けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

大川小の惨事から学ばねば死んだ者は浮かばれない!

2013-03-10 23:56:46 | 政治
明日、東大震災から2年を迎える。休戦協定が白紙になるこの日に北朝鮮と韓国との戦争が本当に起こるのか、それともギリギリのところで危機が回避されるのか分からないが、今日のところは忘れてはいけないひとつのことを書かせていただく。

私は昨年から注目していたことなのであるが、ダイヤモンド社のDiamond onlineの記事の中で「大津波の惨事『大川小学校』~揺らぐ“真実”」という連載が組まれている。既に連載は20回に達しており、非常に関係者の涙ぐましい努力と、一方で教育委員会や学校側の不誠実さがこの記事の中で浮き彫りになっている。多分、無料の会員登録をしないと読めない記事だと思うので、一般的な方々には読めないかも知れないがご容赦願いたい。

Diamond online「大津波の惨事『大川小学校』~揺らぐ“真実”」
第1回(2012年6月25日)「『避難途中に大津波』はウソだった?石巻市教委の矛盾で明らかになる“大川小の真実”

大震災当日の行動は、第15回の記事に詳細に書かれている。

第15回(2012年10月30日)「大川小児童の遺族が立ち上がってから4ヵ月 明らかになった真実、隠され続ける真相とは

ご存知の方も多いと思うが、石巻市立大川小学校では、東日本大震災で児童74人、教師10人が大震災の大津波にのまれて死亡、行方不明になった。この小学校は周辺の住民の避難場所にもなっていたとい事情もあるが、時間が十分にあったにもかかわらず、より高い安全な場所への避難の決断をすることができず、生存者が5名という惨事につながった。ちなみに校長は当日、年休で不在だった。子供たちは校庭から4~50秒ほどで辿り着く裏山への避難を求め、実際に駈け出した者もいたが、教員が怒って呼び戻し校庭で待機することになった。市の広報車は情報を収集して車で高台への避難を求めていたが、教頭と教務主任などが裏山への避難を求めたにもかかわらず、そこにいた区長が絶対安全だからと言って逆に海側に向かう方の三角地帯への避難を指示したりもしていたという。結局、不可解な行動の末に津波に飲まれ、その当事者の多くが死に至った。大人で助かったのは教職員1名のみで、実際、そこで何が起こっていたかを知るにはその教員からの聞き取り調査の内容が必須であるが、精神的にも非常に追い込まれた状態にあり、満足に聞き取り調査が行われることもなく、さらには僅かな聞き取り情報も積極的に公開されることはなかった。

もちろん、この教員の精神的なダメージは容易に想像できるから、ある程度の同情の余地はあるが、これだけの惨事であるのだから今後の対策のために、何故、彼らが死ななければならなかったのかを明らかにする義務がある。今回、何故大川小学校の事故が問題であるかと言えば、当然ながら誰もが感じるこの義務感の為に、多くの聞き取り調査を行ったにもかかわらず、そこで主導的な役割をしていた市教育委員会は、聞き取り調査のメモを驚くことに破棄していた。このメモの破棄という行為は証拠隠滅という犯罪行為に等しいが、もとの津波での被害が犯罪行為とは関係がないがために、詳しいことは分からないが犯罪構成要件を成さずに罪に問うことなどできないのだろう。だから、関係者が苦しい思いで語った聞き取り調査内容を簡単に闇に葬り去ることができるのである。私はどうしても、この証拠隠滅行為が許せない。繰り返すが、適切な判断ができなかった教員などを責めるのではなく、教育委員会の対応の不誠実さが許せないのである。これでは死んだ者は報われない。

その後開かれる事故報告の中では、この様な証拠隠滅の事実を更に隠す必要が生じるから、嘘で嘘を塗り固めたような報告が繰り返される。多くの情報が隠されて「死んだ者はもう帰ってこないからいいじゃないか!」というスタンスが明らさまに見えてくる。遺族などの関係者が「実際には何が起きていたのか?真実はなんだったのか?どの様な証言が得られているのか?」を求めているにも関わらず、それに誠実に対応しようという姿勢は全く見えない。

概ね、この様な内容が背景にあり、その後、先月の2月7日になって「大川小学校事故検証委員会」が立ち上げられた。ここでは様々なことが調査の対象となっているが、それまでの市教育委員会などの対応があまりにも酷く信頼関係のかけらすらない状況なので、遺族などはこの事故検証委員会に対しても不信の念を持って対峙している感じである。先日の3月3日、文科省の(ヤンキー先生こと)義家弘介政務官は慰霊のために大川賞を訪れて「市教委の事後対応はあまりにも不誠実。しっかりした検証が必要」と語っていたことも記事になっていた。

この様に、津波に対して不適切な対応で多くの被害者を出した例は数多くある。一部では民事訴訟に発展したりもするから中々難しいところはあるが、この様な問題に対しては少なくとも亡くなった方の命が無駄死にではないように、少しでも多くの知見を引き出さなければならない。にもかかわらず、その様な誰もが納得する活動が思うようにいかないのには訳がある。それは、先ほども触れたように、民事訴訟に発展して責任追及を受けたり、教員などであればその後の教師人生において不利益を受けるのではないかというような不安が、事実を公にすることを妨げるのである。場合によっては、例えばこの唯一生き残った教員は遺族に対して自分の義務を果たそうと思ったのかも知れないが、教育委員会などの外野がヤイノヤイノと言って「黙っていた方がお前のためになるよ!」と入れ知恵をされて気が滅入ったのかも知れない。同時に、教育委員会の担当者などは緊急時の非難のマニュアルなどの不備を含めて問題が自分達に及ぶのを恐れ、この件は闇の中に葬ってしまえと思ったのかも知れない。この様な邪念は明らかにはならないかもしれないが、真実のある程度の部分は事故検証委員会にて明らかにされるだろう。だからこそ、この事故検証委員会と遺族の有志の人達の間では信頼関係を築き上げ、共に手を取り合って進んで欲しいと思うのだが、この連載記事を連載しているジャーナリストの記事の書きっぷりを見ていると、それまでの怨念が先走っていて憎悪のあまり協調的な活動に支障が出るのではないかと思えるような雰囲気がある。この部分は、多分、自分の子供がその被害者であれば当然のごとく同様の怨念、憎悪の気持ちが先走って冷静さを欠くかも知れないのであまり非難できる話ではないが、逆に第三者だからこそ、その様な感情が渦巻く中で如何にして知見の積み上げを実現できるルールを築いていくべきかを考えることは有益ではないかと考える。

今回の事故に関して言えば、教職員の不適切な判断で死ななくても良い生徒(当然ながら教員も含む)が亡くなった訳で、その後の市教育委員会などの対応を見ても、大津のいじめ自殺事件や大阪の桜宮体罰自殺事件などと比較されるかも知れない。しかし、ここには明確な差が一つある。度を越したいじめも体罰も、それ自体が犯罪行為であるのに対し、大川小の場合には全ての関係者は命がけで自らも、そして子供たちの命も助けたいと思い必死の行動を取っていたのである。勿論、下手な判断をして犠牲者を出したら責任問題になると考え、頭を過った常識的な選択肢を敢えて選択しなかった部分に無責任さはあるかも知れないが、それが死に至ると分かっていれば誰でも避難の決断をしていたのである。だから、これらの事件を考えるときに、ふたつの大きなポイントを意識すべきである。

まずひとつには、司法取引ではないが、重要な情報を証言したものに対しては、そこに犯罪行為や重度の悪質性が見られない限りにおいて、明文化された法をもって懲罰などの責任追及や損害賠償の義務を全て回避することを明示するというものである。逆に、重要な情報を証言してこなかった者には、これらの責任追及に対する免罪符の様なものを認めず、状況に応じて民事訴訟を含む追求の対象にすることを否定しないというものである。

そしてもうひとつは、これらの情報を収集し事実関係を明らかにする義務を持つ教育委員会の委員などのメンバーは、事件が発生した日(ないしは、事件が発覚した日)から所定の期間(例えば2週間)以内にその職を辞さない限り、収集した情報を適切にまとめて報告しない限り、不正実なその義務の不履行として逆の責任を追及をされうることを、罰則規定も含めて法律に明文化するのである。勿論、事実の隠滅や証拠隠滅行為なども法で処罰可能とし、明示的に義務の遂行を要求するのである。

ここで、第1点目であるが、民事訴訟などの責任追及に免罪符を与えるといっても、それは被害者の請求権を放棄させるものではない。裁判を通じて何らかの落ち度が認定されれば、賠償責任が発生するのは当然であるがこれを国で補償しましょうというルールである。被害者からすれば、これによって情報が開示されやすくなり、泣き寝入りするリスクは限りなく減ることになる。何らかの落ち度があり責任を問われる立場の人間であれば、最後まで隠し通そうとすれば当然ながら賠償責任の義務を負う可能性が浮上する。だから、法的に犯罪行為をしたのでなければ正直に全ての情報を報告した方が得なのである。また第2点目についても、これまでは情報のもみ消しを行っても、それを問われることはなかった。実際、大川小の事件でも事実のもみ消しに走った関係者がその後に校長になったりして、ペナルティを受けるどころか逆に昇進していたりする。しかし、その様な不誠実な行為が発覚した場合には、罰則規定を伴う法律で裁かれるとなれば、敢えて危険を冒してまで事実のもみ消しに走ろうとはしない。ある程度責任ある立場であれば、それなりの責任がちゃんと問われるシステムを構築し、罰則規定を明確に規定することで、いじめや体罰事件にしても同様に、明るみになるべき情報を公開の場にさらし、適切に物事が判断できる状況を担保するのである。

今回の東日本大震災の様な異常事態を想定していなかったかも知れないが、既にこれは想定内の事態に変わった。悲しい惨事を惨事で終わらせないためにも、ひとつひとつ前に歩む何かが欲しい。別に私の短絡的な議論はどうでも良いが、この様な観点を突き詰めてより良い方法があるのなら、それを誰かが提案して法に落とし込んで欲しい。

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