?

人は、「認められたい」存在です。

人は、一人では何もできない赤ちゃんの時、
一番身近な人(親)に存在を認められないと
生きてはいけません。

赤ちゃんの泣き声が大きいのも、
「私はここにいますよ。」
と、存在をアピールしなければいけないからです。

存在を無視されることは、死を意味します。

そして、やがて、優れていると、
より目をかけてもらえることも、知るのです。
劣っていると、否定されてしまうことも。


だから、大人になっても、私たちの心の中には、
存在無視や存在軽視の恐れが残ってしまうのでしょう。

特に、親から、認められなかった人は、
世間的にどんなに優れていても、
成功者であっても、
自己評価が低く、幸せな気分を得られないこともあります。

相談者や私の周囲にも、
そのことで、苦しんでいる方がたくさんいます。

もし、ご自分の中に、そのような傾向を感じたら、

ご自分に尋ねてみてください。

「私は、いちばん、誰に認められたいのだろうか?」

幸せの青い鳥

2010-11-24 11:07:17 | 日記
今朝、洗濯物を干しながら、

秋の柔らかい陽射しを感じ、

ゆったりとした風の流れを感じ、

赤茶色や黄色に染まった木々の美しさを目にし、

この上なく幸せな気分になりました。

そして、数時間後、
やさしい温もりに満たされながら、
ふっくらと乾き、
清潔な香りを放つ洗濯物を取り込む自分を想像し、
さらなる幸せも感じました。


若い頃、私は、日常性を嫌悪していました。

味噌汁を作ったり、掃除をしたり、洗濯をしたり、
学校に行ったり、仕事に行ったり・・・、
昨日も今日も、おそらく明日も、
同じ時間の繰り返しであろう日々。

変化のない日常
刺激のない日常
何も面白い事の起きない日常にあきあきし、
華やかでドラマチックなことを求めていました。


この夏、盛岡から友人が上京し、
久しぶりに会いました。

彼女のお子さんは、中二の頃から、
もう、20年近くも家に引きこもっていました。

もちろん、精神科医やカウンセラーを訪ね、
様々なアドバイスや治療を受けたそうです。

でも、なかなか、いい結果が得られず、
あきらめかけていたのです。
中には、助けを求めに行ったのに、
心傷つくようなことを言われたことも
多々あったとか。

そんな時に、80歳位のおばあさんカウンセラーと
出会ったんだそうです。

その人は、穏やかな笑顔で、次のように言ったそうです。

日ごろの生活を大切にしなさい。
それだけでいいのですよ。

どうしたら、わが子が立ち直るだろう、
と、悩み考えるのは止めなさい。

ただ、お子さんが美味しいと思う料理を一生懸命作ったり、
気持ちよく部屋を片付けたり、
ご自分が楽しいな、と思える趣味を始めたり~
あなたが、日々の生活を愛おしみ、大切にする、
それだけですよ。」

友人は、そう言われても、納得できずに帰って来たそうです。

「そんなことで、解決するような問題ではないよ。」

と思ったそうです。

でも・・・

そんなことで、少しでもよくなるなら、と思い、
その日から、子どものことをあれこれ悩むことは止め、
その方に言われたように、
日々の生活に心を向け、
自分の時間、思いを大切に過ごすようにしたそうです。

そして、奇跡が起きたのです!

お子さんの精神が安定し、笑顔が戻り、
やがて、外に出てボランティア活動を始めたというのです。

今も、少しずついい方向に向かっている、と
友人はうれしそうに報告してくれました。


人生は、日々の生活の積み重ねです。
私が若い頃、同じ時間の繰り返し、と思っていたのは、
大きなまちがいで、

実は、この一瞬は、今しかないのです

すべては、刻一刻と変化していくもの。
「今、この時」に心を向け、大切に味わうことが、
「よく生きる」ことなんだ
、ということが、
私も、やっと、50歳を過ぎてわかってきました。

その時、人は、まだ起きてもいないことに思い煩うこともなく、
純粋に今この時と向き合って生きているのですね。

そう、友人は、「今、この時」を生きることにより、
わが子に関する悩みを手放したのです。

お子さんにとって、自分に向けられる母親の思い煩いは、
自分が否定的にとらえられている、ということに他なりません。

母親が、自分へのネガティブな思いを手放し、
日々、喜びをもって生きることを選択したことは、
お子さんに、長い冬の終わりごろ、
春を告げる鶯の鳴き声を耳にした時のような安堵感、解放感を
そして、プラスのエネルギーをもたらしたのかもしれませんね。


サイコシンセシスの継承者 ピエロ・フェルッチ氏の著書の中に
次のようなことが書いてあります。

「あたりまえのことを無視せずに探求すれば、私たちは、
本当の豊かさを見つけられる」
(『人間性の最高表現』より)

人は、「山のあなたの空遠く」に青い鳥を探そうとします。

でも、やはり、青い鳥は、
私たちのすぐ近くにいるものなんですね。











「自慢話」って、好き?

2010-11-23 18:11:43 | 日記
「自慢話」って、好きですか?


正確には、「自慢話を聞くこと」って、好きですか?
と、問うべきでしょうか。

神様のように心の寛容な人以外、
おそらく、「好き」と答える人は少ないような気がします。

昨日も、友人から、

「用事があり、久しぶりにAさんに電話したところ、
延々と子どもの自慢話を聞かされ、うんざりしたよ。」

というメールをもらいました。

そうそう、自慢話は「聞く」のではなく、「聞かされる」もの。
つまり、こちらは、聞きたくないのに、
強制的に聞かされる、という感じを持ちます。

なぜ、人は、相手の自慢話を心穏やかに聞けないのか?

それは、自慢は、自分の優位性を相手に示すことだからです。
そして、それは、こちらに「負け」
を感じさせるものでもあるからです。

だから、自慢話は、聞かされるほうは、うんざりでも、
話してる側は、気持ちのいいものなのです。

相手に、「すごいですね!」

    「さすがですね!」

なんて、ヨイショされようものなら、
うれしくなって、自慢話は、さらにエスカレートしてっちゃうわけ。

でも、本当に優れた人や自分のあり方に自信を持っている人は、

わざわざ相手に自慢し、賞賛や羨望を求める
必要はないわけだし、

逆に、相手の自慢話も、素直に聞けるものです。

相手の自慢話を聞き、共に喜び、相手を称える余裕ができた時、

その時、私たちは、己の魂の成長と

自分が自分である幸せを感じるはずです。






なぜ、そのニセ医者は患者の受けがよかったのか?

2010-11-22 11:38:46 | 日記
以前、近所の総合病院に勤務していた医者が、
ニセ医者だということが発覚し、ニュースになったことがありました。

そのニセ医者、実は、患者にはめっぽう評判がよかったとか。

なぜなら、患者さんの話をじっくり聞いてくれたからだそうです。

私たちが、

あの人に会いたいな。

あの人と話したいな。

と思ってしまう相手って、
やっぱり、自分の話をゆっくり聞いて、受け止めてくれる人です。

話し上手な人、面白い人、何でも知っている人・・・
確かに、そういう人は魅力的だけど、
自分だけがしゃべり、こちらには、心を向けない人だとしたら、
少なくとも、落ち込んでいる時は、
そんな人には会いたくないですよね。

物静かだけど、いつも、心から自分の話に耳を傾けてくれる人。

賑やかだけど、こちらの話も一生懸命聞いてくれる人。

そんな人と過ごす時間は、本当に心地よい癒しの時間となります。

夫、妻、親、恋人、そして、上司や医者も、
そんな聞き上手な人だったら、
その人との関係は、壊れることのない貴重なものになるはずです。

人は、話を聞いてもらうと、次の二つの欲求が満たされ安心し元気が出ます。

   ☆ 愛されたい、という欲求
   
   ☆ 認めてもらいたい、という欲求

「聞く」いう行為は、決して、消極的な行為ではありません。

「聞き上手」の人は、相手に対して、強い影響力を持ちます。
なぜなら、人は、自分を大切にしてくれた人に対して、
強い信頼感をいだくからです。

そして、一度信頼すると、その人からのメッセージは、
心深く届きます。

相手にお説教やアドバイスをする前に、
日ごろから、相手の話に耳をすますことです。

『傾聴習慣』のススメ    ハッピーイヤー

多くの人は、自分の話を聞いてもらいたいのです。 だから、コミュニケーション最強ツールは「聞く技術」! 相手の話に耳を傾けることは、「相手を大切にするあり方」です。 それだけで、人間関係が変わります。 あなたに幸せをもたらします。 だけど、「聞く」ことは、「話す」ことより、数倍難しい。 だから、「聞く技術」は、学ぶ必要があります。 そして、学びを通して、心の深さ、神秘、愛を知ります。