けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

中国と韓国の間にもし密約があったなら・・・

2013-06-27 23:58:42 | 政治
韓国の朴槿恵大統領が訪中し、習近平国家主席と中韓首脳会談を行った。完全に蜜月関係の中国、韓国だが、少々、根拠のない深読みをしてみることにした。

あくまで当てずっぽうの予想ではあるが、中国と韓国は裏で何らかの密約をしていると考えるのが筋だろう。当初は対日歴史問題での共闘だけが目的かと思ったが、この蜜月ぶりはちょっとばかりその先を行っているように思える。韓国からすれば、日韓スワップ協定の失効などもあり、どう考えてもジリ貧な経済的に対する予防線を張りたいところだろうが、日本に泣き付くのは死んでも嫌だろうから、その先を中国に的を絞った作戦でいるのだろう。しかし、当の中国もバブルの崩壊の予兆がひしひしと迫って来ているから、自分の尻に火が付いたところで安直に韓国の救済のために返る当てのない金を融通するとは思えない。だから、韓国としてもいつ裏切られるか分からない。となれば、裏切られないだけの運命共同体的な何かを確保しなければならない。その何かというのがここで言う密約ではないかと考えてみた。何とも根拠のない思い付きである。

さて、口から出まかせの思い付きであるが、私の予想は北朝鮮崩壊後のシナリオを中国、韓国で握っているのではないかと考えた。最近の中国は、完全に北朝鮮の非核化に舵を切っている。しかし、カダフィの例を引くまでもなく、幾らアメリカに譲歩しても核や化学・生物兵器等を手放したら、それは金正恩の死を意味するから、クーデターでも起きない限り非核化の条件を北朝鮮が飲むことはありえない。現在は、長距離ミサイルに搭載可能な小型核と弾頭のミサイル搭載技術を確立するのが先か、兵糧攻めで北朝鮮内部から崩壊するのが先かの我慢比べだが、中国はその崩壊のタイミングを調整するカードを持っているから、金正恩に亡命を促しソフトランディングさせる選択肢を手にしていると考えられる。しかし、その経済的に厳しい北朝鮮を中国が飲み込むと中国も経済的な損失は無視できないから、そのリスクを韓国に背負わせる代わりに、韓国に対して朝鮮統一を容認し、韓国の長年の悲願を達成させるというシナリオを描いているのではないかと考えた。ただ、これだけでは中国にメリットはない。そこで、中国は二つの条件を出しているのではないかと考えた。まず一つ目は、北朝鮮に眠る資源の利権を全て中国資本が握り、国土と人は韓国/資源は中国という山分けをするのである。もう一つは、そこまで蜜月になるのであれば米軍基地の存在は不安定要因となり、韓国からの米軍の中長期的なフェードアウトが二つ目の条件となる。この様に韓国の対アメリカ寄りの重心を圧倒的に中国よりにシフトさせ、中国が直接バリバリの西側諸国と接するリスクを避けることが出来れば、不安定な北朝鮮を相手にするよりは中国にとってリスクが小さい。おまけに、目の上のタンコブの朝鮮半島の米軍基地を追い出すことが出来れば、これはお釣りが有り余る状況である。北朝鮮の崩壊と韓国経済の崩壊が今後1年程度を目途に起きるなら、それよりはもう少し時限爆弾が先になる中国からすれば韓国を手なずける程度のお金は捻出できる。そこで命を救ってやれば、後は属国も同じだからやりたい放題である。

実際、最近の韓国情報筋から漏れ伝わる情報では、盧武鉉元大統領は金正日に同調してアメリカの悪口を言っていたそうだから、韓国内に反アメリカ的な土壌は強くある。米韓FTAなどもあり、その傾向は僅かながら強くなる傾向にある。朴大統領はオバマ大統領に「歴史問題での日本叩きにアメリカも協力してくれ!」と要請したが一蹴され、最近ではアメリカ上院議会は尖閣を含む海洋権益で中国非難決議を行った。別に大したことではないが、少なくとも歴史問題で短絡的な態度はとらず、アメリカの国益を尊重して尖閣に関する日本の施政権を認め続ける意思表示をした格好である。当初は韓国は米中韓の正三角形関係を狙ったのかもしれないが、結果的にはアメリカからの同調が得られず、2辺が極端に短い二等辺三角形に舵を切ったのかも知れない。

朴大統領からすれば、反日勢力からの支持と、経済崩壊のリスク回避とを両立する上手い選択肢を選んだつもりなのかも知れないが、しかし中国経済の爆弾が破裂し、中国国内の暴動を抑えるために軍部が戒厳令などを引いて事態が急展開したとき、真の意味で韓国はトドメを刺されることになる。元々、中国嫌いの人が多い韓国だから、国内で暴動が起きてクーデターが起きるかも知れない。その時、韓国に対してどれだけ本気で助けの手を差し伸べるか、それはかなり怪しいとしか言いようがない。

過去の愚かな総理大臣に頭を悩ます我が国であるが、如何に愚かであっても韓国の大統領よりはましに思えてきた。そう思って、国賊ものの懲りない元総理のことは置いておこう。

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尖閣で衝突が起きて死人が出たら鳩山元総理の責任を追及すべし!

2013-06-26 23:56:03 | 政治
「またやってくれたぜ!」というところだろうか?尖閣がらみの鳩山発言である。

今日の報道によれば、鳩山元総理は「(中国側から『日本が盗んだ』と思われても仕方がないとは)言っていない。中国側がそう判断をするという可能性があると申し上げた」と釈明したそうだが、全くもって何が起きたのかの自覚がない。つくづく、この様な人を一時でも国の最高責任者としたことを嘆くしかない。まずは民主党に対し、この民主党政権初の総理大臣のこの発言に対してコメントを求めてみたい。まかり間違っても「今は一個人としての発言」などとお茶を濁さないで欲しい。元総理ともあろう人の発言は、仮に議員を引退した後であろうと国際的には意味を持つのだから、「民主党の主張と相容れない」のであれば、きちっとその様に発言して頂きたいし、安倍政権との対立路線を明確にするために中国との協調路線を目指すために鳩山発言を容認するなら、その点を明確にして頂きたい。

だいたい、中国がどの様にこの手のインタビューを利用しようとしているかなどは最初から分かっているはずである。橋下代表の慰安婦発言などは、良識ある日本のマスメディアが相手ならば、「少々舌足らずの部分があっても、後から丁寧に誠意を持って説明すれば分かってもらえる」という前提で発言することは十分理解できる。結果論として、出る杭を打ちたいマスコミがここぞとばかりに反応し、その良識が必ずしも日本という国の中でも前提とならないことを再確認させられる事態となったが、これは不可抗力だろう。しかし、中国のマスコミであればそれが香港であろうと、相当悪意を持って言葉尻を捕まえようと虎視眈々と狙っているのは自明の理である。だから、相手が利用する可能性がある発言を自ら進んで行うというのは、思慮の足りない人間であることを宣言するようなものである。

多分、鳩山元総理が言いたかったことはこんなことだろう。「日本が受諾したポツダム宣言にはカイロ宣言が引用されていて、その中で日本が中国から盗み取った領土の領有権は全て放棄することが記されている。このカイロ宣言の『中国から盗み取った領土』が何処までを指すのかは、ポツダム宣言でもカイロ宣言でも、個々の島レベルで固有名詞で明示されてはいないから、中国が『尖閣も含む』と主張することは分からなくもない」、こんなところだろうか?しかし、これは明らかに相手の主張にも一定の理があることを認める発言であると余裕で思われかねない。だから、これは総理経験者の発言としては明らかにアウトである。では、どの様に言えば良かったのか?答えは簡単である。多分、下記の様に言うべきだったのだろう。

「日本が受諾したポツダム宣言にはカイロ宣言が引用されていて、その中で日本が中国から盗み取った領土の領有権は全て放棄することが記されている。この、『中国から盗み取った領土』が何処までを指すのかは、ポツダム宣言でもカイロ宣言でも個々の島レベルで固有名詞で規定はされていないが、これまでの歴史的経緯を考えれば、日本政府としては中国の『尖閣も含む』という主張は決して受け入れることが出来ないものである。実際、現在は日本の施政権下に置かれており、中国の如何なる挑発行為も許すことは出来ない。しかし、世の中には意見が対立する事案は多々あり、中国側がこの日本の主張に異を唱えていることは承知している。民主主義の世界では、この様に意見の対立がある場合には、法律に照らし合わせて第3者が公平に判断することが最良の方法である。現在、日本の施政権下にある以上、中国が異を唱えるのであれば中国側から国際司法裁判所に対してこの問題を提起することをお奨めする。日本は法の下の支配を尊重する国だから、多分、国際司法裁判所に提訴したら裁判を受け入れざるを得ないだろう。それが両者にとって問題解決の最良の方法ではないのだろうか・・・。」

ここで裁判所に訴える以上、提訴する側の国はその裁判所の判断を(自分にとって有利、不利に関係なく)尊重すべしという前提が必要となる。中国国民にこの様な提案が伝われば、多分、中国側の主張が圧倒的に正しいと思い込まされている中国国民は、「国際司法裁判所に提訴すべし」という主張に対する同調者が増えて、「じゃあ、提訴しよう!」という意見が高まるのは目に見えている。日本としては裁判に負けるリスクも少しはあるが、常識的にみて勝率は80%以上であろう。尖閣リスクは戦争のリスクでもあるから、そのリスクに比べれば裁判のリスクの方が圧倒的に小さい。裁判で圧勝すれば、中国側は裁判の結果を受け入れずにその後も挑発をする可能性は否定できないが、裁判以降は国際社会は「それは中国の覇権主義だろ!」と明らかに日本側に付いてくれる。その後のフィリピン、ベトナムなどの領土問題に対するひとつの方向性を示すことにもなり、太平洋地域の平和と安定にも資することになるだろう。だからこそ、中国国内でも比較的親中的存在で知られる鳩山元総理が戦略的にこの様な雰囲気を作り出せば日本の国益にとって好ましい。しかし、その様な国益に貢献できるチャンスがありながら、それをみすみす棒に振るだけでなく、敵にチャンスを与えてしまうのだから余りに彼の思考回路はお粗末である。

多分、この手の人達の考え方の根本には、キリスト教的に「右の頬を打たれたら、左の頬も差し出しなさい」という背景があるのだろうが、じゃあ、「自分の妻がレイプされたら、自分の娘も差し出しなさい」と言えるのかと私は聞きたい。鳩山元総理であれば、娘だろうが孫娘だろうが喜んで暴漢に提供するのかも知れないが、多くの常識的な人であれば命がけで家族を守るのは当然である。中国の主張に一理あると国際社会が同調するようなことになれば、中国は更に過激な行動を取るようになり、最終的には局地戦を仕掛けてくる可能性も否定できない。そうなれば、少なくとも自衛隊員が無傷ですむとは思えない。何人かは死に至るかも知れない。そうならない様にするためには、中国の主張は理にかなっていないと世界にアピールするべきだし、平和的解決を願うなら国際司法裁判所に中国側が提訴するように誘導すべきである。だから、今回の件を受けて中国がさらに過激になり、自衛隊員やアメリカ軍兵士が死に至ることがあれば、それは鳩山元総理に最大の原因があると考えざるを得ない。少なくともその自覚を彼に持たせるよう、マスコミでも民主党議員でもいいから分からせて欲しい。人が死んでからでは遅いのである。

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チャレンジとその結果の失敗について

2013-06-23 23:58:57 | 政治
先日、フリーアナウンサーの辛坊治郎さんが、盲目のヨットマンの岩本光弘さんと行っていた太平洋横断への挑戦に失敗し、ヨットを捨てて救命ボートで漂流しているところを海上自衛隊の救難飛行艇に救助され、無事に帰還した。今日はこの件についてコメントしたい。

私は出発前から日テレの「ウェークアップ!ぷらす」で紹介されていたため、無事にアメリカに辿り着けることを祈っていた。金曜日に出先で辛坊さんたちのヨットが浸水し、船を捨てたとの報を知って、無事に帰って来れることを祈っていた。このニュースを聞いて思い出したのは、冒険のレベルからすれば全然違うのかも知れないが、冒険家の植村直己さんがマッキンリーで遭難した報を聞いたときのことである。遭難と一報が流れた後、無事が確認されたなどの報もあり、どれが本当かと気になって毎日新聞を眺めていた記憶があるが、結局、帰らぬ人となった。レベルで見ればどうか知らないが、先日も三浦雄一郎さんが80歳でエベレスト登頂に成功した。これまた、ただただ無事を祈っていたが、驚くことにエベレスト山頂から電話連絡が入り、TBSの「ひるおび」ではリアルタイムで登頂成功と生の声が届いていた。これらどれをとっても、見方によっては無茶な話だし、人騒がせな迷惑な話とみることもできる。しかし、冒険とは人々の心に熱い何かを呼び起こさせるものであり、三浦雄一郎さんのエベレスト登頂のニュースを見て、高齢者の中にはまだまだ自分も頑張れると思った人も少なくないだろう。だから、この様な冒険を「人騒がせだ!」と言ってしまえばそれも一理あることは認めながらも、そんな簡単に切って捨てることはできない。

最近の報道やネットに流れる情報の中には、実は出航前から船に不具合も所々見つかっていて、それでも無茶したから国民の血税を使うことになったと非難する人たちが少しずつ出てきている。あれだけ海上自衛隊が動き、計3回(うち一回は現状確認のための飛行)も遭難地点との間を往復し、噂では1千万円を遥かに超える血税を無駄にしたとも言われ、それを「自費で払え!」という人もいる。自衛隊の出動に際しては、山岳救助などとは異なり、救出に要した費用は支払う必要がない。しかし、ひょっとしたら辛坊さんは自腹で払うかも知れないと個人的には感じながら、実際に費用を払おうが払うまいが、そんなことで今回の評価が変わる(例えば「払えば許してやる」とか)ものではないと思っている。

ただただ感心するのは、自衛隊の方々の意識の高さを思い知らされたことである。戦争のない時代に自衛隊に入隊する人々の中には、絶対に失業しない公務員のひとつ程度にしか考えていない人もいるのではないかと思いながら、今回、水陸両用の救難飛行艇「US-2」の着水能力(3mまで)を超えた4mもの波の上に、エンジンが水を被り一時は利用不可の状態になりながら、水上にて真水でエンジン内部を洗い、何とかエンジンを復活させて無事に帰還できることになったという。その時、自衛隊員は11名が搭乗していたというから、2名を救助するために11人をさらに犠牲にするリスクもあった訳だ。しかし、それでも命がけで救助する隊員の責任感には感服する次第である。実際、辛坊さんの記者会見によれば、体温の低下が激しく、夕方のラストチャンスを逃したら翌日まで体温が持つかどうか、半ば諦めかけていたというから、あの隊員たちが辛坊さんたちの命を救ったのではないかと思う。でも、彼らは決して救助のことを恩着せがましく感じることもないだろうし、当然のことをしたまでと感じているのだろう。

結論から言えば、遭難したのだから辛坊さんたちの責任問題が問われるのは結果論として仕方がない。ただ、帰国後の記者会見を見ていれば、辛坊さんの対応の適切さが強く感じられる。まずは、ヨットを見切るタイミングである。あれだけの大見得を切って出発したのだから、少しでも船に執着する気持ちがあれば判断のタイミングを誤り、逃げ遅れて死に至る可能性があった。今回は盲目のヨットマンが一緒だったから、目で見て多くの情報を瞬時に収拾し、辛坊さんが主体的になってヨットの放棄を判断せざるを得なかったのだろう。辛坊さんからすれば、記者会見でもあったように岩本さんを無事に返すのが最大の仕事だと自覚していたから、目の見える人が避難するギリギリのタイミングよりは、盲目の分だけ早く判断する必要があったのだろう。断腸の思いの中で、よくぞ決断してくれたと他人事ながら感心する。さらには、記者会見での発言をみれば、自分たちの非を前面に認め、ひたすら謝罪と感謝の気持ちを表し、一方で、記者たちが知りたいだろうことに対しては真摯に回答する。再チャレンジにしても、「口が裂けても、そんなことは言えない」と答えていた。巷ではリスクマネージメントと言う言葉で取られるが、今回の謝罪記者会見はその教科書の様な会見だった。それが、白々しく「ここは謝っておいた方が得!」というニュアンスではなく、心からの感謝の気持ちが第1、言葉に尽くせないストレートな謝罪の気持ちが第2と、正直に語っていた。「こんなことを言うのはどうかと思うが、(あの意識の高い自衛隊員のいる)この国に生まれて良かった(だから助かった)」というのは、人によっては白々しいと言いたいところだろうが、私にはズシンと伝わるものがあった。海上自衛地のワッペンをずっと手にもって会見していたところからも気持ちは伝わってくる。

多分、冒険家にもマナーがあるのだろう。救助・救出のために多くの人に迷惑をかけ、血税も大量につかうことになったとしても、それ自体はある意味で仕方がないことである。しかし、その様な迷惑をかけておきながら、その後も懲りずに我を通すとなれば、それはマナーに反するものだろう。勿論、安倍総理ではないが、一度失敗した人が再チャレンジできる世界というのは歓迎するところではあるが、呑気に「じゃあ、俺も!」と言われては大迷惑であり、少なくともその責任の大きさを自分の中で受け止められる人を我々は期待している。

話は逸れるが、サッカー日本代表がコンフェデ杯で3戦全敗で敗退した。セルジオ越後さんなどが監督更迭の選択肢を示し、ラモス瑠偉さんも監督采配を責めていた。私は、今回の見所は1戦ごとにどの様にテーマを設定し、その様にそれに取り組むかを見るべきだったと思う。最大のテーマは言うまでもなく、如何に「チャレンジするか!」なのだと思う。攻撃にチャレンジすれば、その分だけディフェンスには無理がかかる。トルシェ監督の時にはひたすら守備を固め、攻撃は1発勝負の個人技だけに頼るように割り切ったチーム作りを行った。そのため、ディフェンスラインに森岡や中田(浩)の様なロングボールを高精度で前線にフィードできる選手を重用した。日本の様な勤勉な国では、その気になればベスト16に進出できる程度の守備力を身に着けることが出来ることを彼は証明した。しかし、そこにはチャレンジがなかった。2006年のドイツ大会では、何とも中途半端なチームで、中田英が試合後に引退を決意するにまで至った。

今回、ブラジル戦ではチャレンジが出来なかった。しかし、本田のキープ力は光っていたし、それなりに確認できる部分はあった。イタリア戦ではその失敗を反省し、とにかくチャレンジを意識した。勝っていても守りに入らず、常に攻めを心掛けた。3対3に追いついたところで、決して引き分けで勝ち点を取ろうとも思わなかった。結果、負けはしたが多分、相手には相当な屈辱を与えたに違いない。「本来は、我々は勝者に値しない」と思わせるまで。しかし、そのイタリアの動きが最後の方で悪くなっていた背景には、中2日での試合であったことは間違いない。最後のメキシコ戦では、前半の日本の動きは非常に良かったが、後半は相当へたばっていた。本田ですら後半は、全く見る影もなかった。イージーなミスを多発し、イタリア戦でのキレとは別人のようになっていた。しかし、これは多分、ペース配分など考えずに積極的に試合を運んだらどうなるかということを確かめていたのだと思う。吉田と内田が外れたのは、イタリア戦でのミスを選手に「仲間はどうか知らないが、自分自身では『ドンマイ』では済ませるなよ!」というメッセージの様なものであったと思う。そして、2点差がついたところでザックは長年の懸案である3バックに大舞台でチャレンジする。しかし、長友の怪我でそのシナリオも狂い、中途半端に終わった。

しかし、チャレンジはそこにあったのだと思う。だから、そのチャレンジ精神は評価すべきであり、今はその結果から次のための何かを引き出して改善すべき時なのだと思う。それを安易に手放しで褒めるのもどうかと思うが、評価すべき点は評価されてしかるべきだと思う。

殆どこの辺になると、ザックのことが好きか嫌いか、辛坊さんのことが好きか嫌いかでしかないのかも知れないが、チャレンジしたことは評価すべきことで、その結果の失敗は覚悟することも必要なのだと思う。

たまたま、同時期に感じたことであるが、現在の日本にもチャレンジは必要である。そのことの意味は深いものであるが、如何なる場合においても、万全の準備のもとでチャレンジする心を忘れないでいたいと思う。

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事件の一面だけを見る危険さ(「復興庁幹部の愚かな発言」から)

2013-06-18 23:58:48 | 政治
既に5日ほど経ってしまい完全にタイミングを逃した感があるが、どうしてもコメントしておきたいのでここで書かせて頂く。復興庁幹部がツイッターで行った暴言問題についてである。

まず最初に、この官僚のやったことは決して褒められることではない。そして、明らかに政府や自治体が行おうとする復興に関する活動にとって、明らかに足を引っ張る結果をもたらしたのだから、責任を取って更迭されたのは仕方がないことだろうと思う。これには異論はない。ただ、物事はそう単純ではなく、以前からコメントでご指摘を頂いたスイスの「民間防衛」の中でも触れられているように、ある国の政府を悪意をもって貶めるように必死に行動する組織というものも悲しいかな世の中どの国にも存在し、その様な連中が仕掛けるトラップに引っかかる良心的な一般市民は意外にそのトラップに気が付かないことが多い。つまり、背景にはドス黒い何かがあるのだが、それに悟られない様にオブラートで包み、しかもそれが如何にも良心的な集団と信じられている組織の中に潜り込んでいるというお話である。

私も底が浅い人間だから最初は分からなかったのだが、下記の記事を一読して頂きたい。

アゴラ 言論プラットフォーム 石井孝明「復興庁幹部暴言騒動・役人『叩き』ではなく仕事を『減らす』で福島を救え

詳細はこの記事に譲るのであるが、ポイントとしては、官僚の暴言をスクープした毎日新聞の記者は、「自称市民メディア」のOurplanetTVと連動して記事を新聞に載せている。時系列的な証拠から、そしてこの記事を書いた記者とOurplanetTVの代表とのこれまでの行動経歴から、極めて密に情報を交換しながらこの団体の代弁者として全国区の新聞に記事を掲載した形である。更にはその他の類似の団体とも相互に連携し、一大キャンペーンを張ろうとした形跡がうかがえるという。そして、経済・環境ジャーナリストである石井孝明氏のこれまでの活動の中で、このOurplanetTVという団体が極めて偏った組織であり、一般市民に誤った情報を発信してミスリードを図ろうとしてきたことを証拠と共に示している。所謂、サイレント・マジョリティの真逆のノイジー・マイノリティの典型として、震災瓦礫に付着した放射性物質の危険性を過剰に吹聴し、科学的な根拠もなしに、復興の足を引っ張ろうとした組織に通じているという。つまり、「正義の味方」のふりをしていながら、実は正義を語れる資格がないというのである。

この辺の事実認識についてはこの記事を読んだ読者に委ねるとして、世の中には「権力に楯突くことが正義」と勘違いし、「権力に逆らいさえすればそれでOK」と感じている人は意外に少なくない。復興庁職員が対話集会で対峙した市民の多くはそうではないのだろうが、しかし、この手の集会を行えば必ず偏ったノイジー・マイノリティの人達が声高に叫んで集会の流れをコントロールしようとするのは良くある話だ。しかし、政府側の人間は対話により理解を深めてもらうのが仕事だから、これらの人々を一刀両断、切り捨てることは許されない。ひたすら耐えて、取りあえず説明会を行ったという実績を作ることが彼らに与えられた仕事となる。震災前までであれば、原発賛成派と原発反対派を議論で戦わせても不毛な争いしか行われず、有益な議論、例えば「長期的な視点では原発をフェードアウトするにしても、短期的には原発に依存する現状は急激に方向転換できないから、せめて如何にすれば少しでも原発を安全に運営・管理できるか、まずはそこから議論しよう!」という方向には向かわない。相手を罵りあってお終いである。最近は流石に原発賛成派も旗色が悪いと自覚しているのだろうから対話のチャンスが生まれるのかと思いきや、原発反対派が逆に錦の御旗を得たと思い込んで先鋭化し、これまた議論にはならない。この様な、殆どイデオロギーの対立的な人々とは議論しても意味がないというのは確かに現実としては真実だから、この官僚がツイッターで行った発言は、許されはしないかも知れないがそれなりに的を得たものである。本人も、流石に実名はまずいと思い匿名にしていたのだろうが、過去には実名で発言していた時期もあったそうで、それを辿って人物を特定されてしまったという。

あくまでも官僚である以上、政府の活動の足を引っ張る結果を導いたのなら、その責任は問われてしかるべきだろう。人物を特定されうる状況で、一般市民に誠意をもった対応をしている姿を見せなければならないものが、誠意のかけらもないことを証明したのだから、それは責任を問われても仕方がない。しかし、一方でこの官僚がボロ糞に罵倒される集会で暴言を吐いた人がいたとしても、その人の暴言は何故か「言論の自由」で守られて、多くの一般市民から攻撃を受けることなどない。極めて非対称な環境に置かれている訳である。この様な状況を考えると、まずはこの官僚には人身御供となってご退席を頂くのは当然なのだろうが、しかし、大新聞社が偏向した一部の政治団体などの策略に踊らされたとしたら、その大新聞社は謙虚に自己反省をして頂かなければならない。しかし朝日新聞が、少なくともその火付け役の人・団体が後に慰安婦の補償金詐欺で逮捕されるに至っても、そのかなりいかがわしいと言わざるを得ない団体に踊らされて報道したことを総括しようとはしない。報道機関というのは自らには極めて甘い組織なのである。

だから、物事は一面だけに目を奪われてはいけず、様々な裏の事情を予測して是々非々で判断しなければいけないのだろう。今回の件はそれを思い知らされる事件であった。

なお蛇足であるが、よくよく上述の官僚の発言を見てみると、橋下代表のツイッターで交わされる過激な発言に比べればかわいいものとも言える。橋下代表を半ば個人攻撃する報道機関や有識者との間で行われる橋下代表のツイッターを見れば、滅茶苦茶過激な表現が並んでいる。その典型例が過去に話題になった「教育委員会のクソ野郎」発言である。しかし、橋下代表のそれらの発言自体はあまり問題とされることがない。それは、暴言の裏に、ちゃんと何らかの問題提起が隠されており、言葉は乱暴だが、内容的には正論であったりすることが多いからなのだろう。今回の官僚の発言は、同情はできても正論とはかけ離れている。だから、孤立無援で失脚することになる。民主党時代の某大臣の「放射能つけちゃうぞ!」発言も、「それは駄目でしょ!」的な発言で私もボロクソに非難していたが、今になって冷静に思えば、辞任まですべき発言かと言われれば少しは悩むところである。この事件の背後にも、今回の様なドス黒い何かがあったとすれば、私も反省しなければならないと思うところである。勿論、こちらの事件の背景は漏れ伝わっていないので良く分からないのであるが・・・。

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慰安婦問題は「棚上げ」で逃げ切れると主張する小金稼ぎのコメンテータ達

2013-06-17 23:55:28 | 政治
日本維新の会の橋下代表の慰安婦発言問題が下火になり、人々も忘れかけていたころであるが、テレビ大阪の「たかじんNoマネー」という番組の中で、問題が再燃しかけている。6月15日の放送に橋下代表が出演し、反橋下派のジャーナリスト大谷昭宏氏や須田慎一郎氏、タレントの水道橋博士などとの対決となった。橋下代表のツイッターの中でもその番組への出演と大谷氏との対決が取り上げられていたので気になっていたが、動画がネット上にアップされていたので全体を見てみた。笑ってしまうのであるが、この中で水道橋博士が撃沈し、理屈立てた議論で叶わずに番組降板宣言をしたので話題になった。その経緯が下記の新聞2紙に報道されている。

産経ニュース2013年06月16日「橋下氏の『小金稼ぎのコメンテーター』発言にキレた…水道橋博士が番組降板を宣言、生放送中に去る

毎日新聞2013年06月16日「水道橋博士:橋下氏発言に激怒『たかじんNOマネー』降板

これについて、さらに産経新聞は続報を出している。

産経ニュース2013年06月16日「『小金稼ぎのコメンテーター』発言、橋下氏がツイッターで撤回…『水道橋博士、ギャラ高いから怒った』

多分、産経ニュースでこの事件を知った人と、毎日新聞で知った人とでは、何が起きたのかの理解が180度違うのではないかと予想する。この産経ニュースの報道は結構フェアに報道しているが、実は毎日新聞は橋下代表のツイッター上で完全な戦闘関係にあり、上記の毎日新聞の記事ではある種、悪意をもって何も知らずに読んだ人が「なんか橋下さんって傲慢ね!」という感想を持つように誘導している感がある。話が逸れてしまうが、橋下氏はツイッターの中でも、新聞は「主観を挟まない客観的な事実」としての記事と、「主観を思いっきり盛り込んだ社説などの記事」とを明確に区別しないと、読者に誤解を与えるので注意すべし!と主張しているのであるが、まさに「主観を挟まない客観的な事実」と見せかけた「主観の押しつけ」のように見える。ちなみに、最近の時事ネタを扱う雑誌の中には、「記事」なのか「広告」なのか一見すると分からないような形で広告が掲載されていることをよく見る。これは同様の意味でアンフェアで、思いっきり主観の入った広告を、ついうっかり編集デスクによる客観的な事実と誤解してしまう。卑怯なやり方である。

話を戻せば、実は、先日の私のブログでも触れたが、この番組「たかじんNoマネー」では大谷氏、須田氏、水道橋博士などの論陣が出演した番組の中で、(こちらは動画を確認していないが)番組全編を通して橋下代表の批判大合唱を繰り返し、大谷氏に至っては「反吐が出る」とまで言い切ったという。完全に個人攻撃のレベルで、出演者は勝ち誇ったように番組を終えようとしていたのだが、その番組の中で行った電話投票の結果が番組最後に紹介され、橋下氏に問題アリが2割、問題ナシが8割と4倍の差をつけた橋下氏側の圧勝になった。それでも出演者たちは「集計の仕方が悪い」とか、「アンケートに答えたのは男ばかりじゃないか」とか、「大阪だけのローカルな意見だろ」と現実を認めず、橋下氏非難を続けた。そこまでされて、反論のチャンスを与えられた橋下代表が「有権者は冷静ですよ。小金稼ぎのコメンテーターとは違う」と押さえた声のトーンでさりげなくコメントしたのだから、かなりニュアンスは異なるのである。自分に対する非難に対しては耳を傾けるが、的外れな指摘にはそのおかしな部分を指摘する。政治家は有権者によって最後は裁かれるのだから、その有権者の意見が最も反映された結果を尊重したところ、自分の支持が「圧勝!」であったのだから、胸を張ることに何ら遠慮することはない。自分を人格攻撃した連中に、「小金稼ぎ」と言ったぐらいで責められる筋合もない。そして、どうも議論がかみ合わず、橋下代表が論点を整理しようとすると、他の反橋下派はゲリラ的にまた訳わからないことで攻撃する。

例えば、橋下代表が誤報というのに対して大谷氏は「誤報はありえない!」という。理由を聞けば、当初、毎日新聞の報道を橋下氏が「公正な報道をしている」と表現していたのだから、後から誤報だというのはおかしいと言う。しかし、当初の毎日新聞の報道では、1問1答式で書いていたのだが、続く報道ではその報道の中から主語や述語を適当に省略し、ワザと誤解を与える表現に終始した。橋下氏は「だから誤報だ!」と言っているのだが、それに対しての大谷氏からのコメントはない。その他の説明も同様だが、大谷氏などは絶えず攻撃をしては反撃を受け、反論されると論点をすり替えてまた次の批判をする。水道橋博士も「みんな、橋下さんの発言は国益を損ねていると言っている!」というので、「何処がいけないのか!」「『みんな』と言うなら、誰がその様に言っているのか!」と言い返すと、水道橋「みんな言ってる!」、橋下「具体的に名前を!」、水道橋「私はコメディアンだから、そんなこと言われても・・・」、橋下「それは卑怯だ」、水道橋「(小声で)例えば小林よしのり・・・」。世間一般では、こういうのを「トラの威を借る狐」という。人をテレビに出てまで批判するなら、せめてその理由ぐらいは一人称で説明できるだけの根拠を持つのは人として当然のことである。それすらできずに論破されて「番組辞めます」というなら、もう少し恥ずかしそうにしてもらいたいものである。

ところで、この番組の議論を聞いていると、大谷氏、須田氏の論点がおぼろげながら分かるようになってきた。どうやら彼らは、「(大声では言えないが)日本政府が中途半端ながらも謝罪をしているんだから、日本国中の全ての人が何も言わずに黙っていれば、どうせ韓国はいつかは許してくれる。だから黙っていればいいんだ!余計なことを言わないでくれ!」ということらしい。これは、多分、多くの新聞社などもこの路線だろう。しかし、河野談話から始まり小渕敬三内閣の頃までは、日本国内は一部の明らかに毛色の違う右翼系の人を除けば、少なくとも慰安婦問題については比較的、謝罪路線を評価する人々が多く続いていた。その後、第1次安倍内閣になって「強制性を示す証拠はない」と多少発言が変わってきたが、それまでは大谷氏、須田氏の望む状態が続いていたはずである。しかし、例えば金大中大統領などが日韓関係を修復しようとする試みをした時でさえ、韓国国内世論は慰安婦問題で国家賠償を求める主張を下火にしようとはしなかった。寧ろ、ますます過激になって反日色を強めてきた。盧武鉉大統領などは、後に自分が自殺に追い込まれるほどの状況だったから、藁をもすがる思いで反日カードを思いっきり利用しようとしていた。日本が円高で苦しみ、ウォン安でこの世の栄華を誇っていた時代には、ここぞとばかりに徹底的に日本にトドメを刺そうとして、李明博大統領は竹島で一線を超えてしまった。この様な状況を見て、どうして「黙っていればどうせ韓国は許してくれる」という主張が成り立つのか、その説明は一切ない。

橋下代表が「コメンテータは責任を取らない。無責任だ!」と言ったのに腹を立てた大谷氏に、橋下代表が「じゃあ、慰安婦問題で国家賠償をすべきなんですか?日韓基本条約で賠償問題は解決したはずなのに!どうなんですか?」と聞くと、大谷氏は「ここでこれだけ議論しても結論が出ないのだから答えられない!」と言い逃げる。別に「正解を言え!」といているのではなく、議論の中の一意見として、あなたの意見を言いなさいと言っているのに、ここで答えるとどちらの答えをしても集中砲火を浴びかねないから答えないと逃げようとする。「ほったらかしにして、棚上げにすればそのうち忘れるから逃げ切れるはず!」という主張を、橋下代表からの質問に対してまで実行した形である。しかし、逃げ切れないから未だに慰安婦問題は解決しないのである。番組の中で八代弁護士がコメントしていたが、中国韓国のロビー活動は凄まじいものがある。資金の桁が違い、滅茶苦茶に日本が悪者にされていると八代氏も指摘し、それに誰も異論はなかった。その流れの中で、橋下代表も「韓国は慰安婦とホロコーストは同一レベルのものと世界に吹聴し、実際、アメリカにあるホロコースト記念館の中に慰安婦展示館が出来そうになった。しかし、これに反論しようとする奴は殆どいない。」と指摘する。逃げ切るどころか、完全に尻に火が付いた状態になってしまった。この期に及んで逃げ切れると主張するなら、その勝算が何処にあるのかを聞いてみたい。

ただ、以前のブログにも書いたが、私も少しは冷静に考え、宮家邦彦氏が言うように日本のこれまでの謝罪の取り組みを丁寧に世界に発信する努力をまず行い、世界の人々が偏見を持たずに耳を傾けてくれるようになってから討って出ないと、議論をする前に門前払いを食らってしまうというのも一理あると思う。その意味で、下記のサイトを一読してもらいたい。

慰安婦問題とアジア女性基金/デジタル記念館

先日偶然見つけてまだ一部分しか見ていないのであるが、多分、建前上は民間の財団法人が仕切っているサイトなのだろうが、アジア女性基金自体がそうであるように、実効的には政府が陰ながらそこに関与して情報発信をしているように見える。そして、そこでの記述は日本人からすると「ちょっとやりすぎ!」と感じるほど、諸外国の人がフェアと感じられるものになっていると感じた。例えば、「慰安婦にされた女性たち」の記述を見れば、日本よりの弁解の言葉を交えずに、ストレートに被害者の言い分をそのまま掲載しているようだ。読めば明らかに「日本って、こんな酷いことをしたの?」と感じるものだろう。ヒラリー前国務長官がSex Slaveと呼んだことも理解できるような気がする。しかし、問題はこれが「国家的な事業として、これらの残虐な行為がなされた」のか、それとも軍はオフィシャルには関与していない中で、「民間の人達が商売として慰安所を切り盛りしていた」のかまでは明言していない。被害者からすれば、兵隊さんにひどい仕打ちを受けていたのだから、仮に民間の人が切り盛りしていたとしても「憎いのは日本軍」となる訳で、その意味で河野談話や村山談話、更には女性基金の中での歴代総理の手紙などで謝罪を行うことの必要性を認め、実際に謝罪を続けている。民間ベースの補償にも取り掛かり、殆ど国家的に補償の受け取りを暗に拒否するように仕向けられた韓国を除けば、多くの被害者に補償金が払われている。多分、その際の被害者であることの信憑性は厳密に確認されることもなしに・・・。そして、このサイトは英語版のページも用意され、少なくとも欧米人であれば自然に知識を得ることが可能な状態となっている。

ここでの記載内容が、ひょっとすると誤解を新たに生むきっかけになりそうなリスクも感じなくはないが、これらの事実を積極的にアピールし、日本が如何に歴史と真摯に向き合い、一方でその真摯な対応を無視してどれだけロビー活動で一方的に非難されているかの真実を訴えることで、橋下代表の主張のポイントが理解される日が来るような気がする。まだまだ遠い道のりであるが、少なくとも小(大?)金稼ぎのコメンテータの主張する棚上げろにょりは、遥かに前向きな議論であることは間違いないと思う。

せめて新聞社は、事態をフェアに報道するところから始めて欲しい。

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子宮頸がんワクチン副作用の患者の悲劇と混合診療解禁論議の先にある議論

2013-06-15 22:32:08 | 政治
昨日の報道ステーションで、子宮頸がんのワクチン接種の重度の副作用で障害を負った被害者が紹介され、厚労省がこれまでの積極的な予防ワクチン接種の呼びかけを改め、接種者の自己判断とすべきとの方針転換となったことが紹介された。医薬品とその危険性という意味で、混合診療と絡んだ議論が起こりそうである。今日は、この辺についてコメント、そして提案をしてみたい。勿論、医学的な知識は持ち合わせていないから、間違っていたらご指摘をお願いしたい。

まず、アベノミクスの三本目の矢である成長戦略として、殆どの有識者は規制緩和の岩盤規制のひとつである混合診療に関する規制を解禁することこそが成長戦略に資すると唱えている。私もこの考え方には基本的に賛成であるのだが、最近少し、考え方が変わってきた。混合診療については木曜日のTBSの「ひるおび」で、厚生労働省担当記者の牧嶋博子さんが分かり易く解説をしていたのだが、彼女は解禁の反対派である。同席していた別の専門家の森田豊さんも同様の意見であった。ただ、この二人の主張する反対意見は、世間一般での既得権益側である日本医師会やそれに類するところの反対意見とは異なるものであろう。細かい説明は省略するが、この二人の意見のポイントは、「本当の目指すべきゴールは、諸外国で承認されている有益な医療技術・医薬品については、可及的速やかに審査を短期で完了し、保健適用にすることで『混合診療』などというフェーズで胡坐をかくことなしに、保険診療にして患者の負担を減らすこと」であると言える。混合診療が解禁されても、結局は自由診療部分は全額負担なので、この部分の患者負担が大きすぎる。だから、混合診療が解禁されても、それは現状の保険診療部分までが全額負担となる最悪のシナリオに対してベターなだけであって、決してベストな解ではないのである。

ただ困ったことは、世の中の政治的なもめごとにおいて良く見られることであるが、改革を目指す勢力に対し、それに反対する勢力の中には2種類の勢力が存在し、よりラディカルにその先を目指す考え方の人が「まどろっこしい、もっと革命的に変更すべし」と考えて反対すっる一方、「冗談じゃない、改革などされては困る」という人もいて、これらの全く逆向きのベクトルを持つ人が結託して反対票を投じることに問題がある。本来であれば、改革勢力であるラディカルな人々は、ベクトル的には同一方向を向いていることで協力し合うべきであるが、何故か協力することが出来ないのである。だから物事が進まない。

ただ、これは戦略の問題であるから、上手い戦略のシナリオを示せば協力して事態を改革していくことは可能ではないかとも考える。だから、この「諸外国で承認されている有益な医療技術・医薬品については、可及的速やかに審査を短期で完了」させるための方法を考えるべきなのだろうが、ここで先ほどの子宮頸がんの話題に立ち戻るのである。

実は、報道ステーションを私は家内と一緒に見ていたのであるが、家内は副作用の被害者の映像を見て怒り狂い、さらには厚生労働省の担当者が、「ワクチン接種は国からは積極的に推奨しないことにしたので、個人の自己責任で判断して摂取するかしないかを決めて下さい」と言っていたのを聞いて更に激怒しだした。「この人たち、高い給料をもらっているんだから、国の責任ではっきり方針を示すべきでしょ!何言ってんのよ!」と私に一方的にまくしたてた。確かに、その主張は感情的な部分では大いに納得できるものであるが、流石に技術者の端くれである論理的な思考に多少なりとも自信があるものとしては、物事がそう単純でないことぐらいは良く分かっている。これは、インフルエンザの特効薬のタミフルの場合にもそうであるが、医薬品というのは一種の毒物であり、毒をもって毒(病気)を制するという側面があり、その薬の効能が大きければ大きいほど、100%安全で副作用が完全にない薬というのは存在しにくくなる。勿論、私の素人感覚でも、子宮頸がんのワクチンの副作用の発生率(特に重篤な副作用)は、常識的な値よりも大きそうな気がするし、その重篤の程度も相対的に重いのではないかと気になるところである。だから、今回の子宮頸がんの場合に限って議論すればどうか分からないが、少し議論を一般化すれば、その医薬品を適用することで蒙る被害の程度と、その医薬品を適用しないことで蒙る損失の程度を天秤にかけ、その程度が医薬品を適用しないことによる損失の方が圧倒的に大きければ、多少の副作用については目を瞑るという選択が幸福の最大化の視点では好ましい。勿論、子宮頸がんワクチンなどでは、本来は癌にもならずに平和に幸せな生活を送れるはずの人が、そのワクチンを接種したことで不幸な人生を余儀なくされるのだから、単に上記の天秤が同程度でバランスする程度では納得する人はいない。だから、そのサジ加減をどの様に設定するかは微妙である。しかし、そのサジ加減などを定量的に計るあるルールを確立すれば、そのルールに則って行った決定に対し、(HIVの血液製剤の様にその後の新たな情報がある場合を除けば)その結果の副作用に対して決定に携わった人の責任を問うことはできないはずである。今回の子宮頸がんのケースでは、正確な数は知らないが毎年3000人程度の死亡者を出す病気であることを考慮すれば、安易に「使ってはいけない医薬品」という位置づけにはし難い。勿論、上述のルールに従った結果、圧倒的に危険であるという評価になれば話は別であるが、たいていの場合にはグレーゾーンの領域に入るのであろうから、だから「摂取しても構わないが、国は積極的には推奨しない。自己責任で判断してくれ」とならざるを得ない。これを、敢えて「白黒はっきりつけろよ!」となれば、「安全を完全に確認できない以上、ワクチンを承認することはできない」となってしまい、オフィシャルには使えない薬となってしまう。

つまり、「自由診療」枠の薬となる訳である。厚生労働省や審査に携わる大学教授などに責任を押し付ければ押し付けるほど、彼らは守りに入って「保険適用の承認」を認めなくなり、結果的にその薬を保険で適用できずに苦しむ人が多く現れることになる。

色々と考えてきたが、私なりの提案は少々異なるものである。結論から言えば、現状の「保険適用」と「保険適用外(自由診療)」との2分論に対し、「保険適用」と「仮保険適用(リスクが大きいことを明示した上で保険を適用する)」に加えて「保険適用外(自由診療)」に3つのグループ分けを行うというものである。さらに言えば、「保険適用外(自由診療)」となる新たな医療技術に対しても、保険適用の可否判断のための臨床試験(チャレンジングな新規の医療技術を含んでも良い)などの段階の医療技術をインターネット上で公開し、その被験者になっても良いという希望者を公募するなどの方法をとっても良いかも知れない。ここで上述の「仮保険適用」とは、医学学界関係者などの委員を選び、将来的に保険適用となる可能性の高い薬を指定させ、その薬に関しては「非常に高いリスクを伴う」ことを明示すると共に、その使用に関しては患者本人の同意書などを得ることなどを条件に、国が医療費の7割を負担して実質的には保険診療相当とするというものである。また、そのリスクを分かり易く説明するサイトをインターネット上に立ち上げるなどし、患者からも例えば1週間以上の期間を開けて2回以上の同意書を取るなどのルールを設定しても構わない。つまり、非常に有望な薬に関しては、「リスクを覚悟の上で、どうしてもその治療を受けたい!」という人の希望を、医学界の学術的な発展と患者の利益のバランスを取りながら、幸福の最大化を図る努力をするのもひとつの手なのだと思う。

ちなみに、私の子供がもう少し小さいとき、毎年冬になるとインフルエンザとの恐怖を戦ってきた。巷では、体温が40度以上になるとインフルエンザ脳症のリスクが高まると言われているので、子供の体温が夜になって39度6分になった時には私も非常に緊張した。幸い、近所の病院で夜間診療をしてもらい、そこで薬を処方してもらうことができた。タミフルの副作用が話題になってきた頃だったから、私は迷わずお医者さんの先生に「タミフルの副作用があるのは聞いています。しかし、タミフルのお蔭で助かる命が多数あることも承知しています。同意書が必要なら何でも書きますので、先生がベストと思う薬を処方して下さい」とお願いした。多分、小児科の先生としては39度6分というのはそれほど深刻な体温ではないのかも知れないが、先生は笑って「ではタミフルを処方しておきましょうね!」と同意書なども求めず出してくれた。もし仮に、私の横に「タミフルなど危険だから処方しちゃいかん!」という人がいたとして、そこでタミフルを処方しないでインフルエンザ脳症で死ぬようなことがあれば、私はその人を裁判で訴えただろう。ただ一方で、そこで処方されたタミフルを飲んで子供が奇行を行い、ビルのベランダから飛び降りて死んだとしても私は裁判に訴えることはしないと思う。リスクというものは必ず何処かに付きまとい、何処かで判断をしなければならない場合がある。その時に、ベストな判断をして結果が裏目に出たら、それは仕方がないことである。

話が少し逸れたが、保険適用でない医薬品や治療方法のリスクは無視できないが、その医薬品や治療方法を安易に自分の選択肢から除外するのも同様にリスクなのである。そのリスクの全てを国が背負い込む制度に対し、多少は患者にも背負わせる一方、経済的な負担というリスクから患者を解放する、そんな選択肢があっても良いのだと思う。

子宮頸がんの副作用は不幸なケースである。私は、あのような不幸なケースを日本中の国民が支え合うような制度があっても良いと思う。つまり、「仮保険適用」の導入で保険適用のハードルを実質的に下げることで多発するであろう副作用の被害者を、裁判を経ずして簡易な手続きで国が国民の血税である税金から治療費を補てんするという「対『仮保険適用』対策用特殊保険制度」の様な保険金を国民一人づつが例えば年100円とか払い積み立てるのである。

この様な考え方をすれば、実質、混合診療の解禁など不要になる。TPPなどとの整合性など、その他の細かいところまでは考えていないが、議論の範囲を広げてよりベターな解を探すというのが必要なのだと思う。そして、この様な考え方を導入すれば、多分、これまでの混合診療解禁賛成派の人達と、上述のTBSの牧嶋博子さんや専門家の森田豊さんなどの人達が、手に手を取って協力してより良い医療制度に進むことが出来るようになるのではないかと思う。私の浅はかな短絡的なアイデアには落とし穴もたくさんあるのだろうが、ならば、より良い新しいアイデアを出して欲しい。

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昨年APECで胡錦濤を怒らせた野田前総理と最近の北朝鮮情勢との類似点

2013-06-14 23:58:19 | 政治
最近の北朝鮮と韓国の対応がまるで喜劇である。散々、ソウルやワシントンを核ミサイルで火の海にするとまで言っていたような北朝鮮が対話に応じるというのだから、これはどういう展開なのだろうかと思っていたが、第1幕は韓国が道化師(ピエロ)となってお笑いを誘い閉幕した。

実際のところ、北朝鮮がどの程度追い詰められているかは目に見えていない。中国からの銀行口座の閉鎖により、当然ながら相当な危機に直面しているのは想像に難くない。しかし、物事は交渉ごとなので、例えばポーカーをしていて、その逼迫感が顔に表れてバレバレのプレーヤーと、ポーカーフェイスで涼しい顔して掛け金を引き上げようとしているプレーヤーとでは、その後の勝負の行方はおのずと知れてくる。北朝鮮の場合、そのポーカーフェイスは滅亡への道をまっしぐらに進むものであるかも知れないが、そこは独裁国家だからその責任を問われることはない。そこが北朝鮮の強みである。

今日のTBSの「ひるおび」では、北朝鮮が今回の交渉決裂に対して出した声明を取り上げ、そのあまりにも長い長い説明から「北朝鮮は、対話を本気で求めている。未練たらたらだ」と結論付けていた。ただ、対話というのはその対話の結果で何らかの得るものがあって意味があるのであって、対話すること事態には北朝鮮にとっては意味はない。参加することに意義があるというオリンピックとは違うのである。更に言えば、北朝鮮が本気で対話をしたいのはアメリカだから、ここで北朝鮮が弱気の顔色を見せたらアメリカは「韓国さん、北朝鮮のことはそちらでお願いね!」と言い出しかねない。だから、韓国から大きな譲歩を引き出すか、ないしは韓国では手に負えないと世界(アメリカ)に思わせるか、どちらかでないと北朝鮮にはメリットはない。

この様な視点からすれば、今後、交渉が再開するためには韓国は何らかの譲歩を求められるのだと思われるが、世界が「韓国は、北朝鮮に大幅な譲歩をして交渉に漕ぎ着けた」と思うようにアピールする戦略は北朝鮮の術中に完全にハマったものである。逆に、韓国が格に拘り続け交渉を開始できなければ、「韓国には手におえない」と世界にアピールすることもできる。どちらにしても、第一幕は韓国の完敗なのである。
一方で韓国は、これ以上、北朝鮮問題が長引けば、経済的損失も無視できず、ただでさえジリ貧の韓国経済にトドメを刺しかねない。というより、それ以前に朴政権が韓国国民に駄目出しされ、近いうちに政権が崩壊する可能性も否定できない。韓国は、そんな時の国内向けの切り札として反日カードをこれまでは利用してきたが、先日のニューズウイークの記事ではないがアメリカからも釘を刺され、日本側の安倍政権が比較的自制的な対応をしていることから、今回はこのカードも期待できそうもない。最初から、顔面蒼白でポーカーを始めたような韓国は、この後の第二幕も雲行きは相当怪しい。

今回の北朝鮮の上手いところは、微妙な所でチクチクと相手の癪に障ることをしておきながら、そこに言及すると「せこい!」と言い返せるような絶妙の攻撃をしている。具体的には、会談場所をソウルのホテルに設定したが、ドタキャンをすることでホテルの使用・キャンセル料が発生し、それを韓国政府が払うことになった。金額は微々たる物であるが、韓国政府の屈辱感は相当なものであり、その歯軋りがひしひしと韓国国民に伝わってくる。半分以上は北朝鮮に怒りの矛先は向かうが、しかし残りのある部分は「何で、朴政権は北朝鮮にいいようにやられてばかりなんだ!」と韓国政府に向かう。韓国が追い詰められれば追い詰められるだけ北朝鮮は優位に立ち、その状況が明らかであれば韓国は相当な譲歩をしなければ、その会談をまとめ上げることが出来ないことを思い知らされる。ここから対話を再開しても、最後に北朝鮮が切れて交渉が決裂すれば、韓国国民は「また駄目じゃん!」と韓国政府に駄目出しを行う。

以上のことから分かることは、外交とは相手の善意を前提とするものではなく、相手の悪意を前提として、それでも勝てる戦略を練りながら進めるべきものであるということである。そして、その悪意の罠(トラップ)を見抜き、必要に応じてそのトラップ、地雷を如何に上手く回避するかが政治家や官僚には求められる。

今回の事態を見て思い出したのは、昨年の2012年9月9日、APECの場において胡錦濤主席に野田前総理が尖閣国有化を通知した話である。胡錦濤主席は即座に「断じて許容できない!」と反発し、その数日後に野田前総理が国有化を閣議決定したから、多くの日本の知識人は「胡錦濤の面目丸つぶれ!」として野田前総理を一斉に非難した。この非難は私も同感するところであるが、話は少々複雑である。私からすれば、胡錦濤に「何で尖閣国有化の話など持ち出したのか?」という疑問がある。何故なら、石原都知事の手に落ちたとすると更にややこしい話になるのは理解できるが、中国側の思考であれば「石原都知事が購入するぐらいなら日本政府に購入してもらいたい」という結論になるはずはなく、「石原都知事の購入を日本政府が妨害し、日本政府も購入などしない」という結論を求めるのが目に見えているからである。だから、常識的な思考であれば、中国には事前に国有化を外交ルートで通知はしておくが、落しどころが存在しない議題で両国の首脳同士が火花を散らすのは避けるべきだと考えるはずである。だから、胡錦濤側から近寄ってきて、一方的にこの話題を吹っかけられれば話は別かも知れないが、少なくとも日本側から近寄ってアクションを起こすべきではなかったはずである。このぐらいのことは外務省でも野田総理でも簡単に分かるはずだと思うのだが、少々穿った見方をすれば、ここで中国の罠(トラップ)があったのではないかと私は推測してしまう。それは、外務省が中国に尖閣国有化を事前に通知した際に、中国側から外交ルートで「APECがあるので、野田総理から直接、胡錦濤主席にお伝え下さい!」と誘導するという罠である。この様に返されると、野田前総理は胡錦濤主席に国有化を伝えざるを得ない。外務省も野田前総理に「大丈夫ですよ!裏で話はしていますから!」と楽観的な観測を伝えたのかも知れない。しかし、結果はご存知の通りである。そこに中国の善意は存在しない。彼らは当然のことをしたまでである。

多分、正解は日本の外務省から外交ルートで、「APECで、直接、胡錦濤主席に伝えることはできない。両者にとって譲れない事柄だから、着地点が見えない以上、首脳同士の対決は事態を拗れさすだけである。」と丁重に回答すべきだったのだろう。しかし、今となっては後の祭りである。法律がどうなっているのか知らないが、例えば尖閣国有化とは厳密には政府による登記により完成することだから、例えば官房機密費とか使途を幾らでもごまかせるような財布から一旦、全額を払っておいて、登記自体はもう少し先になってからどさくさに紛れて行うというのもあるかも知れない。それは姑息な手段でも良いのである。どうせ相手も姑息なのだから、上手く立ち回ることに最大のエネルギーを割けば良いのである。

あれだけ日本に対しては悪意剥き出しの韓国が、悪意剥き出しなのがバレバレの北朝鮮に対してこれだけ性善説を前提に接しているのは理解に苦しむ。余程、切羽詰っているのだろうか?もしそうなら、もう少し日本への接し方を変えるところから始めてもらいたいものである。

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ニューズウイーク(5/28号)の「韓国の自滅外交」から学ぶ

2013-06-12 23:58:23 | 政治
昨日、菅官房長官が日韓スワップ協定に関し、韓国からの要請があれば検討するとして、継続の含みをもたせる発言を行った。私は最初、この報道を見て「何を、馬鹿な!」と一瞬思ったのだが、少し前のニューズウイークの記事を読む機会があり、それで少し考え方が変わった。今日は、このニューズウイークの記事を中心にコメントを書いてみたい。

手ごろな引用先がないのでamazonのページで紹介させて頂くが、下記の少し昔のニューズウイークの表紙を見て頂きたい。
Newsweek (ニューズウィーク日本版) 2013年 5/28号 「韓国の自滅外交

色々と言いたいこともない訳ではないが、この記事はアメリカのJ・バークシャー・ミラー氏(米戦略国際問題研究所太平洋フォーラム研究員)や、ロバート・E・ケリー氏(釜山大学准教授)などが書いた記事が中心となり、韓国の最近の日本外しの戦略を引き合いに出し、その愚かさを理路整然と説明している。日本も同罪の悪い部分があるとも指摘し、その悪さの程度を定量的に示していないが、その表紙のタイトルを見ても分かるように、(日本と比較すれば)圧倒的に韓国の行動は常軌を逸しているという主張となっている。

ここで忘れてはいけないのは、この記事が出るまでもなく、日本国でも有識者が議論したときに、日本と韓国の関係が急速に冷えだしたのは冷戦終結後の1990年代からだと指摘されており、これは共通の敵として旧ソ連を筆頭とする東側諸国に対峙した時、日本と韓国はとてもではないが喧嘩している余裕はなかったと理解されていた。しかし、冷戦が終わったがために、喧嘩をしても何とかなるさ・・・という甘えが出てしまった。この記事が指摘している面白い点は、バックにアメリカが控えているが故に、両国は現在の北朝鮮や中国に対する脅威を深刻に受け止める必要がなくなり、それでエゴを丸出しにして自己主張して局所的な喧嘩が起きていると指摘している点である。言い換えれば、アメリカがいなければ起きなかったはずの喧嘩が、アメリカのプレゼンスが極東地域にあるがために、この様な不毛な喧嘩が起きていると指摘しているのだ。だからこそ、その様な喧嘩に対し、「俺の主張の方が真っ当だろ!」と同意を求められても、(冷静に見て、どちらが筋が通っているかが分かっていても)その様な質問には「知らん!」と答えざるを得ないとしている。少なくともどちらかに肩入れする行為は、両者の言い分に関係なく、全く持って不毛であるとしているのである。これは非常に的を得たご指摘だと私は思う。

更に韓国の最近の外交戦略にはいかがわしさがあり、例えて言えば(ニュアンス的には)「アメリカ一辺倒の外交はリスク分散的な視点で宜しくないから、中国とアメリカに対して二股外交を積極的に推進しよう!」という戦略を選択しているとも指摘している。日本でも、民主党政権下で小沢一郎が日米中正三角形と言った過去があるが、これはニュアンスとしては「結婚を前提としてお付き合いしている日本とアメリカに対し、お友達には過ぎないが、もっと中国さんとも仲良くしようよ!」というものに近い。しかし、韓国の現在の戦略はニュアンスが全く異なり、「アメリカとも中国とも2重結婚し、それぞれ物理的に異なる別の家で、それぞれ個別の家庭を持ちましょう」と提案しているかのように見える。正確に言えば、両者に2重結婚の提案まではしていないが、2重結婚がバレバレなのに、知らぬ顔して他方に結婚を持ちかけているようなものである。この様な点で、その悪質さがオバマ大統領をはじめとするアメリカに不快感を与えているのである。つまり、アメリカ側からすれば、「もし、アメリカ様がいなくても、お前、その様な行動を本気で取るつもりがあるのか!」と言いたいところである。アメリカは、絶対、アジアでのプレゼンスを保ちたいから、「まかり間違っても絶対に韓国を見捨てたりはしない。ならば、少々、アバンチュールを楽しんでもいいじゃないか!」と韓国は言っているのだが、1年前の塩谷瞬氏の二股騒動でのバッシングを見るまでもなく、そんな話がまかり通るはずがない。しかも、よりによって北朝鮮問題で今にも戦争が起きるかも知れない状況で、その様な行動は自殺行為以外の何物でもない。しかし、朴政権はその程度のことが分からないのである。鳩山、菅政権以前の低レベルである。

この様な目で見ると、最近の安倍政権の対応は「日本は決して、そんな火遊びはしない!純粋に、アメリカさんとお付き合いをしている。だから、アメリカさんも日本の方をちゃんと見つめてもらわないと困る」と正攻法の対応をしているように見える。慰安婦問題も歴史認識も竹島問題も靖国問題も、言いたいことは腐るほどあるが、「アメリカのプレゼンスがそこになくても、敢えてその様な行動を取るだろうか?」と自問自答し、アメリカが仮にそこにいなかったならば砂を噛む思いで耐えるであろうと思われることに関しては、敢えて我慢するという判断をしているように見える。冒頭に書いた日韓スワップ協定の話もその延長線上にあるのだろう(韓国は『終了してもらって結構』と回答するだろうから、結局は延長などせずに済みそうな気はするが・・・)。勿論、参議院選挙までは無用な波風を立てて、野党に付け入るすきを与えたくないという背景もあるのだろうが・・・。

ちなみに、検索をかけた限りでは、これだけの記事が日本で掲載されていながら、韓国国内ではこの記事が報道された記録を見つけることはできなかった。多分、韓国のマスコミは当然の如くこの記事を知った上で黙殺したのだろう。それが韓国というお国のマスコミである。「反日色が強い日本のマスコミ」とは訳が違う。ここまで、報道に求められる責務をかなぐり捨てて全員一致で愛国に走れるとは、敵ながら流石である。

さて最後に、これらの記事の最後の方で記されている提言が実はポイントなのだと思う。過去のブログでも何度かコメントしている通りであるが、「日韓双方とも歴史教育を見直し、ナショナリズム色を大幅に抑える努力をすべきだ」ということである。韓国や中国の反日教育は異常である。これがある限り、事態の改善はありえない。日本側には教科書検定基準の中で「近隣諸国条項」があるが、中国、韓国はこの真逆を行っている。極めてアンフェアである。安倍総理が指摘するように、一旦、この条項を廃止し、そして中国、韓国に対し「日本はこの条項をいったん廃止したが、両国が協力して双方同時に同様のルール作りをしようではないか!」と呼びかけて、双方からの歩み寄りを促す努力をアメリカ及び西欧諸国に示すのがひとつの道なのだと思う。

ある意味、「アメリカ様」に認めてもらう努力を媚び諂っているようで不愉快な部分もあるが、国益のためにはここは乗り切るべき試練の場なのだと思う。そして、相互に必要不可欠な最良のパートナーとして対等になれる日がくることを期待したい。そうすれば、も少し我々の主張も聞いてもらえるようになるから。

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「台湾関係法」の堅持からも読み取れる米中首脳会談の成果の中身

2013-06-10 22:23:14 | 政治
米中首脳会談が行われた。報道では、そこでの8時間にも及ぶ両首脳の会談時間などを引き合いに出し、「日本は食事を含めて会談時間が1時間45分であることと比較し、アメリカが中国に接近している兆し」というニュアンスで伝えている。また、尖閣問題でも習近平主席が「国家主権と領土の統一を断固として守る」という原理原則を強調した一方で、アメリカは日米同盟に関する言及もなく中国に配慮したような伝え方をしている。

ある意味、中国によるアメリカへの積極姿勢は明らかであり、日本はもっと気を引き締めてかかるべき!というご指摘は十分に正しいものと思う。この点は同意する。しかし、「だから、日本政府は駄目じゃん!」という短絡的なイメージ先行の報道というのは間違いだとも考える。つまり、中国側に立って報道すれば、今回の報道の通りであるのだが、しかし、彼らが楽観的に「勝った!勝った!」と思っているかと言えば、口に出して言わないだけで、相当厳しく感じているというのが実態だろう。

まず、中国はG2という考え方をアメリカに認めさせたいという立場に立ち、すなわち「両者は対等」というスタンスを強調しようとしていた。しかし、冷静に見れば、今回の習近平主席の訪米の様子は、「実質的な世界の王者アメリカに、朝貢的な外交を行った中国」というように見えるのである。プライドの高い中国人だから、表向きは勝者として振舞いながら、心の中では「そんなんで、いいんか!」という意識が少なからずあるのだろう。

大体、今回の会談はアメリカが持ちかけた話だというのに、会談場所はワシントンではなかった。通常は当たり前のファーストレディ外交もアメリカ側に袖にされ、「今から、家族ぐるみの付き合いなど出来ないわ!」と見せ付けられた。オフィシャルには、「あなたとは交渉相手だとは思っているが、世界を2分して管理するパートナーとは思っていない」と突きつけられた訳だから、8時間もの会談が行われたことは体裁上は大歓迎と見ることが出来るが、言ってみれば「箒を逆さまに立てて手ぬぐいをかけて客がいる襖の向こう側で立てかける『逆さ箒』」状態と見るのが妥当だろう。

ついでに言えば、本来は国家間の首脳が会談するのは、本当であれば水面下で事務方が全てのお膳立てをして、後はサインをして世界に発信するセレモニーを待つだけとなってからである。だから、普通考えればトントン拍子に進む議題であれば8時間もの時間を要する訳がない。ある程度までの時間の長さは歓迎の意を表しているのであろうが、8時間もかけて共同声明のひとつも無いということは、日米の対立の深さを表したものと言える。特に、アメリカからの提案で行われた会談ということは、アメリカはサイバー攻撃を中心とする多くの議題で「中国に言いたいことが一杯ある」ということを意味し、それを「一杯、中国に言いたいことを言った」ということが今回の会談のひとつの成果なのである。

特に、尖閣問題では非常に長い時間が費やされたという。中国側の言いたいことはシンプルだから、それをアメリカが聞き流せば長い時間を要することはない。しかし、アメリカ側の主張が伝えられるから、話が長くなるのである。中国は「日本による挑発行動を控えるように!」と主張し、アメリカは「エスカレートさせるべきではない」と答え、報道では「中国に押し切られた」というニュアンスも伝わっている。しかし、この会話の流れを聞けば、当然の如くそこで伝えられたであろう言葉が容易に推測できる。つまり、「日本の挑発行為と言うなら、それを封じる良い手がありますよ!国際司法裁判所に訴えれば、『法の支配』を唱える日本は、裁判に応じざるを得ませんよ!」である。私の予想では、安倍総理はオバマ大統領に対し、事前にこの様に中国をたしなめることを求めていたのではないかと思う。アメリカは、習近平主席を招待した手前、日米同盟を引き合いに出したコメントを控えることにしたのだろうが、大事なことは中国にそのアメリカの意思を示すことである。国際司法裁判所への提訴を促す発言をするには、自らの立ち位置を「中立的」と振舞うのが好都合なので、敢えて「法の下の支配作戦」に向けて言葉を控えたのかも知れない。この辺は情報が無いので判断できない。

なお、興味深い視点として中国に詳しいジャーナリストの富坂聰氏が語っていたが、今回の米中首脳会談での感想として、「習近平主席には、意外に権限が与えられていないなぁ」とのことが言えるそうだ。この会談の開かれた場所というのも、お互いがざっくばらんに語り合える場を期待して選ばれたというのだが、習近平主席の発言内容はこれまでの発言の域から出るものはなく、リーダーシップを発揮できるものが何もなかったという。胡錦濤前主席の様に、ペーパーの棒読みのような低レベルではないが、一見、新しい指導者の雰囲気を醸し出しながらも、リスクを覚悟で事態を前に進めることが出来る人物であるという評価には至っていない。この意味では、ビジネスライクなオバマ大統領の評価は寧ろ下げた形であり、安倍総理の覚悟を決めた対応とのギャップを感じたのではないだろうか?

なお、最後に一点だけ追加のコメントを加えておく。実は、米中首脳会談の中でオバマ大統領は、アメリカにおける「台湾関係法」を堅持する姿勢を改めて習主席に表明したという。アメリカは1979年1月1日、中国との間で国交を樹立し、オフィシャルには台湾との国交を断絶し、中華人民共和国を真の中国として承認するに至ったが、その年の4月にこの法律を制定し、台湾を一般的な国家・政府として扱い、中国との国交樹立前の条約・外交の協定を堅持し、武器売却などが出来るようにして台湾国内でのアメリカの影響力を保つこととした。これを今回、中国がG2などといいながらも、そのお膝元から揺らいでいる証拠を見せ付けたのである。勿論、中国も訪米前に中米諸国を歴訪し、その中で反台湾・親中国の国家をアメリカのお膝元に作ろうと努力している。その努力はある程度報われたものとなっているが、アメリカもそれに反撃をした形であり、米中両国の間の溝の深さを再確認したようなものである。このことひとつとっても、アメリカが中国に大接近して日本が置いてけぼりを食っているという事態にないことが伺い知れる。

多分、外交というのは奥が深いのだろう。特にオバマ大統領は、ビジネスライクに切り込むところにズバッと切り込み、その結果得られたものが信頼関係であればその後の外交が好転し、不信感であれば地に落ちた外交となるのだろう。今回の会談は地に落ちる落第点ではないが、及第点でもなさそうである。日本は、特に慌てる必要はないのである。

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激論クロスファイアの野中広務元官房長官を見て思う

2013-06-08 22:25:15 | 政治
先日も「尖閣棚上げ論者はその背景の戦略を示せ!!」にて尖閣棚上げ論について書かせて頂いたが、そのブログを書くきっかけになった野中広務元官房長官がBS朝日の激論クロスファイアに出演したので、どれほど尤もらしい説明をしてくれるのかと番組を見てみたが、結論としては普通の棚上げ論以上でも以下でもなく、単に、「自分は戦争経験者だから、戦争の何たるかを知っている」と自慢げに語り、だから中国をこれ以上刺激してはいけないという主張であった。

なるほど、そうですか。「では、あなたは北朝鮮から核ミサイルが本当に飛んできそうな今この時に、北朝鮮を刺激してはいけないから経済制裁を解きなさいと主張する訳ですね!?」と私は聞いてみたい。多分、中国と全面戦争になる可能性を本気で考えている人は、日本国内はおろか、中国国内にもいないだろう。日本との全面戦争は、米軍基地を日本各地に持つ以上、アメリカに対する全面戦争と同義語である。だから、仮に戦争になるとしても、局地戦以上の事態になる可能性は考えにくい。不慮の事故により局地戦が勃発した場合、直後に日米同盟が起動し、米軍が参戦して両者が竦み合い状態で時間が止まる。そこから先は外交戦となり、国際舞台での外交的な駆け引きが丁々発止行われ、事実上の休戦状態になるのは容易に予想できる。しかし、北朝鮮の場合にはどうか?多分、地味な通常兵器でのがぶり四つの戦を仕掛けても勝ち目はないから、沖縄、東京などに核ミサイルを打ち込んで日米が狼狽えている間に休戦交渉をして一気に優位にことを運ぶか、「窮鼠、猫を噛む」のことわざの如く、追い込まれた北朝鮮が自殺的行為として核ミサイルを撃つかの、どちらかのシナリオぐらいしか思いつかない。だから、戦争の恐怖を知る立場としての、相手を挑発することをたしなめるなら、経済制裁をあそこまでやって追い詰める行動の方が急を要する課題のはずである。しかし、まかり間違っても彼はそんなことは言わないだろう。だから、今日のテレビでの説明には説得力は感じられなかった。

また、先日の私のブログでもコメントしたのであるが、今日も朝日新聞特別編集委員の星浩氏も指摘していた「田中元総理の時は、日中国交正常化という大義が優先し、棚上げをすることのメリットがあった。しかし今は、日本が40年以上も実効支配を継続していたという現実をチャラにする棚上げなのだから、中国側に一方的にメリットがあり日本にはデメリットだらけである。状況が異なる中で、同じ議論はできないはず・・・」と指摘していたが、これに関しては野中氏がスルーするだけではなく、田原総一郎氏もスルーしていた。何故、この最も重要なポイントを議論しないのか?あまりにも、都合が悪いことには無視を決め込むという、ご都合主義が見え見えである。

大体、元官房長官ともあろう人が、外交の何たるかを知らないという点が問題である。番組の中でも紹介されていたが、矢吹晋著の「尖閣問題の核心―日中関係はどうなる」という本の中で、周恩来と田中元総理の間で棚上げの議論があったが、当時の外務省の橋本恕中国課長が記録を削除したと述べているという。ここでは、下記の様なやり取りがあったらしい。
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「周首相は『これ(尖閣問題)を言い出したら、双方とも言うことがいっぱいあって、首脳会談はとてもじゃないが終わりませんよ。だから今回はこれは触れないでおきましょう』 と言ったので、田中首相の方も『それはそうだ、じゃ、これは別の機会に』、ということで交渉はすべて終わったのです」
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このやり取りには、重要な意味が含まれている。その意味とは、日本側にも中国側にも外相文書にこの記録が残されていないということは、両者がこの話をしなかったことにすることで合意していたという事実である。例えば、安倍総理とオバマ大統領が会談をしても、そこで話し合われた全てのことが公にされたりはしない。ケリー国務長官が中韓の後に日本に来た時も、閣僚を交えた会合の後で、(通訳は例外だが)二人だけの会話の時間をもったということは、記録には残したくはないが、話さねばならぬ議案があるからそのようにするのである。だから、記録であったり発表されたりする情報は、それをオフィシャルな発言として認めることが出来るものであって、それが決して全てではない。もし本気で問題を解決しようと思うのであれば、相手と膝を突き合わせて、あーでもない、こうでもないと本音ベースで言い合いをしないと決して解決には向かわない。だから、何を話したかが問題ではなく、何を話したこととしているのかが問題のはずなのである。この様な視点で見れば、「記録に残さないことで合意」したということは、「棚上げすることで合意した」という意味には決してならず、「棚上げすることにはしていないことで合意した」という意味に本来はなるべきである。この程度のことが理解できないとはとても思えない。

また、上述の会話を詳しく読み解くと、周恩来は「今回は触れない」と言い、田中元総理は「別の機会に話そう」と言ったことになっている。つまり、日本は領有権を強く主張しないという意味の「棚上げにしましょう」とは決して読み取ることはできない上に、「日本政府としては、領有権に関しては決して譲歩などできないが、その議論は別の機会に行いたい」という意味にとることに不自然な点はない。だから、この会話は「棚上げ論」の肯定材料にはなりえないはずである。しかし、野中元官房長官はこれを「日本が棚上げ論に合意し、日中間に領土問題が存在することを認めた証拠」だと主張している。あまりにも、国語力がなさすぎると言わざるを得ない。

大体、今回のテレビ出演の中では、小泉総理の靖国参拝の舞台裏など、ギリギリの駆け引きがあったはずの一種の機密事項のはずなのに、ぺらぺらと喋りすぎている。それは、中国に塩を送る行為以外の何物でもない。つまり、「自分は大物である」、「今でも政界に影響力を与えうる存在である」と示したいがために、国益を売って屁の様な僅かな私利私欲に利用しようとしている。一緒に中国を訪問した面々を見ると、同じような思惑の人物が名を連ねている。悲しい限りである。

だから、もう一度彼の様な人物には聞きたい。尖閣棚上げ論の先にどの様なシナリオを考えているのかと。私はてっきり、未来のある時、中国が超親日的になって「尖閣なんかいらない」と言ってくれる日を夢見ているのかと思っていたが、それは全くの逆で、日本側から「尖閣なんていらない」と言い出す日を待っているかのようなシナリオに見える。厳密に言えば、「尖閣なんかいらない」ではなく、「二か国で折半しよう」という提案かも知れない。ならばはっきりとそう言って欲しい。はっきりとそう言えば、多分、賛同者などでないはずなのだから・・・。その覚悟があなたにはあるのか!(ないでしょうね・・・)

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慰安婦問題の着地点を見出すための韓国人との議論の糸口

2013-06-07 23:58:42 | 政治
竹島、慰安婦問題など、韓国との間での議論が噛み合わない。ただ、竹島問題は宗教的な域に達しているから議論は不可能だと思うが、慰安婦問題については議論の余地があるのではないかと最近考えるようになった。これまでとはちょっと違った論点を整理することで、少しは議論が出来ない事かと考えてみた。まだまだ思いつきなので整理できていないが、以下、議論の糸口の一例を整理してみた。

(1)歴史認識と慰安婦問題は切り離し可能なのか?
まず、日本と韓国の間には、大きく分けて竹島問題、歴史認識問題、慰安婦問題が存在する。それぞれは相互に関連しているが、単純に考えて竹島問題は解決に向けたハードルが高い。何故なら、韓国は絶対に「自国の主張を日本が無条件で承認すること」のみが唯一の解決策だと思っているから、50-50(Fifty-Fifty)や80-20的な妥協案ではなく、100-0の完全敗北を強要している時点で話合いによる解決は不可能だと分かる。しかし、(多分、多くの日本人が)慰安婦問題に関してはまだ、話し合い解決の可能性があるのではないかと感じている。だからこそ、河野談話がなされたり、村山談話がなされたりしてきた。更には、建前上は民間による補償となっているが、実効的には政府が陣頭指揮を執ってアジア女性基金を創設し、元慰安婦に対して金銭的な補償を行うと共に、歴代の総理が手紙という形で繰り返し謝罪を行っている。この延長線上にゴールはあるのではないかと考えるが、これに竹島問題や歴史問題がリンクしてくると、途端にゴールは遠のいていく。例えば、日本からすれば竹島問題とは「国際法に照らし合わせてどちらの領有権が認められるべきか?」の正当性の議論だと思っているが、韓国では「日本が韓国から一方的に盗み取った」という歴史認識を日本が認めるかどうかという歴史問題に帰着させている。この辺の議論と慰安婦問題が切り分け可能であると多くの韓国民が感じているのであれば解決の可能性はあると思うが、「竹島を放棄しなければ、日本は誤った歴史認識を正せていない」→「誤った歴史認識を正せなければ、形式上、謝罪しても全く意味はない」→「謝罪に意味がなければ、慰安婦問題を解決とは認めない」と連鎖を断ち切れないのであれば、竹島問題がある限り、慰安婦問題は解決などできるはずがなく、議論は空しいものとなる。この点を韓国国民はどの様に考えているのだろうか?ここから議論をしてみたい。

(2)どの様になれば解決したとみなされるのか?
日本は民主主義の国であり、一般市民であれ国会議員であれ、自らの主義主張を公にする表現の自由が認められている。報道を見て頂ければ分かる通り、多分、日本のマスコミは世界で一番自国政府に厳しいのではないかと思う。だから、慰安婦問題に対する同情論が日本国内にも多いのだが、その様な中で総理大臣などが慰安婦問題について真の意味で根拠のない暴言を吐けば、次の選挙で大幅に議席を減らすことになる。この様な選挙の洗礼のもとで成り立つ日本の民主主義の範囲内で許される発言も含めて、韓国側の意に沿わない発言が一切なくなるまで謝罪したとは認めないとなれば、多分、これは100年後でも問題は解決していないだろう。だから、日本政府が公式で明確な謝罪をしたのであれば、それが解決への糸口になりうるはずと日本国民は考える。実際、河野談話を作成した際の実効的な責任者である石原元副官房長官などは、慰安婦問題を「河野談話で解決済みの問題」と言い切っている。橋下代表などが、それを蒸し返すから良くないのだ・・・と。しかし、実際には河野談話、村山談話と続き、日本政府内ではかなり韓国に配慮した政権が続いた。歴代総理のアジア女性基金に関する謝罪の手紙などを読めば、その手紙は公式にはプライベートな位置づけかも知れないが、謝罪の気持ちを丁寧に伝えているのが分かる。しかし、多くの日本国民がどの様に感じているかと言えば、その様な状況でも韓国は反日攻撃の手を緩めず、慰安婦問題を更に加熱させて来たと感じている。今回の橋下発言の多くの報道を鵜呑みにすれば、確かに現時点では問題があると思うのであろうが、しかし宮沢内閣から小渕内閣程度までの時期において、この問題が更に加熱するに至った理由が何故なのかが我々日本人には理解できない。だから、「最初から韓国側は、謝罪を受け入れるつもりなどなかったのではないか?」、「これで解決したと認める気持ちがなかった」のではないかと疑心暗鬼になってしまう。だから、実際のところ、韓国の人は「慰安婦問題が解決された状態」というものをどの様にイメージしているのだろうか?この答えを聞けば少しは参考になるのではないだろうか?

(3)日韓基本条約締結後の国家賠償の意味
まず、日韓基本条約にはご存知のように、「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」との記載がある。これは、交通事故の後の示談の様なもので、補償問題は何処かで法的な決着をつけなければならない。一昨日のBSフジのPRIME Newsでも、キャスターの反町氏が、出演者の「日本の戦争責任資料センター」共同代表の藍谷邦雄氏に対し、国家間の条約の重さというものは非常に重く、一旦取り決めた条約に例外規定を設けたら、次から次へと「これも例外、あれも例外」というものが溢れ出し、パンドラの箱を開けて魑魅魍魎だらけになるのは見えていると指摘し、藍谷氏をタジタジにさせていた。だから、例外規定を定めるなら、国際司法裁判所なりの判断を受けて、強制命令に従う形で「司法判断が伴う場合にのみ、例外規定が存在する」と線引きしなければ、国家として崩壊することになる。この様に説明を丁寧にすれば、韓国国民にしても、何故、日本政府がかたくなに国家賠償を拒むのかは理解できる(と信じたい)。であれば、それでも国家賠償を求めるなら、国際司法裁判所へ提訴するなどの司法手続きを踏むのが解決への近道のはずである。これは、(竹島問題も同様だが)問題意識を持っている方が国際司法裁判所に提訴するのが筋だから、既に条約により決着済みと言わざるを得ない日本が率先して提訴することはできない。日本政府がこれまでも様々な形で謝罪を行い、アジア女性基金という形で実効的な補償に踏み込んでいるのは、この部分に対してはどうしても国家として譲れないから、その点に関しては必要があれば韓国側からの提訴という形で対応するよう配慮してくれというメッセージなのだと思う。この様に日本人は考えるのであるが、韓国国民は、その様な国際的に何処の国でも当然の様に感じる「例外規定を安易に認められない」という状況を理解してくれるのだろうか?実はこの辺は上述の(2)とも関連するが、先ほどの藍谷氏も、(国際司法裁判所の力など借りずに、日本政府が自発的に個人補償を申し出ない以上は、河野談話を出したとしても)「謝罪したとは認められない」という主張をしていた。何故、日本人のこの人が、こんなことを言うのかも分からないのだが、もし仮に上述の日本の立場を理解できずに、「一方的な例外規定を認めた個人補償がなければ解決とは認めない」とのスタンスであれば、話し合いによる解決は多分不可能であろう。この辺はどうなのだろうか?

(4)「慰安婦」問題の残虐さイメージのギャップ
日本国内にも慰安婦問題で謝罪せよという人もいれば、謝罪許すまじという人がいる。極端な考え方としては、右翼的な発想で「韓国なんかに謝罪する必要なし!」という発想と、左翼的な発想で「日本政府は何でもかんでも悪いに決まっている!」という人がいる。しかし、この様な極端な人の話にまともに取り合っていると、絶対に話はまとまる訳がない。だから、もうちょっと常識的な大多数の人の感覚を引き合いに出すならば、「自ら望まない売春行為を強いるようなことをしたのなら、それは謝るべきでしょう」という発想で謝罪推進派的な人が日本国内には多くいる。多分、こちらの人の方が多数派だろう。多分、橋下代表も同様な感覚を持っているのだと思う。ただ、橋下代表の6月4日のブログにも下記の様に紹介されていたが、1996年に国連人権委員会で採択された「クマラスワミ報告書」というものには、日本軍が慰安婦に対して以下の様な残虐行為をしていたとして日本政府を非難している。
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「仲間の1人が1日40人もサービスをするのはきついと苦情を言うと、ヤマモト中隊長は拷問したのち首を斬り落とし、「肉を茹でて、食べさせろ」と命じた。性病消毒のため熱い鉄の棒を局部に突き刺されたり、生き埋めになったり、入れ墨されたりして少女の半分以上が殺された。」(第54項)
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多分、韓国の元慰安婦の女性たちも、(自分たちが周囲では起きていなかったであろう)ここまでの内容の責任を日本政府に問うている訳ではないと思うが、現実の世界ではここまでの責任が追及されている事実がある。少々話は変わるが、戦時中の日本軍をナチス・ドイツにダブらせた発言が良く聞かれる。中国側の主張する南京大虐殺が事実であれば、その主張も分からなくもないが、当時の南京の人口が25万人であるのに日本軍による虐殺の犠牲者が30万人という話と、当時、南京にいたことがあるという人がする南京市民と日本軍との馴れ合いの関係という話の間のギャップが大きくて、幾らでも証拠があげられるホロコーストの歴史と、中々、物的証拠が出てこない日本軍の悪事とを同列で議論するのには日本人としては抵抗がある。これは、別に戦争の美化というのではなく、物的証拠をたくさん探し出して示してもらえば、我々日本人にも納得が出来るのであるが、「クマラスワミ報告書」にしてもあまりにも貧弱な根拠をもとに作成されたものであり、そこまでの罪を問われて本当に「ごめんなさい」と謝って良いものかと判断に迷うのである。つまり、仮に自分の父が売春クラブを経営して「売春防止法」で逮捕された際に、「噂話によれば、お前の父は売春婦を何十人も虐待して殺して海に沈めたらしいな!」と警察に大量殺人の罪を問われた際に、確実に間違いない売春防止法違反の罪に対しては父がしたことに対して謝罪の言葉を述べることはできるが、証拠が不確かな大量虐殺の罪まで謝罪しろと言われても言葉に詰まるのである。100歩譲って、問われているのが窃盗の罪ならば、「さもありなん」と証拠も確認せずに謝ることもあり得ると思うが、それが大量虐殺の罪であればそうはいかないのである。だから、日本側の謝罪として何処までの罪を認めること求めているのか、それを明らかにしてもらうことはできないだろうか?白紙委任状的に、「私は極悪人です」と言わせて、罪を認めたその後で「何処まで極悪だったかを韓国側が決める」というのは、日本人としてはアンフェアだと感じている。

(5)信憑性の高い事案と眉唾の話とを切り分けて議論する可能性
元慰安婦の方が辛い思いをしていたことに対しては議論の余地は無いと思う。しかし、世の中には全てが良心的で正直な人ばかりではないという事実も否定できない。例えば、慰安婦問題を最初に世に広めたのは吉田清治という人物である。自分が戦時中に行った罪の数々を懺悔し、第二次世界大戦中に日本軍が朝鮮の女性を強制連行し、慰安婦にしたなどと証言した。さらに「私の戦争犯罪」という本を出版し、あたかもそれが事実であるかのように吹聴した。しかし、なぜか韓国側でこの発言に疑問を呈した出版社が詳細に調査を行い、この一連の証言がデマであることが韓国人によって明らかにされた。普通の人は、こんなありもしない話をしてどういうメリットがあるのかと思うところだが、この人物はこの件で講演を行い、出版した本の印税を受け取り、報道などで取り上げられてチヤホヤされ、それなりのメリットを受けていたのである。そして、先日のテレビ朝日のTVタックルの中でも、韓国側の立場での参加者である朴一氏ですら「吉田発言はデマである」との認識を示していた。また、特に慰安婦問題が爆発的に広まったきっかけは朝日新聞の植村隆記者が、義理の母の梁順任氏たちが日本政府相手に起こした裁判に関連して、慰安婦問題を朝日新聞紙上で大々的に記事にしたことがあげられる。しかし、この梁順任氏はこの裁判に関連した詐欺の容疑で、昨年、韓国国内で逮捕されているという。当時の新聞記事のリンクが切れているので詳細は確認できないが、「日本統治時代の戦時動員被害者に対し、日本政府などから補償金を受け取ってやるといって弁護士費用などの名目で会費15億ウォン(約1億2千万円)をだまし取っていた団体幹部など39人を、詐欺の疑いで摘発した」という。被害者は3万人のようで、それなりの大ニュースであったはずである。この様に、悪意を持って当時の日本政府・日本軍を貶めようとする人がいることも事実である。ここで、では良心的な被害者と、悪意の偽証者がどの程度かというのは意味がなく、少なくとも慰安婦として苦しい生活を余儀なくされた人が相当数いたことは事実であろう。しかし、先の(4)にも通じるが、流石に戦時中ならばこのぐらいのこと、あって当然だろうな・・・と思うような程度の犯罪行為と、幾らなんでも流石にそこまではしないだろうという残虐行為とをひとまとめにし、全て「一切議論などせずに、話題に上った全ての罪を自ら認めろ!」と言われれば、先に引き合いに出した眉唾なことが頭に浮かび、ある部分までは罪を認めるが、全てを全て認めろというのは「流石にそれは無理でしょう!」ということになる。これは議論を一般化し、相手の立場に身をおいて考えれば、多くの韓国人も同意してくれるのではないかと思う。少なくとも、かってはそこに悪意を込めた詐欺的行為が含まれていた事実が確認されているのだから。であれば、上記の(4)とダブるところはあるが、細かな事例を精査し、信憑性や悪質性を基準にある程度のグループ分けを行った上で、「この案件については罪を認めるか?」「ならば、この案件はどうか?」と個別に切り分けて着地点を見出すというアプローチは出来ないものだろうかと思う。

以上、幾つかの議論の切り口を例示させて頂いた。一方的に相手を非難するのではなく、なるべく丁寧に議論を整理したつもりである。ただ、時間がないので短時間で書いた完成度の低いこの様な議論の糸口をより精査し、もう少し完成度を高めれば何処かで役に立つのではないかと思う。如何なものだろうか?

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尖閣棚上げ論者はその背景の戦略を示せ!!

2013-06-06 21:21:49 | 政治
先日、自民党の重鎮であった野中広務元官房長官が中国に行って、田中角栄元総理が中国との国交回復の交渉過程で、「棚上げ論に同意した」との発言をした。勿論、公式文書にはその様な記録も無く、あくまでも後日談として田中元総理から聞いたという伝聞情報を紹介したに過ぎない。しかし、中国側は大喜びで騒ぎ立て、逆に日本政府は打ち消しに必死である。

何処に行っても話題に上る尖閣棚上げ論であるが、この棚上げ論を口にする人々に私は聞いてみたい。「その棚上げ論の未来に、あなたはどの様なシナリオを描いているのか?」を。

周恩来は田中角栄元総理から尖閣の話題を振られ「今はその話をしたくない」と言ったといわれるし、小平も「我々の時代には知恵がない。将来に託すべきだ」と言ったといわれる。これらには非常に分かりやすいシナリオがある。言うまでもないが、高度経済成長で戦後からの奇跡的な復興を成し遂げた日本に対し、中国は明らかに発展途上国で、蒋介石が率いる中華民国(台湾)との間で、どちらが正当な「中国」なのかの争いにやっと決着をつけ、世界から承認されたばかりの頃である。相対的に劣勢の日本に対し、今、紛争を起こしても勝ち目が無いことを理解しているから、自国の優位性が明らかになるまで時間を稼ごうと考えたのである。日本と異なり、中国は如何に無茶な帝国主義的な侵略行為であっても、国内から批判を浴びて実行に移せない可能性は限りなく低い。であれば、国力的に日本に勝てる時期までは問題を先送りし、逆転した自分にとって最も都合の良いところで一気に勝負をかけるというのが定石であろう。

これらの考え方は誰もが同様に考え、北朝鮮も核開発を確実なものにするまでは、有耶無耶な状態で時間を稼ごうとして、6カ国協議をいいように利用してきた。今回、核開発とミサイル搭載にある程度の目処を付け、自分が優位な立場に立ったところでちゃぶ台をひっくり返すという戦略は、純粋な戦略としては正しい考え方なのだろう。これは言うまでも無く、誰に聞いても同様のコメントをすると思う。

では日本の棚上げ論者は何を考えているのだろうか?私には、その背景にあるシナリオというものが理解できない。色々な展開シナリオを考えるが、日本側が棚上げ論で得るメリットというものが全く思い当たらない。逆に、リスクであれば幾らでも上げられる。

ここまで断言すると「そんなことはない!」と反論する人がいるだろうが、多分、その人達が考えているシナリオは「いつしか、日本と中国は本当の仲良し国家となり、お互いに譲り合いの精神で尖閣のことに拘らないようになるだろう。であれば、その時に『尖閣は日本の領土と認めよう。資源も日本のものと認めよう。ただ、その資源を安く譲ってね!漁業も尖閣近海での漁獲量を定めて、その範囲内であれば漁をさせてね!』ときっと中国人は言ってくれるに違いない。その時にこそ領土問題は平和的に解決できるから、その時まではこの問題には触れずにおいておこう。」というものだろう。それとも、「どうせ中国は、国内外に矛盾を抱えまくっているから、遅かれ早かれ崩壊するに違いない。その様に国力が弱まったところで、日本から助け舟を出して、それを恩に着せて尖閣を獲得すれば良い」という考えなのだろうか?

しかし、この様なシナリオが本気で成り立つと思って彼らは言っているのであろうか?少なくとも小平の時代より、現在は確実に二国間関係は悪くなっている。小平以降、中国では改革・開放派の胡耀邦氏が権力を握った。この胡耀邦氏は、あのタカ派の中曽根元総理をして、「盟友の胡耀邦氏に迷惑をかけたくない、中国国内での彼の立場を悪くさせたくない」と考え靖国参拝を見送ったほどの人物である。日本との友好関係を改善するというより、民主化による「普通の国」への変革を促す動きを見せていたところ、保守派の逆襲に合い、1989年4月8日の政治局会議で憤死(実際の死亡は1週間後)するに至った。その死を受けて民主化運動が高まり、これを抑圧する中で六四天安門事件が起きた。これ以降、日中関係は悪くなる一方である。江沢民の時代からは反日教育が徹底され、既に後戻りが出来ない状況になっている。江沢民の後、胡錦濤、習近平へと世代は変わったが、未だに江沢民は権力の中枢に居座っている。この辺の勢力が仮に10年後に一掃されたとして、その後に続くのは毎日の様に反日ドラマを見せられて育つ世代である。それにもかかわらず、仲良し国家になれるというシナリオを描くということは、何を根拠にその様な考えに至るのだろうか?

さらに1万歩ぐらい譲って、棚上げ論が選択肢にありえたとしよう。では、日中間の関係が悪くなるこれまで間に「棚上げ状態」は維持されてきたのだろうか?答えは「No!」である。昨年、野田前総理が尖閣の国有化を宣言して胡錦濤氏が激怒したというが、実はこの「国有化宣言」を先にしたのは中国である。1992年2月25日に中国国内で制定された中華人民共和国領海法では、釣魚列島(尖閣諸島)が中国領であると宣言している。中国では全ての土地は個人所有ではなく国のものだから、つまり「国有化を宣言」したことに相当する。日本は遠慮して中国に気を使った譲歩だけを続けてきたから、尖閣周辺には中国の船は来れても日本の漁師は近づくことができない。どっからどう見ても、中国は棚上げなどしておらず、一方的に尖閣奪取の歩みを進めている。日本はかろうじて実効支配を保っているが、領海・領空侵犯を当たり前の様に続けており、日に日に小平時代の棚上げ状態から後退を余儀なくされているのである。

そんな中、現在は落ち込んだ日本の立場が少しだけ盛り返しを見せ、逆に中国の経済発展が陰りを見せ、民主党政権で冷え込んだ日米同盟を復活させてやっと中国と向き合えるようになってきた。だから、中国は小平時代の状態をリファレンスとした棚上げではなく、民主党政権時代に中国が食い込んだ状態をリファレンスとした棚上げで状態を一旦確定しようとしているのである。まあ、株価が乱高下しそうだから、一旦、利益確定をしようという類の画策である。その様な前提条件を理解した上で、敢えて「棚上げ論」を唱えるならば、その背後にある戦略・シナリオを示していただく必要がある。それを示さずに、夢物語の様なパラダイスの世界を前提とする棚上げは、あまりにも無責任で明らかに国益を該する行動である。

ところで最後にコメントを加えておくが、田中角栄元総理が周恩来氏からの「今は話をしたくない」という提案に応じたことは、私は政治家の決断として支持をするものである。何故なら、そこには戦略があるからである。当時の日本にとって、高度経済成長を達成して経済的には戦後の復興を成し遂げていた。しかし、政治的、外交的には敗戦国としての決着をつけてはいなかった。サンフランシスコ講和会議には調印しても、最も戦争で迷惑をかけた中国との和解が済まないと、本当の意味での戦争の終結・国際社会への復帰にはならない。だから、それを実現するのは何よりも優先順位が高く、国交正常化を果たした後で領土問題を議論するというのは正しい選択だったと思う。「今は話さない」というのは、「領土問題が存在することを相互に確認した」という意味ではなく、問題の存在すら議論にならないという位置づけと取ることが出来るから、外交文書に公の記録を残さずに交渉したというのは正しい落しどころだと思う。もちろん、周恩来との合意の後、小平の棚上げ提案に乗っかったのは明らかに間違っているとは思うのだが・・・。だから、田中角栄元総理の判断が正しいかどうかという話と、現在の棚上げ論の是非とは全く別の問題であり、元総理がやったから今もそのままで良いとはならないのである。

話が最初に戻って野中広務元官房長官の発言であるが、文脈をちゃんと追っていないので彼にどの様な戦略があって発言したのかは分からない。しかし、結果として国益を害しているのは事実である。かつては国家のNo.2(官房長官)であった人物なのだから、そのぐらいの事が分からないとは思えないが、それでも敢えてその様なことをするその裏の思惑が何なのかを知りたいものである。

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最悪の出来の本田圭佑の存在意義!

2013-06-05 23:11:05 | 日記
昨日、サッカー日本代表がワールドカップ・ブラジル大会への出場を決めた。今日はその記者会見も行われ、ほんの束の間の休息というリラックスした雰囲気があった。テレビでは本田圭佑のPKのシーンが繰り返されて、「さすが本田!」という論評ばかりだった。私も全く同じなのだが、微妙に思いは異なる。2011年11月15日に北朝鮮に負けた際のブログ、「本田圭佑という財産」に書かせて頂いた通りなのだが、本田という存在の意味を改めて思い知らされた。

まず、確認をしておきたいのだが、昨日の本田圭佑のデキは最悪だった。それはそうだろう。怪我は治ったと言いながらも足の状態は100%ではなく、爆弾を抱えた状態である。実際、試合が終わった後も足を引きずっていたような雰囲気であった。さらに、ロシアでのカップ戦決勝を終えて、とんぼ返りで中二日、時差ボケも取れずに疲れが溜まっている状況での試合だから、通常であれば後半途中からの投入というのが常識的な線である。しかし、岡崎も含めて先発メンバーに名を連ね、本田に関しては90分、フル出場であった。だから、如何にも体が重そうな動きで、パスなどの判断が遅れ気味で、細かなプレーの精度は低かったと思う。

では、「じゃあダメじゃん」となるかと言えば、試合の最初から、明らかに先日のブルガリア戦とは明らかに異なっていた。何が違うかと言えば、圧倒的にボールが前に前にと送られる点である。細かなデータは知らないが、ブルガリア戦では少なくとも不毛なバックパスだらけで、選手の心の声として「あー、何処にパス出そうかな、中々コースがないなぁ。無理はしたくないから取りあえず戻そうか・・・」という様な声が聞こえるようであった。しかし、昨日の試合では、選手の心の声として「リー、リー、リー。ハイ、行くよ!行くよ!」と、常に前を見て、僅かなパスコースを探しながら、相手選手に「さーさぁー、寄って来いよ!」と挑発をしながら、相手の動きによって出来る隙を常に伺っている様な感じだった。もちろん、調子の悪い本田が前日に加わったぐらいで急に流れるようなプレーが出来る訳もなく、所々でじれったいところはあったが、それでも戦う集団という気迫は伝わってきた。

オーストラリアの攻撃に対して裏を取られるシーンは何度もあり課題も明らかになった。しかし、見た感じではディフェンスラインを積極的に上げて攻めの守備をしていたところを、相手が積極的にその裏を狙っていたのが原因だったと思うから、今の状態は良くなくても目指すべき方向性としては理解できる。2006年のワールドカップで、中田英寿がディフェンスラインをあげてコンパクトなサッカーを目指したのに対し、宮本などのディフェンス陣が「リスクを冒したくない、引いて守りたい」と対立し、前線と守りの間が間延びして組織的なサッカーが出来ずに完敗して終わったことを思い出せば、消極的に戦って負けるよりは100倍良い。

勝負が動き出したのは、PKの前のプレーで、本田が積極的にシュートを打って相手ディフェンダーにブロックされたのに対し、首に血管を浮き上がらせて「チキショーォォォォッ」と吠えた瞬間だったと思う。まさにスイッチが入った瞬間だ。素人から見れば、何であんなところでハンドするんだ(馬鹿だなぁー)と、あまりに棚ボタ的なPKで驚いてしまうが、ギリギリの裏に通すパスがあまりにも絶妙な位置で、相手が相当に「ヤバい!」と思ったから体でトラップするつもりが手が体から離れてしまったのかも知れない。見るからに相手のポカだが、ひょっとしたら本田の狙いの勝ちなのかも知れない。

ところで、最後のPKについて、本田は「真ん中に蹴って止められたらシャーない」と言っているが、絶対に嘘である。変な話題を引き合いに出すが、野球のWBCの韓国戦を前に、イチローが「今後、10年間は日本には勝てない・・・と思い知らせる様な試合をしたい!」と言っていたが、これと似たような思いが本田にはあったのだと思う。本田はかって、シュートチャンスの時に、味方が良いポジションにいて「パスを出した方が、得点の確率が高い」というときに、敢えてシュートを打つ意義を次の様な言葉で語っている。曰く、「その1回限りでは、シュートを打たなくてもどうってことはないが、そこで敢えてシュートを打つことで、次のチャンスの時に『こいつ、また打って来るな!』と相手を怯えさせることが出来る。この様なプレッシャーがかかるから、長い目ではシュートを打ち続けることに意義があるんだ・・・。」という感じだったと思う。では、あのシーンで真ん中にシュートを決めることにどういう意味があるのか。多分、相手キーパーは思ったはずである。「こいつ、化け物かぁーっ!」ゴールの隅に絶妙のシュートを決められても、多分、「やられた!上手いな、こいつ」ぐらいにしか思わない。しかし、あそこに蹴られてしまうと、自分の理解を超えた恐ろしい奴という恐怖が一瞬浮かんだと思う。ひょっとしたら本大会の何処かで当たるかも知れない相手であり、そこで「本田にはかなわないぜ!」と思わせることに意義があったのではないかと思う。

勿論、リスクは大いにある。あそこでPKを失敗すれば、下手をするとそれが原因でワールドカップを逃すという可能性もゼロではなかった。誰もがそんなリスクを取りたくないのだが、リスクを取らねば会心の勝利を収めることはできない。目指すべき目標が高くなければできない決断である。

改めて思うのは、本田圭佑の存在の大きさである。サッカー選手としての能力としては、明らかに香川や中田英に劣る。しかし、より強く歴史に名を残すのは彼の様な選手だろう。これからの更なる進化を期待したいものである。

最後に、TBSの「ひるおび」で紹介された面白い話題をひとつ。昨日の渋谷駅前のスクランブル交差点は、ワールドカップ出場決定で興奮した人達が暴動を起こして車の通行に支障が出ない様に厳戒態勢を引いていたという。そこで交通整理をしていたお巡りさんが、拡声器を手にして粋な誘導をしていたという。曰く

「日本代表は、フェアプレーでワールドカップ出場を決めました。その日本代表を応援する皆さんは12番目の選手です。日本代表はルールとマナーを守ります。日本代表がワールドカップを決めて、お巡りさんもこんな日に怒りたくはありません。だからどうか皆さん、皆さんもフェアプレーでお願いします!」

上手い!座布団10枚!

日本代表の今後の活躍と、こんなお巡りさんの活躍を共に期待したい!

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株価暴落がアベノミクスを救うという不思議

2013-06-04 21:46:12 | 政治
今日のブログには変なタイトルを書かせて頂いた。はっきり言って根拠はあまり無く、希望的な観測だけで書かせていただく。最近の株価の暴落傾向と一時期と比較して円高気味に振れている状況が、実はアベノミクスに追い風になるというお話しである。

最近の安倍政権は非常に安定しており、この期に及んで内閣支持率は70%近い驚異的な値を維持している。一方で野党の足並みは乱れまくっているから、はっきり言って参院選に向けては順風満帆というのが大方の予想だろう。しかし、では楽勝ムードかと言えば、中国韓国からの歴史カードや領土問題などでのイチャモンは、何とかここで安倍政権に冷や水を浴びせて日本の復活の足を引っ張りたいという気持ちの表れだろう。橋下代表がたった一晩で地獄に突き落とされたように、安倍政権も同様なリスクを背負っている。だからこそ、橋下発言に対しては距離を置いた態度を見せ、経済再生を最優先に河野談話や村山談話の見直しといった動きを封印し、中韓との無用な対立を避ける戦略を取った。靖国参拝にしても同様で、ギリギリのところで自身の参拝を見送ることで、それなりのメッセージも送った。

さて、この様な中での安倍政権の行く末に立ち込める暗雲としては、その最有力であるのが「成長戦略」が世界的に「不十分」「失敗」の烙印を押され、その結果として株価が暴落し、円高に一気に振れて経済に大きなダメージが生じ、国債が暴落して日本がギリシャ化するというシナリオである。だから、当然ながら安倍総理及びそのブレーン連中は、何があろうとその様な事態を避けようと必死になっているはずである。実際、黒田日銀総裁のバズーカ砲が国際社会で承認された背景には、第3の矢である成長戦略が伴うことが前提となっており、成長戦略が絵に描いた餅と分かればそこら中から非難が沸き起こり、円高に振れて折角のロケットスタートに相当なケチが突くのは間違いない。しかし、あまりにもここまで順風満帆に来てしまったがために、多分、自民党や安倍内閣の閣僚たちの間にも、その危機感が薄れてしまったところがある。それを顕著に表しているのが、産業競争力会議における竹中平蔵氏、三木谷浩史氏、新浪剛史氏などの構造改革派に対し、麻生、甘利ラインの官僚グループによる執拗な抵抗である。先日も竹中氏がテレビに出演していた際にキャスターから麻生副総理との不仲説を問われ、さり気なく答えを濁してはいたが、その濁し方は従来の彼らしい上手な受け答えではなく、相当な亀裂がそこにあることを感じさせられた。

実際それを裏付けるように、先日発表された成長戦略の骨子の中には重要な要素が含まれていなかった。例えば、解雇ルールの法制化、混合診療の解禁、農業への企業による参入解禁など、国際社会が成長戦略として特に評価しそうな案件はことごとく外された形である。下記の記事で田原総一郎氏も指摘している通り、多くの投資家は日本が6月中旬に発表するとされている成長戦略の中身に注目している。

Nikkei BP Net田原総一朗の政財界「ここだけの話」2013年5月15日「骨抜きされた成長戦略なら国内外の失望を買う

多分、安倍総理とそのブレーンはこの辺は痛いほど熟知しているから、如何にして成長戦略にこれらの重要案件を盛り込むかの駆け引きをしているはずである。そんな中での株の暴落である。現時点では、多くの人は諸外国の様々な要因と、余りにも急速に推移した円安、株高傾向に対する調整局面と見ているから、この株の暴落を悲観的に見ている人は少ないだろう。しかし、非常に紙一重のリスクが背後にあることは誰もが同様に感じているはずである。ちょっと前の順風満帆の時期ならば、「ちょっとぐらい、既得権益に配慮して、改革・開放路線にブレーキをかけても大事には至らないだろう。であれば、選挙対策で農業団体、日本医師会、経団連などに配慮した『成長戦略』の方がお得だろう・・・」という考え方が支配的であったかも知れない。しかし、現在の株の乱高下状態を目の当たりにすると、ここで発表する「成長戦略」が安倍政権にトドメを刺し、更には日本経済を奈落の底に突き落とすかも知れないという危機感が現実的となってきている。これは、明らかに改革・開放派にとっては追い風である。

考えてみれば、TPPの時もそうであった。誰もが安倍総理の訪米の際にTPP交渉参加の方向性を打ち出せる訳がないと考える中、既に排水の陣とも言うべきギリギリの状況に置かれ、逆境をバネにした逆襲を行った。聖域なき関税撤廃を回避するお墨付きを半ば得ることで、自民党内の殆ど多数派であるTPP反対派を押し切り交渉参加に踏み切った。上述の田原氏のコメントにあるように、客観的に見ればTPPの時と同様の逆風である。今回は閣内に足を引っ張る反竹中軍団が存在するが、現在の株の乱高下を理由に総理の決断に対する踏み絵を迫れば、日本崩壊のリスクを覚悟の上で安倍総理に歯向かえる人は存在しない。だから、現状はまさに安倍総理の決断次第なのである。

昨年の衆院選で大勝して以降、安倍総理は何度も逆境にあっているが、その都度、それらをバネにして逆に地盤を強めているような感じがする。まさに、「(何かを)持っている」と確信させられるものである。この6月中旬の成長戦略の発表は、まさにその「持っている」度合いを占うバロメータになるのではないかと思う。そして、参院選を占うバロメータにもなる。

単品でみると株価の乱高下は困った事態であるが、トータルで見れば事態はそれほど悲観的ではないというのが私の認識である。

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報道が率先する狂気の行く先

2013-06-03 23:58:21 | 政治
これまで散々、慰安婦に関する橋下発言についてコメントしてきたが、日本のマスコミの報道を見る限りでは、「大山鳴動して鼠一匹」というのが現状であろうか・・・。少し落ち着いてきたところで、自分なりの反省を込めて少しばかり書かせて頂く。

橋下代表は現在もTwitterなどで地道な戦いを続けていて、多分、単なる競技としてのディベートとして勝敗を判定したら圧勝している状況なのだと思う。しかし、にもかかわらず状況が好転しないのは、明らかに彼は「出る杭」だからであり、「あいつだけは潰しておきたい!」という意思がマスコミの中にある。これは個人的には非常に怖いものを感じる。オウム真理教のドタバタ劇において、確かにオウムは抹殺されてしかるべき狂気の集団ではあったが、報道におけるバッシングは超えてはいけない一線を確かに超えていたし、検察や裁判所ですら判例の示す量刑の相場を超えた「裏ドラ」が二つぐらいついたお裁きをしていたように思う。それは、「こいつなら、叩いても許される!」という暗黙の了解の様なものが国民の中に圧倒的な共通意識としてあり、このぐらいしないと収まらないという変な相場を作っていたのではないかと思う。

それは、変な比較になってしまうが、韓国の反日感情にも同じようなものがあり、一部の良識ある韓国人の間では対馬の仏像盗難問題に対して「まずは日本に返却すべきだ!」という声がありながらも、司法の世界では圧倒的多数の反日世論に誘導されて、司法のあるべき姿を逸脱してしまった。靖国放火犯の引き渡しも同様で、国際間の条約という非常に重たいお約束事も、国内の反日感情に比べれば「軽い、軽い!」という判断になってしまった。この様な多数派工作により導かれた「国民の(作られた)総意」は何事にも優先するという考え方が、ナチス・ドイツがファシズムの道をひた走っていったその通り道のようなものであり、その様なことを国家や報道機関がグルになってやっているというのは、もはや狂気としか言いようがない。

話を日本に戻せば、オウム事件は余りにも我々の想定を遥か彼方までぶっ飛ばすような有り得ない事件であったから我々が正気を失っていたとしても説明がつくが、今回の橋下発言に対するマスコミの総スカンについては私には説明がつかない。このまま橋下代表がフェードアウトしていけば何もなかったことになるかも知れないが、もし正論がまかり通って、日韓のこの問題に解決の道筋をつけることが出来たとしたら、その時に報道各社はどの様に自己総括をするつもりなのかと少々心配になってしまう。

とは言っても、私もフェアに見て、現在も橋下代表の立場が大いに劣勢であることは疑いもない。ここ最近の安倍内閣としては、「戦艦大和は舵を急に切れば沈没する」との考え方から、経済再生が最優先のこの時期に、その経済再生の妨げになることは全て封印するという意思統一を明確にしているようで、少なくとも橋下発言からは距離を置いている。安倍総理としては屈辱だろうが、経済再生最優先という問題意識の設定には感服する次第である。だから、何処からも援護射撃がない中で橋下代表は戦わなければならない。参院選までの時間がないことを考えれば、彼にとっては相当な痛手であることは間違いない。

ただ、状況は微妙に変わりつつあることも確かなようだ。韓国国内での橋下発言に対する評価は滅茶苦茶だが、それでも「認めるべきところは認める、謝罪すべきところは謝罪する」というスタンスにはそれなりの評価が得られているという。また、日韓基本条約の解釈に関する問題という特性から、慰安婦問題を国際司法裁判所で議論すべきという主張に関しては、韓国のマスコミからすると、思いっきりインハイの剛速球のストレートを受けて仰け反った感じで、続く発言が急に尻つぼみになっているという。(竹島問題はともかくとして、慰安婦問題に関しては)絶対に勝利を確信している韓国国民の感覚からすれば、「国際司法裁判所で日本にギャフンと言わせてやろう!」と思うところだろうが、橋下代表のコメントを受けて韓国のマスコミが何も言わなかったところを見ると、「ここで下手なことを言って、後で国に帰ってつるし上げられたら怖いから、ここは様子見としよう・・・」という損得勘定に迷う微妙な空気があるのだろう。韓国外相はこの件に関し、「韓国が協議を要請しているが、まだ日本が応じていない」と発言したそうだが、もし仮にそれが本当であれば事態が進展するきっかけになるかも知れない。仮に嘘であれば、それはそれで面白いことになる。

ところで、この橋下発言に対する最近の論調を少し紹介する。大手新聞社やテレビは、産経新聞を除き橋下総スカン攻撃であるのはその通りであるが、田原総一郎氏がブログで次の様に発言している。

田原総一朗 公式ブログ2013年6月3日「橋下徹大阪市長の『慰安婦発言』、何が問題か?

ここでは発言の内容について、理屈の部分については理解を示している。ただ、戦時中の韓国の恨みつらみが今回の騒動の背景にあり、その恨みについては今回の発言は不用意だったとしている。これは議論が噛みあっている良い例だろう。先日も触れたが、宮家邦彦氏などの主張の様に、言っていることは正しいが、韓国・中国以外の第三国の耳に入った時にの効果・効率を評価基準にするならば、今回のアプローチは非常に効率が悪いという評価も議論としてかみ合っている。その様な、議論が噛みあうところで前向きなディスカッションをすることで国益は最大化される。

さて、この様に書きながら以下の事実をどの様に受け止めるべきだろうか?私は関西在住でないから番組を見ていないが、6月1日の「たかじんNOマネー(テレビ大阪)」という番組の中で、「暴走する朝鮮半島SP!慰安婦問題の真実&拉致問題&原爆は天罰発言?」という議題で議論が行われ、そこで橋下発言の是非が話題になったという。詳しくは知らないが生放送の番組らしく、出演者全員の評価に加えて、視聴者による電話アンケートが行われたらしい。この辺のキーワードを検索してもらえば幾らでもヒットするが、8人の出演者は全員「問題アリ」と判定したのに対し、電話アンケートでは「問題アリ:2011票」「問題ナシ:7713票」と、約80%もの視聴者が問題ナシと判断したという。番組では予想外の展開に出演者全員が目が点になり、仰け反りながら「アンケートの仕方が悪い」「男性が多かったのでは?」とぼやいたという。ちなみに女性のみの結果は「問題ナシ:70%」のダブルスコアだという。大手新聞社の世論調査結果とは真逆の結果である。どちらが本当の結果なのだろうか?

この様に考えたとき、私の最後の結論は、外国特派員協会での記者会見後のファイナンシャル・タイムズの記者のコメントがポイントなのだと考える。その記者曰く「橋下代表の記者会見での説明の理屈は申し分ない(筋が通っている)。ただ、彼が信頼に足る人間かどうかが問題だ・・・。」つまり、報道機関が行っている活動は、彼の信頼性を失墜させる行動であり、その結果が海外にも伝搬しているということなのだろう。

まあ、多分、負け戦なのだろうが、それでもファイティングポーズをとり続け、エンドレスの記者会見に臨む橋下代表には今後もエールを送り続けたい。

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