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北のとうさんの鉄道旅・アマチュア無線JA8HBO

札幌に住むおやじが北海道を中心に鉄道旅の話題や無線の話題も織り交ぜてぼやきます。アマチュア無線のコールサインJA8HBO

青春18切符で八戸・久慈まで・第1日目

2015年03月23日 | 青春18切符
 3月16日、青春18切符が3日分あったので、いろいろ考えたのですが、一年ぶりに青森方面へ行ってきました。
3月14日からのダイヤ改正で大きな変更も無く、いつもの慣れたコースと時間でのんびりと旅することができました。
第一日目
 朝4時半に起床して、コーヒーなど飲んで目を覚まして駅へ向いました。5時47分新千歳空港行の始発です。いつものように、千歳からの早い便に乗る方とか、お勤めの方など10名ほどの方が待合室で待っています。

小樽周りにすれば、もう少し遅い時間の列車でも良かったのですが、今回は札幌から、キハ143の車両回送も兼ねた東室蘭行きの便で行くことにしました。

早朝の札幌駅ではラッセル車の回送も停まっていました。

キハ143は鉄道ファンならご存知ですが、元来は客車だった車両に強力なエンジンを積んだ車両です。
時速110キロと、電車並みの速度で飛ばします。

9時過ぎに東室蘭に到着して、1時間ほど待って、キハ40の2連で長万部まで。途中の豊浦では後ろの一両を切り離すので注意が必要です。
12時前に長万部に着いて、いつものように駅前の蕎麦屋で食事。調子に乗ってカツどんと蕎麦のセットを注文して完食(●^o^●)。
ところが、これが良くなかったのです。夕方までお腹が張って不快でした。
再びのキハ40ですが、鹿部周りで快適に走って、函館には16時過ぎに到着、ホーム向かい側の木古内行きキハ40に乗り込みます。
今日はここまで全て(キハ)気動車です。
さて、18切符に詳しい方はご存知ですが、木古内から蟹田までは特例で特急に乗れます。


夏場は混んでいますが、今回は心配になるほどにスカスカでした。青函トンネルは何度通っても、閉所恐怖症気味なのか嫌ですし、携帯も使えません。ウトウトとしているうちに蟹田到着。ここで降りて普通列車に乗り換えです。
ここからは電車ですヽ(^。^)ノ。701系の3両ですが、まあ賑やかな電車ですね。
 ところで、去年はここで地元のおばさんにホームを聞かれたのですが、今年も居たら楽しいなと考えていると、ナント((+_+))同じおばさんにホームを聞かれました。
「次の電車は2番線とかだったすの」と来ました。私は「このホームですな」としっかり津軽のイントネーションで答えました。私は元青森県人ですからね(●^o^●)。
まあ間違うと三厩行きのキハ40に乗ってしまいます(笑)

賑やかな701は高校生も乗せて青森へ向います。油川からは部活帰りの高校生でかなり混んできて、青森到着。ホーム向側の青い森鉄道の701系に乗り換えです。20時頃ですから、まだ通勤通学で混む時間帯ですが、何とか席を確保してやれやれ。
22時過ぎに八戸に到着です。翌朝は新幹線を撮りましょうと決めて、駅前のローソン経由でホテルにチェックイン。
夕食はノンアルコールビールトカップメントおにぎり一つです。マッサンの再放送を見ながら、さっさと流し込んで寝ました。

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==車掌さんの心遣いに感動==

2015年03月22日 | 青春18切符
昨日は、首の皮一枚で11月までは販売継続が決まった模様の一日散歩切符でふらりと旅に出ました。
このブログの表題も変えなければならないかと真剣に考えていたところです。
いつものコースですが、発寒中央・手稲・野幌・岩見沢・苫小牧・東室蘭(室蘭往復)・長万部・小樽経由・札幌です。10時に自宅を出て23時55分に帰宅です。
主要目的は手稲発のキハ201による区間快速乗車。
そして長万部19時47分発札幌行きの2953Dです。
長万部からの列車は、原則として小樽までの運転なのです。ただ、この路線の列車は、冬場に積雪対策として投入されるキハ150-100番台を別として、札幌苗穂運転所の所属なので、定期的な点検のため苗穂に回送しなければなりません。その回送をかねての間合い運行として走っているのが、今回乗車した2953Dです。


ちなみにキハ150-100番台は苫小牧運転所の所属ですが冬季は苗穂において点検します
 この2953Dは両手の指では足りないほどの乗車回数ですが、小樽で4から6両に増結されて、深夜になり電車が消えた電化区間をディーゼル音も賑やかに走る様子が頼もしくて、飽きることがありません。線路沿いの自宅にいても、2953Dの通過の音で時刻がわかります
(●^o^●)
今回は長万部から150+40+150の3両で発車。最後尾の150は回送締め切りでした。乗客は5名ほどでしたが途中でパラパラと乗ってきて小樽到着時には10名ほど・・少ない((+_+))。小樽では後尾に150を3両増結して6両となり札幌を目指します。
ワンマンだった2953Dも小樽からは車掌が乗務します。
小樽発の下り最終便ということもあり、小樽の魚介類で舌鼓を打った酔客や小樽築港のSCに勤務するお勤め帰りの店員さんも乗車して、それなりの乗客数があります。
さて、発寒中央駅に到着して下車、最後尾から6両全体を撮ろうとカメラ片手にうろうろして撮り終わり、エレベーターに向おうとした私の背中に、車掌さんのに声・・「良い写真取れましたか・・」って。
びっくりして声が出ず、大きくうなづいて笑顔で答えるのが精一杯でした。
そして「良かったですね」と一言の後、発車しました。
ほんとうにうれしかったですね(●^o^●)。
ほんと・・・・(ToT)
最近、親しい駅員さんを除いてはJRの乗務員の方々にはなかなか声をかけられないで居るのですが、先方からお声掛けいただけて本当に感激しました。30代の働き盛りと言った年頃の方でしたが、今後のご活躍をお祈りしたいと思います。
ほんとうに感謝です。先日は別の方に旭川発最後の711系の前で一緒に写真を撮っていただいたりで・・・・お世話になりっぱなし(●^o^●)

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冬の青函連絡船は・・・

2015年03月04日 | 青春18切符
私のツイッターの呟きへの反響が大きかったので、ブログで詳しくお話します。
「青函連絡船に乗ってみたかった」という方をタイムスリップして、冬型の気圧配置で低気圧が近づいた状況の下で乗せてあげたい。二度と乗りたいといわないだろうなw。女子は「キャー」、老婆は数珠を握って手を合わせる、まさに修羅場だよ・・・でも船員さんは平然としている。売店・食堂は当然閉鎖
 以上がツイッターの内容です(●^o^●)。
 まあ老婆が数珠を握って手を合わせたのは、小学生の頃に乗った夏場の連絡船でも見かけました。低気圧でも近づいていたのでしょうね。卑しくサラミを一本丸々食べてしまった私は、見事にそれをデッキから海に返還してしまい、母のそばで小さくなっていました。
86歳の母は、今でもその話を笑いながら話します。

冬、あまり時化るとデッキには出られないのですが、吹雪模様の中、デッキに出られたときの光景が忘れられません。左前方から北西の季節風が吹きつける中、船は風に流されるように右に船体を傾けながら進んでいました。
このまま流されて函館に着かないのではと心配したものです(笑)。
ですから冬は、風を背に受ける上り便は、あまり揺れなかったし、多少速かったような記憶があります。
陸奥湾を出て津軽海峡に入る頃には船の動揺は激しくなり、デッキは閉鎖されました。
食堂もレストランも閉鎖です。腹が減ると船酔いしやすくなるから困ったものです。
カレーライスが安くて旨かったですしね(●^o^●)。
吹雪で視界が悪いためか、頻繁に鳴る汽笛が恐怖感を煽ってくれます(+o+)。
やっと函館の桟橋に着いて地上に降りても、しばらくは揺れた感じが取れませんでした(´・ω・`)。
青函連絡船は津軽海峡で公海を通るわけですから、設備的にはしっかりしたものだったでしょうが、不安はいつも付いて回りました。
当時連絡船は500Khz辺りの周波数を使っていたのですが、AM変調された電信ですからAMラジオの選局ダイヤルの最も低いところでも聞けました。
電信の内容を聞くと、業務連絡と電報でした。
アマチュア無線が趣味の私の特権ですね。今では聞けませんが、いろいろと楽しめたものです。
 上野を夕方に出る臨時の急行十和田が朝早く青森に着くと、連絡船がすぐにはありません。臨時列車には接続が悪かったようです。青森の広い待合室で2時間も待ってから乗船。臨時の連絡船で揺れて函館に着くと、またまた接続の列車がありません。そこで2時間くらい待って、学生時代に親の住んでいた小樽や登別に着くのは午後3時頃でした。下宿を出てから24時間と言った感じです。
ところが、それが楽しい思い出になっているのです。また乗りたいと思う・・・・不思議なものですね(笑)

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先週の4日の日曜日は北上

2015年01月09日 | 青春18切符
3日の岩見沢の大雪の余波が残る中、旭川と当麻に行ってきました。石北線のラッセルが走っていましたが、暗くなってしまい(´・ω・`)。

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2015年が始まりました。

2015年01月03日 | 青春18切符
あけましておめでとうこざいます。
今年は、日本が大きく変化すると感じます。簡単に言うと国のあり方が変わると感じています。

さて、暮れは30日に札幌市電を往復し、正月はいつものように登別の母のところに行ってきました。
今年で86歳になりますが、そろそろ独り住まいは難しいかなと感じながら戻ってきました。

さて、30日に乗った札幌市営交通の路面電車は新型のA1200と雪ミクのラッピング電車です。
A1200は奇妙な愛称がついていますが、不快なので無視します。    
元旦は母の家の近くの室蘭本線で見かけた789系特急すずらんと183系特急北斗です。
すずらんは初日の出ならぬ夕日を浴びてきれいでしたのでご紹介します。

札幌への帰途、立ち寄った登別駅は年末年始の貨物列車運休の影響でコンテナ車コキ20連が2編成停車というか避難していました。  
東室蘭のターミナルからあふれたのでしょう。
年末年始に青函トンネルを通行止めにしての新幹線の試験走行はどうだったのでしょうね。
北海道と本州の物流の大動脈を止めてまでの試験ですから、綱渡りの毎日だったはずです。
貨物はまさに「お荷物」の旅客優先の日本の鉄道の思想が垣間見えます。

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