けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

離党しない造反組の次の選挙での扱いが鍵を握る?

2012-06-29 23:51:43 | 政治
全然関係ない話題からはじめて恐縮であるが、私は子育てにおいて絶対に曲げないルールをひとつ設けている。それは、「駄々をこねた者が得をすることは絶対許さない。やるべきことをキッチリやった者が得をしなければならない。」というもの。繰り返し繰り返し、これを子供たちに言い聞かせている。もっとも、父親が子供と接する時間は母親の接する時間よりも圧倒的に少なく、肝心な母親は面倒臭がりやなので、このルールは必ずしも徹底されておらず、子供の中には「やっぱ、駄々をこねた方が得なんじゃん!」と思っているものもいる。しかし、それでも私は頑として私の方針を崩さない。

いきなりどうでも良い私的な話題で恐縮であるが、今回の民主党の消費税増税に関連した騒動が我が家の子育ての状況に似ていると思えて笑えてくる。賛成票を投じた人達からは、民主党内で消費税増税法案に反対票を投じた人達に対する厳しい処分が求められている。国民新党の自見代表は「法案に反対した人が英雄扱いされて、賛成した人が地元で批判されて党内が大変だ」と愚痴をこぼしたそうだが、これは的を得た発言だろう。国民に受けが悪い(しかし、いつかはやらなければならない)増税という決断を、誰も喜んでやりたいと思う人はいない。野田総理も含めて、あくまでも苦渋の決断である。地元に帰れば「嘘つき、ペテン師!」と罵られる訳だから、誰もが民主党に残れることが担保されるなら本当は「私は反対」としたかったはずである。にもかかわらず、そこをグッと堪えて賛成票を投じた為に次の選挙で落選し、一方で反対票を投じた人が当選するということになったら、(個人差は当然あるにしても)それこそ大きな禍根を残すことになる。

こう考えると、今、最も注目すべき点は、小沢グループの処分・離党の話題よりも、離党せずに党内に残る造反者に対する処分を何処までにするかではないかと思えてくる。

多分、賛成票を投じた議員を考えれば、単に3ヶ月程度の党員資格停止ではなく、次回の選挙での小選挙区での公認取り消しや、比例代表制の名簿の順位を相対的に下げる(惜敗率に左右されない格差をつける)などの処分をしないとバランスが取れない。特に、離党が予想される小沢派を除いた中間派の反対票を投じた議員の中には、二人ほど比例区からの当選議員がいる。これは、小選挙区での個人に対する国民の支持で当選したのではなく、民主党という看板があるから現在議員でいられるのだから、党議拘束に反したのだから次の選挙でのペナルティはより厳しくされてしかるべきである。もちろん小選挙区を勝ち抜いた議員に対しても、仮に小選挙区の公認を与えても、最低でも比例区への重複立候補を認めないぐらいのペナルティは必要である。それから、選挙資金としての党から候補者への資金提供額にも差がついてしかるべきであろう(もちろん金が問題なら、鳩山元総理には月額1500万円の子供手当てがかっては支給されていたくらいだから、その様な候補者への選挙資金の補填を個人的に行い恩を売ることもあるかも知れない)。

しかし、ここで次回の選挙では絶対当選できる訳がない程のペナルティを与えると、今度は「だったら、小沢元代表のグループに加わった方が得」と思う姑息な議員もいるかも知れない。その様な議員を生み出さないようにしようとすると、これまた曖昧な処罰でお茶を濁さざるを得ないかも知れない。例えば、党員資格停止3ヶ月、3ヶ月以内に総選挙の公示が行われる場合の公認の扱いは未定(というか、解散総選挙を前提としないから、そんなことには一切言及しない)といったところか・・・。

多分、週明けに小沢グループの40名程度は離党をするのだろうから、自民・公明は取り敢えず振り上げた拳を一旦は下ろすのかも知れない。しかし、だからと言って中間派に対する処分をズルズル引き伸ばすと、処分される側の彼らも「党員資格停止中に選挙になったら公認はもらえるのだろうか?」と心配になり、党執行部に離党をチラつかせながら条件闘争を行うようになるかも知れない。ここでのゴタゴタは、本当に見苦しいから益々国民の支持を失うことになる。

考えれば考えるほど、野田総理の憂鬱は続きそうな気がする。やはり、早期に輿石切りをして決断の速度を早めないと、本当に総理にとっては命取りになりそうな気がする。

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理解し難い展開の裏にあるものは?

2012-06-28 22:52:05 | 政治
全く理解し難い展開である。小沢元代表と輿石幹事長の会談である。今日は昼過ぎと夕方で2回も会談を行い、2回目は20分で会談を終えたという。しかし、それでもまた明日以降も会談を続けようというのである。

誰が見ても、もはや修復不可能な状態であるのは間違いない。野田総理が降りれば、多分、彼は下手をすると次の選挙で落選してもおかしくないほど、政治生命において致命的な傷を負う。小沢元代表からすれば、既にテレビカメラの前で離党を公言してはばからない子分も多いのだから、今となって離党しないとなれば掛けたはしごを外された思いで、次の選挙で落選することはないまでも、少なくともカリスマ性は地に落ち、単なる一介の政治家に成り下がることになる。では、両者が損をしないで納得できる落としどころはあるかと言えば、そんなところは有る訳ないので、結局、話し合いを続けるということは、どっち着かずでズルズルとこの状態が長引くことを意味する。しかし、それをもって両者が「痛み分け」と思うかと言えば、両者にとってはここで決裂した方がメリットは大きい。

野田総理からすれば、幸か不幸か、造反者の57名の内訳は微妙に異なる。過去の例では、党議拘束がかかった法案に反対票を投じただけでは除籍にはならなかったが、それは単一の法案に対してという前例でもある。今回は、40数名の小沢グループは全ての法案に反対し、鳩山総理などは一部の法案にのみ反対しているので、除籍するにしてもその人数を54名以下と都合の良い値にする大義名分は存在する。この意味で、除籍を躊躇する理由はあまりない。一方、小沢元代表からすれば、ほぼ43名の衆院からの離党者を確保していると言われているので、新党きずなの9名を加えれば51名を超えることができ、内閣不信任案を提出することは可能である。であれば、反増税、マニュフェスト死守の大義を振りかざしたいのであれば、気持ちよくスパっと離党して新党を立ち上げた方が普通考えれば得なはずである。であれば、何度も何度も会談を繰り返す状況は到底理解できない。

実はこの謎を解く鍵が、新党大地・真民主の松木謙公代表代行にあるのかも知れない。聞くところによると、元々は小沢氏に近い松木氏は離党する小沢氏と行動を共にするかとの問いに、「現時点では特に何も予定がない」というつれない対応を示したという。早々と主流派に見切りを付け離党した人達からすれば、小沢元代表の最近の行動は何とも煮え切らない、豪腕イメージとは異なる姿なのかも知れない。ましてや、離婚した夫人の手紙が公開されたり、沈みゆく船と見られているのかも知れない。そのせいかどうか知らないが、あの田中美絵子議員はなんと賛成に回っている。例の駅チュー報道を小沢氏に嗜められて、思わず反旗を翻したのかも知れないが、ある種、象徴的な出来事である。この結果、仮に離党しても新党きずな等と統一会派まで漕ぎ着けられなければ、飼い犬である新党きずな側にキャスティングボートを握られ、場合によっては一枚岩とは行かずに亀井静香氏の様な道を辿ることを恐れているのかも知れない。

この様に考えると、野田総理の方が相対的に優位なポジションにあるのは間違いない。しかし、野田総理は輿石幹事長に対応を一任したという。この結果、ダラダラと会談はしばらく続き、自民・公明が内閣不信任案や問責決議のブラフを仕掛けてくるかも知れない。決断しなければ、最悪、参院での法案成立は頓挫する可能性も否めない。そこでまた自民・公明に譲歩すれば、さらに野田総理は党内での求心力を失うことになる。

この様に考えると、野田総理が輿石幹事長に対応を任せている理由は、そう多くは思い当たらない。ひとつは、野田総理が小沢切りに続けて輿石切りを画策している場合。もうひとつは、小沢元代表が裏で何らかの条件闘争を画策している場合である。小沢元代表の譲歩を引き出せば、自らも返り血を浴びるが、離党して勢いづく小沢リスクよりはましかも知れない。しかし、結局、離党されたら返り血だけが残るかも知れない。

やはり、私ならこんな対応はしないのに・・・と思わざるを得ない。何とも不思議である。

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小沢元代表、および鳩山元総理に聞いてみたいことリスト

2012-06-27 23:50:56 | 政治
今日も新聞やテレビでは消費税増税のその後について紙面を賑わせている。世論調査も行われ、野田内閣の支持率もあまり振るわない一方、概ね造反グループに対する支持は支持しないという人の半分強程度のようである。色々な有識者がコメントをする中で、「今回の件に関しては小沢さんの方がスジが通っている」という人が多いが、それでも世論調査に支持率が反映されないのは、スナップショットである瞬間を切り取って見た時の大義に対し、これまでの行動をずっと継続的に追って見た時に後ろに透けて見える何かを感じ取っての反応だろう。

変な例え話であるが、創価学会の本部に警視庁の捜査が入ったとき「思想信条、宗教の自由の侵害だ!」と叫べばそれなりに「そうかも知れない」と同調してくれる人はいると思うが、オウムの末裔のアレフの本部に捜査の手が入ったときに、全く同じことを言っても同調する人は殆ど居ないだろう。スナップショットでその瞬間を切り取れば、起きている現象は全く同じでも、背景が異なれば全く評価が異なるのである。

そこで今日は、造反組の首謀者の小沢元代表、および鳩山元総理に聞いてみたいことリストを作成してみた。どれだけ答えられるだろうか?

Q1). 政権交代したとき、例えば国家公務員の人件費2割削減など、その気になれば即座にできた「身を切る努力」をどうしていつまでも実施しなかったのですか?総理と幹事長が同意すれば、簡単に実現できたはずなのですが?

Q2). 政権交代して半年も経たずに、命よりも大切なマニュフェストに謳った「ガソリン暫定税率の廃止」を取り下げたのは何故ですか?財源など幾らでも出てくると言っていて、まだあの当時であれば、財源の捻出がそれ程困難であるとは気が付いていなかったはずですが、にもかかわらず財源の手当てのために「ガソリン暫定税率の廃止」を取り下げたのは理解に苦しみます。本当にマニュフェストは命よりも大切なのですか?

Q3). 日本郵政の社長に超天下り人事を断行したのは何故ですか?あれほど天下り禁止と言っていたのに、あそこで天下り人事をどうしてもしなければならない理由はないと思います。100歩譲って、郵政省OBであればまだ分かりますが、大蔵省OBが日本郵政のトップとならなければならない理由はないと思います。

Q4). 小沢元代表は、何故、鳩山元総理が普天間基地問題で苦しんでいるときに助け船を出そうと自ら動かなかったのですか?総理と幹事長は一心同体であり、総理が致命的な傷を負えば幹事長も同罪のはずです。にもかかわらず、まるで他人のように我関せずと決め込んだのは何故ですか?

Q5). あれだけ歴代の民主党の総理が財源の捻出に苦しみながら、それでもこの期に及んで財源なんて何とでもなる、マニュフェストに書いたことは実行可能だと言い張る根拠は何処にあるのですか?

Q6). 野田政権を称して「第2の自民党になってしまった」と言いますが、政権交代した後、自民党の票田に手を強引に突っ込み、予算をちらつかせて支持を強要した行動は、まさに第2の自民党ではなく、自民党そのものになろうとした行動に見えます。このことは暫定税率を維持して「コンクリートからコンクリート」に舵を切ったことからも伺えます。人のことを責めれるのでしょうか?

Q7). お二人は民主党のオーナーの気持ちを持っているようですが、現在の民主党の分裂状況は、政権交代のために無理やり人数を集めた無理が出たその歪が隠せなくなった結果のように思えます。もう、割り切って、意見の合わない人は袂を分かちあった方が良いのではないですか?

まあこんなところでしょうか?答えはいかに・・・。

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消費税増税議論の通信簿

2012-06-26 23:59:49 | 政治
消費税増税法案の採決で、予想より若干多い人数が反対票を投じて民主党の崩壊が確定的となった。民主党内の最近の党内手続きを色々見ていると、「学級崩壊」状態そのものであり政党の体をなしていない。そこには、議論してお互いが納得できる着地点を探そうという努力は全くなく、単に罵声を浴びせ合うことに終始している。もちろん双方にはそれなりの言い分があるから、対立する両者を一方的にどちらが悪いというのも芸がないので、もう少し詳細に通信簿をつけることを考えるのも悪くない。

今日はその一例として、今回の消費税騒動について、論点毎に私なりに判定を下してみた。もちろん何らかのバイアスがかかっているのは否定しないので、あくまで私の目で見た感想である。

■マニュフェスト違反となる法案は許されるか?
賛成派→ギリシャ危機などをみれば分かる様に、選挙の時とは状況が変わっているのに、3年前の状況を引きずった判断をするのは誤り。
反対派→「マニフェスト」は契約書だから死んでも守らねばならない。

判定→間接民主制は決定プロセスの迅速化のためにあり、政治家は状況の変化を常に捉えて、臨機応変に対処するのが本分。ただし、契約違反をするのであるから、迅速な対処(法案成立)が済んだら可及的速やかに解散総選挙を行うことで責任を取る義務を負う。

■デフレ状況下での増税は許されるのか?
賛成派→今やらねば日本のギリシャ化が避けられないので今しかない。実際、増税が実施されるのは2年後だから、本当にまずければその時に止めることも出来る。
反対派→デフレ下での増税は日本経済を停滞させ、結果的に税収を下げるのでNG。

判定→タイミング的にはデフレ下での消費税増税は当然NG。ただし、日本国債が暴落し金利が高騰すると、その影響は税収の低下以上のインパクトがあるので、そのリスクは相当「安全側」のバイアスをかけて見積もる必要がある。「日本国債大丈夫論」は、発生確率の分布のピーク(ないしは期待値)としては正しいと思うが、国債暴落という確率分布の裾の確率を適切に評価しているかは不明。ヘッジファンドなどは、「本当は大丈夫か否か?」ではなく、マーケットが「ひょっとしたらヤバイかも知れない」と思えばそれで博打を打てる。不確定性があるならば、多くのアナリストの評価を総合し、その平均値ではなく悲観論者の評価にウエイトを置いて判断すべき。リスクマネージメントの視点から十分な対策が求められ、その対策もなしに「大丈夫!」というのは無責任。現時点では法案を通し、最終判断を直近に行うというのであれば、少なくとも増税が実施されるまでの期間のリスクは最小化される。まずは最終判断まで時間を稼いだと評価し、最終判断までにより精度の高い解析を進めるのが良いのでは・・・。

■増税の前にやるべきことがある(増税をするならその後)
賛成派→増税の前にやるべきことがあるのは事実だが、それをやらなければ増税してはいけないというのはおかしい。
反対派→まず身を切る努力を見せないと国民は納得しないから、その前の増税はNG。

判定→反対派の人々が執行部にあった(鳩山総理、小沢幹事長)時代に身を切る努力を実現できなかったのだから、今後、その努力が実行できるという保証は何処にもない。であれば、何時まで経っても増税が出来ないことになるが、現状は待ったなしである。であれば、身を切る努力と増税をパラレルに実現する努力が正攻法である。増税を逆に逆手に取り、(増税したのだからということで)身を切る努力を強制するアプローチの方が議論が前向きである。

■税と社会保障の一体改革を目指すべき(社会保障を切り離すのは良くない)
賛成派→今回は法案を8本セットで採決にかけており、その意味では一体改革である。
反対派→民主党のマニュフェストで掲げた最低保障年金や後期高齢者医療制度の廃止など、様々な項目を棚上げする内容であるから一体改革とは言えない。

判定→社会保障に関しては国民会議で1年間議論するとしており、棚上げとの指摘は正しい。社会保障に必要な財源だけを消費税増税でまかなうという前提に立てば、必要な額が決まらない段階での増税は筋が通らない。「一体改革」が「社会保障の充実」という「飴」と「消費税増税」という「ムチ」をバランスさせたパッケージを意味するのであれば、「ムチ」だけを先行させることは確かに問題である。一方、現在赤字国債を垂れ流しているのは社会保障だけが原因ではなく、それらを含めて消費税増税で補填するという考えに立てば、プライマリーバランスが大幅に赤字である現状では、増税は一概に悪いとは言い切れない。社会保障として「高福祉」ないしは「中福祉」を目指すなら、社会保障だけでも財源不足なのは明らかである。「見返りがなければ増税は許さん!」という考え方はそろそろ捨てるべき時であり、遅かれ早かれこの程度の増税幅は必要になると言うのであれば先行する増税を許容して、将来の社会保障の目指すべき姿についての国民のコンセンサスをまとめる努力をすべきではないか?

・・・あくまでも上っ面のコメントで恐縮だが、これらを総合すれば、少なくとも最後の一線を時の総理大臣が決断することが許される程度には、消費税増税にも大義はあるように思える。一方で、自分達が選んだ党代表(総理大臣)が政治生命をかけて臨むと宣言した政策を、気に入らないからと(棄権ではなく)反対票を投じることには(組織人として)大義を感じない。野田総理が会期末までに解散を決意しなければ話は別であるが、当面は野田総理に分があるのではないだろうか?

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決められる政治を実現するための初めの一歩

2012-06-25 23:46:08 | 政治
明日の採決を前に、今日もテレビ番組では消費税増税の票読みに必死だが、その辺はなるように任せて放っておくしかない。どの道、沈みゆく船である民主党の僅かな延命のために、自らの政治生命を断つことになる日和った逃げの政治を野田総理は選ばないだろう。民主党執行部も小沢元代表の証人喚問カードをチラつかせているから、明日以降の動きは激しくなるだろう。消費税増税の話題はいろいろ言い出せば切りがないが、今日もここから話題を変えさせて頂く。

今日は「決められる政治を実現するための初めの一歩」について考えてみたい。

順番に議論をしていこう。例えば、様々な議題に対して、同じ党でもそれぞれ意見が分かれている状況をよく目にする。先にも触れたが、消費税増税に賛成/反対と意見が分かれる。細かく言えば、反対派の中にもその理由が全く異なり、タイミングを見て可及的速やかに増税は実施せざるを得ないが流石に今はまずいという意見と、国民生活の為なの合言葉を掲げてポピュリズム的な選挙目当ての反対意見もある。原発についても、急進的な即座の脱原発派(永久に再稼働停止派)もいれば、長期的な脱原発には賛成だが短期的には原発を容認すべきとの考えもある。さらに言えば、この後者の中にも、継続的な再稼働賛成派もいれば、原発の再稼働には賛成だが、今回のプロセスはあまりにもお粗末であり、少なくともある程度客観的に多くの国民が安全を実感できる十分な体制(例えば、免震重要棟などの整備と安全基準の確立)が整うまでは、再稼働は夏季限定などの期間限定で最小限の範囲にとどめるべきとの条件付きの再稼働容認派もいる。TPPについても同様であり、無条件で反対であり議論するのもけしからんという人もあれば、似たような反対派の中でも、まずは参加交渉の席に着かなければ何も情報がなくて判断すらできないという人もある。当然賛成派も多いが、手放しで賛成という人は少数で、それなりに地雷が多数存在するのを知った上で、参加/反対で議論してエネルギーを浪費するのではなく、その交渉で如何にして日本にとって有利な条件を引き出すかの交渉にエネルギーを割くべきとの考えもある。最後の立場に立てば、現在のズルズルと参加交渉できずにいる現状は最悪のシナリオかも知れない。

とまあ、いろいろ書いてみたが、この様な対立の案件は非常に多く存在する。仮に総選挙が行われて新たな連立政権が樹立されたとしても、その中でも原発、TPP、社会保障・年金問題などの案件について、今後も与党内を二分する対立は引き続き発生することは避けられない。ではこの様な問題について、我々はどの様に考えれば良いのだろうか?

ひとつの仮説として、その様な案件を全て国民投票で決めるという選択肢はあるかも知れない。しかし、本当にそんなことは出来るのだろうか?例えば原発問題を例にとれば、既に脱原発と原発推進などという単純な対立の構図にはない。上述したように、選択肢を「A」と「B」と二つに限定することは不可能である。では、「A」〜「Z」の選択肢を多数揃え、それで選択をさせれば良いのだろうか?しかし、答えは「否」である。例えば、殆ど一緒だが微妙に違う選択肢を多数用意すると、概ね、その様な考え方の人の票がその選択肢の数だけ分散してしまう。とすれば、複数の選択肢を用意するのもダメ、2者択一もダメ、となる。この様な状況である程度民意を反映するためには、オリンピックの開催地を決定する際に用いる、「ひとつずつ選択肢を除外していく方式」を採用する必要がある。しかしこの方式では、選択肢の数がN通りであれば、ひとつの政策を選ぶのにN-1回の投票が必要である。投票には人と金と時間が必要であり、ひとつのネタでそれだけの投票を行うことは許されない。では、どうすれば良いのだろうか?誰もが納得する方法は存在するのであろうか?

ここで少し話は逸れるが、少しばかり我慢して次の点について冷静に考えてみて欲しい。

「決められる政治」の代名詞とも言うべき橋下大阪市長は、選挙での民意を前面に出して、「議論を尽くしても合意に至らない場合には、最後には決断をしなければならず、その決断は民意で選ばれた権力者が判断すべき」と主張する。これに対し反橋下派の人々は、「選挙では確かに貴方が勝ったが、(個別の案件を最終決定する)そんな権限まで貴方に委ねた覚えはない!」と言う。この主張は少し冷静に考えてみるべき内容を含んでいる。と言うのは、選挙では郵政選挙のようなシングル・イシューの特殊な状況を除けば、通常は多数の論点が存在する。仮に前回の衆院選を例にとれば、民主党は「子ども手当創設、最低保証年金実現、高速道路無料化、郵政民営化反対、後期高齢者医療制度廃止・・・」等々、幾つかの項目について党としての方針を示して来た。しかし、全ての民主党への投票者がその全ての項目に賛成していた訳ではない。場合によっては、政策のバラマキには問題があるが、政権交代を優先しようという視点だけで票を入れた人もいるだろう。所詮、選挙では複雑に各政策が入り交じっていて、その中で判断が迫られる訳である。だから、誰でも選挙が終わった後で「そんなことまで同意していない」と言いたくなるのは自然である。しかし、候補者の選択肢は限られているわけで、全てにおいて自分と意見の合った政党を選択することはできない。となると、ある部分では自分の意見とは対立するかも知れない(Bestな選択ではない)が、それでもどの政党がBetterであるかを判断せざるを得ない。その結果、その選択した政党が推進する政策を我々は受け入れる・・・という暗黙の了解が、選挙では求められるのである。だから、「そんなことまで同意していない」という発言は、極めて無責任で我侭な発言なのである。ましてや、選挙で負けた立場で(選挙で勝った側の)誰かの言葉を代弁する形で「そんなことまで同意していない」というのは論外である。

そもそも、選挙の時点では想定されていない議論の争点が選挙後に生じるかも知れない。その時の判断まで選挙の時点で把握することは不可能だから、ある意味、「この人、この政党の良識を私は信じるし、少なくとも次の選挙まではその政党の判断を尊重する」という前提で投票行為を行うのである。信頼して騙されれば、次の選挙でその人を落選させれば良いだけである。さらに、次の選挙まで待てなければ、世論の力で選挙を前倒し(解散総選挙や首長のリコール)するように努力しても良い。

ここまで来ると、ひとつの方向性に気がつくかも知れない。民主党を見ていれば、総理大臣(党代表)が変わった途端に党の方向性が180度近く大幅に修正されることがあることを我々は経験した。この経験と照らし合わせると、先程、「この人、この政党の良識を私は信じるし、少なくとも次の選挙まではその政党の判断を尊重する」という前提を述べたが、この前提が有効なのは選挙後の首班指名で選ばれた総理がその職に留まる間と考えるべきである。言い換えれば、総理大臣の首をすげ替える時には、(少なくとも3ヶ月程度の猶予期間を除けば)同時に選挙を行うべきである。そして、この前提の下で、総理大臣には「決断の最終権限」を認めるべきではないかと考える。もちろん、内閣不信任案や政権与党内の党内手続きなどを通じて、総理大臣の暴走を食い止めることは可能である。しかし、その際には必ず選挙が付いて廻るとなれば、自らの失職のリスクと引き換えでなければ総理の首はすげ替えられない。それなりの覚悟が最低限、政権与党には求められるのである。さらには、後出しジャンケンは許されないから、選挙の時のマニュフェストについても真剣に議論することが求められる。そこで納得できなければ、納得できる党代表を真面目に選べば良いのである。

これがBestな方法かどうかは怪しいが、各党の代表が党執行部を中心に党内手続きを経て選挙前に示した各議題に対する方針を、少なくとも政権を取った際に与党内からクーデターを起こされずに強力に推進するためには、それなりのメカニズムを考えなければならない。党内の派閥抗争で勝てば、後から何でもひっくり返せるという現在の方式は、見直されるべきだと私は考える。

私は素人だから細かな法律はわからないが、仮にこの制度の実現には憲法も含めた法的な整備が必要だというのであれば、選挙前に各党の党首が「この方針を尊重する」という紳士協定をマスコミの前で宣言するという形で、実効的な足枷をはめても構わない。何らかの工夫を、今、すべきではないかと私は考える。

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誰も口にしない、今、消費税増税が本当に必要な理由

2012-06-23 23:37:03 | 政治
昨夜から遊びに出かけていたため、昨日と今日のニュースを追えていないので、少々トンチンカンなことを書いてしまうかも知れないが、少しばかしコメントを加えたい。

中身を読んでいないのでなんとも言えないが、今朝の新聞の一面には鳩山グループも造反という見出しが載っていたが、小沢グループと違い、カリスマ性などない鳩山氏は民主党を割って出ればジリ貧なのは確実なので、民主党に残留しポスト野田の戦略を練り、主流派に返り咲いた後に小沢グループ救済の作戦を考えているのかも知れない。例えば、採決前に小沢グループが離党届を速攻で提出し、輿石幹事長がそれを速攻で受理して採決に至れば、便宜上、除名せずに済ませることは可能かもしれない。ポスト野田の幹事長を鳩山系で抑えれば、そこでクーデターを起こし、処罰なしで小沢系が復帰するというシナリオも書けなくもない。もちろん、「反増税」で戦った方が有利との判断もあるだろうから、あくまでも小沢グループからすれば復党は選択肢のひとつという意味で、実際には実行に移されることはないのだろうが・・・。また、小沢グループからすると、離党した小沢系議員の選挙区に刺客を立てられなければ、民主党に残るか残らないかはあまり関係はなく、造反しても刺客を立てないという密約が輿石幹事長との間でなされているという可能性もあるかも知れない。ここまで来ると少し考え過ぎだが・・・。

さて、勢いで書いてしまったが、この様なコメントもあまり生産的ではないので、今日は私が消費税増税の野田首相を支持する本当の理由を少し説明させて頂く。例えば、(増税反対派の中で最も分かり易い説明をする)みんなの党の江田憲司幹事長の言うとおり、今回の消費税増税はタイミングとしては非常によろしくない時期であることは私も認める。江田幹事長は、橋本龍太郎内閣での内閣総理大臣首席秘書官として消費税増税の重要性と実現の大変さを熟知しているし、結果として税収アップにつながらなかったことから、その税収アップの効果が極めて条件付き(限定的)であるという彼の主張は誠に説得力がある。歴史が証明しているとおり、そんなことを否定するつもりもなければ、その辺の認識は私も100%同じである。

しかし、彼の議論にはひとつだけ、触れられていない重要なポイントが残されている。それは、彼はひとつの大きな仮説を条件としている点である。

その仮説とは、「時の総理大臣と政権与党は、常に賢明な判断を行うことが可能であり、消費税増税をどうしても行うべきタイミングであれば、どんなに逆風が吹こうと増税を断行できる」という前提である。だから、景気が回復基調にあり、これなら経済を減速させることなしに増税を実行できると判断できたなら、その時は「政権を失うことになっても総理が決断してくれる」ということを意味する。ないしは、もっと不幸なシナリオとして、経済は相変わらず低調だが、日本国債の暴騰などのリスクが本格的に高まり、背に腹は代えられない状況で「経済を失速させるのは目に見えているが、このタイミングで増税をしないと本当にギリシャ化する」との判断で、今よりも劣悪な環境下での消費税増税断行も時の総理が賢明に判断できる・・・ということでもある。しかし、その時の総理が小沢一郎元民主党代表だったら、本当にその様な賢明な判断をするだろうか?ないしは、総理大臣の中には菅前総理の様な全くもって役職に見合った能力を持ち合わせていない人が重職に付くことが有り得ることも我々は経験している。更に言えば、近年の不安定な政局よりもよっぽど安定しており、経済状況もよっぽどましだった時代の自民党政権ですら、消費税増税は中々できなかったことも我々は見てきている。これだけの状況証拠が揃っていれば、江田幹事長が説明していない仮説の信憑性はゼロに等しく、リスク管理を意識した上で判断するならば、本当にその様な仮説を前提にして良いのかという疑問が湧いてくる。

野田総理がここまで決意を持って臨み、運良く野党も(というより、野党の自民党の方が積極的)同調しているという状況は非常に稀な状況だと言える。ましてや、これから数年は復興需要が期待できる。自民党が法案として提案し、次の選挙のマニュフェストにも謳われる「国土強靱化計画」などを推し進めれば、一時的に国の借金は膨らむが、デフレの解消と経済成長に繋げることも可能であろうから、消費税増税とセットでバランスを取りながら、結局は「増税してしまった」という実績を作る方が将来のリスクに備える上では賢明ではないかと考えている。

多分、江田幹事長もその程度のことは当然知った上での行動だと思うが、彼は建前上は「将来的にはみんなの党(ないしは、みんなの党と考えを同じくする誠志集団)が政権を奪取し、その後も継続的に政権を維持できれば、その様な『仮説』は十分に実現可能」という立場に立つので、それを否定するかのようなリスクを口にできないだけかも知れない。もちろん、その他の賢明な有識者(大学教授や政治評論家など)は政治家ではないのでその様な「建前」は必要ないが、逆に、その様なフリーハンドの人達からすれば、「今後もこの後に及んで愚かな首相が愚かな判断をし続ける」という前提での議論も不毛であり、意識的か無意識かは知らないが、彼らの言論活動によりその様な人が総理になれないように仕向けることが可能である(ないしは、そのようなことが実現できないと認めると、それも自らの言論能力の無能さを意味するかも知れない)という考えが先行しているのかも知れない。

いずれにしろ、私の指摘するリスクは現実問題として存在するのは明らかであり、その様なリスクを前提に考えたときに「あなたは、どう判断しますか?」と今回は問われているのである。この様に考えたとき、本当に小沢元代表の主張に「大義」があると言えるのであろうか?私には、まさにそれが「リスクそのもの!の様に思えて他ならない。

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「会期の延長幅が79日間」から読み取れること・・・

2012-06-21 23:51:27 | 政治
昨日、通常国会の会期の延長幅が79日間と決定した。つまり9月9日までと言うことだが、ここから何を読み取れば良いのか微妙である。まず、この会期の延長幅を聞いて、最初は「なるほど」と思い、その後「ええっ、でもなぁ~」とも思った。

まず、なるほどと思った理由はこうである。会期末に合わせて解散総選挙 を行うとすると、その際には衆院選は民主党も自民党も代表選の後に選挙を戦うことになる。以前のブログ「野田総理と輿石幹事長のどちらが策士なのだろうか?」にも書いたが、民主党ないしは野田 総理の戦略の中には、細野原発相を総理に担いで次期衆院選を戦うというシナリオがあったはずである。先のブログでは、野田総理が消費税増税を達成できずに9月に細野原発相が新代表に選出されて即解散総選挙という流れを意図していたが、今回私なりに納得した野田総理のウルトラCとは、野党に対して解散(といっても9月であるが)を約束することで消費税増税を含む懸案事項を全て片付け、一方で(民主党分裂の責任を取る形で)その際の衆院選の旗印である民主党代表から野田総理は身を引いて、ここで民主党一丸となって細野原発相を代表に担ぎ上げ、衆院選の選挙管理をもって役割を終えるというものであろうと理解した。この場合、自民党も代表選後の選挙だから、谷垣総裁も交代は避けられない。しかし、民主党と自民党の代表選が揃ってテレビで取り上げられ、それに合わせて衆院選に突入するのであるから、民主・自民共にメディアへの露出度を高めて有利に選挙を戦うことが可能になる。野田総理と谷垣総裁が捨石になる覚悟が出来れば、現時点で想定される大阪維新の会等の大幅躍進を押さえ込み、獲得議席をその分上乗せできる可能性が高まる。民主にしても自民にしても、もうこれ以上の捻れによる不安定要素は避けたいだろうから、選挙後の大連立は織り込み済みなのだろう。公明党であれば問題ないが、大阪維新の会との連立ともなれば、参院の廃止ひとつとってみても、党を割ることになるかも知れない大きな地雷のようなものだから、大阪維新の会抜きでも安定した政権が確保できるならそれに越したことはない。であれば、野田総理と谷垣総裁が捨石になる覚悟を示してもおかしくはない。その程度には真面目さを持った政治家だと見ている。

ところが、そのシナリオに対する疑問も捨てきれないことに気がついた。それは、仮に細野原発相を担ぐことで民主党に対する好感度をアップし、その勢いで選挙に臨んだとしても、タダでさえ信頼が地に落ちた民主党が、小沢派との骨肉の争いを繰り広げながら、他の党に漁夫の利を得られずに議席を確保できるとは思えない。現状では議席数は半減以下なのだろうが、それが仮に2〜3割増になろうと比較第1党から第2党に落ち込むのは避けられない。菅前総理が前回の参院選で惨敗したときは、増税の話を唐突に出したという責任は否めないが、少なく見積っても半分以上の責任は鳩山元首相と小沢元代表の二人にあるのは間違いの無い事実である。しかし、このふたりの責任を問う声はほとんど聞かれることなく、全てが菅前総理にあるかの様な振る舞いを見れば、細野原発相のおかげで負け具合が緩和されても、選挙が終われば既に細野原発相は用済みとして扱われ、責任を取って党代表を辞任せざるを得なくなるのではないかと予想する。これは、民主党内での細野原発相の地盤が盤石であれば話は別だが、選挙の役に立たなければ(負けた後なので)いつ寝首をかかれてもおかしくはない。こう考えると、どうせ負けるなら野田総理が責任をもって、自分が代表で選挙を闘い、選挙後に責任を取って代表を辞任するという方が、よっぽど綺麗な身の引き方の様に思える。党としての長期的な視野に立てば、選挙後に細野原発相を代表に担ぎ、捻れが解消して政治が動き出すこともプラスのポイントに働き、来年の参院選では大きく躍進できるチャンスかも知れない。しかし、ここで細野原発相を浪費すれば、そのチャンスも失うかも知れない。

こう考えると、(別に私にとってはどうでも良いことだが)「本当にそれでいいの?」と聞いてみたくもある。ただ、そんな先のことより、目先の自分の議席の方が重要な人だらけだろうから、結局は予想通りになってしまいそうな気はする。これは多分、民主党が政権交代の為に集まった烏合の衆だからだろうが、老婆心ながら「もう少し真面目に党の為を考えた方がいいよ!」と言ってやりたい。

まあ、どうでもよいのであるが・・・(単なるぼやきでした)。

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例え話をすれば分かってもらえるだろうか?

2012-06-20 23:12:30 | 政治
ひとつ、例え話をしてみよう。

或ところに、如何にも覚せい剤か何かの薬物でラリって危なそうな人が刃物を持って歩いていたとしよう。通行人が交番に駆け込み、「あそこに危ない人がいる!急いで対処して欲しい!」と伝えたとする。交番のお巡りさんは県警の本部に無線で連絡し、それで安心してそれ以上の手を打たずに放置する。県警の方も、最も現場に近い交番にお巡りさんが居ることが分かり、安心して手を打たずに放置していたとする。その後まもなく、その危ない人が通行人に刃物で切りつけ、それを見た通行人がまた交番に駆け込む。お巡りさんはそれでも、「県警本部に伝えたから大丈夫!」と言い、手を打たずに怪我人が増えていく。この様な事態が起きたとき、警察がお互いに「私はやるべきことはやった。必要なら相手が対応するはずだと思った。」とインタビューに答えた場合、人々は何と思うだろうか?当然、マスコミは徹底的にその責任を追求し、その結果、その様な警察官は重い懲罰を受けてしかるべきである。

これは誰もがそう思うだろうし、きっと、県警ないしは警視庁のトップから、「けしからん話だ!ちゃんと処罰せよ!」との通達があるだろう。何せ、実際に危害を加えられた被害者がいるのだから、有耶無耶にすることは許されない。

しかし、原子力安全・保安院と文科省はそうは思わないようである。全く不思議である。

これは、一昨日の朝日新聞朝刊で明らかにされた話題である。昨年の福島原発事故直後の3月17日から19日にかけて、米軍が軍用機を用いて福島第1原発の周辺の大気の放射線量を測定した結果、浪江町や飯館村を含む北西方向30キロにわたって、1時間当たり125マイクロシーベルトを超える線量が広がっている事実を把握し、この情報を汚染地図という解り易い形式で、外務省経由で原子力安全・保安院および文科省に提供していた。しかし、それにもかかわらず、この情報は活かされることがなかった。情報提供は3月18日と20日の計2回(その後の報道では、さらにもう一回提供されたとも言われている)であったが、その両方とも放置されたことになる。また、米国エネルギー省のサイトを通じて22日(日本では23日)には全世界にデータが公表されていたともいう。世界では事実を知っているのに、日本ではそれを無責任に放置して、その結果、放射線を不必要に浴びまくる人を出してしまった。毎時125マイクロシーベルトとは、8時間で通常時の年間許容被爆量である1ミリシーベルトに達し、1週間の滞在で20ミリシーベルトを超える。これは、明らかにリスクを伴う線量である。枝野前官房長官はよく「直ちに健康に被害を及ぼす線量ではない」という言葉を使ったが、年間20ミリシーベルトの線量とは3ヶ月間そこに滞在しても5ミリシーベルトにしかならないから、数ヶ月で避難することを想定すれば、それ程致命的な量ではないとも言える。これが枝野前官房長官の発言の根拠である。しかし、毎時125マイクロシーベルトとは年間に換算すれば1000ミリシーベルト(1シーベルト)を超えるのである。100ミリシーベルトを被爆すると、統計上も明らかに有意な差で健康被害が確認できることが知られているから、その意味では十分に「刃物を持ったシャブ中患者に襲われる」並みのリスクを受けたことになる。違うことと言えば、現時点でその被害が目に見える形で現れるか、それともこれから数年後にその影響が現れるかという違いである。

このように考えると、当然ながら文科省も原子力安全・保安院も「誰に責任があったのか」を明らかにし、少なくとも責任を負うべきものが処罰を受けなければ正義が保たれないと言わざるを得ない。しかし、文科省の責任者は、「我々には責任はない、必要であれば原子力安全・保安院が情報公開すべき」と盗人猛々しくも開き直る。良くもまあ、そんな言い訳が出来るものだと信じられない。

話は逸れるが、今日のニュースで、昨夜、関西電力大飯原子力発電所の3号機の発電機のタンクの水位が下がったことを示す警報が作動したことを、半日以上も原子力安全・保安院が公表せずに隠していたことが話題となった。これに対し、原子力安全・保安院の広報担当である森下泰統括管理官は、「自分の判断ミスで発表が遅れ申し訳ない」と、その責任の所在が自分であることを1人称で認め謝罪した。この事案は、内容的には問題があることであるが、その責任の所在をはっきりさせ国民に向けて謝罪するというステップを踏んだという意味で、非常に好意的に私は捉えている。顔が見え、固有名詞が明らかになった状態で責任を認めるということは、次の再発防止には非常に効果的なことである。次に何かあれば、自分も同様の責任が問われると思えば、情報を隠蔽したり放置したりすることはできなくなる。

だから、本気で大飯原発が安全だと国家がお墨付きを与えようと思うなら、米軍からの情報提供を握りつぶした責任者を明らかにし、顔の見える形で謝罪させ、全ての担当者が高い責任感を持って臨んでいることを自ら進んで明らかにすべきである。ただ、政府がその様な対応をすると期待することは多分できないだろう。それは、大飯原発は本当は安全でないことを証明することになる。

本当にこの人たちは、その様な現実を理解しているのであろうか?甚だ疑問である。

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「国民総背番号制」に組み合わせた社会保障制度の提案

2012-06-19 22:58:15 | 政治
昨日のブログで「国民総背番号制」の導入について言及した。実は、この制度が導入されて国民の収入や資産を国家が確実に把握できるようになた場合、新たに導入が可能な制度があると考えている。今日はその制度の提案をさせて頂く。

昨日のブログの中でも少し触れたが、以前のブログ「社会保障の財源への提案」の中で提案した内容を発展させると、幾つかのバリエーションを考えることができる。ここでの基本的な考え方は、一旦は年金や介護保険や社会保障などの形で国民に支給された財産に限定して、死後には子供世代に引き継がさせず、高い相続税率で回収するという方式である。

ひとつ例を挙げてみよう。少し話が逸れるが、日本航空の破綻に関連し、JALは様々な形で生き残り策を協議した。現役社員に対してはリストラや減給、退職金の減額など様々な厳しい条件を強いるのに対し、すでに逃げ切りとでも言うべき企業年金の受給者に対し、(これまで通りの高額な年金ではもたないので)年金支給額を減額させて下さいと提案した。最終的な決着はともかく、この問題は中々折り合いがつかなかった。今後も企業年金の破綻などの様々な問題が起きるだろうが、既得権益となっている人々に対して痛みを強いらなければ、企業自体が潰れて年金も破綻することになる。一方で、年金の減額は既に生活設計が出来上がっている高齢者世代に対し、急激な生活水準の低下を余儀なくすることにもなる。この様な場合、本来は減額されて受け取れなくても仕方がない差額分に対し、国が一旦肩代わりして支給し、その代わり、死後に財産が残された場合には残された財産から肩代わりして国が支給したその総額を、相続税率100%で課税するとすれば、少なくとも年金受給の当事者には影響を排除することができる。影響を受けるのは、その財産を相続する子供世代である。しかし、緊急避難的な肩代わり支給は当事者を救済するためであり、その子供世代まで便宜を図る必要はない。その様に割り切れば、肩代わり支給を何処まで後のち回収できるかにもよるが、回収率がある程度期待できればこの手の問題の救済策として、少ない真水の投入金額に対してその何倍もの効果を上げることが出来るかも知れない。生前贈与で資産を移動して逃げることがないように、適宜、贈与に関する法整備なども必要になるのだろうが、基本的な考え方は理解頂けると思う。

ちなみにこの手の方式は、別にこの様な特殊な(年金の3階部分に相当する)企業年金などを想定しなくても、ごく一般的なケースを想定しても適用可能である。例えば、現在、年金の支給開始年齢の引き上げの話題が出ているが、人によっては再就職も出来ずに稼ぎがなければ路頭に迷うことになる。その様な人々に特別年金制度と称して「つなぎ年金」を支給する代わりに、その支給総額に対しては相続時に100%の相続税を課税すればよい。他にも考えられる。現在の国民年金の支給額は7万円程度で、生活保護受給者の受給金額よりも国民年金のみの額は遥かに低額である。この様な状況を考えると、民主党が主張する最低保障年金ではないが国民年金に月額1~3万円程度の上乗せを行い、この上乗せに相当する支給総額に対しては同様に相続時に100%の相続税を課税するという方法も考えられる。

さらに発展させてみよう。子供手当てとして支給した税金に対し、その子供が成人後(ないしは「大学(院)卒業と25歳のいずれか早い方」としても良い)に親が死亡した場合、その支給総額に対しては相続時に100%の相続税を課税するとしても良い。大抵の人は子供が成人後に死亡するから、これはそれなりの回収率を期待することが出来そうである。もちろん、支給済みの子育て手当を回収できるのは20年以上先であろうから、短期的な財政の穴埋めには役に立たないが、少子化対策や財政再建は既に長期的な視点に立った制度設計が求められるから、長期的に見れば子育て手当に必要な真水の財源は、単年度の支給総額に比べれば大幅に節約できるのではないかと思われる。

とまあ提案を説明してきたが、この様に言うと、生活に困る低所得者にお金をばら撒き、結局、回収できなければそれを税金で埋めなければならないだろう・・・と思う人が多いと思う。確かに、正確な試算は専門家に行って貰うしかないが、大抵の人は、もしもの時のために幾ばくかの資産を貯めておき、死期が近づいたからといって全額使い切ってから死ぬわけではない。さらに、持ち家があれば、それが相続財産として残ることにもなる。国民年金の1号被保険者の中には、確かに非正規雇用などの低所得者も多く存在するが、農家や自営業などでそれなりに財産がある人は多い。当然、全額が帰ってくる訳ではないが、ある程度の割合で相続税として戻ってくるのであれば、税金で補填するのはその差額だけで良いことになる。受給者が、「相続税を払うくらいなら使ってしまえ!」と思うなら、それは消費刺激策にもなるかも知れない。

とまあ、色々書かせて頂いたが、相続の話は色々と考慮しなければならない話があるだろうから、追加の工夫は必須である。当然ながら、配偶者がいれば夫婦はセットで考えるべきだから、配偶者がなくなった時点で相続のリセットを行う必要があるだろう。また、マイナスの財産を子供世代に引き継ぐことはあり得ないので、相続財産がなければそれでチャラである。葬儀費用を子供世代に強いるのもなんなので、葬儀費用の実費ないしは固定で100万円ないし200万円程度は別枠で無税にしても良い。さらに生前贈与などをどの様に扱うべきかなども検討が必要である。この辺は幾らでも工夫してもらえば良い。

しかし、隠し財産を作って脱税しようというのは許せないから、この制度の導入には必然的に国家による国民の資産の完全把握が必要になる。だから「国民総背番号制」の導入が、私の提案する上述の制度には前提として必要になる。この「国民総背番号制」を併用し、色々議論を尽くせば、きっと良いアイデアは見つけられると思う。如何だろうか?

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大阪維新の会の「維新八策」が待ち遠しい

2012-06-18 23:16:11 | 政治
国政が澱んでいる中、大阪維新の会は淡々と準備を進めているようだ。

産経ニュースWestの記事「『国民の資産把握し総背番号制』維新八策が検討 7月7日に提示」によれば、政府が検討している「共通番号(マイナンバー)制度」を発展させた「国民総背番号制」の導入のほか、年金制度の積み立て方式移行に向けた相続税引き上げ財源不足を解消する「100年清算構想」や、生活保護制度の受給の有期化や現物支給なを提案する予定だという。個人的には非常に効果の期待できる政策だと評価している。

まず、「国民総背番号制」に関しては、税収アップに非常に有効なのは周知の事実である。個人情報を国家が管理することに対する不満が予想されるが、しかし、死亡時の相続に際しては、全ての資産を正確に申告しないと脱税につながるため、死亡時に限っては国税局による資産の完全把握が前提となる。これに対して誰も異論など唱えない。これに対し、通常の経済活動の情報を国家が把握することに対する抵抗は非常に大きい。しかし、企業に勤めていれば時折国税局がやってきて、様々な契約伝票をチェックしまくる。別にやましいことがなくても、書類の不備や何かがあると、脱税の可能性を問われて徹底的に調査が行われる。1企業だけではなく、裏付けのために対応する契約先の調査も合わせて実施されることもある。幸い、私の会社で周りの人がその様な指摘を受けたと聞いたことはないが、噂では相当厳しくチェックを受けると聞く。「マルサの女」ではないが、査察が入れば家の中から関係者の家の中、もちろんパソコンの中から下着の中まで、洗いざらい丸裸にさせられる。何故、死亡時や定期的な国税調査などの時は情報を丸裸にされても文句を言わず、通常の情報の把握は許せないのかは微妙なところだ。脱税は当然ながら違法行為なのであるから、その違法行為をなくすための強権を国家が持つことは、以前から認められていたし誰も文句を言わなかった。

一方、多くの人はクレジットカードでの決済や、インターネットを利用した通販は普通に何気なく利用している。しかし、そのクレジットカード情報の漏洩がニュースとなることも多い。最近はどうか知らないが、数年前であれば、そのクレジットカードの利用履歴をユーザに断りもなく売買することが違法ではない時代があった。インターネットの通販などでは、必ずしもビジネスの拠点(サーバの設置場所等)が日本国内とは限らず、気がつかない間に日本の国内法が通じない世界でビジネスが行われていることもある。殆どは悪意がないケースなのだろうが、気がつかない間に事件に巻き込まれるリスクは大いにある。もちろん、犯罪性が伴わなくても、クレジットカード利用履歴やインターネットの閲覧履歴情報等を用いて、「あなたは、この様な商品をお探しでは?」というお知らせが来たりもする。まさに、あまり個人情報の管理が厳格でない者に、極めてプライベートな個人情報を無意識のうちに収集されている。しかし、一方でそれなりの利便性も存在するため、リスクとメリットを天秤にかけて、多くの人はそれを許容するのである。であれば、何故、民間の事業者が多くの個人情報を収集することはOKで、脱税を撲滅するために国家が情報を収集することがNGなのか?イマイチ、論理的な説明が困難な現象なのだと思う。もちろん、その個人情報の漏洩が問題であることは当然であるが、しかし、それは純粋に情報漏えいに対する罰則強化や管理の厳格化などで対応すべき話である。パーフェクトな解はないが、この制度で数兆円の増収が見込めるのであるから、消費税を数パーセント上乗せするのとどちらの方が筋が良いかと聞けば、経済成長へのブレーキ効果も合わせて考えれば議論するまでもない。

話がそれるが、以前、この様なマイナンバー制度の導入に反対する何処かのブログを読んでいた時、思わず笑ってしまったことがある。それは多分、以下のような論調だったと記憶している。「消費税を課税されても、多くの小売店ではそれを価格に転嫁出来ない。しかし、小規模な店舗では国税も全体を把握できないから、うまく誤魔化すことが出来た。しかし、マイナンバー制度や消費税のインボイスなどを導入するとガラス張りになってしまうので、この様な弱者を苛めるマイナンバー制度には反対だ!」こんな感じだったと思う。しかし、明らかに議論の方向性が間違っている。国民が守るべき法律を、自分にとって都合が悪ければ破っても構わないという話は決して許されない。もし問題であれば、合法的な対応策を求めることがスジなのである。つまり、大抵のケースではリスクとメリットが両方存在し、そのバランスを取りながら上手く遣り繰りすることが求められる。

次に、相続税の引き上げであるが、以前のブログ「社会保障の財源への提案」にも提案したが、少しばかり工夫した相続税の引き上げが有効かも知れない。年金や介護保険などについては、個人差により損得勘定の差が大きい。生きている間に資産が底を尽き、路頭に迷うような事態は許されないが、平和に豊かな生活を終えることが出来たなら、支払われた年金や介護保険をある程度の比率で回収されたとしても公平性は保たれる。裕福な者だけをターゲットにして相続税を狙い撃ちするというのは、一見、不幸を最小化している様にも見えるが、本来は国民一人ひとりが高い納税意識を持ち、しっかりと納税する代わりに自らが安心して暮らせるサービスを享受するという考え方が正しいと思う。変な話であるが、50歳代半ばを境に年金の納付額と受給額が逆転するが、意外にも40~50歳代の人の不公平意識はそれほど深刻ではないという。というのも、自分の親世代が貰い得の世代であれば、相続を通じて自分たちもそれ相応のメリットを享受できるというからだそうだ。となると、やはり20歳代、30歳代の世代(ないしはそれ以降)に関しては、見かけ以上の差となって不公平が存在することになる。その様な不公平を暴露して、世代間の闘争に繋げるのは建設的ではないが、何が公平かについての議論を深めることは重要だと思う。親の財産など殆どない私にとっては現状の相続制度の方が好都合だが、個人の損得を気にしていては正しい判断は出来ない。上述のような案が、そのたたき台になればと思う。

最後の生活保護への現物支給というのは最低限導入してほしい。先日も関西芸人の母親の生活保護不正受給が話題になり、ブログでも取り上げさせて頂いた。その後もこの手の話題は色々なところで語られているが、少しばかり方向性がおかしくなっている。それは、「生活保護バッシング」という言葉に象徴される。まさに生活保護の不正受給を糾弾しようとする行為に対し、それを非難するための感情に訴えるかの言葉である。正当に生活保護を受給している者に対しては、多分、何処のマスコミもバッシングなどはしない。問題なのは、仮に手続き上は生活保護の認定を受けることが出来たとしても、社会的な良心に照らし合わせてみた時に、「それはないだろう!」という人には受給を辞退してもらうべきではないかという話である。しかし、「生活保護バッシング」という言葉を使う人たちは、「お役所が認めるのが悪い!認めてくれたならお金をもらって当然。何が悪い!」という前提に立っている。この様な考え方があるから、お役所も認定基準のハードルを上げる必要が生じ、逆に真に必要な人にお金が回らない状況を生んで問題化する。それを防ぐには認定基準のハードルを一時的に下げるしかないが、国家財政が破綻寸前であることを考えれば、事後的にその受給の妥当性が疑られる事態が発覚すれば、「あなた、それはないでしょう!」と責められても仕方がないというルールを前提とせざるを得ない。しかし、この辺は非常にグレーゾーンでもあることから、モラルの低い人が多い現状の中でこの議論をきっちりと出来る環境を整えるよりも、生活保護の受給の必要がない人にとってメリットが少なく、一方で必要な人には十分にメリットと感じられる制度を導入する方が遥かに現実的である。その意味で、現金支給の代わりの現物支給というのは意味があると思う。

まあ色々あるが、選挙での受けの良さを基準にするのではなく、十分に議論に耐え得る主義主張を全面に押し出す必要がある。結果がどうなるかは分からないが、非常に有益な問題提起を行なっていることだけは間違いない。

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1年前にやるべきだったこと、今、まさにやるべきこと

2012-06-17 22:43:06 | 政治
消費税増税の採決に関しては、大方、大勢が決した感がある。首相が日本を離れる間のクーデターも無い訳ではないので政界は一寸先は闇なのであるが、それは殆どサイコロを転がすようなものなので、今更、議論することには意味がない。

そこで、今日はもう少し違うことについてコメントしてみたい。それは国会議員の力量についてである。本来、政治家というものは狸の馬鹿し合いみたいなところがあって、どちらの方が人より先に1っ手も2手も先を読むか、そして先んじて策を弄して自らの目指す政策を実現するか・・・の様なところがあった。しかし、少なくとも今の民主党議員にそのようなものを殆ど感じない。特に、中間派と言われる人達には不満を感じる。

と言うのは、今更、最低保証年金がどうだこうだと言っているが、本来はそれは1年前に言うべき話で、今頃になって言い出すのは間が抜けている。と言うのは、菅内閣の時代、与謝野馨氏を経財相に担ぎまでして、「社会保障と税の一体改革案」(その当時は、「税」と「社会保障」の順番が逆だったのが面白い)をまとめ上げた。その時、与謝野経財相は「最低保証年金」を具体的に盛り込もうとすると財源をどこに求めるかの問いに答えを出せないがために、その「最低保証年金」を先送りして棚上げすることをまとめ上げた。多分、この当時には既に目論んでいた財源の目処が全くないことに気がつき、野党から総スカンを食うのを覚悟で与謝野経財相を一本釣りし、民主党議員には到底できない「最低保証年金」の棚上げ作業を代わりにやってもらった。当時は私はこのブログを書き出す前で、それ程新聞を読んでもいなかったので、その意味が何なのかを理解することが出来なかった。しかし、今年に入って最低保証年金の試算が出るに至り、テレビ局の解説委員のような方々が「与謝野経財相が棚上げした最低保証年金が、今頃になって急に復活してきた」という話をするのを聞いて、「なるほど、そういうことだったのか!」と知るに至った。しかし、当の政治家たちは本当にマニュフェストに謳う最低保証年金を重要だと思っているのであれば、今回の消費税増税の反対にかこつけて異論を唱えるのではなく、1年前に大声を上げなければならなかたはずである。しかし、その時は殆ど声など上がらなかった。

一方、民主党の中枢がそうまでして棚上げせざるを得なかった「最低保証年金」について、民主党議員は次のマニュフェストでもそれを掲げて戦おうと思っているのであろうか?ついでに言えば、後期高齢者医療制度の廃止についても同様である。既に政権交代から3年近くが経ち、全くこれらについては財源を含めて整合性が取れた形で党内のコンセンサスが得られる見込みがない。後期高齢者医療制度の廃止などは、その気になればもっと早く手を付けれたはずなのに、現在になってもまだ法案の形も見えない以上、「後期高齢者医療制度が100点満点ではないことは分かっているが、その制度の点数以上の高得点を得られる制度を組み立てるだけの能力を(民主党は)持ち合わせていない」ということを証明しているようなものである。

であるならば、次の選挙の時のマニュフェストをどうすべきかと、少しは真面目に考えなければならないはずであるが、(野田政権は、マニュフェストの見直しを行なっているのでそれなりに考えているのは認めるが、その他の人々は)それを真面目に考えている気配を感じられない。

以前のブログ「政治を前に進めるための提言をしてみよう」でも書いたのであるが、民主党が次の選挙で掲げるべきマニュフェストを考えるということは、ひとつの踏み絵のようなものである。つまり、威勢良く「マニュフェストを守るんだ!」と声高に叫ぶのは良いが、次の総選挙の際にも前回の衆院選のマニュフェストの死守を掲げることが何を意味するのかを、ちょっと考えれば分かるはずである。すなわち、「お前ら、人受けするバラマキ政策を偉そうに語っていたが、結局、財源がないから何も出来なかったじゃないか!4年(ないしは3年かも)かけても影形も作り上げられなかった絵に書いた餅をもう一度我々に見せて、それで俺たちが信用するとでも思っているのか?俺たちは馬鹿じゃない。お前たちがこの4年間で何を学び、その結果、本当は何処までなら出来ると思っているのか?そして、4年でできなかったことが、もう一度チャンスを与えられたら何故、今度はできるようになるのかを論理建てて説明してみろ!」との質問に、何と言って支持者に納得してもらうのかを考えなければならない。しかし、そんなことは個人ベースでやるべきことではなく、党全体がまとまって総括をしなければならない。

野田総理は、少なくともいずれは求められるその総括を前倒しでやろうとしている感がある。誰もが「高福祉、低負担」を求めるが、そんなことはギリシャだけに任せておけばよい。日本はそんな道を歩むことはできないから、せめて「中福祉、中負担」ていどのことを覚悟しなければ、マニュフェストの財源を確保することはできない。そう考えると、マニュフェストの幾つかを残したいなら消費税増税を、消費税増税を避けたいならマニュフェストの撤回を、そのどちらかを選ばなければ次の選挙が仮に1年後であっても戦えないのである。しかし、特に今回の騒動で「中間派」と呼ばれる人達からその様な声を聞くことはない。つまり、「臭いものには蓋をすれば良い!」という意思がそこに感じられる。ならば、その「蓋」を「最低保証年金」と「後期高齢者医療制度」に被せ、棚上げとする「蓋」の仕方の方がまだ説明はつけ易そうなのだが、そういう細かいところを考える能力をあまり持ち合わせていないようだ。

まあ、一時期の小泉チルドレンの中にも酷い奴もいたが、小沢チルドレンなどは更にひどいところがある。その様な方々に言っても無駄なのかも知れないが、あまり金と数を信用しない方が良いと言っておきたい。大切なのは、論理的な思考のもとで築き上げた実現性の伴う目指すべき政策である。これを政治家が読んでいることはないだろうが、仮に読んでいたら、次の選挙で掲げるべきマニュフェストのことを少しでも考えてみると良い!党が分裂するか否かはそれからである。

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後味の悪い爆弾ニュース

2012-06-15 23:53:12 | 政治
いやはや、驚きのニュースが出てきた。小沢一郎元代表の離婚の話題である。普段は週刊誌を読むことはないので知らなかったが、今朝の産経抄を読んで驚いた。話によればGWの頃に隠し子騒動もスッパ抜かれていたようだが私は知らなかった。別にこの手のスキャンダルものは政治本来の話題とは異なるのでどうでも良い話題なのだが、この夫人の直筆の手記はちょっと爆弾としては大きそうだ。

私が注目するのは、現在の小沢裁判においては検察役の指定弁護士の捜査能力からすれば上級審で新たな証拠は出てこないだろうと目されていたが、ひょっとすると夫人の証言次第ではその証拠能力次第で有罪が確定するかも知れない。もともと刑務所の塀の上を歩くような限りなく黒に近いグレーと裁判官が認定した判決だったから、その疑いを裏付けるような発言が飛び出せば、簡単に塀の上から塀の内側に転げ落ちておかしくない。というか、本当に有罪かどうかというよりも、政界の間で「有罪となる可能性が高まる」との見方が強まれば、沈みゆく泥舟から我先にと逃げ出すのが得意な政治家たちは、アッという間に手のひらを返すことになるだろう。これが政局全体の動きにも影響を与える可能性は非常に大きい。

例えば、消費税増税法案の採決において、風見鶏的に野田総理と小沢元代表の値踏みをしていた中間派からすれば、ここで反対票を投じよう(ないしは棄権も同様)ものなら小沢一派と同類と見られかねないと、彼らとは一線を画した対応が必要と考えるだろう。小沢派が反対票なら棄権、小沢派が棄権なら賛成と、少しずつ差をつけるならば、少なくとも法案が否決される可能性はほぼ皆無である。しかし、それでも小沢元代表を捨てきれない強力な親小沢派は行動を共にする。かなり人数は絞られるから、野田政権からすると寧ろ「小沢切り」で支持率改善を期待できるかも知れない。渡りに舟とばかりに、ますます現主流派は強行な行動を取れるようになる。結果的に、数日前までの追い込まれた感が強かった野田首相は、一気に勝負を決めにかかるかも知れない。輿石幹事長も、小沢切りで民主党存続を取るか、小沢擁護で民主党が解体するかの究極の選択を迫られるかも知れない。彼の価値観では、民主党の存続の方が優先度は高いだろうから、輿石幹事長自らが小沢切りを決断しなければいけないかも知れない。政局が大きく動く瞬間だ。

ちなみに、今回の事態にはもう少しオマケがついている。小沢ガールの筆頭とも言うべき田中美絵子議員が、55歳の妻子持ちの官僚との不倫も時同じくして週刊誌にスッパ抜かれた。よくもまあ、これだけタイミングを揃えて週刊誌に叩かれるものだと呆れてしまうが、この緊張感の無さがある種、象徴的である。ただ、更なるおまけとして、小沢元代表の離婚問題と合わせて、この手の話題が主要なテレビのニュースでは取り上げられていないということが面白い。幾らなんでも、たった一人の離婚問題(ついでに不倫問題も)が国論を2分する大きなテーマの結果を左右するということになることを、マスコミもその良心から嫌ったのかも知れない。

ただ、最後に一言だけ言っておくとすれば、このタイミングで複数のスキャンダルネタが飛び出すのは偶然ではないだろう。少し前の安倍政権時代に、公務員制度改革を目指していた際に、官僚からの自爆テロ的に年金問題がリークされたが、誰かを陥れることに長けた人達は何処にでもいるようだ。結果はともかくとして、見たくないものを見てしまったようで後味が悪い。

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石破氏の方向修正の先に見える未来?

2012-06-14 23:19:34 | 政治
先日のブログ「森本敏新防衛大臣就任を評価したい!」で森本防衛相の就任に賛意を示した。その後、与野党の中から国会議員以外の防衛大臣の就任を避難する発言があり、それにコメントするブログを書きかけていたのであるが、昼休みに下書きのワード・ファイルを保存する前にパソコンが急にフリーズし、結局、ブログには掲載せずに終わった。そこには、「あなたほど、責任感のない政治家に言われたくない!」という鳩山元首相の発言に対するコメントなども書いていたのだが、実際には最も気にしていたのは別のことである。それは、自民党のcが同様の発言をしていたことに対するものである。ひょっとしたら、幾つかあるシナリオの中で自民党の総裁選後に衆院選があり政権交代する場合を想定すると、総裁選で石破氏が勝利してその勢いで石破総理率いる石破政権が出来た時、その際に政権交代後も森本防衛相の留任という解が有り得るのではないかと私は考えている。その際、下手に森本防衛相を非難していると、その選択肢を自ら潰すことになるのではないかと危惧していた。

しかし、その様な私の気持ちに通じるところがあるのかないのか、その当人の石破氏が早速方向性を修正していた。産経新聞の6月12日の記事に「森本防衛相国会デビュー『余人をもって代え難い』と自民・石破氏」というものがあった。思わず唸ってしまった。本人も、頭を冷やして冷静に考えて、自分が総理となったときに森本氏の防衛相就任をイメージしたのかも知れない。私の先のブログにも書いたが、やはり森本防衛相は「余人をもって代え難い」人材なのである。少々、リップサービスもあるのだろうが、あの「防衛オタク」と称される石破氏をもってしても「初耳」と言わしめる見識の豊富さは、非常に安心感が漂っている。

そこで、多分、言うまでもないことであるが、今回のオスプレイの沖縄配備に関しては慎重な対応を求めたい。と言うのは、フロリダ州で訓練中にオスプレイが墜落事故を起こし、乗員5人が負傷したというニュースが飛び込んできたからだ。このニュースがなかったら、山口県岩国基地への配備を経て、普天間に配備されるのは妥当だったのだと思う。しかし、配備されるのは世界一危険な基地とも噂される住宅街の中に位置する普天間基地である。ここで、次に沖縄県民を巻き込む飛行機事故が起きようものなら、沖縄中の米軍基地の存続と日米同盟に致命的な事態を招くことになる。それが予測できない事態であればまだ言い訳がきくが、今回の事故を受けた後の配備となると、当然ながら想定内の事故ということになる。それが機体の設計上の欠点であろうが人的なミスであろうが、これだけの頻度で問題を起こしていたら、そんなことはどちらでも同じである。人的ミスなら、それほど人的ミスを誘発しやすい設計とも取れるからである。政府は早速、原因を含む事実関係の詳細が明らかになるまで、日本国内への配備手続きを進めない方針を決めたそうであるが当然である。ただ、それが原因が明らかになったから「即配備」となっては意味がない。何らかの根本的な改善と、その後の1年以上の無事故の実績などが付いてこないと、多分、誰も納得はしない。この辺の事情は森本防衛相は百も承知だから、前任者と違い安心して見ていられる。

おりしも、森本氏の防衛相就任とは関係ないのだろうが21日から2日間、米韓の海軍と日本の海上自衛隊が、朝鮮半島周辺海域の公海で合同軍事演習を行うことになったという。野田政権の寿命は長くはないが、短期間でも多くの実績を残して欲しいと期待している。そして願わくば、政権交代後も続投を期待したい。

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石原都知事の今後を予想してみた

2012-06-13 23:13:26 | 政治
最近、石原都知事を取り巻く動きが慌しい。一昨日は、国会の参考人招致で尖閣諸島に関する思いの丈をぶつけ、ニュースでも大きな話題となった。6月8日にも、「地方自治体の首長をしながら衆院選をやるわけにはいかないだろう。自分が陣頭指揮をして突っ込んでいかないと迫力も何もない」とも発言し、新党結成に向けて一歩踏み出した感がある。

ただ、一般的には尖閣諸島の購入があると都知事を辞任して衆院選に出馬出来ないのではないかとも思われている。地権者から「かけたはしごを外された」と思われると、購入問題が頓挫する可能性があるからだ。東京オリンピックの問題もあるが、こちらに関しては寧ろ石原都知事が国政側からのアプローチをかけた方が事態は進展しそうだから、十分に弁解は可能である。あくまでもネックとなるのは尖閣問題である。

ただ、私の予想ではあまりこれは石原都知事の戦略には影響しないと予想している。まず、地権者が国政進出をどう見るかであるが、地権者は石原都知事の人となりを評価して売却を決心したのであろうから、この状況において石原都知事が「日本国のため、討って出る!」と言えば、尖閣問題にきっちりと方を付けるという条件付きでこれを認めるものと読んでいる。「方を付ける」とは、後任の都知事がきっちりと尖閣諸島を購入し、東京都(石垣市)ないしは国がきっちりと管理するということである。だから、都知事辞任時の不確定性を最小限に抑えるために、都知事としても年度内のなるべく早期に購入できるよう動き出している。国との借地契約は年度末まであるが、その契約を売買後も維持することを前提にすれば売買契約を制約することはないのだろう。費用的にも大方の金額は寄付金で集まっているので、財源的にもあまり問題はない。寄付の勢いと世論調査から、都議会も反対することは厳しいだろう。

となると、後は後任をきっちり都知事に据える事が出来るかという点に絞られる。当然、後任は猪瀬副知事しかいない。狙いは当然、衆院選と都知事選をぶつけるダブル選挙である。石原都知事と猪瀬副知事が並んで選挙活動を行い、さらにそこに橋下市長が応援演説に駆けつけようものなら、相乗効果で猪瀬副知事の当選確率は飛躍的に高まる。菅前総理ないしは鳩山元総理の選挙区にぶつけて出馬すれば、テレビの注目度は凄まじいものとなる。猪瀬副知事は、東電に対する株主提案や尖閣諸島購入募金の発案、さらには道路公団の民営化なども含めて、既に実務家としての評価が高い。ここまで条件がそろえば、比較的、楽観視出来るのではないかと思っている。

ここまで来ると、次なる課題は橋下市長率いる大阪維新の会との連携である。漏れ伝わる報道によれば、石原都知事と橋下市長とは既に連携については概ね合意が出来ており、選挙に有利な報道発表のタイミングを探っているようだ。多分、衆議院の解散直後のタイミングなのだろう。巷では、石原都知事と橋下市長との政策には微妙な違いがあり、単純な合流は出来ないとの評価が一般的なようだが、必ずしもひとつの政党にまとめ上げる必要はない。「大阪維新の会」と「日本維新の会(仮称)」という別々の組織で、選挙区ごとの候補者擁立に関する選挙協力を行えばよい。目的実現のための手段・アプローチとしては細かな差があるが、その目指すべき方向性・目的などはそれほど多くは違わない。もちろん、彼らが衆院の過半数を抑えることができるなら、その細かい政策のすり合わせも必要になるかも知れないが、実際にはそこまでの議席を獲得するのは現実的ではない。仮に獲得しても参院に議席がないから、大きな連立を組まないと政局は不安定化する。以前にAERAに記載されていた予想では、大阪維新の会の獲得議席予想は60程度であった。常識的には、両者を合わせて100程度というのが良いところだろう。比較第1党は自民党で、200議席以上と予想される。だから、大筋では自民党の掲げる政策を軸に、(当面の4年間は)地方分権のための改革を連立の政策合意条件に設定し、その他については「ビックマウス」で「やはり、こちらへ向かわなアカンのかな?」と雰囲気を作り上げればよい。最近の自民党は、民主党との違いをアピールするために、(これまで守り中心の傾向があったことを反省し)攻めに転じた感がある。超攻撃的な橋下・石原連合に感化されれば、大きく政治が変わる可能性もある。

思っている以上に、状況はこの二人の思い通りに動いているのかも知れない。後は野田総理がどのタイミングで解散に打って出るかである。7月下旬に解散し、8月末に総選挙・・・とはなるのだろうか?

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国会事故調の活動を評価したい!

2012-06-12 21:18:18 | 政治
報道によれば、「原子力規制委員会」の設置関連法案について民自公の3党間で、首相の指示権による介入を認めない方向で合意したという。与野党間の主張の最大のハードルを越えたので、今国会中の成立の可能性も高まった。この首相の指示権による介入は、そもそも福島第一原発事故の迷走の最大の人災の原因となったものである。菅前総理の「自分が介入したから福島第一原発事故は収束に向かった」という主張に対し、国会事故調はそれを全面否定している。今回の合意は、多分それを受けての民主党の譲歩なのだろう。まずはこの合意を評価すると共に、その決断を促した国会事故調の活動を最大限に評価したい。

もちろん、昨日の報道ステーションではノーリターンルールに関する骨抜きを環境省が目論んでいると報道もされていたが、そもそものノーリターンルール自体は既に民自公の3党間で合意されていることであり、経過措置についての官僚の作文を(霞ヶ関文学を熟知した)官僚出身者に添削させ、実効的な骨抜きにならないように見守れば、十分に機能する内容にまとめ上げることが出来るのではないかと期待している。だから、「原子力規制委員会」の設置関連法案の行方については暫くの様子見である。今日は、この国会事故調について個人的なコメントをしておく。

これまでに幾つかの調査機関による報告書が出てきたが、国会事故調はその中で最も権威がある調査委員会であり、その動向が注目されていた。人によっては、色々と不満意見もない訳ではないが、それなりの効果を挙げつつある状況である。先の民間事故調の報告書では、菅前総理が東電に3月15日に乗り込んだことが「潮目」となったという評価をしていたが、実はこの調査報告書には、東京電力に対する事情聴取を行っていないという致命的な欠陥が含まれている。当初は東電としても政府に助け舟を出してもらいたいとの思惑から、あまり政府を刺激しないように発言(事情聴取)を控えていた部分もあったと思うが、国の対応の落しどころが見えてきたこともあり、最近は認識の違いも平気で主張することが出来るようになった。その様な背景もあるのかも知れないが、国会事故調では黒川委員長自らが、吉田前所長に対して1時間以上もの事情聴取を行っている。多分、病院に出向いてのことなのだろう。その中で、黒川委員長は論理的な整合性が非常に明瞭な吉田前所長の聴取内容を重要視し、当時の政府の対応を非難している。

この国会事故調の判断で注目されることのひとつに、先ほども触れたが東電が全面撤退を決断したか否かについての評価がある。首相官邸側の発言は、全て一貫して「全員撤退の申し入れ」となっているが、一方で明確に「全員撤退」との明示的な発言を聞いたという証言はない。新聞報道などでも、その様なタイミングで東電社長からあの様な報告を受けたら「当然、全員撤退と思っても仕方がない」という趣旨の首相官邸側を擁護するコメントもあった。しかし、問題は「勘違いされても仕方がない状況であったのか否か?」ではなく、「東電が全員撤退しようとしていたのに、官邸の力で思いとどまらせることが出来た」という内容が事実か否かが重要なのである。この点に関しては、国会事故調は「東電側は終始一貫して『退避』という言葉を使っている」と認めている。この「撤退」と「退避」には大きな意味の違いがあり、「退避」とは一時的にその場を離れること、すなわち、やがてその場に戻ることを前提としている。様々な人が自分の身を取り繕うために勝手なことを言っていると、その中の整合性に綻びが出てくるのであるが、この件に関しては概ね東電側に綻びがなかったと認定している。この結果、「東電が全員撤退しようとしていたのに、官邸の力で思いとどまらせることが出来た」という内容は事実に反する間違いであることを結論付けている。

ただ、誤解をした首相官邸側に問題があったかというと、完全に頭の中にバイアスがかかった状態で何らかの情報を入れたときに、その情報がバイアスによりミスリードされてしまうことを認めたうえで、本来はその誤解を解かなければならない立場の東電の清水社長には、官邸と東電の間の微妙な意識の違いを感じ取り、それを修正する能力が極端に欠けていたことも指摘している。ある意味、一歩踏み込んだ解析を行っていることになる。

先日の野田総理の大飯原発再稼動の記者会見の時、実はその裏で国会事故調も記者会見を行っていた(当日の東電清水前社長の事情聴取を受けての総括)。黒川委員長は野田総理の記者会見の内容を知る前の段階で、大飯原発再稼動に関する政府の行動について、「日本政府の対応は世界の先進国の原子力行政へのあり方とは違うこと、どういうプロセスでどの様な判断をするのかという国家の信頼が揺らいでいること」を指摘し、政府の対応に「メルトダウンが起きている」と結んでいた。もし野田総理の記者会見を聞いた後の発言であれば、更に厳しい内容になっていたかも知れない。

この国会事故調の会合の内容を幾つか読んでみると、発言者の支離滅裂な回答が目立つ。多分、緊張が極限状態に達し、これがもとで自分が吊るし上げられないように、ないしは自分が守らなければならない組織に不利な発言をしないように、自分でも何を言っているのか分からない有耶無耶した言葉の羅列が目に余る。しかし、それらの心象から、国会事故調の委員たちは様々なことを読み取っているのだろう。黒川委員長は、あまり推測に基づく発言や、記者会見でも個々の証言者に対する個人的な感想を述べることで、報告書の客観性をおとしめないように気を使っている様に見える。だから、委員会に与えられた権限の範囲内で行動する一方、「調理するための材料は提供しているのだから、これをどう料理するかはマスコミや国民、国会にかかっている」というスタンスを明確にし、我々が何らかのアクションを起こすことを促している。

ついつい我々は、菅前総理に対する証人喚問までを国会事故調に期待してしまうのであるが、物事には役割分担というものがあることを忘れがちなのかも知れない。国会事故調は十分な仕事をしつつある。ボールはまもなく国会に預けられる。その時に、国会議員が馴れ合いを演じるのは許されない。

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