けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

「民意の正当性」は何処にある?

2015-02-25 00:50:57 | 政治
先日から現象としては異なるニュースだが、その本質は共通であるニュースを目にして考えさせられていた。それは、「民意の正当性」に関する話題である。

私が最初に気にした問題は、既に先月の話題であるが、ギリシャの総選挙で反緊縮財政派が勝利したニュースである。ギリシャ国民は、EUからの財政支援に対する条件であるプライマリーバランスの黒字化が緊縮財政に繋がり、それまでの湯水の様に税金を無駄遣いして赤字を垂れ流していた時代からのギャップに耐えきれず、緊縮財政政策の見直しを宣言する急進左派連合を選んだ。

これは明らかに定義上は「民意」による選択である。

しかし、やっていることはどういう意味を持つかと言えば、ある家庭で、無責任な親が膨大な浪費を繰り返して借金まみれになり、債権者が押しかけてきたところでその親が「これからは生活を切り詰めて少しづつでも返済するので、今暫くは借金の取り立ては許してくれ・・・」と懇願し、債権者が了承して追加の支援をしてもらいながら暫くは極貧生活を続けていたが、子供達がその生活に耐えきれなくなり、「家族会議で今後も極貧生活を続けるかどうするか決めよう!」と主張し、親の主張を振り切って子供達の多数決で「これからは贅沢もしよう!」と決定したことに等しい。その後債権者がやってきて子供達と交渉するのだが、物分かりが悪くて議論にならないという状況であろう。本来は自己責任の世界だが、この家庭が自己破産を宣言してしまうと、周りの貧困家庭も雪崩を打って自己破産競争に陥りかねず、借金を踏み倒されるのが怖い債権者が、騙し騙し子供をなだめて説得を試みているという状況である。この子供達の家族会議の多数決が「民意」と言えるものかと問われれば、定義の上では「民意」には違いないが、社会的には許されない民意という理解が正しいところだろう。

これとは全く趣を別にするが、沖縄知事選挙も辺野古市長選も、それぞれ辺野古移設反対派の人が当選をした。これも明らかに民意である。これまでの沖縄県民に対する基地負担を考えれば十分理解できる民意ではあるが、この様に民意がガラリと変わったのはルーピー鳩山氏の暴言がきっかけである。「(現実問題として)普天間飛行場の固定化を避け、確実且つ早期に危険性の排除を進めること」と「時期は未定だが、普天間飛行場を沖縄から追い出すこと」の2者択一を沖縄県民に迫ることになる。後者の「時期は未定」の意味は、本来は数十年のスパンで見通しが立たないことを意味するが、裏の意味のウルトラCとしては米軍機が普天間周辺で住宅街に突っ込んで多数の死者を出せば、流石に米軍は出て行かざるを得ない状況に追い込まれるだろうという意味を含んでいる。しかし、選挙ではその様な本音はひた隠し、ルーピー鳩山氏と同様の市民にウケの良い言葉を並べてお茶を濁して戦った。別に彼らは普天間飛行場が変換されなくても痛くも痒くもなく、政府に対して対決姿勢を示し、県民・市民感情を煽り立てれば今後も選挙では安泰でいられるというメリットがある。沖縄県民には負担を強いることを続けなければならないのは申し訳ないが、しかし、現在の国際状況を鑑みれば、沖縄の地政学的な意味は日増しに高まっており、例えば軍事的リスクと民意のバランスを取ってグアムに移転することなどが仮に選択肢になり得たとしても、それは中国などにハッキリとした(正しくない)メッセージを送ることになる。その結果、一番不利益を被るのは間違いなく多くの沖縄県民であり、第2次世界大戦時の沖縄への過酷な体験を再現することに繋がりかねない。(ルーピー鳩山が)明けてしまったパンドラの箱はもう元には戻らないということなのだろうが、その様な極限状態でどれだけ「民意」が正しい判断をすることができるかは疑わしい。

ただ、私は仮に間違った「民意」の判断であっても、選挙結果は素直に受け入れるのがルールだと思っている。分かり易く言えば、ギリシャの選挙結果が仮に間違った民意の表れであったとしても、だからと言って軍部がクーデターを起こしてひっくり返して良いとは思わない。あくまでも民主主義のルールの下で進められた手続きであれば、その手続きを最大限尊重するのは当たり前の話である。手続きの正当性は、民主主義では基本原則である。

ただ、ギリシャの問題で言えば、前政権が国際的な公約、約束として決めたことは、外構というものが国と国との信頼関係なしには成り立たないために、政権が変わったからと言って卓袱台返しをすることは許されない。勿論、例えばTPPの様に各国の合意案は水面下で進めるにしても、最終的な合意案が効力を発揮するのは各国の国会で批准された後であるとのルールがあるのであれば、それは国会の承認が得られるように最大限の努力をするのは政府の責任であるが、三権分立で行政と立法の独立性が担保されている前提で議論すれば、政府がまとめたTPPの合意案をその国の国会が否決するのは民主主義に許される正当なルールなので、その様なものであれば卓袱台返しも致し方ない。しかし、政権が変われば前政権の約束など反故にして良いということになれば何も信用できないことになるので、仮に条約という形で法制化されていないことであっても、政府間の合意事項はその後も拘束力を持つはずである。その様な手続き論に従って許されることと許されないことは明確に区別されなければならない。

この様な視点で見た時に、例えば問題を拗れさせて普天間飛行場が固定化され、その結果、普天間周辺で死亡事故が起きたとしても「その全責任を全て負う」という約束の元で、沖縄県知事がその知事に認められた法的権限で合法的に辺野古移転を阻止するというのであれば、それはある種の民主主義の手続きとして分からないでもない。それは最大限尊重したいと思う。ただし、その様な沖縄県の対応に対し、これまた政府の法的権限で合法的に対策を講じたとしても、それはそれで民主主義のルールに則った適切な手続きと言える。あくまでも、法律やルールに照らした上での、手続き上の正当性を競い合えば良いわけで、感情論で「許せん!」と言っていてはデッドロックに陥るだけである。そのデッドロックの責任を取れるなら良いが、その責任を取れる人間などそういないだろう。であれば、外野が感情論を騒ぎ立てるのは民主主義に反する行為である。

おりしも2月22日、日本最西端の沖縄県の与那国島への陸上自衛隊の配備に関する住民投票が行われた。投票率は85.74%、開票結果は賛成632票(57.77%)、反対445票(40.68%)となった。もともと市長選などでも自衛隊に関する考え方が拮抗する地域がらであったが、自衛隊配属に特化した投票では市長選よりも大きな大差で自衛隊配属の賛成多数となった。投票率も申し分ない。これも「民意」と言えば民意である。

ただ、私はこれにも異論がある。安全保障は政府の専権事項であり、地域の住民の民意で決めるべき話ではない。さらには、ここでの住民投票にはサヨク系の方々が暗躍して選挙権のない中学生や永住外国人にも投票資格を与えていた。民主主義は手続きの正当性が重要なだけに、その様に不当な恣意的な細工により投票結果を操作しようという試みは許せない。ましてや、住民投票前には「民意」の重要性を前面に出しながら、結果が意に反していたら、重要なのは「住民投票の民意」の尊重ではなく、対立を深めざるを得なくなった「複雑な民意」に対する配慮の方が重要だと論点をはぐらかす沖縄県のマスメディアに至っては、ルールもへったくれもない、単なる駄々っ子でしかない。その様な人々に論理的な議論や手続きの正当性をかき乱されるのは甚だ遺憾である。

同様の住民投票ネタでは、埼玉県所沢市で航空自衛隊入間基地周辺の小中学校にエアコンを設置するかどうかを問う住民投票が行われた。結果は賛成多数であったが、投票率は31.54%でしかなかった。条例の規定では、法的拘束力はいずれにしてもないのであるが、それでも賛成ないし反対が有権者の1/3を超えた場合には結果を重く受け止めるように求めているとされており、投票率時点で1/3に達していない場合には全くどの様な政治的な意味があるのかも不明である。単純に「民意」と言えば民意とも取れるし、投票率の低さから「民意の価値がない」と言えばそれもそう解釈できるかも知れない。先の衆議院選挙では、投票率は過半数を超えたが、それでも国政選挙らしからぬ低投票率故にマスコミは「こんなの民意とは言えない!」と暴論を吐いたが、であれば今回のケースでは条例で1/3という目安を明確に示しているので、それを根拠に「こんなの民意とは言えない!」というのが論理的一貫性というものである。さらに言えば、あれだけ集団的自衛権とか特定秘密保護法とかで騒ぎまくっていたのだから、民意による審判を仰ぐことを主張すべきマスメディアが、先の衆院選では「大義がない」として選挙すること自体に反対していた。そして、その選挙に費やされる膨大な費用が税金で賄われているとして批判を繰り広げたが、今回の埼玉のケースでは、「エアコン設置に要する税金がもったいない」と言いながら、結果的に無意味になるのが目に見えていた住民投票に「無駄な税金を投入している」のだから、これまた衆院選にかかった費用が無駄と指摘していたマスメディアは、同様に「その住民投票、税金の無駄遣いだ!」と指摘すべきだが、その様な論理的一貫性もない。何故この様な対応をマスメディアが取るかといえば、エアコン設置を求めて住民投票で投票数の過半数を占めた「民意」を否定して、それに住民から噛みつかれるのが怖いのである。しかし、衆院選で国民が示した民意に噛みついても、多数のマスメディアが援護してくれると思っているから、衆院選には無茶苦茶な民意の無視を決め込めるのである。

私は、住民投票の乱発は民主主義の否定につながると思っている。我々は歴史から、間接民主主義制を選んできた。(一応は)正規の手続きで定められた憲法に従い、選挙で選ばれた議員が法整備を行い、それらの法律・ルールに従って我々は暮らしてきた。様々な手続きのルールはこれらの法律で規定されており、その法律を変えるには国会等の議会での承認を必要としていた。それらの立法を縛るものとして最上位に憲法が存在するのであるが、その憲法という最大の法的根拠を変える場合には、流石に憲法に縛られる国会議員だけで良いのかとの判断から、住民投票との組み合わせの2段階方式を選択している。憲法の改憲において住民投票が必要なのは非常に妥当性があるが、それ以外の雑多なことに住民投票・国民投票を行うのは、法的にも国会(県会、市会も同様)議員の権限及び首長や総理大臣等の権限を否定するものであり、さらにはそこに負わされている責任の放棄にも繋がる。余りにも安易に住民投票に走るその傾向には非常に危機感を感じる。

そして、その様な「民意」なるものに統一的な論理的一貫性を意識せず、ポピュリズムに走るマスコミは無責任この上ない諸悪の根源とすら感じる。民主主義が求めるのは、大きな権力を握るマスメディアの横暴や野次ではない、彼らに権力があるということは、その責任が伴うということを意味する。しかし、彼らにはその責任感は無いようだ。

やはり、「誠意を持って話しても分からない悪意」には困ったものであるという教訓がまた一つ積み上げられた感じである。

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移民ではなく、農林業限定&期間限定の外国人技術研修者の拡大を目指せ

2015-02-22 00:53:20 | 政治
今日のブログは昨日のブログのオマケである。移民論について少し書いておく。

曽野綾子氏のコラムでは、特に介護分野において海外からの労働力の補充の為に労働移民を許容すべきとの論調であった。看護師などの場合には、それなりの高度の技能も必要だし、言葉でのコミュニケーション不足で誤った判断をすると命に係わるという背景もあり、中々ハードルが高いという現実がある。実際、経済連携協定などで来日したインドネシアやフィリピンからの人々が、所定の研修期間を経て国家試験を受験するのだが、その合格率は10%程度で、日本人の受験者の合格率の1/9程度である。それに比べ、介護系の国家試験の場合には合格率が36%で、日本人の半分程度だという。だから大量の人手が必要な介護分野で移民を受け入れろとの主張なのだろう。ただ、この議論の仕方は極めて日本の都合に偏っている。

話を少し戻せば、世間的には安倍総理は移民政策の推奨論者だと主張する人が多いようだが、実際には安倍総理は移民政策を明確に否定している。安倍総理が指摘しているのは、ある程度の期間を明確に限定し、その期間だけの在留許可を与える海外労働者の受け入れなのである。私は基本的にこの考え方は賛成なのだが、これだと常識的に考えて、稼ぎの多い日本での永住を希望する者が多すぎて、所定の期間を満了した者たちが素直に帰国するはずがない。つまり、不法滞在者が爆発的に増えて、しかもそこで日本人と結婚して子供が産まれたりすると、強制送還などに伴い悲劇が生まれるリスクも高まる。つまり、期間限定の外国人労働者を受け入れるにしても、彼らが所定の期間経過した後に、彼らが素直に帰国するモチベーションをそこに組み込まないと、なしくずし的に移民政策と同化するリスクが大きいのである。

では、何故、移民政策がいけないのかについても個人的な意見を書いておく。例えばフランスやドイツなどのヨーロッパの国々では、移民が増えたために当初は国民が就くはず?だった仕事を移民が奪い、想定以上の失業率となってしまったことが問題とされる。しかし、労働力不足だから移民政策を考えるというのであれば、移民を求める時点で有効求人倍率は1以上の値となっている筈で、職種毎に凸凹がありそれが問題になることはあるが、基本的には移民の数のコントロールをするだけで問題は発生しないはずである。背に腹は代えられない人口オーナスという現状がそこにあれば、何処かでこの様な割り切りは必要である。しかし、私の頭の中ではその様なことが問題ではなく、政治的な主導権が外国人によって捻じ曲げられるのを恐れるのである。

例えばアメリカは移民の国である。その国の成り立ちを考えれば、数百年を遡るだけで全国民が全て移民という特殊な国である。だから、例えば第2次世界大戦終了時点とか適当なタイミングを定めて、その時にアメリカ人だった人をネイティブのアメリカ人とみなし、それ以降は移民と定義することは不毛なことである。移住した時期が多少違うだけで、彼は移民で私は移民ではないなどということはナンセンスである。しかし、その様な歴史的な経緯はともかくとして、アメリカに移住する中国人や韓国人を例に取れば、確かにバックグラウンドに中国や韓国があるのでアメリカ国内で中国や韓国に味方する様な行動をする者は多い。中国人のや韓国人の反日活動などは凄まじいし、実際、多くの慰安婦像が作られたりしているのはその例である。

話が逸れるが、私が大学で地方から都会に移り住んだ際に、それまでは自分の田舎を誇りに思うことなどなかったのだが、都会に暮らすようになって初めて地元への愛着が生まれてきた。地元の話題がテレビで出れば嬉しいし、地元の高校がスポーツなどで全国大会で活躍すれば当然ながら喜んで応援する。しかし、では今更地元に戻って老後を過ごしたいかといえばそんなことはない。あくまでもバックグラウンドとして田舎を背負っているが、子供の頃の田舎に住んでいた期間より寧ろ現在の住処に住む期間が長くなった現在では、今の住処の方が圧倒的に気に入っている。

先程のアメリカの話に戻せば、アメリカに移住した中国人や韓国人は、多分、中国や韓国に肩入れした行動を取っているのであるが、では仮に「中国がアメリカに侵攻して、アメリカが中国の占領下になったら喜ぶか?」と問われれば、間違いなく「頼むからやめてくれ。私はこの国の自由が好きなのだ。もはや、この国を捨てて何処かに行けやしない。アメリカはアメリカであり続けて欲しい。」と思うはずである。言葉は適切かどうかわからないが、ある種のアメリカに対する愛国心の様なものがあるはずである。しかし、では日本に来るような外国人の多くはそこまで日本を愛することができるだろうか?多分、半分以上の外国人は長く住み続ける中でその様な感情を持つのだろうが、残りの半分程度は「日本がだめなら、アメリカに移住すれば良い」ぐらいに思うだろう。あくまでもビジネス的な割り切りで、「ベストな移住先としての日本」ではなく、2番手、3番手的に割り切って移住する人が少なくないのだと思う。その様な中で、日本に移住する中国人が「中国が日本に侵攻して、日本が中国の占領下になったら喜ぶか?」と問われれば、「そうなって欲しいとは思わないが、イザとなればアメリカに移住するので、中国が名実ともにアジアの覇者になるのは悪くはない」と思う人も無視できない程度はいるはずである。その様な人々が日本国籍を持ち、選挙権を行使して日本の政治に影響力を与えるようになれば、日本の様々な主権が脅かされる事態になることは目に見えている。仮に外国人参政権が認められれば、例えば対馬などに大量の韓国人が移住し、合法的に対馬の行政を乗っ取り、国民投票など経て実質的に「対馬の韓国化」を図るのは目に見えている。

以上説明した様に、アメリカであれば国家の乗っ取りを企む移民は考え難いが、これだけ敵対心を露わにした隣国を多数抱える日本の特殊性を考えると、確実に一定期間で帰国してくれる外国人労働者でなければ受け入れにはリスクが伴うと考える。

では私の提案はどの様なものかと言えば、農林業分野に限定して外国人労働者を受け入れるという方針である。最初の1年間は、大学の農学部であったり新たに農業の専門学校の様なところで農業の技術を習得し(勿論、日本語も習得する)、その技術を持って地方の農家の支援を行うのである。農家が個別に実習生を雇い入れるのではなく、自治体がその様な外国人労働者の宿泊設備も管理し、給料も自治体が間に入って支払いを行う。現在は、体の良い「低賃金労働者」として使われているので時折事件が起きたりするが、その様な奴隷的な扱いではなく、一種の労働技術者としての受け入れを行うのである。この中で身に着けた農業技術は、彼らが自国に帰れば何らかの役に立つはずである。看護師の場合には、国家試験はあまりにもハードルが高すぎて問題があったし、介護分野は日本に労働目的で来るような人々の国では殆ど社会問題化していない。超高齢化社会の日本の特殊性がその様な国とはマッチしないのである。一方で、農業分野は日本はジリ貧状態で、休耕田があまりにも多すぎる。65歳以上の高齢の農業従事者からすれば、自分が汗水たらして働き続けることは限界があっても、若い外国人に農業技術を教えながらその労働力を活用して農業を続けることならできるであろう。株式会社化は究極の形態だが、そこに至る途中段階の姿として、その様な形での農業の活性化は農政改革ともマッチする部分が大きい。

この結果、農業が活性化してビジネスとして成り立つことが示されれば、若い日本人の農業分野への回帰も期待できなくもない。少なくとも多数の休耕田が復活し、農業生産量が大幅に増えれば、日本国内の消費を十分に賄ったうえで、特に品質の良い食料品を海外に輸出する安倍総理の狙う戦略が実現できる。食料自給率も高まり、戦略物資としての食料の安全保障の観点からも好都合である。アジア諸国への貢献という意味でも価値はあるし、多様なプラスの効果を期待できる。それらの若者を送り出す側の国としても、所定の期間が過ぎたら是非とも帰国して国の為に貢献して欲しいと考えるだろうし、新しい形のODAとしても世界的な評価を受けるかも知れない。まさにWin-Winの関係である。

勿論、農家が賃金として支払える額には限界があるので、国が税金で海外労働者に給料を補填することになるが、農業支援や産業政策、国際貢献や安全保障的な価値などを総合的に評価すれば、そこでの税金の投入は無駄ではない。巷では6次産業という言葉が聞かれるが、農産物の生産という1次産業の活性化で、その農産物の加工という新たな雇用が創出される。1次産業は肉体労働的で時間の拘束が厳しいが、2次産業、3次産業化の中では、地方に新しい雇用が生まれ、地方の創生にも繋がる。女性や高齢者なども働きやすい職種でもあるので、これまでは労働者としてカウントされていなかった人々が新たに働けるようになれば、税収の増加や年金に頼らない家計の設計もし易くなる。

実際に実現するには課題も多いのだろうが、農林業分野に関しては、海外労働者の受け入れ政策の最初のモデルとしてリスクは小さいと思う。適用範囲の拡大は、この制度の運用の中で得られたノウハウ使って新たな制度瀬系を行えば良い。

やはり、悪意のある国々に囲まれた日本においては、移民政策は非常に慎重に進めるべきであり、綺麗ごとでは済まないし、日本の国益より他国の国益を優先する様な人達の言うことを安易に聞くことは止めた方が良い。あくまでも期間限定、且つ職種限定で、一種の外国人技術研修者として考えるべきだと思う。

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誠意を持って話しても分からない悪意からの教訓

2015-02-21 00:13:06 | 政治
最近、仕事が忙しくてブログを更新することができなかった。相変わらず忙しいのだが、週末なので意を決してブログを書かせて頂く。今日書きたい内容は、最近特に気になっていた話題である。

まず、今日のブログ全体を通して共通するテーマであることの象徴的な書き込みを目にしたので、その話からさせて頂く。これは、ピーコさんのツイッターでの呟きらしいのだが、下記の様なことをピーコさんは書いていた。

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イスラム国について友人に「どれだけ話をしてもわかりあえない奴はいる。わかる為の努力は続けるべきだがなるべく関わらない努力も必要だ」と言ったら「そんな事はない!誠心誠意話をすればきっとわかりあえるはずだ!」と返されたので成る程やはり人間はわかりあえないなと思いました。(ピーコ)
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これは、最近の様々な問題の根幹にかかわる部分を適切に表現したものだ。サヨク系の人々は「話せば分かる」と言って、上から目線で話しても分からない人々を蔑むんでいることが多いのだが、彼らは我々が理解できないのは我々が馬鹿なだけで、正しいことを勉強して賢くなれば、彼らの主張が理解できるようになると言いたいのだろう。しかし、現実はと言えば、上述の文章でピーコさんが懇切丁寧に説明したことの意図を相手は真面目に理解しようともせずに短絡的に切って捨てているという観点からも、ないしは相手の主張をピーコさん自身が承諾していないという観点からも、いずれの立場で見ても「話しても分からなかった」という結果に繋がっており、論理的にはピーコさんの主張に軍配が上がったのは明らかである。この様な例を借りるまでもなく、世の中には「話しても通じない相手」というものの存在を理解しなければならない。

次なる話は、下記の記事である。

Blogos 2015年2月12日「『翼賛体制』とは、片腹痛い、古賀茂明氏のデタラメ発言を検証〜ジャーナリストが根拠のないでたらめの解説をしたら批判されて当然(木走正水)

これは私の先日のブログ「論理的な議論の土俵の確保(情報ソースの開示要求について)」の中でも触れた1月23日の報道ステーションでの古賀茂明氏の発言に対してのツッコミであり、このブログでも引用した長谷川豊氏のブログ「イスラム国を『利用』して安倍批判をするな!」でも同様のことを指摘している。どれも同様の指摘で、上述の木走正水氏のブログでは古賀氏の指摘が間違っていることを、懇切丁寧に証拠を挙げて指摘している。類似の記事の中でこの木走氏の記事を引用したのは、この記事には現時点で183件のコメントが記されているが、これを読んでいると「話しても分からない」ことが良く分かる。具体的に名指しはしないが、この中で古賀氏の擁護をしている人のコメントを読むと、木走氏が丁寧に証拠を挙げて説明しているのにその証拠には言及せず、木走氏の主張を全て無視して自説(というか古賀氏の主張)を繰り返し説いている。これを受けたコメントで、「xxxさん、エントリ本文、ちゃんと読みました?(笑)」と適切な指摘をしているが、その後もそのコメントをされた方も、その他の古賀氏を擁護する方も、木走氏の提示した証拠を無視して「そんなことはなかったこと」として自説を展開する。私は民主主義の前提は、相互に論理的な議論が出来ることだと思っているのだが、明らかに論理的な議論を無視して「声が大きい方が勝つ!!」と割り切った行動をされてしまうと、もはや議論の余地などない。やはり、「話せば分かる」は幻想であると思い知らされた。こうなると、後は手続きだけを適切に淡々と行うことに気を付けるしかない。非常に残念な結果である。

さて、その様な中で、今、最も世間的に炎上しているのは曽野綾子氏だろう。産経新聞に2015年2月11日に掲載された「労働力不足と移民」と題したコラムで、南アフリカのアパルトヘイト政策を擁護したとして吊し上げられている。私は曽野氏のコラムを読んで全く賛同できなかったのだが、その賛同できない部分は「移民政策」に関する部分であり、人種差別問題としてこの文章の問題を意識はしていなかった。しかし、この問題の凄いところは、曽野綾子氏を擁護する人が全くいないという点である。ネットを探しても、「まあ、まあ、まあ・・・」程度の発言はあるかも知れないが、私は「曽野氏を擁護する」と宣言する書き込みは私は未だに見つけていない。以前の橋下大阪市長の慰安婦発言の時も凄い悪意のあるバッシングを感じたが、それでも橋下擁護派はそれなりに(というか、結構多数)いた。しかし、今回はその様な人がいないのである。それはそれで恐ろしいことである。

私はたまたま、2月17日のTBSラジオ、荻上チキSession22(ポッドキャストで聞くことができる)を聞いていたのだが、この中で荻上氏は曽根氏にインタビューをして、そのやり取りを放送していた。私がその番組を聞いた感想は、「どうしてここまで話がかみ合わないのか・・」という、やはり「話しても分かり合えない」事態の再確認であった。この放送には三井物産戦略研究所中東アフリカ室主任研究員の白戸圭一氏が出演して、インタビューを受けて解説を求められたのだが、その中で白戸氏は、誰が書いたのかを意識せず色眼鏡なしでこの文章を読むと、その論理構成は「アパルトヘイト体制が無くなって白人と黒人が一緒に住むようになったら上手く行かなくなった。したがって別にすんだ方が良い。だから、アパルトヘイトの様な居住政策は良かった・・・とアパルトヘイト政策を称賛する」という構成になっているとまとめていた。そこで、それを読んだ後で曽野氏の最初のコラムを読んでみて欲しい。産経新聞は記事を削除してしまったので、こちらの方でしか読むことができない。

産経新聞2015年2月11日コラム「透明な歳月の光(曽野綾子)

私の感じる要点を、そのまま抜粋すると下記の様になる。

「外国人を理解するために、居住を共にするということは至難の業だ。」
「居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった。」
「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」

先の白戸氏の総括をもう一度見直せば、「アパルトヘイト体制が無くなって白人と黒人が一緒に住むようになったら上手く行かなくなった。したがって別にすんだ方が良い。」までは確かに書いている。しかし、この文章の何処をひっくり返しても、「だから、アパルトヘイトの様な居住政策は良かった・・・とアパルトヘイト政策を称賛する」という内容は書かれていない。上述の曽野氏の文章の「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる」の部分は、明らかにアパルトヘイト政策を完全否定するものである。また、「居住区を強制的に区別しろ」という論調は何処にもなく、個々の「居住だけは別にした方がいい」や「居住を共にするということは至難の業だ」は、個人レベルでの居住において「距離を置くこと」を推奨しているに過ぎない。「居住区」を強制的に分けるアパルトヘイト政策とは完全に別物である。コラムの中心にドカンと書かれているサブタイトルは、「『適度な距離』を保ち受け入れを」である。つまり、最初のピーコさんの「わかる為の努力は続けるべきだがなるべく関わらない努力も必要だ」にも通じる部分がある。

インタビューの中では曽野氏は、例えばアメリカなどの移民が多い国では、中国人街や韓国人街、日本人街などができて、そのコミュニティが上手く行っている例を挙げ、「差別はいけないが、区別は問題ではない」と言っていた。これがまた火に油を注ぐような結果を招くもとになったのだが、「強制的な居住区制限はいけないが、自主的に区別して区画を分けるのは自由だ」という論調が、完全に相手に攻撃材料を与えることになった。そこで、ではこの曽野氏の一連の流れを反省してみると、曽野氏の何がいけなかったのかが見えて来る。それは、「発言や執筆の真の意図などは横に置いておいて、『話しても分からない』人々は現実にいるのだから、その様な人々から揚げ足取りをされる様な発言は『君子、危うきに近寄らず』の言葉通りに程々に控えることを肝に銘じた方が良い」という教訓である。

しかし、真意は全く別のところにありながらも、悪意のある人に攻撃材料を与えることはそんなに悪い事なのか?と私は問うてみたい。中には「いやいや、悪意があるとかないとかではなく、その表現を聞いたらそう感じる人がいるかも知れないでしょ・・・」という人がいるかも知れない。敢えて批判を覚悟で言わせて頂けば、(相対的には右寄りよりも)特にサヨク系の人にその様な「アパルトヘイト称賛は許すまじ!」と曽野氏を責める人が多いと思う。右寄りの人は、単純に移民政策の考え方で噛みつくのではないか・・・。しかし、ではその様なサヨク的な人に聞いてみたい。日本共産党や民主党は、ISILに対抗する国々において人道支援をすると発言をした安倍総理の言動が、後藤氏や湯川氏を見殺しにすることに繋がったと主張するが、これを聞いたISILの連中は、「そうれみろ!日本国内ではISILの趣旨に賛同する政治家や有識者がこれほどたくさんいる。まさに我々の正当性が証明された!日本政府の人道支援などもっての他だ!日本政府は、直ちに我々の要求を受け入れるべきだ!」と考えるのは確実である。彼らは自分たちが正しいと確信しているのだから、この様に揚げ足取り的な発想をするのは間違いない。その様にして日本政府に対する攻撃材料を与えているのである。まさに、「日本共産党や民主党、朝日新聞や毎日新聞や東京新聞はISILの正当性を認めた、熱烈なISIL支援団体である」と糾弾されてもおかしくはない。これを、「いや、その様に意図を捻じ曲げて解釈する方が悪い」と切って捨てるなら、曽野氏の「文章を素直に読まずに、悪意を持って曲解する方が悪い」という主張も同様に認められるべきである。

更に言わして貰えば、シャルリ・エブドの事件で多大な犠牲者を生むことになり、世界中の大多数が「私はシャルリ」とアピールをすることになるのだが、私の正直な感覚では、あれほどイスラム教徒に誤ったメッセージを伝える下品な表現はないであろう。だから、表現の自由は絶対的に認めるが、あの下品さは世界中からたしなめられて然るべき内容であったと私は感じている。少なくともイスラム教徒であれば、そこに悪意など無くても、極端に言えば「善意の塊」の様な人であっても、シャルリ・エブドに対して燃え上がる憎しみを与えるのは間違いない。しかし、世界中はその様な下品さであっても、表現の自由としてそれを認めているのである。その下品さに比べれば、少なくとも悪意がなければ曽野氏の文章を読んで燃え上がる憎しみを感じる人はいない。

だから、「日本共産党や朝日新聞には許され、同様にシャルリ・エブドにも許されながら、曽野氏だけには許されない理由」を考えざるを得ない。その答えは、論理の通じない「分かり合えない人々」が世の中にはいて、「その様な人々には気を付けろ!」「(その様な人と)関わらない努力も必要だ」ということなのだと思う。そして、残念ながら地雷を踏んでしまったら、下手な弁解などせずに、「私の意図は全く違う。それが分からない人もいるかも知れないが、分かる人が分かれば良い!」と開き直って、それ以上「関わらない努力も必要だ」ということなのだろう。

哀しいことではあるが、論理が通じないのであれば、それは致し方ないことである。

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国民が「冤罪」までも求める国・・・

2015-02-12 23:58:16 | 政治
先日、水泳の冨田選手の裁判へのコメントを書いたが、若干、補足を加えておく。

まずその前に、本日、ナッツリターン事件に懲役1年の実刑判決が下された。韓国の法律など知らないので、実際問題としてどうなのかは知らないが、Wikipediaで「航路」を調べると「航空機についても、規定された空域を運航するために規定された通路(航空路)を航路と表現することがある。」とあり、「航空路」を調べると「航空路(こうくうろ)とは、航空機が飛行していく方向や飛行する高度を決めて、安全に航行できるようにした空の道を指す。航路とも表記する。」とあり、離陸前の航空機の移動を「航路」とは理解しにくく、少々、無理筋の感が強い。多分、韓国でも中国人観光客が機内で暴れて引き返したとかの話はあるだろうから、その様なケースで実刑の懲役が科されるか否かを引き合いに、その判決の妥当性が議論されるべきであろう。しかし、テレビで見ると韓国人の大半は、「1年の実刑では軽すぎる!」と口をそろえて非難しており、この国民感情が判決に大きく影響を与えていると見られている。多分、ここで執行猶予など付けたら夜道を一人で歩けないと裁判員は考えたのではないだろうか・・・。

一方、日本では裁判員裁判で下された死刑判決が、最高裁で無期懲役となることが確定したニュースがあった。長谷川豊氏はこれに怒りまくり、自らのブログの記事「裁判員制度なんざもうやめてしまえ」で強くこれを非難している。もともと遠慮のない長谷川氏だが、これに続く記事「ハンドルネーム『弁護士』さんへの長いお手紙」でもこの怒りは収まらず、彼の本気さが伝わってくる。

私はこの件に関しては長谷川氏とお手紙の主である「弁護士」さんとの中間的な意見の持ち主で、裁判に関しては裁判官は如何なる理由があっても被害者に感情移入することは禁止行為と信じている。それは、感情的になると論理的な議論を妨げるからである。一方で、「公平性」の議論は非常に重要でありながらも、この「弁護士」さんの主張する「1件1件が全て全然違う案件としての特殊性」を正当に評価する過程の中で、今回の件はその特殊性を高裁、最高裁の裁判官が過小評価し、やはり先例に形式的にとらわれ過ぎた判決を下したのではないかと感じている。第1審での判決は、素人の裁判員が感情論によってではなく、その特殊性を冷静に評価し、法の精神に最大限誠実に向かい合っての判断だったと思うから、だからこそ被害者に寄り添った「感情論」とは別の議論をして欲しいと感じるのえだる。つまり、極めて冷徹なまでの論理的な思考の結果として、この裁判で死刑判決を下すことは可能であったのではないかと感じている。そして、素人の裁判員が実際にそれを体現したのではないだろうか。この意味で、日本の裁判で起きていることは韓国のナッツリターン事件とは全く異質なものであり、ある意味、健全な国民性の結果を反映したものであると感じている。それは仮に死刑になるべき加害者が職業裁判官によって無期懲役になってでも・・・である。

さて、話を戻せば、冨田選手の事件に関して、私は3つの点についてここで指摘させて頂きたい。

まず一つ目は、冨田選手の部屋において盗まれたカメラ本体が見つかっており、冨田選手自体がこれを持ち帰ったことを認めているのだから、このカメラが冨田選手の手に渡った経緯が冨田選手の主張である「別の第三者が強引にバックに入れた」という点を韓国検察(警察)が崩す証拠を提示すれば、その時点で議論は終わりなのである。映された映像の解像度が低くて実際に冨田選手(と確認できる人物)がカメラをバックに入れたことが映像で確認できなくても、第3者が冨田選手にカメラを渡した映像が存在しないことを証明すれば、その時点で検察の勝ちなのである。タイムスタンプのついた一連のビデオ映像を全て開示すれば、それで白黒はっきりつけることは極めて簡単に出来るのである。その程度のことを検察が気が付かないはずはなく、全てのノーカットの証拠映像が提出されなかった時点で、検察側は何か弱みを持っていることが容易に推察できるのである。

次に、韓国警察が主張することの背景にある事情は理解できる。あの映像を見ると、冨田選手が記者席の後ろの方に少し身をのけぞらせ、その直後にその場を離れた映像があるので、あの場所がカメラを盗まれた場所だとするならば、たまたま映像を見直してその場所付近にいた人物を探していたら日本のジャージを着た選手が見つかったので、その前後の別のカメラの映像から彼らが勝手に犯人だと思っている人物の入り口通過時の鮮明な映像を確認し、冨田選手が犯人だと決めつけたのは理解できる。多分、日本人選手が犯人だと思って、心の底から喜んだのだろう。しかし、映像を見る限り、冨田選手はかなり不安定な体制で身を後ろにそらせ、その後に短時間でその場を立ち去っている。つまり、一瞬で身を後ろにそらせ、その瞬間に巨大な望遠レンズが付いたカメラから望遠レンズを取り外し、それで本体だけを持ち去ったことになる。一眼レフカメラを使い慣れた人であれば、あの体制で超大きな望遠レンズを手際よく外すのが如何に大変かは容易に想像できる。あの動作で一発で外せたのであれば、それはカメラの扱いに慣れた人でなければならない。少なくとも冨田選手が自身で一眼レフカメラを所有し、頻繁に撮影をしていたのなら簡単にマスコミは冨田選手の嘘を暴くはずである。しかしその様な声が聞こえてこないことを考えると、彼はやはりカメラの扱いには不慣れであったと思われる。ただでさえ、素人にはどうすればレンズが外れるのかが分からないのにもかかわらず、あの不安定な体制で一発でカメラからレンズを取り外したとは考えにくい。

とすると、昨日のコメントにも書いたのだが、冨田選手は友人の選手が練習を終えるのを待っていたとの発言をしていたので、あのビデオ映像で立ち上がって一旦歩き始めた後、記者席の別の場所に移動してそこで再度、友人が練習を終えるのを待っていたのではないかと予想される。そして、映像では競技場を友人と共に後にする姿が映っているので、それらのタイムスタンプを全て繋ぎ合わせれば、盗んだとされるシーンと競技場を出るまでの間で冨田選手が何をしていたのかが分かるはずである。そこで、場所を移して記者席でだべっていたのであれば、検察の主張はもろくも崩れるのであろう。そして、当初の犯行時刻とされた10時50分ごろの少し前から12時過ぎまでの全ての映像を確認すれば、あの映像で冨田選手がカメラを盗んだとされる場所に近づいた人物が他にいないのかも確認できるはずである。仮にその様な人物がいれば、その人物こそが真犯人である可能性が高い。そして、その人物が冨田選手に接触していれば、冨田選手の主張の正当性が確認できる。逆に、事実はそうでないというならば、最初の指摘のとおり、冨田選手が犯人だと簡単に証明できてしまうことになる。

しかし、検察はその様なことを意図的に避けた訳で、その行動は冨田選手が犯人でない場合以外は合理的な説明が付きそうもない。よっぽど、韓国検察が無能な人間の集まりであれば別なのだが・・・。

さて、ここではその少し先を考えてみる。これで仮に冨田選手の無実が簡単に証明できたとしてみよう。その場合、韓国検察&警察は意図的に冤罪を作り上げようと行動したことが証明されることになる。その時、彼らはどう言い訳をするのだろうか?「国民が、『冨田を犯人にしろ!』と暗黙の脅迫をしたから・・・」とでも答えるのかも知れない。その弁解の声を生で聞いてみたい。

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海外渡航・報道の自由の制限は「時間軸」で考えるべきである!

2015-02-10 00:08:03 | 政治
シリアへの渡航を計画していたフリーカメラマンの旅券返納を命じた問題が話題になっている。この問題の議論は本来は単純で、憲法で保証された報道や海外渡航の自由と旅券法の規定との整合性と、この旅券法の規定に従い政府が行った旅券返納命令の妥当性の問題である。憲法で扱う基本的人権は無制限の権利を保証するものでもないし、一方で国家権力が暴走して個人の権利を制限して良い訳でもない。法律的な議論であれば、まずは旅券法自体が憲法違反に相当するか否かが問われ、憲法違反でなければ政府の判断の妥当性がその次に問われる話である。仮に旅券法が違憲でないのなら、旅券法19条に記載の「旅券の名義人の生命、身体又は財産の保護のために渡航を中止させる必要があると認められる場合」はまさに今回の事態にドンピシャの状況であり、旅券法の存在前提で議論すれば政府の判断は妥当であろう。逆に仮にその法律が違憲であっても、政府は既存の国内法に基づいて判断するわけだから、今回の返納命令を受けたカメラマンが裁判を起こし、将来的に最高裁で違憲判決がでるまでの間は現行の旅券法は有効なので、そこまでの間は政府は法的に堂々と渡航の制限を課すことができるはずである。

しかし、今現在の議論はその様な法的な妥当性の問題などではない。

それは最近の政府の姿勢が特定秘密保護法の成立などの様に国民の権利を制約する方向の政策を好んで行っているという批判であり、法律論とは全く関係のない一般国民の感性から見て、この渡航の制限を我々が許容すべきか否かの議論となっている。

ただ、その様に大上段に構えたように見えて、その大半の議論を見れば結構薄っぺらで、「国家権力が国民の権利を少しずつ制限を掛けようとすることを許すべきか?」と、「ここで更に邦人が誘拐されてISILからの脅迫・要求に利用されるようになれば、法人の命の危険に加えてISILを利する結果になりかねない!」という程度の議論である。前者の議論で国家権力の介入を許すなと主張する側の主張は、我々が様々な判断を下す上で必要なISILの情報を仕入れるためにジャーナリストの活動は必要不可欠であるとの主張であるのだが、これは確かに一見、尤もそうに聞こえる議論である。しかし、この議論には決定的に欠けている議論がある。

それは、「時間軸」という考え方である。

ここ現在に至るまでの間、後藤氏をはじめとする命がけのジャーナリストのお蔭で、ISILの何たるかが大分分かるようになってきた。このISILの情報はアメリカのCIAとかであれば、常に最新の情報が必要ではあるので情報収集の空白期間は致命的だが、我々の置かれている状況はCIAとは全く別物である。今、この1年程度の時間軸で見た場合、我々は「これから1年間の間にISILにまつわる状況がどの様に変化しているのか?」をISILの直近で観察しなくても、様々な判断を行う上で困らない程度に十分な情報を仕入れている。さらに言えば、ISILの方から頻繁に情報発信もしているし、一目見れば明らかにアラブ人ではないと分かる邦人が潜入するリスクよりもより少ないリスクで、真のアラブ人が潜入して情報発信を行ってもいる現実がある。だから、仮にこの1年という期限を切って考えれば、報道の自由が何よりも優先されなければならない必然性はそこにはない。

一方で、今現在がどの様な時期かを考えてみよう。欧米やアラブ諸国の空爆によって、大幅にISILはダメージを受けている状況である。しかも、石油施設の破壊と原油価格の暴落で、完全にISILは兵糧攻めで音を上げつつある状況である。1年以上先の原油価格がどうなっているかは読めないが、しかし今暫くは現在の状況は継続しそうである。したがって、この1年程度の時間スケールで見るならば、身代金や人質交換などでISILが息を吹き返すチャンスを今与えることは、半年前の絶頂期のISILに同様の利益を与えることとは意味が違うのである。今現在は、国際的に協調した徹底的な兵糧攻めが求められる時期であり、後藤氏の死は極めて痛恨の極みではあるが、追い詰められつつあるISILへの打撃という視点で見れば、息を吹き返すチャンスを与えなかったということで今後のテロを最小化することに少なからず寄与したはずである。しかし、そんなところに次から次へと邦人が人質になるような事態が起きれば、それはISILに繰り返しの援助をしていることに他ならない。

例えて言うなら、暴対法で兵糧攻めに合っている暴力団の取材のために、暴力団に膨大な金銭を渡して取材することが許されるか否かの問題に近い。数十年前の、一般市民が暴力団に大金のみかじめ料を払っていた時代ならいざ知らず、兵糧攻めに耐えきれずに一般市民が巻き添えにあう事件が起きている中で、それでも徹底的に暴力団を潰すという意思統一を図り一般市民も怯えながらも協力している中、それが「ジャーナリズム」という名目のために暴力団に膨大な取材料を払っていたら、その様なジャーナリストや報道機関は社会的に抹殺される制裁を受けるはずである。そのことに異論を唱えるジャーナリストはいないだろう。

つまり、ISILに関しても時間軸は重要なのである。今、この瞬間の何たるかを考えれば、例えばこの1年という期間の渡航の制限は何よりも重要なのである。後藤氏の死を無駄にしないためにも、ISILの蛮行で苦しむ人はこれ以上増える事態を如何に収束させるべきかをジャーナリスト達自身も考えるべきである。

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水泳の冨田選手の裁判で、今、何が起きているのか?

2015-02-09 00:56:14 | 政治
大分前からどのタイミングで書き込みを入れようか迷っていたが、少々遅ればせながら書かせて頂くことに決めた。水泳の冨田尚弥選手のカメラ窃盗疑惑の件である。

既に昨年のアジア大会の直後から色々と話題になっていて、一度は盗みを認めた訳だから「なんだかなぁー」と思っていた訳だが、下記のサイトの記者会見

Yahoo!ニュース(Logmi) 2014年11月8日「【全文】競泳・冨田尚弥の釈明記者会見『カメラをねじ込まれた』シーンを弁護士が再現

などの情報を見る限り、それなりに筋は通っている主張である。少なくともこの時点で所属していたデサントに解雇され、仮に冤罪が認められたところで今後の選手生命は殆ど絶望的であることが確定した状態であったし、日本水泳連盟の選手登録停止処分に対し異議申し立てをしていないから、再度、選手として活躍するための「博打」的な要素もなく、それでも派手に「冤罪」を主張する以上は、それなりの理由がなければ不自然なところがある。その様な背景を考えれば、あの記者会見での無実の主張は「多分、本当のことを言っているのだろうな・・・」ということは理解できる。

そんな中で始まった裁判だから、ビデオの映像が出れば一発で白黒が付くと思いきや、それが期待された2月2日の公判では、予想に反した事態となった。それは、冨田選手側の日本語通訳が裁判の日取りを間違えて出廷してこなかったという、予想外の展開である。当然、冨田選手の冤罪を疑る側からすれば、「流石韓国、そこまでやるか!」というお見事な展開であるが、今回はそこのツッコミは見送ることにする。問題は「真実はどうだったのか?」の部分で、それを占う情報がフジテレビ系の情報番組「とくダネ!」と「FNN東海テレビスーパーニュース」で2月4日に公開されていた。下記のYoutubeのサイトで見ることができるが、裁判で検察側が証拠として提出したとされるビデオ映像が公開されたのである。

Youtube「【防犯カメラ映像を入手!】競泳の冨田尚弥選手の防犯カメラ画像が捉えた映像は・・・

多分、この映像を見た時に感じる疑問の行間を少しだけコメントしておきたい。

まず、普通の人はこの映像を見て犯行の証拠と感じる人はいないはずである。にも拘らず、この映像を「動かぬ証拠」として証拠申請した韓国検察(及び、当初は韓国警察)の思考回路を解釈してみたい。
まず背景として、この事件で一番解せないのは、日本オリンピック委員会役員の柳谷直哉氏の行動である。この柳谷氏は、韓国警察側から犯行のビデオ映像を見せられて、映像にはっきりと映った冨田選手が犯人だと特定した人物である。実際、冨田選手が冤罪を主張する記者会見を開いた際にはJOCは困惑し、「映像で確認している」とコメントをしていた。したがって、この事件の鍵を握るのが柳谷氏であるのは明らかだが、ネットをはじめ多方面からの要請があったにもかかわらず、柳谷氏は記者会見などで何を確認したかを発言していない。もし仮に韓国警察の言う通りであれば何か言って然るべきだが、それがないということは、何か裏があるという証拠でもあった。しかし、何故、その様に「映像で確認した」とまで強気で言い張るのかが謎でしかなく、それがずっと私には不思議だった。しかし、上述のビデオ映像はそれを全て解説してくれていた。

そこで最初のビデオに戻るが、あれが「動かぬ証拠」となるには理由がある。テレビで公開された映像は数分だが、実際の証拠申請されたものはもう少し長い10分以上のものらしい。しかも、テレビで放送された映像は実際の証拠ビデオが映るモニターを別のビデオカメラで撮影したものである可能性が高く、実際の証拠ビデオがどれだけの者か分からないが、少なくとも編集されて切り貼りされた映像であることは間違いない。しかも、この映像を裁判で見た冨田選手の感想も、誰が映っているのか不鮮明で分からないということだったので、テレビで見る程であるかどうかは別として、決定的な証拠にはなっていないはずである。にも拘らず、これが証拠というのには、ある前提が必要である。つまり、あの映像は様々な別の場所のビデオカメラの映像を切り貼りしているのだが、それらがそこに映った一人の人の行動を連続的に実時間で追いかけながら、ただ単にカメラのみを切り替えていると仮定した場合、その犯人は「最初の入り口のアップの映像の冨田選手である・・・」という結論になるのである。つまり、韓国警察は柳谷氏に捜査協力を依頼した際に、一連の流れを切り貼りした映像を見せて、「この最初の映像に映っているのが犯人なのだが、日本のユニフォームを着ているので日本人選手だろう。特定して欲しい。」と頼まれたのだろう。そして冨田選手と特定し、その後のとんとん拍子の展開で、柳谷氏もJOCに「本人も認めているし、私もビデオで冨田選手の顔をはっきり見た!」と伝えたのだと思う。

そこで、この様な展開だとして、では何が起きているのかである。少なくとも韓国の警察も検察も、全てのマスタービデオを入手して、同時刻の映像を同時に再生しながら冨田選手が犯人である動かぬ証拠を探そうとしたのだと思う。そして、仮にその証拠が見つかったならば、そのマスタービデオを証拠申請するはずである。しかし、そのビデオを証拠申請していないということは、多分、切り貼りしないと冨田選手が犯人だと説明することができないことを意味しているのだろう。

そして、もう一つ言えることがある。あのビデオ映像は極めて不鮮明であった。しかし、そのビデオ映像が不鮮明であったとしても、冨田選手を有罪にもって行くための武器が本来ならば韓国検察側にはあるはずである。それは、冨田選手が映っている映像を長々と証拠申請し、その映像に「冨田選手のカバンにカメラを入れたと冨田選手が主張する人物が映っていないこと」を証明すれば、それは冨田選手が盗んだか盗んでいないかは別として、記者会見で大嘘をついていたことを証明することが可能なのである。これは、鮮明なビデオと同じぐらいの破壊力があり、「冨田は大嘘つき!」とレッテルを張ることができれば、仮に証拠不十分で無罪と裁判でなっても、実質的には韓国検察、警察の証拠となるのである。にも拘らず、その証拠すら提出されないということは、あの程度の証拠で「韓国の司法なら、『反日無罪』よろしく、冨田に有罪判決を出してくれるだろう!」という期待が込められていると予想できる。実際、通訳ですら買収して出廷を回避させるぐらいだから、何でもできると思っているのだろう。

この様に考えると、あのビデオが公開された現時点では、少なくとも現時点では韓国検察は冨田選手の無罪を確信していながらも、それでも有罪にしようと必死になっているのが分かる。当初から、冨田選手を陥れようとした罠なのか、それとも偶然の事件に対して不手際で中途半端な証拠を出したところ、冨田選手が罪を認めたために話がややこしくなったのかは分からない。しかし、常識的にこんなとんとん拍子に冨田選手やJOCが罠にかかるとは想像だにしなかっただろうから、今回は偶然の展開だと考えた方が良いと私は思う。

しかし、仮に私の予想が正しいとすれば、やはり、韓国の司法は「反日ならば何でもアリ」という信念を持って動いていることが証明されたことになる。これは恐ろしいことである。それは、産経新聞の加藤達也前ソウル支局長の名誉毀損問題とは比較にならないものである。アジア大会を開催するホスト国が参加国に何を仕掛けたかが明らかになれば、平昌オリンピックに対して世界からの冷たい視線が向けられることになる。ただでさえ準備の遅れが問題となっている中で、この問題は致命的かも知れない。

まあ、現時点ではまだ確定はしていないので次回の裁判の展開を待ちたいが、目が離せない展開であることは間違いない。

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相手の「カッコ悪さ」を突け!!

2015-02-07 23:38:58 | 政治
先日のブログで東京大学 先端科学技術研究センターの池内恵准教授のブログを引用し、ISILが日本政府の人道支援援助を正確に「Non-Military Aid」と認識をしていたことを紹介したが、このブログを書いた時から1夜明けた2月4日の衆議院予算委員会で、面白い事態が起きていた。民主党の辻元清美氏が安倍総理の支援表明をISILが日本政府からの宣戦布告と受け取って、そのために人質が危険な目にあったと主張したのに対し、安倍総理が池内氏のご指摘の内容をそのままキリ返し、ISILですら日本政府の意図を正確に理解しているのに、誤解し続けているのは辻元氏だけであろうと切り返した。見事なブーメラン現象は、下記の映像の23:40~25:10部分で見ることができる。

Yputube「前半 辻元清美(民主党)《集中審議》【国会中継 衆議院 予算委員会】

多分、偽善者ぶった人々の真意を見分けるには、この話題が役に立つかも知れない。つまり、「安倍総理が人道支援であてもISILと戦う国に援助すると宣言したから、ISILは宣戦布告されたと勘違いして凶行に出た」と主張する人がいたら、池内氏のご指摘の映像などの証拠を示し、「ISILは日本政府の援助が人道支援と分かっていながら、それでも人道支援などすることも許さん!! 」と言っていることを伝え、その後のリアクションを見ると良い。つまり、それを聞いて「えーっ、そうなの。人道支援そのものは、歴史的な変なしがらみのある欧米諸国とは異なる日本だからこそ、積極的に支援する意義があるのだから、そんなことにすらイチャモンをつけるISILに対して毅然とした態度を取った安倍さんは、結果的には正しかったんだね」と答えるか、「そんなの関係ない。やっぱ、安倍さんは悪い。反省すべきだ。」と答えるか、そのどちらかでその人の思想は明確になる。つまり後者の場合、「ISILのせいで困っている人々が大量にいても、その様な人を助けると恨みを買ってしまうから、そんな奴らは見捨てて知らん顔をしよう!」という主張の主か、ないしは百歩譲って「人道支援は必要だが、そんなことに関係なく、とにかく安倍総理が嫌いだ!!」という主張の主か、その何れかである。「その様な人を助けると恨みを買ってしまうから、そんな奴らは見捨てて知らん顔をしよう!」と言うのであれば、当然ながら自分がそのターゲットになった時には人の助けは期待できない。だから、自衛隊を強化して一国で防衛出来るだけの戦力を確立しよう・・・とでも言わない限り、単純な無責任な議論する価値のない人間だと分かる。辻元氏のその後の発言を聞けば、「そんなの関係ない。やっぱ、安倍さんは悪い。反省すべきだ。」との立場であることが分かるが、それを公言したら人格が疑われるので、ISILとの交渉に当たった人に対して労をねぎらう言葉を添えて、返って来てしまったブーメランを必死で避けようとしていた。実に愉快なシーンである。

ちなみに、先の池内氏の最新のブログでは、更に興味深いご指摘がされていた。ヨルダン政府はヨルダン人パイロトのムアーズ中尉の焼殺は1月3日と指摘していたが、その根拠は公開されておらず、実際のところは例えば1月27日に公開された後藤氏がムアーズ中尉の写真を手に持ってサージダ死刑囚の釈放を要求したときに、実際に生きていたのか死んでいたのかの確証が持てないでいた。しかし、その時後藤氏が手に持っていた写真にはビデオで焼殺に使われていいた檻の中にムアーズ中尉がいるシーンが映っていた。髭の濃さが微妙に違うようにも見えたが、良く見ると檻の背景の部分が焼殺の映像の背景と一致しており、屋外であることが読み取れる。つまり、少なくとも1月27日には既に死んでいたことは明らかである。一説ではヨルダン側のスパイがこの辺の情報を掴んでいて、その辺の事情もあって後藤氏殺害の直前にシリア人のヨルダン・スパイを処刑したとも言われている。死んでいる人間まで自らの要求を達成するために交渉に利用する様な奴らなので、はっきり言って「正しい対応」をすれば安心などと言えるわけがない事は明らかである。どう転ぶにせよ、結局はISILからの脅威は避けられないのなら、その脅威に立ち向かう仲間たちに無理のない範囲で協力するのがベストな選択である。今回の日本政府の行動は、まさにその路線に沿ったものであった。

さて、ここからが本題である。

以上、ふたつのお話をさせて頂いたが、ここから教訓が引き出せると思う。これらの話に共通する話は、真面目に親身になって相手と論理的に議論をしようと思っても、それが成り立たない相手があり得るということである。相手を説得する十分な根拠があっても、相手はその根拠を示されて納得したりはしない。論理的な反論を試みてくれれば議論は成り立つが、大抵の場合は話をはぐらかしたり無視したり、如何にして相手と正面からぶつからずに相手にダメージを与えるかが相手の主なる目的であることが多い。その様な場合、どの様に相手に接すれば良いかがここでの課題である。

そこでひとつ、提案をしてみたい。相手が「所詮、その様な奴なのさ!!」という動かぬ証拠を示して、相手の無様な行動を世に示してやるのである。例えば、ヨルダン政府は1月3日に既にムアーズ中尉が焼殺されていたと発表しているが、その根拠を示していない。しかし、後藤氏の手に持った写真から、少なくとも1月27日の時点で既に殺害していたのが明らかであるのに対し、ムアーズ中尉の命を引き合いに人質交渉をしていた訳である。これを「卑怯!」と罵るよりも、もっと効果的な方法がある。「あいつら、こんなバレバレのヘマを打つような、そんな情けない奴らじゃん!!」と世界にアピールするのである。そのカッコ悪さは新たな兵士のリクルートにはマイナスだし、自らを国家として承認させようとする意図に対し、「本当の国家なら、こんな無様な外交はしないだろ!」と嘲笑うのである。同様に、先の辻元氏の様な発言をする者に対しても、「ISILですら人道支援だと認めているのに、にもかかわらず『ISILを挑発した!』って非難しているって、どういうこと?」「人道支援でもテロの対象にするとISILは言ってるんだけど、あなたは人道支援、止めた方がいいの?それとも続けるべきだと思うの?」と、もっと声高に問い詰めれば良いのではないか?例えば産経新聞やどこぞの週刊誌などが率先して、その様な発言をしていた人達に、上記の質問を公開でぶつけて、その回答を紙上に紹介などすれば良い。多分、ISILも安倍総理を糾弾していた者も、どちらも無視を決め込むだろうが、その無視していることを今度は話題にすれば良い。とにかく、如何にカッコ悪いことを自分たちがしているかを知らしめることに意義がある。

中々、これだけ動かぬ証拠が揃うことは少ないが、朝日新聞も結局はその証拠が致命傷になった訳である。それを朝日叩きという形で反撃すると、朝日のお友達の新聞社が右傾化とか歴史修正主義とか言うのだが、池上彰氏の対応で「朝日新聞、スゲーカッコ悪りー!」となったのが、最終的に朝日新聞が白旗を上げた原因となっている。だから、中国、韓国なども同様だが、この様な「カッコ悪い」ことを指摘できる機会を積極的に探し、そこを突いて行くという戦法が彼らには有効なのだと思う。

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敵は日本国内のメディアや政治家の情報発信を注視している!!

2015-02-04 00:47:22 | 政治
後藤健二さんのISILによる殺害を受けて、様々な意見が国会をはじめ、様々なメディアで戦わされている。日本という国は民主主義国家だから、最低限のルールを守りさえすれば何を言っても許される国であり、この言論の自由は世界に誇れるものである。しかし一方で、発言する以上はその発言に対する責任は問われてしかるべきである。今日はその点についてコメントしたい。

まず、下記の記事を読んで頂きたい。

中東・イスラーム学の風姿花伝 2015年2月3日「『イスラーム国』は日本の支援が『非軍事的』であることを明確に認識している

この記事は東京大学 先端科学技術研究センターの池内恵准教授のブログであり、私も愛読させて頂いているひとつである。池内氏のご指摘はいつも説得力があり、今回の解説も非常に丁寧に証拠を明確に示したものである。要約すれば、今回の日本人殺害に関する事件では、「安倍首相の中東歴訪およびその間の発言が事件を引き起こした、あるいは少なくとも『口実を与えた』とする議論」が提起されているが、少なくとも安倍総理の発言をISILがどう受け取ったかはISILの発信したビデオ映像から明らかであるとしている。その映像とは、最初の身代金要求の映像の冒頭部分にある。言わば後藤氏と湯川氏が映る本編の前の「導入部」では、安倍総理の発言をメディアが報じる英語の映像を、アラビア語にも翻訳して字幕を付けて(アラビア語の報道には英訳を付けて)、少なくともISILがその報道をどの様に解釈したのかを示しているのだが、その中に明確に「Non-Military Aid」と示されているのである。これはISIL側の翻訳結果なので、報道内容を正確に理解し、それを日本政府が「非軍事的支援」だと主張していることを少なくともISILは承知しているというビデオ映像になっている。

さて、この意味することは何だろうか?ふたつの意味があるので順番に説明したい。

そのひとつめは、この池内氏がご指摘の様に、安倍総理が「テロ(ISIL)と戦っている周辺諸国」を支援するという表現を用いたからテロ組織に目をつけられたという主張が日本国内にあるが「それは間違いである」ということである。安倍総理の「戦う」という日本語を外務省が丁寧に英訳して情報発信し、しかもその路線に正確に沿ってNHKの英語国際放送である「NHKワールド」でも紹介していたので、少なくともISILはそれが「非軍事的支援」であることを熟知していたはずである。少なくとも「戦う」を「空爆する」とか「弾薬の補給などの間接的な空爆支援」という意味では捉えていないことは明らかである。これは、一般のISILの兵士がどう理解したかではなく、ISILの中枢がどの様に理解していたかという意味である。身代金要求や殺害の決定権を持つ中枢が「非軍事的支援」でも許さないと言っているのだから、安倍総理の発言や決断が間違っていると主張するのであれば、それは紛争により難民となった苦しんでいる人々を「見殺しにせよ!!」と主張していることになる。逆に言えば、「見殺しには出来ない。難民を救え!」と言うのであれば、それは安倍総理の決断を評価することになる。しかし、何でカンで安倍総理と自民党政権を快く思わない人々は、後藤氏の惨殺まで自分の政治的主張に利用しようとする訳で、この動かぬ証拠から、その様な人々の主張が完全に誤りであることが証明された次第である。流石に的確なご指摘である。

ところで、この記事で私が強調したいのはこの先である。

ふたつ目の意味とは、この様なISILの様な理屈もへったくれも通じないと思しき連中ですら「NHKワールド」や海外での日本に関する報道を熟視しているのだから、中国や韓国などの反日国家や世界の反日団体であればなおさらである。その様な人々は、日本の権威あるメディアが発信した情報は「真実を発信したもの」と主張し、そして自らのプロパガンダに利用したりする。慰安婦問題の吉田調書ではないが、いつしかそれは独り歩きし、世界中で真実と誤解されて教科書にまで掲載されたりした。つまり、誤った情報を発信した人々は、多分、誤った情報が世界を駆け巡り、世界中が日本を「レイプ国家」と糾弾することになるようなことを意図していた訳ではなく、単に自民党政権の政府を叩きたかっただけなのだろうが、気が付くとそれを反日勢力が政治的プロパガンダに完全に利用される様になってしまう。

この辺の話は過去のブログ「新聞の自殺」に書かせて頂いた。、慶応義塾大学教授の細谷雄一氏のブログを引用したものだが、細谷氏のご指摘では、大手の新聞がこぞって集団的自衛権の行使限定容認に関する閣議決定を受けて、「平和主義の終わり」「立憲主義の否定」「専守防衛の終わり」「日本は戦争する国になった」などと発信しているが、

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もしそうだとしたら、すでに日本は「平和主義国家」ではない、ということになります。また、一度の憲法解釈の変更によって、「立憲主義」が失われたことになります。さらには、日本はもはや「専守防衛」ではない、ということになります。本当にそう、断言できますか?
これらをあわせれば、日本はもはや、平和主義国家でなく軍国主義国家であり、立憲主義国家ではなく専制主義国家であり、専守防衛ではなく侵略国ということになります。朝日新聞や東京新聞でこれらの記事を書いた方は、7月1日の閣議決定以後、日本という国を紹介するときには、「安倍政権での7月1日の閣議決定以後、日本はもはや平和主義でも立憲主義でも、専守防衛でもありません。軍国主義で、専制主義で、侵略国になりました」と書かなければなりません。そうでなければ、それを書いた記者たちは、ウソをついたことになります。幽霊がいないのに、「幽霊がいる!」と叫んでいることになります。(細谷雄一氏ブログ)
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と指摘している。

つまり、実際のISILによる安倍総理の意図の理解を無視して「余計なことを言ったから、ISILに良い口実を与えてしまった」と言うのであれば、上述の集団的自衛権に関する日本のメディアの情報発信は、下記の様に中国には受け止められていても可笑しくはない。

即ち、「日本は軍国主義国家であり帝国主義・覇権主義を前面に出し、宣戦布告もせずに卑怯にも先制攻撃をするような国であり、立憲主義の死んだ侵略国そのものだ!何故なら朝日新聞や毎日新聞などの主要なメディアが糾弾しているじゃないか!そんな危険な国に対して、世界平和を守るために我々は日本に先制攻撃を仕掛けるんだ!」という受け止めである。相手は、日本や米国の艦船に攻撃用の射撃管制レーダーを照射したり、同様に日本や米国の軍用航空機に数メートルの距離まで接近し、撃墜するぞとばかりにミサイルを見せびらかせて威嚇する様な野蛮な国である。少なくとも、私の理解では今回の事件で日本政府を上述の様な理由で非難する人々は、集団的自衛権の行使限定容認に対して細谷氏のご指摘の様な主張をしているはずである。したがって、その様な人は(自らの「余計なことを言ったこと」により)中国が日本に対して局地戦争を仕掛ける口実を与えたことを自覚すべきである。そしてその局地戦により、自らの発言が多くの日本人民の命を奪う結果に繋がり得ることを自覚すべきである。

しかし、この様に言っても彼らは絶対に自覚などしない。何故なら、彼らの思考回路はショートしており、自らのバイアスにより正常なロジックを構築できなくなっているからである。しかし、多くの国民がその様な人々の無茶な発言が、我々国民の生命や財産を危険に晒す原因になることを知れば、彼らの様な発言に聞く耳を持たなくなる。その為には、この様な真実を多くの国民に知って貰わねばならない。そして、自ら考えて何が正しいのかを判断する力を養ってもらうのである。

今回の残念な事件は、その後の心無い政治屋のプロパガンダで更に残念になってしまった。しかし、その様な経験を通して我々の民主主義の民度は高められるのだと思う。

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ISILの理解には、日本の暴力団事情が参考になるかも知れない

2015-02-02 23:31:40 | 政治
最悪の事態になってしまった。
まずは、後藤健二さんのご冥福を祈りたいと思う。

巷では、「結局、ISILの目的は何だったのか?」という疑問の声が多く聞かれるが、前々回のブログ「ISILの今回の動きは論理的・戦略的ではないのではないか・・・」がある程度、その答えになっているのではないかと思った。このブログでは、本来、ISILの目的は(1)身代金、(2)空爆の阻止、(3)兵士のリクルート、の優先順位があり、その視点から見た時に最初の後藤氏と湯川氏が登場する映像では(1)の身代金という目的が明確であったにもかかわらず、その後の静止画映像などでは(1)のみならず(2)(3)に関しても目的に沿った戦略になっていないと指摘させて頂いた。この意味で、殆どISILの活動は裏目に出ており、その点が不可解であると感じていた。(2)に関しては、ヨルダン人パイロットを拘束し続けることが、空爆参加国のパイロットに対して無限の恐怖を植え付けることに繋がるので、パイロットが解放される可能性を世界に示してしまうのは完全に裏目である。ISILの応答ではパイロットに関する人質交換の言及はないが、ヨルダンがパイロットの解放を求めるのは目に見えていたから、余りにもお粗末と言える。(3)に関しても、お粗末な映像でリクルートには適さないし、恐怖や迫力を感じさせるものではない。こう着状態にある状況下では、交渉の主導権を徐々にヨルダン政府に奪われつつある印象を与えていたので、アメリカ、イギリスならまだしも、たかだかヨルダン相手に手こずっているとなると、ここに志願する人など本当に期待できない。だから、実際には裏で身代金を狙っていたというストーリー以外では、これらの動きを合理的に説明することができない状況にあった。

これに対し、1日の後藤氏の殺害映像では最初の映像と全く同じ完成度の高い映像となっており、(3)の兵士のリクルートにはもってこいの映像となっていた。(2)に関しては、日本は空爆に直接参加していないのであまり効果はないだろうが、(1)に関しては「交渉に早い段階から応じないと、結局、殺されてしまうことになるから、応じるなら最初から腹を決めてかからねばならない」というメッセージをヨーロッパの国々に発信することができた。(3)に関しても、ある程度完成度の高い引き込まれる映像に仕上がっているから、欧米諸国に不満を抱く人々へのリクルート効果は抜群である。強いISILのイメージと恐怖を与えるから、当初からの目的に沿った行動だと理解できる。

この様に考えると、実は何が起きていたのかは予想することができる。

まず、報道の中でも指摘されている様に、ISILは1枚岩ではなく、様々なグループが凌ぎを削っている状況である。言ってみれば、日本の暴力団の様に、日本全国に「○×組」と名を轟かせる広域の集団も、実際には個別の「△□組」という中小暴力団組織の集合体であるように、個々の「組」がお互いに主導権争いをしながら中心となる「○×組」が全体を統率している、そんな感じだろうか。最初に後藤氏が誘拐された段階では、誘拐の実行犯グループの「△□組」が自分たちの手柄を主張して、静かに身代金交渉を行っていたのだろうが、安倍総理の2億ドルの支援のニュースを受けて、本部の「○×組」の幹部の鶴の一声で、本部側主導で映像を作成し、世界に2億ドルの身代金要求の映像として流されたのだろう。しかし、日本政府が全く身代金に対する要求に応じる気配がなく、その時点で誘拐の実行犯グループ側(つまり「△□組」)が「やっぱ、我々に任せてくれ」と盛り返し、場当たり的な映像を世界に発信することになった。しかし、それが上述の様に裏目に出まくったために本部の「○×組」からお叱りを受け、交渉権を剥奪されて本部主導で後藤氏を殺害し、最後の映像を公開するという流れになったのだろう。

もし、ISILが順風満帆の状況にあったなら、本部側も実行グループ側に交渉権を委ねる様なことはなかったかも知れない。だから、ISIL内部では空爆などの影響で経済力が乏しくなり、本部側が末端の組の暴走を十分にコントロールできなくなっていることが予想できる。貧弱な映像を流す様なことは、本来ならば本部側の事前のチェックでストップさせても良さそうなものだが、ISIL側にはそれだけの余裕はなかったのだろう。指揮命令系統も、何処まで機能しているのかは疑わしい。ただ、余りにも誘拐の実行犯グループの行動がお粗末だったので、本部側が盛り返して、最終的にはISILの目的に適った行動として日本人誘拐&殺害事件を着地させるに至った。最後のところは悔しい限りだが、現状はこうなのだろう。

ちなみに、現時点でヨルダン人パイロトの安否は不明のままである。もし生きているのであるならば、生きていることを示すと同時に地獄の苦しみを味わっていることを公表した方がISIL側には好都合である。しかし、にもかかわらずISILはヨルダン側の生存の証拠の公開を無視し続けている。一部では、ヨルダン人パイロットはシリアのラッカで自殺した様だ・・・との情報もあり、やはり既に自殺または殺害されている可能性が高いのだと思う。上述の実行グループが、ヨルダンからの生存情報の公開を求められ、死んでいるが為に対応に苦慮して本部側に泣き付いた段階で、本部側が怒りまくって交渉権を剥奪したというシナリオも十分に理に適っている。細かなところでは色々あるだろうが、大局的には上述の様な理解が尤もらしそうだ。

そんなことが仮に正解だとしてどうなる訳でもないが、例えて言えば中小暴力団組織の集合体の中の「目立ちたがり屋」的な組の弾けた行動は超危険である。それはシリアやイラクの本家のISILだけではなく、勝手連的な世界中のISILに同調する勢力に関しても同じである。例えばインドネシアなどで日本人が誘拐された時には、この様な弾けた組織の暴走と考えられる。この様な理解を意識した上で、世界中の邦人の安全確保の仕方が今、問われているのである。

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「イスラム国」と「イスラエル」の相違点!!!

2015-02-01 01:42:18 | 政治
過去のブログ、「『イスラム国』と『イスラエル』の類似点?」でISILとイスラエルの共通点について考えてみたのだが、タイトルに「?」と付けている様に、同一であるということを主張しているのではなく、色々な切り口の一部に類似点があるということを書かせて頂いた。「どこが一緒だよ!!」とお叱りのコメントも頂いたが、従来の「国家の成り立ち」という捉え方と異なるバーチャルな「国家的な存在」がある日突然、リアルな形となって表れたため、その存在の正当性を議論するのが過去の価値観、ないしは物差しでは計れないという点が敢えて言えば「似ている」と指摘したのである。これはISILを肯定するための問題提起ではなく、「明確な相違点」を明示しないでイスラエルを手放しで「問題ナシ」としておきながらISILを完全否定すると、相手側に付け入る隙を与えるというリスクをはらむことを暗に指摘したつもりであった。つまり、ISILを除くアラブ人達が違和感を感じる物差しを提示し続けると、世界がより混沌として、気が付くとアラブ人達がISILを国家として承認しかねないということである。ただ、イスラム世界も一枚岩ではないので、それ程短期的にそのリスクが現実のものとなる訳ではなく、地道に戦略的に「対立感」を煽らずに対応するのが良策と私なりの感想を書いた。

今日はその続きで、「類似点」の逆の「相違点」について確認してみたい。

まず、国家という概念には三要素があり、「国民」「領土」「主権」がそれに相当する。3番目の「主権」の意味するところは様々であるが、最終的には国際的な国家としての承認が必要条件としてこの「主権」に込められている様である。イスラエルに関して言えば、アメリカの主導のもとで国連での承認が多くの国においてなされているので、全ての要素が揃っていることになる。ISILに関して言えば、「国民」「領土」は条件を満たしても、最後の「主権」、すなわち国際社会での承認が得られていない。ただ、では一般的な「国際社会の承認が得られていない国」と同列かと言えば、その様なことはない。例えば、台湾などは第2次世界大戦終了後は中華民国として中国の代表権を持っていたが、中国国民党が国共内戦で台湾に追われてからは、国連で中華人民共和国を中国の正式な代表とし、中華民国を追放することとなったがために、現時点では国連に加盟する(すなわち国連で承認された)国家という位置付けを失っている。しかし、誰もが台湾をISILと比較などする人はおらず、実効的に「主権」が存在するかのように扱っている。この意味では、手続き上の「国連加盟」という意味での「承認」ではなく、事実上の国家としての認識が重要である。法律上の結婚と、事実婚との関係とでも言おうか・・・。ここでの事実上の承認がISILには現時点ではなく、だからこそISILは、捕虜交換などの実績を基に既成事実を積み上げようとしているとも言える。

次に、国家と国家以外の対立を考えた時、それは例えば戦争のルールで線引きをすることができる。例えば、戦争のルールに則って兵士同士が殺し合いをすれば、その殺人行為は法律違反には問われない。だから、仮に捕虜として囚われの身になっても、勝手に「死刑」などにしてはいけないことになっていて、紳士的に捕虜としての待遇を保証することが求められるのである。それが、仲間を大量に殺害した相手国の英雄であってでも同じである。しかし、国際法ではゲリラの扱いは全く逆で、ゲリラに関しては捕虜としての扱いをしなくても国際法には抵触しておらず、南京大虐殺で日本と中国の主張がかみ合わない理由の一つに、この非正規軍人の扱いがあるのかも知れない。ここでのゲリラは最近のテロリストとも等価で、ISIL側から見ると正規の軍人のつもりが、欧米からはテロリスト、ゲリラ、非正規軍人と見られているのである。だからこそ、ISILの戦闘行為はテロ行為と同一であり、その様なものは認められないと理解することもできる。

しかし、では例えば新疆ウイグルなどでのウイグル人への中国政府の弾圧に対抗する勢力の活動は、これは中国的に見ればテロリストでありゲリラである。その味方に沿えば、その様な行動は絶対に否定されて然るべきだが、人権弾圧行為に対抗するための革命や独立運動は本質的にその様なものだから、戦いに勝ってしまえば世界の味方はコロリと変わる。だから、独立運動的なものを根底から否定するロジックは長い長い歴史上の経験に基づいたものとは言えない。この辺がISILが正当性を主張するロジックなのだろうが、しかし彼らには決定的な相違点がある。

言うまでもなく、ISILの特殊性は、その残忍性が突出している点である。例えば、ISILだけでなくボコハラムなども同様であるが、大量の女性を誘拐し、奴隷として兵士にその女性を分け与えたり、生きた人質の斬首などの野蛮な行動がナチスドイツとは少し違った形ながら、その残虐で非人道的な特徴が特異であるとしているのである。この残虐性は、十字軍とイスラム教徒との争いなどと言うものではなく、我々が長い歴にの中で勝ち取った「文明的な生き方」と、「文明を否定する生き方」の差なのである。人の命の価値を、ちゃんとしたルールの下で評価(尊重)するのか、それとも誰かが勝手に恣意的に判別することが許されるのか、その様な差なのである。これにはイスラム教徒も同意するし、コーランには女性が勉強してはいけないとか、異教徒を虐殺しても良いとか、実際に書いていないのである。
最初の国家の承認という点に戻れば、ISILがどうしても世界から承認されない理由はここにあり、その残虐性、非人道性はとても国家と呼べるものではない。イスラエルに関しては色々アラブ諸国は非難するが、お互いに対立関係にある中で、所定のルールには則った範囲での行動が多く、この様な残虐性、非人道性は伴っていない。これが実効的に国家として承認されている所以である。

1月27日の報道ステーションではISILの擁護をするような報道がなされたとして話題になっているが、この報道のポイントは私がイスラエルとISILの類似点を指摘したようなもので、欧米の一方的な主張や物差しで測るとアラブ人達には納得できない部分が幾つかあり、その様な視点から見るとISILであっても「物差しの正当性に疑念の念を唱える権利は有しているだろう」と語るような報道であった。しかし、(私も舌足らずの部分が大いにあったが)今日のブログで書いたような、ISILにはどうしても許容できない大きな相違点があることを報道ステーションは指摘していない。この部分が報道ステーションの落ち度と言える。

物差しの正当性の議論と、残虐性の議論は別物である。その点はサヨク的なメディアであろうが、はっきり言っておく必要があるのだろう。27日の放送にはそれが足りなかったように感じる。

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