耳をすませば~ ♪

      心の声が聞こえる

      『傾聴習慣』のススメ by MAKIE

覚悟を決めて、そこに心を置いてみませんか?

2013-12-28 19:05:46 | 日記
クリスマスをどこで過ごされましたか?

そして、お正月は、どこでどんなふうに過ごす予定でしょうか?

そんなこと訊くなよ~!

そんな質問はしてほしくない!

クリスマスも正月もそんなの関係ねぇ!(ふるッ!)

世の中が華やかに賑やかになればなる程、心は寒くなる人はたくさんいると思います。

自分以外の誰もが、ウキウキ、キラキラした浮かれ気分になって日々をエンジョイしているように感じられるものです。

クリスマスや正月を一緒に楽しんだり祝ったりする相手もいないし、家族と過ごしたって面白おかしくもない。むしろ、みじめになるだけ。

憲法記念日やみどりの日や勤労感謝の日などの祝日は、平常心で過ごせるのに、

年末年始のこの時期は、けっこう、孤独感に打ちのめされキツイのは、なぜ?

寒さのせい?

日の落ちるのが早いせい?

必要以上に豪華なイルミネーションのせい?

そのどれもであり、どれでもないかもしれません。

そして、それぞれが「自分以外の」と思っていますが、

実は、意外なほど多くの人が、同じような孤独感や疎外感を抱いているはずです。


クリスマスや正月に「自分の居場所がない」と感じる人の中には、

ふだんの生活でも、同じような疎外感にさいなまれる人もいるはずです。

「自分の居場所がない」と感じるようになってしまうのは、

親に、「あなたはただいるだけでいい」という存在承認をされてこなかったからかもしれない、と
前回、お伝えしました。

でも、今さら、親を責めても何の解決にもならないし、

親は親なりにあなたを一生懸命育ててきたと思います。

では、どうしたらいいのか?

一つ、提案があります。

せっかくのクリスマスやお正月のイベントの一瞬一瞬を

あなたのやり方で一生懸命楽しんでみてはどうでしょうか?

クリスマスは過ぎてしまったので、来年に期待するとして、

年末年始をしっかり、本来あるべき様に過ごしてみては如何でしょうか?

例えば、

通常以上に掃除に力を入れ、お部屋をきれいにする

正月らしい飾り付けをしてみる

年賀状をできるだけたくさんの友人知人親戚に書く

おせち料理を自分ひとりのためにでも用意する
(できたら、作ってみる)

この一年をどのように過ごすか、紙に書き出す

初日の出を拝む

元日には、真新しい洋服を着て過ごす

初詣に行く

などなど、昔からの風習にのっとって、まさに、お正月らしく過ごしてみるのです。

つまり、一生懸命、お正月を味わってみるのです。

不思議とそこが居場所になります。

正月なんて、面倒でくだらないもの、と、初めから否定しないことです。

どこにいてもそこが「居場所と感じられない」のは、

その場にあなたの心を置こうとしていないからかもしれません。

もしかしたら、あなたは、

いつでも、その場から逃げられるように、片足を外に向けていませんか?

ただ、そこにいる

ということは、そこに心を置くということです。


覚悟を決めて、両足をしっかりそこに入れて、

そこにある人、もの、できごと、やるべきことなどに心を向けることです。

もし、お正月を実家で家族と過ごすのでしたら、

ぜひ、親が作ったおせち料理、家族との会話、家族の笑顔を十分に味わってみてください。

その場で過ごす貴重な一瞬一瞬を大切にしてみてください。

覚悟を決めて、そこに心を置いて、一生懸命過ごすと、
必ず、そこは自分の居場所になると思います。


これって、私の経験です。

かつて、どこにいても居心地の悪さを感じてしまう私は、あるとき、気がついたのです。

最初から、逃げ腰だ、と。

心も体も、いつも、外を向いている、と。

本当の私はもっと違うところに「ある」と思い込んでいる、と。

でも、「本当の私」は、今、ここにいる私以外の何者でもないのだから、

今いる場以外の幻の場所を求めることをやめました。

やがて、自分の居場所が、そこにもあそこにもできたのです。





クリスマスプレゼント・子育て・居場所・・・

2013-12-25 18:40:23 | 日記
昨夜、主人からクリスマスプレゼントをもらいました。

数日前の寒い夜、判で押したように定時帰宅の彼が、珍しくいつもより50分も遅く帰宅。

訳をきくと、クリスマスプレゼントを買いにデパートに寄ってきた、とのこと。

私以外にプレゼントをあげる相手はいないはずなので、
それは、イブには、100パーセントの確率で私の手に渡る!と楽しみにしていました。

ところが、昨夜のイブ・・・

クリスマスケーキを食べた後も、一向にプレゼントの気配はない。

いくら、バカ正直の主人でも、
私以外の誰かにあげるプレゼントを買うためにデパートに立ち寄ったことを私にばらすはずがない、とは思えど、時間と共に不安になってきました。

そろそろ、寝る時間も迫った頃、とつぜん、主人の叫び声!

アッ!!! すっかり、忘れてた!

と2階に駆け上がり、小田急デパートの紙袋を持ってきました。
(オイ、オイ、忘れるなよ~!

ハイ。メリークリスマス!

と言って、小さなプレゼントを差し出しました。

赤いリボンをほどいて、箱を開けてみると、

素敵なネックレスが入っていました。

決して、高額なものではないけど、

寒い夜、会社の帰りにわざわざ新宿に立ち寄り、

あれこれ迷いながら、選んでくれたに違いないプレゼントだから・・・

少ないお小遣いの中から、私のために買ってくれたプレゼントだから・・・

たとえ、それが、あまり気に入らないものだとしても、

その行為そのもの、その気持ちそのものは、本当にうれしいものです

「ありがとう!」という言葉は、

プレゼントに対してではなく、彼の行為と気持ちに対して向けたもの。

贈り物をすることは、金銭的な負担もさることながら、

どこで買うか、何を選ぶか、どんな形で贈るか・・・などなど

けっこう、エネルギーの要するものです。

相手が望んでいるものがわかる場合は、楽だけど、

相手の好み

生活パターン

家族構成などを考えていくと、あれこれ迷うばかり。

幼い子どもにあげる絵本一冊選ぶのだって、

この話、興味あるかな?

もしかしたら、同じ絵本を持っているかも~

素敵な絵だけど、子どもには地味すぎるかしら?

などと、考え出したら、なかなか決まらず、本屋で30分も1時間も過ごすことに~。

よし、これにしよう!と決断する時に使うエネルギーって、ハンパない。

絵本って、大きくて重いので、雨の日、傘をさしながら、途中食材も買い込んで、家に持ち帰るのも、けっこう、たいへん。

なのに、なのに・・・

その子は、渡した絵本にまったく興味を示さず、

そうなると、親からも「ありがとう」のひと言もなく・・・

なんてことになることもあります。

いえいえ、こちらが、勝手にやったことなので、恨みがましいことを言うつもりは、まったくございませんです。

なんだか、言いたいことから、遠く離れてしまいましたが、

要は、ですね、

私たちは、結果を重視しがちですが、

そのプロセスを大事に受け取りましょう、ということを言いたいのです。

お歳暮や誕生プレゼント、旅先からの土産など
自分のために手間隙とお金を使ってくれたことに対する感謝が大切なんだと思います。

それが、たとえ、自分にとって不要のものでも、

何をもらったかではなく、何をしてくれたか、が重要です。

子どもの頃、ママの誕生日に自分の貯金箱のありったけのお金を使って

靴下を買い、プレゼントしたところ、

残酷にも、ママが放ったひと言は、

「手袋がほしかったな。」

だった。

今でも、その時の母の冷たい顔が忘れられない、と言っていた女性がいました。

結果だけを評価する子育ては、子どもの居場所を奪います。

プレゼントがこちらが望むようなものだったときだけ

テストの成績がよかったときだけ

コンクールで入賞したときだけ

喜び、褒める。

結果が好ましくなくても、その過程を認める言葉を与えないと、

その子は、親が望む結果を出さない自分はここにいてはダメなんだ、と思ってしまいます。

悲しいことに、その気持ちは、大人になっても消えることはありません。

「親が望む自分」を自分自身が理想化してしまうと、

どこにいても、中途半端な気分がつきまい、安らぐ居場所を見出すことができません。

全てに対して、全力で向き合うことができなくなります。

もし、全力を出し切っても、結果が出せなければ、自分は完全に否定される、と思うと、必死で頑張ることを避けてしまうのです。

「頑張れば、できる」

可能性を残しておきたいのです。

プレゼントそのものは、ゴール。

ゴールにたどり着くまでには、たくさんの道を通り、いろいろな思いをかかえ、様々な労力を使うことを想像して、プレゼントを受け取りましょう。

そして、そのプロセスに感謝しましょう。

子どもを育てるときも、結果だけを褒めるのではなく、

子どもの気持ちや行為を認め、言葉にして伝えてあげましょうね。

プレゼントから、子育てについて考えたイブでした



















愚痴をくり返していると、やがて、愚痴は自分の一部になる?

2013-12-17 16:53:53 | 日記
今年も残り少なくなってきました。

時の流れに加速が付いてきた感じがします。

気がつくと、新年を迎え、誕生日を迎え・・・

やがて・・・

死を迎え・・・なんてことになってしまう。

肉体は衰えても、

精神的には、時間の経過と共に成長していけるもの、

経験から学び、人として成熟していけるものと、信じたいところです。

でも、時間に比例して、人としてのレベルが上がっていくとは限らないような気がします。

いつもいつも、同じ愚痴を言い続ける人のなんと多いことか!と嘆きたくなります。

だって・・・

いつもいつも、同じ愚痴を繰り返し聞かされることが多いのですから~。

状況が同じであり、自分の気持ちに変化がなければ、

ものごとがいい方向に動くことは望めないことぐらい

いいかげん、もう、わかってもいいように思う。

そういう人は、自分が努力しなくても、

いつか、神様が現れて奇跡を起こしてくれるとでも本気で期待しているのでしょうか?

あるいは、

実は、本音の部分では、事態が好転することなんて望んでいないのでしょうか?

いやだいやだ、と言いながらも、

心のどこかでは、

このままでいい

と変化することを避けているのでしょうか?

確かに、私たちは、「変化」を嫌います。

昨日と同じ時間が流れると安心するのです。

たとえ、その時間がどんなにつらいものでも・・・。

だって、慣れ親しんだ時間ですから~。

私も、若い頃は「悩むこと」に浸り、それを手放せなかったように思います。

今思うと、「悩み」と仲良しだったような気がします。

もし、あなたが、なかなか自分が「望んでいる」と思う状況を手に入れられず、

悩み続けているのであれば、

新しい年を迎える前に、ちょっと、自分のあり方を見直していただきたいのです。

5年以上前から、自分が繰り返し愚痴っていることがないか?

ネガティブワードの中で、自分の口から繰り返し出てくるものは何か?

それを口にしている時の自分の本当の気持ちって何?


冷静に、チェックしてみてほしいのです。

死ぬほど苦しい出来事ではないけど、

いつも、自分に張り付いている悩み・・・

もしかしたら、自分の一部になってしまい一生離れなくなるかもしれません。

その覚悟がある方には、何も言いません。

でも、状況を変えたい、悩む自分から抜け出したい、と心底思うなら、

今のうちに、逃げずに「悩みの正体」と向き合い、

手放す努力を本気で考えてみましょう。

自分自身が変化していく努力を懸命にやってみましょう。

案外、ウソのように早く、「悩み」から解放される日が来るかもしれませんよ!



『傾聴習慣』のススメ    ハッピーイヤー

多くの人は、自分の話を聞いてもらいたいのです。 だから、コミュニケーション最強ツールは「聞く技術」! 相手の話に耳を傾けることは、「相手を大切にするあり方」です。 それだけで、人間関係が変わります。 あなたに幸せをもたらします。 だけど、「聞く」ことは、「話す」ことより、数倍難しい。 だから、「聞く技術」は、学ぶ必要があります。 そして、学びを通して、心の深さ、神秘、愛を知ります。