けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

ストックホルム症候群から身を守るために

2013-03-05 23:59:56 | 政治
昨日のブログに対し、コメントが寄せられていた。昨日紹介した調教方式に屈する理由のひとつにストックホルム症候群的な要因があり得る(ないしは今後あり得る)というものである。個人的には精神分析など素人なので的確な回答は出来ないが、確かにそれと似た現象は容易に予想できる。細かなところでは素人であることをご容赦頂かなければならないが、せっかくなので今日はこの点に少し回答をしてみたい。

まず過去を振り返ってみよう。尖閣で起きた漁船衝突事件の際に、温家宝首相は国連で強烈に日本を批判し、さらに続けてレアアースの輸出禁止の措置を取った。これを受けて菅元総理はテンパッてしまい、仙谷元官房長官に責任を押し付けて海外に逃げてしまった。他にも中国相手のビジネスをしている企業の経営者なども、中国に対し毅然とした態度を求めるその当時の多くの国民や前原元国交相などを、あたかもストックホルムの事件において強行突入しようとする警官のように感じ、寧ろ中国に感情移入していた可能性は十分にあり得る。丹羽前中国大使なども、中国において事あるごとに呼び出されてぼろ糞に当局の担当者に言われる中で、日本側の強行な対応がなければ俺はこんな辛い思いをすることはなかった・・・と感じ、同様に中国に感情移入していた可能性も否定できない。そうでなければ、日本に帰ってきてまで動かぬ証拠のあるFCレーダ照射事件に疑念を抱く発言をしたりはしないだろう。この辺は、精神分析学的に厳密にストックホルム症候群に該当するか否かは別として、類似の症状と見なすことは十分可能なのだろう。

ただ、このストックホルム症候群(ないしは、それに類似の症状)が成立するためにはもう少し別の要因が必要なのではないかと思われる。それは大きく分けてふたつあるのではないか?
最も重要と思われるそのひとつは、極限的な状況に追い込まれた上で、且つ、自らの取りうる選択肢が調教方式に屈する以外にない状況にあるということである。もし取りうる選択肢が複数存在する場合には、ひたすら気持ちを落ち着けて冷静に最適な選択肢を選びだそうと考えるはずである。この過程においては、例えば警官の突入などの外的要因が自分の選択肢のいずれにおいてプラスに働くかを考える余地があり、必ずしも自分を窮地に追い込んだ犯人に感情移入をする必然性はなく、その他の選択肢により犯人を憎むことが可能なはずである。しかし、その選択肢がなくなると人々は自己防衛のメカニズムのひとつとして思考停止状態に陥り、選択肢がないことを当然の様に正当化するようになる。だから、この様な形で中国からストックホルム症候群的な状態に陥れられる被害者をなくすためには、より多くの選択肢を提供することが有効である。安倍総理の毅然とした対応は、中国に対しては次から次へと矢継ぎ早に繰り出される攻撃の芽を摘み、まずは極限的な状態に陥れられる可能性を低減するのに役立つ。さらに、民主党政権時代は政府自らが頬かむりして国民(特に中国在住の邦人や中国と向き合わなければならないビジネスマン)からの助けを求める手を振り払っていた状況に対し、現在は何かあれば安倍総理率いる日本政府に泣き付けば何とかしてくれるかも?という選択肢と希望を提供してくれている。これらは思考停止に陥ることを防ぐのに非常に有益な行動であり、明らかに3ケ月前までの状況とは異なっている。

ついでなので引き合いに出すが、下記の報道からは、如何に民主党政権が選択肢を放棄してきたかが伺い知れる。本来は国民に選択肢を提示すべき立場が、自らが思考停止に陥いってしまったのである。森本防衛相であれば適切な状況判断を出来たかも知れないが、多分、森本防衛相への情報統制・情報遮断なども行われていたのであろう。

産経ニュース2013年3月5日「『中国刺激するな』野田政権の尖閣での消極姿勢また判明

話がそれてしまったが、もうひとつの要因についても簡単に触れておく。これは私の思い込みではあるが、ストックホルム症候群的な状態に陥れられるのには、自分は被害者であるにもかかわらず、犯人達の心情や彼らが事件を起こさざるを得なかった理由に対し、何故か共感してしまう何らかの事情が必要なのだと思う。言い換えれば、見方によっては犯人も同様に被害者であると感じる背景である。常識的に考えて、我々はその様な背景を全く中国に対して感じることはあり得ない。しかし、日本の中にはその様に感じる可能性がある人はいるのである。それは、例えば親中派の加藤鉱一自民党元幹事長などが良い例かも知れないが、高度経済成長で急成長した日本に対し、第2次世界大戦の終戦前には日本や欧米列強に植民地化されたがために明らかに出遅れた中国に同情の念を抱き、先進国としてだいぶ先を独走している日本の優越感から、第2次世界大戦中の日本軍が行った行為に対する懺悔の意識が過剰に強くなり、中国に被害者ないしは弱者的な幻想を思い描いているケースである。20年前ならいざ知らず、GDP世界第2位となった中国にその様な幻想を抱く必要など既にない。しかし、政治家以外にも経団連の様な団体の高齢の幹部連中なども、同様な感覚を感じている人がいる。これらの人が政治や経済を牛耳っている限り、誤ったメッセージが発信されてしまう可能性がある。この状況の回避には、短絡的には政治および経済における世代交代が有効かも知れない。

以上、二つの要因を書かせていただいたが、その重要度としては最初の多数の選択肢の提供が明らかに高い。この様なことを冷静に考えてみるためにも、調教方式であったりストックホルム症候群であったり、実際に何が起きていたのかをもう一度冷静に見直すことは重要なのかも知れない。

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