けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

「主権回復の始まりの日(1952年4月28日)」と「主権完全回復の日(1972年5月15日)」

2013-03-29 23:59:03 | 政治
ここ最近、不在にしていてブログをお休みさせて頂いていた。1票の格差の選挙無効判決や、北朝鮮の怪しい動きであったり色々な出来事があったが、中々情報取集する時間が確保できなかったので、偶々、ホテルで手に取った毎日新聞の記事についてコメントを書いてみたい。ネット上を探したが、この記事については毎日新聞のサイトにも記載がなかったので簡単な紹介から始めたい。

この記事というのは、政府が来月28日に予定している「主権回復の日」の記念式典と沖縄の関係について、佐藤優氏が毎日新聞に寄稿したものである。彼は東京出身の父親と沖縄出身の母親の間に生まれ、外務省の勤務経験もあるからあらゆる面での当事者であるが故に、細かな空気の感覚を理解することができ、政府の無神経さに怒りを覚える沖縄県民の気持ちと、その気持ちに理解が及ばない中央の政治家、エリート官僚の気持ちを代弁している。彼の受け止め方は、歴史的なイベントというものには二つの側面があり、ひとつは単なる年表上の通過点としての出来事、もう一つは化学の言葉で言えば「不可逆反応」とでも言うべき事件の前後で大きく事態が変わってしまう(単なる通過点)質的な転換を伴う事象であるという。サンフランシスコ平和条約の締結は、沖縄県民にとっては日本政府による日本からの切り捨て行為に等しく、その後1972年に本土復帰するまでの間、日本国とは法的に異なる管理体制での生活を余儀なくされた。中央のエリートにとっては1952年4月28日は単なる歴史上の通過点に過ぎないかもしれないが、沖縄県民にとっては国に裏切られ、切り捨てられた者としての生活を余儀なくされた、質的な転換を伴う大きな意味合いを持った日だったというのである。

多分、この理解は正しくて、多くの沖縄県民がこの様な感情を抱いていることは容易に想像できる。だから、仲井間沖縄県知事などが不快感を示したことには十分な説得力があることは認めざるを得ないし、その様な気持ちを大切にしなければならないことも認めるところである。私は沖縄には行ったこともない単なる部外者だから、どう考えても沖縄県民の心に寄り添うことなどできるはずもなく、だから無責任で無神経な発言となることも覚悟の上で、敢えてコメントさせて頂きたい。

例えば、現在のアベノミクスを引き合いに出してみたい。インフレターゲットの政策は、お金の価値を緩やかに引き下げる政策を意味するから、高齢者などの資産を持ち年金で暮らしている人々には確実にマイナスの効果をもたらす。為替レートも円安に振られ、輸入に頼るエネルギー資源や原材料は高騰し、電気代や様々な値上げラッシュが4月を境に一斉に始まるかも知れない。これらは明らかにマイナスであり、彼らにとってインフレは生活の敵であることは間違いない。一方、デフレスパイラルはこれほど有難い現象はなくて、放っておけば日増しに預貯金の価値が上がり、物やサービスの値段が一昔前では信じられないほどに暴落するから、これまでに貯めておいた貯金と年金で暮らすには、デフレが進めば進むほど生活は楽になる。しかし、これでは消費が尻すぼみになり、雇用は失われ、失業者が増大して多くの働く世代においては死活問題である。管理されたインフレは消費傾向を刺激し、経済を活性化させ、雇用を生んで好景気をもたらす。多少のタイムラグは仕方がないのであるが、「景気は気から」の言葉のごとく、好景気を予感させることができればインフレはデフレスパイラルを断ち切り、好景気を呼び込むツールとして機能する。誰にとってもハッピーな話などある訳もなく、誰かが喜べば誰かが悲しむのは世の常である。だから、「最大多数の最大幸福」の実現の視点から、一部の副作用のデメリットを遥かに凌駕するメリットがある場合には、そのデメリットには目を瞑り先に進む決断をすることが政治家に求められる。確かに、この5年ほどの日本はねじれ国会の政治の不安定さと東日本大震災の不幸も相まって、デフレスパイラルが最後の仕上げ段階に入ったかのような事態に陥った。しかし、その様な中で年金暮らしの高齢者が喜んでいたかと言えばそうでもなく、国家の財政破たんが危惧されて消費税増税が議論されたあたりから、年金暮らしの彼らもジリ貧の不幸感を味あわされていた。別に勝者がいる訳でもなく、全てが不幸に喘いでいた感じである。だから裏を返せばアベノミクスが悪というのではなく、それで景気が良くなれば子供世代の生活が豊かになり、幸せで笑顔があふれる子供や孫を見ることでトータルで見ればプラス・マイナスで若干プラス気味の幸せな生活へとたどり着けるのかも知れない。

この様に、誰かにとって明らかにプラスのイベントであっても、別の誰かにとっては真逆の意味合いを持つことは容易に見つけることができる。しかし、そこで何らかのアクションを起こすという決断が事態を大きく変えるとして、その結果のメリットと副作用的なデメリットの双方を容易に見つけることができた場合に、デメリットを過剰に恐れて何もアクションを起こさないという決断は、多くの場合において最悪の決断であることを我々は歴史から学んだ。だから、沖縄の例を見れば、沖縄県民を裏切り切り捨てて本土だけを先行させて連合国からの支配を卒業させたのは国家としての選択としては正しく、法的に例えれば「緊急避難」として正当化することは合理的である。ただ、白熱教室ではないが「正義とは何か?」はそう単純ではないから、少なく見積もっても「沖縄を裏切り切り捨てて何が悪い!」というのは間違いなく誤りである。だから、如何にして沖縄県民の苦しみ、悲しみを理解し、「主権回復の日」の意義を「単におめでたい日」という位置づけではなく、この日は日本が戦後からの復興の第一歩を示した日であると同時に、耐え難い屈辱の始まりの日として位置づけ、沖縄復帰の5月15日をセットで式典を行ってはどうかと考える。例えて言えば、「主権回復の始まりの日(4月28日)」と「主権完全回復の日(5月15日)」の双子の「主権回復の日」を祝うのが正しい祝い方だと思う。

私は、これだけ東アジアの緊張が高まる中で、アメリカ軍のプレゼンスを下げる普天間基地の国外移転は自殺行為だと考える。この考え方を前提としない人とは多分議論しても有益な結論に辿り着くことはないと断言しても良いほど、最低限の前提条件である。だから、沖縄の基地負担軽減を前面に掲げ、普天間基地の固定化を回避し、且つ辺野古移設を否定する有識者は、最低でも沖縄県を除く他の都道府県への基地受け入れのための行動や提言を伴わない限り、八方美人の無責任この上ない人だと切り捨てられても仕方がないと考える。以前、橋下前大阪府知事が関西空港に関連させて米軍の受け入れの検討を示唆した際にも、有識者は「ふざけるな!大阪近郊に迷惑施設など断じて認められない!」と偉そうに言っていた。そして、一方で「沖縄の負担軽減のために国の無策はけしからん!」とも言っていた。そんな打ち出の小づちの様な答えは存在しないのだから、誰かを助けるためには誰かが苦しまなければならない。全ての人にイイ顔をしようとするのは、全ての人に赤んべぇをしているのと等価である。だから、オスプレイにしても辺野古にしても、短期的には沖縄に更なる負担をしいることになることは悲しいかな避けて通れない選択である。ここで重要なのは、その様な短期的な沖縄の不幸をあたかも彼らに寄り添うようなふりをして「酷い、酷い!」ということではなく、彼らのその痛みに理解を示し、彼らが中長期的には負担が軽減され多くの人が幸せを掴むことが出来るかも知れないという信頼を勝ち取ることである。

安倍総理はオバマ大統領に、「私もリスクを取るのだから、返還に向けたスケジュールを明らかにしてもらわないと困る」と嘉手納以南の基地の返還を迫ったという。日本中に過疎で悩む市町村がある中で、沖縄にも同じことは起きている。子供や孫の世代に仕事がなく、生活のために県外に出て行かざるを得ない人たちに、米軍基地はある程度の仕事を提供することになり、別に箱モノを作るまでもなく経済的なプラス効果も当然ながらある。中長期的な基地の県外移設(例えば九州)や地位協定の見直しなど、彼らに寄り添う姿を示し信頼関係を築き上げることが、無責任に「日本政府はけしからん!」と言うよりもより沖縄県民の心を掴む第一歩になるだろう。

その象徴が、「主権回復の始まりの日(4月28日)」と「主権完全回復の日(5月15日)」の双子の「主権回復の日」の開催である。私は、是非とも安倍総理にこの考えに立って欲しいと考える。

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