けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

録音専用のライフ・ログ・レコーダについて

2012-01-31 21:03:51 | 政治
ちょっと体調を崩してブログの更新に影響が出てしまった。まだ不調だが、前回は物騒な記事を書いたので、今日は平和的な提案をしてみたい。まずは導入として最近の話題から・・・。

通常国会が始まり、様々な論戦が開始された。その中で、公明党の山口代表から、東日本大震災関連の議事録が未作成だった問題について取り上げられた。記者団に対しても「国会の調査委員会で、野田佳彦首相も含めた関係閣僚の聴取が必要かもしれない」と述べたそうである。多分、議事録がないことを聞いた人々は皆、確信を持ってこう思うはずである。「議事録がないわけがない。100歩譲って議事録がないなら、ボイスレコーダに記録が残っているはずだ。」

例外なく全ての音声データが残っているとは言わないが、通常であれば常に議事録を取ることになれた官僚たちが、議事録を残さなくて良いと判断するはずはない。少なくとも議事録が作成できないほどに”てんてこ舞い”状態であると判断したならば、音声データを残すことを考えたはずだ。今時のボイスレコーダは安価だし、PCやiPadなどでも十分に録音ができる。確信を持って、80%以上の議事録ないしは音声データが記録されていたと断言できる。会議によっては法令で作成が義務付けられていると言うのであるから、間違いない。

しかし、それにもかかわらず議事録がないと総理が断言されるぐらいだから、可能性はふたつに絞られる。ひとつは、議事録に残してはまずい何かが会議において日常的に話し合われていたか、もうひとつは菅総理(ないしは関係閣僚)が議事録を作成しないように明確な指示をしたか、のどちらかである。後者の場合は確信犯なので、菅元総理を牢屋にでも入れる覚悟で追求しなければならないが、前者であれば、必ず官僚の中にも良心的な人はいるので、その様な人々が記録を残しているはずである。野田総理、ないしは担当閣僚が法令に則り「議事録、ないしは議事内容に係わる記録を提出せよ」と命令すれば、法的根拠のある命令に敏感な官僚であれば、簡単にそれらの資料を何処からか出してくるはずだ。問題は、その隠していたことを追求される覚悟を持って命令ができるかに係わっている。

ところで話の本題はここからである。最近、ライフ・ログという言葉が聞かれるようになった。自分の生活を様々な形で記録に残すことをいうが、例えばEvernoteなどを利用して、体験した情報を写真や音声、動画、テキストなどをPCないしはネットワーク上に記録していくのである。

しかし、私が今回提案したいのは、その様な自発的な働きかけにより記録するものではない。どなたか、家電メーカの開発者の方がこのブログを見ていたら、是非とも作って欲しいので、以下に提案を説明する。私の提案は、例えばiPhoneアプリの「キオクレコーダー」の様に、音声ベースで構わないので、丸一日を記録するツールである。しかし、「それならiPhoneや普通のボイスレコーダで良いだろう」と言われるかも知れない。私が欲しいのは、それよりももっと小型で簡単なもである。昔、ウォークマンが流行った頃、「引き算の発想」という言葉が使われた。その当時、ポータブルタイプのカセットテープレコーダが普及し始め、より高機能なものを多くの人々が期待した。録音機能はもちろんのこと、FM/AMラジオなどもあって当然の様な雰囲気があった。そんな中で登場したウォークマンは、「本当に必要な機能だけに絞り贅肉を落としたらどうなるか?」を考え、録音機能やスピーカによる再生機能、さらにラジオなどの機能を全て捨て、ヘッドフォンでの再生専用の代わりに高音質というものを作った。ウォークマンは、引き算することで新たな価値が生まれるという発想だった。

今回のライフログレコーダも同様で、常に身に付けていられる様に、サイズも10円玉ぐらいの大きさにして、再生機能(スピーカやヘッドフォンジャックなどでの単独再生)を持たず、純粋に録音だけに徹する(ここがポイントである)。再生はPCなどにファイルを読み込んでから再生すれば十分である。例えば、MP3の音声の圧縮であれば、32kbps×24時間で約350Mバイトあれば記録できる。マイクロSDメモリなどで数Gバイト記録できるので、数日分の記録はできそうだ。問題はバッテリーで、最低でも24時間は充電なしでできる程度の容量が必要である。そのバッテリーのサイズがどの程度の大きさになるかでライフログレコーダのサイズを決めることになる。無音部分は録音をやめ、音声がある場合だけ時刻と共に録音する。合言葉を登録しておけば、口で合言葉を語ると(ないしはライフログレコーダにあるボタンを押すと)録音データにその瞬間がマーキングされる。できれば、一続きの音声データが加工(切り貼り編集のこと)されていないことを証明可能な音声の符号化がなされていると好ましい。とにかく小型で簡易なものにしたいので、本体側には必要最小限の機能のみを持たせる。理想的には、バッテリー充電も無線充電とし、データ入出力も無線化することができれば、完全防水で腕時計的に風呂場に持ち込むことも可能であるが、サイズが大きくなりそうであればそこまでは問わない。

録音したデータに関しては、ミニUSBないしはBluetoothやZigBeeなどの無線インタフェースなどを介してPCにデータを吸い上げ、PC上で音声をテキストに変換する。できればPC上のアプリでは、声色から発言者を「本人」「発言者A」「発言者B」などと識別してくれるとありがたい。ノイズが多く、テキスト起こしの精度が低いところは音声データのままでも良い。音楽がBGMとしてかかっていたら、音楽データベースを検索して、曲名などを明記してくれれば、曲自体のデータはテキストにする必要はない。これらの機能はそれなりに高機能なものが必要だが、ライフログレコーダとは別のPC上などで処理を行なうのであるから、ライフログレコーダ側の機能の追加にはならない。

私はこの様なものがあれば、日々、頭に思い浮かんだアイデアを即座にログに残し、後でそれをチェックすることができれば便利だと日頃から思っている。だから本当は自分が欲しいのであるが、しかし最初の話題に立ち戻るならば、官僚や閣僚・政治家などには、この様なライフログレコーダを(完全なプライベートな時間を除き)常に身に付けて活動を行なうように義務化してはどうかと思う。そして、セキュリティの関係上、ネットワークから切り離されたオフラインの個人のPCやサーバに、そのログを1年分程度は残しておくのである。変なアリバイ作りに利用されると困るが、例えばタイムスタンプが正確な時間であることを保証するメカニズムを導入したりすれば、非常に精度・信頼度の高いログが残せる。

まだ、パッと見ただけなので、その様なものが既に世の中にあるのかも知れないが、私には見つけることはできなかった。あくまでも録音専用(再生機能不要)で、音質は問わないので低消費電力で長時間駆動の超小型のライフログレコーダが欲しい。

どなたか、開発して下さい!

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少々物騒な話・・・(非核型攻撃ミサイルについて)

2012-01-28 23:59:52 | 政治
今日は、少々物騒な話をしてみる。その前の導入として、石原都知事の話題から入ろう。

最近、石原都知事の周りが騒がしい。橋下大阪市長と同様、決断力と実行力を共に備える二人のことだから、解散総選挙となれば落選が目に見えている議員ないしはそのような議員を派閥に抱える重鎮が、藁にもすがる思いで彼らにすがろうとしている。その筆頭は亀井静香氏で、自らが主導して新党結成を目指しているのに、全面に「石原新党」とぶっているのだから笑ってしまう。平沼赳夫氏も担ぎ、彼ならば郵政民営化のリセットに協力してくれるだろうとばかりに、必死で他人のフンドシ(しかも、二人分も借りて・・・)で相撲を取ろうとしている姿が笑える。しかし、その当の石原都知事は国を憂いる気持ちには同意しながらも、新党を結党して何をやるかよりも数に興味ある姿には冷淡で、結構、亀井氏を突き放して半分は相手にしていない。

まあ、そんな話はどうでもよいのであるが、その石原都知事が1月22日の産経新聞で面白いことを語っている。私はここで初めて聞いた言葉なのだが、コンベンショナル・ストライク・ミサイル(CSM、非核型攻撃ミサイル)という話題について語っている。少々物騒な話だが、この様な議論が日本には必要だと感じた。

この「非核型攻撃ミサイル」構想とは、例えば検索をかけると「時間破壊なき抑止力(アメリカの新抑止能力について 前編)」「非核攻撃ミサイル構想(アメリカの新抑止能力について 後編)」などのページがヒットする。私なりに理解した要点はこうである。

早い話、現在では戦争において「核のハードル」が高すぎて使い物にならない。核で相手を殲滅するにもその後の放射能汚染の問題もあり、戦後のその地域への駐留などを考えるととても使えない。世論的にも、広島・長崎に続き核兵器を利用することは米国の歴史にも深い影を落とすことになる。そこで、現在最も重要な軍事的な議論は「如何にして相手に核を打たせないか!」である。そのためには、相手が「核を打つ(発射する)ぞ!」という行動に出てから、実際に打つまでの間にその設備を破壊することである。そのためには、短時間で敵陣に到達でき、且つ、核以外の方法で施設を殲滅する方法が求められる。時間の短縮には、ICBMなどのように高度数百キロまで上昇するミサイルではなく、低空を飛行して目的地を叩くというのである。多分、この方法を議論する上で最も重要なのは仮想敵国までの距離であろうから、中国を想定するならば地政学的に日本は最適な場所だと言える。

石原都知事の主張によれば、そのCSMの基地を南鳥島にでも作ればよいと言っているのである。場所的には日本からだいぶ離れた場所であり、推察するに、その場所であれば、その基地を叩くために敵国が核ミサイルを用いたとしても日本には影響が小さい場所であり、リスクは極めて小さい。

現在、普天間問題が話題になる中で、日本にある米軍基地を縮小すべきという議論もある。そのためには、日本も軍備を増強し、米軍に頼りきらずに自立しなければいけない。相手が中国や北朝鮮となれば、こちらも核を持たなければならない・・・というように、議論がエスカレートしがちである。しかし、日本が核を持つことは非現実的である。これは日米安保の否定にもつながり、ここまでやるというとなると、根本的な安全保障の見直しに迫られる。しかし、今の日本の経済状況ではケタ違いの軍事費増大は認められないだろうから、日米安保の見直しは総合的な軍事(防衛)能力の縮小につながる。だから、日本にとっても「核を持たずに核に対抗する手段」の模索は非常に重要であり、結果的には極東地域において暴発的な核の使用を抑止する効果が期待できそうである。

もちろん、裏目に出るリスクもありそうだから、何処まで有効であるかわからないが、「弾道弾迎撃ミサイル」がアリなのだから、CSMだってアリなのだと思う。もちろん、専守防衛の域を脱しているのかも知れないので、憲法にかかわる議論も必要かもしれないが・・・。

このような議論は、当然ながら防衛省内では議論され尽くしているのであろうが、防衛大臣がド素人では何も先には進めないだろう。世界は待ってくれないのであるから、この様な議論を政治家が責任もって議論出来るようになって欲しい。仮にそれが導入されようと、導入されなかろうと・・・。

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自民党よ、公明党を見習え!(年金問題の真実)

2012-01-26 21:31:15 | 政治
消費税増税に絡んで与野党の駆け引きが続いている。今日の昼のTBSの番組「ひるおび」で、面白く且つわかりやすく解説してくれていた。

ポイントは、公明党が民主党に求める「与野党協議の条件として、年金制度の全貌を示せ!」という主張だそうだ。

実は、政治家ならば皆さんご存知の話だそうだが、民主党が昨年3月に行なった年金制度の試算の中で、誰もが目を覆いたくなるような結果が出ていたそうである。にもかかわらず、民主党はそれをひた隠しにして、国民をミスリードするかのような増税議論を進めていたのだという。マスコミの間には、その結果をまとめたペーパーが広く出回っているという。自民党も過去に福田、麻生政権の頃に年金制度改革を検討し、「積立方式」と同時並行的に民主党が主張する「税金による賦課方式」の検討を行い、本気で民主党の主張に沿った方式を採用すると消費税率を何%にする必要があるのかをその時点で把握していたそうだ。

公明党はこの辺の事情を理解した上で、民主党に「全貌を明らかにせよ!」と迫ったのだそうだ。

民主党が税金にこだわる理由のひとつには、スウェーデンの高福祉政策を理想としているからだそうで、一方でその場合に必要な消費税率が25%(ただし食品は12%、出版物や公共交通は6%)であることを考えると、野田総理が唱える消費税率10%が如何に現実離れの税率かが分かる。実際、去年3月の民主党の試算でも、2075年の時点で17.1%の消費税率が必要であることが分かっていたという。しかも、この数字には例えば人口減少分などのマイナスの効果や、その他の政策に必要な税率も含まれていない。無駄の削減に限界があることを知りつつ、子ども手当や様々な政策を将来的には実現するというのであれば、当然ながら20%を超える税率が必要となる。食料品など低所得者層でも必要なものの税率を下げれば、一般の物品の消費税率がスウェーデン並みになるのは当然の結果だそうだ。

それでも、例えば最低保障年金を導入する民主党案では年収420万円以上で給付額が現行制度を大きく下回り、少なくとも年収690万円以上では最低保障年金による上乗せ分がゼロとなる。自営業などの国民年金のみに加入している人々にとってはメリットだろうが、一般の厚生年金・共済年金を受給する人々にとっては厳しい内容である。つまり、多くの人が「消費税をアップする一方で、受給額が大幅に減らされることに納得しろ」と迫られているのである。結論としては、働く現在の現役世代が払い込んだお金を現在の高齢者に支給する仕組みである賦課方式の限界が明らかになったことになる。

民主党は昨年、与謝野馨を引き抜いてまで税と社会保障の一体改革を進めようとしたが、昨年の段階で与謝野氏はこの手の問題を明らかにし、年金制度が一朝一夕に解決できない中長期的な課題であることを指摘していた。しかし、最近になってマニュフェストを達成できたことにしたい民主党側が「これで大丈夫!」として短期的な課題と位置づけ復活させた模様である。しかし、正直者の岡田副総理などは「将来的には、さらなる消費税率のアップが必要」と言及してしまい、民主党側で「余計なことを言うな!」と叩かれている状況であるという。

もちろん、自民党政権時代の「100年安心!」と謳った年金制度の設計の前提条件は、余りにも現実の経済状況からかけ離れた実現不可能な前提条件ろもとに計算していたのであるから、あまり人のことは言えない。正しい前提条件から「100年安心」という結論を引き出すのではなく、「100年安心」と結論づけるために必要な前提条件を逆算し、その条件をどさくさに紛れてあたかも「妥当な条件」と言い張ったのであるから、国民をミスリードしようとしたのは同罪である。罪深さの程度に差はあるかもしれないが・・・。

結局、積立方式を採用せざるを得ないのであるが、人によってはたくさん積み立てた裕福な人と積立が少ない人の格差が大きくなりすぎて問題だという人もいる。しかし、例えば個人単位の積立ではなく、世代毎の大きな財布に積立して、同一世代内での再分配は別途議論するなどと色々工夫すれば、少なくとも世代ごとの不公平感はなくなるはずである。また、ここまでドラスティックに制度を変更するのであれば、その導入に伴う膨大な財源(本来、積み立てられていたはずの財源を、これまでの高齢者世代が賦課方式で食い潰してきたことへの手当)が必要となるが、今後、何100年と続けるべき根本的な年金制度改革であると割り切れば、100年で償還する別枠の長期の国債で手当するなど、手はあるはずである。今回の震災も、100年、千年に一度の緊急事態であるならば、100年かけて手当するのは本来のスジな訳で、安直ではなく冷静な判断のもとで長期的な対応を考えればよい。

いずれにしても、公明党が求める「年金制度の全貌」の提示に民主党が応じれば、野田政権の進める税と社会保障の一体改革が既に破綻しているシステムだと明らかになるし、全貌を明らかにすることを拒めば審議拒否となり、当然ながら参議院を通過できない。解散総選挙で国民の信を問うても、結果は大きな博打で勝算は少ない。展望が開けない中で、目を瞑って博打を打つべきかと悩ましい状況である。

誰かが言っていたが、「民主党から『マニュフェストは実現できません!スイマセン!』とは言えないが、この様に与野党が審議すらできない状況は、どさくさにまぎれてマニュフェストのちゃぶ台返しをするためのいい口実に利用できるかも知れない」という発言が何とも悲しい。

もう「待ったなし!」の事態なのだから、政治家は、定量的な信頼できるデータをもとに、誠実な議論をして欲しい。

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落ちこぼれの将軍様

2012-01-25 20:26:03 | 政治
北朝鮮のキム・ジョンイルの長男の金正男氏が、東京新聞の編集委員、五味洋治氏との150通ものメールおよび7時間ほどのインタビューで語った内容が本になって出版されたそうだ。「父・金正日と私:金正男独占告白」というタイトルで、Amazonの書評を見ても、読者は概ね好感を持って読んでいるようである(私は読んでいないので詳細は知らない)。

私がこの本を知ったのは一昨日の報道ステーションで、この本の内容を特集で取り上げたからである。正直、キム・ジョンイル後の後継選びでキム。ジョンウンが選ばれたのには違和感があった。なぜ、彼なのだろう・・・と。もちろん、長男の正男氏はディズニーランドに偽造旅券で遊びに来て捕まってしまうような情け無い奴なので、父親が見限ったと言うのは予想できたが、なぜ次男の正哲ではないのかは甚だ疑問だった。長男と次男・三男は異母兄弟であり、最終的にどちらの母親がキム・ジョンイルの寵愛を受けたかを考えれば、兄弟の順位が逆転するのは容易に理解できるが、母親が同じ次男・三男であれば人格的な適・不適に大きな差がなければ、兄の方を据えた方が体制維持的には都合が良い。実際、昨年にシンガポールなどを次男の正哲氏が旅行した際の映像を見ると、あくまでも見た目や行動などから、三男のキム・ジョンウンよりはかなりカリスマ性は高そうだ(と言うか、キム・ジョンウンにはカリスマ性が全くない)。相対的ではあるが人間としての落ち着きがある。大体、国民が飢餓で苦しんでいる国で、あれだけブヨブヨ太った様は指導者としての資質に欠けると誰もが思うはずだ。なのに、何故、三男になったのか。昨日の報道ステーションを見ていて分かったような記がした。

金正男氏によれば、彼も父親のキム・ジョンイルも共に、社会主義体制で3代世襲は常識的にありえないと思っていたようだ。つまり、当初は子供達に権力を引き継ぐつもりはなかったようである。子供達をスイスに留学させたのも、多分、自分の様に死ぬまで北朝鮮に篭るのではなく、欧米諸国の異国文化を体験し、国外でも生きていけるようにとの思いだったのだろう。しかし、長男の正男氏と次男の正哲氏は北朝鮮国外での生活に順応してしまい、次男の正哲氏は耳にピアスまでしているという。ひとりだけ落ちこぼれた三男のキム・ジョンウンだけが、資本主義・民主主義に毒されることもなく、北朝鮮に順応することが出来たのだろう。

実際、正男氏の発言には、その外見から感じさせる金一族のボンクラという印象とは全く異なる、国際社会の常識に沿った内容のものが多い。父が、本来は3代世襲を嫌ったのにそれを選択せざるを得なかった理由も冷静に解析している。自分の身を危険にさらす可能性のある内容を敵国である日本の記者に語り、当初はその発言内容を出版しても構わないと言っていたのであるから、それなりの覚悟を持った行動なのだともいえる。父のキム・ジョンイルに「北朝鮮が生き残るには改革・開放を進めなければ駄目だ!」と迫ったのも、その辺の人柄と整合性が取れている。

だからこそ、彼は後継争いから脱落したのであろう。次男の正哲も、やはり同様に常識を身に付けてしまっていたのだろう。リビアのカダフィですら、国際社会の中での常識を身に付けた途端に身を滅ぼした。最も常識を身に付けなかった三男が結果的に選ばれた。しかし、それは崩壊への道を決定付ける判断である。

多分、中国はキム・ジョンウン体制が遠からず崩壊した際に、安定的に中国型の集団指導体制に移行するための「つなぎ(保険)」として金正男氏を囲っているのだろう。そして話せば分かる人物が北朝鮮にもいることを海外に印象付けるために、この様な発言を容認しているのだと思う。中国も中々したたかである。

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超党派で出来ることがあるはずだ!

2012-01-24 23:52:20 | 政治
今日、通常国会が招集され、野田首相の施政方針演説の中で自民党政権時代の福田、麻生元首相の言葉が引用された。「自民党も、かってこう言っていたんだから、議論に応じて下さい」ということだが、その引用が良いか悪いかは別として、一言、言葉が足りなかった。

「あの当時、我々(民主党)は野党だった。今になって思えば、あの時に自公政権に協力していれば、もと早く問題を解決することが出来たはずだ。その反省の上に立ち、自らの過ちを認め、謝罪すべきことを謝罪し、その上でご協力をお願いしたい。」

この様に言えば、自民党も協力せざるを得なかったはずである。仮に協力しないなら、次の政権交代後に、同様の言葉を自ら発しなければならないことを覚悟しなければならないと、暗に伝えることが出来たはずである。せっかくなのだから、このぐらいのことをして欲しかった。

ただ、そんな言葉尻を捉えて云々言っていても始まらないので、昨日の気になったニュースについて書いてみる。昨日、松原仁拉致問題担当相が安倍晋三元総理に、対北朝鮮外交で安倍政権の「対話と圧力」路線を引き継ぐと伝え、協力を要請したという。松原氏と言えば、最近は増税反対で暴れてみたり、少しパフォーマンスが過ぎるところがあり、野田総理も増税反対の急先鋒の彼を取り込むことで、反増税グループに楔を打ち込むのが目的だったとも揶揄されている。しかし、彼は同じ日に特定失踪者問題調査会が北朝鮮向けた短波放送「しおかぜ」の中で、拉致被害者が聞いていることを信じて「必ず(あなた方に)日本の地を踏ませます」と宣言し、国内外にその本気度を示していた。

最近の野田総理の本気度は、税と社会保障の一体改革やTPPに関しては「本気」というメッセージが伝わってくるが、特に防衛問題に関しては全くもって本気度は伝わってこない。そもそも、震災復興、防衛、拉致問題、外交、無駄削減、選挙制度改革、などは超党派で物事を進めていくべき課題である。外交方針が、政権が変わったぐらいでコロコロ変わってもらっては困るのと同様、防衛問題も筋が一本通った行動が求められる。この様な超党派で事に取り組むためには、与野党双方からその分野のスペシャリストを出し合い、天下国家のためにはどうあるべきかを腹を割って話し合わなければならない。拉致問題の松原氏と安倍氏の会談はその様な意味で、その超党派での活動の第一歩なのかも知れない。先の短波放送「しおかぜ」は、2005年10月30日より放送が開始された。その翌日に発足した第3次小泉改造内閣の官房長官に抜擢されたのは紛れもない安倍晋三元総理である。彼がこの放送開始とどう関わったかは知らないが、首相になってからも「しおかぜ」への支援を検討していたりしたので、松原拉致問題担当相がこの番組を通じて安倍氏への協力の必要性を再確認したのかも知れない。

この様な「信念」を国民に向けて発信することは非常に重要であり、リーダシップの有無を国民が肌で感じることが出来るか否かに大きく左右する。これは小さなニュースではあるが、責任政党足り得るためには、この様な超党派での取り組みに背を向けてはいけないのである。

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子ども手当よりも大事なもの

2012-01-23 22:29:59 | 政治
子ども手当に代わる法案の政府案が明らかになった。「子どものための手当支給法」という名称で、殆ど子ども手当を踏襲した内容だという。

昨年、平成23年度の予算関連法案や当時の政治状況を打開するために、民主党と自民・公明の3党合意として、子供手当て法案の廃止と児童手当の拡充という約束がなされた。その後首相が変り、現在の野田政権がどの様な判断をするのかに興味があったが、やはりその当時の3党合意を白紙に戻すかのような提案がなされたことに対して、思わず呆れたとしか言いようがない。

話は少しそれるが、政権交代して鳩山政権が誕生した時、日米合意に基づく普天間飛行場の辺野古への移設計画は、少なくとも交渉相手である米国政府は「国家と国家との合意」と認識していたはずである。しかし、鳩山政権は「自民党と米国政府との合意」と位置づけ、あっさり国家間の合意を反古にした。あまりの無責任さに呆れるしかなかったが、その1年後には鳩山元総理が自ら非を認め、自民党政権時代の日米合意に立ち返り辺野古移設を責任を持って遂行すると約束し、総理の職を辞した。総理大臣が辞めるまでもなく、国家と国家との約束というような最低限の信頼を裏切らないことは、両者の良好な関係を維持し続ける上で必要不可欠なのは誰の目にも疑いはない。さらにその後任の総理は、身内ですら騙して前総理から『ペテン師』と呼ばれていた。国際関係だけでなく、政党間、政治家同士の信頼関係は、何をやるにも基本中の基本の話なのに、この政党は一体どこを目指しているのだろうと思ってしまう。

多分、野田総理は消費税の増税のために解散総選挙も辞さないだろう。そこまでの覚悟があれば、話し合い解散を約束して野党を協議に呼び込み、少なくとも野田総理が主導権を握った状態で議論を進めることも可能であろう。しかし、ここまで信頼からは程遠い政党が、この後に及んで昨年の3党合意をチャラにしようと言うのであれば、誰が話し合い解散など信じようか?当然ながら、話し合い解散を約束した協議ではなく、「今すぐ解散」を迫られるのは目に見えている。もし野田総理が消費税増税を政治生命をかけて実行するというのであれば、この程度の子ども手当など3党合意をしてしまったのであるから、今更ちゃぶ台をひっくり返すのではなく諦めたほうが良い。

多分、野田総理の周りでは様々な条件で、解散を行った場合のシミュレーションを行なっているのだろう。そのシミュレーションの中では、「我々は、マニュフェストを殆ど守れませんでした」と懺悔した上での解散が最悪のシナリオで、「マニュフェストは守れなかったのは事実であり謝罪するが、その責任の多くは野党が足を引っ張ったからだ」と国民に刷り込んだ上での解散がベターな選択だと考えているのだろう。一生懸命そのための布石を敷こうとしたのが今回の騒動なのかも知れない。それに気づいた自民党が増税協議に応じてくれればそれで良し、応じてくれなければ解散をしてリセットとしても、かろうじて連立の組み替えさえすれば政権を維持できると考えているのかも知れない。

しかし、ジリ貧の自民党との対比で言えば勝てるかも知れないが、絶対数では大敗するのは目に見えているのである。解散の時期的な問題もあるが、もし間に合えば維新の会も200人規模での候補者の準備を進めているという話もある。気が付けば大政党がひとつもなく、中規模の政党が多数乱立する状況にもなりかねない。民主党への政権交代も博打であったが、この中規模政党の乱立もまた博打である。この様な状況で、権謀術数に長け、数で政局を動かそうと息を潜めている集団もいるだろう。その様な人達の政治ゲームになれば、さらに不毛な数年間が続くことになる。同じ過ちを繰り返しそうで恐ろしい。

この様な状況は、目指すべき理念や改革の大儀に立ち返り、目先のことに振り回されずに、誠意ある態度で国民にも野党にも接することから打開の道が開けるのだと思う。与野党共に「理念に忠実になる姿」を見せ合い、信頼関係を築き合って欲しい。

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まず、あるべき姿の議論をしよう!

2012-01-22 14:12:45 | 政治
「消費税増税の前に自ら身を削れ!」との声の下、比例代表枠の削減を中心とした定数削減(選挙制度改革)の議論が始まろうとしている。定数削減は方向性としては良いことであるが、実際に行われている議論は「まずは理想的な選挙制度のあるべき姿、理念を集約する」という点よりも、完全に損得勘定を中心とした政党のエゴを丸出しにした議論が先行している。

元々小選挙区制が導入された際の基本的な考え方はこうだったと思う。中選挙区制だと、ひとつの選挙区に複数の枠(議席)があるために、同じ自民党から派閥ごとに複数の候補者が立てられ、制度的には大きな政党に有利に働くと考えられていた。一方、健全な民主主義のためには、政権交代が可能な勢力が必要と考えられていた。相互に政権交代が可能な2大政党制が確立し、お互いが切磋琢磨し、問題があれば相互に監視し合えば、腐敗も生まれにくく無茶なことはできないと誰もが信じて小選挙区制に踏み切った。もちろん、少数政党の存在を否定するわけではなく、その様な党のためにも比例代表枠を設けたりもした。

しかし、実際に政権交代を実現した現在、改めて振り返ってみるとどうであろうか?確かに政権交代可能な2大政党は存在するが、当初の目的を果たせているとは到底思えない。民主党は政権を奪取するために集まった烏合の集団である。自民党の中にも右から左、タカ派からハト派まで色々いたが、民主党はそれどころではなく、周りから長々と批判されているにもかかわらず党の綱領すら決められないくらい、極端に意見の違う人をも束ねた集団となっている。連立政権であれば、政党ごとに微妙に政策が異なり優先順位も違うのであるから、事前の協議で定めた優先順位に従って事を進めざるを得ない。その主張も、その政党の議員数に応じて反映されるのは仕方がないことだから、自らの主張が通らないことも承知の上である。しかし、民主党はそれが同一の党であることから、党の中で実権を握ってしまえば300議席を総取りできるという感覚なので話がややこしい。常に分裂の危機をはらんでいるので、思い切った政策など取れないのである。

この様に考えると、現在の2大政党は結果的に本来求められていた2大政党とは似て非なるものである。本来は対立するふたつの軸があり、その軸に沿って議員が集まり政党を組み、対立軸に沿って意見を戦わせるべきであるが、そうはなっていない。思い起こせば、多分、「大きな政府」と「小さな政府」というのが対立軸だったと思う。しかし、身の丈を超えた「大きな政府」を謳い文句に多くの議席を獲得した民主党を見た時点で、もはや当初の「小さな政府」では物足りないと誰もが思うようになってしまった。小さな政府のはずの自民党も、今では十分に大きな政府を志向するようになってしまった。どうも、民主党は元に戻せないようなことをするのが好きらしい。

話は戻るが、日本の政治が成熟しておらず、目指した2大政党制を実現できないのであれば、最初に戻って小選挙区制を見直しても良いだろう。そして、中選挙区制に戻す代わりに比例代表枠を撤廃し、参議院と衆議院の差別化を図ればよい。これにより、参議院の意義も大きくなる。またこれならば、少数政党も選挙制度改革に文句が言いにくくなる。小選挙区であればベタなドブ板選挙も致し方ないが、中選挙区になれば過剰に選挙活動に勤しむより大局に立った政治のあり方をゆっくり考える時間も持てるだろう。そして、政治が成熟した時点でまた小選挙区制に戻せばよい。派閥の否定の意味も込めて小選挙区になったのかも知れないが、結局、民主党内ですら派閥の論理を否定できないでいるのだから。

選挙制度は単なる手段であり、目的ではない。まずは目的をじっくり議論して、その中で手段を選ぶのが本来の筋であろう。

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普天間問題解決のコロンブスの卵

2012-01-21 12:36:18 | 政治
今日は普天間問題について考えてみる。

現状把握としては、ほぼ全ての人が「もはや普天間問題は解決不可能となった。少なくとも、今後30年間の間は無理だろう。」と信じているだろう。私もその一人である。しかし、そんなことを言っても始まらないのである。ではどうすればよいかを考えてみた。すると、たった一つだけ解決の方法があることに気がついた。

多分、その答えを聞けば誰もが「そんなの、当たり前じゃないか!」と言うだろうが、コロンブスの卵なのである。答えは簡単で、「(例を挙げれば小泉政権のような)少なくとも今後4年程度の間は、連立で構わないから衆参で安定過半数を獲得できる政権を樹立し強いリーダシップを発揮できる総理大臣を立て、その政権の最重要課題のひとつとして普天間問題を位置づけ、特措法などあらゆる手段を用いて強権的に日米合意である辺野古移設を実行すること。」である。

この問題は安定過半数を維持してきた自民党政権ですらここまで引きずってきてしまった。橋本政権で方針を示し、小泉政権では具体的な辺野古移設案を示して日米合意にまでこぎつけ、沖縄県知事、名護市長なども条件付きの賛成の状態まで持ち込んだ。しかし、郵政選挙の大勝の振り子が逆に振れることを恐れて、参院選前に安倍首相は行動を起こすことは出来なかった。短命な安倍政権であったが、意外に重要な法案が成立している事実から、安倍首相が決断していればひょっとしたら何とかなったかも知れない。その後は政権が不安定化し、さらにできなくなってしまった。あの特に悪人になる覚悟で誰かが決断をしていたら、少なくとも今より100倍ましな状態になっていたであろう。

ただ、私も鬼ではないから(鬼のように聞こえるが)、未来永劫に沖縄に無理難題を押し付けるつもりはない。まずは緊急避難的に日米合意を実現させる必要があるが、併せてこの問題を長期的な視点で解決するための模索をするのである。

まず当然のことではあるが、米政府に対して強権的な地元を無視した行動で対処することと引換えに、日米地位協定の大幅な見直しを迫るのである。沖縄の戦略的な重要性がますます高まる中で、普天間問題がいつまでも尾を引く状態を米政府も望まないだろうから、(更なる見返りを求められるかも知れないが)結果的に米政府が条件を飲む可能性は少なからずあると思う。沖縄県民に対する第1の誠意としては、この地位協定の見直しを実現することがある。

ただ、それでは十分ではない。例えば、この問題が30年後には解決する道筋を付けるのである。つまり、今後も30年程度の周期で米軍基地の見直しを行うのである。現状で基地のある自治体が継続的な利用を認めればそのままで良いが、10年程度経過した時点で基地移設希望の判断が下れば、次の10年をかけて移設先を探すのである。最後の10年は、新規の移設先であれば新たな設備を用意するための準備期間となる。このようにして30年周期を確立するのである。しかし、普通であれば受け入れを希望する自治体などはないのであろうから、裏でこそこそやるのではなく、明確なメリット・デメリットをガラス張りで自治体に提示するのである。もちろん、メリットとは財政的な援助のことである。

みなさんは通信の世界などでは有名な「ユニバーサル基金」という制度をご存知だろうか?例えば、過疎地に電話を引く(ないしは維持する)のはビジネス的には思い切り赤字を覚悟しなければできない話である。NTTも政府が1/3の株を保有していると言えど過半数は一般人が株を持つように民営化されたのであるから、赤字分野は切り捨てなければならない。しかし、NTT以外の通信業者がNTTに代わって過疎地に電話を提供してくれる訳がないので、全ての通信事業者が少しずつお金を出し合って基金を募り、その基金でNTTがユニバーサルサービスを実現するのである。これと同様の基金を、全国の自治体からその人口比率に応じて、相応の負担をさせるのである。例えば、現在、沖縄には基地の地代や基地従業員の給料など、800億円程度の税金が投入されているという。例えば、これとは比較にならない規模(例えば全国で5000億円以上)のユニバーサル基金を全国自治体から募り、米軍基地(場合によっては自衛隊を含めても良い)の面積や何らかの評価基準で各県の基地負担割合を算出し、基金全額をその比率で分配するのである。

札束で相手の顔をひっぱたくようなやり方だが、全国の自治体にオープンに情報を開示し、裏取引なして各自治体ないしは県民の判断で選択することが可能となる。嫌なことを言うようだが、基地移設反対という人の中の極々一部には、ハードルを高く上げることで最終的に基地を受け入れざるを得ないとなった時の見返りを高額にしようと目論んでいる人もいるはずだ。しかし、その様な駆け引きは全ての県民にとっても不幸である。

この様な30年後の問題解決を実現するための努力と具体的な方法を示すことが、沖縄県民に対する第2の誠意である。

この様な道筋を付けても、多分、今の民主党政権では普天間を解決することなどできないだろう。しかし、仮に橋下大阪市長が国政に打って出て、安定多数政権のもとで総理大臣に就任したら、彼なら間違いなく問題を解決するだろうと人々は感じるはずだ。石原都知事であっても、(安定多数政権が樹立できるかという点で疑問符はつくが)それだけの決断と実行力はあるだろう。

かって、消費税を導入した竹下登元首相は(私の嫌いな政治家の一人ではあったが)、彼は「国民の人気を得たいなら野党になりなさい。与党であるということは、国民が嫌がることでも敢えてやらなければならない。」と言ったそうである。さらには、消費税の導入に際しても、消費税導入のリスクを具体的に幾つも列挙して、それでも消費税を導入しなければならないと説いたのだそうだ。金と権力にまつわる話があるので不快に思っていたが、政治家としての覚悟とリーダシップは立派なものであったと思う。

多分、安定政権の樹立は、その政権が何をやるにしても国民の望むところだと思う。今の民主党の様に政権を取るための打算的な目的からの寄り合い所帯ではなく、信念に基づく旗印のもとに政界を再編し、安定長期政権を樹立することが問題解決への近道なのだと思う。

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駄々をこねずに署名活動をしろ!

2012-01-20 22:50:59 | 政治
おととい、東日本大震災後に運転を停止していた原発の再稼働の可否を判断するストレステストの耐性評価結果について、専門家の意見聴取会が行われた。

しかしこの意見聴取会に原発反対派が乱入し、会議が3時間半遅れることになった映像がニュースで流れた。またまた某俳優のパフォーマンスを見ることになって残念である。会議の開催にはルールがあり、傍聴者は不規則発言で会議を妨害してはいけないのは当たり前のことである。前回の意見聴取会で不規則発言があり、会議が妨害されたことに対する対策として、別室でのモニターによる傍聴と決めた。話し合われるテーマが何かを横に置けば、極めて真っ当な対応である。自分たちが行った行為がもたらした結果に対しては、素直に認める潔さがなければ誰もその人の意見など取り合おうとはしない。民主主義のルールは守るべきである。

結局、3時間半遅れて開始された会議は、出席予定の8人の委員のうち、安全評価に批判的な2委員が「傍聴させないなら出席しない」と参加を拒否し、1人は別の予定があり欠席、さらにもう1人も途中退席した。最後まで議論に加わった委員は4人だったことになる。

原発反対派の言い分は、「こんな会議など開かなくて良い。とにかく邪魔をして、原発の再稼動を阻止できれば良い。」というところだろう。しかし考えて欲しい。本当にそれで原発再稼動を阻止できると思っているのであろうか?民主主義を無視した野蛮なやり方で、その行動を支持してくれる国民が増えるとでも思っているのであろうか?結果的に、安全な方向に向かうと思っているのであろうか?私の答えは全てに「No!」である。つまり彼らは、自らの主張を本当に実現させることに対する責任感などないのである。お祭りの様に騒いで目立てば良いのである。地方の成人式に酒を飲んで乱入する暴走族などと同レベルだと言いたい。

本当に安全性を高めるのであれば、正当な方法で安全監視のルールを変えるのが正しいアプローチである。例えば、欧州でのストレステストでは、必ず国外の公平な機関による評価を必要としている。日本のストレステストは、所謂「原子力村」に毒された人々に閉じた評価であり、決して十分だとはいえない。だから、このルールを欧州並みに変えるような働きかけを行うことが第一歩だと言える。私は異なる意見を持つが、早急な脱原発を議論したいのであれば、その第一歩を踏み出した後で遅くはない。「今すぐ地震がきたらどうする!」と言いたいのであろうが、どうせ無法者的なアプローチをしても、野田政権のもとでは決して変わりはしないだろう。

誰もが認めるところだが、現在、未来永劫、原発を続けようと思っている人は非常に少数派になった。多分、新規の原発開発は認められないだろうから、現行の原発が順番に耐久年数を全うして廃炉になることで緩やかにフェードアウトするソフトランディング型の脱原発派と、ラディカルな急激な脱原発派が大きな潮流である。前者の長期的な脱原発派の人の大部分も、適切なストレステストによる評価は望むところであるから、正攻法で攻めて行けば必ず大多数の国民の賛成を得るであろう。国会議員の間でも、多分、余裕で2/3以上の票を取れるほどの賛同が得られるはずだ。

だとすれば、テレビで目立つために意見聴取会に乱入する暇があったら、「欧州並みの、IAEAなどの国外の検査機関による公平な評価制度の導入を求む!」と題した署名活動を全国規模で行なうべきである。少なくともこの活動が認められれば、最悪の事態を2度も繰り返すような危険は相当下げれるはずだ。実利を取るなら、短絡的な反原発よりもよっぽど効果は大きい。

それでも彼らがテレビに映って暴れようとするのは、そんな実利よりも、結果的に原発が今後数年に亘り稼動し続けることを生理的に受け入れられないからである。しかし、彼らのそんな生理的な「好き」「嫌い」のために、議論を進められるのが阻害され、うやむやにしたまま目を瞑って突っ走ろうとする政府に口実を与えてしまう。

東京湾に原発を作るという議論から始めると・・・」でも書いたが、お互いが議論の場に向かい合わなければ、結局、困るのは自分たちなのである。問われるのは結果責任である。自分たちの行動の結果に対して責任感を持って望んで欲しい。彼らには猛烈な反省をうながしたい。

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成長戦略に向けた異なるアプローチ

2012-01-19 22:49:58 | 政治
昨日のブログで自民党の“ていたらく”状態を嘆いてみたが、後味がどうも悪い。「こいつら、駄目だ!」と言うのは簡単であるが、如何せん、議論が後ろ向きなので不満が残る。今日は、少しは気持ちよく終われるコメントを書いてみたい。

全然関係ないところから話題に入るが、現在、普天間問題は完全に座礁した何処かの船のような状況だ。誰が見ても、もう、ニッチモサッチモ行かない状況であることは明らかだ。何でこうなったかは明らかで、鳩山元総理が選挙で「最低でも県外」と断言して、沖縄県民のハードルを上げてしまったからだ。ガラス細工の様な微妙な案件に、(正直言って騙し騙しの方法だったかも知れないが)自民党政権時代は亀の歩みながら進捗はあった。多分、安部、福田、麻生の3元総理の誰かが悪人と呼ばれる覚悟で決断していたら、少なくとも普天間の固定化という最悪のシナリオは回避できた。グアムへの移転も順調に進み、基地の一部の返還という流れも今頃はあっただろう。県外への移転ではないから100点満点ではないのは承知の上だが、少なくとも今より100倍は良い状況であったと思う。更にいえば、普天間問題に端を発する日米同盟の亀裂から、尖閣問題や北方領土の固定化問題まで、中国、ロシアなどに付入る隙を与えたのは、(仮に民主党が「俺のせいじゃない」と弁解しようが)限りなく強い相関のもとで発生した事象であることは明らかである。

これらのことから分かることは、楽観主義者が「なんとかなるさ!」と言ってリスクの大きさを過小評価して何となく周りの皆が納得してしまうような状況でも、実際にイザ事が起こってしまった後では、二度と後戻りが出来ない深刻な問題となることが十分に有りうるということである。

急速に膨らむ日本の国債などは、その最たるものであろう。EU内ではドイツ、フランスが当事者としてなりふり構わずギリシャを助けるため(実際にはEUを救うため)に働いてくれたが、日本がギリシャ状態に一旦陥ってしまえば、同様に誰かが日本を助けてくれるなどということはありえないだろう。それだけのリスクをどの様に認識するかは、その「イザ」という時が来てから見直しては遅いのである。その認識の見直しの第一歩が、不況下における消費税の増税論議なのである。経済・財政の分野でも「第2の鳩山」を作ってはいけないのである。

鳩山元総理は無責任ではあったが、民主党代表という立場での発言だから、ある程度、責任の所在が自分にあることを覚悟しての発言であったろう。しかし、現在「なんとかなるさ!」と言っている楽観主義者は、そのリスクが現実のものとなった時の自らの責任の所在を明らかにしていない。だから、余計にタチが悪いのである。

さて、この不況下での消費税増税は、当然ながら税収増に直接結びつかないのは誰もが知るところである。野田総理の言葉を借りれば、消費税増税と成長戦略は車の両輪なのである。したがって、消費税増税を語る際には、成長戦略も合わせて語られなければならない。

この成長戦略というときに、よく「イノベーション」などという華やかなキーワードが使われるが、例えばスティーブ・ジョブズが実現したような画期的な変革は、多分、日本人の最も苦手とするところだろう。だとすれば、その様なものを国が先導することなど出来るはずもなく、現実的には成長戦略とはもっと地味な地道なところで語られるべきかも知れない。だとすると、グローバルな世界の中で、日本がどれだけ世界からお金を稼げるか(外需中心の考え方)を議論するのではなく、どうすれば日本国内の消費を活性化させるかことができるかという部分が鍵を握るのではないかと思う。

過去に「OSをバージョンアップせよ!」の中でも触れたが、現在、年金と社会保障の制度は破綻寸前であり、世代間の格差もどんどん広がっている。バブルの時代には、誰もがブランド品やカッコいい車に憧れて消費が非常に活発であったが、今の若い人達に消費の下支えを期待しても無理である。だとすれば、高齢者が安心してお金を使える環境を整える必要があるが、現在の年金制度では心もとない。そこで、60歳を過ぎても80歳になっても、働ける人が社会貢献的に低賃金で働き、より少ない年金や社会保障でもやりくりできる環境を作れば良いのである。私の提案は、その低賃金で働く高齢者を集めた人材派遣会社を国が立ち上げるということである。

現在、多くの製造業が中国に工場を移している。それらの労働力を再度国内に戻し、国が立ち上げる公の派遣会社から、法に基づく管理のもとで低賃金の高齢者を労働力として提供するのである。私は素人なので正確な解析は出来ないが、非常にラフな評価をしてみよう。「日系企業中国現地社員の給与動向について」において、2006年の日系中国企業の中国人労働者の賃金の情報が載っている(最新のデータは有料なので入手できない)。この当時のデータによれば、平均月額給与(2006年11月調査)は、「事務系一般スタッフ」が2,142元、「生産技術系一般(エンジニア)」が3,065元、「生産一般工員」が975元であるという(この当時は1元が16円だったが、現在は12.2円程度になっている)。2006年からこれまでの間、経済成長率と同程度の10%で賃金が上昇し、さらに貧富の格差が大問題となっている現在では政府や企業が国民・社員の暴動を防ぐための対策として更なる賃金上昇率(例えば20%)で賃金アップを図ったと仮定すれば、賃金が最も安い「生産一般工員」の5年後の賃金は4000元程度まで膨れ上がる。月に20日、1日に7.5時間の労働と仮定して時給計算をすれば、5年後には時給は300円を超えてくる。どんどん中国で生産するメリットが小さくなる。人民元の為替レートも、今後、どうなるかは分からない。人民元の切り上げとなれば、一気に時給は跳ね上がる。

一方で、倫理観の乏しい国民性と更なる反日感情の高まりを考慮すれば、いつ、急に中国から日本企業が追い出されるかは分からないリスクがある。対中国の貿易額がアメリカを超え、過剰なまでに中国への経済依存度が高まることは危険である。その状況を緩和することは、色々な意味でのリスク管理として重要である。

もちろん、中国からインドや東南アジア諸国などへの移行は既に多くの企業でも動きがあるところであろうが、最も安定しているのは日本国内であり、多くのリスクと賃金格差とのバランスをどう考えるかは微妙である。過去のブログ「OSをバージョンアップせよ!」では、例えば高齢者を自給600円で雇用する話を書いたが、実際には時給500円でも良いかも知れない。勤勉な日本人が、健康を維持しながら国家のためになるという働き甲斐を持って仕事ができるなら、この程度の低賃金でも納得してもらえる領域なのだと思う。高齢者がこの様に働きに出れば、無用で暇つぶしのために病院に受診する患者も減るだろう。さらには、適度の運動は健康にも良く働くだろう。コミュニティが壊れた社会で、働く先での新たなコミュニティの構築は、精神的な意味でもプラスに働くかも知れない。これらの効果として、社会保障費の支出を減らすことが出来るかもしれない。また年金と合わせた総収入が必要な生活費以上であれば、年金としての受給額が若干減っても何とかやりくりは出来る。この様な制度を前提とした年金制度の再設計は、国家の財政負担の軽減にも役に立つ。浮いた分を、高齢者を雇用する企業に対する減税措置などで手当てすれば、企業としても旨みはあるだろう。

この様にして経済的な余裕が高齢者に出れば、その分だけ単純に消費が増えるということである。そして、若年世代であっても、将来の不安が解消され希望が持てれば、貯蓄の代わりに消費に回せる金額が増えるのだろう。その様な不安の払拭は、少子化問題にも直結するかも知れない。少子高齢化がストップすれば未来は明るくなる。

もちろん、この様な高齢者の労働力が、若年層の労働力を奪わないようなバランスを調整する必要はある。当初は、外国の生産工場を国内に移転する企業に限定して、その様な制度を活用するのかも知れない。介護に関する業界では、若い人達が低賃金で過酷な労働を強いられているが、この様な業界に限定して正社員の20%以下の割合で国が派遣し、賃金の半分を国が補填するとしても良いかも知れない。将来的にも、低賃金労働者の派遣枠を正社員の人数の所定の割合以下に限定する必要もあるだろう。やり方は、工夫次第でいろいろ考えられるのだと思う。

あくまでも乱暴な意見であるので実現のハードルは程遠く、大幅な修正を行わなければ成立しない制度だろうと思う。しかし、この様な考え方をたたき台にして、今までにない新しい成長戦略を練ることを考えてみる必要に迫られているのだと思う。

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与野党協議の何が悪い!

2012-01-18 23:53:55 | 政治
自民党の石破茂前政調会長が、社会保障と税の一体改革の与野党協議に「力を貸すべきだ」とTBSの番組で発言したそうである。

極めて真っ当な意見である。少なくとも、民主党が国民の信頼を失う中で、その民主党の支持率以下に甘んじている自民党の支持率の低さを、真正面から見据えた発言だと感じる。

谷垣総裁は「嘘の片棒になる」と言って、解散総選挙が約束されない限り協議を拒否するようだ。国会議員の定数削減にしても、小選挙区の0増5減案を民主党が丸のみしても、比例区の定数の80議席削減を理由に反対している。次から次へと「前に進もう!」としている野田総理に対し、必死になって足を引っ張っているようにしか見えない。TPPの時もそうだった。「じゃあ、自民党はどうなんだ!」と言いたくなるが、時期尚早とか適当に言い訳して完全に及び腰であった。

これでも自民党は選挙になれば、民主党が大幅に票を落とし、結果的に政権を奪取できると本気で思っている節があるが、全くもって信じがたい感覚だ。支持率が民主党以下だということは、少なくとも公明党と連立しても自公で安定多数を取るなどもっての他である。維新の会がどう出てくるのか分からないが、小さな政党がそれなりに票を伸ばし、それらの政党がキャスティングボートを握ってしまうのは目に見えている。国民新党がたった数議席で300議席以上の民主党を振り回していたのが目に見えるようだ。

であれば、解散を早期に実現するよりも、どうすれば選挙で過半数を取れる安定政権を樹立できるようになるかの戦略を立てて、その戦略に従った行動を取るべきである。民主党の弱点は、政権を取るために理念もクソもない集団を寄せ集めて政党を作ってしまったことであり、少なくともそれよりは自民党の方が全体のベクトルが揃っているはずである。場合によっては、自民党を割ってでも、民主党の中の同じ方向のベクトルを共有する集団と組んで、理念のある政策を実現するために奔走すべきかも知れない。

国民は政治家の「保身優先」の臭いを敏感に感じ取れるのである。少なくとも、その様なご都合主義の議員は次の選挙で大目玉を食らうであろう。そして、次の選挙後にまで不安定な政治状態が続くのであれば、いよいよ日本丸は沈没に向けてまっしぐらになってしまうのだろう。

誰がどれだけ「天下国家のため!」を意識して行動するのか、誰がどれだけ「泥をかぶる覚悟があるのか」を、国民は今真剣に見ているのである。自民党の茂木敏充政調会長は、「議論は構わないが国会というリングで戦い、裏では議論しない」としているそうだ。裏取引をしないと言えば聞こえは良いが、議論の進展のスピード感を落とすための言い訳のように聞こえて仕方がない。橋下大阪市長のスピード感は、現状への危機感の表れだと思う。だから、茂木政調会長の判断は政治を変えることに対する緊張感のなさの表れだと思われても仕方がない。

大体、議論というのは敵と戦う前に、内輪の議論を事前にまとめて置かなければならない。しかし、そのような議論で自民党内が揉めるのを嫌い、敢えて意見の対立を隠すような後ろ向きな行動を取っているとしか思えない。仮に意見の対立があってでも、自民党は民主党よりも真剣に議論しているんだという緊迫感は、少なくとも支持率回復の特効薬にこそなれど、1枚岩でないからと支持率を下げることにはならないと思う。

別に損得勘定でどちらが正しいのかを議論したいのではなく、「そもそも論」的にどうあるべきかを考えて、「結果は後から付いてくる」という純粋さを政治家には持ち続けて欲しい。

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国民の声を政治に反映させるための方法(思考実験)

2012-01-17 23:55:18 | 政治
産経新聞とFNNの合同世論調査によれば、『日本のリーダーとして最もふさわしい人は』との質問で、橋下大阪市長が21・4%で断トツの1位だったそうである。2位は石原慎太郎都知事(9・6%)、3位が岡田克也副総理と続き、野田佳彦総理は9位(3・6%)とのことである。自民党の中では石破茂政調会長が5位(5.8%)で、小沢一郎元代表は7位(4.4%)とそれぞれ振るわない。政治の実績を伴う上位ふたりが評価される一方、それに続く方々は国民からの信頼を勝ち得ているとは言いにくい現状である。

この様な人気投票を見ると思い出すのは「首相公選制の是否」の議論である。私は橋下市長を非常に高く評価しているが、首相公選制に対しては否定的な意見を持っている。実際、数年前に小沢一郎元代表が民主党代表であった時代、自民党を叩いてポピュリズムの政権公約を掲げ、人気を得た時期があった。結局、自滅して代表を退き、鳩山元総理の時代に幹事長として影の総理として君臨したが何も変わらず、現状を見る限りは殆どの重要な公約は絵に書いた餅であったことが分かっている。

名古屋の河村市長は何かといえば「減税、減税」と言うが、目的と手段を履き違えたポピュリズムであると言わざるをえない。河村市長曰く、「商人(あきんど)であれば、最初に値段を下げてお客さんをつかみ、それでもやり繰りできるように頑張るのがスジ」という。抽象的だが、「財布の中身はこれだけだよ!」と断言して、その中でやりくりするための背水の陣を敷くことが目的であるといえば私も理解する。しかし、であれば減税である必要はないのである。例えば、市の予算を幾ら以内に抑え(例えば、法令で黒字目標を定める)、余ったお金で財政再建を図る・・・とか言われれば、市議会議員の多くを敵に回すようなことはなかっただろうし、誰からもポピュリズムと罵られることもない。以前、前杉並区長が提案していた様に、「財政を切り詰め、余ったお金を積立て、その積み立てたお金の運用益を利用して住民税をゼロにする・・・」という提案であれば、私は大腕を振って大賛成と絶叫するだろう。

小泉総理の時代に「米百俵」という言葉が流行ったが、この「未来のために今は我慢する」という考えとは全く逆に、「未来を差し置いて(現在の赤字を垂れ流している状況で)未来のお金を食い尽くそう(減税)」という発想は政治家としての信を問われる言動である。

確か昨年、テレビ朝日の「朝まで生テレビ」でも首相公選制がテーマとして取り上げられていた。その中で、自由報道協会の上杉隆氏が「森総理の時代に首相公選制が注目を集めたが、その時の人気筆頭は田中真紀子氏だった。その後、小泉元総理の時代に外務省のスッタモンダがあり、田中真紀子氏の言動に幻滅したことで急速に首相公選制の熱が冷めた」と解説したのを覚えている。アメリカの様に1年近くかけて長い議論の末に大統領選を行えば、候補者の資質を見抜くことができるが、現在の日本ではそのようになっていないのが問題という発言も誰かからあった。

それらの議論の中では言及はなかったが、日本の総理にはアメリカの大統領の持たない強力な権限が憲法で保証されている。つまり、伝家の宝刀、「解散権」である。この解散権が地方の首長と同様に首相公選制で選ばれた大統領にもあるとすると、同様に大統領に対するリコールに関する制度も必要となるであろう。しかしこれでは急な大統領選が余儀なくされることになり、それでは候補者の資質を見抜くための議論が尽くされなくなってしまうので、結果的に人気取りの発言をしたものが大統領に選ばれてしまう可能性が高まる。首相公選制を導入するということは、多分、任期(例えば4年)の間は何があっても法令違反がない限り大統領は辞めさせられないこと、大統領には首長の様な解散権を与えないこと、をセットで意味するのだと個人的に理解している。しかし、菅前総理を大多数の国民が早く辞めさせたいと願った事例があるように、政治家ないしは国民の政治レベルが成熟していない国では、現在の議院内閣制の制度が丁度良いのだと思う。

ちなみに、この首相公選制とペアでよく語られるのが「国民投票」という制度である。以前、「国民投票の結果責任を誰が取る?」の中でも書いたが、私は「国民投票」という制度にも、同様の理由で反対である。

少し前向きの提案をしてみよう。「国民投票」という制度の導入を主張する意見と、反対する意見の折衷案である。「選挙制度改革の思考実験をしてみよう!」の中でも提案した方法を利用した「間接民主主義型の国民投票制度」である。

例えば、通常の法案と同様に、衆参両院で(適宜設定されたテーマでの)国民投票実施の可否判断を投票により審査し、両院共に1/2以上の賛成多数で国民投票を実施する。この際、各党はそれぞれに主義主張を国民に訴え、政党別の支持票を投票し合う。有効投票数に対する各政党の得票率を求め、例えばA党がx%、B党がy%、C党がz%とする。その後、国会では法律で強制的に党議拘束を外して、衆議院、参議院の各国会議員が記名投票を行う。その時、各議員の1票の重みを上述のx、y、zで与えるのである。

例えば、反原発をテーマに国民投票を行うとする。回答は全てYes/Noで答えられるものとする。例えば、「1年以内に全ての原発を廃止する」というテーマを設定したとする。社会党や共産党であれば、全ての国会議員が例外なくYesであろう。しかし、彼らは「原発を廃止して、代替えのエネルギー政策をどうする」という答えを持っていない。これでは怖いので、もう少し責任感のある党への投票が増える。例えば、菅元総理が民主党として「脱原発」をぶち上げても、民主党の中にもエネルギー不足が経済界に与える深刻な影響を考える人がおり、彼らは長期的なソフトランディング型の脱原発を目指そうとする。当然、上述の命題に対してはNoとなる。このようにして、全ての民主党票がYesとはならないのである。

この方式の良いところは、民主主義の振り子は振幅が非常に大きいのであるが、その振り子の慣性モーメントを大きくすることで、急激なポピュリズムに対してブレーキをかけるのである。当然ながら、これで全ての問題を解決できるわけではないが、最後の判断は政治家が責任をもって行うことが求められるのである。一方で、係数x、y、zを決めるのに参加することで、通常の選挙とは異なり、シングルイシューでの明確な国民の意思を国政に示すことが可能になる。

もっと単純な方法としては、国会議員票(衆参両院で722票)に加え、国民投票枠として例えば300票を与え、投票結果を有効投票数に対するYes/Noの比率で割り振り、国会議員票との合計で2/3以上のYesの獲得でそのテーマが承認されるというものでも良い。国民投票結果に法的拘束力を与えるのであれば、半分以上は国会議員の判断が反映される条件を設定することで国会議員に結果責任を負わせ、更に単なる過半数以上の得票というハードルを設定するのである。

これまた思考実験の域を出ないが、この様な思考実験を国会やマスコミなどがもっと積極的にやっても良いのではないかと思う。

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橋下大阪市長とFCバルセロナ

2012-01-15 23:51:33 | 政治
今日の報道ステーションSundayに橋下大阪市長が出演していた。

北大の山口二郎教授との激論ということであったが、多分、番組を見た方はその議論が橋下市長の圧勝に終わったことを実感したのだと思う。殆ど、先日のFIFAクラブW杯のバルセロナとサントスの試合を見た時のようで、あれだけチヤホヤされていたネイマールがバルセロナの前に何もできなかったかのような印象であった。

山口教授と言えば民主党のブレーンであり、Wikipediaによれば小沢元代表の掲げた「生活第一」のスローガンの発案者の一人とされているようだ。橋下市長をこき下ろす「橋下主義(ハシズム)を許すな!」という本を書かれているそうで、私は読んだことはないが、平松前市長とも親交が深いそうなので、平松市長が橋下現市長を選挙前に叩いていたのと同様の論調なのだろう(違っていたらスミマセン)。

今回、この議論の中で明らかになったことが幾つかあるが、私が着目したポイントを整理してみる。

第1に、この二人の根底からの考え方の違いは、責任の所在を明らかにすることの重要性の認識の違いである。悲しいかな山口教授は、「(ここでは大阪市にフォーカスされていたが、一般的な政治の問題といっても良い)現状に問題があったときに、その明らかになっている問題点をより良い状態に変革することができなかった場合に、誰かかが責任を取らなければならない」・・・ということに対して全くもって無関心である。彼が関心があるのは、「誰かが現状を変えようとしたときに、(それにより現状がよくなるか否かは別として)現状よりも悪くなるリスクが少しでもあるならば、(評論家として)そのリスクを指摘しなければならない」という点である。

その差が明確にあぶりだされたのは、例えば山口教授が「あなたは選挙で選ばれたからといって、やることが全て正しいわけではないでしょう!」と非難したのに対し、橋本市長が「私は不完全な人間だから間違いもする。しかし、ふたつの対立した意見がぶつかって、ニッチモサッチモいかなくなったとき、(それをそのまま放置するのではなく)誰かが責任をもって決断をしなければならない。選挙とは、制度としてその決断の権限を誰に与えるかを決めるものであり、私はそれに選ばれたのであるから私が決断をしなければならない。そしてその責任は自分が負う。」という様なやりとりがあった。

まさに、これなのである。結局、現在の政治が上手く回らないのは責任の所在を不明確にして物事を曖昧に決めていくからなのである。現状に問題があるのであれば、その問題を解決できない不作為行為に対して当然責任者の責任が問われるはずなのに、山口教授はその点には触れないのである。橋下市長が「じゃあ、どうすればいいんですか?」と聞くと、その辺の街行く人に聞いた程度の答えしか返ってこず、いかにも上っ面な議論である。攻めることに対してはそれなりに語れるが、守りに回ると滅法弱い。いかにも無責任さを絵に書いた様であった。

第2の違いは、情報量の違いである。現場でどれだけ多くの意見の異なる人と議論したかによるものと思われる、情報量の違いなのである。

変な例で恐縮であるが、以前、子供が冬に高熱を出し、しかし翌日には熱が下がり、夜になるとまた高熱が出る・・・という繰り返しになった。インフルエンザであれば他の兄弟にもうつる可能性もあり、早速近所の小児科を受診した。近所では比較的評判のその医者は「絶対、インフルエンザではない」と断言し、検査すらしようとしなかった。ただ、親としては疑心暗鬼の状態であった。今では何故そうなったのか思い出せないが、その後、かかりつけの耳鼻科の先生のところを受診することになった。多分、鼻づまりや咳きなどで子供が苦しんでいたのかも知れない。実は、その耳鼻科は家から20km以上離れた隣の市にあるのだが、引越しをする前にお世話になり、非常に信頼できるので今でも時折子供のために通っている。その耳鼻科は、夫婦で開業しているのであるが、大体、少なくても毎日200人以上、多いと日に400人もの患者を相手にしていて、耳鼻科なのにインフルエンザなどのかなり重症の患者も多く、そこら中で横になって点滴を打っている人がいるのである。しかし、先生は非常に丁寧に診察してくれるので、中々、診察が終わらない。午前中の診察なのに、午後3時半までかかるのはざらである。午後の診察も、8時半頃までやっている。その先生が子供をちょっと見ただけで、「これはインフルエンザだね!絶対自信あるよ!」と言われた。実際、検査してみるとビンゴだった。やはり、情報量(経験)が物を言うことを痛感されられた瞬間だった。

橋本市長は、(最初に答えありきで本気の議論をしようとはしない)ディベート的な戦いを挑む人は相手にしないが、本気の議論を仕掛けてくる人とは本気で議論しあい、またその議論に備えた準備も十分にしているようだ。特に、その様な議論の相手は現場の人々であり、その生の声を聞くことは非常に重要なのである。教育の問題が議論されていたが、橋下市長はその中で「生徒や親が先生を評価する」ことも含みうる制度の改革を訴えていた。山口教授は「モンスターペアレントがいるのにそんな事して良いのか!」と言っていたが、ちょっと前までなら私もそう思ったかもしれないが、しかし、今はそうは思わない。

実は、私は昨年、子供の小学校の授業を授業参観日でもない日にたった一人で見学したことがある。家内が学校の准校長先生(校長に次ぐNo2)と話す機会があって、その先生が「是非とも授業を見て欲しい。何時でもいい。たった一人でも問題ない。学校は、何時でもその様な父兄を待っている。大歓迎だ。」と仰っていたので、実際、見学させてもらった。別に私はPTAの役員でもなんでもない。自分の子供のことでちょっと心配なことがあったので、見学させてもらった。普通の授業参観も見たことがあるが、その時に見たお行儀の良いよそ行きの姿とは別世界であった。たった一人の見学者の場合、子供たちは最初の5分は私に興味を持って行儀良くしようとするが、5分もするといつも通りの姿にもどるのである。それほど無茶苦茶な状況ではなかったが、この状況を放置せずに、早めに対策を打つことが望まれる状況であると実感できた。准校長先生とは見学の後にもお話をさせていただき、繰り返し、変なプレッシャーを学校に与えるために来た訳ではなく、現状を見てみたかったと伝え、学校を後にした。詳細は省略するが、その後、子供のクラスは少し変わったそうである。ちょっとした小石程度のインパクトだが、その小石が池に投げ込まれた波紋が、少しづつ状況を変えていく様である。

橋本市長の話では、大阪市の教育委員会の委員の先生方は1年間で4校を視察しただけで、全てを把握したと思い込み、自らの仕事を全うしていると自負しているようだ。しかし、その様なお偉いさんが訪ねてくれば、学校側は優等生校であったり優等生クラスをピックアップして視察を済ませようとするだろう。お行儀よくした生徒たちを見て、彼らは何を見たことになるのであろう。7人もの子供を持ち、教育現場をも熟知している橋下市長の切り込みは鋭く、教育委員会の委員との議論のシーンでは、私の目には委員の先生も「この人(市長)との議論は有益かも知れない」と感じているかのように見えた。

感じたことはいろいろあるが、クラブW杯の決勝を見た後のような爽快感が気持ちよかった。

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解散総選挙への急がばまわれ!

2012-01-14 19:34:28 | 政治
昨日、野田総理が内閣改造を行なった。

顔ぶれを見ると、防衛大臣と文部科学大臣を除けば概ね納得のできる人選である。良い部分と悪い部分があるのは当然だから、不満はあってもこれで良しと割り切って考えるべきだろう。平野文科相の入閣は、話によれば国対委員長としての役割を十分に果たせず、野党との協議を円滑するために更迭したいところだがそうもいかず、誰からも責められずに国対委員長を変えるための策だという。田中防衛相は、小沢派というよりは輿石幹事長が参院から年功序列的に選んだという部分と、田中真紀子氏が民主党を離党することを防ぐための重石という部分とがあるという。そんなことで選ばないでよ!と言いたいところであるが、それでも選んでしまうところは(総理は)何とも不思議な人である。

ところで、1月3日の産経新聞によれば、「野田佳彦首相が先月中旬、自らの指南役である首相経験者をひそかに首相公邸に招き、消費税増税関連法案が成立しなかった場合、衆院解散に踏み切る意向を伝えていたことが2日、分かった。複数の首相周辺が明らかにした・・・」とのことだそうだ。先月の朝日新聞の首相静動を調べてみたが、そこには首相経験者の名前が出てこないのでこっそり会ったのだろう。これらの発言からすると、野田総理は、どうやら消費税引き上げと引き換えに首相の座を追われても(さらには民主党が政権を手放しても)構わないと考えていることになる。欧州の不安を考えれば、このぐらいの(政権と引換えに増税する)ことをしないと何処かのヘッジファンドに日本国債が狙い撃ちされてしまうリスクが増大するのだろう。この不景気の中で増税なんて・・・とは思うが、ことが複雑で短絡的な増税反対ではすまないのであろう。

このような状況で、自民党は何を考えるのだろうか?あるお偉いさんは、「何としても増税を阻止して野田総理が解散するように仕向けよう!」と思っているそうであるが、「正気かよ!」と聞いてみたいところだ。今、自民党が目指すべきものは「早期解散」ではないはずだ。目指すべきは、早期に「安定政権を樹立すること」を目指すべきなのである。安定政権は、自民・公明の連立である必要も無く、自民党がその中で比較第1党であることは当然であろうが、様々な政界再編と連立組み換えの中で、政権樹立後の政策を安定的に実現できればどういう枠組みでも良い。増税反対の大合唱や、まず解散せよと迫って審議拒否する後ろ向きの行動は、少なくとも国民からは支持されないだろうし、政権奪取後に自分の首を絞めることになるのは目に見えている。

民主党は、放っておいても小沢派を中心とする反増税論者との対立は避けられないのだから、自民党が反増税などと言わなくても法案の採決にこぎ着けさえすれば、分裂するのは目に見えているのである。早く解散に追い込みたければ、野党が積極的に議論に乗った方が近道ですらあるかも知れない。さらには解散後に政権奪取が出来たとして、解散に追い込むために消費税増税に後ろ向きの発言をしていた党が、政権をとった瞬間に増税と言い出したらマスコミは叩きまくるだろうから、変な政局の誘惑で、自らの主義主張を捻じ曲げた行動はすべきでないのである。

自民党の谷垣総裁を見ていると、その様な覚悟が出来ているとは思えない。逆に野田総理はこの点、言動がぶれない点で大いに評価できると言える。

そこで、自民党が取るべき戦略とは何だろうか?それは、財政を再建してプライマリーバランスを黒字化し、しかも国民が増税の負担で苦しまないようにするための戦略である。散々、安倍政権で語られてきた成長戦略を具体化するための政策である。増税は多分、成長戦略による景気回復とセットでなければ効果は薄いだろう。安倍政権の時は手堅い政策が評価されたかもしれないが、今に至ってはチャレンジングな政策を矢継ぎ早に打つのが評価される時だろう。幸いにも復興需要は期待されるだろうから、さらにその景気回復を加速する政策を次から次へと提案し、さらには円安に誘導するための荒療治も提案すればよい。自民党は、民主党に政策の美味しいとこ取りをされることを恐れたりしないで、どんどん、提言を行なっていくのである。多分、勝負はここ半年なのだから、その政策の効果が直ぐに目に見える形で現れることはありえない。だとすれば、民主党の分裂を回避するのにその提言は役立ちはしないのであるから、解散総選挙後の政権でやりたい政策を前面に押し出して、解散になったら選挙もブレずにそのまま戦えば良いのである。変な誘惑に負けてはいけないのである。

多分、野田総理が短命政権であることは誰もが織り込み済みだと思う。しかし、その次の総理がさらに短命であることは致命的である。それこそヘッジファンドにスキを見せることになる。次の総理が短命とならないためにはどうすればよいかを考えながら、政治家は行動しなければならない。

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OSをバージョンアップせよ!

2012-01-12 23:59:28 | 政治
昨年読んだ本の中に、大前研一さんが翻訳したダニエル・ピンク著の「モチベーション3.0」という本がある。

少々乱暴な内容紹介をすると、人間の行動を大きく左右する「モチベーション」の捉え方をコンピュータ用語のOSという言葉で例えるなら、OSのver1.0ではサバイバルが最も主要なモチベーションであり、生き抜くために様々な行動をとっていた。文明が発達し、そのOSがバージョンアップして、賞罰が主要な動機づけとなり、これをOSのver2.0と呼んでいる。成功報酬をニンジンとしてぶら下げれば人々は頑張ると信じて、最近は多くの企業が成果主義を導入してきたが、イマイチ、思ったような効果が上がらず「何故だろう?」と不思議がる人たちが増えているという。最初は日本だけの特殊な現象かと考えたかも知れないが、米国を中心とする多くの実験データが、このOS ver2.0にはどうしても超えられない不備が内在されており、さらなる発展のためにはモチベーションのOSを ver3.0にバージョンアップしなければならないことを示唆しているという。そのOS ver3.0とは内的動機づけであり、報酬を与えるから働きなさいとニンジンの様に外的にぶら下げられる動機ではなく、世の為人の為になっているとか、自分なりの成長などの満足感など、外的には見えないところにある内的な動機が、特にクリエイティブな世界では重要なのだそうだ。

私は、データに基づく論理的な説明が非常に面白いと思ったのであるが、それ以上に、このモチベーション以外にも、様々な分野でこれまで信じられていた「基本原理」というOSを、早期にバーションアップすることが喫緊の課題になっているのではないかと感じた。

例えて見よう。例えば農業の世界はどうなのだろうか?OS ver1.0は何に例えたら良いのか分からないが、OS ver2.0は戦後の農業において、農協を中心とする共同体の中で何をやるにも皆が歩調を合せ、農薬から肥料も共同で購入し、生産された作物も農協を通して販売するという強固な体制の維持が農業の発展に役に立つと信じられてきた。しかし気がつくと若者は農業を離れ、高齢化によりジリ貧状態である。農業だけの専業農家は減り、多くの人は働きながらの兼業農家だ。農業技術が世界最高水準と思っていたら、米の単位面積あたりの収穫量すら米国に太刀打ちできず、収益の効率で比較すれば既に補助金なしではビジネスとしては成り立たない状況である。そんな中でも勝ち残る農家とは、農協を離れ、自らが販売ルートを開拓し、ブランド化された付加価値の高い作物を世界に対して販売し、大きなビジネスとして成り立っている。そこには間違いなくOS ver3.0へのバージョンアップがあったはずだ。

年金にしてもそうだろう。OS ver1.0では「家制度」の中で、家長である高齢者は何も言わなくても子供たちが養ってくれた。戦後「家制度」が崩壊し、OS ver2.0の年金は非常に重要な役割を果たした。団塊の世代が勤労世代であった10年までであれば、働く世代が高齢者世代を養ってもなんとかなったが、我々が年金をもらう時代には、その様なOS ver2.0では生きてはいけない。積立方式や根本的な改革が求められるが、それがOS ver3.0なのかver2.1なのかは分からない。人口の40%以上が60歳以上の時代では、もはや年金で生活していこうなどという時代ではなく、80歳になっても積極的に働ける限り働くという考え方がOS ver3.0なのかも知れない。低賃金の労働力を中国やアジア諸国に求めるのではなく、65歳以上でリタイヤした世代に対し、時給600円程度で1日6時間程度の労働を求め、極端な話、国が大規模な派遣ビジネスを全国レベルで展開するイメージである。少々、というより大分無理がある話であるが、例えて言えば労働力の「ニューディール政策」(国内での囲い込み)とでも言おうか・・・。

この様に考えていくと、究極のOSバージョンアップはエネルギー政策であろう。途中をすっとばして言えば、エネルギー政策は既に一国の問題ではないのだろうから、例えば世界共通のインフラ設備を開発して宇宙空間での24時間大規模太陽光発電を行い、宇宙から地上にマイクロ波送電を行い、世界中の砂漠や広大な荒野に沢山の半径数キロの大規模受電設備を設け、そこを起点に高温超伝導体を利用した直流のロスレス電力伝送で世界中に無料で電力を提供するといった超大規模プロジェクトを、30年後を目標に進めるのである。米国、欧州、日本でこのプロジェクトを成功させ、ほぼ無料で世界中に電力を供給すれば、もはやこの世界共同体を抜きにして生きていくことはできない。一方で、中国やロシアなど単独では、これだけ大規模且つ高度なプロジェクトは立ち上げられないだろうから、タダで電力を供給してもらう側に甘んじなければならない。これほど強烈な戦略物資はないから、核兵器以上の強力な抑止力にすらなるかも知れない。これがエネルギー政策OS ver5.0ぐらいであろう。

いろいろ書いたが、思考実験的に色々考えれば面白いアイデアが出てくるかも知れない。如何だろうか?

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