大分前の話題だが、5月8日に中国共産党機関紙の人民日報が、日本の敗戦により「(日本による)琉球の領有権」は消滅したと主張し、今こそ沖縄の「領有権」問題を議論すべきだと訴える論文を掲載した。その後も沖縄の独立勢力を育成すべきだと主張し、完全に図に乗り過ぎた行動である。この様な話は以前からあったが、それまでは勝手な奴が勝手に言っているだけだったのだが、今回は中国共産党機関紙というオフィシャルな所が言い出したので話題になった。
実は昨日、今週のAERAを読んだ時に、その中のコラムで姜尚中氏がこの沖縄独立の話題を取り上げていた。彼は別に積極的に沖縄の独立を薦めている訳ではないが、ニュアンス的には本土の人達が「そんな馬鹿な!」と思うのを、「いやいや、そうではないかも知れないよ!」という感じで「思いを改めるべき?」とでも言いたげな感じだった。この馬鹿げた議論に関しては、実は社民党の(こともあろうに)国対委員長の照屋寛徳衆院議員が積極的に「沖縄は独立した方がいい」と主張している。
産経ニュース2013年5月15日「社民・照屋議員『沖縄は独立した方がいい』中国紙に同調、県民からは危惧の声」
この沖縄選出の議員の行動は度を越していて、県民からは総スカンを食っているようだが、総スカンを食えばそれで良いという訳ではない。明らかに中国の思うつぼである。スイスの民間防衛の議論ではないが、敵は敵国の国内に同調者を育てることにより、自国に有利な議論を展開しようとする。この照屋氏は、国会議員の中に少なからず存在する、右や左に寄り過ぎた暴論を吐き国益を害する議員の一人であり、如何にも社民党らしいとも感じるのであるが、しかしAERAの姜尚中氏は(元々思想的に国益を害する発言が多く見られた人ではあるかもしれないが)一般的な人の感覚では「結構、まともな人」という認識なのだと思う。その人が、「沖縄の独立を真面目に意識してみては?」と語りかけると、勘違いする人々は「えっ、中国側の言い分にもある程度の理があるの?」と思ってしまうかも知れない。まさに、民間防衛の悪い見本を示したような話である。
今回の沖縄独立の話は、完全な酒飲み話でしかなく、沖縄の気持ちがここまで踏みにじられるなら、「いっそのこと、独立したろか!」と酔った勢いでボヤく話程度の話を、真に受けてシラフの状態で受け狙いで語りだしてしまったという状況である。常識ある沖縄県民はその様なことを本気で思うはずはない。何故なら、日本からの独立が何を意味するかを熟知しているからである。
言うまでもないことだが、もし仮に沖縄が独立したら何が起きるか?まず、独立と同時に日米同盟による保護・管理下から外れることになる。沖縄の米軍基地はもちろん、自衛隊基地から海上保安庁などの日本国の管理下の機関は全て沖縄外に追いやられることになる。この丸腰の状態から自国(琉球王国?)の防衛力を整備しなければならないが、元々、これといった産業がなくて基地負担の見返りに公共事業などの経済的な優遇を受けていたくらいだから、日本から切り離されたら経済的にやっていける訳がない。自力で国防力を持とうとすれば、膨大な税金を投入せざるを得なくなり、国民が海外に逃げ出すのは目に見えている。それは流石に出来ないから、殆ど丸腰を維持することになる。だから、フィリピンやベトナム以上に危険な状態に置かれ、一瞬で尖閣が占領されると共に、沖縄本島近海にも中国漁船が大挙してやってきて、漁場などは殆ど中国に占領される。千年前に戻ったように、中国に朝貢外交をせざるを得なくなり、完全にアジアのパワーバランスが崩れる。言うまでもないが、この様な事態を沖縄県民は望むわけもなく、単なる酒飲み話でしかないことが分かる。
だから、この様な話が出てくるのは、既に冷静に議論が出来なくなっている人がいるからであるが、冷静な議論に引き戻すためには、全く同様の別の状況に置き換えて考えることが有効だろう。では、その同様の別の状況とは何か?例えると、こんな感じだろう。
例えば、福岡では暴力団と警察の対立が激しい。暴力団排除条例が施行され、一般市民も暴力団に毅然とした態度を取ることが義務化された。この条例により、凌ぎを削る暴力団の資金源を断つことを狙ったが、暴力団も死活問題だから違法な手段で一般人を恐喝し、この条例に従わない様に誘導しようとする。市民からすれば、警察に協力するから、少なくとも自分たちの身を守ってくれと言いたくなるところだが、現実には暴力団に危害を加えられる市民は後を絶たず、しかもその犯人すら捕まえられずにいる。常識的に、暴力団に対する毅然とした態度は自らを危機に陥れるリスクを伴うから、この犯人すら捕まえられない事実は丸腰で一人で暴力団と戦うことを強制されている様なものである。警察のことが信じられなくなるのは当然のごとく理解できるから、「やってられないぜ!」と言いたくなるのは当然である。だから、ついつい暴力団に金を渡してしまったり、便宜供与をする人が出てくることは責められないと同情してしまうが、しかし、彼らが「いっそのこと、博多の街から警察官を追い出してしまえば、俺たちはこんなに苦しむことはなかったはずだ!」と言って、警察官排除の市民運動を開始したらどう思うだろうか?気持ちは分かるが、誰もが、それは自殺行為だと分かるはずである。沖縄の独立運動とはそういう意味合いをもつものである。
姜尚中氏は軽い気持ちで書いたのかも知れないが、彼がもし軽い気持ちで博多で飲食店を経営している人々をイメージしながら「警察官を博多から追い出す話、結構、真実味を帯びてきたね!」と公言したら、多分、彼は橋下代表以上の一斉攻撃を受けるのではないだろうか?それは、沖縄県民に寄り添った気持ちを示すものではなく、中国の脅威をより強める 非常に危険な甘い罠なのである。その程度のことは気が付いて欲しいと思った次第である。
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実は昨日、今週のAERAを読んだ時に、その中のコラムで姜尚中氏がこの沖縄独立の話題を取り上げていた。彼は別に積極的に沖縄の独立を薦めている訳ではないが、ニュアンス的には本土の人達が「そんな馬鹿な!」と思うのを、「いやいや、そうではないかも知れないよ!」という感じで「思いを改めるべき?」とでも言いたげな感じだった。この馬鹿げた議論に関しては、実は社民党の(こともあろうに)国対委員長の照屋寛徳衆院議員が積極的に「沖縄は独立した方がいい」と主張している。
産経ニュース2013年5月15日「社民・照屋議員『沖縄は独立した方がいい』中国紙に同調、県民からは危惧の声」
この沖縄選出の議員の行動は度を越していて、県民からは総スカンを食っているようだが、総スカンを食えばそれで良いという訳ではない。明らかに中国の思うつぼである。スイスの民間防衛の議論ではないが、敵は敵国の国内に同調者を育てることにより、自国に有利な議論を展開しようとする。この照屋氏は、国会議員の中に少なからず存在する、右や左に寄り過ぎた暴論を吐き国益を害する議員の一人であり、如何にも社民党らしいとも感じるのであるが、しかしAERAの姜尚中氏は(元々思想的に国益を害する発言が多く見られた人ではあるかもしれないが)一般的な人の感覚では「結構、まともな人」という認識なのだと思う。その人が、「沖縄の独立を真面目に意識してみては?」と語りかけると、勘違いする人々は「えっ、中国側の言い分にもある程度の理があるの?」と思ってしまうかも知れない。まさに、民間防衛の悪い見本を示したような話である。
今回の沖縄独立の話は、完全な酒飲み話でしかなく、沖縄の気持ちがここまで踏みにじられるなら、「いっそのこと、独立したろか!」と酔った勢いでボヤく話程度の話を、真に受けてシラフの状態で受け狙いで語りだしてしまったという状況である。常識ある沖縄県民はその様なことを本気で思うはずはない。何故なら、日本からの独立が何を意味するかを熟知しているからである。
言うまでもないことだが、もし仮に沖縄が独立したら何が起きるか?まず、独立と同時に日米同盟による保護・管理下から外れることになる。沖縄の米軍基地はもちろん、自衛隊基地から海上保安庁などの日本国の管理下の機関は全て沖縄外に追いやられることになる。この丸腰の状態から自国(琉球王国?)の防衛力を整備しなければならないが、元々、これといった産業がなくて基地負担の見返りに公共事業などの経済的な優遇を受けていたくらいだから、日本から切り離されたら経済的にやっていける訳がない。自力で国防力を持とうとすれば、膨大な税金を投入せざるを得なくなり、国民が海外に逃げ出すのは目に見えている。それは流石に出来ないから、殆ど丸腰を維持することになる。だから、フィリピンやベトナム以上に危険な状態に置かれ、一瞬で尖閣が占領されると共に、沖縄本島近海にも中国漁船が大挙してやってきて、漁場などは殆ど中国に占領される。千年前に戻ったように、中国に朝貢外交をせざるを得なくなり、完全にアジアのパワーバランスが崩れる。言うまでもないが、この様な事態を沖縄県民は望むわけもなく、単なる酒飲み話でしかないことが分かる。
だから、この様な話が出てくるのは、既に冷静に議論が出来なくなっている人がいるからであるが、冷静な議論に引き戻すためには、全く同様の別の状況に置き換えて考えることが有効だろう。では、その同様の別の状況とは何か?例えると、こんな感じだろう。
例えば、福岡では暴力団と警察の対立が激しい。暴力団排除条例が施行され、一般市民も暴力団に毅然とした態度を取ることが義務化された。この条例により、凌ぎを削る暴力団の資金源を断つことを狙ったが、暴力団も死活問題だから違法な手段で一般人を恐喝し、この条例に従わない様に誘導しようとする。市民からすれば、警察に協力するから、少なくとも自分たちの身を守ってくれと言いたくなるところだが、現実には暴力団に危害を加えられる市民は後を絶たず、しかもその犯人すら捕まえられずにいる。常識的に、暴力団に対する毅然とした態度は自らを危機に陥れるリスクを伴うから、この犯人すら捕まえられない事実は丸腰で一人で暴力団と戦うことを強制されている様なものである。警察のことが信じられなくなるのは当然のごとく理解できるから、「やってられないぜ!」と言いたくなるのは当然である。だから、ついつい暴力団に金を渡してしまったり、便宜供与をする人が出てくることは責められないと同情してしまうが、しかし、彼らが「いっそのこと、博多の街から警察官を追い出してしまえば、俺たちはこんなに苦しむことはなかったはずだ!」と言って、警察官排除の市民運動を開始したらどう思うだろうか?気持ちは分かるが、誰もが、それは自殺行為だと分かるはずである。沖縄の独立運動とはそういう意味合いをもつものである。
姜尚中氏は軽い気持ちで書いたのかも知れないが、彼がもし軽い気持ちで博多で飲食店を経営している人々をイメージしながら「警察官を博多から追い出す話、結構、真実味を帯びてきたね!」と公言したら、多分、彼は橋下代表以上の一斉攻撃を受けるのではないだろうか?それは、沖縄県民に寄り添った気持ちを示すものではなく、中国の脅威をより強める 非常に危険な甘い罠なのである。その程度のことは気が付いて欲しいと思った次第である。
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