北のとうさんの鉄道旅・アマチュア無線JA8HBO

札幌に住むおやじが北海道を中心に鉄道旅の話題や無線の話題も織り交ぜてぼやきます。アマ無線のコールサインJA8HBO

名寄のキマロキ祭り

2015年07月02日 | 旅行記
名寄の北国博物館の下の芝生の真ん中に残された名寄本線線路跡に、かつて最強の除排雪編成と言われたキマロキ編成が静態保存されています。
今年は保存されてから40年を記念する「キマロキまつり」が開催されたので、去る6月27日に名寄まで行ってきました。
キマロキとは
キ:機関車(9600型蒸気機関車)
マ:マックレー車(線路脇の雪をかき集めます)
ロ:ロータリー車(かき集めた雪を飛ばします)
キ:機関車(D51型蒸気機関車)
編成の前後に蒸気機関車が連結されて、降り積もった雪を強力に蹴散らしていくのです。蒸気ではなくディーゼルだったり、機関車の前にラッセルをつけることもあります。
通常の除雪にはラッセル車が使用されますが、ラッセル車に押し退けられた線路脇の雪壁が高くなると線路上に崩れてしまいます。そのため線路脇の雪壁を崩し、線路から離れた場所に雪を投げる目的で運行されました。
当日はミニSLの運転試乗会や、博物館内ではHOゲージの模型の運転展示が行われました。



あいにくの寒空で、薄着だった私は早々に講演会の会場の名寄駅前の「よろーな」へ行って昼寝(笑)をしながら17時の開演を待ちました。
当日の主たる目的は、「鉄道を愛するフォーラム」の聴講でした。演者は鉄道フォトライターの矢野直美さんです。

矢野さんの講演の後は「鉄道遺産の保存と活用」と称したフォーラムが行われ、矢野さんはもちろん、キマロキ保存会の志志見さん、北海道鉄道文化保存会の飯田理事長、名寄市立大の萩野先生の貴重なご意見を伺うことが出来ました。


飯田先生は元北大の先生で小樽の運河保存に尽力された方で、手宮の鉄道展示にも深く関わっている方です。
萩野先生は道南いさりび鉄道の名付け親・・というか何人かのの中のお一人です。
平素、ツィッターやフェイスブックでの仲間内の世間話だけでは得られない、異なった視点でのお話しを聞くことができて、有意義な時間を過ごすことができました。
当日の朝刊で留萌線廃線の報道があったというタイミングでのフォーラムでしたが、鉄道と他の交通機関の文化遺産としての違いも含めて、熱いお話しが展開されました。
鉄道がなくなると「地図から消える」「街はさらに衰退する」等等、最もなお話しでした。
でも、単に「鉄路を残してください」ではなく、地元民からのビジョンの提案も必要だと言うことなのです。
まあ、廃線の話しは別ブログで触れます。

当日は、富良野までラベンダーエクスプレスで行って、早めのラベンダーを楽しんで・・・・・のはずでしたが。札幌駅で時刻表を見て((+_+))。
日にちを間違えて、当日は8時前の便は無く、9時とのこと。待つのも嫌なので、札幌駅で数枚の写真を撮ってから7時48分のS宗谷で旭川に向かいました。





旭川からノロッコ号で富良野に向ったのですが、寒さに閉口して美瑛で途中下車。旭川に戻って(なんと富良野線では始めてキハ40に乗りました)





早めに名寄に向いました。
名寄の車中で、前を見ると(●^o^●)紛れも無く矢野直美さんが座っていらっしゃいます。偶然とは(^_^)/
「めんこい(可愛い)」の一言でありまして、名寄での下車時に思わずお声がけをしてしまいました。
いい思い出です。12時半に名寄着。
帰途は名寄から知人の見送りを受けながら旭川行きの20時16分のキハ40に乗り、札幌行き最終のSカムイ(785)に乗車。0時前に帰宅しました。







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