けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

プルトニウムを数年で処分する方法が言えるものなら言ってみろ!

2012-11-30 23:57:55 | 政治
昨日から党首討論が行われている。昨日はニコニコ動画のインターネット中継、今日は日本記者クラブで行われた。昨日のインターネット中継は見たが、何ともつまらない運営で欲求不満が溜まった。今日の日本記者クラブの党首討論はニュースで見る限りかなり面白かったようだが、そんなものがあると知らずに中継は見そこねた。残念である。

そんな今日の党首討論では、まずは日本維新の会の石原代表がポカをやってしまった。原発の将来的なフェードアウトという公約をうっかり忘れ、記者からの質問に「(方針を)直させた!」と言い切ってしまい、記者から「公約では直ってないので直させてください」と言われて約束してしまった。以前に減税日本とたちあがれ日本が合流すると発表した際に、橋下大阪市長が「石原さんのマネージメントには疑問を感じる」と言っていたが、やはり、ふたりで共同代表にしなかったのは橋下代表代行のマネージメントの失敗だと思う。一方、日本未来の党の嘉田代表は記者からの「8割が小沢さんの党出身だが・・・」との指摘に対し、「小沢さんを使えないで、どうして官僚を使えるのか?」と切り替えした。十分に考えておいた切り替えしなのだろうが、これはアッパレというところだろう。この辺は、好きとか嫌いとかとは関係なく、客観的に得失点を評価すべきだろう。

そんな中で、自民党の原発政策について、野田総理は「10年もかけてベストミックスを考えると言うことは、実質的には続原発ではないか!」と攻めていたが、これは変な話である。例えば、民主党の2030年代までに原発ゼロというのは、みんなの党の2020年代中の原発ゼロからすれば「甘っちょろいことを言うな!」となるだろうが、日本未来の党の10年で卒原発からすればみんなの党の主張は「そんな悠長な・・・」となる。しかし、現時点で大飯原発しか稼動していない状況(しかも、活断層が指摘されて風前の灯の状態である)を前提とすれば、このまま再稼動を許さないという即脱原発派の共産党などからすれば、「10年かけるならば、結局、再稼動容認じゃないか!」ということになる。多分、首相官邸の周りでデモをする人達にとっては最も説得力のあるのは共産党であろう。つまり、「脱原発なんてやろうと思えば簡単にできる!」という前提に立てば、原発ゼロの時期は早ければ早いほど良いのである。国民の生活が第一なども、そのウケが良いのが分かっているから、元々は日本未来の党よりもラディカルな主張をしていた。ちなみに日本未来の党は多くの元民主党員を抱えながら、民主党が政権を取っても実現できなかった子供手当て(実質、月2万6千円相当)をはじめとするバラ撒き生活を復活させ、この期に及んでその様な政策が「出来るという前提」で提案している。

しかし、ならば私は聞きたい。何故、野田総理が民主党の掲げる「革新的エネルギー・環境戦略」を閣議決定で採用できなかったのか?を・・・。当然、それには色々な理由があるのだろうが、どうしても有耶無耶にできなかった「原発ゼロに必須でありながらクリアできない高い高いハードル」が最低ひとつあるからである。それは、原発ゼロを目指すならば核燃料サイクルの見直しは不可欠だが、それを認めると核兵器製造に必要なプルトニウムを拡散させてはいけないという世界中の常識の中で、「既に核燃料サイクルで生まれた膨大なプルトニウムを即座に処分しなければならない!」という強硬な要求がアメリカからあったからである。民主党政権は、そのための道筋がどうしても描けなかったのである。この即座の処分というのは、正確なアメリカの認識は良く分からないが、少なくとも脱原発のゴールである2030年代(30年先)からは遥かに手前の時期である。北朝鮮やイランなどの核開発に対して厳しいことを言う以上は、処分のデッドラインは例えば数年というスパンかも知れない。実際には地下深くに頑丈な最終処分場を建設したり、最終処分の具体的な方法を定める(技術を開発して安全性も含めてオーソライズする)のに数年かかるならそれを許容することは出来るかも知れないが、その最終処分場を何処にするかはせめて1年以内に決めろと迫られるかも知れない。

しかし現状はといえば、除染で生じたホンの僅かの放射性物質を含むゴミを一時的に保管する中間保存施設を、既に相当汚染された福島県内のある地域に決めるだけでもすったもんだしている。ましてや、除染のゴミよりは放射線量は高い(ただし、少なくとも爆発したりするリスクは全くゼロ)放射性物質を含む焼却灰、汚泥などを処分する最終処分場に至っては、候補地を幾つか指名するところまでは民主党政権で行ったが、実際には受け入れが実現するかはさらに怪しい。一方で、本丸であるプルトニウムは原爆の材料だから、気持ちの上では焼却灰とプルトニウムの差は、少なく見積もっても水鉄砲とミサイルの処分ぐらいのハードルの高さだろう。仮に米軍機がミサイルを田んぼに落としていったのを発見して「自衛隊に引き取ってくれ!」と言っても、自衛隊は米軍に依頼して自らは引取りには来ないだろう。しかし、プルトニウムをアメリカは引き取ってくれないから、これは日本国内で処分するしかない。東日本大震災の被災者のためであっても、取るに足らない些細なリスクすら背負う覚悟のない日本国民に対し、国家の強制力を使わずして最終処分場を決めることなど絶対にできない。これが出来るのは、きっと衆院、参院の双方で2/3以上を連立政権で押さえ、且つ、対抗する政治勢力が殆どいないという体制翼賛会的な状態になったときだろうが、そんな状態がこの先10年程度で生まれることはないだろう。寧ろ、一般的には振り子の揺れはあるだろうがその揺れ戻しにビクビク怯える政治がしばらくは続くことは容易に予想できる。であれば、「どうせその責任が問われる時には俺はその場にはいないから言ったモン勝ち!」という気持ちがなければ、少なくとも核燃料サイクルの継続を否定しなければならない30年以内の原発ゼロを宣言できたりしない。

政権に近ければ近いほど、その責任を問われるリスクが高いから、いつぞやのルーピー総理の二の舞にならないように、リスクを薄くするための(原発ゼロの達成時期の)先送りを言わざるを得ない。原発ゼロ度の高さを軸に各政党の位置づけをすれば、自民党<日本維新の会<民主党<みんなの党<日本未来の党<社民党<共産党となるが、政権への近さでいえば自民党>日本維新の会>民主党>みんなの党>日本未来の党>社民党>共産党と間逆に並ぶ。これは単なる偶然ではないだろう。明らかに背後には意図があるのである。

野田総理はこの点を喉から手が出るほど党首討論で指摘したかったのだろうが、しかしそれを言ってしまうと何故閣議決定できなかったのかがバレてしまうから死んでも言えない。安倍総裁や石原代表ならそれを指摘しても良いと思うが、脱原発に後ろ向きとの印象を与えたくないためか、その指摘はなかった。であれば、記者の方から指摘しろよとも言いたいがそれもなかった。

この様な、真剣を相手の喉下に突きつける議論を私は望んでいる。まだ時間はあるのだから、何とか実現して欲しいものである。

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「言ったモン勝ち」を排除するための提言!

2012-11-28 22:55:54 | 政治
昨日のブログでは、選挙後において政権与党の主流派と成り得ない政党にとっての政権公約・マニュフェストは意味がないのではないかという暴論を問題提起としてさせていただいた。今日は、もう少し先を見つめた新たなふたつの提言をさせていただく。

まず最初に何が問題であるかといえば、仮に有権者にウケの良い嘘八百を並べて当選してもその嘘の責任が問われ難い現状を何とかすべきであるという点である。ただ、これは実は難しいところがある。仮に脱原発を訴えて当選しても、衆参両院で多数勢力にまで議席を獲得できなければ、どんなにその人が誠実に最大限の努力をしても政策が形になることはあり得ない。それをその人個人の責任と責めてしまっては浮かばれない。政党にしても、弱小政党であれば同様である。この意味では、(少なくとも現職だった議員であれば)前回の選挙での約束を誠実に実現するために最大限の努力を行ったかどうかが次の選挙の投票基準にされるべきである。しかし、実際には選挙の都度に新しいスローガンをぶち上げ、前回の約束をリセットして新しいスローガンだけで勝負を仕掛けてくる。また現職は別としても、少なくとも新人候補には過去を問うことは出来ないから、中々前回の政権公約を基準に投票するというルールは一般化しにくい。

そもそも、今回の膨大な数の弱小政党の顔ぶれを見れば、前回の選挙の時の所属政党とは違う名前の党に所属している人が大半だから、責任を問うということの意味も曖昧になってしまう。民主党を離脱した議員の多くは、民主党が変わってしまったから悪いのは現在の民主党執行部であり、我々は悪くないという言い訳もあるだろう。これでは、正攻法である「嘘八百を並べて当選した候補者の嘘を糾弾する」ことには限度があると言わざるを得ない。もちろん、ネット上で各政治家の過去の言動の数々を比較できるようにまとめたサイトを立ち上げ、有権者が投票の際の自分の判断に活用できるようにすることで嘘を炙り出すという方法はあり得るが、有権者がそこまで真面目にネットを検索して投票先を選んでくれるかといえば、それは幾らなんでも期待しにくい。

実は、単に政権公約の実現の可否の責任を問う以上に更に深刻な問題も浮き彫りになっている。それは最近できた政党である「みどりの風」には3人の衆議院議員と4人の参議院議員がいるが、このうちの衆議院議員の3人だけが日本未来の党に合流して選挙を戦い、選挙を終えたらまたみどりの党に戻る画策をしていると噂される。他の党にしても、日本未来の党に骨を埋める気などなく、選挙のための腰掛け的に利用しようとしている(ないしは、選挙が終わったら日本未来の党内でクーデターを起こして乗っ取る)人が多いのは容易に予想できるが、場合によってはそのような議員が小選挙区で敗れて比例代表で当選する可能性もある。みどりの党に投票するつもりがない人が日本未来の党に投票し、それが選挙直後にはみどりの党の議席に化けるかも知れない詐欺行為である。これを堂々と合法的に行うことができるというのは、根本的に選挙制度が間違っているとしか言い様がない。最低でも比例区で当選した議員は、政党が解党しない限りは離党とともに議員資格を失うというルールは必要である。しかし、それだけでは足りないことも容易に理解できるだろう。

であれば、この様な事態を回避するための全く別のアプローチを模索しなければならない。ではどうすれば良いのだろうか?

ひとつの方法は、選挙のために寄せ集めの政党を利用できないようにするメカニズムである。具体的には公職選挙法における政党構成要件を厳しい方向に是正するという方法である。例えば、選挙の公示日を基点として1年ないしは半年以上前に総務省に政党登録の申請を行い、構成要件を満たしていると認められていない限りは、次の選挙での政党としてのアドバンテージを行使できないようにするのである。今回の選挙は12月4日が公示日だから、半年前だとすれば6月4日までに政党登録されていること、その後も公示日までの間にその条件が一度も失効していないことが条件となる。また個人の政治家にしても、6月4日時点でその党に在籍していない限りは、政党としての恩恵を受けられないようにすれば、直前にあっちに行ったりこっちに着たりすることを避けられる。ここでの在籍とは党員資格を持てばよいので、新人候補であってもそれまでに党員資格を獲得していれば政党の恩恵を受けることは可能である。こうすれば、今回のようなドタバタ劇は見ることがなかっただろうし、十分な準備期間を通してその政党の真の姿を国民に見せることができる。

ちなみに今回の例を詳しく見てみるなら、この6月4日という日は消費税の議論が佳境を迎えるより前だから、その後にドタバタしてできた政党は政党としてのアドバンテージは認められない。政党のメリットには選挙区での政見放送の有無や、比例区での重複立候補の可否など、色々と旨みのあることが多いから、これは政党にとっては大きなハードルとなり、直前の風向きを睨んでの合従連衡ではなく、そもそも自分たちの政治信条に基づいた形での評価が求められることになる。日本維新の会などはゆっくりと時間をかけて準備してきたが、この様なルールであればより早く党としての条件を満たすために、より早い時期から準備をしていただろう。石原代表も同様である。

なお、Wikipediaによれば(対象となる法律により美妙に異なるが)、概ね政党の構成要件は「政治団体のうち、所属する国会議員(衆議院議員又は参議院議員)を5人以上有するものであるか、近い国政選挙で全国を通して2%以上の得票(選挙区・比例代表区いずれか)を得たもの」を政党と定めているという。この構成要件も更に厳しく変更し、政策に対する政党の取り組みがもう少し国民の目に見える形で活動できるものだけを「政党」と見なすべきだと考える。衆院で言えば、議席数は480であるが、その1割ぐらいはないと政党の行動が目に見えてこない。だから、丼勘定ではあるが、衆参合わせて50名以上を政党とみなせば流石に政党としての活動が目に見える形になってくるだろう(得票率に関しても2%を10%程度に引き上げる)。そうすれば、各政党の任期中の活動が不満足なものであれば次の選挙で議席を減らすだろうし、政策が実現しなくても50議席なりの有意義な活動が認められれば議席を増やすことが出来るだろう。そんなルールを作れば少数意見を抹殺するという意見もあるだろうが、それならば別の形で救済することも考えられる。例えば、従来の議員数5人で政党と認めるルールをベースとして、「議員数5人以上を5年以上の間継続して維持した政党」ないしはもう少し厳しくして「5年以上連続で議員資格と党員資格を有する所属議員が5人以上(つまり、入れ替わりのある議員は人数にカウントしないというルール)」という条件で、選挙でのアドバンテージを行使できるというものである。こうなると、共産党の様な地道な党は特例的に政党と認められ、合従連衡に走る政党は政党と認められないことになる。この様にして、毎回、選挙の度にスローガンを変えたり枠組みを組み替えて人の目を欺こうとする政党の増殖を防ぐことは可能である。

さて、この後はもうひとつの別のアプローチを提案する。それは、「白票(無記名投票)」の有効利用というものである。先日のフランスの大統領選挙でも多くの「白票」が投票されたと話を聞いた。しかし、単に「意思表示」としての「白票」ではもったいない。もう少し、それが国政に反映させる形で「白票」を有効活用すべきである。だから私の提案は、小選挙区および比例代表を合わせた総投票数に対する白票の総数の比率を評価し、その比率に応じて議員の任期を短縮するのである。エイヤの数字であるから実際には有識者に最適化してもらいたいが、例えば白票率が10%で1年短縮(任期3年)、20%で2年短縮(任期2年)、30%以上は3年短縮(任期1年)というものである。

今回の選挙の例を見れば、トータルな政策として合理性が認められ積極的に応援できる政党が見つからない場合、敢えて消極的に特定のテーマだけに特化して投票先を選ぶのではなく、白票を投じて任期を短縮することで見直しの時期を前倒しさせるのである。具体的には、経済政策や外交政策では自民党に投票したいが、原発の見直しが3年以内というなら、敢えて得体の知れない脱原発の寄せ集めの党に消極的に投票するよりも、白票を投じて3年後にもう一度自民党の評価をしようという選択が可能なのである。この様にして、積極的な投票と消極的な投票を区別することで、より現実に近い国民の意思の反映方法を模索するのである。

以上は提案の一例であるが、この様な考え方を発展させればもっと良い方法が見つかるかも知れない。現状は余りに酷く、このままでは日本は滅んでしまう。政党制民主主義は正しい道だと思うから、小選挙区制の見直しも含めて、総合的な選挙制度改革を期待したい。

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政権の中枢足りえない弱小政党のマニュフェストに意味はあるのか?

2012-11-27 23:11:30 | 政治
今日は少し違った視点で暴論を述べてみたい。それは、選挙後において政権与党の主流派と成り得ない弱小政党にとっての政権公約・マニュフェストとは意味があるのかという問いかけである。

前回の選挙を例に取れば膨大な大風呂敷を掲げた民主党のマニュフェストは、今回の選挙で「本当に実現したのか?有権者を騙していなかったか?」という検証に晒されているが、それ以外の政党のマニュフェストがどの様に達成されたかは殆ど議論されていない。国民新党は政権与党の一角を占めたが、郵政民営化見直しも中途半端な状況であるとともに、それ以外の項目を達成できたとは思えない。社民党も少なくとも当初は政権与党を構成したのだからマニュフェストの達成度を評価されるべきだが、全くと言って良いほど実現していないのに反省の弁など微塵もない。だから、少なくとも彼らは、「私たちは、どうせ政権の主導権を握れないのだから、マニュフェストを実現したくても足かせが非常に大きく、仮に達成できなくてもそれは仕方がないこと。実現を求めるなら、もっと議席を私達に下さい。」と開き直って、決して「私たちは嘘をつきました」と懺悔したりはしない。一方で、弱小正当であればマスコミも寄ってたかってマニュフェストを採点し、達成率を評価したりはしない。所詮、野党で弱小正当であれば、政策を実現するだけの影響力を示すことは不可能であり、例えてみれば共産党の政策が実現できていないと責めても意味などない。であれば、その様な所詮意味の無いマニュフェストを掲げたとして、それを評価して1票入れる行為にどの様な意味があるのかと考えてしまう。

少し話は逸れるが、例えば阪神大震災が起きた時を思い出していただけば、時の首相は村山富一日本社会党党首であり、自社さ政権がこの時成立していた。それまでは自衛隊は違憲とか言っていたはずだが、政権与党になると何処かで持論を曲げないと整合性が取れない部分が出てきてしまう。米の自由化もこの時期だったし、自民党からすれば自分たちが出来ないことを、ドサクサに紛れて社会党党首にやらせた感がある。日本社会党ほどの一時期は自民党政権の対極に位置した大政党も、政権与党に加われば持論を曲げて現実的な対応をしなければならないというのが現実である。しかし社会党の場合にもその様な現実に直面するまでは、「自衛隊は違憲である」という正論ではあるが国益に反することを言い続けて平気であったのである。だから、大抵の政党はその様な現実に直面するまでは、少なくとも脱原発だろうがTPP反対、消費税反対、普天間飛行場の国外移設だろうが、何でも好き放題言えるのである。

ただ、一方でその様なNo!No!No!の政党が全ていけないかといえばそうでもない。その典型的な例であるが、共産党という党は、ある意味でブレが最も小さな政党であろう。これは、絶対に政権与党にはならないという変な意味での強みでもある。だから、共産党に投票する人は政策の実現の可否などを評価するのではなく、ブレないブレーキの踏み役を彼らに期待しているのだろう。時代と共に変化しない基本理念を評価して投票するのであれば、それはそれで意味のある投票なのである。その政党を真の意味で評価しているのだから。しかし、自民党、公明党、共産党などの一部の例外を除けば、その党を心底評価して投票するケースは少ない。その様な、根強いこれらの政党の支持者以外の所謂無党派層は、これとは全く異なりマニュフェスト、政権公約を吟味して清き一票の投票先を選ぶのである。であれば、投票される側もそれに応えるだけの誠実さが求められるが、先に説明したように、彼らの多くは国民との契約であるマニュフェスト、政権公約の実現の責任を負っているという自覚は非常に希薄である。だから、「言ったもん勝ち!」「騙される方が悪い!」ということになる。勿論、前回の民主党の様に大勝ちして政権の中枢に入ってしまうと国民の厳しい批判にさらされ、次回の選挙で大負けすることになるのであろうが、どうせ大勝ちしなければ関係ない。選挙の度に国民受けしやすい耳障りの良いスローガンで徐々に議席を増やし、最後の最後の政権を取る直前に、現実的な路線に方針転換すれば良いのである。これぞ、「言ったもん勝ち!」の真骨頂である。

今朝も、そのようなものを見せつけられた。今朝のフジテレビの「とくダネ」で、河村名古屋市長が「脱原発なんて、宣言するのが大事!宣言してしまえば後は何とでもなる!」という発言をしていた。これに対し橋下代表代行は、民主党政権での失敗を例に挙げ、「最低でも県外と言った普天間問題は結局頓挫したじゃないか!実現の裏づけのない安直な宣言は無責任だ!」と的を得た指摘をしていた。河村市長は「あれはアメリカが背後にあったからじゃないか!脱原発は日本だけで勝手に出来るんだから・・・」と言い返していたが、これがまず事の複雑さを理解できていない証拠である。野田政権が脱原発を閣議決定できなかったのには深い事情があり、そのひとつには核燃料の再処理過程で生じるプルトニウムの扱いに関するアメリカからの圧力があったのは周知の事実である。人権救済法案などを例にとれば、法案の成立の目処がないのに強引に閣議決定した経緯があり、閣議決定とはそれなりの重みがあるのは疑いのないことであるが、ある種の「言った者勝ち」の側面もなくはない。だから、脱原発もゴールは所詮30年後なのだから、野田総理にその気があれば割り切って閣議決定が出来たはずである。しかし、それでも閣議決定が出来ないというところがこの問題の深刻さを物語っている。

つまり、現実に政権を運営する覚悟があるのであれば、言ったことを実現するための具体的な道筋を細部に渡り矛盾のないように組み立て、あちらを立てればこちらが立たずとならないように責任もって政策を実現する義務が課せられる。橋下代表代行が最近マスコミで「ブレている!」と責められるが、それは裏返せば責任感の表れであり、選挙の前にそれに気がつき実現可能な現実的な方向に微修正するということは、逆に国民に対する誠意として評価されてしかるべきである。野党でいる限りは嘘をついても責任は決して問われたりしないとタカを括っている議員とは根本的に違うのである。

本来であれば、有権者である国民がこの議員の内面を見抜いて国益に叶う候補者を当選させるべきであるが、詐欺師・ペテン師がゴロゴロしている中で国民にそれを強いるのは酷である。だから、選挙のメカニズムの中に嘘つきが逃げきれないルールを織り込むべきである。もう少し真剣に、この点を考えるべきだと今日つくづく感じた。

もったいぶって恐縮だが、明日はそのための提案を書いてみたい。

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「脱原発」と、その裏側の経済政策との整合性について

2012-11-26 23:36:02 | 政治
今日のトップニュースは、概ね嘉田滋賀県知事が「脱原発」で第3極の集結を図るというところが衆目の一致するところだろう。今日はこの話題を中心に、様々な論点のひとつひとつの政策が、全体で見たときに整合性が得られているのかどうかについて議論してみたい。

ではまず嘉田知事の話題だが、明日に記者会見するそうだからそれを待ってからコメントすべきかも知れないが、現時点で漏れ伝わってくる情報によれば自らは出馬するわけでもなく、滋賀県知事を続けながら「脱原発」を軸とする部分で地方から国政を遠隔操作するということのようだ。ある意味、橋下市長と類似の政治手法だが、これまでの橋下市長のアプローチとは少々意味が異なる。

橋下市長のやり方は、既に選挙で与野党の勢力図が確定した状態で、その枠組みを維持しながら「大阪都構想」という非常にローカルな政策実現に協力をしてくれる集団を寄せ集め、その実現に必要な法整備を図ってきた。嘉田知事が現在行っていることは、彼女が何もしなければ落選する可能性の高い人を当選させ、「脱原発」という点では自らの主義主張に沿わせながらも、その他の点に関しては半ば「白紙委任」で自由な活動を容認している様にも見える。しかし、政権与党の責任とは、ありとあらゆる政策の整合性を担保しながら最良の選択肢を示すことであり、ひとつの政策を思った方向に導こうとすると、他の政策において意に反する副作用が伴うならば、その副作用を理解した上でトータルで国民が幸福になれる道を選ばなければならない。一時期、インフルエンザの特効薬のタミフルの副作用が問題となったが、統計的に因果関係のはっきりしないごく少数の不自然な行動を取った患者を引き合いに出して、「タミフル絶対禁止!」というのは合理的ではない。現在であればリレンザとか別の選択肢もあるが、数年前の時点では当然ながら、タミフルを服用するリスクと共に、タミフルを服用せずに40度以上の高熱に至り、脳症で死亡したり重度の後遺症に見舞われるリスクも考慮しなければならない。私も小さな子供を持つ親として、体温計で40度にも及ぶ高熱を見たときに、このまま熱が下がらずに脳症になってしまうのではないかと怯えた記憶がある。だから、自分で選択できるのであれば、当然ながらタミフルの服用を希望していたはずである。だから、副作用に対する責任の所在を明らかにせずに、ひとつの視点だけで国の命運を悪戯にいじっているようで、私には好感は持てない。

ところで、このタイミングに前後して、関西電力が電気料金の値上げ申請を申請することになった。一般家庭は11%、企業向けは20%弱だという。今回の値上げは、原発依存度が非常に高い関西電力の全ての原発が停止し、LNGをはじめとする化石燃料の高騰が発電コストを押し上げたことを織り込んだものであり、太陽光発電の高値買取などの影響までは殆ど含まれていない。ここ最近の選挙報道では、経済問題も選挙の争点として細かく議論されるようになったところであるが、私の認識では国民が選挙後に最も期待する最重要課題は景気の回復だと信じている。だから、脱原発を主張する政党においても、少なくとも経済政策との整合性はとれていてもらわないと困るのである。しかし、この点に関してはどうしても不安が払拭できない。

少々議論がそれるかもしれないが、例えばシャープやソニー、パナソニックなどの家電製品の売れ行きが落ち込み、格付け会社から投機的と評価されるに至った理由の中には、技術革新、魅力的な商品開発で負けたことが原因のひとつであることは間違いないが、しかし、常識を遥かに超える急激な円高の影響は飛車・角落ち並みのハンディを背負わされたのに等しい。例えば、5年前の2007年6月時点で為替レートは1ドル120円であったが、昨年夏以降は80円を長いこと割り込んでいる。言ってみれば、円の価値が50%も上昇した状態である。つまり、5年前なら日本国内で12万円のものを米国では1000ドルで販売できたが、単純に為替レートだけで比較すれば現在は1500ドルで販売せざるを得ない状況である。最近注目を集めるスマートフォンで見れば、韓国の製品と日本の製品を見比べると、個人的な感想としては日本の製品は見劣りすると感じる。しかし、売れ線の価格帯があるとすれば、ここまで為替レート上のハンディがあれば、そこに投入する商品のグレードを落とさなければ価格競争では負けてしまう。しかし、グレードを落とせば商品として見劣りがするので商売では韓国に負け、これで負のスパイラルに陥る。この為替が短期で是正されると見込めれば良いのだが、未来永劫、このままの状態が継続しそうな勢いであれば打つ手はない。

その為替レートを適正なレベルに是正するために自民党はなり振り構わず政策を繰り出すが、そこで為替レートが円安にシフト出来たとしても、輸入に頼るLNGなどの価格が逆に割高になり、逆の意味で生産コストが高騰することになる。結局、これでは無理してまで行った政策が有効に機能しないから、円安誘導と共に電気料金の高騰を回避する手立てを打たなければならない。確かに総括原価方式での電気料金の算出に問題があるのは事実であるが、電力の自由化などの競争原理を導入した上での自主的な値下げを経ずに、これまでの経緯を無視して国家が強制的に社員の給料を一律2割カットさせるような介入を行うことは好ましくはない。電力の自由化や発送電分離などは、判断の責任の所在を明確にした上で数年の年月をかけて議論しなければならないほど論点が細部までに及び、一部で言われているほど短絡的なものではないらしい。であれば、その結論が出るまでの数年間の間は、脱原発を維持したままであれば電気料金が高騰することを前提に経済政策を組み立てなければならない。ただでさえ、自民党も民主党もこうなってまで手を打てないのであるから、更に条件が悪くなりながら今までの路線の延長線上に答えが見つかる可能性は皆無に等しい。

確かに中期的に見れば、自民党の政権公約の中にもメタンハイドレートの生産体制確立なども含まれているので5年後であれば発送電分離や電力の自由化も含めて事態が大きく変わっているかも知れないが、しかしここ1、2年での短期的な改善には間に合わない。であれば、安全性とのバランスを取りながら、リスクの小さなところで原発の再稼動を見込まないとバランスが崩れることになる。仮に為替レートが1、2割程度円安になっても、企業側の電気料金が1割ほど値上がりしたら円安の効果は薄くなる。結局、海外に工場が移転され、産業の空洞化につながることは避けられない。経営者がどの様な考え方をするか分からないが、個人的には「日本のためを思えば、次の選挙後を見極めた上で、工場を海外移転するかどうかを考えよう」と考える人は多いだろうから、今回の選挙はある意味で崖っぷちに立たされた日本の命運を左右する選挙なのである。

だから「原発は危ない!」と叫ぶ気持ちは分かるが、それ以外にも危ないものはあるのである。今直面している「原発のリスク(副作用)」は確かに深刻ではあるが、この崖っぷちの状態を「原発のリスク」と同様ないしはそれ以上に「危ない状態」と見なすのか、それとも相対的に「取るに足らない」(すなわち原発のリスクの方が圧倒的)と見なすのかで、ものの考え方は分かれてくる。しかし、「試しに民主党にやらせてみよう!幾らなんでも、そんなに酷くはならないだろう!」と思った結果が今の状態である。だから、「試しに脱原発をやってみよう!そんなに酷いことにはならないだろう!」と、これをもう一度繰り返せば、もう二度と立ち直れないほど日本は致命的な打撃を食らうだろう。

だから、脱原発で結集しようとしている人々には、是非とも脱原発の裏側の経済政策との整合性について語って頂きたい。嘉田知事は厳密には「卒原発」と言っているが、長期的な視点での「脱原発依存」というのであれば、自民党ですら概ね方向性は一致している。ラディカルな「即時脱原発」とソフトランディング的な「脱原発依存」の中間に位置づけられるのかも知れないが、だから短期的な経済政策の中で一部の原発再稼働を容認するのならば現時点でそれを明言して欲しい。逆に再稼働は絶対認めないというのであれば、その場合の経済政策との整合性を明らかにして欲しい。仮に嘉田知事が総大将となるのであれば、その整合性を国会議員団に白紙委任するのではなく、大将自らの言葉で語って欲しい。それができなければ、単なるポピュリズム以外の何者でもない。

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化けの皮が剥がされるのはどっちだ!

2012-11-25 23:47:46 | 政治
流石に解散から1週間以上が経過し、テレビでの報道でも他の番組との差別化を図ろうという意図が見え出した。今日の報道ステーションSundayでは、野田首相、安倍総裁と順番に、同席を避けながらそれぞれの言い分を語っていた。これまで、政党乱立の現状の中で各党を比較するための争点としてマスコミが設定していた脱原発、消費税増税、TPPなどのとは別の切り口として、今日は経済政策と憲法改正と自衛隊のあり方などが議論の中心となていた。

昨日のブログでも憲法9条と国防軍の関係について書いていたが、今日の安倍総裁の説明の説得力のあるところは、戦争時の捕虜の規定が定められるウイーン条約を引き合いに出し、仮に何処かで戦争になったとき、正規軍と認定されれば負けた時の捕虜としての正当な待遇が期待されるが、これが憲法上は「軍隊ではない!」と明記されている場合には、相手の胸先三寸で皆殺しにすることもありうるとして、自衛隊の隊員の生命を守るためにも法的に「正規軍」のお墨付きを与える必要性を説いていた。私はウイーン条約は知っているが、申し訳ないが自衛隊にはこの様な落とし穴が或ことを知らなかった。ポジティブリストとネガティブリストなど、常識的な海外の軍隊と自衛隊が如何に異なる非常識な縛りを受けているかはよく語られているが、自衛隊員にその様な危険を強いていることはうかつにも知らなかった。これが課題として認識してしまった以上、早期に自衛隊員の身の安全を守る必要がある。それは、原発のリスクを認識してしまった後で、そのリスクに目を瞑って再稼働をすることを許さんという国民のリスクマネージメントへの高まりと同様、この状態を放置することは政府の無作為として許されるはずがない。現在も慣例的には「自衛隊」は「軍隊」であると半ば認められてはいるが、国際的に全ての国に言い訳を与えないだけの法的根拠を与えなければ安心できない。話は少しそれるが、南京事件で殺された中国人の多くは軍服を着ていないが戦闘行為をしていたと思われたゲリラ軍(ないしは、本当に民間人も含まれていたかもしれない)である。彼らがもし仮に中国軍の軍服を着ていたら、南京事件という言葉すらこの世に存在していなかったかも知れない。だから、例えば相手が中国であれば、反日デモで危害を加えられた日本人がいた事からも分かるように、南京事件の仕返しと称して捕虜になった自衛隊が酷い仕打ちを受けるかも知れない。だから、常識的には憲法改正であろうし、超法規的に「自衛隊」は「軍隊」ですと国際社会に宣言するという選択肢もあるかも知れないが、白黒をはっきりせねばならない。しかし、仮に憲法を改正しなくても「軍隊」の存在の宣言は中国、韓国にはイチャモンをつける口実を与えるから、それならいっそのことスッキリと憲法で「国防軍」と定義した方がスマートである。安倍総裁のロジックは理にかなっていると言える。

一方の野田総理の発言は、「ICBMでも持つような国になるとでも言うのですか?」と全くもって的外れである。本来なら、「少なくとも相手がどのような国でも、自衛隊員が仮に捕虜になるような状況になった時に、確実に正規軍と扱われるような保証が得られるよう、国際社会に働きかける!問題の認識を共有する!」ぐらいのことを言って欲しいものだが、彼の狙いは「安倍総裁の発言の趣旨を捻じ曲げたイメージを国民に植え付ける」イメージ戦略だから、その問題の共有化を認めるわけにはいかない。

さて、どちらが自衛隊を指揮する者として適当だろうか?答えは聞くまでもないだろう。

また、経済問題についても同様の戦略を野田総理は行なっている。つまり、「安倍総裁の発言の趣旨を捻じ曲げたイメージを国民に植え付ける」イメージ戦略である。マスコミの中にも「周りからのツッコミで、安倍総裁の発言が2転三転して後退している」と解説するところが多いが、しかし安倍総裁の言い分は異なる。実際、一部の新聞は安倍総裁の主張を裏付ける記事を掲載したそうで、そもそも安倍総裁の発言が間違って報道され、正しいもとの発言を繰り返したら発言が後退したと指摘されたとしている。この辺は、調べれば分かる話なので、マスコミには検証していただきたい。

しかし、その言った言わないの発言が問題なのではなく、インフレターゲットと国債の発行が日本国債の格付けを大幅に下げ、暴落して金利が暴騰するリスクがあるかどうかがポイントなのである。私が消費税増税に賛成する理由は、過去にも書いたが「現時点では、国債の暴落のリスクはギリシャと比べようもないが、イザ、そのリスクが現実のものとなったとき、消費税増税を決断できる人が時の総理大臣になっているかどうかは相当怪しいものがあり、その様な良識がある人が総理の時に消費税を上げておくべきである」という主張である。つまり、議論は全く逆になるが、インフレ誘導の政策がハイパーインフレになるかならないか、そして国際が暴落するかしないかは、その時の総理が経済を理解した常識を持ち合わせた人かそうでないかにかかってくる。中には、とてもではないがその様な常識を持ち合わせてはいないという政治家も多いが、安倍総裁の説明には論理的な整合性があり、この人が少なくとも総理である間はその様な心配などいらない。勿論、その先のことまではなんとも言えないが、この長引くデフレを克服するためには、10年先のインフレのリスクを議論するのではなく、見識のあるドクターが劇薬を処方する際に、とりあえずはそのドクターが誤った処方をするかどうかだけを議論すればよい。その意味では、野田総理の言い分は説得力がない。悔しかったら、何故、自分でデフレ脱却をすれば良かったのだから・・・。

まだまだ選挙までには3週間もある。この間、上辺だけで議論をすり抜けることはできない。だとすると、全ての化けの皮が剥がされた状態で、選挙には突入できるだろう。それは喜ばしいことである。

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「論理的な正当性の他人からの評価を感じ取ること」の重要性

2012-11-24 23:54:40 | 政治
今日はどうでも良い話からさせていただく。家内といろいろ話していると、話がかみ合わないことが良くある。その背景と似たものを最近の政治の世界に感じることが多い。

順番に話を整理しよう。私はバリバリの理系で、家内は文系出身である。過去のブログでも書いたが、日本人には馴染みの深い理系/文系の概念は、実は日本だけでしか通用しない。日本人はついつい「数学的な論理的な思考の強い人」を理系、「文学の様に論理的な議論と一線を画すところの人」を文系とも解釈し、非論理的=文系と考えがちであるが、そんなことがある訳がない。文系の中の経済学は極めて論理的且つ数学的な思考が重要であり、そこで利用される数学のレベルは非常に高いとも聞く。文学という情緒的なものは論理的な議論と異なるから、これが理系/文系のギャップのような誤解につながるのであるが、情緒的と論理的は全く異なる概念であるから、相互に直交した関係で情緒的で且つ論理的ということは矛盾しない。言い換えれば、非論理的な思考を情緒的な思考で正当化するのは間違いであり、論理的/非論理的は純粋にそれだけで評価されるべきものである。しかし、世界から見ると特殊なこの理系/文系の概念を誤解しながらも使い続けるのと同様に、論理的か非論理的かを曖昧なままで許容する、ないしは許容してもらえると考える傾向が日本人にはある。

最初の家内の話に戻れば、家内は自分の主張に論理的な一貫性があるか否かについて全く無頓着である。これにはふたつの側面があり、自分が論理的な思考をするのが苦手というのと合わせて、他人が自分の言い分に論理的な正当性があると思ってくれているか否かについても無頓着である。前者はともかく、後者は大変厄介なものである。つまり、「正しいと信じていたものが実は間違っていた」ということは良くあるし、それは人間だから仕方がない。しかし、その間違いに気がつくためには、他人が自分の言い分に論理的な正当性を認めてくれるか、ないしは逆に論理が破綻していると思われていることを認識した上で、相手の言い分を良く聞き、もう一度自分なりの考え方を整理し直す必要がある。しかし、他人が自分の言い分に論理的な正当性があると思ってくれているか否かについても無頓着であると、自分なりの考え方を整理し直すチャンスも生まれない訳である。

ついでなので変な例え話を引用させて頂く。山で遭難する人としない人の差は、「道を間違えた」と気がついたときに引き返すか引き返さないかにあるという。道を間違えたことに気がついたとき、その道を進んでも何時かは本線に合流できると信じて進むと、本線に戻れないだけではなく、もと来た道にすら戻れなくなる危険性がある。だから、如何に早く自分のミスに気がつくか、そして気がついたら如何に早く正しい本線に復帰するために出直す(引き返す)かが生きるか死ぬかを分けることになる。家内の場合には、どれほど論理的に破綻した議論でも、そして自分でも無茶だなぁと感じても、決して引き返すことなく突進する傾向がある。もちろん、夫婦の間であれば「分かっちゃいるけど止められない」そんな猪突猛進の思考の背景にある情緒的な何かを早期に汲み取り、大人の視点で論理的な議論を軟着陸させ、円満な状態を回復することは可能である。しかし、国民を代表する選ばれた国会議員にはそのような温かい目で大人の対応をすることは出来ない。というか、それが出来なければ「退場いただく」しかない。にもかかわらず、国会議員の中には自分の言っていることの論理的な整合性を他人がどの様に感じているかに無頓着な人が多いのである。

先日の田中文科相の問題などはその典型である。大学が乱立している状態を何とかすべきという議論なら誰もが納得する。しかし、国会やマスコミでの議論は、有識者に認可の妥当性が諮問され、ここでOKが出たのに全く落ち度が認められない新設大学を、大臣の裁量権で勝手に不認可とすることが法的・制度的に許されるかどうかだけに論点が絞られていたはずである。にもかかわらず、官僚の助け舟かどうか知らないが、「私は不認可とは言っていない」と強弁すれば逃げきれるという感性が、既に他人が自分の言い分に論理的な正当性を認めてくれるかどうかを冷静に感じ取れなくなっていることを物語っている。

ただ、この田中文科相の話を引き合いに出したのは単なる例であり、本当はもっと政治の世界では直視しなければならない論理の破綻の問題を抱えている。それは、憲法9条の問題である。多分、日本語を解する平均的な日本人が憲法9条を読んだとき、自衛隊と憲法9条が整合しており矛盾がないと感じることは間違いなくないだろう。誰もがそのことに気づきながら、「憲法にどの様に書いてあろうが、国際法上、自衛権が認められるのは当然であり、余りにも当然だから9条にはそのことが書かれておらず、この条文を読むときにはこの当然の『行間』を補って読まなければならない」という無茶なロジックをここに導入し、あくまでも解釈で自衛隊を合憲と位置づけている。しかし、この憲法というのは誰もが知っての通り、時の為政者が暴走して好き放題にできないように、国の基本的なあり方をそこに明記しておき、時代の変化に合わせて憲法改正は可能としながらも、コロコロ勝手に変えることができないような歯止めをそこに設けている。だから、「憲法改正」を党是に掲げる自由民主党が長いこと政権を握りながら、それでも戦後67年が経過しても憲法の改正はこれまでできなかったのである。しかし、その様な歯止めがありながらも、憲法解釈だけで憲法を変えずに一見真逆の判断ができるというのでは、これは憲法としての意味がない。あくまでも憲法9条だけに宿る矛盾なのかも知れないが、長いこと政治家が「これで良い!」と放置して平気だったのは、他人(国民)が自分(国会議員)の言い分に論理的な正当性を認めてくれるかどうかを冷静に感じ取れなくなっていることの証明に近い。同様のことは、非核三原則にも読み取れる。「核を持ち込ませない」ということが、現在の様に政府が言い続ければそれで非核三原則が守られているとみなすことが可能というロジックは、誰がどう見ても破綻しているのは間違いない。変な例えであるが、物理学の世界で「シュレーディンガーの猫」という言葉がある。詳細はここでは説明しないが、不確定性原理の世界では、観測をしなければ状態が確定せずにあくまでも例えば「Yes」の状態と「No」の状態が確率的に重なり合った状態として存在し、絶対的に「Yes」でもなければ「No」でもないと解釈しなければならないということである。だから、本当に米軍の第7艦隊の原潜や潜水艦に核ミサイルが搭載されているかどうかは観測しない限りは実情はなんとも言えず、日本政府が非核三原則を宣言した上で、同盟国である米軍が核を持ち込むはずはないと言い切れば、不確定ではあるが「核を持ち込ませない」ことが実現できているというのがこれまでの日本政府の主張である。しかし、最初から最後まで米軍の第7艦隊が日本に寄港する前に核ミサイルを何処かに置いてきて、丸腰状態である核抜きの状態で「良し」としていたとは誰も信じないだろう。もちろん、ある程度の「ブラフ」が定着した今現在に本当に核を搭載し続ける必要があるかどうかは知らないが、少なくとも過去のある時点までは核の持ち込みがあったのは事実だろうし、今後も北朝鮮や中国の情勢しだいで丸腰状態では済まない状態が来ることは容易に想像できる。その時、米軍としては日本に正直に「核を持ち込ませて欲しい」と言って揉めたらそれこそ取り返しがつかないから、米軍はダマで核を持ち込むことは当然のことだろう。ブラフがブラフでなくなった瞬間が本当は最も怖いから・・・。

この様に考えると、何処かで憲法9条の問題を正面から議論しなければならないが、それは中国、韓国との関係が良好なときにはやり難い。折角上手く行っている状態を自ら進んで泥沼に陥れることは勇気がいるが、幸いなことに現在の中国、韓国との関係は冷え切っており、物事を見直すタイミングとしては実は非常に好条件の時である。ここで一気に言うべきことを言い、相互に言いたいことを言い切ったところで「その状態」を新しい原点としてリセットすれば、その後はその前提のもとでの中国、韓国との関係改善が図られることになる。だれがどう見ても、自衛隊は自衛のための「軍隊」である。専守防衛の原則を維持するうえで、「自衛軍」も「国防軍」も実効的には差などない。公明党との関係で名称を「自衛軍」とすべきならそれならそれで良い。いずれにしても、現状に憲法を合わせることと、詭弁や解釈で物事を進められるという論理の破綻を、国家ぐるみで行い国民を欺くのは宜しくない。この辺で、この様な矛盾にオサラバし、国民に対して論理的な議論と論理的な説明ができる政府にしていこうというのは方向性として正しいと信じる。

この点では、自民党と日本維新の会、そして少々意味が異なるが共産党の主張には論理的な一貫性があると私は認める。これに反論できる人は、この3党以外にいるのだろうか?

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経済の話をもっと聞きたい!(選挙で最重要な論点は何か?)

2012-11-22 23:51:20 | 政治
先日から円安と株高傾向が注目を集め、自民党の安倍総裁の政権公約やさらに一歩踏み込んだ発言との関連性について、各党の要人や有識者のコメントがニュースを賑わせている。私は経済のことは十分に理解できている訳ではないが、本来、この様な論点が選挙ではもっと議論になるべきだと思っている。何故なら、多分、国民の現在の最大の関心事は今後の景気の動向だと思われるからだ。

典型的な議論としては、消費税増税の是非を選挙の争点に据える政党があるが、しかしこれは詳しく見ていくとデフレ脱却・景気回復に比べれば些細な話である。と言うのは、共産党や社民党を除けば、長期的に見れば消費税増税(地方税化を含む)の必要性を認める党が大部分だから、色々言ってもこの不景気の中で行う増税の妥当性を議論しているに過ぎない。しかし、現在の法案にも景気条項が入っているから、オフィシャルには民主党ですら「不景気のままで増税するなんてとんでもない」ということになる。とすると、仮に来年の10月に景気判断の時期を設定するなら、多くの党の主張を噛み砕いて整理すれば、それまでに短期的に景気を急回復させることができれば増税容認だし、景気なんて回復できないと割り切れば増税反対となってしまう。どちらが正しいかと問えば、増税の賛成/反対という切り口を横に置けば、死に物狂いで景気回復をして増税が可能な状態に導こうとする政党の方が良いに決まっている。もちろん、どの程度の経済成長率で増税を許容するかは党によって異なるのであろうが、それは本質的な差ではなく相対的な差でしかない。

この様な視点で見たときに、多くの政党の中で元も景気対策にアグレッシブなのが自民党だというのは多くの人が認めるところだろう。一時期、デフレ脱却のために「ヘリコプター・マネー」という考え方が話題になったが、そこまで極端なことは別としても、20年もの間脱出することができなかったデフレを脱するためには相当力技の一見「無理筋」の政策までを視野に入れる必要がある。現在の財政赤字の最も深刻な点は、不景気に伴う税収の大幅な落ち込みである。2005年頃の小泉・竹中改革の時代には景気が回復し、プライマリーバランスの黒字化直前まで行っていた。極端な話、2005年当時程度まで景気が良くなれば、(バラマキがなければ)単年度での財政赤字はなくなるから消費税増税など必要はないし、逆に消費税増税をしても「買い物を控えよう」などと考える人はいない。景気が良くなって歯車が上手く周り出せば少々の無茶はアッという間にチャラになる。所謂、上げ潮路線である。

勿論、上手く回るつもりで無茶して回らなかったらドツボにはまるので、大抵の場合には「無理筋」の政策にはツッコミが入る。しかし、実際にはツッコミを入れる人は極端な例を引き合いに出してダメ出しするから、そこまで極端な無茶でない1歩手前の無茶ぐらいが劇薬の薬として重要であったりする。自民党の国土強靭化計画は、「今更、公共事業かよ!」とか「コンクリートからコンクリートかよ!」とか言われる。極めつけは「消費税上げて公共事業かよ!」と言われると、テレビのコメンテーターなどは反論しようともしない。しかし、自民党案では(真水の税金投入は)3年で15兆、10年で40兆である。民間からの投資も含めて総額200兆と言うが、それが全て税金ではない。民主党のバラマキと似たようなものである。

面白いのは、全てを公共事業で解決しようと思ったら、この程度では大した効果は得られないだろうが、相当強引な円高誘導と緩やかな2〜3%程度のインフレ誘導をセットで行うわけだから、最近の株高を見ただけでも景気回復(およびデフレ脱却)にかなり効果が出てくることが予想される。その劇薬が効きすぎて、国債が高騰しそうであれば禁じ手である日銀による建設国債の直接買い入れもあるのだろうが、別に、そんなことしないで市場を介して何とかなるなら禁じ手も不要である。しかし、その禁じ手のブラフがそれだけで円安誘導につながるのだから、どっかの財務大臣の不毛な口先介入などとは根本的に破壊力が異なる。民主党政権では為替介入しても市場への影響力が殆どなかったのだから、安倍総裁の現在の影響力は嫉妬の目でしか見れないのであろう。

今必要なのは、先入観念で政策の選択肢の駄目出しすることではなく、その駄目出しが危惧するリスクを回避する手段をあげつらいながら、劇薬の副作用を封じ込める手段の議論である。最後の抑えで禁じ手をチラつかせたぐらいで、選挙目当てに大げさに駄目出しするのは無責任である。この様な議論をテレビ討論などで見てみたいのだが、あまり期待できそうもない。

であれば、やはり自民党を軸とする政権に期待するのが最善策なのだろう。ここに、行財政改革を強力に推進できる助っ人が加われば、鬼に金棒である。

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鳩山騒動の背景にある現在の問題点

2012-11-21 23:34:01 | 政治
昨日から今日にかけて鳩山元総理の政界引退騒動が話題となっているが、少々間の抜けた話である。一時は総理を辞めたら政界に変な影響力を持ち続けるのは良くないから引退すると公言していたのを撤回した前科があるのだからこれ程信用できない宣言はない。実際のところは、このまま選挙に打って出ても勝ち目がなく、総理経験者が次の選挙で落選するという汚名を残したくないから、丁度よい言い訳ができてラッキーというのが本音だろう。テレビでは余りにも辛辣で言い難いのかも知れないが、この辺ははっきり言ったほうが良い。

話によれば、鳩山元総理本人かどうか知らないが、その周辺の誰かが「『党の決定に従います』なんて誓約書は、昔の民主党では有り得ないことだった!(だから間違ってる!)」と言っていたとも言うが、どっちが間違っているかは明々白々である。2大政党制を目指して小選挙区制が導入された時点で、議員個人対個人の選挙から、政党対政党の選挙へのシフトは納得のはずである。つまり、中選挙区で多数の候補者が当選する中で、同一の政党の中でも誰を選ぶのかを吟味するのではなく、A党を選ぶのかB党を選ぶのかという政党選択を有権者に求めるのであるのなら、政党のオフィシャルな公約を否定する議員はこの制度にはそぐわない。しかも、今は小選挙区で敗れても比例で復活当選することが認められているが、その政党の名前のおかげで復活当選した議員が当選後に平気で他党に移籍し、議員辞職すらしないで平気で活動する状況を目の当たりにしているのだから、選挙の時の政党の政権公約を政党を離党するという形で反故にする可能性の高い予備軍を放置するのは、政党のマネージメントとして、そして国民への約束という意味でも、宜しくはない。そもそも論で言えば、「少なくとも比例区で当選した議員が離党する場合は、その議席を前所属政党に返却しなければならない」という内容を追加するかたちで公職選挙法を改正して欲しいところである。しかし、今回の泣き言は、それらを全て否定するものであり、「当選しちゃったら、こっちのもの!」という議員個人の都合のみで国民不在の我侭を愚痴っているに等しい。

ただ、盗人にも3分の理ともいうので言い分を聞いてみれば、中には理解できる部分もなくはない。例えばTPPや消費税増税などは、数ヶ月前に揉めに揉めている時に民主党内の両院議員総会で多数決をとっていれば、ひょっとしたら党の方針が180度変わっていたかも知れない可能性が捨てきれない判断である。だから、「決定プロセスが間違っている以上は、党の公約といえども簡単には賛成できない」というのが彼らの主張である。しかし、ならば多数決を取っていれば誰も文句を言わないかといえば、そうでもない。この手の問題は、多数決を行うことだけでもそう簡単ではなく、設問の設定の仕方一つで結果は右にも左にも転ぶ。単純に「TPP参加に賛成/反対」と聞けば「反対票」が多いかも知れないが、安倍自民党総裁の言うように「例外なき関税全廃を前提としたTPPへの参加は反対だが、そうならないように最大限の努力をすべく交渉には参加する。基本的に自由貿易の推進は国益に叶う。」という主張に賛成/反対と問われれば、過半数が賛成に回るだろう。この辺の設問の設定の仕方は党の執行部が行うものだから、ここで「その設問が間違っている!」とか言い出せば収集はつかない。結局のところ、どう言い訳したところで党としてのマネージメントがなっていない民主党の本質に問題があるのである。このマネージメントに参加議員の合意が得られなければ、そもそも一つの政党にまとまるべきではないのである。

現在、政党要件を満たした政党だけで14もの党があるという。これは、悲しむべき事態というより、納得できないなら別々の政党になるべきという正論の行き着く先なのだろう。しかし、それでは何処までも政治は物事を決められない。言ってみれば、「政治とは妥協」である。100%の理想論では物事は解決できない。その何処で折り合いをつけて妥協しながら、それでいて当初の目的の80%以上を担保するか、それが政治家のセンスである。過去には、Aという選択肢とBという選択肢が対立し、(A+B)÷2というような折衷案で妥協しながら、その折衷案は現状よりも劣悪という決定がなされたところを何度となく見てきた。だから、妥協といってもその妥協の仕方は非常に重要である。単に妥協したらアウト!というのではなく、その妥協を0(ゼロ)/1(イチ)で白黒付けるのではなく、白に近いのか黒に近いのか、妥協することの意義のようなものを見定める必要がある。だから、この様な状況でもひとつにまとまる力のある政党とまとまれない政党は議員のエゴのバロメータになるのかも知れない。だから、日本維新の会と太陽の党の間の妥協も、その背景を読み取った上で判断すれば良い。

今回の鳩山元総理の起こした騒動は、その様なことを考えさせるきっかけになるのではないだろうか?

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「アクセルのない車」でどうやって前へ進むのか?

2012-11-20 21:32:32 | 政治
ちょうど1年ほど前であるが、橋下市長が大阪市長、大阪府知事ダブル選挙で戦いの真っ只中にある頃、橋下市長を攻撃する反橋下派の連中に対する反撃として、「対案なき者議論する資格なし」的に口酸っぱく「対案を出せ!」と求めていた。そのことが改めて思い起こされる。

昨日、亀井静香氏と山田正彦元農相が新党を旗揚げした。今更なんだという話だが、笑ってしまうのはその党名で「反TPP・脱原発・消費増税凍結を実現する党」だという。巷では、日本の原発事情を「トイレのないマンション」と言うようだが、この党はアクセルのないブレーキだけの自動車ということになる。物事は複雑であり、多面的に考えていかなければならないが、全てを単純化して一つの面でしか物をみないという典型のような党である。同様のことは国民の生活が第一という、これまたヘンテコリンな名前の党であるが、こちらもほぼ同様の主張である。気がついてみると、これらの党の主張は限りなく共産党や社民党の主張に近い。自民党の石破幹事長が「社民と合併して欲しい」と言ったそうだが、これは非常に的を得た話である。本来は、亀井静香氏も小沢一郎氏も、バリバリの自民党員であったはずであり、社民党や共産党から最も距離をおく存在であったはずである。しかし、国民のウケ狙いを追求した結果、社民党や共産党に同化することになるという。このふたつの党は、「反対のための党」として、所詮は何を言っても政権は取れないし責任を問われることもないから、好き放題、自分の立場から一方的に見た価値観で物事を主張していた。それはそれでブレない一貫したものであり、それなりの評価をしても構わないが、いつかは政権を取る気がある方ならその政権を取った時に過去の発言との不整合を指摘されて自滅しないように、ブレーキの踏み方とアクセルの踏み方を両方意識しながら、安全運転で目的地に辿り着く方法を考えなければならない。

元々、民主党が農家の戸別補償を提案した背景には、FTAやTPPなどで農業が自由化された際に打撃を受ける農家への補填的な意味合いがあると聞く。しかし、気が付けば農家の戸別補償だけが先行し、それが票集めのためのバラマキ道具と化している。しかし、ならば戸別補償が農家に評判が良いかといえばそうでもない。さらに、山田正彦元農相が閣僚(及び副大臣)時代に沈みゆく日本の農業を再生させるために何をしたかといえば、特に革命的な何かをしたわけではない。単に、従来通りの流れを踏襲しただけで、全くと言って良いほど何もしていない。つまり、その時代にTPPに参加しなければ開けるバラ色の未来の設計図などを示した実績が何もないのである。しかし、逆にTPP賛成派の中にはTPPに参加することで受けるインパクトを考慮した上での農業再生の道を語る人もいる。その様な主張を全て出し切って、本当に農家の人たちはどの様に思っているのかを一度聞いてみたいものである。

物事には「攻め」の部分と「守り」の部分がある。電化製品や自動車などの製造業からすれば、TPPは攻めのツールとして大きな力を持つ。外交的には、(参加する国の数を今後増やすなどの対応は必要であろうが)アメリカと協調して中国の発言力を押さえ込む上でも戦略上の材料となる。農業は完全に守りに関する議論に終始するが、アメリカですら守りたい農産物があるのだから、交渉次第では様々な展開の可能性が期待できる。早く交渉に参加することの重要性がここにあり、守りの中での攻めを意識するなら、より早くより発言力を確保するための努力が必要である。

全てのことに「守り」だけ、「ブレーキ」だけというのは、どう考えても勝負に勝利するための手段とは思えない。どうかこの様な党の議員には、全てのことにNoと言いながらも勝つための方法(対案)を示して頂きたい。

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戦略は細部に宿る!

2012-11-19 22:36:26 | 政治
この週末から各党は一斉に選挙モードでTV番組に出演して主義主張を訴えている。今日のテーマは、如何にして各政党の差別化を図るかについての提言である。

TVに出演していた民主、自民、日本維新の会の主張を聞いていると、以外に共通項は多い。キーワードは「官僚支配の打破」となるのだろうが、こう言えば誰もが賛成なのだろう。それは共産党や社民党ですら同じである。しかし、事の本質は耳に心地よいスローガンではなく、その背景にある実現のためのアプローチなのである。だから、テレビや公開の討論会などではその具体的な実現方法の細部をどれだけ具体的に候補者が語れるか、そしてマスコミは聞き手としてどれだけ細部を具体的に説明できるかを炙り出していく必要がある。

例えば、政治主導という言葉が民主党政権では良く使われた。誰もが納得していたのだろうが、民主党の政治主導の意味するところは我々の予想とは遥かにかけ離れたものだった。それは単に「官僚外し」であって、田中文科相の不認可問題などが分かりやすい具体的なものであろう。どう考えても、官僚とその辺の政治家と比べれば、ポイントを絞れば圧倒的に官僚の方が知識を有しているケースが多い。官僚を議論で論破できるのは、最近では森本防衛大臣、ちょっと前なら竹中平蔵氏(様々な大臣をこなしたが・・・)程度で、多分、95%以上の大臣は官僚に細かな議論では太刀打ちできない。官僚はそれほどまでに専門知識を持ったプロ集団なのだから、実際には彼らの力を120%引き出すのが大臣の仕事なのである。そして、彼らが仮に省庁優先の国益に反する行動、例えば天下り先への便宜誘導や、少しでも多くの権限を握り続けることで自分達の発言力を維持させようと、私利私欲を優先させた行動をとろうものなら、それを直ちにぶった切り、正しい国益を官僚に浸透させ、日本のために働くように誘導することが求められる。その実現のためには、個別の具体的な政策のアプローチを如何に細部まできっちりと指示できるかが重要である。この辺は、竹中平蔵氏の「戦略は細部に宿る」という言葉に象徴される。

小泉郵政改革は、財政投融資という郵貯マネーを当てにした歪んだ政策を正すために、人によっては本末転倒とも思える郵政民有化を最優先課題として据えた。郵政改革は民主党による巻き返しもあり道半ばではあるが、しかし最終的には特別会計などで自由に使える紐付きのお金を切り離すことにより、ボディブローのように中長期的にはその効果が効いてくる。変な例えで恐縮だが、単なる「嘘つき呼ばわり」が野田総理の突然の解散を引き出したように、この様なボディブローは実は非常に有効なのである。だからというのも唐突だが、お金を使うところ(地元自治体)になるべく近いところに地方分権として予算編成権を委譲していく道州制というアプローチが、無駄なお金を撲滅するのに近道であるというのは説得力がある。小泉政権を引き継いだ安倍政権もその様な行財政改革を志向していたが、ドラスティックにシステムを変えるところまで踏み込む前に自滅した。ちなみに、福田、麻生政権では地方分権や官僚制度の改革については非常に後ろ向きではあったと思う。実際、渡辺喜美みんなの党代表などは、福田政権でハシゴを外されて自民党を飛び出したのだから・・・。この意味では、例えば自民党であれば「所謂自民党」の評価と「安倍自民党」の評価は分かれるかも知れないが、今回は「安倍自民党」での評価を行うべきである。同様に、変な議員も混在する「日本維新の会」ではなく「石原&橋下日本維新の会」を評価すべきである。民主党も基本は「野田民主党」であるが、この党は常にクーデターを企む勢力が多いし、TPPを始めとする新マニュフェストも党の総意とは言いにくいプロセスで進めているので、少し???マークは残る。この辺は微妙である。

さて、話が大きく逸れたのでもう一度最初の話に戻して良く見ると、橋下代表代行や石原代表は地方自治体の首長として、謂わば、小さな大統領として予算執行を直接行ってきた人間として、本当に地方自治体で必要なお金が適切に配算されていないことを痛感してきた。自由なお金があれば、何処にどの様にお金を使うかのアイデアもあるのだろう。だから、その様な自由な裁量の与えられるシステムが如何なるものかを思い描くことが出来ている。そして、それはかなり細部にまで踏み込んだ具体的なものになるのだろう。方向性としては細部までを指示できれば、後はそれを矛盾のない法案にしたり、細かな制度・組織を構築する部分をその道のプロである官僚が設計できる。政党に求められるのは、その何処まで細かな指示ができるかの能力である。そこを問わずして、星取表的な短絡的な比較で優劣を判断などはできない。

原発についても叱りである。民主党は2030年代中に原発ゼロと言うが、六ヶ所村の再処理の継続や認可済みの新設原発の容認などとの整合性が取れない。更には、例えば化石燃料の高騰と高価買取を約束する太陽光発電のコストから、電気料金が一般家庭で月1万円が1万5千~2万円へと跳ね上がると言われている。これは年間で6万から12万円の支出増である。年収400万円であれば、12万円で3%増に相当する。さらに電気料金の高騰が商品の製造コスト増につながり、物価が上がることになる。一般的な物価が上がっても、一部の企業ではそれを価格に転嫁できずに据え置くことになれば、その損失を補填するために社員の人件費を圧迫するしかない。収入が減って物価が上がり、そして電気料金が上がる。消費税を3%ないし5%アップするのとは比較にならない家計へのインパクトである。さらに言えば、六ヶ所村の再処理過程で生じる(原発に転化可能な)プルトニュウムの保持をアメリカが許容するのは原発での再利用が前提だから、それを否定すればアメリカはプルトニュウムの保持も認めず、日本政府はその処理でさらにややこしいことになる。最終処分場のめどが立たない現時点ではこれは致命的である。多分、野田政権が閣議決定できなかった最大の理由はここにあるだろうから、原発ゼロと主張する政党は、これらの経済インパクトへのシミュレーションを何処まで行い、そして最終処分場に対して短期で如何にして解決するのかの見通し、戦略を説明する必要がある。しかし、その答えに相当する細部までを戦略を持って語れる政党は存在しない。幸いにも、日本維新の会は太陽の党との合流を通して、脱原発依存というソフトランディング路線に軟着陸させた。現在の風潮は、脱原発でなければ人間にあらずというところがあるが、であればその実現のための細部を戦略的に語って欲しい。「政権にないから詳しいことは分からないが、そんなの『エイヤ!』で何とかなるさ!」というのは民主党が歩んで失敗した道である。この期に及んで、元民主党で失敗したA級戦犯が柳の下の2匹目のドジョウを狙っているのは信じがたい。せめて、それぐらいは他の政党と区別して欲しいものである。

だから、候補者はどれだけ政策の細部を語れるか、そしてマスコミはどれだけ細部を炙り出せるか、そこにフォーカスして選挙というものを見守って欲しい。

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2月の予言が現実のものとなった!

2012-11-17 21:07:02 | 政治
今年2月に書いた万馬券のブログが当たりとなった。

2012年2月17日ブログ「『維新の会』を国会で仕切るのは誰だ?

結局、終わってみれば予想通りに日本維新の会の国会議員を束ねるポジションに石原前都知事が就任した。いろいろ紆余曲折があったが、収まるところに収まったという感じである。多分、多くの方は日本維新の会に太陽の党が吸収されたのに代表が石原前都知事ということで驚かれたと思うが、考えてみれば非常に面白い落としどころだとも言える。これは、日本維新の会が太陽の党の全てを飲み込んだとすると異論反論が沸き起こるところを、石原前都知事が代表といえば誰も文句は言えない。しかし、実際には弁慶になりきるという石原前都知事を影で橋下市長が操ることで、実効的には橋下市長は失うものがない。さらには、党のお金や人事のを牛耳る幹事長職を松井大阪府知事が押さえるのだから、日本維新おかいとしては決して悪い話ではない。元々、日本維新の会の松野国会議員団団長が国会議員を仕切っていて良いことなど一つもなかったのだから、それらを全て石原前都知事が解決してくれて得るものは非常に大きい。様々な経緯の後に元民主党議員や元たちあがれ日本の議員が紛れ込んでしまったが、終わってみれば大阪を離れることができない橋下市長がコンダクターとなり、石原前都知事が国会議員団を束ねるコンサートマスターとして国会の場でオーケストラを演奏するかのような状態である。石原前都知事は橋下市長が市政を離れる次々期衆院選では代表職を禅定する約束だから、その段階で長い長いシナリオは完結する。それまでの露払いを石原前都知事が全て行い、ブルドーザー的に一気に耕すことになる。

しかし、この橋下・石原のツートップが街頭演説や選挙活動を繰り広げると、これは並大抵のインパクトではない。自民・公明で過半数を抑えられるかと思いきや、意外に振るわない可能性も出てきた。民主党などは、重要選挙区に日本維新の会が著名な候補者を立てて総理や閣僚経験者でも落選する可能性も高くなった。日本維新の会の獲得議席はせいぜい100程度かと思っていたが、それを超える可能性も出てきた。最も被害を被るのは、国民の生活が第1などの取り残された第3極で、いつしか石原前都知事の言うように第2極となるかも知れない。

こうなると、次期参院選後には自民・公明・日本維新の会で連立すれば衆参で2/3を超える可能性も出てくる。憲法改正も現実味を帯びて来て、日本が徐々に変わり出す瞬間なのだろう。

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石原前都知事は弁慶になるのか?

2012-11-16 10:41:41 | 政治
最近体調が思わしくなく、中々、ブログを思ったようにかけない。変なタイミングでの更新になってしまった。さて、そんなことは横に置いておいて、昨日の石原前都知事と河村名古屋市長との会談での電撃合流には驚いた。橋下市長も正直戸惑いを隠せなかったようだから、石原さんが言葉通り「暴走」しているというのが正しいところだろう。ただ、これが最後と心に決めている石原前都知事だから、何らかの勝算がないのにやっているとは思えない。今日はその辺のシナリオについて探ってみたい。

まず、民主党がどうして駄目になったかの理由は石原前都知事は熟知しているので、その辺を回避することは十分に可能と考えての行動か、それともそんなことは言っていられないという余程の何かがあったかのどちらかだと考えた。

まず先に後者であるとして仮定した場合に考えられるのは、第3極と言われる日本維新の会、みんなの党、太陽の党が選挙後に埋没してしまうシナリオである。つまり、選挙後に自民、公明で過半数を抑えてしまう場合である。この場合、日本維新の会、みんなの党、太陽の党がどの程度の議席を抑えているかにかかわらず、自民、公明で淡々と政権を継続してしまう可能性が考えられる。これでは浮かばれない。しかし、現時点で自民、公明が過半数を抑えるという予想は多分何処もしていないと思う。民主党がダメで支持率が上がらないのは周知のことだが、だからと言って自民党の支持率が高いわけでもない。原発に関しては安全を確認した上で出来るものは再稼働するとも言っているので、たったそれだけでことで失う票も前提としなければならない。だとすると、少なくとも自民、公明を併せて安定した数になるとは思えない、更に言えば、安倍総裁も石原前都知事も憲法改正は必須だと思っているから、衆参両院での2/3以上の協調できる議席は必要であり、そこまでのことを考えて連立(ないしはパーシャル連合でも良い)を組むならば、決っして埋没することは考えにくい。というのも、自民党が選挙後に民主党と組むということは考えにくいからである。幾ら3党合意とは言え、それは連立である必要はなく、これまでも自民、公明は野党でも協調できていたのだから、選挙後に「連立に入れてくれなければ協調しない」ということにはならない。この様に考えると、石原前都知事は過半数を抑えて政権を取り、自民党を連立に従えて天下を取りに行くという気持ちになり、そのためにはせめて減税日本とぐらいは手を組まねば・・・と考えたのかも知れない。しかし、これでは今回は国政には討って出ないと思われる橋下市長が納得するとは思えない。従って、この様な後者のシナリオであれば橋下市長は動かないだろう。

可能性があるのは前者である。つまり、寄せ集め議員を大量に抱えた上で、民主党のような崩壊を起こさせない仕掛けを仕組むというシナリオである。具体的にはこうだろう。選挙に際しては、日本維新の会大連合から公認される候補者には、契約書の中で党の正式な手続きで決定した事項に関しては、必ずこれに従う(従わない場合には、除名を含む処分を受ける)という前提のもとで「(1)少なくとも比例区で選出される議員は、離党(除名を含む)する場合には議員辞職すること。(2)小選挙区選出の場合であっても、選挙後2年以内の離党は議員辞職すること。」を誓約させ、党のマニュフェストに関する踏み絵を踏ませるとともに、純正日本維新の会のメンバが過半数を常に維持できる範囲で第3極の結集、多数派工作を行っているのかも知れない。さらには、その日本維新の会の国会議員団を束ねる際に、橋下総代表を絶対的にサポートするという誓約を文書化して、石原前都知事が橋下代表に提出するということもあるかも知れない。

多分、このぐらいのことがない限り、橋下代表は首を縦に振らないだろうし、ある意味で野合と後ろ指を刺されるリスクも追う。昨日の午後の橋下代表の(冗談という雰囲気を醸し出した上での)投げやりな発言の中には、石原前都知事が「(橋下代表が語る)ビジョンを、俺が実現してやる!少なくとも、その道筋をつけてやる!大阪都構想を実現したら、その後をお前が引き継げ!」と全面的な支援をする確約をし、その為の手段は任せて欲しいと懇願したかの様なものを感じる。実際、その後のテレビに出演した石原前都知事は、「自分が弁慶になって橋下牛若丸を助けて(義経ではなく)頼朝にする」的な発言をしたとも聞く。

実際にどうなのかは、この後の発表を待たねばならないが、どの様な結果でも驚かない覚悟が必要かも知れない。

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野田総理が仕掛けた恐るべき戦略

2012-11-14 23:46:32 | 政治
今日の突然の解散宣言には驚いた。昨日の時点で解散封じの動きが激しくなって来ていた一方、少々子供じみた「嘘つき呼ばわり」の連呼が何故か野田総理にはボディーブローの様に効いていたようで、何としても解散に漕ぎつけようという決意が高まっていたのかも知れない。これまで、野田総理は自分なりの決断を何度もしてきながら、身内の色々な人の意見を聞いていることで挫けてしまったことが多い。尖閣の船止まり構想も一旦は石原前都知事と約束しながら、岡田副総理の横槍で実行に移せなかった。消費税増税法案ですら、反対派にズルズルと押し込まれ、最後の最後でギリギリ押しとどまったというのが本当のところだろう。決断力があればもっと早く綺麗に決着をつけることができたはずだが、話し合いをしているうちに醜態を晒してしまった。その様な経験の数々、つまり優柔不断なところが結果的に自らを追い込むことにつながった反省が、「今度こそは、何が何でも意志を貫くぞ!」という背水の陣につながったのかも知れない。

しかし、実は野田総理(多分、シナリオを描いたのは別のブレーンなのだろうが)は面白い仕掛けを党首討論で仕掛けてきた。それは、民主党が存続するための捨て身の仕掛けである。つまり、今度の衆院選では民主党はボロ負けするが、さらにその次の参院選で復活することができれば、その後6年間は国政でのある程度の足場を確保することができる。だから、次の衆院選で何処まで議席を残すかではなく、その先の参院選だけを見据えた作戦なのである。

今回の野田総理が提示した解散の条件は、次の通常国会までに大幅な定数削減法案を成立させるというものだった。民主党は、これまで定数是正法案が簡単に成立すると解散への足かせが外れてしまうから、ワザと話がもつれる比例代表連用性を持ち出してきた。明らかに比例代表連用性は、比例において(小選挙区で多くの議席を確保できる)大政党に不利であり、一般的な国民の目には不公平に見える。言ってみれば、小選挙区で負けることに対するその補填を比例で行おうというものだから、安倍総裁が言うように一票の格差の視点で憲法との整合性も問われる。だから、自民党としては絶対飲める提案ではない。しかし、そのクセ球を顔にめがけてブン投げてきたのだから、それを一旦は受け止めざるを得ない。仮に通常国会で成立をさせることができなければ、今度は安倍総裁に「嘘つき」の連呼が向けられることになる。だから何とか別の形での着地を探したいのであろうが、一旦、おいしい話を聞いてしまった弱小政党は連用性のカードを手放そうとはしないだろう。安倍総裁に「約束したじゃないか!」と迫り続け、聞き入れて連用性が採用されても良し、聞き入れられずに法案が成立しなければ次の参議院選で格好の攻撃材料を持つことになるからそれも良し、と考えるのは目に見えている。ある程度したところで、話がまとまらずに「じゃあ、小選挙区側の定員を減らそうか・・・」となると、その影響で失職しそうな議員が自民党内部から反逆を企てるだろう。どう考えても、参院選までに安倍総裁に打撃を与えることが期待できる。

多分、党首討論の場で安倍総裁はそのことに気がついたのだろう。だから、「解散しましょう!」と野田総理に逆に迫られて怯んでしまったのだろう。全くの奇襲作戦で全く予期できなかったのだと思う。そのネガティブなイメージを払拭するために夕方に記者会見を開いて野田総理の提案に応じると発表したが、党首討論での勝負は明らかに野田総理の方に軍配が上がるだろう。

ただ、民主党の方はその野田総理の捨て身の戦法に気がついているかといえば、どうも気がついていないように見える。大局的に民主党のことを思う議員は少なく、目先の自分の議席のことしか考えない人にとっては、野田総理の戦法など全く意味がないからだ。だから、参議院も含めて多くの議員がジタバタと慌てだし、見るも無残な内輪揉めで自滅の道を歩むのだろう。野田総理も、ある程度は意見の合わない人々は出て行ってもらって、純化路線を歩んだほうが良いと考えているのだろうが、以前のブログでも書いた内閣不信任案提出で脚光を浴びるタイミングで出ていこうと思っていた人たちはタイミングを失ってしまったから、離党してもニュースで頻繁に露出できるという旨みはほとんどない。であれば、民主党から刺客を立てられるぐらいだったら民主党に残った方が得かも知れない。こんな考えが渦巻きながら、野田総理には愚痴を言うが民主党からは出て行かないという不穏分子が数多く残り、だらだらと民主党の評判を悪くするだけかも知れない。

戦法としては私は思わず膝を叩いてしまったのだが、意外にもあまり効果はないのかも知れない。ただ、その膝を叩かせた野田総理のことは評価しても良いのだろうと思うから、この様なブログを書かせて頂いた。

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思考実験をしてみよう!(野合か野合でないかを分けるもの)

2012-11-13 22:53:35 | 政治
思考実験をしてみようと思う。衆議院と参議院の両院で過半数を確保出来た時代から既に数年が経過し、最近は決められない政治と揶揄されることが続いている。まもなく行われる衆院選の結果がどのようなものであっても、多分、来年の参院選までは不安定な状態は続くだろうし、所謂第3極といわれる中小の政党が乱立した現状では、その後も安定して過半数を維持できる安定政権を築くことができるかは微妙な状況である。しかし、だからと言って立ち止まることは許されないから、それでも決められるメカニズムというものを考えなければいけない。そのための一つの選択肢が政策ごとの「パーシャル連合」であることは言うまでもない。

そこで思考実験の登場である。例えばA、B、C、Dという政党が存在し、A党は突出して議席数が多いが、単独過半数には届かない230名程度の政党だとしよう。さらに、B党はその半分程度の100議席程度、C党、D党は共に20議席程度だとここでは仮定する。その他の弱小政党も存在するが、政策的に相容れない政党が多く、A党を除く勢力で集結して過半数を束ねることができない状況では、当然ながらA党を中心とする連立政権を模索するしかない。A党からすると、少なくともB、C、Dのいずれかと協力できれば過半数の240議席を超えるから、政策ごとに部分連合を築くことができる。この中で、B、C、D党は少なくとも何らかの政策で、自らの主張を政策に反映することができるから、それぞれの党の存在意義を示すことができると共に、A党は政治を前に進めることができる。しかし、選挙が終わってこの状態であれば話は別だが、これから選挙で戦おうという時に、B、C、D党が激しく票を奪い合うと、結果的にA党の雪崩的圧勝となることも予想でき、そこではA党の過半数を超えた安定政権となって残された政党は存在意義を示すことができなくなる。だから、B、C、D党が幾つかの論点の中で最も重要度の高いと考える政策で協調できれば、選挙後にそれを軸にA党とのパーシャル連合を掛け合うことを前提に選挙協力を行うことが選択肢となる。ここで、B、C、D党がバラバラにA党と交渉するとすれば、その最重要課題においてA党とB、C、D党との間で意見の隔たりがあったとしても、A党は「この件は他の党と交渉するからいい!」と交渉をさっさと打ち切るかも知れない。しかし、B、C、D党が事前に結束していればA党も大幅な譲歩を示さざるを得ない。だから、この様な駆け引きは野合とは異なる高度な政治駆け引きとみることができる。

一方、仮にA〜D党が200、90、80、80議席だとしよう。この場合には、B、C、D党が合流すると単独過半数になるから、選挙前から統一会派を組んで過半数を目指すことも選択肢になる。政権交代の希望が振り子を大きく揺さぶり、予想以上に選挙で圧勝できるかも知れない。ただ、選挙での圧勝とは裏腹に、政権を取ったあとは不安定となる。党内では、内部で過半数を握るための凌ぎ合いと、意見が合わないところでは足の引っ張り合いになってしまう。国会では過半数で政権を握ることができるが、その与党の過半数で与党内の主流派となることができる。理屈の上では全議席の1/4以上で権力を握ることも可能だから、その1/4の勢力を如何に結集するかで落ち着き無くバタバタし、重要政策での政策の一致などはどうでも良くなり、とにかく数を合わせようとする。政策の実現には数の結集が前提であるから、そのためには大きな譲歩が余儀なくされ、これは明らかに野合である。これが民主党の姿なのである。

さて、ここで現在の状態に目を戻してみよう。幸いなことに、日本維新の会、みんなの党、太陽の党の議席数を合わせても過半数には届きそうにない。さらには、この3党の中では日本維新の会が突出し、3党で結集してもその中で無駄な権力闘争を行う必要はなく、軸となる政策で一致すれば各党はそれで満足することが出来る。この日本維新の会が突出した状況は意外に都合がよく、選挙協力でも「日本維新の会とみんなの党」及び「日本維新の会と太陽の党」で選挙協力ができればそれだけで効果は大きい。「みんなの党と太陽の党」で協力できなければ、このふたつの党の間では局所的に選挙でぶつかったとしても、とりあえずは日本維新の会との対決は避けることができるから、共倒れの可能性は小さくなる。日本維新の会も、党員に対してみんなの党と太陽の党に対しては自由投票という位置づけ(もちろん比例は自分の党だが)でも矛盾は起きない。だから、この最低限の最重要政策(センターピン)での一致ができるか否かが、選挙協力に合意出来るかどうかを分けることになる。多分、橋下代表、石原前都知事、渡辺代表の間ではこの程度の合意には達する目処は立っているのであろう。

野合か野合でないかはその定義にもよる。評価は結果的に国民のためになるか否かであり、今、その結論を出す必要はない。もう少し長い目で見ても良いのではないか・・・。

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人は見かけによらないか?(その向こうにある希望)

2012-11-12 23:11:15 | 政治
人の中には見かけ通りの人、見かけとはかけ離れた人がいる。時として、それが歴史を動かすというお話である。土曜日の記事であるが、以下の記事が興味深かった。

産経ニュース2012年11月10日「優柔不断なロシアの指導者

これを読むと、ふたつのことに驚く。ひとつはKGB出身の揺ぎ無い権力のトップであるプーチン大統領が、意外にも(少なくともかっては)官僚に操られて十分なリーダーシップを発揮できていた訳ではないということ。もうひとつは日本国内では密談・談合・派閥中心政治の象徴としてあまりリーダーシップを評価されていない森喜朗元首相が、意外にも外交においてカウンターパートの他国の指導者との間で単刀直入の主張をズバッと語ることができ、リーダーシップが評価されその結果として信頼関係を築くことが出来たということである。「あの森元総理が???」とにわかには信じがたいが、大統領に復帰したプーチン大統領はしきりに森元総理とのコネクションを活用し、日露関係をどうにかしようと考えていることは伝わってきているから、この二人の信頼関係が相当なものであり、ここ1年以内程度で何らかの動きがあることは想像に難くない。ただ、当初12月に予定されていた野田総理の訪露もプーチン大統領の健康状態により1月に延期させたと聞くから、解散時期を考えると野田総理にはチャンスがなくなったと見るべきだろう。こうなると、私の読みとしては野田総理が解散を12月末まで先延ばしする唯一?の理由がなくなったので、年内総選挙の可能性がかなり高くなったと見る。ただ、最近のロシアの行動はある意味理に叶っていて、メドベージェフ大統領の際には尖閣の漁船衝突事件と前後して日本に北方領土で揺さぶりをかけてきたが、プーチン大統領が返り咲いてからは、中国と国境を接している国として、中国があまりにも強大化することに対する保険をかけるために、日本との関係を微妙に保ちながら中国を牽制しようとしている節がある。先月末に、玄葉外相とロシアのパトルシェフ安全保障会議書記とが会談し、安全保障分野で日露両政府の協力関係を拡大する覚書に署名したニュースなどが、その中国に対する牽制のひとつの形とも言われている。裏を返せば、安倍次期総理が就任後3ヶ月程度で訪露して、安倍プーチン会談で北方領土問題を進展させる可能性も出て来た。

少し話がそれたので話を戻して、同様の人は見かけによらないという例としては、9月末のNHKスペシャル「日中外交はこうして始まった」の中でも、大平正芳外相(当時)が車中で中国外相と会談し、その真剣勝負の気迫で日中国交正常化につなげたという話があった。私には大平元総理が国政のトップであった時代はまだ中学生?くらいだったから、「あー、うー」とばかり言って意味不明な総理というイメージしかない。その他の人の評価は良くは知らないが、その「あー、うー」のおじさんが、実は結構凄い人であったというのは正直驚きであった。最近で言えば、(こちらは「見かけ通りの人」なのであるが)小泉元首相は靖国問題で日中関係が劣化したとき、悪いことをしている訳ではないのに頭下げてまで日中首脳会談をお願いする筋合いはないと突っぱねて、結果的に中国側から手を指し伸ばされて対等な会話をすることが出来た。拉致被害者を奪還するために訪朝した際には、金正日総書記と会って握手する際にも、ニコリともせずにその真剣さを相手にアピールしていた。一説では、日帰りの会談の際には、日本から食事を持ち込み、先方の接待を受けることを拒否して、会議に専念したという。何でもかんでも強気であれば良いという訳ではないが、2カ国間のギリギリの真剣勝負の外交という場で、国益のために身を捨ててでもギリギリのところで勝負する、そして約束したことに対して死んでも守るという決意のような力強い何かがなければ、権謀術数に長けた外国の指導者相手に成果をあげることなど出来ない。

これらの話とは逆に、鳩山元総理は、「トラスト・ミー」と言って、自らが大嘘つきであることを証明した。菅元総理は、胡錦濤国家主席との会談で官僚の作ったペーパーに目を落とし続け、生気のかけらもない状態で足元を見透かされた。小沢一郎氏は、習近平国家副主席が訪日する際に、天皇陛下との会見の日程をごり押しし、宮内庁の反対を力技でねじ伏せて会見にこぎつけた。これが仮に上述の森喜朗元首相とプーチン大統領の様なコネクションの確立に役立つことであれば、それは後から歴史家に「リーダーシップ」と評価されてもおかしくはないが、一昨年の漁船衝突事件の時も、尖閣国有化で日中関係が険悪になった際にも全くそのコネクションは活用されることがなく、結果的にそれが朝貢外交のひとつであることが明らかになった。ヘナヘナとした顔つきで「友愛」とか意味不明のことを口走っていた鳩山元総理とセットで中国様様と持ち上げて、結果は舐められきっただけであった。こちらは「人は見かけによらない」ではなく、見かけ通り「駄目」ということになる。

ここで話は変わるが、つい数ヶ月前までは、習近平次期国家主席を称して「絶大なる権力を掌握する人物」、「胡錦濤国家主席は既に過去の人」と見る向きが多かったように記憶している。不敵な笑みを浮かべ、軍部と結託して対日強硬路線を突っ走ろうとしているところから、日本としては非常に手強い相手であるとの認識だったと思う。しかし、ここ最近の新聞の論調からは、習近平次期国家主席は意外に基盤が弱く、新政権も不安定な政権になるのでは?との見方も強まっているような気がする。薄熙来氏の失脚の影響などがあるのかどうか知らないが、意外にも人事的には胡錦濤派の力が強く残り、しかも江沢民派までが派閥闘争に割り込み、三者がすくみ合い、安定基盤を築くだけの人事を達成できそうもない。

ここから先はあまりにも楽観的な考え方だが、強靭な安定政権でないということは、普段からドラえもんのジャイアンの様な無茶な振る舞いができないことを意味し、その中でブレずに生き残るために、所謂「正論」に敏感になっているかも知れない。安倍次期総理と習近平次期国家主席が、以前の森元総理がプーチン大統領にしたように非公式な場で1対1で本音の会話を交わし、正論をズバリ突きつけることで「なるほど、相手の言い分にも一理あるな!」と両者が相互に一目置ける関係になればWin-Winの関係になれるチャンスがある。例えば、中国政府にとって、「国家のプライド」という意味では尖閣問題が重要かも知れないが、「国家の存続」として最重要なのは本質的に国民の暴動を封じ込める経済成長の継続であり、その上では日本との貿易摩擦による経済の失速は完全に致命傷となる。であれば、「中国側が国際司法裁判所に尖閣問題を提訴すれば受けて立つ!」と伝え、相互に正々堂々と国際社会に評価される問題解決方法を模索し、国際社会にも評価されると同様に日中経済関係に最大の障害を平和的手法で取り除き、その結果として安倍元総理の口癖の「経済的互恵関係」を確立することが、今後10年間の習近平体制を強化することにも繋がる。

これは決して双方にとって悪い話ではない。この楽観論が現実のものとなって欲しい。

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