けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

中韓のトラップに気をつけろ!

2013-04-30 23:19:03 | 政治
最近は色々と書きたいことがあるが、今日は手短に今日の話題について簡単に触れておく。ニューヨークタイムズが猪瀬都知事に行ったインタビューの中で、オリンピック招致にかかわる禁止事項である他開催地の批判を行ったという記事についてである。

マスコミの報じ方は、猪瀬都知事が行った愚行で東京招致に赤信号が灯ったというニュアンスのものが含まれる。確かに、ニューヨークタイムズの報道がそのまま100%正しく、それが真実を語っているというのであればそれは正しいだろう。しかし、以前のブログでも書いてきたが、事実と真実は必ずしも一致しないということに我々は注意を払わなければならない。つまり、何度もブログで紹介する例え話だが、湾岸戦争でハイテク兵器を用いてピンポイント爆撃を行ったのは事実ではあるが、だからアメリカ軍は誤爆などしていなかったという幻想は真実ではない。米軍側のプロパガンダとして、イラク攻撃の正当性を醸し出すために、攻撃が高精度で悪い奴(イラク軍事施設)だけを殺すというイメージをミスリードするため、過剰なまでにハイテク兵器をアピールし、そのピンポイント爆撃の映像を繰り返し繰り返し、マスコミを通じて流し続けた。しかし一方で、病院や学校などの民間施設に対する誤爆のニュースは後を絶たなかった。後から聞けば、ハイテク兵器は全体の武器のごく一部で、実際にはその大部分を旧来の兵器により行っていたから、あの映像からイメージされるものとははるかに異なる現実がそこにあったという。だから真実は異なるのだが、ハイテク兵器が使われた事実は確かにその通りである。全体の中の一部の事実を取り上げて、それで全体を語ることが出来るかどうかといえば、決してそんなことはないのである。

今回、ニューヨークタイムズが猪瀬都知事に対して行ったインタビューの記事の見出しは、猪瀬都知事が全体の98%でアピールしたという東京という開催地の素晴らしさに関するものとは全く異なり、インタビューが終わりピンバッジを配り雑談になったところで猪瀬都知事が行ったぼやきが取り上げられたものである。明らかに、猪瀬都知事の脇の甘さは責められるべきだが、1面の1/3をも割いて掲載した記事の見出しにするというのは非常に悪意を感じるものである。見出しや記事の大半を東京招致のアピールに費やし、最後に但し書きでこの様な他開催地に対するボヤキも忘れることはなかった・・・というような記事ならまだ分かるが、猪瀬都知事が積極的にネガティブキャンペーンを行っているというイメージを植え付けようとする記事は(日本人だからというひいき目を超えて)あまりにもやり過ぎの感がある。

ところでこのニューヨークタイムズは、先日の閣僚や国会議員の靖国参拝について、「不必要な国粋主義」との見出しの社説で批判している。あまりにも中国、韓国の主張に沿った扱いで、我々からすればバランスを欠いている。勿論、NHK的にニュートラルな報道姿勢に慣れた日本人だからこそ思うことで、アメリカの報道は明らかに政治的な偏りを隠すことをしない。大統領選ともなれば、メディアごとにどちらの支持を行っているかは周知のこととなる。勿論、NHK的な白黒はっきりしない立場を私は良いことだとは思わないが、問題はその背景に何があるかである。例えば、何処かの国のロビー活動の一環として、他国の報道機関に食い込んで自国の主義主張をそこにねじ込もうとしたとする。その結果としての報道であれば、公正さを欠くと言わざるを得ない。大統領選でも、仮に大統領候補が自分に都合の良い政策を訴える見返りとして報道内容を変えるというのであれば認められないと思うし、是々非々の立場で大統領候補の主張を比較し、政党にも依存せずに毎回個別に支持者を選択するというのであれば何ら不満はない。そして、ニューヨークタイムズのスタンスを考えれば、どうも中国、韓国、日本という国の中での立ち位置を考えれば、どうも偏った何処かの思惑がそこにあるのではないかと言わざるを得ない。この場合、尖閣国有化を宣言した石原前東京都知事の腹心であった猪瀬都知事に対するインタビューであれば、そこにトラップを仕掛けてしかるべきと見るべきだろう。

だから、猪瀬都知事の脇の甘さは謙虚に反省して頂くとして、これをそのまま真に受けて良いかといえば、そうではないだろうというのが私の感想である。猪瀬都知事は今回のミスを前向きにとらえるような記者会見を行っている。これは、(猪瀬知事を横においても)日本国民が率先して取るべき態度ではないかとすら思う。この手のミスの影響を最小化するのが今求められていることであり、猪瀬知事は「報道内容は自らの意図するものとは全く異なる内容である」「ただし、不用意な発言がなかった訳ではないので、その部分は謙虚に認めて訂正したい」という情報発信に心掛けている。これは、ミスのリカバリーに対する適切なアプローチだと思うから、少なくとも日本のマスコミにはその点を評価して欲しいと思う。

今回のニューヨークタイムズの報道姿勢は、明らかに中国、韓国の日本批判に通じる公平性を著しく欠いたものである。日本は今、常に様々な所にこの様な罠(トラップ)を仕掛けられていることを忘れてはならない。特に公人はもちろん、報道関係者、大学教授などの有識者も含めて、常に「これは大丈夫か?」という意識が必要なのである。

そんなことを感じさせるニュースだった。

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国益を最大化する本当の戦略的外交

2013-04-29 23:50:31 | 政治
先ほど、ロシアを訪問中の安倍総理がプーチン大統領と共に、共同声明を発表した。嫌気がするほど長い長い経済関係のアピールをするプーチン大統領の姿からは、日本という国の重要性に対する認識の程度が読み取られ、更にそれを迎え撃つ形で安倍総理も経済界の要人を引き連れて、我こそがトップセールスだとアピールした。

私の尊敬する青山繁晴さんの著書「救国 超経済外交のススメ」という本を読んだ時の感動は今でも覚えているが、その本の中ではプーチン大統領が小泉政権時代に来日した際の超経済外交の見本の話が載っている。青山さんと安倍総理は親しい関係にあるから、その辺のアドバイスを受けてのことかも知れないが、これまでの握手をしてニッコリ微笑み、それをマスコミに向けて写真を撮らせるのが目的というような外交は既に時代遅れであり、名よりも実を取る国益重視の外交が求められる。特に今回は、経済問題を両者が前面に押し出しながらも、それを隠れ蓑ないしは言い訳にというと語弊があるが、その様な強い経済関係においては当然とでも言うように、(国内的には異論が出てもおかしくない)安全保障的な協調戦略を堂々と前面に出してきた感がある。

最近の中国、韓国との関係を考えたとき、アメリカと同様に重要なのはロシアである。以前、このブログでも触れたが、昨年10月に玄葉外務大臣とパトルシェフ・ロシア連邦安全保障会議書記との会談が行われ、その頃から中国、韓国に対する楔として、日本はロシアを重要視していることを暗に示していた。今回の共同声明においては、「安全保障・防衛分野での協力拡大の重要性を確認。外務・防衛担当閣僚協議(2プラス2)の立ち上げ。日本外務省とロシア安全保障会議事務局との定期協議実施。防衛当局間・部隊交流の拡大、テロ・海賊対策を含む新たな協力分野の模索。」と、安全保障分野に関して昨年秋の露払い的な会談の延長線上に位置する、極めて重要な協力関係を築くことに成功している。

短絡的にもロシアの中国に対する警戒が強まっていることは理解できるが、その程度は相当深刻であるというのが実情だろう。我々は熟知している通り、中国のやり方は(対日本にしてもベトナム、フィリピンなどにしてもそうだが)都合の悪い時には現状維持を謳い、立場が強くなると見れば一気にがぶり寄りで攻めてくる。当初は第1列島線と言っていたのが、気が付けば第2列島線と言い出している。台湾問題がギクシャクしている時には尖閣の「セ」の字も口にしないのに、国連に加盟して台湾問題に一区切りをつけると「尖閣は俺の物」と言い出す。世界に対して日本との尖閣に対する係争地化をアピールすることに成功すると、今度は「沖縄まで俺の物」と言い出す始末である。そして、アメリカと「世界を中国とアメリカで2分しよう!」と言うぐらいだから、国境を長く接するロシアにとっては気が気ではない。良識ある人からすれば、中国人と韓国人と日本人の中から(安全保障的な戦略的も含めて)ビジネスパートナーを選ぶとすれば、決して後ろからいきなり殴ったりしない日本人を選ぶのは必然であり、中国の暴走の抑止と、アメリカとの調停役的な意味合いも含めて、今現在のロシアにとっては日本という国の意味合いは相当重要になりつつあるはずである。だから、皆近平国家主席が就任後に何処よりも先にロシアを訪問し、あれだけ無茶苦茶な「反ファシズム」などという文言を盛り込んだ共同声明で日本に対する共闘を世界にアピールしようとしたのに対し、ロシアが毅然とした態度でそれを拒否するに至っている。

詳しく見れば、ロシアではモスクワを中心として盛り上がる経済成長とは裏腹に、シベリアの開発の遅れは益々この地域を過疎化させ、そこにビジネスで入り込んでくる華人たちが気が付くと一大勢力をそこに築きつつある。韓国資本が入りつつある対馬でも最近は韓国に対する危機感を強めているが、陸続きで国境を接するロシア・中国と、間に海を挟む日本・韓国の関係では雲泥の差があり、少なくとも国境付近の町に対する対策をロシアは本気で気にしているのであろう。メドベージェフ大統領時代は、北方領土を意識して中国・ロシアで日本に共闘という戦略を示したが、プーチン大統領に戻って事態は大分変ったはずである。シェールガス革命の影響なども含めて、ジリ貧状態のシベリアの現状に誰よりも頭を痛めているのがプーチン大統領だろう。

だから、こんな時こそ日本とロシアはWin・Winの関係になれるチャンスがある。そのことに対するシグナルを、日本では最大限の関心事である北方領土に関して発している。もちろん、ロシアは単なる見せ札として北方領土をチラつかせて一方的なWinを目指している可能性はあるが、今回の共同声明に盛り込まれた文言の中に、「交渉を日ロ行動計画を含むこれまでに採択された全ての“諸文書・諸合意”に基づいて進めることで合意」、との表現があり、この“諸文書・諸合意”というのが、少なくとも歯舞、色丹の2島の返還への合意を含むことを意味するから、(日本側の意識は横に置いておいて)ロシア側としてはかなりの譲歩をしたことになる。無条件でそこまで譲歩するからには、それ以外の「実」が如何にロシアにとって重要なのかが良く分かる。

多分、安倍総理は前回のオバマ大統領との会談でもそうであったのだろうが、「私は、これまでの日本の総理ではない。少なくとも、後3年間は君臨する日本のトップリーダーである!」という印象を強く植え付けることが最大の目的なのだろう。その前提があるからこそ、その後の外交が意味のある外交になることを、感覚的に他国の指導者に理解してもらおうとしているのだろう。そして、これからの(さしあたっての)3年間でどの様なスケジュールで何をするか、それを率直に意見交換をしたのだろう。

私には、今回の共同声明は十分に満足なのだが、それ以上の効果がじわじわとこれから出てくることに期待したい。

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結局、尖閣は核心的利益なの、どうなの?

2013-04-27 23:58:36 | 政治
一昨日、中国が初めて尖閣について中国外務省の華春瑩副報道局長が「当然、中国の核心的利益に属する」と宣言した。記者団からの質問で間髪なく明快に答えた格好で、常識的には中国共産党内での認識の統一が図られた発表とみられる。一方で、日経新聞によれば中国外務省はウェブサイト上の記者会見録において、実際の発言とは異なる内容を掲載し、「当然、中国の核心的利益に属する」という発言を修正した形である。

これは何を意味しているのだろうか?短絡的に考えれば、中国政府の中には異なる派閥があり、(対日)強硬派とある程度の(親日)穏健派が対立しながら綱引きをしている状況なのだろう。しかし、もう少し深いところに何かありそうな気がする。

現在の中国の置かれている状況は、4月6日のブログ「北朝鮮とアメリカと中国の思惑を読み解いてみよう!」でも書いたが、アメリカは北朝鮮のエスカレーションに合わせて、例えば朝鮮半島を意識したミサイル防衛システムの配備計画やB2、イージス艦などの朝鮮半島周辺への派遣などを行っていて、どさくさに紛れて少しずつ中国に向けた包囲網を敷き、脅威が去った後もその幾つかを撤去せずに残すという戦略に打つ手がない状況である。アメリカからすれば、これだけのメリットがあるのだから、ノドンやムスダンなどのミサイルで沖縄やグアムの米軍基地を核攻撃できないとの判断があれば、金融制裁などの兵糧攻めで半年程度を目途に真綿で首を絞めるような作戦で十分なのかも知れない。つまり、今年中ぐらいに政権崩壊に追いやるシナリオがあれば、急いてリスクを負わない道を選択し得る状況である。

しかし、中国側からすればこれは結構、死活問題と言わざるを得ない。これは、以前のキューバ危機の時のアメリカの気持ちを中国は今、味わっているのかも知れない。建前上は北朝鮮がターゲットだが、そんなことで安心できる人達ではないだろう。だから、先日の米中の国防省のトップの会談でも、中国は「太平洋を米中で二分して管理しよう」というニュアンスの提案をし、米中は相互に不可侵の関係を築こうとしているのだろう。この関係が軌道に乗れば、必然的に今回の北朝鮮がらみで増強された米軍の体制のリセットを求めることが出来る。しかし、当然ながらアメリカはこの提案に困惑し、尖閣は日米同盟の適用範囲で軍事的衝突があれば米軍は全力で日本を守ると公言してしまったから、相互の不可侵というのは「中国が、尖閣に絡めて日本にも軍事的な挑発を行わない」という前提条件がつく。共同会見という場だから、相手に非礼にならない様に大人の対応をした形だが、中国の強硬派がこの発言を聞いて何を考えたかは容易に想像できる。

つまり、あまり温いことをしていては、手遅れになりかねないと考えたのであろう。となると、韓国からの米軍撤退と尖閣に関する日本に対する威嚇をどうすれば両立できるかと考え、その最も有効な方法として韓国を手なづけようと考えたのだろう。もちろん、これはここ最近の話ではなく、韓国の大統領の交代に合わせてだいぶ前から練られたシナリオなのだと思う。北朝鮮の恫喝は弱腰の韓国大統領を震え上がらせて、手なづけるのには丁度良い道具だから、一時は国連の制裁決議に賛成するなどの動きを見せていたが、強硬派の主導のもと、北朝鮮カードを利用することを考えたのではないかと思う。

そして、その仕上げが靖国問題である。韓国は、歴史カードの使い方を中国から学んでいるから、中国より耳打ちされれば八方塞がりの現政権は、支持率回復の意味も込めてそれに追従するのは目に見えている。このタイミングで「尖閣の核心的利益」カードを切ったのだろうが、多分、アメリカから強烈な横やりが入り、バランスを調整してウェブサイトの記述を書き換えたという流れなのだろう。

しかし、仮に出したカードを直ぐに引込めたとしても、このカードを表に見せることの意味は、日本と戦争をする覚悟で緊張を高めると言うのだから、その様な中で北朝鮮の崩壊により朝鮮半島の緩衝地帯が消えるということを中国は決して許さない。だから、北朝鮮が仮に弾けたとしても、アメリカが北朝鮮を全面的に爆撃して鎮圧し、米韓の支配下に北朝鮮を置くことを許さないだろう。これは、中国の介入を意味するから、北朝鮮情勢が更に複雑になったことを意味する。金正恩などは、この辺の情勢を解析し、この事態を利用するだろうから、話は本当にややこしくなる。

実際、韓国は対話提案を北朝鮮に無視されて、完全に面子を潰された格好だが、あれだけ大見得を切っていたのに何も出来ないでいる。もはや、北朝鮮問題において韓国の存在は気にしなくて良いと、世界に印象付けた感じである。その韓国が、アメリカではなく中国に助けを求めており、この様に書きながら何が何だかさっぱり分からない(実際、今が緊張状態なのか小康状態なのかが、感覚として分からない)状況となっている。

あくまでも、中国のしたたかさを感じさせる動きであった。ただ、安倍総理はこのGWを利用してロシアを訪問する。最近、北朝鮮問題では全く話題にならなかったロシアにこのタイミングで行くというのは、偶然ではあるが非常にセンスが良い外交だろう。運も味方にしている様な感じだ。これからの外交は、1対1で行うのではなく、マルチでなければ何も動かすことはできず、さらに裏でのネゴがその勝負を分けることになる。先日、森元総理がテレビで語っていたが、あまり極端な成果を期待することは無理だろう。しかし、プーチン大統領と裏で何をネゴったのかを中国側に疑心暗鬼にさせるだけでも大きな意味がある。

しばらくは不安定な状態が続くだろうが、日本のマスコミも、もう少し深読みして国益も意識した報道をして欲しい。

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韓国が対馬を侵略した例え話が面白い!

2013-04-26 23:58:18 | 政治
非常に面白い記事を見つけた。中央日報の下記の記事である。

2013年4月26日中央日報「【噴水台】韓国が日本を支配した後『侵略でない』と言えば…

これは、安部総理の「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない。どちらから見るかによって違う」と主張したことを受けての批判記事である。この記事の最後の部分が面白いので、この部分を引用させて頂く。

===ここから====
このように認識は国ごとに違い、侵略もなかったとすれば、例えばのケースとして対馬を韓国が35年間ほど支配するという想像はいかがなものか。もちろん形式的に併合条約を締結し、適法性の是非を最小化する。住民に国語常用という美名の下で韓国語だけを使用させ、男性は韓国軍として徴集し、魚族資源を韓国がすべて持っていき、反発する人は拷問して死刑にし、全住民を金氏・李氏など韓国名に変えれば? そして「侵略はしなかった。どちらから見るかによって違う」と言えば…。(出展は上記中央日報の記事)
===ここまで====

この対馬の話は実に的を得た例え話だ。仮に35年の韓国支配の後、韓国側が「侵略がなかった」と言っても日本側は納得しないのはその通りである。しかし、もしこの様に韓国が対馬の実効支配に成功した状況で、世界が「それは侵略だろう」と言ったら韓国人は納得して日本に対馬を返してくれるだろうか?答えは「否」である。実際、日本の対馬の寺院の仏像が盗まれて韓国に渡った際に、数百年にも及ぶ歴史の中で日本での仏像の所有権が確立している事実を無視し、その仏像の実効支配権を手にした韓国はその仏像の返却を拒んだ。日本の法律は明治時代にドイツの法律を手本に作成されたというが、韓国の法律はその日本の法律を手本にして作られたという。であれば、法律論に照らし合わせて議論すれば、同一の結論に落ち着くはずであるが実際はどうだっただろうか?この事実を思い起こせば、仮に侵略して対馬を得たとしても、一旦、実効支配を確かなものにしてしまえば、韓国人が聞く耳など持たないのは自明である。明らかにどちらから見るかによって違う結論となる良い例である。

一般化して言えば、例えばある物の所有権が確定した状態(相手も異を唱えない状態)を長期に渡り継続した後に、違法行為によりその所有物が第三者の手に渡ったとする。犯人が捕まった後で、それを盗品だと知っていたその第三者がその所有権を主張したとして、その主張は通るだろうか?答えは、既に確定している所有権が優先されるのである。つまり、まず行われるべきは確定している所有権の侵害の回復であり、第三者が所有権の是非を問うのはそれからであるべきだ。しかし、仏像の例から明らかなように、韓国は民主主義の基本を無視して法律を捻じ曲げるくらいだから、そこに「勝ったもん勝ち!」の原則があることは明らかである。「意見の対立があって当然」という立場と、「俺の言うこと以外は認めない!」という立場の、どちらが世界標準かは明らかである。しかし、韓国、中国は俺の言うこと以外は認めない!」という立場を貫き続けている。

同様の話をしてみよう。23日の中国の新疆ウイグル自治区で起きた事件はどうだろうか?中国政府は「ボストンと同様の悪質なテロ」と言うが、仮に新疆ウイグル自治区が10年後に独立を果たしたら、新疆ウイグルの歴史には「中国による悪質な虐殺行為」と残ることになるだろう。中央日報のこの日の記事には、尹奉吉という男が81年前に弁当箱に似せて作った爆弾を用いて、日本軍の白川義則隊長らを殺害した事件について、中国も韓国も日本軍に対抗した非常に勇気ある英雄として称えている。しかし、国際法に照らし合わせれば、軍服を着ていない兵士の行動は正当な軍事行動とは認められていないから、これは法律ないしは国際的な慣例に照らし合わせれば明らかにゲリラによる爆弾テロである。つまり、ボストン爆弾テロと何ら変わらない。

もう少し極論すれば、もしも、もしも仮に100年後にイランが世界を席巻していて、アメリカがイランの支配下にあったとすれば、9.11の同時多発テロも勇気ある行動として英雄視されているかも知れない。しかし、それはアメリカとの同盟国だから言うのではなく、どんなに歴史が変わろうとも、多数の民間人を巻き込んだ明らかに非人道的な虐殺行為である。しかし、歴史の流れ次第では別の評価となる可能性があり得ることを、我々は知っているのである。

つまり歴史とは、勝者に都合がよく、敗者に不都合なように書き換えられるのが一般的である。中国の歴史などを見れば、それは驚くべき「歴史の塗り替え」の歴史がそこにある。中国と韓国の仲が本当は良くない背景には、その様なこれらの国の傾向が背景にある。そして、日本は第2次世界大戦での敗者である。(現在の)中国も韓国も、サンフランシスコ講和条約に調印していないから第2次世界大戦の勝者とは言い難いが、それでも日本は敗戦国としての遠慮から、中国、韓国に対して極めて遠慮がちに接してきた。中国、韓国が無茶なことをしても、強硬に非難することを控えた。一方的に侵略された竹島が良い例だろう。だから歴史のある瞬間を切り取って、声の大きい方が正しいかと言えばそうだとは限らない。揉めに揉めているのだから、片方の一方的な言い分が正しい可能性は低い。そして、その言い分がもし仮に間違っていたとしても、その人が「私は間違ったことを言っているかも?」と自覚している可能性は皆無に等しい。

正義が必ず勝つ保証もない以上、声の大きさを競い合うのは不毛である。では、この様な時にどうすれば良いのか?答えは簡単で、証拠をもとに第三者を交えて両者の意識の溝を埋める努力をするのである。多分、一般論として議論すれば、これに反論できる者はいないだろう。というか、これに反論したら世界のつまはじきになるのが目に見えている。しかし、少なからず「自分達は優位に立っている」と思う側は、この第三者の関与を嫌う傾向がある。だから、もし第三者の関与を嫌う気持ちに気が付いたら、「ひょっとしたら我々は間違っているかも?」と自分に問うてみるのが良い。

少なくとも、日本国内には「ひょっとしたら我々は間違っているかも?」という声をかける多様な意見が存在し得る。しかし、韓国や中国にはその様な意見は皆無である。これは何を意味するのか?明らかに、(その意見には納得できなくても)多様な意見の存在、異なる意見を主張する権利を認めるのが民主主義国家である。この民主主義国家は、軍国主義国家、帝国主義国家の対極に位置する。韓国、中国が日本の右傾化を非難し、アメリカや日本のマスコミの一部にそれに同調する者がいる。しかし、冷静に論理的な議論をしたときに、本当に右傾化しているのはどの国かは自明なはずである。

安倍総理の主張は、あくまでも「対話のドアは開かれている」「政治家は歴史問題に口を出さず、その専門家である歴史家に判断を委ねるべき」と言っているに過ぎない。これを右傾化というならば、民主主義の否定そのものである。それを明らかにするのに丁度良い記事が韓国側から出てきたというのは偶然だが面白い話である。彼らはその事実に気が付けないほど、頭の中が逝ってしまっているということなのだろうか・・・?

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まるで道化師(ピエロ)であることになぜ気が付かない!

2013-04-25 23:58:57 | 政治
失礼だが、思わず笑ってしまった。韓国が北朝鮮に対して開城団地再開への会談を提案し、明日までに北朝鮮側が会談に応じなければ「重大な措置を取らざるを得ない」と発表したニュースである。

「重大な措置」という恫喝は北朝鮮の専売特許だが、チキンレースで誰よりも早く降りようとした韓国が、車のハンドルを抜き取り韓国に良く見えるようにして遥か彼方に投げ捨てた北朝鮮に対して、今更チキンゲームを仕掛けてどうするというのだろう。多分、北朝鮮はこれを拒否する以前の問題として無視を決め込み、韓国がこの上なく馬鹿にされてさらに追い込まれるという事態が予想される。その時、韓国はいったい何が出来るというのか・・・?まるで道化師(ピエロ)の様である。

所で話は変わるが、今日、25日は朝鮮人民軍創建81年の記念日であるが、今月初めの状況と現在では大きく異なる点がある。あまり報道では扱われないのが不思議でしょうがないが、4月上旬には何があっても表舞台に姿を現さなかった金正恩が、ここ最近は何かあると姿を現すようになった。この事態が意味することは単純で、アメリカがB2爆撃機まで投入して金正恩暗殺のためのピンポイント核攻撃のブラフをかけていたのに対し、そのブラフが全く通用しなくなり、金正恩が身の危険を感じなくなったという証拠である。

以前のブログにも書いたが、現状の北朝鮮の状況を打開するためには、金正恩を排除すると共に核の放棄を条件に集団指導体制への移行を容認するというシナリオが最も有効であった。このためには、金正恩が身内の裏切りのクーデターにより失脚し、チャウシスクの様に処刑されるシナリオが現実味を帯びる必要がある。どうせピンポイントで金正恩が抹殺されるなら、先に金正恩の首を差し出すことで軍事的な被害を最小化し、安定的に政権を移行することを望む者が現れる土壌を築く必要がある。だから、北朝鮮のチキンゲームには最後まで付き合わなければならないはずだったのだが、ジリ貧の韓国経済が北朝鮮リスクで更に悪化し、景気の先行き不安で政権の足元が揺らぐことを恐れた韓国政府が「もう勘弁してくれ!」と最初に逃げ出してしまった。アメリカはやる気満々のはずだったが、韓国が白旗降参と宣言しては挑発的な行動を取ることも出来ず、刺激的な軍事演習を控える判断をオバマ大統領もせざるを得なくなった。その他の理由もあるのだろうが、概ねこの様な話が軸になるのだろう。つまり、韓国は自ら自分で自分の首を絞める行動を決断したことになる。これは、閣僚の靖国参拝を理由に外相の訪日を取りやめて、日中韓の間に楔を打ち込みたい北朝鮮に自ら協力した形である点とも共通する。

2月27日のブログ「どこかで見た風景?(韓国朴新政権は大丈夫か?)」の中で、私は朴槿恵大統領率いる韓国の新政権が以前の民主党政権に酷似していると書かせて頂いた。今思えば、ここまで酷似しているとは思っていなかったが、当時の小沢一郎幹事長の先導のもと、日米同盟を捨てて中国に傾倒しようとしていた行動も、まさに朴政権の現状と瓜ふたつである。韓国は、中国のリスクを痛いほど知っているはずであるし、韓国国民が長い歴史の中で中国を嫌うDNAが体の中に組み込まれていることも知っている。しかし、短絡的には拗れた日中関係の隙間に生じるビジネスチャンスを奪い取り、更には対日本の歴史問題カードの威力を増大させるために、中国との共闘関係を選択した。北朝鮮に対する中国の影響力が今となっては色あせているにもかかわらず、中国と仲良くすれば、同一民族の北朝鮮が攻めてくることはないだろうと楽観的な期待も抱いている。しかし、中国にしても北朝鮮にしても、その様な甘い罠を仕掛けて身を落とさせ、気が付けば身ぐるみ剥がれて捨てられるという戦略を描いている。国益を最優先する国は、何処まで行っても国益が優先であり、温情などかけてはくれないのである。

多分、韓国政府の頭の中には次のようなシナリオがあるのだろう。「北朝鮮に中国と韓国が靡けば、上げた拳を振り下ろす先を模索する金正恩が攻撃対象として選ぶのは日本だろう。そのためには、北朝鮮が日本に核攻撃をしやすい状況を作る方が好都合である。アベノミクスで韓国経済に被害が出ている以上、北朝鮮が日本に核ミサイルを撃ち込んでくれれば日本経済が壊滅し、その隙を韓国が奪い去ることが出来る。」こんなところだろうか?

しかし考えてみれば分かることだが、もし北朝鮮が日本を攻撃したら、即座に米軍が北朝鮮全土に爆撃を開始する。これを受けて、北朝鮮は韓国にも攻撃を仕掛ける。日本に対しては中距離のミサイル攻撃が中心だからミサイル防衛が機能すればそれなりの撃墜が期待できるが、ソウルなどは迎撃の余裕などの時間はない。確実に首都ソウルは壊滅し、現時点ですら希望のない韓国経済は崩壊に至るだろう。一方で日本はどうかといえば、何処までの精度でミサイル迎撃が成功するかにもよるが、アベノミクスで希望の光が見え始め、政治的な決断力のあるリーダが国を治めている状況から、東日本大震災並みの被害が仮に出ても、韓国に比べれば雲泥の差でましな状況である。結果として韓国の思惑は外れ、一人貧乏くじを引くことになる。

如何にも自業自得の結末であるが、しかしその様な結末を誰も望んではいない。だから、自ら率先してその様な悲劇を封じる行動が求められるのだが、ついこないだの日本の失敗を他山の石として学んだ形跡は韓国にはない。我々も高い授業料を払って現在があるのだが、多分、韓国は我々以上に高い授業料を払う可能性が高いのではないだろうか。仮に北朝鮮が戦争を仕掛けなくても、IMF通貨危機の再来の様な何かが起こるかも知れない。しかし、それは自ら撒いた種であることを忘れてはならない。

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報道ステーションの粋な報道姿勢

2013-04-24 23:58:08 | 政治
相変わらず、靖国問題で中国、韓国の動きがエスカレートしている。この靖国問題に最初に火をつけたのは朝日新聞であり、様々なところで中国、韓国よりの報道をしているのは分かるのであるが、今日の報道ステーションでの報道姿勢には非常に面白い何かを感じた。

少々勿体付けたようで恐縮だが、比較のためにNHKのニュース9を参照すれば、トップニュースは(時間的には短めの)鳥インフルエンザの話題で、2番目に大々的に靖国問題を持ってきていた。しかし、報道ステーションの扱いは間逆だった。トップニュースは新疆ウイグルでの警官と住民との衝突の話題だった。そして、中国外務省の報道官は、これをボストンでの爆弾テロを連想させるように「テロ」だと主張している一方で、新疆ウイグルの人達からの情報として、イスラム教徒が多いこの地域では宗教の自由がなく、自宅にコーランを隠し持っているのではと国家警察が勝手にそこら中の家のがさ入れを行ったところ、それに抗議した者と警官との間で争いになり、警察が発砲したことに対して近隣住民が銃声を聞いて駆けつけ、それを見た警官が暴動と判断して事態がエスカレートし、結果として大量の死者を出したという。報道ではあくまでも両論併記的な扱いであったが、「誰が見ても真実は分かるよね!」的な扱いであった。

このトップニュースに対し、靖国問題の扱いは(時間は正確ではないが)多分、30分近く経過したところで小さく扱われ、しかもその大半は安倍総理が決意を持って論理的な反論をしているところを答弁の映像を流して報道した。これまた、あくまで事実を映像で示しただけの報道であるが、多分、見た人は「なるほど、そうだよね!」と感じたはずである。まず、中国、韓国が靖国参拝に異を唱えだしたのは最近のことであり、韓国などでは金大中大統領以前にはA級戦犯合祀後も抗議などなかったことを指摘した。中国も同様で、1979年に朝日新聞がA級戦犯の合祀をすっぱ抜いた後も、総理の参拝に抗議をしていなかったとも指摘した。この総理とは、大平元総理が3回、鈴木元総理は8回、中曽根元総理は9回、それぞれ参拝しており、朝日新聞のスクープ後、6年間もの間何も問題は起きなかった。大平元総理に至っては、朝日新聞のスクープの2日後に参拝しているが、その後の中国訪問では大歓迎を受けている。小泉元総理とは全く扱いが異なる。ちなみに、中曽根元総理が靖国参拝を控えた背景には、現在でも中国の歴史の中で最も民主化に努力した人として名高い胡耀邦総書記に対し、中国国内で敵対する勢力が中曽根元総理と仲が良いことで有名だった胡耀邦総書記を追い落とすための理由として靖国参拝を利用しようとしており、それを嫌った中曽根元総理が自粛の判断をしたという。つまり、あくまでも中国国内での政治的な思惑から悪用された経緯があり、その後まもなく胡耀邦総書記は失脚し、最後に1989年4月8日の中共中央政治局会議で中国の腐敗を正す演説を繰り広げている最中に心筋梗塞を起こし憤死した。この死がきっかけで中国の民主化運動の悲劇である天安門事件が起きた。歴史的に見れば、背景に何があるのかは見え見えであり、安倍総理の毅然とした国会答弁を評価するかのような構成の報道ステーションには大いに賛同できる。

なお、この靖国参拝問題については私の好きな「ぼやきくっくり」さんのブログに非常に詳細にまとめられている。勿論、かなり肩に力が入っているためにそのまま全ての項目を中国、韓国の人にぶつけても逆効果な部分があるが、ところどころにポイントとなる記述があるので参考になる。

ぼやきくっくり「00首相の靖国参拝反対派への反論(目次)【暫定版】

この中で、私が最も興味を引いたのは、この中で引用されている読売新聞の2006年8月10日の記事である。既にリンクが切れているようであるが、中国の江沢民元国家主席が1998年8月、在外大使ら外交当局者を一堂に集めた会議の席上、「日本に対しては歴史問題を永遠に言い続けなければならない」と指示していたという。つまり、これほど美味しい外交カードはないから、この歴史問題はひたすらいつまでも使い続けろと訓辞したという。これは中国で発売された「江沢民文選」の中に記載があるそうだから間違いない。つまり、A級戦犯かどうかは2の次の話で、全く本質ではないのだという。実際、A級戦犯の重光葵氏は鳩山一郎内閣で外務大臣を務めているが、それに対する抗議などは全くなかった。その状況は、日本の国連加盟に関連し、国連総会で重光元外相が日本全権として加盟受諾演説を行い、全会一致でこれが承認されたことからも明らかである。

我々も良く知るとおり、A級戦犯よりもB、C級戦犯の方がより多く死刑となった。A級戦犯について中国、韓国に配慮すれば、やがてB、C級戦犯の問題が話題となる。人数が多い上、これらの人は様々な戦没者の追悼施設での追悼の対象になっているから、ここまでくればもはや戦没者を追悼してはいけないということになる。韓国に至っては、中国の歴史カードを羨みながら、慰安婦問題を見つけて切り札のカードを勝ち取ったと勝ち名乗りを上げている。この点では江沢民元国家主席の考え方を踏襲していると言っていい。

もはや、避けて通れる問題ではない。謝れば済むと考えている人は、アルジェリアの襲撃事件で犯人グループに「是非とも身代金を受け取ってくれ!」と言っているに等しい。多分、民主党はこの問題を参院選にぶつけてくるだろうから、その時にはより議論が深まることだろう。

これは決して日本の右傾化ではない。中国、韓国の右傾化に対する防衛行為である。間違ってはならない。安倍総理自らが発信力を活かして問題の本質を訴える。これこそ国益に適う政治だと思う。

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何が悪いのか、問題を切り分けさせろ!

2013-04-23 23:58:28 | 政治
昨日のブログにも書いたが、靖国参拝問題が一部で問題となっている。というか、はっきり言って(総理、官房長官、外相が少なくとも参加していない訳だから)どうでもよい問題ではあるが、中国、韓国の批判を喜んで「そうだ!そうだ!」と煽り立てるマスコミもいて、圧倒的な支持率の安倍政権の足を何とか引っ張ってやろうという魂胆が見え隠れする。そこで、今日はこの靖国参拝について、もう少し根本的な部分について考えてみたい。

まず、私はここで議論したいのは問題点の切り分けである。中国、韓国の特徴は、どさくさに紛れて一つのことに譲歩すれば次から次へとイチャモンをエスカレートさせる点である。韓国を例にとれば、竹島問題で日本に攻勢をかけたと思えば、最近では対馬は韓国の物だと主張しだしている。中国も同様で、尖閣の領有権を主張しているだけではなく、沖縄も中国領だ!と言う人が最近は増えている。将来、問題を複雑化させないためには今のうちに「少なくとも、対馬、沖縄は日本の固有の領土!」と宣言してもらえばこの点で将来に禍根を残すことはない。曖昧なままでズルズルと行くのは両者にとって良くない。

そこで中国、韓国の人々には明確にして欲しいことがある。それは、何故、靖国参拝をしてはいけないのかの理由である。誰もが短絡的に納得するのは、「A級戦犯が合祀されているから」という理由だが、本当にそうなのかどうなのかを明確にして欲しいのだ。理由に関する可能性としては他にもある。今回の中国外務省からは、「日本は侵略戦争の誤った歴史認識を正すべきである」といった言い方もしている。それならそれでも良いから、その歴史認識がどの様に誤っていて、どう認識を持てば良いのかを明確にして欲しい。日本のマスコミは中国、韓国の反発を報道しているが、どうしてこれらの質問を中国、韓国の国民に対して質問しないのか?さらには、外務省の報道官の記者会見でも、どうしてその点を明確にするように求めないのか?この質問は、少なくとも両者の議論の出発点になるはずである。

まず、仮に「A級戦犯が合祀されているから」が理由なら、その次の質問は「A級戦犯を分祀すれば、総理が参拝してもそれで良いのか?」と聞いてみたい。同様に、論理的には千鳥ヶ淵戦没者墓苑には戦争犯罪者として死に至ったA級戦犯も、国際法的に戦争が終結が確定したサンフランシスコ講和条約締結前の死者であれば、戦争による犠牲者として追悼の対象になっているはずであるが、どうしてこちらは問題とならないのかを聞いてみたい。多分、靖国神社は論理的に分祀は不可能という考え方だから現実的ではないが、仮に分祀したとすると中国、韓国はまた別の理由を繰り出して、やはり靖国参拝は許さん!と言い出すのだと思う。

次に、「日本は侵略戦争の誤った歴史認識を正すべきである」と言うのであれば、それと靖国参拝との関係を明らかにして欲しい。やはり、靖国神社にはA級戦犯が祭られているから、「戦争犯罪者を英雄扱いするのはけしからん!」と言うのであれば、「A級戦犯は戦争犯罪者」と公言してはばからない小泉元総理が、「A級戦犯のためではなく、国のために命を捧げてなくなっていった人たちに哀悼の意を示したい」と言っているのにそれを認めない理由を教えて欲しい。私から見れば、明らかに小泉元総理は中国、韓国の立場に寄り添った歴史認識をした総理大臣であったと確信しているが、その小泉元総理は駄目で、その小泉政権を引き継いで総理になった当時の安倍総理を評価する中国、韓国は論理的な一貫性があるとは思えないのである。また、中国は19世紀以降、欧米列強の植民地支配を長く受けてきた。韓国に至っては、長い長い歴史の中で中国に支配されてきた。それらの侵略の歴史と日本の侵略の歴史を比較し、どうして欧米列強や中国の侵略には非難をすることがなく、日本に対しては許せないという議論になるのかの根拠を知りたい。その差の歴史認識を、中国、韓国の国民や政府は、どの様に認識しているのかを聞いてみたい。

麻生副総理&財務相は2月に韓国を訪問した際に、朴槿恵大統領に「同じ国、民族でも歴史認識は一致しない。それを前提に歴史認識を論じるべきではないか」と語ったと言われる。民主主義とは、意見の違いを乗り越えるために、相手が自分なりの考えを主張する権利は認めるものである。欧州でナチス・ドイツを全否定するのは、ユダヤ人の大量虐殺という侵略とは全く異なる(被害者の数は別として)桁違いの非人道的行為があるからであるが、南京大虐殺に関しては証拠に基づく検証が十分になされていない。もし中国が30万人虐殺に自信があるなら、日中合同で証拠を探して動かぬ証拠を突きつければ良い。そうすれば日本政府も認めざるを得ない。しかし、この証拠探しを拒否するのであれば、この歴史認識問題についてはその他の論点での議論に委ねる他はない。しかし、その当時も今も、国際法的には戦争を禁じている訳ではない。戦争をするなら、あるルールに則って行いなさいと言っているだけである。であれば、その国際法に照らし合わせてどの点が当時の日本政府の非難されるべき点で、その点に対してどういう認識を持てば許してくれるのかを明らかにして欲しいのである。

多分、彼らはこの様に求めても、決して真摯に答えることはないだろう。それは、次から次へと歴史問題で攻撃する糸口を自ら封じてしまうからである。しかし、その様な下心が丸見えの曖昧な回答が何を意味するかは、多分、その他の欧米の国々にはその意味が伝わるはずである。

だからこそ、マスコミにはこれらの質問を中国、韓国に対してして欲しいのである。

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多くの関係ない事柄に共通する関係

2013-04-22 23:58:39 | 政治
変なタイトルを書かせて頂いたが、まず最初に関係ない最近の事柄を幾つか列挙させて頂く。

まず、韓国の外務省は安倍総理の靖国神社への真榊まさかき奉納や閣僚の参拝を受けて、当初予定していた日本訪問と岸田外務相との会談を取りやめた。今まさに北朝鮮との間での戦争が「今、そこにある危機」である最中、北朝鮮と国境を接した韓国が意味不明なカードを切ってきた。元々、中国政府が日本政府に伝えていたように、首相、官房長官、外務省の靖国神社参拝は他の閣僚とは別格であり、この3名の参拝だけは最大限の配慮を払うように求めるのが常識路線であった。安倍総理からすれば北朝鮮の危機を受けて最大限の配慮を払った次第だが、その暗黙のリファレンスレベルを韓国は一方的に高めた形である。

次に、中国の四川の地震被害に対し、中国外務省の報道官は涼しい顔で、物資も人も足りているから外国からの救援は不要であると豪語した。72時間という生存のひとつの目安となる時間を無駄に浪費している状況だ。勿論、海外からの救援隊に対しては、被災地までの移動のための交通手段を提供したり、通訳や道案内などの人の手配をする必要があるから面倒な部分はあるが、李克強首相がわざわざ現地入りして政府の対応が真剣であることをアピールするくらいだから、単なる国のメンツを優先して外国の支援を拒み、結果的に助かるはずの命が多く失われたとなれば致命傷になりかねない。5年前の地震では中国国内の非政府組織も被災地に入り救助のために活躍したが、今回は外国だけでなくこの様な人材ですら「勝手に立ち入るな!」と締め出している。政府による救援活動をアピールするためだとは言え、人命がここまで軽んじられるのか・・・とうんざりさせられるニュースだ。

さらに関係なさは加速するが、先週報道ステーションにエコノミストの浜矩子氏が出演していた。アベノミクスをケチョンケチョンに否定し、古館キャスターが「司会としてはバランスを取りたいので、何かひとつぐらいは安倍政権の経済政策で良いところを無理してでも見つけて貰えませんか・・・」というニュアンスで聞いたところ、すっぱりと「ありませんね」と答えていた。少なくとも失われた20年(実際には小泉政権で不良債権処理に成功し、景気の回復の道筋をつけたが、中途半端な金融引き締めで最後に失速したので、一続きと言うのは適切ではないが・・・)とも言われる長期にわたる経済低迷の中で、誰もが納得して疑わない簡単な答えなどある訳がないから、必ず自分の意見と他人の意見、特に政府の方針などとは相いれない部分が出てくる。例えて言えば、サッカー選手は自分のもっとも得意なプレースタイルやポジションでの活躍が約束されている訳はなく、監督から与えられたポジション・役割に対して、(仮に納得できなくても)与えられた条件の中で最大限のパフォーマンスをどの様にして引き出すか、最大限の成果を如何にして実現するかが求められる。しかし、自分に都合の良い条件を与えてくれなければ、テレビに出ても後ろ向きな議論しかしないというスタンスは何のためのエコノミストで何のためにテレビに出演したのかと唖然としてしまう。

最後に、「0増5減」の区割り法案に関する与野党の対立である。全ての国会議員は高裁での選挙無効判決を受けて、いよいよ1票の格差問題が究極の状態に突入したことを思い知り、立法府の責任として違憲状態の解消は議員定数の削減問題よりも重要度が高いことを熟知している。だから、昨年秋の衆院解散直前に、多数の与野党の合意のもとで衆院の選挙制度改革法案が成立したという現実がある。今現在、その事務的な実現方法をルールにまとめただけの区割り法案を前にして揉めているが、この法案が成立できないと、仮に最高裁で選挙無効判決が出たときにデッドロックに陥るから、少なくとも今国会中に成立する目途をつけるのは国会議員の義務である。今回、衆院の2/3の再可決という切り札を使うためにはこのタイミングでの衆院通過が必要となる。これに民主党などは噛みついているが、過去の歴史を紐解けば、ガソリンの暫定税率が期限を迎えようとしたときに、自民党はつなぎ法案という奥の手で逃げ切ろうとしたことがあった。しかし、衆院の2/3の再可決という切り札に対する非難を声高に叫び、結局、自民党側が譲歩して衆議院議長による「徹底した審議を行い、 年度内に一定の結論を得るものとする」という議長提案をのんで切り札を封印した。ここでは、「与党も野党も紳士的に前向きに議論しましょう。そうすれば、野蛮なことはしないと約束します。」と合意したのであるが、民主党を中心とする時の野党は切り札の封印に満足し、議長提案を無視するに至った。今回も議長提案が出されたが、その時の経験を踏まえてかどうか知らないが、野党が議長提案を悪用することを恐れるがために、区割り法案への加筆修正を必要最小限にとどめる範囲の提案に留まった。民主党などは、あの時の切り札封印に似た2匹目のドジョウを求めて反発し、与野党協議は物別れに終わった。当然、議員定数削減もその次に来る優先順位をもつから重要ではあるが、これにしても好き勝手なことを言っても成立のためには衆参でそれぞれ過半数が必要だから、その過半数を得るための努力をしなければならない。その過半数を得るための努力に対して後ろ向きな行動を取りながら、区割り法案に反対の立場を貫くということは、二つの法案を両方とも成立させなくても良いという割り切りにしか見えない。

さて、長々と書いてきたが、これらの事柄には一つの共通点がある。それは、「物事にあたるとき、常に優先順位を肝に銘じて当たらなければならない!」という原理原則を忘れている点だろう。北朝鮮との関係が劣悪な今、韓国に求められるのはアメリカ、日本との一糸乱れぬ結束関係を演出し、それをもって北朝鮮に圧力をかけることである。戦争が起これば数多くの人が死ぬことになるが、総理、官房長官、外務大臣が靖国参拝を見送った現状で、安倍総理が真榊まさかき奉納をしても決して命に係わる問題ではない。日本との協力関係を断ち切る試みは死活問題であり、(少々大袈裟に言えば)場合によってはこれがきっかけで死ななくて良い人の命が奪われてもおかしくはない。四川地震にしてもそうである。今、中国国内には格差是正や汚職など共産党及び皆近平政権に対する不満がくすぶっている。国民の命を軽んじることをあからさまに行えば、それは大きなマグマとなって蓄積され、何処かで爆発を起こす危険性が高まる。5年前の地震の時にもその様なマグマが吹き出しそうになったが、ギリギリのところで抑えきった。今回は、前回のマグマやその後のマグマが更に蓄積された後での出来事だから、大噴火のリスクは非常に高まった状況だが、それでも敢えて中国政府は人命軽視の判断をした。政権の安定を図りたいなら、この様な事態に何をすべきかは明らかなはずなのに、優先順位が見えていないらしい。浜矩子氏の話題にしても、余命わずかの宣告を受けた病人が劇薬を承知で特効薬を口にしたとき、「その劇薬は毒だから飲むのを止めなさい!」と言って立ち去るのは医者のすることではない。「劇薬には副作用があるから、その副作用に対処するための薬を事前に与えましょう!」というのが良識ある医者の対応である。与えられた条件の中で、最大限の成果を引き出すことに最大の優先順位を与えるべきである。最後の区割り法案にしても、それを政争の具にして自民党の足を引っ張ることが最優先と思っているところが多いようだが、言ってみればネガティブキャンペーンを目的とした行動で選挙の票を稼ぐことなどできるはずがない。もし、国のため、国民のためを思い行動するなら、結果はついて来るだろうが、ここでも優先順位を誤っているようである。

この様な、優先順位を無視した行動を挙げれば枚挙に遑がないのが現状である。しかし、政治家の決断とはまさに「優先順位の選択」に他ならない。複数のバッティングする懸案事項に対して完璧な解が存在しないなら、何を最優先とすべきかを適切に判断し、そこで後ろに追いやられる案件のリスクを適宜ケアする工夫を行わなければならない。この感覚が、政治家や有識者には求められるが、どうもその点に対しては興味がない人が多いらしい。

困ったものだが、安倍政権の良識は我々にとっての救いである。

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少数の力を信じる・・・

2013-04-20 23:58:45 | 政治
前回、「世界は日本のことをしっかり見ている!」と題して書かしていただいたが、若干、言葉足らずの様だったので加筆させて頂く。

コメントの中でもご指摘を頂いた通り、私がここで書かせて頂いたのは別に多くの外国人が日本のことを良く見てくれているということを意図していた訳ではない。少なくとも失われた20年と言われる通り、ここ最近の日本は経済力的にも外交力的にも、以前の様な世界的なポジションを大きく後退させ、韓国などからも「最早、日本なんて・・・」と軽んじられる状況にあるのは確かである。一時期はスティーブ・ジョブズにも一目置かれたSONYですら今は跡形もなく、パナソニックなどもジリ貧の状態である。中国にはGDPで抜かれ、昨年の反日デモや尖閣漁船衝突事件などの成り行きを見る限りでは、中国からは釈迦の掌の上でもてあそばれる孫悟空の様にからかわれている現状がある。当然ながら世界レベルで見れば更に状況は酷く、日本に対する興味や憧れは次第に色褪せているのは事実である。
しかし、私は「社会的な正義」というのは(長期的に見ればという条件付きだが)絶対数が勝負ではなく、数少ない理解者がいるかいないかが勝負を分けるものと信じている。全く関係ない記事で恐縮だが、下記の産経新聞の記事に私は興味を引かれた。

産経新聞2013年4月19日「普天間飛行場ゲート前 沖縄では報道されない過激な抗議活動

これは沖縄での話であるが、米軍基地におけるオスプレイの配備や辺野古移転などで、米軍への抗議の意味を込めて市民グループらが米軍基地のフェンスに赤いテープを巻き付けている。しかし、抗議の気持ちを訴えるためには犯罪行為も訴えるというのでは中国の「反日無罪」「愛国無罪」と同レベルである。それが究極の状況で綺麗事など言っていられない緊急事態であれば話は別だが、如何にも中国の暴徒と同レベルである。このフェンスの赤いテープにはガラスや金属片などが混ざっていて、誰かが剥がす時に怪我をさせることが目的であることは明らかである。また、他人の家にこの様なことをしたら確実に犯罪となる訳だから、米軍基地ならば許されるというのもおかしい。

私はオスプレイ配備は容認派だし、長期的な意味では沖縄の基地負担を日本全土で分担すべきだとは思うが短期的には辺野古移設容認派でもある。だから、この様なことを言うのだと言われるのかも知れないが、法治国家である以上、気に入らないことは犯罪行為でも許されると考えるのは民主主義の破壊である。

これは、単に赤いテープの話に留まらない。この記事にもあるように、暴力行為や悪意をもって交通事故を誘発する行為を行ったり、明らかに悪質な犯罪者のレベルである。これらの人が米兵の非行を非難することなどできるはずがない。しかし、この様な行為は(少なくとも沖縄の)マスコミでは取り上げられることはない。だから抗議の赤いテープを剥すボランティアは5~60人程度と沖縄県の人口からみれば極めて少数である。しかし、この様な「県内移設にもオスプレイ配備にも反対だが、しかし、民主的な手法で議論を進めていくべきだ」という考え方の人が皆無であるのか、それとも僅かではあるが存在するのか、では大きく異なる。これまでの議論は、賛成派と反対派の2極の間の対立であり、既にイデオロギーの戦いの様になっていて、正しいか正しくないかの判断ではない宗教じみた争いとなっている。これでは何処まで行っても収束などする訳がない。だから、何処かで賛成派も反対派も「我々とは異なるニュートラルな存在」と認めうる第三者の存在が重要となる。勿論、ラディカルな反対派は如何なる議論を吹っ掛けられても「No!」と叫び続けるからニュートラルな存在などと認めることはないだろうが、多くの一般的な沖縄県民であれば、この様な人々の運動は少なからず人々の心を打ち、(今現在はともかく)やがては論理的な議論ができる環境を築き上げることができるかも知れない。楽観論者だと言われるかも知れないが、その様な人がいるのといないのでは雲泥の差なのである。

前回のブログで書きたかったことは、少なくともその様に日本のことを理解してくれる人は世界中にいて、当然ながら韓国や中国に味方する人々もいるだろうが、それらの人々も含めて論理的な議論を行うことが出来れば、少なくとも日本にとって分があるテーマが大多数を占めることが明らかになるだろうと言うことである。そして、これまでは日本政府も情報発信をしてこなかったし、その情報発信は中国、韓国を挑発するリスクがあると尻込みしていたことがその背景にあることは明らかである。しかし、安倍政権に変わり、その辺の事情は大きく変わりつつある。韓国などがその様な日本の行動を恐れるのは、その様な論理的な議論では勝ち目がないことを恐れているからである。中国政府によるチベットに対する非人道的な弾圧などは第2次世界大戦終戦までの日本の植民地政策と瓜二つだし、ベトナム戦争での韓国軍の性的蛮行は韓国の主張する従軍慰安婦とは雲泥の差の悪行であることは明らかである。また、終戦までに日本軍が行ってきたことに対し、少なくとも現在67歳以下の人々は直接的な被害を受けていない。それより上の世代が起こした問題に対し、これまで長い時間をかけて経済的な援助と(決して多くわなかったし、後手後手の対応だったかも知れないが)謝罪行為により戦争に対する償いを行い、韓国であれば竹島の軍事的な侵略に対しても紳士的な対応を続けてきた。しかし、その過去の責任を、日本の援助と謝罪を全く知らない世代の人々が「謝れ!もっと金よこせ(竹島を諦めろ)!」と言い続けるのは、少なくともナチスによる悲劇を乗り越えてきた欧州の人々から見れば不自然に見えるのは明らかである。

だから、現時点では多数決で問題を解決しようという状況ではないから、正論を戦わせたときに審判になりうるニュートラルな理解者が皆無であるか少なくとも少しはいるのかが重要であり、その様な人は「確実にいる!」というのが重要なのである。

ご指摘の様に、この状況に満足してはいけない。しかし、先のフランス人の活躍は我々に勇気を与えるものであると感じる。それを多くの人に知って頂ければ・・・と考えたのが先日の記事を書いたモチベーションである。

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世界は日本のことをしっかり見ている!

2013-04-18 23:55:21 | 政治
3月の出来事だが、面白い記事を発見した。まずはリンクを張るのでご一読いただきたい。

ガジェット通信 2013年3月16日「安倍首相のFacebookに韓国人・中国人が反日コメント するも、 何故かフランス人が論破した件

この内容は、安倍総理のFacebook上で、東日本大震災の2年目の追悼式典で、安倍総理が昨年の台湾に対する非礼を詫びて今年は指名顕花を行って頂く決断をしたことに中国(及び韓国も)腹を立て、式典を欠席したことを安倍総理が自身のブログの中で残念に思う気持ちを述べたことに韓国人が噛み付いたことから始まる。いつものお決まりのパターンで、日本の歴史認識はけしからんとか、戦争に対する謝罪がない、ドイツやイタリアを見てみろ・・・と責め立てたのである。しかし、何故かこの話題にフランス人が参戦し、話の流れが一気に変わるのである。ポイントは、日本は歴史の中で何度も中国や韓国に対して謝罪をしてきた事実があること、韓国や中国が発展して今現在があるのは、ドイツなどとは桁違いの日本の援助があること、それにもかかわらずエンドレスで「もっと金をよこせ、もっと謝れ」と際限なくゴネ続けていることが世界の常識に照らし合わせれば異常であること、韓国や中国は日本に対して「ドイツを見習え」と言うが、ならばドイツを許して前を見て歩くフランスや欧州諸国を韓国や中国こそ見習うべきだ、安倍総理の行動は褒められるべきことではなく当然なことをしただけであり、礼には礼をという問題に政治問題を持ち出して犠牲者の魂を陥れる行動が如何に非礼であるか、と諭している。そして、この日本に在住の韓国人に対して「日本に住んでいてこのようなことも感じ、学ぶことができないあなたは、これ以上、日本にいる必要はないと思います」と結んでいる。ここに中国人が参戦し、「家族が殺されて、犯人が金を払えば許されるのか!」と極めて正論で立ち向かおうとしたが、これもフランス人に一蹴される。日本はお金の他に何度も謝罪をしている事実を知らない無知を知れ、大体チベットに対する残虐な中国政府こそ殺人者であり、それを内政問題だと取り合わない人が言えた義理ではない、フランスを始め世界の常識的な視点では中国の方がよっぽど悪質である・・・としてぐうの音も出ないほどに論破した。

これらの一連のやり取りを見て、掲示板などでは「本当に日本人か?」「如何にも日本人の成りすましでは?」という声が上がったが、FacebookにはDavid Stelter氏の武士の格好をした写真が貼り付けられており、この写真の出展となる元のページのリンクを張るものも現れ、この人物が確かに実在の日本で働く日本語が堪能なフランス人であることの裏が概ね取れた状況のようである。

特にこの人物の指摘の中に、韓国人は我侭し放題で世界から嫌われている事実を彼らは自覚していないことなどが指摘されていて面白い。私は以前、アメリカを旅行したときに飛行機の中や観光地でのバスの中などあらゆる場所で、我が物顔に他人の迷惑を顧みない振る舞いをする中国人を見て嫌気がさしたことを覚えている。韓国人は違うと思っていたが、しかし、先日のWBCの台湾vs中国戦で台湾人が韓国人を忌み嫌う姿が報道され、それで気になってネットを検索しているとかなり世界中から韓国人が嫌われている情報が見つかった。東日本大震災のときも礼儀正しい日本人を見たり、海外から日本を訪れた際の御もてなしの姿などから、日本人が評価されている話は聞くが、それとは反対に韓国は中国と同様かそれ以上に海外では嫌われていると聞く。私にとっては驚きであった。

だから、日本、中国、韓国の3カ国で話をするから話はややこしい方向に行くのであって、第三者が間に入って判定をしてもらえば、以外に話は簡単なのである。竹島にしても尖閣にしても、韓国や中国は極端に国際司法裁判所や第三者による仲裁を嫌う。彼らは概ね、第3者に間に入られては勝ち目がないことを感じ取っているのだろう。もしそうでないなら、先ほどのフランス人に対して更なる反論があってしかるべきである。私はFacebookをやっていないので確認は出来ないが、その続報が流れてきていないことを見る限り、論破されて食い下がったのだろう。それ程の決定的なロジックであるのに、これを日本人が言っても相手は「またくだらない事を日本人が言っている。全く反省がない!」と切って捨てるに違いない。

つまり、如何に論理的で客観的な議論を戦わせる土俵を築くかが課題であり、そのための方法論を確立する必要がある。ただし、国家が前面に出てその様な活動をすれば、中国、韓国はそれを政治問題化するだろうから、あくまでも国家とは異なるところで行動しなければならない。さらに、日本、中国、韓国以外の国々が参戦できる環境を整える必要があるから、その具体的な方法を考えてみた。

例えばこんなことは如何だろうか?お金を誰が出し誰が管理するかは別として、インターナショナルで議論できる掲示板を作成するのである。具体的には、誰かが書き込みをすると、その書き込みに対する主要言語への翻訳を掲示板の管理者が行うのである。例えば、日本人の書き込みに対しては、中国語、韓国語はもちろんのこと、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ロシア語などの言語に翻訳し、自分の読みたい言語で読めるようにするのである。もちろん、投稿者や別の人が「それ、ニュアンスが違う!」と指摘した場合には、その補足書きも併記する。これに対する中国や韓国の反論も、同様に日本語を含めて翻訳し、どの国の人が参戦しても議論が成り立つ状況を作るのである。もちろん、単なる誹謗中傷については掲示板の品格を貶すだけだから、特に日本人からのその様な書き込みは早めに削除したほうが良い。海外からの書き込みは、勝手な削除を「都合の悪いことは削除して対応している」と言われかねないから、あまり消さない方が良いかもしれない。また、あまりにも酷い書き込みを回避するためには、Facebookのような匿名性を排除したシステムとの協調も考えなければならないかも知れない。

そして、その様な掲示板を立ち上げるための基金への寄付を募り、その寄付で運営を行うことにする。なかなか難しい問題はあるかも知れないが、東京都に集まった尖閣購入資金の寄付金などを活用できないかとも思う。細かいシステム設計は必要だが、概ねイメージは掴んでもらえたと思う。相手は、ここで論破されても屁とも思わないかも知れないが、世界中の人達に論点を理解してもらい、それが世界各地で話題になれば少しずつ誤解を払拭することができるかも知れない。大きな声で叫ぶことが勝ちではなく、論理的な整合性がある主張が勝ちという土俵を作り、世界に判定してもらうのである。そのうちに、各国の政府レベルでもここでの議論を無視できなくなるかも知れない。
今回のFacebookの話題は、ひとつの道しるべかも知れないと思った。

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北朝鮮の最後通牒の意味することは・・・

2013-04-16 22:34:39 | 政治
今日、北朝鮮の朝鮮人民軍最高司令部は韓国への最後通牒を宣言し、韓国に対する「予告なしの報復行動」「軍事的示威行動」を開始することを表明した。先日は韓国側からの対話の要求に対し「狡猾な術策」「何の内容もなく、実のない殻に過ぎない」と一蹴していたし、日増しにエスカレートしている。毎日思うのは、ここまでやるとこれ以上のエスカレートは無理ではないかと思われながらも、それでも少しずつエスカレートを印象付けている。

対話の拒否であったり、今日の最後通牒にしても同様だが、これは韓国、アメリカ側の無条件降伏を要求したも等しい。これまでの全ての制裁措置を即座に解除し、北朝鮮をならず者国家と見なすことを止め、朝鮮戦争を集結させて平和条約を結び、核兵器の保有を認めるところまでの要求を呑むことから対話は始まるという前提条件を示している。面白いことを言う記者がいたが、北朝鮮は東アジアにおけるイスラエルのような存在になりたいと思い、核保有を認めた上でアメリカと友好的な関係を保ちたいということらしい。しかしアメリカは逆で核放棄を前提とすることで対話に応じるということである。

今日の報道を見ていると、北朝鮮に手をこまねいて、中国もアメリカも何も有効な手を打つことが出来ず、如何にも八方ふさがりで北朝鮮が優位であるということを世界中が認定しているかのような報道ぶりである。勿論、雰囲気がその様な雰囲気であることは私も認めるところであるが、実際の状況は違うものと私は見ている。ポイントは何か?それは、北朝鮮が対話というステップを飛び越えて、いきなり無条件降伏(制裁措置解除、平和条約締結、核保有国の認定)を求めている点である。常識的に考えれば、今までの北朝鮮の戦略はひたすら時間を稼ぎ、その間の核開発とミサイル技術の向上で核保有国への道を確実にしようとしていたのである。だから、今回もある程度の余裕があるのであれば、対話の要求に対して何らかの食指を動かしても良さそうなはずだが、全くそのようなそぶりを見せていない。強硬なまでに、無条件降伏にこだわっているのである。

確かに、金正恩からすれば自らの威厳を高める上で無条件降伏を勝ち取ることは意味のあることだが、これまでの様に北朝鮮のペースで6か国協議が進み時間を稼ぎ、その間に核技術の向上を達成したことは事実でもあり、その時間を稼いだことをアピールすればそれなりに目的は達せられるはずである。アメリカの諜報機関は金正恩の性格も分析していて、父親の様に落としどころを探しながら作戦を練るタイプではないと読んでいるようだが、それでもあまりにも過激にやりすぎると、国内的に降りるに降りれない状態になりかねないから、望まない戦争への突入を避けるためには出口戦略も誰かが考えているはずである。

しかしその結果が今日の最後通牒である。こう考えると、北朝鮮は相当「時間がない!」と追い込まれている(少なくともそう自覚している)のではないかと予想される。もちろん、何の時間がないかといえば、金融制裁による兵糧攻めである。党や軍の幹部連中に贅沢品をばらまき、それをもって忠誠を誓わせている状況の中で、その財源や贅沢品の確保に支障が出ている。経済的には生命線ともいう中国からは、金正恩の排除をオプションとして考えているシグナルを感じる中で、クーデターを起こし金正恩の首を中国に差し出して自らが政権の中枢に座ると考える輩がいつ現れてもおかしくない状況では、早く経済制裁を解除してもらうことが必要なのである。6か国協議の進展を待っていたら間に合わないかも知れない。それが現在の北朝鮮の真実なのであろう。

昨日のブログでも書いたが、スカッドやノドンに核を搭載できることを証明できれば話は別だが、それができない以上は北朝鮮はマスコミが感じているほど余裕などはない。涼しい顔を我慢して作っているのである。だから、こちらは困ったふりをして、少しばかり北朝鮮を焦らす作戦を取ることも選択肢なのだろう。その間に北朝鮮が何を仕掛けても良い万全な体制を確保しながら・・・。

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5か国協議の提案!

2013-04-15 23:01:28 | 政治
ここ数日で、北朝鮮に関する状況が徐々に変わりつつある。今日はその辺についての考察と、最後に勝手ながら個人的にこの事態への対応案を考えてみたので紹介する。

まず、最近の最も大きなニュースは、米国の国防総省傘下の国防情報局(DIA)が3月に作成した北朝鮮に関する報告書の中に、北朝鮮が弾道ミサイルで運搬可能な核兵器を保有しているとの判断を示したことだろう。ある下院議員が11日の下院軍事委員会の公聴会でこの報告書を取り上げ、その日のアメリカはその話題で持ちきりだった。この情報の信頼性に関しては、「中程度の確信(moderate confidence)」という表現を使っており、しかも最終版としてまとめられたものではないから、単なるひとつの情報という位置づけで扱うべきものかも知れない。しかし、当然ながらこの様な危険性が指摘されては報道機関としては取り上げない訳にもいかず、結果として大騒ぎになってしまった。常識的にはこの手の報告書には機密情報が多く記載されており、その大部分は公開することが許されてはいないが、少なくともこの記述の部分に対しては機密指定が外れており、下院議員がこれを取り上げることになったと言う。多分、私も含めて多くの人が理解に苦しむのだろうが、この情報はアメリカにとって不都合な真実?である上に、北朝鮮の国益にとっては好都合な情報である。だから、本来ならこの情報も含めて機密指定されるべきだと思うのだが、意図的かどうかは分からないが現実として既に公になってしまった。

また、このニュースとは内容的には全く関係ないが、韓国の朴大統領などが北朝鮮に対して対話を求めている。そしてこの弱腰の態度により、北朝鮮をますます勢いづける結果となっている。実際、今日の報道の中で北朝鮮の報道官は、韓国統一相らが開城工業団地の運営正常化などを協議する対話を提案したことについて「狡猾な術策」「何の内容もなく、実のない殻に過ぎない」と一蹴したという。何故、この様な時期に韓国が速攻でチキンレースのハンドルを切ろうとするかと言えば、一説にはケリー国務長官が韓国に訪れるより前に北朝鮮にメッセージを送ることで、「米国追従で対話路線を示したのではなく、韓国独自の判断で対話を求めるのである!」という姿勢を示し、北朝鮮が態度を硬化させるのを防ごうとしたのだと言われる。しかし、「狡猾な術策」とまで言われるくらいだから、韓国の思惑が大幅に外れまくっているのは否めない。また、これまた関係ないが、潘基文国連事務総長も韓国語で金正恩に対し、これまた丁重な言葉で対話のお願いをしていた。テレビ画面上には日本語への翻訳版が載っているのみだから実際のニュアンスを知ることは出来ないが、(翻訳が正しいとするならば)これらを見れば明らかに、立場的に韓国と北朝鮮のどちらが優位でどちらが不利か(困っているか)は一目瞭然である。

現在は北朝鮮と、韓国・アメリカの間のチキンレース状態だから、どちらが先に恐れをなしてハンドルを切るかを競い合っている。何処で読んだか忘れたが、チキンレースには必勝法が存在するという。答えを聞けばコロンブスの玉子的にくだらないのだが、それでも非常に的をついた指摘である。曰く、「チキンレースに勝つためには、自らの車のハンドルを抜き取り、相手に見えるようにその取り外したハンドルを見せ付け、さらには遥かかなた遠くにハンドルを投げ捨ててしまえば良い」ということである。どちらがハンドルを切るかを競うのだから、ハンドルがなければ切りようがない。相手がハンドルを切らなければ正面衝突は不可避であり、結局、もう一方の相手が勝負を降りざるを得ないとのことである。まさに北朝鮮はその戦術を取り、アメリカは冷静な対応ながらも、韓国の方がまず先にハンドルを切って勝負から降りようとしているのである。北朝鮮側は「勝ったも同然!」として大喜びし、「狡猾な術策」と高笑いをしている状況である。つまり、「対話をして欲しければ、対話を開始する前に私たち(北朝鮮)が納得できるだけの譲歩案を示しなさい!」と高飛車に出ているのである。アメリカも対話の場への復帰を求めている点では同様であるが、アメリカ側の条件は「核放棄を前提とする対話」であるから韓国とは少々意味が違う。結局、戦争を本気で実感しているのは韓国だけであり、ひとりだけ尻尾を巻いて逃げようとしている状況なのである。

ただ、ここで北朝鮮に都合の良い譲歩をすることが何を意味するかは韓国をはじめ、世界中の全ての人々が分かっている。今、ここで譲歩することは、3年後に訪れる破滅への扉を確実に開くものとなり、その時の事態は今よりも遥かに深刻なものである。今、目の前の恐怖を恐れて将来の更なる恐怖を呼び起こすのか、それとも今、毅然とした態度を示して破滅を食い止めるのか、その選択を迫られている。例えていえば、アルジェリアの石油関連施設の襲撃事件で、身代金を要求されてそれを満額払って人質を救出することが出来れば一時的には幸せだが、その様な成功例を見れば反政府勢力はその後も襲撃事件を喜んで起こすだろう。一方、毅然とした態度で犯人グループの要求を拒否して強硬な態度を示せば、相対的ではあるが第2、第3の事件の発生をある程度は抑えられるだろう。今回の件は、そのどちらを良しとするのかに似ている。目先のことだけを考え過ぎと、長期的な視点では桁違いにマイナスになることもあるのである。だから、今チキンレースで求められるのは、こちらもハンドルを取り外して放り投げ、一方でアクセルを緩めて減速をすることで、衝突までの時間を稼ぐと共に衝突時のインパクトを低減する工夫を行うことである。

話の流れが前後して恐縮であるが、少し話を前に戻して先ほどの米国国防情報局の報告書などについて少しコメントを食え敢えておく。まず、この報告書ではもう少し細かな情報が記されている。この報告書では、弾道ミサイルに核弾頭を搭載する能力は有しているが、核弾頭の信頼性は低いとしている。この意味するところは、特に弾道ミサイルが大気圏に再突入する際に生じる大気との摩擦熱から核弾頭を守るのに耐えうる素材の開発技術が北朝鮮にはなく、その結果、目的とする場所での正確な核爆発をさせるだけの精度がないことを指摘しているようだ。この様な背景もあり政府関係者は(報告書の存在は肯定せざるを得ないが、内容的には)この情報の否定に躍起である。ただ、報道関係者的には政府が都合の悪いことを隠そうとすればするほど、本当はヤバイのではないかと思いがちだから、あまり否定してもその効果は上がらない。

しかし、ニューヨークタイムズ紙にも指摘があるように、このDIAという機関は以前のイラク戦争の直前に「イラクは核兵器を有している」と声高に叫んでいた機関であり、国民の恐怖を煽ることでイラクに対する軍事作戦の正当性をアピールしていた前科がある。深読みすれば、北朝鮮への強硬政策を肯定するために、この様な危険性を煽り立てているのかも知れないから100%真に受けるのも問題である。また、詳細を確認していないので分からないが、スカッドミサイルやノドンミサイルの様な短距離ミサイルに核弾頭を搭載できるかどうかは不明であり、実際にはそちらの方が現実的には重要であったりする。スカッドミサイルやノドンミサイルでは大気圏への再突入時の問題がない反面、ペイロードの容量が少なくなるから相当小型の兵器でなければ搭載することはできない。答えは誰も分からないのかも知れないが、仮に北朝鮮の短距離ミサイルに核を搭載できることをアメリカが確信したとすれば、沖縄をはじめとする日本国内の米軍基地や韓国内の米軍基地を核攻撃で殲滅される恐怖に未来永劫怯えなければならないから、オバマ大統領は即座に先制攻撃の指示をするだろう。だから逆に言えば、まだその決断をしていないということは、危機はそこまで緊迫はしていないという証明なのかも知れない。

さて、最後にこの様な中で、どの様に対応すれば良いのか?私の提案は5か国協議の開催である。5か国とは、6か国マイナス北朝鮮である。つまり、どうせ対話に北朝鮮を交えても殆ど意味がないから、いっそのこと北朝鮮を外した5か国で会議を行うのである。そして、その会議には各国のインテリジェンス系の専門家を集め、そこで話し合われた内容は一切非公開とするのである。北朝鮮はその会合で何が話し合われているかに気が気でないはずである。中国やアメリカ、ロシアが、どの様な条件で金正恩亡き後の朝鮮半島秩序に対する密約をするのか?韓国主導による北朝鮮を含む統一を中国が飲むはずはないが、金正恩の排除と非核化を条件で合意するのではないかとか、国連軍として中国、ロシア、アメリカ、韓国が一斉に進行するというシナリオだとか、あるところから金正恩は疑心暗鬼になるだろう。そうなれば、北朝鮮の求心力は弱まり、崩壊のスピードが加速する。外交は駆け引きだから、相手のカードが読めなければ読めないほど恐怖は大きくなる。今我々が北朝鮮に感じる脅威はその様な所から来るのである。

さて、この様に書きながら思い出して欲しいことがある。今日、安倍総理はケリー国務長官と会談を行った。1時間近い外務大臣などを交えた会談の最後に、ケリー国務長官と安倍総理の二人だけの会談の時間を数分間持ったという。我々にとっては些細なニュースだが、多分、北朝鮮はその様なニュースが何を意識しているのかが気になるはずである。安倍総理は既に出来るところから、その様なプレッシャーを北朝鮮にかけているのかも知れない。しかも、軍事的な挑発とは全く異なるアプローチで・・・。

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一緒に真実を探す旅に出よう!?

2013-04-12 23:56:39 | 政治
先日、「Yes, we remember the facts.」と題した米国の地元紙出した意見広告に関連したブログを書いてきた。そのブログのコメント欄で、英語で対外発信すべきでは?というご意見を頂いた。一応、真面目に考えてみようと思ってどの様な文章を書こうかと考えだしたが、結論として付け焼刃的な対外発信は諦めることにした。今日は、もう少しこの辺を掘り下げてブログを書いてみたい。

まず、この「Yes, we remember the facts.」の記事について調べてみた。実は下記のサイトでこの広告記事を見ることが出来る。

URL:http://sakura.a.la9.jp/japan/wp-content/uploads/2012/11/Committee-for-Historical-Facts-Proof.pdf

この記事が掲載された経緯を遡れば、元々は韓国の著名人が慰安婦の件で日本の謝罪を求めるため、ニューヨーク・タイムズスクエアの電光掲示板やニューヨークタイムズなどに”Do you remember?”という意見広告を出し、それを受けて日本側から”Yes, we remember the facts.”と回答し、その誤解を正そうとしたという形をとっている。この意見広告が米ニュージャージー州の地元紙「スターレッジャー」に掲載された理由は、この地方紙が基盤とするニュージャージ州パリセーズパーク市には慰安婦をたたえる碑石が立てられており、アメリカの中でも慰安婦に関する誤解を最初に解くべき場所なのである。その他の場所ではそれほど知名度がある訳ではないから、下手に誤解が広がらない(寝た子を起こさない)様にピンポイントでの反論を目指した形である。
ところで、この広告に記載のFactsに関してだけでも、日本と韓国の両方の立場からの意見を繰り広げ、双方が「我こそは正しい!」と主張している。しかし、その議論がかみ合うかと言えば決してかみ合うことはない。双方の考えるルールが統一されていないのである。例えば、慰安婦となった人たちが「私は騙されて慰安婦にされた」とか「こんなはずじゃなかった!」と言っていたとして、これを証拠と見なすか否かという非常に単純な話で議論がかみ合わない。これは、例えば日本政府や私などが議論したいポイントと、”Do you remember?”という意見広告を出した人たちが議論したいことが全く別だからである。

例えば、慰安婦として「辛い体験をした人がいた」のか、「いなかった」のかを問われれば、その様な人がいたのは間違いない。可哀そうだから「同情する」か「同情しない」かを聞かれれば、多くの人が同情する。誰かに騙されて慰安婦にされたとして、騙されたと知っていてそれを放置したとして、それが現代の基準で「許されるべき行為」か「許されない」かを問われれば、今だったら助けの手を差し伸べるべきだと多くの人が思う。膨大な数の慰安婦を雇うのに、軍関係者が関与した例が「ひとつもない」か、「ひとつ以上はある」かと問われれば、ひとつもないと考えるのは不自然であると答えるだろう。

同様に、中国、韓国をはじめとするアジア諸国の人々の中に、第2次世界大戦中の日本軍の行為を許せないと感じていた人がいるかと問われれば、当然、多大な迷惑をかけたのは間違いない。当時の南京でそれなりの数の中国人が殺された例があるかと問われれば、ゲリラと見なされるべき軍服を着ない非正規の戦闘員がそれなりの数は殺されたであろうし、その被害者の中に、一人でもゲリラに該当しない無実の一般市民がいなかったかと問われれば、一人もいなかったと考えるのは不自然だと答える。

真逆の聞き方をすれば、30万人の被害者が出たという南京大虐殺を主張する人たちの根拠の中に、ひとつでも証拠能力のないものが含まれていないかと問われれば、彼らも一つぐらいは誤りを認めるだろうし、ひとつでもミスがあれば全ての証拠能力がないかと問われればそんなことはない。都合の良い反論だけ行えば、残りの証拠に反論しなくて良いという訳もない。また、何かの出版物や手紙などに記載があれば、それがどの様な立場の人の記述でも証拠能力を持つかといわれれば、その信憑性は当然個別に精査すべきである。同様に、誰かが「私が生き証人である」と言ったとして、その人の証言が絶対的に正しいかと問われれば、裁判でも証人に対する反対尋問も許されてしかるべきであり、片方の立場に圧倒的に有利な証言をして、反対尋問には一切口をつぐんでいたら、裁判長はその証言に証拠能力を認めないだろう。

多分、クリントン前国務長官などもそうなのだろうが、多くのアメリカ人は、慰安婦となった彼女たちが可哀そうであり「二度と繰り返してはならない悲劇」か、それは「仕方がないこと」かを問われれば、決して仕方がないと許してはいけないと答えるのだろうし、「謝るべき」か「謝る必要がない」かを問われれば、謝る気持ちは必要と答えるのだろう。だから、河野談話でも性善説に立ってその謝罪の気持ちを言葉にしたのだと思う。しかし、日本のその様な行動を評価することもなく、その河野談話を根拠に更に世界に日本を貶める情報発信を繰り返し、国内では徹底的な反日教育を行い続けるという蛮行を繰り広げる。「我々は、あの時の屈辱を忘れない。その鬱憤を晴らすためには、それが事実か事実でないかなどどうでもよく、イメージ的にこんな感じで悔しい気持ちを持っているのだ!」ということを、世界的に認識させようと必死になっている。その背景のひとつには領土問題もあり、領土を勝ち取るためのひとつのツールとして、それが国際法的にどうかということよりも、歴史問題的な視点では日本が何もかも悪いと世界を洗脳しようとしている。

だからこそ、ここでの議論は「あること、ないこと」を十派ひとからげにするのではなく、個別の事案を一つ一つ精査し、裁判と同様に第三者が見たときに「疑いもない事実」と認定されるべきものと、気持ちは分からないでもないが「明確な証拠がない」不確実な主張とすべきものを区別していくべきなのである。さらに言えば、「事実」は「真実」とは異なり、事実ではあるが真実とは異なる印象を与えミスリードを意図的に誘導する事実は、当然ながら真実は別にあることを確認しなければならない。単に事実であればそれで良いという訳でもないのである。私のブログでも良く取り上げる例だが、湾岸戦争でアメリカ軍はハイテク兵器を用いてピンポイント攻撃を行っていたのは事実であるが、その事実を聞いて我々は「ならば、米軍が誤爆をする訳がない」とミスリードされてしまう。しかし、実際にはハイテク兵器は全体の1割に過ぎず、多くの誤爆が行われて病院や小学校など、罪もない犠牲者が多く出たということが聞かれる。「事実」からイメージした内容が、「真実」から大きくかけ離れている典型的な例である。

だから日本政府は、辛い経験をした慰安婦たちに民間レベルでの補償を促す一方で、「本当に、狭義の意味で日本軍や日本政府による直接的は関与」のみに的を絞り、第三者が見たときに「疑いもない事実」と認定されるべきものと疑わしいものを精査しようと考えるのである。裁判で言えば、疑わしきは被告人に有利とする原則があるが、この原則に加えて民間レベルの補償を併用することで、疑わしきは双方に有利とする道を提案した。しかしこれを拒否するのだから、ならば一つ一つの「証拠」を精査し、「事実」と疑わしきものを区別し、その結果得られた「事実」を総合することで将来の歴史家が「真実」を議論できる環境を作り上げることをまずは目指さなければならない。

「Yes, we remember the facts.」はそのための出発点であるが、本当にアピールしたいことは「Let’s go on a trip to "Closer inspection of the TRUTH", together! -- We all Japanese also want to know what the historical TRUTH is. --」なのだろう。この辺の微妙なニュアンスを私のつたない英語では少しばかり厳しい。ちょっと、文字数が多くてインパクトに欠けそうだし・・・。だから、もう少し作戦を練ろうと考えているところである。いつの日かブログに書けるかどうか分からないが・・・。

最後に一つ、以下の記事を読んで欲しい。

産経ニュース2013年4月5日「第3部 プロパガンダ戦争(5)沖縄の新聞、中国大使に同調

ここには、外務官僚の外務省中国・モンゴル第1課の石川浩司課長が香港のフェニックステレビに出演し、尖閣問題に対して中国側とサシで意見を戦わせたとことが紹介されている。「中国側は自らの立場に自信があるのなら、国際司法裁判所になぜ提訴しないのか!」と問い詰め、中国側の論理的な反論を許さなかったという。人によってはこれを「喧嘩を売っている」とみるかも知れないが、前向きな議論は絶対に必要であり、意見の対立を恐れるのは賢明ではない。この様な地道な行動が日本政府には今求められているのだろう。(ひょっとして、私にも・・・?)

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予想が外れたことへの振り返り(ミサイル迎撃が必要ない理由)

2013-04-11 23:53:02 | 政治
先日のブログで北朝鮮が今日、11日にムスダンミサイルを発射し、日米韓がこのミサイルを迎撃すると予想した。まだ時間が残っているので可能性は残っているが、幾つかの誤解をしていたのでこれを修正しておこうと思う。

まず私の最大の誤解は、「ミサイル発射からそのミサイルの正確な着弾点が何処であるかの判断を即座には判断出来ない」と思った点であるが、どうやらここ数日テレビに出演している軍事評論家の話を集約すれば、かなり早期に判断ができるということの様である。私はてっきり、ミサイルは燃料噴射口や微小な尾翼状のものを微調整し、ターゲットに突入する最後の瞬間まで軌道修正を図り続けるものなのだと思っていた。だから、ミサイルの上昇段階では東か南かぐらいは分かるだろうが、それが具体的に何処なのかまでは分からないと思っていたが、実際にはその様な微調整はあまり行っておらず、ある高度まで打ち上げたらそこから先は単なる物理法則で飛んで行き、大気圏中で受ける僅かな風などの要因による不確定性を除けば、発射から1分程度で着地点が予想できるのだという。2番目の誤解は、多分、ミサイル迎撃の難易度と言う意味では発射直後の上昇段階での追尾による迎撃が簡単なのだろうが、実践的にはムスダンのような中距離以上のミサイルであれば大気圏外での迎撃が基本となるようである。上昇段階での迎撃が簡単な理由は単純で、弾道ミサイルは多段構成となっているから、第1段目ロケットで上昇中は第2段目以降のロケットがお荷物となり、結果的に上昇(航行)速度は比較的遅く、一方で迎撃ミサイルは射程を短くする代わりに軽く作れるから、弾道ミサイルよりも高速で上昇することが可能である。ミサイルの進行方向に沿いながら追いかける場合の相対速度は遅くなり、飛んでくるミサイルに向かいながら撃墜する場合の相対速度と比較すれば雲泥の差である。しかもその熱源を追尾しながら追跡することが可能だから、様々な意味で難易度は大幅に低い。しかし、これは考えてみれば当然かもしれないが、難易度が低くても、実行するのに弊害がある場合にはそれは選択肢とはならない。例えばロシアや中国などのように自国領の内陸部から発射した弾道弾などは、上昇過程での迎撃は他国領空を侵犯しなければ迎撃は不可能であり、一般的なミサイル防衛システムとしては必然的に大気圏外での迎撃が前提となる。今回は北朝鮮という海に面した国のミサイルがターゲットであるが、システムの設計として大気圏外を前提としたものであれば、敢えて上昇段階に切り替えて対応する必然性はない。この大気圏外での迎撃の場合には、ミサイルの軌道はかなりの精度で予測可能であるから、迎撃の必要性の判断は簡単に出来ることになる。実際、迎撃のための態勢を見てみれば、アメリカ軍は日本海にイージス艦を派遣しておらず、日本を越えて大気圏外での慣性航行状態になったミサイルに対する迎撃に的を絞っていることになる。たまたま偶然、ミサイルの着弾点に船舶がいて被害を受けたという状況はあり得るが、その様な事態を除けばミサイルが海上に向けて発射された場合には迎撃の必要性を判断することが可能となる。

以上のことから、北朝鮮がミサイルを発射しながらも、(北朝鮮が全面戦争を覚悟してミサイルをアメリカに向けて発射することは望まないだろうという予測の下では)殆どの場合にミサイル迎撃の必要性がないという事態となりそうである。こうなると、日米韓はどこからも迎撃ミサイルを発射する必要がないから、結果的に「迎撃を試みて成功」「迎撃を試みて失敗」以外の結果が存在することになる。私の予想はこのふたつ以外に選択肢がない場合を想定していたので、予測が大幅に外れたということ(ないしは、予想が外れる可能性が高いということ)になる。

また、折角なので紹介しておくが、TBSのお昼の番組「ひるおび」に出演していた四方氏が面白いことを解説してくれていた。それは、北朝鮮にとっては中国に対する軍事的な依存度は我々が思うほど高くはないということらしい。中朝友好協力相互援助条約があるから確かに相互に安全保障の協力関係を築き上げているのは事実であるが、しかし、実際には政治的、経済的、外交的な中国に対する依存度の高さに比べ、軍事的な依存度は相対的には低いということらしい。ムスダンというミサイルも旧ソ連の潜水艦発射型ミサイルをベースとしていると言うが、旧ソ連系の流れを汲んだ武器が現在も主流を占めているという。更には、(ここが重要なのであるが)軍事訓練などでの結びつきは、ロシアと北朝鮮の間では比較的頻繁に行われることがあるが、中国との共同軍事演習というのは殆ど例がなく、軍事的な依存度は圧倒的にロシア側に近いという。面白い例え話を引き合いに出していたが、現在の中国と北朝鮮は「嫁をいびる姑よりも、中を取り持つ振りをして嫌味なことをする小姑の方が憎い」という関係に近く、中国に何か言われても、「ハイ、ハイ」と従順に従う関係ではもはやなく、逆に中国に何か言われれば言われるほど反発したくなる関係に近づいているということらしい。特に金正恩の様な若い世代になればなるほどこの傾向は強いのだろう。

であるとすれば、ますます北朝鮮は振り上げた拳を下ろす場所が見つからない。ミサイルを発射しても事態は動かない。中国が強力に干渉しても同様に動かない。経済制裁にしても必死の痩せ我慢で動かない。このまま行くと、経済が失速しつつある韓国が誰よりも最初に音をあげて、「Give up」宣言をしてしまうのではないかと思ってしまう。実際、朴槿恵大統領は如何にも自信なさげな弱々しい表情で、北朝鮮に対する対話を求める声明を出していた。韓国のマスコミも、経済へのインパクトなどを理由に大分弱気な論調も目立ってきた。しかしそれは北朝鮮の延命に力を貸すことになり、小型化した核ミサイルを手に入れたことによる3年後の破滅へと通じる道を開くことになる。それだけはどうしても避けなければならない。

幸いにも日本はアベノミクスの影響で、北朝鮮の脅しに屈する状況にはない。アメリカも、賢明なオバマ大統領はここでの譲歩は選択肢にないことを明らかにしている。だから、安直な棚上げ議論でことは済まないだろうが、韓国の頼りない動きのせいで、私にはその落としどころが何処になるのか、また分からなくなってしまった。何処かでアメリカが軍事的な揺さぶりをかけるのであろうか?

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「Yes, we remember the facts.」ふたたび!

2013-04-10 23:58:21 | 政治
今朝、たまたまAMラジオをNHK第1放送に合わせたところ、丁度、国会中継をやっていた。自民党の西川京子議員からの質問で、内容的には具体的な証拠を伴わない南京事件や慰安婦問題に関する中国、韓国側の主張をそのまま受け入れる形で記された教科書検定の在り方について、このままで良いのか?と問う内容であった。下村文科相からは教科書検定基準について、「現状と課題を整理し、見直しを検討する」との回答があった。安倍総理に関しても、第1次安倍内閣で行った改正教育基本法の精神が、現在の文科省が告示している教科書検定基準に生かされていないと指摘し、事実上の検定制度見直しの必要性を認めた。

この一連のやり取りを聞きながら、現在の東アジアの歪んだ現状を考え直してみた。まさに戦争勃発前夜とも言われ、多分、明日(11日)の朝8時前後に北朝鮮がミサイルを発射するのではないかと個人的には予想している。北朝鮮はアメリカに対する核戦争を宣言し、アメリカもそれに対して圧倒的な軍事力を示してチキンレースが進む。喧嘩両成敗的な発想であればアメリカも問題であるが、それでも我々がアメリカと共に手を取り合って歩むことが出来るのは、日本もアメリカも民主主義が確立した国だからである。イラク戦争などをみても、アメリカが言うことが常に正しくないことは明らかだが、民主主義の国では常に国家の決断の妥当性を民主的な見地から見直しをするブレーキが働く。ナショナリズムが燃え盛れば一時的に道を踏み外すこともあるし、パーフェクトな平和主義者から見れば及第点を得られないかも知れないが、(日本維新の会の綱領ではないが)絶対平和という幻想が成り立たない現実の世界の標準からみれば、明らかに高得点である平和レベル、民主主義レベルをアメリカは得ているだろう。日本はさらにその上を行くのかも知れないが・・・。

この民主主義というものを貫き通すには高い高いコストが必要であり、それが北朝鮮の様な独裁国家、同様に中国の様な共産党による一党独裁の国家との違いで、大きなハンディキャップを負うことになる。例えば軍事費一つとっても、湯水の様に軍事費を使いまくる中国などに比べて、日本などでは他の社会保障などの予算の確保の見地から、当然ながら必要と思われる軍事費を確保することなどできる訳がない。結果的に金額で見れば中国に比べたら貧弱なものであり、その予算枠の中で科学技術レベルの高さで何とかくらいついていく状況である。尖閣問題にしても、国家が善悪を決めることが出来る中国に対して、日本では「尖閣なんて中国にあげちまえ!」という言論の自由ですら保証しなければならない。このハンディは相当なものであり、それでも負けないためには相当な力量が内閣総理大臣には求められる。しかし、最近の日本では民主主義故に鳩山、菅という歴史に名を残す(悪い意味で)突出した総理を生み出してしまった。しかし、それでも戦前の悪しき経験を考えれば、いつの日か悪い方に行き過ぎる時に自動的にブレーキが働くというメカニズムのために、我々はその高い民主主義のコストを払い続けているのである。

しかし、である。このコストはまさに今、我々にとって非常に重たいボディブローの様に効いてきている。先ほどの南京事件、慰安婦問題を例にとれば、中国や韓国は戦争の勝者が歴史を自由に編纂し、事実を好き勝手に塗り替える権利があると攻勢をかけてくる。そこには、証拠に基づいて事実を評価し、疑わしきことは疑わしきこととして認め、誤っていることは誤っていると認め、正しく歴史を見つめ直そうという意識などない。とにかくプロパガンダ戦略を行い、大声で叫んだ方が勝ちというルールで勝敗をつけようとする。その結果、力技で領土問題を解決しようとする試みは、(相対的にはまだまだましだが)過去の軍国主義を貫いていた旧日本帝国に通じるものがある。

この議論は殆ど宗教間の争いの様でもあり、相互に議論の前提として共有できる絶対的な価値観がない。どちらが正しいかは議論すべきものではなく、あくまでも相手に譲歩させるのみであり、自らは1ミリたりとも譲歩しないという考えである。議論をする気がないから証拠など不要であり、真実を明らかにすることなど興味が全くないのである。しかし、民主主義とはかけ離れた国では、その様な国家主導の考え方を教育により徹底し、国民全体がかなりの確率で認識を共有しているのに対し、我々の様な民主主義の国では全く真逆の国益に反する考え方の人間が少なからずいる。先日のブログでも書いたスイスの民間防衛の話ではないが、敵はまず相手国の国内の発言力のある著名人にターゲットを絞り、その国の同調者に仕上げようとする。巧みな話術でたぶらかし、反体制的な姿勢が「かっこいい!」という困った風潮から平気で国益に反することを情報発信する。短絡的には、その様な人を国益に反することを理由に逮捕できれば良いのかも知れないが、それでもその様な人が逮捕されないという言論の自由が、究極の「国家暴走に対するブレーキ」として働き、大きく道を踏み外すことを防ぐのである。

しかし、もはや反民主主義的国家のプロパガンダは放置できるレベルではなくなっている。驚くことに、我々が民主主義陣営の仲間と信じていた韓国も、実は壁の向こう側の国家であったことを痛感している状況である。この様な高価な代償に立ち向かうためには、それなりの覚悟を決めて臨まなければならない。

私は昨年の秋のブログ「Yes, we remember the facts.」()の中で、安倍総理を含む人々のその覚悟と戦略を紹介させて頂いた。中国や韓国が主張する「歴史の捏造」は様々な意味で決して許されてはならない。だから、その主張が日本によるものか、中国、韓国によるものかに関わらず、真実を真実として記録に残さなければならない。私が今日感じたのは、民間防衛と同様に、証拠を伴わない推測や予測を前提として国益に反する方向性の雰囲気を作り上げる危険性である。日本に都合が悪いから自虐史観と呼ぶのではなく、証拠に基づかない事柄を歴史教科書の記述の中で中国や韓国などへの配慮から事実と認定する「近隣諸国条項」という基準を定めた真実に対する後ろ向きさが危険そのものなのである。

議論の土俵はあくまでも証拠に基づくものであり、中途半端な予測や推定を排除しなければならない。誰かの発言を証拠とするならば、その反対尋問により、その証拠能力を問われなければならない。誰かが10の証拠を挙げたとして、その内のひとつを論破したら全ての証拠能力を否定できるというご都合主義的な議論ではなく、ひとつひとつの証拠を地道に精査するのである。多分、中国、韓国の立場の者と、彼らが「極右」と呼ぶ例えば安倍総理の様な立場に立つ者の間の直接的な討論会では、感情論が前に出過ぎて議論になどなりはしない。実際、これまでの経験がそうだった。論文にしても、大きな一つの主義主張を論文全体の中で貫いているから、個別の証拠の妥当性を細かく議論するのとは程遠い。証拠の議論は多分、何往復もの双方の言い分をぶつけ合って真実が見えて来るから、その様な細かな証拠の吟味を丹念に行う環境が必要である。私が期待したいのは、現在を生きる歴史家により歴史認識の確定ではなく、例えば50年、100年先の歴史家が議論できるだけのデータベースの構築である。そのデータベースを各国の言語に翻訳し、世界規模の議論ができる環境を整えるべきである。そこには誰に対しても変な遠慮は不要であり、仮に国益に反することでも事実は事実として明らかにし、その代わりに国益に沿った事実も世界から事実と認めてもらわなければならない。

単に教科書問題として終わらせていては、所詮、中国、韓国のプロパガンダには勝てない。プロパガンダにも民主主義的な手法で勝つための戦略・土俵を是非とも安倍総理には作って欲しい。まさに、「Yes, we remember the facts.」である。

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