けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

新型コロナのワクチン及び政策とその副反応/副作用について

2020-08-22 23:09:20 | 政治
21日行われた新型コロナウイルス対策の政府の分科会で、新たなワクチンが開発された後に、誰に優先的にワクチンを接種するかが議論されたという。西村経済再生担当大臣は、感染リスクの高い医療従事者や、重症化するリスクの高い高齢者などを優先する旨を発言し、これからこの手の議論が白熱化することが予想される。

もうすでに一部のワイドショーでは、この様なワクチンの危険性を声高に叫ぶ者もいるようで、安全性が完全に確認できていない段階でのワクチン投入に批判的な声も気行かれる。現時点ではその動向はそれほど目に見えたものではないが、今後展開されるであろう状況を予測しながら、本当の論点が何処にあるのかを考えてみたい。

話が長くなるので最初に結論じみたことを書けば、ワクチンや特効薬の議論をするのであれば、俯瞰的にメリット(効能)やデメリット(副反応/副作用等のリスク)を評価し、利益の期待値の最大化の観点で議論をすべきだと私は考えている。これは、実は新型コロナ対策の政策という薬に対する議論も全く同様である。ひとつの政策にはメリット(効能)とデメリット(副反応/副作用等のリスク)の両方があり、その両方を見比べて総合的に判断しないのであれば、致命的なミスリードにつながる可能性がある。

例えば、ある薬やワクチンを使用したことで、年間、1万人もの人の命を救うことができたとする。一方で、年間、10人程度の人が何らかの副反応を示し、死に至らないまでも数人が重篤化したとする。これは、犠牲者を1千~1万分の一にする効果を意味するが、日本では1万倍の人が死んでも副反応での被害者をゼロにすることを求める傾向がある。薬やワクチンの場合には、それを接種しなくても死なずに済む確率はある程度高いから、年間1万人の中の一人になる確率を許容して、年間わずか10人の中の一人になることを回避したくなる気持ちは分からなくもない。しかし、今回の新型コロナでは多かれ少なかれ全国民が何らかの影響を受けていて、意外に身近に多大な被害を被っている知人がいたりする。ここまで被害が身近になるのであれば、リスクとしての副反応/副作用と、メリットとしての効能を冷静に比較し、「リスクの程度×そのリスクの発生確率+メリットの程度×そのメリットの実現確率」としての期待値を最良にする政策(薬/ワクチンの活用も同様)を選択しなければならない時が来ている。

既にお気づきの方も多いと思うが、その典型的な例が子宮頸がんワクチンである。若年層の女性に行う子宮頸がんワクチンは、現在は殆ど実施されていない現状である。一時期、子宮頸がんワクチンの副反応によるものと思われる様々な障害を負うことになった女性達が話題となり、子宮頸がんワクチン撲滅キャンペーンの様なものがテレビで繰り広げられた。厚生労働省はワクチン接種を推奨するのを取りやめ、現在もその状況は変わっていない。しかし、世界的に見ればこれは日本に特異な状況で、この状況を打開すべく子宮頸がんワクチンの必要性の啓蒙活動を繰り広げていた村中璃子医師には、英科学誌ネイチャーなどが「困難や敵意にぶつかりながら、妥当な科学や公益に関する事柄の根拠を世界に広める人」を表彰するために創設したジョン・マドックス賞が贈られている。このことからも分かるように、極めて非科学的で非合理的な日本社会の動向は世界的にも違和感を持って受け止められているのである。

この子宮頸がんについて調べてみれば、平成26年度のデータではあったが、当時の年間の子宮頸がんの罹患者数は年間で1万人以上で、このうちの3000人弱が死に至っている。一方で、累積で340万人程度に子宮頸がんワクチンを摂取した中で副反応が表れたのは累積で1739人(0.08%)で、その後に回復が出来ずに後遺症を患っているのはその中の186人(副反応が表れた人の10.7%、全体の0.005%)である。未確認であるが、死亡した人がいるとの記載はなかった。子宮頸がんワクチンの安全性は徹底的に調べられ、実は子宮頸がんワクチン接種者の中で副反応を示す人の割合と、一方で子宮頸がんワクチンを接種していない者のグループの中で同様の症状を患うものの割合を評価した結果、そこに統計的な差を見出すことが出来ないという結論を下している。この統計評価から単純に結論付けることは出来ないが、ひとつの仮説としては「副反応と同等の症状を発生する時限爆弾を抱えた人がワクチンを接種すると、その時限爆弾が残り時間に関係なく爆発(つまり発症)する」とか、「ワクチン接種で副反応を発症するする人がいる一方、ワクチン接種で本来は時限爆弾を抱えていたのに、その時計が止まって発症せずに済んだ人がいる」というシナリオが予想される。副反応により運命の歯車を狂わされるのは心地よいものではないが、その気持ち悪さを嫌って、年間3000人の命を無駄に奪う(これらの人々や、その周りの人の運命の歯車を致命的に狂わす)ことを許容すべきという世間の空気をメスメディアが作り出しているという状況は到底受け入れられない。マスメディアは状況を人々に正確に周知し、そのうえで一人一人が判断すべき話なのである。誤った情報の洪水を垂れ流す現状は今すぐに変えていかなければならない。

今回の新型コロナウイルスのワクチンは、単に新型コロナウイルスにかからないためのワクチンとは意味が違ってきている。それは、単に一人が新型コロナにかかるかかからないかの議論ではなく、経済活動を再開させることができる状況を生み出すか、生み出さないかにもかかってくる。つまり、欧米諸国では多くの人がワクチン接種を行い、経済活動を再開させて景気が回復する状況に至ったとしても、日本国内では悪意を持ったマスメディアが子宮頸がんワクチンの時と同様に反ワクチンキャンペーンを張って、結果的にワクチン接種が普及せず、これが基で経済再開が遅れて世界中で一人負けの国となることを恐れている。

この辺の議論をもう少し丁寧に見ていこう。

物事には表と裏があり、表だけを見ていても、逆に裏だけを見ていても、全体を見通すことは出来ない。だから、薬やワクチンに関しては、表側の効能と同様に、裏側の副反応、副作用も合わせて議論の遡上に上げなければ意味がない。総合的に見た時の利益の期待値の最大化というものが何であるかを冷静に見極める必要がある。これは新型コロナ対策に関しても同様である。例えば、「ロックダウン」や「緊急事態宣言」、「過度の自粛」などは新型コロナ対策の処方薬であるが、これは人と人との接触を遮断することによる新型コロナウイルスの封じ込めという表側の「効能」が期待できる一方で、これには当然ながら裏側の「副反応/副作用」もある。テレビのワイドショーではこの表側の「効能」を科学的エビデンスに目を瞑って過大評価していたが、一方で、その裏側の副反応/副作用に関しては全くもって報道していない。

まず、この効能は本当なのであろうか?下記の記事の中の「活動制限と人口比の死者数の関係」のグラフが興味深い。

東洋経済ONLINE「日本ではコロナよりも恐慌を招くほうが怖い」

これはその他の記事でも良く取り上げれれているグラフで、横軸は各国の活動制限の強制力の強さで、縦軸が人口百万人当たりの死者数である。ぱっと見では右肩上がりのグラフかと思ってしまうが、よく見ると横軸と縦軸には相関がないグラフデアあることが分かる。つまり、人の移動を強制的に制限しても、あまり死者数に対して大きな影響は与えないということになる。つまり、ロックダウンには効果がなかったということ。本来は右肩下がりを期待してしまうが、実際には全くその気配は見受けられない。この様に「効能」のエビデンスはないと言っても良い状況である。

他方で、人の行動・経済活動を制限することに対する副反応/副作用については下記に良くまとめられている。

東洋経済ONLINE「コロナ恐れすぎの活動抑制は人口減を加速する」
枩村 秀樹 : 日本総合研究所 調査部長・チーフエコノミスト


まず、多くの方からもご指摘されている通り、景気の悪化は倒産数と失業率を高め、多数の自殺者を誘発することになる。失業率と自殺者の推移の相関は非常に強く、比較的好景気の昨年レベルで見れば自殺者は2万人を割り込んでいるが、リーマンショック後の不景気な時には3万5千人に迫る勢いだった。新型コロナによる景気の悪化は当初のうちはある程度は避けれないものであったが、一旦新型コロナが落ち着きを見せ、様々な対応のノウハウが蓄積された6月以降に関しては、この景気の下支えに対して選択肢が幾つかあったはずである。例えば、GoToキャンペーンの実施などは、極端に新型コロナの影響を受けた観光産業に、微力ながらのカンフル剤となり得る効能が期待できた。しかし、過度の自粛の強制をテレビのワイドショーと野党や一部の都道府県知事が求め、GoToキャンペーンは尻すぼみになった。しかし、新型コロナウイルス対策分科会の尾身会長が日本感染症学会で語ったように、GoToキャンペーンが本格化した8月上旬の時点で、既に新型コロナはピークアウトしているようである。7月の4連休でNY化するはずが、その様な気配は皆無なのである。実際、実効再生産者数も8月に入り、東京、大阪など主要な都市で1.0を下回っているし、その下落傾向は大分前から顕著であった。最近は情報が開示されるまでのタイムラグが短く、どうも3月の時点の第1波と最近の第2波の間には、傾向として大きな乖離があり、対応の仕方も大きく変えなければならないということは7月下旬の段階で明らかであった。にも拘らず、テレビのワイドショーでは連日、「てえへんだ、てぇへんだ!」を繰り返し、日本がこれから地獄の底に落ちると恐怖を煽りまくっていた。しかし、本当の恐怖は新型コロナによるものではなく、新型コロナによる過剰自粛が及ぼす経済の停滞やそれに付随する副作用なのである。

例えば、1000人程度の所謂新型コロナによる死者というのは、3/4以上が70歳以上の高齢者である。この中には基礎疾患を持つ者も多く、元々、ちょっとした風邪でも危険な人々も多く、通常であれば「天寿を全うした」とみられてもおかしくない人々である。しかし、先ほどの東洋経済ONLINEでの新型コロナによる経済停滞に起因した自殺者の予測では、20代から60代の自殺者が多く、当然かも知れないが80代以上の自殺者は殆ど見られない。これらの働き盛りの人々の死は決して「天寿を全うした」ものではなく、高齢者の僅かな新型コロナ死を救うために過剰な自粛を強いて、結果的にその何倍、場合によっては10倍以上の若者を死に導くというのは本末転倒である。薬の処方の効能だけに着目して、その何十倍も大きい副作用に目を瞑るという、信じがたい行動である。さらに言えば、新型コロナに注意が集中しすぎて、例えば癌などによる死者が増大する傾向も容易に予測できる。医療資源が枯渇して手術が先送りされる話はよく聞くが、新型コロナ自粛で人間ドックなどの検診を控える人が増え、これが癌の早期発見を阻むことになるのかも知れない。さらに恐ろしいのは、景気の停滞で結婚者数が減り、出生率も大幅に下がることで少子高齢化が大きく加速するという点である。これは国家の滅亡にも直結する。

この様に、本来は新型コロナ対策は俯瞰的に全体を眺め、総合的な視点で対策を講じるべきであるが、テレビのワイドショーが誘導する方向はこの真逆である。前出の村中璃子医師は、今回の新型コロナ騒動でも冷静なコメントをしている。

デイリー新潮「コロナ禍で「日本はニューヨーク化する」とは何だったのか」
BLOGOS「【新型コロナウイルス】村中璃子氏が明かす「誰でもPCR検査」の弊害」

つまり、物事を俯瞰的に見て総合的な視点で議論できる人は、どの様な問題でも適切に判断することができるが、短絡的で近視眼的な人は、目に飛び込んできたものだけに注意が集中して、誤った判断を下すだけではなく、多くの人をミスリードすることにつながる。

これは肝に銘じて注意しなければならない。

今回の新型コロナのワクチンに関しては、その緊急性に鑑み、所謂120%の安全性確認は求められることなく、世界的にこのワクチンを見切り発車的に使うことになる。製薬会社も、その様な見切り発車による副作用の訴訟を回避するため、ワクチンの提供を各国政府にする代わりに、副作用の問題が起きた場合の補償を政府が肩代わりすることを求めていたりする。このワクチンは世界中で開発されているから、それらは玉石混交状態で、筋の良いものも悪いものも混在している。比較的日本や欧米型のものは素性が良いと期待されるが、実際のところは相当数の接種後でないと分からない。実際、世界一番乗りと言われるロシアのワクチンは、ワクチン接種後に38度程度の高熱を出す者もいるようである。インフルエンザワクチンでは聞かない話である。この様な状態だから、日本国内でのワクチン接種が始まったら、「接種後、1か月以内に(直接新型コロナとは関係ない)何らかの理由で死亡し、後で新型コロナ感染が確認された」などという事例が散見されることは想像に難くない。そのような時に、「やはりワクチンなんて時期尚早だったんだ!」と言い出す者が多数出てくるのは容易に想像できる。

しかし、その様なメディアに流されることなく、毅然として「違うだろ!」と言い返せる理解力が多くの人に必要である。そのためにも、物事の表の部分と裏の部分を俯瞰的に見る習慣を身に着ける必要がある。

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