耳をすませば~ ♪

      心の声が聞こえる

      『傾聴習慣』のススメ by MAKIE

誰にでも好かれる必要なんてない

2012-04-19 21:39:01 | 日記
「よい子」が、必ずしも友だちに好かれるとはかぎりません。

もちろん、人気者の「よい子」もいます。

その違いがどこから来るのかについては、すでにお伝えしました。

同じように、大人の「よい人」(「いい人」といったほうがしっくりくるので、以下「いい人」と記します。)も、愛される「いい人」とそうでもない「いい人」がいます。

そうでもない「いい人」は、自分は、もっと、多くの人から愛され大切にされていいはずなのに、その割には、報われないことに不満を感じています

私って、なんか、損! 

と、しばしば思い、憂鬱になります。

「あんなに一生懸命お世話したのに、感謝されない。」

「いつも、気を遣ってやさしく接してあげたのに、わがままな○○さんの方とより仲良くしている。どうして!?」

「こちらが、怒らず我慢して応じることをいいことに、私には、平気で無理な頼みごとをしてくる。」・・・

と「いい人」は怒ります。

でも、決して、口に出しません。

心の中で、ひとり、悶々と不満をため込むのです。

怒りを表に出したら、「いい人」ではなくなるからです

「いい人」は、怒りません。

いつも、やさしく微笑んでいます。


でも、

本当は、怒っているのです。

そして、不満に思う自分自身にも、「まだまだ、人間ができていない!」と怒っているのです。

人にやさしくしたり、寛容であったり、心配りをしたりすることは、素晴らしいことです。

ただ、本当の「いい人」は、そのようにできることが自然であり、何より「見返り」を求めない、ということです。

この場合の「見返り」とは、

自分が、「いい人」と思われること、であり

感謝されること、であり

相手に「大切な人」と認められること

なのです。

「いい人」の中にそうした下心が見え隠れすると、その人の態度や行為が相手の心に響かないのです。

そのような「いい人」が、必要以上に相手に気を遣い親切に接するのは、そうしないと「嫌われる」「見捨てられる」という不安が心の奥にあるからなのです。

幼い時に心深く根付いた不安感は、そうたやすくは消えないのでしょう。

でも、「いい人」は、やはり、本質的にやさしい人なんだと思います。

だから、相手に気に入られようと我慢して相手の意を優先するのではなく、まずは、自分にそのやさしさを向けることです。

誰にでも好かれる必要なんてないのです。 


無駄な力が抜け、きっと、生きることが楽しくなることでしょう!







子育てで大事なこととは・・・

2012-04-14 07:49:32 | 日記
先週は、たまたま、小さい子どもを連れた若いママたちとの交流が続きました。

どの子も好奇心旺盛で元気いっぱい

時には、度を越えたやんちゃをし、ママに大目玉をくらうことも・・・。

どんな悪さをしても許してあげたくなる程、子どもはかわいいものです。

でも、どのママも叱る時は厳しく叱っていました。

賢いママたちに、たっぷり愛されつつきちんとしつけされて育つ
この子たちは、きっと、素敵な大人になっていくんだろうな
という思いに、私も幸せな気分になりました。

自信のなさから相手の気持ちに合わせようとしてしまう「よい子」たちは、結果的に自分の本当の気持ちを抑えてしまっているのです。

もちろん、それは無意識的に行われているので、その不自然さに気づかずに過ぎていくのです。

ただ・・・

いつも、どこかに疲れを感じているのかもしれません。

自分が自分であることが、肯定できない

ありのままの自分を認めることが難しい

自分の存在価値を保つためには、相手に気に入られなければならない


と思い続けるつらい「よい子」にしないために

子育てで気をつける大事なこと

それは、子どもを叱る時に、行為と人格を切り離すことです

子どもが何か悪いことをした時、

したことに対しては、「ダメ!」と厳しく叱ること

でも、決して、

「そんな悪い子はいりません!」

「あんたって、バカ。誰に似たんだろう?」

「どうしようもない子だね。きらい!」

と人格を傷つけるような言葉をつけ加えないことです。

あくまで、行動の修正を求めるだけにとどめることです。

不思議と、やったことだけを叱ると、子どもは納得します。

でも、人格を否定するようなことを口にすると、子どもは抵抗します。

そして、それが何度も繰り返されたり、過度に激しく言われたりすると、「自分には存在する価値がない」という自己否定感が根付くことになるのです。

失敗したら自分の価値はない、と失敗を過度に恐れる消極的な子どもになる可能性もあるのです。

もちろん、個人差もありますから、同じように親になじられても、それほど応えない子もいるでしょうが、感受性の強い子やもともとやさしい心根の子には、深い傷になるのです。

先日、ある若いママから、「子育てで大事なポイントって何ですか?」と訊かれました。

私は、ただひと言、「しつけは必要。でも、その子の人格や存在そのものを否定しないこと!」と答えました。








つらい「よい子」とつらくない「よい子」~その違いは?

2012-04-09 14:43:07 | 日記
前回は、「よい子」は、心の奥に『我慢』や『怒り』をため込んでいる場合もあるとお伝えしました。

もちろん、どの「よい子」にも当てはまるわけではありません。

では、つらい「よい子」とつらくない「よい子」の違いは何でしょうか?

つらい「よい子」は、 他者の評価、他者の価値観を基準に生きています

つまり、いつも、他者の目を気にしながら言動を決めているわけです。

そのためには、自分に我慢を強いることもあり、そうした無理が怒りとなって心の奥に蓄積されていくのです。

そして、この場合の他者とは、親や先生など目上の人たちです。

一方、つらくない「よい子」は自分の内面から湧き出る動機によって、行動している子です。

もちろん、親や先生の影響は受けたとしても、評価か賞賛よりも、
そのようにしたい、という自分の自然な気持ちを優先に生きている
のです。

その言動が、結果的に親や先生の意向にかなっていれば、
「よい子」と評価されるのですが、我慢や無理がないから、フラストレーションを感じないですむわけです。

しかも、不幸なことに、つらい「よい子」は、同年代の仲間たちには、年長者の意向に過剰反応する傾向を直感的に感じ取られ、快く思われないことになります。

そうなると、いくら、友だちに気を遣い優しい態度で接しても、その割には、好かれなかったり、時には、いじめの対象になったりします。

親や先生にとっては、自分たちの言いつけを守る素直な「よい子」であっても、
友だちからは、年長者のご機嫌とりにしか見えないのです。


陰口を言うこともなく、どの友だちにも穏やかに接し、頼まれたことを文句も言わずやってあげたり・・・誰にでもこんなに気を遣っているのに、自分が期待したようには好感をもって受け入れられないのです。

「なぜ、やさしい自分ではなく、少々わがままで、きつい性格の○○ちゃん(くん)の方が人気があるのだろう?」

と、本人が戸惑い悩むこともあるかもしれません。

でも、子どもたちも、他者に迎合していると感じられる「よい子」より、自分の気持ちに正直である友だちの方が、信頼できるのでしょうね。

つらくない「よい子」は、自分の内なる願望として好ましい行動ができるので、周囲にも違和感なく好意的に受け入れられるのです。中には、級友たちの尊敬の的となる子もいるでしょう。

そして、大事なことは、何より、本人が無理をしていないということです。

そうした二つ「よい子」の違いは、
本人の生まれつきの資質からくるものもあるでしょうが、

やはり、

生育の過程で出来上がることが多いのではないでしょうか

家庭の事情により安心して育つ状況になかった

親が過度に厳しかった

親の期待に報いると褒美を与えられた・・・

つまり、子どもは、自分の存在を認めてもらうために、自分の気持ちを抑えても相手の意に添うことを選択したのです

そして、成人しても、そうした傾向を変えるのは難しく、いわゆる、つらい「いい人」になってしまうのです。

私って、なんか損! 

と、どこかに不満や怒りを抱えた大人になってしまうのです。








「よい子」はつらい?

2012-04-08 14:27:09 | 日記
 ♪桜の花びら散るとき♪ 

     桜の色は よい子のほほの色

     桜の花びら ちらりちらり 散るとき
     
     よい子は 母さんのお手伝い


これは、私が小学生の頃、ピアノに向かって作った童謡の歌詞です。

これが1番で、その後、

「もみじの色は~」 「小雪の色は~」と秋、冬にちなんだ歌詞が続きます。

夏は、「海」「ひまわり」など候補にあげたものの、
字余り字足らずのため断念したようで、夏バージョンはありません。

メロディーをつけて、父母に披露し、

「へぇー、うまいね。ほんとに自分で作ったの?」

と、盗作を疑われるほど感心してもらえて嬉しかった記憶があります。

私は、虚弱体質で顔色が悪く、決して桜色のほっぺをした子どもではなかったけど、
進んでお母さんのお手伝いをするような、
そして、こんな歌を作ったりして親を喜ばせるような

いわゆる「よい子」でした。

親や先生の言うことには、素直に従い、
どんなときも笑顔を絶やさず、友だちとは仲良く遊び、
勉強や読書にも熱心に取り組む優等生。

でも、

そうした自分の役割を自覚し、
絶えず、周囲の期待を裏切らないように努めることに
どこかで、疲れを感じていたはずです。

「よい子」といわれる子どもたちは、

『我慢』というネガティブな状態

さらに、

『怒り』という自分に不似合いな感情

大人になってから、気づき戸惑うのです。

心理療法のワークの中で、
子どもの頃、弟たちの面倒をよく見るよい子だった人が、
その頃、自分がどんなに大変な思いをしていたか、をうったえ、
親に対するすさまじい怒りを爆発させる人がいました。

親に見立てたクッションに向かって、
怒りをぶつけ、泣き叫びののしる姿は、
彼女が、かつて、どんなに我慢し頑張って期待に応えてきたのかを強烈に示すのです。


相談に訪れる方の多くは、子どもの頃「よい子」であり、
そして、今も「よい人」です。

「よい子」であった自分の殻を破れず、生きづらさを感じ苦しい思いに振り回されているのです。

もちろん、「よい子」がみな悩むわけではありません。

つらい「よい子」とつらくない「よい子」の違いは、何なんでしょうか?

次回は、それについて、考えてみましょう。






『傾聴習慣』のススメ    ハッピーイヤー

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