けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

韓国中央日報の右往左往(対馬の盗難仏像返還問題)

2013-09-30 23:58:48 | 政治
いったいこの人達の精神構造はどうなっているのだろうか?まずは韓国の中央日報で繰り広げられた、1日おきに展開される記事を順番に見ていただきたい。

2013年09月28日中央日報「<対馬の仏像窃盗>日本政府の返還要求は正当か
2013年09月29日中央日報「【社説】浮石寺の仏像返還、理性的に対処せねば=韓国
2013年09月30日中央日報「【取材日記】韓日文化交流の足かせとなる日本の強引なやり方

私は9月27日に下村文科相が韓国側のカウンターパートである劉震龍文化体育観光相と会談した際に、「長崎県対馬市から盗まれた仏像2体の返還を(下村文科相が)要請し、劉氏は韓国政府として返還に向けてきちんと対応していくと応じた」というニュースを聞いて、韓国側ではどう扱われているのだろうと気になり、報道の推移を見続けていた。外国の報道の日本語版を介して情報判断をする手前、少々のタイムラグがあるのは仕方がないということで様子を見ていたのだが、上述の様に9/28には単純に事実を報道し、国内の反応を探っていた感がある。しかし、その報道に対する国内の反発がそれほど大きくなかったのか、(韓国文科相はこの時点で批判の声を恐れて後ろ向きの弁解に走り始めていたのだが)中央日報編集部は日本に返却すべしという発言をアシストする意味で9/29に正論を「社説」として掲載した。しかし、社説でそこまで書かれると「ふざけんな!この野郎!」との爆発的な批判が新聞社に寄せられたので、バランスを取るために9/30には下村文科相を極右の極悪政治家と断定し、しかも下村文科相が日本のマスコミと結託して韓国文科相を陥れようとしたと韓国文科相を擁護をしだしたという流れが感じ取れる展開だ。

ちなみにこの一連の流れを考える時に、この中央日報のスタンスと言うのは過去の記事の中からも知ることができる。

2013年1月30日中央日報「<対馬の仏像窃盗>返すべきか…『その前に流出経緯の確認が必要』

この中で、「文化財庁は(2013年1月)29日、『この仏像が日本に不法的に渡ったという証拠は探せない。略奪の根拠がない場合は、関連法令に基づき仏像を日本に返さなければならない』と明らかにした。」と正論を語っている。ただし、この様な国際標準を尊重するにしても国内世論は無視できず、「韓日両国の共同調査を通じて仏像の伝来過程を明らかにし、調査期間中はユネスコの仲裁を経て第3国に遺物を預ける案などを検討してみる必要がある」と述べる者もいるとしている。重要なのは略奪の証明だが、「問題はこれを立証する資料が残っているかどうかだ。文化財庁は1980年代から収集した資料をもとに計14万9126件(2013年1月基準)の海外にある韓国文化財を把握しているが、今回日本で盗難された仏像はこの目録に載っていないという。」と書かれているから、中央日報のスタンスとしては、(証拠がない以上は仕方がないので)この仏像は遅かれ早かれ、日本に返却されるべきものであることを悟っている節がある。

ところで、もうひとつの正論についても考えて見たい。以下は例え話である。50年ほど昔、ある人の所有物であった財宝が、気がついたら別の人の所有物になっていたとする。元の所有者の元に財宝があった時代の当事者は既に他界した後で、何故、新しい所有者に財宝が渡ったかの真実が不透明な状況で、その財宝の返還要求がなされたらどのように扱われるべきかという問題である。重要なのは上述の中央日報の論調にもある通り、別の人の所有物として長い年月が経過して、その間、何ら返還の要求や盗難届けすら出されていなかったという点である。この状況では当然、所有権は現在の所有者にあるのは誰にも疑う余地がない。しかし、仮にこれが盗難されたものである証拠があったとしよう。その財宝を盗んだ者(実質的にはその子孫などの相続者)がその財宝を所有していた場合、時効とかの細かい規則を横に置いておくとすれば、現在の所有者側が盗んだことを証明できれば返還要求は法的に見て妥当なのだろう。しかし、通常の民法であれば、善意の第三者が盗品を盗品と知らずに購入した場合、その善意の第三者の所有権を侵害して強制的な返還行為を行うことは許されない。つまり、国際的な基準に照らし合わせれば、韓国側がその仏像の所有権を手にするまでには、単に盗まれた経緯が何処かに記録があってもそれだけでは不十分で、その仏像を現在所有しているお寺側がその当時の盗難に加担していたことを証明しないといけない。この様に2重、3重のハードルが存在するはずである。その仏像が盗難されたことを証明し、その盗難の実行犯と現在の所有者の先祖がつるんでいたことを証明し、さらに時効的な概念を考慮した上で当事者間での合意を得る必要があるのである。もともと、朝鮮半島では仏像などを排する動きがあり、倭寇とかとは関係なく仏像を寺から略奪したり、ないしは毀損されることを避けるために寺から別の場所に避難させたりと、不穏な動きが多々あったと聞く。特に毀損されることを避けるために寺から別の場所に避難させたケースでは、ほとんどの場合には記録に残らないだろう。ここでは、この仏像を大切に扱ってくれる第3者に仏像を託すことが予想されるから、その一環として日本に渡ったことは容易に予想できる。もちろん悪意の略奪もあったのは間違いないから、その様なケースにおいて盗難の経緯の全てを克明に記録し、そこに記載の仏像が今回の仏像であると断定できるだけの十分な証拠が存在し、しかも日本に渡った経緯と日本の寺院が取得した経緯の全てが記された証拠までも存在し、その一貫的な違法性が確認できなければ、(その後の交渉の余地は認めるとしても)まずは日本に仏像を返還するのが筋である。多分、上述の1月の記事や9/29の記事を書いた記者はその様な常識を持っていたのだろう。

しかし、これだけの正論の上に立った韓国文科相や上述の韓国文化財庁の考え方に対し、それを一旦は社説という形で「返還すべし」との論調を張りながら、国内世論が良からぬ方向に向かうことを恐れてポピュリズムの紙面編集に走る。さらに論理的な議論で戦えないことを知った上で、ゲリラ戦に持ち込むための無茶振りな論調を平気で掲載する。この中央日報の態度は、既にジャーナリズムの正義の体をなしていないのであるが、それよりも面白いのは、多分、中央日報の社内には常識を少しは理解する良識派と、完全にポピュリズムに走る極右(極左?)のナショナリストが混在し、双方が綱引きをしながら一進一退の攻防を繰り広げているのだろう。これらの記事のぶれ方は、まさにその証拠の様に見て取れる。

多分、この様な新聞記事のぶれ方は、そのまま朴槿惠大統領や閣僚のブレにと伝染する。韓国の外相も相変わらずの状況だから、朴大統領も正論に返ってくる日は遠いだろう。日韓首脳会談は少なくとも1年間はなさそうだ。しかし、韓国経済や北朝鮮情勢はそれだけの期間、待てるとは思えない。既に北朝鮮と同様に時限爆弾がカウントダウンしている様な感覚を覚えるところである。爆弾が破裂して泣き付いてきても遅いのである。

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最大の「ブラック企業」対策は経済再生である!

2013-09-29 19:00:39 | 政治
先週金曜の朝まで生テレビのテーマは「激論!雇用と若者」ということで、実質的には「ブラック企業」についての様々な議論が行われた。今日はそこでの議論をベースとして、自分の頭の中で整理してみようと思った。

まず、番組をご覧になった方は感じたと思うのだが、非常に面白い議論であった。弱者の立場に立った弱者救済を掲げることで如何にも「正義の御旗」を勝ち取ったかの様に振舞いたいマスコミなどにありがちな議論がある一方で、個別の主張に対して「それって本当?」というシンプルな疑問も湧く。総論的に「ブラック企業」の範囲を広げて、あの企業もこの企業も「ブラック」として日頃の不満をぶつけたい側と、もっと核論にこだわり個別のケースで是々非々を判断したいと考える側もある。政府にしても企業にしても、100点満点はない中でどの様にアプローチを最適化すべきかと言う議論と、100点でないことが問題だからもっとラディカルに革新すべきという議論もある。

ここでの議論では、固有名詞を出すのがご法度とされていたので、素人的には具体的にどの企業のことを言っているのか分からない部分もある。だから、ここでNPO法人POSSE代表の今野晴貴氏が言っていた様な事象が本当にあるのか否かは良く分からない。彼が「ブラック企業」の定義としていたのは、「1年ないしは2~3年で50%程度の人が離職し、その背景に精神的にも体力的にも短期間で使い尽くすことを前提に新入社員を募集し、ボロボロになったらまた次の社員を大量に雇い、辞めざるを得なく追い込まれたときには精神疾患にもなって一生働けないほどの状態になる企業」が「ブラック企業」であり、社会的にも大企業・有名企業と認識されているところにその様な企業が多数存在するという。私の感覚では、中小企業レベルでは様々な悪どい会社が存在し、それらを「ブラック企業」というのは分かるのだが、大企業でありながら「ブラック企業」というのはピンとこなかった。勿論、例えば某ハンバーガーショップなどでは、サービス残業が指摘される昨今、そのサービス残業の呪縛から逃れる抜け道として社員を管理職徴用(具体的には店長)し、高いノルマを与えてボロボロになるまで働かせる一方、店長としての裁量を与えずに単なる非管理職の単純社員扱いをしていたという話は聞く。しかし、これらは労働基準法などの法律を精査し改定していくことで、実質的には排除できるはずの話で、その点は弁護士の永沢徹氏なども「ブラック企業として問題視するのか、犯罪行為として問題視するのか?」という視点から、「ブラック企業」と特別視することに対しての疑問があった。

しかし、先出の今野氏は「ブラック企業の問題は、単なる労働基準法で取り締まれる様な単純な部分だけでなく、労働契約法とか別の視点で問題視すべき部分がある。例えば、うつ病になるほど追い込まれる社員がいる一方、それに順応してしまい勝ち抜く社員もいるために、実際にそれが犯罪行為と見なされるべきものか否かは裁判を行って確定判決が出ないと難しい。普通の弱者は裁判に訴えようとは考えないので、その犯罪行為が表に出ることなく闇に葬られてしまう。」と問題の複雑さを指摘する。

しかし、ここで新たな疑問も湧いてくる。精神的にボロボロになるのであれば、何故にその前に会社を辞めないのかと言う点である。その点を鋭く切り込んだのが武蔵野学院大学SMB研究所所長の松田元氏であり、法的に違法として取り締まることすらできない「ブラック企業」が存在するなら、さっさと見切りをつけて社員が大量に辞めてしまえば、新卒採用のコストが実際には相当な額(ドリームインキュベータ会長の堀紘一氏は、自社の採用にかかる費用は一人当たり400万円とまで言っていた)になるので、その様な企業の生産性はお幅に低下し、結果的に自然淘汰されていくという。だから、今野氏の様なNPO法人の活動により、潰れるまでに10年かかる悪徳の「ブラック企業」を3年で追い込むことが出来るかも知れないからNPO法人の活動は応援するにしても、それ以上に過大に囃し立てて淘汰されることもない「一般企業」の幾つかに白羽の矢を立て、その様な企業を追い込むことに関しては「それで良いのか?」と疑問に感じるという違和感を提示していた。

例えば、先日シャープとの提携で取りざたされた超々大企業の台湾の鴻海精密工業などでは、そのやり手の会長は重役のトイレで部下がオシッコをするのを眺め、正常な色の尿を見ると「血尿が出ない程度の働きではダメだ!」と罵倒するのだという。この様なワンマンな無茶な会社をマーケットから退出させるべきかと言えば微妙だろう。工場で働く作業員一人一人にそこまでの労働を強いるのではなく、重役クラスに強いるのであればそれだけのスキルがある人は、耐えられなければ十分に転職が出来るのだから。同様に、私の知り合いでも転職した人がいるが、マッキンゼーの様な会社は殆ど3年もすると転職するのだという。しかし、転職というのはあくまでもステップアップであり、その踏み台としてスキルを身に着けるのを目的として、超ハードな日々に覚悟の上で飛び込んでいくのだという。この様な離職率の高さは当然ながら問題とはならないし、そこで長時間労働を強いられたとしても、明文化されていなくてもそれが当初の契約の条件であったりするのだから。しかし難しいのは、最近では教師の中でも就職して数年で鬱になったり、自殺に至ったりするケースがある。これは、教師という職業は自分が学生時代に散々見てきた職業だからある程度は予想がつくが、一方ではモンスターペアレントや荒れたクラスでの言うことを聞かない生徒の存在などの思いもよらない展開により、期せずして鬱や精神的な追い込みに至ることがある。ある程度の個性がある先生でれば、その人間的な魅力で生徒を十分にひきつけ、モンスターペアレントを上手く手なずけることもできるかも知れないが、殆どの先生にはそこまでの才能などないだろう。私が子供の頃であれば、親の方が子供に対し「先生が言うことには絶対服従」という暗黙の圧力をかけていたから良いが、現在では昔ほどレベルの高い選別にかけられて教師になっている訳ではないから、権利の主張を覚えた我儘な親の増加に伴って、教師は不遇の時代にあるという。これをもって、教員も「ブラック企業」かといえば誰もそうは思わない。また、楽天などでは社長の三木谷氏が社内の会議を全て英語で執り行うと決めたそうだが、そんなことになったら英語が苦手でノイローゼになる社員も出ておかしくないと思うのだが、その際には楽天も「ブラック企業」と言うべきかといえばそんなはずはない。

この様に考えると、労働基準法で取り締まれない「ブラック企業」というものの扱いは極めて難しいものがある。「泣き寝入り」を許さないための裁判に向けた弁護士によるサポートというのはひとつの重要なアプローチであるが、これもやり過ぎるとモンスターペアレンツならぬ、モンスター・退職者が出てきてもおかしくはない。私の職場にも鬱を経験している同僚がいるが、今時の社会では、ある種のプレッシャーと共にある職場では、ある確率で鬱の社員が出るのは寧ろ自然な結果なのかも知れない。経営者側に悪意がある場合を「ブラック企業」と言うのだろうが、社員側に悪意がある場合も今後は当然の如く予想される。また、中間の一部の管理者が悪意を持つ場合もあるから、それを全て会社の責任にすべきかは微妙である。

話は変わるが、最近ではブログで「今日は美味しいパスタを頂きました!」と書いただけで、「貴様、自慢してんじゃねぇ!食べ物をまともに食べられない人がいることを忘れるな!」と非難して炎上することがあるらしい。人の幸福を妬む精神が、この様な現象を産むのである。この傾向の意図することは、発展する企業を妬み、その様な企業の足を引っ張ることに喜びを感じる人がいるということである。つまり、その様な企業に「ブラック企業」とレッテルを張りたい人もいるかも知れない。結局のところは、「ブラック企業」の選別に変な恣意的な悪意を埋め込もうとされたら、単純に「出る杭を打つ」だけにもなりかねない。

この様に考えると、「ブラック企業」に対する根本的な対策は、労働基準法やパワハラなどの正攻法とも言うべき取り締まりを超えた過剰な政策を論じるよりも、経済の再生が最大の近道なのかも知れない。上手くいけば、後1年程度でアベノミクスの果実を我々は手にすることが出来るかも知れない。その時、景気が良ければ転職の自由度が高まる。会社を辞めたら落伍者になってしまうという恐怖が「退職せずに、自らを鬱にまで追い込んでいく原因」となり、どうせ無理を強いても会社を辞めないとタカをくくる経営者が「ブラック企業」になるという誘惑に駆られる。だから、昔のバブルの時代の様に売り手市場になれば、人は簡単に再就職の道を選ぶことが出来、必然的にブラック企業は淘汰される。それと同時に、大学レベルで「自分を鬱に追い込むまで職場にしがみ付くこと」の危険性を教育し、より自分に合った環境での就労を助長するような教育のカリキュラムを取り込むことも必要かもしれない。

私が就職したバブルの時代には、大学は就職活動のアシスト的なことは何もしていなかった。先輩などを通じて企業見学を希望し、その中で気に入ったところを選んで指導教官に「この会社に決めました」と伝えると、(当然の如く面接などは行うが)殆どそれで就職が決まっていた。偶然、大学内で希望が重複したり、面接で何かポカをしたりすると落ちたりもするが、超有名大学でもないのに売り手市場の時代の恩恵を私たちは十分に味わってきた。そこまでの際限が出来るとは思わないが、経済の再生は多くの問題を根本から解決できる可能性は高い。そこで足りない部分を、上述のように学生側に教育を施すことで、自己防衛の免疫力を高める。これが短期的には効力があるような気がする。

世の中の制度にはまだまだ不備があるのは事実だが、対策に対するバランス感覚が時の為政者には求められるのだと思う。この点を、マスコミは理解できていないのかも知れない。

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ふたつのコラム記事から見えてくるもの

2013-09-26 23:58:38 | 政治
AERAの2013年9月30日号を読んでいて面白いことに気が付いた。編集者が意図していた訳でないだろう。AERAには隔週で有識者が交代でコラムを書いていて、今回は姜尚中氏と福岡伸一氏の担当だった。この二つを読み比べると非常に典型的な視点の違いが見えて来る。これほど明確な書き分けっぷりというのも面白いので取り上げてみようと思った。

まず、それぞれのコラムの要約は以下の通りである。

====姜尚中「米国に『正しい戦争』の呪縛 集団的自衛権問題は熟議を」==========
シリアでの化学兵器使用に対するアメリカの空爆騒動には、背景に「正しい戦争」「特にかなった戦争」という理念があるが、第2次世界大戦以降、アメリカは様々な国や地域で戦争を起こしてきたが、結局のところ、それは平和な好ましい世界を導くのに役に立っていなかった。今回も仮にシリアを攻撃したところで泥沼化は避けられず、「正しい戦争」という考え方自体が間違っている。日米安保に関する集団的自衛権への議論を考えるにあたっては、この様な背景も含めて慎重にならなければならない。

====福岡伸一「テントウ虫にカマキリ・・・生物農薬の『明』と『暗』」==========
ニューヨークで暮らす著者が、そのアパートの住民専用のガーデンで面白いものを見たという。花壇に集まる害虫を駆除するために、その害虫の天敵である昆虫を大量にばら撒いているという。農薬を用いると昆虫を無差別で殺し、土中にも農薬が残留して環境を破壊するから、この有機的アプローチは好ましそうに見える。しかし、その天敵の昆虫というのは遺伝子操作されて工場で大量生産された昆虫であり、例えば人工繁殖されたテントウムシは在来のテントウムシをも駆逐するリスクが高い。また、過剰に駆逐されるアブラムシはその共生関係にある蟻の駆逐にも繋がる。一見良さそうな解も、将来的なカタストロフィの原因ともなりえる。その点を適正に考えなければならない。
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分かって頂けるであろうか?前者の記事は、アメリカが主導する戦争の「悪の面」にのみフォーカスし、その戦争をせざるを得なかった背景は完全にスルーしている。確かに、空爆を行ってもシリアに限定すれば事態が悪化するのは目に見えているし、アメリカの戦争の歴史は(唯一日本を除けば)失敗の歴史であることには賛同する。しかし、だからシリアに対してスルーするのが良いのかと言えば、そんなはずはないのである。自己中心的な保安官で、往々にして過ちを犯すのを良く目にするのは確かでも、そこに保安官的な人が一人としていない世界で生活するのと、それなりには筋を通そうとする保安官が確実にいる世界とでは、格段に保安官がいる世界の方がましなのである。もしアメリカがあれだけ積極的な活動をこれまでの歴史の中でしていなければ、多分、中国は今頃は尖閣はもちろんのこと、奄美や沖縄を手中に収めているだろう。北朝鮮も、既にソウルに核ミサイルを撃ち込んでいるかも知れない。その確率は、実際には非常に高いものだと推定される。だからオバマ大統領は、元々、イラク戦争を終結させることを目指していたのと同様、シリアなどに戦争を死ぬほど仕掛けたくない中で、空爆の必要性を説かなければならなかった。現在、化学兵器の廃絶でロシアと合意が出来たかも知れないが、その実効性に非常に怪しい部分があるのは明らかだから、局所的に出来上がったエアーポケットの様な不安定平衡点に一旦着地し、登場人物が揃って息を整えているような状況だ。アメリカもシリアもロシアも中国も、全ての国が致命的な敗北を味合わずに済んだ点はメリットだが、だからと言ってポジティブに捉えることが出来る要素は見つけることが出来ない。常任理事国の拒否権がもたらす、国連中心主義の敗北と言ってもいいかも知れない。

つまり、事態は非常に複雑に絡み合っており、簡単な多元1次連立方程式を解くのとは訳が違うのである。昔から例え話に出している、非線形の100次元連立方程式でも解くかの様な難しさで、Bestな解ではなくBetterな近似解を如何にして見つけるかが問われている。しかしその複雑さに目を瞑り、特定の変数以外の全ての変数に尤もらしい適当な値を代入し、極めて簡易な方程式に変換して近似解を求めるような短絡的な方法で答えを求め、「私は答えを手に入れた!」と叫んでも無意味である。日本政府やアメリカ政府を目の敵にし、「日本及びアメリカが悪の権化だから、それに対立する勢力は正義の存在である」と短絡的2元論的なアプローチで議論しても、それは何ら建設的な答えを導き出すには役に立たない。せめて、日本政府やアメリカ政府を目の敵にするなら、せめてその敵対勢力に対してもフェアに評価を行ってもらわないと、少しも問題解決に向けて前進することを期待できないのである。
一方で後者のコラムは極めてフェアな書きっぷりである。物事を捉えるときに、様々な立場を想定して「正義とは何か」を自問自答し、答えを明確に示すことはできないながらも、問題点が何処にあり、何故問題が複雑であるのかを明確に解析している。この様なアプローチをする限り、何時かはゴールに辿り着けるかも知れないと希望を抱くことは可能である。それぞれが社会的には有識者と呼ばれる存在かもしれないが、その議論の仕方には雲泥の差があることを見せつけられた感じがした。

そんな中、夕べ、会社からの帰りの車の中で聞いたラジオの話題、「ヘイトスピーチ」に反対する「東京大行進」の話を思い出した。番組のキャスターは比較的フェアな進行を心掛けており、所謂、レイシストとも呼ばれる嫌韓団体のヘイトスピーチに対立する団体にも、レイシストと同様に過激な組織が存在しており、今回の「東京大行進」と過激な団体の活動との差分を質問していた。しかし、回答していたゲストはこの様な過激な団体の存在を完全にスルーし、「東京大行進」は女子高生なども多く参加するような極めて平和的で民主的な活動であると断定的に紹介していた。確かに、嫌韓団体のヘイトスピーチは許されざる存在だが、それに対立する団体も似たり寄ったりで、言ってみれば過激な右翼と過激な左翼が対立している様なものである。正論で行けば、喧嘩両成敗となって然るべきである。ただ、日本人はお行儀が良いから、相手が十分に悪かろうと、少なくとも自分の身を正すことは忘れてはいけないと思う人が多く、上述の例では過激な左翼の中に平和的で民主的な参加者が合流し、何とも受け皿の広い不思議な集団となっている。例えて言うなら、ふたつの暴力団が対立し、ある時、暴力団A組の組員が暴力団B組の幹部を射殺したとする。その事件を聞いた女子高生が、テレビに向かって「拳銃で人を殺めるような、そんな世界はもうこりごり。暴力団A組は暴力団B組に対して行った残虐な行為を反省して下さい!」と叫び、その後ろで暴力団B組の組員が「そうだ!そうだ!」と囃し立てたとする。これを見て、暴力団A組は「悪」で、それに相対する暴力団B組は「正義」だとレッテルを張れるかと言えばそんな単純でないことは明らかである。ある一面だけを捉えるのではなく、様々な視点から検証を行い、それぞれの悪いところは相互に指摘し、あくまでもフェアに議論を進めなければ意味はない。

ネットを探していたら、(詳しい背景は知らないが)池田信夫氏がツイッターで「ヘイトスピーチ撤廃 東京大行進参加者が全員韓国に行ってくれれば日本は良くなる」と発言したらしいことを見つけた。最近の韓国の「反日」「嫌日」の過激さは、日本のレイシストの10倍も20倍も上を行く常軌を逸した状態である。一部の過激な右翼がナショナリズムに基づく行動を行うのは分かるが、韓国では小中学生まで巻き込んで、そして政府中枢や大統領までもが率先してレイシストぶりを発揮している。だから、差別撤廃論者たちが大挙して韓国に行って、彼らの「反日」「嫌日」行動に対して差別反対のデモを繰り返してくれたら、確かに日本は良くなるかも知れない。しかし、彼らはそんなことには興味はないのである。それは多くの日本のマスコミも同様である。

韓国や中国に対して是々非々で臨み、日本の右翼団体にも左翼団体にも是々非々で臨むならば、もう少し事態は簡単化できるかも知れない。しかし現状ではそれから程遠い状態である。上述のAERAの記事の様な形で、如何なる立場がフェアなのかを国民が感じることが出来るきっかけがあれば良いのだが、中々それも難しいのだろう。

指しあたっては、地道に上述のAERAの記事の様な対比を提供し、多くの人にその立ち位置の不自然さに気が付く訓練でもしてもらうのが良いのだろう。上から目線の記事となって申し訳ないのだが・・・。

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「分かる奴だけ、分かればいい」、現代版のお伽噺

2013-09-25 23:55:21 | 日記
今日はドラマのお話である。今更の話題なのであるが、NHKの朝ドラの「あまちゃん」のお話である。

最近はドラマの視聴率の高さが話題になっている。「あまちゃん」以上に高視聴率なのは「半沢直樹」の方で、先日の半沢直樹の最終回では「家政婦のミタ」を超えて関東では42.2%であったという。この最終回を見て何とも不完全燃焼を感じたのだが、原作では既に続編が存在しており、原作者がドラマ終了後に「原作通りでしたね」とコメントをしていたことからも分かる通り、予定通りのシリーズ化ということなのだろう。しかし続編の原作に関しては、(私は読んでいないので)Amazonの書評を読む限りではこれまた素晴らしいお話らしい。「前作の2作品はまさに3作目のための布石のようだ・・・」という趣旨のコメントを読むと、学生時代に読んで感動した三浦綾子の「続・氷点」を思い出した。映画化、ドラマ化されて有名な「氷点」の続編であるが、「氷点」を読んだ時のワクワクしたストーリー展開に対し、「続・氷点」を読んだ後の感想は「作者は『続・氷点』を書きたくてその導入として『氷点』を書いたのでは・・・」というものであった。本を読みながら涙で目が潤み、心の中の汚れたものが流されていく様な感覚に浸ったことを覚えている。

まあ、こちらのお話は将来のお楽しみとして、今日のメインの話題は「あまちゃん」である。ストーリは今更説明するまでもないので省略するが、あと15分×3話で最終回を迎える。言うまでもないが、ひとつ前の朝ドラ「純と愛」とは対極的なドラマである。我が家では、嫁さんと子供が両番組ともハマっていたが、私は「純と愛」を見ていると笑いながらも居た堪れない気持ちになった。朝も早くから、「よくもそこまでやってくれるなぁ~」と言う程、不幸に不幸が重なり、這いつくばって立ち上がると、更に次なる不幸が襲い来る。最後だけはハッピーエンドかと思いきや、最後の最後まで視聴者を裏切って不幸の爆弾を投げつけられた感じだった。それが「あまちゃん」では真逆であり、どんなに逆境になっても何故か自然と切り抜けて、気が付くと歯車がうまく回っている。こう書くと短絡的なストーリーの様に思えるが、その歯車の回り方が極めて自然だから、違和感なく無茶な展開にもすんなりついていける。脚本の工藤官九郎氏のセンスの良さには脱帽である。

しかし、そんな手放しで底抜けに楽しい「あまちゃん」ではあるが、見ている人は誰でも気が付くように、「あまちゃん」の中にも如何にも不自然な「純と愛」と同様の理不尽な不幸が存在する。それが初代ミス北鉄のユイちゃんである。安心して見ていられる「あまちゃん」の中で、唯一、ユイちゃんだけには安心して見ていられない貧乏神の影が付きまとう。如何にもひとりだけ不自然で不公平なストーリー展開である。しかし、東京に上京する電車(北鉄)のトンネルの中で東日本大震災に合い、目の前に続くはずのレールが無くなっている地震の被害を目の当たりにし、何度目かの東京への道を絶たれたユイちゃんのエピソードを見て分かった様な気がした。それは、この朝ドラのテーマは「再生」であるということである。壊れた海女カフェの復活など、震災からの復興は当然であるが、最大のテーマはユイちゃんの「再生」である。多分、明日か明後日かには、ユイちゃんの「再生」を目の当たりにすることができるだろう。そして今日のお話は、鈴鹿ひろ美こと薬師丸ひろ子の「再生」のお話であった。そして同時に、天野春子こと小泉今日子の若かりし頃の幽霊?の「再生」でもあった。言い出すとキリがないが、ここ最近は登場人物が次から次へと「再生」していく。無理をして背伸びする訳でもなく、誰かに一方的に助けられる訳でもなく、皆が何となくまとまって気が付くと歯車がうまく回り出して「再生」がなされる。

言ってみれば、現代版のお伽噺である。生きていく中で壁にぶつかり、一旦は諦め、それでも諦めきれずに再度立ち向かって「再生」していく。あまりにも野暮なので言いたくはないが、日本経済も今が「再生」の最中である。明日は今日よりも良い日が訪れるという期待を無意識のうちに持ち続けられる、そんな「再生」が叶う現代版のお伽噺として「あまちゃん」は何とも心地良いのである。

最後にどうでもよい話だが、漁協の事務員の花巻さんの言葉、「分かる奴だけ、分かればいい」が何ともイイ。これも「分かる奴だけ、分かればいい」話であるのだが・・・。

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正義面して福島を陥れる反福島プロパガンダを許すな!

2013-09-24 23:17:19 | 政治
前回のブログで、福島第一原発の放射性トリチウムの漏洩問題について書かせて頂いた。そんな中、日曜日の報道ステーションSunday(テレビ朝日)に安倍総理が出演しており、当然の如くこの汚染水問題が話題になった。はっきり言って、聞いていてハラワタが煮えくり返る思いだった。今日はこの辺のことについて書かせていただく。

まず、この汚染水問題について聞かれた安倍総理は、問題の本質を的確かつ簡潔に回答している。インタビューの全体を通して安倍総理が主張していた内容は私なりに噛み砕いて説明させていただけば概ね下記の様なものである。

まず、この放射性物質を含む汚染水が海水に漏洩した問題を議論する場合、最も重要なことは外洋に対して影響を与えているか否かである。漏洩が完全にゼロか、それとも僅かばかり漏洩しているかを議論することには何の意味もない。大袈裟に「大変だ、大変だ!ほんの僅かだが、漏洩はしている!大変だ!」と叫ぶことは、それは福島に対して風評被害を与えることに繋がる。本当に健康被害を与える様な危険な状態を「安全だ!」と嘘をつくのはいけないが、実際に健康被害を与えるのとは程遠い安全な状況を、あたかも「危険である」かの様に取り扱うのは福島の人々に対して許されざる行為だ。確かに、福島に暮らし、放射性物質の汚染に苦しんでいる方々にとって、現状が不本意な状況にあることはその通りで申し訳ないが、しかし健康被害を与えるレベルを遥かに下回る安全レベルにある状況を「危険だ!」と言うのはおかしい。最高責任者(総理大臣)として重要なのは、ちゃんと状況を把握して対策を打つことである。そして、実際にモニタリングして(外洋における汚染の程度は、ベクレル換算で飲料水に対する基準レベルの1/500以下であるという)状況を把握しているし、(今後も含めて)対策をちゃんと打っている。そのことを、IOC総会では申し上げた・・・。

まあ、こんなところだろう。先のブログ「The situation is under control.のニュアンスを知りたい!」では、「完全にブロックされている」という表現についてのみ、違和感を感じるという話題に触れたが、「ブロックされている」の定義を明確にすれば、一概に安倍総理の発言は嘘とも言えないのではないかと指摘した。今回のインタビューはそれに対する答えとなっており、ここでの「ブロック」を「影響のブロック」であると定義すれば、それは「一滴も漏洩がないか否か」の議論ではなく、健康被害となるレベルとの相対的な議論に帰着できる。確かに、「完全に」という表現は言い過ぎなのはその通りであるし、汚染水の濃度を測定した地点が福島第一原発からどれだけ離れた地点かなど、細かいところでの議論はあるかも知れない。しかし韓国や一部の心無い反原発派(マスコミ含む)による反福島プロパガンダによる風評被害のことを考えれば、あれだけのことを言うのは「正当防衛」と言ってもいいだろう。

しかし、である。司会の長野智子氏の振る舞いは福島県民を愚弄するものであった。安倍総理の説明を受けて、次に続く彼女の質問は下記の様なものだった。

長野氏「東京電力は、『影響はコントロールできているが、想定外の汚染水漏れはコントロールできていない』と言っている。これは汚染水が漏れていると考えられませんか?」(つまり、「ブロックできているとは言えないのではないか?」という質問)

安倍総理は呆れて「私はいちいち、そういうことについて議論するつもりはない。大切なことは、外洋に対して影響に与えているかどうかであり、外洋に対して『影響を完全にブロックしている』のは事実である。」と応えた。

しかし、それでも満足できないと長野氏は「不安視されているのは、影響というより今も汚染水が海水に出ているという事実だと思う。」と食い下がり、つまり、影響があるかどうかは問題ではなく、僅かでも漏洩があるのだから不安視する声を尊重すべきであり、風評被害は風評ではなく実害そのものだと断定するかの様な論調を続ける。

安倍総理は汚染の程度は飲料水の基準の1/500以下という事実を繰り返し示し、「この点は皆さんにもしっかり報道してもらわないと・・・」と長野氏に迫った。しかし、それに対する長野氏の反応は、(紙のパネルに自ら書いた「想定外」という表現を指で示しながら)「やっぱり想定外に起きたことだから、この想定外が・・・」と、あたかもパネル上に「想定外」という文言がなければ私の論調の方が正しいのに・・・と言わんとばかりのゴチャゴチャ意味不明な弁解していた。

面白いことに、番組ではその言い訳を少しだけ放送し、その後に画面は後藤謙次氏による来年度予算編成の質問に切り替わる。こちらの方では、安倍総理の「私が世界に向かってお約束をした以上、財政的にバックアップするのは当然。必要な額は確保する。」「国全体の経済が上向かなければ税収は増えない。税収が増えていかなければ被災地のために使おうと思ってもそれはクチだけになってしまう。紙に書こうと思えば誰だって書ける。しかし、その金額を生み出すのは経済成長である。」と、番組キャスターによる攻撃をことごとく論破した。誰の目にも勝者がどちらで、どちらの説明に論理的な正当性があるかは明らかだった。しかし、安倍総理の説明に対し番組のテロップでは「これ(IOC総会での発言)は風評被害を防ぐための発言だったと語る安部総理・・・」と記されており、言っていることは誤っているが、風評被害を防ぐためには致し方ない嘘だったとでも言わんとばかりだ。

引き合いに出して申し訳ないが、今日、また無謀運転の車が通学中の小学生の列に突っ込み、ひとりの子供が意識不明の重体だという。毎回、事件を聞くたびにいたたまれない気持ちになる。しかし、これだけの風評ではない明らかな実害がありながら、誰も「車は全て殺人兵器だ!」と非難したりはしない。物事は相対的な評価で成り立っており、実効的に安全でも僅かでも危険な要素があれば「問答無用でアウト!」などという乱暴な議論にはならない。安倍総理に論破されて悔しかったら、自動車メーカを多数スポンサーにつけているテレビ局ということを忘れて「車は全て殺人兵器だ!」と番組の中で叫びまくってくれれば、私はその発言者のことをフェアな人物と評価しても良い。しかし、福島をはじめとする周辺地域の海産物を「危険だ!危険だ!」と騒ぐ輩に、正義面しながら平気でヨイショするようなサポート報道をするような奴を許せない。

今回は、長野氏も後藤氏も、安倍総理に論破されたことを素直に認めて、番組では「手放しでは安心できないが、少なくとも安倍総理のIOC総会での発言を非難して、周辺地域の海産物の風評被害を増長するような風潮は改めなければならない。国民が一丸となって、より高い安全性を実現できるよう、福島第一原発の状況や周辺地域の汚染状況を監視し、事実に基づき情報発信していかなければならない」と論調すべきだった。

福島県民を人質にとって、安倍総理を貶めようとする行動には我々国民が厳しい目で臨まなければならないと確信した。

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放射性トリチウム汚染水の扱いで、また同じ過ちを繰り返してはいけない!

2013-09-21 23:58:42 | 政治
まず、時間がある方は私の好きな「ぼやきくっくり」さんの下記の記事を見て頂きたい。

ぼやきくっくり 2013年9月18日放送 関西テレビ「アンカー」青山繁晴の“ニュースDEズバリ”

以前の記事の中でも、ロイターの記事を引用して、米原子力規制委員会の元幹部で1979年に起こったスリーマイル島原発事故の処理を担当した経験をもつレイク・バレット氏が「汚染レベルが十分に低下し国民の信頼が回復したら、海に放出する準備に着手すべきとの考えを示した」ことにふれていた。これは同様に、原子力規制委員会の田中俊一委員長は9月2日に行われた日本外国特派員協会の講演の中で、福島第1原子力発電所における汚染水問題への対応で、放射能濃度を許容範囲以下に薄めた水を海に放出する必要性を強調しており、それなりの有識者が同一の方向性を示していた。

内容的には全く同じものだが、青山繁晴さんからはさらに詳細な定量的な数値を示しながら、基準値以内の汚染水(ただし、トリチウム以外の核種は除去したもの)の海への放出の必要性を説いた形である。この定量的な数値と言うのは、世界的な原子力関連施設から海洋に放出される汚染水の量をベクレル表示したもので、濃度や体積といった表現ではなく、あくまでも放射線に関する議論として有意な意味を持つものである。具体的な量としてはフランスの、ラ・アーグ再処理施設で2012年の1年間に放出したトリチウム汚染水の量は1京1600兆ベクレル、カナダのブルース発電所からは1280兆ベクレル、それぞれ排出されているという。これに対し、東電が発表した2011年5月から2013年7月の間に海に流出した量は20~40兆ベクレルであるという。この辺の情報をもう少し知りたいと思い、東電の発表の内容を確認してみた。すると面白いことが分かった。下記のサイトに、東電の記者会見のポイントが文字お越しされている。

みんな楽しくHappyがいい「<それは平常時放出量の半分以下>2011年5月~2013年7月までに出たとされるトリチウムの量は最低で10兆ベクレル。8/2(東京電力記者会見文字起こし)

この記者会見では、テレ朝とTBSの記者がご丁寧に繰り返し確認しながら聞いているが、ことの本質をついている。このサイトには、この記者会見の記事の下側にまとめや解説的な記述があり、私はてっきりこのサイトの管理人が「原発容認派」の人だと思い込んで読んでいたのだが、上記のサイト名を記載する際に「反原発派」の人であることを知って驚いた。つまり、同じことを見聞きしても、頭の中で前提としていることが異なると真逆の結論になるということである。この記者会見の中で東京電力の原子力立地本部長代理である尾野氏が何を言ったかと言えば、「福島第一原子力発電所の平常時の放射性トリチウム放出量(実際には基準値の様である)というものが年間で10兆ベクレルのオーダーであり、今回の流出はそれと同程度である」ということである。厳密には実力値は基準値よりも1桁程度低いのであるが、このトリチウム汚染水の放出の理由は、定期検査を実施する際に水を抜く必要があり、その水に含まれるトリチウムをどうしても除去できないがために放出するのだという。つまり、世界中で稼働している原子力発電所であれば、定期検査を同様に行っているはずだから同様のトリチウム汚染水の排出は必然であり、これが福島第一原発だけに特異な現象ではない。勿論、この東京電力の尾野氏はフェアに発言を追加していて、汚染水の放出は「管理されて放出されている水」と「管理されずに漏出している水」とは明確に分けて議論されるべきものとしており、その意味で「結果オーライで大したレベルでないから気にする必要はない」という話ではない。

ただ、それとは全く逆に、漏出したか放出したかで人間の体への害は全く変わらないのだから、漏出した水だけを危険だと大騒ぎするのは良くない。上述のサイトの方は面白いことに、「今回の漏出は絶対的に許されるものではない」という前提を据えた上で、「平常時の原発運用でも同等の汚染水が放水されていたならこれは同様に許されるべきではない」と結論付けている。しかし、常識的な読者なら分かるように、「世界中で許容範囲と認められているレベルで、世界中の原発で同等以上の汚染水が放出されている」のであれば、今回の漏出事故はその危険性という視点で見れば「管理できていないことのみが問題であって、その漏出による影響は許容範囲内と推測される」という結論に帰着されるはずである。

青山繁晴さんが番組中にも言っているように、(豪雪地帯で車に閉じ込められた人が排ガスで死に至るように)1台の車の排ガスだけで人は死に至り得るのであるが、それをもって「自動車を廃止しろ!」と唱える人はいない。それと同様の議論はなされてしかるべきである。

勿論、ここから先もフェアに議論するならば、今後、東京電力がトリチウム汚染水を海洋放出するとしたときに、漏出と自主的な放出によるトリチウム汚染水の総量を管理して議論することは重要であり、一体、どの程度のペースでタンクの水を放出できるのかは真面目に議論する必要があるだろう。また、管理できずに漏出する汚染水にはトリチウム以外の核種が含まれていてもおかしくないから、こちらの方の議論はまた別途行われてしかるべきである。

しかし、明らかにタンクの山はリスク以外の何物でもなく、巨大地震でタンクが壊れたら、あの一帯が汚染水の泥濘の中にあることになり、車で近寄ることも困難だし作業性の低下も大きな問題となる。だから一刻も早く、安全に管理した状態で放射性トリチウム以外の核種を取り除いた水を海洋放出する必要があることは、合理的・理性的な議論が出来る人であれば容易に辿り着けるはずである。しかしそれが簡単ではない理由は、現在は反原発系のプロパガンダに踊らされて、クリアしなければならない安全性のハードルがエベレストよりも高い高さに設定されてしまっている。こうなると、原発容認派(フェードアウトによる脱原発依存派を含む)の人々はまっとうな議論が出来ないと諦めてしまうから、正直ベースでの議論が追いやられ、結果として議論もないままに裏でこそこそ隠れて行動する事態に繋がる。危険な問題も先送りされ、事態は益々好ましからざる方向に向かうことになる。

しかし、これではいけないのである。過去のブログ「東京湾に原発を作るという議論から始めると・・・」でも書いたが、真に安心・安全のことを考えるならば、立場の異なる人々がフェアに議論できる土壌を作る努力が必要なのである。上述の東京電力の記者会見を聞いた記者は、少なくとも「トリチウムの漏出問題は許される事態ではないが、健康被害という観点では問題となるレベルではない『通常レベル』である」ことを伝えるべきだが、ハードルを上げたい派の下心がそれを許さなかった。おかげで危険性だけが強調されるに至った。それでは過去の失敗の繰り返しではないか。

もう、この様な繰り返しにはマスコミの方から自主的に終止符を打って頂きたい。

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消費税論議にみる「調子の良い奴」を排除するアイデア

2013-09-17 23:58:00 | 政治
最近、新聞などでは安倍総理が8%への消費税増税を決断したとの報道があった。如何にも決まったことの様な報道がある一方、菅官房長官はこの報道を否定する発表もしている。様々な人の様々な思惑が交錯し、本当のところは分からないのだが、その中で少しばかり考えることがあったのでコメントしておきたい。

私の考え方の基本にあるのは、この様な税制などの重要案件を判断する際にその決定プロセスを大きくゆがめるのは選挙がその裏にあるからであり、民主主義実現の大きなツールであるはずの選挙制度が時として民主主義を歪める結果につながることがある現実を踏まえなければ先に進めないということである。そして、如何にすればこの様な弊害を僅かばかりでも排除できるかを考えてみた。あまり実現性がないアイデアなのは認めるとして、取りあえずはいつの日か立法府の誰かがブレーンストーミングを行う際に、「こんな意見もあったなぁ」的に活用してもらえればと思いメモとして残してみる。

今回、報道で如何にも尤もらしく語られていたのは、3%の増税のインパクトを緩和するために、2%分に相当する5兆円規模の経済対策を行い還元するというものであった。以前からブログで書いている通り、私の読みでは安倍総理は1%づつの消費税増税を決断しており、今回の報道へのリークは寧ろトラップであり、このリーク情報を叩きまくる報道機関の言い分を逆手にとって、「じゃあ、1%づつなら文句ないでしょう?」という切り返しを虎視眈々と狙っているのではないかと予想している。菅官房長官の否定発言なども、その布石ではないかと思っているのだが、敵を欺くためにまずは味方を欺こうとしたら、味方が大騒ぎして喜びだしたという状況なのではないかということだ。ある志の低い議員などは、税制がどうなろうと知ったことではなく、それを利用して有権者の支持を勝ち取れれば良いと考えているのだろう。そんな議員にとっては、理由なんてどうでも良いから、建設業界などを筆頭とする一部の業界団体に対して、税金の還元と称して利益を供与できれば、それが次の選挙での票につながる。だから、大喜びで「消費税増税、賛成!」ということになる。ちょっと前までは、「消費者の声を代弁して、消費税増税反対!」と言っていたところからの転向組がもしいれば、その様な議員は間違いなくこの手の議員だろう。元々、消費税を徴収する対象は多くの一般市民であるのに対し、経済対策での還元先は一部の業界なのだから、乗数効果的に回りまわって国民全体に還元されるにしても、その比率は全体のごく一部であり不平等感は高い。先日のブログ「消費税増税が毎年1%刻みになるという理由」でも書いたが、元々、駆け込み需要とそのリバウンドの影響で、消費税導入の前後で大きく景気の冷え込みが見られるように感じるが、その直近の前後を除いた景気の動向を長い時間スケールで理解したときに、景気動向の変化はそれほど極端に変化する訳ではない。駆け込み需要とそのリバウンドの間のギャップそのものをキャンセルしようとすると膨大な経済対策も必要だろうが、そのギャップの原因は誰の目にも明らかで計画的にそのパルス状の大波を受け止める準備も出来る。重要なのは「景気は気から!」の「気」を冷ますマインドが生じないようにすることが重要なのだが、歪んだ思惑の末の経済政策が多くの国民や経済界の良好な評価に繋がるとは思えないので、「景気は気から!」の視点では、なるべく歪みの少ない政策が評価されるべきであり、特別の経済対策なしに1%刻みの消費税増税が正攻法だと考える。

まあ、この考え方が正しいかどうかは素人なので分からないが、ここで私が訴えたいのはこの様な議論の背景に選挙目当てで「経済対策」や「増税反対」を訴える輩がいることで、しかも選挙時の公約や党の方針に反することを平気で言ったりする。この様な行動が選挙等で自分に不利益になればこの様な行為をやめるのであろうが、常識的には選挙などは全体の有権者の一部の手堅い票を獲得すれば当選できてしまったりするので、多くの人が「こいつだけは落選させるべきだ!」と思ってもその通りにはならない。だからと言って、「マイナスの投票」を認め、「プラスの得票数」から「マイナスの得票数」を引いた差分を「総得票数」と見なすようなルールを導入すると、それは「消費税増税」などの重要だが人気のない政策を打ち出すと次の選挙で集中攻撃を受けかねず、落選の危機が高まり選挙制度を不安定化させかねない。

ではどうすれば良いかと考えたのだが、この様な「(氏名又は政党名を明記した)マイナスの投票」を認めながら、このマイナス票は個人の得票に対するマイナス票として活用するのではなく、その議員の所属する党全体のマイナス票として扱うという制度にすれば良いと思う。勿論、マイナスの1票をそのまま「(マイナス)-1」とカウントする必要はなく、適当な係数を乗算して「-0.5」とカウントしても良い。そうすれば、例えば安倍総理に対するマイナス票が投じられても、それは安倍総理を落選させるために働くのではなく、自民党に「安倍総理はネガティブな評価を受けていますよ!」という警告として活用されることになる。自民党からすれば、「一部の非難は覚悟の上で、今、やるべき改革を推し進めるのだ!安倍総理のマイナス票は、批判を恐れずに、その様な行動の先頭に立ったことに対する勲章」とみなすことができるから、党内での評価は決して下がりはしない。しかし、調子の良いことばかりを言ってそれでいてマイナス票を受ける議員に関しては、党としても「こいつ、次は公認を取り消すべきだ!」とか、党内の役職において軽んじられるなど、それなりのペナルティを与えることはできる。個人レベルのペナルティよりも、党を介在させてのペナルティの方が、本人に対して大きな影響力を与えることが出来る。

細かい制度設計までは考えていないが、この様な考え方を導入するなどして、党の方針に逆らい調子の良いことを言い、政策決定を捻じ曲げようとする勢力があるとすれば、それを排除できるメカニズムを少しづつでも組み込めたら良いなと感じた次第である。

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韓国国内の歴史教科書問題にみる時限爆弾

2013-09-16 23:58:22 | 政治
最近、韓国では歴史教科書問題が非常に話題になっているという。歴史教科書と言っても日本の教科書ではない。韓国の歴史教科書が揺れに揺れているというのである。

詳しい話は良く理解できていないので間違っている部分もあるかも知れないが、私の調べた中での理解は概ね以下の様な流れである。まず、韓国の教科書は1970年頃より国定教科書が採用されていたが、2010年にそれが廃止され、現在は検定教科書制度となっている。それ以降、「ニューライト」と呼ばれるポジションからの視点で歴史教科書を書き直す動きがみられるようになった。この「ニューライト」とは、親北・親中国系の左翼系とも異なり、一方で昔ながらの右翼系を「オールドライト」と呼び(詳しくは分からないが)財閥などを肯定する勢力と一線を画し、富裕層よりも中産階級を中心とし、市民運動系が中心となった新しい右翼のことを指すようだ。彼らからすると、国定教科書の流れを汲む多くの教科書は左翼的でけしからんと言うことで、この辺の見直しを図ろうとしているらしい。長い歴史の中で洗脳された流れを断つためには、5年かけて教科書を一新し、10年かけて教師を再教育する必要があり、その手始めとして「数学社」の教科書が今回、検定に合格したという。

ちなみにこの教科書は完成度としてはかなり低いものらしく、写真などの引用をgoogleなどネット上から行ったり、細かな所でミスも多いらしい。しかし、大問題になっているのは、日本による韓国併合のことを肯定的に捉えている点、李承晩元大統領や朴正熙元大統領などを非常に肯定的に扱っている点にあるらしい。さらには、北朝鮮に対する対決姿勢を明確にしており、金大中元大統領や盧武鉉元大統領などの親北政策などと一線を画している。

Wikipediaなどで詳しく見て行けば、日本による韓国併合の評価としては、「市場経済の導入や社会資本の整備は植民地支配がなければ有り得なかった」としており、それまでの清による支配を断ち切り、近代化の過程において韓国併合は決してマイナス面だけではなかったことを再評価するものである。また、「数学社」の教科書の前身とおぼしき「代案教科書」などには、「35年間の日帝強制占領を暴力的収奪ではなく近代的財産制度と市場経済の原理に準じていたものであり、日本の土地収奪は土地財産に対する証明制度を完備させることで土地取引きと担保金融を発展させていた」とあるようで、かなりフェアに状況を捉えているようにも見える。しかし、これは別に右翼だからの当然の帰結ではなく、李承晩元大統領や朴正熙元大統領などを肯定的に捉える中で、この様になってしまったのかも知れない。この辺の事情は良く分からない。ただ、例えば李承晩元大統領を「当時韓国人が最も尊敬し信頼した指導者、国民的英雄」と紹介するほか、朴正熙元大統領のクーデターに関しても「自由民主主義の正道から外れた非常体制であると同時に独裁であった」と非難する一方で「北韓の韓国共産化の試みによる緊迫した雰囲気の中でなされたこと」と弁護している。

ちなみに、韓国の新聞社の論説を見る限り、この「数学社」の教科書はケチョンケチョンのものが多い。しかし、朝鮮日報の9月12日の記事「『韓国史』教科書問題、政争に発展」においては、両論併記の形をとりながら、どちらかと言えば「教学社の教科書に対する不当な攻撃を中止せよ」という意見に若干寄り添った傾向がみられる。例えば、ある議員が「ある教科書は北朝鮮の人権に触れることなく、哨戒艦『天安』の爆沈、延坪島砲撃、金剛山での韓国人観光客銃撃事件などを扱わず、韓国戦争(朝鮮戦争)について、南侵と北侵を混乱させ、当時の中共軍を中国人民支援軍(義勇軍)と記述し、まるで味方の軍であるかのように扱っている」と最近の教科書の左傾化を問題視し、大学教授は「学問、教育、文化など理念に関わる分野では、左派が既に絶対的多数を形成している。今の局面が維持されれば、10年以内に韓国社会が構造的に転覆される可能性がある」と、まさにブラックホールの如く中国、北朝鮮の引力に引き込まれそうな現状を嘆いているようである。

この教科書問題は、(「ニューライト」は右翼には違いないのだから)決して日本にとって手放しで喜べるものではないが、しかし、韓国国内に楔(くさび)を打ち込むためには役に立つかも知れない。何と言っても、朴正熙元大統領のクーデターを正当化することもあり、この「数学社」の教科書は朴槿惠大統領も肯定的な立場らしく、これだけ叩かれても日本の文科省に相当する教育部は「検定合格を取り消す計画はない」宣言している。安倍総理がかって「侵略の定義は 国際的に定まっていない」と発言して問題となったが、どうして中々、その証拠を韓国で証明したようなものである。やがて、韓国国内にはこの様な矛盾が溢れだし、時限爆弾の様にそれが弾けるのは時間の問題だろう。

面白いのはこの教科書問題を軸に見るならば、韓国のマスコミは大きく左傾化している一方、政権与党は右傾化と位置付けられている。それは、韓国のマスコミからすれば韓国政府(政権与党)は日本と同じポジションに見えるから、マスコミが日本を叩くと同時に政権与党を叩くことに間接的に繋がるという仕組みだ。朴槿惠大統領は益々日本との妥協が許されなくなり、結果的に自らの選択肢を狭めて韓国が没落する・・・。

今しばらく、時限爆弾が爆発するのを見守ってみるのも良いかも知れない。

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The situation is under control.のニュアンスを知りたい!

2013-09-14 22:32:29 | 政治
今日は最初に謝っておくが、書いている内容は「自信がないので、誰か本当のことを教えて下さい」という内容である。

先日から気になっていたのだが、安倍総理がIOC総会で行ったプレゼンの中で、「Let me assure you the situation is under control.」と発言していた。最初聞いたとき、「そりゃないだろぉー」と感じたし、実際に、日本のマスコミはこぞってこれを叩きまくっている。バツの悪いことに、その直後に東京電力の担当者がこれを否定するような発言もあり、安倍総理のことを「嘘つき!」呼ばわりする輩が非常に多くいるのが現状である。私は、安倍総理程の人であれば事態も理解できている筈だし、何でこんなことを言ってしまったのかと不思議に思っていた。何となく思い込みで納得したのは、プレゼン原稿は誰かスタッフに書いてもらったもので、英語の意味することを良く理解もしないでIOC総会では読み上げてしまったのか・・・とも思った。

しかし、今日の産経新聞に「英語だからできる? 安倍首相のヒソヒソ話」という記事があった。どうも、安倍総理は英語が堪能らしい。経歴を見ても南カリフォルニア大学で政治学を専攻(中退)していた経歴もあるし、家柄的には外務大臣だった父親の影響もあり、英語についてはかなり自信がある方なのだろう。まあ、英語のプレゼンを聞いた限りでは、流暢な英語とは違うと思うのだが・・・。

少し横道に逸れたが、この話からすれば、安倍総理は100%納得して「Let me assure you the situation is under control.」と発言していたことになるから、これは何を意味するのかと考えてしまった。ところが、話は前後するのであるが、下記のサイトに答えがあった。

ぼやきくっくり9/11放送 関西テレビ「アンカー」青山繁晴の“ニュースDEズバリ”テキスト起こし

つまり、報道ではこれを「完全にコントロールされている」と言っているが、「under control」の意味は「状況は“統制されている”ことを保証します」という意味で使われているということだそうだ。最初にこの記事を読んだとき、「確かにその通りだ。しかし、『統制されている』とも訳せるが、ニュアンス的には『コントロールされている』というニュアンスではないのか?」という疑問も湧いてきた。では、日本のマスコミと青山繁晴さんのどちらが正しいことを言っているのだろうかと興味を持ち、少しばかり「under control」のニュアンスを調べてみた。すると、面白いことが分かった。以下に二つの例を示すので皆さんにも判断して欲しい。

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映画フレーズつまみぐい「ベストキッド(1984) under control
Daniel's mom: Don't worry. It's all under control.
ダニエルの母:心配なさらないで。すべてすぐ解決できることですわ。
一目ぼれした女の子アリとのデートにこぎつけたダニエルは、母親の運転するオンボロ車で彼女を迎えに行く。すると車は、よりによって彼女の豪邸の前でエンスト。でも、ダニエルの母親は慣れた様子で車を押しながら、いぶかしげに見守るアリの両親にこう声をかける。事態は収拾・管理できる範囲内にあるという意味。物事の進行状況を聞かれ「問題ない」と答えたい時や、トラブル発生時に、「大丈夫だ」と言って周囲の不安を払拭したい場面によく使う。『アナスタシア』(97)では、“I've got it all under control.(すべて任せておけ)”というパターンで登場。『アビス』(89)では、落ち着くよう言い聞かせるシーンに、“The situation is under control.(対処できる状況だ)”というセリフがある。なお、「抑制・監視下」という強い意味もある。反対のフレーズは“out of control”。
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The Free Dictionary
under control
manageable; restrained and controlled; not out of control. (*Typically: be ~; bring someone or something ~; get someone or something ~; have someone or something ~; keep someone or something ~.) We finally got things under control and functioning smoothly. The doctor felt she had the disease under control and that I would get well soon.
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ひとつ目はご存知の映画「ベストキット」の1場面で、傍から見れば決して安心できる状況ではないのに、トラブル下にあるのは見ての通りだが「事態は収拾・管理できる範囲内にある」という意味で、「深刻に考えるには及ばない、十分に対処できると信じてもらって差し支えない」というニュアンスを醸し出すのに使える言葉の様である。また、ふたつ目の例文の中でも、「the disease under control」との記載があり、「確かに”disease”であるのは間違いないが、対処可能な状況下にあり、やがて良くなる」というニュアンスが感じ取れる。安倍総理のプレゼンに焼き直せば、「汚染水の問題は確かに問題と認めるが、我々はそれに既に取り組んでおり、やがて収束に向かうと確信しているから心配には及ばない」というニュアンスが伝わってくる。

だとすれば、少なくともこの「under control」に関してはマスコミの報道の方が「誤報」であり、安倍総理の方が正しいということになる。東電の技術者が答えたことは決して矛盾はしておらず、「本当に、完全に制御できていると思っているのか?」と聞かれるから、「そこまでには至っていない」と答えるのであって、「現時点で対処済みの手法、ないしは今後の対応における手法によて、この問題は収束に向けて安定化する方向にあると思っているのか?」と、安倍総理の発言に忠実な質問をすれば、「その様に考えております」との返事が返ってくるはずである。その辺のところを、上手くトラップをかけたのか、自分がトラップに引っかかったのかは分からないが、「誤報記事」を書くに至ったということの様に私は感じている。

勿論、最初に断わったように、私は英語は苦手な部類なので、正確なニュアンスをネイティブの人との会話の中で把握している訳ではない。だから、私のコメントも間違っているかも知れない。だからこそ、本当のところを知りたいと思っているのである。

ちなみに、先ほどの青山繁晴さんの解説にもあるが、安倍総理の発言の中の殆どは事実を事実として語っているにすぎないが、「汚染水の影響は、港湾内0.3平方キロメートルの範囲内で完全にブロックされている」のくだりの部分だけは勇み足のように見て取れるというのは私も同意する。ただ、この部分も安倍総理の意図するところは少し違うところにあるのかも知れない。例えば、安全に稼働している世界中の全ての原発においても、その安定的な稼働状況の中で、ある程度の放射性物質の放出は行われており、最近話題のトリチウムなども、除去不可能な物質であるがために濃度的に基準値を満たしたものを海に放出しているという事実があるという。しかし、これを称して「放射性物質が原発内にブロックできていない」とは誰も言わない。散々、核実験を行った中国などの周りでは、自然界に相当量の放射性物質が存在し、その様なバックグラウンドと比べてネグれるレベルの放射性物質に関しては、ブロックの範囲内と考えているのかも知れない。実際にはトリチウム以外の物質も含まれているので微妙だが、何処かにIAEAなどの何らかの国際的な基準があり、その基準に照らし合わせたときに「ブロックされている範疇」と言うのであれば、その定義に沿って判断すればこれも嘘ではないのかも知れない。勿論、その基準の妥当性が問題なので、あまり一般的でない基準を勝手に採用してはいけないのであるが、実際、下記の様な専門家もいるのは事実である。

ロイター2013年9月14日「福島第1原発の汚染水処理問題、放出準備に着手すべき=米専門家

別に、一人の専門家が言ったことを鵜呑みにする必要はないので議論してもらえば良いのだが、日本国内にはバイアスがかかり過ぎた両極端の人がいるので、中立的な立場も人々をアメリカやEUやロシアなど(少なくとも中国、韓国は除く)から招聘し、色々と議論をしてもらえばよいのである。最終評価はその後でも遅くはない。

概していえば、安倍総理の発言は決して悪意のある嘘ではなさそうだし、議論の余地のある内容は含まれてはいるが、韓国の証拠に基づかないネガティブキャンペーンに対抗し、風評被害を避けるための発言という位置づけも勘案すれば、少なくとも誰かに後ろ指を指される筋合いはないと考えるのがフェアな評価ではないかと思う。

違っていれば、そのご指摘をお願いしたい。

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反日・嫌日の知識人を是非とも有効活用しようではないか!

2013-09-13 23:02:13 | 政治
前回、反日・嫌日の知識人の話を書いたが、そのブログを書いた後でその様な人達の有効活用方法がないかと考えていた。その中で、今日の下記のニュースを読んで思いついた。

産経ニュース2013年9月12日「中国、国際司法裁での解決否定 東京五輪は『わが事のように喜んでいる』

このブログの中でも何度か書いているが、日本政府としては尖閣諸島に対する実効支配を行っており、現状維持でも決して悪くはないから「領土問題は存在しない」というスタンスは譲れないところである。しかし、中国からすれば「領土問題を認めれば首脳会談に応じてやる」と言うぐらいのことだから、もし大義名分が自らにあると確信しているのならば国際司法裁判所への提訴が筋である。そして、日本としてはその様に中国(正確には中国国民)にけしかけることが有効であると述べてきた。その最も効果的な方法が何だろうかと考えていたのだが、その方法が幾つか思いついたということである。

例えば、鳩山由紀夫元総理などは、中国にまで行って「中国にすれば、尖閣のことを『盗まれた』と思っても仕方ない」とまで言って中国人を喜ばせたのだから、中国人には広く名前を知られているのだろう。その様な人が中国に行って、「世界に対し、領土問題が存在することをアピールするのに最良の方法は、国際司法裁判所に訴えることである」と宣言してもらえば、多くの中国国民は「そうだ、そうだ!」と感じるに違いない。自民党OBの野中広務元官房長官なども、尖閣棚上げ論を訴えるのだから、日本政府に「国際司法裁判所に訴えるぞ!」と言って棚上げ合意に持ち込めばよい!と語ってもらえばよい。福島瑞穂前社民党代表なども積極的に使えば良い。この様な国賊ものの人たちでなくても、中国と日本の対立が激化するのを嫌う短絡的平和論者には、日本国内でも「中国が国際司法裁判所に尖閣問題を提訴したら、積極的に日本政府はその訴えを受けて立つか、ないしは棚上げ合意を行って未来に解決の知恵を求めるか、いずれかを選択すべきである!」と訴えてもらうのである。そして、中国にも積極的に行ってもらって、その様な訴えを中国国民にぶつけてもらうのである。

多分、短絡的平和主義者の彼らの立場からすれば、最悪の選択肢は軍事衝突に繋がる行為であり、その対極に位置する政治的、平和的解決は大いに歓迎すべきアプローチである。日本が訴える法の下の支配としては、例えば、国民が政府に何かを求めてその声がマスコミなどで取り上げられても政府が中々対応しなければ、政府に対して裁判を起こし、強制的な法執行により対応を求めるのは日本人なら自然な流れである。実際、多くの裁判が行われ、その裁判の結果、日本政府は様々な補償に応じさせられた(そんな実績は腐るほど見つけられる)。「日本政府は、『法の下の支配』と言っているのであるから、国際司法裁判所に提訴すれば日本政府は決して逃げられない。このアプローチが、中国にとっては最短で最適な方法である!」と彼らが至る所で公言すれば、多くの日本人は「そうだ、そうだ!中国が国際司法裁判所に提訴すれば、日中関係改善の第一歩に繋がる」と感じるだろう。日本は「アジア諸国の信頼を勝ち取る努力をしなければならない」と訴えるのが好きな人も、「自分達は韓国に対して竹島問題を国際司法裁判所に訴えると言っておきながら、自分たちが訴えられてそれを拒んだらアジア諸国の信頼は絶対に勝ち得ない」というロジックには大手を振って賛成するだろうから、この様な人も協力せざるを得ない流れだ。経団連会長なども、経済界の立場を汲んで、中国との間で民間レベルで「(中国政府は)国際司法裁判所に提訴すべきである」という空気を醸成してくれればそれで良い。多くの新聞社、特に朝日新聞や毎日新聞などにも頑張ってもらって、「中国政府が国際司法裁判所に提訴したら、それを受けて立つべきだ!」と一大キャンペーンを打ってもらえばよい。

多分、その様な流れが日本国内で盛り上がれば、それは中国の国民に伝染するだろう。多分、日本政府は「そもそも、領土問題は存在しない」と繰り返すだろうから、パッと目には日本政府が逃げまくっているように見えて、中国政府から「我こそに理がある」と洗脳されている中国国民は「一気に、日本に対して勝負をかけてカタを付けてしまえ!」と感じるに違いない。

勿論、フィリピンが国際司法裁判所に提訴しているのに対し中国政府がこれを拒否していることは中国国民の多くも知っているだろう。それは、米軍基地を国内から追い出したフィリピンが相手ならば、政治的にも経済的にも軍事的にも外交的にも、如何なるアプローチでも優位に進められると中国国民は知っている。敢えて国際司法裁判所に提訴しなくても勝てると思っているから、下手なリスクを犯さずに手堅い方法を選択するのがよいと考えるのは良く分かる。しかし、中国の楊潔篪前外相が「日本が尖閣を盗んだ!」と言うぐらいだから、現在の中国側の認識は、尖閣は「盗まれたままの状態」であると考えられており、さらに、(仮に自衛隊の軍事力など取るに足らないと軽く評価したとしても)アメリカが「日米同盟の範囲内」と宣言しているくらいだから、実効支配されている現状を覆す行為の大変さは感じているはずである。であれば、「『歴史問題』と言えば、必ず勝てる!」と確信している中国国民は、国際司法裁判所への提訴と言う選択肢を十分に有効な手法だと評価するのは間違いない。中国政府がムキになってその様な主張を弾圧しようとするならば、中国としても後ろめたい何かがあるのではと国民に悟られることになり、面と向かって弾圧はできない。自然とその運動は盛り上がり、日中双方に加えて世界中で「だったら裁判にかけてしまえ!」という意見が支配的になる。

まあ、この様な流れを作る最初のきっかけが難しいのが難点だが、しかし、私の考えではそれもそれほど難しくはないと考えている。そう、中国でもアメリカでも、そして日本でも勿論、非常に話題性のある人物、橋下徹日本維新の会代表に一言、語ってもらえばよいのである。

例えばこんな感じだろうか?

「現在、尖閣周辺では非常に軍事的衝突の危機が高まっている。同じアジアのパートナーとして、軍事的な衝突は望むところではない。だから、平和的な方法でこの状態を解決に導く努力をしなければならない。現在、尖閣は日本が実効支配をしており、アメリカ政府も日米同盟の適用範囲内と太鼓判を押すぐらいだから、有意な立場の日本政府としては『そもそも、領土問題は存在しない』と主張するのは最もだろう。しかし、中国がこの状況に平和的に異を唱えるなら、国際司法裁判所に提訴するのは最も有効な手段だ。日本政府は決してそれに応じようとしないだろうが、『法の下の支配』を口癖にする安倍総理のことだから、これを断り続けることはできない。なんなら、中国政府が提訴の意向を示したならば、私(橋下代表)が安倍総理に裁判を受諾するように直談判する。日本国にために、政治生命をかけて全力で説得する。これは絶対約束するから、中国政府も前向きに提訴を考えて頂きたい。」

こんな感じでどうだろうか?細かな表現は幾らでも変えればよいが、彼がこの様に発言すれば、中々これに異を唱えることは難しい。もし異を唱える人がいたなら、論理的な議論を吹っ掛け、その矛盾を突きまくれば良い。「日本政府が応じる訳がない!言うだけ無駄だ!」と言うのなら、「だったら、日韓基本条約があるのに日本政府が応じる訳がない慰安婦への補償を求めるあなたは自己矛盾している!」と切り返せばよい。何よりも、法の下の支配と言うぐらいだから、正論で言えば日本政府は拒否できないはずである。

この様に言うと、逆に「日本政府は『そもそも、領土問題は存在しない』という立場に反するから、裁判を受けることはできないはず」と私が思っていると思われるかも知れないが、それは間違いである。「そもそも、領土問題は存在しない」というのは日本政府の立場、主義・主張である。しかし、裁判や法の下の支配とは、主義主張よりもより上位の優先順位の高い我々が従うべきルールなのだから、主義主張は変えないながらも法律・裁判には従うという考えは自然なものである。例えば、民法で損害賠償で訴えられたとしよう。さらに相手の主張には納得できずに裁判で争ったが、裁判で負けてしまったとしよう。損害賠償命令を受けて「賠償金を払うこと」と、「自分の主張を取り下げて、相手の主張を認めること」とは、決して同一ではない。「相手の主張は絶対認められないが、法に従い賠償金を払う」ことは決して矛盾しない。それと同じである。だから、日本は「そもそも、領土問題は存在しない。法の支配に従い、裁判で領土問題が存在しないことを明らかにする!」と言って、裁判を受ければ良いのである。この様に、実際に日本政府が裁判に応じる可能性は大いにあり得る。

この様に、反日・嫌日の知識人には是非とも日本のために働いてもらおうと思う。橋下代表から固有名詞をあげてもらい、「鳩山元首相、是非とも一肌脱いでいただきたい!」と言われれば、ヨーイ、ドンの掛け声になるだろう。如何だろうか?

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洗脳を解くためのショック療法

2013-09-11 23:58:12 | 政治
昨日のブログの中で、中央日報の記事の自己矛盾について書かせて頂いた。産経新聞のご指摘の通りであり、韓国青瓦台のプロパガンダは当然だとしても、仮にもジャーナリズムを自称するメディアとして9月10日の記事「朴槿恵大統領、ベトナムで父の時代の歴史の結び目をほどく」は詰んでいると結論付けてしかるべき内容である。このタイトルが既に「完全に逝っている」ことの証明である。どうしてこの様な簡単なことが、冷静に理解できないのかが不思議であるのだが、今日はその辺についてコメントしてみたい。

昨日の記事を蒸し返すに至った理由は、たまたま今日、朝日新聞出版のAERA2013年9月9日号の記事の中で、姜尚中氏のコラムを読んだからである。姜尚中氏と言えば言うまでもなく、この3月までは日本の最高学府である東京大学で教鞭をとっていた国際政治学者で、在日韓国人2世の国籍は韓国人である。本人も、生みの親が韓国で育ての親が日本と言っているそうで、この日韓の対立状態を好ましくないと感じており、その思いをコラムにぶつけていたようである。その中で、安倍総理が終戦記念日に靖国神社関連の発言で、「国のために戦い尊い命を犠牲にされたご英霊に対する感謝の気持ちと尊崇の念、その思いを込めた」と語ったことに噛みついている。韓国人だから韓国側に大分バイアスがかかっているのは理解できる。しかし、長いこと日本で生まれ育ったわけだし、東大教授の職にあるほどのインテリだから、論理的な思考力が備わっていることは疑いもない。しかし、その彼が単にこの「ご英霊」という言葉が気に入らないという主張をご丁寧にAERAのコラムで説明しているのだ。この中で、彼は安倍総理の「ご英霊」という発言が如何に常軌を逸しているかを次のように評している。つまり、ヒトラーを代表とするナチスの重鎮を指して誰かが「ご英霊」などと言えば、それが世界中からどれだけ反発を受けるか考えてみれば分かるという様な趣旨だったと思う(雑誌が手元にないので表現は異なると思う)。しかし、この発言は極めて的外れでアンフェアである。つまり、安倍総理は「靖国神社に眠るA級戦犯として亡くなられたご英霊に対する感謝の気持ち」などとは一言も言っていないのである。安倍総理の意識の中には、殆どA級戦犯のことなど頭に入っておらず、明治維新以降に日本国のために命を捧げた247万もの犠牲者が浮かんでいるはずである。つまり、ドイツのメルケル首相が、「先の大戦で亡くなられた多くのドイツ国民」と言えばその中には自然とナチス党員も含まれてしまうのであるが、その「先の大戦で亡くなられた多くのドイツ国民の英霊に祈りを捧げる」と言っても、世界中の誰からも非難などされはしない。祈りを捧げる対象がナチスドイツだとは誰も思わないのである。ましてや、A級戦犯として靖国神社に合祀されているのは14人であり、247万もの犠牲者の中のごく一部である。それを、アンフェアなことにワザと議論のすり替えを行い、変な方向に議論を誘導しようとしているのである。

もしこの様な議論が成り立つなら、ベトナム戦争当時においてベトナムに進行した韓国軍の中には「ライダイハン」として知られるような犠牲者を多数出した極悪非道な兵士が多数いるのだから、韓国の朴大統領は間違ってもベトナム戦争の犠牲者の眠る墓地に行って、「ご英霊」などと称して追悼してはならないはずである。何故なら、レイプや残虐な殺戮を行った兵士のことを国家元首の大統領が称賛するなど決して許されないからである。しかし、それが平気で行われるのは至って単純な理由であり、中には追悼を捧げるには不適切かも知れない霊も含まれていながらも、その多くの魂は「ご英霊」と呼ばれるにふさわしいのであれば、それはその墓や神社に参拝することは容認されるべきであるというのが世界常識であるからである。

この議論はちょっと考えれば、少なくとも姜尚中氏ならば簡単に分かることであるにも関わらす、この様な事を平気で数多くの人の目に留まる雑誌のコラムに寄稿してしまうのだから、そこにはある種の吹っ切ったものがある訳である。それはなにかと言えば、既に宗教的な域に達している「絶対真理」と信じ込んでいる何かであり、ある種の洗脳に近いものがある。少なくとも日本で生まれ育った姜尚中氏であるから、韓国の反日教育などは受けてはいないのだが、それでもこうなってしまうということは日本国内にその様な教育の土壌があったということである。まさにその元凶が日教組であり、偏った教育を若い世代に長いこと植え続けてきた。戦争を体験した世代が、自分たちを苦しめてきた当時の大日本帝国政府に恨みを感じ、盲目的に戦後の政府に対しても敵意を抱くことはあるのかも知れないが、少なくとも戦後5年して生まれた姜尚中氏がその様な思想に至ったのは、純粋に戦後教育によるものである。彼に韓国国民の様な極端な偏りがないことは私も十分認めるのだが、先の「ご英霊」の議論ほど単純な所に思いが至らない理由は、幼いころからの日本の教育の中にあったものと理解できる。

さて、この様な思考は純粋な日本人の中にも多く見られる。最近、一部では話題になっているようだが、東京オリンピック招致が決まった日の朝のTBSの「サンデーモーニング」では大半のコメンテータは苦虫を噛み潰している様な雰囲気であった。実際、検索すればYouTubeでも見ることが出るから見てみれば良いが、少なくともお祭り気分ではないことは間違いない。あるコメンテータは、「もっと、経済効果がありそうな(経済的に日本よりも劣る)国に譲ってやれば良かったのに」とまで言い切っていた。途中から、河合俊一氏や張本勲氏が加わった辺りから雰囲気はほぐれたが、それまではとてもオリンピック招致が決まったことを伝える番組には思えなかった。確かに原発問題を「Under control」と言い切ったことに対し、「それはないだろう」というご指摘はその通りである。日本政府のやり方に問題がなかったとは言わない。しかし、一方で逆にあることないこと誇張して、税金まで流れ込む機関を介して韓国政府が日本落選のネガティブキャンペーンをしていたことを考えれば、ある種のバランスを取らざるを得なかったという判断がそこにあったとしてもおかしくはない。福島第一原発に対して背水の陣を引く宣言を総理自らがしたのだから、トータルで見れば日本にとっても世界にとってもプラスに働くのは間違いないだろう。にもかかわらず、一部の人からは「お通夜の様」とまで言われたこの様な番組が存在した理由は、先の姜尚中氏がその様な思想に至ったものと共通のものがあるのだろう。

悪いことは悪い、良いことは良いで、物事を理性的に議論できる土壌が必要なのだが、中々そうはいかない様だ。ただ、一方で私としては非常に違和感があるのであるが、民主党政権下での元官房長官である仙谷由人氏が、8月31日にアジア研究基金主催で行われた「新しいリーダーシップと平和と繁栄のための日韓関係」と題するシンポジウムの中で面白いことを語っているという。

Blogos2013年9月6日「元内閣官房長官・仙谷氏と韓国与党議員が語る『集団的自衛権』と『日韓関係』

これまでの彼の行動の中には眉をひそめるものもあったのだが、ここでの彼の発言や、それに呼応した韓国サイドの出席者の発言は驚くことに(少なくともこの記事からは)極めて真っ当で前向きの様に読み取れる。「なんだ、韓国にも話せば分かる人(国会議員)がいるのか・・・」と驚く限りである。多分、この様な理性的な思考ができるのは、仮に幼少時代に激しい洗脳があったとしても、大人になって世界的な常識を知ることで、自然と洗脳が解ける人もいるということで、我々はそこにいちるの望みを託さねばならない。しかし、多くの韓国国民や同じく日本国内の反日有識者を駆逐するためには、ある種のショック療法が必要なのも事実である。それは、さらなる日韓関係の悪化かも知れないし、日韓通貨スワップの延長を行わなかったことを後悔するような事態の発生かも知れない。北朝鮮の暴発も含まれるかも知れないし、中国の暴走かも知れない。

姜尚中氏が危惧する現在の日韓関係の悪化は決して好ましいものではないが、両国民に対してショック療法を行うためには、何処かで通らなければならない道なのかも知れない。だとすれば、それはポジティブに捉えるべきものなのかも知れないと考えれば、少し心が落ち着かないでもないというところだろうか・・・。

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なんとも愉快なニュース(韓国撃墜のためのバズーカ砲!)

2013-09-10 23:58:50 | 政治
なんとも愉快なニュースが飛び込んできた。

産経ニュース2013年9月10日「ベトナム訪問の朴大統領 過去の戦争の歴史で謝罪せず

過去にも私のブログで書いてきたが、韓国はベトナム戦争において残虐極まりない極悪非道の行為をベトナム国民に対してしてきた。「ライダイハン」と言う言葉をWikipediaで検索すれば、その具体的な内容を知ることが出来るが、韓国兵によるベトナム女性のレイプの結果産まれた子供の数が、釜山日報によれば「最大3万人」ということらしい。レイプ被害者ではなく、その結果生まれた子供の数だから、実際のレイプの数は桁違いの数である。勿論性病の蔓延を防ぐのが最大の目的であるかも知れないが、無用なレイプ被害をなくす意味でも活用された慰安施設を日本軍が積極的に活用していたことに対し、その様なことすらせずレイプしまくりでこの様な極悪非道な事態を招いたのが韓国軍である。勿論、罪もない人に対する殺戮も相当数行われたのも事実である。ここでの殺戮には相当数のゲリラ(洗脳された民間人)が含まれることが予想されるから、真の意味で「無実の殺戮」がどれほどあったかは分からないが、(目糞鼻糞かも知れないので、「韓国の方が酷い!」とまでは断言しないまでも)終戦前の日本と比べて決して「韓国の方がまし」と言えるような行動ではないことは確実である。

かって、金大中元大統領はベトナム訪問時にベトナムのチャン・ドク・ルオン大統領に対し、韓国軍がベトナム戦争に参戦したことについて「謝罪」したというが、この時、この金大中元大統領の謝罪を猛烈に批判しまくったのがその当時野党ハンナラ党の副総裁だった朴槿恵現大統領である。その点について、韓国のハンギョレ新聞が取り上げている。

ハンギョレ新聞2013年9月9日「父親の参戦、娘の参拝
ハンギョレ新聞2013年9月10日「[社説]日本に歴史直視訴え、ベトナムにはだんまりの矛盾

この、後者の社説の方は極めて真っ当なご指摘をしている。ベトナム側の認識としては、戦勝国として相手に補償を求めるまでもないとして、寛容なまでにそれまでの悲惨な過去を水に流し、未来志向で生きることを求めている。これに対し、朴槿恵大統領は、ここ最近の金元大統領、盧元大統領に対してはもちろん、謝罪に後ろ向きの李元大統領と比較しても全く比較にならないほどの「黙殺」を決め込み、ベトナムの誠意を踏みにじる行動を行った。これは、父の行動を否定することになるために彼女にしてみれば止むを得ないことなのかも知れないが、自らが日本に対して求めていることに完全に矛盾していることをハンギョレ新聞の社説では糾弾している。

しかし、である。朝鮮日報を調べてみれば、記事は出ているが淡々と朴槿恵大統領が行った事実だけを報道し、問題の点には言及していない。聯合ニュースに関しては、経済関係の記事などは記載されているが、ホーチミン墓地を参拝したことすら記載がない。

極めつけは中央日報である。

中央日報2013年9月10日「朴槿恵大統領、ベトナムで父の時代の歴史の結び目をほどく

なんと、驚くことに、「黙殺」の意味を韓国青瓦台は朴大統領の「厳粛な沈黙」と驚くべきプラス思考の評価をし、「言葉はさまざまな面で政治的解釈を生む。ベトナムの人々は韓国にベトナム戦争に対する話を一切しない。朴大統領の献花と参拝は行動で見せたそれ自体が強い和解のジェスチャーだ」との声明を出したと言い、これを極めて肯定的に評価している。なによりも、この新聞のタイトルが何とも爆笑ものである。全くもって、自己矛盾に気が付いていない様だ。何度も公式な謝罪声明を繰り返し、韓国の要求に応じて証拠のない歴史的に未確定の事案に対しても国家の責任を半ば認めるようなことまでし、法的な問題から国家賠償が出来ないと分かれば民間に手をまわしてアジア女性基金まで設立して(本当に補償すべき対象か否かの選別もせずに)実効的な補償を行い、そこまでしても「許せない!」という国が何をしたか・・・。金元大統領、盧元大統領のベトナムへの謝罪に対し「金大統領の歴史認識を憂慮せざるを得ない。参戦勇士の名誉を傷つけるものだ」といった批判を繰り返し、「私たちは悪くない!」と明言してきた当の本人が「謝りもしない」のは「謝った証拠」というのだから、これは笑うしかない。

ちなみに、ちょっと調べてみた限りでは、この事実を日本の新聞は殆ど報じておらず、私が見つけたのは産経新聞だけであった。日本の新聞社は、もっと、積極的にこれを取り上げるべきだ!

極めて不愉快だが、しかし、これほど愉快な記事はない。今後の展開が楽しみである。ロビー活動が徐々に浸透しつつある日本にとて、これほど強力な武器はないのであるから・・・。

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「まだまだ日本は信じるに足る国」だと再確認させられた日

2013-09-08 23:51:17 | 政治
ついに東京がオリンピック招致を決めた。発表の瞬間は思わずLiveで見入ってしまった。ジャック・ロゲIOC会長の「Tokyo!!」の発声が何とも間抜けな感じでちょっと気が抜けたが、その後にジワジワと喜びが込み上げる感動であった。現在、フジテレビのMr.サンデーを見ながらこのブログを書いているのであるが、今日は、その成功の裏側に思いを馳せてみようと思う。

今回、多くの人達から指摘されることではあるが、日本人が本来苦手だったとされている「ロビー活動」「プレゼンテーション能力」が群を抜いていたという。専門の招致アドバイザー、ジョン・ティブス氏の力量によるところもあるのだろうが、ある意味、覚悟を決めた時の日本人の潜在能力を示したものと言えるのではないかと思う。1回目の投票時点で東京が42票に対し、イスタンブールとマドリードは26票だった。決選投票も60票、イスタンブール36票で、それぞれ圧勝と言っていい。僅差の勝利が予想されていたが、これだけ圧勝だったのはまさに「ロビー活動」「プレゼンテーション能力」の勝利であることの証明である。2024年フランス・パリ・オリンピックを実現するためにヨーロッパを嫌ったとか、IOC会長の改選において有力なトーマス・バッハ氏がヨーロッパ枠であるためにバランスを取ったとか、スペインの新聞がIOC委員の実名をあげて過半数を抑えたという報道がなされて嫌気が差したとか、マドリードを嫌った理由が噂されているし、イスタンブールに関しては何よりシリア問題がマイナス要因になったのは間違いない。しかし、韓国を中心とする恐ろしいネガティブ・キャンペーンもあったし、原発や地震の影響も心配されたから、少なくとも楽勝ではなかったはずである。

そんな中で、私の中での最後のプレゼンの最大功労者はプレゼンテーターの2番手、1番手のパラリンピックの佐藤真海選手と皇族の高円宮妃久子さまかと思う。そして、そのプレゼンの内容が滝川クリステルさんの「おもてなし」発言でストンと心に落ちた人が多いのではないかと思う。ふたりのプレゼンは下記の記事で読めるので、是非とも読んで頂きたい内容である。

産経ニュース2013年9月8日「東京招致委最終プレゼン全文(1)佐藤真海
産経ニュース2013年9月8日「高円宮妃久子さまお言葉要旨

最初の高円宮妃久子さまのスピーチは、日本の皇族が政治的な舞台に立つことが異例であることを暗に示しながら、日本の本気度をストレートに伝え、そして震災復興においてオリンピック招致の持つ意味を、婉曲ながら訴えることに成功したものだと思う。それは、同情を買うためのものではなく、オリンピック招致は復興への歩みと一体になることの意義を伝えたのだと思い。続く、日本の「最後の切り札、隠し玉」と称される佐藤真海選手のプレゼンは、圧巻だった。不幸な身の上話に感動するのではない。最後の一節である「私達が目にしたものは、かつて日本では見られなかったオリンピックの価値が及ぼす力です。そして、日本が目の当たりにしたのは、これらの貴重な価値、卓越、友情、尊敬が、言葉以上の大きな力をもつということです。」は、まさに、IOCの目指すべきベクトルを明確に示したものである。つまり、何故、2020年に東京でオリンピックが開催されなければならないのか、その必然性を示すスピーチであった訳である。

実はここ最近、日本国民でありながら一部の反日、嫌日派とも言うべき人達が、東京オリンピックなど招致すべきではないというキャンペーンを繰り広げている。別に、主義主張は様々だから好きにすれば良いが、彼らが言う「オリンピックを東京で開催する必要なんか、これっぽっちもない」というような主張に対して、この佐藤真海選手の言葉はどの様に聞こえるのであろうか?このスピーチを聞いてなお、「必要ない!」と言えるものなら聞いてみたいと思う。日本政府の活動にネガティブな彼らの言い訳は、「東京五輪なんてそんなことより、福島第一原発の事故収束に専念しろ!」と言うことだが、彼らはこの様な日本にオリンピックを招致することの意味を理解しているのだろうか?これはつまり、世界に対して原発事故収束に関する「背水の陣」を日本政府が引いたことを意味する。2020年に福島第一原発が暴れていたら、それは世界が東京オリンピックをボイコットすることに繋がるから、どれほど国家予算をつぎ込んでも、福島を収束に導くことを宣言したと等しい。であれば、その背景に下心があるかどうかは別として、福島県や周辺住民にとってはこれほど有難いことはない。遅すぎるという批判はあっても、民主党政権でつまずいた出鼻を立て直し、大きく挽回をするチャンスが巡ってきたのだから、住民の利益には確実に繋がるのである。それをなのに、招致を認めないというのは自己満足でしかない。自民党の河野太郎氏がブログ「脱『脱原発のセクト化』」の中で訴えているのだが、脱原発を目指す人々の中には、脱原発や福島第一原発周辺の安全確保などを実現させるための運動ではなく、「『反原発』を利用して自分たちの勢力を強くするためにやっていたようなグループ」も存在するとして、これを「脱原発のセクト化」と呼んでいる。まさに、真の意味の被害者のためにプラスになることよりも、自分たちの主義主張を主張するあたりが何とも「セクト化」という言葉で表している。所詮、東京オリンピック招致に反対する人々はこの様な人達であり、2020年のオリンピック成功の暁に、これらの人々にインタビューをしてみれば良いと思う次第だ。

ところで話は逸れるが、上述の東京オリンピックに反対する反日、嫌日的な人々の行動は、ある種、下記の様な勢力と連動している傾向がみられる。

サーチナ2013年9月5日「【中国BBS】韓国が東京五輪の誘致を全力で妨害…『低俗だ』

これは面白い切り口で、中国のインターネット掲示板上で、「2020年の五輪開催都市として候補に名乗りを上げている東京に対し、韓国が誘致阻止しようと、税金を使って間接的に妨害工作をしている」ことを批判しているものである。しかも、そこには反日教育で盲目的に「悪魔の国、日本」を植え付けられた大量の高校生が動員されており、「国際オリンピック委員会(IOC)や米国の大手メディアに『平和と博愛というオリンピックの精神に反する反韓国デモを黙認している日本に五輪を開催する資格はない』という内容の“告発文”を送りつけるなどの妨害工作を行っている」という。もし、この言葉が正しいなら、それはブーメランのように2018年の冬季オリンピックの開催資格が韓国にないことを意味していることも知らずに・・・。この手の告発文は当然ながら、その送り方をこと細かく指導しているサイトがあるから出来る訳で、明らかにヤラセというべき行動である。しかし、こともあろうに中国の人民が、この韓国の度を過ぎた行為に呆れまくり、「中国のネットユーザーからは、『一番嫌いなのが韓国だ。バカ国家』、『韓国はまともな国じゃないから』、『われわれは低俗な生物と言い争う必要はない』など、韓国に対する嫌悪感を示すコメントが多く寄せられた。」としている。勿論、中国国内にも東京オリンピックに批判的な書き込みは多いようだが、韓国の「民度の低さ」を中国が指摘する程度には、中国は良識をわきまえた行動をとっている。

なお、以上の説明ではプレゼンの話を中心に書かせて頂いたが、ロビー活動についてもコメントを加えたい。それは、五輪招致委員会のロビー活動も素晴らしいものであったが、安倍内閣のロビー活動も合わせて評価すべきだろう。直前に中東各国を歴訪してみたり、様々な国に積極的に働きかける外交活動は目を見張るものがあった。勿論、このロビー活動とは裏方の活動なので、その成果が表に目に見える形で現れることは少ない。単なる結果から推して知る話なのだが、「結果が良かったからきっとそうだろう」という話とは少々異なる。

下記の記事を見て頂こう。

J-castニュース2013年9月6日「韓国が目論む『全米に慰安婦碑を!』運動 日本の『ロビー活動』や内輪もめで次々断念

これは、安倍政権になってからのロビー活動が功を奏していることの典型的な例なのだと思う。「慰安婦碑建造が発案された当初、地元議会は好意的な反応を見せていたのだが、8月27日にアーサー・ブラウン市議が、『日本はアジア女性基金などを通じて元慰安婦女性に補償を行っており、当時の村山富市首相もお詫びしている。碑の建造は日韓関係に悪影響を及ぼすし、公共の場所に建てられる碑は地域と住民に関係するものでなくてはならない』と声明を出すなど、反対ムードが強まり始めたためだ。」とあるように、アジア女性基金などの英語での情報発信が、ロビー活動を仕掛けた人たちの目に留まり、「悪いのは、寧ろ韓国の方じゃないか!」という真っ当な結論に導くことに成功しているのだ。この様な成果は現時点では一部かも知れないが、確実に事態は動きつつあることを暗示している。

これは実はオリンピック招致レースでも同様な戦術が取られていた。日本政府は福島第一原発の対応を示す英語版サイトを経産省のホームページに開設し、安倍総理は「新聞のヘッドラインではなく、事実を見ていただきたい」と訴えた。更に素晴らしいのは、前日の猪瀬都知事の海外メディアへの記者会見では、この情報開示のページを引き合いにだし、ちゃんと読んで理解して行ってもらわなければ「風評被害になってしまう」と、盲目的な危険アピールに釘を刺した。もちろん、現状の福島第一原発が楽観的な状態でないことは明らかだが、実際には事実に反する過剰なネガティブ・キャンペーンも多く、実際には「危険」と「安全」の中間ぐらいなのだろう。しかし、積極的に英語で海外に情報発信を行い続け、「まずは、情報を確認してもらってから、次のステップとしての議論をしましょう」という戦略を展開する。情報不足からくる反日キャンペーンへの対抗である。この様に、まだ始まったばかりかも知れないが、少しづつ、ロビー活動的な行動も成果が上がりつつある。これは、私にしてみれば驚くべき速さでの効果の表れだと思う。

やはり、様々な形で「日本を信じて良いのではないか!」と確信させられた一日だった。

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注意を要するニュースの見方(シリア反政府軍の処刑シーン)

2013-09-07 17:50:54 | 政治
米紙ニューヨークタイムズは、シリア反体制派の武装グループによる政府軍兵士の「処刑」シーンの映像を入手し、下記の新聞の報道と共にその映像が日本のメディアでも流された。

The New York Times 2013年9月5日「Brutality of Syrian Rebels Posing Dilemma in West

このページにアクセスすれば、その動画も見ることが出来る。この映像を見た人は、その残忍さから「決して許されない!」と感じ、こんな奴らのためにオバマ大統領はシリア政府にペナルティを与えようとしているのかと、その空爆の正当性を否定するアピールに繋がっている。私は空爆の是非に関しては、現時点では少し中立的で、空爆をするにしても証拠集めをもう少し徹底して、シリア軍が化学兵器の使用者であることを明確に示してからの話だと考えている。そこで、今日はこの映像を見て考えたことについてコメントしたい。

まず先に、少々、枝葉の話からしておこうと思う。この映像の入手経路は、反体制派の一人が映像を撮影した一方、こんな組織に嫌気がさしてニューヨークタイムズに映像を持ち込んだという。この映像の印象を少し考えれば、この映像は反体制派を非難するためのプロパガンダとして利用されるのは確実だから、これが本当の処刑シーンなのかとか、化学兵器が本当にシリア軍によるものなのかが問題となるならば、同様にこのシーンが本当に反政府側の行為なのかという疑問もある。しかし、この辺は全く議論されることなくスルーされるところは、ベースの部分に「アメリカの空爆を何とか阻止したい、そのためには都合の良いネタは盲目的に利用しよう」という考えがあるように思える。

ここから先は徐々に本題に入ろうと思うのだが、この映像の背景の様なものを調べてみると、このシリア問題の複雑な部分が良く見えて来る。今回のシリアの問題は完全に泥沼の内戦に起因したもので、綺麗に体制派の圧政と、それに対抗する反政府勢力と線引きできる状況ではない。例えば、7月12日の日経新聞の報道では「内戦が続くシリアの北西部ラタキアで11日、反体制派『自由シリア軍』の司令官が、国際テロ組織アルカイダ系の反体制武装勢力『イラク・レバント(地中海東部沿岸地方)のイスラム国』に殺害された。ロイター通信が報じた。」とあるように、反政府勢力は1枚岩ではない。反体制では共通していても、その主導権争いで三つ巴、四つ巴状態となっていて、本来軸となるべき自由シリア軍としてはシリア軍と対峙するのに加えてアルカイダ系とも戦う余力はなく、結局、体制派の前で自滅するような結果となっている。常識的に化学兵器を使用したのは政府軍側であるのはその通りなのだろうが、ここにアルカイダが入り込んでいると、ひょっとしたら何処かの国からアルカイダに渡って使われた(つまり、反体制派が化学兵器を使用したということ)可能性もゼロではないと思えるようになってくる。まあ、もし仮にアルカイダが化学兵器を持っていたら、当然の如くアメリカ国内に持ち込んでテロ事件に使用するのは目に見えているから、それがないということはやはり政府軍が使用した可能性は相変わらず高いのだろう。ただ、仮にシリア軍が使用したのが事実だとしても、そのシリア軍を叩いて政権交代を実現したらアルカイダ系の勢力が政権を握ってしまう可能性が否定できないので、それはイスラエルなどの周辺諸国を考慮すれば、現在よりもより事態が不安定化する可能性も秘めている。この微妙なバランスの上で、シリア政府がもう少し限度をわきまえた振る舞いに思いとどまり、事態が現状よりも多少は改善(現政権を維持しながらアサド大統領が退陣するとか)するいわば「不安定平衡点」の様な状態が現状での最善の解であり、そのための限定空爆が選択肢だと考えているのだろう。話を聞いているだけで、実現可能性が如何に低いかはおのずと知れてくる。

次に、実はこの部分が私にとっては最重要なのだが、先日のブログで「過去の基準で過去を裁く」と「現在の基準で過去を裁く」ことの対立の話をした。今回は起きているのが現在なので、「現在の基準で現在を裁く」ことになるのだが、「平和な先進国の基準で混沌とした発展途上の国を裁く」と「混沌とした現実の基準で裁く」のかの対立も忘れてはならない。これは、捕虜の扱いを定めたジュネーブ条約などの基準を引き合いにだせば、降伏して無抵抗の捕虜に対してあの様な処刑行為は許されないことになるが、彼らのおかれた現状はもう少し複雑である。自衛隊を正規軍と承認する背景にもあることだが、今現在においても、軍服を着た正規軍の捕虜に対する扱いと、(私服を着たような)ゲリラの扱いは明確に分かれている。ゲリラに対しては捕虜になってもジュネーブ条約などで保護される対象外なのだから、ある意味、現場レベルでの軍事裁判で処刑されてもそれほど非難の対象とはならない。逆に言えば、反政府軍は正式な国際間の戦闘ではないのでゲリラ扱いされる可能性は高く、自分たちが捕虜になればその場で処刑される可能性が高い。であれば、自分たちが捕まえた捕虜に関しても、対等な扱いとして「(安易な)処刑を行う権利があるはずだ!」と考えるのは不思議ではない。この様に、国際的な取り決めの隙間に入り込まざるを得ない組織を考える対象としたとき、「平和な先進国の基準」で処刑を「決して許されない」と言っても、少なくともその当事者の耳には届かないだろう。この意味で、短絡的に彼らを責めるのは、責めざるを得ない野蛮な行為であることは認めながらも、責めてもそれは自己満足にしかならないという無力な部分を思い知らざるを得ない。

また、あのような状態は第2次世界大戦中も同様であったことは容易に予想がつく。軍服を着ない民間兵が日本政府軍に楯突けば、それはゲリラとして捕えられ、相当数が処刑されたであろうことは多分否定できないだろう。それを厳密に国際法で照らし合わせれば、決して非人道的な行為には分類されないはずである。しかし、中国などの側からすれば、罪もない国民に対して行った非人道的な虐殺であり、ナチスのホロコーストと同罪だということになったりする。南京大虐殺の真実はこんなところだろう。立場が変わり、視点を変えれば極悪非道の非人道的な許されざる行為にもなるかも知れないが、そのまた逆の立場なら体制維持のために必要不可欠の行為と言いたくなるかも知れない。この様な時、どの立場に立つのが正義かという判断は非常に難しい。しかし、直感的には「可哀そうに見える側に立つ」方が正しそうに見えるので、アメリカ国内にも日本の戦争責任を中国の主張に基づいて過剰に追及しようとする勢力が多い。しかし、そうなると世界中の国々が極悪非道になってしまい、我々はその考え方が誤りだと知っている。それと同様に考えると、今回の処刑に関しても、短絡的に「決して許されない」と言えるのかどうかは判断しにくい。仮に、死刑囚に対して絞首刑のシーンをテレビで流したならば、一斉に死刑廃止論者が増えるのだろうが、それと何処か似ているのかも知れない(し、似ていないのかも知れないが、判断が出来ない)。

そして最後であるが、下記のニュースがある。

The Wall Street Journal 2013年9月4日「プーチン大統領、シリアの毒ガス使用証明なら軍事行動支持も

ロシアのプーチン大統領は、AP通信の取材の中で、「シリア政府が毒ガスを自国民に使用したことが証明されれば、懲罰的な軍事攻撃に関する国連決議を支持することを『排除しない』意向を示した」という。実際、これはロシア政府のホームページでもAP通信の取材対応の紹介として載っているらしい。その後の報道の中では、G20の中でもオバマ大統領に対する対決姿勢を強めていたから、有無を言わさず「反対」の立場なのかと思ったが、そうでもなさそうである。AP通信にここまで踏み込んだ発言をしたからと言って期待できるのではなく、(可能性は低いが)あくまでも可能性としては、「実はロシア政府は、化学兵器を反政府側が使用した証拠を持っている」ということもあり得るから、実際には国連決議を支持することはあり得ないということであるかも知れない。ただ、(そこまでうがった見方をしなければ)もう少し納得感の強い証拠が出てくれば、事態は一気に好転する可能性も否定できないということだろう。

また、これは青山繁晴氏が関西テレビのスーパー・ニュースアンカーの中で指摘していたことであるが、日本政府の当局者は、アメリカは「サリンが使われた!」と主張する一方で、被害者の映像を見ても痙攣をしている人がほとんどなく、地下鉄サリン事件の捜査官にヒアリングを行なった結果としては不自然なのだそうだ。この様に、日本政府はアメリカの主張の妥当性を公平公正に吟味しているという。これは非常に重要なことで、日本政府がアメリカ政府の言いなりではない証拠であり、「世界を納得させるには、せめてこの程度の疑問には答えられる、もう少し精度の高い証拠が必要だ!」というメッセージをこの痙攣が見られないという事実と共にアメリカに伝えている可能性がある。日本版NSCというものがどの様なものになるのか分からないが、単なるお飾りではなく、ちゃんと機能することを伺わせるお話である。

先日のブログ「今夜、安倍総理が首相公邸に宿泊する訳は・・・?」に書いたようなお話があったかどうかは分からないし、この手のメッセージがオバマ大統領に伝わったのがいつかは知らないが、結構、日本とアメリカの間のパイプは深いのかも知れない。日本的にはオリンピック招致が終わるまでは立場を表明し難いし、アメリカとしては世界で孤立しないためにも議会での承認という言い訳を用いて時間を稼ぎ、その間に情報収集を必死で行い情報を充実させるよう努力しているのかも知れない。

オバマ大統領にとって最高のシナリオは、9日以降に下院議会で空爆が承認され、それと時を合わせて政府軍が化学兵器を用いた証拠を見つけ出す。それを受けてロシアがシリア制裁に理解を示すようになり、国連決議を経て極めて限定的な制裁を下すというシナリオだろう。その時、東京オリンピック招致が決まっていれば、日本のデフレ脱却はより強い確信に変わる。それは世界経済にもプラスの効果を持ち、日米を中心に今後数年間の好景気に繋がっていくというおまけがあるとなお良いだろう。ただ、道を踏み外して転げ落ちる可能性も当然あるから、今後の行方は目が離せない。

戦争とは所詮この様なもので、完璧に綺麗な正義の戦争というものは存在しない。また、この様に泥沼の内戦というのも良くある話だ。そこに、石油などの利権がからむから話は余計にややこしい。結論としては、ニュースの見方というのも、かなり注意を要するということのようだ・・・。

追記
つい先ほど、東京オリンピックの開催が決まった。思わずライブでみてしまった。
関係者の努力に祝福あれ!!


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定量的なデータにより「危ない、危ない詐欺」を撲滅せよ!

2013-09-05 23:53:00 | 政治
先日、ふとしたことで下記のポッドキャストを聞いた。

TBSラジオ荻上チキSession-22ポッドキャスト 2013年8月29日「原発事故から約2年半。今、改めて考える「内部被ばく 」(探究モード)
ゲスト:早野龍五(原子物理学)、坪倉正治(医師)、藍原寛子(医療ジャーナリスト)

原発事故から2年半がたった福島で医療活動や調査を行ってきたゲストが、内部被ばくと言うキーワードを中心に、実際の福島について語ったものである。何気なく聞いたのだが、結構、真実は意外な物だった。

少し話は逸れるが、我が家では原発事故の前から福島(会津)産のコシヒカリを買って食べている。小さな子供もいるので原発事故の後、暫くは避けていた時期もあるが、福島産のお米のずさんな放射線検査の問題発覚の後、検査体制を確立して流通が再開してからは安心して福島のお米を食べるようになった。あれだけ話題になって検査体制を確立し、それでも漏れがあったとなれば致命的なことは明らかだから、逆に安全性が高まったという判断である。実際、そのお米で問題が発覚したというニュースも聞かないし、ただ一方で本当のところはどうなのかという一抹の不安も全くないわけではない。どちらかと言えば、お米の方は検査体制がばっちりでも、葉物野菜などは知らずに食べている可能性もあるので、こちらの方が相対的には危険性が高いのかと思っていた。ただ、それは相対的な話であって、実際に重要なのは絶対的な値、つまり定量的な議論をして安全か危険かを評価されなければならず、その答えを聞きたいと思っていた。

時折聞くニュースでは、それなりの内部被ばくをしている人が検査で見つかったとも聞いていたので、何処かで閾値を設けて内部被ばく量がその閾値以上の人が見つかったのであれば、内部被ばく量の分布は正規分布に近いような分布を示すのではないかという予測から、その閾値以下だが閾値を超える予備軍的な人が膨大な数を占めるのではないかという「理系的」予測をしていた。

しかし、結論から言えばこの予測は間違いであるということが良く分かった。風評被害という言葉があるが、少なくとも最近の農作物に関して「危険性」を訴えるような(隠し子騒動で話題の)某参議院議員の主張が如何に荒唐無稽かが良く分かった。以下に、そのポイントを整理しておく。

一般的に被爆には外部被ばくと内部被ばくがあり、直感的には外部被ばくよりも内部被ばくの方が危険だと信じ込まれている。実際、放射性物質が体内に留まっている間は内部より放射線を出して被爆することになる。放射性物質には半減期と言うものがあり、ヨウ素131などは半減期は8.1日だが、セシウム137の半減期は30年と長く、最近はこのセシウムを中心として長い半減期が問題となっている。しかし、多くの人が知っているように、この半減期には生物学的な半減期というものがあり、尿などにより体外に排出されることで実際にはその放射線量は物理学的な半減期よりも実効的には短いことになる。これが4か月(実際には100日程度)であるということだ。体に対する影響を考える場合には、余程、放射線量が高ければ別だが、ほどほどの値の場合には長期的な累積値、積分量が問題となる。原発事故当時は空気中の粉塵に付着した放射性物質が吸い込みにより体内に取り込まれ、一時的に内部被ばくが高かった時期も存在するが、それらが空気中に浮遊した状態から地面に着地した以降は、内部被ばくは純粋に流通している農作物を食べた結果としての内部被ばくに限られるようになった。実際、2011年7月の内部被ばく量データは高い値を示していたが、年末になると完全に内部被ばく量が下がり切っていたという。

一方で、外部被ばく量は場所ごとの空間線量で決まるのであるが、こちらは半減期が物理的な30年であるから、非常に長い間、高い線量を浴び続けることになり、累積値としてはこちらの方がリスクは大きい。iしかし、元々、放射線量がゼロの世界に住んでいた訳ではないから問題はその絶対量である。最近は放射線量の測定器が出回っているので、多くの人の測定により定量的に線量を把握することは可能であり、この結果、安全の目安となる被爆量以下に保つことは概ね確実に実現できていると期待される。一方で、この様な外部被ばくとは異なり、多くの人にとって内部被ばくの方が心配になるのは、その測定が容易ではないがために、その統計的なデータや知見がない状態故に思わず心配になってしまうのである。

さて、その内部被ばくであるが、原発事故後、徐々にホールボディ・カウンターを用いて放射性物質の摂取量(体全身)を直接測ることができるようになった。世界的な常識では、空間線量と内部被ばく量は相対関係があり、例えば郡山などの平均的な空間線量を基準にすれば、ほぼ全員が体の中に数万ベクレルを持っているということになってしまうが、実際に詳細なデータを取得してみると、その内部被ばく量が驚くほどに少ないのだという。これは、測定のサンプルに偏り(例えば、放射線に敏感で福島の野菜など絶対食べないような人ほど、ホールボディカウンタでの検査を受ける傾向があり、これが統計データを捻じ曲げているという主張)があるとイチャモンを付ける人がいるのだが、例えば三春町では町内全員に対してホールボディカウンタで内部被ばく量を調査したが、検出限界を超える子供をひとりも発見できていない。ちなみに検出限界とは、誰でも体内に持っている天然放射性物質のカリウム40による被爆量(原発による物ではなく、以前から被爆していた)が0.2ミリシーベルトであり、その1割増し程度が検出限界と見なされている。大人であれば、原発事故以前から天然放射性物質を多く持っている可能性があるが、その影響が小さい子供で検出限界を超える事例が見つかっていないということは、体内被ばくの元となる放射性物質に汚染された食物の流通が上手にコントロールできていることを示す。ただ、実際には高い内部被ばく量を示す人もいて、その理解が我々の理解と異なるので注意が必要なのである。

少し具体的に言えば、天然由来のカリウムの平均的な体内の放射線量が50ベクレル/kg程度ある。検査ではセシウムによる内部被ばく量がそれより多い人が、南相馬で去年1年間で3人しか見つかっていない。しかし、その様な人に対して問診を行うと、ほぼ確実にどの食べ物を食べて内部被ばくに至ったかが分かる。チェルノブイリの経験で分かっていたことであるが、実際に出荷制限を受けている、きのこ、ベリー類、山菜、いのししの何れかを、これらの人は検査せず(つまり、流通に乗っていないもので、庭先で採取したものなど)にほぼ毎日食べていたという。逆に言えば、流通しているもののみを食べている人からは、有意な内部被ばく量を示す人を見つかることはできなかったという。

この様に、実際にはごく一部の種類の食べ物にのみ汚染がたまっているということである。福島県内の人は福島産の農作物を摂取する率が多いはずだが、データから見れば福島県内の人の内部被ばくが他県の人より多いことを示すデータはほぼないと断言できるそうである。これは、テーブルに乗っている食べ物5品に100ベクレルの放射性物質が含まれるとしたら、20,20,20,20,20ベクレルでみつかるのではなく、0,0,0,1,99ベクレルというふうに、非常に大きな偏りとなって含まれている。数万人図って、検出限界を超える線量が見つかる患者さんが1%未満で、その中に子供さんはほぼ皆無という状況である。ロングテールのすそが、年1ミリ・シーベルト程度という状況であり、これは我々素人がイメージする姿とは非常に乖離している。かなり気を配りながら、実際には福島では給食の放射線量を丁寧に測定しているそうだが、1kgあたり1ベクトルを超える超厳しい基準ですら超えるものが出ていないという状況らしい。安全宣言の妥当性は十分に示せたというわけである。

なお、この様な内部被ばくとは別に、癌検診なども合わせて行われている。ここで、がん細胞は徐々に増殖するので、ある日にドカンと塊が現れる訳ではない。ゆっくりと大きくなるのが現実で、例えば「1ヶ月でサイズが倍に、そして2年で明らかに検出できるサイズになっている」という速度ではなく、実際にはもっともっとゆっくりであると考えられている。検査の中で甲状腺癌を示す子供が18人が見つかったと報道されたが、この患者の年齢的な分布で見れば、より年齢が小さな子供よりも18歳とかある程度の年齢の方が多く見つかっているという。放射線の影響という意味では、発達段階の小さな子供の方が放射線の影響を受けやすいのであるが、現状はその逆の分布を示しているという。これは原発由来では説明できない部分である。けれは決して、これをもって「原発由来でない」と結論づける証拠ではないが、短絡的な「原発由来」という主張が相当に怪しいことを示している。この辺は今後の調査を待つべきであるが、科学的なデータに基づかずに「危ない、危ない、詐欺」を吹聴する輩が多いがために、この辺は冷静な判断が必要である。それが福島県民のためになる行為である。

なお、海への汚染に対する心配についても議論になっていた。結論は、専門外の部分もあり断定できないが、地上の農作物においても放射性物質が溜まり易いものとそうでないものがあるように、海産物などでも同様なことが言えるそうだ。例えば、タコとかイカのような軟体動物は生物学的な半減期がものすごい早いから、局所的に汚染されている地域に生息していれば高い線量を示すが、汚染されていない地域で捕獲したものは線量が低いという。実際、この1年間では危険な軟体動物は検出されていないらしい。同様に、福島沿岸から離れたところに生息する回遊魚の汚染も低いそうだ。しかし逆に、福島第1原発の近場の沿岸漁業のある種類の魚が高い線量を示すのも事実である。実際、アイナメは非常に高い値を示すそうだ。この様に、「福島県産」だから駄目なのではなく、沿岸漁業を除くならば、あくまでも魚の種類が問題なのである。現時点では福島県沿岸の魚は流通していないが、今後はデータを増やしながら、より確実性を高めて流通に乗る魚の安全性を確保することが重要であるという。

この様に、定量的なデータに基づく議論は、時として我々の予想からは大分乖離したものである可能性がある。しかし、その様な地道な活動の結果として、震災からの復活が開けてくるのだと思う。「危ない、危ない、詐欺」に騙されてはいけないのである。

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