けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

新日鉄住金の徴用工問題が国際司法裁判所マターであるという論理武装

2013-08-31 23:44:29 | 政治
産経新聞読者は少数派だと思うが、私は産経新聞を購読しているので、昨日の朝刊1面には釘付けになった。ご存知の人も多いと思うが下記のニュースである。

産経ニュース2013年8月30日「韓国の戦時徴用で賠償命令確定なら政府、国際司法裁への提訴検討

このブログでも何度か取り上げた話題だが、「韓国高裁の新日鉄住金に対する判決は日本にとって朗報である!」
http://blog.goo.ne.jp/keroppy_2011/e/69d0f148bf7e4ed3e0605c04ab23ecaf
にも示した通り、日本はこの韓国の暴挙を世界にアピールするチャンスなのである。ただ、私はこのニュースを読むと同時に、お隣の韓国でのこのニュースの扱いが如何なるものであるかに興味を抱いていたので、さっそく、1日遅れでその報道の状況を調べてみた。

まず、中央日報の記事は下記の通りである。

中央日報2013年8月31日「韓国最高裁が徴用賠償確定なら…日本政府、国際司法裁提訴を検討

概ね、産経新聞の記事を忠実に紹介している感じで、ご丁寧に下記の様な解説まで加わっている。

中央日報「日本のICJ提訴検討はもう一つの側面もある。賠償に応じようとする一部の日本企業に対し、『政府がICJ提訴に動こうとしているところに単独プレーはするな』という警告のメッセージを投じたのだ。」

これは、産経新聞の下記の件の焼き直しである。

産経ニュース「政府は国際司法裁への提訴で日本企業を全面支援する姿勢を示し、企業側にも一致した対応を求めたい考えだ。」

この様に、韓国人受けするように微妙に表現を変えてはいるが、次のような指摘もなされている。

中央日報「ただ、強制徴用被害者賠償問題は独島問題とは違い、韓国内でも両論が存在する。」
中央日報「一方、03年8月に外交通商部(現外交部)は『1965年の請求権協定合意議事録に強制徴用者の部分が含まれ、政府は新聞公告を通じて75-77年に補償を実施した』と宣言した。07年には『太平洋戦争戦後国外強制動員犠牲者支援法』を作り、2次補償を行った。最高裁が今後、『賠償確定』を確定判決すれば、韓国は政府-司法府間の食い違いを解決しなければならない難題を抱えることになる。」

この様に、韓国として非常に痛いところを突かれていることを、(正面切っては言わないが)それとなく明らかにしているところは韓国の報道にしては珍しくフェアな所である。

ところで、他の新聞はどうだろうか?朝鮮日報には下記の様に記されている。

朝鮮日報2013年8月31日「強制徴用:日本政府、新日鉄住金敗訴ならICJに提訴も

こちらは文章量も少なく、余計なことは書かないという意思が透けて見える。しかし、それでもまだ記事を掲載しているのはましな方である。

韓国内では親北派と言われる反体制色の強いハンギョレ新聞では何の記載もない。内乱陰謀罪捜査で逮捕された統合進歩党イ・ソクキ議員の事件に関しては、ニューヨークタイムズの記事を引用し、「朴正熙元大統領の時代、反体制人士は現在のイ・ソクキ議員と同種の疑惑で適切な裁判も受けずに拷問され、時には処刑された。」として、朴槿恵大統領の父親が如何に非民主的な残虐な指導者かをアピールすると共に、今回、娘の朴槿恵大統領も同じ道を歩んでいると非難している。この意味では、韓国政府の立場と司法の立場の矛盾は反体制的には好都合な話題だが、反日という視点で敵に塩を送るのは好ましくないから、報道自体を黙殺するに至っている。

聯合ニュースについても確認したが、ことらにも記載がない。もっとも、韓国外交部が日本に対して慰安婦問題をめぐる協議を要請したというニュースはご丁寧にトップで大々的に扱っている。ここでは、「外交部は論評で『政府は韓日請求権協定に基づき、協議に応じるよう日本側に要求してきた。日本政府がこれに応じていないことに深い遺憾を表明する』とした」としている。つまり、これは日韓請求権協定の対象案件であり、両者の解釈の間にギャップがあるから、その第3条に従い外交的に解決を図ることを要求しているのである。

この様に色々と報道を見てきたのだが、実はこれらの中にヒントが隠されていることに気が付いた。

私も産経新聞が報道したのと同様に、国際司法裁判所に提訴するのが戦略上、有効な方法だと考えている。しかし、多分、これに対する韓国側の反論は「日韓請求権協定の第3条に『外交的な解決』を謳っているのだから、その努力をせずにいきなり国際司法裁判所に提訴するのは条約違反だ!」との主張だろう。慰安婦問題解決の訴えかけなどは、そのためのアリバイ工作の様にも取ることが出来る。もちろん、国際司法裁判所に提訴しても韓国政府はこれを拒否するだろうが、この問題が世界に知らしめられることで、韓国の法治国家といえない無茶ぶりをアピールするのは有益である。しかし、韓国から「条約に記された努力を日本がしないのは不誠実だ!」と言われると、場合によってはそれを真に受ける人も出て来るかも知れない。だから、日本政府はこの反論に対するカウンター攻撃を考えておく必要がある。

そこで、頭を冷やして考え直してみる。まず、新日鉄住金などの徴用工の賠償問題は、慰安婦問題と同様に通常考えれば日韓請求権協定の対象案件であるのは明らかであるから、韓国司法が条約を無視すると共に、韓国政府が「日本からの補償を受け取った韓国政府が、個人請求に応じる義務を負う」という立場を示している徴用工の問題に「No!」を突きつけるのは論理的な一貫性の欠如を感じる。しかし、流石に韓国の最高裁も馬鹿ではないので、これに対する論理武装を実は行っていたのである。それは中央日報の下記の部分に明記されている。

中央日報「判決の核心は、韓日請求権協定は植民支配の賠償を請求するための交渉でなく、サンフランシスコ条約(61年)に基づき両国間の財政・民事的債権・債務関係を政治的合意で解決したもので、個人請求権の消滅を認めたものではないということだ。」

もうご理解いただけただろうか?韓国最高裁は、この徴用工の問題を「韓日請求権協定の扱うべき問題であったが、その際の交渉時点で表面化していなかったから、この件に関しては請求権が消滅していない」と解釈したのではないという点がポイントなのである。つまり、慰安婦問題も徴用工問題も、そもそも「韓日請求権協定の対象ですらない」と韓国最高裁は認定したのである。だから、この請求権をあたかも消滅したかの様に扱う韓国政府に「喝」を入れたのである。

であれば、日韓請求権協定の第3条に従う必要はないから、純粋に問題があれば国際司法裁判所に提訴すれば良いのである。韓国政府が「日韓請求権協定マター」だと思うのであれば、それは韓国政府が韓国司法界になすべき説明責任が不十分であることを意味する。「日韓請求権協定マターではない」のであれば、「外交努力」を主張する韓国政府の言い分は通らない。そして、一旦、この問題が国際司法裁判所で扱われることになれば、その他の議論である慰安婦問題や竹島問題も、国際司法裁判所に任せるのが良いのではないかという流れが出来るようになる。そのためにも、日本政府には様々な論理武装を準備してもらいたい。

先日のブログに書いた「悪魔の代弁人」のアプローチは非常に重要である。言われなくてもやっているのであろうが、このための英知は広く、多くの分野の人を交えて「無敵の悪魔の代弁人」チームを作り、来たるべき日のために備えて欲しい。

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今夜、安倍総理が首相公邸に宿泊する訳は・・・?

2013-08-30 23:30:51 | 政治
エジプトを含めて、中東周辺諸国というのは何とも扱いが難しく、新聞を読んでいる側も良く分からない。イギリスでは、シリアの化学兵器の使用に対する制裁への参加を議会が拒否し、現在のところでは制裁はアメリカ単独、ないしはフランスとのアメリカの2か国の共同作戦という状況である。当然の如く、過去のイラク制裁時との比較で「熱物に懲りて、なますを吹く」状態なのだが、素人ながら少し整理しながら比較をしてみた。以下は、私が考えた相違点である。

(1)イラクの際には大量破壊兵器の存在を誰も確認していなかったが、今回は化学兵器の使用は少なくとも確実である(不確定な点は、使用したのが政府軍であるという証拠がないだけ)
(2)イラクの時には、フセインの排除がイラクの民主化に繋がるという確信をアメリカは抱いていたが、イラクの失敗に加えてアラブの春にしても、好ましからざる指導者ではあっても地域の不安定化を阻む重石として機能している現政権指導者を排除すると地域が不安定化して事態が結果的に悪化するという経験を踏んでいる(指導者の排除ではなく、指導者の勢力をある程度削ぎ、反体制派との妥協を促すことで言わば「不安定平衡点」という微妙なバランスを志向せざるを得ない現実がある)
(3)イラクの際にはBoots on the groundとして地上戦を覚悟していたが、今回は確実に地上戦は想定されず、アメリカ側の人的被害が最小化できる短期の空爆のみに限定される
(4)空爆限定が確定的だから、シリア政府軍側が攻撃対象に「人間の盾」を配置して対抗することが可能となっている
(5)イラクよりも遥かにイスラエルに近い(戦闘がイスラエルに飛び火するリスクが相対的に高い)
(6)イラク戦争では、不完全ではあるがイラクによる国連決議違反があったため、国連中心主義的な立場からでも攻撃の正当性がある程度伴っていたが、今回は国連決議も伴わず、現時点では国連側は「シリア政府軍が化学兵器を使用した」根拠を認めていないので、その正当性が怪しいものとなっている。
(7)イラク戦争で大量破壊兵器を見いだせなかった明らかな失敗の経験から、今回は世論を味方につけるには極めてハードルが高くなる傾向にある。
(8)経済情勢的にも相対的には好ましい状況にはなっていない。

とまあ、こんなところであろうか?(1)に関しては、これだけ証拠があれば、あとは状況証拠で「反政府軍が政府軍に化けて化学兵器を使用する可能性は限りなくゼロに近い」という極めて単純な命題であり、(3)の人的被害のリスク最小化というプラスの要因を加味すれば、常識的には「裁にGo!」となりそうなことが、実際には真逆の結果となっている。最も大きな要因は当然ながら(7)であり、この経験がハードルを上げることになり、10年前ならば迷わずに判断できたことを判断できなくする事態に至っている。さらに、(2)は問題が単純な1次方程式ではないことを世界に痛感させることに繋がり、明快な落としどころ、出口戦略がシナリオとして誰一人として描けないことに繋がる。(5)のリスクもあるから、「取りあえず、行ってまえ!」的な短絡的な判断は許されず、仮に失敗して裏目に出ることになったとしても、論理的な正当性(つまり「言い訳」)がせめてちゃんとできるぐらいの論理武装を各国の国民が求めるに至っている。しかし、(6)の国連決議はその言い訳の最大の錦の御旗になり得るものであるが、ロシア、中国が石油がらみの利権などを意識して国連が機能できず、とても尤もらしい言い訳をすることは半ば不可能な状態である。(8)の欧州の経済状況も争いごとを嫌う理由の一つになっている。シリアを経由する石油のパイプラインもリスクだらけで、一方でホルムズ海峡経由の石油もイランがらみでリスクは無視できず、結果的に何か悪い方に転べば景気に水を差す事態になるのは目に見えており、参戦に対するネガティブ要因に働くのは当然である。

イギリスのキャメロン首相は(1)(3)を過大評価し、(2)(6)(7)を過少評価した。日本は上述の(1)~(8)に加えて、2020年オリンピック招致問題が9月7日に控えているから、それまでの間はあまり敵を作りたくない状況にある。できればシリア空爆を先延ばしして欲しいところであるが、時間とともに(6)の正当性の欠如は益々深刻度を増しそうな気配があるし、G20で意見の対立が表ざたになると益々ハードルが高くなる。

しかし、化学兵器を使用しても制裁無しという実績は、北朝鮮も含めて誤ったメッセージを世界に発信することになるから、アメリカには「制裁しない」という選択肢は存在しない。結果、選択肢はG20前のアメリカ単独での空爆か、シリア政府が化学兵器を使った証拠を徹底的に探し出し、見つかった瞬間に間髪入れずに攻撃という選択肢だろう。

私が安倍総理ならば、アメリカのメンツを立てるためのリップサービスをする代わりに、政府軍側の使用の明白な証拠をもう少し探すことを求め、結果的には攻撃が9月7日以降となるように諭すだろう。しかし、日本以外であれば誰の目にも「オリンピック招致よりもシリア問題の方が重要だろ!」と映るので、こんな下心をオバマ大統領には伝えられそうもない。ただ、オバマ大統領も(ある程度良い意味で)ビジネスマン的な大統領だから、(2)(6)(7)を過少評価せずにもう少しリスクに備えることも期待できる。イギリス議会の判断が示されてしまった以上、「絶対に政府軍が化学兵器を使用したという証拠を見つけて、それから空爆してやる!」と世界に訴えて時間を稼ぐ(この間に、『人間の盾』情報も併せて収集して(4)にも備えることができる)というのも現実的な選択肢になりそうなのだが、実際のところはどうなるだろうか・・・。

余談であるが、安倍総理は今夜は首相公邸に宿泊するという。実は、オバマ大統領は一番信頼できるリーダの一人として安倍総理と電話で長話をしたいのではないだろうか。公邸での宿泊は、それが背景にあるのではないかと勘繰ってしまった。

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欧米諸国の第3者の目線で戦略を見直せ!

2013-08-29 23:53:37 | 政治
先日、潘基文国連事務総長が極めてケシカラン発言を韓国で行ったのであるが、私としては半ばスルーしていた。理由は単純で、昨日のブログにも書いたが韓国国民の思考には国連事務総長や大統領職にあっても論理性が所々で破たんし、特に日本に対しては客観的に検証可能な事実ではなく、自らに好都合な歴史認識を絶対正義として議論の前提としてしまうから、そもそも議論になどならない痴話喧嘩に終始せざるを得ないからである。日本が化学兵器を使用したシリア以上に醜悪な国であるという前提に立てば、中立的な立場から「日本よ、何とこ行動を改めなさい」と指摘することは可能であるから、議論は「中立性」の問題ではなく「日本の歴史認識はけしからん」という議論にすり替えられ、議論は泥沼にはまる。痴話喧嘩が泥沼にはまると、その原因はどちら側にあっても日本は当事者と位置付けられるから、それはオリンピック招致にマイナスに働きこそすれ、絶対にプラスにはならない。であれば、東京オリンピック招致のためにもこの問題はスルーするのが賢明だと感じていた。日本ではこの問題に噛みつく閣僚や報道もあったが、不思議なことにその日本の対応を韓国のマスコミは小さく扱い、如何にもこれを問題化したくないという雰囲気が漂っていた。この問題以前より、大分前から潘基文国連事務総長の国連事務総長としての資質に疑問を呈する発言も各国に見られ、韓国もその様な不満を持つ欧米人などがこれに同調することを恐れ、事態が静かに鎮火することを期待していたのかも知れない。結果として、オランダのハーグで松山政司副外相から発言の真意を問われた事務総長は、「歴史認識に関する安倍政権の立場や、平和国家としての日本の努力はよく承知している」として釈明し、日本の認識は誤解であるとの主張をしたという。結果的に、謝りはしないが日本の主張を100%受け入れた形なので、日本としてはこれ以上深追いをする必要はないという結論になった。少々拍子抜けする決着であった。

さて、この決着から学ぶべきポイントが見えて来る。それは、韓国は欧米諸国の反応に非常に敏感で、あまり議論の余地なく負けが見えていることには素早く身を引くという変わり身の早さという特徴を持つ点である。昨日は韓国人の捻じ曲がった国民性を指摘したが、その様に捻じ曲がったことを平気で気にせずいられるのは、それを欧米諸国がスルーしてくれると見なしているからである。だから、欧米諸国に如何にスルーさせずに、韓国側の一挙手一投足の理不尽さを欧米諸国に実感させるか、その点を研究することが重要なのだと思う。

じつは、昨日のブログでも引用していたSYNODOSであるが、下記の記事も面白かった。

SYNODOS 2013年8月27日「『反日』化する韓国司法 ―なぜ『解決済み』の問題が蒸し返されるのか 浅羽祐樹 / 比較政治学

この浅羽祐樹さんという方も非常に面白い方で、下記の記事も非常に秀逸である。

SYNODOS 2013年6月10日「<悪魔の代弁人>を立てるかどうか、クライアントこそ問われている『したたかな韓国』著者・浅羽祐樹氏インタビュー

まず、前者を読めば色々と韓国の司法界が何故、あのような暴挙をするのかを考察しているが、最も有益なご指摘は、訴える相手をあたかも裁判所の裁判官と想定し、我々の感覚で論理的に正面突破を図ろうとする一本槍の戦略はリスキーであり、それよりも聴衆的な第3者の共感を得る戦略も同時に用意しておき、それらをパラレルに臨機応変に併用するという考え方である。その具体的な例は、貿易依存度が高い韓国のことを考えれば、第3者が韓国の行動を「貿易における、自らの立場に焼き直して考えた場合」に結び付けさせ、経済的なパートナーとしてリスキーな存在と感じさせることに成功するならば、韓国は速やかに戦略を変更せざるを得ないということである。これは、先の国連事務総長の問題に通じている。

そして、この様な有効な戦略をひねり出すための手段(ツール)として、後者の「悪魔の代弁人」というアプローチが有効であることを指摘している。極めて論理的で、裁判(ディベート)に勝つためには、相手の立論を論破する戦略も重要であるが、こちらの弱点が何処にあるのかを徹底的に相手の立場に立って研究し、しかもそれを複数のシナリオに発展させてひとつひとつの攻撃に対する対応を準備するということである。その意味で、橋下大阪市長の論調は一本槍調であり、正面突破を試みたときの第3者の心証を加味していないという点で問題があると指摘している。様々な議論のシナリオの中から、第3者の目を意識して最適なアプローチを見出せば、そこに勝機があるということである。

総論は簡単で、各論は非常に難しい問題であることは当然だが、折角、相手が無能な大統領で経済危機も目前というチャンスなのだから、安倍政権では戦略的に欧米諸国を味方につけて一気に反転する対応を実現して頂きたい。

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韓国の歪んだ国民性の理解から始めよう!

2013-08-28 23:58:12 | 政治
面白い記事を見つけた。

SYNODOS 2013年6月7日「『ガラパゴス化』する慰安婦論争 ―なぜに日本の議論は受入れられないか 木村幹 / 比較政治学

非常に密度の濃い良く書けた記事なので、ここで要約をするのは不可能に感じ、敢えて要約はしない。少なくとも言えることは、慰安婦問題というものを我々日本人は何か裁判の様な法の下で議論しましょうという発想がある一方で、韓国人にとっては理屈もへったくれもない様々な紆余曲折の中で現在の鬱積した状況に辿り着いてしまった経緯があり、論理的な議論を吹っ掛けられれば吹っ掛けられるほど、より頭に血が上るという現実があるということらしい。以下は著者の意に沿った解釈ではないと思うが、タイトルが日本の議論は「ガラパゴス化」であると言わんばかりであるが、実際には「ガラパゴス化」しているのは韓国側である一方、半ば理屈ではない世界で議論をしようと開き直っているがために、それでも勝つための謀略を練ることに暇がないという風に、私には理解できた。

そこで、これだけ面白い記事があるならと、木村幹というキーワードでGoogle検索をかけると、これまた面白い記事に出会った。以下は丁度1年ほど前の記事である。安倍総理がまだ自民党総裁に就任する前の記事であり、李明博前大統領もまだ竹島に上陸する前の記事である。

日経ビジネスONLINE 2012年8月3日「日韓関係はこれからどんどん悪くなる 漂流する韓国を木村幹教授と『時代精神』で読み解く【夏季集中講座:最終回】

これは会員登録が必要な記事なので全文を必ずしも読める訳ではないと思うが、3回シリーズで連載された記事の最終回で、韓国が中国にますます接近し、一方で日本には極端に敵意を示しだすことを予言している。その前からある程度その傾向はあったのだが、まるで現在の世界情勢を見透かしたような記事である。この表題の「時代精神」とは、一言で言えば「長いものには巻かれろ」的なニュアンスを秘めており、どんどん弱体化する日本に対し、政治的/経済的な弱みが顕在化する前の中国においてはその優劣の趨勢は一目瞭然であり、だったら中国に巻かれる方が得だという話である。実際には、日本を議論の中心になどしておらず、アメリカと中国を比較してみたとしても、ますます中国の存在感は増すばかりであり、アメリカに巻かれていたこれまでを改め、中国に乗り換えた方がお得というところがポイントかも知れない。勿論、この時点ではアメリカを切って中国に向かうというよりも、二股的な意味合いが強く、まだまだ円高の恩恵を被っていた時期だけに、かなり強気に「韓国は、アメリカと中国の間で、上手く泳ぎ続けることが出来る」と自信満々な状態といっても良い。

特に厄介なのは、日本と中国との間には尖閣などの問題が存在するため、アメリカも日本の立場に寄り添うと中国との対立を強めるばかりだから、アメリカも日本を切り捨てる見切りを早くつけた方がお得だよ!と本気で考えている節がある点である。確かに、この主張は一見説得力があるようだが、実際には現在はアメリカと中国との間の緩衝材(実際には緩衝効果はマイナスなのだが)的な位置に日本がいるために、その対立が日本を原因として起きているように見えるが、実際にはアメリカと中国の対立は必然のものであり、日本の存在は別に大したものではない。

著者が指摘しているのは、この様な関係が始まったのは盧武鉉政権時代であり、盧武鉉元大統領は相当な反米ナショナリストであっただけでなく、アメリカに「日本を共同の敵にしよう」と提案したり金正日にアメリカの悪口を言ったりと、かなり筋悪の大統領だったようだ。これらの背景にあるのが「時代精神」であり、長い長い朝鮮半島の歴史の中で、地政学的に中国の影響を受けざるを得ない韓国は、中国による支配を受け入れ、朝貢体制に甘んじてきた。つい先日までは、この朝貢体制から脱していたように見えたのは、中国の相対的な国力が弱く、アメリカ及び日本の国力が韓国を遥かに凌駕するものだったが故に、その環境における「時代精神」のベクトルがアメリカと日本に向いていたに過ぎない。様々な戦争で国力をすり減らすアメリカや、失われた20年によりアメリカ、日本を中心とする「時代精神」の終焉を盧武鉉政権が感じ取ったのかも知れない。さらに続けてリーマンショックが起き、日本では民主党政権によるトドメにより状況が変わり、2010年の尖閣漁船衝突事件で日中関係が圧倒的に逆転したことを受けて、新たな「時代精神」が定義され直されたのかも知れない。

まあ、この様に書くと何とも「一面を捉えて、全てを理解したような錯覚」を感じているように取られかねないが、これらの最小公倍数的にもっと本質的な部分で二つの記事に共通することは、韓国人の思考は論理的ではなく、極めて直感的(感情的)な思考に支配されているという点である。

変な話で恐縮だが、私の嫁さんも思い込みが激しいので議論をしても議論にならないのだが、韓国の議論の仕方は嫁さんの思考パターンに通じるものがある。以前、友人達と家族ぐるみの飲み会をやった時、酔った勢いで嫁さんの愚痴を言ったら、周りの友人たちは一斉に「それは、あんたが悪い!」と私を非難したことを思い出す。私の語る正論に反論できない嫁さんを弱者と位置付け、それに同調することで理屈は横に置いて「弱者を助けなければ・・・」という声が一斉に上がったのである。慰安婦問題の現状は、理屈を抜きにして弱者を演じる韓国側に世界が同調している状況に近い。「なるほど、日本の主張が受け入れられないのはそういうことか・・・」と感じるところである。

ただ、この「『ガラパゴス化』する慰安婦論争」の記事の最後には非常に重要な提言があり、そこがポイントなのであると悟らされた。それも、やはり理屈ではなく、感情論によるところが多い。というのは、橋下大阪市長なども「現在の価値観」と「当時の価値観」という二つの概念を説明の中で持ち出したが、感情論で語るのであれば「当時の価値観」などはどうでもよい話であり、「現在の価値観」に寄り添った立論が必要となる。ただ、「現在の価値観」に寄り添えば、慰安婦に多少なりとも関与していた軍や政府を非難せざるを得なくなり、それは論理的には自らの非を認めることのように思える。しかし、ここで著者が指摘しているのは少し違うアプローチである。私なりの説明を少し加えると、次のようになる。

これまた話が少し逸れるが、以前、岸田秀という精神分析学者の本を読んだ際に、自己嫌悪のメカニズムの話が書かれていた。自己嫌悪とは、ついつい我々は何らかの出来事に反省して自己嫌悪に陥ると錯覚しがちだが、彼は「自己嫌悪とは、反省していないことの裏返し」だという。つまり、「嫌悪するようなことをする自分」と「それを嫌悪して見ている自分」があり、嫌悪することで「嫌悪するようなことをする自分」と「それを嫌悪してみている自分」が別物であることを再確認し、だから自分は反省するまでもないという自己防衛本能により自己嫌悪現象が起きるのだと説明していた。言ってみればこれと同様のアプローチであり、「現在の価値観で当時の慰安婦を嫌悪する日本」を演じることで、「当時の価値観で慰安婦を間接的に利用していた日本」と現在の日本を切り離し、既に現在の日本は当時の日本とは違うのであるとアピールすることで「切り離し」「切り分け」を図るのだということである。

そんな上手くはいかないだろうというのはその通りである。しかし、アジア女性基金や様々な謝罪をもっと前面に出して、その切り分けに最大限のエネルギーを投入し、一方でそれが補償問題などに跳ね返らずに済む防御線を合わせて張る工夫というのが必要になる。ウルトラC的な芸当が現実に出来るかどうかは分からないが、相手が所詮論理的な議論などする気がないし、長い紆余曲折により理屈もへったくれもないのだから、正攻法で議論するのはエネルギーの無駄遣いである。
以上の話が全てではないのは当然であるが、まずは議論の戦略を立てるにあたって、韓国の国民性を理解するところから始めるのはひとつの手であると感じた次第である。

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韓国国民も知らない朴槿恵政権の暗い闇(破滅に向かう韓国)

2013-08-27 23:56:08 | 政治
不思議なことに気が付いた。まず、下記の記事を見て頂きたい。

産経ニュース2013年8月27日「支持は高いが“外華内貧” 朴槿恵政権の半年

私はてっきり朴槿恵政権の評価がもう少し低いのだと思っていた。勿論、先日もブログには書いたが、反日アピールを繰り返し、70%の支持率をある時期示していたのでそれなりに日本嫌いの人々にウケているのは分かるのだが、訪米時のセクハラ問題であったり、対北朝鮮政策や経済の問題で、少なくともマスコミレベルでは批判的な評価が多いのかと思っていたらそうでもないらしい。確かに、この産経ニュースでも経済問題は駄目だしされているからその点はその通りなのだが、何か感覚的にずれていると感じていた。

というのも、続けて下記の記事を見て頂きたい。

Serchina 2013年8月16日「ソウルで政府糾弾デモ相次ぐ、朴政権が初放水、300人近く連行も

このニュースは、8月15日の光復節の日に、韓国ソウルで国家情報院の大統領選挙介入や南北統一に対する政府の動きを糾弾するデモが発生し、朴槿恵政権として初めて放水銃を使ったデモ隊鎮圧を行い、300人もの人が逮捕されたというのである。これが日本であれば大々的なニュースになるのであるが、実際には日本国内のテレビや新聞ではこの記事を見ることはなかった。一部の嫌韓ブログなどにはこの中国系の新聞サーチナの記事を引用したりして紹介している者がいたが、しかし、幾ら検索をかけてもその他の韓国系の新聞などでは引っかからなかった。中央日報、朝鮮日報、聯合ニュースなどのホームページを探しても、全くそれらしき記事が見つからなかった。だから、半信半疑で「本当にそんなニュースはあったのだろうか?」とすら思った。少なくとも韓国でそれなりの話題になっていれば、日本でもその報道があっても良いはずだから・・・。

しかし、根気よく探してると、確かにその様な韓国内のニュースがあることを見つけた。

ハンギョレ新聞2013年8月15日「朴槿恵(パク・クネ)政府スタート以後 初の放水銃 国家情報院糾弾デモ‘強硬鎮圧’

この記事の最後には、「最高検察庁公安部も報道資料を通じて『不法暴力デモに対して現場不法行為者だけでなく背後勢力まで徹底的に明らかにし責任を問う』と強調した。」とあり、単に日本相手だけではなく、韓国国内の一般的な問題に対しても時の政権が相当な強権的傾向にあることを証明した形だ。しかし、これだけのことをやっておいて、何で大問題にならないのだろうと不思議に感じていたら、このハンギョレ新聞の中に答えを見つけることが出来た。下記の記事を見て欲しい。

ハンギョレ新聞2013年8月26日「"今平穏だとしても、言論が問題を覆い隠しているだけ"

ここには驚くべきことが書かれている。朴政権の最初の6か月は他の政権に比べて相対的に「静かだ」というのだが、その静かな理由には、「言論遮断で問題を覆い隠している」、 「放送が(政権に不利な)報道をしない」などの報道への政権による介入により、結果的に問題が大きくならずに済んでいるのだという。そして、実際には反政府的な集会には過去と同様に非常に多くの人が集っているにも関わらず、それがテレビや新聞には報道されることが殆どない不自然さを指摘している。まさに、上述の光復節の大規模デモを黙殺した強硬姿勢が、このハンギョレ新聞の指摘の証拠でもある。

そして極めつけが下記の記事である。先ほどの産経ニュースとは評価が雲泥の差である。

ハンギョレ新聞2013年8月22日「[朴槿恵(パク・クネ)政府 6ヶ月] 人事・政策など自分一人でリーダーシップ…参謀も国政推進力も失う

これは既に政権末期というレベルのものではない。記事の中では、

「実際、与党で朴大統領の国政運営方式の中で最も問題として挙げられる部分がまさに‘国政責任集団の不在’だ。 ‘自分一人で人事’、‘1人リーダーシップ’、‘ゴマ粒指示’、‘上司の命令に服従しろという垂直的意志決定構造’等に代表される朴大統領のスタイルは、NO.2の存在を認めない。 それだけでなく、権限を持って仕事を推進し、その結果に責任を負うべく立ち向かう参謀が生存できない構造を作ってしまった。」

との記述があるが、これはまさに日本の菅政権そのものに他ならない。しかも、菅政権ではマスコミの抑圧などは行わなかったが、朴政権ではそこまで反民主主義的なことをやっている。経済界が反旗を翻しそうになれば、大統領選で政権公約と謳っていたことをあっさりと覆し、財閥にすり寄るところまでやる。菅元総理は「反原発」で自分への批判を封じ込めようとしたが、国内では経済優先の緩やかな原発フェードアウト派が少なからずいて、中々、ポピュリズムで支持率を稼ぐことはできなかった。しかし、韓国ではオールマイティな反日アピールで、朴大統領はそれなりの支持率を得ている。したがって、この調子づいた大統領を失脚させることは現在の韓国では当面はできないだろう。日本の不幸は、鳩山、菅とふたりもの超無能な総理大臣が2年間君臨し国力を大幅に下げることになったのだが、多分、韓国はこの苦しみを5年間味わい続けることになるだろう。

しかし、ここまで韓国が道を踏み外しているとは流石の私も思わなかった。韓国国民も私と同様にまだ気が付いていないのかも知れないが、その長い道のりを経たとき、明らかに、彼女のことを民主主義に逆行した無能な政治家と思い知ることになる。そして韓国国民は、この超右傾化して国力を衰退させた大統領を許すはずがない。それが分かれば分かるほど、朴大統領はただただ悪事に手を染めることになるだろう。それを、欧米諸国は許すはずはない。今は反撃の機会を黙って待つのみである。

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全ては東京オリンピックのために!

2013-08-26 23:49:04 | 政治
4月の靖国神社の春の例大祭の際には強気の発言をして国外メディアに加えて国内からも批判を浴びた安倍総理であるが、それ以降はすっかり抑制的な行動に終始するようになった。最初は参院選での勝利のために、少しでもマイナス要因を減らそうと考えたのかと思ったが、最近になって違う理由があるのではないかと感じるようになった。そう、全ては東京オリンピックの招致のためである。

最近の中国、韓国は明らかに国内的に余裕など全くない状態であり、少なくともこれ以上の日本との対立は自らの首を絞めることになる。安倍総理が頭を下げる形で歩み寄ってくれれば喜んで首脳会談をしたいところであるが、首脳会談などしなくても痛くも痒くもない安倍総理が頭を下げる訳はない。中国、韓国からすれば、自らが譲歩して首脳会談に至ったとなれば国内メディアが許さない事情があるから、何とか安倍総理が歩み寄りを見せるのを待っていた事情がある。そんな中で、安倍総理は「対話のドアは開いている」という少々突き放したスタンスから、参院選を終えて以降、一歩関係改善に踏み込んだ前向きな姿勢を見せていたので、何が裏にあるのかと疑問に思っていた。

話は変わるが、今日のNHKの9時のニュースのトップは、消費税増税に関する有識者の意見を聞くヒアリングの開始に関するニュースであった。7回に分けて計60人から意見を聞く予定だというが、そこには安倍総理の姿はない。この消費税増税を上手く処理するのは安倍総理にとって極めて重要な課題であるはずだから、様々な人からの意見を聞いて判断したというプロセスを国民に示すことは、ひとつのセレモニー的ではあるが重要だったはずである。しかし、にもかかわらず留守にするということは、それにも代えがたい優先度の高い事情が裏に控えていることを意味している。その安倍総理が今何をしているかと言えば、中東3か国に加えてアフリカのジブチを訪問している。建前上は資源外交なのだろうが、実際にはクウェート、カタール、ジブチの3カ国はIOCの委員がおり、五輪の開催地決定に関する1票を持っているから、実質的には票固めに自ら乗り出しているという状況である。その後のG20にしても、日程としては9月4日から9日までの日程を途中で中座し、7日のブエノスアイレスでのIOC総会に出席する方を優先している。安倍総理がどれほど東京オリンピックにエネルギーを費やしているかが良く分かる状況である。

オリンピックに関する票読みは様々な方面でなされているが、下馬評では国内情勢不安などからイスタンブールは一歩、マドリードと東京に後れを取っているという。スポーツライターの玉木正之氏によれば、2020年の次の2024年大会にパリが立候補しており、そこにパリで着地させようとすると、2020年はヨーロッパから選ばれないのが好ましいという考えがあるという。というのも、実は2008年の北京オリンピックの際には、北京の情勢不安定さをリスクと感じたIOC委員より、抑えとして2008年にパリも立候補して欲しとの要請があり、2024年の本命での協力を条件に立候補を行ったという裏取引が行われたという説がもっぱらだという。この2024年というのはパリにとっては特別なものがあり、前回のパリオリンピックが1924年だったから、ちょうど100周年という節目にも当たり国内での盛り上がりもひとしおなのだという。この1924年パリ大会というのは、映画の「炎のランナー(原題:Chariots of Fire)」の舞台となった大会である(映画ジ自体は英国を描いたものであるが・・・)。私は何度見ても泣いてしまう映画なのであるが、多分、欧州全体が結束して2024年のパリ大会を成功させたいというコンセンサスが裏の世界では存在し、東京が決選投票に残れば最後まで勝ち残れる公算が非常に大きい。そのためには、少なくとも3か国から1か国を落とす最初の投票で勝ち抜かねばならない。

この様に考えると、最大のマイナス要因は中国、韓国による日本に対するネガティブキャンペーンである。特に中国には財力があるから、中国が本気で怒り出した状況でIOC総会に臨むのは非常にリスクが大きい。そこで、韓国は別にしても最低でも中国とは前向きな関係を維持したまま、中国が乱暴な行動に出れない状態を確保してIOC総会に臨みたい。そのためには、この8月になってから慌てるのでは駄目であり、5月頃から徐々に布石を打っておく必要があるという訳である。

この東京オリンピックの招致の破壊力は桁違いである。経済波及効果の見積もりは3兆円とも言われ、更には国民感情としてポジティブな雰囲気作りにも役立つ。夢や希望が高まり、直接的な因果関係を伴うは経済波及効果とは別に、自然と購買意欲が高まる効果も期待できるだろうから、デフレの脱却としては極めて有効な処方箋である。仮に東京オリンピックの招致を決めたのなら、その最大の功労者の一人として位置付けられ、2020年までの間は一目置かれる存在にあり続ける。必然的に長期政権にも好都合な状況だから、世界が「腰を落ち着けて、じっくりと交渉すべき相手」と見なせば外交的な成果も期待できるであろう。

我々が、参議院選と合わせて重要視していた3本目の矢の成長戦略であるが、実際には安倍総理の目には3本目の矢は東京オリンピックで、4本目の矢が成長戦略であったのではないかとすら感じてしまう。そう考えると、安倍総理の見つめる視線が如何に先を見据えているかが分かってくる。

IOC総会に向けて最後のラストスパートに入った。ここから先の失言は命とりである。アベノミクスの成功のためには、この東京オリンピックは非常に有効な弾である。内閣、政府与党、できれば野党も一体となって、9月7日までの間、政治的な休戦を保ちながら無事に当日を迎えて欲しいと願う。逆にそれを乱す奴がいれば、そいつは国賊である。

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集団的自衛権の憲法解釈をゲリラ戦で阻止しようとする矛盾

2013-08-25 23:46:20 | 政治
最近、集団的自衛権の憲法解釈に関する話題が紙面を賑わせている。山本庸幸最高裁判事の異例な意見表明の是非の問題や、憲法解釈を担う内閣法制局長官に、集団的自衛権の行使容認派の(どちらかと言えば異例の)外務省出身の小松一郎氏を起用したことの是非の問題など、色々話題になっているが、私にはイマイチ良く分からない部分があるのでそれを単純に今日は整理してみたいと思う。個人的な意見は最後に書かせて頂く。

まず分からないのは、マスコミなどが問題視しているのが何処なのか、そしてそれの何処に問題があるのかが良く分からない。内閣法制局というのは内閣に置かれた行政機関のひとつだから、内閣が向かおうとする方向に向けてその地ならしをするのは行政機関の役割だし、その役割を効率良く執行できる人材を適材適所で選ぶのは、その人事権を抑えている時の政権の責任者にとって当然の行為である。内閣法制局長官は憲法の番人とも言われているから、ある意味では政権が暴走して道を踏み外すことをたしなめる役割をある部分では担っているが、しかし、少なくともマスコミも良識がある人ならばその役割が限定的であることは分かっているはずである。法律については素人だから間違っていたら申し訳ないが、内閣法制局の人事権を内閣側が持っている以上、その人事権を最大限に活用すれば如何様にでも解釈など変えることはできるはずで、そんなことで憲法という法治国家日本の根底となる憲法を自由に弄ぶことが出来るような単純なシステムになっているはずがない。つまり、三権分立が確立しているということは、行政が憲法を捻じ曲げるという暴走を司法が食い止めることが大前提であり、内閣法制局(長官)は本来、その様な役目的で設置されたものではないはずである。私の知る限り、内閣法制局の役割は政府が国会に提出する法案ないしは閣議決定などにおいて、既存の法律との整合性を確認するのがその役割であり、憲法を守ることは直接的な目的ではない。憲法や法律などには、時としてその解釈が人により分かれる場合があり、往々にしてその解釈を適切に行う必要がある。しかし、例えば学会やその分野の有識者における多数意見というのは、時代の変化に合わせて変わり得るものである。法律というものは、コロコロ変わられてはたまらないので法の安定性が求められる一方、時代の変化に伴いその法解釈の妥当性をも加味しながら、ある段階では解釈の変更も余儀なくされる。勿論、過去の議論との整合性も必要になるので、解釈の変更に伴ってはそれなりの手続きや説明は必要になるのであろうが、その手続きなどは内閣法制局が行うべきものではなく、何らかの諮問機関などで検討した結果などの答申を受けて、矛盾なく説明が出来れば手続き上は問題がないはずである。適正な手続きをして行われた行政行為に対し、自らの主義主張と一致しないから気に入らないというのであれば、内閣法制局やその長官を責めるべきではなく、最終的な判断の是非を正面切って議論すればよいだけのことで、手続き論でお茶を濁そうとするのは「憲法解釈反対派」の行動としては極めて手抜きの行動だと言わざるを得ない。だから、内閣法制局長官を中心に批判が高まるのは理解できないし、退任した後の元内閣法制局長官が現在の内閣の判断を批判するのはますます筋違いだと感じる。もっと正面切って、安倍総理を批判すればよい話である。

次に分からないのが、今回批判的な新聞などのメディアが、これまで内閣法制局が行ってきた憲法解釈を支持している点である。支持していると書くと「そんなことはない!」と言われそうだが、「解釈の変更は許さん!」というのだから現状を支持しているのは事実である。しかし、私の感覚では、これほど重要でこれほどクリアな議題の判断結果が憲法上では明確ではなく、それを三権分立的には行政に属するたかだか内閣法制局が判断したことが世の中では大腕を振って正しいものと追認されている現状は甚だ不自然であると感じる。もしそれが事実なら内閣法制局が憲法の解釈を判断する権限があるかのような現状を否定するべきだし、さらにはその判断結果の妥当性を疑ってかかるべきなのではないかと思う。しかし、マスコミは現状の判断は絶対的に正しいものと追認し、そこからの変更をケシカランとして批判している。つまり、法的ないしは制度的には誤っているのではあるが、結果オーライで自分の意図に合致しているから非難するのはやめておこう・・・というのは、ジャーナリズムとしては怠慢この上ない。この様な現状になったのは原因は明らかであり、現在の日本国憲法に不備があるからである。もう少し具体的に言えば、国際的な解釈としては、各国の国内法よりも国際法(厳密に明文化されたものとは限らず、一般化された慣習や学説のようなものも含む)の方が上位にあり、憲法は法律としては最上位のものではないから、この国際法と憲法の間に何らかの乖離があるのであれば、その乖離を国内の法解釈や法の変更により対処しなければならない。憲法改正が事実上、実行不可能な日本では仕方がないから憲法解釈を繰り返して対処してきたが、ここまで小学生が読んでも矛盾に感じる憲法第9条を放置し、解釈だけで何とでもなると考えることの方が問題である。仮にこの現実を受け止めるのであれば、今回の安倍内閣による集団的自衛権に関する憲法解釈の変更の動きは、少なくとも手続き的には妥当であると認めるべきであり、これまた話が戻るが内閣法制局などを引き合いに出して非難する話ではない。あくまでも筋論で議論するのであれば、「憲法を行政機関が解釈しなければならない現状を変えるべき」という議論があって然るべきである。

しかし、現在、この内閣法制局がらみで批判的な主張をする団体(朝日新聞など)は全て、揃って護憲派を自認しており、日本国憲法そのものを「解釈など必要のないものにしよう」という動きに後ろ向きである。つまり、本来、法律や原理原則にのっとって議論すべき問題に対し、自分に都合が良いポイントだけ切り取って、議論を骨抜きにしてこう着状態を作るだし、現状維持を図ろうとしているようにしか見えない。

最後に私の主張としては、まず最初に「内閣法制局がこの様な憲法判断をすることの是非」を議論すべきだと思う。私は、小学生レベルの国語能力をもった日本人に理解不能な結論を、憲法の行間のそのまた行間から読み取って、しかもそれを解釈して日本の行く末を決めていくという現状をまずは否定すべきであると考える。つまり、優先順位として憲法96条を先行するとかそんな話はどうでもよくて、「少なくとも、憲法9条はこのままでは大問題だよね!」という国民のコンセンサスをまとめることを行うべきで、それと同時に具体的な9条の条文のあるべき姿を広く議論すべきであると考える。そして、次に議論される内容は、その様な憲法改正の手続きは少なくとも今後数年を要するという現状を踏まえた上で、緊急避難的な措置と今回の事態を捉えた上で、内閣法制局などどうでも良いから、集団的自衛権の議論をもっとストレートに行うべきだと考える。もし集団的自衛権の容認に国民の意見が傾くなら、多分、心配することなく内閣法制局は適切に事務処理をするだろうから、その先の手続き論はひとまず置いておいて差支えない。

少なくとも、枝葉の問題で議論している場合ではない。ジャーナリズムを自認するなら、もう少し正攻法で正面から論理的な議論を吹っかけて頂きたいと願う。

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秀逸な橋下市長のサンフランシスコ市議会への公開書簡

2013-08-24 23:58:40 | 政治
今更・・・とウンザリする方もいるかも知れませんが、橋下大阪市長の反撃のニュースにみる学習についてコメントしてみたい。

8月22日の産経ニュースの中で全文が公開されていたので読んだのだが、これがなかなか良くかけた文章で、公開書簡というアプローチがまた良いところをついていると思う。この経緯については大阪市のホームページの下記のURLで橋下市長の言葉で語られている。

大阪市ホームページ「サンフランシスコ市議会へ公開書簡を送付しました

もともと、サンフランシスコ市議会で採択された非難決議が大阪市宛てに送られてきたのだから、これに対して回答を返すことでキャッチボールが成り立つはずである。しかし、韓国系のロビイストからすれば非難決議を出させた時点で目的は達成されたので、この大阪市からの返信などは黙殺するのが好都合である。サンフランシスコ市議の中で、本気で橋下市長のことを非難しようと考える議員などいないから、普通の返信であればあまり話題にならずにゴミ箱行きで終わりである。だからこそ、公開書簡という形で黙殺されずに、その返球をきっちりとグラブで受け取ってもらうために、この様な形式を選んだのであろう。
この公開書簡を読むと、幾つかの特筆すべきポイントがある。以下にそれを整理してみたい。

まず第1のポイントとして、この書簡には引用文献として二つの英語で記載された資料が添付されている。ひとつは「元慰安婦の方々への内閣総理大臣のおわびの手紙」であり、アジア女性基金などの活動との絡みで「総理大臣自らが、元慰安婦の方々にお詫びの手紙を綴っている事実」を示し、その証拠としてこの手紙を引用し、この全文を読んだ方に如何に日本が誠意ある謝罪をしてきたかを示している。さらに、所謂河野談話である「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」についても引用し、その内容を紹介している。これは何を意味しているかといえば、橋下市長の慰安婦に関する考え方を相手に理解してもらう前に、日本という国が、如何にここまで真摯に歴史に向き合い、韓国や中国、アジアの国々に謝罪をしてきたかが書かれている。これは、キャノン・グローバル戦略研究所の宮家邦彦氏が繰り返してきたことだが、完全にロビー活動で洗脳されている人々に慰安婦問題に関する日本側の主張など聞かされても聞く耳は持たないから、本丸から少し離れたところで相手の誤解を解く努力が必要となる。相手が違和感を感じずに聞いてくれ易いのは日本の謝罪外交や歴史問題に対する努力であり、これを早い段階で相手にぶつけたことは大きい。大体、アメリカ人が本気で慰安婦問題を議論などする気は毛頭ないのだから、その本丸をいきなり突くのは賢明ではない。

次に第2のポイントは、アメリカ人的な発想からすると、世の中には「慰安婦問題を徹底的に非難する人(つまり誇張する人)」と「慰安婦問題を正当化する人(慰安婦はなかったという人)」のふたつの立場が対立し、その戦いの中で橋下市長は後者の「慰安婦問題を正当化する人」に分類していたのではないかと思う。韓国系のロビイストからすれば、「慰安婦問題を正当化する日本はけしからん!」と吹聴している訳だから、橋下市長がこの後者に該当していたらこの書簡をその時点で捨てられてしまっても仕方がない。これに対し、橋下市長は自分のスタンスを「慰安婦問題の正当化と誇張の両方を拒否」する立場と位置付け、だからこそ「歴史的検証を進める必要性」を説いている。これは、かっての日本外国特派員協会での記者会見の際にも明確に示していたが、それをより分かり易い形で明確化した点でポイントが高い。
次に第3に、反日運動という政治的動機に慰安婦問題が悪用されている可能性を示すと共に、それが日米韓の外交関係への悪化につながっていることを説明している。常識的に考えて、アメリカ国内に慰安婦像を設置するというのは論理的な説明に苦しむ問題である。過去のブログ、「ニューズウイーク(5/28号)の「韓国の自滅外交」から学ぶ」にも書いたが、アメリカは韓国と日本が仲たがいしていることに対して非常に迷惑に感じているのは事実である。その背景に「反日運動」があるのは理解した上で、それが「人道問題」だと信じるから非難決議まで行うのであるが、政治的な活動に人道問題を悪用しているとなれば、ウンザリしているアメリカとしては「もう、これ以上関与するのはよそうか・・・」という気持ちにもつながるから、その点をしっかりと明言することには意味がある。

次に第4に、以上の理性的に読み取る心の準備が出来た頃合いを見計らって、人権としての戦場の性の問題を本気で取り組むのであれば、日本という国家・国民を標的にしたネガティブ・キャンペーンではなく、世界中の戦場での性の問題に取り組むべきだと冷静に指摘している点である。特に重要なのは、この中で韓国軍が特にベトナム戦争で行ってきた悪事についても指摘している点であろう。韓国系の主張はあくまでも慰安婦像は女性の人権抑圧の象徴だとしているが、その点に橋下市長は理解を示したうえで、韓国だけが被害者ではないという事実を突きつけて、ウンザリぎみのアメリカ人に韓国系の主張の偏りを悟らせる仕組みを組み込んでいる。

そして最後が秀逸なのだが、日本が戦後に行ってきた取り組みを紹介する中で、最近は自衛隊は国連の平和維持活動に参加しているが、「わが国の自衛隊は、派遣先で一度も人を殺したことはなく、また他国の国連要員によって引き起こされた性的搾取や虐待といった問題もありません」と締めている。

勿論、ナチスの残虐行為と慰安婦とが全く別物であることを説くことも忘れないが、全体的には抑えて感じで前向きな活動を一緒にしていきましょうというアピールが前面に出ている。

最後に大変面白い事実を述べて示させて頂く。5月27日の日本外国特派員協会での記者会見に対しては、翌日の新聞でケチョンケチョンに叩いたはずの朝日新聞や毎日新聞でのこの記事の扱いを見ると、全くのニュートラルな事実報道に徹していて、揚げ足を取ろうとはしていない。正直、これでは揚げ足を取れないと各新聞社は感じたのかも知れない。ないしは、新日鉄住金の裁判の話題があってからは、アメリカ国内で韓国の嘘がこれ以上まかり通らない様にと自制を効かせたのかもしれない。

どちらにしても、事実としては日本側の捻じ曲がった報道で邪魔されずに、ボールはストレートにサンフランシスコに飛んでいくことが出来た。どんなボールが返ってくるかが楽しみである。

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公平公正な松江市教育委員会のメッセージに気が付かない大新聞社の誤解

2013-08-22 22:13:52 | 政治
今日のブログは下記の石井孝明さんのブログの受け売りである。過去に私のブログでも取り上げたことがある方だが、非常に理路整然とした議論には頭が下がる。今回は彼のブログを思いっきりパクリながら、フォーカスすべきポイントを整理し直しただけなので恐縮なのだが、多くのマスコミが指摘しない非常に重要なポイントなのでこのブログの読者には再確認していただきたいと思い、敢えて書かせていただく。

アゴラ言論プラットフォーム2013年8月21日 石井孝明「『はだしのゲン』騒動のばからしさ

今日は、文科相までもがこの問題に参戦してきたが、相変わらず朝日新聞、毎日新聞、東京新聞などのお約束の反日的メディアを中心に「『はだしのゲン』の閲覧を認めるべき!」との批判を続けている。私も子供の頃に少年ジャンプを読んでいたことがあるので、「はだしのゲン」の刺激的なシーンを微かながら記憶している。生きている人の体に沸くウジ虫の話など、少々、小学生には刺激が強すぎるという感覚はあったが、閲覧制限を加える必然性までは感じるものではなかった。だから、私のこの様な微かな記憶と同レベルのお気楽な路線で、日本を代表する新聞社の記者も軽はずみな気持ちで「けしからん!」と書いてしまったのには理解できなくもない。しかし、この松江市の教育委員会の決定を報じた下記の中国新聞の記事にそのポイントは隠されている。

中国新聞2013年8月17日「『はだしのゲン』を閲覧制限

この記事は、これを書いた記者がその意味を理解して書いたかどうかは分からないが、非常に重要なポイントを明記している。それは、「松江市教委が『子どもの発達上、悪影響を及ぼす』と判断したのは、汐文社(東京)発行の『はだしのゲン愛蔵版』1~10巻のうち、後半の6~10巻。」という部分である。全体の一部だけを制限するのは見るからに不自然なので、普通であれば背景に何かあると感じるはずである。そこで、Wikipediaで「はだしのゲン」を調べてみた。

長々と書かれているが、この中の「作品史」の部分にその秘密が書かれている。つまり、要約すると以下のようになる。「はだしのゲン」は1973年から少年ジャンプで連載が始まったが、翌年の1974年に連載が終了となる。これは、少年ジャンプが読者の支持をうける作品に重きをおくことによるもので、作者の中沢啓治氏の意図による連載終了ではなかった。その後、北朝鮮をユートピアとして賞賛した大江健三郎氏などの絶賛などを経て、『市民』誌なる雑誌にて続編が連載されることになる。この雑誌でも連載が打ち切りになると、日本共産党系雑誌「文化評論」にて連載を継続し、こちらでも連載が打ち切られると日教組の機関紙「教育評論」にて連載されることになり、最終的に1985年に「第一部完」をもって連載終了となる(第二部は実際には連載には至らなかった)。汐文社では愛蔵版を10巻まで発行しているが、少年ジャンプで掲載された部分はこのうちの第1巻から第4巻まで。つまり、少年ジャンプのような一般大衆をターゲットとした雑誌に掲載された前半部分に対し、後半部分は出版社を転々とさせながら、より政治的な主張が強い団体の支持を受けながら連載を継続した事実がある。それは、作者の意図するものなのか、連載と引き換えに政治的な主張を高めたのかは分からないが、少なくとも松江市の教育委員会が貸し出し制限を加えた第6巻以降は、既に少年ジャンプの時代に読んだ作品とは趣を異にした作品と見るべきものであるのだろう。

調べてみると、荻上チキ氏のツイッターでは、この貸し出し制限を最初に市に要請した「一般市民」は、かなりノイジー・マイノリティの類の人らしい。松江市議会ではこれを審議し、この要請を否決したようだがその後に教育委員会が独自に評価を行い直し、その結果が第6巻以降に限定した貸し出し制限だという。繰り返すが、(私や多分朝日新聞の記者など、多くの松江市教育委員会の決定を非難する人達の記憶にあるであろう)少年ジャンプで連載された全ての巻(第1~4巻)とプラス1巻については、上述の中国新聞に寄れば閲覧制限はかかっていないという。この様に考えると、松江市の教育委員会は非常に適切かつ冷静な判断をしたと言わざるを得ない。所謂、商用ベースでビジネスになると判断してくれる出版社にて連載を受け入れてもらえず、(結果的には)根拠の乏しい非人道的な残虐行為の掲載や天皇陛下に対する罵詈雑言を浴びせることで連載を勝ち取ったその表現行為に対し、教育の場での公平性を求めることは極めて妥当だと言える。

先日のブログ「民主主義の限界」の中でも、中国、韓国と日本との決定的な差は「教育にある」と指摘させていただいたが、その教育とは過度の右傾化によるナショナリズムの否定の教育であるが、これは勿論、右への偏りが悪いだけでなく同様に左への偏りも同様に教育の場では否定されるべきである。この視点で見れば、私も全てを読んではいないがピックアップされた数ページを読む限りでは、「はだしのゲン第6巻~第10巻」は極端な左傾化を誘導する教育を目指したものであると言わざるを得ない。

感情論であったり、ないしは当初の私のようなお気楽な路線で批判するのであれば、それは一考の価値もないボヤキ以外の何ものでもない。大新聞の記者さんたちは、その点に気が付いているのであろうか?

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やられたら倍返ししてやろうじゃないか!!

2013-08-21 22:45:37 | 政治
少し前の記事であるが、最近、気になった記事がある。

産経ニュース2013年7月17「【正論】評論家・屋山太郎 韓国よ、『歴史の真実』に目覚めよ

この記事の中で、屋山太郎氏は面白い逸話を紹介していた。当時、外務省担当記者をしていた屋山氏は、「『日帝36年』の併合時代、酷い目に遭ったから賠償は当たり前だ」との韓国側の言い分に対し、「私は日教組教育を全身に浴びて育ったから、日本側代表が、『互いの財産を相殺すればそちら側が莫大なカネを払うのだゾ』と反論したのには仰天した。」と述べている。これは勿論、戦争終結により日本人が朝鮮半島に残してきた財産を意味し、GHQ調査で52.5億ドル、大蔵省調査で軍事資産を除き計53億ドルもの額となるという。日本が韓国に対して行った無償3億ドル、有償2億ドル、民間借款3億ドルの計8億ドルが当時の韓国の国家予算の2.3倍というから、53億ドルは当時の韓国の国家予算の約15倍に相当する。上述の「そちら側が莫大なカネを払うのだゾ」の意味はこの様な意味であり、日韓基本条約ではこの膨大な資産を含めて日本側が放棄することを条件に、「最終的且つ完全に解決している」ことに双方が合意したわけである。

さらにもう少しWikipediaなどで調べてみた。日本は本来合法的に韓国を併合して日本の一部として支配しており、戦闘状態にもなかったのだから放棄すべき筋合いのものではなかったが、米軍は「米軍政法令第33条(1945年12月)帰属財産管理法を公布」し、その中で「米軍政府管轄地域における全ての日本の国有・私有財産を米軍政府に帰属させる」としたために、敗戦国日本はアメリカに対してこの資産を放棄して米軍政府に帰属させた。しかし、その物理的な資産が全て韓国内にあったために、実質的に韓国政府がこれを管理し、韓国の復興に活用したというのが経緯のようである。日本がこの資産を米軍(ないしは韓国政府)に管理されるに至った背景はこの様なものであり、日韓基本条約の締結に当たってこの問題をひっくり返すためには、米国の帰属財産管理法を事前にひっくり返す必要がある。日韓基本条約が結ばれたのは1965年、つまり東京オリンピックの翌年であるから、高度経済成長の真っ只中で後ろ向きに生きるより前向きに生きるポジティブ思考から、譲歩すべき点は譲歩していち早く戦争から卒業するために、已む無く個人資産の放棄を選択したのであろう。

しかし一方で、そもそも論に帰って議論すればどうであろうか?

例えば、イギリスの植民地にあったインドが独立した際には、イギリス人の個人資産は返却された実績があるという。また、サンフランシスコ講和条約締結に向けた各国の駆け引きの中で、「(韓国は日本と戦闘状態にあったので)戦勝国の仲間に入れてくれ」と連合国に申し入れを行ったが、あっさりと門前払いを食らったという実績がある。両者を総合すれば、あくまでも戦闘状態にはなく、属国でもなく植民地でもなく日本と一体化していた韓国が再度、終戦と共に日本から独立したという史実を見つめ直せば、(国有資産は別としても)個人資産部分に関しては没収されて当然という話ではない。

今回、韓国で徴用工問題で補償要求を受けている企業は当然ながらその殆どが当時韓国国内で企業活動をしていたのだから、韓国に残した何らかの資産を没収されているはずである。だから、本音としては膨大な個人資産の返還を求めたいところではあるが、徴用工の個人補償の煩雑さを回避するために、日本政府の判断を追認したという背景があるのだろう。しかし、今回の裁判の結果はこの前提条件を覆すものであり、遡って当時の個人資産の問題に異を唱えるきっかけとしては妥当な出来事である。勿論、ポツダム宣言の受諾により無条件降伏をしたのだから論理的には何でもありなのだが、幸いにもアメリカという国は韓国と異なり日本と共通の価値観を共有する国であり、この個人資産の問題に真面目に取り組む可能性はありうる。

そこで、私は新日鉄住金ないしは三菱重工などの企業に対して提案をしてみたい。それは、アメリカ政府に対して当時の韓国内にあり没収された日本企業の個人資産の返還要求の裁判を起こすことである。繰り返すが、韓国国内での裁判ではない。アメリカ国内で裁判を起こすのである。当時の物価価値と現在の物価とを比較し、概ね10倍程度の格差があることを考慮すれば、53億ドルは現在の円換算で5兆円に相当する。個別の企業はその一部に過ぎないが、それらを個別に裁判に訴えるのである。

この裁判の意図は、決してこの裁判に勝ち、その資産を取り戻すことにはない。アメリカは当然、その資産は韓国に供与しているので裁判でアメリカ政府が負けて支払いの必要が生じれば韓国に支払いを求めることになる。韓国はこの賠償要請に絶対に応じないので、結果的には日本と韓国の間でデッドロック状態になる。つまり、万が一に裁判に勝っても資産は取り戻せない。ましてや、ポツダム宣言や日韓基本条約などの様々な足かせがあるから、裁判として門前払いとなる可能性も高い。70年近く昔の話と言うことも問題なのかも知れない。

しかし、アメリカのメディアはこの問題を間違いなく大々的に取り上げるだろう。そして、韓国政府は戦闘状態にない日本を相手に合計で国家予算の17倍以上の資産を取得し、漢江の奇跡を実現する一方で自国民に対する個人補償を放置した史実を伝えるだろう。人情的にも、国家間の条約で「最終的且つ完全に解決している」はずの問題を無理筋の超法規的措置で蒸し返された日本企業に同情するに違いない。各メディアはその韓国のせいでこんな裁判に巻き込まれて迷惑なアメリカ政府の立場を訴える際に、その矛先は裁判を起こした日本の企業ではなく、間違いなく韓国政府に向かうであろう。韓国側が日韓基本条約の見直しを図ろうとするのであれば、巡り巡って韓国側にもその返り血を浴びてもらおうという訳である。その声をアメリカを発信源になるように仕組むのである。これ以上イチャモンをつけると、本当に世界中から総スカンを食うのではないかという恐怖を与えてやるのである。これまでのロビー活動の成果も吹っ飛んでチャラにしてしまうのである。上述の「そちら側が莫大なカネを払うのだゾ」の言葉の通り、やられたら倍返しの原則である。

ちなみに、上述の行動は各企業にもそれなりのリスクが伴うから実際にそこまでのアクションを行動に移さなくても良い。単に、「当然ながら、その様な選択肢を視野に入れて対応を検討中!」と報道機関にリークするだけでも良いかも知れない。これを受けて韓国政府は、問題がアメリカに飛び火することを避けて、水面下で(公言しないことを条件に)徴用工への補償金を補填することを提案してくるかも知れない。これを受けるのも良し。それを暴露するのも良し。ないしは、最高裁判決がなされる前に三権分立も糞もない韓国ならではの対応策として、司法に行政サイドから圧力をかけるかも知れない。

シナリオは様々なものが考えられるのだが、そのいずれにしても悪い話ではない。物は試し、その様な話を報道機関にリークするところから始めてみては如何だろうか。実際にアメリカに裁判を起こすこともお薦めしたいところではあるが・・・。

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日本でのコリア・リスクは韓国経済にとってリスクそのものである

2013-08-20 23:58:57 | 政治
最近になって、新日鉄住金などの韓国での裁判の話題が紙面に掲載されるようになった。どうも共同通信が発信元で、それを受けて多くの新聞社が掲載したようだが、ここでは韓国の最高裁で敗訴が確定した場合には賠償に応じる意向であるとのことである。これを受けて新日鉄住金では否定するような短いプレスリリースを出し、「先般のソウル高裁の判決は、徴用工等の問題を完全かつ最終的に解決した1965年の『日韓請求権協定』、すなわち国家間の正式の合意を否定するなど不当な判決だと考えており、7月30日に大法院(韓国最高裁)に上告いたしました」と徹底抗戦の意思を示した。報道の示したニュアンスがミスリードするものであったかも知れないが、内容的には「最高裁で敗訴が確定した場合」の議論をしているので、産経新聞で詳細な解説があるように、「(1)判決確定前に和解する(2)確定判決に従う(3)判決確定後も支払いに応じない」の3つの選択肢のうち、(1)(3)が現実的な選択肢にないことを考えると、(2)に落ち着かざるを得ないという本音を誰かがオフレコで言ったのを、あたかも企業としての公式見解であるかの様な報道として発表してしまったというところだろう。

さて、この裁判であるが、たった4人への補償金が3500万円というから、一人あたりは900万円弱である。その後、三菱重工に対しても同様の判決が出ているが、話によればこの手の裁判予備軍となる企業は全部で299社ほどあって、そのうちの2社が先行して裁判になっているという。さらに言えば、韓国政府の「強制動員被害調査委員会」に被害認定を求めた元労働者は15万人を超えるという。単純計算をしても意味はないが、900万円弱を15万人に補償するとなると、総額は1兆円を超える計算である。実際にはその1割程度の額に収まっても1千億円であり、とてもではないがまともに払える額ではない。しかし支払わなければ差し押さえなどを受けて、実質的には引き続き韓国国内でのビジネスを継続できる状況ではなくなる。新日鉄住金にしても、多分、該当者がたった4人で終わりの訳がないので、ここで安易に支払いに応じることはできないので、本音としては上述の支払いに応じる(2)の選択肢しかないのは理解していながら、ありとあらゆる手段を考えて徹底抗戦することを考えているのであろう。

報道の中では日本政府が何ら動こうとしていないと批判気味な記事が見られるが、私の感触としては、最高裁判決が確定し、韓国政府が明確な態度を示すまではアクションを取り始めるのは筋が通らないので、虎視眈々と対応策を練っているというのが本当のところではないかと考えている。と言うのも、可能性はゼロに近いのであるが、最高裁が補償命令を出したとしても、それを韓国政府が「この案件は日韓請求権協定で『日本政府に代わり、韓国政府が韓国国民に補償する』と明確に定めているから、企業が被害者に補償金を払えば、その補償に対する補てんを韓国政府が行う」と巻き取る可能性が皆無ではないからである。これを突っぱねた時点で、日本政府としてはアクションを起こすGoサインが出たと見なすのであろう。国際司法裁判所での日韓請求権協定の有効性の確認訴訟を起こせば、韓国政府は竹島問題と違って裁判を拒否することはできない。法治主義の何たるかを世界に示す良い機会である。しかし、企業から見れば日本政府がアクションを起こそうが起こしまいが、既にチャイナ・リスクならぬコリア・リスクの高さを思い知らせるものだから、多くの企業が韓国からフェードアウトする流れは止められなくなる。言うまでもなく、韓国経済には思いっきり痛手となるのは間違いない。

面白いことに、韓国のサムスン電子のスマホGalaxyはドコモの2トップ戦略に抜擢されながら、大きなハンディを背負ったシャープに販売台数で負けているという。さらに、この後の冬モデルではドコモは2トップから3トップ戦略に拡大しながらも、サムスンはそこから脱落したという。韓国経済の牽引役であるサムスンですらこうであるから、その他の企業の動向は推して知るべしである。反日のお祭りは楽しいのだけれど、これ以上の火遊びは自殺行為と感じた産業界が朴政権を攻撃し出し、朴政権は益々窮地に立たされ、そこからの脱却のために更に過激な反日行動を迫られるという悪循環に陥るだろう。その時に、失業者があふれた韓国で高い支持率を維持するのは困難であり、そう時を経ないで失脚するのがありそうなシナリオである。同じ与党の李明博前大統領に対して退任後の糾弾を非情にも行ったことを考えれば、失脚後の朴一族は徹底的に汚職などを追及され、お天道様を見れない牢獄で長く暮らすことになるなどのおまけもついて来るかも知れない。

ただ、ちょっと気になるのは中国の方である。下記の記事が非常に気になるところである。

産経ニュース2013年8月18日「戦時徴用訴訟、中国も司法利用の動き 南京事件めぐり

ここでは、南京大虐殺の真偽の検証の中で、被害者の証言に疑問を持った人が、その証言の信憑性の低さを指摘する記述が掲載された本に対し、名誉棄損として南京の裁判所に提訴し、出版社側が出廷せずに裁判が確定したという話が取り上げられている。民事訴訟だから賠償判決が下されたのであるが、出版社は日本国内で活動しているために中国側の法執行が出来ない状況にあり、東京地裁にて賠償の強制執行を求める裁判を起こしたということである。中国の裁判結果が日本で執行できるためには、日本の裁判が結果が中国でも有効であるという「相互保証」の原則が日中間で有効か否かが判断材料で、過去の判例では無効との判例が出ているからひとまずは安心だが、しかし、この出版社ないしは著者が今後も中国には行かないという前提で安心できるのであって、この手の名誉棄損レベルであれば多くのジャーナリストや有識者や政治家に拡張することは容易である。それらの人が中国に入国された途端に強制執行されるとなると、それは結構なボディブローにもなりうる。韓国の様な組織鵜的な裁判ではなく、個人レベルでの裁判だからインパクトは小さいが、世界にその不条理さを訴えることが出来ないだけに意外にボディブローの様に効いて来るかも知れない。こちらは要注意である。

この様に、韓国および中国共に、反日を利用した許せない行為が横行しているのであるが、反撃のし易さで言えば韓国の方が圧倒的に反撃し易いと感じている。だから、新日鉄住金の最高裁判決が出るタイミングを見計らい、日本政府には一気に勝負をかけて秒殺を狙って欲しい。その韓国の凋落ぶりを中国に見せつけることで、上述の様な裁判に対しても何らかの抑止力が働くのではないかと思うから・・・。

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民主主義の限界

2013-08-19 23:30:01 | 政治
昨日のブログに対し、コメントとして以下の朝日新聞が相変わらず反日報道を繰り返しているとご指摘を受けた。

朝日新聞デジタル2013年8月18日「(ザ・コラム)フィリピンとの戦後 赦しの文化に甘えて良いのか
朝日新聞デジタル2013年7月27日「フィリピンで元慰安婦らがデモ 安倍首相訪問に合わせ

会員でないと全文が読めないので詳細は分からないが、私としては短絡的ながらそれほど悲観的なイメージは持たなかった。というのも、慰安婦問題や靖国問題などでは韓国や中国国内では当初はそれほど問題意識を持っていなかったところを朝日新聞などが強引に日本国内で炎上させ、その炎上が韓国、中国に燃え移るという展開であったのに対し、今回は韓国や中国での炎上状態を見て「それなら私たちも賠償金が貰えそうだ!」と感じた人が押しかけているという現地での展開を淡々と事実として日本国内で報道している様に見えるので、新聞報道としての悪意はそれほど強くは感じない。勿論、その様な賠償騒動の背景に怪しい反日の日本人や韓国人が関与していないかは、報道機関で細かくチェックして欲しいとは思うが、それを朝日新聞に期待するのは無理があるのでそこまでは期待しない。ただ、韓国や中国内での過激な反日行動を寛容に控えめな表現で扱うのに、相手が日本政府となると糾弾の厳しさが2桁ほど上がる状況は確かに相変わらずの状況であり、はなはだ不愉快と言う意味ではご指摘の通り私も同感である。

以下、話は変わって「民主主義の限界」について考えて見たい。

我々、民主主義国家では民主主義は人類が到達した絶対的な真理と考えている。多分、この考え方は正しいことに疑いは無いのだが、この処方箋は万能でないことも最近痛感させられている。この限界の背景にあるものは、民主主義の前提が「基本的な人権」や「自由」を人々が生まれながらに持っている絶対的な権利と考えているのに対し、そこに宗教が入り込むと、簡単にこの最上位のはずの前提条件が崩れてしまうことにある。最近のエジプト国内の内乱を見ていれば、1年前にアラブの春によって勝ち取った民主化の波が、完全に後戻りして思いっきり遠のいてしまった。何が問題かと問えば、キリスト教系とイスラム教系の間の宗教的なバックグラウンドの対立が、その主導権争いの中で最上位のはずの前提条件を簡単に否定してしまい、民主的な手続きで選ばれた政権を軍事的にひっくり返してしまったのである。もし「自由」や「人権」を大切に扱うのであれば、宗教に関係なく「それは間違いだ!」と人民が声を上げるのであろうが、その「そもそも論」を超えて宗教的な視点で自らの立ち位置を決めてしまうがために、事態はより複雑化してしまう。

この絶対的なはずの最上位の「自由」や「人権」をひっくり返す根拠は、必ずしも宗教だけではないことは注意すべき点である。つまり、ナショナリズムも同様の可能性を秘めている。言ってみれば、「自らの国家が唯一、絶対的な真理・価値」と信じだしてしまうと、それは「自由」や「人権」の上位を占めてしまう。中国、韓国の現状がそれであろう。権力サイドの人間は、「自由」や「人権」の更に上位概念として国家が存在することは好都合なので、このナショナリズムに火をつけようと試みる。それが徹底されてしまうと、いつしか中国国民も自らのことを「良識ある指導者の下で実現された民主主義」と勘違いし出すのかも知れない。

また、民主主義の原理原則によれば、手続きとしての公平性(選挙や国会における多数決の原理)は担保されているが、公平・公正な思想を強要したりはしない。極端に偏った思想は思想信条の自由で保証されており、その考え方が多数派を占めれば不公平・不公正な政策や判断がまかり通る。司法の世界では、本来は解釈の余地のないはずの明文化された法令に従い公平・公正な判断が下されるはずであるが、憲法を遥かに凌駕するナショナリズムの価値観により、裁判官の多数が「それで良し」と言ってしまえば何でもまかり通る。民主主義からの逸脱に対するブレーキになるはずの3権分立も、燃え滾るナショナリズムの火の前では無力なのである。そして、それが如何に怖いものであるかを実際に韓国は世界に知らしめた。日本国内では明治時代に、ロシア皇太子に対する暗殺未遂事件の犯人に対し、「処刑してしまえ!」という国内での圧倒的な民意や政治的な圧力に屈せず、裁判所では法律に基づき無期懲役の判決を下した大津事件という歴史がある。しかし、かの国ではそうはいかないのである。

このナショナリズムであるが、一部には日本も同様にナショナリズムの火が燃え滾っているいう意見もあるが、韓国、中国との決定的な違いは教育の中で火に油を注いでいるか否かの違いである。日本国内では、徹底的に反ナショナリズム的な平和教育を徹底しているが、中国、韓国ではその間逆である。特に、そのターゲットを日本に絞っているから、事態は更にややこしくなり、その他の国には比較的穏やかなのに日本にだけはナショナリズムの闘志を燃え滾らせる。

だから、我々は民主主義の幻想に惑わされてはいけない。韓国においても手続き的には確かに民主主義なのであるが、その民主主義は我々の知る民主主義とは明らかに異なるものである。つまり民主主義は万能な処方箋ではなく、ある種の条件が整って初めて我々の知る民主主義に辿り着くのである。我々の常識が世界の常識とは限らない。民主主義と言う、当たり前すぎる価値観も、意外に共通認識・常識を共有することはそう簡単ではない。多分、欧米諸国の人々であれば理解できるのであろうが、韓国や中国の人たちにはその違いが到底理解できないのだろう。

マスコミはこの点を買い被ってはいけない。現実の世界では、民主主義にはおのずと限界があるという現実が目の前にある。そして、それを丁寧に国民に伝えて行かなければならない。そして、その限界を打破するためには、その国内における「教育」が非常に重要な鍵を握ることも忘れてはならない。

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石原信雄元官房副長官を証人喚問してはどうだろうか?

2013-08-18 23:58:55 | 政治
昨日の私のブログの中で書きたかったことを、色々な所で別の表現で見る機会があった。

例えば今日の産経新聞の「産経妙」には、日本がアジア諸国から愛されている一方、「徹底的に反日教育を続ける3か国」からは例外的に嫌われていることが書かれていた。しかし、一旦「3か国(言うまでもなく、中国、韓国、北朝鮮である)」と言いながら、その後に訂正して正しくは「3か国半」だと指摘していた。残りの半か国とは日本の一部のマスコミを指している。日本のマスコミの中には、「嫌日」勢力が確実に存在しているというご指摘だ。

次なるご指摘は、猪瀬都知事に対する記者会見に関する記事の中で、猪瀬都知事は8月15日の靖国神社参拝をめぐる騒動については「メディアが原因」とご指摘している。つまり、靖国神社参拝を参拝する側に問題があるのではなく、種火の様な消えかかった微かな火の気の中にガソリンをぶち込み、大炎上させたのがメディアであるというご指摘であろう。こちらの方も、(ごく一部の超右翼的な政治家の行動を例外とすれば)マスコミの行動が現在の中国、韓国の険悪な関係を築き上げたA級戦犯であるというご指摘である。

これらのマスコミは、自らは正しいことをしていると確信しているのだろうが、例えば中学生の友達同士が普段の生活の中で、ついつい友達に対する愚痴を言ってしまったのに対し、それを大袈裟にもう一人の友達に告げ口し、更にそれに対して激怒している発言を最初の子の方に告げ口して大炎上させ、「殺すぞ、この野郎!」の様な過激な状況に追い込みながら、「私は二人のことを思いやって、事実を相手に伝えただけ」と開き直っている、そんな状況に近いのだろう。類似点があるかどうかは知らないが、先日起きた広島での16歳の専修学校生の殺人事件も、友人が自分の悪口をネットで流していると思い、それが悲惨な結末に繋がったのだろうが、仮に間で告げ口した人間が存在したとすると、上述の例え話をリアルにイメージできるだろう。確かに告げ口した人間には刑事罰や民事上の損害賠償などを問うことはできないだろうが、実際問題としてA級戦犯であることは容易に想像できる。

だから、この様なマスコミを何とかしてほしいところではあるが、悲しいかなこれが民主主義のコストであり、決してこの様なマスコミの発言を封じることを行政的、ないしは法的に執行することはできない。この様なマスコミが存在する以上、欧米諸国に対しては捻じ曲がった形でしか事実は伝わっていかない。その最たる事例が橋下大阪市長の慰安婦発言に関する多くのマスコミの捻じ曲げた誤報である。発信力のある橋下市長の発言権を封印し、政治的な抹殺を狙った悪意ある行動も、民主主義の表現の自由の中では止めることが出来なかった。

では、この様な事態の中でどの様にして世界に正しい情報を発信していくか?個別の情報発信も良いのだが、大抵の場合にはその情報としての訴求力には限界がある。例えば、朝日新聞はリベラルな新聞で、政府側の強権に立ち向かう正義感が強い組織と思われている節があるから、産経新聞の紙面(英字版は発行されていないので日本語のみ?)でどれだけそれに異論を唱えても、単なる右寄りの新聞社がほざいているぐらいにしか諸外国からは見えない。ましてや、個人のブログや単なる政治家の発信なども、その裏付けの様なものが同時に伝わらないから発信力が低い。だから、様々な形でのアプローチは必要である。最近では個別のロビー活動にも力を入れ始めたようだが、それだけでは相手がそこに投入する財力を考えてみれば不十分なのは明らかである。もっと、様々なアプローチを工夫してパラレルに行わなければならない。

そこでひとつの提案がある。河野談話の文案を作成する実働作業の最高責任者であった石原信雄元官房副長官を証人喚問し、そこで、あの河野談話の文案作成と発表に至った経緯を国会で語らせるのである。この証人喚問と言うのがポイントで、単なる国会答弁や参考人質疑とは異なる。ここでの発言には偽証罪が適用されるため、余程、偽証罪を覚悟してでも守らなければならないことがない限り、証言者は真実を語るものであると承知している。単なるテレビのインタビューとは全く異なるものである。単なるインタビューで首相が語ったことと、閣議決定がなされた決定事項・発言とが異なるのと同様で、証人喚問での発言は国際社会の中でもそれなりに重い意味を持つ発言と見なされる。だから、この場において「宮沢内閣としては、何とか国家の関与を示す証拠を見つけて謝罪したいとの意図を持っていた」、「しかし慰安婦に関する狭義の強制性を示す証拠は何一つ見つかっていない」事実や、「韓国から、ここで国家の関与を認める形での謝罪をすれば、それですべて水に流し、韓国国内での世論を上手くリードしてやる」的な要請があったこと等を洗いざらい語らせれば、慰安婦問題の真実はどうであるかは別として、国家として韓国に対する配慮、謝罪の気持ちが強くあったことを世界に示すことが出来ると思う。さらには、「狭義の強制性を示す証拠は何一つ見つかっていない」という事実を考えれば、ホロコーストと慰安婦問題を同一視するのであれば「その証拠を示すべき!」というアピールにも繋がるかも知れない。

自民党としては、身内を証人喚問するということは耐えがたきことかも知れないが、しかし、あの河野発言が導いた誤算の罪の重さを考えれば、河野発言の訂正を図ろうとするリスクの大きさも考慮した上で、「河野発言の真意」が何であるかを世界に発信するにはこれしか手がないのではないかと私は感じている。

安倍政権ないしは自民党執行部において、一考の価値がある提案ではないかと思うのだが・・・。

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謝罪するごとに関係が悪化する現実の振り返り

2013-08-17 23:56:51 | 政治
やっと、ここ数日の出来事を見返している中で、ちょっと面白い情報にであった。元ネタは8月16日のテレ朝の「やじうまテレビ」であるのだが、この中で時事通信社の田崎史郎氏が15日の日本武道館で開かれた全国戦没者追悼式での安倍総理の式辞の中で、アジア諸国に対する加害責任に触れなかった件に関する朝日新聞の報道の仕方について指摘していた。

新聞というものは夜中の12時頃に締め切られる初版の原稿に対し、午前1時半頃の最終版の原稿とは結構異なっていることが多い。それも第1面の構成を変えることも珍しくない。16日の朝刊の初版の原稿の見出しは「首相、加害責任に触れず」と大見出しを打ち、その横に小さく「式辞:追悼、国内向け重視」と書かれている。しかしそれが最終版では「首相式辞、国内に主眼、加害責任・不戦の誓い盛らず」となている。国語のテストではないが、これらの見出しの意図していることはかなり方向性が異なっているのは明らかである。初版の原稿では、明らかに「加害責任に触れなかったこと」を批判し、今まで通りに加害者責任に触れて謝罪を明確にすべきだとしている。しかし、最終版の原稿は、全国戦没者追悼式の本来の趣旨に照らし合わせれば、ここでの式辞は諸外国向けのメッセージと位置付けるべきではなく、そもそもは戦没者及びその遺族に向けたメッセージであるべきである。論理的には、その様に考えるのが正しい。ただ、そもそも論的な正しいことを横に置き、それを政治利用しようとするならば、ここで謝罪のメッセージを発信する選択肢はあり得る。しかし、それは論理的にはあくまで選択肢でしかなく、どちらの道を選択してもそれは批判されるべきものではないはずである。多分、朝日新聞の中でもこの辺の葛藤があり、見出しをここまでドラスティックに変えるに至ったのだと思う。

思い出せば、政治評論家の故三宅久之氏の言葉が以前、産経新聞の記事に載っていたが、その中で第1次安倍政権時の朝日新聞の論説主幹の若宮啓文氏は「安倍の葬式はうちで出す」と豪語し、安倍叩きに専念していたという。今はこの若宮氏はその職を辞し、現在は日本国際交流センターのシニアフェローである。この人が辞めて社内の空気が変わったのかどうかは知らないが、この版の改定の経緯を考えれば、少なくとも良心的な編集者もいるのかなと思う次第である。だからこそ、私は朝日新聞に問うてみたい。

現在、日本と中国、韓国とは(民主党政権時代よりはましかも知れないが)概して最悪の状態であると言える。この日中、日韓関係が大きく悪化しだしたのは1990年代以降である。それまでも良好な関係とは言い難かったかも知れないが、少なくとも今よりはましであったのは疑いもない。大平正芳元総理は、1979年にA級戦犯が靖国神社に合祀された報道の2日後(実際の合祀は前年)に靖国参拝を行ったが、中国も韓国もこれと言って騒ぎはしなかた。それ以降も、何人かの現職総理が参拝を行ったが、日本のマスコミで大きく盛り上がったために徐々に中国でも取り上げられるようになった。運悪く、中曽根元総理の時には、中国国内の権力闘争にこの手の問題が政治利用されそうになり、盟友である胡耀邦総書記の立場が悪化することを恐れて参拝を取りやめたりもした。胡耀邦総書記は中国の民主化を推し進めた良識ある指導者で、日本に対する理解もあったのであろうが、権力闘争において使えるものは何でも使うという悪意に満ちた世界の中では、彼の様な良心的な指導者は生き残れないのかも知れない。しかし、それでも冷戦の時代には微妙なバランスで何とか極端な反日行動は見られなかった。

それが、派手な反日活動に移って行ったその経緯を遡れば、多分、1991年の朝日新聞による慰安婦報道の誤報(過去のブログでも触れたが、読売新聞ですら朝日の報道を誤報と断言している)のあたり、ないしは1993年の河野談話あたりがひとつの節目になっているのは明らかであると思う。その後、自民党政権が崩壊し、細川政権を経て村山内閣が誕生した。社会党の党首であることからその特徴を出すことを意図して、村山談話が発表された。私は河野談話は明らかに誤りであるにしても、村山談話はそれなりに適切な判断であったとは認める。しかし、この様な談話が繰り返され、謝罪に謝罪を重ねるに従い、事態はどんどん悪い方向に流れて行くのは事実である。それは、政府や良識ある政治家が中国、韓国に対して誠意を示し続けている中で、報道機関はその事実を評価しアピールすることよりも、重箱の隅を突いて反政府的な報道を繰り返し、「日本は反省などしていない」というニュアンスを海外に発信し続けてきた。最近であれば、明らかに犯罪である在中、在韓の邦人に対する危害を加える反日行動を責めることなしに日本国内では控えめに報道し、日本人はこんなことでナショナリズムに火をつけてはいけないと戒めながら、日本国内の一部の右翼集団のアピール行動を「多くの日本国民はこんなに右傾化してしまった」と極悪非道の様に扱っている。これらの勢力と敵対する極左勢力とのつばぜり合いも起きている中で、何故か極左勢力に関する報道は「か弱い被害者」として扱う。これらをリピートする形で海外に発信され、結果的に「日本国内では韓国、中国の活動は問題視していないが、日本国内の右傾化は強く問題意識を持って捉えている」ということが事実の様に扱われてしまう。

その結果、中国、韓国は際限を忘れて過激なエスカレーションを繰り返す。アジア女性基金の様な地道な行動は評価されず、日本だけが悪者でナチスのホロコーストと日本はイコールだと刷り込みを図られている。どう考えても、この状態が改善するようなシナリオは描けない。総理、官房長官、外務大臣が靖国参拝を控えても、中国、韓国の過激な非難はどんどんエスカレートしていく。(論理的に不可能であることは横において)仮に靖国神社からA級戦犯を分祀しても、中国や韓国が靖国参拝を認めることなどあり得ない。慰安婦に謝罪して補償金を渡せば解決するかと言えば、「ならば、こちらも補償しろ、あちらも補償しろ!」となってエンドレスでないものねだりを繰り返す。竹島を放棄すれば、次は対馬をよこせという。尖閣を放棄すれば、次は石垣や沖縄本島をよこせという。結局、明確な謝罪をするようになってから、日本批判が強まったことは事実であり、この傾向が今後もエスカレートするであろうことは疑う余地もない。

勿論、謝罪があったから中国、韓国が過激になったというのは直接的な因果関係にはない。最も罪の重い戦犯は、韓国、中国での反日教育である。徹底的な刷り込みが、特に小、中学生レベルの子供を極右化させ、大人になって良識を取り戻して少しはましになるとしても、この様にして築かれた土台の上では、相手の謝罪を見れば更なる謝罪を求めるようになるのは人情であろう。だから、その様な意味でも、日本のマスコミの在り方は非常に重要であったと思う。無意味に中国、韓国が大喜びするような日本政府の足を引っ張る活動を喜んでしてきたことが、結果的に現在の劣悪な国際情勢を導いたことは疑いもない。慰安婦問題にしても、直接的な利害関係者の一方的な記事を裏取もせずに政府叩きに悪用し、その結果が今の状況である。是々非々で証拠ベースでの議論を前向きに行いましょうと建設的なスタンスで臨んでいれば、少なくとも今の様な事態にはなっていないはずである。日本維新の会の橋下代表の慰安婦発言にしても、もう少しフェアに報道を行っていれば、慰安婦問題の根本に触れる課題を正確に世界に発信できたかも知れない。しかし、嫌いな政治家を抹殺することを優先したがために、明らかに国益を損ない後戻りできない世界へと進んでいる。

今、この日本と中韓との関係を見つめ直した時、それが朝日新聞の求め続けてきた姿なのかどうかを私は朝日新聞に聞いてみたい。もし、それが望むべき姿でないのなら、誰がどうしていれば臨むべき姿になっていたのかを聞いてみたい。仮に、日本政府が罪と慰安婦の請求権を認め、謝罪と共に補償を行っていれば望むべき世界になっていたと思っているのか?もし、その様なことをしていれば、日韓基本条約と共に日本が支払った当時の韓国の国家予算の数倍の補償金を当時の韓国政府が個人補償に回さずにピンハネしてしまった責任を、新たに日本政府に求めてくるのは目に見えている。なにせ、反日教育は60年がかりでの国家戦略であり、慰安婦問題で謝罪しても竹島問題があれば慰安婦問題以上に韓国は強硬にならざるを得ない。そこで竹島を放棄すれば、先ほども触れたように次は対馬をよこせとなっていく。対馬を拒めば、現在と同様に反日教育を受けた世代がやはり過激な方向へと向かう。

この様に、多分、朝日新聞の思い描くシナリオの先には、日韓の友好関係など存在しないのは明白なのである。だからこそ、「(日本政府として)聞くべきことは聞く、しかし、言うべきことはちゃんと言う!」関係を確立していく必要があったはずである。マスコミであれば、「日本政府の間違っていることは指摘する、しかし、正しい行動には真っ当な評価を行い、諸外国に対してもそれをアピールする」のが筋である。しかし、少なくとも朝日新聞などのメディアにはその様な意図は微塵にも感じられない。

多分、朝日新聞などのメディアは火遊びが過ぎたのであろう。最近、中国や韓国の状態を見てそれに少しだけ気が付き、すこし真面目に考える気持ちが芽生えたのかも知れない。期待などできないのは百も承知だが、産経新聞や読売新聞が朝日新聞の慰安婦報道を誤報だと非難するように、相互のクロスチェックがもう少し過激に行われるような土壌が出来ないものかと考えさせられた。

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複雑な方程式を単なる1次方程式と勘違いするな!(オリバー・ストーン監督の発言から)

2013-08-16 23:59:48 | 政治
中々、夏休みで旅行に出かけると、ニュースなど見聞きする時間が無くなり浦島太郎状態になりブログがご無沙汰になってしまった。少々リハビリが必要だが、少しずつ世の中で何が起きているのかがつかめるようになってきたのでブログを再開したい。

まず復帰後のブログのネタとして最初に選んだのは、昨日のNHKニュース9におけるオリバー・ストーン監督の発言についてのコメントである。彼はアメリカ人にしては比較的珍しく、広島、長崎への原爆投下を不要とし、あくまでもソ連の参戦、ないしはその後の冷戦を想定したソ連への牽制(メッセージ)として原爆投下を決断したのだと非難している。この発言は、彼が先日、日本外国特派員協会で記者会見した際の発言でもあり、その記者会見ではニュース9での発言に更に加えて「日本はまず中国に謝罪することから始めるべきだ。中国で多くの罪を犯したことや多くの人を殺害したことに対して。そうすれば、中国は自ずとこれまでとは違った目で日本を見るようになる」、「米国との安保や地位協定から脱却すべき」などの発言も行っていた。この手の発言の共通する点を今日は指摘させて頂きたい。

まず、彼の根底にあるのは「世界平和」などの高貴なコンセプトであろう。その複雑な高次で非線形の連立方程式を解くには、アメリカの事情であったり、中国の事情であったり、イスラエルやイスラム諸国の事情などに関するありとあらゆる拘束条件を全て満たした解を見出すことが求められる。例えばオリバー・ストーン監督の母国であるアメリカ国内に目を向ければ、アメリカ政府の世界の警察、ないしは覇権国家としての地位を不動のものとするという野望を阻止するため、反政府的な活動を続けることが正義であると彼らは確信する。しかし、それはアメリカの事情に関するひとつの拘束条件に過ぎず、この条件を満足すれば世界平和が達成できるというような十分条件とはなっていない。例えば、前ブッシュ政権においては、イラクのフセイン大統領の暴走を防ぎ、大量破壊兵器の使用やテロ組織への支援を防止するために、イラクを成敗することが世界平和、ないしはもう少し下世話にアメリカの国益に叶うと多くのアメリカ人は確信していた。しかし、イラクの暴走を阻止するというのは単に一つの拘束条件にしかすぎず、実際にはイランの暴走も阻止するというもう一つの大きな拘束条件を同時に満たす解を求める必要があったのである。結果的に、イラクの衰退はイランに対する重石を外すことになってしまい、結果的にイランの核開発と中東地域での突出した強大化に繋がってしまった。ブッシュ前大統領がイラク進攻を決断した前後のイケイケ状態のときは、イランの方からアメリカに核開発の放棄を含めた譲歩案を示したとも言われるが、アメリカはイラクを抑えてしまえばイランへのプレッシャーも直接かけやすいと勘違いして、その絶好の好機を逃してしまった。方程式の拘束条件のひとつにこだわりすぎて、他の条件を無視して裏目に出た良い例だろう。

これは全く日本においても同様であり、前自民党政権時代に民主党が「アメリカ追従ではいけない!物言う日本にならねば!」と言い、政権を奪取してアメリカとの距離を置き、中国と急接近するに至った。確かに、アメリカの属国かの様な卑下した対応は宜しくないが、日米同盟を半ば否定し、中国が喜ぶことを何でもかんでもしてやりさえすればそれで世界平和が訪れるかと言えば、結果は真逆となってしまった。小泉政権時に小泉元総理が靖国参拝して中国や韓国との関係が悪化したと言われるが、実際には中国の方から首脳会談を求めてくるような状況であり、単なる政治的なポーズであったり国内向けのガス抜き工作であった。しかし、民主党政権の3年3か月の間に、中国、韓国(さらにはアメリカも同様だが)との関係は最悪とも言うべき状況になってしまった。自民党政権に変わり安倍総理の右傾化が指摘されたりもするが、民主党政権時代の関係に比べればまだまだましな方である。つまり、中国の顔色を窺えば、それによりアジアでの外交的安定性が増すという幻想は明らかな間違いであり、完全に覇権主義に走る中国とうまくバランスを取りながら、不安定平衡点ながら平和な状況を保とうとするならば、それは寧ろアメリカとの関係を強固にする方が方程式を解く上では厳密解に近い近似解を得やすいということを経験的に知った。

もう一度アメリカに話を戻せば、まずはアメリカ政府が襟を正すべきという路線は一見正しくもあるが、それにより他の拘束条件に悪影響を及ぼすのであれば、それは決して正しい選択とは言えないのである。つまり、あまりにも多くの考慮すべきパラメータが存在するとき、多くのパラメータを固定したまま一つのパラメータ(例えば、アメリカ国内でどの様な政治的活動をすべきかという選択)を僅かに変化させたとき、どちらに振った方がより平和に近づくか(逆の言い方をすれば、戦争から遠ざかるか)を評価し、一見、こちらの方が良さそうに見えても実際には裏目に出るから逆の行動の方が賢明である・・・などの政治的な判断をしなければならない。例えばスノーデン容疑者を例に取るならば、アメリカ政府の行動は決して褒められたものではないから是正されるべきだとは思うが、あの告発の結果、より悪質なサイバー・テロを隠れて実施している中国への追及は確実にし難くなってしまった。正攻法で中国にサイバー・テロを思いとどまらせることが出来なければ、アメリカは今後、より地下深くに潜航して情報を収集し、中国などからのサイバー・テロに備えなければならなくなる可能性がある。その結果は現在よりもワンクラス上の国家による監視であり、この次は情報告発者が出ないような鉄壁の守りを固めて監視活動を行うようになるのかも知れない。その世界はスノーデン容疑者が期待するようなユートピアの世界ではなく、寧ろ地獄と背中合わせの世界だと思われる。決して、彼はその様な世界を望んでいないのだろうが、結果としてはその様な世界へ誘導するきっかけを世界に提供する役割を演じたと見ることが出来る。

この様に、全ては一面だけを見て全てを語ってはいけない。オリバー・ストーン監督がもし賢明な人であるならば、私は彼に聞いてみたい。アメリカが広島、長崎に原爆を落とす必要がなかったというのであれば、それは論理的には原爆は罪のない民間人に対する無差別の大量虐殺を行ったことを意味するから、日本にはその虐殺行為に対する損害賠償の請求権が存在することを意味すると理解できる。即死者、ないしは短期間の死者だけでも20万人近い犠牲者を出したが、そこでは死ぬことがなく長期的な原爆被害に苦しむ人も含めれば多分100万人を超えるであろう被害者が存在する(ないしは存在した)。彼ら、ないしはその遺族が一斉に損害賠償をアメリカ政府に仕掛けたら、オリバー・ストーン監督はアメリカ政府はその賠償責任を認めるべきだと言うのであろうか?例えば着かえ目に見て、原爆での短期的な死者20万人に1000万円、残りの80万人に200万円の補償金を払うとすれば、総額3.6兆円の賠償になる。金額や人数の妥当性は怪しいが、兆単位の国家賠償を認める気はあるのであろうか?別に私は「原爆は必要だった」などという立場には決して立ちはしないが、「謝っちまえよ!」と安直に叫ぶ人が、その「謝る」ことの背後にある意味を理解して発言しているのかに関して私は懐疑的である。

オリバー・ストーン監督がどの様な意図で原爆投下の必要性を否定しているのかその答えを私は知らないのであるが、彼が同様に言う「まずは中国に謝罪すべき」という発言は、中国、韓国に対してこれまでの条約などを破棄して、新たに請求権を認め直すような行動を日本政府に求めていることと等価である。ないしは、中国に対して尖閣諸島を差し出せと言っているのかも知れない。しかし、それはこれまでの日本政府の行ってきた賠償や謝罪、民間レベルでの経済援助などの金額に換算すれば気が遠くなるような膨大な援助をチャラにした発言であり、中国側に関する事情を一方的に汲んだ発言でしかない。つまり、複雑な方程式の解を解く上で、たったひとつの拘束条件のみに着目し、それ以外の条件を無視した解というのは全く近似解としての意味を持たない。自己満足の解でしかない。
なお、以上の様に彼の主張には納得できない部分が多くあるのだが、しかし面白い発言をしていたことは特筆すべきである。というのは、原爆投下の必要性を当時のアメリカ政府は「戦争で死ぬことになる数千の米軍兵の命を原爆投下で助けることが出来た」と主張していた。しかし、それがオリバー・ストーン監督が学生であった頃には米兵10万人の命に膨れ上がり、さらに前ブッシュ政権下では米兵100万人になっていたという。これはまさに南京大虐殺の被害のインフレーションそのものであり、南京大虐殺での本当の被害者はせいぜい数千人であるという予測に繋がる。しかも、軍服を着ない民間兵は現在に至るまでゲリラ、ないしはテロリストと国際法で認められている事実を考慮すれば、捕虜として扱われずに殺害された民間兵がその程度の数に上ったことは容易に類推できる。彼にはこの様な視点で、歴史の精査を単なる戦勝国側の言い値、プロパガンダとは一線を画して証拠に基づき確認することの重要性を訴えてみれば良いと思う。

彼の様な著名人はその影響力が大きい。だからこそ、彼の様な情報発信者と根気強く対話し、彼の主張も理解する一方で、彼にも日本の真実を理解してもらう努力を続けていくべきなのだと思う。

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