人は愚かです。
失わないうちは、その有り難味に気がつかないことが多いものです。
健康も家族や友人も平穏な日常も、そして、平和であるということも・・・当たり前にそこにあると、当たり前すぎて、それがどれほど大切なものかを忘れてしまっているのです。
でも、ある日突然、病気になったり逝ってしまわれたり災害に見舞われたり、戦場と化してしまったり、そんな恐ろしいことになって、初めて、あまりに大きな損失に愕然としてしまうのです。
利き手の小指を怪我しただけで、私たちは大変な不便を感じます。
近所の百円ショップが閉店した時は、頻繁に利用するわけでもないのに、あわてました。
家族に対しても、特に夫に対しては、今さら愛を感じることはないし、時には、いなくても大丈夫と思ってしまうことすらあるかもしれません。
ところが、その夫が病気や事故で亡くなると、いかに自分にとってかけがえのない大きな存在であったことに気づかされるのです。
私の母がそうでした。
父が生きている時は、父に対する不満ばかり口にしていた母が、父が亡くなった途端、「あんないい夫はいなかった」と毎日嘆き悲しみました。
夫に頼り切っていたことを、初めて、認識したのでした。
夫のやさしさに、初めて、気づいたのでした。
失って困るもの、いなくなってほしくない人を全てリストアップしてみると、おそらく、膨大な数になるはずです。
そんな膨大な数の恩恵に私たちは支えられて生きているのだと思うと、心は感謝で満たされます。
不平不満や自己否定感は、そうした感謝を忘れてしまっている時に心にはびこるのかもしれませんね。
失わないうちは、その有り難味に気がつかないことが多いものです。
健康も家族や友人も平穏な日常も、そして、平和であるということも・・・当たり前にそこにあると、当たり前すぎて、それがどれほど大切なものかを忘れてしまっているのです。
でも、ある日突然、病気になったり逝ってしまわれたり災害に見舞われたり、戦場と化してしまったり、そんな恐ろしいことになって、初めて、あまりに大きな損失に愕然としてしまうのです。
利き手の小指を怪我しただけで、私たちは大変な不便を感じます。
近所の百円ショップが閉店した時は、頻繁に利用するわけでもないのに、あわてました。
家族に対しても、特に夫に対しては、今さら愛を感じることはないし、時には、いなくても大丈夫と思ってしまうことすらあるかもしれません。
ところが、その夫が病気や事故で亡くなると、いかに自分にとってかけがえのない大きな存在であったことに気づかされるのです。
私の母がそうでした。
父が生きている時は、父に対する不満ばかり口にしていた母が、父が亡くなった途端、「あんないい夫はいなかった」と毎日嘆き悲しみました。
夫に頼り切っていたことを、初めて、認識したのでした。
夫のやさしさに、初めて、気づいたのでした。
失って困るもの、いなくなってほしくない人を全てリストアップしてみると、おそらく、膨大な数になるはずです。
そんな膨大な数の恩恵に私たちは支えられて生きているのだと思うと、心は感謝で満たされます。
不平不満や自己否定感は、そうした感謝を忘れてしまっている時に心にはびこるのかもしれませんね。