「論理的なもの」の2つの契機として自己表出と指示表出を想定している。これは吉本隆明の言語の構造(自己表出と指示表出)を基礎にしているが、内容はかなり違っている。
「論理的なもの」は『小論理学』(ヘーゲル)の「論理的なものの三側面」の「論理的なもの」と対応させている。ヘーゲルの三側面はそのまま三段階論となっている。ヘーゲルの三側面に対して二側面(自己表出と指示表出)を対置し、悟性―否定的理性―肯定的理性という三段階論に対して、「悟性―理性……理性―悟性」という三段階論を対置している。自己表出は理性的側面と対応させている。指示表出は悟性的側面と対応させている。そして「悟性―理性……理性―悟性」の過程に「論理的なもの」の推移をみている。
「論理的なもの」、「自己表出と指示表出」、「理性と悟性」をアインシュタインの思考モデル(1952年)に投影してみよう。E(直接の経験)、A(公理系)、S(命題)、J(思考の飛躍)である。
この図の背景には「ある時代の言語の言語水準」(『言語にとって美とはなにか』吉本隆明)があると考えている。
「論理的なもの」は『小論理学』(ヘーゲル)の「論理的なものの三側面」の「論理的なもの」と対応させている。ヘーゲルの三側面はそのまま三段階論となっている。ヘーゲルの三側面に対して二側面(自己表出と指示表出)を対置し、悟性―否定的理性―肯定的理性という三段階論に対して、「悟性―理性……理性―悟性」という三段階論を対置している。自己表出は理性的側面と対応させている。指示表出は悟性的側面と対応させている。そして「悟性―理性……理性―悟性」の過程に「論理的なもの」の推移をみている。
「論理的なもの」、「自己表出と指示表出」、「理性と悟性」をアインシュタインの思考モデル(1952年)に投影してみよう。E(直接の経験)、A(公理系)、S(命題)、J(思考の飛躍)である。
この図の背景には「ある時代の言語の言語水準」(『言語にとって美とはなにか』吉本隆明)があると考えている。