けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

選挙制度改革の政策議論の前にするべきこと

2013-03-31 23:34:34 | 政治
半月ほど前のブログ「一票の格差とは何か?」にて、選挙制度改革についてのコメントを書いた。その後、高裁レベルでの選挙無効の判決が2件出て、いよいよ選挙制度改革が待ったなしの状態になった。

言うまでもないが、この選挙制度改革は現在、暗礁に乗り上げた状態である。各党の思惑が異なり、報道の中での有識者の意見も人によっててんで異なっている。抜本的な改革を謳う中では、憲法改正を必要とする案もあるくらいだから、この手の議論が誰もが納得がいく形で落ち着く可能性は限りなく小さい。私は、先月のブログ「そろそろ、選挙制度についても考えてみたい」で個人的な考えを示したが、これにしても多分賛同して下さる方は少ないだろう。そもそも論的な意味での「何をもって最良の制度」と考えるかの基準についてのコンセンサスが得られない状況だから、そこに個人的な利害が絡むと収拾がつかない。第3者委員会での検討についても、菅官房長官などは「政治が責任もって決めるべき」と言っており、それが最良のゴールへの近道だとは思えないが、理想的には政治家が利害を捨てて正義を実現するのは理想だから、それにも一理あるとは納得するところである。

だから、民主党にしても日本維新の会、みんなの党にしても、自民党の案を批判するのであれば、せめてこの3党での合意できる対案を自民党に提示するのが筋である。一義的には責任政党である政権与党の責任ではあるが、野党第1党である民主党は昨年11月の時点で0増5減案について先行して成立させることを現与党と合意している以上、それと異なる落としどころを強硬に主張するのであれば、せめて民主党、日本維新の会、みんなの党の共同提案をまとめ上げる義務がある。これが出来なければ説得力は限りなく乏しい。

ところで、この様に考えながら国会議員はまず最初に何をすれば良いのだろうか?先走って抜本改革を叫ぶのは勝手だが、具体的な法案をいきなり議論してもそれは遠回りである。まず先にすべきことは、議論のための前提条件、すなわち制度の優劣を判断する評価基準作りを少なくとも自民、公明、民主、維新、みんなの党の5党でまとめ上げるべきである。

そこで、まず何よりも最初に、最優先課題は何かという点についての合意を目指さなければならない。広島高裁判決などの言う通り、昨年12月の選挙が無効であるとすると、そこで選ばれた国会議員の決めた法律に憲法上の妥当性が伴わないという解釈は当然のことながら起こりうる。であれば、格差是正のための法案を制定しても、それらは全て憲法上は無効となるかも知れない。何処まで行ってもこの状況は解消できないから、結局、何も解決できずに無限ループで空転する可能性が伴う。一部判決では無効を猶予する期間を設定しているが、これにしても時間的な余裕は余りないから、まずは最低限の要求条件をクリアすることを最優先とするのか、それともいきなり100点満点の制度を目指すことを最優先とするのか、この考え方をその根拠と共に示して議論するのが筋であろう。これらの判決の最高裁判決が正確には何時ごろになるのかは私は知らないが、原則は審理迅速化の「原則100日ルール」があるので、参議院選の直前に最高裁で判決がある可能性が高い。結論から言えば、私は最高裁判決の前に最低限の要求条件をクリアするのが最優先だと考える。それは、その要求条件がクリアできていれば、最高裁が政治の不作為にペナルティを与える究極の無効判決を下す可能性を低く抑えられるかも知れないからである。実際、前回の衆院選の直前に0増5減法案は成立していたが、区割り法案が成立していないから結果的に裁判所は格差是正の努力を認めなかった。つまり、区割り法案の成立まで辿り着いて初めて裁判所は政治の決断を評価するというのであれば、最高裁判決までの100日以内にゴールにたどり着くには0増5減の区割り法案を先行して成立させるより他に選択肢はない。少なくとも格差が2.3倍時点では最高裁で無効判決とはなっていない事態を考慮すれば、2010年度の国勢調査データで2倍を下回る格差を実現するのは最低条件としては妥当である。もし仮にいきなり100点満点を目指すべきというのであれば、その根拠と成立の勝算を示してもらいたい。

さて、次なる重要な議論のための前提条件、ないしは評価基準とは何であるか?それは、「決められる政治を実現するための制度」なのか、それとも「限りなく国民の支持率に比例する議席の配分を実現する制度」なのか、これらの相反するふたつの基準からの選択である。もし、一生涯、野党に甘んじるつもりならば後者を選ぶこともあるだろう。しかし、いつの日か過半数の国民からの支持を受けて政権政党に登りつめようと考える人ならば、前者を前提とするのは当然である。であれば、少なくとも先の5党ではこの前提条件については合意ができるはずである。イタリアの選挙を見るまでもなく、多様な意見が多く存在する現代社会の中では、どの政党も似通った意見の政党と連立しても過半数に到達できない可能性が否定できない。仮に衆院で過半数を確保できても、タイミングを変えて行う参院でも同じ枠組みで過半数を取れるかは更に厳しい。あれほど世界経済を左右しかねない状況に置かれたイタリアで、国民が選んだ答えは「決められない政治」だった。それを議員一人一人がどう見るかをまずは問うてみるべきである。

そしてもうひとつ、0増5減の区割り法案を先行して成立させるという前提の下で、その後の100点満点の制度を目指す議論の仕方をどの様に考えるべきかも決めるべきだろう。具体的には、第3者委員会に委ねるのか、国会議員が自分たちで決めるのか?菅官房長官の言う「政治が責任をもって決めるべき」というのは理想論であるが、辿り着く結論が国民が求める答えとなる可能性は低いから、より短期間に理にかなった結論を得たいなら、第3者委員会に委ねるのが合理的である。多分、半年から1年を目途に答申を出させ、それをもとに政府案を作成し、与野党で協議を行えば1年半後ぐらいにはある程度の形にもって行ける可能性が見えて来る。「政治が責任をもって決める」場合、7月の参院選で捻じれが解消できれば与党の強硬採決で法案を成立させることは可能であろう。しかし、ことが選挙制度であるから、緊急避難でない限りその様な決着のつけ方は好ましくない。少なくとも民主党政権では何も議論が進まなかったことからも、1年半後に大きなゲインを得ている可能性は限りなく低い。これが私が第3者委員会に委ねるべきと考える根拠である。どうしても国会で決めるというのであれば、そのためのマイルストーンを合わせて示して頂きたい。

さて、ここまで書いてきて最後にひとつだけ忘れていることがある。昨年の野田前総理と安倍総理との党首討論では、参院選前に定数削減を実現するという約束をしている。この約束をどう考えるかである。誰もが認めるように、選挙制度改革は与党の強行採決は好ましくはない。参院選前に定数削減を伴う選挙制度改革に決着をつけるのであれば、まず確実に衆院での2/3ルールの利用は避けられないが、これは禁じ手であり現実的には選択肢にはない。しかし、先日のブログにも書いたように、この定数削減に相当する国会議員の歳費削減は選挙制度とは関係ないから、選挙制度改革を実現してその制度を適用した総選挙までの時限立法として強行採決をしたとしても、それは憲政の常道に反する禁じ手とはならない。約束の定数削減ではないが、実現可能な選択肢の中からの最大限の努力としては国民から支持されるのではないかと私は信じる。

だから、最終的な結論として、0増5減の区割り法案を先行(強硬?)採決、国会議員の歳費削減の時限立法、7月の参院選に合わせた衆参ダブル選挙の流れが常道なのだと私は考える。多分、現在の安倍政権を見れば衆参ダブル選挙が政権を揺るがす可能性は低い。TPP問題で調子の良いことを言っていた議員は落選するかも知れないが、堅実な議員は確実に這い上がって来るだろう。そして、最高裁判決の前に衆院解散を宣言すれば、まず確実に総選挙後の国会の正当性は担保できるだろう。違憲無効判決の時限爆弾を解消する意味でも、上述の流れが最良の方法だと私は信じる。如何だろうか?

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「主権回復の始まりの日(1952年4月28日)」と「主権完全回復の日(1972年5月15日)」

2013-03-29 23:59:03 | 政治
ここ最近、不在にしていてブログをお休みさせて頂いていた。1票の格差の選挙無効判決や、北朝鮮の怪しい動きであったり色々な出来事があったが、中々情報取集する時間が確保できなかったので、偶々、ホテルで手に取った毎日新聞の記事についてコメントを書いてみたい。ネット上を探したが、この記事については毎日新聞のサイトにも記載がなかったので簡単な紹介から始めたい。

この記事というのは、政府が来月28日に予定している「主権回復の日」の記念式典と沖縄の関係について、佐藤優氏が毎日新聞に寄稿したものである。彼は東京出身の父親と沖縄出身の母親の間に生まれ、外務省の勤務経験もあるからあらゆる面での当事者であるが故に、細かな空気の感覚を理解することができ、政府の無神経さに怒りを覚える沖縄県民の気持ちと、その気持ちに理解が及ばない中央の政治家、エリート官僚の気持ちを代弁している。彼の受け止め方は、歴史的なイベントというものには二つの側面があり、ひとつは単なる年表上の通過点としての出来事、もう一つは化学の言葉で言えば「不可逆反応」とでも言うべき事件の前後で大きく事態が変わってしまう(単なる通過点)質的な転換を伴う事象であるという。サンフランシスコ平和条約の締結は、沖縄県民にとっては日本政府による日本からの切り捨て行為に等しく、その後1972年に本土復帰するまでの間、日本国とは法的に異なる管理体制での生活を余儀なくされた。中央のエリートにとっては1952年4月28日は単なる歴史上の通過点に過ぎないかもしれないが、沖縄県民にとっては国に裏切られ、切り捨てられた者としての生活を余儀なくされた、質的な転換を伴う大きな意味合いを持った日だったというのである。

多分、この理解は正しくて、多くの沖縄県民がこの様な感情を抱いていることは容易に想像できる。だから、仲井間沖縄県知事などが不快感を示したことには十分な説得力があることは認めざるを得ないし、その様な気持ちを大切にしなければならないことも認めるところである。私は沖縄には行ったこともない単なる部外者だから、どう考えても沖縄県民の心に寄り添うことなどできるはずもなく、だから無責任で無神経な発言となることも覚悟の上で、敢えてコメントさせて頂きたい。

例えば、現在のアベノミクスを引き合いに出してみたい。インフレターゲットの政策は、お金の価値を緩やかに引き下げる政策を意味するから、高齢者などの資産を持ち年金で暮らしている人々には確実にマイナスの効果をもたらす。為替レートも円安に振られ、輸入に頼るエネルギー資源や原材料は高騰し、電気代や様々な値上げラッシュが4月を境に一斉に始まるかも知れない。これらは明らかにマイナスであり、彼らにとってインフレは生活の敵であることは間違いない。一方、デフレスパイラルはこれほど有難い現象はなくて、放っておけば日増しに預貯金の価値が上がり、物やサービスの値段が一昔前では信じられないほどに暴落するから、これまでに貯めておいた貯金と年金で暮らすには、デフレが進めば進むほど生活は楽になる。しかし、これでは消費が尻すぼみになり、雇用は失われ、失業者が増大して多くの働く世代においては死活問題である。管理されたインフレは消費傾向を刺激し、経済を活性化させ、雇用を生んで好景気をもたらす。多少のタイムラグは仕方がないのであるが、「景気は気から」の言葉のごとく、好景気を予感させることができればインフレはデフレスパイラルを断ち切り、好景気を呼び込むツールとして機能する。誰にとってもハッピーな話などある訳もなく、誰かが喜べば誰かが悲しむのは世の常である。だから、「最大多数の最大幸福」の実現の視点から、一部の副作用のデメリットを遥かに凌駕するメリットがある場合には、そのデメリットには目を瞑り先に進む決断をすることが政治家に求められる。確かに、この5年ほどの日本はねじれ国会の政治の不安定さと東日本大震災の不幸も相まって、デフレスパイラルが最後の仕上げ段階に入ったかのような事態に陥った。しかし、その様な中で年金暮らしの高齢者が喜んでいたかと言えばそうでもなく、国家の財政破たんが危惧されて消費税増税が議論されたあたりから、年金暮らしの彼らもジリ貧の不幸感を味あわされていた。別に勝者がいる訳でもなく、全てが不幸に喘いでいた感じである。だから裏を返せばアベノミクスが悪というのではなく、それで景気が良くなれば子供世代の生活が豊かになり、幸せで笑顔があふれる子供や孫を見ることでトータルで見ればプラス・マイナスで若干プラス気味の幸せな生活へとたどり着けるのかも知れない。

この様に、誰かにとって明らかにプラスのイベントであっても、別の誰かにとっては真逆の意味合いを持つことは容易に見つけることができる。しかし、そこで何らかのアクションを起こすという決断が事態を大きく変えるとして、その結果のメリットと副作用的なデメリットの双方を容易に見つけることができた場合に、デメリットを過剰に恐れて何もアクションを起こさないという決断は、多くの場合において最悪の決断であることを我々は歴史から学んだ。だから、沖縄の例を見れば、沖縄県民を裏切り切り捨てて本土だけを先行させて連合国からの支配を卒業させたのは国家としての選択としては正しく、法的に例えれば「緊急避難」として正当化することは合理的である。ただ、白熱教室ではないが「正義とは何か?」はそう単純ではないから、少なく見積もっても「沖縄を裏切り切り捨てて何が悪い!」というのは間違いなく誤りである。だから、如何にして沖縄県民の苦しみ、悲しみを理解し、「主権回復の日」の意義を「単におめでたい日」という位置づけではなく、この日は日本が戦後からの復興の第一歩を示した日であると同時に、耐え難い屈辱の始まりの日として位置づけ、沖縄復帰の5月15日をセットで式典を行ってはどうかと考える。例えて言えば、「主権回復の始まりの日(4月28日)」と「主権完全回復の日(5月15日)」の双子の「主権回復の日」を祝うのが正しい祝い方だと思う。

私は、これだけ東アジアの緊張が高まる中で、アメリカ軍のプレゼンスを下げる普天間基地の国外移転は自殺行為だと考える。この考え方を前提としない人とは多分議論しても有益な結論に辿り着くことはないと断言しても良いほど、最低限の前提条件である。だから、沖縄の基地負担軽減を前面に掲げ、普天間基地の固定化を回避し、且つ辺野古移設を否定する有識者は、最低でも沖縄県を除く他の都道府県への基地受け入れのための行動や提言を伴わない限り、八方美人の無責任この上ない人だと切り捨てられても仕方がないと考える。以前、橋下前大阪府知事が関西空港に関連させて米軍の受け入れの検討を示唆した際にも、有識者は「ふざけるな!大阪近郊に迷惑施設など断じて認められない!」と偉そうに言っていた。そして、一方で「沖縄の負担軽減のために国の無策はけしからん!」とも言っていた。そんな打ち出の小づちの様な答えは存在しないのだから、誰かを助けるためには誰かが苦しまなければならない。全ての人にイイ顔をしようとするのは、全ての人に赤んべぇをしているのと等価である。だから、オスプレイにしても辺野古にしても、短期的には沖縄に更なる負担をしいることになることは悲しいかな避けて通れない選択である。ここで重要なのは、その様な短期的な沖縄の不幸をあたかも彼らに寄り添うようなふりをして「酷い、酷い!」ということではなく、彼らのその痛みに理解を示し、彼らが中長期的には負担が軽減され多くの人が幸せを掴むことが出来るかも知れないという信頼を勝ち取ることである。

安倍総理はオバマ大統領に、「私もリスクを取るのだから、返還に向けたスケジュールを明らかにしてもらわないと困る」と嘉手納以南の基地の返還を迫ったという。日本中に過疎で悩む市町村がある中で、沖縄にも同じことは起きている。子供や孫の世代に仕事がなく、生活のために県外に出て行かざるを得ない人たちに、米軍基地はある程度の仕事を提供することになり、別に箱モノを作るまでもなく経済的なプラス効果も当然ながらある。中長期的な基地の県外移設(例えば九州)や地位協定の見直しなど、彼らに寄り添う姿を示し信頼関係を築き上げることが、無責任に「日本政府はけしからん!」と言うよりもより沖縄県民の心を掴む第一歩になるだろう。

その象徴が、「主権回復の始まりの日(4月28日)」と「主権完全回復の日(5月15日)」の双子の「主権回復の日」の開催である。私は、是非とも安倍総理にこの考えに立って欲しいと考える。

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おい韓国、しっかりしなさい!

2013-03-23 11:21:11 | 政治
先月のブログ「どこかで見た風景?(韓国朴新政権は大丈夫か?)」で韓国の朴槿恵新大統領の政権のドタバタを、日本の民主党になぞらえて余りに幼稚な部分を心配する内容で記事を書いた。その時は、言ってみれば民主党に政権交代した際にも「まあ、経験のなさから頼りない部分はあるだろうが、そうは言っても流石に国が崩壊するところまでは行かないだろう」と感じたのと同様に、流石にやることはきちっとやる、特に徴兵制のある国として日本の様な平和ボケは流石にないだろう・・・と感じていたが、実際は相当深刻なようだ。

まず、新政権の閣僚が確定したと報じられたのもつい先日だったが、国防相候補に指名されていた金秉寛氏が候補を辞退すると表明したという。理由は人事聴聞会で株式取得などをめぐり偽証したなどの疑惑が噴出していたからだそうだが、特に外交・防衛関係では何らかの弱みを握られる人物が要職に就くリスクはきわめて高く、これまで何度も身体検査に失敗していた朴大統領には全く学習機能がないということを露呈した形だ。それも、平和ボケの日本で田中直紀元防衛相のような人を任命するのとは訳が違い、今にも戦争が起きようという国で弱みのある人材を指名することが何を意味するかは常人であれば誰でも分かる話である。

それだけではない。
朝鮮日報2013年3月22日「サイバーテロ:司令塔ない韓国、各組織の対応バラバラ

実は韓国のサイバーセキュリティーの司令塔は国家情報院という機関が行うことになっているというが、国家情報院は法的に政府・公共機関に関する調査は出来ても民間分野への調査は放送通信委員会、金融委員会、国防部などが分担し、統一した調査が出来ないという。大統領府関係者は「民間を狙ったサイバーテロに対応するには、民間のセキュリティーネットにアクセスする必要があるが、(国家情報院に)その権限がないことが問題」と話したという通り、殆ど防衛体制どころか被害状況の調査もザル状態である。

ところで、こんなことを書いていると驚きのニュースが続いた。中国経由と言われるIPアドレスが韓国国内の農協内のPCのもので、中国経由というのは誤認で訂正するというものだ。公開されたIPアドレスは特定の端末のIPアドレス「101.106.26.105」で、単純にPCにそのアドレスを設定してネット(ルータ)に繋げてもサブネットが異なるなどルーチングの整合性が取れないから普通ならば通信は成り立たない。端末の上流のルータにも中国のIPアドレスが設定され、それでもインターネットに繋いで不整合が起きていないとすればかなりトリッキーなこと(例えばNATの様なアドレス変換で、本来はプライベートアドレスを設定するところにグローバルアドレスを設定するなど)を農協組織ぐるみでやっていたことになる。しかし、その場合には外部には変換されたIPアドレスは見えないはずなので、中国由来のそのIPアドレス「101.106.26.105」からの攻撃というのは農協に閉じた話になりそうだ。今回は多数の銀行、報道機関、保険会社などが攻撃を受けているから、その他の機関は別のルートで攻撃された可能性が高い。この辺の情報がセットで出てこないので良く分からないが、この様なことに気が付くのに攻撃から2日間を要するのも上述の組織・体制のザル状態に起因するものかも知れない。

もう少し韓国という国はましな国かと思っていたが、現在の状態では北朝鮮から付け込まれる可能性が非常に高いことは覚悟すべきだろう。もっとも、東日本大震災に前後して見せた民主党政権の体たらくよりはましかも知れないが、戦争は東日本大震災よりも深刻度は高いのである。日米の専門家は、多分、韓国がポカをした場合のシナリオも含めて対策を練る必要に迫られているのであろうが、迷惑な話である。安倍政権になった今だから胸を張って言えることかも知れないが・・・。

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韓国サイバー攻撃の見どころは?

2013-03-21 22:51:45 | 政治
お恥ずかしい話だが、一昨日のブログでオバマ大統領の「攻撃用銃器」の規制への取り組みを賞賛したら、その翌日に規制断念の報が入ってきてしまった。何とも締りのない話だが、それもひとつの亀の歩みの一環だと思ってここでは失敗とは断定せずに今後の様子を見ようと思う。

さて昨日からの最大の話題は昨日韓国で起きたサイバー攻撃であろうが、この攻撃の被害が如何ほどかという報道が韓国側で公表されていないなど、不明なことはいまだに多い。銀行や保険会社などでは当然ながら2重3重のバックアップを取っているだろうからそれらが全滅という可能性は低いのだろうが、銀行の預貯金情報や経済活動における送金データなどの一部が損失し、目に見える被害金額(所謂経済損失を金額に換算したものではなく、実害としての金額)がどの程度になるのかは、明らかになるまでにそれ相応の時間がかかるのかも知れない。それが微々たるものであれば良いが、結構なインパクトがある場合には、朴新政権の基盤を揺らがせかねない。その点は心配である。

ところで、このウイルスの素性についてはウイルス対策ソフトのMcAfeeなどが下記の記事にあるようにウイルスの情報を公開している。どうやら、マスターブートレコードを破壊すると共にファイルシステムの一部をランダムに上書きしてファイルを再現不可能にするということから、ウイルス駆除プログラムを伴う緊急ブート用のCD-ROMやDVD-ROMなどを作成して配布したとしても、様々な重要データが完全に元の状態には戻らない可能性が高い。

2013年3月21日IT mediaエンタープライズ2013年3月21日「韓国の銀行、メディアに対するサイバー攻撃事件について

あまり報道では触れられていないが、この記事のもっとも興味深い点はこのサイバー攻撃に用いられたウイルスソフトの特徴として、「マスターブートレコードを上書きする前に、2つの韓国製アンチウイルス製品、アンラボとハウリを作動不能にしようと試みます」とあることが上げられる。私はこのアンラボとハウリという製品を知らないが、少なくとも日本ではそれほどメジャーではない韓国ローカルのソフトなのだろう。話が逸れるが、最近はともかく10年ほど前であればウイルスといえばWindowsがターゲットだった。それは、世界中に普及しているPCの殆どがWindowsだったから、MAC OS用のウイルスを作っても割に合わないという単純な理由によるものだった。今回のサイバー攻撃は、この韓国ローカルのウイルス対策ソフトに特化したようなウイルスであるとすれば、時間をかけて用意周到に計画したターゲットは韓国限定ということになり、その様な動機を持つ犯人はおのずと絞られるということである。これが、北朝鮮犯人説の根拠なのだろう。テレビなどではIPアドレスばかりが注目されているが、IPアドレスがあまりあてにならないのは日本でも経験したばかりである。ただ、ここまで証拠がそろっても、それはまだ状況証拠に他ならない。悔しいが、このレベルでは韓国は泣き寝入りである。

また、今回の被害の特徴として(これは個人的な予想なのだが、韓国というお国柄として多くの企業が相互依存関係を持ち)、銀行や放送業界という求められるセキュリティレベルの非常に高い業界であっても、(国内産業育成のためかどうか、あまり国際的には評価が高くない)韓国ローカルのセキュリティソフトを足並みを揃えて積極的に使用していたということがあるのかも知れない。別に欧米のソフトなら良いという訳ではないが、少なくともこれほどインパクトがある脆弱性を見逃していたのだから、あまり誇れたレベルのものではないだろう。それが、問題を大きくした原因のひとつかも知れない。

さて話が逸れてしまったが、概ね中国経由で北朝鮮が仕掛けた攻撃というところまでは分かったが、このサイバー攻撃が北朝鮮由来のものか否かを厳密に区別することはできるのか?韓国を攻撃する踏み台に中国を経由したことは明らかであっても、そこから先の調査は中国次第である。韓国からすれば状況証拠的には明らかに北朝鮮発なのだろうが、物的証拠がないという状況である。中国に関しては、韓国に北朝鮮攻撃の口実を積極的に与える訳がないので、韓国は半ば泣き寝入り状態となる可能性は高い。しかし、世界に情報を公開するかしないかは別として、国家権力の前では何でも出来る中国だから、サイバー攻撃に関与したサーバやPCを根こそぎ調査して北朝鮮の関与の有無を動かぬ証拠付で得ることは可能だろう。その証拠をもとに中国が北朝鮮に対して何らかのアクションを起こすことは当然のことながら考えられる。良く見ていれば、この件を発端とした北朝鮮と中国の間のつばぜり合いが今後見られるかも知れない。なにせ、サイバー攻撃でアメリカから非難されたばかりの中国を踏み台にしているのだから、中国が不快に感じるのは当然だろう。このままで済むはずはない。

韓国やアメリカの関係者は直接的な手は下せないかも知れないが、その辺の動きを見逃さないのだろうから、報道の中でこの辺の情報が出てこないかどうかは見ものである。

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戦略的亀の歩みに拍手!

2013-03-19 22:24:29 | 政治
少し前の記事だが、実は個人的に非常に気に入った記事がある。

日経新聞2013年3月15日「米上院委、『攻撃用銃器』禁止法案を可決 銃乱射事件受け

何てことはない記事だが、実はこの様な歩みが重要であるというその典型のような記事だと思った。ご存知のように、アメリカでは最近、銃による無差別大量殺人の事件が多発し、銃の規制を求める声が高まっている。日本人の感覚からすれば、直ぐにでも銃規制への流れが出来ても良さそうだが、実際にはそうはいかない。その最大の理由は、アメリカ合衆国の憲法の修正第2条に「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有しまた携帯する権利は、これを侵してはならない。」と明確に規定しているのだ。もともと西部劇の舞台になったようなアメリカの地では、一般市民が銃を持つことで組織的な安全保障が図れると考えられ、極端な言い方をすれば(銃規制反対派の人達からすれば)基本的人権などと同列に語られるほどの人が生まれながらに持つ基本権というような議論するまでもない当然の権利とみられている。だから、銃を規制することは憲法違反にもなりかねないから、本来ならば憲法改正などとセットで語られるべき程の重たい問題となる。しかし、日本と同様に捻じれ国会的に不安定な状況が続くアメリカだから、その他の財政の崖などの重要な課題が多く残される状況で、とてもではないが無理などできる状況にはない。財政の崖問題を最重要と位置付けるなら、その峠を越えるまではとても無理はできないはずなのだが、しかし実際にオバマ大統領は着実に歩みを見せているのである。

それは、言われてみれば当然のアプローチかも知れないし、実際にクリントン政権時代に成立したことがあるというのだが、通常の拳銃などと異なり、明らかに限度を超えた戦争用の武器である自動小銃などの「攻撃用銃器」の使用を限定的に禁止しようというものである。さらに、銃の個人売買でも購入者の犯罪歴照会を義務付ける法案や、学校の警備強化の法案などを可決しているというから、少しづつ外堀を埋めて、亀の様な歩みかも知れないが、将来の銃の完全廃絶に向けた着実な歩みと言える。

これはよくよく考えると、安倍総理の最近の行動に通じるものである。TPPにしても、国益に反する例外なき関税撤廃というハードルをクリアするための日米首脳会談での言質を取り、それだけで既に着実な歩みと感じていたが、会談から1週間以内にTPP交渉参加宣言を出すかと思ったら、3週間以上の時間をかけてちゃんとした手続きをアピールしながら、国民の多くが「ここまでやればいいだろう」という頃合いを見計らって最終判断を下す。竹島問題も、政府からは竹島の日の式典に内閣府政務官を一人だけ出席させ、一方では小泉進次郎青年局長を出席させることで国民への自民党のスタンスをアピールする。こちらも亀の歩みだが、確実な歩みである。国民の全てにとって異論のないデフレ脱却へのロケットスタートとは異なり、失敗が許されず確実な歩みが求められる課題には、亀でも良いから確実に歩みを進める。重要なのはその使い分けなのだが、その使い分けには用意周到な戦略が裏に潜んでいる。

オバマ大統領は2期目の就任演説でも銃規制の強化を訴えていた。医療保険制度改革にしても、銃の場合と同様だが日本人からすれば当たり前すぎてその必要性を議論する気にもならないようなことが、アメリカでは決して常識ではない。それでも前に進めてきたその戦略性が、やはりオバマ大統領には伴っているのだろう。

細かな一つのことで全てを語るのは危険ではあるが、個人的にはこれだけ重要な課題に関する戦略的亀の歩みに私は拍手を送りたい。まだ、法案の成立までには乗り越えるべきハードルがあるのだろうが・・・。

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北朝鮮化する中国(穏健派と急進派の先鋭化)

2013-03-18 22:26:53 | 政治
一体何が起きたのかと目を疑る報道があった。

共同通信47ニュース2013年3月18日「中国軍幹部、射撃レーダー認める『艦長判断』『領空侵犯は作戦』

この記事によれば、中国軍の高級幹部が共同通信の取材に対し、FCレーダの照射を認め「艦長の緊急判断だった」と計画性を否定したという。昨年12月の領空侵犯についても、「軍の作戦計画だった」と認める一方、「軍は、(領空侵犯以上に)事態をエスカレートさせるつもりはなかったし、今もない」と語ったとい。複数の関係者から裏が取れているようなので、ある程度の軍の上層部において、公式発表か否かは別として情報のリークを容認する勢力が存在することを表している。

しかしこの話は、元々は日本が証拠を出しながら、中国外務省及び国防省は公式に否定の声明を出し、日本の言いがかりも甚だしいと日本を強烈に非難していたわけである。この中ではFCレーダ照射を大変危険な行為と位置づけて「そんなことするはずない!」と開き直っていたのだから、その方針を転換した時に責任問題が発生するのは容易に予想される。つまり、(1)これだけ危険な行為を安易な判断で行った艦長の責任、(2)外務省及び国防省の情報収集に対して適切な情報を報告しなかったことへの責任、(3)自らに非があるのに「デマを流して中国を誹謗中傷するな」と他国を誹謗中傷したことへの国際社会に対する責任、などであろう。(1)については必死に「日本が挑発したから」ということで有耶無耶にすることは可能かも知れないが、少なく見積もっても(2)の責任は免れない。(3)という失態を国家が犯す原因を作った責任だから、こればかりは厳重な責任追及の対象になりかねない。(1)は艦長レベルでの判断と見なすことも可能かも知れないが、(2)の報告が軍の上層部に上がっていなかったとは考えにくいから、(1)よりも(2)はより階級の高い高級幹部レベルでもみ消したことが予想される。だから、そこまで上層部の責任追及を覚悟の上で、FCレーダ照射を認めるとの判断を軍がしたことになり、これは驚くに値する。

何故に中国にとってメリットがないのにFCレーダ照射を認めるのかといえば、考えられるのは防衛相の幹部が中国国防省の幹部に対して動かぬ証拠を近々発表し、その内容がどのようなものかを事前にリークしたのではないかと考えられる。ないしは、米国と中国の間でも両国の軍担当者が相互に意見・情報交換などを行っているが、この中で「日本が発表する証拠は、国際社会の中では明らかに中国の蛮行を認めるのに十分な内容であり、証拠を出される前に認めた方が中国側の被害が小さい」と米側から諭されたということもあるかも知れない。また、ここから先は単なる思い付きだが、「日本の公開する情報には、単に日本側の探知能力を示す情報に留まらず、中国にとっても不利益な軍事情報(中国側レーダの性能や波形の特徴などを示す情報)が含まれるから、この公開は中国にとって不利益である」という情報リークがあったのかも知れない。相当な不利益が中国軍側になければ、中々、この様な大きな方針の変換は説明できない。

ただし、ここまでこの様に書いてきたが、夕方になって中国国防省がこの報道を否定する声明を出した。論調は今まで通りであり、あくまでも公式見解としてはFCレーダは照射していないということで方針の転換はないらしい。ますます分からなくなってくるのであるが、それでも明らかなのは軍部(ないしは中国共産党)内に二つの考え方が存在するという証拠である。

ではその二つの考え方とは何か?上記ニュースとは直接関係はないが下記の様な報道も先日あった。

Record China 2013年3月13日「<尖閣>武力行使すれば奪還は可能、でも中国は高成長の環境を失う―中国政協委員

これは以前からこのブログでも指摘している通りの極めて常識的な話であるが、要は中国が尖閣を奪取することで得るメリットに対し、奪取したことで失う国家の高度経済成長のインパクトは大きく、「尖閣奪取」は決して中国の政権側が選択肢のひとつとして選べるものではないという事実である。これだけ住民の不満が募る状態では、ひとたび戦争が始まれば一時的に国民のベクトルをひとつの方向に向けることは可能だが、仮に戦争に勝ったとしても(単なる高度経済成長への大ブレーキによる経済損失のレベルに留まらず、それを桁違いに超えるインパクトとして起こるであろう)その後の国内の暴動は国家の致命傷になることを忘れてはならない。私には中国国内の現時点での権力闘争がどの様な状況に落ち着いたのかは良く分からないが、少なくとも政権の中枢のある程度の勢力は、上述の視点から対日戦争に向けてイケイケ・ドンドンの思考が国内に蔓延するのを修正しようと考えていることは伺い知れる。これは軍内部にも同調者がそれなりにいて、その様な人達が中心となってソフトランディングできる落しどころを模索し始めたのかも知れない。幸いにも日本側の反応は毅然とはしていながら極めて抑えた対応が多いから、何らかのサインを日本に対して出して修正を試みているのかも知れない。今回の「FCレーダを照射した」という情報リークは、少数勢力かも知れないがその様な意図なのかも知れない。

今回の全人代で選ばれた習近平体制は彼の意に反して、かなり胡錦濤派や温家宝派などの比較的穏健派が抜擢されている。北朝鮮では軍部の暴走を許し、対米強硬派が好き放題やることで国家滅亡の危機に直面している。見方によっては、これを他山の石として自らの襟を正すことに注意を払い、尖閣での強硬な行動よりも汚職や環境問題、貧富の差などの国内の不満に正面から取り組む行動を取るべきだという考えの表れかも知れない。ただ、習近平氏の国家主席の就任に日本政府が祝電を打ったところ、中国からは何のリアクションもなかったという。中国国内は一枚岩ではなく、穏健派と強硬派は互いに先鋭化し、しのぎを削るのであろう。

今後もこれまで以上に強い対立が繰り返され、意味不明な今回の様な報道を目にする機会が増えるのかも知れない。

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一票の格差とは何か?

2013-03-16 23:58:07 | 政治
今日のブログのタイトルは「一票の格差とは何か?」である。分かり易いようでいて、様々な解釈のしようがある概念かと思う。憲法で保証された法の下の平等に直結する話だから非常に重要で、多分、その道の専門家であれば既に結論が出ているのかもしれないが、素人なりの問題提起をしてみたい。

まず、昨年末に衆議院の解散に至る際に、野田前総理が安倍総裁に「選挙制度改革の約束をすれば解散する」と言って、約束の下で解散に至った。これは衆議院の一票の格差の問題があるから、最低でも0増5減の定数是正を行いながらも、国民に対して身を切る痛みを分かち合うために、国会議員の大幅な定数削減の必要性を説いたものである。だから、5議席減では国民に対する約束を守れないというのはあるのだが、まず大前提となるのは憲法違反である「違憲状態」の解消が最大の必要条件となる。だから、仮に定数が削減されても、「違憲状態」のリスクを引きずったままの選挙制度改革では意味がない。

そんな中、現在、国会内で検討されている最有力候補である案は、比例代表の枠を第1党を除外した第2党以下で優先的に配分する一部連用性である。自民党の伊吹氏はこれを憲法違反の可能性があると指摘しているが、裁判所が違憲判決を下すその様なリスクを伴う制度であることは間違いないだろう。通常の1票の格差ならばある程度不可抗力的なグレーゾーン的な部分を残すから「違憲判決」でも選挙の無効判断にまでは至らない。これは、1票の重みがMaxとMinの比の程度が問題であって、原理原則的に全ての重みを均等にするには完全比例代表制しか解はない。だから、あくまでも程度の問題としての「違憲判決」なのあるが、連用性の違憲性は仮に判決が下された場合にはその選挙制度、すなわち制度を規定した法律そのものが違憲であり、これはグレーゾーンを伴わない完全「白」「黒」の世界なのである。極めて政治性が高い問題としての判断で、敢えて無効判決までは踏み込まない可能性はあるが、その様なリスクに踏み込むのは如何かと言わざるを得ない。そもそも違憲状態を回避するための議論であったはずなのに、その辿り着く先がよりリスクの高い「違憲状態」であっては議論の意味がない。だから、元々は何をしたかったのかを考える必要がある。

ただ、問題が複雑なのは、(比例代表制を除けば)あらゆる選挙区制度は原理的に(且つ統計的にも)投票数に比例しない議席数を与える制度とならざるを得ない。弱小政党に不利という批判は分からなくもないが、仮に中選挙区制であっても程度の差が変わるだけで、ある程度の得票数を得ながら議席につながらず死に票となる票は避けられない。これが嫌なら衆参共に完全比例代表制にしなければ解決しないが、では比例代表であれば得票数に比例して国民の意見が反映されるかと言えば、そう単純ではない。政策決定というものはAという政策の支持率がx、Aに反対するBという政策の支持率が(1-x)だからと言って、選択される政策をxA+(1-x)Bとする訳にはいかない。勝者が総取りというルールが最後に適用されるのが民主主義のルールである。これを「けしからん!」と言う人がいるのも事実だが、その様なことに過剰に遠慮すると「決められない政治」という最悪の事態を導くことになる。日本維新の会の橋下共同代表なども、「最後は選挙で選ばれた最高責任者が決断せざるを得ない。その決定に不服ならば、国民は次の選挙で鉄槌を食らわせることができる。それが民主主義!」と言っているが、まさにその通りである。

ところで、この辺の議論を見ていると、安倍総理のリーダーシップが中々選挙制度改革では表に出ない。違和感を感じるのであるが、これが民主主義とも言える。三権分立とは民主主義を実現する上での最大のツールであることを我々は経験則で知っている。中国に民主主義がないのは三権分立が三権集中になっているからである。しかし、この三権のうちの司法は分かり易いのであるが、「行政と立法」の関係は乱暴な言い方をすれば「総理と政権与党」の様な関係にあり、この独立性の意味が微妙である。総理は与党自民党の総裁であるから、党の決定の最高責任者であるべきだが、一方で行政の最高責任者だからこれが一体化すると二権の分立制が担保できないことになる。だから、じれったいと思いながらも、総理は総裁としての権限(リーダーシップ)を振りかざすのではなく、幹事長と党の政策決定プロセスを黙って見守るしかない。

しかし、リーダーシップからかけ離れれば、「船頭多くして船山に登る」のごとく、向かうべき方向は迷走する。例の連用性の優先枠が、当初30/150だったのが自民党内で40/150になり、党の最終案では60/150まで増えている。プレーヤーが多くなればルールが捻じ曲げられていく様子を見ているようである。そもそも、行政の長である総理大臣は国会議員である必要があり、その国会議員を選ぶルールを国会議員が決めるというのは、そもそも論的に個人ベースでの損得論が優先されやすいから最善の方法を選べない可能性を高めることになる。であれば、利害関係を排除して(憲法)学者や有識者などを集めて広く国民的な議論を行い、その結果としてあるべき選挙制度を決めていくのが筋である。この筋を通せない理由は何かと言えば、最初の野田前総理と安倍総理との約束にあり、どうしてもこの通常国会中に何かを決めなければならない。

ところが、そもそもの出発点に戻り、何を本当はしたかったのかと言えば、それは目先の選挙制度改革などではなかったはずである。出発点はふたつあり、「1票の格差是正」と「国民に痛みを伴う身を切る努力を見せる」ことであった。この後者は翻訳が必要であり、つまり国会議員の歳費を減らすことを意味する。であれば、仮に現時点で国会議員のうちの比例代表枠を180から150にしたいのであれば、次回の衆院選挙からは衆議院の比例代表選出議員だけ歳費を150/180(=83%)にカットすれば、さしあたっては議員数を減らさなくても同等の効果を得ることができる。仮にこれでは議員活動に支障が出るというのであれば、議席数は比例代表のルールで党が獲得するが、実際の議員数はその獲得数より少なく設定して、国会で何らかの投票行動を伴うときは、その差分を党執行部が指名する事務的な担当者に党の指示に従い投票を行わせれば、結果として議員一人当たりの歳費は減らない様に調整できる。お金を除けば議席配分は現状維持だから、特に反対が出る理由はないだろう。だから、この通常国会でその程度のルールを決議してしまい、速攻で有識者会議を立ち上げてタウンミーティングなどでも国民の意見を吸い上げ、それをまとめたものを政府が代表して法案として国会に提出し、それを国会議員が議論すればもう少しましな議論や根本的な解決ができるだろう。

今の選挙制度議論の状態は、自民党内でも極めて民主党的な議論の仕方の様に思えてならない。ただ、民主主義のコストは中々安くはなく、リーダシップを持った安倍総理も耐えるところは耐えながら、戦略を地道に練って思った方向に誘導する策を考えなければならないのだろう。「まずは、比例代表枠の歳費17%カットから始める」ではダメなのか、試しに誰か言ってくれはしないものか・・・。

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全柔連の助成金流用と観音寺の仏像問題

2013-03-15 23:18:53 | 政治
今日は他に色々書きたいことがあるのだが、あまりにも情けなくさっさと済ませたい話を先にしておく。一見関係のない全日本柔道連盟の不正な助成金流用と長崎県対馬市の観音寺の仏像の盗難事件である。

まず、全柔連の助成金に関しては、色々な問題が指摘されているので今更ここで言うまでもない。最初にはっきりさせて頂きたいのは、上納金という形で支給されたお金を巻き上げる制度と、個人口座を利用して使途の管理を行わずズブズブで使う如何にも不正使用の温床となる管理体制、このふたつは明らかにアウト!であり弁解の余地はない。村春樹会長の記者会見では、「問題がないとは言わないが・・・」という表現を用い、問題の深刻さを理解していないように聞こえる。本当ならば「大問題であり、処分を含めて厳正な対処を行う」と宣言すると共に、「しかし、付随的な問題については別途議論して行きたい」と発言すべきであった。斎藤仁全日本強化委員長についても、悪びれた様子もなくお金の使い方を会見で語っていた。気持ちは分かるが、やはり危機感のなさは致命的である。

さて、ここで話が少し変わるが、私は仕事の関係である技術の国際標準作りに関与したことがある。海外で行われる会合に参加しながら、日本(自社)側の目指す規格を採用させるために、海外の企業の関係者と食事をしながら議論を繰り返した。ひとしきりの議論が終わり食事の代金の清算をしようとすると、大抵の外国人は「経費で落とすから・・・」と支払いを引き取ろうとする。この様な場に不慣れな私は割り勘になれば良いと思うのだが、彼らからすれば会社から「正当な業務」と認められて食べる時間を惜しんで議論しているのだから、自分の財布を痛めるのではないので「任せておけ」という。この様な打ち合わせは朝昼晩と頻繁に行われるから、流石にたまには「今回は私が・・・」と言いたくなる。しかし、日本では交際費の扱いが厳格で、とてもではないが行き当たりばったりで臨機応変に行われるディスカッションに対し、その食費までを経費として社内で認めさせるのは大仕事である。というのも、税法上、交際費と認められるのにはそれなりのハードルがあるため、脱税とならないようにそれが不正なお金の支給でないことを「国税局職員に説明するための明確な根拠」を社内の経理関係者が求めるからである。勿論、営業部などで接待などが当たり前の部所であれば裁量権が大きいのだろうが、技術者などで交際費に縁がない人がこの様な場所に立たされると殆ど身動きが取れない。だから、「今回は私が・・・」と言うことは私の場合には自腹を切ることを意味する。しかし、たいした出張手当を貰っている訳でもなく、好きでもない良く分からん会合に参加させられて赤字で損を出して帰るというのは耐え難い。結局、「日本の事情は分かるから気にせんでいいよ」というお言葉に甘えることになる。割り勘であればどんなに気が楽なことか・・・。

この様な悩ましいことは、多分、柔道のナショナルチームともなれば色々なところであるのだろう。だから「それをコーチに自腹を切らせるのかよ!」と当然同情できる部分は大いにあり、世界的な常識に照らして適正な方向への何らかの修正が行われることが望まれる。しかし、ここまで問題が明らかで法律など照らし合わせるルールも存在する以上、ソクラテスの「悪法もまた法なり」の言葉の通り、人情的に同情できる部分があっても現時点では現時点のルールに則って明らかにルールを逸脱した人を処罰することを優先し、(色々人によって意見が分かれるであろう)その人(ないしは組織)がそうせざるを得なかった同情すべき問題にどの様に取り組んでいくべきかは、処罰とは切り離して議論を行うのが筋なのである。後半の議論がまとまらなければ、責任追及の処理すらペンディングするというのは筋が通らない。

この辺の考え方は、論理的な物の考え方ができれば数学と同様にユニークな解に辿り着けるはずである。論理的な物の考え方は法律ないしはルールの上で組み上げられ、法治国家である先進国にとってはその法律ないしはルールを尊重するのが常識中の常識なのである。

そこで、例の観音寺の仏像の盗難事件について考えてみよう。もし仮に、日本で仏像が盗難にあう前に韓国側から「その仏像は韓国で盗難にあったものだから返却を求める」と言い続け、それに対して日本側がそもそもの所有権がどちら側にあるべきかの議論を拒否し続けたと言うのであれば、両者が公平に議論できる環境を構築するために、韓国の裁判所が一時的に仏像の保管を申し出て、仏像が韓国にある状態で議論することはある程度は理解できなくもない。しかし、盗難の前には韓国側から返却の要請などの正式な手続きがなかったことからも、その仏像の所有権がどちらにあるのかを示す証拠をみつけることは常識的に困難である。一方で、この仏像が日本から盗難にあったのは韓国側も認めるところであり、文化財不法輸出入禁止条約を締結している以上は国内法よりも優先されるべき国際的な条約を尊重するならば、数学と同じく答えはユニークに求まるはずである。だから、盗難に対する現状回復(すなわち返却)が最初になされるべき議論であることは明らかである。「元々は韓国側の仏像が盗まれた」と主張するのであれば、その現状復帰という手続きと「韓国への引渡し要請」を切り離して議論すべきなのである。分離した後のもう一方の議論に勝ち目がないからといって、論理的な視点からは答えが明らかなもう一方の議論に待ったをかけるのは極めて乱暴な行為である。

変な例え話をさせてもらえば、中国のある工場が大量の有毒物質を川に垂れ流し、大量の死人が出たとする。被害者側は、川に流れる有毒物質を10種類ほどあげ、これらの有毒物質を工場が垂れ流したから家族が死んだと訴えたとする。この時、死因の主要な原因となる9種類の物質がその工場由来のものだと証明できる一方、残りのひとつが自然界にも微量に存在するために工場の責任割合を厳密に証明できなかったとする。しかし、死因の主要な原因が9種類の有害物質であることが証明できれば、まずは被害者遺族に死亡に対する補償を行うと共に、速やかなる環境保全を行う義務が生じるのは疑いもない。しかし、たったひとつの物質の影響を認定できないことを盾にして、死亡保障と原状回復に難色を示すのは明らかに道を外れている。

どうも世の中には物事を切り分けて議論し、明快な部分からひとつづつ解決して前に進むのが苦手なひとがいるらしい。TPP交渉参加の判断も、これまで切り分けるべき議論を切り分けずにひとまとめにして有耶無耶にしようとしていた人が多くいた。しかし、それでは前向きに前進することはできない。前向きに進むためには、論理的な議論で切り分けるべきことを切り分けて議論することを肝に銘じるべきである。

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北朝鮮の権力闘争を張成沢は乗り切れるのか?

2013-03-14 22:36:28 | 政治
下記の2件の記事を見ていただきたい。

■中央日報2013年3月14日「張成沢の引き止めにも金正恩が核実験強行

■中央日報2013年3月14日「北朝鮮軍部、金正日の遺訓掲げ党と内閣の穏健派を制圧

これまでの報道では、金正恩政権の中で張成沢氏の相対的な立場が強まりつつあるという話が聞こえてきたが、実際にはドロドロの権力闘争が繰り広げられているということだろう。昨日の時点で報道があった金正恩排除の動きに関連して、北朝鮮の対南工作を総括してきた偵察総局内部で昨年勢力争いに伴う銃撃戦があったという。この銃撃戦というのは尋常ではない。常識的に考えて、ある程度神格化されている金一族のお膝元でクーデターを思わせるような行動は、ことの如何にかかわらず死刑に直結する可能性がある。にもかかわらず銃撃戦というのだから、権力争いは余程のことだろう。張成沢氏が全権を掌握しかけたところへの反動なのだろうが、軍部の必死さがひしひしと伝わってくるニュースである。しかし、その際に軍部が利用した錦の御旗として金正日の遺訓があるということは、軍部も金正日の血を受け継いだ金正恩を持ち上げざるを得ず、金正恩の足元が揺らいでいることを直接的に意味しない。不安定ではあるが、それでも金正恩を中心に物事が動いているということなのだろう。

ところでこの記事を読んで面白いと思ったのが張成沢氏の読みである。彼は3回目の核実験に反対したと言うが、それは金正日の遺訓をないがしろにするものではなく、「既に我々は核を手にしているのだから、3度目の核実験で中国を怒らせて核を手放さなければならないリスクよりも、現状維持の方が寧ろ金正日の遺訓に適う」というロジックを組み立ててのことのようである。状況は不確定の部分が大きいが、概ね彼の読み通りに進みそうな気がする。しかし、実際には軍部の強硬派を抑えきれずに暴走し、その結果、次のシナリオを描けずに混沌とした状況にある。

この状況を考えれば、確実に張成沢氏は現在の北朝鮮の中では中国の意に沿った人物であり、中国がこの事態を打開しようと思えば彼を利用するのは当然だろう。しかし、これは金正恩の北朝鮮からの追放のキーマンになる可能性を示唆するものであり、北朝鮮内で見れば真逆の評価になりかねない。あまり時間をかけると軍部の謀略で金正恩の怒りを買って張成沢氏が粛清される恐れもあるから、中国がソフトランディングとして彼を中心とする集団指導体制を狙うのであれば急がなければならない。北朝鮮の下っ端の兵士が弾けて局地戦でも起きようものなら、それをきっかけに中国が重い腰を上げるかも知れない。ポイントは、最近のブログでも書いてきたように最初のきっかけが北朝鮮側にある場合にのみ、中国は金正恩排除のカードを切れるということである。くれぐれも韓国、アメリカは「直接的な軍事的攻撃行動を伴わない挑発」に乗らずに、常に専守防衛を徹底する自制行動が求められる。

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台湾と共同での日本の歴史問題研究を提案したい!

2013-03-13 21:51:23 | 政治
東日本大震災の政府主催の追悼式に、招待の案内が送付されていたにもかかわらず中国、韓国政府関係者が欠席することとなった。今日はこのニュースの背後にある将来への希望についてコメントしてみたい。

まず、現状の再確認から行ってみよう。韓国の欠席の理由はイマイチはっきりしないが、韓国の主張する事務的なミスというのは言うまでもなく無理があり、少し補足するならば明確な責任が誰にあるか有耶無耶にした状態で招待案内を無意識(本当は意図的)に放置し、誰もが放置されていることを認識していながら「あれ、どうなってるの?」と確認をしない暗黙の了解があった。結果として誰も手を打たないから、事務的に出席の手続きが取れなかったということでああろうが、これは意図的な不作為であるから積極的な欠席と同罪である。この程度のことは、全ての国際社会が認識している。

もう一方の中国は言うまでもなく報道の通りであり、昨年の民主党政権へは圧力をかけて台湾の指名顕花を阻止できたから、中国としても政権交代した今年になって昨年よりも日本から押し込まれた状況を許容できないから無茶な判断をしたということである。これまた、国際社会は「日本に寄り添う好意的な隣人、台湾」への民主党政権の対応よりも、「罪もない多くの被害者を追悼するのに政治も糞もない」という安倍政権の対応を評価するのは必然であり、日本政府の対応を評価する一方、中国、韓国の対応を「常識が通じない国」と評価することになるのは言うまでもない。

さて、この様な中国、韓国の特殊性を世界が認めていることを示す記事があった。

サーチナ2013年3月8日「反韓感情なぜ…韓国、台湾の挑発応援に戸惑い=WBC

台湾は試合で負けた日本に対しては、お世辞でもなかなか言えないほどの敬意を日本チームに対して示していた。過去のWBCを見れば、優勝してもいないのに、たった1試合日本に勝っただけでマウンドに国旗を立てて相手国を屈辱する韓国チームとはえらい違いである。先日のオリンピックでのサッカーの試合でもそうだった。そんなことが当たり前に起こるアジアの国の中では特殊ともいえる(日本に対してはあれだけ紳士的な態度を示す)台湾が、韓国相手には全く様相が異なるというのである。(この情報元が「目糞鼻糞笑う」の中国側の発信というのも笑えるが・・・)

話を戻せば、中国が世界から特殊な国と認識されていることを示す証拠など今更必要ないが、少なくとも韓国人は自らのことを「我々は世界中から好かれている。一方、日本人は世界中から嫌われている。」と信じて疑わないだろう。しかし、現実はそうではなく、結構、台湾人からは韓国は嫌われているという現実がある。これは、しばらく前に台湾の世界的な企業鴻海精密工業の郭台銘会長が語った「私は日本人を尊重している。特に彼らのビジネスのやり方とその伝え方が好きだ。韓国人とは違い、日本人は背後から殴ったりしない」と言って韓国人を怒らせた。ビジネス的には韓国とも深い付き合いのある企業の会長であるから、少なくともこの様な発言をしてビジネスにプラスに働くとは思えない。にもかかわらずこの様な発言をする裏には、韓国社会の非常識さがビジネス的な付き合いをも捻じ曲げる恐れがあり、今後も無茶なことをし続けるのであればそれなりの覚悟を決めるというメッセージが込められているのかも知れない。あまり、この辺の事情は知らないのではあるが、少なくとも尋常なやり取りではない。

一方で台湾という国はどうだろうか?韓国は、日本を相手に慰安婦問題などの歴史問題で戦うために、同様の問題で日本に敵対する中国と共闘することを選んだ。同じく台湾も、尖閣問題という非常に大きな問題で、日本に強行に敵対する中国がすぐ隣にいる。政治的にはともかくとして、経済的には中国とはきっても切れない関係にあり、その様な交流が高まる中で頭に血が上った状態では、一時、中国と共に台湾も日本を非難していたが、最近になって頭を冷やして「中国とは尖閣問題で共闘しない」という宣言を出している。

毎日新聞2013年02月22日「台湾:尖閣問題めぐり馬総統『中国と協力できない』

もともと蒋介石は、第2次世界大戦における日本の戦争責任を非難するよりも、未来志向でのパートナーとしての再出発を志向していた。中国共産党に追われて台湾に移ったが、もし彼が大陸に留まり権力を掌握し続けていたら、現在の緊張した日中関係はなかっただろう。つまり、台湾には蒋介石の思想を組んだ、常識をわきまえて物事を是々非々で判断できる未来志向の人達が多くいるのである。東日本大震災で何処よりも多くの義援金を送ってくれた、切っても切れない重要な隣人がそこにいるのである。この事実を日本は再認識しなければいけない。

そこで私からの提案である。日本の戦争責任などの歴史認識について、台湾の歴史家を交えて日本の専門家と共同で、証拠を拠り所としてFactベースでの歴史再認識の研究会を開くのである。ここでは、別にひとつの統一見解を示す必要はない。どの様な証拠があり、どの様な見方がありうるのか?一方で、世間に流布する常識(非常識)に対しても、どの様なことには証拠となる裏づけが存在し、どの様なことには裏づけとなる証拠が存在しないのかを整理するのである。台湾は元はといえば中国大陸から来たのだから、本来は戦争被害者であり日本に対しては厳しい目で臨むことが国際社会は期待されている。この様な人達が、例えば南京大虐殺や慰安婦問題についてどの様に答えを出すのかは興味深い。ここでの結論は、多分アメリカ国内でもそれなりに尊重されるものとなるだろうから、アメリカ内でのロビー活動で捻じ曲げられた中国、韓国関係者の言い分についても、再度、見直しを行う空気を醸成することができるかも知れない。

あまりにもこれまでは歴史問題に対して「問答無用」と切り捨てられてきた。良くも悪くも本当のことを私は知りたい。結果として日本にとって不都合な真実も浮かび上がるかも知れないが、同様に中国や韓国にも不都合な真実が浮かび上がるだろう。証拠の伴う不都合な真実には安倍政権でも短絡的な否定にはつながらないだろう。真実を有耶無耶にしたまま、お互いがお互いにとって都合の良いことを言い続けることは決して未来に対してプラスの効果を生まない。

ひとつの案としてたたき台にはなると思うのだが如何だろうか?東日本大震災の追悼式は、この様なことに思いを寄せる良い機会だったように私は感じた。

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テレビで愛想を振りまく金正恩の背景にあるもの

2013-03-12 23:06:03 | 政治
今のところ、北朝鮮に動きがない。冷静に考えて、戦争に発展しながら金正恩体勢を維持できるシナリオは考えにくい。しかし、金融制裁において金正恩の隠し口座だけでも5000億円ほどの資産を凍結するとも言われているぐらいだから、戦争に発展させずに北朝鮮国内の不満の捌け口を探すことも不可能だろう。ただでさえ、実績のない金正恩がNo.1として君臨し続けるためには、それなりの威厳を保つために弱みなど見せられない。そこで、いったい北朝鮮が現在どの様な状況に置かれているのかを整理してみたい。

まず、北朝鮮があのような強気の姿勢でいられるのは明らかに、何かあれば中国が一緒に戦う(戦わざるを得ない)と考えているからなのだろう。というのも、中国と北朝鮮との間には中朝友好協力相互条約というものがあり、一方が侵略を受けたら他方も軍事介入して一緒に戦うということになっているからだ。だから、休戦協定の破棄を一方的に通告したのも、この様な後ろ盾があることが背景にある。しかし、下記の記事を読んで私は「おやっ?」と思った。「これでは北朝鮮は戦争など決して起こせない!」ということに実はなっていたのである。

中央日報2013年3月12日「北との関係維持か放棄か…中国政協会議で激しい討論

実は、他国から侵略を受けた場合には上記の通りなのだが、北朝鮮が韓国、アメリカを挑発して仮に先に北朝鮮が手を出そうものなら、その際には中国は参戦する義務がないのである。既に「ワシントンを火の海に!」とか「核攻撃を!」と言った挑発を繰り返しているから、この状況では韓国に一方的に非があると思わしき状況でもない限り、中国が参戦せずに済ませる可能性がある。つまり、(アメリカなどが北朝鮮の核が既に実戦配備され、先方から先制攻撃を受ける可能性があると判断しない限り)韓国に対しても「先に手を出すな!」という方針を徹底しているはずであるから、現実として戦闘状態になるとすれば北朝鮮が先に弾けた結果ということが予想される。この時、中国は北朝鮮を切り捨てるというシナリオは現実的なのである。先日もイギリスのファイナンシャルタイムズへの中国側からの寄稿の話を書いたが、上記の中央日報の記事によれば、その様な北朝鮮切り捨ての議論が、政治諮問機関の人民政治協商会議と国会に相当する全国人民代表大会でなされていたという話が外に漏れ伝わってくるのだから、これはかなり本気度が違ってくる。もともと、北朝鮮に中国軍が駐留している訳でもなく、日米同盟などの強い軍事同盟とは異なる緩い関係であり、一蓮托生というニュアンスからは程遠いものであるという。

 北朝鮮の核保有は中国への核の威嚇に繋がる可能性もあるし、北朝鮮が核を持って韓国、日本が核を持たないということは(中国サイドから見れば)考え難い。中国にとって最悪のシナリオは台湾の核保有だろうが、周辺諸国が全て核保有国になったら何かの際に暴発するリスクは限りなく高まる。何処かが核を間違って使えば、自動的な報復でさらに被害が拡大する。この様な状況を中国が許容できる訳はなく、その諸悪の根源が北朝鮮となれば切り捨てるしかないのは考えるまでもない。

さて、この様な北朝鮮切り捨ての言い訳は中国側に十分にあるから、北朝鮮は中国を戦争に巻き込むにはそれなりの理由がいるのである。だから、昨日から何も起きずに今日があるのが現状である。多分、北朝鮮は色々なシナリオを考えたのだろう。最も考えやすいのは、大掛かりなサイバーテロを行うのである。例えば韓国金融機関へのハッキングなどで経済に大混乱を起こしたり、現在4つほどある原発の制御システムや軍事施設へのハッキングでシステムを暴走させたりとか、様々なことが考えられる。「ミサイルや鉄砲玉が飛ぶわけではないから中国も大目に見てくれるだろう!」と期待している部分もあるのだろうが、先日のアメリカからの中国を名指しにしたサイバー攻撃に対し、中国は「我々はそんな戦闘行為に類似の行為はしていない。むしろ中国の方こそサイバー攻撃を受けている。我々は被害者で、決してこのような攻撃を許さない!」といったニュアンスで「サイバー攻撃=準軍事攻撃」という認識が示されたから、北朝鮮が明らさまなサイバー攻撃を韓国、アメリカに行ったら、これは先制攻撃に相当して中国の軍事介入の義務は発生しないと考えられる。多分、中国側はこの辺の条件を北朝鮮に通知済みだろうから、結果的に弾けたくて仕方がない最前線の兵士が身動きとれずにじっとしているということなのだと思う。

ここまで来ると、この状況はしばらくはこのまま続き、国連決議に基づく兵糧攻め(資金のシャットアウト)に何処まで北朝鮮が我慢できるかという状況である。北朝鮮が持つ数少ないカードは、次から次へと核実験を繰り返し、移動可能な短中距離ミサイルなどへの核搭載が疑いもないという証拠、ないしは長距離ミサイルの射程がワシントンまで届くことの証拠を早期に諸外国に示すことぐらいだろう。しかし、このままでは北朝鮮が干上がる(国民および軍部が金正恩へ愛想つかす)までに半年まではかからないだろうから、スピード勝負的には北朝鮮はかなり厳しい。核を拡散させて外貨を稼ぐ作戦に出たくても、国連決議を中国もそろって忠実に実行すれば、それも防ぐことができる。

この様な状況で、北朝鮮内部では必死で生き残りをかけた選択肢の模索を行っているはずである。答えが見えないから、必死で金正恩は軍部を鼓舞するためのピエロの様な役割を続け、時間を稼いでいるのだろう。昨日今日の金正恩のニュースにはその様な背景が垣間見れる。しかし、そんな姿を1週間も見せ続けられれば国民も「おやっ?」と国民も思うはずだ。この様な視点でニュースを見ると、かの国の少しは裏側が見えて来るかも知れない。

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成長戦略における「EV化大型トラックの高速道路無料化」の提案

2013-03-11 22:32:07 | 政治
東日本大震災の追悼の今日、北朝鮮は特にこれといった動きを見せなかった。北朝鮮の戦略に関するコメントを書きたくなるところだが、敢えて東日本大震災からの復興の願いも込めて、未来に繋がるアベノミクスの第3の矢である成長戦略に関する提言で今日のブログをまとめてみたい。

まず背景として、アベノミクスの3本の矢の中で、既に大胆な金融緩和という1本目の矢は最大の関門である日銀総裁の同意人事をほぼ乗り切る目処が立った時点で、8割方成功した状況にあると言える。第2の矢である機動的な財政出動についても、無駄遣い、ばら撒きということにならないように注意を要するのは間違いないが、既に多くの失敗から学ぶ部分があるから、今更地獄を見た安倍総理が大きな失敗で終わる確率は低い。このため、多くの人の関心は、既に第3の矢である成長分野への民間からの投資を引き出す成長戦略に移りつつある。

先日、安倍総理自ら田原総一郎氏の激論クロスファイヤに出演し、色々なことを率直に語っていた。番組の方向性として、出演者からの厳しい突っ込みはあるが無駄な揚げ足取りはしないという暗黙の了解があり、矢継ぎ早にされる質問に戸惑うことなく理路整然と答える安倍総理の姿から、デフレ脱却への期待が私にはますます強く感じられた。この番組での第3の矢に関する総理への質問としては、成長戦略の成否を握る産業競争力会議において、竹中平蔵慶應義塾大学教授、新浪剛史ローソン社長、三木谷浩史楽天社長などの民間委員と官僚や経済界との間で、規制緩和にかかわる部分で意見が対立していることを引き合いに出し、「本当に大丈夫か?」と突っ込んでいた。安倍総理の回答は明快で、「この産業競争力会議というものは従来の会議と異なり、事前にゴールが定められた予定調和の会議ではない。意見の衝突もオープンにしながら、その中で成長のための戦略を見つけていく。」というニュアンスのものだった。早い話が、ある程度抵抗勢力がいる状態を作り出し、そこに安倍総理の強いリーダーシップを働きかけ、一気に改革派の主張に沿って寄り切ってしまえば、国民に対するアピール度も大きい。だから、その覚悟があれば何ら意見の対立など心配には及ばず、議論が白熱すれば白熱するほどその後の効果は大きいのである。幸いにも先ほどの民間議員の方々は少々のことでは引き下がるようなタマではない。彼らと安倍総理の間の信頼関係が強ければ、事務方が一部の業界の意見を受けた方向で集約しようとしても、その問題点を外部に発信することで問題を顕在化させ、結果的に安倍総理のトップダウンのインパクトを大きくすることができる。

ただそうは言っても、この成長戦略というのは一筋縄でいくものではない。そこで今日のブログでは、私なりにひとつの成長戦略の提言をしてみたい。3本目の矢は多くの矢の合わせ技的なものであるから、その中のほんのひとつの提言に過ぎないが聞いていただきたい。結論としては単純で、3年後程度を目処に「EV化された大型車両(トラック)の高速道路完全無料化」というものである。3年後という目途を定めた理由は、原発の再稼働の目途も新たなエネルギー計画の目途もたたない現時点では、電力消費量が増える自動車のEV化をいきなり推進するのはリスクを伴う。これに対する対策の意味と、実質、トラックのEV化を実現するバッテリーの開発に要する年数のバランスを取るためで、状況により5年後とすべきかも知れない。

さて話を戻せば下記のサイトが参考になると思うが、日産リーフに代表されるEV車のコストの大部分は大容量のバッテリーである。

東洋経済Online2013年3月10日「バッテリーはどこまで進化できるか?EVの性能向上・低価格化のカギを握る

日産リーフの様な小型車ですら、航続距離200kmで電池コストが200万円以上であるという。これが現在のバッテリーの能力であり、この航続距離を別のアプローチで効果的に伸ばすのがトヨタのプリウスに代表されるハイブリット車である。燃費という観点からは現実的なハイブリット車でも十分であるが、バッテリーの技術革命は再生可能エネルギーの実現の大きな鍵を握るものであるから、さらに技術革新を加速させるためのロケットエンジンをここに込めたいところだ。太陽光発電は発電が昼間の晴天時に限られるため、安定的なエネルギー供給という観点からは大きなポテンシャルを持つ反面、不安定さというリスクも伴う。更に言えば、原発再稼動の際に問題となったピークカットの視点からは、民間レベルで設置されるバッテリーの容量の総和を高めることで、問題を「電力会社の最大供給電力量を何処まで高めるか?」から「時間的に変動する電力需要のばらつきに起因して必要となる供給力のマージンを、以下に少ないところで安定的に運用させるか?」と焼き直すことが可能になる。大容量のバッテリーを用いれば、太陽光発電との併用で大規模災害における停電時でも安心して電気が使える環境を構築することも出来る。大容量バッテリーの重要度は誰もが認識するところであるが、しかし、その様なモチベーションだけでは中々産業界はバッテリー開発に大量の投資をするところまでは至らない。

しかし、大型トラックがEV化されれば、中国のPM2.5で話題となった大気汚染問題への解決、(高効率化による)CO2削減問題への貢献、(再生可能エネルギーの発展とセットで)エネルギー問題の緩和など、様々な形でメリットが大きい。勿論、高速道路無料化の対象は小型車なども含めれば良いし、ハイブリット車も対象に加えれば良いが、その中でも特に完全EV化された車両の大幅な優遇により、バッテリーの技術革命を大幅に加速させる効果を期待する。高速道路で恩恵を受けるのは、頻繁に長距離を走行する車両だから、航続距離200km程度の車両ではありがたみは小さいが、日本中を走り回る長距離トラックのEV化を実現できるレベルになれば、家庭用の太陽光発電と組み合わせるバッテリーとしては十分であり、この様なバッテリーの低コスト化がその後の様々な発展に繋がる。

一部には、トラック業界の様な一部の業者を選択的に優遇することに対する是非が問われるかも知れないが、しかし、この高速無料化は流通コストの低減に繋がるから、その恩恵は様々なところに現れることが期待できる。さらに、これは自動車業界における日本の競争力を高める効果にもつながる。特に、中国の様な新興国は今後も引き続き大気汚染の問題が深刻化することが予想され、特にその様な国での利用促進が図られれば、飽和しつつある世界のマーケットの中で勝ち抜く武器となる。その様な波及効果も込みで、是非とも「EV化大型トラックの高速道路無料化」を実現して欲しい。

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大川小の惨事から学ばねば死んだ者は浮かばれない!

2013-03-10 23:56:46 | 政治
明日、東大震災から2年を迎える。休戦協定が白紙になるこの日に北朝鮮と韓国との戦争が本当に起こるのか、それともギリギリのところで危機が回避されるのか分からないが、今日のところは忘れてはいけないひとつのことを書かせていただく。

私は昨年から注目していたことなのであるが、ダイヤモンド社のDiamond onlineの記事の中で「大津波の惨事『大川小学校』~揺らぐ“真実”」という連載が組まれている。既に連載は20回に達しており、非常に関係者の涙ぐましい努力と、一方で教育委員会や学校側の不誠実さがこの記事の中で浮き彫りになっている。多分、無料の会員登録をしないと読めない記事だと思うので、一般的な方々には読めないかも知れないがご容赦願いたい。

Diamond online「大津波の惨事『大川小学校』~揺らぐ“真実”」
第1回(2012年6月25日)「『避難途中に大津波』はウソだった?石巻市教委の矛盾で明らかになる“大川小の真実”

大震災当日の行動は、第15回の記事に詳細に書かれている。

第15回(2012年10月30日)「大川小児童の遺族が立ち上がってから4ヵ月 明らかになった真実、隠され続ける真相とは

ご存知の方も多いと思うが、石巻市立大川小学校では、東日本大震災で児童74人、教師10人が大震災の大津波にのまれて死亡、行方不明になった。この小学校は周辺の住民の避難場所にもなっていたとい事情もあるが、時間が十分にあったにもかかわらず、より高い安全な場所への避難の決断をすることができず、生存者が5名という惨事につながった。ちなみに校長は当日、年休で不在だった。子供たちは校庭から4~50秒ほどで辿り着く裏山への避難を求め、実際に駈け出した者もいたが、教員が怒って呼び戻し校庭で待機することになった。市の広報車は情報を収集して車で高台への避難を求めていたが、教頭と教務主任などが裏山への避難を求めたにもかかわらず、そこにいた区長が絶対安全だからと言って逆に海側に向かう方の三角地帯への避難を指示したりもしていたという。結局、不可解な行動の末に津波に飲まれ、その当事者の多くが死に至った。大人で助かったのは教職員1名のみで、実際、そこで何が起こっていたかを知るにはその教員からの聞き取り調査の内容が必須であるが、精神的にも非常に追い込まれた状態にあり、満足に聞き取り調査が行われることもなく、さらには僅かな聞き取り情報も積極的に公開されることはなかった。

もちろん、この教員の精神的なダメージは容易に想像できるから、ある程度の同情の余地はあるが、これだけの惨事であるのだから今後の対策のために、何故、彼らが死ななければならなかったのかを明らかにする義務がある。今回、何故大川小学校の事故が問題であるかと言えば、当然ながら誰もが感じるこの義務感の為に、多くの聞き取り調査を行ったにもかかわらず、そこで主導的な役割をしていた市教育委員会は、聞き取り調査のメモを驚くことに破棄していた。このメモの破棄という行為は証拠隠滅という犯罪行為に等しいが、もとの津波での被害が犯罪行為とは関係がないがために、詳しいことは分からないが犯罪構成要件を成さずに罪に問うことなどできないのだろう。だから、関係者が苦しい思いで語った聞き取り調査内容を簡単に闇に葬り去ることができるのである。私はどうしても、この証拠隠滅行為が許せない。繰り返すが、適切な判断ができなかった教員などを責めるのではなく、教育委員会の対応の不誠実さが許せないのである。これでは死んだ者は報われない。

その後開かれる事故報告の中では、この様な証拠隠滅の事実を更に隠す必要が生じるから、嘘で嘘を塗り固めたような報告が繰り返される。多くの情報が隠されて「死んだ者はもう帰ってこないからいいじゃないか!」というスタンスが明らさまに見えてくる。遺族などの関係者が「実際には何が起きていたのか?真実はなんだったのか?どの様な証言が得られているのか?」を求めているにも関わらず、それに誠実に対応しようという姿勢は全く見えない。

概ね、この様な内容が背景にあり、その後、先月の2月7日になって「大川小学校事故検証委員会」が立ち上げられた。ここでは様々なことが調査の対象となっているが、それまでの市教育委員会などの対応があまりにも酷く信頼関係のかけらすらない状況なので、遺族などはこの事故検証委員会に対しても不信の念を持って対峙している感じである。先日の3月3日、文科省の(ヤンキー先生こと)義家弘介政務官は慰霊のために大川賞を訪れて「市教委の事後対応はあまりにも不誠実。しっかりした検証が必要」と語っていたことも記事になっていた。

この様に、津波に対して不適切な対応で多くの被害者を出した例は数多くある。一部では民事訴訟に発展したりもするから中々難しいところはあるが、この様な問題に対しては少なくとも亡くなった方の命が無駄死にではないように、少しでも多くの知見を引き出さなければならない。にもかかわらず、その様な誰もが納得する活動が思うようにいかないのには訳がある。それは、先ほども触れたように、民事訴訟に発展して責任追及を受けたり、教員などであればその後の教師人生において不利益を受けるのではないかというような不安が、事実を公にすることを妨げるのである。場合によっては、例えばこの唯一生き残った教員は遺族に対して自分の義務を果たそうと思ったのかも知れないが、教育委員会などの外野がヤイノヤイノと言って「黙っていた方がお前のためになるよ!」と入れ知恵をされて気が滅入ったのかも知れない。同時に、教育委員会の担当者などは緊急時の非難のマニュアルなどの不備を含めて問題が自分達に及ぶのを恐れ、この件は闇の中に葬ってしまえと思ったのかも知れない。この様な邪念は明らかにはならないかもしれないが、真実のある程度の部分は事故検証委員会にて明らかにされるだろう。だからこそ、この事故検証委員会と遺族の有志の人達の間では信頼関係を築き上げ、共に手を取り合って進んで欲しいと思うのだが、この連載記事を連載しているジャーナリストの記事の書きっぷりを見ていると、それまでの怨念が先走っていて憎悪のあまり協調的な活動に支障が出るのではないかと思えるような雰囲気がある。この部分は、多分、自分の子供がその被害者であれば当然のごとく同様の怨念、憎悪の気持ちが先走って冷静さを欠くかも知れないのであまり非難できる話ではないが、逆に第三者だからこそ、その様な感情が渦巻く中で如何にして知見の積み上げを実現できるルールを築いていくべきかを考えることは有益ではないかと考える。

今回の事故に関して言えば、教職員の不適切な判断で死ななくても良い生徒(当然ながら教員も含む)が亡くなった訳で、その後の市教育委員会などの対応を見ても、大津のいじめ自殺事件や大阪の桜宮体罰自殺事件などと比較されるかも知れない。しかし、ここには明確な差が一つある。度を越したいじめも体罰も、それ自体が犯罪行為であるのに対し、大川小の場合には全ての関係者は命がけで自らも、そして子供たちの命も助けたいと思い必死の行動を取っていたのである。勿論、下手な判断をして犠牲者を出したら責任問題になると考え、頭を過った常識的な選択肢を敢えて選択しなかった部分に無責任さはあるかも知れないが、それが死に至ると分かっていれば誰でも避難の決断をしていたのである。だから、これらの事件を考えるときに、ふたつの大きなポイントを意識すべきである。

まずひとつには、司法取引ではないが、重要な情報を証言したものに対しては、そこに犯罪行為や重度の悪質性が見られない限りにおいて、明文化された法をもって懲罰などの責任追及や損害賠償の義務を全て回避することを明示するというものである。逆に、重要な情報を証言してこなかった者には、これらの責任追及に対する免罪符の様なものを認めず、状況に応じて民事訴訟を含む追求の対象にすることを否定しないというものである。

そしてもうひとつは、これらの情報を収集し事実関係を明らかにする義務を持つ教育委員会の委員などのメンバーは、事件が発生した日(ないしは、事件が発覚した日)から所定の期間(例えば2週間)以内にその職を辞さない限り、収集した情報を適切にまとめて報告しない限り、不正実なその義務の不履行として逆の責任を追及をされうることを、罰則規定も含めて法律に明文化するのである。勿論、事実の隠滅や証拠隠滅行為なども法で処罰可能とし、明示的に義務の遂行を要求するのである。

ここで、第1点目であるが、民事訴訟などの責任追及に免罪符を与えるといっても、それは被害者の請求権を放棄させるものではない。裁判を通じて何らかの落ち度が認定されれば、賠償責任が発生するのは当然であるがこれを国で補償しましょうというルールである。被害者からすれば、これによって情報が開示されやすくなり、泣き寝入りするリスクは限りなく減ることになる。何らかの落ち度があり責任を問われる立場の人間であれば、最後まで隠し通そうとすれば当然ながら賠償責任の義務を負う可能性が浮上する。だから、法的に犯罪行為をしたのでなければ正直に全ての情報を報告した方が得なのである。また第2点目についても、これまでは情報のもみ消しを行っても、それを問われることはなかった。実際、大川小の事件でも事実のもみ消しに走った関係者がその後に校長になったりして、ペナルティを受けるどころか逆に昇進していたりする。しかし、その様な不誠実な行為が発覚した場合には、罰則規定を伴う法律で裁かれるとなれば、敢えて危険を冒してまで事実のもみ消しに走ろうとはしない。ある程度責任ある立場であれば、それなりの責任がちゃんと問われるシステムを構築し、罰則規定を明確に規定することで、いじめや体罰事件にしても同様に、明るみになるべき情報を公開の場にさらし、適切に物事が判断できる状況を担保するのである。

今回の東日本大震災の様な異常事態を想定していなかったかも知れないが、既にこれは想定内の事態に変わった。悲しい惨事を惨事で終わらせないためにも、ひとつひとつ前に歩む何かが欲しい。別に私の短絡的な議論はどうでも良いが、この様な観点を突き詰めてより良い方法があるのなら、それを誰かが提案して法に落とし込んで欲しい。

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高台移転は本当に必要か?

2013-03-09 23:22:19 | 政治
間もなく東日本大震災から2年が経つ。最近は被災地のレポートの中で、一向に復旧の目途が立たず津波に流されて更地のままの風景を見かける。今日は復興についてのコメントを書いてみたい。

まず、テレビの東日本大震災の振り返りのレポートの中で聞かれるのは、高台移転が中々進まないという現状である。当事者ではないから正確なところは分からないが、その理由には多分、元々の地域のコミュニティを維持しながら移設するのに適当な高台(つまり、ある程度まとまった土地)が見つからないこと、広い移設地を求めて山を切り崩して大掛かりな開発をしようにも、高齢の方が多い地域では今更多額の借金をして移設の為の費用を用立てできないこと、慣れ親しんだ海岸沿いの土地への未練が断ち切れないことなどがあるのだろう。特に漁業などで生計を立てていた人々は、海から離れて生活することは現実的ではない。

高台移設は疑いもない唯一の選択肢という風潮の中で、素人ではあるが「本当にそうなのだろうか?」という気持ちが湧いてこずにはいられない。そこで、素人の少々乱暴な案を語ってみたい。

結論から言えば、私が主張したいのは今後大地震で津波が押し寄せても、確実に被害者を出さずに済むことが期待されるのであれば、別に海岸沿いを避けて高台に移転する必要など何もないのではないかということである。積極的に、開発が容易な海沿いの平野部の更地に、ふたつのアプローチで被害者を出さない環境を作れば良いのである。

その二つのアプローチとは、ひとつには現在の更地を国がまとめて買収し、海岸部の人が居住するエリアから津波の被害がないと思われる高台方面に伸びる合計4車線の直線道路を造るのである。大地震が起きて津波が襲来する危険性がある場合、多くの人は車で逃げようとするはずである。しかし、高台に向かうためには一旦海側を通らなければいけないとか、どちらに逃げれば安全なのかが分からないと誤った行動を取りかねない。しかし、渋滞することなく、遥か彼方まで見通しが聞いてどちらに逃げれば良いかを迷うことのない道路がありさえすれば、人々はパニックを起こすこともなく安全に避難できる。大地震から津波までの時間は数十分はあると期待できるから、これだけの条件が揃えば被害は最小にできるだろう。既に津波により更地になってしまった海岸沿いの土地であるし、また津波が来ることを考えれば開発すべき場所の土地の資産価値は申し訳ないが二束三文である。この様な土地であれば、直線道路のための土地を買い上げ再開発をするのにも、フリーハンドで白紙のキャンバスにゼロから絵を描くことができる。

そしてもう一つのアプローチとは、地震と津波に負けない大型の建築物(集合住宅)を海沿いの便が良い場所に作り、そこに多くの人を移り住ませるのである。先ほどの土地の買収に関しては、土地を買いたたかれる地権者には痛い話であるが、その見返りに、新たに作る集合住宅への居住権を安く提供するのである。買い切りができなければ、賃貸で貸し出しても構わない。問題は、津波での被害を如何にして回避するかであるが、例えばこんな例はどうだろうか?上から見るとV字型の鉄筋の10階以上の強固な建物を、V字の頂点が海側を向くような状態で建設するのである。その土地ごとに、今回の津波、ないしは今後想定される津波の最大高さを知ることができると思うが、その高さまではその建築物には人の居住区域を作らず、それ以上の高層階にだけ居住区を作るのである。例えば18mの津波であれば、1階あたり3mと仮定すれば6階部分までは人を住まわせることなく、窓なども作らずに何もない空間とするか地震が起きたら上層階に避難できる人のための別の使い方をするスペースとするのである。形状的に津波のエネルギーを上手く逃がすことが可能な構成としてV字型を示したが、構造的に安全が確保できれば別の形状でも構わない。海が東側に位置することを考えれば、通常の箱型の建築物でも、東西に長く、南向きの窓をもつ高層マンションのようなものを作れば、V字でなくてもそれほど問題はないかも知れない。ただその様な場合でも、最も海側の津波の直撃を受けそうな部分は、船の先端の様な形状にしておけば好ましい。なお、7階以上であれば被害は及びにくいから、そこに居住の為の部屋を作る。収容すべき戸数を考えれば、何階建てにすれば良いかは見積もることができる。もちろん、比較的多くの住宅があった場所(人口密集地)であれば、この様な建物を複数作ることになる。

また、仮設住宅に避難して生活している人たちの声を聴けば、既に生活に絶望して引きこもり状態の人が多い。だから、この様な集合住宅に移り住む場合には、単に住処があれば良いのではなく、地域のコミュニティを今まで以上に築き易い状態が求められる。だから一つの集合住宅内に、住宅と地域の公民館があるイメージで共有スペースを確保するのである。風が強ければ無理かもしれないが、可能であれば屋上にはゲートボールができる程度の公園の様なくつろげるスペースもあるといい。贅沢を言えばきりがないが、高台移転をするよりはよっぽど現実的である。

ついでに言えば、デイサービスなどの介護施設などもあれば良いし、常駐でなくても週に1回程度、当番医が訪ねてきて診察をしてもらえる環境があると好ましい。過疎の村では厳しいかも知れないが、ある程度の人口がある場合には、それらを1か所に集中した方が再開発は容易だし、開発後の人口密度が高ければ高いほど、さま様なサービスを提供することが容易になる。勿論、住む場所だけではなく働く場所も必要であるが、その様な場所もある程度は同様の高層の建物に収容するのである。働き場所を確保できれば、その分だけ復興のスピードは高まる。企業の誘致と同じイメージで、国や自治体がこの様な建物を作り、ここに安価な料金で場所貸しをするのである。こちらに限っては、別に被災地の土地と引き換えでの安価な入居というのではなく、被災者でなくても誰でも自由に迎え入れれば良い。同様に、学校や市庁舎、病院などの施設についても、同様の構造での共通化した建設計画を進めることで、より早くより経済的に復興を進めるのである。ただ、例外的に漁業のための施設はそうもいかないかも知れない。その場合は、漁協や市場は公営にして、津波のたびに建て替えるように割り切ったり、被害は受けるが被害の後の復旧を簡易に実現する別のアプローチを考えるべきかも知れない。

なお、この様な建物の居住者とは別に、たまたまこの様な場所にいた人の避難も出来なければ不十分である。例えば、先ほどのV字型の建築物の例で言えば、海の方から見たときに裏側に相当するV字の内側の部分には、非常階段を設けて周辺の人々の避難場所となるスペースとすれば良い。

似たような建物ばかりで面白みがなくなると共に、戸建てに住みたい人の希望を汲んでいない乱暴な意見なのは良く分かる。しかし、地震の被害を受けた被災地の人々は、とてもではないが経済的な余裕もない人が多く、借金をしようにも中々思うようにいかない。仮設住宅よりもよりしっかりした建物への移転を早く済ませ、しかも経済的な活動をし易いように、なるべく一か所に集中する。まずは公営の集合住宅で10年間ほど暮せば、多少なりとも自分の家を建てるための資金も貯めることができる。経済活動が復活し、仕事に不自由なくなれば銀行の融資も受けやすくなる。10年後には、戸建ての家を建てることが可能な高台の整備も進み、新たな街づくりも可能かも知れない。まずは10年間は緊急避難と割り切って、復興を進めるのである。

復興計画というものは、単に計画を立てれば良いというのではなく、これだけの被害であれば10年単位ぐらいである程度フェーズを区切った長期的な復興が必要だと思う。その一つの形が上記の案である。如何だろうか?

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金正日の亡霊を振り払らうには金正恩の排除しかない!

2013-03-08 23:56:32 | 政治
流石という他ないが、韓国の諜報機関なのだろうか、金正日が2011年12月に死去する直前に残した遺訓の全文を入手していたという。私は産経新聞の報道で今日になって知ったのであるが、韓国の中央日報では1月末に報道されていた内容である。

中央日報2013年1月29日「金正日『核保有を認めさせ、米国との心理戦は…』遺訓全文を初公開

多分、それは最大級の国家機密であり、流出させたことがばれたら確実に死刑なのだろうが、それでもその様なものが流出するというところが北朝鮮という国なのだろう。

さて、実際にはその遺訓全文をそのまま公開している訳ではないから要約しか分からないが、その内容は極めて理にかなったものである。44項目からなっているということだが、例えば以下の様なことが書かれている。

●核と長距離ミサイル、生化学兵器を絶えず発展させ十分に保有することが朝鮮半島の平和を維持する道である。核があれば世界と対峙できる。
●6カ国協議をうまく利用すべし。この会談を我々の核をなくす会議ではなく、核保有を世界に公式化する会議にすべきである。
●核保有国になれば、国際制裁を解除し経済発展に向けた対外的条件を勝ち取ることができる。
●協議するなら李明博の次の政権と行うべし。経済、文化交流を手始めに統一問題を解決する。ただし思想的に優位に立ち、軍事的に制圧した状態から始めよ。
●対日交渉では拉致問題を絶対に協議するな。韓国に対しても同じだ。

私は金正日のことを単なるスケベ親父かと思っていたが、要所要所をしっかりと押さえ、まだまだ若い金正恩に対する道しるべを示して亡くなったことになる。北朝鮮では超憲法的な位置づけであるという。

ただ、一方でそれが理にかなっているからこそ、ついついイケイケどんどんで調子づいてしまったのだろう。北朝鮮にとって理に適っているということは、つまりは敵対する国にとっては受け入れがたい内容となる。それは、友好国のはずの中国にとっても同じである。国連での制裁決議が全会位置でなされた後、中国の国連大使は記者団の取材に対して極めて厳しい雰囲気を漂わせながら、制裁の実効性を高めるべきだと語っていた。相当、中国はメンツを潰されたことに怒りを覚え、自らに対しても核の牙を向けられることに対する不快感を隠そうとはしていない。

ところでこの遺訓が最高レベルの国家機密であろうというのは容易に理解できるが、北朝鮮がこれを他国に知られてはいけない理由は明確である。この遺訓の中に、様々な対北朝鮮の外交交渉のヒントが示されているからである。多分、中国が厳しい内容の国連決議に賛成した背景には、先の金正日の遺訓を同じように入手している中国において、少なくとも超憲法的な位置づけの遺訓を破り核を放棄することがあり得ないと確信したことがあるのだろう。つまり、6か国協議などを続けても全く意味はないのである。

さらに重要なことは、仮に朝鮮半島の非核化を実現したければ、それは金正恩の排除が前提となるという事実である。言い換えれば、国連決議に賛同して本気度を示した中国は、(それが単なるポーズでしかなければ話は別であるが)本気で核の放棄を迫ろうと思うのであれば、本気で金正恩の排除を実現するための方策を考えるはずである。ここである程度の時間的猶予を北朝鮮に与えてしまえば、更なる核の小型化と大量のミサイルへの搭載を実行してしまい、金正恩の排除の際の返り血を激しく浴びるリスクはさらに高まる。中国が「今しかない!」と強く確信する理由は容易に理解できる。

同様のことは日本にとっても同じである。安倍総理は自らの政権で拉致問題を解決すると言ったが、そのためにはやはり金正恩の排除が前提となる。あれだけ超憲法的文書に明文化されてしまっていたら、誰がどう考えても金正恩のもとで遺訓を無視した解決などある訳がない。核問題も同様だが、拉致問題についても金正恩を排除し、金正日の亡霊を振り払わなければ解決の可能性はないのである。

多分、薄々は北朝鮮内部でもその様な事に気が付いている者はいるのだろう。中国がその様な者に救いの手を差し伸べ、金正恩を中国ないし第3国に亡命させて平和的な政権移譲を試みるのは目に見えている。しかし、「ロッキー」などアメリカ映画好きな金正恩であれば、映画「ゴッドファーザー」において、身内のマフィアのボスが敵対する組織と手打ちする話を持ち込んできたとき、「最初に手打ちの話を持ち込んできた者(身内)が裏切り者だ!」というストーリーを思い出し、早期にそいつを粛清してしまうかも知れない。こうなるとドツボにはまり身動きが取れない。

答えは簡単なのだが、それを実現するのは至難の業で命がけなのである。命を懸けて仲介する使者は北朝鮮内に現れるのだろうか?

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