けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

日本再生の処方箋はこれだ!

2012-10-31 22:11:07 | 政治
今日は、ここ最近話題になったふたつの全く関係のないニュースの先に見える希望について考えてみる。

ひとつ目のニュースは日銀の金融緩和のニュースである。色々と日銀が手を打っているのは分かるが、どうも新聞などの論評では評価が低い。私は論理的な視点から経済政策の妥当性を評価できる情報を持ち合わせていないので、この政策の妥当性について、新聞の論評が本当に正しいかどうかはコメントできる立場にはない。しかし、新聞の論調がイマイチの反応を示す理由が、日本経済に直結する大きな指標である為替レートにおいて、今回の対応が円高是正のための対策として効果があるように思えないというのであれば、やはりもう一歩踏み込んだ対応を期待してしまうところである。現在の為替レートが所謂実体経済を反映した値とはいえない状況で、過剰な円高は諸外国との経済競争で大きなハンディを背負っているのは疑いのないところであり、素人でも円安誘導の必要性は実感している。しかし、ならば短絡的に円安誘導の政策をバンバン出せば良いではないかというとそう単純ではない。だからこそ、見識に秀でている日銀の金融政策決定会合出席者や政府・財務省なども手を焼いているのである。逆に言えば、円安誘導の政策をバンバン出せという主張はある意味で正しいが、他方のリスクを全く無視した発言とも言える。

さて話は変わってふたつ目のニュースである。メタンハイドレートが、日本海やオホーツクなどの広範囲に存在し、しかも海底から掘削して数メートルという比較的浅い領域に、大量に存在することが分かったというニュースである。個人的には何を今更というニュースであり、最近のニュースを見るよりも、私の好きな「ぼやきくっくり」さんの下記のページを見る方が詳しく分かる。

「ぼやきくっくり」関西テレビ「アンカー」青山繁晴の“ニュースDEズバリ”テキスト起こし
6/13放送「独自調査日本海に眠る燃える氷メタンハイドレートの新たな未来を青山解説
6/20放送「期限迫る消費増税法案の行方〜小沢グループ“造反”の真相を青山ズバリ!
6/27放送「日本海の海底新資源初公開映像を青山解説

特に3件目の3D画像というのが分かりやすく、殆ど海底の露天掘り状態という驚くほど好条件での採掘が可能だという。しかも、日本のエネルギーの130年分という予測もある訳だから、一気に開発してしまえばエネルギー問題を短期で解決することが可能であり、その後100年は安泰とも言える。日本海側には原発も多いが、今後はメタンハイドレートによる発電所を建設すれば、殆どエネルギーの地産地消と言える。CO2排出量的には再生可能エネルギーへのシフトが必要だが、一般的な火力発電に比べて通常に比べてCO2排出量は2割ほど少ないというから、そのシフトへの執行猶予期間を稼ぐ意味では好都合な資源である。再生可能エネルギーの重要性は誰もが認めるが、その普及に要するコスト、すなわち電気料金の値上げなどを考えれば、そう単純に短期で解決するような話ではないし、リスク分散の観点から別の保険をかけるのは当然ながら重要である。多分、メタンハイドレートの開発を国家を挙げて取り組めば、5年程度で大規模な生産体制を構築することは可能だろう。

さて、これらのふたつのニュースは誰が見ても関係ないニュースである。しかし、実はそれなりに絡み合った関係なのだと私は確信する。というのは、先ほどの経済政策において、単純な円安誘導政策が取れない最大の理由は、円安により様々な資源を輸入する際の価格が高騰し、それが生産物の価格を高騰させる圧力となるからである。その中の最たるものは石油や天然ガスであり、原発を封印された日本にとっては火力発電の燃料である天然ガスの価格高騰は致命的なのである。だから、資源を持たない日本にとっては、円高のデメリットは痛いところだが、過剰に円安に振れるリスクはそれ以上のものがあり、有識者が思わず政策決定の際に足がすくんでしまうことは容易に想像できる。もちろん、為替レートが1ドル80~85円程度をキープできれば円高対策が進んだ日本としては都合が良いのだろうが、そんな都合の良い領域を簡単には維持できないのは経験的に分かっている。円高圧力をタタッ切る強烈な政策を取れば、それが行き過ぎて一気に1ドル100円まで落ち込んでしまう可能性もある。だから、少なくとも産業の血液ともいえる電力を安定的に供給できる目処がない限り、思い切った政策が打てないのだろう。このような意味で、天然ガスを安定して安価に供給できる手段を確保するのは非常に重要なのである。

もちろん、ロシアのサハリンから天然ガスのパイプラインを引いたりすることで安定した供給を確立することは可能かも知れないが、これは明らかに戦略物資だから、特にロシアや中国のような国にその生命線を握られるのは自殺行為である。当然、日本国内で自前で調達できればそれに越したことはなく、だからこそ日本海を中心とするメタンハイドレートの開発が鍵を握るのである。

これらを総合すると、日本政府はここぞとばかりに大金を注ぎ込み日本海のメタンハイドレートの採掘体制を一気に確立し、このスケジュールに合わせて関連する政策を戦略的に立てるのである。例えば、円安になれば鉄鋼関連など大幅な打撃を受ける業界もあるのだろうが、円安誘導に合わせて国家的にこの様な企業に対する対策を考え、5ヵ年計画ぐらいで緩やかな着地に向けた準備を怠らなければ、国家全体としては非常に大きな転換を図ることが出来るだろう。

これまでの実体経済を反映していない為替レートは、特に家電製品などを中心に韓国勢に攻め込まれた状態を生み出すもととなった。この状況を改善し、経済に対する耐力を高めることは、対韓国、対中国などの外交でも相手に対する弱みを見せずに済むことになり、外交上でもプラスにはたらく。一旦、良い方向に歯車が周り出せば、全てにおいて良い方向に向かう流れが力強くなり、日本再生に繋がる。
だから、そのきっかけとして今回のふたつのニュースをセットで捉え、日本再生のきっかけにしてもらいたいものである。

←人気ブログランキング応援クリックよろしくお願いいます

もはや離党者の数など問題ではない!

2012-10-30 23:05:08 | 政治
石原都知事の辞任以降、堰を切ったように民主党から離党者が出て、どのタイミングでマジックナンバーがゼロになるかという報道をよく耳にする。民主党も慌てて、昨日離党した2人に対しては離党届を受理せずに、説得工作を続けるという。確かに興味が行きがちな点ではあるが、個人的にはあまり意味のない話だと思っている。

言うまでもないことであるが、民主党に対する風当たりは強く、総選挙が年内か年明けかの違いはあるにせよ、来年夏まで逃げ切れる可能性は日増しに低くなっている。仮に夏まで逃げ切ったとしても、その時点では今よりももっと悲惨な事態(例えば支持率一桁、不支持率80%以上)になっているのは容易に予想できる。だから、特に当選一回の知名度の低い議員にとっては、最初から次回の選挙での当選を期待しなければ別であるが、当選したいと思う限りはどの様なタイミングでどの様に振舞うと当選の可能性が少しでも上向くかということを考えるはずである。とすれば、沈み行く泥船の民主党に対して自らを如何にして差別化を図りアピールするか、それが死活問題なのである。民主党のここ3年間の活動は裏切り行為以外の何者でもないから、彼らにとって選挙で有利にはたらくテーマは何かということを考えれば、ここまできたら原発問題ぐらいしかない。

ここまで追い込んだ野党側から見れば、この会期末には内閣不信任案を確実に出すことになるが、不信任案可決を確実にするためにはひと工夫が必要である。それは、ここでの不信任のポイントは「嘘つき政権に政権を担う資格なし!」ということだろう。だから自民党は、内閣不信任案を提出する際のその理由の中に、民主党の原発政策に対する矛盾を含め、それをマスコミで大々的にアピールすれば良いのである。誰もが覚えていると思うが、野田政権は国民受けする脱原発を宣言しておきながら、イザとなったらそれを閣議決定には含めず、しかも六ヶ所村の再処理を継続したり、承認済みの原発建設を許容したりと、誰がどう見ても嘘つき以外の何物でもない行動を取ってきた。この「嘘つき」を糾弾するという意味では、別に脱原発を推進すべきという内容にこだわる必要などない。自民党は原発推進でも、それを誠意ある正直な態度で臨めば、決して嘘つき呼ばわりされる筋合いではない。あくまでも、調子の良いことを言って裏では逆のことをやっていることが行けないという、嘘つき行為の糾弾なのである。この点では、それが自民党だろうが国民の生活が一番であろうが共産党であろうが、それぞれの党のスタンスに関係なく、それを否定する理由は何処にもないのだから不信任案としては成立せざるを得ない。ここで反対、棄権などの動きをすれば、それは嘘つきを追認することになるから、輿石幹事長と小沢氏が裏でどの様な話をしようと流れは変えられない。

同様に、不信任案が提出された時に民主党議員が不信任否決側に回ると、それは少なくとも脱原発に関して「民主党の(脱原発の)詭弁に加担」したことを意味してしまう。彼らが自民党の候補者に勝てるチャンスは、現状では脱原発で自民党に差別化を図ることぐらいしかない。しかし、「民主党の詭弁に加担」すればそれは彼らにとって次の選挙では致命的だから、党議拘束に応じて素直に否決票を投じることはできない。最低でも棄権しないと理屈が通らない。逆にテレビでは誰が棄権して誰が賛成票を投じるかを取り上げるだろうから、事前に賛成か棄権の態度を表明するとテレビ写りの頻度が増え、来るべき総選挙の際の有権者へのアピールにつながる。この時が最大の民主党との差別化、アピールのチャンスなのである。このチャンスを待っている民主党議員は相当多いはずである。

もし仮にリスクを避けたいのなら、脱原発をもっと積極的に発信することを党執行部に求めるアピールと称して不信任案を棄権すればよい。その制裁として党が公認取り消し(ないしは除名)すればそれはそれで更にテレビで話題になるし、逆に公認が得られれば脱原発について仁義を切った上に民主党から刺客を立てられずに済む。この様な打算的な議員の多くが棄権側に回れば、その際の不信任案成立のハードルはぐっと下がる。そのような議員は最低でも12名以上はいるだろうから、つまり既にマジックナンバーはマイナスになり、将棋が詰んだことを意味する。

さらに逆のシナリオも考えてみよう。第3極の結集の流れが強まり、離党により与党側が過半数割れに早期に追い込まれた場合である。多分、自民、公明は責任政党として特例公債法案と衆院議員定数の改正法案の成立までは見届けてから内閣不信任案を提出するだろうから、結局、マジックナンバーがゼロになるタイミングなど関係なく、この臨時国会の会期末頃に解散に追い込まれることになる。都知事選に合わせてどうしても12月16日の投開票を実現しようとすると、もう少し乱暴な動き(ふたつの法案が両方成立する前の不信任案提出)もあるかも知れないが、仮にそうなっても結果はそう大きく変わらないだろう。既にジタバタしても遅い状態になっているのである。

だから、自民党も民主党も第3極も、ただ淡々とやるべきことをやるだけなのである。お祭りに浮かれずに、どれだけきっちり仕事をするか、それが重要なのである。

←人気ブログランキング応援クリックよろしくお願いいます

その驚きの桁違いの裏にあるもの

2012-10-29 23:59:47 | 政治
本日、臨時国会が招集されて33日間の論戦が始まるが、所信表明演説などもあまり中身がないので、今日は違ったテーマについて書いてみる。数日前のニュースではあるが、私は非常に驚いたニュースがある。それは下記のニュースである。

日本経済新聞(2012年10月27日)「中国、権力争い情報戦 温首相に巨額蓄財報道 指導部交代控え薄氏派がリークか

最初にポイントを整理しておくと、このニュースの驚くべき点は、一つには権力闘争の中で不正蓄財という裏の情報のリーク合戦が始まったこと、もうひとつは不正蓄財の桁が常人の予想を桁違いに上回っているという点である。これが、今後の10日間程(ないしはその後も継続して)の間の中国の政局にどの様な影響を与えるかが興味深い。

まず、この事件の事の発端は26日のニューヨークタイムズで温家宝首相の2100億円もの不正蓄財が報じられたことである。そして、その後の続報ではその情報の出所が中国国内の政権闘争の中でリークがなされた可能性があるということである。その報道自体は、温家宝首相本人が不正蓄財をリードした証拠を示すのではなく、あくまでも親族に関連した蓄財が総額でこの金額となるというものであるし、元々、今年で引退を予定しているので、権力闘争という意味では温家宝氏は既に終わった人なのである。実は習近平次期国家主席にしても同様に、この7月に米国のブルームバーグ社が習近平氏の親族が300億円の不正蓄財を行っていると報じられた。これも、何処かからのリークから始まったとの噂である。

巷の噂では、スキャンダルで失脚した薄熙来氏が今後の復活の芽を残すためか、ないしは重い罰則を避けるためか、その他の人々に脅しをかけるかのように、この様な情報をリークしたとされている。まだ、リーク元が薄熙来氏の親派と決まった訳ではないし、習近平氏の話題との関連性も分からないが、不正蓄財はお手の物である薄熙来氏の親派からすれば、幾らでもこの手の裏情報を持っているのだろう。場合によっては、相互に財産の隠し方などの情報交換すらしていたのかも知れない。だから、その動かぬ証拠などを示せなくても、それなりの信憑性があれば情報のリークは破壊力としては十分なのかも知れない。

少し話は逸れるが、韓国の例を見ればここ何代も大統領になったが最後、自分か親族などの身内が牢屋に入るのは当たり前であるにも関わらず、懲りずに毎回毎回何らかの不正行為を企み、結局捕まることになっている。ここまで明らかなリスクが分かっていても、それでも「分かっちゃいるけど止められない」のだから、その不正が明るみに出るリスクが1万分の1程度(さらに、もみ消し工作でバレても逃げきれる)しかない中国であれば何でもありなのは容易に想像できる。その不正蓄財の単位が千億か、百億か、それとも兆に手が届くのかは別として、胡錦涛も習近平も江沢民も、多分、ありとあらゆる中国の権力者やその親族、取り巻きなどは、全て例外なく不正蓄財をしているのは間違いないだろう。田中角栄元首相などは、ロッキード事件や新潟の河川敷に関連した不正蓄財などを全て含めても10億円程度だろうから、中国の要人に比べたら不正の度合いは可愛いものである。

多分、今回のニュースにしても中国はインターネットでの情報の流通を遮断しているし、中国外務省側は中国を陥れるための悪質なデマとの否定発言をしているから、権力闘争の直接的なダメージは短期的にはあまりないのかも知れない。しかし、最初に触れたもうひとつの側面、つまり不正蓄財の桁が常人の予想を遥かに超えるというのはもう少し深刻なはずである。

例えば、日中関係が尖閣問題で冷え込んだとき、決まってニュースで流れるのは成金の中国人が沖縄や様々な日本の観光地にやって来て、何十万、何百万の「大人買い」をして街が潤っていたのが、旅行の取りやめで経済的なインパクトが大きいというものであった。他の人はそれを見てどう思ったか知らないが、その映像は非常に異様であった。バブルの時代の日本にも成金は多くいたが、少なくともあの様な馬鹿な「大人買い」をしている人はごく僅かだったし、無駄遣いをするにしてもヤケクソな使い方ではなかった。中国の人口は日本の10倍であるから、10倍だけ変な奴が多くてもおかしくはないが、沖縄などの観光地以外にも銀座や秋葉原を始め、至る場所で大量の中国人が大人買いをする光景を見れば、多分、不正蓄財の金額の桁が予想外であるとともに、その恩恵を被っている人の桁も予想外という実態があるのだろう。だとすると、北京に限らず至るところの地方都市でも石を投げれば不正蓄財をしている役人や不公平な手段で富を得ている人々に当たるという現実があり、温家宝首相を引きずり落として裁きにかけることはできなくても、自分の街の不正役人や太子党などの裕福な奴らをとっ捕まえて裁きにかけさせることは可能なはずである。その動きに一旦火が付けば、中央政府はそれだけで防戦一方になり、その中で自分の不正蓄財が暴露されたら致命的になりかねないから、胡錦涛、習近平、江沢民などの権力者は相互にすくみあいになり、そこに付け入る隙が生まれるかも知れない。勿論、この様な流れを反日に転嫁しようという動きもあるだろうが、この次は前回のように政府のコントロール下に保てる保証はないだろうから、もう少し慎重にはなるはずだ。

だとすれば、アメリカと協力しながら、アメリカ及び日本国内の不正蓄財の可能性などを綿密に洗いまくり、少しでも中国の権力者の弱みを握る最大限の努力を行うことは国益に叶うはずである。中国はインターネットの検索を遮断するが、中国版Twitter「ウェイボー(微博)」では情報はダダ流れという噂が一方である。尖閣問題に対する備えとしては、軍事的な備えよりもこの様な備えの方が実際には有効であり、その情報のウェイボーへの投稿が最も効果的だろう。意外に良識ある人がウェイボーのユーザには多いというから、この様な戦略を専門で立てる活動機関が日本にも必要なのかも知れない。

←人気ブログランキング応援クリックよろしくお願いいます

今度は安倍総裁の罠にかかったのか?

2012-10-27 23:58:30 | 政治
今日、野田総理は記者団の質問に対し、「法改正と区割り作業を行い、周知作業もいるのが一般論」とした上で、「どうしても国民に信を問わなければいけない状況が生まれるなら、首相の専権事項として判断しなければいけない」と述べたという。

解散を阻む要因は大きく3つあり、特例公債法案の成立、衆院の定数是正に関する選挙制度改革法案の成立、選挙区の区割り確定による定数是正の完成、であろう。先の二つは急げば1ヶ月以内で達成可能であるが、最後のひとつは法案成立後に2〜3ヵ月を要するために、これを必須とみなせば解散は早くて1月末となってしまう。予算編成の佳境であることを考えれば4月まで解散は無理だろうから、ここまで来ると衆参ダブル選までズルズル行く可能性が出てくる。だから、野田総理がこの点をどう考えているかは非常に重要なポイントである。総理はこの点を玉虫色にしたままにしておく選択肢がある訳だが、自分から発言するということは、明らかに解散に向けて1歩踏み込んだ発言をしたことになる。一節では、この発言の背景には、事項に年内解散の可能性を示すことで特例公債法案への協力を促す意図があるとも言われるが、安倍総裁は最近の発言では国会審議には全面的に協力し、会期内の法案成立を目指すと言われているから、時系列を考えれば事態を打開することが目的ではないはずだ。

ついつい読み流してしまう記事だが、少々うがった見方をすると、この状況を次のように解釈することもできる。あくまでもシナリオとしての可能性を考えてみただけではあるが・・・。

私の予想では、先日の党首会談で、安倍総裁は罠を仕掛けたのだと考えている。それは、どうせ解散の確約など出来る訳はないのを知った上で確約を迫り、それを拒否する野田総理に「ならば、我々が特例法案成立の約束をしたら、区割り確定が総選挙の時期を制約しない旨を国民に宣言せよ!これなら条件として飲めるだろ!」と交換条件を示したのだと思う。野田総理は、何の意味かは分からず「それなら約束しよう!」と確約し、現在の状況に至っているのではないだろうか。もちろん、安倍総裁がマスコミに特例公債法案の審議に応じると発表した後に、電話で野田総理に「次はあなたの番だ!」ぐらいのことは言っているだろうが・・・。しかし、これにはもう少し余談があるのだろうとも思っている。前原戦略相が解散は年内と言っていることについて、多分、野田総理と前原戦略相の関係であれば、突っ込んだ話をしているのは容易に予想ができる。前原戦略相は野田総理に「これは詰将棋で言えば『詰み』の状態だ。参院選での連続惨敗を回避するためにも、ここは年内解散に応じるべきだ」と説得に走り、その会話の中で今回の区割りの位置づけが話題となり、事の背景(安倍総裁の罠)を野田総理に解説したのではないかとも思われる。野田総理はその流れで解散の必要性を悟り、「解散の確約など絶対しない」と民主党執行部を騙しながらも、安倍総裁の罠にそのまま飛び込む覚悟を決めたのではないかと予想する。

この状況で行けば、ふたつの法案は11月末までに成立し、会期末に内閣不信任案が提出される。採決の中で民主党が慌てふためき国民にさらなる醜態を晒すのを避けるために、野田総理は法案が成立した段階で解散を宣言する。上手くいけば12月16日と噂される都知事選とのダブル選挙になるかも知れない。少々、楽観的過ぎる予測ではあるが、ちょっと前より急激に事態が動き出したのではないかと思う。

新年は、気持ちよく迎えられるのかも知れないと思うと、毎日のニュースが待ち遠しく感じられる今日この頃だ。

←人気ブログランキング応援クリックよろしくお願いいます

悪い話と良い話は紙一重

2012-10-26 23:52:12 | 政治
昨日の石原都知事の会見の中で、橋下大阪市長との連携に関連し、「彼の辣腕なら1期で解決する。私はその前のワンポイントの先発ピッチャーでいきますよ」との発言があった。

2月27日のこのブログ「『維新の会』を国会で仕切るのは誰だ?」でも、日本維新の会を国会内でまとめる人がいないので、橋下大阪市長が大阪から動けない間は石原都知事がお目付け役で国会内で君臨し、次々総選挙で橋下市長が国政に参戦できた暁にトップの座を禅譲するというシナリオを書いてきたが、石原都知事としてはそれもまんざらではないという発言に聞こえる。実際、今日の記者会見でも「薩摩と長州は戦争もするような間柄だったが、大同小異で倒幕で一致し、大政奉還に漕ぎ着けた」として、原発問題と憲法問題という比較的重い議題ですら「些細なこと」と位置づけ、さらに上位概念でのグレートリセットを目指すための第3極の集結を呼びかけた。

一方の橋下市長は、政策での一致が前提とのコメントをしながら、微妙な距離感をかもし出している。というのも、みんなの党との関係改善が動き出しており、今日も幹事長クラスの会談で選挙協力を目指す方向での意識合わせを積極的に進めている。ただ、みんなの党と日本維新の会の関係は、最近囁かれているほど良い関係だとは私は思っていない。何故なら、みんなの党から日本維新の会に鞍替えした比例選挙で当選した参議院議員の議員辞職をめぐり、橋下市長がある程度の理解を示しながらもそれが実現しておらず、両者が疑心暗鬼に様子見をしている状況に近いと思われるからだ。私の感覚からすると、みんなの党は渡辺喜美代表の党ではあるが、渡辺代表が自民党政権での行革担当相として活動していた際に、福田元総理や公明党の冬柴元国交相などが足を引っ張ったことをいまだに根に持ち、(当初はそれが他党との差別化というメリットがあったのであろうが)ラディカルな立場を鮮明にすることでみんなの党の行動範囲を狭めまくり、結果的にハリセンボのように他党との連携ができない状況に陥っているように思えてならない。

橋下市長も既成政党を否定はしているが、彼は典型的な現実論者であり、机上の空論を振り回すよりも現実的な「実」を取ることを優先するタイプである。だから自ら主張する政策を実現するためには、(参院での議席がないことを考えれば)連立政権に加わり政権与党として振舞う必要性があり、その様な政治的な制約からくるギリギリの妥協を見極めようと必死である。大飯原発の再稼動などはその典型的な判断だと思うし、最近では民主、自民、みんなの党などからの国会議員の合流を認めたことなどからもうかがい知れる。日本維新の会が仮に100名程度の議席を確保できたとしても、自らの政策を実現するためには自民党との連携は不可避である。現状を見る限り、自民、公明、日本維新の会、たちあがれ日本(石原新党)などが連立すれば、少なくとも総選挙後の衆議院での過半数は十分に確保できるだろうから、みんなの党は決してキャスティング・ヴォートを握ることは出来ない。日本維新の会はみんなの党と心中するつもりなど欠片もないだろうから、小選挙区では相互に候補者を競合させず、比例区では戦い合うという最小限の選挙協力に落ち着く可能性が高い。

さて、ここから先はもう少し大穴の大博打の予想をしてみよう。

今回の石原都知事の決断で政局に動きが見えてきたが、実際の選挙までの間には、更に紆余曲折があることが予想できる。例えば、石原都知事の現状に対する危機感に対し、たちあがれ日本の議員ですら「橋下市長と組むのはイヤ!」という人がいるくらいで、大同小異ではなく些細な差分を誇張したがる人が意外に多い。たちあがれ日本は今月中に解党するそうだが、気がつくと国民新党ではないが、平沼代表だけが石原都知事と連携し、残りの議員は別途結集して袂を分かつという結果もあるかも知れない。折角の流れに冷水をさすことになるかも知れないが、それを逆に逆手に取って、石原都知事と平沼代表が官僚制度のグレートリセットという政策に限定して政策に合意し、その実現のためにはその他の小異に関しては党の方針に従うという誓約のもとで日本維新の会に合流し、国会議員団を石原都知事が仕切るというシナリオは、意外に現実味を帯びてくるかも知れない。

というのも、昨日、日本維新の会の国会議員団が作成した次期選挙の公約原案が明らかになったが、これを党代表の橋下市長がこき下ろすという不思議な事態が発生している。「政調会にも上がってきていない。今後激論になる」とも言うぐらいだから、正式なルートで処理されたものではないことは明らかで、完全に国会議員団が勇み足で自分たちの存在感を示そうとして、こっそりマスコミにリークしたのではないかという感じである。しかし、これだけ身内の現職国会議員をコケにするのだから、どう考えても虎の威を借る狐的な国会議員団に対して橋下市長が手を焼いているのは明らかである。結局、自らが国政に出馬するか、代わりのカリスマ的存在を国会議員団のお目付け役に据えるかの選択を迫られ、石原都知事を担ぐ可能性が高まる状況は、少し前よりは荒唐無稽な話ではなくなりつつある。何より、あの妥協など許しそうもない石原都知事が大同小異と言い出すのだから、石原都知事は変わったと考えるのが正しいだろう。

一部の人は、「これは大同小異ではなく、民主党と同じ選挙目当ての寄せ集め」と揶揄するが、目的が「政権交代」か「グレートリセット」かではその意義は大きく異なる。手段であるはずの「政権交代」が目的化した民主党は政権交代時点で目的を失い、党としての求心力は即座に失われたが、日本の立て直しのためのグレートリセットという目的は、政権交代では求心力は失われない。民主党と同じ道をたどる可能性は否定できないが、比較第一党の自民党の安倍総裁がうまく舵を切れば、次の4年間の任期までは安定政権を築ける可能性は十分ある。

悪い話と良い話は紙一重である。今回の状況はどの様に出るのであろうか?

←人気ブログランキング応援クリックよろしくお願いいます

ついに動き出した政局!

2012-10-25 23:39:32 | 政治
今日、石原都知事が辞任し、新党結成を宣言した。別に新党結成を宣言しても即座の都知事辞任は必須ではないから、この決断力は野田総理の決断力と極端にされるものとなる。

最初に疑問に思うのは、まさにこのタイミングが何を意味するのかという点である。都知事であるときに、不意をついて解散総選挙となれば、都知事の引継ぎや残務などに追われ選挙活動に100%を費やすことが困難かも知れないので、そのための時間を稼ぐという視点と、なるべく選挙に近いタイミングで話題性を保って選挙に突入したいという希望があるから、その解散のタイミングを慎重に解析しながら、何らかの根拠の元で「いまだ!!」と見切って判断したのだろう。そして、大雑把に言えば、新党結成から選挙までの期間は3ヶ月以内がひとつの目安だろうから、逆算すれば年内の解散を確信したということが予想される。ただ、年末だと予想していたらもう少し引っ張ってから、臨時国会の動向を見ながら判断することも可能なので、厳密に言えばもう少し早い11月末の臨時国会会期末での解散を見越しての判断のようにも思える。

では、何を根拠に11月末の解散を判断したのだろうか?実は、このブログでも頻繁に引用している「ぼやきくっくり」さんのブログの中の「10/24放送 関西テレビ「アンカー」青山繁晴の“ニュースDEズバリ”」の文字起こしの中で、面白い自民党の戦略を紹介していた。これは、民主党主導の特例公債法案の審議をどのように扱うべきかという従来の考え方と異なり、自民党から議員立法という形で特例公債法案を提案し、その審議を民主党に迫るというものである。自民党が主導するから、参院での問責決議の有無に関係なく、自民党も公明党も審議への参加に対するハードルは取り除かれる。民主党は国政を預かる側として、国民生活を第一に考えれば、民主党主導に拘らずにこの提案に乗ることが最も法案成立の近道であることは明らかだから、これを拒否することは全くもって大義名分が立たない。結果的に11月中の法案成立はかなりの確率で期待できる。実際、安倍総裁の最近の発言でも審議拒否はしないというニュアンスが読み取れる。となると、残る問題は衆院の定数是正の問題だが、こちらの方も同様のアプローチで11月中の成立を最大限に目指す努力をしていけば、会期末での内閣不信任案、問責決議などに向けて「錦の御旗」を自民党が完全に手にすることができるので、民主党的にはトドメをさされることになる。

一説では、野田総理は総辞職を選ぶのではないかとの話もあるが、この期に及んで「私を信じて欲しい」と語る野田総理が総辞職を選べば、仮に細野政調会長を総理に担いでも選挙の結果は変わらない。逆に、惨敗が確実であればそこでの惨敗の責任を取って速攻で民主党代表職を辞任すれば、次の参院選での顔として担ぐことはできなくなる。民主党にとっては衆院よりも参院での議席の大幅減の方が致命的だから、ここは常識的な発想の人であれば細野政調会長は参院選まで温存し、野田総理でのもとでの総選挙惨敗の衝撃を最小化する方法を考えるだろう。多分、11月中にやるべきことが終わってしまうと、無駄に解散までの時間を稼げば稼ぐほどジリ貧で支持率が落ちるのは間違いないので、昨日のブログのように仮にロシア訪問があってもなくても、年内の解散は決断せざるを得ないだろう。

この様に考えると、まさに今こそ新党立ち上げの時期だと石原(前?)都知事が考えたのは理解できる。これが、さらに呼び水となって、雪崩のように流れが確定していくのが目に見える。橋下大阪市長との連携も合わせて、これから急激に動き出すのであろう。毎日のニュースが楽しみになった。

←人気ブログランキング応援クリックよろしくお願いいます

野田総理と民主党の罠を考える

2012-10-24 23:19:01 | 政治
相変わらず空転している国会であるが、今後の展開について少しばかり考えてみたい。

まず、最近の動向としては田中法相(拉致担当相兼務)の辞任が話題になっているが、これが背景を紐解くひとつの鍵なのかも知れない。産経新聞(2012年10月13日)「田中法相の『黒い交際』“身体検査”で官邸は把握していた!?」によれば、今回の組閣の約一週間前に、警察庁を通じて神奈川県警に対し田中氏の身辺調査の指示があったという。「県警は洗いざらい報告したが、なぜかスルーされてしまったようだ」とのことで、少なくとも野田総理側は以前からの噂も含めて、この様な事態になることは当然のごとく把握していたはずである。一方、前原国家戦略相は「常識的には解散は年内」ともテレビなどで公言してはばからない状況で、野田総理も不快感を示しながら色々な動きがある。

ここから何が読み取れるのであろうか?

まず、その前の山岡消費者担当相(これも拉致担当相兼務)の時もそうだが、最初からこの田中法相が最後まで持つ訳がないのは自明である。田中防衛相の場合は、ひょっとしたら何とかなるかも知れないという期待もあったかも知れないが、山岡消費者担当相などは常識的にあり得ないほどその役職と黒い噂がミスマッチであり、不適格性はずば抜けている。それでも選んでしまうのだから、ひょっとすれば「単に何も考えていないだけ」という可能性は否定できない。しかし、それでは身もふたもないので少しは過去の失敗を学習しているという前提で考えると、野田総理は今回の政権は短命で、少なくともその短い期間ぐらいはこの人でも乗り切れるはずだと読んでいた可能性が高いと考えられる。前原国家戦略相の発言と絡めると、民主党執行部としてもズルズル解散総選挙が後ろ倒しされると、来年の参院選との間隔が近くなりすぎ、衆院での大惨敗をリセットする前に参院選が来てしまうことになる。2月、3月は予算編成の佳境なので、1月中の総選挙を前提とすれば解散のデッドラインは常識的には年内であろう。これを逃すと3月下旬解散、4月末or5月上旬選挙、7月参院選という流れになる。過去のブログでも触れたが、新政権のご祝儀相場期間に参院選となれば、どう考えても民主党は衆院に加えて参院でも大幅議席減となるのは確実である。特に参議院の任期は6年だから、今後、6年間はその状態が継続するのは確実なので、もし仮に「解党するからどうにでもなれ!」という気持ちでもなければ絶対に避けなければならない至上命題となる。逆算すれば、前原国家戦略相の言い分は誰が考えても常識的な線である。だから、野田総理も年内の何処で解散をするのかを考えているはずである。

ここで別の鍵を握るイベントであるが、この12月には野田総理のロシア訪問が予定されている。一説では北方領土の2島返還が議論されるのではないかと噂され、その実績を掲げて解散に打って出るというのが現時点で野田総理に残された最後のカードである。つまり、まだ日付は確定していないが、12月の何処かに設定されるプーチン大統領との会談に如何にして漕ぎ着けるかが最大の課題なのだと思う。しかし、ロシアからすれば訪問前に解散時期が確定してしまう(ないしは解散している)と、選挙の後に政権が変わるのは確実だから、その会談をロシアに延期されてしまう可能性が高い。これだけは絶対避けたいので、特例公債法案が通らなくてもロシア訪問まではズルズルと行き、帰国後に解散時期を明言して短期で法案を通し、年内の解散に踏み切るというのが最もあり得そうな流れである。もちろん、民主党への大ブーイングは起きるが、国会の空転は与野党同罪という見方もあるので、相対的に民主党だけが損をする訳ではない。だから、国会は開くが空転した状態が続くのは望むところなのである。
であれば、10月の内閣改造では閣僚にそれほどの資質を求める必要もなければ、与野党協議で特例公債法案と選挙制度改革法案への成立の目処をこの時期に詰める必要もない。少なくとも、ロシア訪問の前に内部から離党者が出なければ良いだけで、閣僚ポストを餌に党内をまとめればそれで良いという割りきりが合ったのかも知れない。となると、ここから先は不適格者がその3ヶ月すら持たない事態を予測できるかどうかの危機管理能力の問題であるが、山岡消費者担当相の例もあり野田総理にその管理能力はないのは明らかである。

私の予想が正しいかどうかは分からないが、自民党がこの展開に対策を打つとすれば、特例公債法案と選挙制度改革法案の成立に協力し、11月中にやるべきことをやって野田総理がそれでも解散を拒めない理由を早期に作ってしまうという戦略がある。つまり、ロシア訪問前に解散の条件を全て整えてしまうのである。どうやら臨時国会の会期は11月末の予定だそうだから、それまでに法案を仕上げる道筋をつけ、安倍自民党総裁と山口公明党代表が揃って記者会見し、「野田総理は『信じて欲しい!』と言った。本当に信じることができるかどうかを最後に国民に見届けて欲しい。これで即座に解散しなければ、総理は今度こそ本当に自分が嘘つきであることを全国民に向かい宣言したに等しい。それを国民とともに見届けたい!」と言って解散を迫るのである。民主党が会期を11月末までとしているのは、私の予想では解散先送りのために逃げようとしている雰囲気を醸し出し、自公との揉め事の要因を無理に作って法案の成立を12月まで引き伸ばそうとしているためだと考えている。本来は頭を下げるべき立場なのに、野田総理、輿石幹事長、安住国対委員長などが自公に半ば喧嘩を売っているような態度を最近見せ続けるのは、こう考えると説明がつく。しかし、それでも法案が通ってしまうと、会期末に提出される不信任案、問責決議を乗り切れるか否かは相当怪しい。これで完全にレイムダック状態が確定すれば、ロシアは直前でドタキャンをしてくるかも知れない。どうせロシアも、恩を売るならこれからの政権に恩を売った方が得なのである。

だから野田総理と民主党の目論見がどう転ぶか、自民党の対応次第だと思う。ひょっとしたら、ロシア訪問で北方領土2島返還に漕ぎ着ければ、特例公債法案が成立していなくても解散してくるかも知れない。法案が成立しない理由を自公のせいにすれば、ひょっとすれば同情票を集めれると考えるかも知れない。それらの罠の可能性を意識して、自民党には対応策を考えて欲しいものだ。

←人気ブログランキング応援クリックよろしくお願いいます

まだまだ終わらない、橋下劇場!

2012-10-22 23:54:11 | 政治
先日からの橋下市長と朝日新聞社グループとの戦いについて、もう少しコメントを書かせていただく。本日、朝日新聞出版からは、次号の週刊朝日の中で今回の件の謝罪と掲載の経緯の徹底検証、再発防止などの対応を含めた記事の掲載を、2ページの見開きで行うことを発表した。最も、その掲載号を大阪市の職員を通じて橋下市長は受け取ったのであるが、反省しているのなら謝罪とともに手渡すのが筋なので、「謝り方を知らない!」と逆に怒りを買うことになった。色々とまだまだ続きそうであるが、天下の朝日新聞社グループがここまで完璧な全面降伏をすることは橋下市長ですら予想しなかったのではないだろうか?しかし、よくよく考えると当然の結果のように思える。

理由は以下の通りである。マスメディアのずるい所は、自分たちは何らかの問題を起こした人たち(例えば犯罪者の家族などを含む)に取材する権利はあると信じているが、一方で他人が自分たちのことを取材する権利はないとも確信している。これは、何故か各報道機関で共通の認識なので、報道機関の間で相互にはお互いを追求しないというような不文律があるようだ。実際、口先だけの非難は見たことがあるが、突撃取材という様な形式の追求は見たことがない。ところが、先日の橋下市長の記者会見の場では、その不文律を飛び越えて橋下市長から朝日新聞社への直接のインタビュー(意見聴取)があり、しかも「言論の自由の場で意見を戦わせて、その結果としてマスメディアも淘汰されるべき」とまで橋下市長は言い切っている。攻めるのは強いが守りには滅法弱いのは民主党に似ているが、だから朝日新聞も週刊朝日も、如何にして橋下市長からの糾弾を言い逃れるかを必死で考えているに違いない。論理武装が出来ている有名な大学教授ですら橋下市長と戦えば防戦一方になるのだから、記者会見の場に誰が出てきても醜態をさらすのは目に見えている。本来は、広報なり取締役なり、それなりの責任ある立場のものが出てきて意見を戦わせれば良いのだが、そこで醜態をさらすと社運に係わるので、多分、下っ端の記者を送り込んで平謝りさせて済まそうと思っているのだろう。次号の週刊誌を直接橋本市長に手渡さなかったことからも、その辺は十分に伺える。

多分、橋下市長は何処かの記者会見で週刊朝日や朝日新聞に対し、「貴方達は謝罪しているが、責任ある機関ならば当然、自らの報道で傷つく人がいないかを考える想像力が必要である。貴方達の想像力はどの程度なのですか?あの記事で私の子供たちがどの様な被害を蒙ると考えたのですか?その具体的な被害の何処までを想像したのか答えてもらいたい!」と切り込むことが予想される。常識的に予想される被害を口にしてしまえば「それが分かっててやったのか!」となるし、「被害のことは考えなかった」と言えばあまりにも想像力が欠如した無責任な報道機関であることが暴露される。多分、答えは(その質問に答えない代わりに、一方的な非を認め)ひたすら謝罪するから許してくれ・・・と「すいません、すいません」を繰り返すだけなのだろう。
それが容易に予想できるから、朝日新聞も週刊朝日も平身低頭、ひたすら白旗を高々と掲げ、その他の傍観者から「そのぐらいで許してやれよ!」という言葉を引き出すための全面降伏をアピールしているのだろう。私の個人的な期待としては、橋下市長が朝日新聞及び朝日新聞出版の両社長に対し、「今後の再発防止のために、公の場で公開討論をやろうじゃないか!」と提案し、両社長が狼狽する姿を見てみたい。

なお補足であるが、私はTwitterをやらないので、橋下市長からこの件に絡めてTwitterで人権擁護法案についての言及があったことを後で知ったのだが、誰が考えてもこの辺の自浄能力の必要性は否定できないはずである。実はネットを検索していると、この週刊朝日の記事の中味を把握する術が見つかる。取り敢えず斜め読みして見たのだが、途中まで読みながら吐き気がしたので最後まで読めなかった。その目を覆いたくなる記事を、週刊朝日(もちろん佐野眞一氏を含むのだろうが)側からは橋下市長の母親に送りつけ、取材依頼をしたのだという。相手が橋下市長本人であれば無茶苦茶ながら言い訳の言葉も無理やりひねり出すことも出来るのだろうが、公人ではない単なる一般市民、しかも何ら犯罪も犯していない橋下市長の母親というだけでここまでの人権侵害を行うのだから、もし人権擁護法案が成立していたら当然ながら世の中はそれを問題視したのであろう。しかし、面白いことにこの人権擁護法案の対象からはマスメディアは除外されているので、その法律では朝日新聞出版を吊るし上げることはできない。その理不尽さが問題になれば、やはり「マスメディアを除外すべきではなかった」という結論に簡単に誘導されそうな気がする。その時、マスメディアは初めて自らの自殺行為に気がつくのであろうが、それでは遅いのである。

私の感覚としては、朝日新聞社グループはまだまだ事の重大さに気がついていないような気がする。選挙が近いことから、橋下市長に注目が集まるのは橋下市長にとって悪い話ではない。もう少し面白い展開が期待できそうである。

←人気ブログランキング応援クリックよろしくお願いいます

これぞ、今求められる外交能力ではないのか?

2012-10-20 23:58:07 | 政治
昨日のブログに書いた橋下大阪市長と朝日新聞社グループの対決であるが、あっさりと朝日新聞社グループが白旗をあげて全面降伏をした。今日はこの流れを見て思うことについて、少し話が飛んでしまうが書いてみたいと思う。

出版社というのは面白いもので、様々な怪しい記事を多く書きながら、裁判になっても判決が出るまでは謝ることもなく、裁判所命令が出て初めて謝るというのが一般的な流れである。記者会見で朝日新聞の記者が「編集権は別、関係ない」と言っているように、言い逃れができるところはとことん逃げるというのがマスコミの半ばルールである。ついつい、正義を代弁する立場のように思われがちなマスコミも、実は人には厳しいが自分には全くもって大甘で、「よくも、それで他人の批判ができるものだ!」としばしば思うのだが、ほとんどの人は世の中とはそのようなものだと半ば諦めている。今朝の朝のTV番組で舛添元厚労相なども語っていたが、特に閣僚や首長などの権力の座に着くと、マスコミはあることないこと、片っ端から叩きにかかってくるという。しかし、そんなことに反論しているのもバカバカしいから、それよりも少しでも自分の仕事を前に進めようとその当時は諦めていたという。だから、橋下市長の今回の対応に対しては、(朝日出版が便所の落書き以下の大問題の記事を書いたことは認めつつも)少しばかり違和感を感じるといった発言がなされていた。これは他の出演者からも同様で、決して橋下市長を非難するというニュアンスではなく、思い切り同情はするし共感はできるが、「私の取るであろう対応とは違う」というニュアンスのコメントである。

しかし、これらの発言を聞きながら私は別のことを思っていた。それは、週刊朝日のやり口は最近、何処かで見たような思いが頭をよぎったのである。それが何かに気がつくまでには時間がかからなかった。それは、中国、韓国の日本に対する対応そのものに酷似しているということである。特に韓国以上に中国のやり方は酷く、実際に日本に対して経済的なインパクトを与えることも出来る立場なので、ありとあらゆる「やったモン勝ち!」的な攻撃を仕掛けてきた。日本は大人の対応を決め込み、中国が「日本が尖閣を盗んだ!」とまで無茶苦茶なことを言われても、対して中国を非難することもなく、「分かる人は分かってくれるから、何も言わなくて良いのだ」とばかりに静かにしていた。丹羽大使の車が暴漢に襲われ、国旗が奪われたきり返却がなされなくても、外務省の本省からは何の抗議もなされていない。現地大使館からの抗議で十分だという姿勢を示している。

別に舛添元厚労相をピックアップして批判する意図はないが、大人の彼らの諦めの行動は、何処か日本政府の中国、韓国への対応に似ていて、多分、今の民主党政権に比べれば100倍はマシであろう舛添元厚労相であっても、それほど大した抗議を中国、韓国にはしないであろうことが容易に想像できる。政治家がそうであれば、官僚は自ら進んで返り血を浴びるようなことはしないので、結局、日本はいいようにやられたままである。しかし、それで問題は解決するのであるかと問えば、例えば今回の様な悪質な出版社の悪質な記事を放置すれば、昨日のブログでも書いたが人権擁護法案の必要性は益々高まってしまう。マスメディア自らが自らの首を締めている状況は万人に取って不幸な出来事である。だから、自浄能力が自分たちに或ことを示すためにも、本来であればそれを問題提起し、本来あるべき姿を議論して再発防止などについて考えるべきなのだが、それを反論せずに黙殺すると、結果として人権擁護法案の必要性を高める事態となるのである。だから、本当に一線を超えたと思ったら、それを指摘して相手にダメージを与えるだけの攻撃力をもって戦わなければならない。それは決して暴力的な殴り合いではなく、平和的な言葉での応酬なのである。

対中国に対しては、現在は日本政府は完敗に近い状況であり、彼らのやりたい放題を傍観した状況である。しかし、橋下市長はやりたい放題の敵に対して、非常に効果的な手法で戦いを挑み、殆ど秒殺に近い状態で相手を仕留めたことになる。注目すべきは、記者会見で何処かの記者が、「名誉毀損で告訴しないのか?」と問うたところ、「記事で暴露された中身自体には事実のことが殆どで、(一部に父親が覚せい剤をやっていたなどの裏が取れていない不確実な記述が含まれていたが、それも虚偽の記載と断定できる訳ではないので)法的には名誉毀損に問うのは困難であり、告訴の予定はない」と答えたという。つまり、彼は戦いどころ、相手のウイークポイントを鋭く見ぬき、ここだけはグウの音も出ないというポイントに集中して攻撃を仕掛けるのである。天下の朝日新聞ですら、謝罪をせざるを得ない状況に追い込んだのだから凄い。笑ってしまったのは、記事を書いた佐野眞一氏も「記事中で地区を特定したことなど、配慮を欠く部分があったことについては遺憾の意を表します」とのコメントを発表したと言うが、仮にも文筆家としてプロ意識を持つものなら「遺憾の意」という、謝罪はしないが「よろしくない」「残念である」というお茶を濁す表現でコメントするというのは、政治家を糾弾する立場の側が政治家の汚いところを思いっきり真似てズルく逃げ惑っていますと宣言するようなもので、この人も先は真っ暗だなと可哀想にすら思えてきた。

話が脱線してばかりだが、私の言いたいことは、本来は「外交能力は未知数」とか「不慣れ」とか言われる橋下市長だが、実際には外交こそが彼の本領発揮の場ではないかとすら思っている。以前、何かの報道番組で聞いたが、大阪にある高度な技術を持った中小企業が中国に進出するに際し、1社だけだと中国の理不尽な攻撃で好き放題やられてしまうとこと、大阪の中小企業をひとつに取りまとめ、「大阪の企業に相対するには最低限、これらのルールを守れ!それができないなら、1社たりとも中国には進出はさせない。来て欲しいという気があるなら、我々の条件をのめ!」と条件闘争し、その条件を中国から勝ち取ることで、中小企業をある程度守ることができたという話を聞いたことがある。これこそが外交である。何故、不慣れなどと言えるのだろうか?

要は、何がポイントで、何処が弱くて何処が強く、何処で戦えば良いかの見極めができるか否かがその人の外交能力そのものなのである。昨日までは橋下市長には大阪市政に専念して欲しいと思っていたが、急に国政に討って出て欲しいと思うようになった。多分、佐野眞一氏の意図は全く逆の裏目に出たと思う。対中国、韓国に対しても、この様なスキッとした思いをしてみたい。

←人気ブログランキング応援クリックよろしくお願いいます

何処が問題なのかに何故気がつかない!?(「週刊朝日」問題のポイント)

2012-10-19 22:34:01 | 政治
先日から、週刊朝日と橋下大阪市長のバトルが注目を浴びている。今日は、中々、マスコミの間で、何処に今回の議論のポイントがあるかが理解できていない様なので、敢えてここで書かせていただく。

今回の騒動では、週刊朝日の発行元である朝日新聞出版の親会社である朝日新聞も巻き込んで、橋下市長が取材拒否を宣言したからその他のマスコミも面白がってニュースにし始めた。今朝のワイドショーでも、昨日の橋下市長の定例記者会見での映像を流し、出入り禁止の週刊朝日の記者の代わりに橋下市長が朝日新聞の記者に食らいつき、週刊朝日の報道に対する朝日新聞社の見解を求めたりしていた。当然、そこにいたのは一介の記者だから公式見解など答えられるはずもなく、橋下市長は最終的に「ひとりの記者としての見解で構わない」と言い直し、意見を求めた。朝日新聞の記者も、あくまでも朝日新聞としての公式見解ではないと断った上で、「私は週刊朝日の行動を肯定しない」と返していた。私は今朝はフジテレビの「とくダネ!」を見ていたのだが、司会の小倉智昭さんは、大分朝日新聞の記者のことを可愛そうだと弁解していた。「何も知らない視聴者の方は、朝日新聞と週刊朝日のことを誤解してしまうのだと思いますが、資本関係はあるにせよ、全くの別会社なので編集権は別に有り、朝日新聞を責めるのはお門違い」ということを仰っていた。私は小倉さんは大好きだし、この発言の意図も十分理解できるのであるが、敢えてここで、「どこにポイントがあるのか」が的を得ていないので、それを明確にしていきたい。

最初に断っておくが、この様な「売れれば良い!」という商売根性だけであの様な記事を書く出版社にお金を落とすのは嫌なので、雑誌を買ってまで中味を確認していない。報道の中で漏れ伝わることから、大雑把な情報は分かるので、それが間違いであれば指摘をしていただきたい。橋本市長が噛み付いた点は、そこに書かれていた記事の全てではなくその中の一部であり、元々は昨年の大阪市長選の時に週刊新潮や週刊文春などでも明らかにされていた橋下市長の出身や父親、親戚などの過去の暴露に沿った内容に対してである。週刊新潮や週刊文春などでは「過去を暴く」という意図で事実の羅列に努めたのだろうが、今回の記事では「この様なルーツを持つ彼の体の中のDNAが彼の本性である」と称して、本人の努力や誠実な取り組みとは関係のない本人にはどうしようもないところに、彼の人格を全否定することが出来る根拠があると結論づけていると聞く。そして、もはや政治的な信条や過去の政治的な行動などの糾弾ではなく、そのDNAに基づく本性の糾弾のみにフォーカスするという宣言である。この内容は、父親が元暴力団員でガス管を加えて自殺したり、親戚には人殺しがいるなどのDNAを受け継いでいるとか、被差別出身者であるとかいうネタを取り上げているから、橋下市長その本人に対する誹謗中傷であるだけではなく、その子供に対する誹謗中傷でもある。

さて、私が今日取り上げたいのは、マスメディアとは本人たちが何処まで自覚しているかは知らないが、信じられないような非常に強大な権力・武器を握っているという事実である。例えば、嘘で塗り固めた記事で誹謗中傷をすれば、その後、中傷された側は裁判でその記事は事実無根であることを明らかにすることは可能であるが、既にその人は社会的に多くの物を失っており、場合によっては社会的に半ば抹殺されている事態になるかも知れない。それだけの凶器を握っているのだから、当然ながらその武器の扱いには細心の注意が必要となる。最近では多くの企業で「コンプライアンス」ということが叫ばれるが、世の中の守るべきルールを会社が一丸となって「確実に社会的ルール・法令を遵守します」と宣言し、実際にその徹底に務めることが求められる。マスコミであれば、人権侵害は最も重要な決して犯してはいけないルールであり、基本的な人権の尊重には朝日新聞社グループが一丸となって、人権侵害の撲滅を宣言し、厳しくこれに臨まなければならない最低限のラインなのである。橋下市長は、「資本関係が100%出資の子会社であれば、(子会社をトンネル的に使い)親会社が言えないことを全部子会社にやらせておいて、その道義的な責任には『知りません』と言っていられるのか?」という指摘をしていた。しかし橋下市長の指摘以上に、この法令遵守の精神をグループ会社に徹底させる社会的な義務は当然ながら親会社にあり、強大な凶器という権力を持ちながら、決して許されることのない人権侵害、しかも、通常の人権侵害とは一線を画した「その存在の究極の抹殺」を目的としたかのような、グレーゾーンではない「真っ黒」な記事の掲載をその編集部が判断し、その表紙に前面に打ち出すのである。さらに驚くことに、先ほど入ってきた情報では、週刊朝日は橋下市長に対して不適切な報道を謝罪し、連載を宣言した第1回の記事であっさり連載打ち切り(つまり、連載ではない)を発表している。この事実はつまり、明らかに超えてはいけない法令遵守、基本的人権の尊重という最低ラインを確実に超えているという認識をその出版社が持ちながら、確信犯として金儲けのために週刊誌を発行することを決断したことを意味している。

この様なことは、まかりなりにもマスメディアに関わる人々は常識中の常識であり、社としての公式見解とかとは関係なく、記者としての「イロハの『イ』」なのである。「肯定はしない」ではなく、「明確に否定する」と間髪入れずに答えられなければ記者として失格なのである。それを、「編集権は独立しているから、朝日新聞に聞くのはお門違い」ではなく、朝日新聞であろうが読売新聞であろうが、聞かれた記者であれば誰もが即答できることが求められるのである。それができないということは、その会社は決してコンプライアンスなどということに本気で取り組んではいないということの証明であり、それ自体が責められることなのである。

だから、100%子会社であればその親会社の責任は特に重く、橋下市長が朝日新聞に対しても同様の見解を求めるのは筋が通った話である。報道によれば、橋下市長は朝日新聞の記者会見への出席は了承し、質問があればその質問を友人の別会社の記者に頼んで聞いてもらえば良いと言っているそうだ。極めて筋が通っている。それに対して週刊朝日、朝日新聞の対応は何とも筋が通っていない。記事を書いた佐野眞一氏に対しては、他社からの取材に答えるなと指示していうという。それを間に受けて取材に答えない佐野氏のジャーナリストとしての資質にも問題があることは明らかだろう。猪瀬直樹東京都副知事は、その脂質を別の形で指摘しているが、今日はそちらの方へ話を展開することは意図していない。あくまでも、権力という凶器を扱うマスメディアのコンプライアンスへの取り組みのみを私は問いたい。

この様に考えれば、議論するまでもなく答えは出ている。もう少し、マスメディアは自分の持つ凶器の意味を自覚するべきだと思う。先日閣議決定された人権擁護法案については、私は「反対」の立場だが、今回の様な認識をマスメディアが持っているのであれば、確かにこの様な法案は必要なのだろう。しかし、「だから法案は必要」という結論ではなく、その様な結論が導かれてしまう風潮が問題なのであり、マスメディアの自殺行為だと彼らは自覚すべきである。このようなことをしながら、人権擁護法案に反対というのはこちらも筋が通らない。法案に「反対」というならば、「その様な法案が不要な環境を、我々がリードして作り上げてみせる」という心意気を見せて欲しい。

残念ながら、私は朝日新聞に対してはこれまでも信用できないと感じている。先日、本屋で小川榮太郎著「約束の日 安倍晋三試論」という本を手に取って、パラパラとページをめくった。後からこの本の書評を産経ニュースに取り上げられていることを知ったが、政治評論家の三宅久之氏と朝日の若宮啓文論説主幹(現主筆)との会話が記されている。これを見ると、やはり朝日新聞も週刊朝日まではいかないが、グレーゾーンの世界を彷徨っているように思えた。

他のマスメディアは、この点をきっちりと指摘をして欲しい。自殺行為を無逃さないで欲しい。それが、あなたたちの仕事なのである。

←人気ブログランキング応援クリックよろしくお願いいます

「良いズルさ」と「悪いズルさ」

2012-10-15 22:15:33 | 政治
今日は拉致被害者が帰国してから10年の区切りとなる日である。NHKのクローズアップ現代でも、蓮池薫さんがこれまでの思いを語っていた。多分、あの時の出来事が如何に特殊な状況であるかは、その当事者でなければ分からないであろう。

私もあの時、頭の中に???とクエスチョンマークが躍っていて、何が起きているのかがイマイチ分からなかった。それは、彼らの帰国は北朝鮮と日本政府との間では「一時帰国」での合意であり、特に蓮池さん一家にとっては、子供達を残しての帰国であったのである。当然ながら、北朝鮮は2週間後の帰国を期待していたのが、その時になって日本政府からは「そんな約束は知らない!」と言われて北朝鮮が出し抜かれるのである。私の頭の中では、「そんなことしたら、子供達が強制収容所に送られちゃうじゃん。そんなこと、親が覚悟できるの?」と考え、ひょっとして本気で両者が勘違いしたまま拉致被害者の帰国で合意し、後になって不一致に気がついたのではないかとすら感じていた。しかし、その恐るべき決断を最終的に下したのは蓮池さん(夫婦)本人であり、その背景には論理的な思考の元での戦略があってのことだったという。つまり、北朝鮮にとって、一部の拉致被害者を帰国させるハードルと、既に帰国した拉致被害者の家族を帰国させるハードルは明らかにレベルが桁違いに異なる。それでも拉致被害者を条件付きのつもりかも知れないが、帰国させる覚悟を決めるにはそれ相応の理由があるのである。日本からの経済援助が喉から手が出るほど欲しいから、本来ならば超えられないはずのハードルを超えたのである。であれば、子供の帰国というハードルなど取るに足らない。この辺の交渉の確約を小泉政権に求め、その上で日本に残る覚悟を決めたのだろう。

巷では「断腸の思い」と言うが、蓮池さんのその苦しみは想像を絶する。しかし、その駆け引きを成功に導いた小泉政権の外交能力の高さには、その決断の非情さを超えて、多くの学ぶべき何かがあると言える。そこには、外交には、非情な「ズル(賢)さ」が必要であるという真実が隠されている。相手が北朝鮮や中国、韓国、ロシアであれば、それは当然のことである。ついでに言えば、相手に「上手いことやられたな」と思わせる程度であれば、アメリカ相手でも出し抜く覚悟が必要である。

そんな中、産経ニュースに面白い記事が載っていた。
産経ニュース(2012年10月14日)「【明言か迷言か】ふたりのずるい政治家

ここでは、竹下登元首相と大平正芳元首相について書かれている。竹下元首相は見た目は如何にも穏やかそうだが、言わずとしれた旧田中派を乗っ取った張本人である。しかし一方で、国民からは不評な中、自らの首と引き換えにそれまでに無かった消費税を始めて導入した政治家である。小泉元総理ですら、自らの目指す政策を優先すれば消費税には手を付けれないと諦めるほどであり、国民の支持を受けた細川護熙政権ですら実質的な消費税(福祉目的税)増税を口にした途端に政権が交代したのだから、その導入が如何に大変かは良く分かる。

一方、大平元首相は「あ~、う~」という喋り口調で有名であるが、この記事を読めば中々の策士である。先日のNHKの番組でも日中国交正常化の舞台裏が明かされており、少々、上記の記事とは違った振る舞いをしていたようだが、どちらにしても台湾と中国のどちらを日本が選択するかという本来は選択など出来ない筈の決断を、上手いことやってのけるのである。これは、多分、戦後25年間正当な中国政府と認めていた現台湾政府を斬り捨てる決断だから、今となっては想像に絶する。それを、「最も支持率の高いウチにやってしまえ!」と就任3ヶ月で国交を回復した田中角栄元首相も凄いが、その裏方として汗をかいたのが大平元首相だという。

これらの凄さは、何れも国益のためには手段を選ばずというしたたかさ、ズルさなのである。これが、そのズルさの目的が内向きになると、途端に「凄い」から「汚い」に評価が変わる。原子力ムラの人々が一般市民を騙していたのも、そのズルさなのだが、やはり内向きの自分達の都合でズルさを発揮していた。野田総理は消費税増税までは、それはズルさすらない正直な気持ちだったのかも知れないが、今の自民、公明、ついでに国民からも逃げ惑う仕草は内向きのズルさに他ならない。

ズルさを向ける方向は間違わないで欲しい。その方向は、例えば北朝鮮に対する「非情なぶれない方針」であったり、中国、韓国、ロシアとの「化かし合い」である。今日という日を振り返り、その目指すべき方向を再認識して欲しい。

←人気ブログランキング応援クリックよろしくお願いいます

復興予算流用の諸悪の根源は誰?(民主党の罪深さ)

2012-10-11 23:35:43 | 政治
ここにきて、復興予算を復興と関係ないところで利用されていることに対する非難が盛り上がっている。もともとはNHK特集に取り上げられたことがきっかけで、その後は堰を切ったように様々なテレビ番組や新聞で取り上げられるようになった。国会では予算案の審議には長い時間をかけるし国会での承認の後、初めて予算が使えるようになる。しかし一方で、使途については適切であったか否かの審議は国会内になく、会計検査院などの監査に頼っているのが現実である。今回は、その辺の問題に焦点を絞る形で、その不適切な使用をこの段階で精査する動きとして注目されている。

雰囲気としては、お金を勝手に流用する官僚がけしからんとか、それをチェックできなかった各省庁の大臣がけしからんとか、最後の砦の財務大臣は何をしていたのか・・・とか、色々批判されている。もうひとつの側面として、この様な流用を許す霞ヶ関文学の結晶ともいう法案の姑息さから、やはり官僚はけしからんという指摘も良く聞かれる。

ただ、私は少し違った点について指摘させて頂きたいと思う。それは常識的に考えて、いくら狡賢い官僚であっても、今回のような明らかに国民からの集中バッシングを受けることがミエミエの復興予算に、何故ここまで食い込むことになったかの背景についてである。それは、当初はもう少し控えめにやるつもりだったのが、ある事情があって予算が余りに余ってしまい、「何でも良いから使ってしまえ!残したらヤバイ!」という雰囲気が漂い始め、それで官僚と大臣が結託して、このようなことに手を染めたと考える方が妥当なのだと思う。では、何故、そのような雰囲気が出来てしまったのだろうか?結論から言えば、そのA級戦犯は小沢一郎氏だと私は考えている。

思い出して欲しいのは、宮城、岩手、福島などの被災地の自治体から復興交付金の申請があった時のことである。この3月に復興交付金の初回配算額が確定したが、最も被害の大きな宮城県の場合、申請の57%しか認められなかった。実際、道路、堤防、学校、下水道などにはほとんど配算されなかったというし、石巻市に至っては、復興庁が示したガイドラインに沿って要望した防災無線の設置にすら交付金がつかなかったという。一方、岩手県に関しては、ほぼ満額に近い95%の申請が認められた。

ではこの差は何なのか?

岩手県知事の達増拓也知事は、元々民主党員だったが、小沢新党立ち上げのときに民主党を離党して小沢新党に加わるというバリバリの親小沢ぶりである。一方、宮城県の村井嘉浩知事は、元々は自民党系であり、初代の松本龍復興相との確執からも分かるように、民主党に対して従順な存在ではなかった。この当時はまだ小沢一郎氏も民主党員であり、党の財布の紐を握る輿石幹事長を介して、被災地ですら「民主党に忠誠を誓わなければ、復興予算すら配算しない!」というゲームをしていた。元々、2010年2月の長崎県の知事選挙でも、当時の幹事長だった小沢氏のもとで、民主党のこの様な忠誠心ゲームが話題となっていた。政権交代した直後から、マニュフェストに謳われた「コンクリートから人へ」の掛け声が、政権を取ってからは小沢元幹事長の号令ひとつで「(自民党のための)コンクリートから(民主党のための)コンクリートへ」に切り替わっていた。高速無料化をマニュフェストにうたう民主党が、高速道路休日千円のための財源を道路建設の予算に付け替えた辺りから、民主党の詭弁は既に隠しようもなくなっていた。その流れはその後も続き、気が付けば東日本大震災の復興予算ですら選挙の票集めの道具に使われることになっていた。

だから、今回の復興予算の流用の件は当然ながら官僚は責められるべきであるが、官僚を責めて責任を果たしたと勘違いしているマスコミがいたなら、それは大間違いなのである。その問題の本質としては、選挙至上主義の民主党の体質が責められるべきなのである。そして、この袋小路に陥った現状の中、解散総選挙を先送りするために民主党は姑息な対応(臨時国会開催の先延ばし)をしている。これも形は違うが、選挙至上主義の民主党の象徴なのである。

物事には色々な側面があるが、今回の事件からは(単純には表には見えにくいかも知れないが)民主党の罪深さが一層浮き彫りになったように私は感じた。如何だろうか?

←人気ブログランキング応援クリックよろしくお願いいます

日本維新の会の最後の奇策!竹中擁立劇はあるか?

2012-10-10 23:55:43 | 政治
最近、日本維新の会の株が下がりまくりである。支持率調査などでもひところの半減以下となっている。理由は単純で、政党構成要件を満たすために5名以上の国会議員の取り込みが必要だったが、余りにも議員としての資質にかけた議員ばかりを集め、如何にも数合わせという印象が強かったからである。

日本維新の会の基本的な考え方は、「数は力」ではなく目指すべきビジョンの共有が最も重要であったはずである。しかし、日本維新の会として一歩も譲れないTPPなどに反対の立場を鮮明にしていた松野頼久氏を国会議員団の代表に選ぶぐらいだから、如何にも民主党的な数合わせだけで寄せ集め所帯という印象が強い。また、公開討論会にしても、この会の狙いが「国会議員により多くのことを語らせ、言質(ことじち)を取る」であるのに対し、議員があまり多くを語ろうとしないで調子を合わせる傾向がある中で、招かれた有識者が元気が良すぎたばかりに、何のための会合か分からなくなってしまった。さらに、ここで橋下市長も多くのことを語るがゆえに、多くの人々から共通の指示を受けにくいネタに対して具体的な方法論を披瀝し、それが逆に反発を招いてしまった状況である。竹島問題などは、明らかに現状の韓国の実効支配の状況は真っ当な方法では変えられないから、国際司法裁判所で勝利を勝ち取り領有権を確かなものにするまでの過程において、特に裁判が確定するまでの間は少なくとも漁業海域などの権益では韓国の譲歩を求めるという意味で「共同管理」という提案をした。しかし、これは言葉尻を捉えてイメージ戦略で相手をおとしめようとする勢力には格好の攻撃材料になり、日本維新の会の国会議員団からも「外交・安全保障は国会議員団に任せろ」的な反撃まで受けてしまった。調子付いた松浪健太氏はブログで「橋本独裁にはしない!」とパフォーマンスを示し、橋下市長の逆鱗に触れるという醜態を示したのは、「橋下市長、日本維新の会の神通力もここまで!」という政界の認識を生む象徴的な出来事であった。

確かに、日本維新の会は窮地に追い込まれつつある。一説には、全国の小選挙区に擁立する候補者を選定しているが、その政治家としての資質としてクエスチョンマークがついてまわる候補者が多く、全選挙区にはとてもではないが擁立できないのではないかという憶測が流れている。小泉チルドレン、小沢ガールズと見たくないものを見てしまった国民感情に配慮すれば、今度ばかりは失敗できないという基準で候補者を吟味せざるを得ない。となると、小泉チルドレン、小沢ガールズの時のハードルよりは圧倒的に高くなる訳だから、常識的にはそのハードルをクリアできる人材を確保するのは厳しいだろう。日本維新の会側としては「ハードルが高いから・・・」というエクスキューズを入れたいところだが、誰もそんな声を聞く耳を誰も持たない。自然と、日本維新の会行き詰まり論的な議論が出てくる。

単純に考えれば、この様な不確定要素の高い候補者を国会に送り込んだ時に、その不慣れな国会議員の取りまとめ役が松野頼久氏だとすれば、それは確実に民主党の失敗を繰り返すことになるだろう。民主党の精神が根強い松野頼久氏は、多分、民主党の中で新小沢と反小沢の綱引きがあったように、国会議員を手懐けて親橋下派と極をなす親松野派を作り、自分の権力を高めようとするだろう。これでは3年後に大阪都構想を実現した橋下市長が市長職を退任し、いよいよ国政に打って出るという時には日本維新の会は全く別物になっているか、崩壊しているかの何れかであろう。

だから、橋下市長はその様な大役を任せられる人を探し、自らは大阪市政に専念できる道を模索したのだろう。安倍新総裁などはその有力な候補であった訳である。しかし、安倍総裁が断った現在では、残された選択肢は少ない。既に存在している松野頼久氏を始めとする国会議員団は足かせとして働き、これが更に選択性を狭めている。最近ではみんなの党に最接近しているとの説も流れるが、これでは日本維新の会の国会議員団とみんなの党の綱引きは避けられず、やはり崩壊への道を歩まざるを得ない。つまり、この事態の打開のためには、どうしても「超」が付くようなカリスマ性の持ち主でなければ、国会議員団を束ねることはできない。だから、橋下市長はそのカリスマ性の持ち主を必死で探しているのだろう。

思いつくものを書いていけば、過去のブログでも指摘したように石原都知事を擁立するケース、橋下市長が直接国政に乗り出すケース、可能性はほぼゼロだが小泉元総理をサプライズで擁立するケース、可能性は更に下がるが田原総一朗の様なジャーナリストの擁立、などと続く。現実的なところでは石原都知事、橋下市長というところだが、今日は残された最後のもうひとつの可能性を示したい。

それは、竹中平蔵氏を擁立する案である。言い換えれば、過去のブログでも取り上げたがイタリアのマリオ・モンティ首相のような実務者内閣を目指し、竹中平蔵氏に加えて古賀茂明氏、高橋洋一氏、岸博幸氏などなど、官僚と四つに組んで戦える改革派実務者を寄せ集め、そんじょそこらの政治家ではかなわない理論派武闘集団を作り上げるのである。新米の国会議員の目には、これぞ見習うべき政治家の鏡と映るだろうから、松野頼久氏たちは太刀打ちできない。自民党を中心とする政権との整合性も悪くないから、安倍自民党との連立という意味でも好ましい。

石原都知事の擁立に成功すれば話は別だが、既に竹中平蔵氏は日本維新の会の候補者選定委員長だというから、私のこの大穴の予想はひょっとしたら現実のものとなるかも知れない。如何だろうか?

←人気ブログランキング応援クリックよろしくお願いいます

暗闇の中央制御室の作業員のように覚悟を決めろ!野田総理!

2012-10-07 23:37:45 | 政治
10月3日のブログ「原子力規制委員会とリトマス試験紙」において、原発再稼働の最終判断についての野田総理と田中原子力規制委員長の見解についてコメントした。その後も民主党内からは、前原国家戦略相や枝野経産相などから発言が相次いでいる。ただ、話が噛み合っていないことにどうやら当人たちは気がついていないようだ。

前原国家戦略相からは、「革新的エネルギー・環境戦略には、安全性が確認された原発は重要電源として活用することが書かれている。独立性の高い組織として新設された原子力規制委員会が『安全』と判断したものに対し、国がさらに判断を加えるのは論理矛盾だ。安全性が担保されれば再稼働する」と発言したという。同様に、枝野経産相も「安全が確認されれば、国の(再稼働の)判断は完結する。地元などへの説明は電力会社が行う」としており、前原国家戦略相よりも一歩踏み込んで、プロセスとして国が間に入って何かを行うという工程が存在しないと言っていることになる。一方、野田総理の発言は少し趣を異にしている。野田総理の発言は「規制委が安全基準をしっかりまとめたうえで、それに基づいて判断する。これがルールになっている」、「政治が介入して何かを言うと独立性を損なってしまう」というものである。

実は、ここにはふたつの可能性があり、それぞれを個別に議論しなければならない。ひとつは原子力規制委員会が「安全」と判断したが再稼働しない判断をするケース、もうひとつは原子力規制委員会が「安全とは判断できない」場合に再稼働するケースである。様々な発言は、この問題点を理解した上での発言にはなっていない。

先日のブログでは、この後者を中心に議論を行った。つまり、野田総理が想定している問題とは、政治が介入して独立性が損なわれて問題となるケースなので、それは「原子力規制委員会が危険と判断したが、政府が再稼働を判断するケース」にほかならない。これは、再稼働しないことに伴うリスクをどの様に捉え、その責任の所在をどこに置くべきかという議論である。前回のブログにも書いたとおり、これは野田総理、および重要閣僚などがその責任を負うべきである。

一方、前原国家戦略相や枝野経産相の発言に対しては、先程の前者に関する問題について議論しなければならない。田中委員長の主張を技術者としての言葉で言い換えれば、「必要条件としての技術的見地からの安全性判断は原子力規制位委員会が行う。しかし、それは再稼働の十分条件か否かの判断は政府の責任である」ということになる。これに対し、前原国家戦略相や枝野経産相の発言は、「原子力規制位委員会の安全性判断が再稼働の必要十分条件である」ことを国家が宣言していることになる。しかし、その宣言の責任の所在が何処にあるのかについては彼らは言及していない。

つまり、企業での事例に例えてみれば、ある会社の社運を分ける重要な問題に直面していたとする。その分野に対する最も専門的な知識を有する担当者の課長さんが、直接的な担当部門の責任者としてある判断を下したとする。通常は部長は課長に対し仕事を任せ、課長の判断を追認することが多い。しかし、場合によっては会社を倒産に導きかねない重要な案件であれば、部長や更にその上の会社役員、社長、会長まで事の深刻さに応じて最終的な判断を求めるだろう。非常に技術レベルの高い判断であれば、多分、会社役員や社長などは専門知識を持ち合わせていないことが多い。場合によっては、部長よりも課長の方がそのピンポイントの分野の専門家であることは多い。しかし、専門知識が豊富な専門家が大局的な判断を出来るかどうかは未知数であり、専門性は劣るが大局的な判断を行う経験を備えた人々が、そこの判断に関与するのが一般的である。そして、最終的にはその責任を取れる最終責任者の名のもとにGoサインが出るのである。だから、前原国家戦略相の発言は「俺は課長のことを信頼してるから任せる!」と言っているに過ぎないが、最後に何かあった時にその骨を拾ってやる覚悟は見えない。

この様に、田中原子力規制委員長は至って真っ当なことを言っているだけで、科学的・技術的な見地からの安全性の判断をする責任と、その判断結果と最終判断が1対1の対応関係があるのか否かの判断とは個別になされるものであり、後者は国家で判断してくれと言っているのに過ぎない。しかし、その責任を取りたくないから逃げに走るのである。最終的に安全と判断されるか安全ではないと判断されるかは原発ごとに異なるが、必ず幾つかの原発では安全と判断されるはずである。しかし、その際に再稼働をする判断の責任が怖いから、この様な議論になってしまうのである。

今日、野田総理は福島第一原発を視察し、中央制御室で全電源喪失時の暗闇を体験したそうである。ならば、あの時の福島第一原発の作業員たちのように、野田総理にも覚悟を決めて欲しい!

←人気ブログランキング応援クリックよろしくお願いいます

「嘘つきと国会に出てこない奴論争」には勝者はない!

2012-10-06 23:53:20 | 政治
今日のBS朝日の「激論クロスファイア」を見た。石破新幹事長をゲストに1時間の議論を行っていたが、そこで何となく、見えてきたものがあるので今日はその話を書いてみたい。

まず、この番組の中では田原総一朗さんが繰り返し繰り返し、しつこいほどに同じ質問をしていた。それは、「民主党は『近いうちに国民の信を問う』と言ったが大嘘つきだ!しかし、解散の約束をしないからということで国会での議論に応じないとする自民党に対し、次第に国民は批判するようになるだろう。では、嘘つき(の民主党)と国会に出ない(自民党)のとでどっちが悪い?」というものである。誰が見ても、諸悪の根源は民主党にあり、良識ある人から見れば悪いのは嘘つきの方なのだが、小学生以下の対応を魅せられ続けたら、嫌気がさした国民は「どっちもどち」とみる人と、「自民党の方が大人なんだから、お前の方で何とかしろよ!」とか、次第に自民党に対する攻撃の方が大きくなるのではないかという危惧を老婆心ながら伝えているように見えた。元々、石破幹事長は解散の確約をしなくても、特例公債法案に対しての国会審議は前向きであった。予算の減額補正などの条件は必要かもしれないが、安倍総裁よりはハードルが低かった。今は総裁を支える立場だから違うことを言っているが、本心としてはこのままではいけない、国民の理解を得られないという認識を持っているのであろう。

そこで私なりの考えを整理してみた。現在の安倍総理が掲げる条件は、最低限、解散の時期の明記がなければ駄目ということになっているが、これは国民の理解は多分得られないだろう。というのも、少なくとの国民の半数ぐらいは、解散権は総理の専権事項であり、如何なる条件にも犯されてはならないものとの認識を持っているのだと思う。総理は戦略的に物事を進めなければならないので、様々な政治的な駆け引きは必要なわけで、その際に解散の時期が事前に確定していることは総理大臣の交渉力を大幅に弱めることになるのは自明だから、何が何でも最後まで総理が総理たる行動を行えることを保証するために、いかなる人もその権利を尊重すべきなのである。これに対して異を唱えることは良いが、その唱えた人が仮にいつの日か総理大臣になったら、絶対に「あの時は間違ってました」と答えるのは確実だから、これは正論で「嘘はいけない」と言われようが、絶対に国民にわかる形で時期を明言することはしない。仮にあるとすれば、民自公の党首3人だけで会談し、「絶対に密約を(幹事長や側近にも)公言しない、密約が明らかになったらその密約は破棄される、その条件を前提に解散の時期を約束する」とした場合に限られるだろう。

だとすると、この「嘘つきと国会に出てこない奴論争」は意外に的を得ていて、低レベルではありながら民主党はこの様な泥沼の戦術をとってくる可能性が意外に高いような気がする。であれば答えは一つで、解散時期の明示を条件としないで、何処まで民主党を追い込めるかを自民党は考えなければならない。「悪いのは向こうの方だから、向こうから提案してくるのが筋だ!」と言っていれば、今のせっかくの高い支持率はアッという間に低くなる。前にも書いたが、今の民主党は自ら積極的に戦略を持って攻めてくる能力を持ち合わせていない。だから自民党としては、特例公債法案を人質に民主党の出方を待つのではなく、積極的に攻めて攻めて攻めまくり、それで相手を自滅に追い込むのが正しい戦略である。そのためには、逃げに走る民主党を、逃げれないように捕まえることから始めなければならない。捕まえるとは、以下のことを意味する。

その方法は自民、公明党の党首間で合意の上で、国会での特例公債法案への協力と引き換えに、臨時国会招集の前に民自公の公開党首会談の開催を要求するということである。勿論、この党首会談を解散の時期を引き出すための道具にはしないことを約束しなければ、先方も応じることはないだろう。野田総理が唯一逃げの口実に使えるのは解散権の明示への拒否だろうから、解散時期を求めなければ、応じない理由を見つけることは困難である。勿論、国会での党首討論(クエスチョンタイム)の場も似たようなものだか、臨時国会の招集時期でもめているのであるから、国会外での開催には意味がある。また、国会の党首討論では時間が限られているから、より深く、より率直に議論できるように、2時間ぐらいの覚悟で現在の様々な懸案事項について、それぞれの党の立場を国民に分かり易く説明し合おうといえば、拒否は益々できなくなる。そして、その場で野田総理が曖昧にしていた様々な問題を追求しまくるのである。原発問題での本音を引き出せば、民主党からの更なる離党者を引き出すことにつながるだろう。0増5減の衆院選挙制度改正が首相の解散権を制約するかとか、松原拉致問題担当相の更迭に伴う国家の損失だとか、色々とツッコミどころは満載なはずである。

であれば、野田総理を公開討論の場に引き出すだけで、事態は次のステージに進められるのではないかと思われる。その機会を有効にできないようなら、新総裁の未来も暗いだろう。恐れずに前に突き進んで欲しい。

←人気ブログランキング応援クリックよろしくお願いいます