けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

誰も語らない、日米首脳会談のもうひとつの成果

2014-04-30 23:59:44 | 政治
先日行われた日米首脳会談であるが、その後もオバマ大統領は東アジアを歴訪し、先日帰国の途についた。その中には実はあまり注目されていないが、安倍総理の大きな成果を指し示すメッセージが込められていた。今日はその点についてコメントしたい。

まず、そのニュースは日米共同宣言が発表された後で飛び込んできた。例えば、日本の新聞では以下の様に報道されている。

東京新聞2014年4月26日「米大統領『慰安婦問題は人権侵害』

記事ではオバマ大統領が韓国人記者からの質問に答えて、「従軍慰安婦問題はおぞましく、ひどい人権侵害だ。安倍晋三首相と日本国民は過去について、より正直に、公正に理解しなければならないことを認識しているだろう」と述べ、さらに下記の様に報じている。

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米大統領が従軍慰安婦問題に直接言及するのは極めて異例。日本政府に法的謝罪と国家補償を求める韓国側を後押しした形だ。オバマ氏は二十四日の安倍首相との首脳会談で安全保障面で日本側の期待に沿う発言を繰り返したが、歴史問題に関しては、安倍政権に自制的な対応を求める姿勢を明確に示した。
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テレビの報道の中では「記者が聞いてもいない慰安婦発言に自ら言及したのは異例」とも評価していた。テレビや多くの報道の中では、韓国の主張をオバマ大統領が聞き入れて、日本に対して注文を付けてきたとのニュアンスで報じられていたと思う。

最初に聞いたときには、オバマ大統領は単に「慰安婦は戦時中には酷い体験をし、それは明らかに人権蹂躙であり戦時中といえども許されない」と述べただけで、これは日本政府がいわゆる「アジア女性基金」という形で慰安婦女性に対して陰ながら補償に応じ、さらに「デジタル記念館」として国際的にも情報発信し、その歴史を重く受け止めていると認めていることと整合性が取れる内容であると感じた。しかし、それは私の直感的な感想でしかなく、誰も認めてはもらえないだろうなと思っていたのだが、そうではないようである。この点について順番に説明させて頂きたいと思う。
まず、この報道をニューヨークタイムズがどの様に報じたか、その一部を切り取ってみたい。

The New York Times 2014年4月25日
Obama Offers Support to South Korea at a Moment of Trauma and Tension

とてもではないが全文を読む気にはならないが、肝心な場所を切り取って見た。

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「South Koreans have been upset with Japan, for instance, over statements by right-wing nationalists downplaying Japan’s sexual enslavement of Korean women and girls during the war. Mr. Abe’s government further inflamed emotions by saying it would re-examine the evidence used for a landmark 1993 apology to the women, although the prime minister has since said he would uphold the apology.」
「例えば、右翼の国粋主義者で、戦時中に韓国女性・少女たちを性的奴隷にする所謂従軍慰安婦を軽視する発言により、韓国は日本により傷つけられてきた。安倍内閣は、(首相はその河野談話を維持すると言い続けているのであるが)1993年の画期的な慰安婦への謝罪に対して用いられた証拠に対する再調査を行うという発言により、更に韓国国民の感情を逆なでした。」
「Mr. Obama continued to try to play a peacemaking role on Friday, saying that he believed Mr. Abe “recognizes that the past is something that has to be recognized honestly and fairly.” But he also addressed the issue in unusually frank terms that might rile some in Japan. “Those women were violated in ways that, even in the midst of war, was shocking,” he said. “And they deserve to be heard; they deserve to be respected; and there should be an accurate and clear account of what happened.”」
「オバマ大統領は金曜日に、日本が韓国に対して行った過去とは、素直でかつ公正に認識されなければならないものであることを、安倍総理自身が十分に認識しているであろうと信じていると発言し、平和調停役を演じようとし続けている。しかし、オバマ大統領は(日本の一部の人を怒らせるかもしれない)普通と異なる率直な表現で、その問題に触れている。『これらの女性は(それが戦争の真っ最中であったとしても)ショッキングな方法で人権を侵害された。』そして続けて、『それらは聞く価値があり、尊重される価値がある。そして、何が起きていたかという正確で且つ明瞭な”説明”があって然るべきである。』」
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初っ端の「右翼の国粋主義者で、戦時中に韓国女性・少女たちを性的奴隷にする所謂従軍慰安婦を軽視する発言」というところから、既に評価が間違っていて異様なバイアスがかかっているのだが、その最たるものが「Japan’s sexual enslavement of Korean women and girls」という表現である。所謂従軍慰安婦のことをクリントン前国務長官は「sex slave」と呼んで日本を非難していた。この辺の事情を前段で説明しながら、如何に日本が酷いか、安倍政権が酷いかとの潜入観念を植え付けながら、後段のオバマ大統領の発言を引用して「オバマ大統領が日本を断罪しているニュアンス」を醸し出している。
ところが、オバマ大統領の発言のニュアンスはどうも違うようである。正確な記者会見の内容は下記で読むことが出来る。

The White House Office of the Press Secretary 2014年4月25日
Press Conference with President Obama and President Park of the Republic of Korea

そして、この内容を解説する形で、うさみのりや氏がブログに詳細を紹介していた。

うさみのりやのブログ2014年4月27日「ついにオバマ大統領が慰安婦問題に巻き込まれたようなんだが

これを読むと、本当のポイントが見えて来る。最初の導入部分の韓国記者の質問は、最初から大統領府と何処かの報道機関が事前にネゴったような内容で、朴槿惠大統領が喜んで安倍総理と日本に対して、慰安婦問題や歴史認識問題で日本のベタ降りを求める様な発言をし、オバマ大統領に対してもそれに対する同意を求める様な雰囲気を作り出す。これを受けて、さらに大統領府とネゴった様な記者が畳み掛け、オバマ大統領に安倍総理の歴史認識を糾弾する発言を求めるのである。それに対する回答が以下の通りである。元官僚のうさみのりや氏の訳(正確には、どうも外国の報道発表などを原文で読んで、その内容について議論する掲示板での訳を、氏自らの添削を加えたものの様)を引用する。

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「韓国と日本の歴史問題に関しては、 たとえば韓国の慰安婦に何が起きたかに関する歴史を振り返る者は皆, これがおぞましい, 言語道断の人権侵害であったと認識せざるを得ないだろう。 これらの女性は, 戦時という状況をふまえてなお衝撃的な方法で蹂躙された. 彼女たちの声に耳を傾け, 彼女たちを尊重すべきだ. そして, 起きたことに関する正確で明快な弁明がなければならない。
過去は誠実かつ公正に認識しなければならないものだということを, おそらく安倍首相はわかっているし, 日本国民は確実にわかっていると思う. 一方, 日韓双方の人々は, 過去と同様に未来にも目を向け, 過去の苦痛を解決する方法を探ることに関心を持っていると思う. なぜなら, 先に述べたように, 韓国と日本の人々の今日の利害は一致しているからだ. これらはいずれも民主主義国で, 自由市場を育てており, 経済発展している地域の要で, 米国の強い同盟国で友人だ. そして, 韓国および日本の若い人々のことを考えれば, 我々は誠実に過去の緊張を解決しつつ, 未来と, すべての人々のための平和と繁栄の可能性に目を向けることができるという希望を持っている. 」
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前半部分と後半部分で全く内容が異なっており、ここでは明らかに後段に重きが置かれた発言である。これは2月にケリー国務長官が「to put history behind them and move the relationship forward」という言葉を使って「安全保障上の重要なことの横に『歴史の話』を置いておき、両国の関係を前に進めよ(現在の混沌とした状況を前向きに動かして欲しい)」と語った内容とリンクしている。この時ケリー国務長官は、オバマ大統領が訪韓する前に、日本との歴史問題を韓国が歴史の話を(behindなので寧ろ「後ろに置いて」)解決しろとまで言っていたが、結局、韓国との間では何も前に進んでいない。これは歴史認識問題だけでなく、アメリカと韓国との間の懸案事項は、今回の訪韓で全く前進がなかったと言っても過言ではない状況である。

一方の日本はどうかと言えば、安全保障の問題からTPPの問題まで、国益と国益を率直にぶつけ合う正攻法の交渉を続けながら、歩みは課題によって緩やかなものもあるかも知れないが、確実に前に進めるという現実がある。

この様な中で、オバマ大統領は「アジア女性基金にみられるように、日本政府としても異論のない範囲」で慰安婦問題を非難しながらも、本題はその様な歴史問題ではなく、「我々(あなた方、韓国)は誠実に過去の緊張を解決しつつ, 未来と, すべての人々のための平和と繁栄の可能性に目を向ける」べきであると念を押している。しかも、ここでオバマ大統領が用いた言葉は「sex slave」ではなく、「comfort women」であったという点に注目すべきである。この言葉のニュアンスは、例えば「黒人奴隷問題をさらに醜悪にした女性の性奴隷」である「sex slave」に対し、「戦時中の兵士に対する性サービスの風俗嬢」である「comfort women」を用いて彼女たちの人権蹂躙を説いている。「風俗嬢」には親や親族に金で売られた人達が多くいて、実際、河野談話の証人となった金学順氏は自ら「生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌のあるキーセン検番に売られていった。三年間の検番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、検番の義父に連れていかれた所が、華北の日本軍300名余りがいる部隊の前だった」と証言しており、まさに身売りの後の「風俗嬢」という位置づけである。この様な論点は常に韓国と対立し、中国・韓国のプロパガンダに毒された人々は、報道機関からクリントン前国務長官まで皆が「sex slave」という中で、オバマ大統領は「comfort women」という言葉を選んだ。さらに言えば、これは少々うがった見方かも知れないが、「there should be an accurate and clear account of what happened.」の「account」の「説明」「弁明」には、「河野談話の再検証をするならするで良いから、何が真実かを明らかにしろ。その説明責任(accountability)は日本政府にある」という隠れた意味があるのかも知れない。

私の予想では、寿司屋での会食での最大の成果は、ニューヨークタイムズが安倍総理を極右の国粋主義者と罵るような状況の中で、安倍総理のその人となりと真意を語って聞かせた点ではないかと思う。勿論、オバマ大統領はビジネスライクな人だからその様な話は長くはされなかったと思うが、どうも「ツボ」だけは押さえることが出来たのだと思う。例えば、日本が長きに亘り平和国家として何をして、慰安婦の女性たちにどの様な償いをしてきたのか、その様な話ぐらいだろうか・・・。

色々調べれば調べるほど、オバマ大統領にとっての朴大統領と安倍総理の重要度は日増しに差がついている様に見える。安倍総理には、このまま我が道を突き進んで欲しいと願う次第である。

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集団的自衛権の突っ込んだ議論の整理

2014-04-29 23:26:54 | 政治
先日からずっと気になっていた点について、自分の頭の中で整理したことを書き残しておきたい。集団的自衛権に関するコメントである。過去にもブログではコメントしているが、その多くは憲法解釈を時の内閣が閣議決定して口火を切ることの是非を中心としており、その背景となる議論の是非についてはそれ程議論していなかった。今日はその後段について議論したい。

まず、昨日のBSフジのPRIME Newsに結の党の江田憲司代表と日本維新の会の松野頼久国会議員団幹事長が出演し、集団的自衛権に関する見解を示していた。以前から江田氏は、現在想定される危機的な状況の殆どは、個別的自衛権の拡張で乗り切れるとしており、この点については昨日も同様の発言をしていた。この背景はご存じの通り、第1次安倍政権時代に集団的自衛権に関する検討のための諮問機関「安保法制懇」を設置し、ここで有識者に典型的な4類型である(1)公海上の米艦防護、(2)米国向けの可能性のあるミサイルの迎撃、(3)PKOなどで他国軍が攻撃されたときの駆け付け警護、(4)海外での後方支援活動の拡大について、その是非の検討を指示していたのだが、特に(1)(2)などは個別的自衛権の拡大解釈で十分という意見である。(3)(4)は多少意見が分かれるところかも知れないが、喫緊の課題は(1)(2)であり、ここで意見が分かれると致命傷になりかねない。集団的自衛権に容認的な日本維新の会と消極的な結の党では、この点で決定的な違いがあり、とてもではないが合流とはならないだろうとのキャスターからの質問に、江田氏は(少なくとも4類型の(1)(2)において)結論としては米軍の防御、ミサイルの撃墜は可能という点で共通であり、これは自民党と公明党の両者の関係に近いから問題ないと回答していた。つまり、何故許されるのかの根拠は別々でも、議論の結果は同じだから問題などなく、その意見の隔たりは「自民党と公明党の関係(ないしは自民党内のタカ派とハト派の関係)」よりは「結の党と日本維新の会の関係」の方がましという主張であった。何となく納得させられそうになるが、しかしどうもスッキリしない。江田氏らしからぬ、論理の詰めの粗さを感じる部分である。

さて、ここで比較に上げられた公明党はどうだろう。確か先月だったと思うが、公明党の山口代表がBS朝日の激論クロスファイヤに出演した際にも、江田氏と類似の様なことを言っていたと思う。ただ、その時の重要な注意点として次のような点を指摘していた。それは、例えば(1)のアメリカの艦船への攻撃に関して言えば、仮に北朝鮮で有事があり、日本海に展開中の日本の自衛隊の艦船の近くにアメリカの艦船がおり、北朝鮮などからのアメリカの艦船に攻撃があったとする。この時のアメリカ艦船の防御、敵国への反撃のいずれにおいても、これが個別的自衛権であろうが集団的自衛権であろうが、反撃のための必要条件として、アメリカの艦船が「何故その場所にいるのか」の理由として、「日本の防衛のため」に日本海に展開していることが前提となることを指摘していた。この場合、アメリカ軍に対する攻撃は日本の防衛に対する攻撃だから、わざわざ集団的自衛権の論理を借りるまでもなく、憲法でも確実に保証されている個別的自衛権の範疇で、十分にアメリカ艦船の防御・反撃を行っても構わないことになる。しかし、これが韓国軍への援軍としてアメリカ軍が日本海に展開し、自衛隊も日本へのミサイル発射などの不測の事態に備えて周辺に展開していたとすれば、アメリカ軍への攻撃は全く日本に対する自衛権に対する挑戦には当たらない。集団的自衛権を主張する際には、あまりマスコミなどはこの辺の事情について全くケアしておらず、集団的自衛権とは「無条件にアメリカ軍が攻撃されたら自衛隊が反撃する」ことを意図する様なミスリードを狙ったかの様な論調が多い。

しかし、集団的自衛権を論じている人たちは多分、この様な重要な差分を当然のことのように前提としているはずである。広義の集団的自衛権ではなく、その集団的自衛権は常識的な狭義の集団的自衛権として、無節操にアメリカの戦争に日本が巻き込まれる状況を想定してないはずである。その線引きは比較的明確で、日本の防衛に資するために存在することが前提となる。ただ、これで誰もが納得するかと言えばそんなはずはなく、米軍の軍事行動の目的が100%日本の防衛目的であるというケースなど限定的であるのは間違いない。そのパーセンテージが幾つならOKで幾つだとNGなどと仮に決めても、そのパーセンテージを米軍が公開して行動するなどあり得ないから、結局はグレーゾーンとなるのが支配的であろう。だから、個別的自衛権の拡大で乗り切ろうという人は、この辺の論理武装が必要となる。逆に集団的自衛権を容認すれば、日本の防衛的な要素が0%でなければ必要に応じて軍事行動が可能になる。つまり、少々言い方を変えれば、「ネガティブリスト」と「ポジティブリスト」のどちらで行動を規定するかに近い。「これだけはやってはいけない」という制限をかけ、それ以外は基本的に許容可能だとする「ネガティブリスト」に対し、「ポジティブリスト」は「これだけしかやってはいけない」という内容を限定するものである。安全保障に関する世界標準は「ネガティブリスト」であり、「ポジティブリスト」を前提とする日本では腐るほどの特別措置法などの法令でポジティブ事項を規定することになる。しかし、どんぴしゃの事態を先回りして法整備するなど無理だから、緊急事態で十分な対応が取れる訳がない。その様な緊迫した状況に自衛隊員を追い込んでいる現実をもっと知らしめるべきである。

ただ、ここまでの議論は外堀からの議論であり、どうしても個別的自衛権の拡張ではなく集団的自衛権の容認が必要であること、そしてそれが許されて然るべきことを明確にしてもらわないと歯止めという意味では安心できない。その辺についての論理武装的なものを調べてみた。その結果、下記のサイトを見つけた。

【現代ビジネス・ニュースの深層】
高橋洋一2014年4月28日「韓国やフィリピンの憲法にも戦争放棄の規定がある!各国憲法との比較から『集団的自衛権』を考える

少し私なりの解釈が加わっているので、正確には上記のサイトを確認して頂きたいが概ね下記の様に理解した。ここではまず最初に、国連憲章を根拠とする集団的自衛権の背景を説明し、基本は国連安保理による必要措置による平和解決があるとしながらも、そこに至るまでの過程の緊急事態措置として個別的自衛権、集団的自衛権が認められるとし、ここでの考え方は個人における正当防衛を国家に拡張したものと説明している。正当防衛では別に「自分に危害が加えられる場合」に加えて「他人に対して危害が加えられる場合」でも、急迫不正の侵害であれば限度内で防衛をすることが許される。これと同様の解釈を集団的自衛権では容認するのであるが、個別的自衛権の場合には云わば「自分に危害が加えられる場合」に限定することを意味する。前出の江田氏は、「隣の米軍の艦船が攻撃されれば日本への攻撃だと同じだ」という主張をするが、これは正確には「日本が攻撃されたと『みなす』」ことで成立する話で、この「みなし」に攻撃した側が同意するとは限らない。正確には別に相手に同意してもらう必要はないが、その攻撃が「みなし」によりどの様な意味を持つかを事前に相手(世界)に宣言しておくことは意味を持つ。言ってみれば、集団的自衛権は「私は『みなし』派ですよ!」という宣言をするのに近いのだと思う。なお、高橋氏は残りのページで面白い情報を提供している。戦争放棄は日本国憲法の専売特許だと思っていたが、韓国やフィリピン、欧州にも同様な戦争放棄の憲法が存在し、その様な憲法と共存する形で各国は軍隊や集団的自衛権を容認しているのだという。「外国が良ければ、日本も良いのか!」というツッコミがあるので、この論点はあくまでおまけの議論だろう。

次に、下記のふたつのサイトもこの辺の理解に役立つ。

【現代ビジネス・ニュースの深層】
長谷川幸洋2014年4月11日「他国への攻撃を日本への攻撃と"みなし"て反撃するための根拠が『集団的自衛権』であるべき理由
長谷川幸洋2014年4月18日「『集団的自衛権』の議論が混乱する原因はいったいどこにあるのか

前者はまさの、その上の高橋氏のご指摘そのもの(記事としては長谷川氏の指摘の方が先であるが)であり、NATOの北大西洋条約の根底にある。また、後者では集団的自衛権に対する「権利は保持するが行使しない」という政府の立場が、非常にクリアーな論理の上に築かれたというよりも、手探りの中で捻り出されたものであることを紹介している。しかし、マスコミはこの点の吟味をすることなく「正しいもの」として決めつけており、長谷川氏はあまりの短絡的な行動に警鐘を鳴らしている。そして圧巻は、自民党の高村副総裁と公明党の山口代表との「砂川事件判決」に関する論争に、明確な回答を示した点である。高村副総裁は「砂川事件判決は集団的自衛権を否定していない」として、だから政府による憲法解釈の変更は司法判断と矛盾しないとの主張である。一方の山口代表は「判決は集団的自衛権を視野に入れていない」から、それを根拠に司法判断と矛盾しないというのはおかしいとの主張である。しかし、長谷川氏のご指摘では、判決文の中に下記の記述があるのだという。

「(日米)安全保障条約の目的とするところは、その前文によれば、平和条約の発効時において、わが国固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない実状に鑑み、無責任な軍国主義の危険に対処する必要上、平和条約がわが国に主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認しているのに基き、わが国の防衛のための暫定措置として、武力攻撃を阻止するため、わが国はアメリカ合衆国がわが国内およびその附近にその軍隊を配備する権利を許容する等、わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項を定めるにあることは明瞭である。」

ここでは明確に、「国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認しているのに基き・・・」とあり、日米安保の合憲性の判断において、国連憲章の集団的自衛権を考慮していることを明記している。さらに言えば、さらに下記の様に判決では明言されている。

「本件安全保障条約は、前述のごとく、主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきであつて、その内容が違憲なりや否やの法的判断は、その条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点がすくなくない。それ故、右違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従つて、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであつて、それは第一次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねらるべきものであると解するを相当とする。」

つまり、最初の記述にあるように、国連憲章で認められる集団的自衛権の視点から日べ安保を「違憲」と見なさない様に、「一見極めて明白に違憲無効であると認められない限り」との条件のもとで「条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断」は司法からの判断から独立であり、結局は主権を有する国民の承認を得た国会の政治判断を尊重するとしている。多分、これが全てなのだと思う。非常に胸にストンと落ちる解説である。
なお、最後に1点付け加えるならば、内閣ないしは国会による憲法解釈の変更の是非について、それが憲法の違憲判決とどの様な整合性があるのかという問題提起をさせて頂く。例えば、昨年のことであるが非嫡出子の法定相続分規定に関し最高裁判所大法廷は、「民法900条4号ただし書前段は、嫡出でない子の法定相続分を嫡出子の2分の1とする規定」を法の下の平等を定めた憲法14条1項に照らして違憲判決を下した。しかし、これと同様の違憲判断は平成7年の非嫡出子法定相続差別事件の判決で、「民法九〇〇条四号ただし書前段は、憲法一四条一項に違反しない。」としている。昨年の判決では、「民法900条4号ただし書前段の規定は,遅くとも平成13年7月当時において,憲法14条1項に違反していた。」としており、最高裁判所が急にある時、憲法判断を変えたことが明らかになっている。しかし、専門家ではないので間違っているかも知れないが、この判断の変更は憲法よりも上位の国際法や国際条約からの要請ではなく、あくまでも法学的な学術的な論議の進展の結果であると予想され、つまり、法律(憲法)は変わらないのに解釈が変わるのにはそれなりの妥当性が認められ、国権における司法の最高権限をもつ最高裁がそれにお墨付きを与えたのであれば、集団的自衛権の解釈が時代と共に変わることを否定する根拠を私は見出すことが出来ない。つまり、最高裁が日米安保を国民の判断に委ねたように、集団的自衛権の憲法解釈に関しても、その解釈が時代と共に変更し得ることを最高裁が国民(国会)の判断に委ねているのには、それなりの判例的な裏付けが充分にあるのだと思う。

かっての内閣法制局長官が偉そうなことを言っているのは良いが、それは最高裁の判断の勝手な思い込みによる断定でしかなく、あまり根拠がないと感じる所以である。

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理化学研究所のターニングポイント

2014-04-27 23:59:41 | 政治
今日は気分を変えて、久しぶりに小保方氏のSTAP細胞問題について言及したい。大きく2点についての言及で、ひとつは石井俊輔氏の調査委員長辞任の問題、もうひとつは特許の問題である。

まず最初に、先日の24日、理化学研究所の理研上席研究員で今回の騒動の調査委員長である石井俊輔氏が調査委員長を辞任した。理由は石井氏が責任著者となっている2004年と2008年の論文の中に、今回の小保方氏の論文と同様の画像の切り貼りが見つかった問題である。

最初にどうでも良い話題から入らせて頂く。

この石井氏は調査委員会の最終報告書に関する4月1日の記者会見で以下の様に発言している。

産経新聞2014年4月1日「【STAP細胞最終報告会見詳報(1)】『不正行為は小保方氏一人で行った』『ノート2冊というのは初めて』

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《石井委員長は、画像の切り張りの分析結果を、詳細に説明する。それによると、あまりクリアに見えなかった部分の画像を差し替えたという。ただ、実験の条件などは異なるものだったとする》
 石井委員長「このような切り張りの行為が禁止されていたことを知らなかったというのが彼女の説明でした。しかし、このような行為は研究者を錯覚させる危険性がある。また、そのデータは、きれいに見せたいという意図、目的性を持って行われた書き込みとされるが、その手法は、完璧な考察と手順を踏まないものであることは明らかだ」
 《その上で、石井委員長は核心に踏み込む》
 石井委員長「従って、小保方氏が改竄(かいざん)にあたる研究不正行為を行ったと判断した」
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説明するまでもなく、自らの行為は「アウト」であり、「自分たちは2004年と2008年の論文で改竄にあたる研究不正行為を行ったことは事実です」と発表すべき内容である。しかしこれを否定し、しかも、その当時はこの行為は不正ではなかったとまで説明している。しかし、誰が聞いてもそれが嘘であることは明らかで、元々、野依理事長を始め、「最近の若い研究者は常識を知らない。最低限の守るべきルールを守っていない。」と昔からその様な行為が改竄に該当していることを熟知していることを、幹部連中が総出で発言しているのだから、言い訳などできるはずがない。

では、私の答えはどうかと言えば、石井氏の今回の問題も研究不正ではないと共に、小保方氏も研究不正ではないということだと思う。「研究者を錯覚させる危険性」が問題であり、今回のケースも石井氏が写真の切り貼り部分に対して行った訂正は、写真と写真の隙間に白い線を入れて、同一の写真でないことを明確に示したという内容である。これは小保方氏も同様で、小保方氏がNature紙に問い合わせた際に「写真の間に黒い線などを入れて、1枚の写真でないことを明示していれば問題なかった」とNature紙から回答を得たと言っていた。つまり、同レベルの問題なのである。小保方氏の論文で問題となったもう一方の写真の取り違えは、正しい写真が存在する以上は捏造する動機が存在せず、あくまでも(あまりにも低レベルな)うっかりミスであることは確実である。捏造の動機がないうっかりミスのみで研究不正と断罪すると将来に渡り致命的だから、写真の切り貼り側の改竄行為が今回の騒動の本丸と思えるのだが、その本丸が石井氏の失策と同レベルであるとなれば、理化学研究所の対応としては2者択一で、石井上席研究員と合わせて小保方氏を切り捨てるか、両者を研究不正なしとして救済するかのどちらかにならざるを得ない。

以上の話は言うまでもない話なのでどうでも良い話だが、私はこの先の部分を危惧している。それは何かと言えば、研究論文に関する落ち度を調査する能力が先鋭化したこの日本の現在の状況が、今後の研究活動に与える影響である。この石井上席研究員のポカが表に出たのは偶然ではないだろう。つまり、この程度のポカは、多かれ少なかれ何処かでミスを犯していてもおかしくはない。ましてや、博士論文などまで辿るとなれば、若気の至りで犯したミスも五万とあるに違いない。その様なミスを仮に自分自身は犯していなくても、今回の石井氏の様に自らが責任著者(多分、連名の最後に名を連ねる、そのプロジェクトの責任者を表す著者)となっている論文の中に、その筆頭著者が犯した幾つかのミスが含まれている可能性がある。私が時限爆弾と恐れるのは、野依理事長がノーベル賞を受賞するに至った研究成果の論文の中に、その様なポカが幾つか見つかり、その結果として野依理事長が辞任に追い込まれると共に、世間からノーベル賞の返上を求める様な声が沸き起こることである。これは、実際問題としてその様なポカが発覚する可能性はそれ程低くはないと思う。しかし、そこで野依理事長が辞職すると、次に理事長になる人は同様の詮索を世界中から受けまくるリスクを負うことになり、これに耐えられる研究者が一体何人いるかが問題となる。多分、誰にでも叩けばホコリが出てきてもおかしくはない。

さらに深刻な問題は、今回の様な世紀の大発見をした際に、その発表は小保方氏と同様の詮索を受けることに繋がるリスクがあることから、その様な発表を好まない若手研究者が増えることである。世紀の大発見でなければ問題ないので小粒の研究にばかりエネルギーを割き、時代を切り開くブレークスルーを創出できない土壌が生まれることを私は危惧する。それこそが最大の国益上の損失であり、その様な流れを作る言動が多いことを嘆かざるを得ない。

さて、次にもうひとつの問題である。国益という視点で見れば、今回のSTAP細胞に関する知的財産の確保が脅かされる問題は極めて深刻である。多くのマスコミやコメンテータは、あまりにもこの点に無頓着である。そんな中、ちょっと目に留まった記事があった。

ハフィントンポスト2014年4月26日‎「STAP細胞と特許

これは、どうやら特許事務所の弁理士の方が書いた記事の様で、小保方氏の記者会見での発言「現在開発中の効率の良いSTAP細胞作製の酸処理溶液のレシピや実験手順につきましては、所属機関の知的財産であることや特許等の事情もあり、現時点では私個人からすべてを公表できないことをご理解いただきたく存じます」の中で、STAP細胞生成のノウハウの開示を拒否したことに対する反論の様である。色々書かれているが、まず、STAP細胞の特許は既に出願され、且つ公開までされている。下記にその基本情報がある。

WIPO PATENTSCOPE「(WO2013163296) GENERATING PLURIPOTENT CELLS DE NOVO

出願人を見るとハーバード大学のバカンティ教授が筆頭で、小保方氏以外に若山教授、笹井副センター長が名を連ねる。2012年4月24日の出願だ。小保方氏が3.11以降に日本に戻ったことを考えると、ハーバード時代の研究成果をベースとした特許であり、関係機関が連名で出願したことになる。小保方氏の発案の技術の筆頭が小保方氏でないのは、その特許を小保方氏が書いたのではなく、バカンティ教授(及びバカンティ教授ないしはハーバード大学と契約しているアメリカの弁理士)が中心に書き上げ、小保方氏はそのチェックぐらいしかしていないのだと思う。日本の特許ですら、初めて特許を書く人にとってはハードルが高いのに、少なくとも一般企業で特許の教育を受けていない小保方氏がアメリカの特許を自力で書けるはずがない。連名者の並び順は、この辺の事情を反映したものなのだろう。

なお、現在はそれから既に2年が経過しているため、その間に様々なノウハウが蓄積されているはずである。理化学研究所内(ないしは小保方氏の頭の中)には、このノウハウが相当蓄積されているはずである。まずはこの点を覚えておいていただきたい。

次に、この記事で弁理士の方が指摘しているのは、下記の点である。
=======================================
許権とは、発明の内容を誰でも実施できるように公開してあげる代わり、一定の期間だけ、その発明を自分(または自分が許可した者)だけが実施することができる権利です。ですから、特許出願するときの書類(特許明細書)には、発明の内容を誰でも実施できるように書いておく必要がありますし、特許権も、その書類に基づいて誰でも実施できることが確からしい範囲にしか与えられません。
・・・中略・・・
特許権は本来、特許明細書に基づいて誰でも実施できることが確かな範囲にしか与えられないものですし、それに反して与えられた特許は無効にされるべきものとされています(日本以外の国でもだいたいそうです)。
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この弁理士の方は、「発明の内容を誰でも実施できるように書いておく」のがルールだから、特許が公開された以上、STAP細胞の作り方を公開できないはずはないと主張している。しかし、これは多分、正しくない。

最初に断わっておくのは、私は技術者で特許も100件以上は筆頭で書いている一方で、弁理士ではないので法律的な点については十分な知識を持っている訳ではない。ただ、技術者として特許を書いたことがないと分からない部分もあると思うので、この弁理士の方に不足しているある部分の知識を私は有していると確信する。それは、例えば料理のレシピを克明に公開したとして、作る人が代わって全く同じ味が出せるかと言えばそうでないのと似ている。特許とは、ある技術の必要条件を明示する仕様書の様なもので、料理のレシピで言えば食材や調味料の分量、加熱の方法や時間などが必要条件になるが、例えばフライパンを煽る煽り方や火力の微妙な差、ないしは気温や湿度などで微妙に異なる条件を肌で感じて微調整するノウハウの全てを包含するものではない。ある分野では常識となっていることであれば、その常識に対して差分となっているポイントを明示するのが特許であり、最低限、この条件がないと成功しないという条件が明示されてなければ将来的な特許の取り消しもあり得るかも知れないが、その必要最低限の部分は多分、書かれているのだろう。仮に書かれていないとすれば、その書かれていない部分の情報開示は新たな特許と成り得る訳で、その部分を追っかけで特許出願すれば保険という意味合いで、「仮に先の特許に肝心な必要条件か書かれていないが故に特許取り消しになるのであれば、後からの出願で(権利発生の日時はその追っかけ出願の日付になるが)抑えるべき権利範囲を確保できる」し、「追っかけ特許に新規性が認められないのであれば、先の出願に肝心な必要条件が記載されていることの認定に繋がる」ことが担保される。この様に、戦略的な特許出願とは単発で終わるものではなく、シリーズもので関連特許を網羅するのが技術者の常識である。少なくとも最初の出願から2年を経過しているのだから、この辺の戦略的な特許出願が多数、行われていると考えるのが自然である。しかも、その権利確保が現時点で全て完了している可能性は低く、STAP細胞生成の最適条件を検討している現段階では、そのある部分を秘匿するのは研究機関としては当然である。理化学研究所が「公開して良し」と判断すれば別だが、小保方氏にその判断(何処までの公開が許されるか)の権限がないのは組織運営上明らかである。であれば、小保方氏が「現在開発中の効率の良いSTAP細胞作製の酸処理溶液のレシピや実験手順につきましては、所属機関の知的財産であることや特許等の事情もあり、現時点では私個人からすべてを公表できないことをご理解いただきたく存じます」と回答したのは極めて理にかなっている。これを否定する人は、状況を十分に理解できていないか、理化学研究所の権利に無頓着な人である。

勿論、私の所属する工学、エンジニアリングの世界では、アイデアを公開すれば直ぐに「発明の内容を誰でも実施できる」ケースは多々あるのも事実である。しかし、それが全ての技術分野で同様である訳がない。例えば、膨大な情報を信号処理する様な技術を例にとれば、その技術を実装する上では多層の基盤上に複雑な信号線を組み上げなければならない。しかし、例えば肝心な信号線が上下の層で近接すると、層を跨いだ相互の信号が干渉し、信号に大きなノイズが加わることがあり得る。計算機上のシミュレーションでは簡単に再現できる物理現象が、回路に起こして再現しようとすると泥臭いところで上手くいかないという例である。特許の目的は計算機上での再現ではないし、取得する権利範囲は実機での実現技術である。つまり、小保方氏のケースに照らし合わせれば、基板上に特許に関する技術を実装して所望の特性を達成するのが「STAP細胞の再現」に相当する。しかし、その基板上への配線設計のノウハウは多分、特許の範疇ではない。そして、その配線設計も含めて同業の技術者が再現できる程に情報開示しないと特許として認められないという話ではない。

つまり、弁理士さんが思う程、技術の世界は単純には割り切れないのである。

最初に戻って言わせて頂けば、この知的財産の確保は、将来、日本が技術立国として生き残る上での非常に重要な財産である。しかし、日本には非常に反日的な国益を損なうことに熱心な人々がいて、それは多分国益よりも個人の利益や妬み・やっかみの方が重要だと思っている方々で、その様な方により諸外国の研究機関がほくそ笑んでいることをもっと認識すべきである。そして、誰よりもそれを認識すべきは理化学研究所の幹部連中である。

石井氏の調査委員会委員長の辞任はそのひとつのターニングポイントになる出来事だと思った。

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日米首脳会談の総評(2)

2014-04-26 23:05:54 | 政治
昨日のブログの続編である。

アメリカの新聞での日米首脳会談に関する記述を少し探してみた。昨日紹介したウォールストリートジャーナルとは趣が大分異なっていた。

The Washington Post 2014年4月25日
Obama’s Asia trip off to a bad start with failure to reach agreement on trade in Tokyo

ここでは日米の当局者が全く異なる評価をしているとして下記の様に記している。

「A senior Obama administration official said the two countries had achieved a “breakthrough” in their effort to help advance a broader, 12-nation free trade accord known as the Trans-Pacific Partnership (TPP).」
「But Akira Amari, a Japanese state minister in charge of the trade talks for Prime Minister Shinzo Abe’s administration, said in Tokyo that several issues were still unresolved.」

アメリカ側は「ブレークスルー」を達成し、日本側は「幾つかの問題が未解決」と評価している。昨日のブログでも少し書いたが「TPPに関しては意見が分かれるところだが、今日の報道ステーションでの報道によれば、甘利大臣の苦虫を噛み潰したような表情から最終合意に至らなかったことを強調する向きもあるが、実際には政府関係者は状況の進展にある程度の満足を示しながら、それが表に出ることで折角こぎつけた合意をフイにしないで済むように、ワザと不調さをアピールしていると見る向きもあるようである。」という点を支持する様な評価である。しかし、記事のタイトルにも「a bad start with failure to reach agreement on trade」とあり、手放しで「大成功!」とアピールできないのが失敗ということらしい。

The Washington Post 2014年4月24日
Obama says U.S. will stand by treaty obligations to Japan

こちらでは、「尖閣の領有権に対してはどちらの立場も取らないが、尖閣を含む日本への攻撃に対しては日米安保に基づき日本を守る」ということを明言したことを紹介している。

「Obama said the United States does not take a position “on final sovereignty over the islands,” which are called the Senkaku by Japan and the Diaoyu by China. But he noted that a long-standing treaty dictates that the United States would defend against any attack aimed at Japan.」

どちらかと言えば、尖閣が日米安保の対象となるとの初めての大統領発言であることの重要性よりも、その発言に前後した日本と中国の信頼関係の情勢や、問題のエスカレーションを回避するための努力の方に力点を置いている感じである。この辺は、中国よりの読者を刺激しないことを狙ったのかも知れない。

The New York Times 2014年4月24日
Obama Suffers Setbacks in Japan and the Mideast

こちらはタイトルからも分かるように、中東と絡めての記事になっていて、日本と中東で挫折したとの記事である。というのも、日本に関してはTPPでの大筋合意に失敗したことを受けての評価であり、ワシントンポスト紙ではアメリカ側政府高官が大成功と評しているのとの報道と対極にある。さらに、パレスチナ問題などの様に捻じれに捻じれた問題と並列表記することで、それほどこの問題が深刻であるとアピールしたいようにも見える。「Mr. Obama has not given up.」との言葉を使って、まだまだ諦めてはいないとの紹介をしているが、安全保障がらみの記述よりも重要度の高さはTPPの方が圧倒的に高いことを示している。尖閣に関する記述は下記の通りである。

「Mr. Obama also declared that the United States was obligated by a security treaty to protect Japan in its confrontation with China over a clump of islands in the East China Sea. But he stopped short of siding with Japan in the dispute regarding who has sovereignty over the islands, and carefully calibrated his statement to avoid antagonizing China.」

日米安保により尖閣がらみの紛争においてアメリカが日本の防衛義務を負うことを明らかにする一方、領有権に関してはどちらの立場にも立たず、中国に配慮した慎重な言い回しをしているとの評価である。しかし単純に考えて、それはアメリカの立場の話であり、これだけのことを明言すれば中国や日本にどの様なメッセージを送るかは明らかであり、この辺を過小評価した感が強い。

この様に、アメリカの主要な2紙に関しては、尖閣問題の様な安全保障の問題よりもTPPの方が興味の対象で、あまり日本や中国の様な騒ぎ方ではないらしい。あまり日本に関心がないのか良く分からないが、少々、拍子抜けした扱いである。

ちなみに、どうでも良い話だがこの日米首脳会談に関する韓国側の報道も少し確認してみたい。

中央日報2014年4月26日「米国が“尖閣”プレゼントも…日本はTPP譲歩せず

タイトルの通りで、「アメリカ様が日本ごときに安全保障の大きなプレゼントをしたのに、日本は何様のつもりだ!」と怒っている様である。その気持ちは記事冒頭の「オバマ米大統領が体面を汚したまま2泊3日の日本国賓訪問を終えた」の言葉に集約されている。また、TPPで譲歩しなければ共同声明から尖閣の文言を抜くと脅されたが、日本が屈することなく尖閣の文言が入った共同声明が発表されたとも記している。ここではワシントンポストを引用し、「米国メディアはオバマ大統領の日本訪問に落第点を与えた。ワシントンポストのコラムニスト、ダナ・ミルバンク氏はこの日、オバマ大統領が米国民の代わりに日本に伝えた重要なメッセージは『すしがとてもおいしい』ということだけだと酷評した。」としている。どうもその辺が納得できない様だ。

なお、この様な一連のお祭りとは別に、国内ではオバマ大統領が来日中であるが国会の方は開かれており、その中で岸田外相は衆院外務委員会で興味深い発言を行っている。

産経新聞2014年4月25日「国際司法裁への提訴『不要だ』外相 『尖閣は固有の領土』

民主党の玄葉光一郎元外相の質問に答えての話だが、中国を相手に国際司法裁判所(ICJ)へ提訴する必要はないと発言している。元外相のくせに何を聞きたいのか良く分からないが、これは適切な発言である。「尖閣は歴史的にも国際法上もわが国固有の領土だ。領有権問題は存在しない」であるから、「(提訴は)日本が言い出す話ではない。わが国の有効支配に挑戦しようとしている中国が考えるべき問題だ」というのが正しい。もし仮に日本が「領土問題が存在していることを認識していることになるから、中国の領土の可能性のある土地を日本が勝手に占拠しているとなると、日本は国連憲章の(中国の領土を不当に奪おうとしている場合の)敵国条項に該当すると中国が言い出す根拠を与えることになる。アメリカは戦後、沖縄と共に尖閣諸島を施政権下に置き、沖縄返還と共に尖閣の施政権も日本に移ったとしている。であるから、その文脈から尖閣の施政権の日本側への移譲時に文句を声高に言わなかった中国には、少なくとも日本が尖閣を施政権下に置くことをもって敵国条項を適用できないことを論理づけているのである。岸田外相の「中国が考えるべき問題だ」とか「中国に向けられるべき質問だ」と述べたのは適切な答弁で、日米共同声明の中で繰り返し指摘される法の下の支配や国際法に順守することなどは、全て「中国が尖閣問題をICJに提訴する」ことを誘導するための流れである。

多くの報道では、共同声明ではオバマ大統領は尖閣が日米安保の対象であることを明言する一方、中国にも配慮して日本側に中国との関係をエスカレートさせるなという対応を求めたと言われるが、これは半分は当たっているが半分は外れている。オバマ大統領の記者会見の中で、「われわれ全てが、この国際的な秩序と法を守る、維持する責任がある。大きな国も小さな国も全て正当で公正なルールに従う必要がある。平和的に問題を解決する必要がある。これが中国に対しても直接、私が伝えたいメッセージだ。」と明確にメッセージのポイントを明らかにしている。この発言に続けて「海洋の問題もそうだ。これからも中国がわれわれと関与し、そのほかの地域の国々に関与し、特にこの領有権、ある土地の領有権だけでなく、全ての国々が基本的な国際的な手順を踏んで、紛争解決することを望んでいる。」としている。さらに「私たちの立場、米国の立場は、国は国際法に従わなければならないということだ。」とも続けており、これは明示はしていないが「文句があるなら、国際司法裁判所に提訴しろ!」と言っているに等しい。

なお、これに続けて「国際法や規範が、侵害されたりするわけです。こうした規範に違反した国が出てくるたびに、米国は戦争をしなければならない、武力を行使しなければならないというわけではない。」との発言があるが、この部分こそ中国に対する気遣いの部分とも読み取れる。つまり、中国が国際法を破り秩序を乱した時、アメリカは必ずしも戦争をしなければならないと断言している訳ではない。しかし、「アメリカは世界の警察ではない」と公言しながらも、ローカルな保安官ですら放棄したと言っている訳ではなく、「下手に出て『国際法』、『国際法』と唱えている間に、行いを正しなさい!」と注文を付けている様に見える。中国は一生懸命、オバマ大統領の発言、共同声明の行間を読み取ろうとしていると思われるが、少なくともあの発言から「尖閣に中国が手を出しても、アメリカは傍観するのみだ」と読み取ることは、非常に高いリスクを伴うことを痛感したはずである。それが今回の日米首脳会談の最大の成果である。

なお、話はTPPに再度飛んで恐縮だが、少々気になるのはオバマ大統領の一連の発言の中で、TPP問題にて全て日本を悪者にするかのような発言があったことである。前日の寿司屋での会食においても、安倍総理の支持率を引き合いに「TPPでの譲歩」をアメリカンジョーク的に求めていたが、麻生副総理に言われるまでもなく、アメリカの国内政局でTPP交渉のフリーハンドを得ることが出来なかったオバマ大統領とすれば、米議会でのちゃぶ台返しを回避するためには日本側の大幅な譲歩以外に道はない。それ故に、大統領としての威厳をかざして何とか譲歩を勝ち取りたいとの思いもあるのだろうが、部分的に抜粋すると「日本の経済の一部の部門、例えば農業とか自動車は市場アクセスが歴史的に制限されている。特に日本が米国の消費者へのアクセスと比較すると、そうだ。」「重要なのは公正で透明性が確保されてやっているかどうか、知的財産を尊重するのか、市場へ自由にアクセスできるかだ。」「短期的にはそれ(雇用の創出)を実現するためには自分たちが安心している心地の良い空気から出て、他の国の市場にアクセスしたいけれど、自分の国へのアクセスを許さないという立場をやめないといけない。それを実現をするためには国内のいろんな団体の安心するような心地の良い空気から出していく必要がある」との発言があり、これは一方的に日本が悪者だと言っている様なものである。勿論、「貿易交渉をするときには、必ず敏感な問題がある。安倍首相が抱えていて、私もそうだ」と理解を示す言葉もあったが、この一連の言葉の端々にも、如何に甘利TPP担当相とフロマンUSTR代表の交渉がし烈さを極めたかが伺い知れる。甘利TPP担当相の記者会見などを見ても、彼のタフネゴシエータぶりは確かなのだろう。最後の一線を守り切ったところは大きい。

まあ、色々と関係者にとっては嵐の様に大変な数日だったかも知れないが、日本にとっては大きな前進という結論は今日のブログでも変わらない。

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日米首脳会談の総評(1)

2014-04-25 23:58:26 | 政治
中々、本業の仕事が忙しくてニュースに目を通している時間がなく、ブログを書く時間を確保できていない日々が続いている。ただ、今回は日米首脳会談が開かれ、その結果が共同声明という形で実を結んだのでコメントをしておこうと思う。

まず、共同声明の全文を探したのだが報道機関では扱いが見つからず、外務省のホームページから直接読むことにした。下記にその記述がある。

外務省2014年4月25日「日米共同声明:アジア太平洋及びこれを越えた地域の未来を形作る日本と米国

かなりぶつ切りの箇条書き的な表現で、日本語としてもエレガントでない文章だが、その中の興味深い部分を幾つか抜粋してみる。
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・国際協調主義に基づく「積極的平和主義」という日本の政策と米国のアジア太平洋地域へのリバランスは,共に,平和で繁栄したアジア太平洋を確かなものにしていくために同盟が主導的な役割を果たすことに寄与する。
・日米両国は,事前に調整することなく東シナ海における防空識別区の設定を表明するといった,東シナ海及び南シナ海において緊張を高めている最近の行動に対する強い懸念を共有する。
・日米両国は,南シナ海について,関係国が自らの海洋における権利の主張の根拠を国際法に合致する形で明らかにするよう求める。
・また,不測の事態のリスクを削減する方法として実効的な行動規範(COC)の早期策定に向けた取組を支持する。
・日米両国は,南シナ海における海洋の紛争を解決するために国際的な仲裁を含む外交的及び法的な手段を用いることを完全に支持する。
・この文脈において,米国は,尖閣諸島に対する日本の施政を損おうとするいかなる一方的な行動にも反対する。
・米国は,集団的自衛権の行使に関する事項について日本が検討を行っていることを歓迎し,支持する。
・経済成長を更に増進し,域内の貿易及び投資を拡大し,並びにルールに基づいた貿易システムを強化するため,日米両国は,高い水準で,野心的で,包括的な環太平洋パートナーシップ(TPP)協定を達成するために必要な大胆な措置をとることにコミットしている。
・米国は,日本を常任理事国に含む形で国連安全保障理事会が改革されることを期待している。
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最後に、「付属書:日米二国間交流に関する首脳声明」なる付属文書が添付され、ここでは日米両国間の人的交流を拡大する旨が記されている。

以上の文章を読むと、日本側としては、ほぼ100点満点とも言うべき内容である。中国や韓国が茶々を入れる「積極的平和主義」がアメリカの「リバランス」が並列関係にあり、中国の防空識別区を(今更ながらではあるが)再度、明確に非難をするに至り、領土問題の解決は常に「国際法に基づく解決」が前提であり、中国との間の不測の事態に対応するためのホットチャンネルの確立に繋がる活動を促し、その中で尖閣諸島が日米安保条約の対象となることを明記し、日本における集団的自衛権の解釈改憲をも支持し、おまけに国連安全保障理事会において日本の常任理事国入りまで期待する旨を表明している。TPPに関しては意見が分かれるところだが、今日の報道ステーションでの報道によれば、甘利大臣の苦虫を噛み潰したような表情から最終合意に至らなかったことを強調する向きもあるが、実際には政府関係者は状況の進展にある程度の満足を示しながら、それが表に出ることで折角こぎつけた合意をフイにしないで済むように、ワザと不調さをアピールしていると見る向きもあるようである。どうやら、豚肉を除けば概ね日本側の目論見通りに事が運ぶ一方、ピンポイントで政治決断できない相違点が散在し、その点はアメリカが全く譲歩を示さずに協議がストップしたままという状況だろう。巷で言われるようにTPPは2国間協議とは明らかに異なり、どうしても合意できないところを明確にすることで多国間協議での攻めどころを明らかにし、その先はその論点においてアメリカが孤立した状況を醸し出すことで着地点を模索するのだろうから、その意味では交渉どころを絞り込んだのは成功というところだろう。

これまでの報道の中では、日程として2泊3日の国賓待遇にアメリカが応じたこと、尖閣が日米安保の対象であることを共同声明に盛り込むことなどとのバーターで、日本側が如何にもTPPなどで譲歩に追い込まれることを前提とするかのような説がまことしやかに語られていたが、冷静に考えてアメリカは「国益」を基準に行動する国である。だから、尖閣が日米安保の対象であることを共同声明に明記するか否かはアメリカの国益に照らして判断されて然るべきである。アメリカの国益は、日本と中国が本当に尖閣を挟んで戦争に突入することを阻止することにあり、その阻止のためには「中国は、尖閣を奪い取りたければアメリカと戦争する覚悟で来い!」という強いメッセージが有効である。勿論、この戦争とは全面戦争ではなく局地戦に過ぎない。しかし、その局地戦に突入したときにアメリカまでも敵に回すとなれば、世界的なマーケットは中国から一斉に手を引くのは間違いない。現在のロシアがウクライナ問題でボディブローの様に影響を受けているのも、まさに外国からの投資への影響、すなわち経済的なインパクトによるものである。バブルがいつ崩壊してもおかしくない中国において、その様なボディブローは致命的であり、中国共産党政権の正当性にも影響を与えかねない。したがって、習近平国家主席を中心とする指導部にはアメリカとの軍事的なイザコザを覚悟する度胸はなく、あるとすれば尖がった将校が暴走するなどの突発的な事態で、それが中国全体で国を挙げての行動でない限りは日米で短期的に問題を抑え込む可能性が高い。オバマ大統領を筆頭にアメリカの首脳部は、この点で共通認識を持っているのだろう。だから、TPPと絡めてブラフをかけてきたことも日本政府は織り込み済みで、冷静な対処が出来たのだと思う。

ところで、日米首脳会談を世界はどう見たのか少し探ってみた。まず、ウォールストリートジャーナルが社説で言及している。

ウォールストリートジャーナル2014年4月25日「【社説】安倍首相側に立つオバマ大統領 米国は尖閣で連帯

ここでは、中国の防空識別区の設定に「米国が弱く一貫性のない対応をしたことに伴うダメージを回復するのに役立つ」と評価し、中国の尖閣に対する挑発を「中国の好戦的なレトリックや瀬戸際外交」と断じ、この様な行動の背景に「中国が米国との戦争の可能性を深刻に受け止めていないこと」があり、オバマ大統領が態度を明確にすることで「深刻な受け止め」に変わり行くことを示唆している。この社説でも米海兵隊第3海兵遠征軍の司令官のジョン・ウィスラー中将の発言「中国軍が尖閣諸島を占領したとしても、在日米海兵隊は直ちに奪還できる」が引用されているが、こちらは実はもう少し過激な発言の様で、サーチナにはその辺の記載もある。

サーチナ2014年4月16日「米司令官『上陸せずとも尖閣奪還できる』発言に、『だったらやってみろ』と反発の声=中国版ツイッター

具体的には「米軍は上陸作戦を行わなくとも、空と海からの攻撃だけで中国人民解放軍の脅威を消し去ることができる」との発言で、中国のネットユーザが激しく反応した模様である。話を元に戻せば、この様な一連の流れの中でアメリカは中国に対して「本気でアメリカと戦争する気があるのか?(ないだろう?)」という強いメッセージを送っている。また、ウォールストリートジャーナルは読売新聞からのオバマ大統領への書面インタビューの中で、「国際的な安全保障に対するより大きな役割を果たしたいという日本の意欲を、我々は熱烈に歓迎している」「安倍首相を称賛する」と評価している点を指摘し、中国の反日プロパガンダに対して一線を画すオバマ外交を評価している。また、戦後日本がアジアの平和と繁栄に貢献してきたことも評価している。これまで日本政府が発信してきたことに対し、ウォールストリートジャーナルも様々な記者のフィルターにより真意を捻じ曲げて報道されっることが多かったが、オバマ大統領がそれを評価したら「右へ倣え」的に評価しているところは面白い。靖国参拝には生理的な拒否反応があるのは変わらない様だが、それでも記事中で「20世紀最悪の大量殺りくが行われた天安門に毛沢東の肖像画を掲げ続けている人々は、もっと慎重になってもよさそうなものだ」と皮肉り、「あんたに言われる筋合いはない!」と中国を突っぱねている。そして最後に「近隣諸国が中国の皇帝を称えたような時代に戻るよう同国が望んでいることで再び日米同盟が前面に出てきた」とし、中国を正しい方向に誘導するためにアメリカはより積極的になる必要があり、その際には日本との連携が重要であることを明確に評価している。

以上がウォールストリートジャーナルのオフィシャルな評価だが、ただしロイターは異なる評価をしている様だ。

ロイター2014年4月26日「コラム:安倍首相の『不穏な変化』=カレツキー氏

これはアナトール・カレツキーという人が記事を書いているのだが、はっきり言って真逆の評価である。「日本の立場を米国が支持するという誤った期待を抱かせることで、オバマ大統領は日本の好戦的な発言を助長している。ひいては、中国が軍事行動によって尖閣諸島(中国名:釣魚島)の奪取に動く可能性を高めている。」とまで言っている。そして、尖閣問題で戦争にならない理由は「中国は経済・金融改革が最優先」で戦争など2の次だが、日本はそうではなく軍事的な課題が優先されていると評価している。確かに、日本において集団的自衛権の話題がニュースに上る機会も多いから、それを聞いてその様に感じる短絡的な外国人がいてもおかしくはないが、この記事の中で彼は「こうした約束(尖閣が日米安保の対象であること)は、本物の武力衝突が発生した際にはほぼ間違いなく、ただの口約束だったことが証明されるだろう」とまで言い切っている。ちなみにこの人物は経済が専門の様で、世界の投資機関800社に投資分析を提供する香港のグループ、GaveKalDragonomicsのチーフエコノミストも務めている。ちなみにこの人物の記事として最近の記事には、「コラム:アベノミクスは約束不履行の恐れ=カレツキー氏」(2013年12月2日)という記事を書いている一方、「コラム:中国で金融危機が起きない理由=カレツキー氏」(2014年2月26日)などと中国のヨイショを行い、トドメとして「コラム:次の金融危機、震源地は日本か=カレツキー氏」(2014年3月17日)とまで書いている。香港で働いていることからも、中国のプロパガンダに一役買っているのは明らかだ。なお、念のために言っておけば、ロイターにもここまで偏ったバイアスがかかっていない通り一遍の記事も記載されている。

ロイター2014年4月24日「オバマ大統領が尖閣は安保条約の対象と明言、中国にも配慮

これは日本人記者の記事なので、別にロイターと言えど特筆すべき記事ではない。

あまり時間がないので今日はこの辺にしておくが、やはり世界には様々な評価がある。しかしはっきりしているのは、アメリカ政府の公式見解は日本政府の意に沿ったものであり、それがかっての日本の総理大臣の言葉の様に「大嘘」であれば話は別だが、(国内的な政治基盤は盤石とは程遠いが)極めて真っ当な大統領の発言であることを考えれば、あまり変な報道に一喜一憂することはないだろう。

まあ、見ている人はちゃんと見ているというところだろうか。。。

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「世の中を上手く回す」ための経験則は何処に・・・

2014-04-18 23:58:28 | 政治
基本的に不毛な議論なのだが、少々対照的な事件があったので敢えてコメントしてみたい。まず、話の入り口は下記の記事である。

産経新聞2014年4月18日「【ネットろんだん】担任の入学式欠席 問われた『教師は聖職者か労働者か』

ご存じの通り、今月の8日に埼玉県立高校の新高校1年の担任となる女性教諭が、長男の高校の入学式に出席するために自分が勤務する高校の入学式を欠席したという話題である。どうもネット上では、この女性教諭を擁護する声の方が若干優勢なのだが、概ね意見は拮抗しているらしい。ここでの論点は単純だ。記事のタイトルにもあるように、学校の教師というのは「聖職者」なのか、それとも「労働者」なのかということである。この「聖職者」という表現は少々強烈で、何事も自分のことを全て捨てて、教育のために身を捧げる「殉教者」的なイメージがあるのだが、ここで入学式を欠席した教師を責める人達も、別にそこまで極端な「聖職者」であることを求めている訳ではない。基本的に、今回の件でで怒っている側は分類上は「聖職者派」の人達であるが、それは「聖職者であるべき」とまで強く言っているのではなく、単に「教師として、ここまでは我慢すべき」というボーダーラインを引いたとき、それが「他の普通の労働者と全く同様の権利主張が許される訳ではないだろう!」という主張からくるものである。

で、私がここで言いたいことは、そのどちらが正しいとか、この問題に限定して論点を整理したいということではない。こんなくだらない対立は、単に両者の価値観の違いに起因する訳で、言ってみれば異なる宗教の人達の宗教対立と同様で、何処まで行っても交わることはない。議論するだけ不毛な感じの話題である。敢えて一言だけ言わせて頂ければ、日教組の教師連中は、教師もひとりの「労働者」でしかなく、当然のことながら労働者としての権利を思いっきり主張できて然るべきと考えているのであるが、世の中の「権利」を主張する人は自らに課せられる「義務」をないがしろにする傾向がある。私の経験則として、「権利」を主張する度合いと「義務」を全うする度合いは反比例関係にあり、人よりも「権利」を2倍主張する人は、自分に課せられる「義務」は他の人の半分だと思い込んでいるケースが多い。「義務を放棄すること」も「権利の一部」と考えれば当然の帰結かも知れない。まあ、世の中とはそんなものである。

ただ、これはまだ「教育の世界」だから通用する話である。多くの人の同情を教師は勝ち得ているが、その様な同情を勝ち得ていない人も世の中にはいる。例えば、韓国の旅客船沈没事故での沈没した船の乗務員である。

実は、結構早い段階で死亡が確認された被害者の中に、乗務員の若い女性が含まれている。この乗務員は、沈没し行く船から脱出を試みる乗客に、救命胴衣を配ることをしていて溺死したのである。自らは泳げないにも関わらず、自分が救命胴衣を身に着けることよりも乗客に救命胴衣を配ることを優先して亡くなってしまった。一方で、船長をはじめとする乗務員の多くは早期に脱出し、無事に救護されるに至った。乗客の安全な避難誘導は乗務員の責務であるが、(実際の彼らは我先にと脱出を試みた、その倫理観のなさは責められて然るべきだが)これ以上残ったら自らも死んでしまうというギリギリまで避難誘導にあたっていて、その後に脱出したとすれば、乗客の多くに死者が出たとしてそれは責められて然るべきなのだろうか?単なるひとりの労働者と考えれば、別に労働契約の中で「『命まで売ります』とは約束してない!」と言い張る権利は認められても良さそうだ。しかし、その「(生死を分ける)ギリギリの線」なるものが明確ではないから、今回の乗務員も自分なりには「ギリギリの線までは努力したつもり」であるかも知れない。しかし、そんなことを韓国のマスコミは許してくれそうな雰囲気にはない。当然ではあるが、日本のマスコミも同じであろう。

では、そのギャップは何処から来るものなのか?9.11のWTCビルの崩壊現場で犠牲になった多くの警察、消防関係者は、多分、このまま行ったら「自分は死んでしまうかも知れない」と確信しながらも、それでも覚悟を決めて救助活動に当たっていたのだろう。命を捨てるまでの義務などはないのだが、その義務が何であるかを強く意識し、その義務以上のものを果たそうとして彼らは犠牲になったのである。彼らには生き延びる権利はあったはずだが、その権利を行使しなかったのである。これはもはや理屈ではない。世の中が上手く回るためには、仮に権利を有していてもその権利を敢えて行使せず、求められる義務以上の義務を自ら進んで果たそうとする人がいるから、結果的に世の中は上手く回るのである。それは教師でも警官でも消防士でも医者でも政治家でも何でも同じである。そして、彼ら(彼女ら)のその献身的な努力に周りの者が感謝の気持ちを持つことで、さらに世の中は上手く回るのである。この、世の中を上手く回そうという心掛けがあれば、世界はそう変な方向には流れては行かない。そのためには、「権利」と「義務」というセットで不可分の問題に対し、利己的に敢えて分離して考えようとする人達に、「それは褒められたことではない」「権利と義務は分離不可分だ」と諭してやるのが第一歩なのだと思う。つまり、(何処かの国の憲法の問題に似ているのだが)「権利は有しているが、(相対立する義務の視点から)敢えて権利を行使しない」という考え方が存在することがもっと語られても良いはずである。(ちなみに、集団的自衛権という権利を行使してはいけないという人ほど、教師はもっと権利を主張すべきだと考える傾向があるのではないかとも予想している。)

しかし、今回の様な海難事故があると船舶の乗務員には当然のこととして「(仮に死ぬことになっても、今回亡くなった女性乗務員の様に)命がけで最後まで避難誘導して当たり前」であると求めるのに、教師などに対しては非常に寛大であるというところが短絡的で興味深い。私の感覚では、人の人生に大きな影響力を与えうる立場の人、例えば日常的には教師、医師、政治家、警官、消防士など、緊急事態であれば公共交通機関の乗務員やホテルやデパートの従業員などは、その人生に大きな影響力を与えうる事実を踏まえて、一般の労働者とは異なる義務の拡大解釈と権利の抑制的な主張が求められて然るべきだと思う。(海難事故の様な非常事態ではなく)平和の最中に想像力を働かせることが出来ず、「別にどっちだっていいんじゃない?」と投げやりな同情をするのは非常に無責任な感覚だと感じている。もし、それがなかったならば「世の中が上手く回らない」覚悟を持たなければいけないが、その様な覚悟も持ち合わせていないのであろうから・・・。

繰り返すが、これは裁判で争う様な「権利」の解釈の問題ではない。敢えて「世の中を上手く回す」ための経験則を語っているに過ぎない。何故なら、裁判では「世の中が上手く回らない」ことと「権利」は全く別物として扱われるのだから。もはや、そこには理屈などはない。あくまでも経験則なのである。

なお、これがあくまでも「世の中を上手く回す」ための経験則であると理解するならば、その経験則はもっと工夫されて然るべきである。例えば、女性教諭が小学1年生の母親であり、子供の入学式に出席したいとの希望があれば、その様な教諭は少なくとも小学校であろうが中学校であろうが高校であろうが、新入生(1年生)の担任でさえなく他の学年の担任(ないしは副担任や主担任ではないポジション)であれば、殆どの人は異論をはさまないと思う。問題は今回の様な高校1年生の母親が子供の入学式に出席するところまで考慮してやるべきかであるが、これは他の一般企業でも同じであろう。転勤などある程度は家庭への影響を覚悟の上で受け入れる人と、家庭のためにはあらゆる犠牲を許容できないという人がいても悪くはない。個人の判断は尊重されても良い。しかし、当然、昇進や給料にそれが反映されても誰も文句は言わない。世の中、その様なものである。教師に対しても、同様の判断があってもおかしくはない。その辺は、校長(教頭)が上手く調整し、世の中を上手く回せば良いだけである。今回のケースでは、その調整能力に問題があったのかも知れない。その場合には、責められるべきは入学式を欠席した女性教諭ではなく校長(教頭)側であろう。その辺の事情は漏れ伝わってこないので、現時点では一概に判断できない。情報が足りな過ぎるというところである。つまり、本来あるべき議論の姿は、「個人的な犠牲を許容するかしないかを選択する自由度を持たせることと、その選択の結果が人事評価などに反映される管理者の調整権のバランスのとり方」なのだと思うのだが、どうもそういう議論にはならないようだ。

なお最後に、折角なので韓国の旅客船沈没事故のニュースを見ていて「流石、韓国の本領発揮」と思わず見入ってしまった点があるのでコメントしておく。私が驚いたのは、沈没した船の船長をマスコミの集まる場所に放り込んで、このタイミングで既に「吊し上げ」をしているところである。政府などによる救助活動の対応の遅さは被害者家族にとって耐えがたいものがあるが、(情報公開要求などではなく、単なる鬱憤をぶつけるだけの)加害者側の「吊し上げ」は指し当たって現時点では被害者家族にとっては重要ではないはずだ。そんなことは、後から裁判で行えばよい。このようなあり様を見ていると、この人達(韓国のマスコミ)は単に「感情をぶつけて楽しみたい」、「欲求不満を発散したい」だけなのだろうと思った。マスコミがマッチポンプだというのは韓国の悲劇である。同様に、日本のマスコミもマッチポンプにならない様に自制をして頂きたい。

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敵の敵は味方か?

2014-04-15 23:29:02 | 政治
いきなりであるが、例え話をしてみよう。

あるところに3つの高校があったとする。A高校の番長グループが、B高校の生徒に暴力を振るいボコボコにしたとする。この話を聞いたB高校の番長グループが、報復的にA高校の生徒に同様に暴力の制裁を加えた。これを見ていたB高校の番長グループのことを快く思っていなかったC高校の番長グループは、A高校の救済目的で同様にB高校の生徒をボコボコにしたとする。この様子を見ていた警察官が喧嘩を止めに入ったところ、C高校の番長グループは「俺たちはB高校の暴力に反対しているんだから、あんたたちにとやかく言われる筋合いはない!」と吠えまくる。それを遠巻きに見ていた見物人が、「流石、C高校の番長グループ!偉いねぇ・・・」と呟いていたとすれば、あなたはどの様に感じるだろうか?この時、C高校の番長グループは褒められてしかるべきだろうか?

多分、この話を聞くと誰もが「んなわけないだろう!」とツッコミを入れるはずだ。しかし、朝日新聞出版はどうも違うらしい。C高校の番長グループを褒めまくるべきと考えているようだ。上述のA高校の番長グループを過激なヘイトクライムが蔓延する反日一色の韓国社会、B高校の番長グループを日本でのヘイトスピーチで有名な在特会(在日特権を許さない市民の会)とも呼ばれる組織、C高校の番長グループを在特会と対立するレイシストしばき隊(現在はC.R.A.C.)と呼ばれる組織とすれば、現在の状況を概ね反映した内容になるだろう。これは、AERA4/21号の記事、「現代の肖像 野間易通C.R.A.C.(対レイシスト行動集団)」に関する記事である。

断わっておくが、私のスタンスはA高校だろうがB高校だろうがC高校だろうが、暴力集団は暴力集団であり駄目なものは駄目である。韓国の国家ぐるみの超ヘイトスピーチが悪質であっても、それに対抗してヘイトスピーチをしては駄目である。相手に反撃を行う口実を与えてしまうから、冷静に抑制的な行動を行うべきであった。ちなみに、A高校とB高校の番長は罪もない一般の生徒に恐怖を与えていたが、C高校の番長は比較的、B高校の番長グループに属する連中を主なるターゲットにしている。AERAはこの辺を任侠物語的に捉えている様だが、相手を挑発しまくって対立を激化させて喜んでいる集団であることには違いがない。これを手放しで称賛しまくるAERAは何を考えているのだろう?
その最たるものは下記の記述である。

在特会のメンバーは、「(生活保護を受けている)日本人の受給者は1%強であるのに対して在日韓国人・朝鮮人は5%と日本人の3、4倍。こんなことは考えられません。」と主張し、この在日韓国・朝鮮人の生活保護受給率の高さを問題視している。これに対し、AERAはこの代表が「一見不公平に見えるこの統計が数字の作術であることを看破している」として称賛している。ではその「数字の作術」とまで非難する根拠は何か?AERAは堂々と以下の様に代表の説明している「実は生活保護受給者の全体の中で見れば外国人が占める割合は3%でしかなく、97%は日本人であることを説き明かし、これでは『国民の保護がおざなりにされているなどとはとても言えない状況だ』と断じている。」という言葉を「なるほど、尤もだ!」と持ち上げているのである。この記事を書いた記者の頭の中がどの様な構造をしているのか聞いてみたい。絶対数が少ないのだから、全体の中での割合で見れば確かに少ないのだろうがそんなのは当たり前すぎる当り前さで、こんなことで弁解になっていると信じてしまうその背景に相当なバイアスがかかっていることが明らかである。「最初に結論ありき」でこの人物の評価を英雄的と決めつけ、後から屁理屈を考えているとしか言いようがない。

例えば、適当に調べたら都道府県の完全失業者数のランキングがあったのでこれで比較してみよう。データが古くて2005年のものだが、東京都の完全失業者数は354,059人であり、沖縄県の完全失業者数75,372人の4.7倍もの人数である。これを聞いて、「流石、東京の雇用状況は沖縄の4.7倍も酷いのか!」などと嘆く人はいないだろう。沖縄の完全失業率は11.9%(全国1位)であり東京の完全失業率5.6%(全国27位)の倍以上である。人数は少ないが、その環境の劣悪さは極めて深刻である。絶対数など全く意味を持たない。あくまでも比率が現状を表すのである。この程度の理屈が分からないなど理解できない。文系/理系などの話ではない。記者失格である。そんな記事を通す編集責任者はボンクラである。

しかし、そんなことがまかり通るほど、バイアスをかけて結論ありきの論調を通しまくる。これで公平・公正を自認するのだから信じ難い。これが朝日新聞系のやり方である。「敵の敵は味方」とばかりに、敵である在特会の敵であるレイシストしばき隊C.R.A.C.を味方と称賛し、敵である安倍政権の敵である中国、韓国を味方として称賛する。どうして敵の敵も「敵である」という可能性を疑わないのか?

その短絡さが現在の慰安婦問題の元凶なのである。

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ノーベル平和賞、ウクライナと尖閣、そしてSTAP細胞の話題

2014-04-14 23:55:55 | 政治
今日は最近の動向への細かいコメントを幾つか書かせて頂く。

ひとつ目は、憲法9条をノーベル平和賞に推薦したという話題。正確にはノーベル賞は人や団体に与えられるものなので、憲法9条が推薦されたのではなく、憲法9条を70年近く守ってきた日本国民を受賞者として推薦したことになる。一見(一聞?)、日本国民としては喜ばしいことの様に聞こえるが、誰に言われるまでもなく、その裏には憲法改正の動きに対する牽制という思惑があるのは間違いない。実際、「しんぶん赤旗」やその筋の人々は思いっきりこれを自画自賛しまくっていて、「安倍内閣の暴走政治ストップの運動をしたいと思っていました。願いは、9条を守ること。ノーベル賞候補になったことで、広く憲法9条に関心をもってもらい、改憲を許さない運動の弾みにしたい」と気炎を上げている。正直、政治的な主張を押し通すためにノーベル賞まで利用しようという下心が不愉快なのだが、これが憲法9条とは関係ないところで「日本の戦後70年の平和活動」が評価されたのであれば、反日プロパガンダに熱心な中国、韓国に対して見せつける上でも、ちょっとばかし色気が出てしまうところがある。勿論、この受賞者決定の判断に、我々や日本政府が何かをして影響を与えることは出来ないのだが、それは分かった上でこの様な受賞のネガティブな要素は十分に理解しなければならない。というのは、建前上は受賞者が日本国民で当ても、言いだしっぺが「憲法9条」と言い張っているので、(可能性は極めて低いが)仮に受賞が決まれば「ノーベル平和賞をもらっておきながら憲法9条に手を付ける(つまり改憲)なんて許せない!」との一大キャンペーンが巻き起こるのは目に見えている。これは、くだらないキャンペーンではあるが、ボディーブローの様に影響を受け続けるのは目に見えている。私としては、何としてもこの様な事態は避けたいところである。

というのも、その様な要因がどの程度影響を与えているかは計り知れないが、現在のオバマ大統領がシリア問題やウクライナ問題で軍事的オプションを前面に出せない理由に、「早期にノーベル平和賞をもらってしまった」ことが挙げられているからである。勿論、国家財政の赤字が大きくて、軍事的介入がもたらす経済的な負担が如何ほどかの算盤をはじくと、アメリカ政府はとても戦争などしている余裕などはないのだが、シリア問題では単に「レッドラインを超えたのだから空爆による制裁を行う」と言ったに過ぎず、一番お金も犠牲も伴う陸軍の投入などは最初から眼中になかった訳である。どうせ、反政府側にもアルカイダなどが控えているので、アサド政権の打倒などを意図してはおらず、単なるペナルティとしてアメリカの威厳が保てれば良いだけの話であった。しかし、イギリス議会での空爆の否決などのケチがついた途端、「正義のためのお仕置き」に懐疑的な空気が流れ始め、その様な中で「ノーベル平和賞受賞者が戦争を始める訳にはいかない」という自制心が湧き始めたというのは、それなりに説得力のある話である。それがどの程度の意味があるかはオバマ大統領しか分からないし、もっと高所に立って考えれば、ノーベル平和賞受賞者が政策決定に影響を与えるなど考え難い部分もあるが、しかし、この様なお話が囁かれるほどだから、憲法9条がノーベル平和賞を受賞をしようものなら、日本国民の中に少なからず憲法9条に手を付けることに対する心のブレーキとして現れるのは確実である。政府の決断が変な要因で捻じ曲げられることは好ましくなく、可能な限りフリーハンドを維持しつづける為にも、この様な話題での変な盛り上がりには「No!」と言わねばならないと個人的には感じている。

ちなみに蛇足ではあるが、昨日のブログではニューヨークタイムズの記事を引用して「安倍総理が、アメリカのウクライナでの対応を見ていると、尖閣有事の際に本当にアメリカは日本を守る覚悟があるのか心配になっている」という話題に触れたが、少なくとも安倍総理は心配などしていないと私は確信している。というのは、ウクライナ問題とシリア問題の失敗例が余りにも強烈で、尖閣での更なる失敗はアメリカにトドメを刺すという自覚をオバマ大統領に植え付けるのに十分であったと感じているからである。シリア問題では、最初にイギリスが腰砕けになって、アメリカとしては大義を失ってしまった。ウクライナでも、欧州諸国は、天然ガスや貿易などにおいてロシアへの依存度が高く、かなり早い時期からアメリカとの温度差を呈していた。それがアメリカにとってはジレンマであった。しかし、今の東アジアでは立場が逆で、アメリカが威厳を示すための大義名分は十分なほどにあり、日本や東南アジアの諸国など、中国のあまりにも明らさまな力による現状の変更の動きは世界の知るところだから、一発逆転の威信回復には東アジアで存在感を示す以外にない。勿論、アメリカ国債を握る中国など弱みがないこともないが、中国も同様に弱みがありまくりなのだから、チキンレースで引かなければ中国も手は出せないはずである。中国との戦争をしたくなければしたくない程、「アメリカは日本を守る!尖閣を取りに来るなら、アメリカとも戦争する覚悟で来い!」との意思表示をすることで、第2のウクライナを東アジアで起こさない様にすることが可能なのである。私の理解では、アメリカはその様な点にしかもはや活路を見いだせないというのが本音だろう。その意味では、日米首脳会談でTPP問題に進展があるか否かは見どころである。もし、両者が痛み分けを覚悟で決断をすることが出来れば、それはTPPによる中国包囲網への大いなる一歩であることは明らかであるのだから・・・。

以下、話題は全く関係ないSTAP細胞のお話し。

読者の方には「またか・・・」と言われそうだが、STAP細胞問題で少し気になったことがあったのでコメントしたい。小保方氏は200回以上STAP細胞の作製に成功したと語り、インディペンデントにも成功例があるとも語っていた。これに対して識者と言われる人々が、「そんな簡単に作れる訳がない」「作成の確認をするだけでも大仕事なのに、それだけの時間はなかったはず」と指摘する。しかし、私の感覚では実はこれらの有識者という人たちは、ひょっとしたら大いなる勘違いをしているのではないかと疑問を持ち始めている。その謎を解く鍵は、STAP細胞の成否の判別方法である。私の言いたいのは、論文的な視点で万人に対して「動かぬ証拠」を示すことと、当事者が確信を持つのに必要な情報は同じとは限らない。この点は素人なので詳しい人がいれば教えて頂きたいのだが、変な細胞が混在して誤った判断を下すことはあっても、その様な混入が起きないような細心の注意を払っていれば、様々な細胞が初期化されて分化多能性を備えていることを直接的に検証しようと思えば、非常に直接的にその現象を確認することが出来、作成者には一目瞭然なのではないかと感じている。

私の言いたいことは、物理学の世界の例を引き合いに出すと分かって頂けると思う。今から30年近く前に、物理学の世界では「高温超伝導」と「常温核融合」という話題で盛り上がっていた。核融合は分かり難いかも知れないが、超伝導は低温に冷却したときに電気抵抗がゼロになるという現象であり、その当時までは概ね液体ヘリウムの温度-269℃(絶対温度で4K)でなければ発生しない現象であった。しかし、液体窒素の温度-196℃(77K)で相転移する酸化物系の超伝導体が発見されて以降、その温度が何処まで上がるのかということでもちきりとなった。この液体窒素の温度-196℃は液体ヘリウムの温度よりも十分高温なので高温超伝導と言われたのであるが、その後の多くの物理学者の研究の中で、常温でも超伝導現象を示す物質を生成したという報告が何件か見られた。しかし、この超伝導現象の検証というのは難しく、仮に電気抵抗ゼロの物質があったとしても、その物質と接触する点や接触させる物質に電気抵抗があれば、電気抵抗ゼロを検証することが出来ない。結果として、直接的に検証する方法がない以上、幾つかの様々な超伝導体の特徴を片っ端から試してみて、全てにおいて超伝導を否定する現象が見当たらないことをもって超伝導と判断していた。しかし、物質をかなりの大きさで均一に生成することが出来れば様々な検証を行うことが出来るが、例えば生成した物質のごく一部の小さな領域(例えば2mm角ぐらい)で超伝導らしき現象が起きていると思われた時、その現象の真偽を判断するのは非常に困難である。したがって、多くの物理学者が誤りを犯し、常温で超伝導現象を起こしたという報告をしたりしていた。常温核融合も同様で、その現象の動かぬ証拠を直接的に調べるためには、非常に大掛かりな装置を用い、多くの予算をかけて解析を行わなければならないのが、簡易な手段での検証で「核融合」と判断したが為に大嘘つきとのそしりを受けることになった。悪気はないのだろうが、研究者としては慎重さに欠ける行動であり、間違いであることが確定してそれなりの社会的な制裁を受けたのだと思う。

しかし、この様な物理学の世界とは異なり、素人なりの理解では、分化多能性という現象は別の細胞に分化したことは目で見れば分かるのではないかと思う。胎盤に分化したという話も聞かれたが、流石にその様な現象は見れば分かるのではないかと思った。勿論、分化する前の細胞と分化した後の細胞の遺伝子を比較するとか、論文に出す以上はそれなりの「動かぬ証拠」は必要なのだと思うのだが、先の物理学の例とは全く異なり、作成者当人であれば「STAP細胞はある」と断言するだけの根拠は比較的簡単に認識できるのではないかと思う。今日の小保方氏のコメントによれば、「理研もインディペンデントにSTAP細胞作製に成功した人がいることを認識しているはず」とのことだから、その口調から察するに、論文に書けるほどの動かぬ証拠を求められればどうか知らないが、実際に手を動かした当事者であれば「分かるものは分かる」というのが答えではないかと予想できる。もしそれが本当であれば、その様な声が聞かれても良いはずだし、もしそれが間違っていれば、「小保方氏が200回も成功したと確信できるはずがない根拠」を明確に示す人が出てきてもおかしくない。しかし、その様な声が両方とも聞こえてこないのが不思議なのである。

誰かにこの背景を解説して欲しいと思っている。

・・・と書いているうちに、それなりの分量になってしまったので今日はこの辺で・・・。

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周回遅れの渡辺喜美みんなの党代表辞任問題について

2014-04-13 23:34:12 | 政治
全くもって期を逸したコメントであるが、渡辺喜美みんなの党元代表の辞任問題についてコメントする。先日も安倍総理が、小保方氏の記者会見に引っかけて(4月8日の発言として)「9日までは喜美さんの話題だが、10日以降は小保方さん一色だ」と語っていたというが、13日にもなって何を今更のコメントである。

まず最初に私の立場を述べれば、第1次安倍内閣の頃には規制改革担当大臣として渡辺氏のことを買っていた。続く福田康夫内閣でも行政改革を担当し、冬柴鐵三国交相と喧嘩して、結局職を追われ自民党を飛び出すことになった。この辺までは非常に期待していたし、みんなの党を立ち上げて以降もそれなりには期待できるところはあった。しかし、橋下大阪市長との対立の辺りから、政治信条ないしは実現しようとしている政策、活動の目的がだんだんと精鋭化し、「少しでも理想に近い状態に近づけること」よりも、「実現しなくても高い理想を掲げることが大切」という方向にシフトした感が否めず、リアルな政治としての政策実現、僅かずつでも理想に近づける気迫の様なものを感じなくなった。その最たるものが江田憲司結の党代表との確執であり、完全に渡辺商店と化して独裁者を気取る辺りが「賞味期限切れ」という印象を与えた。だから、今回の代表辞任という結果に関しては、安倍政権の今後への不安定要因という意味では気になるところではあるが、どうでも良いと言えばどうでも良いというのが私のスタンスである。

この様なスタンスだから、本当にどうでも良いのではあるが、マスコミの報道の仕方、騒ぎ方には何か違和感を感じていた。代表辞任の際に渡辺氏は「総務省に確認して問題がないとの回答を得ている」とインタビューに答えていたが、この辺の事情は彼のホームページで説明している。

みんなの党、渡辺喜美

つまり、猪瀬前都知事のケースでは自分の選挙資金のためにお金を借りたのだが、今回の場合は自分の選挙のためではないので公職選挙法違反には当たらないとして、実際に事情を説明した上で総務省から「問題ナシ」との回答を得ているようだ。私は、確かにきな臭い何かを感じない訳でもないが、それ程違和感を感じていなかったのは、お金の出入りを口座を介して履歴を残しながらやり取りをしている点である。DHCの会長とのメールのやり取りにしても、余りに隙があり過ぎで、何故そこまで平気で証拠を残しまくるのだと気になってしまう程だった。そして、この辺の事情を解説しているサイトがあったの紹介したい。

現代ビジネス・高橋洋一・ニュースの深層2014年4月7日「『誰の資金か』という観点が決定的に欠けているマスコミの『渡辺喜美氏の借入金』報道
郷原信郎が斬る2014年3月27日「渡辺喜美代表への資金提供問題、誰のどの選挙の資金なのか

概ね似た様なご指摘であるが、「何のための資金か?(答えは選挙資金と言いたい)」というポイントをマスコミや識者は追及するが、「誰のための資金か?」に対する言及が殆どない。これは、個人商店と揶揄されるほどだから「渡辺氏の資金」と「みんなの党の資金」の間にそれほどの差はないと考えがちだが、しかし、実際の政治資金規正法ないしは公職選挙法ではこの点は全く異なる扱いを受けてしまう。吉田氏のメールを見れば、明らかに「みんなの党」の資金であることが記載されているのであるが、仮に「みんなの党の資金」として借り入れたのであれば、選挙資金の報告の義務はみんなの党側にあることになる。みんなの党の責任者である渡辺元代表の責任は問われてしかるべきだが、その場合の法的責任は今、巷で騒がれている議論とは一線を画したところにあるはずである。一方、「渡辺氏の資金」として資金提供を受けたのであれば、渡辺氏の主張の通りであり、渡辺氏からみんなの党への貸し付けの記載も一部あることから、吉田氏の開示したメールにあることそのままの通り、渡辺氏自らの選挙資金ではないと解釈しても何ら不自然さは残らない。一方、あの資金提供が「貸付」ではなく裏献金ではないかとのご指摘に対しては、(本当のところはどうか分からないが)吉田氏が「裏献金」と言わない限りは問題とは成り得ない。勿論、裏ではなく表の献金としても同様であり、政治資金規正法では個人の献金と企業献金の規定をしているが、どちらにしても1億円を超えればアウトである。更には、吉田氏は明らかに渡辺氏の個人口座に振り込んだのだが、これが献金となると「政治資金規正法は、政治家個人(公職の候補者)の政治活動に関する寄附を原則として禁止」しているから、郷原氏のご指摘の様に吉田氏自身も罰則の対象となることになる。

渡辺氏は苦し紛れに「陰謀説」など唱えていて全くもって情けない限りだが、しかし吉田氏の本音では、脱官僚のためにお金を用立てているのに、党内の派閥抗争に明け暮れ、挙句の果てには脱官僚として寧ろ期待できそうな結の党への虐めまがいのことをやっているのを見て、「いい加減にしろ!」という気持ちを込めて渡辺氏に引導を渡したのだろうから、それで自分もお縄になってしまったら元も子もないので、処罰を受けてまで渡辺氏を政治的に抹殺しに来るとは思えない。であれば、逮捕するにはその脱法性を指摘するのは無理筋だし、仮に違法性があったとしても裁判とするには、選挙資金規正法であれば「どの候補者の選挙資金に使われており、どの選挙運動費用収支報告書に対して記載義務が生じているのか」がはっきりしないし、政治資金規正法ないしは収支報告書虚偽記入罪に対しても、誰(渡辺氏ないしはみんなの党等)に帰属する寄附かが不明だと、その記入先・報告先がはっきりしないので、結局のところは「その中で、一番インパクトがありそうな渡辺氏に罪を押し付ける」ということの妥当性が不確かになりそうなのである。

勿論、結局のところこの様な手を使えば幾らでも抜け道を作れるじゃないか・・・という指摘もあるのだが、資金の流れをトレースできる口座間の受け渡しは常識的には裏取引としては余りにリスキーで、真の意味での悪人が使う手段だとは思えないのである。実効的には贈収賄そのものなのに巧みに贈収賄の構成要件を回避したり、イザとなればトカゲの尻尾切りの秘書を介在させ、肝心なことは知らなかったことにして逃げまくるなど、過去の巨悪の典型的な形とは根本的に異なっている。明確な役職について職務権限を振り回すのではなく、職務権限のないところに身を置きながら、暗黙のブラフで贈賄のプレッシャーを与える。威力業務妨害をするのではなく、威力業務妨害がなされる前に自主的に贈賄がなされるような恐怖を与えるなど、典型的な悪質さとは異なっている。勿論、親族の口座にお金を写すなど怪しい行動は「裏を取られないため」「言い逃れのため」であることは間違いないが、悪質さの程度は雲泥の差である。

もう少し極端な言い方をすれば、政治家たる者、その身の極端な潔癖さよりも「政治的遂行能力」の高さに重点が置かれるべきである。田中角栄などを例に取れば、その政治的遂行能力は高かったかもしれないが、ロッキード事件以上に信濃川河川敷買収・利用問題などでのファミリー企業への利益供与など、極端な潔癖さではなく政治家として最低限の倫理観が問われる場合は別であるが、例えば「年金の未納問題」や知らないところでの「外国人献金問題」などは、脇の甘さは責められても仕方がないが、「政治的遂行能力」に比べれば枝葉の問題である。しかし、現在の風潮はその様な「悪質さの物差し」はあまり重要ではなく、攻めどころがあるか無いかが問題で、それを炎上させるテクニックに磨きをかけている感が否めない。

まあ今回の話は、猪瀬前都知事をあれだけケチョンケチョンに切り捨てたのだから、双六の「一回休み」に捕まったと思って代表辞任は仕方がないと思う。しかし、よくよく考えてみれば、あまり健全な流れとは思えないのだが・・・。

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日本側の国際情報戦略を占う最近の動きについて

2014-04-12 23:58:43 | 政治
先日、ヘーゲル国防長官が東アジアを歴訪し、日本及び中国にも立ち寄って、様々な発言をしている。これに反応する形で中国も反論し、実は凄いことになっている。まずは、この辺の事情を扱った記事を幾つか紹介してみよう。

【産経新聞記事】
2014.4.8「米国防長官、尖閣防衛義務を表明 中国は領有権『妥協せず』と反発
2014.4.8「中国外務省、米国防長官の発言に反発 『中国は主権や領土を侵害しない』
2014.4.8「尖閣めぐり米中国防相が火花 米『日本守る』、中国は「武力を使う用意ある』と威嚇
2014.4.9「中国、弱腰見透かし強硬…米国『くさび』と配慮と 米中国防相会談
2014.4.9「中国・習主席が米国防長官と会談 軍同士の信頼醸成確認か

最初の記事では、ヘーゲル国防長官が中国の常万全国防相と会談した際に、尖閣諸島に対し「日米安全保障条約に基づく日本防衛義務を果たす」との考えを表明し、これに常氏は激怒し「領有権問題では妥協しない」と主張した。その際の表現が過激であり、「領土を守る必要があれば、中国は軍事力を行使する用意がある」と述べたという。次の記事は中国外務省が追随する形で同様の内容を繰り返し、「中国の主権と領土保全を侵すいかなる国も決して許さない」としている。3つ目の記事はもう少し丁寧にここまでの経緯を説明しており、一連の会談の中で「事前の協議もなしに、係争となっている島の上空に、一方的に防空識別圏を設定する権利は、中国にはない」として、一時は中国に配慮した形の防空識別圏の話題を再燃させ、尖閣防衛の意志の固さをアピールした模様である。4つ目の記事は中国の思いを少し解説する形で補足をしており、誰もが感じることであるが、オバマ大統領の「アメリカは世界の警察ではない」発言からシリア、ウクライナ問題での連戦連敗の状況を顧みて、弱腰のアメリカの事情を見透かして中国は強硬な態度を見せながらも、空母「遼寧」の視察を受け入れたり、最後の記事にもあるように習近平国家主席との会談を通して北朝鮮問題での連携の意志を表したり、「アメリカさんには悪意はありませんよ、悪いのは日本何ですよ!」と気遣いを見せている感じを紹介している。

しかし、4つ目、5つ目の記事の様にオブラートに包めばアメリカも安心するかと言えばそんなはずはなく、中国の常万全国防相との過激なやり取りが直面する現実であり、門田将隆氏は自らのブログでこの状態を称して「『空想的平和主義』の時代は終わった」としている。

門田将隆ブログ「夏炉冬扇の記」2014年4月9日「名実ともに『空想的平和主義』の時代は終わった

ここでは、ヒラリー・クリントン前国務長官が退任前に、日米安保条約に基づく対日防衛義務の対象に尖閣諸島が含まれることを再確認した上で、日本の施政権を損なおうとする行為に反対を表明し、これがこの1年の中国牽制に役立ってきたことを認める一方、「ワシントンで活発化する中国ロビーの動きと、大量保有する米国債の“人質作戦”が中国に功を奏し、尖閣が将来、日米安保条約第5条の『適用対象外』とされる可能性もまた否定できない」としている。その様な中での今回のヘーゲル国防長官の発言だから意義があるのである。

ただ、事態はそう楽観できるのではなく、やはり空想的平和主義の時代の終わりは認めなければならない。例えばこんな記事がある。

JPpress2014年4月10日「一笑に付すことはできない羅援少将の怪気炎『対日戦争に向けて万全に準備』と日米を恫喝

別にこの少将だけに限った話ではなく、最近では中国の現役の軍関係者の中から同様の勇ましい話が良く聞かれ、「羅援“少将”の今回の強硬発言は、ヘーゲル国防長官による日本訪問ならびに中国訪問を睨んでの恫喝発言といった意味合いもある。同時に、羅援をはじめ人民解放軍強硬派による『近い将来に日中軍事衝突が起きた場合には人民解放軍が優勢である』といった論調に反対あるいは疑義を差し挟む勢力に対して、反論を加えておこうといった狙いもあったようだ。」と記事の中で解説があるように、反論に反論というご丁寧なことをして緊張を煽っている。どうもヘーゲル国防長官の東アジア歴訪を睨んでの牽制との解釈もある。この少将の発言で興味深いのは、その他の発言は「単に勇ましいだけ」のイケイケ・ドンドン的な発言が多いのだが、実際の軍事行動での得失点を解析いる部分が特徴的である。ただ、常識的に尖閣諸島周辺が戦場となる場合には空軍同士の戦闘ではなく、実際には海上戦能力が支配的であり、例えば自衛隊の潜水艦などによる中国艦船への「接近拒否行動」が勝敗を分けるところであり、航空戦力の比較で本気で勝敗がつくと思っているのではなく、「尖閣紛争を引き金として、日中間軍事衝突が勃発する可能性はますます高まっており、人民解放軍は対日戦争への準備を万全に整えて一時といえども警戒態勢を緩めていないという対日・対米恫喝」が主なる目的と捉え、実際、この記事の中で少将は「日本と中国とのいかなる軍事衝突にもアメリカが介入することはない」と断言しているらしい。この、中国的な希望的観測がどれほどの真実味があるのかは疑問だが、しかし、重要なのはそれが「笑い話」ではなくなっているという一抹の不安である。評論家的な人達が、面白おかしく記事を書く中で都合の良い解釈をするのは分かるのだが、どうも多くの人達が「その一抹の不安を重視し始めた」のは事実の様である。その辺りのことは、日本よりもアメリカの方が敏感であるらしい。下記の記事にその辺の事情を細かく解説している。この記事は私にとって非常に目から鱗であった。

中東・イスラーム学の風姿花伝2014年4月6日「【海外の新聞を読んでみる】ヘーゲル国防長官訪日を世界はこう見る

この記事は、東京大学先端科学技術研究センター准教授の池内恵氏が、アメリカの新聞と日本の新聞を読み比べて解説をしている記事なのだが、ヘーゲル国防長官の一連の行動・発言に日本のメディアが非常にヌルい反応を見せる中、アメリカの有力紙は非常に神経質に雲行きを見守っている様が紹介されている。ここではワシントンポストとニューヨークタイムズの記事が紹介されているが、ウクライナ問題のアメリカの煮え切らない態度を見て、本当に尖閣有事の際には「アメリカは日本と共に戦ってくれるのか?」ということに懸念を本気で持ち出したと言っている。ニューヨークタイムズではよりストレートで、記事のタイトルからして「U.S. Response to Crimea Worries Japan’s Leaders」と「アメリカのクリミアへの対応が日本のリーダー(安倍総理)を不安にさせている」と懸念より一歩上の不安を感じているとまで言っている。というのも、日本の政府関係者などがしきりに「クリミアと同様のことが東アジアで起きたときに、アメリカは同じ態度を取るんじゃないの?」とアメリカ側に聞いているらしく、既に懸念の域を超えていると解釈しているようだ。その意味で、尖閣が日米安保の適用範囲内であることの再宣言を(記者の解釈では)日本はアメリカに求めていたようで、アメリカ政府筋は「ウクライナと日本では全然違う」「クリミアと尖閣は一緒じゃない」と必死で説明しているらしい。

この様な視点で見ると、今回のヘーゲル国防長官による中国に対する牽制発言は分かり易く、極めてシナリオ通りの展開と言える。そして、このニューヨークタイムスの記事の中でも、キヤノングローバル戦略研究所の宮家邦彦氏の発言が引用されていて、彼は「日本が攻撃されて、アメリカが対応することを拒んだら、その時はアメリカが日本から基地を引き上げる時ですよ。日本の基地がなければ、アメリカはもはや太平洋の大国ではなくなりますよ。ご存知ですよね」とやんわりと、さりげなくアメリカを恫喝しているのである。個人的には非常に良い仕事をしている感じが漂っている。勿論、彼は安倍総理と近いから、総理と民間人という役どころを上手く分担しての行動であろう。池内恵氏の評価と同じく、「日本側の国際情報戦略も頑張っているな」という意見には同感である。

なお、この辺の流れはウクライナを見てアメリカ全体が疑問を感じ、以下の様な動きがアメリカ上院の超党派でなされたという。

産経新聞2014年4月8日「中国防空圏を『現状変更の試み』と非難 米上院、超党派で決議案

そろそろアメリカは気が付き始めたのだろう。プロパガンダとロビー活動が徹底されている中国の勢力が、アメリカ国内の政権中枢やマスメディアの深部まで侵食している中で、「このままで良いのか?」という行動が実際に起きているというのは重要である。改めて、「日本側の国際情報戦略も頑張っているな」という感想である。

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STAP細胞問題の一番ハッピーな落としどころは?(山中教授に弟子入りしたら・・・)

2014-04-11 23:45:02 | 政治
最近は、日米中関係の緊張、渡辺みんなの党元代表の辞任問題、学生による台湾立法院の占拠、ウクライナ問題、集団的自衛権問題、チャンチャラおかしい憲法9条へのノーベル賞推薦など、いろいろ気になることは多いのでそろそろ別の話題に行きたいのだが、最後に一つだけ視点を変えてコメントしてみたい。それは、今後の落としどころに関する問題である。

まず、現在の小保方問題の今後の落としどころの選択肢として、以下のパターンが考えられるのではないか・・・。

(1) STAP細胞が存在しても、手続きの不備が致命的で失格者の烙印を押されるべき(理研追放)
(2-1) STAP細胞が存在しなければ、手続きの不備が致命的で失格者の烙印を押されるべき(理研追放)
(2-2) STAP細胞が存在すれば、一定のペナルティの基で研究継続を許容する(理研残留)
(3) STAP細胞が存在しなくても、一定のペナルティの基で研究継続を許容する(理研残留)
(4)(STAP細胞の検証を進めることを主なる理由として)早期に理研外部の研究機関に移籍する

ここで上記の(2-1)、(2-2)はSTAP細胞の存在の有無が条件となっているので、現時点では(2-1)、(2-2)の二つの可能性が混在する選択肢である。(1)は2週間以内の再調査の有無判定で再調査なしとなれば実質的に他の研究機関に移ることになるので(4)とオーバーラップすることにもなるが、特許などの権利問題が不明瞭となるために、新たな研究機関が雇い入れる際にはリスクを伴うことになる。具体的には、移籍先でSTAP細胞を再現し、そのノウハウをもとに新規に追加の特許を取得したとすれば、理研は機密漏えいで小保方氏や移籍先の研究機関を告訴する可能性もある。小保方氏は自らの名誉回復を目的に、そのリスクを覚悟で移籍先で研究続行をする可能性もあるが、移籍先はそのリスクを負うことはできないだろう。つまり(1)と(4)の違いは、理研と移籍先の研究機関との間で、権利問題を解決可能な平和的な契約締結を前提とした移籍を理研が許容する(すなわち(4)に相当)か、しないか(すなわち(1)に相当)とも言える。もちろん、小保方氏が移籍を希望しなければ(4)はない。また、結果的に移籍することになったとしても、小保方氏が(1)に不服を申し立て、裁判沙汰になれば研究を継続できない状態が数年単位で継続することになれば、それは(4)ではなく(1)に相当する。ちなみに、理研が定めた「科学研究上の不正行為の防止等に関する規程」の「6-5研究不正が認定された場合の対応措置」の中では、「6-5-1 研究不正の認定を受けた者 の処分 理事長は、調査委員会の結果に基づき被疑者研究不正実を認定したときは、所内規程に基づ設置され懲戒委員会の議を経て研究不正の認定を受けた者(以下「不正認定者」という。)の処分を決定する。」とされており、既に研究不正の認定を受けているので、仮に再調査が実施されなければ(裁判沙汰になるかもしれないが、その場合でも短中期的には)(1)が確定する。この時、「『研究不正認定=STAP細胞は存在しない』と思われるので、STAP細胞の製造のノウハウは権利として存在しないから、移籍しても権利問題は存在しない」という理解の仕方もあると思うが、理研は「もしものこと(STAP細胞が存在した場合)」を想定し、STAP細胞が存在した場合の権利は継続的に維持し、研究不正に伴う懲戒解雇とSTAP細胞にかかわる権利はリンクしないとのスタンスをとるだろう。つまり、(1)は極めて厄介な選択肢である。

次に(2-1)であるが、存在しないことの証明は「悪魔の証明」であり、存在しないことを確定するタイミングの判断が微妙である。過去のクローン技術の再現実験などを考えれば、数年かけて判断されるべきで、エイヤで見積もれば例えば3年程度の猶予を与えて存在の証明を試みて、それでもダメなら懲戒解雇となるのかもしれない。ただ、(2-1)(2-2)に共通して厄介なのは、「科学研究上の不正行為の防止等に関する規程」の中で、「6-5-2 研究費使用の禁止 不正認定者には、研究所の指示する日以後禁止が解除されるまでの間、内外の競争的研究資金を含め(研究機器などの維持以外の)研究費の使用を禁止する。」と規定されており、不正認定者が研究を継続することを認めてはいない。一端、研究不正を解除してからでないとSTAP細胞の存在を証明する研究を継続できないので、この辺の辻褄を考えると、一端、研究不正認定を行ってしまった以上、「STAP細胞の存在の有無を見極めてから処分の内容を判断する」という選択肢はなくなったように思えてしまう。この意味では、一見、(2-1)(2-2)よりは(3)の方があり得なさそうに思えるのだが、早期に「研究不正を確定」し、その結果課すべきペナルティを「情状酌量の余地」から軽く設定し、例えば降格や一定期間の減給処分で対処することで、STAP細胞の再現実験を早期に再開させることができるようになると思われる。しかし、この(3)は小保方氏が研究不正を承諾することが前提となり、研究不正を承諾する以上は論文の撤回も同時に前提となる。現在の小保方氏の心境では、記者会見でもあったように「論文の撤回は、(研究成果の見直しを前提とするのではなく)成果が出鱈目であることを認めること」を意味していると認識する以上、後から再投稿して汚名回復する権利をも放棄することを宣言するに等しい。これは絶対的に許容できないので、その意味では(3)の選択肢はあり得ない。

私は理化学研究所がボタンを掛け間違ったと理解しているのだが、理研は多分、この(3)で小保方氏と手を打つことで早期の幕引きを狙っていたのだと思う。つまり、あれだけ杜撰なことをやっていた以上、それなりの責任を取らないと特定法人化の見送りが予想されたため、一端、小保方氏に責任を取らせることで幕引きを行いながら、一方で再現実験の継続を宣言することで政府側に期待感を抱かせ、特定法人化への誘導に繋げようと狙っていたのだと思う。これは、「論文を取り下げることも視野に入れて考えてみたらどうか?」との質問に「分かりました」との答えが返って来たために、てっきり(3)が現実的だと勘違いしたのだろう。勿論、責任感のある方が小保方氏の聴取に当たっていれば、「論文の取り下げに同意して下さい」と質問し、Yesとの回答があれば同意書を取るところまでやるのだろうが、日本人の得意な曖昧さを残すことで言い訳がお互いにできる状況で納得してしまったために、このようなボタンの掛け違いに至ったのだろう。そうでなければ、小保方氏と対立することを覚悟の上で、あれほど拙速に「研究不正認定」を行ったことの説明がつかない。憔悴しきっている小保方氏の姿からは、「まさか、今さらファイティングポーズを取るとは思わなかった」と勘違いしても無理はない。「小保方氏は異議申し立てをしないはず」と言った人がいるのではないかと思う。勿論、この(3)のシナリオは成果の横取りを狙う人にとっても好都合な話なので、楽観的に「適当に小保方氏を丸め込んで、論文の取り下げに同意したことにしてしまえ」などと考えた人もいたかも知れない。多分、誤ったシナリオを吹き込まれていた野依理事長は現在の状況に怒り心頭に発しているのではないかと思う。

この様に考えると、「研究不正認定」が宙に浮く形で(4)を選択する以外に、小保方氏及び理化学研究所が救われる道はないように思われる。あり得なさそうな気はするが、iPS細胞の山中京大教授に小保方氏を預け、そのプロフェッショナルな環境下で科学のお作法も含めて学びながら研究成果を出していくのが、私の頭の中の一番ハッピーな落としどころである。iPS細胞の最先端のノウハウと、STAP細胞の最先端のノウハウが一か所に集約されたなら、これに勝る研究機関は世界に存在しえないことになる。小保方氏の研究継続に国の予算をつけるのははばかられる状況になったかも知れないが、山中教授に託される膨大な予算の中に組み込めば大義名分も立つかも知れない。研究とは所詮は「海のものとも山のものとも知れない」リスクを伴うものだから、その研究の正当性というよりはその研究機関の正当性の方が重要である。今となっては理研では継続し難くなったので、他を探すとなると、一番、予算を潤沢につけやすいところに移籍するのが筋は良さそうだ(現実問題としては有り得ないだろうが・・・)。勿論、国の税金など期待しなくても、応援基金のようなもので寄付を募り、成果が出たら還元するとすれば研究費ぐらいは賄えるかも知れない。誰がそれを仕切るかは別であるが・・・。

と、以上、色々な妄想を書かせて頂いた。最後に一つだけ現状で気になることを記録しておきたい。最近の小保方氏への論調を見ると、「単に可哀そうだから許してあげたら」という楽観論もある一方で、「絶対にあいつはクロだ!」とか「絶対にSTAP細胞は存在しない、する訳がない!」と決めつける人もいる。これらの人にとっては多分、STAP細胞の存在などはどうでも良くて、更には小保方氏が詳細なノウハウを明かせない事情などはどうでも良いと考えているようだ。勘違いしないで欲しいのは、論文の採録基準の中には、「実際にその情報の開示で誰でも容易に再現実験ができることの担保」など求められていない。それが必須条件なら、再現実験を行ってからでなければ採録を決められないはずである。しかし、査読者はあくまでもボランティアなので、査読のために再現実験などはしたりしない。過去の腐るほどある革新的で実用性の高い論文の中にも、情報の開示量が「簡易な再現」に十分でなかった例は腐るほどある。彼らは、「ホントかよ」とか「できねーじゃん!」などと揶揄されたことはあるだろうが、その真偽の決着がつく前に「論文を取り下げるべきだ」などと責められてはいない。論文に不備があったことで「研究不正の認定」を受けたため、理研に対して認定取り消しを求めるための武器として、理研内部での十分な情報の開示を利用することは可能だが、それを外部の人間にまで開示しなければならない理由など何処にもない。一昨日の記者会見で「作成方法などの新事実の開示」を期待した人はいるだろうが、それは勝手に期待しただけであって、ひょっとすれば膨大な利権が裏に眠っているかも知れない機密情報なのかも知れない。にもかかわらず、全ての情報の開示を求めている勘違いしている人たちには、「そのように小保方氏に要求する根拠」を開示していただきたいと私は思う。

少々大げさに言えば、将来の医学界の最大の「お金のなる木」とも言うべき国益がかかった問題で、国益を無視して「取りあえず俺の興味に応えてくれ」とか「取りあえず潰しておこう」としているように私には見える。少なくとも、(仮にSTAP細胞が存在するならば)「弱酸性溶液につけるという様なストレスの付加」という最重要で基本的な情報の開示までで留め置き、その微妙なノウハウの全てまでを全世界に公開しないのは、国益/社益/個人益として不自然ではない。最終的にノーベル賞を取るためには、多数の人が再現できる情報が広く知れ渡るほどに確立されている必要があるが、まだノーベル賞の相談などは誰もしていないのである。論文査読者が「採録」判定したのには、論文の記述内容にはそれなりの妥当性があり、その真偽が今後広く検証されるのを期待しての採録なのである。高々数か月で再現実験できた人がいないだけで、STAP細胞など存在しないと烙印を押される筋合いはないのである。間違いであるならば、その間違いを明確にした後で初めて論文の取り下げというフェーズに至るべきである。そういう意味で、今回の展開はあまりにアンフェアであると感じる。

もちろん「200回、STAP細胞の生成に成功している」というのは小保方氏が勝手に言っているだけで根拠などない。しかし、どうせ嘘だとバレルことを承知で理研も敵に回して戦い続けるメリットを小保方氏が持っているとは思えない。間違いである可能性が大いにあることは否定しないが、だからと言って真実であるという僅かな可能性を黙殺するメリットが十分にあるとは思えない。今は、根拠もなしに天動説と地動説を「信じる」と言い合うのではなく、どちらが正しいかを吟味すべきフェーズなのだと思う。そのための議論が皆無の状態で、技術論争か法律論争かを混同した状態が続くのは残念な限りである。

変な話、渡辺みんなの党元代表に8億円出すぐらいなら、小保方氏のSTAP論争決着のために8億円出してくれる人が現れることを期待したい。

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結局のところ共著者が「論文撤回」に拘る理由は何なのか?

2014-04-09 23:57:16 | 政治
小保方氏が記者会見を行い、多くのテレビ局や新聞社がこぞって報道している。今日は手短にではあるが、一言、コメントしておく。

記者会見のテレビでの扱い方は各社まちまちで、例えばNHKのニュースウォッチ9ではどちらかと言えば理化学研究所よりの厳しい批判的な視点で報道し、テレ朝の報道ステーションでは小保方氏に若干同情気味に報道していたように思える。産経新聞では「小保方氏会見ライブ(1)~(15)」と称して、ほぼ全体の質疑応答の様子を詳細に紹介しており、いつもながらではあるがその報道姿勢には感服する。その様な中で新事実も幾つか明らかになったが、その辺は報道でもご承知の通りであり、今更紹介は避ける。

ひとつだけポイントとして指摘したいのは、小保方氏の口からも、STAP細胞の作製には何らかのノウハウがあり、そのノウハウについては次の研究の内容にかかわるので全てを公開する訳には行かないという説明があり、私が最初のブログ「小保方氏のSTAP細胞騒動の裏側を覗く」でコメントした、特許などの権利化マターが色々と複雑に絡むため、「それなりのノウハウの秘匿が行われているはずであり、中々再現実験に成功しないのは妥当である」という予測を裏付けした点である。そのノウハウは、信頼のおける一部の人には伝えていて、小保方氏の言葉を借りれば「インディペンデント(独立)に追試に成功した人もいる」とのことである。記者会見での質疑応答の中で、「インディペンデントに追試に成功した人がいるなら、その人にその事実を公表してもらえば、STAP細胞の存在の是非の問題解決に役立つから名前を公開しては如何か?」という趣旨の質問をして、小保方氏が若干微笑みながら「なるほど」と答えていたシーンがあった。直ぐに弁護士が間に割り込み「ご意見としてお受けします」と遮ったのも興味深い。

この新事実の意味するところは何か?

私の予想では、多分、ハーバード大の共著者の研究室か何処かでその追試に成功しており、その研究者(状況証拠的に、少なくとも理研の社員ではない)はこの「タイムアドバンテージ」を次なる大発見、大きな成果に繋げるために日夜努力をしており、とてもではないが追試成功の報告を世界に向けてすることが出来ないでいるということを意味しているのだと思う。日本でもそうであったように、追試成功の報が流れたら、途端にその人の周りをマスコミが取り囲み、平穏な研究環境が妨げられてしまうのである。折角のタイムアドバンテージがチャラにされ、しかも、周りに産業スパイ的な技術を盗もうとする輩が現れてもおかしくはない。日本の中ではまだ、その様な輩の存在が当たり前ではないから良いのだろうが、アメリカだったら何があってもおかしくはない。少しでも平穏な環境を維持できることを望むのは当然のことである。小保方氏も「STAP細胞生成の最適な条件を見出す」ことを次の論文のテーマに据えており、権利の取得と共に成果の囲い込みの上では、ノウハウの出し惜しみは非常に重要なポイントなのである。特に、研究ノートによる「先発明の証明」が困難な状況では、ノウハウの漏えいは権利化的には致命的にもなりかねない。多くの人に再現実験に成功して欲しい反面、情報をすべて開示できない事情があるのが彼女にとってのジレンマなのだろう。

ただ、こうしたノウハウを入手したいと思うのは世界共通で、それは理化学研究所内でも同様なはずである。極秘のプロジェクトとして、あまりその存在を知らされていなかったようだが、それ故に理研の職員であってもこっそり「ノウハウの全ての開示」を求めるのは難しい状況であったはずである。となると、このタイミングで小保方氏のノウハウをこっそりと聞いて、自らもSTAP細胞作製のタイムアドバンテージを稼ぎ、どさくさに紛れて大きな成果で一発当てよう(例えばノーベル賞の共同受賞や権利化収入など)と考える人たちが小保方氏を追い込んで、自ら全てを白状するように仕向けたとしてもおかしくはない。先日コメントを頂いた「特命くん」さんのご指摘の通り、提出していないノートがあるというのも、この様な背景と、それからノウハウを守ろうとする小保方氏の防御のせめぎ合い故なのかも知れない。

今日の記者会見で分かったことも多いのだが、相変わらず分からないことも多い。次なる鍵は、何故、日本人の多くの共著者が「論文取り下げ」に拘るかという点かも知れない。その背景に何があるか?その辺を私は早く知りたい。

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理化学研究所の調査委員会の「不正行為」が問われる日

2014-04-08 23:59:07 | 政治
引き続きのSTAP細胞問題についてのコメントである。

今日、小保方氏が理化学研究所に不服申し立てを行った。テレビのニュースなどでもその反論の要旨が紹介されていた。これらのマスコミでの扱われ方なども含めてではあるが、少し流れは形勢逆転の方向に流れ始めたように感じる。多分に思い入れもあることは認めるが、少しポイントを再度整理してみたい。

まず、以下のふたつの記事を見て頂きたい。

経済ニュースゼミ(小笠原誠治)2014年4月2日「理系は『悪意』の意味が分かっていない!(STAP論争)
弁護士ドットコム2014年4月7日「STAP論文『不正があった』とする理研調査委「最終報告書」 弁護士はどう見るか?

以上のふたつの記事は、両方ともある程度法律が分かる方、ないしは弁護士がどの様に見るかを解説した記事である。結論は同様で、理化学研究所側の判断に軍配を上げている。下段の記事の弁護士の言葉を借りるなら、「このような小保方氏の説明を前提とすると、真実と異なる実験結果の画像を意図的に使用したことが認められますので、規程が定める『改ざん』に該当することになります。」としている。上段の記事も同様で、「しかし、そもそもこうした規定や法律などで使われる『悪意』は、法律用語として解釈しなければいけません。」と指摘し、この「悪意」は法律用語の「悪意」であって、日常的に利用される一般名詞の「悪意」と解釈してはいけないとしている。さらに続けて「行為者が、ある事実について知っているか、知らないかを示すのが、『悪意』であり『善意』であるのです。」と解説し、その不正行為の不正性を認識していたかに関わらず、結果としてその行為で自らが何らかの利益を得ることが出来ることを知っていたか否かが論点であるとしている。

多分、理化学研究所の調査結果も同様の解釈をしており、もう少し正確に言えば、真っ当な研究者故にあまりに杜撰な研究データの管理、論文化プロセスなどに嫌気がさして、「研究者として許せない」とか「理研の伝統に泥を塗った」とかのバイアスがそこに加わり、自己肯定的に上述の様な法律家的な判断を下したのだろう。というか、常識的にその判断には弁護士を加えて「裁判でも負けない論理武装」も行っていたと思われる。
しかし、知れば知るほどこの様な一面的な法律論争が愚かに見えて来るのである。具体的には、上段の記事にも引用されている理化学研究所の「科学研究上の不正行為の防止等に関する規程」の内容を精査すると見えて来ると思う。法律的な解釈ということで、この規定に記載されている「定義」を確認してみたい。

=====
(定義)
第2条  この規程において「研究者等」とは、研究所の研究活動に従事する者をいう。
2  この規程において「研究不正」とは、研究者等が研究活動を行う場合における次の各号に掲げ
る行為をいう。ただし、悪意のない間違い及び意見の相違は含まないものとする。
(1)捏造 データや研究結果を作り上げ、これを記録または報告すること。
(2)改ざん 研究資料、試料、機器、過程に操作を加え、データや研究結果の変更や省略により、研究活動によって得られた結果等を真正でないものに加工すること。
(3)盗用 他人の考え、作業内容、研究結果や文章を、適切な引用表記をせずに使用すること。
=====

まず、「捏造」に関して言えば、ありもしないデータや研究結果を作り上げていなければ、これは「捏造」とは呼ばないことになっている。「改ざん」に関しても、「研究資料、試料、機器、過程に操作を加え、データや研究結果の変更や省略により」の部分に関しては「改ざん」の構成要件を満たしているが、問題は続く「研究活動によって得られた結果等を真正でないものに加工すること」の部分が今回のケースに該当するかが問題となる。もう少し言えば、「ただし、悪意のない間違い及び意見の相違は含まないものとする」の補足との関連で考えなければならない。「真正でないもの」という修飾語が「加工すること」に追加されているので、「真正でないもの」をどう理解するかと言っても過言ではない。では、次のケースを法律家はどの様に解釈するだろうか?例えば、実験で得たある写真を論文に掲載しようとしたとする。その時、その写真に大きさの比較となるものが載っていなかったために、後から縮尺を調整して「十円玉」や「物差し」を画像処理で挿入したとする。この時、これを「真正でないもの」と言って一人の研究者の研究生命を抹殺すべきなのか、それとも「悪意のない間違い」ないしは「意見の相違」と見なすのが正しいのか?答えは法律家でも一般人でも同じだと思う。昨日のブログでも引用したサイエンス作家の竹内薫氏の解説を私なりにかみ砕けば、小保方氏の加工はこの様なレベルだと理解できる。その様な判断を迫られている時に、理化学研究所や前出の弁護士などの判断は本当に正しいのだろうか?

それからもうひとつの写真に関しては、外部からの指摘の前に自分で単純な間違いに気が付き、理化学研究所の調査委員会に報告すると共に真に正しい写真を提出し、雑誌Natureに対しても執筆者全員の賛同のサインと共に、写真を差し替えた修正論文を再投稿しているという。理化学研究所はその写真の日付データを確認し、問題が発覚する以前からその写真が存在することを確認すると共に、さらにSTAP細胞の真偽が問題となり始めたころに行った再現実験で得られた写真についても小保方氏からの提出を受けているという。理化学研究所では(写真の日付の改ざんの可能性は論理的には皆無ではないが、その様な容疑を持ていないために)、Natureに掲載された写真は「ありもしないものを、あたかもあるかの様に偽装した」ものではなく、「あくまでもSTAP細胞を証明する写真が存在していることを理研が認識していながらも、小保方氏が誤って違う写真を掲載してしまったこと」を「捏造」と認定した訳である。面白いことに、4月1日の記者会見の際にスライドで示された写真には、小保方氏がNatureに差し替えを求めた修正論文に掲載されている写真を紹介していたが、そのスライドをホームページ上で公開している中で、ある日、急にその写真部分が削除されているという。この辺の流れからすると、上述の「改ざん」は議論の分かれるところかも知れないが、「捏造」に関しては完全に「シロ」と言って間違いがないと思われる。とてもではないが、裁判に耐えうる論理構成にはなっていないと思われる。

しかし、先の2件の記事が「クロ」と断定している背景には、法律家では分からない技術的な意味づけ部分を理解できておらず、理化学研究所が一方的に「不正行為認定」をする際の大本営発表を鵜呑みにしているところが多分にあるように思われる。勿論、私のこのブログも前出の竹内氏の論調をベースにしているのだが、最近漏れ伝わる小保方氏の主張とは整合性が取れており、私は個人的には妥当だと解釈した訳である。この様な流れの中で、多分、3月末までは雲隠れする小保方氏の動向を見て、「小保方氏、ノックアウト!」とマスコミは思い込んだのかも知れない。しかし、病院には入院しながらも、反論の記者会見を行うと宣言すると共にそれなりの弁護士を立てたことで、このままではマスコミ側が「裁判で訴えられるリスク」を感じ始め、そこで微妙に立ち位置を修正して小保方氏側に歩み寄っているのではないかと感じる。もう少し言えば、理化学研究所の小保方氏虐めを外野が糾弾する素振りを見せようとしている感じである。何とも嫌らしい根性である。

さて、それはさておき、小保方氏は理化学研究所に対して再調査を要請し、その中では理化学研究所の職員を排除した、完全な第三者による中立的で公平・公正な調査を求めているという。これが意味することは何か?ひょっとすると、この結果として「理化学研究所の調査委員会の不正行為が認定される」ということもあるかも知れない。少なくとも小保方氏は直接の聞き取り調査は1回しか受けておらず、論文取り下げに同意したこともないのに「同意した」と虚偽の情報をリークされたりもしている。公平性に欠ける一方的な調査で、しかもその調査に第三者が組み入れられていなかったことの決断の責任は、当然ながら野依理事長にあることは間違いない。下手をすると大粛清が行われ、日本においては非常に重要な理化学研究所の研究遂行に大きな支障が出ることも予想される。特定法人化の先送り程度ならまだしも、インパクトはそんな生易しいものではないろう。

明日以降、本格的な論戦が戦わされることになると思うが、やはり理化学研究所は道を誤ったとしか思えない。残念至極である。

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STAP細胞をめぐる理研の怪しい動き

2014-04-07 23:58:31 | 政治
「何でそうなるの?」という展開である。下記のニュースのことである。

産経新聞2014年4月7日「小保方氏を検証に加えず 理研チームが会見、『協力は得たい』

記事に寄れば、「STAP細胞の作製を再現できるかどうか検証する理化学研究所のチームが7日、理研東京事務所で記者会見し、STAP論文の筆頭著者の小保方晴子氏を検証チームに加えないことを明らかにした。」とのことである。一方で「論文を撤回すべきだ」との主張はそのままのようであり、これは素人的に見て恐ろしい主張である。

何故か?

論文を撤回すれば、STAP細胞に関する小保方氏の貢献は記録上は抹消される。次にSTAP細胞の再現実験に成功した場合、その再現実験の結果を論文として投稿して採録されたとすれば、世界におけるSTAP細胞のオフィシャルな成果は再投稿される論文の筆頭著者のものとみなされる。STAP細胞が再現できれば、これはノーベル賞級の大発見だから、後日、ノーベル賞の受賞の可能性が高まる。その時、ノーベル賞の受賞者は誰になるのだろうか?ノーベル財団も困るのだろうが、少なくともオフィシャルな記録に残る貢献者である再現実験の主導者の名前をノーベル賞から排除することは、科学の世界の暗黙のルールに照らし合わせれば考えにくい。一方で、再現実験に小保方氏が直接的に関与せずに再現実験に成功したのであれば、一般の方には理解できるかどうか分からないが、実際には論文の元となる直接の成果に寄与していない人の名前を論文の連名に加えることは考えにくい。それが、再現実験再開の前に小保方氏が公開した情報(一部は、理化学研究所の内部のみに留め置かれたノウハウを含んでいても)を参考にしたとしても、である。これは、常識的に理化学研究所以外の研究機関が出し抜いたとすれば、その論文に小保方氏の名前が載らないのと同じである。通常はReferenceとして過去の論文を引用することになるが、引用すべき論文が取り下げられていれば、連名以前の問題として全く名前のかけらすら残らないのである。これでは、100年、200年の歴史の後に、小保方氏の名が完全に忘れ去られても仕方がない。

これでは小保方氏はたまったものではない。自分の成果を歴史に残すためには、再現実験に幾ばくかの寄与をして、連名に名前を残してもらうしか手がないことになる。しかし、理化学研究所は“少なくとも”、再現実験において小保方氏を主導的な立場にはおかず、サポート役以上の役割を与えないことを公言しているわけだから、ノーベル賞受賞となったときの筆頭受賞者は再現実験を主導した者が受けることになる。つまり、自分の名を残したければ、筆頭の手柄を理化学研究所の重鎮に差し出せと言っているに等しい。実際、小保方氏の論文の共著者で再現実験の責任者となる丹羽仁史プロジェクトリーダーは、記者からの質問に答えて「STAP現象・細胞は、現時点ではひとつの仮説に過ぎない・・・」と言い切っている。論文化された仮説には意味があるが、(論文取り下げ後の)論文化されていない仮設は単なるボヤキに過ぎないと暗に言っているように聞こえる。

今日のTBSの「ひるおび」でもサイエンス作家の竹内薫氏が解説していたが、この丹羽仁史プロジェクトリーダーは小保方氏の共著者であるが、論文の中の貢献は作成された細胞の遺伝子解析を行い、STAP現象を確認する作業を担当したという。しかし、この丹羽氏は理研の中でも部長級の役職であり、実際にそのレベルの人は実験などを自分の手では行わないという。部下に指示して遺伝子実験を行い、責任者として名前を連ねたに過ぎない。通常、このレベルではノーベル賞を受賞を期待することなど不可能だから、単なる共著者で終わる運命である。しかし、ここで再現実験を指導すれば、再現実験結果を論文化する際の筆頭著者になりうるのである。いきなりノーベル賞のポジションに名を連ねることになる。完全に、成果の横取りに来たという印象を受ける。

100歩譲って理化学研究所の正当性を認められるとすれば、理化学研究所はSTAP細胞は存在しないと確信を持っていて、「存在しないことの証明」即ち「悪魔の証明」を自ら試みようとしている場合である。善意に解釈すれば、誤った情報を流した責任を取って、その情報にトドメを刺すところまでやろうということである。しかし、逆に転んだときに一攫千金を狙えるわけである。

ちなみに前出の竹内薫氏は、今回、理化学研究所が不正・捏造と断定した2点については「悪意がない」ことに対して理解を示していた。ここでの「悪意がない」とは前回のブログでも書いた「未必の故意」以前のレベルであり、今回の不正が「自分の論文の正当性を少しでも高めるために役立つ」との認識が全くなく、しかもその認識の妥当性が十分に認められるという解釈を示していた。具体的には、STAP細胞のDNA配列を示す画像の真ん中の部分の差し替え(画像処理)は、STAP細胞の存在の信憑性を示すものではなく、その証拠に相当する右側2列の写真に対するリファレンスを示す情報であり、リファレンスは単なる参考となる物指しの様なものだから、どの物指しを持ってきても実験の正当性には影響を与えない。影響を与えないならば、見やすい写真を掲載した方が理解しやすいだろうと考えたとして(科学者としてはあるまじき行為だが)不自然さは残らないということである。つまり、捏造するメリットはないというのである。もうひとつの博士論文の写真の使いまわしに関しては、あまりにも大きな間違いでワザとやる意味などなく、外部から指摘される前に小保方氏がミスに気がつき、事前にNatureと調査委員会に自主的に報告しており、写真の差し替えなどの相談もしていたぐらいだから、杜撰であることは間違いがないが、ケアレスミス以上の意味を見出すのは難しいということである。であれば、論文の修正という手続きは当然ながら必要であろうが、その手順を踏めば論文の取り下げなど必要ないと判断されてもおかしくはない。それが単なる些細な発見であれば、組織(理研)に与えたダメージの責任を取って詰め腹を切らさせ、その様な研究者の研究生命を途絶えさせたとしても、ある程度は諦めもつく話である。しかし、それがノーベル賞を取ってしかるべき大発見をした科学者となると、単なる責任問題の話ではなく、きな臭い何かを感じざるを得ないのである。

前回のブログを書いた際の「特命くん」さんのコメントとして、「研究ノートが2冊しかないのは考えられない。小保方氏がノウハウを盗られることを懸念して全てを開示しなかっただけではないのか、と思ってしまう。一方理研は、後日STAP細胞が再現できた場合、理研か理研と縁の深い者がその手柄を独り占めにするため、今のうちに研究者としての小保方氏を潰してしまおうとしているのではないか。とも考えてしまう。」との書き込みをいただいた。概ね認識は私も同じである。

もちろん、研究ノートには連番、日付を記載するので、研究ノートを部分的にしか開示しなかったことは考えられないが、彼女の研究スタイルとして、(それが良いか悪いかは別にして)あくまでも研究ノウハウを私物のパソコンに記録して管理し、その私物のパソコンを渡さなかったと言うのは考えられる。そこで、その情報を小保方氏が囲い込む理由のひとつには、理化学研究所による手柄の横取りを恐れてのことなのだろう。論文の取り下げを執拗に迫ることが、小保方氏の不信感を高めてしまったのではないか?

もはや、彼女はハーバード大学に戻って研究を続けるしか道がない様に思える。とすれば、それは日本にとっては大きな損失以外の何ものでもない。悲しい現実である。

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韓国の「反日」は嘘で日本の「嫌韓」は本物ってどういうこと?

2014-04-03 23:56:08 | 政治
先日、2~3週間ほど前のAERAを見る機会があって、読んだ記事に思わず失笑してしまった。昨日のブログとも関係あるのだが、朝日系のメディアのバイアスがかかった記事というのはもはや伝統のようだ。今日はこの記事を切り口に議論をしてみたい。

その記事というのは下記の記事である。

AERA 2014年3月24日号「現地ルポ『反日』の真実」

この記事によれば、韓国の独立運動記念日の「三一節」にソウルを現地取材したところ、ソウルは韓国国旗である太極旗一色で凄いことになっているが反日色は薄く、本当に「反日なのか?」と感じる様な現実だという。一部の反日愛国団体は過激な行動を取るが、その映像がテレビカメラに収められると満足して撤収するなど、反日なのは、ごく一部のお祭り屋的な存在に限られ、多くの韓国人は決して反日ではない冷静な人達だと説いている。しかし一方で、一連の記事の中には「元・在日三世から見るヘイトの現場 日常に潜む『嫌韓』」という記事があり、本屋に行けば「嫌韓」コーナーがあって多くの書籍が置かれており、ある在日朝鮮人の言葉を借りて「彼らは特殊な思想を持つ、ごく一部の人たち。いずれ収まるから、ほっとけばいい・・・と思っていたが、特殊な一部の人だけではなく、たくさんの人の間に朝鮮半島嫌いが広まっている」と半ば断定的に批判する。私はこの議論の仕方が、日本と韓国との間が、お互いに何処まで行っても交わることの無い関係になっている原因だと思っている。

つまり、「フェアな議論が成り立たない」という背景である。

上述のAERAの指摘は余りにも偏っている。常識的に考えて、実際は真逆である。誰もが疑いようのない真実としては、韓国は教科書や様々な記念館で反日教育を長年に渡り繰り返している。マスコミは、少なくともここ10年以上はことあるたびに反日を煽る報道を繰り返した。そんなだから、韓国の未成年の学生の中にも反日思想は根付いており、大分前からあった話のようだが、(その多くは学校側が企画したものかも知れないが)日本に修学旅行に来た韓国の高校生たちが「独島は韓国の地」という内容のプラカードを掲げて写真を撮り、それをネットで公開して騒ぎになったりしている。一方の日本の高校生はどうかと言えば、8年ほど前の事件であるが、広島の某高校では修学旅行で韓国を訪れ、そこで元慰安婦の女性の話を聞かされて、全員、土下座をして謝らされたという話があった。誤解があるといけないが、謝らされたのは韓国人に強要されたのではなく、学校の先生から強制的に謝らされたのであって、日本人が自主的にその様に仕向けている。ここまで極端な話は無くても、わざわざ韓国まで修学旅行に出向いて、そこで韓国側の大本営発表の反日情報を刷り込まれて帰ってくるという話は今でも良く聞く。これが日本と韓国の差である。また、韓国に留まらず、アメリカのグレンデール市の慰安婦像の問題などのニュースからも、現地の日本人が阻害されている現状のニュースも伝わる。日本では「嫌韓」のヘイトスピーチが問題になるが、韓国国内では「反日」のヘイトクライムが問題となる。90代の親日的な高齢者の態度に反日の若者が激情して殺害したニュースもあった。しかし、日本ではどうかと言えば、ヘイトクライムはまず聞かないし、ヘイトスピーチも、嫌韓派と反日的左翼集団との衝突が話題になるくらいで、一方的ではなくそれなりに拮抗して両論が戦わされている(物理的な暴力で戦っているという見方もある)状況である。勿論、このヘイトスピーチを私は評価などしないし、こんなことで日本の姿を貶めるのに利用されては困るという立場である。つまり、昔に比べれば確かに韓流に浮かれるノー天気な連中は大幅に減ったし、「No!」と言うべきところでは言わねばならないと考える日本人は増えている。だから、反日の韓国大本営発表のデマに「No!」と言う書籍が増えて、それがある程度の人気を得ているのも事実である。しかし、それはある種の自己防衛本能的な行動で、そもそもの韓国の反日の激しさが異常であった訳である。その様なポイントを全て無視して、「韓国は『反日』ではないのに、日本は『嫌韓』一色で異常!」という刷り込みをしようとすると、あまりのAERAのアンフェアさに言葉を失ってしまうのである。

今求められているのは、公平で公正な議論である。例えば、証拠に基づいて議論をし、何処の何がどの程度問題なのかを「定量的」に評価すべきなのである。例えば、このAERAでも「『日本軍慰安所管理人の日記』出版・『拉致はなかったが、軍が慰安所を必要とした』」の記事で、ソウル大学の安秉直名誉教授の話を取り上げている。ここでは、第2次世界大戦中にビルマとシンガポールに作られた慰安所に作られた朝鮮人の管理人が残した日記に、当時の様子が書き残されていて、この日記を含む調査結果より、ふたつの事実、即ち「『広義の強制動員』と見て差し支えない事案はあった」「しかし、拉致などを伴う悪質な行為を直接的に軍が関与して行う『狭義の強制動員』を示す証拠は、日本はもとより韓国ですら見つかっていない」という認識を示している。この様な証拠に基づく定量的な議論が求められているのである。

なみに、この安秉直ソウル大学名誉教授については、私の好きな「ぼやきくっくり」さんのサイトで紹介されている。

ぼやきくっくり2013年8月10日「【これはひどい】慰安所従業員日記を発見した安秉直ソウル大名誉教授の“手柄”を高麗大学韓国史研究所の朴漢竜研究教授が横取り!?

このページでは、先ほどの日記を古本屋で発見した安ソウル大学名誉教授の手柄を横取りしようとして、捻じ曲げて発表した学者を糾弾する内容が記されているが、その背景についても詳しく紹介されており、この教授がどのような人なのかをYouTubeを引用して紹介している。下記のサイトで手短にポイントを知ることができる。

YouTube「【韓国】反日運動に異論を唱えるソウル大教授

この辺の事情は、実はWikipediaの「安秉直」の項でも整理して紹介されている。

先ほどのYouTubeの内容をなぞる内容だが、部分的に引用してみたい。
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かつて、慰安婦について韓国挺身隊問題対策協議会と共同で調査した。この調査で強制によると認定した慰安婦が金学順と文玉珠である。この調査について後に韓国の新聞のインタビューで「問題は強制動員だ。強制動員されたという一部の慰安婦経験者の証言はあるが、韓日とも客観的資料は一つもない」「3年活動してからやめた理由は、彼ら(挺身隊対策協)の目的が慰安婦の本質を把握して今日の悲惨な慰安婦現象を防止することではなく、日本とケンカすることだったからだ」とコメントし、韓国内で波紋を広げた。
一方、2013年8月7日の朝鮮日報では、「従軍慰安婦は、徴用・徴兵・勤労挺身隊と同じく、戦争の本格化により日本が戦時動員体制の一つとして国家的レベルで強行したこと。しかも慰安婦は、募集時に自分たちがやることをきちんと説明されず、人身売買に近い手法が利用されたという点で『広義の強制動員』と見ても差し支えない」と言っている。しかし同日の毎日新聞には、『ただ、安名誉教授は、韓国で一般的な「軍や警察による強制連行があった」という意見に対しては、「朝鮮では募集を業者が行い、軍が強制連行する必要は基本的になかったはずだ」との見方を示した』とあり、日本向けと韓国向けで分けている。これは韓国国内での激しい言論弾圧により、『広義の強制動員』という曖昧な表現を取ったのではという声がある。
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多分、この安秉直ソウル大学名誉教授の視点である「広義の強制動員」はあったが「狭義の強制動員」については証拠がないというのが証拠に基づく常識的な理解で、その様な理解は河野談話の発表当時の韓国政府の中でも支配的だったのだと思う。だからこそ、日本側の誠意により「広義の強制動員」を認める発表を世界に向けて行う代わりに、「狭義の強制動員」については証拠がないので不問とするという韓国の誠意で日本の誠意に応えるという合意に漕ぎ着け、その様な密約の基で河野談話が発表されたのだと推測される。

しかし、現在の流れがどうかと言えば、韓国側は、日本政府が「広義の強制動員」を認める程度まで証拠があるのだから、日本軍は拉致・監禁などの悪質な強制連行に軍がどっぷりと関与していたことは容易に想像できる」という様に展開され、「狭義の強制動員」の証拠の有無はもはや問題ではないと展開される。そのうちに、「広義」と「狭義」の区別など、女性の人権という視点で見ればあまり重要ではないとされ、「広義の強制動員」を認めた時点で自動的に「狭義の強制動員」に関する道義的責任も免れないとされてしまった。ここまで来れば、「悪質な強制連行」の責任を世界に向かって糾弾しても良いはずだとなり、最近の世界的反日プロパガンダの正当性の根拠となっている。

以上説明したように、相対立する問題がある場合、その問題を定量的に証拠に基づき議論しなければ、所詮は何処かで炎上状態にならざるを得ないのであって、イメージ戦略で捻じ曲げるのは禁じ手である。しかし、朝日新聞などのメディアは、所詮は「新聞を買ってもらってナンボ」の商売であり、「右翼化して大企業ばかり優遇する国民の敵である日本政府を糾弾する」という扇動的な行動を、その扇動ぶりを「オブラートに包んでまろやかにして」実行しており、多くの国民はついついうっかり騙されてしまうのである。残念なことに、韓国国内にはこの様な扇動的な行動を諫める報道機関など存在せず、他の問題では対立しても反日では一致団結する。最近でこそ、日本国内でも「ちょっと待った!」と指摘する報道機関も出てきたが、それでも未だに日本政府を擁護する発言はバツが悪いと感じることは多数派だろう。

問題は、あくまでも「フェアで証拠に基づく定量的な議論」の有無である。少なくとも、国内でこの様な土壌が生まれないことには、世界で戦うには多くのハンディが付きまとう。勿論、有益で正しい報道をしているのは大いに認めるところではあるが、ある種のツボにはまってしまうと暴走してしまうという朝日新聞(出版)、テレビ朝日などの報道姿勢に対し、もう少し国民が厳しい目で見る風潮が生まれてこないことにはハンディを覚悟で戦い続けざるを得なさそうだ。

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