けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

中国の甘い罠にハマった!(姜尚中氏のAERAのコラム)

2013-05-31 23:58:56 | 政治
大分前の話題だが、5月8日に中国共産党機関紙の人民日報が、日本の敗戦により「(日本による)琉球の領有権」は消滅したと主張し、今こそ沖縄の「領有権」問題を議論すべきだと訴える論文を掲載した。その後も沖縄の独立勢力を育成すべきだと主張し、完全に図に乗り過ぎた行動である。この様な話は以前からあったが、それまでは勝手な奴が勝手に言っているだけだったのだが、今回は中国共産党機関紙というオフィシャルな所が言い出したので話題になった。

実は昨日、今週のAERAを読んだ時に、その中のコラムで姜尚中氏がこの沖縄独立の話題を取り上げていた。彼は別に積極的に沖縄の独立を薦めている訳ではないが、ニュアンス的には本土の人達が「そんな馬鹿な!」と思うのを、「いやいや、そうではないかも知れないよ!」という感じで「思いを改めるべき?」とでも言いたげな感じだった。この馬鹿げた議論に関しては、実は社民党の(こともあろうに)国対委員長の照屋寛徳衆院議員が積極的に「沖縄は独立した方がいい」と主張している。

産経ニュース2013年5月15日「社民・照屋議員『沖縄は独立した方がいい』中国紙に同調、県民からは危惧の声

この沖縄選出の議員の行動は度を越していて、県民からは総スカンを食っているようだが、総スカンを食えばそれで良いという訳ではない。明らかに中国の思うつぼである。スイスの民間防衛の議論ではないが、敵は敵国の国内に同調者を育てることにより、自国に有利な議論を展開しようとする。この照屋氏は、国会議員の中に少なからず存在する、右や左に寄り過ぎた暴論を吐き国益を害する議員の一人であり、如何にも社民党らしいとも感じるのであるが、しかしAERAの姜尚中氏は(元々思想的に国益を害する発言が多く見られた人ではあるかもしれないが)一般的な人の感覚では「結構、まともな人」という認識なのだと思う。その人が、「沖縄の独立を真面目に意識してみては?」と語りかけると、勘違いする人々は「えっ、中国側の言い分にもある程度の理があるの?」と思ってしまうかも知れない。まさに、民間防衛の悪い見本を示したような話である。

今回の沖縄独立の話は、完全な酒飲み話でしかなく、沖縄の気持ちがここまで踏みにじられるなら、「いっそのこと、独立したろか!」と酔った勢いでボヤく話程度の話を、真に受けてシラフの状態で受け狙いで語りだしてしまったという状況である。常識ある沖縄県民はその様なことを本気で思うはずはない。何故なら、日本からの独立が何を意味するかを熟知しているからである。

言うまでもないことだが、もし仮に沖縄が独立したら何が起きるか?まず、独立と同時に日米同盟による保護・管理下から外れることになる。沖縄の米軍基地はもちろん、自衛隊基地から海上保安庁などの日本国の管理下の機関は全て沖縄外に追いやられることになる。この丸腰の状態から自国(琉球王国?)の防衛力を整備しなければならないが、元々、これといった産業がなくて基地負担の見返りに公共事業などの経済的な優遇を受けていたくらいだから、日本から切り離されたら経済的にやっていける訳がない。自力で国防力を持とうとすれば、膨大な税金を投入せざるを得なくなり、国民が海外に逃げ出すのは目に見えている。それは流石に出来ないから、殆ど丸腰を維持することになる。だから、フィリピンやベトナム以上に危険な状態に置かれ、一瞬で尖閣が占領されると共に、沖縄本島近海にも中国漁船が大挙してやってきて、漁場などは殆ど中国に占領される。千年前に戻ったように、中国に朝貢外交をせざるを得なくなり、完全にアジアのパワーバランスが崩れる。言うまでもないが、この様な事態を沖縄県民は望むわけもなく、単なる酒飲み話でしかないことが分かる。

だから、この様な話が出てくるのは、既に冷静に議論が出来なくなっている人がいるからであるが、冷静な議論に引き戻すためには、全く同様の別の状況に置き換えて考えることが有効だろう。では、その同様の別の状況とは何か?例えると、こんな感じだろう。

例えば、福岡では暴力団と警察の対立が激しい。暴力団排除条例が施行され、一般市民も暴力団に毅然とした態度を取ることが義務化された。この条例により、凌ぎを削る暴力団の資金源を断つことを狙ったが、暴力団も死活問題だから違法な手段で一般人を恐喝し、この条例に従わない様に誘導しようとする。市民からすれば、警察に協力するから、少なくとも自分たちの身を守ってくれと言いたくなるところだが、現実には暴力団に危害を加えられる市民は後を絶たず、しかもその犯人すら捕まえられずにいる。常識的に、暴力団に対する毅然とした態度は自らを危機に陥れるリスクを伴うから、この犯人すら捕まえられない事実は丸腰で一人で暴力団と戦うことを強制されている様なものである。警察のことが信じられなくなるのは当然のごとく理解できるから、「やってられないぜ!」と言いたくなるのは当然である。だから、ついつい暴力団に金を渡してしまったり、便宜供与をする人が出てくることは責められないと同情してしまうが、しかし、彼らが「いっそのこと、博多の街から警察官を追い出してしまえば、俺たちはこんなに苦しむことはなかったはずだ!」と言って、警察官排除の市民運動を開始したらどう思うだろうか?気持ちは分かるが、誰もが、それは自殺行為だと分かるはずである。沖縄の独立運動とはそういう意味合いをもつものである。

姜尚中氏は軽い気持ちで書いたのかも知れないが、彼がもし軽い気持ちで博多で飲食店を経営している人々をイメージしながら「警察官を博多から追い出す話、結構、真実味を帯びてきたね!」と公言したら、多分、彼は橋下代表以上の一斉攻撃を受けるのではないだろうか?それは、沖縄県民に寄り添った気持ちを示すものではなく、中国の脅威をより強める 非常に危険な甘い罠なのである。その程度のことは気が付いて欲しいと思った次第である。

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公式見解/発表の重みを理解しているのか?

2013-05-30 23:58:32 | 政治
今日は橋下大阪市長の問責決議秘訣という変なニュースで湧いていたが、全く持って頭をかしげたくなる事態だ。

国会では、解散がある衆議院と解散がない参議院という背景から、意思表示としては同じ意味ながら別の条文で規定される「問責」と「不信任」というふたつの制度がある。そして衆院も参院も、その一方のみしか選択肢はない。大阪で法律がどうなっているのか詳細は知らないが、国会の様な背景とは全然関係なく、大阪市議会には何故かその二つが選択肢としてあり、状況に応じて使い分けられるという制度になっているという。

橋下市長のこれまでの慰安婦発言を受けて、明らかに大阪市議会の維新の会以外の党の議員達は、ここぞとばかりに市長の辞職を求める発言を連呼していた。それは例えて言えば、報道陣に焚き付けられて頭に血が上って少々過激な発言をしたり、ツイッターなどで猛烈に相手を非難するなどのようなもので、穏やかな口調で「おいおい、橋下さん、もう少し冷静になった方が良いですよ!」というものではなく、「おいこら、橋下!即刻、辞任せんかぁ~!」という口調であったことは皆が良く知っている。

橋下市長の海外特派員協会での記者会見で事前に配ったペーパーには、それだけを見れば本来は突っ込みどころなどない内容であるのだが、その前に頭に血が上って発言した過激な言葉を引き合いに出し、「お前はそんなこと言ってるけど、実際は違うんだろ!」、「心の底では女性を道具程度にしか見てないんだろ!」と責め続けた。つまり、幾ら綺麗ごとを言っても、その前後の脈略から本音と建前が透けて見えるなら、それは本音を優先して評価されて文句は言えないはず・・・、というロジックが背景にある。これには少し異論があるので後で述べるが、ここでは話を先に進めさせて頂き、国民や市民が何を今回の問責の件で感じたかを代弁させて頂けば、「きっと市議会は、問責が可決すればその後の市議会の中で、橋下市長の足をこれまで以上に引っ張る武器として、『問責が可決されたのだから、もはや民意はあなたにない』と利用する」のだろうと思っている。決して、「問責は可決したけど、これからも橋下市長とは、是々非々で議論を戦わせて頂きますよ!」なんて思っていると信じている大阪市民はいない。であれば、建前上はどの様なロジックがあっても、市民ないしは橋下市長側から見れば、一気に拳銃でトドメを刺しに来るのか、ナイフで刺して出血多量で死に至ることを狙うのかの違い程度でしかないだろう。勿論、自民党大阪市議団などはそんなことを認めないだろうが、私に言わせれば「橋下市長が勘違いした!」と言うなら、彼らはその勘違いを正す選択肢を持っていたはずなので、その選択肢を使えば良かったのだと思っている。

ではその選択肢とは何か?これが先ほど「異論」と書いた部分に関係するのであるが、もし自民党大阪市議団などが「橋下市長は勘違いしている!逆切れだ!」と非難するなら、オフィシャルな声明を出して、「今回の問責は、法的拘束力がある不信任とは異なり、単に『最近の言動は市政に影響が出かねないので、今後は気を付けてください。』という程度のものです。問責が可決しても、決してそれを理由に審議拒否したり、足を引っ張ろうとはしません。決して辞職を求めるものなどではありませんよ!」と宣言すれば良いのである。つまり、それまでの自分たちの行動から、大阪市民の人達が肌で感じていたであろう自分たちの本音を、オフィシャルに否定すれば良いのである。

変な話であるが、政治というものは、ある種、妥協を何処で行うかを見極めるセンスの競い合いの様なものである。仮に与党が圧倒的多数をもっていても、それが横暴の様に映っては次の選挙でボロ負けしてしまうから、何処かで野党の主張を取り込むなどの妥協をしなければならない。時として、それは私的な意見や信念に外れるものかも知れない。しかし、政治のためにその決断をしたということは、結果が問われる政治の世界では重要であったりする。だから、心の奥底の本音を封殺して、妥協した内容を公式な見解として発表したならば、それが彼の今後の行動を縛ることと引き換えに、その妥協の公式見解をもとにその人の評価を行うのが筋ではないかと考える。

例えば、小泉元総理と第1次安倍内閣の時の安倍元総理を比較すれば、明らかに思想・心情的には当時の安倍元総理はタカ派で、比較的常識派の小泉元総理の方が中国からは評価されてしかるべき人物である。しかし、当時の中国政府がどう判断したかと言えば、就任前の言動からは明らかにタカ派で許せない存在のはずの安倍元総理を厚遇し、小泉元総理はケチョンケチョンに冷遇したのである。これが良いかどうかも議論があるべきだが、ビジネスライクな判断をすれば、大々的に行われる曖昧さの排除された公式な見解ないしは実際の行動(第1次安倍内閣で総理は靖国を参拝しなかった)は、その他の勢いで言った微妙な発言よりも、何倍も尊重されてしかるべきである。勿論、「女性の人権を尊重する」とか言いながら、裏では買春をしていたとか行動が「人権を尊重していない」と証拠が示された場合は値致命的な意味を持つが、その様な証拠がなければ、将来の自分の行動を制限することになるであろう公式発言、公式見解は、その他のどちらにも取れかねない曖昧な発言よりも尊重されてしかるべきである。

だから今回、自民党大阪市議団などが早い段階で「問責は、審議拒否や辞任要求とは全く意味が違う」と宣言すれば、流れは少しは違っていたのかも知れない。しかし、その様な公式見解を発しなかったことからも、本音は審議拒否のための錦の御旗に利用することが目的であることが明らかになってしまった。だから、本音が審議拒否や辞任要求が目的なら、いっそのこと素直に「不信任」のカードを切ればいいのに、そうではないからくだらない損得勘定で政局を作ろうとしているのだとバレバレになってしまうのである。

今回の件でも明らかになったように、政治家というのは自分のその後の選択肢をフリーハンドにしたいがために、玉虫色の状態で曖昧にすることを好む傾向にある。しかし、常識的に見て、それが良い世界をもたらすとは到底思えない。尖閣の棚上げ論も、明らかに小平は中国の立場が弱い時の解決を先送りし、相対的に立場が逆転したところでの解決を志向したのである。河野談話も、どちらとも取れる表現を利用して玉虫色の解決を図ろうとして、結局、あの当時よりも事態は後々深刻になるのである。だから、(当時の小平がとったように)外交上など戦略的に曖昧にした方が国益に叶う場合もあり得ると例外を認めた上で、(特に政局がらみなどでは)一般論としては公式な見解を明確にして曖昧さを排除しようとする(橋下市長の様な)行動はもっと評価されるべきであると考える。

政治評論家は、狐と狸の馬鹿し合い的に面白おかしく報道するが、もう少し前向きな部分も評価しても良いのだと思うのだが・・・。

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ジャーナリズムと国益との対立というタブー

2013-05-29 23:50:54 | 政治
今日は少しタブーともいうべきテーマについて考えてみたい。ジャーナリズムと国益との対立の議論である。

一昨日のTVタックルでも橋下発言の是非が議論されていたが、その中で出演者のアメリカ人、ジェームス・スキナー氏の発言はある種の象徴的な物だったと思う。日本の報道そのものであるが、橋下代表の「日本は明らかに過ちを犯した。反省し、謝罪しなければならない。しかし、今現在も絶えない軍による女性の人権侵害を変えるために、各国も過去の汚点を直視しなければならない」というニュアンスの発言に対し、彼は「他の人もやれば、自分がやっても許されるのか!」と非難した。ここまでは普通のやり取りである。そこで、出演者が「だから、そんな言い訳では許されない、謝罪すると橋下代表は認めているだろう。それはそれとして、じゃあ、アメリカがベトナムや朝鮮戦争、占領下の日本でやってきたことはなんなんだ!」と詰め寄ると、「私は、アメリカは良くなかったと認めている。だから、その話はそれでいいじゃないか!いま議論しているのは橋下市長の詭弁だ!」というキリ返しが返ってくる。その論理が通るなら、「だから、橋下代表は慰安婦を利用した日本軍は悪かったと謝っているじゃないか!もう、それでいいじゃないか!」という主張が通ってもおかしくないのだが、当然、そんなことで許してくれるはずがない。

何を言いたいのかといえば、外国の人々は、明らかに他国が悪意をもって自国を攻撃するかもしれない案件に対しては、国益の視点から時刻を非難する発言が控え目になるという点である。これは別の見方をすれば「単に自分に甘いだけ」ということになるのだが、しかし日本のジャーナリストや報道姿勢はそうではない。「俺は自分(自国)にも厳しいぜ!」とばかりに、これ見よがしに日本政府や日本の権力者に食って掛かる。別にこれ自体は間違っていないのであるが、バランスの問題なのである。自国に厳しければ他国にも同様に厳しければ良いのだが、他国には滅法、寛容なのである。例えば韓国のマスコミは、中央日報に「原爆は神の懲罰」と記載したことに対し、原爆では広島在住の韓国人が多数犠牲になりながらも、中央日報の滅茶苦茶な論調に異を唱えたりはしない。そこで日本の非難に同調すれば、敵(日本)に塩を送ることになるからだ。一方で橋下発言に対しては滅茶苦茶に非難する。これは別に韓国、中国だけでなく、他国のマスコミも厳しい態度を取っていた。外国特派員協会での会見で、丁寧に英文のペーパーまで出しておきながら、そこに書かれた公式見解を引用せず、売り言葉に買い言葉的に報道陣が橋下代表を逆上させる様な質問をした中で引きだした微妙な表現を引用したまま、ケチョンケチョンに非難する。他国の国益が損なわれることは、基本的に自国にとってはプラスかプラマイゼロかのどちらかだから、当然厳しく対処する。一方で日本のマスコミはどうかと言えば、「原爆は神の懲罰」発言についても、産経新聞を除けばあまり積極的に非難しようという雰囲気がなかった。報道ステーションなどは、問題が発覚して菅官房長官が非難したその日にはスルーしていたと思う。中国の人権問題にしても、ひとつのニュースとしては話題にしても、だからそれを是正させるために声高に叫んだりはしない。海外や国内でそれが大々的な話題となれば、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」的に声高に叫ぶことはあるが、基本的には内政不干渉的な何かがあるようである。

しかし、ジャーナリズムの何たるかを考えれば、海外であれば悪いことをしても許されるなんて議論にはなりえず、常に是々非々で臨まなければならない。大体、「俺は自分(自国)にも厳しいぜ!」ということ自体が誤りで、自国ではあるが自分とは一線を画する他人(日本政府や権力者)の話であり、あくまでも他人に対して厳しいというだけである。例えば、新聞社やテレビ局で自社に問題が発覚したときに、極力、その問題には触れないようにするのが日本の報道の在り方である。反吐が出るくらいに自分に超甘で他人には厳しいのである。これは他国でも同じかも知れないが・・・。

だから、「自国の国益に反することは、いけないことでも報道の手を抜け!」と決して言ったりはしないが、この様な自国に厳しいスタンスを貫くなら、せめて他国に対しても同様に厳しいスタンスを貫いて頂きたいと思う。そして、単純に国益を害する行為だけに手を染めないで頂きたい。

そして、この様に書きながら、今回の橋下騒動で学んだことが一つある。それは、正論を言えば、世界なら分かってもらえるという幻想を抱いていたが、海外のマスコミは、日本のマスコミと異なり自国の国益というものを意識した報道を行うものであり、非難の矛先が自国に向かおうとする際には、水際でそれを防ごうとする自己防衛反応があるということである。これはマスコミに限った話ではない。韓国や中国のロビー活動は、非常に効率的な戦略を行っている。つまり、ロビー活動でアメリカ政府の足を引っ張りアメリカの国益に反するようなことを行おうとしても、それに賛同する米国議会議員や活動を代わりに代行するコンサルタントは見つからない。しかし、アメリカの国益には殆ど影響を与えないところでは、第3国の国益を損ねたとしても自分が何らかの見返りを得ることが出来るならば、金で動く人は多くいる。多分、今回の一件で、橋下代表の一番の主張である強制連行の有無をフェアな立場で議論してくれる人をアメリカ国内に求めても、それがブーメランのように朝鮮戦争やベトナム戦争などでの米軍の闇の部分を暴くリスクがあれば、中々、真面目には話を聞いてくれないだろう。だから、私は極めて不満ではあるが、キヤノングローバル戦略研究所の宮家邦彦氏の主張するように、日本軍の強制連行の有無を議論するのはリスクがあり、日本がこれまでに行ってきた謝罪の数々や、アジア女性基金での償い、これに伴う歴代首相の手紙の数々を紹介すると共に、日本が戦後の歴史の中で如何に韓国、中国のために尽くしてきたかをアピールする方が筋が良いのかも知れない。

これは、「臭いものには蓋」的な議論の勝利を意味するようで極めて不愉快だが、これまた「正論」と「国益」の対立の問題に帰着されるのかも知れない。戦後教育を受けたものとしては、「国益=悪」の様なイメージを植え付けられているが、(他国が性善説に立つならそれも真実かもしれないが)他国が性悪説に立つことを前提とすれば、「国益」を是々非々で考えなければみすみす敵の罠に飛び込むことになる。

あくまでも国内的に閉じた話題ならあまり気にならないが、これだけ悪意に満ちた隣国が暴れだしている現状では、国際問題に絡む案件にはジャーナリズムの中で国益をどの様に考えるべきかを、そろそろ真面目に考える岐路に立っているのかも知れない。

こんなことをこれまでは考えたくなかったし、ちょっと前までは、こんな話をすること自体が「暴論」だと思っていた。しかし、現実は少し先を行っている様な気がする。悲しいことだが・・・。

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相手が理屈を捏ねてくれるなら勝算がある!

2013-05-28 23:55:03 | 政治
「またか!」という感想だが、中国の李克強首相は一昨日ドイツ訪問中のポツダムで演説し、「(尖閣諸島を)日本が盗み取った」と主張し、「世界平和を愛する人々は、第二次大戦の勝利の成果を破壊したり否定したりしてはいけない」と述べたという。これを受けて菅官房長官は、「あまりにも歴史を無視した発言だ。尖閣諸島を巡る中国独自の主張に基づくものであるとすれば、受け入れられない」と中国を非難したが、これに中国外務省が再反論し、ポツダム宣言、カイロ宣言を引き合いに「日本は常識を欠いた言動をしないでほしい」と非難し返した。類似の発言は過去にも何度もあるが、最近の中国・韓国の歴史問題攻撃がますます先鋭化しているという象徴的な事件である。今日は、この問題に対してコメントしたい。

さて、この手の問題への対処法には共通の処方箋がある。それは過去のブログ、「次のキーワードは『法の下の支配』」でTPPについて書かせて頂いたように、キーワードは「法の下の支配」である。

まず、現在、韓国と日本の間には竹島という領土問題の紛争地が存在する。この紛争地という表現は、実効支配をしている側からすれば拒否するのが定石であり、係争地であることを認めれば自らの立場として譲歩したことになる。だから、自ら進んで係争地と認めることは常識的にはしない。しかし、問題を解決させようという気持ちがあるのであれば、これまた常識的には裁判で決着を付けるか、軍事力ないしは経済力でねじ伏せるかの、ふたつの選択肢しかない。前者を選択する場合、これが国際紛争であれば国際司法裁判所に提訴するのが筋だろう。日本は韓国に対して、竹島問題を国際司法裁判所に提訴することを狙っているが、多分、(政治的な思惑・下心がないという条件下では)中国、韓国を除けば世界中のあらゆる国家が裁判で決着を付けることを支持してくれるだろう。韓国が歴史問題を主張したいなら、この国際司法裁判所の裁判の中で歴史問題を主張すれば良い。

慰安婦問題も同様で、日本からの国家賠償を求める韓国であるが、日本側の主張は日韓基本条約の第2条に「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」とあり、これを根拠に国家としての賠償を拒否している。これはもっともなことで、交通事故の示談をした後で、「示談時には痛くなかったが、後で腰も痛くなってきたので、追加でもっと金をくれ!」と言われて素直に払うことは自殺行為である。だから、この様に言われたら誰もが裁判に訴えるのである。だから、請求している側が韓国なのだから、韓国がそれに納得できなければ日韓基本条約の第3条に規定があるように第三国ないしは第三者機関への仲裁を求めれば良いのだが、これまた第3条を理由に「外交上の経路を通じて解決する」と主張し、第三者機関の関与を拒否している。つまり、一方的に日本が譲歩することを要求しているのである。しかし、これまでも多くのケースでそうだったように、日本と韓国の主張ははっきり言ってかみ合うことはない。キリスト教徒とイスラム教徒が、「どちらの神の方が真実の神か?」を競い合っているように、前提として立つべき土俵が異なるのである。議論がかみ合わない以上、両者の合意で着地点を求めるのは不可能であり、次のステップに進むしかない。それは、やはり国際司法裁判所のようなところでの裁判に託すしか答えは得られない。なお、日韓基本条約では第3者として当事国の者を仲裁者に含めないこととしているから、例えば雅子妃殿下の父、小和田亘氏などが裁判員となることを排除しなければならないが、既に昨年、裁判所長は退任しているから、この辺の問題は回避されるだろう。もし不服なら、完全に小和田氏が裁判官すら退任してからでも良いだろう。韓国にしても、国際社会で生きていく以上、何処かで国際司法裁判所は利用せざるを得ないから、自分に都合の良い時だけ利用し、自分が都合が悪いと利用しないというのは無責任国家の烙印を押されることになる。

これを中国に当てはめればどうだろうか?日本は自ら進んで尖閣問題を国際司法裁判所に提訴する必要はないし、その様なことをしてはいけない。しかし、世界に対して以下の様に情報発信することは有益なはずだ。

「我々は民主主義国家として、法の支配を支持する。我々日本の施政下にあることが明らかである尖閣に対し、その状況に異を唱えたいなら、どうぞ、国際司法裁判所に提訴して下さい。我々は逃げも隠れもしない。提訴されたら、裁判で正々堂々と戦う。」

つまり、「日本が尖閣を盗んだ!」と言うなら、「それを国際司法裁判所に訴えるのが筋じゃないですか?訴えもしないで、そこら中で日本を貶めるような発言をするのはフェアじゃないですよ!」と、地道に訴えれば良い。

幸いにも、中国は今回、ポツダム宣言、カイロ宣言などの根拠を口にしている。つまり、「ちゃんと根拠があるんだよ!」というスタンスを取っている。カイロ宣言など引き合いに出すと説得力がありそうな気になるが、要は日清戦争の終結前の1995年の尖閣の沖縄編入の妥当性と、その後に日本の支配下に安定的に置かれていたことが確認できればカイロ宣言の対象とする「第一次世界大戦により占領した太平洋の全島」、「日本が中国領土から奪った領土」などには該当しないから、カイロ宣言が切り札となるようなことにはならない。しかし、良く知らない中国国民は裁判でも勝てると確信するだろうから、多分、その発言を聞いて中国国内に「日本を訴えろ!」という声が沸きあがることが予想される。ないしは逆に、裁判では勝ち目がない!という情報が中国国内に漏れ伝わってもそれでも良い。どちらにしても、理屈での物事を考えるようになってくれれば、「法の下の支配」の土俵にて議論が可能になるのである。

ジャイアンの様に、理屈もへったくれもなく、一方的に「俺の物!」と言われると返す言葉がないが、理屈を捏ねるなら「法の下の支配」を合言葉にフェアな戦いを進めることができる。これは日本の望むところであり、決して悪い話ではない。相手が橋下発言で調子づいて隙を見せている今がチャンスなのである。

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同じニュースが異なって伝えられる不思議

2013-05-27 23:58:20 | 政治
本日、橋下代表が日本外国特派員協会の記者会見に臨み、米軍に風俗を活用すべきと提言した部分に対して謝罪すると共に、これまでの彼の主張を繰り返した。日本でも報道されているが、各マスコミはこの記者会見が今後どのような方向に展開されて行くかを模様眺めしている感じで、特に何らかの反応を示してはいない。今日はこの辺の事情についてコメントしたい。

実は夕方、海外でこの辺の報道がどの様になされているのだろうかと思い検索をかけた。時差的な問題でその時点では海外の報道はReuters(ロイター)のものしか見つからなかった。ちなみにロイターは日本語版も提供されているので下記の二つの記事を見比べてほしい。

Reuters 2013年5月27日「Japan's Mayor Hashimoto denies he meant to excuse wartime brothels
ロイター 2013年5月27日「橋下氏「慰安婦を正当化する意図ない」、風俗活用発言は撤回

英文を読むまでもなく、単純に見比べれば気が付く点があるだろう。文章量の違いである。また、どうも新聞の英語というのは論文などの英語と異なり読み難いところがあり、全体を理解して言っている訳ではないが、英語版の方をさっと目を通した感じでは、淡々と橋下代表の説明を紹介している感じがある。細かな所ではどうか知らないが、大勢としてはそこにはあまり色眼鏡のようなものが感じられない。一方、日本語版の方はどうだろうか?非常に短い記事の中で、細かなニュアンスを全てそぎ落として結論だけ書けば、弁解を繰り返したというニュアンスの記事になる。そこには既に橋下代表の真意は含まれておらず、中途半端に誤ったふりをしただけ・・・というニュアンスが垣間見れる。

ところで、この記者会見に先立ち、「私の認識と見解」というペーパーを出している。この全文は、例えば下記のサイトで見ることが出来る。

毎日新聞2013年5月27日「橋下徹氏:『私の認識と見解』日本語版全文

先ほどのロイターの記事はこの内容に沿って、今日の記者会見の報告を伝えている。非常にフェアな対応と思った。しかし、日本版の記事などはこのご丁寧な「私の認識と見解」などは読み込んでいないようで、これまでの報道内容をベースに紹介をしている。報道ステーションでも今日の記者会見の後の世界各国の記者のコメントを紹介していたが、これが全てかどうかわからないが、事前の「私の認識と見解」や今日の会見内容などを本当に反映しているのか疑わしいものばかりだった。

ちなみに、先ほど記事の検索を行った中では、CNNの記事が引っかかった。

CNN2013年5月27日「Japanese mayor apologizes to U.S. over sex industry suggestion

しかし、驚くことにこの記事は事前の「私の認識と見解」と真逆のことを書いている。例えば、橋下代表が沖縄で風俗の利用を提言したことに謝罪したことを伝える記述に続き、下記の記述を行っている。

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But he didn't back down over comments he made about the Japanese military's use of forced prostitution during World War II.(しかし彼は、第二次世界大戦中の日本軍による強制された売春婦の使用に関する彼のこれまでの発言を撤回することはなかった。)
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これは確かに事実を伝えているが、橋下代表は「日本軍による強制された売春婦の使用」を示す証拠が未だに見つかっていないという事実を撤回していないのであって、慰安婦の女性に多大な苦痛を与え非人道的なことを行っていたことに対して弁解の余地がない、謝罪すると発言し続けている。この意味でも、日本軍の非を認めている点も「撤回していない」ので、明らかに事実を伝えてはいるが、決して真実を伝えてはいない。さらにこの分に続く文章は次の通りである。

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Japanese politician calls wartime sex slaves 'necessary'(日本の政治家が、戦時中の性奴隷の必要性を声高に叫んでいる)
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実はこれは、この日の会見や「私の認識と見解」ではなく、過去の記事の引用なのであるが、今日の記者会見の紹介の脈絡の中で、明らかに過去の記事を書いた時の思い込みをそのまま引用し、今日の記者会見との整合性など確認せずにそのまま発表した形である。なお、このサイトでは映像が埋め込まれているのだが、それは今日の記者会見の映像ではなく、多分、1週間以上前の映像で、そのタイトルは「Mayor: ‘Confort women’ were necessary」である。当初は誤報を受けてのニュースなのだろうが、これだけ英文でのご丁寧なペーパーまでもらってこの報道である。

「何処の誰が言うてんねん!」と突っ込みを入れたくなるようなボケなのだが、それを平気でやっている。ちなみに、この記事を誰が書いたのか調べてみると笑ってしまう。

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CNN's Yoko Wakatsuki reported from Tokyo, and Jethro Mullen reported and wrote from Hong Kong.
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なんだ、日本人と中国(香港)人じゃないか・・・。つまり、橋下代表に失脚して欲しい人たちが、悪意を込めて情報をミスリードしようとしているのだ。これでは誤報は訂正されない。

中国や韓国が情報を捻じ曲げるのは分かるが、日本人が捻じ曲げるというのは困ったものである。例えば「日本が慰安婦を利用したのは決して許されることではない。しかし、アメリカや韓国も同様の経験がある。女性の人権を守るためには、世界各国が過去を直視しなければならない!」と橋下代表が説明すると、「他国がやれば許されるのか!」というステレオタイプの反論が返ってくる。しかし、この文脈の中で「許されない!」と宣言しているのにこの様な返事が返ってくるということは、「絶対こいつは、『他国がやれば日本も許されはず!』と確信しているに違いない!」と思い込んでいることになる。この思い込み、レッテル張りが諸悪の根源なのである。

話は変わるが、例えばある小学校でイジメがあり、その苛めっ子と先生との間で次の二つのケースで会話がなされたとする。その時、あなたはどう思うだろうか?

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【ケース1】
先生「お前のやったイジメは悪いことだ!」
生徒「だって俺だけじゃないよ!○○君だって同じことをしてるじゃないか!」
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【ケース2】
先生「お前のやったイジメは悪いことだ!」
生徒「わかりました。反省します。反省して××君に謝罪します。ただ、○○君も僕と同じ様にイジメをしてるよ!××君を助けるためには、僕だけじゃなくて○○君にも『それはいけないことだよ』と伝えてあげて下さい。」
=====================================

このケースで、(1)の場合には誰でも「うるさい、ごちゃごちゃ言うな!素直に罪を認めろ!」と返すだろう。しかし、(2)の場合にも同様に「うるさい!」と言って○○君に対して何も対処せずに放置して良いのだろうか?似たような言い分かもしれないが、ケース2は結構、筋が通っているのである。報道の立場にある者は、是々非々で物事に当たらなければならないが、残念ながらそうはなっていないのである。

ただ、ロイターがそうであったように、正確に内容を把握して報道しようとする人々がいるのも事実だろう。であれば、「何か、おかしくない?」と思う人たちも(アジアにはいなくても)世界にはいるはずである。ひょっとしたら世界の方が議論をしやすいのかも知れない。日本の報道各社がそうであるように、もう少し模様眺めが必要なのかも知れない。

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削除されていない韓国版、英語版「原爆は神の懲罰」記事の意味すること

2013-05-26 11:44:10 | 政治
先日のブログ「神様は原爆など落とさない!」について、その後わかったことを今日は整理しておく。

まず、「原爆は神の懲罰」問題について、私の好きな「ぼやきくっくり」さんのページにも詳しい記載があり、そこから色々遡ってみた。まず、例の中央日報の記事は既に削除済みだが、「ぼやきくっくり」さんご指摘の様に中央日報の記事の魚拓が下記に残っている。

中央日報2013年5月20日(魚拓)「【時視各角】安倍、丸太の復讐を忘れたか(1)
中央日報2013年5月20日(魚拓)「【時視各角】安倍、丸太の復讐を忘れたか(2)

ここで、全文を読むことが出来る。ちなみに、日本版サイトでは削除されているが、韓国語版と英語版サイトでは堂々と掲載され続けている。

中央日報2013年5月20日(韓国語版)「【時視各角】安倍、丸太の復讐を忘れたか
中央日報(Korea JoongAng Daily)2013年5月20日(英語版)「Abe tempts God’s vengeance」

この二つの削除されない記事が存在するという事実が意味している背景には、非常に恐ろしいものがあると私は感じている。それは、我々日本人はこの記事を読んで、「流石に、常識的な精神を持った人であれば、こんな記事を読んで嫌悪感を持たない人はいないだろう!」と思うのだが、実際には韓国人にはウケが良いということを暗示している。さらには、英語版にもこれが掲載され続けるということは、欧米の韓国系住民もこの記事を読んで違和感を感じないということである。これらのサイトにはTwitterやFacebookのおすすめボタンがあるが、この「おすすめボタン」の数を見れば、韓国語版で279、英語版で653となっている。どうやら、違和感を感じないどころか共感を覚える人が結構いるということである。

また、原文を読んで思うことは、ここでの内容はこれまでの報道の通りであるが、これまでの報道の中には若干抜けた感じがあることのひとつが、「著者が強烈に『安倍、憎し!』という怨念でこの記事を書いている」ということである。英語のタイトルを見るとこの著者の気持ちがさらにダイレクトに伝わってくる。「Abe tempts God’s vengeance(安倍総理が『神の復讐』を誘惑する/安倍総理の最近の言動が、神が、さらに日本に復習をしてやろうという気持ちとなる誘惑をしている)」というタイトルは、文末の「彼の行動は彼の自由だ。だが、神にも自由がある。丸太の寃魂がまだ解けていなかったと、それで日本に対する懲罰が足りないと判断するのも神の自由だろう。」に直結する。文脈から「懲罰」とは「(神の意志による)原爆投下(ないしは原爆に匹敵する爆撃)」と分かるから、その様に読み替えると「日本に対する“原爆の投下”が足りないと判断するのも神の自由だろう」というのが著者の言いたいことである。そして、安倍総理が「神がその様な行動をしたくなる誘惑を導いた」という意味である。つまり、「なんなら、もう2、3発、原爆落したろか!」ということである。

最近は北朝鮮が核開発を行い、韓国世論は微妙な空気を帯びている。「韓国も核を持とう!」とか、「核を持った北朝鮮と半島統一すれば、韓国は濡れ手に粟で核を手に入れることが出来る」というニュアンスで、シンプルに「北朝鮮の非核化」には向かっていない。ドサクサに紛れて核を手に入れれば、対日本で優位に立てるという魂胆だ。一方で、そのドサクサで日本が核を持つことを非常に恐れている。韓国での核の保有のハードルに比べて、日本のハードルは1万倍ほど高いから、日本国内でも「核の議論はしても良いのでは」という形で、「隣国が核で日本を脅すなら、いつかは核を持ってしまうかも知れないよ!」と、実際には核を持たずにブラフを効かせる戦略が日本では一般的である。多分、(実際のところは知らないが)日本で最も右寄りの政治家との評価であろう石原代表ですら、実際に核を持つと日米同盟に影響があるから、原子力技術の維持により核開発の能力を保持しながら、(核の議論をすることでブラフを効かせ)実際には核を持たずに米軍の核の傘の下に入ることを志向している。石原代表ですら望まない核の保有を日本が選択する訳がない。しかし、韓国国民はいつの日か、日本と韓国が核で対峙する事態をある程度のリアリズムを持って肌で感じ、その時には確実に韓国が先に核を保持して優位に立つということを望んでいるということを、この記事は示しているのだと思う。だからこそ、ちゃんと韓国国民には指示さえるはずだと感じ、韓国版や英語版の記事の削除はないのである。

ちなみに、この「神の懲罰」の記事の根拠は非常に貧弱である。著者がこの記事を書くに至ったきっかけは、安倍総理が自衛隊の訓練機に搭乗したとき、その期待に書かれていた機体番号が731であったことを、「731部隊」の肯定と断定したからである。しかし、この様な記事を読むと当然ながら誰しも疑問に思うことがある。それは、その主張が正しいか間違っているかが判定できる簡単な方法があり、その方法をその記者が確認したのかという疑問である。簡単な方法というのは、その訓練機の機体番号が不自然に意図的に仕組まれた731という番号であったのか、それとも偶然にその番号になったのか?を確認することである。常識的に考えれば、この手の練習機には通し番号が付けられているだろう。車のナンバープレートと同じようなものだから、連番でつけて行けば何処かで731番に辿り着く。その番号が連番で与えられたものならば、当然のごとく「偶然」と断定できるし、ひとつだけ不自然につけられたものであれば「必然」的な意図が裏にあることになる。ネット上で調べてみると、この問題の答えを見つけることが出来、答えはこの自衛隊基地には他にも720番、725番~730番の機体番号の訓練機が存在している。その次の番号が731番だから、そこに731号機が存在するのは作為など、変な意図がそこに入り込む余地はない。日本人は誰もが「おいおい、そう来るか!」と思ったはずだから、これは客観的にみれば「偶然性が高い」という証拠だと考えられる。常識的に考えれば、この様なケースではカメラ映りの良い最も整備された綺麗な機体を報道用に使うだろうし、安倍総理がご指名でその機体まで選ぶとは考えられない。そこまで暇ではない。だから、この記事の背景にはこの記者の妄想が根底にあり、その妄想に原爆の被害者の苦しみや悲しみは踏みにじられたのである。

この様に考えると、この問題は少なくとも「社としての意見ではない」とか、「多くの韓国民がどの様に考えている訳ではない」とかの弁解で許してはいけない。もっと議論することで理解を高める努力をすべきである。今回の件、橋下発言などは、そのためには良い機会である。

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裏で糸を引く人と、その手の届かないところ

2013-05-24 23:54:49 | 政治
今日、当初予定されていた橋下大阪市長と元慰安婦との面会がドタキャンになった。何となく、予期されていたような感じで非常に嫌な気持ちになった。今日はその辺をコメントしたい。

まず、キャンセルの理由には二つあり、ひとつは「橋下代表の妄言で胸が引き裂かれそう。もう疲れた・・・。」というもの、もう一つは「橋下代表が土下座をする謝罪パフォーマンスを計画している」と新聞記者から聞いたからと言われている。しかし、巷で囁かれている噂の中で最も説得力ある説明は、「この面会で、橋下代表の評価が復活し、復権することを嫌ったから」というものである。いろいろ探したが、この裏が取れるような情報がリークされるほど先方も脇が甘くはなく、尻尾を掴むことはできないからあくまでも推測の域を出ない。しかし、常識的に考えてキャンセルの理由は当然筋が通っていないから、少なくとも他に理由があるのは疑いもない。韓国からわざわざやってきて、日本中を精力的に回り講演を行い、橋下代表をケチョンケチョンにけなし、自ら望んで面会を求めていたという背景がある。彼女たちからすればまさに飛車角級の重要人物をやっつけるチャンスだったのだから、急に心が折れたというのは明らかにおかしい。橋下代表が土下座するなどというのも、彼のキャラを理解している人はその様なことをしないと知っているし、仮にそれが実際の物になっても、その映像が世界に流れれば韓国側の主張が認められたことを象徴的に世界に示すことが出来るから、それは彼女たちからすれば望むところである。日本国民は馬鹿ではないから、土下座すれば何をやっても許されるなんて思わないし、逆に彼の政治家生命の止めを刺す可能性もある。全く、説明になどなっていないのである。

一方で、私が何となく予期できた理由は、ここで面会をしたら“少なくとも”元慰安婦の二人の女性と橋下代表は“和解してしまう”のではないかと思ったからである。ここまでの橋下代表の発言を冷静に聞けば、沖縄に関する発言を除けば、元慰安婦の女性の主張に100%沿った内容ばかりだからである。だから、元慰安婦の女性と和解するのではないかと期待したのだが、その期待の裏で「それって、困る人いるよね!大丈夫かな?」と感じたのである。

慰安婦問題の歴史を紐解けば、必ず裏で糸を引いている人たちがいる。小渕元首相が知恵を絞り、日本政府としては謝罪するが直接的な補償はできず、代わりに「女性のためのアジア平和国民基金」を作り、民間レベルでの補償を行う提案をした。その「女性のためのアジア平和国民基金」は政府とは縁もゆかりもないものではなく、明確に日本政府が関与したものであることを小渕元総理の手紙を添えて明らかにしている。常識的に、この対応はこの問題を前進させようと思う人からすれば、極めて良く考えられた解決策なのである。これで問題が残るとすれば、韓国側が「一度示談が成立した交通事故の加害者から、さらにお金をもぎ取ろうとしているのに、その可能性を断ち切ってしまうこと」以外に思い当たるものはない。ましてや、元慰安婦の女性からすれば、同じ仲間の慰安婦がそれにより恩恵を受け、自分も恩恵を受けることが出来るのであれば、自分達とは関係ない別件の策略を虎視眈々と狙っている人のためにその提案を拒否する理由はない。そこには、「そんな提案に乗ってはいけない!」と裏で糸を引く人がいるのである。そして、今日のキャンセルに絡んだ記者会見で、その様な人達がしゃしゃり出て橋下代表を罵っていた。もしその主張が本当ならば、元慰安婦の女性が直接記者会見を開くはずである。彼女たちを裏側に押し込め、しゃしゃり出て好き放題言っている人たちは、慰安婦の女性を道具の様に利用している諸悪の根源である。もう少し、彼女たちを解放してやることをマスコミはできないのであろうか?

折角なので、もう少しついでに書かせて頂く。下記の記事が面白い。

BLOGOS門田隆将2013年5月22日「“誤訳”で増幅される『政治家発言』を憂う

あってはならないことだが、誤訳とは様々な所で付きまとい、時として意識的に悪意をもって使われることがある。今回の橋下代表の発言が海外に配信された際にも、下記の様に説明されたのだという。

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Osaka mayor says wartime sex slaves were needed to ‘maintain discipline’ in Japanese military.(大阪市長は、戦争時、日本軍が「規律を維持するため」には性奴隷が必要だった、と語った)
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つまり、橋下大阪市長は、日本軍の直接的に関与した強制連行により「性奴隷」を集めたことを、(橋下市長ないしは当時の世界かは明示的ではないが)必要だったと発言したことになっている。日本では、「必要だった」の主語が「橋下」なのか、「(当時の)世界」なのかが話題となったが、世界への発信では「強制連行が必要だった」という主張に置き換えられていて、既に「橋下」であれ「(当時の)世界」であれ、とても容認できない発言とされてしまっていたのである。アメリカの報道官が非常に厳しい表現で橋下代表を罵倒するのも理解できなくはない。民主主義の国、アメリカとしては、「金でほっぺたを叩いで、自発的に慰安婦になった人は利用した過去があるが、間違っても誘拐・略奪などの強制連行で性奴隷を集めたことはない」という(それもいかがなものかと言う)自負があるから、「強制連行は必要」と言われると当然、ブチ切れてしまうのである。極めて妥当な反応なのである。しかし、意図的に行われるこの様な誤報に対し、それを中々誤報だと指摘してくれる人はいない。だから厄介なのである。

しかし、橋下代表のツイッターでの発言の中に、面白い一文があった。橋下代表曰く、「日本が戦争当時、慰安婦を利用していたことは悪い。ただ、日本だけが性奴隷を利用していたと言うアメリカ政府の批判はおかしい。そしたら今回、僕の発言に対するコメントの中でアメリカ政府は性奴隷と言う言葉を使うことを止めたようだ。アメリカは相手の異議に合理性があれば受け入れる民主国家だ」。

どうやら、アメリカ政府は日本のマスコミや政治家よりはタチが良いらしい。誤報を自浄的に訂正する能力も、それを自らの行動に反映させる能力も、アメリカ政府にはあるということだ。だとすれば、橋下代表が訪米した際に、そこで議論することで誤解が払拭され、大きな動きが何か起こるかも知れない。元慰安婦には彼女たちを鳥かごの中に閉じ込めようとする勢力がいる。しかし、橋下代表が会おうとするアメリカ国内の要人は、その様な鳥かごに進んで入る人達ではない。裏で糸を引く人達も、そこまでは手が届かないだろうから、勝負はそれまではお預けである。

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神様は原爆など落とさない!

2013-05-23 23:58:58 | 政治
巷では橋下発言が避難轟々だったが、恐れ入ることに桁違いの問題発言が飛び込んできた。韓国の中央日報に20日に掲載された広島、長崎への原爆投下を「神の懲罰」と表現し、「日本の軍国主義の犠牲になったアジア人の復讐」と論評した記事のことである。これを受けて韓国の日本大使館は即座に抗議し、今日、菅官房長官も非常に強い口調で避難を行った。今日はその辺の背景についてコメントしたい。

多分、韓国の人達はこの話題に対し、「橋下発言に比べたらかわいいじゃないか!」と開き直るのだろうが、これは大いなる間違いである。例えば、下記のサイトの日本文を見れば、論文形式で橋下代表が議論したかった背景が記されている。

史実を世界に発信する会「論文(5) 『従軍慰安婦問題』の真実(尾形美明)

ここにはご丁寧に日本語と共に英語版も掲載されている。河野談話の背景の部分を読めば、日本政府が強制連行・軍/政府の直接的な関与を示す証拠が見つからなかったのに、韓国側が「強制性を認めれば、今後、歴史カードは封印する」と約束したことに心が揺らぎ、ついつい玉虫色の表現で暗黙に強制性を認める発言をしてしまった。しかし、韓国はそれを裏切り、それで鬼の首を取ったかのように世界にアンチ日本キャンペーンを展開するに至った。これが正しいか間違っているかは現時点では断定しないが、これが正しい可能性と間違っている可能性を両方認めて、再度、フェアな立場で調査をしましょうという主張なのだから、これを否定する人は「調査をされては困る人達」であることは明らかである。橋下代表は繰り返し繰り返しマスコミに出てきて真意を丁寧に説明しているから、フェアな立場で見れば非常に良心的であることは明らかである。

しかし、中央日報の対応はどうであろうか?この話題が明らかになって、私は即座に中央日報のサイトを検索したが、既にこの記事は削除され、中央日報はこの記事を「社の見解ではない」と弁解した。つまり、旗色が悪いと感じたら謝罪もせずに取り下げて、何事もなかったように振舞うのである。全く持って誠意のかけらもない。橋下代表が先日、ぶら下がり取材を拒否したことがあったが、あれは某新聞社が「ペーパも何も見ないで、全てアドリブで1日1時間以上に渡り発言している橋下代表に対し、口が滑ったようなことも含めて全て政治家は責任を持て」と言うから、多数の人間が文書に起こした記事をダブル・トリプルチェックで校正をかける新聞記事と、良心的にアドリブで本音を喋る政治家の言葉と、同列で重箱の隅を突くのはアンフェアだと主張したものである。これに対し今回の中央日報の件は天下の新聞紙上に掲載されて記事である。責任ある立場の者が何重にもチェックして、それで社として責任をもって掲載できると判断したことに対して「あれはなかったことに・・・」と言うのだからタチが悪い。

ところで、私が今回最も気にしているのは、この記事の背景にあるものの考え方である。最初に断わっておくが、中央日報が記事を削除したので私はこの記事の内容を正確に把握はしていない。橋下発言が捻じ曲げて伝えられたように、この記事も捻じ曲げて伝えられている可能性もあるが、それを承知で掲載を削除したのである程度報道の内容は本当なのだろうという前提で書かせて頂く。さてそのポイントとは、この記事の筆者は、「戦勝国であれば何をしても最後には肯定的に捉えられる」という前提でものを書いていることが分かる。広島、長崎への原爆投下を「日本軍国主義へのアジア人の復讐だった」と主張しているのもそうだが、最後に「日本に対する火雷(爆撃)が足りないと判断するのも、神の自由だ」と日本への軍事攻撃を肯定する主張で締めくくっているあたりはその最たるものだ。ここで「神」を持ち出すということは、自分たちの立場が絶対で議論の余地がないことを意味する。問答無用というスタンスである。

戦時中に日本やドイツが近隣諸国に多大な迷惑をかけたのは事実として認めるとして、だからと言って10万人もの非戦闘員の一般市民がそのとばっちりを受けるということを正当化できるというのは戦勝国ならではの論理である。しかも、韓国は日本と戦争していないから戦勝国でもない。勝手に戦勝国に後付けで混ぜてもらおうとして、連合軍から拒絶された国なのである。その国が、長崎、広島合わせて10万人以上もの犠牲者を侮辱するのは許せない。井伏鱒二の「黒い雨」を読めば、本当に壮絶なのは原爆で死んだ人ではなく、原爆で生き残った人々であることが良く分かる。あの、希望のかけらもない無間地獄で苦しむ人々に対し、あの著者は何と言って言い訳するのか?

話は少しずれるが、1983年公開の「デッド・ゾーン」(デヴィッド・クローネンバーグ監督、クリストファー・ウォーケン主演)の映画がある。ふとした交通事故で未来を予測できる能力を持った主人公が、大統領候補が核戦争を始めようとする姿を予知し、その候補暗殺を試みるという映画だ。こう書くとつまらないストーリーだが、非常に奥の深い、私の好きな映画のひとつである。この映画から私が感じたことは、歴史が誤った方向に向かいそうなとき、それを阻むために超法規的な最終手段を選択せざるを得ないことがある。私もこの映画の主人公だったら同じ行動をとると思うが、少なくとも、この映画ではその主人公をヒーローとして扱っていない。「止むを得ないこと」であれば、非人道的なことも時として選択せざるを得ないことがあるかも知れないが、その場合には、その非人道的なことに対する報いを受ける覚悟が必要であることをこの映画は伝えている。

しかし、今回の報道はどうだろうか?仮に、100万歩ほど譲って、戦争終結に広島・長崎の原爆投下は必要だったとしよう。しかし、その決断をした人、その投下を命令・実行した人は、10万人以上の罪もない人の命を奪った罪の重さを問われなければならない。それは、決して裁判にかけるという意味ではなく、誰が許しても神だけは許さないという意味である。しかし、筆者はそれを「神の権利」と言うのだから、「止むを得ないこと」ではなく「当然、殺す権利があった!」と考えていることになる。まだ殺し足りなくて、追加で爆撃をして殺そうというぐらいだから・・・。

そして、この「戦勝国は何でも許される」、「歴史を塗り替えても何でもOK」、「最終的には爆撃も可」という主張は最近はブレーキが利かなくなってしまっている。反日教育のたまものだと思うが、朴大統領が千年先まで変わらないと言っているように、戦勝国気分は千年間有効だと考えていることが伺い知れる。しかし、これは明らかに間違いであり、この様な一方的な偏狭なナショナリズムは何処かで正されなければならない。

ところで同じ中央日報の記事だが、こんなものもあった。

中央日報2013年5月23日「『慰安婦妄言が出ないよう全国民に教育を』国連、日本に警告

背景は微妙だが、国連が日本に対して「全国民レベルで慰安婦問題の教育をするように」との勧告に乗り出したというくだりは穏やかではない。ここでの「慰安婦」の表現が強制性を前提とする「従軍慰安婦」ではなく、一般的な性サービスの「慰安婦」という表現であることから、国連が強制性を承認した訳ではないだろうが、このまま行くと無条件で強制性が既成事実化してしまうかも知れない。

やはり、言うべきことは言わねばならない。まずは、この件をもっと問題として扱うべきだろう。

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北朝鮮が日本を「新6か国協議」の議長国に指名するというシナリオ

2013-05-21 23:58:12 | 政治
今日は朝鮮半島情勢について思うことを書いてみる。ここ最近の朝鮮半島は何だか雲行きが怪しい。今起きている事態は、これまでと全く違った枠組みの模索を関係各国が行っているかのような状態である。

まず怪しさのトップは、北朝鮮の警備艇が黄海で中国漁船を拿捕し、釈放の条件に約1000万円の支払いを要求していた事件である。これは何とも不思議な事件で、最初に聞いた時には何が起きたのか分からなかった。色々と報道を聞く限りでは、北朝鮮が中国漁船をだ捕するのは過去にも例があり、それほど珍しくはないという。しかし、釈放のために金銭を要求するのは珍しく、それで今回は話題となったらしい。ただ、もう少し裏には事情があり、拿捕を行った海域というのは韓国と北朝鮮が睨みを利かす場所で、韓国側も北朝鮮側の漁船も、無用なリスクを避けて漁を避けていた場所だということらしい。そこに中国漁船が大挙して押しかけてきた。韓国も北朝鮮もこの中国漁船を取り締まりたいのだが、警備艇が目立った行動を取ると、相手国から戦闘行為と誤解されかねないから、お互いに遠慮して中国漁船が漁夫の利を得ていたという。あまりの傍若無人ぶりに北朝鮮がしびれを切らして拿捕したのだが、最近の中国4大銀行の取引停止などで外貨が不足する中、中国に取り敢えず、溜りに溜まった愚痴をこぼしてみたという感じらしい。しかし、この前代未聞の中国を怒らせる挑発行為の背景には、「そろそろ、俺、弾けちゃうかも知れないよ!」ないしは「もはや中国とは友好国ではないよ!(こんな圧力をかけられると、簡単に対話はできないよ)」というメッセージを送っているように見える。

次なる不思議は、先にも書いたが中国4大銀行の取引停止のニュースである。最初、ひとつの銀行の取引停止の話題が世界を駆け巡ったが、この時点では残りの銀行があれば実効的にはあまり効果がないと思っていた。実際、青山繁晴さんの解説によれば、送金(取引)停止の暫く前にその情報が中国から北朝鮮側にリークされ、その結果として他の銀行にお金を移す余裕があったから、全ての取引が停止しない限り影響は少ないとのことだった。しかし残りも取引停止となると、中国国内の弱小銀行や他国の銀行で難を逃れるのは中々厳しい。相当、身動きが取れない状況に陥っているのは容易に予想できる。しかし、中国がそこまで敵対的な思い切ったことをするということは、金正恩の首のすげ替えを模索するにしても、北朝鮮内部に相当中国に対する不信感を募らせるきっかけになるから、ソフトランディング的なシナリオから外れるリスクが高まることになる。どうしても中国は、北朝鮮の崩壊による朝鮮半島上の米中の緩衝地帯の消滅を嫌うだろうから、ポーズ的には制裁を科しているように見せて、実際には抜け道を提供しているかのような動きが定石であるが、どうも一線を越えつつあるように見える。つまり、中国は北朝鮮に「あなたとは、もう、対話はできないよ!」というメッセージを送ったかのように見えるのである。

次なる不思議は、最近立て続けに行われている短距離ミサイルの連射についてである。何で中途半端なミサイルを撃つのか…と不思議でしょうがないが、私としてはこれまでも「『達磨さんが転んだ!』作戦」なるものを提唱していたので、その一環ではないかと単純に見ている。北朝鮮サイドからすれば、田植えの時期で戦争などしていられない時期が目前に迫り、過剰に緊張を高めたくはない状態ではあるが、米韓の演習での空母投入や、アメリカのICBMの発射実験など、逆の挑発は後を絶たないので、何かアクションを起こさねばというところで無難な選択肢を選んだように見える。ところが…である。この行為をアメリカは「国連決議に違反しない」と判断したのに対し、韓国は遅れて「国連決議に違反する」と主張しだした。挑発には違いないが、他国の領海内に着弾した訳ではないし、少なくとも韓国以外の国には直接的な影響を受けない(厳密には米軍は、このミサイルを用いた在韓米軍基地への攻撃という形で影響を受ける可能性はある)こともあり、日本を含めて極めて静かな対応であった。その中で、韓国の動きは何とも的を得ない。対話を再開したいのか、強硬な対立路線を目指すのか、首尾一貫したポリシーの様なものが感じられない。どうも、韓国(とりわけ朴政権)は、内政的に困ると外向けに目をそらすために何かを探す癖がある。経済問題をうやむやにするための日本への歴史カードを切っていたかと思えば、最近のセクハラ事件では更に立場が弱くなって、矛先を北朝鮮に向けようとしているようにも見える。これは今に始まったことではないが、北朝鮮は既にこの様な朴政権を見切り、「もはや、対話に韓国なんかいらないよ!(韓国抜きの枠組みを模索)」というメッセージを送っているように見える。

この様な流れと前後しての飯島内閣官房参与の訪朝である。安倍内閣としては、北朝鮮に「圧力と対話」で臨むことを明言しているから、これまでの「圧力」に続く「対話」のステップへの布石を打つ必要がある。しかし、どう考えても北朝鮮との妥協に走る可能性は低い。以前のブログでも取り上げたが、北朝鮮では金正日が死ぬ前に残した遺訓の中に、「日本との拉致問題の交渉をするな!」と明確に書かれている。考えてみれば、小泉訪朝で拉致被害者とその家族の一部が帰国したが、残りの被害者の行方が分からない状況で平壌宣言に基づく国交正常化はとん挫し、北朝鮮が目論んでいただけの見返りを十分に得ることが出来なかった。「これ以上信じられるか!」と不信感に陥るのは容易に想像できるから、遺訓に書かれていることは本当なのだろう。金正日総書記に対し、死後もその威厳を永久に保つために金正恩の役職は第1書記とされている。この様な権威を大切にする国で、その神とも祀り上げる人の遺訓を簡単に捨てることはできない。だから安倍総理も飯島内閣官房参与も拉致問題の進展など期待できないことは百も承知のはずである。さらに言えば、北朝鮮の核の放棄は日本にとって少なくとも拉致問題に劣らない重要な懸案事項で、そちらの方はこれまでも甘い言葉で騙されて、結局、北朝鮮が得をするという経験を繰り返してきた。安倍総理からすれば、第1次安倍内閣時代の米韓の制裁解除の動きは間違いであり、結局自分が一番正しかったと確信しているから、この様な中で日本が率先して北朝鮮に塩を送る訳にはいかない。国連制裁を受けている最中であり、現在でも最も北朝鮮に厳しい立場の日本が中途半端な行動を取るとは思えない。韓国はお間抜けにも日本の行動を批判し、「世界が連携して北朝鮮に制裁を加えようというのに、日本が足並みを乱してどうする!」と言っているが、日本は決して見返りを北朝鮮に提示してはいない。一方の韓国は、結果的に制裁の効果を弱める開城工業団地の継続(再開)の話し合いを未練がましく繰り返し主張しているが、こちらの方がむしろ足並みの乱れに通じる行為である。さらに言えば、朴大統領がアメリカにまで行って何をしたかといえば、日本を蚊帳の外に追い出そうとアメリカに提案して一蹴されたという事実もある。連携して北朝鮮に対処しなければばらないときに、足並みを乱したのは韓国である。だから、日本は韓国が役に立たない状況、更に中国ですら北朝鮮との仲裁役に立てない状況を想定し、日本が主導的な役割を示す新たな枠組みを模索しているのではないかと思う。つまり、日本は北朝鮮に対し「何だったら、日本が6か国協議の対話の主導的な役割をしてもいいよ!」とメッセージを送っているように見える。

それは、表向きには北朝鮮に救いの手を差し伸べるようなポーズではあるが、実際には銀行の取引停止で崩壊へのカウントダウンが始まっている北朝鮮の持ち時間を奪う、巧妙な作戦の様にも見える。勿論、日本にはその様な戦略はあるにしろ、近い将来、6か国協議の新たな議長国に北朝鮮が日本を指名するようなことがあれば、それは北朝鮮が日本からのメッセージを受け取ったことを意味するのだろう。まさに、それが安倍総理の主導のもとでの飯島訪朝の狙いなのではないかと思う。

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潮目を超えたか?(橋下発言への理解が徐々に広まり始めた?!)

2013-05-20 23:06:55 | 政治
そろそろ私も書くのを止めたいのだが、どうしても書かずに入られない思いが強く、今日も橋下発言の続報についてのコメントである。今朝、テレ朝の「モーニングバード」を見ていて思ったのだが、状況が変わる潮目の様なものを感じた。今日はその辺を書かせていただく。

まず、一昨日までの報道の中では、橋下発言に対しては非難一色で、街角インタビューでも100%が「橋下、許すまじ!」の合唱大連呼であった。しかし、今朝のモーニングバードで紹介していた大阪市民に対する街頭インタビューでは、支持と不支持の発言をほぼ同数程度とりあげていた。インタビューでは良く用いる「支持」「不支持」のボードにシールを貼って行うアンケートを合わせて行っていたが、インタビューの中でそのボードが一瞬だけ写りながら(その時、シールは1対1だったと思う)、その後は中々そのボードが写らなかった。通常であれば、これ見よがしにそのアンケートボードを写しながらのインタビューを紹介するのだが、今日は何処までいってもそのボードが写らずにいたので、私としてはテレ朝としては不都合な結果なのだろうと予想していた。思ったとおり、大分後になって公開されたアンケート結果は「支持31%」「不支持69%」であった。皆さんはこの結果をどう見るだろうか?私は、短時間にここまで支持を回復したことに驚きを感じた。

橋下代表は最近は精力的にテレビに出演し、その中で持論を展開している。昨日も報道ステーションSundayに出演し、50分にも渡り持論を展開した。この中ではかなりポイントを整理していて、そこに出演しているキャスターが悪意を込めて悪印象を植え付けるような誘導を行おうとするところをことごとく訂正し、概ねこの番組を見た人にはそれなりの理解が頂ける内容になっていたと思う。キャスター達は、その日の発言事態は筋が通っているので攻撃の糸口が見出せず、仕方がないので「ここまで問題になってしまった背景には、橋下代表の思想の根底には女性蔑視があるはずではないか」というレッテル張り攻撃が目立っていた。苦心の策なのだろうが、沖縄で風俗業で働いている女性にまでインタビューし、「女性を道具のように扱われているようで頭にくる!」と冒頭部分では怒りの発言を引き出しておきながら、続く発言の中では「今回の件で、沖縄女性の被害が注目を浴びて議論になることは評価できる」など、徐々に「不快ではあるが、橋下代表の発言の意義も分からないでもない」というニュアンスに変わってきていた。まさに、この議論を巻き起こして沖縄女性の被害を改善するというのが橋下代表の趣旨であり、その手段として例示した内容が(合法であっても不快感を与えるという)風俗であったため、議論が頓珍漢な方向に向かってしまったが、そもそも議論をぶち上げた目的には全く異論を挟む余地が無いのだから「話せば分かる」はずなのである。

ところで最初の番組中の「支持31%」「不支持69%」であるが、私は正直、驚いてしまった。私は橋下発言を読み漁り、番組も探してダイレクトな発言を聞くように心がけたから理解できるが、多くの人はこの様な橋下発言の真意をフルバージョンで見聞きする機会は少なかったはずである。だから、かなりバイアスがかかった報道に洗脳されながらも、その隙間から見え聞こえる発言の中に同意できる部分を読み取ったのだと思う。根拠のない一方的な言い分で言わせていただければ、橋下代表の様な出る杭を嫌う理屈抜きで反橋下的な人は1/3程度いるだろう。この人は、発言の真意を聞いても聞かなくても「不支持」となる。残りの2/3の中の半数はテレビや新聞をろくそっぽ読まず、巷の大勢に巻かれるような感想を応えるだろう。だとすれば、その様な状況で31%もの指示に漕ぎ着けるならば、それは将来的に理解してもらえる可能性を感じることが出来る。これは大阪でのインタビューだから、普通より橋下発言を主体的に理解しようとする人が多いのだと思うが、全国規模の世論調査もところにより報告され、そこでは「支持」は20%を切っている。しかし、大阪市民よりも橋下発言を主体的に理解しようとしない人の間の統計でも、それでも10%以上の「支持」を集めることができるというのであれば、流れは変わって「潮目」を過ぎたことを表しているのかも知れない。まだまだ先は長いが、しかし、四面楚歌の状態からは明らかに脱しつつある。

実は、この潮目を感じさせる関連記事を2件紹介したい。

産経ニュース2013年5月20日「慰安婦制度『日本政府による強制的な軍の買春システム』NY州下院が決議 橋下発言の前に

これは、橋下発言の前の出来事で、ニューヨーク州議会下院が証拠もなしに「日本政府による強制的な軍の売春」と決め付けた決議をしている。ここでも「強制的」「軍が関与」という部分が強調されている。つまり、橋下発言を不快に感じている人の中には、「寝た子を起こすな!」的に慰安婦問題が徐々にフェードアウトすることを期待する人々がいるが、しかし、韓国・中国は「日本が復活すると韓国・中国がとばっちりを食う」と考え、ひたすら日本の足を引っ張るための材料として美味しい「歴史カード」をこれ見よがしに使い続ける人がいて、決して寝た子を寝たままにしておくことは出来ないのである。いつかは起きる寝た子に対する対策として、一般論では早め早めの手当てが好ましいのは当然のこと。だから、韓国や中国のアメリカに対する徹底的なロビー活動が目も当てられない状況になってきた今こそ、違うものは違うとはっきり意見し、謝罪すべきことは謝罪し、アメリカの仲介のもとで少なくとも「アメリカ的には納得した」と言ってもらえる決着の道を模索すべきである。この意味では、(意図してはいないのであろうが)ニューヨーク州議会での決議とタイミングが揃ったのは議論の重要性を示す象徴的な出来事だろう。。
また、次のような記事もある。

産経ニュース2013年5月20日「『安倍首相、大宰相の可能性』右傾化批判一転、米国で高評価の兆し

これまでアメリカのマスコミは散々安倍総理のことを「強固なナショナリスト」とレッテル張りを行っており、先日も米議会調査局の報告書でも同様のことを指摘していた。しかし、最近はこの評価が変わってきているという。私は面白いと思うのだが、中国・韓国という国は絶対に自説を曲げたりはしないが、アメリカという民主主義国家は自由な思想のもとで、それぞれ個別の案件に是々非々で取り組む人が必ずいて、根拠に乏しい洗脳的な行為に対しては「待った!」をかけることが出来る。勿論、そんなに手放しでアメリカを持ち上げるのもどうかとは思うが、アベノミクスに対する評価が世界的に定着しつつある今、その様な革命的でこれほど短期間に結果を出せた宰相はこれまでに稀有だったことを考えれば、もう少し好意的に安倍総理のバックグラウンドを知りたいと考える人も出てくるだろう。「話せば分かる」という希望を微かではあるが、アメリカという国には期待が出来る。それを証明した記事かと感じている。

橋下代表は6月に訪米をするというが、議論を戦わせて結論を導くディベートの国、アメリカで、橋下代表の正論を聞いたアメリカ人がどの様に考えるのかを私は知りたい。おりしも、参院選の助走段階に入る時期である。ここでアメリカからの理解を勝ち得ることが出来れば、日本国内での評価も変わるかも知れない。

最後に再度冒頭の話に戻らせていただくが、今朝のモーニングバードで最も印象に残ったシーンの紹介をさせて頂く。モーニングバードの女性キャスターである赤江珠緒アナウンサーが番組中で意見を求められて、応えた発言はすっかり橋下代表の真意を汲み取ったものだった。彼女曰く「言い方に問題はあったのかもしれませんが、ではなぜ従軍慰安婦のことがいまだに問題になり続けるのでしょうか。デリケートな問題だからと今まで触れないで来たことがこのような事態を招いているのではないでしょうか?」と問題提起し、臭いものに蓋をしようとする大勢の意見に対し、橋下代表の発言は丁度良い問題提起として決して誤ったことは言っていないというニュアンスに取れる、初めて見た「王様は裸だ!」という発言に聞こえた。

まさに潮目を超えたような気がする。1ヵ月後、果たしてマスコミは橋下代表をどの様に扱かっているのだろうか?心なしか、昨日の橋下代表の顔色は良かったように思える。理念と信念のある人物は、安倍総理と同様、必ず復活するものと信じている。

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「とくダネ!」での橋下発言から最重要ポイントを読み解く

2013-05-17 23:58:28 | 政治
昨日の朝のフジテレビの「とくダネ!」に橋下代表が出演し、これまでの橋本発言について真意を語っていた。結局、番組のスタンスはここで橋下代表をコテンパンにやっつけて一旗揚げてやろうという下心が見えていて、議論が噛み合わなかった。しかし、このやり取りを慎重に聞けば、色々と問題点が見えて来るのでその点を整理しておこう。

まず、最重要なポイントはたったひとつであることが分かった。今回の戦(いくさ)は例えて言えば桶狭間の合戦で、織田信長の軍勢は今川軍よりも人数的には圧倒的に劣勢で、勝ち目がないのは明らかである。だから信長は今川義元の首を取ることだけに最大のエネルギーを割き、それ以外のことは捨てて一点突破型の戦を仕掛けた。今回の橋下代表の最大の狙いは何か?それは、たったの「慰安婦を集めるために強制連行の事実はあったのか、なかったのかを白黒ハッキリさせる」ということである。ここでは、「強制連行はなかった」と言っている訳ではない。閣議決定の中でも、「いろいろ調べたが、強制連行を示す証拠は見つからなかった」と日本政府が宣言している以上、日本政府はこの点に自信があるのであろうから、せめてここだけは日韓で色眼鏡で見ないで証拠だけに基づいて真実を明らかにしてくれ、そうすればきっと日本の言われのない侮蔑を振り払うことが出来ると言っているのである。あくまでも、主張としてはニュートラルなことを言っている。勿論、背後には強制連行の事実はないという確信があるのであろうが、その確信を相手に押し付けるのではなく、たった一点である「強制連行の有無」だけを丹念に調べてくれとお願いしているのである。

この様に聞くと、多くの日本人は違和感を感じるだろう。右翼の人達は「裏切られた」と感じるだろう。そんなことに何の意味があるのかと疑問に感じる人もいるだろうが、実はこれが最重要なのである。韓国や中国を相手にすれば、これはどうせ強制連行があろうがなかろうが、歴史カードは圧倒的に都合の良い日本叩きの武器だから、その結果がどう転ぼうとどうでも良い話である。しかし、実は問題は韓国、中国ではないのである。別に日本からすれば、明らかにチンピラの因縁の様な言われ方をしても無視するしかない。しかし、これらの国はアメリカを中心にロビー活動を熱心に行い、「日本とは酷い国だ」という誤解を催眠術の様に植え付けようとしている。これらの国からすれば、慰安婦の有無だけで言えば、本音では自分の国も同様なことをしていて、しかもそれは証拠を簡単にあげることができるのである。だから、そんな日本が酷いとなると、それはブーメランのように自国に戻ってくる。だから、人道的に許されることと許されないことの境界線として、「強制連行があったのか、なかったのか」という条件を設定し、強制連行がなければセーフ、強制連行があればアウトと整理をしたのである。これがフェアであるかどうかはここでは議論せず、あくまでも欧米の基準がそうであるならば、その基準に照らし合わせてセーフならば、それは韓国、中国の歴史カードは極めて限定的で、少なくともアメリカ国内で慰安婦像が建ったり、何処かの議会で変な決議案が可決されるなどということもなくなる。歴史カードを骨抜きにするには、「強制連行がなかった」ということを欧米に認めてもらうしかないのである。勿論、調べてみたら強制連行の証拠が見つかったということになるリスクはあるが、その様にはならないという確信がある程度あれば、勝負のしどころとしては妥当なのである。日本人からすると、強制連行の有無などというのは、それがあろうがなかろうが慰安婦の気持ちは癒されないから意味はないと感じるかも知れないが、欧米基準ではそんなことはないのである。その差は絶大なのである。

だから、これが全てと言えばそれだけである。橋下代表がこれだけケチョンケチョンに言われてブレずに戦えるのは、この一点だけなら勝負に勝てる(つまり、「強制連行の有無を、Factベースで調べてみよう」ないしは「強制連行の証拠はないのではないか?」と考えるようになる動きが欧米に生まれるということ)と信じているからである。

次に、誰もが無意識には気が付いている非常に重要な点を橋下代表は指摘している。これは慰安婦問題を着地させるにあたり、日本政府が慰安婦問題で死守しなければならない点についてである。当たり前のことであるが、戦争を完全に終結させるためには何らかの条約を結ぶ必要がある。例えば、交通事故を起こした後に、加害者は示談書にて「これが最後、これ以上は請求しません」という言質を取らなければ安心していられない。これは加害者側の言い分ではあるが、被害者側も示談書を交わさないと、何処までも青天井で請求したくなるという誘惑に駆られる。両者が、過去の問題に決着をつけ、その先の友好な関係を確立するためには、何処かで「これが最後」という線引きを交わし、それ以上の下心を持たない様に確認しあう必要がある。日本と韓国の間では、日韓基本条約がそれである。しかし、日韓基本条約には「完全かつ最終的に解決」と書かれているのに、後になって「あれも請求できる、これも請求できる」では友好関係を築くことはできない。金銭的な請求権はあの時点で解決し、これ以上の国家間の補償は存在しないことを確認してくれさえすれば、謝罪すべきことを謝罪しても日本は失うものは殆どない。以上、2点が有益な重要な点である。

ここから先はどうでもよい話であるが、折角だから書いておく。まず、橋下代表が犯した最大のミスは何か、である。それは、一点突破で「強制連行の有無」を確認することを問うべき戦いで、色気を出して沖縄の米軍による性的不祥事問題をもパラレルで何とかしたいと色気を出した点である。発想自体は誠意ある行動であるが、論点がボケたために敵に突くべき重箱の隅を大量に提供した形になってしまっている。しかも、「強制連行の有無」の方は極めてシンプルなのに、米軍の問題は解決策がいろいろ考えられる状況である。事件の頻度を減らすための実効的な効果は、確かに風俗を活用すれば減るのであろうが、多くの人が風俗には嫌悪感を抱くのは事実である。政治家も報道関係者も、日本も外国も、全ての人が建前上は合法的な位置づけでありながら、現実には巷には自由恋愛の名のもとに売春行為が氾濫していることを熟知しているし、それに対して声を上げて「けしからん」と言おうとしない。あたかも、「そんなこと、知らない」とブリッ子を決め込みながら、橋下代表が言葉を選んで「合法的な風俗」と言った途端に、「でも、どうせ売春なんでしょ」と物知った大人の顔をする。「だったら、お前が売春が横行している現在の制度の批判しろよ!」と言いたいところだが、そうなると急に身を引いて「アメリカでは、売春行為は法律で禁止されていて、米軍兵は間違っても買春なんてしない!」と開き直る。極めてご都合主義的な勝手な言い草だ。しかし、発言者はご都合主義の建前を語れば語るほど、世間に対して自分が如何に常識人かをアピールできるから、本能的に建前論を崩すことを嫌う。議論を噛み合わせる気がないから、結局堂々巡りになって、堂々巡りの場合には声の大きい反橋下派の勝利の印象を与える。戦いとしてはアンフェアである。

また、もうひとつのミスは、橋下代表が弁護士だからついつい弁護士的な発想で考えてしまうのだろうが、発言を正確に解釈すれば間違ったことを言っていないとしても、テレビや新聞で発言を聞いた人が、必ずしも正確に解釈してくれるとは限らないことに無頓着であったことだろう。「とくダネ!」の中でも、「慰安婦は当時は必要だった」という人が米軍の風俗活用を進言するのだから、どんなに橋下代表が「合法的な風俗」と言っても「売春しかありえない」と決めつけるのは自然な流れである。裁判なら裁判長が「確かに売春とは言っていないね」とジャッジしてくれるだろうが、一般市民はそうは考えてくれない。

今更言ってもおしまいだが、やはり一点突破の戦をするなら、仮に沖縄県民の気道を代弁したかったとしても、そこは心を鬼にして、この一点を突破した後で続きをやるべきだったのだろう。私は「レイプ被害を防ぐためには、その当時は慰安婦は必要であり、実際にその効果は当時の市民にとって有益だった」と感じているが、その当時「慰安婦が必要であったか否か」は、大局的には「強制連行の有無」に比べたら全く問題ではないということである。マスコミの報道は、マスコミ側がその部分を集中的に質問するからその部分の報道が自然と増えてクローズアップされるのだが、「とくダネ!」の中では比較的まとまって発言する機会を与えられていたから、その辺を整理してポイントを理解することが出来た。

(多くのマスコミに叩かれて微修正したこともあるのだろうが)冷静に「とくダネ!」の中で言っていることをかみ砕いて考えれば、本当は橋下代表の発言は極めて韓国、中国に配慮した言葉ばかりである。小泉元総理も中国、韓国にはすこぶる評判が悪いが、A級戦犯を戦争犯罪人と認めていたから、実際にはかなり中国、韓国に寄り添ったアジア重視派だった。マスコミは真実を報道する義務があるが、今回は日頃の朝日新聞社などに対する攻撃に対する鬱憤を晴らすかのような行動なのだろう。それが国益にとってどういう意味を持つかなど考えずに・・・。

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橋下発言バッシングの舞台裏

2013-05-15 23:51:54 | 政治
橋下発言が炎上している。報道を見る限り、石原共同代表、松井幹事長以外で橋下発言を擁護する声を一切聞くことがない。渡辺みんなの党代表に至っては、参院選の選挙協力の解消を匂わせるに至っている。異様な状態であるが、背景を考えれば当然と言えば当然の結果である。今日はその背景について整理してみようと思う。

まず、橋下代表とその他の人の議論では、大きな前提条件の乖離がある。それは、慰安婦というものの捉え方である。報道などでの扱われ方では、慰安婦というものは軍隊や政府により奴隷の様に集められ、人権のかけらもない非人道的な環境で強制的に働かされていた人のことのようである。しかし、現実の証拠が示す事実は、その多くが当時の一般人の収入の10倍以上の収入を得て働いていたということである。日本でも驚くことにお金目当てに女子高生の援助交際が問題になったくらいで、生きるか死ぬかの瀬戸際の中で、生きるために自ら慰安婦に身を落とした人は多数いたはずである。勿論、1日に何人も何人もお客を取らせられ、非常に苦痛に感じてはいただろう。しかし、当時はまっとうな工場に稼ぎに出ていた女工ですら極限的な環境で働かされていて、業務内容が「イカガワシイ」か「まっとう」かの違いだけで、相対的に見ればその労働環境の劣悪さは大して違いはない。一方は大金を報酬として得ていて、他方は二束三文の賃金でこき使われている差はあるが・・・。

ただ、それと同様に、農村で食うに困った家庭において、口減らしとお金を目当てに親が娘を金で売って、その結果、女郎に身を落とした女性の話も(日本においても)多く聞かれる。この場合、慰安婦を雇う側は相応する報酬を払って雇っていても、雇われた側は親に騙されて金で売られ、本人は覚悟が出来ていないで慰安婦になるから当然その後の生活は(お金をもらっても)地獄の様に苦しく感じていただろう。今現在でも世界中に風俗産業が多数存在し、(その中には借金のカタに)本人の意に反して嫌な仕事を強要されている人もいるのであろうが、その大半は自ら選択して身を落としている人たちだろう(本人は身を落としているという意識があるか分からないが・・・)。

であれば、慰安婦というものを「上述の報道での扱いの様な一部の不幸な人」と見なすか、それとも「大多数のお金目当てに自らその職を選んだ人」と見なすかで、その後の議論は分かれる。例えば女性の人権活動家などは、まかり間違っても女性が自らその様な職を選ぶなど認められないだろうから、建前論的には慰安婦とは「上述の報道での扱いの様な一部の不幸な人」となるのだろう。さらに言えば今現在の感覚では、仮に数は少なくとも一部に不幸な人がいるならば、その様な不幸な人を前提に議論をしましょうと考えるのかも知れない。その方が、人から好意的に受け止められそうだから・・・。しかし、私からすればその様な不幸な事例で最も責められるべき相手は娘を金で売った親であり、その娘が親を責めもしないで雇い主(ないしは人買い人)だけを一方的に責めるというのには違和感を感じる。だから、橋下代表が慰安婦というものを「大多数のお金目当てに自らその職を選んだ人」と定義して議論していたとして、それはそれには一通りの筋が通っているものと私は感じる。実際、その当時の時代背景を考えれば、(軍との関係があるかないかを別にすれば)その様な職の女性は世界中で決して珍しくはなかったはずである。

以下は、慰安婦というものを「大多数のお金目当てに自らその職を選んだ人」という定義のもとで議論している。この定義が異なれば、当然、結論も全く異なるものになるだろうから、橋下代表も議論の前にこの点を確認すべきだったのかもしれない。

次に、マスコミは鬼の首を取ったように街角インタビューを行い、ありとあらゆる一般市民が橋下発言を非難していることを紹介し、この発言が如何に卑劣で常識外れの内容かをアピールしている。しかし、このインタビューの質問は多分、以下の様な問いなのであろう。

「橋下代表は『慰安婦は必要だ!』と従軍慰安婦を肯定する発言をしているがどう思うか?」

多分、この発言が誰によるものかを隠して質問されたら、私も「酷い発言ですね」と応えるかも知れない。しかし、この質問が以下の様な質問だったらどうだろうか?

「戦後、進駐軍が日本に駐留した時、多くの日本人女性がレイプの被害を受けたことをご存知でしょうか?また、ベトナム戦争では韓国軍が現地のベトナム人女性を大量にレイプし、『ライダイハン』と呼ばれる混血児が(人によっては人数に差はあるが)3万人も生まれたとして問題になっている。これらは共に、今から50年以上も昔の話で、且つ倫理観の欠如していた戦場や占領地での話だ。しかし、少なくとも日本ではレイプ被害者をなくすために慰安施設を積極的に活用しようという動きが戦後のその当時にはあった。進駐軍向けの慰安施設を当時の日本政府は作り、結果としてレイプ被害者を減らすことに寄与したといわれている。この様な状況を考え、橋下代表は『今現在の基準では慰安婦は許されるものではない。しかし、当時の一般市民の収入の10倍にも及ぶ相応の対価を払って慰安婦を集めていたとすれば、(当時の状況で当時の基準に照らし合わせば)それは必要悪と認めざるを得ないのではなかろうか』という趣旨の発言をしている。これに対してどう思うか?」

多分、この質問をされたら、7割方の人が同意をするのではないだろうか?つまり、質問をする側は何らかの回答を誘導するため、質問の仕方を選ぶというのは常套手段である。だから、適切に橋下代表の主張を理解した上で、一般市民の反応が報道の通りだったのかといえばそうではないのは明らかだろう。

実はこの点がポイントで、今朝の報道番組の中のあるコメンテータによる以下の解説を参考にポイントを整理したい。その解説とは、「橋下代表は当時は国際的に慰安婦は特別なものでなく、それを根拠に『必要だった』と言っているのであろうが、じゃあ昔、『奴隷は一般的で必要だった』と言ったらあなたは賛同するのか?」と例を出し、だから橋下代表は間違っていると主張していた。しかし、ここでは大きく問題を勘違いしている。奴隷制度は、その制度が無いからといって変わりにとばっちりを受ける被害者というものは存在しない。黒人がいなければ、金持ちは貧乏な白人を雇うだけである。その場合、主従関係があるから結構乱暴に扱われていただろうが、同じ人間であるから法律が人の行動を縛り、貧富の差があっても人を虫けらのように扱うことは許されない。だから、黒人の奴隷を否定したとしても、その代わりに同種の白人被害者が生まれることを想定する必要はない。被害者がいなければ、「奴隷なんかいなくても、我慢すれば良いじゃないか!」という議論となり、当然ながら奴隷制度は否定されてしかるべきである。

しかし、慰安婦に関しては事情が全く異なる。現実に多くのレイプ被害者が多数存在し、実効的には「慰安婦を取る」か「レイプ被害を我慢する」ことを取るか、その2者択一に迫られていた。ベトナムはその最も顕著な例である。公明党の山口代表は、「弁護士であれば人権を第一に考えなければならないはずなのに、これはどういうことだ!」という趣旨の発言をしているが、これは建前論でしかなく、彼はレイプ被害者の人権を決して意識はしていない。口先だけで「けしからん」とは言うかも知れないが、口先だけなら誰でも言えるのであって、政治家には結果責任が問われるのである。

そこで、より議論を分かりやすくするために、ここでシミュレーションをしてみよう。進駐軍が日本を占領した時の日本政府の立場で考えてみて欲しい。選択肢はふたつある。

(選択肢1)==================================
日本人女性が多数、進駐軍の兵隊によりレイプされている現状に対し、口先だけで「連合軍として、適切に対処して頂きたい」と要請する。GHQは建前上、「売春行為は法律で禁止されているから慰安施設では対応できない。兵隊にはようく言って聞かせるからそれで良しとしてくれ。」と応える。それでも後を絶たないレイプ被害に、同じく「適切に対処して頂きたい」と要請を繰り返す。

(選択肢2)==================================
被害者を減らすための具体的な手段としてGHQに慰安施設の設置を進言する。GHQは建前上、慰安施設を受け入れないが、名称を変えて実効的な慰安施設を作り、それ相応の対価を払って女性を雇い入れる。

ここで、選択肢2の場合を想定してみよう。あっという間にレイプ被害者が激減し、この件が社会問題化することがなくなる。管理された場所で、管理された活動を行い、その結果、性病(今で言えばエイズだろうか)などの性感染症の被害者も出ることは無く、何事も無かったかのように時は流れていく。その後、女性の人権活動家などが慰安婦制度を取り上げ、女性の人権を踏みにじる野蛮な行為を容認したとして、慰安施設設置の責任者を糾弾するかも知れない。自ら望まずにレイプ被害を受ける女性の人権の問題が顕在化しなかったために、もう一方の自ら望んで慰安婦となった女性の人権の方がクローズアップされ、その責任を問われることになる。

では、選択肢1の場合はどうか?何処までいってもレイプ被害は減ることは無く、膨大な数の被害者が続出する。日本版「ライダイハン」がそこら中に生まれ社会問題化するが、まもなく米軍宿舎の周辺に私的な売春婦が集まってきて、気がつくと慰安施設を作ったのと同様の結果となる。しかし、管理されていない売春であるために性病が蔓延し、進駐軍と日本国民の双方で大問題化する。この性病の恐怖でまもなくレイプ被害は減少し、気がつくと何事も無かったようになってくる。口先だけでGHQに「適切に対処を!」と叫んでいた人は、さも勝ち誇ったように「私の活動で、レイプ被害者問題が解決した!」と勝利宣言するが、相変わらず性病は蔓延し続けている上、巷には日本版「ライダイハン」が溢れて別の社会問題となっている。

この様なふたつのシミュレーションを比べて、あなたならどちらの決断をする人(政治家)を支持するのか?選択肢1の様に、人から揚げ足を取られない様に細心の注意を払い、美味しいところは全部自分の手柄の様にアピールする戦略性の高さは見事なものだが、上述のシミュレーションをみれば国民はとばっちりを受けて結局不幸になっている。一方、選択肢2は敵に隙を見せまくりだが、結果責任を意識した政治家の行動である。これらのシミュレーションから、橋下代表の主張のポイントが見えて来るだろう。

最後に、もうひとつ忘れてはならない議論のポイントを指摘しておく。橋下代表は沖縄の米軍基地で米軍司令官に合法的な風俗の活用を提言したが、司令官は凍り付いて固まってしまったという。常識的には橋下代表の主張は分かり易いと思うのだが、司令官が凍り付くにはそれなりの理由がある。それを忘れてはいけない。例えばWikipediaで「慰安婦」という言葉の検索をする中で、「在韓米軍慰安婦問題」という用語が出てくる。これは日本の慰安婦とは全く無関係で、1960年ごろから1990年ごろまでの長きにわたり、韓国軍によって強制的に、韓国軍と在韓米軍を相手に売春を強要させられていた女性たちの問題のことをいう。アメリカでの裁判において、米軍、韓国政府などを告発し、2009年にニューヨークタイムズなどでもこれが取り上げられた。戦時下の異常な状況での日本の慰安婦とは異なり、完全に平時で民主主義が確立した時代においての出来事である。それこそ性奴隷そのものであるが、この様なパンドラの箱を米軍は決して開けたくはない。それを開けたが最後、魑魅魍魎が次から次へと溢れてくる。だから、沖縄での米兵少女暴行事件の際に海軍大尉が「レンタカーを借りる金で女が買えた」と発言して更迭された経緯がある。この様に、それが法に触れる売春行為か合法行為かにかかわらず、慰安婦的な連想をさせる行為はタブー視され、結果としてそのために婦女暴行事件が多発しても、魑魅魍魎を見るよりはましだという考え方に立っている。しかし、その考え方と橋下代表の考え方のどちらが沖縄県民に寄り添っているかといえば、それは聞くまでもない話である。

さらに話をややこしくさせるのは、現在、日本にしても米国にしても売春防止法的な法律で売春行為は禁止されているが、自由な男女交際を縛るものではないから、結果的にこれがザル法となっている。だから、誰もが売春行為がそこらじゅうで蔓延していることを知っているし、AV女優などは売春行為でお金を得ていることを知っている。報道関係者の誰一人として、その本音と建前の乖離を指摘して非難することをしないが、橋下代表の「風俗の活用」という言葉を聞いて当然のごとく「売春婦の活用」を想像し、結果的に「売春を肯定している」と見なして非難をしている。しかし、橋下代表もその辺は弁護士として熟知しているから「売春婦の活用」ではなく「(合法的な)風俗の活用」と遠回しな発言をしている。しかし、両者とも本音では「売春なんて、そこらじゅうで当たり前の様にあるだろ!」と認めながら、それを決して口に出したりはしない。米軍も、「米軍は高潔だから、風俗など一切禁止している」とこれまた建前を主張している。だから、これは(日本及び諸外国の)報道関係者も米軍も結託した、魑魅魍魎封じ込め作戦のための橋下代表バッシングという意味合いもある。しかし、日本の慰安婦問題だけは既にパンドラの箱が空いてしまったから、これだけは認めてその他を全て封じ込めようという、何ともいびつな建前論のオンパレードとなっている。

これは例えて言えば、「裸の王様」に他ならない。誰もが王様が裸だと知っているのに、それを認めた途端に袋叩きに会うことを知っているから、全員が全員、口裏を合わせて「王様の着物は素晴らしい!」と称賛する。「王様は裸だ!」と橋下市長が叫んだが、現時点では「馬鹿なことを言うな!王様の衣装は素敵だ!」と言う人ばかりのようだ。ある程度はその様な人がいるのは理解できるが、どうして「えっ、王様は裸じゃないの?」と言ってくれる人がここまでいないのかが私には不思議でならない。

問題は相当根深いのだろう。

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タブーへの挑戦を応援したい(橋下代表の慰安婦発言について)

2013-05-14 23:29:52 | 政治
非常に面白い問題提起である。この人の政治的なセンスには私はいつも感服させられる。そう、橋下日本維新の会共同代表の慰安婦がらみの発言である。

ちなみに、この発言は極めて報道において評判が悪い。問題の本質を理解せずに、上っ面だけの人気取りの議論がなされている。これに対して要点が比較的整理されいているのは下記のサイトだろう。他の報道の様にバイアスがかからずに、事実関係を整理しているのでまずはご一読願いたい。

Jcastニュース2013年5月14日「橋下市長もう止まらない、慰安婦問題発言 『アメリカはずるい』『建前は止めた方が良い』

この発言は非常に勇気のある発言だろう。多くのマスコミ(特に中国、韓国)は、日本の政治家の不用意発言を見つけては揚げ足取りに必死である。風俗の様なものは、女性を商品化する様なものだから、直感的にこの様な発言に対して多くの人々がどの様に感じるかは容易に想像できる。だから、風俗を半ば肯定するような発言をすれば袋叩きに合うことは最初から分かっていたはずだ。しかし、本音と建前が衝突することはそこらじゅうにあり、その中で現実の世界が本音と建前のどちらを選択するかと言えば、当然ながら本音を選択することになる。そこに、どこまで正直に向き合うかというのが、政治家やマスコミの本気度(良心)を表すことになる。

分かりやすい例を挙げてみよう。エイズが流行し、そのエイズ対策でコンドームの使用が呼びかけられた。実際、アメリカなどではハイスクールやその他の様々な場所でコンドームを無料で配布するということも行われた。日本人からすると首を傾げたくなるようなニュースであったが、アメリカではそこまで深刻な事態であった。しかし、コンドームの使用が必要となる事態はアメリカの建前において許されることであっただろうか?答えは「否」。決して建前では許されるはずの無い行為なのである。

アメリカ国民の多くはクリスチャンである。キリスト教では元々、避妊という行為自体が禁止されていた。子孫繁栄というのは神の意に沿ったものであり、否認行為は神に背くものであると以前は考えられていた。特にカソリックではその様な傾向が強い。背景には多分、近代医学の発達の前までの病気による死亡率の高さがあり、人類滅亡の危機を避けるためには(夫婦間の)避妊は否定されるべき行為であった。しかし医学が発達し、産業革命が起きて以降、特に第2次世界大戦以降の戦争すら頻度がある程度下がった状況下では、貧乏人の子沢山という生活の困窮に繋がることもあり、ある程度、出生をコントロールするようになった。この出生率のコントロールは禁止的行為なのだろうが、それでもこれは夫婦間の正当な生活に関するものである。上述のコンドームの配布とは、ハイスクールであれば最低でも婚姻関係にない男女間の性交渉に対しての利用を推奨するものである。夫婦間での性交渉であれば、出生率を気にしなければエイズのリスクなどは存在しない。仮に結婚前であったとしても、結婚を前提とするぐらいに特定少数の人との性交渉に限定すれば、エイズ感染のリスクもそれほど大きくはない。全ての人がそうだというわけではないが、何処かで不特定多数の人との如何わしい性交渉がありうることを前提としなければ、ハイスクールでのコンドームの配布の必要性は説明できない。それは明らかに神の意に背くものであり、そして人類が作り上げた道徳にも背くものである。建前のみを尊重することを前提にするならば、決してコンドームの無料配布の様な決断はありえない。しかし、実際にはそこまでしてエイズへの感染を防がなくては、人類が滅んでしまうという危機感から「必要悪」を認めようという本音が勝利したわけである。この本音と建前の衝突は、ありとあらゆるところで存在する。

第2次世界大戦が終了し、連合軍が日本に駐留することとなった。多くの米兵が遥か異国の日本にやってきて、長期間に亘る駐留生活を送ることになる。妻や恋人を国に残して単身でやってきて、その当時は大多数の兵士が男で狭い宿舎に押し込まれて生活していただろうから、性的な欲求のはけ口を内的には求めることができなかった(湾岸戦争では多くの女性兵士が妊娠して問題となったとも言われているが・・・)。そのため、戦後の日本では一時期、非常に進駐軍によるレイプが頻発した。時の日本政府がその対応を協議し、結果としてそこに慰安施設が作られることになり、劇的にレイプ被害者が減少する。当時の日本人からすれば、幾ら戦争に負けたとはいえ、当時は洗脳的に鬼畜米英と思い込まされていた兵隊さん相手に欲求のはけ口に利用されるのだから、日本の慰安婦も心の中ではどう思っていたか知らないが、生きるか死ぬかの生活に困る状況の中で十分な経済的な見返りを受けて、それなりに納得して身を落としていった人が多くいた。GHQは公式にはこの様な制度を容認しなかったが、だからと言ってレイプ被害者を出さないための最善の努力をしたわけではなく、結果的に彼女たちを利用して問題が大きくなるのを回避した。つまり、オフィシャルにGHQが慰安施設を容認してはいなかったかもしれないが、渡りに舟とばかりに彼女たちを利用したのが現実である。そして、彼女らがその他の一般女性の身代わりになり、レイプ被害者を防いだことになる。

クリントン前国務長官は慰安婦を「性奴隷」と表現したが、であれば実質的には当時の日本女性も米兵の性奴隷にされていたことになる。キリスト教的な考え方及び道徳的な考え方に立てば、婚姻関係にない女性を兵隊の性的欲求の処理のために利用し、そこで不特定多数の男性との性交渉を強いるということは、とてもではないが建前に立てば決して許されることではない。だから、決して彼女(クリントン前国務長官)は「アメリカという国が、歴史の中で性奴隷を生んできた」という事実を受け入れないだろう。しかし、実際にはそこに「必要悪」があり、性奴隷ではなく特殊なサービス業の女性を活用していたという事実がある。これは決して否定できない事実であり、そこまで彼女が否定することも無いだろう。だから、そこでの意見の食い違いは、それが「性奴隷」なのか「特殊なサービス業」なのかの認識の違いなのである。しかし、当の本人たちにとってはその呼び名などあまり意味はない。

今回、橋下代表は米軍司令官との会談の中で、沖縄県民に対するレイプなどの犯罪撲滅のためには、ある程度は風俗業の活用も考えなければならないと伝えたが、司令官は「それは法律で禁止されている」と応えたという。この「法律で禁止」ということが何を指すのかは分かりにくい。例えば、日本でも売春防止法が存在するが、多くの風俗ではこの法律に照らし合わせて違法行為が行われているが、一方でこの法律に抵触しないギリギリの風俗サービスも実在する。AV産業なども、何故、あれが売春防止法に抵触しないのか素人には分かりづらいが、ギリギリのバランスで世の中は成立している。その現実の建前部分を捉えて、「それは法律で禁止されている」というのは司令官としての立場(特に揚げ足を取られまいとする自己防衛反応)は良く分かるが、現実には多くのケースを容認しているのが実態だろう。橋下代表も「法律で禁止されていない風俗」を意図していると言っているように、単に建前だけでなく、その合法的な領域までを否定する必要などない。結果的にそれが沖縄県民の安全に繋がるなら、その様なアプローチがあっても仕方がない。それを大々的に宣伝するか、密やかに周知するかの違いはあるのだろうが・・・。

そして実際、その様な対策が取られていない中で行われたベトナム戦争では、多くの韓国兵による残虐なレイプ被害者は膨大な数に上った事実がある。「ライダハン」という言葉をWikipediaで引けば、そこで何が起きていたかを知ることが出来る。金大中元大統領はその事実をベトナムに謝罪しようとしたが、朴槿惠大統領は当時、その謝罪を批判していたという。これらも、決して拭い去ることはできない事実である。もし仮に、韓国軍がベトナムの地にて、その土地の人々と協議し、妥当な対価を支払って公にその様な施設を大々的に作っていたら、多くの被害者は救われたであろう。この様に考えれば、仮に合意の下でその様な慰安施設が作られていれば彼女たちのことを現在では「性奴隷」と呼ぶのであろうが、レイプ被害を受けた女性は「性奴隷」とは見なされないというのは詭弁である。今現在の、平和なこの時代の空気の中でみたら「慰安婦」というものをどう見るべきかは意見が分かれるかも知れないが、少なくとも戦場という非日常の世界の中で考えれば、全く違う評価がそこにあってもおかしくはない。いや、それこそが正しい認識だというべきだろう。

この様な観点からすれば、韓国との間の慰安婦問題は、それが「性奴隷」か「特別なサービス業」であるのかの認識の違いに帰着される。中には意図せずに騙されて働かされた人もいるのだろうが、それでも雇う側は女性自身ないしは女性の親族に対して正当な対価を払っていた(ないしは、払う制度は確立していた)。そして、別に意図して国や軍が直接的に関与して強制的に手当たり次第、慰安婦にしていたという事実は見当たらない。であるならば、現実は必要悪である「特別なサービス業」的な位置づけに近かったのだろう。建前を捨てて、本音で実を取ろうとした当時の日本軍が「悪」で、レイプを放置した韓国軍や米軍(進駐軍)が「正義」という主張は明らかに常軌を逸している。

ここまでの議論をクリントン前国務長官にぶつけた上で、それでもあえて「性奴隷」と呼ぶのかどうかを私は聞いてみたい。そして、同様に韓国のマスコミに対しても、同様に聞いてみたい。韓国のマスコミがそれを性奴隷と呼ぶのなら、次なる質問として、今、仮にベトナム戦争の時代に舞い戻ることが出来たとして、それでも慰安婦施設を作るべきではないと主張するのかどうなのかを聞いてみたい。日本政府に「歴史に真摯に向き合いなさい」というならばそれを我々も誠意を持って受け止めるから、同様に「あなたたちも歴史(ベトナム戦争)に真摯に向き合いなさい」と言ってやりたい。金大中元大統領が行おうとしたベトナムへの謝罪を、どうして朴槿惠大統領は非難しておきながら、自らは「歴史を正しく直視しなさい」と言えるのかを聞いてみたい。

多分、そこまで突っ込んだ話をして、本音と建前の垣根を取り払わねば、両国の深い深い溝を取り除くことは出来ないだろう。橋下代表の発言は、敢えてそのタブーに挑戦することで問題提起をしたものだと私は考える。これはまさにパンドラの箱で、マスコミはこの問題の蓋を開けたときに、様々な国において戦時中の残虐行為が至る所で白日の下にさらされ、収拾が付かなくなることを恐れているのかも知れない。しかし、だからと言って、全ての悪を日本に押し付けて、自らは聖人君子を気取っていることは明らかにフェアではない。

私は、(ケツが青いと言われそうだが)女性の商品化以前の問題として風俗というものを肯定する気にはなれない。しかし、人殺しが肯定される戦争というものが許されながら、その様な兵隊の前で女性の商品化だけは許されないという主張には賛成できない。極限状態においてどの様なリスクがあるかを直視し、そのリスクにより生まれる不幸を最小化するために合意の上で行われる緊急避難措置を否定する建前論は、結局、「ライダハン」を容認することを意味する。

にもかかわらず、これらの議論を短絡的に否定する日本の政治家、マスコミは、それこそ国益を損ねていることを実感すべきである。むしろ積極的に、海外に対して議論を吹っかけては如何だろうか?

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「消費税毎年1%増税法案」ふたたび・・・

2013-05-12 23:59:30 | 政治
今日のフジテレビの朝の「新報道2001」を見ていて思わず「おぉ!」と声が出てしまった。それは、1年以上も前に私がブログで提案していた消費税に関する提案と同じことを、今日のゲストが発言し、概ね揃ってそれに賛同するかのような雰囲気になっていたことである。

まず、私の提案とは下記のブログに記されたものである。

2012年3月28日「こんな消費税増税法案は如何だろうか?(毎年1%ずつ増税してみたら・・・)

今日の「新報道2001」のゲストは小幡績氏、飯田泰之氏、榊原英資氏、そして自民党の内閣官房副長官、世耕弘成氏である。この中の小幡氏が提案し、飯田氏がこれに賛同し、世耕官房副長官が否定せずに「適切に判断します」と回答していた。勿論、現時点では来年4月に消費税率8%に増税という路線で動いているから、これを否定する意味を含む「前向きに検討します」という発言が聞かれる訳はない。また、7月の参院選を前に、3党合意で消費税増税法案を通したのだから、このちゃぶ台をひっくり返すような発言を参院選前にすることは命とりである。だから、参院選前に「毎年1%増税論」を議論することはありえない。しかし、参院選を乗り切った途端に、安倍政権は消費税増税の可否判断を迫られることになる。確かに株価や為替相場を見れば、景気回復の兆しを見ることはできるが、しかし小泉内閣から第1次安倍内閣への移行時の失敗を考えれば、デフレ脱却の過渡期においてアクセルではなくブレーキをベタ踏みすることが何を意味するかは安倍総理は一番分かっているはずである。安倍総理のブレーンたる人々は、特にその様な考え方の人が大半だから、10月時点で8%への税率アップを決断することのリスクは、総理も耳にタコができるくらい聞くことになるだろう。

しかし一方で、G7やG20などの会合のたびに、世界各国の財務大臣や中央銀行総裁などは大幅な円安への動きを容認する反面、それと引き換えに確実な財政の健全化の歩みを求めている。だから、10月に税率アップの決断見送りをすれば、途端に海外から日本への非難の声が高まる可能性がある。韓国、中国を始め、良からぬことを企む輩がいる以上、その様な揚げ足取りとアベノミクス潰しのキャンペーンを回避するための細心の注意が必要なのは当然であろう。それを両立する方法があるかといえば、そんな都合の良い方法はなかなか見つからない。

・・・と思いきや、実はこの消費税毎年1%増税案は、そんな手詰まりの状況を一気に打開する妙薬なのである。海外が求めるのは、ちゃんと財政健全化ができる道筋を示すことである。増税でデフレ脱却にとん挫すれば、税収アップには繋がらないから財政健全化は遠のくことになる。しかし、財政健全化としては亀の歩みではあるが、1%ずつの増税は景気回復の基調に対するブレーキ効果は最小限にとどめさせ、しかも駆け込み需要とその反動の影響も最小化することができる。素人なので良く知らないが、所謂消費者物価の上昇率を評価する場合、多分、統計上の数字には税率の変更の効果などをキャンセルした指標で評価するのではないかと思うから税率引き上げに伴う物価上昇はインフレとは厳密には異なるのであろうが、仮にそうであっても実際の消費者のマインドはあまり消費税率と実際の物価上昇率の切り分けなど考えず、単純に「お金を持ち続けると価値が下がる」と理解するのではないかと思う。であれば、仮にインフレターゲットの2%が達成できなくても、実質的には消費者は消費に対するモチベーションを高めるのであろう。もちろん、この方針転換に合わせて、完全外税方式への変更なども必要だろうが、この様の考えのもとでは「消費税還元セール」などを禁止する必要性も無くなるだろう。

先のブログでも書いたが、景気弾力条項は意外にボディブローの様に効いてくる。民主党の消費税反対派が仕込んだ地雷の様なものである。だから、安倍政権はその地雷の撤去に踏み出さなければならないのだが、黒田日銀総裁のバズーカ砲が世界的にも評価を受けて、ひとつのモデルとして世界が認めたのと同様に、毎年1%消費税増税というモデルも、不景気とデフレに喘ぐ国における日本発の処方箋として世界が認めることになるかも知れない。

多分、景気弾力条項による8%へのアップの断念と同時に、この新たな消費税増税の差し替え法案を提出すれば野党は徹底的に攻撃をするだろうが、既に参議院選は終わった後である。次の選挙は3年後であり、その頃にはこの新しい案の有益さを検証済みの状態となっていることだろう。

あれだけ中国、韓国からの歴史カードによる揺さぶりで「ジャブ」をある程度受けてしまった安倍政権であるが、それでもこの週末の「新報道2001」の世論調査では安倍内閣の支持率は73.6%で上昇に転じている。自民党ですら43%の支持率を受けている。多分、自民党単独で衆参の過半数を抑えることは間違いない。であれば、この毎年1%消費税増税はかなり現実味のある政策ではないかと私は確信する。世耕官房副長官の笑みに、その様な何かを私は感じた。

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覇権主義の意味を世界に問い合わせよ!

2013-05-11 23:58:47 | 政治
最近のアベノミクスの成功を妬み、中国・韓国が日本に対する歴史カードを積極的に振りかざしている。その中では日本帝国主義とか覇権主義とか右翼、偏狭なナショナリズムなどの罵声が飛び交うが、マスメディアは何故この主張の是非を世界に問い合わさないのか疑問で仕方がない。今日はこの点についてコメントしてみたい。

最近では中国は、(政府の公式見解ではないが)沖縄すら中国の領土だと言い出し、日本からの抗議を受けて中国外務省の報道官は「中国側は、日本側の抗議は一切受け付けない」と明示ではないが中国共産党系機関紙である人民日報の主張に理解を示した。さらに続けて中国共産党配下の環球時報は、沖縄の独立勢力を「育成すべきだ」と訴え、少しづつ達磨さんが転んだ的に沖縄支配への歩みを進めている。同様のことは韓国でも起きており、対馬は韓国の領土だと地方議会が決議案を可決していたりする。

しかし、これは沖縄も対馬も共に共通することであるが、(細かな年数は知らないが)少なくとも過去100年以上の歴史の中で、(連合軍による一時的な統治を除けば)両島とも日本が確実な実効支配を続けてきたし、さらに50年以上に渡り中国も韓国も、日本の実効支配に異を唱えることはなかった。沖縄に関しては、少なくとも毛沢東以降の現在の中国(台湾の蒋介石は別だが)は日本の沖縄領有を支持してきた。対馬に関しても、韓国の李承晩大統領は連合軍に竹島、対馬を要求したが両島とも聞き入れられず、結果的に李承晩ラインを強引に引いて竹島のみを手にした。しかし、対馬に関しては李承晩ラインの外側に置くことで日本の主権を容認する形をとった。既に多くの日本人が住んでいた対馬は無人島の竹島と異なり、実効支配のためには多くの血を流さなければならないから侵略のハードルは高かったのだろうが、李承晩ラインを対馬を含めるように引いて宣言する口先領有は可能だったはずだから、敢えて李承晩ラインの外側に置いたことは領有権を諦めたことを意味する。その後、ここ数年までの間では沖縄、対馬の領有権に関する争いはなく、特筆すべきは中国、韓国政府の公式見解の中で、領有権に異を唱えることはなかった。沖縄、対馬程の人口を伴う実効支配が確立し、しかもそこでは日本の国内法が唯一通用することを、世界の人々は確認してきた通りである。これは、国際法(国際的な慣習)に照らし合わせれば主権がその国に存在することを確定させる要件になることは疑いもない。だから、その主権を奪い取ろうとする行為は侵略行為、ないしは現状では侵略の予備的な行為に他ならず、その様な侵略行為を世間一般では覇権主義と呼ぶ。

一方で、尖閣に関しては長いこと日本が実効支配をしていたことは動かし難い事実である。中国が1972年以降、これに異を唱えてきた事実はあるが、最低でも日本の立場には何ら変化がない。国有化がけしからんと中国は言うが、ならば日本の民間人の所有であれば日本の登記簿上に明文をもって法的に日本の領土と示されていても問題がなくて、国有だとNGだというロジックは、国際法的には何の意味もない。実際、民間人から尖閣の土地の借用を受けて、実際に国が管理していたのだから、どちらにしても法的な意味では日本の領土であることを明確に世界に示したわけである。だから、この国有化というたったこれだけの差分が覇権主義だというのは論理的に破たんしている。同様に、竹島に関しても李承晩ライン以降、日本は継続的に世界に日本領であることを訴え続けた実績があり、李明博大統領の竹島上陸を機に国際司法裁判所へ提訴する行為はそれまでの主張と何ら差分はない。しかも、その問題解決の手法が平和的な国際司法裁判所への提訴なのだから、覇権主義、帝国主義の対極に位置する行動であることは疑いもない。しかし逆に、50年以上の長きにわたり確定している(領有権に異を唱えずに来た)領土問題に対し、今頃になって急に「俺の物!」と主張をして相手国を罵倒するならば、それはやはり侵略の予備的な行為とみるのが妥当だろう。

多分、このロジックを欧米諸国に問い合わせれば、全ての国が日本の主張に同意するに違いない。竹島や尖閣の問題については双方に意見の対立があるのは認めるとして、沖縄と対馬に関しては中国、韓国の覇権主義の明らかな兆候がそこに見られることは、欧米諸国であれば理解されるはずだ。というのも、ヨーロッパという地域の特徴であるが、各国の領土が陸続きであるために、国境の画定は長い歴史の中で常に問題となってきた経緯がある。その時の思い付きでイチャモンをつけることを認めたら、それぞれの国の国境は常に不安定になり、友好的な関係を築くことなどできない。だから、その経験からくる慣習を破る行為に対しては、非常に敏感に反応するはずである。

私は、この様な問いを欧米諸国に問う動きを、何処でも良いから日本のマスコミ主導でやって頂きたいと思う。つまり、他国の主要なマスコミに対して紹介をかけても良いし、各国の駐在員にその国の中でのアンケートの実施を指示しても良い。それが、その国のマスメディアに取り上げられる様な動きであるとさらに好ましい。多分答えは、「尖閣、竹島の領有権がどちらにあるかは良く分からないが、それが日本の覇権主義の象徴とは思えない。一方で沖縄、対馬に関する動きは、それが中国、韓国政府の公式な見解ではないにしろ、覇権主義の兆候に見える」というものだろう。

中々、自分の主張を訴えるのは難しいが、この沖縄、対馬に関しては非常に分かり易いはずだ。この辺を突破口にして、中国、韓国の言い分にはおかしなことも含まれているという事実をアピールすることが、ひとつのとっかかりになるのではないかと思う。

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