けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

マキャベリズム的勢力均衡策の落とし穴を埋めろ

2014-08-30 23:39:26 | 政治
最近のウクライナや中東情勢など、非常に混沌とした状況で出口が見えない中で、アメリカ、特にオバマ大統領に対する世間の見方が微妙になりつつある。一部では、あれほど頭が悪く単細胞とのそしりを受けて悪評が高かった先のブッシュJr.大統領よりも「劣悪な大統領」との烙印まで押され、レイムダックが噂される。少し話題を変えて、今日はこの辺について考えてみた。

まず、先日から興味を引いていた下記の記事を見て頂きたい。どうも現実はもう少し複雑な様である。

中東・イスラーム学の風姿花伝 池内恵「『マキャベリスト・オバマ』の誕生──イラク北部情勢への対応は『帝国』統治を学び始めた米国の今後を指し示すのか


この東京大学先端科学技術研究センター准教授の池内恵氏の記事は過去にも引用させて頂いたことがあるが、非常に興味深い指摘をされる方である。その池内氏がこの記事では下記の記事を引用し、これまでの評価と違う「オバマ大統領像」の検証を行っている。

Stephen M. Walt, Is Barack Obama More of a Realist Than I Am?, Foreign Policy, August 19, 2014.

まずタイトルからして刺激的で、「マキャベリスト・オバマ」というところが驚かされる。高校の世界史で習った「マキャベリズム」という言葉には、権謀術数の勝つためには手段を選ばない非常さが込められていたと思う。我々のイメージする「オバマ像」とは大分異なる。アメリカ的には、「弱腰で肝心な時に決断の出来ない大統領」という評価と、「結局、空爆とか戦争を否定できない、理想を追求できないブレる大統領」という真逆の評価があるのだが、そのどちらとも異なる評価である。ポイントとなる部分を下記に引用する。

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「アメリカが最も強い立場にいるから最終的な責任を持つ」のではなく、「アメリカが最も強い立場にいることを利用してアメリカが負いたくない責任やコストはよそに回す」という原則にオバマは従っているのであり、それは最も利己的なリアリストの立場だ、という。
確かに、シリアで介入しなかったこと、イランに歩み寄っていること、ガザ紛争でハマースを批判しつつじわじわとイスラエルのネタニヤフ首相からはしごを外し、恒久和平の実現に力を尽くそうとはしない、といった積み重ねの上で、今回のイラク介入の手法を見ると、古典的なリアリストの勢力均衡論、さらに言えば地政学論者の帝国統治論の処方箋を着々と米外交、特に中東政策に持ち込んできたと読み解けるのです。
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池内氏によれば、この記事はジョージ・フリードマン氏の『激動予測: 「影のCIA」が明かす近未来パワーバランス』とい本に記載の内容に通じるものがあり、特に「勢力均衡論」をひとつの有効な処方箋として評価している。

この考え方の裏には、私なりの言葉で説明させて頂けば「ある種のBestな世界を実現することは可能」という希望を完全に諦め、「如何にして最悪の世界を回避するか」という現実論に完全に舵を切ったと理解することが出来る。我々は、アラブ世界の民主化が「アラブの春」として実現したとき、世界中が民主主義化する理想の世界を夢見ることが出来た。その確信は大きく、だからこそ多くの人が期待したのだが、実際には民族対立、宗教対立は根深く、そう単純には行かないことを学んだ。完全に夢は打ち砕かれるに至ったのである。その様な「世界を良い方向に導こう」という空想的な夢が実現不可能なことであるならば、いっそのこと、「決して良いとは言えない世界が存在することを許容し、その様な勢力が我々の生活に影響をおよぼすことがないように、上手くサジ加減を調整しよう」とオバマが考えた、ないしはその様な方向に舵を切ったというのがこの記事のポイントである。具体的な戦略は、アメリカが理想とする政権を樹立し、それを支援するのではなく、理想的でない勢力がいるのであれば、その勢力と対立する勢力を適宜利用し、その対立のバランスが崩れそうになったら軍事的に介入し、またバランスが取れたのならそれ以上の深追いはせず、勢力の均衡を保ちながら双方が疲弊するのを遠目に見ていようという考え方である。

先のフリードマン氏の言葉を借りると以下の様に整理できるらしい。

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一.世界や諸地域で可能なかぎり勢力均衡を図ることで、それぞれの勢力を疲弊させ、アメリカから脅威をそらす
二.新たな同盟関係を利用して、対決や紛争の負担を主に他国に担わせ、その見返りに経済的利益や軍事技術をとおして、また必要とあれば軍事介入を約束して、他国を支援する
三.軍事介入は、勢力均衡が崩れ、同盟国が問題に対処できなくなったときにのみ、最後の手段として用いる
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この辺は、中東情勢を見ていると良く理解できる部分である。

ただ、ロシアと中国を見ているとこの辺のアメリカの戦略が理屈通りに実現されている様には見えない。このフリードマン的な視点で見ると、ロシアは欧州と勢力均衡させ、中国は日本と勢力均衡させるという指摘をしているのであるが、厄介なのは個別の事案が独立ではないということである。シリアに関しては、シリアのアサド政権側、反体制側、イスラム国が三つ巴の戦いをしており、これらは比較的ローカルに戦争が閉じている。この様な時には勢力均衡を図れば全てが疲弊する方向に進むのであるが、ロシアが欧州との勢力均衡で疲弊しそうになれば、ロシアは疲弊を回避するために中国側に歩み寄ることになる。例えば、欧州への供給を停止したロシアの天然ガスは、欧州の代わりに中国に買い取らせることでその疲弊を最小化することが可能になる。中国に関して言えば、日本との勢力均衡における日本の疲弊を最大化させるためには、ロシアや韓国など周りの国々も巻き込んで日本包囲網を構築することで、日本が多方面作戦に出ざるを得ない状況を作り日本の疲弊を最大化する。これではロシアと中国はWin-Winの関係にあるから、孤立した系での勢力均衡策とは異なる結果を生じさせることになる。つまり、欧州も日本も相対的に疲弊し、ロシアと中国が生き残り結果的にアメリカにより強い脅威を与えるという展開である。

これは明らかにアメリカの意図する展開ではなく、真逆の展開である。オバマが日本に求めるロシアへの制裁は、この真逆の展開を加速する効果を生じさせる。日本にとって最大の優先順位は、この勢力均衡戦略をアメリカが選択するならそれでも良いから、最低限、ロシアと中国の間の分断を最低限担保する条件付きの勢力均衡策を求めることである。また、日本と中国との間の勢力均衡をアメリカが期待するにしても、現状は経済的、軍事的にも余りに中国の方が一方的に有利な状況にあり、その勢力均衡策が有効に機能する環境を構築するためのアシストを求めるべきである。勿論、日本にとっての勢力均衡には軍事的選択肢は含まれないから、あくまでも「法の下の支配」という国際ルールを武器とした勢力均衡がポイントであり、日本はこの争いから逃げるべきではない。積極的に勢力均衡の戦いを挑むべきである。

その時、アメリカに求めるアシストとは何かと言えば、日本が突きつける「法の下の支配」の土俵から中国が逃げようとする状況に、多くの審判団(国連)の主要メンバとして土俵に上がることを求めることである。さらに言えば、この「法の下の支配」を上手く逃げるための手法のひとつに、ワシントンを中心とするロビー活動が挙げられる。例えば、尖閣問題を例に取れば、現在日本が施政権をもつ状況を力により変更しようとする試みに対し、靖国問題や慰安婦問題を持ち出し「日本の帝国主義の象徴」と尖閣問題を絡めようとしたりする。一部の議員などはお金をもらってそれで良いのだろうが、大局的にはこの様なロビー活動は先の「究極の戦略」を骨抜きにするリスクを伴うのである。韓国のロビー活動も同様で、中国に対する勢力均衡に日本、韓国連合を期待したアメリカにとって、中国、韓国連合が日本を叩く状況を見れば、明らかに勢力均衡策は期待したような展開とはなっていない。

今回の池内氏の記事を見て思ったのは、オバマ大統領が本気でマキャベリストなのかどうかはともかくとして、現実にアメリカの世界戦略がその様な視点で動いている可能性があることを自覚するならば、その戦略が効果的に機能出来ない要因を精査し、それをアメリカに指摘することで日本にとっても有利になるような誘導を図ることが重要であるということである。特に中国、韓国のロビー活動は、この状況を大きく歪める原因となり得るから、マキャベリストたり得るためには中国、韓国の情報戦の火の消火をアメリカ政府が意識することが重要だと、日本版NSCはアメリカサイドに進言すべきだと思う。

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民主党政権を経験した日本の不幸以上の不幸が待ち受ける韓国

2014-08-28 22:57:07 | 政治
先日のブログ、「つまらないパンドラの箱を開けた韓国政府(産経新聞ソウル支局長召喚問題について)」で産経新聞のソウル支局長に対する出国禁止&出頭要請に関する記事を紹介しながら、これが朝日新聞に対する韓国政府の援護射撃ではないかというコメントをさせて頂いた。この時は、まだ事の重要性が理解できていなかったので、「大統領とオトコ」問題にたいする韓国国内を含むマスメディアに対する脅迫的な要素よりも、朝日新聞への援護射撃的要素が強いのかと思っていたが実は違う様である。大統領府の本音は、この問題に「絶対に触れてはならない!」という報道管制的な要素が強いことが理解できる。

少し振り返ってみよう。8月3日の産経新聞の記事、「朴槿恵大統領が旅客船沈没当日、行方不明に…誰と会っていた?」の7ページ目には、この記事を読んだときにも意味不明だった記述が実は仕込まれている。

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証券筋が言うところでは、朴大統領の“秘線”はチョン氏を念頭に置いたものとみられている。だが、「朴氏との緊密な関係がウワサになったのは、チョン氏ではなく、その岳父のチェ牧師の方だ」と明かす政界筋もいて、話は単純ではない。
 さらに朝鮮日報のコラムは、こんな謎めいたことも書いている。
 チョン氏が最近応じたメディアのインタビューで、「『政府が公式に私の利権に介入したこと、(朴槿恵大統領の実弟の)朴志晩(パク・チマン)氏を尾行した疑惑、(朴大統領の)秘線活動など、全てを調査しろ』と大声で叫んだ」
 具体的には何のことだか全く分からないのだが、それでも、韓国の権力中枢とその周辺で、なにやら不穏な動きがあることが伝わってくる書きぶりだ。
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この「具体的には何のことだか全く分からないのだが・・・」のくだりが何とも「知ってて知らぬふり」と思わせぶりで楽しいのだが、この部分が実はポイントなのである。この辺の事情を全て暴露する記事が下記に掲載されている。

現代ビジネス2014年8月27日「スクープ!政治も経済も大混乱 疑惑を報じた産経記者を検察が告発 韓国朴槿恵(大統領)は『密会男』に操られていた!

詳細はこの記事を見てもらえば分かるのだが、生涯独身の朴大統領にはこれまでに彼女の「オトコ」と噂された人物は二人いて、その一人は今回の噂の鄭允会氏と、この鄭允会氏の義理の父の崔太敏牧師である。崔太敏牧師は某宗教団体の総裁を務めており、1994年に81歳で亡くなっている。しかし、その4年ほど前、「朴槿恵大統領の妹・槿令氏と弟・志晩氏が連名で、当時の盧泰愚大統領に宛てて、崔太敏の悪業を18項目も連ねたA4用紙12枚に及ぶ『嘆願書』を送った」ということがあったという。

これが意味していることは単純ではない。背筋が凍るような事実である。

つまり、1990年と言えば朴大統領はまだ30代後半で、崔太敏牧師は80歳近い高齢である。にもかかわらず、この様な関係になるというのは考えられるのはひとつしかなく、完全に宗教団体に洗脳されて自らをコントロールする能力を失い、考えられないような爺さんに身も心も捧げていたということである。幸いにも牧師の死によりその洗脳からは解放されたが、今回の噂になっていた鄭允会氏がその後の朴大統領を引き続き洗脳し続けていた可能性が否定できない。最近、鄭允会氏は離婚したのだが、その際に膨大な財産を放棄する代わりに「夫婦時代に知り得た一切の個人情報を口外しないこと」を妻に求めたというから、この辺の事情を何か隠している可能性が透けて見える。

朴大統領の密会が事実なら、セウォル号沈没時にプライベートを優先したことは致命的であろう。裁判沙汰になればありとあらゆる情報が掘り起こされ、仮に密会が事実だとすれば「事実の報道に対する虚偽の告発」となるから朴大統領とすれば、本当に密会していない限り、今回の様な告発を決断することは困難だろう。だから、私は本当に密会していなかったか、ないしは完璧なアリバイを用意して隠し通せると確信しているから今回の様な動きに至ったのと感じているが、しかしこれは不思議な話で、それならば密会を否定する証拠を公にして、法的制裁とは別の方法で産経新聞を貶めた方がよっぽど筋が良い。にもかかわらずこの様な告発を行わなければならなかった理由は、上述の話が白日の下にさらされると、「朴大統領は、簡単にマインド・コントロールで操ることができる弱い人間」ということがバレてしまうからである。しかも、そのマインド・コントロールを受けた人物は一人ではなく、二人もの人に身も心も操られ、しかもそのうちの一人は今も現在進行形であるということになる。簡単にマインド・コントロールされる人間が大統領であるという、小説の様な怖い話が実は現実だったかも知れないというのが、本来、産経新聞が書きたかった記事なのだが、世界中に支社を置く新聞社という制約から、今回は8月3日程度の記事に留め置いたのであろう。しかし、多分韓国支社などを持たぬ講談社は恐れるものなどないから、週刊現代がその残りの部分をすっぱ抜いてしまい、多くの人がその背景を知るに至った。ネットの力は大きいから、瞬く間にこの事実は韓国国内だけでなく世界中を駆け巡るだろう。日本と韓国以外はこんな問題に興味がないと思いたい人たちもいるだろうが、実は英国のエコノミスト紙も今回の事件を記事にしている。

The Economist 2014年8月21日
Japan and South Korea: Wars of words

これは、「産経新聞は低俗な記事を書いたが報道の自由は守られなければならない」というスタンスの記事であるが、この背景に「マインド・コントロールされた大統領」がいるとなると、単なる「オトコとオンナ」の話では済まなくなる。世界中の好奇の目が釘付けとなるだろう。

大統領府はこの様な事態を恐れたから、韓国国内で2の矢、3の矢が飛んでくる前に先手を打ったつもりなのだろうが、これが逆に日本国内からの2の矢を誘発してしまったことになる。産経新聞を告発しておいて、週刊現代の記事をスルーする訳にはいかない。韓国の外務大臣が岸田外相にイチャモンを正式につけるぐらいだから、韓国外務省もさらに悪質で悪意のある週刊現代に果たし状を突きつけるぐらいでないとバランスが取れない。

パンドラの箱は開いてしまったのである。もう後戻りはできない。韓国経済が失速寸前の現状で、マインド・コントロールされた大統領に後3年を託すほど、韓国国民は寛容ではないだろう。盧武鉉大統領は、大統領の任期を終えた後で自殺した。しかし今回は下手をすると、現職大統領の自殺にまで発展しかねない重い事態である。民主党政権を経験した日本の不幸以上の不幸を、韓国国民は経験することになるのかも知れない。

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折角の記者会見だから、もう少し本音を聞いてみたかった

2014-08-26 23:57:50 | 政治
今日の報道番組のトップニュースは、福島第一原発事故が原因で鬱病になり、焼身自殺を図った女性に関する裁判のニュースであった。事件は極めて悲しい内容であり、その被害者や遺族の気持ちを思えば東京電力の裁判での対応は残念で仕方がない。裁判所も示談を勧めたそうだが、遺族の白黒をはっきりさせたいという気持ちから示談を拒否し、今日の判決に至ったらしい。これが前例になると次から次へと賠償責任がのしかかり、下手をすると株主代表訴訟などで追及される恐れもあるから、東電側としてもポーズとして反論しなければならなかったとか何か事情はあるかも知れないが、感想としてはやはり残念というところだろうか。

ただ、今回の判決が意味することは少々奥が深い。今回の被害者が自殺するに至った背景には、自宅を離れ避難所暮らしなどが長くて精神的に追い詰められた他、家族が散り散りになってしまったこともあるから一概には言えないが、もし、強制的な避難指示が早期に解除され、自宅に戻ることが可能になっていたら、ひょっとしたら自殺するまでには至らなかったかも知れない。報道によれば、被害者の自宅は福島第一原発から40kmほど離れているが、計画的避難区域であったという。この計画的避難区域というのは1年間の積算線量が20mSv以上と予想される地域である。5年を経過してもなお、年間積算放射線量が20 mSvを下回らないおそれのある、現時点で年間積算放射線量が50 mSvを超える帰還困難区域とは異なるから、高齢者世帯などに関しては除染の状況などを考慮して帰還の選択肢を持たせることは可能であったかも知れない。しかし、反原発派の人達は極端で完全に安全な環境を要求したりするくらいだから、中々、政府としても帰還という判断はし難い状況であったのだろう。

勿論、この判断が非常に複雑な問題であることは事実である。例えば、強制的な避難が強いられるエリアでは月当たり10万円などの補償金が支払われたりしても、帰還が可能との判定が出てしまうと、途端にこの補償金は打ち切られたりする。帰還したい人にとってみれば「希望者の帰還を許容」してもらった方がありがたいが、放射線障害が怖いと考える人は、より継続的に補償金の支払いが期待できる「帰還不可」の方がありがたい。結局、誰もが納得するその線引きをすることが出来ず、事務的に年間積算被爆量が20mSvというところで手を打たれてしまっている。しかし、小学生以下の子供がいる家庭では年間20mSvでは心配でしょうがないし、逆に70歳以上の高齢者世帯では20mSvを僅かに超えるような線量など殆ど気にならない。一方で、高齢者ほど住み慣れた自宅への帰還の希望は強く、若い世帯ほどその執着は弱い。原則は帰還不可(だから補償金は継続)だが、希望者は1~2年に1回程度の健康診断を受けることを前提に例外的に帰還を許容するなどという柔軟な運用が可能であれば、もう少し事態は変わって来たかも知れない。

良く言われるのは、放射線量が高いエリアでの居住はそれ自体がリスクではあるが、住み慣れた自宅を追われて「避難生活を長期に渡り継続するのもリスク」であるという。まさに、今回の惨事はその様な状況が生んだものである。本来は、被害者の側に寄り添って物事を考えるべきだが、日本中の原発を廃止に追い込もうとする勢力側からしてみれば、帰還条件を高く設定してハードルを上げることで、自宅に戻れずに苦しむ住民の数を多く保つことが可能になる。さらには、除染の条件を1mSv以下などと設定すれば、エンドレスの除染作業が求められ、その費用が肥大化して東電を苦しめ、結果的に損害賠償の原資を圧迫したりする。結局苦しむのは避難民なのだが、それを人質にして原発を廃止に追い込もうとする戦略がうかがえる。長期的に見れば原発を廃止に追い込むことが国民にとって利益と考えるのは構わないが、その際に人質にされる人にとってはたまったものではない。悪いのは全て東電や安全対策を怠った国の原子力行政であるのは認めるが、しかし、その様な安全対策を行えないような硬直した状況に追い込んだ急進的反原発派の責任も無視できない。

私には直接、(報道などのフィルターを通していない)避難住民の生の声を聞くことは出来ないから本当のところはどうか分からないが、報道番組が醸し出している様な「今回の被害者の様な立場に置かれている人々が、急進的な反原発論者のことを支持している」という雰囲気には、私は少々懐疑的である。被害者が反原発を訴えるのは当然だが、急進的な反原発論者により硬直した対応を強要されるのもうんざりしている人も多いのではないかと予想する。

朝日新聞の例を見るまでもなく、報道に公平・公正を期待するのは無理かも知れないが、短絡的な一面だけに目を奪われるのは少々危険である。裁判の判決が出たという折角の機会だから、帰還の希望の有無など、この様な被害者達の本当の希望を聞いてみるなど、もう一歩踏み込んだ質問を記者会見でして欲しいと感じた次第である。

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「リアル緊急避難訓練」の提案

2014-08-25 23:52:46 | 政治
先日の記録的な豪雨により、広島で大規模な土砂災害が起きた。映像や住民のインタビューなどからうかがい知れる状況は、気が付いたときには身動きが取れない状況で、雨が通り過ぎるのを息を潜めて自宅で待機している所を土石流が一気に多くの建物を押し流したという感じだ。以前の災害でも同様だが、深夜から未明に大雨になる場合には、気が付いたときには避難などできる状況ではなく、当然ながら明るいうちに避難をしておくのが正解であった。しかし、雨風の状況は1時間程度で急変するのは常識だから、半日前に避難勧告をすることは不可能である。そんな中、先日のTBSの「ひるおび」で「予防的避難」という制度を紹介していた。予防的避難は例えば下記のページで紹介されている。

全国知事会 政策個表「予防的避難の取り組み

背景になるのは、災害を予期して例えば避難指示を出そうとしても、その受け入れ先の学校などの校舎を利用するにはそれなりのオフィシャルな決定が必要で、気象庁などからの注意・警報などの裏付けのない段階では「避難指示」を出すのがハードルが高く、その際の経費などを考慮しても後手に回る傾向があるところ、正式な「避難指示」を待たずに発出可能な「予防的避難」という制度を導入し、仮に避難が空振りであったとしても、あくまでも「予防的」だからという言い訳を入れ易い状況を作っている。目的の欄を見て頂けば、「住民の『いのち』を守ることを最優先するという考えのもと、危険の差し迫っていない昼間(日没前の明るいうち)に住民の予防的避難を促し、被害を未然に防止する。(住民の生命を守る)」「避難行動による住民の防災意識(『自助』・『共助』)の啓発。」と記載されている。

さらにこの制度の特徴は、「大雨等が予想される際、日没前の危険が差し迫っていない段階で住民の避難を促し、避難所等に住民を避難させる取組み(予防的避難)に対し、事業費の1/2を実施市町村に対し助成。」としており、これにより生じる費用を助成することで、対応を積極的にしようとしている。実施の基準は例えば「1時間雨量80ミリ以上」「1時間雨量70ミリ以上かつ24時間雨量250ミリ以上」であるから、かなりハードル的には低いと言える。この様な制度を積極的に利用すれば、大規模災害の被害の軽減に役に立つのは間違いなく、非常に納得させられた。

しかし、である。理屈の上では避難のハードルを下げていながら、実際にはこの様な制度が有効に発出される例は圧倒的に稀である。そのひとつの理由には、「予防的避難」とは言っているが、何だかんだ言って「避難勧告」の「遠慮気味のバージョン」の様なものだから、あまりこの様なものを多発すると「予防的避難の効果も薄れるのでは」というネガティブな思考が付きまとうからではないかと思う。であれば、もう少しポジティブな思考で「避難」ができる制度を考えてみるのも悪くはないと思った。つまり、「攻めの安全対策」的なものである。

例えば、我々の周りでも1年に1回程度は避難訓練なるものが実施される。町内会の回覧板などで回ってくる情報に記載があるのだろうが、専業主婦の家内は知っているのだろうが、私などは全然その様な情報を知らない。会社の避難訓練は大々的にやるが、最初から予定が決まっているし、役割分担も出来ているから、全くもって緊張感がない。それでもやらないよりはましだろうが、我々の知る避難訓練というのは非難の必要性が全くないときに行われるのが常識であった。しかし、本来の訓練はその様な十分な準備が整ってスケジュールに組まれた中でやるものではなく、抜き打ち的に行うのが本来の筋である。

であるならば、敢えて集中豪雨による被害が予想される様な状況で、「予防的避難」ではなく、「リアル緊急避難訓練」を行ったらどうなるだろうかと考えた。今回、避難所の体育館には避難住民の寝る場所に用いる銀マットすらない状況で、殆ど、毛布をマット代わりに寝ている様な状況であった。余りにも避難の準備の受け入れ態勢が出来ておらず、実際の被害から数日たっても直ぐには状況は改善していない。それは、「避難勧告」などは数十年に1度あるかどうかという頻度だから、その様な備えが無駄になる可能性が高く、それ故に準備不足となっていると思われる。これが、例えば10年に1度は実施される「避難訓練」で必要な物資となれば、多くの自治体がそれなりの準備をするに違いない。この様な体育館への避難訓練では折角だから、単なる避難だけではなく本当にリアリティをもって訓練を行えば良い。例えば、町内会ごとに誰が避難して誰が避難しないなどの名簿を作成したり、生存者情報などの情報発信の練習もすれば良い。救助に当たっては、避難できていない家が絞り込めるから、どの家を中心に救助すれば良いかの情報が事前に分かることになる。全員が避難できなくても、その後の救助や対策は打ちやすい。さらには、一度はその様な状況を経験していれば、東日本大震災の様な大地震が起きても、それほど慌てることにはならないだろう。台風の場合の避難場所は何処で、津波を伴う地震の場合の避難場所は何処であるとか、その様な確認のためにも有効だろう。そして、国ないしは自治体が、その様な「リアル緊急避難訓練」の予算を組めば、言い方は悪いが10年に一度ぐらいは予算消化の為に「躊躇」することなく避難訓練命令を発することが出来るだろう。

まあ、単なる思い付きだからもう少し深い詰めが必要だろうが、発想の転換としてリアリティを伴う環境で、それ程追い込まれる前に避難訓練を行うという発想は検討の余地があるのではないかと思った。如何だろうか?

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橋下大阪市長の粋な回答

2014-08-24 23:55:31 | 政治
今日は手短なコメントを。。。
昨日、アイス・バケツ・チャレンジへの批判記事を書いたらコメントを頂いた。きっと「ふざけんな、コノヤロー」とか「チャリティに横槍入れんな!」とか怒られるんだろうなと思い、恐る恐るコメントを読んだら逆でした。ちょっとホッとしたりして・・・。

コメントの「ぱれっと」さんからの情報で調べてみると、毎日新聞は安倍総理に氷水をかぶることを強要した記事を掲載して、「『国民の命を守る』が口癖のリーダーなら、逃げも隠れもすまい。」と何とも浅はかな嫌味を込めていた。コメントの内容が真逆で、「『国民の命を守る』が口癖のリーダなら、氷水で健康に支障をきたしリーダ不在の状況を回避するため、どの様な避難にも負けずに氷水をかぶるべきではない・・・。」とでも書いていれば、ポピュリズムよりリスク・マネージメントを選択することの重要性を謳う賢明な新聞社と評価したところだが、何とも浅はかで嫌味までオマケでついている所が何とも毎日新聞らしい。

まあ、毎日新聞など眼中にないからどうでも良いのだが、この話題に橋下大阪市長も巻き込まれたらしい。しかし、それに対する返し方が何とも「粋(いき)」である。下記の記事を読んで頂きたい。

BLOGOS 2014年8月23日「大好きな亀田興毅さんからアイスバケツの指名を受けました - 2014年08月23日(土)のツイート

この記事(というか、橋下市長のツイート)によれば、亀田興毅氏からのご指名を受けたのに対し、所定のルールの受容さからご丁寧に辞退をしている。寄付をしたかどうかも明かしていないし、次なる指名もしていない様だ。

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大好きな亀田興毅さんからアイスバケツの指名を受けました。もうすでに24時間を過ぎているようですが。この運動には賛成します。どういうやり方であれ、これだけのアピール、発信になったのは凄いことです。この運動でALS支援の輪が広がっているのは厳然たる事実ですし。
ただ僕は行政機関の長でもあるので、今回の運動に直接参加することは辞めておきます。僕のところには様々な支援要請が来ます。運動参加の要請も来ます。そのような中で一定のルールに基づかなければ、これは参加して、これは参加しないとの不公平が生じます。
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上記のツイートに続き、如何にこの手の障害者に対して、大阪市長としての権力を持つが故に出来ることを公的に実現してきたかを例示し、チャリティ以外の手法でもこの様な人々の為に出来ることを示した。つまり、彼の様な著名人にとって出来ることは氷水をかぶることだけではなく、他にも出来ることが多々あるのである。そして、別のアプローチに展開することで、単調な1次元的な運動が3次元的に展開していくその可能性を示している。

ただ、その様な発展をさせるにしろ、1次元的な単調な運動を継続するにしろ、彼の様な権力者にはそれなりのルールが必要な訳で、この様なチャリティに賛同するとなると別の誰かが「あいつの要請は聞いて、俺の要請には応えてくれないのか!」と言い出しかねないから、その権力の行使の公平性を強く意識し、丁重に断るという選択肢を選んだ。ただ、私の様に単なる感情論をぶつけるのではなく、理路整然とした回答と、亀田氏への思いやりのコメントが添えられている。これを「粋」と言わずして何をや・・・という感じである。

私は、安倍総理に向けられた指名を聞いたとき、橋下市長の様な視点でものを見ることが出来なかった。言われてみればもっともだが、目から鱗である。ポピュリズムに応えると、更なるポピュリズムが後を絶たず押し寄せることになる。私の感覚的に感じていた違和感はこの様なものだったのだと思うが、それを分かり易く説明してくれたのが橋下市長のツイートである。新聞社には、この様な「思わず膝を打つ」コメントを期待したい。まあ、無理だろうけれど・・・。

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アイス・バケツ・チャレンジなんか嫌いだ!!

2014-08-23 23:58:53 | 政治
最近、アイス・バケツ・チャレンジが話題になっている。報道によれば、8月22日(昨日)にみんなの党の浅尾代表が安倍総理を指名したそうで、24時間以内に実行or募金がルール化されているので、今日(23日)にデッドラインを迎える(というか、既に24時間経過している)。しかし、現時点で安倍総理が実行したという報道は入ってきていない。多分、安倍総理は寄付はするだろうがチャレンジは行わず、次なる指名も辞退するだろう。

この様な話に剥きになるのも大人げないが、私はこの様な行為が大嫌いである。建前論的な話として、よく言われる「ネズミ講と一緒」とか「心臓麻痺のリスクがある」とか「理由の如何にしろ強制的的に何かを強いるのは良くない」など様々あるが、まあそんな話はオマケの様なもので、単純に生理的に嫌いというのが本音である。

生理的に嫌いというのに論理武装など不要なのだが、私が一番嫌いな理由はこれは「ポピュリズム」の象徴だと思うからである。

若い人はご存じないかも知れないが、1980年代半ば、世界中のミュージシャンがアフリカの恵まれない子供たちの為に募金をしようという動きがあった。きっかけは、1984年にアイルランド出身のミュージシャンであるボブ・ゲルドフが「Do They Know It's Christmas?」という曲を作曲し、ミュージシャン仲間に協力を求め、「Band Aid」というイギリス、アイルランドの著名ミュージシャンによるバンドを結成し、世界にアフリカに向けた募金を呼びかけた。これを受けたアメリカ側のミュージシャンは、ライオネル・リッチーを筆頭に、マイケル・ジャクソン、スティーヴィー・ワンダー、クインシー・ジョーンズら大物アーティストが集まり、「U.S.A. for Africa」を結成した。彼らが歌う「We Are The World」は大ヒットし、世界中でチャリティ運動の輪が広まった。

私は彼らの行動は非常にスマートだったと思う。ボブ・ゲルドフが作ったバンド名が「Band Aid」で、歌った歌が「Do They Know It's Christmas?」というのは何とも「粋(いき)」である。誰かに何かを強要するのではなく、多くの人の心から自発的に何かが産まれるのを助ける「触媒」の様なもので、そこには強制性のかけらもなかった。幾ばくかのミュージシャンは売名行為的に参加したかも知れないし、仲間から半ば強要されたりした例もあったかも知れない。しかし、その様な人達でもレコーディングやその後のチャリティ・コンサートを楽しんでいたと思うし、その心意気が多くの人々の心を打ち、多くの募金が集まったと思う。その募金が有効活用されたかどうかは知らないし、本当はお金以上に貧しい地域を裕福にするための農業支援や井戸掘りや、医師などの派遣などが求められていたのかも知れない。しかし、彼らの行動がその後の何かを生む連鎖反応の起爆点になったのは間違いない。私は非常に強く心を打たれたのを覚えている。

しかし、今回のアイス・バケツ・チャレンジはその様なものとは別物である。最も嫌いなのは、チャレンジした人達がその動画をネットに流す点である。筋萎縮性側索硬化症 (ALS) の研究を支援するのが目的のチャリティの一環であるのだが、私はそのチャレンジの映像を見て「募金をしよう」という気持ちが湧きあがりはしない。むしろ、「募金なんかするもんか!」という気持ちが湧きあがる。単純に知名度をあげ、怪しい募金ではないことを世界に知らしめるのが目的なら、もう少しスマートなやり方をすれば異論など湧きようがないのだろうが、今回のアプローチは明らかにそれとは異なっている。そこには異論をはさむ余地が残されておらず、「当然、これって正しいよね!」と正義の押し売りをされている様で、自発的な気持ちを大切にすべきチャリティ精神とは対極にあるような気がする。

しかしそれにも関わらず、このアイス・バケツ・チャレンジは世界中で大流行している様だ。それは何故か?答えは単純で、参加する人の「ポピュリズム」をくすぐるからである。「個人的に、風呂場で氷水をかぶりました。動画は流しませんが、チャレンジ成功です!」とツイッターに流して終わりにするような有名人が多くいるなら分からないでもないが、殆どの著名人は大勢の前で実行したり、ないしはYou Tubeなどで動画を流しまくっており、それを自らの宣伝の様に使っている。ビジネス的な視点で考えれば、強要する側と強要される側は、相互に自らにとっての利点をもっているので、云わばWin-Winの関係になる。ビジネス戦略とみれば理にかなった戦略だろうが、こんなチャリティにビジネス戦略を持ち込まないで欲しいのである。

まあ、野暮なツッコミでしかないのだが、「ポピュリズム」のアプローチが益々先鋭化している様で私は怖いのである。朝日新聞などの扇動で広がる「特定秘密保護法」や「集団的自衛権」などの反対ネガティブキャンペーンなどは、その本来の意味を考えることなく、上っ面の軽率な「正義感」を焚き付けて半ば暴力的に政治の足を引っ張ろうとしているのだが、その様な政治闘争に今回の様な「ポピュリズム」のアプローチが利用されそうで怖いのである。

少なくとも、安倍総理にはこの流れを断ち切って頂きたいと願う。

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どうしてアメリカの報道機関が韓国に見切りをつけたのか?

2014-08-21 23:57:28 | 政治
昨日の段階で話題になっており、一度は昨日のブログのネタにしようと考えていたが、1日だけ寝かしていた話題について書いてみる。アメリカのワシントン・ポスト紙の社説に、南部バージニア州などで起きている韓国系住民の票欲しさに媚まくる政治家に、「東海」併記問題や慰安婦像問題で日韓の争いに首を突っ込むな・・・と諭したというニュースである。

産経ニュース2014年8月20日「『韓国系有権者への過剰な迎合だ』米W・ポスト紙、『東海』併記や慰安婦石碑を問題視

こちらの原文の記事はこちらである。

2014年8月19日Washington Post
The Post's View : Pandering to Northern Va.’s Koreans is going to extremes

ここでは「所謂(従軍)慰安婦」として「so-called comfort women」と書かれていたり、国際問題の専門家でもないのに日韓の争いに首を突っ込むことを批判するなど、かなり日本側に沿った報道内容になっている。

この記事を最初に読んだとき、私は首をかしげてしまった。つい先日までは、ワシントン・ポストやニューヨーク・タイムズなどは安倍総理のことをケチョンケチョンに叩きまくり、朝日新聞などの反日報道を鵜呑みにして日本政府を諸悪の根源の様に貶めていたので、何故にこの様な記事が載ったのかが分からなかった。しかも、多くの記事は社員以外の契約記者などからも入力されるので、中には社の意向に沿わない記事も紛れ込んでも仕方がないのだが、今回の記事は「The Post's View」で「Editorial Board」による記事となっているので、常識が分からないから所謂「社説」なのかどうか知らないが、少なくとも「社としての公式見解」であることは間違いない。何とも不思議な展開である。

私がこの様に戸惑った理由は単純で、どうしてアメリカの報道機関が日本にすり寄ったのかを考えたので分からなかったのだが、視点を変えて、「どうしてアメリカの報道機関が韓国に見切りをつけたのか?」という視点で考えると、それは思い当たる節がある。

例えば、会員限定なので全文を読むことは出来ないかも知れないが、下記の記事などが良い例である。

日経ビジネスオンライン2014年7月31日「『中国の属国に戻るぞ』と米国に脅された朴槿恵 揺らぐ米韓同盟――読者と考える(鈴置 高史)

この記事では米国のビクター・チャ・ジョージタウン大学教授が中央日報に書いた記事を最初に引用しながら、アメリカが韓国を見限り、最後通牒を通告したという話が記されている。ここでは、ビクター・チャ氏が中央日報に掲載した「朴槿恵の統一論、歴代政権と比べてみると」という記事と、この記事の英語版の記事「Five theories of unification」を比較しながら、記事の韓国語版では削除された文章「韓国は中国との関係で舞い上がっているようだが、強固な韓米関係を基にしてこそ、中国への接近をしっかりとしたものにできるのだ。」「(米国との同盟なしでは韓国は、中国からその小さな一地域として扱われるという)こんなことは、韓国政府の指導層だって分かっていると思うが。」という刺激的な文章を指摘しながら、韓国をたしなめている。中国に言い寄られて舞い上がる韓国を非常に恥ずかしいと嘆いたり、こんなことも分からんのか?(まさかとは思うが、そんなことはないよね)という嫌味を込めたり、はっきりと不愉快さを前面に出した記事であり、これが最近のアメリカの「韓国評」であることがうかがい知れる。これは、益々、不確実性を高める北朝鮮情勢において、アメリカ軍が効率的に機能するには不可欠の在日米軍からの応援を確実にするためには、日本政府の手段的自衛権の行使容認に少なくとも韓国サイドからアシストが無くても邪魔だけはしないという了解が必要なのだが、韓国政府の凝り固まった反日姿勢で、安倍総理としても、日本政府の了承なしに、在日米軍が直接北朝鮮を攻撃することはできない・・・と「正論」を国会で述べざるを得ない状況になってしまった。朴大統領は、ケリー国務長官やオバマ大統領からは「歴史の問題は後ろに置いておけ」と迫られ、一方で習近平国家主席からは日本叩きの合唱連呼において「戦友」と持て囃され、完全に「イッてしまった」状態にある。しかし、サムソンを例に取っても分かる通り、韓国経済を蝕む最大の敵は中国の廉価な家電製品であり、経済危機へまっしぐらなのは逃げようがない。しかし、通貨スワップでは中国に完全に命綱を握られているので、日本と決別した以上、骨の髄まで中国にしゃぶり尽くされるのを逃げることが出来なくなっている。アメリカはMD戦略などで何度も韓国に踏み絵を迫るが、それでもその絵を踏めない事情に業を煮やし、そろそろアメリカが韓国を見限る時が近づいてきている・・・というのが大方の事情通の見方らしい。既に韓国はアメリカにとっての「裏切り者」であるとの認識が強まっている。

というか、元々、アメリカにとって韓国はそこまで信頼できる存在ではなかったようでもある。下記の記事にそれが表れている。

Yahoo!Japanニュース(XINHUA.JP)「米NSA、韓国は『米国に対するスパイ活動を行う国』・・しかも“最も脅威が大きい国”に分類されている―韓国メディア

これは、米国の米国国家安全保障局(NSA)が韓国を「米国に対するスパイ活動を行う国」リストに入れ、10か国の「最も脅威が大きい国」に分類したという記事である。この10か国は中国、ロシア、キューバ、イスラエル、イラン、パキスタン、北朝鮮、フランス、ベネズエラ、韓国であり、フランスを除けば「おい、おい!」という如何にもアメリカが信頼できなさそうな国が並ぶ。信頼は出来ないが、対北朝鮮、対中国の視点からは有益と考えていた韓国であるが、少なくともショック療法でお灸をすえなければ、これ以上、今まで通りの様な付き合い方をすることは出来ないと見限っている様だ。
ここからは私の予想だが、アメリカのホワイトハウス筋ではこの様な韓国への評価が高まり、その辺の事情は報道機関に周知の事実となっているのだろう。一方の安倍総理は何だかんだ言ってやるべきことはやるし、決めるべきことは決めている。朝日新聞の捏造記事撤回の話まではまだ知れ渡っていないかも知れないが、河野談話の検証報告などを通して、慰安婦問題などでさえ日本政府は結構、やるべきことをやってきたことが知られるに至った。それでも日本に「ベタ降りしろ!」と言いたいところだったが、韓国の米軍慰安婦問題が大きな話題となるにつれ、日本だけにベタ降りを強要する根拠も乏しくなった。というより、安倍総理は安易な妥協は未来に禍根を残すことを熟知し、到底、筋の通らない妥協をするような人物でないことも分かる。結局、報道機関も韓国の理不尽なナショナリズムをクールダウンさせなければならないと気づき、今回の様な報道になったのだと思う。

ちなみに、現時点では韓国サイドでは少なくとも日本語化されている新聞ではワシントン・ポストの記事はスルーを決め込んでいる様だ。何処まで無視が出来るのか、もうしばらく様子を見てみよう。

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求められるのは「進歩的文化人」ではなく「誠実な人」である

2014-08-20 23:57:33 | 政治
先日、ネット上の様々な記事を漁っていて、ある記事で目が止まった。思わず膝を叩いてしまった。

アゴラ 松本徹三 2013年8月5日「『誠実な人』と『不誠実な人』

この記事は今から1年ほど前の記事で、実際には最近の下記の最近の記事の中で引用されていた。

アゴラ 松本徹三 2014年8月18日「サヨクの系譜

この後者の記事の中では「サヨク」という言葉を丁寧に使っていて、厳密には社会主義・共産主義を志向する勢力である「左翼」的な要素はほとんど皆無な人達でありながら、ただ一方で世の中的には反政府的という視点から「左翼」と認識されている人々をカタカナで「サヨク」と呼んでいる。今回の私のブログでは、この「サヨク」という言葉と「誠実な人」と「不誠実な人」という言葉を切り口に、記事の著者である松本徹三氏の考え方と私の考え方を整理してコメントを書いてみる。これらの記事の純粋な紹介は省略するが、特に前者の記事は私的には非常に面白いので一読をお勧めしたい。

まず、詳しいことは知らないが、これらの記事を書いた松本徹三氏は面白い経歴の持ち主で、商社の伊藤忠やクアルコムジャパンの社長、ソフトバンクモバイルの副社長などの経歴の持ち主で、最近ではソフトバンクを離れて少しフリーな立場で色々なコメントをしている。他の記事を含めて彼の記事を読む限り、かなりの部分が共感できるものである。

実は、今回のコメントを書く前に、私が半年ほど前に書いた記事を引用してみたい。

2014年1月27日「都合の良い似非『弱者』のレッテル張りはもう止めよう!

ここでは、消費税増税、TPP参加、特定機密保護法、アベノミクス推進、集団的自衛権容認、法人税減税、規制緩和(自由競争経済)、雇用における金銭解雇ルール導入、普天間飛行場への辺野古移転、安全が確保された原発の再稼動・・・etc.など、様々な論点をピックアップしながら、これらの相関が小さな論点でありながら、世の中の人は「all賛成」か「all反対」の何れかに分かれやすいという傾向を示し、その背景にはご都合主義的な弱者救済があることを説いた。このご都合主義的な「弱者」とは「似非弱者」であることが多く、それは論理的な思考や科学的データにより裏打ちされた「弱者」ではなく、ポピュリズム的に利用価値のある「弱者」であり、深い考察を伴わない一般市民が騙されて「真の弱者」と勘違いし易い存在である。この様な似非弱者を設定することで、半ば悪意のある偽善者は、論理的な思考・議論をすっ飛ばかし、一般市民の情緒に訴えることで多数派の地位を勝ち取ることを試みようとする。そこでは「似非弱者」の対極の「似非強者」が存在し、全てのしわ寄せを「似非強者」に押し付けることで「心地良い正義の実現」の錯覚に酔うことが出来る。

上述の松本氏の「誠実な人」と「不誠実な人」の議論とは、この様な論理的な議論や科学的データに裏打ちされた判断などをどの様に捉えるかで「誠実な人」と「不誠実な人」が分かれ、その意味では選挙に有利なように有権者を誘導しなければ生き残れない政治家が「不誠実な人」であることは同情を示しながらも、その様な必要性が本来ないはずの学者やジャーナリストが「不誠実な人」になることが許せないとしている。

私の考察では、この様な「不誠実な人」の不誠実であることのモチベーションは、自分の主義主張にそって一般市民や新聞や雑誌の読者、テレビの視聴者を誘導することで自分の地位を高めようとすることにあると思っていたのだが、もう少し奥が深いことが良く分かった。それは、上述のふたつの記事の後者にも関係があり、「左翼」と呼ばれる人々の歴史にも関係があるのかも知れない。

私なりの言葉で順番に説明するならば、戦前・戦中、朝日新聞を筆頭に全ての報道機関は軍国主義を賛美し、多くの国民が進んで戦地に赴くように仕向けていた。勇ましいことを書くと新聞が売れるので、単純に当時の政権の命令に従ってその様な報道に流れていた訳ではない。学校では天皇陛下の為に死ぬことを潔しとし、お国の為に死ぬことこそが男の生きる道と洗脳した。しかし戦争が終わるとこれらの教えは真逆となる。今まで正しいと思っていたことが全て悪となり、特に報道機関に関わる者や教職員達は、今までの自分たちのしてきたことの罪深さに狼狽することになる。多分、この時に彼らは戦時中を振り返り、戦時中の軍国主義の政府に敢然と立ち向かった人々のことを思いだしたに違いない。それは、共産主義、社会主義を志向していた「左翼」と呼ばれる人々で、一部の「富」「権力」を持てる人々と搾取される「労働者」「農民」という弱者の格差を忌み嫌い、これらの格差を払拭するための社会主義国家を夢見て「理想郷」となる国家の樹立を目指していた。当時の北朝鮮もその様な「理想郷」のひとつと位置付けられ、在日朝鮮人の帰還事業が大々的に行われ、それに騙されて地獄をみる人々を多く産むことになった。

松本氏の言葉を借りれば、戦時中に軍国主義に加担した人々が戦後に改宗し、この様な人々が「進歩的文化人」という不可思議な存在に昇華されていったとしている。彼らは論理的に「真実を求める」ことへのモチベーションはなく、殆ど戦時中に行っていた悪行(もちろん、当時は正義と信じていたのだが)への懺悔の気持ちで、戦時中の行動の真逆の行動を常に志向することになった。つまり、国家・政府が「右」と言えば「左」、「左」と言えば「右」ということに快感を覚えるようになった。したがって真実の追及など意に介さず、中国やソ連(現在のロシア)を礼賛し、帝国主義的な野心を持ち続けるアメリカや追従する日本を悪と断罪し、分かり易い「左翼」が出来上がってきたのである。しかし、現在の中国を見れば分かるように社会主義は完全に理想的に機能することは不可能で、「平等」とはかけ離れた「不公平」「格差」を生じさせる宿命を持つものであり、自由主義経済の様な効率の追求が伴わない故の非効率性や、権力の独占などにより「理想郷」には成り得ないという化けの皮が剥がされることになる。ソ連が崩壊し、中国が覇権主義に走る中で、多くの「進歩的文化人」は純粋な社会主義革命を目指す「左翼」から距離を置き、「左翼」というベクトルの中から「反政府」という成分を抽出し、新しい形での「サヨク」を形成することになる。

これらの「サヨク」の系譜から分かるように、彼らは「真実の追及」には興味がない。当初は富を独占する「富裕層」と彼らと対立する「労働者」の間の戦いから導かれる革命という社会主義的な思考を持っていたが、これよりももっと一般市民に受け入れやすい対立構造として、「似非弱者」と「似非強者」を対立させ、「似非弱者」が「似非強者」を打ちのめすことが「理想郷」への第一歩と訴える戦略に出た。ここでは既に社会主義的な思想は何処にもないから、既に狭義の「左翼」ではなくなっているので、その意味で「サヨク」とカタカナ読みにするのが適切なのだろう。

この「似非弱者」と「似非強者」の例を分かり易く説明してみよう。例えば漫画の「美味しんぼ」の中では、「福島では、放射線障害で鼻血を出す患者が急増している」という様な情報が提示されていた。放射線障害に苦しむ患者は「弱者」で、その弱者を救済しようとしない政府や東電は「強者」ということになる。「放射線障害で苦しむ患者が”仮に”多数存在するとして、その様な患者を政府が無下に扱っていたらどう思いますか?」とか、「放射線障害が”仮に”実在するとして、原子力ムラの人々がそれをもみ消そうとしていたとしていたらどう思いますか?」と問いかけると、この質問の前半部分が「仮定」であるにも関わらず、あたかもそれが真実かの様に勘違いした一般市民は「政府」「東電」「原子力ムラ」はケシカランという結論に辿り着いてしまう。しかし、実際には「鼻血」を出す人々は意外に多く、不正確な記憶であるが確か九州の福岡か何処かの都市、つまり原発事故から遠く離れた地域で「鼻血」を出す患者(これを「患者」と呼ぶべきかどうかは分からないが)が多く、福島県は相対的に原発事故後も鼻血を出す患者は少ないという。この事実をひとつ見ても、「鼻血」=「放射線障害」には無理があり、その様な主張をするなら科学的な裏付けとなるデータを示して欲しいものだが、先にも示した様にこれらの「進歩的文化人」は真実の追及に興味はないので、自分の信じる理想郷の実現のためには平気で嘘やミスリードを戦略的に用いるのである。そこには真実の「弱者」と真実の「強者」は必要なく、「似非弱者」と「似非強者」が都合が良い。

最近話題の朝日新聞は完全にこの「進歩的文化人」を志向しており、何か良く分からないが「理想郷」を信じて突き進んでいる。多分、産経新聞は戦前の悪行に懲りて「進歩的文化人」を気取る朝日新聞とは逆で、「進歩的文化人」に懲りて真逆に振り子を振りまくる存在なのだろう。それはそれで新たな危険性をはらむ余地があるが、今、現在の危機である「進歩的文化人」という病への処方箋として、それなりの存在意義があるのだろう。

結論としては、本来、我々が求めるのは「誠実な人」であるべきであり、科学的データや論理的な組み立てで議論を構築し、結論を導き出す人である。ただし、松本氏もご指摘の様に、世の中が複雑になり過ぎて、そう簡単にスパッと善悪を判定できるケースは皆無に近い。科学的にも明確に分かっている部分と分からない部分があり、ここまでは言えるがその先は断定的には語れないとか、確率論的には議論できるが、決定論的に断定はできないということになる。確率論として、例えば「発生確率が1万年に1回なら原発事故は許容しても良いか?」と問われると、これも良いとも悪いとも断定しにくく、その他の要因と絡んでくる。例えば、交通事故の死者が毎年5千人(24時間以内の死者なので、実際にはその倍くらいは交通事故に起因して死亡する者がいると思うが)だとして、2~30年すれば広島、長崎の原爆の死者の数に匹敵する。昔はもっと交通事故の死者が多かったが、安全のための設備が進歩して、死者数は大きく減少した。原発にしても、1万年の時間スケールを待たなくても、10年単位で安全性の向上技術は進歩しているはずである。勿論、人的要因として、どうしても人は不都合なことを隠そうとする傾向があるから、事故の小さな芽を適切に摘むことが出来るかどうかは不確実性が伴う。この様な、都合が良いか不都合かに関係なく真実を追求し、その様な事実を全て明らかにしてくれる「誠実な人」がいてくれると、その先の政治の決断において「不誠実」な人が介在しても、我々一般市民は監視をすることが可能になる。

だから、政治家はともかく、少なくとも学者やジャーナリストには「誠実な人」であってもらわないと困るのである。だから、「不誠実な人」には第一線から去って頂かないと困るのである。食材を扱う職業から「不誠実な人」を追放するのと同じロジックである。

朝日新聞が戦前の悪事の総括をせずに「進歩的文化人」に走ったのと同様、今回、慰安婦問題では自らの悪事の総括をせず、論理のすり替えで生き残りを図ろうとしている。そこには真実の追及のかけらもなく、そして誠実さのかけらもない。

現在、我々は新たな技能が求められる様になった。それは「進歩的文化人」と「誠実な人」を見分ける能力を身に着けることである。盲目的に信じる時代は終わりを告げようとしている。

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つまらないパンドラの箱を開けた韓国政府(産経新聞ソウル支局長召喚問題について)

2014-08-19 23:14:10 | 政治
先日から注視していたニュース記事があったが、最近、新しい展開を見せている。産経新聞のソウル支局長に対する出国禁止&出頭要請に関する記事である。

事の発端は下記の8月3日の産経ニュースの記事である。

産経ニュース2014年8月3日「朴槿恵大統領が旅客船沈没当日、行方不明に…誰と会っていた?

何とも長い記事なのだが、前半部分では何のことやら分からない書きっぷりで、最後にその全貌が明らかになる。日刊紙というよりは夕刊紙やスポーツ紙のゴシップ記事という内容だ。確かに、一応は真っ当な日刊紙との自負があるであろう産経新聞にしては違和感が全く無い訳ではないが、事の真偽次第では韓国の朴政権が吹っ飛ぶかも知れない内容なので、早い段階で記事にしておく価値は十分にあったと判断したのだろう。

ただ、そこに大統領府(正確には検察)が噛みついた。しかも、建前上は民間団体の告発を受けての検察の対応としている。そして、その様な大統領府の動きを受けて、親朴大統領系の保守系新聞などでも、「憎っくき産経新聞!」とばかりに今回の召喚を記事にしている。

朝鮮日報2014年8月19日「産経支局長の虚偽報道疑惑、韓国検察は結論急ぐ方針
中央日報2014年8月18日「『朴大統領の私生活』疑惑提起の産経新聞ソウル支局長を召喚調査

そして、その召喚の正当性を訴えるために、中央日報に至っては、下記の様に朴大統領を擁護する記事まで掲載している。

中央日報2014年8月18日「【コラム】その時、朴大統領は官邸にいた(1)

ただ、朴大統領擁護のこの記事の中身を見ても明らかなのは、誰の目に見ても明らかな「動かぬ証拠」を伴っての擁護ではなく、「大本営発表では、この様に発表されているから、大本営の言い分が正しい!(産経新聞は間違っている)」という内容であり、実際、最後には大統領府自らが身の潔白を証明するための行動を積極的に行うべきだとしている。しかし、産経新聞の記事にも記載されているように、大統領の空白の7時間を追求し始めたのは韓国の野党勢力であるから、「言質を取られるのを恐れて、所在の明言を避けてきた大統領府のスポークスマン」が今さら裏付け証拠のない情報を提示しても、その情報をそのまま鵜呑みにするはずがない。仕方なしに証拠を示して細かい情報が提示されても、情報が提示されれば提示されるほど、その個別の事象に対する真偽の検証がやり易くなり、何処かで矛盾点が出てくれば致命傷になりかねない。これは、実際には青瓦台を大統領が離れていなかったとしても、ないしは誰かと密会していなかったとしても、強引な証拠の捏造工作やもみ消し工作が裏にあったとすると、それが発覚すれば大統領の信頼は失墜する。

ちなみに、産経新聞が元ネタにした朝鮮日報の記事は、当初は誰でも読める環境にあったが、時間がたった現時点では会員限定となってしまっている。こんなところに登録はしたくないと思ったので読み返すことはできないが、以前に読んだ際には、事前に読んだ産経新聞の記事と相当な部分で内容が重複していた。つまり、産経新聞の記事は大部分が朝鮮日報の元記事の引用であり、その差分はごくわずかである。記憶の限りで指摘させて頂ければ、多分、その最大の差分は「産経新聞は『大統領とオトコ』」という言葉を使った点であろう。このカタカナ書きの「オトコ」という淫靡な表現が大統領府は気に入らなかったのだろう。だが、常識的に考えてこれだけの差分で「朝鮮日報」は無罪で「産経新聞」は有罪というのは無理がある。この点は、ハンギョレ新聞も同様の指摘を行っている。

ハンギョレ新聞2014年8月14日「産経新聞が問題なら引用元の朝鮮日報は?

ちなみに、この事態を中国サイドからの比較的中立的な立場で報じている記事もあった。

Record China 2014年8月11日「朴大統領の「疑惑の7時間」報じた日本紙に、韓国ネット「土下座で謝れ!」「ありがとう日本の新聞」

「憎っくき日本を叩きたい!」という本能はありながらも、セウォル号事件の深い闇の真相究明と朴大統領への不信の気持ちから、今回の事態でパンドラの箱が空けば、真実が明らかになる可能性があるという意味で反朴大統領派の人々からは産経新聞に対して感謝やエールの様な気持ちが寄せられているようだ。何とも不思議な事態である。

なお、以上が一連の騒動の話なのだが、韓国側のこの一連の行動は、少々うがった見方をすると別の意味にも解釈できる。産経新聞が「ソウル支局長を『出国禁止』」と報じたのは8月9日であり、この記事は同じ9日に聯合ニュースが検察からの情報と称して報じている。実際にその様な判断に至るには内部的な議論もあるだろうから、この様なアクションの発端はその数日前にあったと類推できる。そして、それは時系列的には8月5日の朝日新聞の慰安婦問題の誤報訂正記事を産経新聞が超攻撃的に報じていた後のタイミングに一致する。実際、朝鮮日報では慰安婦問題の訂正記事で産経新聞に叩かれる朝日新聞に対し、8月9日付で「【コラム】朝日新聞の孤立」と題して記事を掲載(現在は会員限定)し、「旧日本軍の従軍慰安婦をめぐる朝日新聞の闘いは20年以上になる。加害者の国の新聞が常に被害者側に立って闘ってきたのだから、孤立し疲れが見えてきた。これを知恵を持って助ける方法が韓国政府にはあるはずだ。」と韓国政府が朝日新聞救済のアシストを行うことを求めている。

つまり、(時系列的には朝鮮日報の記事を受けてではないことは明らかだが)朝日新聞叩きをする極右紙の産経新聞を叩き、朝日新聞にエールを送ろうというメッセージを韓国政府サイドが発信したかの様にも見えるのである。しかし、(残念ながら)その朝日新聞系のテレ朝の機能の報道ステーションでは今回の事件に触れ、政府の意に沿わない報道を民間団体の告訴という形を借りて言論統制しようとする動きは、中国のそれに類似するものがあり注視していかなければならないといったニュアンスで韓国政府を批判していた。相手が慰安婦問題だけでなく吉田調書でも戦いを繰り広げる産経新聞であっても、国家による言論統制に関しては共闘できるということなのだろう。まあ、その辺はどうでも良い話で、韓国サイドのやり過ぎを批判している訳である。

今後の展開としては、仮に韓国政府が産経新聞のソウル支局長を国外退去させるなどの法的措置を伴うと、産経新聞側は徹底抗戦をするだろうから、実際のところは「厳重注意」ぐらいで大統領府は矛を収めようとする公算が高いだろう。しかし、産経新聞がそんなことで納得するとも思えず、実際、今日も紙面で引き続き韓国政府の対応を批判している。事態が長引けば長引くほど、一旦収束しかけたセウォル号事件の蒸し返しにつながり、韓国政府はボディブローの様にダメージを受ける。しかし、パンドラの箱を開けてしまった手前、簡単には元には戻せない。
今後の展開が楽しみな記事であった。

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天下の大新聞が信じられなくなった日

2014-08-18 23:57:44 | 政治
今朝は朝から腹が立ってしょうがなかった。今日の産経新聞は、1面、2面、3面を使って朝日新聞が先日「大捏造」した吉田調書の真実が語られていた。

産経ニュース2014年8月18日「吉田所長、『全面撤退』明確に否定 福島第1原発事故
産経ニュース2014年8月18日「第2への退避、吉田氏『正しかった』元所員『命令違反ではない』本紙に証言
産経ニュース2014年8月18日「朝日新聞の報道は『所長命令に違反し、所員の9割が原発撤退』

この問題も慰安婦問題と同様で、福島第一原発の真実を知る多くの報道機関やジャーナリストから「誤報の訂正を!」と合唱連呼が起きていた。しかし、朝日新聞は「一部週刊誌の『虚報』『ウソ』などの報道は、朝日新聞社の名誉と信用を著しく毀損(きそん)しています。厳重に抗議するとともに、訂正と謝罪の記事の掲載を求めています」と未だに言い続けている。産経新聞の今日の報道は、朝日新聞などに引き続き、産経新聞も吉田調書を遅ればせながら入手し、その中身を検証した結果、朝日新聞の誤報(捏造)を明確に吉田調書の文章を引用し、朝日新聞を糾弾している。

特に問題となったのは下記の部分である。

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 吉田氏「そうそう。ですから本店とのやりとりで退避させますよと。放射能が出てくる可能性が高いので一回、2F(福島第2原発)まで退避させようとバスを手配させたんです」
 --細野(豪志首相補佐官)さんなりに、危険な状態で撤退ということも(伝えてあったのか)
 吉田氏「全員撤退して身を引くということは言っていませんよ。私は残りますし、当然操作する人間は残すけども、関係ない人間はさせますからといっただけです」
 --15日午前に2Fに退避した人たちが帰ってくる
 吉田氏「本当は私、2Fに行けとは言ってないんですよ。車を用意しておけという話をしたら、伝言した人間は運転手に福島第2に行けという指示をしたんです。私は福島第1の近辺で線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fにいってしまったというんでしようがないなと。2Fに着いたあと、まずGM(グループマネジャー)クラスは帰ってきてということになったわけです」
--所長の頭の中では1F(第1原発)周辺でと
 吉田氏「線量が落ち着いたところで一回退避してくれというつもりでいったんですが、考えてみればみんな全面マスクしているわけです。何時間も退避していて死んでしまう。よく考えれば2Fに行ったほうがはるかに正しい」
 --退避をめぐっては報道でもごちゃごちゃと
 吉田氏「逃げていないではないか、逃げたんだったら言えと。本店だとか官邸でくだらない議論をしているか知らないですけども、現場は逃げていないだろう。それをくだらない、逃げたと言ったとか言わないとか菅首相が言っているんですけども、何だ馬鹿(ばか)野郎というのが基本的な私のポジションで、逃げろなんてちっとも言っていないではないか。注水とか最低限の人間は置いておく。私も残るつもりでした。場合によって事務の人間を退避させることは考えていると言った」
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朝日新聞の主張は非常に分かり易い話である。つまり、文章を読んでいくと、ある部分だけを切り取り残りの部分を黙殺すると、あたかも朝日新聞の主張する「命令違反で逃亡」という部分を浮き立たせることができる。
しかしこれは真実ではない。

私のブログでは口酸っぱく言っているが、「事実」と「真実」は似て非なるものである。典型的な例としていつも挙げるのは湾岸戦争の米政府の世論誘導の話である。つまり、ハイテク兵器の映像をテレビで垂れ流し、視聴者に「米軍はハイテク兵器で誤爆などするはずがない」と植え付ける。ハイテク兵器を使っているのは「事実」だが、「真実」とは「ハイテク兵器は全体のごく一部で、大半は旧式の爆撃を繰り返していたので誤爆が頻発した」である。しかし、視聴者をミスリードするには十分で、実際に私も誤爆の報道を敵のプロパガンダだと勘違いした。しかし、戦争ではその様な世論誘導はいつでもある話で、それは兵士の士気を高める上でも国内の反戦ムードを抑える努力を米政府がしなければならないのは十分理解できる。だからこそ報道機関の存在意義がある訳で、その様な誤った誘導を断ち切るために、報道こそが「真実」を追求すべきなのである。そして多くの一般市民は、報道は「真実」の追及に対して非常に真摯な態度で挑み、決して誤りなど犯さないと信じているのである。朝日新聞の行動はこの様な一般市民の信頼を弄び、自らの主義主張に読者をミスリード、すなわち「洗脳」することに奔走していることに他ならない。

ちなみに、朝日新聞のこの捏造は悪質である。朝日新聞は自社のホームページで吉田調書の一部を公開している。しかし、その公開は恣意的で、例えば「フクシマ・フィフティの真相」と題して公開しているが、ここでは上記の私の引用の中の最後の部分、「逃げていないではないか、逃げたんだったら言えと・・・」の部分を削除している。また、福島第2原発(以降F2と記載)への避難を検討している最中に「車の用意をしておけ」と指示したことが、伝言ゲームで「福島第2原発へ行け」との指示になってしまった。これを称して「葬られた命令違反」との大見出しをかかげ、9割の所員が吉田所長の命令に反して逃げ出したのが「フクシマ・フィフティの真相」だとしている。しかし、これが吉田調書の誤った読み方であるのは明らかであるし、仮に百万歩譲って彼らが「逃げ出した」と解釈したとしても、吉田所長を含む69名の必要最小限の人員はそれでも福島第一原発に留まっている。正確に言えば「フクシマ・フィフティ」として称えられるべき人はその当時に福島第一原発で一緒に戦っていた800名程度の所員であり、1桁ほど桁が違うのであるが、その中のF2に一時避難した人を除いたも者を別格の「フクシマ・フィフティ」と称するならば、少なくとも「フクシマ・フィフティ」は一時退避すらしていないのだから、海外メディアが報じた内容は少なくとも間違ってはおらず、「フクシマ・フィフティの真相」などと訂正をしようとしたのは悪意以外の何物でもない。ここでも百万歩譲るなら、「フクシマ・ファイブハンドレッドの真相」とでも書くのなら、「500人の9割は一時退避しただろ・・・」と主張できるが、対象が「フィフティ」なのだから明らかに捏造なのである。

ところで、この朝日新聞の記事は誰を利するものであるかを考えると良く分かる。この誤報で喜んだのは大きく分けて、韓国や中国などの反日勢力、脱原発勢力、そして菅元首相である。菅元首相は吉田所長を一緒に原発と戦った「戦友」の様に思い、吉田所長にあやかって自らも英雄視しているようだが現実は真逆である。それは下記の吉田調書から良く分かる。

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--政治家ではそういう話になってしまっている
 吉田氏「知りません。アホみたいな国のアホみたいな政治家、つくづく見限ってやろうと思って」
 --ある時期、菅氏は自分が東電が逃げるのを止めたみたいな(発言をした)
 吉田氏「辞めた途端に。あのおっさん(菅氏)がそんなの発言する権利があるんですか。あのおっさんだって事故調の調査対象でしょう。そんなおっさんが辞めて、自分だけの考えをテレビで言うのはアンフェアも限りない。事故調としてクレームつけないといけないんではないか」
 〈政府事故調は菅政権が設置を決定。23年6月7日の初会合で菅氏は「私自身を含め被告といったら強い口調だが」と発言した〉
 --この事故調を自分(菅氏)が作っている
 吉田氏「私も被告ですなんて偉そうなことを言っていたけども、被告がべらべらしゃべるんじゃない、馬鹿野郎と言いたいですけども。議事録に書いておいて」(肩書は当時)
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ここまで菅元総理をケチョンケチョンにこき降ろし、この諸悪の根源のせいでどれだけ作業に支障が出て、さらには職員の士気までどれだけ下げられたかを考えれば、菅元総理を援護するかのような朝日新聞の捏造は悪意に満ちているとしか言いようがない。その目的は単純で、脱原発を実現するためには手段を選ばず、日本を不幸のどん底に突き落としかけた悪魔(元総理)とも手を組むという不純さである。そして、東京電力の社員が非常に良く頑張っていたという事実が脱原発勢力にとっては不都合な真実であり、その様な命を賭けて日本を守った英雄たちをも不道徳で倫理観のかけらもないセウォル号の船長達と同一視させることで、一般市民が東京電力に対して拒絶反応を抱くように仕向けている。

今回の記事では下記の様に門田隆将氏のコメントを掲載しているが、門田氏は自信のブログでも、朝日新聞の捏造記事を糾弾している。

産経ニュース2014年8月18日「『朝日新聞は事実を曲げてまで日本人をおとしめたいのか』ジャーナリスト、門田隆将氏
門田隆将ブログ「夏炉冬扇の記」2014年5月31日「お粗末な朝日新聞『吉田調書』のキャンペーン記事

そして、詳しい点は把握していないが、吉田調書を同様に入手していると思われる共同通信が掲載している連載記事「全電源喪失の記憶~証言福島第一原発~」の中で、問題の個所の記述が詳細になされている。これを門田氏は引用して次の記事を書いている。

門田隆将ブログ「夏炉冬扇の記」2014年7月25日「共同通信が決着させた朝日新聞『吉田調書』誤報事件

このブログで門田氏は下記の様に断じている。

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『死の淵を見た男』の取材で100名近い関係者の実名証言を得ている私は、NHKの「NHKスペシャル班」も相当、現場への取材を展開し、深く食い込んでいることを知っている。
そして、共同通信の現場への食い込み方は、やはり活字媒体ならでは、の思いが強い。しかし、朝日新聞だけは、現場取材の痕跡がない。「ひょっとして朝日は現場に取材もしないまま、あの記事を書いたのではないか」と、どうしても疑ってしまうのである。
現場を取材する他紙の記者たちの中にも、今は、あの時の“現場の真実”を知っている記者たちが多くなってきた。彼らは、今回の朝日の「吉田調書」キャンペーンには、実に冷ややかだった。そこには、裏取りが不完全なまま「9割の人間が逃げた」と書いてしまう同業者に対する諦めと怒りがあるように私には思えた。
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少々不謹慎な書き方をさせて頂くが、朝日新聞の捏造記事は慰安婦問題も吉田調書問題も、どちらも二人の「吉田氏」がキーマンとなっている。一方は嘘八百の職業的作話師で全てが大嘘であり、これに朝日新聞は踊らされた(というか、自分で勝手に踊っていた)。もう一方の吉田氏は、本当のことを言い続けたのに、朝日新聞はその本当のことに蓋をして、会話の部分部分を巧みに切り取って、「真実」とは真逆の誤解を世界中にばらまいた。そして今、二人の吉田氏のお蔭で朝日新聞の深い闇が炙り出されようとしている。

産経新聞の記事を読めば読むほど腹立たしいのであるが、真実が世間に広まりつつある現実に、少しばかり希望を見出すことが出来る。今後の展開を期待したい。

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韓国化する中国

2014-08-17 23:55:04 | 政治
少し前の記事だが、下記の記事に目が留まった。

現代ビジネス・ニューズの深層・長谷川幸洋「『圏子(チェンツ)』の概念で読み解く、前政治局常務委員・周永康の摘発事件

今更説明するまでもなく、中国の前政治局常務委員の周永康氏が1兆5000億もの横領をしたということで摘発された事件であり、当時、多くの報道機関が専門家を読んで解説を行っていた。大きく二つに分けると、「権力闘争の証」と「権力闘争ではなく、単なる大衆受けのする腐敗根絶のポーズ」という解説がある。権力闘争ではないという主張は、基本的に中国では一度、国家主席の座に就けば、5年ないし10年は安泰であることが保証されるので、下手に事を起こす方がリスクが大きいと考えているようである。一方で、例えば胡錦濤前国家主席も先代の江沢民元国家主席から実権を完全に引き継ぐまでの時間を考えると、胡錦濤や江沢民の束縛を早めに切ることが重要であり、そのための権力闘争は必要と言うのがもうひとつの考えであろう。今回、習近平国家主席は集団指導体制が原則の中国で、かなり強引な形で権力の集中を図ろうとしていることが実態として明らかで、その意味では「権力集中のための闘争」なのか「旧勢力の権力追い落としのための闘争」なのかは別として、権力闘争とみるのが自然なものの見方だろう。

その意味で、この記事も同様の路線を解説しているのだが、少々異なるのは「一族郎党」という意味の「圏子(チェンツ)」という言葉をキーワードに、石平氏が解説しているところを長谷川幸洋氏が更に噛み砕いて解説しているところが興味深い。例えば、以下のくだりがある。

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石平によれば、中国の行動は「『圏子(チェンツ)』という概念を理解しないと分からない」という。圏子とは、ようするに一族郎党のことだ。中国人はこの圏子、つまり一族郎党の利益を最優先にしており、それ以外の人々はまったく関係がないのだ、という。
もともと圏子は家族主義にルーツがあるが、文化大革命で家族の概念が破壊された後、友人や知人たちが擬似家族のように排他的グループを形成した。石平は「マフィアのファミリーに近い」という。政治も経済も個々の商売もこの圏子の論理がすべてを仕切っている。そこでは法律もルールも関係がない。
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つまり、一族郎党と言っても必ずしも「親族」を意味する訳ではなく、マフィアの「ファミリー」の様な感覚というのは分かり易い。ただ、それだけなら取り立ててコメントするほどではなかったのだが、この記事を読みながらあることに気が付いた。

そう、「中国の韓国化」である。

ご存知の通り、韓国では大統領の職を辞した後、当時の野党勢力に政権を奪取されると、殆ど無傷では人生を全うすることが出来ない。盧武鉉元大統領に至っては自殺までしているし、全斗煥元大統領も死刑判決を経験している(後に恩赦)。中国のこれまでのルールでは、汚職を摘発しても、トップに君臨するところまでは手を付けずに、中堅クラス以下を対象にして見せしめをして終わりだったはずが、どうも、際限なく「とことんやるよ!」という流れになっている感じである。しかし、これは別に習近平国家主席が清廉潔白という意味ではなく、上記の記事にもあるように、アメリカのメディアは習近平国家主席の一族の数百億円にものぼる汚職をすっぱ抜くなどしており、叩けばホコリが出るのはお互い様である。であれば、習近平国家主席は身内にも逮捕者を出すのかと言えば、そんなことをすれば権力基盤が弱体化するので、「清廉潔白な習近平国家主席」を演出しながら、ドス黒い一族郎党を正義の味方が成敗する雰囲気を前面に醸し出している。

しかし、どうせそこまでのことをしても任期は10年であり、そこで後進に席を譲らなければならない。何だかんだ言って集団指導体制であることには違いないから、ロシアのプーチン大統領の様にウルトラCの神業で、任期後も権力の中枢に居座り続けることは出来ない。となると、権力移譲時の権力闘争は今回よりもさらに激化し、対立するグループが権力を掌握したら、一族郎党である「圏子」から外れる勢力を追い出して、今回同様の見せしめがあるのは容易に想像できる。しかし、それはまさに「中国の韓国化」である。

どうも韓国という国はブラックホールの様にネガティブなエネルギーの源であり、それに触れるとネガティブさに感化され、その毒に染まってしまうという伝染力があるらしい。これまでは、それが日本に向いていたのだが、幸いなことに狂気の反日キャンペーンのおかげで我々は目が覚めつつあり、「韓国化」を阻む意識が高まりつつある。しかし、そんな隙に中国の方が伝染しつつあるようだ。

あの国のネガティブなエネルギーは危険である。しかし、中国と韓国が負のスパイラルで共に自滅の道を歩むなら、我々は他山の石として良い教訓になるであろう。中国の不安定化はリスクではあるが、あながち悪い話ではない。暫くは様子見である。

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朝日新聞が勘違いし続ける「人道上の罪」の意味

2014-08-16 23:55:23 | 政治
朝日新聞は今日の社説で、懲りもせずに慰安婦問題に絡めた記事を掲載していた。

朝日新聞2014年8月16日社説「日本と韓国―国交半世紀に向かって

毎回、よくもまあここまで他人事が出来るものだと感心する。2年前の民主党政権時代、ポピュリズムの民主党故に日本政府側がベタ降りする提案を韓国側に行い、韓国は「ベタ降り度が足りない!」と一旦は拒絶したが、そろそろ潮時と考えた調整の中で着地の可能性が一瞬見えた時、野田前総理が待ったをかけて危うく朝日の誤報がそのまま確定しかけた状態を回避した。今回、朝日新聞は誤報を訂正したが、どうやら2年前のあの時の(日本政府が最大限に譲歩した)落としどころを(誤報をカミングアウトしたくせに)基準点において交渉をするように促しているようだ。何ともタチが悪い。

折しも、「またか・・・」と言う感じでしゃぶしゃぶ店の「木曽路」の食材偽装問題が発覚した。社長などは記者会見で、偽装を行った料理長などは(営業成績的に)プレッシャーがあるような店舗ではなく、何故、その様な行為に及んだのか分からないといった言及をしており、会社の体質に問題があったのではなく、その料理長ないしは店長に問題があり、会社側にはあくまで管理責任的な問題しかないといったニュアンスのことを語っていた。思い出せば、阪急阪神ホテルズの食材偽装の際には、自ら自白する形で名乗り出て自浄能力もある程度期待できる環境であったのに、マスコミはボロクソに叩いて社長を辞任にまで追い込んだ。偽装が発覚したのだから、その責任を負うべきは経営層で、その最高責任者は社長だから自認して当然という論調であった。

であれば、今回の朝日新聞問題であれば、偽装(ここでは「誤報」の代わりに比喩的に用いる)が発覚し他紙がその偽装ぶりを糾弾して長い年月が経ち、その結果としてその関係者に取り返しのつかない致命的な損失を与え続けたのに偽装の告白をせず、どうにもこうにも行かなくなったところで偽装の告白をしておきながら、「当時は松坂牛と安価な牛の区別がつかなかった」「他のお店もやっていた」と開き直り、一面広告を出したと思ったら「やっぱり、食の安心・安全が第一」「これからも、わが社のお肉をどうぞ!」と謝罪しているのか謝罪していないのか分からない状況で優良企業と胸を張っている。

という以前の問題で、下記の記事を読むと、朝日新聞はハナから謝るつもりはないらしい。というか、謝る必要性を感じていないらしい。

Livedoorニュース2014年8月11日「慰安婦の虚偽報道めぐり朝日社長が謝罪を拒否『歴史的事実を変えることはできない』

この様な態度を考えると、櫻井よしこ氏の主張する「朝日新聞は廃刊すべき!」という主張もまんざらではないかも知れないが、そこまで急進的に進めようとすると無理があるので、もう少し論点を整理するならば、朝日新聞の誤報訂正を受けての橋下大阪市長の記者会見が神がかって良く整理されている。

BLOGOS編集部2014年8月6日「橋下市長、朝日新聞の従軍慰安婦特集についてコメント

ぶら下がりの際のコメントで、ペーパーの準備もなくアドリブで語りながら、ここまで論点が整理されているのは素晴らしい。先週の新報道2001にも出演していたが、その際のやり取りよりもこの記者会見の方が分かり易い。

ポイントは、日本と韓国との間の平和条約である日韓基本条約締結で「完全且つ最終的に解決」しているのに未だに問題になっているのは、韓国側の無茶な主張は別として、世界的に見れば橋下市長のご指摘の通り、ナチス・ドイツの様な時効すら成立しえない例外的な犯罪である「人道上の罪」に「慰安婦問題」が該当するか否かがポイントである。だから、国際法の概念上、例外的な「人道上の罪」に該当すれば日本政府は慰安婦に対して国家賠償の義務が生じるし、該当しなければ例外には当たらずベースとなる日韓基本条約の対象として議論するのが妥当である。後者であれば、韓国サイドの主張である第3条での両国の解釈の違いがある場合の紛争解決のルールを定めた部分に関し、純粋に国際法的に処理を行えばよい話である。つまり、例外的な「人道上の罪」に該当するかしないかがポイントで、その判断の分かれ目が「強制連行」であると橋下市長は主張している。そして、法的な責任はあくまでもこの基準で議論し、一方で道義的責任については強制連行の有無に関係なく存在し、日本政府が誠意を持って対応すべきとしている。ちなみに、この道義的な責任に関しては、アジア女性基金などの対応から、日本政府は非常に誠意を持って対応しているから、その点は我々は胸を張ってよいということになる。橋下市長があれ程までに「強制連行」に拘っていた理由はここにあり、流石、弁護士というところだろう。法的に議論した場合、極めて真っ当な論理立った説明である。「強制連行がなければ、日本は無罪放免!」という右寄りの主張とは一線を画している。この辺は、私も反省しなければいけないというところである。

ところで、ここまで橋下市長が丁寧に説明しているにも関わらず、未だに「海外では『強制連行』の有無は問題になっていない。本人が望まない中で『強制的』に慰安婦にされた事実が問題にされているのだ・・・」と言った主張を良く見る。しかし、これは全く橋下市長の論点が分かっていないらしい。

例えば、韓国国内で借金のカタに身を売られた女性が何人かいて、その女性たちがいる売春宿に日本からのツアー客が頻繁に立ち寄り、その女性の人権を蹂躙する事件があったとする。勿論、日本人客は道義的に責められて然るべきだが、日本政府にその女性たちが損害賠償を求めたらどう思うだろうか?

誰もが「お門違い」と思うに違いない。これは、国際法的に例外的な「人道上の罪」ではなく単なる犯罪行為で、普通に裁判で裁けば良い話であり、裁判で決着が着いた後で日本政府に国家賠償を求めるような話ではない。日本人側に買春の罪を問うても、日本政府に対する問題ではない。人身売買という人道的な問題も存在するし、それは韓国国内で行われたことだから、当然韓国人の罪も問われて然るべきである。お客となったのが日本人というだけで、日本政府が断罪されるべき話ではない。あくまで、道義的な責任として誠意を尽くせば良いのである。この様に、多くの人々が、国際法上例外的な「人道上の罪」への該当性の有無と、法的責任と道義的責任の区別がつかなくなってしまっている。

なお、本人の意に反して自由を奪われた慰安婦の問題は、韓国国内でも米軍慰安婦問題として問題になっている。朝日新聞からすれば、彼女たちも「強制性」の被害者のはずである。朝日新聞が「強制性」と盾に開き直るなら、せめて米軍慰安婦問題も「いわゆる従軍慰安婦問題」と同様に「非人道的」と非難してみてはどうだろうか?そうすれば、もう少し朝日新聞の擁護者も増えると思うのだが・・・。

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エボラ患者帰国の英断と機動戦士ガンダムの関係

2014-08-15 23:59:57 | 政治
終戦記念日の今日であるが、特に大きな動きがある訳でもなく、一日を終えそうである。韓国、中国もこれ以上の日本との対立を望まない事情があり、態度を軟化させたふりをして日本からの譲歩を引き出す戦法なのだろう。しかし、日本政府の態度は首尾一貫しているので、例えば南シナ海などで日中間に不慮の衝突などの事態が起きそうになった時のホットラインの構築など、緊急性の高い所から順番に対応できれば特に困ることはないので、緊急性の高い問題だけに限定して議論できる環境を構築できれば日本としては100点満点である。

さて話は全く変わってしまうのだが、ここまで書こうとして書きそびれてきた記事へのコメントが幾つか残っているので、その幾つかを順番に書いてみたい。そのひとつめは、エボラ出血熱に感染した米国人2人をオバマ大統領の決断で、米国に搬送したという記事である。例えばロイターなどは、その帰国を好意的に評価している。

ロイター2014年8月5日「コラム:エボラ患者の帰国をどう迎えるか

この問題のポイントは大きく二つあり、ひとつにはエボラ出血熱は「空気感染」しないこと、もうひとつは治療環境が圧倒的にアメリカ国内の方が良好であるという点である。多分、いつの日にかはエボラウイルスが北米大陸や日本などにも伝染する日は来得るので、その時の対策を考えれば、極めて限定的な患者にフルチューンできる今回のケースはあらゆる意味で練習題にもなるし、治療薬の研究のためのサンプルにもなり得る。通常は、別の何らかの感染症を併発して死に至ったりするのだろうが、アメリカでの治療であればその様なリスクは抑えられるだろうから、治療のデータとしては有益なデータが得られやすい。ロイターが言う通り、冷静に考えれば賢明な判断であったと言えるのだが、感情論で戦うと真逆の結論となってしまう。実際、多くのアメリカ人もオバマ大統領の決断を非難し、「何が悲しゅうて、自らエボラウイルスをアメリカに運び入れにゃアカンのやぁー!」という声がネット上では盛り上がっていたという。例えば下記の記事がある。

新華ニュース2014年8月4日「致命的なエボラウイルス、米国上陸、交流サイトで大恐慌

だから、オバマ大統領の決断は私にとっては非常に大きな英断であった。さて、このニュースを聞いて思い出した話がひとつある。オタッキーな話題で恐縮だが、機動戦士ガンダムの第36話「恐怖!機動ビグ・ザム」での逸話である。ザビ家の兄弟の中で、最も野蛮そうな見かけでありながら、実際には最も心優しく人の血が通い、戦略眼も備えていたドズル中将が戦況を冷静に見抜き、妻子を救命用カプセルに乗せてソロモンから緊急脱出させるくだりである。その脱出カプセルを確認したマクベ大佐が救助せずに無視しようとしたところ、ジオンのバロム大佐が諭し、無事救出することが出来たという件である。

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ジオン兵A 「味方の脱出ロケットです」
マ・クベ 「コースは?」
ジオン兵A 「ソロモンから射出された物と思われます」
バロム 「遠隔操作して回収しろ」
マ・クベ 「大佐、ソロモンの戦いは深刻のようだな」
バロム 「は?」
マ・クベ 「脱出ロケットなぞ構わずに」
バロム 「失礼だが、マ・クベ殿は宇宙の兵士の気持ちをわかっておられん」
マ・クベ 「私が?」
バロム 「このような時、仲間が救出してくれると信じるから兵士達は死と隣り合わせの宇宙でも戦えるのです」
ジオン兵A 「急がないと回収圏外に出ます」
マ・クベ 「…わかった。回収しろ」
ジオン兵A 「はい」
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多分、戦場での兵士もそうだし「国境なき医師団」などで活躍する医師などもそうだろう。自分は誰かを助けるために命を賭ける。自分が倒れた時には、誰かが自分のために命を賭けてくれると思えるから、恐怖に打ち勝ち、危険な場所に赴くことが出来るのである。「フクシマ50」と呼ばれる人もそうだし、9.11でWTCビルの崩壊で死んだ消防士などもそうだろう。自分の命も顧みず、人の為に尽くすその倫理観の高さは、国家が上手く機能するための原動力に成り得るものである。東日本大震災の非常事態に、福島県内ではなく、福島県外の東北地方の震災瓦礫の受け入れを拒否する多くの自治体の受け入れ反対派の人達であれば、間違いなくエボラ患者の国内搬送を批判するのは間違いない。飛行機が突っ込んだWTCビルへ救助に向かう消防士に対しても、「あなた達は救助に向かってはいけない!」と言うだろうし、福島第1原発の従業員にも「今すぐ、持ち場を捨てて逃げなさい!」と勧告するに違いない。しかし、その様な事態はモラル・ハザードそのものであり、これ程危険な状況は他にない。気持ちは分からなくもないのだが、全てのことに関して「どうせ死ぬんだから、そんな人をアメリカに帰国させるな!」という発想であれば、国家はまともに機能なのしないのである。

先日に話題になった中国の食品の問題でもそうだが、マクドナルドなどの食材を加工する田舎の工場の従業員は、中国では都会の金持ちしか殆ど利用しないマクドナルドの商品を「どうせ、自分の家族はあれを食べるはずがない」と割り切って平気で賞味期限切れや衛生上の問題がある食材を流通に流していた。あの倫理観のなさは、その重大な問題が自分に直結する可能性があることを全く感じない「他人事」感覚から来ている。上述のエボラ問題も同様で、受け入れ反対派はだから平気で「かかわり合いたくない」と思えるのである。しかし、その様な人達で国が蔓延したら、有事の際に全く身動きが取れなくなる。しかし意図せずしてエボラ患者が入国してしまう状況は容易に想定されるので、「かかわり合いたくない」と勝手に思っても、現実はそれを許してくれない可能性は高い。結局、「他人事」で済はしないのである。

アメリカの大統領的には、帰国させた患者からエボラウイルスが他に感染する事態以上に、モラル・ハザードとなり米国民が国のため・米国民の為に命を賭けられなくなる事態の方がリスクとして大きいと判断したのかも知れない。

さて、日本でこの様な事態に直面したとき、安倍総理が「エボラ患者帰国」の決断をしたら日本のマスコミはどの様に評価するだろうか?間違いなく、朝日新聞は安倍総理をボロ糞に叩くだろう。ただ、多くの日本国民は朝日新聞以上に冷静であると私は信じている。

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新聞が報じることが出来ない沖縄基地問題のタブー

2014-08-14 23:58:32 | 政治
今日から普天間飛行場の辺野古移設に向けた海底掘削調査の準備が開始された。報道ステーションなど左派系の番組はこぞって日本政府の暴挙と報じ、基地移設反対派のコメントを流し続けた(一部、バランスを意識して容認派の意見も報じてはいたが・・・)。今日は、これらの報道の中では触れられることの無いタブー的なポイントをコメントしてみたい。

まず基地移設反対派の主張は単純で、沖縄の基地負担が余りに内地の自治体に比べて比率が重く、その負担軽減を求めている。言うまでもないが、基地移設反対派も基地移設容認派もその基本姿勢は同じで、沖縄県全体で見た時の基地負担軽減と危険性の除去を目指している。ラムズフェルド元米国防長官が「世界一危険な基地」と言ったとか言わなかったとかが話題になるような普天間基地だから、辺野古への移設を実現し、その分、普天間飛行場を中心とした基地の返却を求めるのが現実路線と考えるのが日本政府及び基地移設容認派の考えである。日本政府は辺野古に新設する飛行場にしても永久に基地として使用するというのではなく、段階的に基地負担を日本全土に分散するための中間段階と考えており、長期的に見れば鹿児島の何処かの島か、ないしはメガフロート・タイプの基地の新設など、様々な選択肢を模索している。かっての橋本政権での梶山静六元官房長官が奔走して以降、日本政府は何とかして沖縄の負担軽減を図れないかと努力をしてきた。勿論、反対派のキャンペーンで政権が不安定化するのを嫌った政権では殆ど進展することなく先置かれ、民主党政権では逆に大きく後退し修復不可能な状態にした。しかし、安倍総理の戦後レジュームからの脱却も含め、沖縄の現状を一歩でも前に進めるべく本気で取り組みを行った結果、仲井間知事を説得して基地移設が動き始めた現状がある。中長期的スパンで見れば、基地移設は非常に現実的で確実な負担軽減の第一歩である。

しかし、基地移設反対派はそうは考えていない。彼らの考えはラディカルで、今すぐ、米軍基地を一気に追い出せと考えており、実際にその様なことをしたらフィリピンと同様の事態が起きるのは目に見えている。帝国主義的、覇権主義的な様相を強める中国を意識したとき、それは自殺行為であるのは大多数の沖縄県民にとっても周知の事実だから、実際のところその様な事態になったら現実派の沖縄県民の多くが慌てて反対し、賛成/反対の意見が大きく対立するのは目に見えている。その程度のことは移設反対派の人も熟知しているから、気を紛らわすための暴論は声高に叫ぶが、良識ある人はそこまで急進的ではなく、一歩一歩、緩やかに移行することを求めているはずである。指し当たっての目標は、辺野古移設を伴わない普天間基地の廃止だと思われる。これは、県外移設でも良ければ単純な廃止でもどちらでも良いというスタンスだろう。

しかし、冷静に考えればこれは極めて道のりの遠い選択肢であることは誰でも分かる話である。リバランスを訴え、益々、地政学的に沖縄の重要性が高まっている現状で、米軍が何らかの代替えの手当なしに普天間飛行場を単純返却し、基地の規模を縮小するはずがない。仮に米軍にその様な動きがあっても、日本政府が「待った!」をかけるのも目に見えている。移設容認派の人々から見ると、可能性的に最も低い選択肢を主張し続けるのは不可解で、単に左派系の反政府勢力が日本政府の足を引っ張るだけのネガティブキャンペーンを行う中でであれば十分考えられる話だが、現実的な話として本気で基地負担軽減を求めている多くの人々が、何故、普天間の単純廃止を現実的な解と考えているのかは理解に苦しむ。

しかし、誰も指摘はしないがこの普天間の単純廃止は彼らにとって「現実的な解」なのである。しかも、その「実現性」は私の目から見ても非常に高い「実現性」と評価することが出来る。
それは何故か・・・?

答えは簡単である。普天間配属のオスプレーが住宅地に墜落し、米軍のパイロットはパラシュートで脱出して無傷でありながら、沖縄県民に死者が出るという事態になればあ、多分、一発で政権が吹っ飛ぶような事態になるだろう。その政権が延命を試みれば、最低でも普天間の即時廃止を米軍に求め、それを実現しなければどうしようもない。米軍も抵抗するだろうが、沖縄県民が米兵を拒絶し、商店街への入店を拒否するなどの事態が激化すれば、米軍も他の基地を守るために普天間の廃止に応じざるを得なくなる。こんなシナリオは容易に想像できるのである。

しかし、これは悪魔の選択である。同じ沖縄県民の命との引き換えの普天間廃止を暗黙に期待するのは、その心に悪魔が宿っていると言わざるを得ない。当然、彼らはこの悪魔の選択を認めないだろう。彼らの主張は「言わば、日本政府とのチキンレース」をしているのであり、どちらが先に勝負を降りるかが重要で、日本政府が先に勝負を降りてくれれば実際に沖縄県民の犠牲者が出る必要はないと主張するだろう。しかし、過去のブログでも書いたと思うが、実はチキンレースには「必勝法」がある。それは、衝突コースで猛スピードで進む2台の車のうち、片方が自分の車のハンドルを引き抜き、それを相手のドライバーに見えるように高く掲げ、それを思いっきり遠くに投げ捨ててしまえば、少なくとも相手からすればハンドルを失った車が舵を切って脱落する可能性がゼロであることが分かってしまう。相手が確実に舵を切らないならば、自分が舵を切らないと死んでしまうから、選択肢は「舵を切って脱落(負け)する」か、「衝突して二人とも死ぬ」しかなくなる。現実的な選択肢は前者だから、この結果、ハンドルを捨てた側の勝利が半ば確定するのである。中国が沖縄近辺の島嶼に侵攻したときの犠牲者の数は膨大な数になり得るから、犠牲者を最小にするためには日本政府も米軍も舵を切れないことは誰もが知っている。だから実質、このチキンレースは成り立たないはずである。しかし、オスプレイの墜落時の犠牲者がチキンレースのプレーヤその人ではなく第三者の一般沖縄県民であれば、このレースは「衝突して二人とも死ぬ」として成り立つ可能性がある。つまり、第三者の沖縄県民の命と引き換えに、日本政府の息の根を止めながら、しかし、チキンレースのドライバーが生き残ることは可能なのである。

実際、過去のブログでも触れたが米軍基地のフェンスには基地反対派がテープで「基地を返せ」「出てけ!」と言った類の言葉が書かれているが、このテープにはガラス片が仕込まれており、撤去しようとすると作業者が怪我をするようになっている。多くの沖縄県民はこの様な野蛮なやり方に否定的だが、急進的な左派系勢力は、怪我人が出ようが自らの主張を遂行するためには手段を選んだりはしない。であれば、普天間周辺の住民が数人程度死のうが、それで基地を追い出せるなら願ったり叶ったりと考えていてもおかしくはない。ラディカルな行動をする者にはその傾向は少なからずあるはずだ。

この様な背景を、新聞が堂々と報じる訳には行かないだろう。しかし、現実はそれ程綺麗ごとではない事態になっている。自衛隊員をはじめとする日本国民の生命と財産を守る責任のある内閣総理大臣は、当然、抑止力の低下は中国との戦闘行為への第一歩になると知っているから、多くの生命を守るためには抑止力の維持を最優先にしなければならない。その意味では、基地負担軽減の確約と引き換えに、辺野古移設を容認する道は現実的な解である。勿論、これがゴールではなく、辺野古移設後の15年ないしは30年後の県外移設も含めての話である。

テレビや新聞の報道には、この様な背景は含まれない。だからついつい、苦しんでいる沖縄県民に対し感情移入して、「基地移設反対」と言い辺野古移設に反対する正義感は分からなくもない。しかし、であれば沖縄に代わって基地の受け入れを容認しようとしない自分の住んでいる自治体を非難してみてはどうだろう。その様な痛みを覚悟せずに沖縄県民を救うことなど出来やしないのだから・・・。

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極悪非道の桃太郎と朝日新聞の関係

2014-08-08 11:41:42 | 政治
昨日のブログで朝日新聞の誤報訂正&検証記事についてコメントした。それと前後して話題になっているのは、例えば自民党の石破幹事長によるコメントのようなものだ。

毎日新聞2014年8月5日「慰安婦問題:朝日記事巡る自民・石破幹事長の一問一答
毎日新聞2014年8月6日「慰安婦問題:国会での朝日記事検証…何を検証するのか

朝日新聞の誤報が最近の日韓関係の極端な悪化の主要な原因なのだから、今後の類似の事案の再発防止も含めて「国会による報道の検証の必要性」を石破氏は訴えている訳である。

確かに、この問題は諸刃の刃でリスクも伴う。常識的に考えれば、一般人が国会に招致されようものなら、その発言のひとつひとつが全国の国民の注目の対象となり、誤ったことを言えば袋叩きにされるという恐怖を感じるに違いない。だから、細かな問題があるたびに報道関係者を招致していたら、それは「報道の自由」を制限することにつながる。この様な視点から、一般論としては「報道の自由」の錦の御旗のもとで、国会招致は許されるものではないというのは私も賛成するところだ。だから毎日新聞の下段の記事は十分に理解できる。

ただ、この記事にある「本来、報道の内容には、報道機関自身が責任を持つべきだ」との主張に対して私は聞いてみたい。「報道機関が責任を持つ」というのであれば、今回の朝日新聞のケースでは「朝日新聞は責任を持って何をすべきなのか?」ということを・・・。通常、何か問題を起こして誰かに迷惑をかけたら、第1に「原状回復」のための措置を行うのが原理原則である。福島第一の様に完全な原状復帰が不可能なケースでも、日本政府は除染のための努力を行っている訳で、慰安婦問題も不可能だなどと言わずに誤報に起因した問題の拗れを認識し、原状復帰の努力位を最低限見せてもらえば「報道機関が責任を持つ」との言葉に信憑性が産まれる。しかし、実際の朝日新聞の行為はその真逆で、「誤報にしらを切りとおせなくなったから誤報は認めるが、その誤報が生んだ影響が何処までかも検証せず、何故ここまで訂正が遅れたかも検証せず、『誤報が誤報であろうがなかろうが、結果は同じ』と短絡的に決めつけて逃げおうす」というのが責任の取り方というなら、それは自分の首を自分で締めているようなものだ。表現の自由や思想・信条の自由などは当然の権利ではあるが、その権利を今後も継続して守るためには、権利に伴う最低限の義務を伴う。今回の朝日新聞のケースは、その権利を主張して義務を果たさない部分が問題となり、今後も報道機関が「自主的に義務を守ろう!」という行動に繋がるようにするためには、朝日新聞に対して何らかのペナルティがあって然るべきである。それを(罪の重さが深刻で責任が重大なA級戦犯であることには違いないが)下っ端の記者を国会に招致するというのではなく、今回の記事の責任者の編集局長であり、下記の総括を行っている杉浦信之氏(ないしは朝日新聞社社
長)を朝日新聞の代表として国会に招致し、朝日新聞の問題点を正せば良いと思う。

朝日新聞DIGITAL 2014年8月5日「慰安婦問題の本質 直視を

もともと朝日新聞の立場は、報道の自由のあるはずのNHKですら会長が何度も国会に招致され、ケチョンケチョンのバッシングを受けて「当然」と考えているのだから、自ら非があるなら自ら進んで国会に乗り込んで来れば良い話である。NHKという特殊性はあったとしても、NHKは記者会見で繰り返し繰り返し挑発しつづける記者の発言に応えたささやかな不適切な発言が国会で何度も繰り返し吊し上げられるのに、何十年もかけて2国間関係をズタズタにして修復不可能にした歴史的大誤報の責任に対する国会招致は拒否して当然という主張は理解しがたい。

さて、ここで話を少し変えてみたい。下記の記事を読んで頂きたい。

JIBURi.com 2013年10月25日「ボクのおとうさんは、ボランティアというやつに殺されました。

この記事は、国際協力のボランティアで発展途上局で活躍をしている著者が、見方に寄っては本人の望まないことを押し付けて、結果として現地の人を不幸にしてはいまいか・・・という自問自答をする記事である。例えば、貧しい生活を抜け出すためには「お金を稼げる農産物」の生産が有効だが、それまでは自分たちが生きるために食べるための食物である穀物を生産していたが、ボランティア連中が野菜を積極的に作れと指導したがために、これまでの生活が大きく変わり、言ってみればライフワークバランスが崩れる事態と過剰労働状態を強いることになったという。著者は確かにより幸福になるためには避けて通れない道なのだろうが、何故、現状のままではいけないのかとの問いには答えがなく、自問自答の葛藤状態にあるという告白をしている。ここで引用している話の中に、極悪非道の桃太郎が心優しい鬼を退治する話がある。我々の知る桃太郎は「正義の見方」であるが、それは「鬼が極悪非道である」ことを前提とするから成り立つ話である。仮に鬼が心優しい人であったらどうだろうか・・・。人の評価は真逆になる可能性をはらんでいるのである。勝者が歴史を塗り替えるのが常識の世界で、勝った桃太郎が負けた鬼を「極悪非道」呼ばわりするのは当然だが、第三者からすれば真実は紙一重で、立場が変わると全く異なる評価に繋がる可能性があるのである。だからこそこの記事の著者は、誰が見ても「正義」と思える様なボランティア活動に対しても自問自答しているのである。

ここでのテーマは、「だったら辞めればいいじゃん」という話ではなく、「正義」と「悪」は表裏一体であり、自分は「正義」だと信じて行う行動であっても、ひょっとしたらそれは別の立場の人にとって「極悪非道」の行動かも知れないというきわどさを、人の生活に影響を与えうる立場の人は、常に意識して、自問自答しながら他人の言葉にも謙虚に耳を傾けなければならないというお話である。

話が逸れてしまったが、朝日新聞の慰安婦報道の世紀の大誤報はこの様な「正義」を気取った「極悪非道」の行動だと多くの人が思い始めている。勿論、この「多くの人」がどの程度であるかは定量的には分からないが、今回の記事で朝日新聞も吉見義明氏も認める「(多くの人が血眼になって探しても)朝鮮半島では強制連行を裏付ける証拠が存在しない」という事実を知った上で、「慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたこと」を理由に、世界中で日本だけがバッシングを受けることの正当性を問うたなら、「それって、おかしくない?」と感じる人は8割を超えるのではないかと予想する。さらに言えば、「本人の意に反して日本兵の相手をさせられた韓国人女性」の救済は重要だが、「同様の慰安婦だった日本人女性」の人権救済、ないしは「借金のかたで、現在、望まずして風俗嬢に身を落としている、(今行動すれば救えるかも知れない)現在進行形の被害者である女性」の人権救済には全く興味を示さず、一言も言及がないような「自称・人権派」の行動に「正義を感じるか?」と問えば、多分、9割の人が「裏に政治的な意図を感じる」と答えるであろう。

つまり、「正義」と「極悪非道」が表裏一体の現実の中で、非常にきわどい「正義」を訴えていたところ、致命的な瑕疵が見つかったので仕方がないので議論をすり替えて有耶無耶にしようというのは明らかに「正義に反する行為」である。しかし、朝日新聞の杉浦信之氏の上記の責任記事からは、その様な「正義に反する行為」を開き直って続けている姿がうかがえる。国会招致も正義と悪が紙一重の行動かも知れないが、「正義」の仮面をかぶった「悪」の行為が引き続くなら、何処かで大きな決断が必要なのかも知れない。

今回の一件はその様な紙一重の難しさを感じさせる一件であった。

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