前回の記事で「杏ケ岳」の読み方を示さなかったのですが、普通には「あんずがたけ」とか「きょうがたけ」とかと読まれたのではないでしょうか。
私が、この杏ケ岳を最初に知ったのはある山の本の紀行からでしたが、その紀行では「杏」は「すもも」となっていました。それ以来私はずっと「すももがたけ」と呼んでいます。
今回出かけるにあたって、どう呼ばれているかインターネットでちょっと調べてみました。そうすると、多くの記事が「すももがたけ」ではなく「すもんがたけ」と呼んでいることに気がつきました。両方の呼び名を併記している場合もありますが、杏ケ岳は「すもんがたけ」と呼ぶのが普通になっているようなのです。
今はこのようにインターネットでも簡単に杏ケ岳の情報が得られますが、最初に歩いた頃はほとんど情報が得られませんでした。掃部ケ岳については若干資料があったように記憶していますが、杏ケ岳については紀行の他には何もなかったような気がします。それでも杏ケ岳に向かったのは「すももがたけ」という名前に惹かれてのことでした。
紀行が掲載されていた山の本とは、「静かなる山」(技報堂 昭和53年)で、著者は、川崎精男、望月達夫、山田哲郎、中西章、横山厚夫の各氏です。名前だけは有名ですが怪しい日本語でいい加減な文章を書く岩崎某などと違い、これら各氏の文章は軽く読み飛ばすというわけにはいきません。ですから、「杏」を「すもも」と読んでいるには、それなりの根拠があってのことと思われます。
実際私が現在使用している五万図「榛名山」(平成10年)でも、「杏」には「すもも」とふりがなされています。最新の地図ではどうなのだろうと、国土地理院のサイト「ウォッちず」で見てみると、表記が「杏が岳」ではなく「李が岳」に変わっていて、全体に対して「すもうだけ」とふりがなされています。確認の為に閲覧したのに、予想もしない新しい表記と呼び名に出会ってしまいました。「すもも」ならば、まさに「李」の字が適切なのですが、「すもう」と読むとなると、ますます混乱してしまいます。(私は「杏」の字はいつも「あんず」と打ち込んで漢字変換しています。)
国土地理院が山の名前を決めたり、認定するわけではありませんから、地図の名前が「正しい」というわけではありません。地図が製作される以前から山は存在し、そして「地元」の人達によって古い時代に名前がつけられていたはずです。その当時の名前はおそらく「地元」だけで意味があったのだろうと思います。ですから、同じ山の反対側の各々の「地元」で異なる名前がつけられている場合があります。例えば、秋田県側では乳頭山、岩手県側では烏帽子岳のように・・・。私としては、この「地元」での呼び名を尊重したいと思っています。
杏ケ岳の場合にもそのような「地元」があるはずです。それは、いろいろな推測から杏ケ岳の南西の麓=旧倉渕村になるだろうと思われます。そこで、旧倉渕村(現在は合併して高崎市倉渕支所)に問い合わせをしました。
そしたら、正しい名前は「すももがたけ」で、通称として「すもうだけ」あるいは「すもんだけ」とも呼ばれるが、「すもうだけ」と呼ぶのが一般的である、という内容の返事をいただきました。
「ウォッちず」の表記は一般的であるという「すもうだけ」という呼び名を採用したのだろうと想像されます。こうなると問題なのはインターネット上で一番多く見受けられる「すもんがたけ」という呼び名です。いただいた返事では「すもんだけ」であって、「が」入りません。どうも「すもんがたけ」と呼ぶのは適切ではないということになりそうです。
私は今まで通り「すももがたけ」と呼びます。もともとこの名前に惹かれて歩いた山ですから・・・。
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杏ケ岳だけでなく、「掃部ケ岳」の読みも示さなかったのですが、これは「かもんがたけ」と読みます。難読山名の一つだと思います。
そもそも「掃部」とは何かと調べてみました。すると、掃部寮と同じであり、掃部寮とは、
”律令制下、宮中の儀場の設営や清掃などを担当した役所。また、その職員。もと大蔵省に属する掃部司(かもんのつかさ)と宮内省に属する内掃部司(うちのかもんのつかさ)とが合併して、掃部寮(かもんのつかさ)となり、宮内省に属した。[1988/国語大辞典(新装版)小学館]”
他の辞書でも同じようようなことが書かれています。
しかし、この山が掃部寮と深い関係があるとはちょっと考えられません。「かもん」という呼び名が先にあり、それに「掃部」の字をあてたのだろうと私は想像しています。
調べている中で、横浜に掃部山(かもんやま)というのがあることがわかりました。こちらは、井伊掃部頭(かもんのかみ)直弼にちなんでつけられたそうです。「桜田門外の変」で暗殺された井伊直弼です。
私が、この杏ケ岳を最初に知ったのはある山の本の紀行からでしたが、その紀行では「杏」は「すもも」となっていました。それ以来私はずっと「すももがたけ」と呼んでいます。
今回出かけるにあたって、どう呼ばれているかインターネットでちょっと調べてみました。そうすると、多くの記事が「すももがたけ」ではなく「すもんがたけ」と呼んでいることに気がつきました。両方の呼び名を併記している場合もありますが、杏ケ岳は「すもんがたけ」と呼ぶのが普通になっているようなのです。
今はこのようにインターネットでも簡単に杏ケ岳の情報が得られますが、最初に歩いた頃はほとんど情報が得られませんでした。掃部ケ岳については若干資料があったように記憶していますが、杏ケ岳については紀行の他には何もなかったような気がします。それでも杏ケ岳に向かったのは「すももがたけ」という名前に惹かれてのことでした。
紀行が掲載されていた山の本とは、「静かなる山」(技報堂 昭和53年)で、著者は、川崎精男、望月達夫、山田哲郎、中西章、横山厚夫の各氏です。名前だけは有名ですが怪しい日本語でいい加減な文章を書く岩崎某などと違い、これら各氏の文章は軽く読み飛ばすというわけにはいきません。ですから、「杏」を「すもも」と読んでいるには、それなりの根拠があってのことと思われます。
実際私が現在使用している五万図「榛名山」(平成10年)でも、「杏」には「すもも」とふりがなされています。最新の地図ではどうなのだろうと、国土地理院のサイト「ウォッちず」で見てみると、表記が「杏が岳」ではなく「李が岳」に変わっていて、全体に対して「すもうだけ」とふりがなされています。確認の為に閲覧したのに、予想もしない新しい表記と呼び名に出会ってしまいました。「すもも」ならば、まさに「李」の字が適切なのですが、「すもう」と読むとなると、ますます混乱してしまいます。(私は「杏」の字はいつも「あんず」と打ち込んで漢字変換しています。)
国土地理院が山の名前を決めたり、認定するわけではありませんから、地図の名前が「正しい」というわけではありません。地図が製作される以前から山は存在し、そして「地元」の人達によって古い時代に名前がつけられていたはずです。その当時の名前はおそらく「地元」だけで意味があったのだろうと思います。ですから、同じ山の反対側の各々の「地元」で異なる名前がつけられている場合があります。例えば、秋田県側では乳頭山、岩手県側では烏帽子岳のように・・・。私としては、この「地元」での呼び名を尊重したいと思っています。
杏ケ岳の場合にもそのような「地元」があるはずです。それは、いろいろな推測から杏ケ岳の南西の麓=旧倉渕村になるだろうと思われます。そこで、旧倉渕村(現在は合併して高崎市倉渕支所)に問い合わせをしました。
そしたら、正しい名前は「すももがたけ」で、通称として「すもうだけ」あるいは「すもんだけ」とも呼ばれるが、「すもうだけ」と呼ぶのが一般的である、という内容の返事をいただきました。
「ウォッちず」の表記は一般的であるという「すもうだけ」という呼び名を採用したのだろうと想像されます。こうなると問題なのはインターネット上で一番多く見受けられる「すもんがたけ」という呼び名です。いただいた返事では「すもんだけ」であって、「が」入りません。どうも「すもんがたけ」と呼ぶのは適切ではないということになりそうです。
私は今まで通り「すももがたけ」と呼びます。もともとこの名前に惹かれて歩いた山ですから・・・。
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杏ケ岳だけでなく、「掃部ケ岳」の読みも示さなかったのですが、これは「かもんがたけ」と読みます。難読山名の一つだと思います。
そもそも「掃部」とは何かと調べてみました。すると、掃部寮と同じであり、掃部寮とは、
”律令制下、宮中の儀場の設営や清掃などを担当した役所。また、その職員。もと大蔵省に属する掃部司(かもんのつかさ)と宮内省に属する内掃部司(うちのかもんのつかさ)とが合併して、掃部寮(かもんのつかさ)となり、宮内省に属した。[1988/国語大辞典(新装版)小学館]”
他の辞書でも同じようようなことが書かれています。
しかし、この山が掃部寮と深い関係があるとはちょっと考えられません。「かもん」という呼び名が先にあり、それに「掃部」の字をあてたのだろうと私は想像しています。
調べている中で、横浜に掃部山(かもんやま)というのがあることがわかりました。こちらは、井伊掃部頭(かもんのかみ)直弼にちなんでつけられたそうです。「桜田門外の変」で暗殺された井伊直弼です。