けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

一票の格差とは何か?

2013-03-16 23:58:07 | 政治
今日のブログのタイトルは「一票の格差とは何か?」である。分かり易いようでいて、様々な解釈のしようがある概念かと思う。憲法で保証された法の下の平等に直結する話だから非常に重要で、多分、その道の専門家であれば既に結論が出ているのかもしれないが、素人なりの問題提起をしてみたい。

まず、昨年末に衆議院の解散に至る際に、野田前総理が安倍総裁に「選挙制度改革の約束をすれば解散する」と言って、約束の下で解散に至った。これは衆議院の一票の格差の問題があるから、最低でも0増5減の定数是正を行いながらも、国民に対して身を切る痛みを分かち合うために、国会議員の大幅な定数削減の必要性を説いたものである。だから、5議席減では国民に対する約束を守れないというのはあるのだが、まず大前提となるのは憲法違反である「違憲状態」の解消が最大の必要条件となる。だから、仮に定数が削減されても、「違憲状態」のリスクを引きずったままの選挙制度改革では意味がない。

そんな中、現在、国会内で検討されている最有力候補である案は、比例代表の枠を第1党を除外した第2党以下で優先的に配分する一部連用性である。自民党の伊吹氏はこれを憲法違反の可能性があると指摘しているが、裁判所が違憲判決を下すその様なリスクを伴う制度であることは間違いないだろう。通常の1票の格差ならばある程度不可抗力的なグレーゾーン的な部分を残すから「違憲判決」でも選挙の無効判断にまでは至らない。これは、1票の重みがMaxとMinの比の程度が問題であって、原理原則的に全ての重みを均等にするには完全比例代表制しか解はない。だから、あくまでも程度の問題としての「違憲判決」なのあるが、連用性の違憲性は仮に判決が下された場合にはその選挙制度、すなわち制度を規定した法律そのものが違憲であり、これはグレーゾーンを伴わない完全「白」「黒」の世界なのである。極めて政治性が高い問題としての判断で、敢えて無効判決までは踏み込まない可能性はあるが、その様なリスクに踏み込むのは如何かと言わざるを得ない。そもそも違憲状態を回避するための議論であったはずなのに、その辿り着く先がよりリスクの高い「違憲状態」であっては議論の意味がない。だから、元々は何をしたかったのかを考える必要がある。

ただ、問題が複雑なのは、(比例代表制を除けば)あらゆる選挙区制度は原理的に(且つ統計的にも)投票数に比例しない議席数を与える制度とならざるを得ない。弱小政党に不利という批判は分からなくもないが、仮に中選挙区制であっても程度の差が変わるだけで、ある程度の得票数を得ながら議席につながらず死に票となる票は避けられない。これが嫌なら衆参共に完全比例代表制にしなければ解決しないが、では比例代表であれば得票数に比例して国民の意見が反映されるかと言えば、そう単純ではない。政策決定というものはAという政策の支持率がx、Aに反対するBという政策の支持率が(1-x)だからと言って、選択される政策をxA+(1-x)Bとする訳にはいかない。勝者が総取りというルールが最後に適用されるのが民主主義のルールである。これを「けしからん!」と言う人がいるのも事実だが、その様なことに過剰に遠慮すると「決められない政治」という最悪の事態を導くことになる。日本維新の会の橋下共同代表なども、「最後は選挙で選ばれた最高責任者が決断せざるを得ない。その決定に不服ならば、国民は次の選挙で鉄槌を食らわせることができる。それが民主主義!」と言っているが、まさにその通りである。

ところで、この辺の議論を見ていると、安倍総理のリーダーシップが中々選挙制度改革では表に出ない。違和感を感じるのであるが、これが民主主義とも言える。三権分立とは民主主義を実現する上での最大のツールであることを我々は経験則で知っている。中国に民主主義がないのは三権分立が三権集中になっているからである。しかし、この三権のうちの司法は分かり易いのであるが、「行政と立法」の関係は乱暴な言い方をすれば「総理と政権与党」の様な関係にあり、この独立性の意味が微妙である。総理は与党自民党の総裁であるから、党の決定の最高責任者であるべきだが、一方で行政の最高責任者だからこれが一体化すると二権の分立制が担保できないことになる。だから、じれったいと思いながらも、総理は総裁としての権限(リーダーシップ)を振りかざすのではなく、幹事長と党の政策決定プロセスを黙って見守るしかない。

しかし、リーダーシップからかけ離れれば、「船頭多くして船山に登る」のごとく、向かうべき方向は迷走する。例の連用性の優先枠が、当初30/150だったのが自民党内で40/150になり、党の最終案では60/150まで増えている。プレーヤーが多くなればルールが捻じ曲げられていく様子を見ているようである。そもそも、行政の長である総理大臣は国会議員である必要があり、その国会議員を選ぶルールを国会議員が決めるというのは、そもそも論的に個人ベースでの損得論が優先されやすいから最善の方法を選べない可能性を高めることになる。であれば、利害関係を排除して(憲法)学者や有識者などを集めて広く国民的な議論を行い、その結果としてあるべき選挙制度を決めていくのが筋である。この筋を通せない理由は何かと言えば、最初の野田前総理と安倍総理との約束にあり、どうしてもこの通常国会中に何かを決めなければならない。

ところが、そもそもの出発点に戻り、何を本当はしたかったのかと言えば、それは目先の選挙制度改革などではなかったはずである。出発点はふたつあり、「1票の格差是正」と「国民に痛みを伴う身を切る努力を見せる」ことであった。この後者は翻訳が必要であり、つまり国会議員の歳費を減らすことを意味する。であれば、仮に現時点で国会議員のうちの比例代表枠を180から150にしたいのであれば、次回の衆院選挙からは衆議院の比例代表選出議員だけ歳費を150/180(=83%)にカットすれば、さしあたっては議員数を減らさなくても同等の効果を得ることができる。仮にこれでは議員活動に支障が出るというのであれば、議席数は比例代表のルールで党が獲得するが、実際の議員数はその獲得数より少なく設定して、国会で何らかの投票行動を伴うときは、その差分を党執行部が指名する事務的な担当者に党の指示に従い投票を行わせれば、結果として議員一人当たりの歳費は減らない様に調整できる。お金を除けば議席配分は現状維持だから、特に反対が出る理由はないだろう。だから、この通常国会でその程度のルールを決議してしまい、速攻で有識者会議を立ち上げてタウンミーティングなどでも国民の意見を吸い上げ、それをまとめたものを政府が代表して法案として国会に提出し、それを国会議員が議論すればもう少しましな議論や根本的な解決ができるだろう。

今の選挙制度議論の状態は、自民党内でも極めて民主党的な議論の仕方の様に思えてならない。ただ、民主主義のコストは中々安くはなく、リーダシップを持った安倍総理も耐えるところは耐えながら、戦略を地道に練って思った方向に誘導する策を考えなければならないのだろう。「まずは、比例代表枠の歳費17%カットから始める」ではダメなのか、試しに誰か言ってくれはしないものか・・・。

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