けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

全然、惨敗の振り返りをしていないではないか!

2012-12-26 21:48:49 | 政治
クリスマスということもあり、ブログの更新が少し間が空いてしまった。その間、民主党の代表が入れ替わり、安倍新政権が成立した。前回のブログでは個人的な見解として民主党惨敗の振り返りを行ったつもりだが、海江田新代表の選出を見て、本当に民主党は反省をしているのだろうかと感じてしまったので、本来であれば安倍政権に対するコメントをすべきだが、先に民主党に対するコメントをしておこう。

まず、海江田新代表は前回の代表選で数の論理の権化である小沢氏の推薦を受けて、1回目の投票では1位を獲得した人物である。しかし、2回目の投票では小沢頼みの数の論理への信奉に嫌気がさした人々により否定され、野田総理に代表の座を譲った経緯がある。今回も同様に、民主惨敗の戦犯の一人の参院のドンである輿石幹事長の支持を受け、実質的に勝敗が決した感がある。せめて、推薦人の20人を除けば派閥単位の推薦を排する自由投票を党を挙げて宣言でもすれば、「数よりも人」、「政策優先」という方向性を示せたかも知れないが、実質的には相変わらず「数」なのだということを明らかにしてしまった。しかも、まかり間違ってこの人が総理になってしまった時、それを良しとする覚悟があるのかといえば、テレビの前での涙や手の平の「忍」の字など、とても一国の命運を託すことなど出来ないことが分かっている人を代表に選んだ。あくまでも、野党の座を継続することが前提の代表選出である。党内融和とか挙党体制とか言葉は良いが、この様になってしまった原因・責任を固有名詞を挙げて具体的に追求するぐらい、問題に真摯に取り組むのであれば、一時的に党内に亀裂が走っても仕方がないことである。方向性ベクトルを綺麗に定め、筋肉質の武闘集団に生まれ変わるつもりならば、まずは弁解などせずに厳しく総括し、その上で生まれ変わらなければならないはずだが、どうもぬるま湯の改革を志向しているらしい。昔ならば岡田氏などは平気で貧乏くじを引いたタイプだが、今回、手を上げなかったのはその後の動きに対してフリーハンドでいたいという気持ちの表れだろうか?

話は少しそれるが、麻生政権が衆院選に敗れた後、自民党は谷垣前総裁を党の代表に選出した。このとき私が思ったのは、自民党は本当にこの人を総裁にして選挙を戦う気があるのだろうかと疑ってしまった。負けた原因を謙虚に反省し、戦う政党として新たに出直す覚悟があれば、平時の宰相ではなく乱世の武将を選び出さなければならない。実際、谷垣前総裁は参議院選では勝利こそしたが、自民と公明を合わせても改選数の半数に満たない地味な勝ち方だった。消費税増税を掲げ、責任ある野党としての立場を鮮明にするところまでは方向性を示したが、「俺にこの国を任せろ!」「日本を再生する!」という積極性のようなものを感じなかった。あわよくば、民主党とくっついて連立に加わろうとするのではないかという雰囲気すらあった。全てに反対して足を引っ張るのではなく、事業仕分けなどについては寧ろ民主党を評価し、その仕分けを骨抜きにする民主党執行部を糾弾するような攻めの姿勢を示し、次は自民党も負けてはいないという姿を見せれば、谷垣前総裁も再選を果たせたかも知れない。なんとなく、次の衆院選までの間にはもう一度総裁選の機会があると予測し、そこまでの間は党一丸となった本気のファイティングポーズを有権者に示すことより、さしあたって劣勢となった国会議員団の中での主流派としての自らのポジションを確保することに普請した議員が多かったのではないかと感じた。今回自民党が復活できたのは、先日の総裁選でファイティングポーズを国民に示した安倍総裁を選出し、次点となった石破幹事長と二人三脚で「俺にこの国を任せろ!」「日本を再生する!」という積極性をアピールしたことを有権者が評価したからだろう。

これに対して民主党はどうかといえば、党内のゴタゴタは今後も続き、参院選の前にもうひと悶着があってそこで選挙に勝てる顔に挿げ替えればよいという雰囲気を感じる。ここで決断力がありそうな代表を選んでしまうと、TPPやその他の政策において、自らの意に反する決断をされてしまうかも知れないから、とりあえずは現状を維持する党内融和派の無難な人を選んだというところではないか。そして、選挙の直前であまり我を通さないであろう細野氏に代表の首を挿げ替えることができれば、フレッシュな雰囲気で参院選挙を戦えるのではないかと目論んでいるのではないか。しかし考えてみれば、その直前に代表挿げ替えを行う大義名分などないから、海江田代表で参院選を戦う可能性は高い。半年先のことだからと、「長期的」とは言えない「短期的(半年先)」な将来への見通しすら描けずに、目先の何かに固執する感覚が漂う。

この様に考えると、私が掲げた6つの反省点のどれひとつに対しても答えを出そうという意気込みを感じられない代表選であった。予想としては、比較的自民党や日本維新の会に近い議員が結集して民主党を離党し、政策別のパーシャル連合を掲げるような動きが半年以内に出てくるのではないかと思う。

日本未来の党の空中分解も含めて、所詮、ひとつになるべきではなかった集団は早く分裂した方が良い。選挙後の行動を見れば、有権者が賢明な判断をしたことが証明された形である。だから、次の参院選でも続けて賢明な判断が求められる。

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民主惨敗の振り返り

2012-12-22 21:34:37 | 政治
民主党の代表選が延期になり、12/26の首班指名での対応も含めて、民主党の先行きは暗い。そもそも代表選延期の理由が選挙での惨敗の総括がまだであることであるのにもかかわらず、そのような総括の議論も起こらぬまま、(そうは言っても近いうちに行われるであろう)代表選への立候補者の動向などはニュースになる。この辺のチグハグさが問題の根の深さを物語っている。そこで、民主党に何の幻想も抱いてない立場で、何がいけなかったのかを整理してみたい。

(1)数の論理への信奉
政権交代を実現する上では、とにかく連立政権で衆院の過半数が必要である。しかし、細川政権ではあまりにも小規模政党の超連立となったために、短い寿命で終わった。この反省から、ひとつの政党でまとまりながら過半数確保できるように、強引な寄せ集め集団を作ってしまった。これは小沢元代表によるところが大きく、その政治的な志向性を横において、選挙で勝つことを最重要課題と位置づけてしまった。しかし、党内には全く異なるアプローチを志向する政治集団が混在し、党内での多数派が民主党の公式見解となるシステムを組み上げたために、党代表が変われば今までのやり方をチャラにして何でも出来るという醜い内輪での権力闘争を生んでしまった。党代表や主流派を誰が構成するかに関係なく、党としてのベクトルをブレさせない最低限のベクトルの方向性を明文化し、それに反する行動が起きないような集団の結集に留めるべきであった。

(2)ねじれ国会への対処法
現在の自民党もそうだが、衆院での多数を抑えながらも参院では単独では過半数を抑えられなかった。このため、国民新党や社民党との連立を余儀なくされたのであるが、この連立の影響で、大きな体格の牛の尻尾を握る小さなネズミに政権を振り回されることになった。国民が最初に民主党に幻滅したのは、日本郵政の社長人事であろう。天下りの根絶をうたいながら、社長人事でこれ以上ない典型的な天下りを許してしまったのは、国民新党からの強い要請と小沢幹事長(当時)が結託したからである。このひとつの綻びが、その後の大きな綻びにつながった。最後は普天間問題での社民党の政権離脱で、鳩山元総理は辞職に追い込まれた。この反省としては、国会が捩れている間は無理な連立を狙わずに、次の参院選までは手堅い政策に専念し、参院選後の安定議席数の確保に専念すべきであった。これは現在の自民党にも同様である。

(3)自民党への先祖がえりと存在意義
選挙で圧勝した直後の小沢幹事長(当時)は、次の選挙でも勝ち続けるために、地方の自民党の支持団体の強引な引抜を行った。様々な業界団体に対するだけでなく、自治体の首長選挙でも、箇所付けなどを利用して、金で言うことを聞かせようとし続けた。それは金の力で数を得て、その数の力で政権を牛耳るという昔ながらの田中派的な戦略である。自民党を否定したはずの民主党が、極めて自民党的な手法に走ることを誰も止められなかったのは、その前の参院選で安倍政権を崩壊に追いやった小沢元代表の功績を過大評価したからである。福田元総理との大連立構想でNoを突きつけたのにもかかわらず、その後も代表職に留まることを求めたりした経緯などにも、その初めて経験した参院選での勝利の呪縛に縛られて、身動きが取れなくなっていたことが伺える。結果、自民党への先祖がえりをした民主党は自らの存在意義を失い、坂道を転がるように国民の信頼を失った。

(4)事業仕分けに法的な根拠を与えられなかった失敗
民主党が最も評価されたのは明らかに業務仕分けであっただろう。自民党には逆立ちしても出来ないような省庁への切り込みは鋭く、多くの無駄を炙り出すことができた。しかし、この事業仕分けに法的な権限がないため、結果として族議員的な振る舞いをしだす議員が現れ、仕分け結果は骨抜きになった。もちろん、時の総理が積極的にその仕分け結果を尊重すれば良かったのであるが、様々な問題が山積してそれどころではなかった。鳩山元総理は普天間問題が尾を引き、党内の対立のきっかけにもなりかねない調停役を自ら行うことはせず、人任せにしてしまった。菅元総理に至っては、小沢元代表との脱小沢路線の争いに明け暮れ、それどころではなかった。もともと菅元総理は、でかいことをぶち上げて評価を得ることばかりを気にして、地道な仕事が出来る性格ではなかったから、この事業仕分けのフォローなど興味のかけらもなかったのだろう。野田前総理の時代には、既に事業仕分けは崩壊していたから、誰も何も信用しなくなっていた。総理大臣の順番が違っていたらこうはならなかったのだろうが、その点は残念なところである。

(5)総理大臣と党代表の違い
野党時代には、それほど能力のない党首を据えてもそれほど致命的なことにはならない。言ってみれば、反対して与党の足を引っ張るのが仕事のようなものだから、Noと言うのは非常にたやすい。しかし、与党第1党の党首はNoというのではなく国民にYesと言わせる政策を自ら立案し、それを実行に移さなければならない。これだけ、党首に求められる意味合いが違うにもかかわらず、総理大臣に足る人材を党首として選び出すことができなかったのが民主党である。鳩山元総理が普天間問題で苦しんでいるとき、菅元総理は「国民なんて、新しい対立軸をブチ上げて、そちらをアピールすれば普天間のことなど忘れる」と言うようなニュアンスの発言をしていたと言われるが、国の行方を左右しかねない日米同盟の崩壊の危機に直面し、その問題に正面から取り組むのではなく、ドサクサに紛れて話題を変えてしまえという発想は、如何にも攻めさえすれば良い野党の党首的な発想で、責任ある与党第1党の党首の考え方ではない。鳩山元総理も同様で、勝算がないことを隠してアメリカ大統領に「Trust me!」と平気で言えることなどからも、責任感の欠如という総理大臣には致命的な資質の欠如があった。この点に民主党議員は気がついていなかったのではないかと私は思う。

(6)客観的な振り返りと責任感の欠如
これだけ大敗をしながら、「私は民主党の基本的な考え方は間違っていなかったと思う」と公言してはばからない民主党議員は多い。しかし、本来は「正しかったところが何処であるか」を議論すべき時ではなく、「何処が間違っていたか」だけに焦点を絞り議論すべきところである。色々問題点を指摘されながら、その点についてはのらりくらり交わしながら、「でもここは正しい!」とそこだけを強調する発言からは、反省をする気持ちなどないことがわかる。有権者に「色々説明をさせて頂いたが、結局、最後まで理解してもらうことができなかった」と言っているのも全く同じである。悪いのは、我々の正しさを理解できない有権者だと言っている訳で、反省の欠片もない。選挙でのアピール用に達成した成果をアピールするための資料があっても良いが、せめて内部向けには「これ程我々の目指してきたことはできていない」という赤点の採点用紙を示してもらい、その採点用紙を見ながら政策を練って欲しかった。今回の57議席という予想外の数字は、そのことを突きつけた数字である。責任感があれば、客観的な振り返りができるはずだが、どうも民主党議員は与党の当事者意識が少なく、大きな問題に直面しても「今の執行部が悪いだけで、民主党全体が悪いわけではない」と考える傾向が強い。この責任感の欠如は、与党としてではなく1人の政治家として、その資質を疑られてしかるべきである。

以上、色々書いてきたが、マニュフェスとがどうのこうのとか、約束を破ったとかその辺の話をしだすときりがない。しかし、もっと大きな視点で見た時に、上記の6点については大いに反省していただきたい。そして、それは自民党にとってはも反面教師として参考にして欲しい。

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消費を引き出すための提言!

2012-12-21 22:01:54 | 政治
まもなく自民党政権が成立するが、経済再生のためには様々な政策の合わせ技が求められる。インフレターゲットや金融緩和による金融政策、公共投資などの財政政策、相続税やエコカー減税なども含めて広い意味での税制政策、新しいコアとなる産業分野の創出などの戦略、原発も含めてメタンハイドレートや再生可能エネルギーなどのエネルギー政策などがその軸になるのだろう。この様にして、お金が回る仕組みを作るのは重要なのだが、一方でメンタルな部分のフォローも実は重要である。今日はこの部分に対する提言をしてみたい。

現在、安倍相場とも言われるように株価が上がり始めている。自民党が経済政策に本気であること、日銀が政策協調姿勢を見せていることからこの勢いは暫くは継続し、その株価で潤う人が出始めてくる。一説によると、小泉政権から安倍政権に変わる2005年から2006年ごろというのは、竹中・小泉改革の影響でデフレを脱却しかけ、いざなみ景気とも呼ばれる自覚の薄い好景気により、国民の平均年収はそれなりに上がっていたのだという。しかし、その内訳を見ると企業に勤めるサラリーマンの年収はまだ上がらず、結果的に株などで儲けた収入がその平均年収を押し上げていたのだという。そしてこのマネーゲームで潤ったのは、高齢者などのお金を持っている層で、彼らがマネーゲームで得た収入が消費にそれほど回らなかったので、サラリーマンの年収が上がらなかったのだという。その後、2006年に日銀がインフレを恐れて金融の引き締めを誤って行ってしまい、脱しかけたデフレに逆戻りしてしまったという。マネーゲームで得た収入が消費に回るまでにはタイムラグがあるために、株価だけを見てバブルの再来を恐れたのかも知れないが、実際の消費行動で見ればバブルには似ても似つかない状況であったのだろう。今回の安倍政権においても、そのような失速を起こさないように注意深く慎重に景気の手綱を握らなければならない。ひとつには来春の日銀人事を上手く行い、政府の方針と歩調を合わせられる金融政策を継続するのが正攻法だろうが、上述のタイムラグを短縮することも同じく重要だと思われる。だから、お金を持つ高齢者に如何にお金を使わせるのかがある意味で重要だろう。

このためには、まずは高齢者を家から外に連れ出し、便利なIT機器を使い便利で快適な生活を体験させることである。そのための作戦であるが、現在は少子化の時代で、昔ながらの小学校には多くの空き部屋(教室)がある。例えば5km四方に1箇所程度の割合でこれらの施設の設置場所を確保し、教室などこれらの部屋を改修し、高齢者が集える談話室・集会所にするのである。マイクロバスを1時間に1回ほど回し、自宅と施設との間を送迎しても良いだろう。この様にして、健康な高齢者を家から引き出し、ここにiPadなどのタブレットPCを置き、自由に使わせるのである。定期的にボランティアによるパソコン教室などをやっても良いし、クレジットカードのセキュリティを考慮して本人に直接通販を行わせるのではなく、本人は現金で代金を支払い、別の人が代理で購入を代行しても良い。この際にトラブルが起きる場合の保険などを整備すれば、結構、上手く利用する方法はあるのだと思う。この会場には近所のマーケットやデパートが移動店舗を出して、肉、魚、野菜からスイーツなどの食品や洋服などの販売を行っても良い。買ったものが荷物になっても、マイクロバスで送迎してもらえれば問題にはならない。小学校には給食室で児童用の食事を作っているから、事前に予約をしておけば、暖かい給食をそこで食べることも可能である。肉などが食べられなければ高齢者用のお弁当を配達してもらっても良い。この様な施設を作れば、高齢者が家を出たくなるモチベーションはそれなりに期待できる。

これと似た様なものに、デイサービスがある。デイサービスはそこでの商売を前提としてはいないし、介護が必要な体が弱った人が対象であるから、上述の企画の様な効果を期待することはできない。そもそも、デイサービスは介護保険で運用されるから、利用者は1割負担で残りの9割は国が負担することになる。この様な施設の利用者が増えると介護費用がかさむが、そこまでの介護を必要としていない人を対象にして呼び込むのだから、介護費用としての税金の持ち出しは発生しない。学校の改修ないしはその施設を確保できれば、そこから先はそこで商売をしたい人やボランティアで運営することも可能である。

更に言えば、小学校でのカリキュラムの中に、高齢者とのふれあいの時間を組み込んでも良いかも知れない。戦争を知らない子どもに戦争を語ったり、高度成長期の日本のありさまなどを語ってもらうのも良いだろう。ないしは逆に、高齢者のお手伝いというボランティア活動を小学生に経験させるということでも良い。高齢者は子どもからエネルギーを吸収し、元気に生活できるようになれば医療費や介護費用の抑制にもつながる。暇で仕方がないから病院に行って知り合いと交流するという高齢者が良く話題になるが、無駄な医療費をかけずに目的を達することができるし、環境も100倍快適だから医療費抑制にもつながる。サラリーマンのメタボ対策以上に大きな効果が期待できるかも知れない。

色々書いてきたが、消費活動が丁重な理由に高齢者の将来への不安があるのは事実だろうが、それよりも目先の消費の欲求がないことの方が重要なのだと思う。多くの人が集う場所で、誰かがお金を使えば、自分の財布と相談しながら同じように消費に走る可能性がある。個人レベルの訪問販売であれば、変な商品をつかまされるリスクはあるが、多くの人が集まりボランティアや若い人の目もあれば、詐欺の様な商売を排除することもできる。安心、安全も重要な要素である。

高度な経済・金融のノウハウも必要なのだろうが、この様なことも最大限に活用する合わせ技を考えてみるのも良いのではないか?

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選挙に吹く2種類の「風」(「小選挙区で吹く風」と「比例区で吹く風」)

2012-12-19 23:34:39 | 政治
最初に断っておくが、今日のブログはあまり意味のないブログで恐縮である。今回の選挙結果をTVで様々な政治評論家や国会議員が総括していたが、ちょっと肝心なところに気がついていないように思えるので、その点を指摘しておきたい。

体勢の見方は、今回は自民党が大勝したが、「自民には風は吹かなかった」ということであるらしい。これはある部分では正しいかも知れないが、本当の実情を表した表現ではないと私は思う。「風」の定義と言われればそれまでの話であるが、私は自民党には「風は吹いた」のだと理解している。政治評論家が物知ったように説明するのは、比例代表での自民党の得票率を比較してのことである。今回の比例区での得票率は、前回の(自民にとっては逆風が吹きまくった)民主圧勝の選挙と比べて殆ど差がないから、これこそが自民に風が吹かなかったことの証拠だと指摘していた。誰もが思わず納得してしまいそうな解説だが、これは全く現実を表していない説明だと個人的には思っている。

もう少し具体的な数字を挙げてみよう。2009年の選挙での自民党の比例区での当選者数は55人である。郵政選挙で自民に大きな風が吹いた2005年の選挙では77人もの当選者を出した。これに対して今回の比例区での当選者数は57人だから、比例区では前回の逆風の中での選挙と同レベルであり、その意味では寧ろ逆風ではなかったのかと思ってしまう。しかし、逆に見てみよう。小選挙区での当選者数は、あの郵政選挙ですら219人であるのに対し、今回は237人もの当選者を出した。こう考えると、あの郵政選挙を超える圧勝なのに風が吹かないというのはどう考えても不自然である。この点を冷静に考えるべきである。では、何故、比例代表で票が伸び悩んだのだろうか?

実は、これは正直に言えば私の投票行動そのものではないかと解釈している。現在の小選挙区比例代表並立制という制度の持つ特徴なのだと思う。つまり、従来からの考え方であれば、小選挙区で投票する人は自分の支持政党(継続的な支持ではなく、選挙の時には支持していたという短期的な意味)からの候補者であり、比例代表でも同じ政党に投票するものだと考えられていた。もともと比例代表の人数枠がここまで大きいのは、小選挙区で敗れた候補の死票を無駄にすると民意の適切な反映とならないから、その部分を補正する意味で比例区というものを併用しているのだと思う。しかし、それならば別に小選挙区で候補者に1回だけ投票すると、同時にその候補者の所属する党の比例票が自動的に1票加算されるという制度で良いような気がするが、現在の制度ではそれをあえて2回の個別の投票に分けている。となれば、原理的には小選挙区と比例区での投票先政党が同一である必然性はない。この特殊な権利を今回は有効に活用した有権者が非常に多かったというのが今回の選挙の特徴だと私は解釈している。

この影響を最も受けたのは日本維新の党であろう。具体的な数字で言えば、日本維新の会の小選挙区での獲得議席数は14で民主党の27の約半分である。しかし、比例区に関しては日本維新の会は40もの議席を確保し、民主党の30を大きく上回る。更に言えば、小選挙区での当選者の85%は近畿エリアで、全国的には大惨敗である。にもかかわらず、比例区に関しては自民党ですら57であったのにその7割の議席を確保している。マスコミ的には、完全に当初の勢いを失い失速したと言われた日本維新の会が予想に反し、如何に比例区では支持されたかが読み取れる。つまり、これまでの選挙では支持政党を選ぶ選挙であったが、今回の選挙ではある意味で政党を選ぶのではなく連立政権を選んだのではないかと私は思う。具体的には、自民・公明の連立政権を軸とするのは良しとした上で、ここに日本維新の会に1枚噛んで欲しいと考えた人は、小選挙区では(日本維新の会に投票してもその票は死票になるから)連立の軸となるべき自民党に投票し、比例区では(必ず死票とならないから)日本維新の会に投票するという使い分けをしたのだと思う。

だから、「風とは何だ?」との問いに、「小選挙区で吹く風」と「比例区で吹く風」の合計をその政党の受ける風とするならば、自民党には「小選挙区で吹く風」は十分大きかったのだが「比例区で吹く風」が弱かったので合計で見ると「それほど風は強くない」と感じたのではないかと思う。もちろん、民主の自滅や旧民主系の潰し合いなどの影響も小選挙区では強くあったはずであるが、自民と日本維新の会という比較的ベクトルの近い政党同士の潰し合いもあったはずであるから、自民だけが圧倒的な漁夫の利を得た訳ではない。政治評論家が言うほど有権者は消極的な選択として自民党を選んだのではなく、それなりには有権者からは安倍総裁の掲げる経済政策を評価したのだと思う。だから、候補者は単に風を感じることが出来なかっただけで、少なくとも「小選挙区で吹く風」は自民に吹いていたのだと私は思う。

しかし、小選挙区と比例区で両方共に自民に投票した人を除けば、今回の衆院の2/3以上を自民・公明で押さえる状況を意図しておらず、小選挙区にはこんな風が吹いていたと後から知った有権者が戸惑っているのも事実だろう。もう少し別の枠組み(場合によっては自公民かも知れないが)での政権を期待していたであろうから、今回の自民党の圧勝には満足できないかも知れない。なお、選挙後の世論調査結果は明らかに自民に厳しく出ている傾向があるが、これは「小選挙区で吹く風」を単に否定するものではなく、有権者が少し成熟した現れだと思う。前回の民主党政権に代表されるように、当初から過剰に期待しても裏切られるという失敗を繰り返している有権者が、お手並みを拝見した上でその政権の評価をしようという気持ちであることを示したものであり、勝ちすぎた自民をたしなめているのだろう。

だから発足時の期待度、支持率はあまり気にせずに、安倍政権は我が道を行けば良いのだと思う。評価は結果に対して後から着いてくるのだから・・・。

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復興コンペの提案!!

2012-12-18 22:47:03 | 政治
昨日のブログで東北の復興のために、26日の首班指名を待たずに「県が主導権を握って行うことと、市町村で主導権を握って行うこと、さらには国が責任をもって行うことを区分けし、自治体が担当する部分については白紙委任でお金をつける代わりにその責任を事後に問うことを明確にし、責任の所在を首長の固有名詞付で具体化する」ことを今直ぐ始めよと提案した。ここでは、もう少し追加の提案をしてみたい。

それは、「被災地の復興コンペを1年ごとに行うこと」の提案である。復興コンペとは、復興のためのお金を白紙委任で受け取った後、そのお金を如何に有効に使ったかを各自治体に自慢させ、何処が一番優れているかを競わせるのである。細かなルールは色々考えれば良いが、自治体に配算された総額に対する総合評価部門と、そのうちの一部分のお金の有効利用に対する個別評価部門など区分けし、お祭りのように公開して一般市民に投票をさせるのである。B級グルメではないが、ここでのグランプリ受賞は明らかに町興しにつながる。だから、地方自治体だけでなく、被災地の市民が一緒になって提案をする。1ヶ月ぐらいの提案期間をおき、自治体内で自ら立案する復興計画と、市民の提案する復興計画などを比較し、首長の責任でその中で最良の復興計画を優先順位をつけて行う。別に突飛な提案でなくても、地道な復興が手堅く実現されていれば、それを評価するというのもあるのだろう。予算を細かく刻んで細かい分野に広くばら撒くという選択肢もあるし、逆に選択と集中を徹底し、1点突破で大きな復興計画をぶち上げても良い。それは首長のセンスに任かされる。

もちろん、地方自治体だけでなく国も参加しても良い。福島県に原子力発電所の原子炉の廃路のためのリサーチパークの様なものをぶち上げ、今後、世界的に大きなビジネスとなりうる廃路技術を確立する・・・といった提案は、国ならではの提案かも知れない。同様の案は、放射線医学総合研究所の分室を福島に設置し、国が特別予算をつけて徹底的に住民の被災情報を追跡調査し、その結果を世界に発信するというのもありだろう。その他には、被災地の震災瓦礫を処分するためのバイオマス発電施設を速攻で大々的に作り、少なくとも短期的には再稼動可能な原発が減少するであろう現状に対するエネルギー政策の一環に組み込んでも良い。緊急性はないかも知れないが、津波の影響を受けた海岸の平野部に関しても、長期的にはそこに植林を行い森林を育て、防波林的な意味合いと原発依存度減少に伴うCO2排出量増加に対する対策を施すと共に、山間部の非常に木材の切り出しコストの高い場所を前提とした林業から、平野部で港にも近いコスト効率の高い競争力のある新しい林業を育てるという考えもあるかも知れない。この林業で出る間伐材は、木材として売れなければバイオマス発電にも活用できるから、40年ぐらいすれば新しいエネルギーサイクルに組み込めるかも知れない。素人的な発想だからそこら中に落とし穴があるとは思うが、この様なアイデアを吸い上げて、それを有識者が見てふるい落とし、最後に首長が選択すればそれなりに筋の良いものが残るのだと思う。

なお、当初の予算配分は、自治体からのヒアリングを通じてある程度国が判断するのだろうが、2年目以降については復興コンペで更なる発展の可能性を感じさせたところに追加の予算を配算しても良い。年度内に使い切る無駄遣いを拝するために、節約して資金を残したところには翌年への繰越を許可することも忘れてはならない。その意味では、復興コンペの中には個別の計画の優劣とは別に、無駄を排除して効率を高めたことに対する評価を加えても良い。要は、復興を効果的に推進するために如何に予算を有効利用するかに対するモチベーションを高めるカラクリを復興計画に加えるのである。

そして最後は、この復興コンペをお祭りにして全国民の関心を引き付けさせるのである。B級グルメや被災地を中心とした物産展などの別の企画とタイアップするのも良いだろう。一般市民にも自治体が何を行っているかを公開し、観光産業の中でそれをアピールして復興コンペでの投票を呼びかけても良い。私は以下の様な案には賛成しかねるが、「観光アピールのために復興予算を使ってAKBなどのアイドルに被災観光地域を宣伝させる」というのも、その後の統計データで費用対効果比を明確に示せればありかも知れない。

アイデアはそれそのものが財産である。仮設住宅で辛い生活を強いられている人の中から、突飛で斬新なアイデアが生まれるかも知れない。官僚には逆立ちしても出来ないような何かを、是非とも導き出す仕組みを導入してほしい。

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今直ぐ始めよ!

2012-12-17 22:00:13 | 政治
自民党が圧勝して1日が経過した。今日は多くのTV番組でも主として当選した国会議員を中心にスタジオに呼び、昨日までの選挙を振り返っていた。しかし、ここで忘れないでほしい。ノーベル賞受賞者の山中教授は授賞式を終えてマスコミの前に顔を見せた時、「ノーベル賞は通過点。私にとっては既に過去形。これからの研究が大切。」と語っていた。噂によれば、ノーベル賞のメダルも殆ど封印して、自分から見ることはないだろう・・・と言われていた。私にすれば、これは彼の業績が正当に評価されたのだから、もう少しメダルを見ながら毎晩晩酌を楽しむぐらいのことをすれば良いと思うのだが、iPS細胞の実用化研究に使命感を強く感じることから、あのような発言につながったのだろう。昨日の安部総裁の顔に笑みがなかったことの背景にも、山中教授と同様にその使命を痛感していたことがあったのは間違いない。

だからこそ、私はお願いしたい。今直ぐに、復興担当の責任者として(例えば)小野田五典氏を指名し、(法的には現時点ではオフィシャルな意味合いを持たすことは出来ないが)被災地の首長(県知事と市町村長)を集めた会議を開き、復興のために何が必要で幾らの予算で何を作りたいのかの意見を速攻で集約すべきある。その中では、県が主導権を握って行うことと、市町村で主導権を握って行うこと、さらには国が責任をもって行うことを区分けし、自治体が担当する部分については白紙委任でお金をつける代わりにその責任を事後に問うことを明確にし、責任の所在を首長の固有名詞付で具体化するのである。また、この際には予算の年度内消化の悪弊を取り除き、最大限のスピードと効率を実現するための過年度の政策を提案させるのである。

景気回復のための様々な政策の中には、それなりに国会での議論が必要なものもあるだろうから今直ぐという訳には行かないのだろう。しかし、被災地の復興だけは別問題である。震災後、1ヶ月でやるべきことが1年半以上を経過して出来ていないのである。しかも、予算の管理を中央官庁の官僚が握り続け、復興のためには予算付けせずに突っぱねるが、復興に関係ないものに関しては天下り利権と合わせてつけてしまう。そんな状況をリセットするには最初が肝心である。その強い意思表示を示すには、26日と予想される首班指名まで待たずに今直ぐアクションを起こすべきである。そして首班指名&組閣の後に、その提案に復興大臣名でお墨付きを与えるのである。

東北の復興は日本の復興の象徴である。それに異論を挟む者はいない。だから、私心を捨てて故郷のために国のために命を捧げる覚悟があるのなら、野党議員でも復興庁の中に取り込んで現地の人と寝食を共にして復興につなげるのである。復興が急速に進めば、それと共に景気の回復の足音が聞こえだす。安部総裁の語る真の意味での「日本をとりもどす」を実現するためには参院選の勝利が前提である。そのためにも、やるべきことは待ったなしである。

なお蛇足であるが、この選挙期間中も中国からの尖閣諸島がらみの揺さぶりは続いていた。安倍政権の誕生で中国、韓国は警戒を強めているが、こちらの方に対する対策にも上記の復興推進は意味を持つ。中国、韓国が恐れるのは日本の安定政権である。安倍政権が長期政権になるのであれば、日本との関係改善を無視した行動を取り続けることは出来ない。今後、少なくとも3年以上も安定政権が続くと判断すれば、それが対中、対韓に強硬な政権であってもその3年間を無駄に過ごす訳にはいかない。韓国は北朝鮮問題でお尻に火がついているし、中国も日本との経済関係が冷え込むことで自国のバブル経済が弾ければ、習近平政権は崩壊の危機も否定できない。なによりも長期政権の基礎を確立することが万事に優先する。

まずは東北の復興を目指して今直ぐに動き出して欲しい。

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新たな政治のスタート(多数決の民意の尊重)

2012-12-16 23:15:53 | 政治
予想以上の自民党の圧勝だった。個人的には非常に喜ばしい結果ではあるが、日本維新の会が予想よりは伸び悩んだことは少し残念かも知れないという感想である。テレビをつければ選挙特番だらけだから今更コメントすることもないが、せっかくなので少しばかり思ったことを書いておく。

まず日本維新の会の票が伸び悩んだ点であるが、この辺は、人によっては橋下代表代行が石原代表と組んで票を落としたと考えるかも知れない。それはそれで正しいのかもしれないが、ただ橋下代表代行の判断が間違っていたとは私は思わない。合流当時の民主党の国会議員団を見れば怪しい顔ぶれだらけで、とてもではないが橋下代表代行の目指す政治を実現するために奔走するとは思えない。彼らは、選挙後に浮き足立った行動をとって維新の地位を地に貶めるリスクも大きい。その意味では、橋本代表が陣頭に立って選挙に打って出れるようになるまで(大阪都構想の完成)は、日本維新の会は一時期の維新バブルが完全に弾けずに、小さいながらもまとまりを維持し続けるのが最需要課題である。バブルは弾ける前が大きければ大きいほどインパクトは大きく、今回の民主党がその典型例だろう。そう考えると、今回はこのぐらいの議席数が丁度良いところなのかも知れない。

次に、日本未来の党の伸び悩みについてである。どうもテレビや新聞というものは、選挙の争点の筆頭に原発問題を位置づけている感があるが、選挙中に行われた世論調査を見ても、国民の最大の関心事項は経済の立て直しである。この点は私のブログでも触れていたが、その視点で見れば乱立した多くの政党の中で自民党が最も期待できる政策をブチ上げていて、それが直接的なものかどうかは別として円安が進み株価が高くなっている。マスコミはこの現実を見ずに脱原発バブルに踊らされた感じである。実際、日本未来の党の代表代行の飯田哲也氏が小選挙区で敗れるあたりからも分かる。国民は脱原発を期待するが、実際のところは経済発展を大前提とする脱原発のソフトランディングを望んでいるような気がする。この意味で、より現実路線を示したのが自民党と日本維新の会であり、そのうちでより経済政策でアピールが出来た自民党が勝ち残った。なお、今となってはどうでも良い話であるが、公示日のドタバタ劇を見せられたことで、この党の本性が嘉田代表の皮をかぶった狼であることが透けて見えたこともあるかも知れない。

最後に、今日のテレビを見て感じたことを2点述べておく。ひとつは安倍総裁の顔色である。これだけの大勝利で、ニヤリともしない厳しい顔つきが、これはゴールではなくスタートであることを強く認識させられた。もうひとつは橋下代表代行の発言で、今後の国会での首班指名では安倍総裁を指名するとした点である。橋下代表代行の主張はクリアーで、日本には多数決というものが浸透していないが、選挙で結果が出たらその民意を尊重するのが筋であり、どうせ意味もないのに自らの党首の名前を首班指名で書くのは時間の無駄とともに民主主義の民意を無視するものであり、国民の審判を尊重すべきであるというものである。これは潔く、勝っても負けても民意の尊重が政治を前に進めるには必要である。この様な文化を永田町に徹底させる意味で、彼のこの様な考え方をマスコミは是非とも報道して欲しい。そして、各党の党首にもその是非を問うて欲しい。

なお、報道の中でも指摘されたが、今回の選挙は言ってみれば予選でしかない。決勝戦は来年の参院選である。そこで完全勝利を収めてこそ、初めて安定した政治が実現できるのである。

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憲法論議は選挙に適するのか?

2012-12-13 23:02:07 | 政治
今回の選挙は珍しく、憲法改正の是非も選挙のテーマの一つと位置づけられている。私は憲法改正の各論については選挙に適さないと考えているが、第96条に限定した議論だけは許容されるべきものと考えている。

というのは、憲法改正の国民投票においては、具体的にYes or Noが選択可能な具体的な2社択一となる設問に落とされるが、その是非と支持政党の主張は必ずしも一致するものではない。ひとつの例として消費税増税を引き合いに出せば、同じ消費税増税反対派の中でも「消費税はいつかは増税すべきだが、今はその時ではない」という基本的には増税やむなしという人と、「根本的に反対」という人が含まれる。選挙の段階ではYes or Noの選択が可能な具体的な文言に落とされていないから、漠然とした方向性だけでは最後の最後に支持できるのかできないのかは不明である。その様な状態で議論してもあまり意味はないし、そもそも、選挙では当選目的で大嘘を平気で付く人もいるから、憲法改正の各論は選挙と切り離して冷静な議論をすべきである。

ただし、あくまでも憲法96条だけは意味が異なる。これだけは、「憲法というものは、そもそも未来永劫、変えてはいけないものなのか?」、それとも「憲法が実情にそぐわない歪を生じた際には、改正することも止むなしなのか?」という大きな方向性で判断可能なテーマだからである。そもそも、憲法の存在意義とは何かといえば、国会が持つ立法権が暴走することを防ぐ最後の防波堤の様なもので、成立した法律であっても最高裁で違憲と判断されれば法としての効力が失われる。だから、少なくとも憲法の精神に反する立法ができないように足かせをはめる、そんな意味合いがあるのであろう。その典型は憲法9条であり、これが戦前への回帰を思いとどまらせる強いブレーキになったのは事実であろうが、明らかに日本語を解するものが理解する9条の意味と、現在の日本政府の憲法解釈は全く別物である。この様に、明示的な文章とは真逆の意味を行間に見出し、その解釈論で如何様にでも判断できるというものの考え方は、本来の憲法の持つ防波堤の意義を失わせるものである。だから、本来であれば自衛隊自体も存在してはいけないはずであるが、しかし実情はその様な選択肢を許さない切羽詰った背景があり、現実と憲法が乖離せざるを得ない状況が生じている。この時、防波堤の意義を失わせないためには、その実情に併せて憲法を改正し、その改正された憲法に併せて実情を変えていくという手順を取るべきである。しかし、あれだけ長く続いた自民党政権でも、憲法改正を党是とする自民党が手をつけることができなかった現実を鑑みれば、現状の96条の条件が実情に適さないことの証明とも言えるだろう。であれば、今後も憲法解釈でのらりくらりと問題を有耶無耶にしていくのか、それとも日本語として理解できる(解釈など必要のない)明快な憲法を目指すのか、これは非常にベクトルとして分かり易い方向性である。

実は過去のブログでも書いたのであるが、微妙に線引き条件にはバリエーションはあると思うが、後になって「そんなはずじゃなかった」と言われるほど違った選択肢を国民投票に提示することはないだろう。

2012年10月4日「憲法改正要件改正の新提案

実際、下記の記事にもあるが、日本の自衛隊は海外の軍隊と異なり「行っても良い行動リスト(ポジティブ・リスト)」が定義されており、その都度、立法が必要であった。海外であれば、「行ってはいけない行動リスト(ネガティブ・リスト)」に該当しない行動は行って良いわけだから、素早い判断で行動できるのであるが、日本の場合にはそうはいかない。

産経ニュース2012年5月21日「中国海軍が砲撃してきたら… 日本滅ぼす『101本目の法律』

この背景には、憲法を素直に読めば基本的にはNGと読める自衛隊の行動を正当化しようとすると、不明瞭な憲法解釈に整合していることを担保するための立法が必要になることがある。逆に、立法で対処すれば、憲法を骨抜きにすることも可能という考え方もできるのである。最高裁も、流石に「No」と言ってくれることを期待したいところだが、これまでは「極めて政治性の高い判断」を回避する逃げを打ちまくってきた。それが常態化してしまえば、イザという時に伝家の宝刀を抜けなくなる。そうなってしまっては遅いのである。既に遅いのかも知れないが、なるべく早く状態を是正しないと、本当に必要な時に憲法が機能しなくなる可能性が否定できない。

まずは、この状態を良しとするのかしないのか、そのぐらいは選挙で議論しても良いテーマだと思う。その先の議論は選挙の後の話であり、是々非々で議論を行えば良い。

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一喜一憂は愚かな反応だ!

2012-12-12 23:57:56 | 政治
今日は昼から北朝鮮のミサイル発射のニュースが話題の中心であった。本来なら尼崎連続遺棄事件の角田容疑者の自殺がトップニュースなのだろうが、意表を突かれて慌てて扱いを差し替えた格好だ。そのニュースでの北朝鮮に対する評価は、昨日までとは180度変わっており、昨日までは「やっぱりダメダメ!」という論調が今日になったら「北朝鮮、恐るべし!」と切り替わった。私の個人的な感想では、余りにも短絡的にひとつの事象だけをみて踊らされ、一喜一憂するのは誤った判断に繋がると考えており、その意味で今回の一連の流れをどの様に見るべきかを冷静に考えてみたいと思った。

確かに、今回は北朝鮮はきっちりと仕事をしてきた訳だから、敵ながら天晴れという評価は変わらない。しかし、それ以上でもなければそれ以下でもないというのが私の評価である。4月の段階で、海外のマスメディアを呼び込んでの一世一代のパフォーマンスを行うぐらいだから、技術者としては当時からそれなりの自信はあったのだろう。しかし、どの様な技術でも場数を踏んでステップアップする部分はあるから、当然の如く、ある確率で失敗した。今回についても同様で、北朝鮮がどの程度の成功確率を想定していたかは知らないが、少なくとも100%の自信があったとは思えない。そのように断言できる理由は二つあり、もし余裕のよっちゃんであれば、4月の段階で予備機を確保していたことを考えれば、この極寒の時期まで引っ張らずに、もっと早くに打ち上げを実行していたはずである。日本と韓国の選挙事情もあり、この時期の打ち上げは対北朝鮮強硬派政権を誘導しがちだから、本来は避けて10月頃に打ち上げているべきであった。しかし、その時期に打ち上げることができず、この時期にずれ込んだというのが現実だろう。だから、本来ならば暖かくなる来年の4月頃まで待ちたいところだが、強制大国のスローガンのもと、それが許されないという事情があった。その意味で、追い詰められての打ち上げと思われる。もうひとつは、前回の汚名を挽回するなら、今回も外国メディアを招待して打ち上げるべきであるが、それをしなかったということからも、今回は失敗が許されない、つまり裏を返せば「失敗を相当意識した強硬策」であったことが伺える。

ただ、何故にフェイントをかけてまで日米韓を出し抜かなければならなかったかについては疑問が残る。一部の説によれば、わざと偽の情報を掴ませて韓国と米国の諜報能力を確かめようとしたと言われる。これは、確かに相当な確率で正しいのだろう。ただ、実は日本のPAC3の迎撃を恐れて、せめて日本だけは出し抜こうという意図があたのではないかと、個人的には予想している。折角の打ち上げも、途中で迎撃されては台無しである。ミサイル技術の輸出で外貨を稼ごうと考えれば、「ミサイルで簡単に打ち落とせる程度の技術」とレッテルを貼られては致命的である。また、韓国との対決を意識すれば、日本と韓国の間に楔を打ち込む必要もあり、日本とは拉致問題をちらつかせて関係改善を図りたいところだが、PAC3での迎撃を受ければ日本とも徹底抗戦の姿勢を示さざるを得ない。だから、4月の時と同じように、後手後手に回る事態を演出しようとしたのではないだろうか?

韓国では、国防省からの発表が2転3転しており、一部の関係者は完全に裏を突かれた格好だが、実際の現場の担当者は冷静で適切な対応をしていたように見える。日本の防衛省も、アメリカからのチャネルを通じて森本防衛相には今日の発射の可能性が把握されていたようで、4月の失態とはことなりこちらも及第点の対応をした。予想外なのは、アメリカ政府の方の対応の方が慌てたものとなり、後手後手に周り気味だという。確かにアメリカにとっては驚異は増えたが、現時点ではまだ搭載可能な容量が限られており、実質的にはワシントンやニューヨークはまだ安全だろう。ただ、時間が確実にカウントダウンされているのは事実であり、効果的な対応が求められるのは間違いない。

日米韓は過剰に慌てるのではなく、冷静で戦略的な実行力のある対応を期待したい。

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経済政策と量子力学

2012-12-11 23:49:44 | 政治
この週末に行われた世論調査によれば、今回の選挙で国民が最も重視する点は景気の改善、経済政策ということのようである。私は経済学は大学でも学んだことがないのでど素人だが、昨日のTVタックルは面白かった。素人なりに考えたことを整理してみたい。

このTVタックルでは、高橋洋一さんと藻谷浩介さんの直接対決ということで、素人にはその議論の勝敗は分り難いが、白熱した議論がこの問題の本質を炙りだしているような気がした。結論などはなかったが、少なくともデフレに特効薬はなく、最低でも3年以上の継続的な適切な処方箋に従った政策で国の舵取りをし続けないと、一時的に快方に向かっても直ぐにリセットされて振り出しに戻ってしまうということのように私は理解した。選挙後の新体制により急激な経済回復を期待していたので話を聞いていて少々がっかりしたが、本格的な景気回復効果が出始めるのは少し先であり、短期的にはあまり過度の期待はしない方が良いのかも知れない。ただ、それでも正しい処方箋を出せるか出せないかで道は大きく別れるから、各政党の言い分をよく聞いて、選挙での投票先を判断をしなければならない。

経済というものが完全に無機質なもので、自然界の物体がニュートン力学で規定される物理法則によって運動するかのごとく、何らかの理論上の数式に従い振舞うものならば難しくても研究の末にはいつかは正解にたどり着けるのであろうが、実際には人間の行う経済活動故に有機質的な怪しげな不確実性が伴い、それが非常に複雑に見える一方で実は超単純な処方箋で解決したりする可能性も秘めている。その意味では、経済とは量子力学的な不確実性を伴う状態でもあり、日銀がお金を刷ってインフレターゲトを2、3%に設定してデフレを脱却するというシンプルな処方箋は、それが正しいか否かはあくまでも確率論的にしか議論できず、観測(政策の実効)により状態が確定する一方で、その観測行為が観測前の状態を乱すことになり、「間違っていたからやり直そう」と思っても、もう元には戻れない厳しさがある。それは一種の博打のようなものだから、正解がない中で直感的に答えを見切らなければならない。

ただ、ややこしい背景があることは確かでも、韓国や米国がウォン安、ドル安誘導の政策を取る一方で日本円だけが取り残され、一人だけ極端な円高に誘導されている現状が大きなハンディになっているのは間違いない。円安によるエネルギー資源の輸入コストの増加と、電化製品などの価格競争力の改善効果を天秤にかけ、そこに火力発電のウエイトが高い状態での電気料金の高騰も考慮した上での理想的な為替レートをはじき出し、そこまで(ないしはターゲットとするインフレ率が目標値に達するまで)は円の供給を増やして円安誘導を行うことは短期的には効果があるだろう。この結果、株価の上昇は十分に期待できるが、上昇した株価が消費拡大につながらなければ、実感の伴う景気回復にはつながらない。その意味では、お金持ちのマネーゲームで潤ったお金を強制的に消費に回すための方策として、資産課税すべきという藻谷浩介さんの提案には私は納得した。

多分、処方箋は一つではなく、金融政策、財政政策、税制などを中心にお金が回る仕組み作りというひとつの根本的な治療法と、それでも経済の血液であるお金が不足すれば輸血(公共事業など)で補うという対処療法の合わせ技が必要で、そのためには様々な有識者の知恵が必要なのだろう。ただ、悲しい話ではあるが、学者というものの性として、主義主張の類似性を探すよりも僅かな差分を探し出し、ことさらその差分を強調する傾向もTV番組内で見て取れた。この辺が、学者と実務家の違いかもしれない。その意味では、船頭多くして船山に登らないように、アイデアを出し合った後の最後の決断は、少数の見識ある人に託さざるを得ないようである。その意味で、政治家の背後にいるブレーンも、判断を行う上での大きな参考情報になるのだろう。

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藤村官房長官の発言の本当の問題点は何処にあるのか?

2012-12-10 22:36:53 | 政治
今日、北朝鮮がミサイル打ち上げを予告した期間に突入した。打ち上げ延期という話もあるが、先日から日本国内では藤村官房長官の失言が話題となっている。本音と建前の話など、つまらない視点が多い中で、紙面ではあまり取らあげられない重要な点について一点指摘したい。

まず、野党からの官房長官の辞任要求の根拠は、建前上は国際社会は北朝鮮に打ち上げを思いとどまるように求めているのだから、「さっさと打ち上げて欲しい」という発言が如何にも打ち上げを容認している意図と受け取られかねず、この点がけしからんというロジックである。これは、ごもっともな主張であり、日本の中で一番「本音」と「建前」を上手に使い分ける能力が求められる官房長官職にある人が、この様な失言を行うということは問題である。しかし、それはあくまでも「本音」と「建前」の使い分けの技術的なケアレスミスであり、個人的には選挙区での活動が気になりついうっかり発言してしまったと謝れば、それで済む話かも知れない。勿論、国際的には呆れられてしかるべきであろうが・・・。

しかし、物事はそう単純ではない。この一件において最も重要なのは、誠志かというものは頭の中で様々な事態をシミュレーションする能力が求められ、この官房長官が頭の中にはそのシミュレーションを行う能力が致命的なほどに乏しいということが明らかになってしまったことである。つまり、藤村官房長官は、北朝鮮が今日ミサイルを打ち上げてくれれば明日から選挙区入ができると信じているからあの様な失言をしたのであるが、そんなはずはないことに気がつかないことが問題なのである。

12月7日の午前、野田内閣は安全保障会議を開き、ミサイルに対して破壊措置命令を出すことを決定し、これを受けた森本敏防衛相が自衛隊に破壊措置命令を出している。つまり、前回のように非常に運の良い事態に見舞われない限り、ミサイルは日本上空に達し、そこで破壊措置命令を受けた自衛隊は地対空誘導弾PAC3を発射し、これを破壊する可能性がある。仮にこれが破壊に至ろうが、破壊に失敗しようが、北朝鮮はこれを自国に対する戦闘行為と見なすだろうから、結果的に北朝鮮はこれに猛反発し、「東京を火の海にしてやる!」という宣言を発表するだろう。今回打ち上げるミサイルは既に開発済みのノドンミサイルよりも射程距離が伸びることになるが、北朝鮮からすれば日本を相手に考えれば射程約1000~1300kmのノドンで十分なわけであり、このノドンミサイルがいつ日本に飛んでくるかを警戒するために非常事態宣言を発令し、少なくとも総理と官房長官と防衛大臣は官邸から一歩も動けなくなるはずである。だから、「本音」と「建前」を上手に使い損ねた失言をするなら、「頼むから16日まではミサイルを打たないでくれ」という発言でなければならないのである。勿論、この発言にしても「17日以降なら打ち上げて良いのか?」というツッコミが入るのだが、こちらの方がよっぽど的を得た発言である。この意味では、安倍総裁の「この官房長官では国を守れない」という発言は正しいのであるが、ついでにこの点を指摘して欲しいところである。幸いにも、現在の防衛大臣は良識のあるスペシャリストだから、その点は不幸中の幸いではある。

ここから先、少しだけ話が脱線するが、常識的に考えて、このタイミングでのミサイル(北朝鮮は人工衛星と主張)打ち上げには北朝鮮にはメリットはないように思えてならない。少なくとも、北朝鮮にとっては最大の敵はアメリカであるにしても、日本と韓国というのは目の上のタンコブであるはずである。アメリカからの譲歩を引き出す上でも、日本と韓国の両政府が北朝鮮に対して強硬路線を取ることは好ましくない。であれば、日本と韓国の選挙がシンクロしたこのタイミングはミサイル打ち上げにとっては最悪のタイミングであり、この様な挑発行為に強硬な態度を示した方が選挙では票を集めやすい。だから、強硬路線の政府を誕生させるようなアシストを北朝鮮自ら行なっているようなものである。これまでも打ち上げに成功したと宣伝している経緯から、ここで成功しても得るものはそれほどないが、ここで失敗すると父である金正日の顔に泥を塗ることになる。ただでさえ条件の良くない真冬に行うメリットがない上に、政治的にもデメリットだらけである。だから、国際社会の要求に応えて打ち上げを見合わせて、それの見返りを求めるというのが今回の流れのような考えもあるが、しかし、今回の発表からは技術的な問題で延期を余儀なくされたと伝えられているから、今となっては打ち上げの見合わせをしても何らかの譲歩を引き出せる可能性は低くなった。このように考えると、北朝鮮内の権力闘争の中で、ある種の勢力が軍部の発言力を削ぐために、わざとけしかけてミサイル発射をさせて、そこで失敗しても日本のPAC3で破壊されても、軍部の失態を引き出して要職にある人の発言力を陥れようとしているように見えてならない。それが正しいかどうかは知らないが、選挙後の新政権は大きなチャンスであるように思えるから、是非とも拉致問題解決のために頑張って欲しい。

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国は誰に寄り添いサポートするのかの強いメッセージを情報発信せよ!

2012-12-08 23:08:26 | 政治
少し前の記事であるが、AERA(2012年11月26日号)の中に「子どもの声は騒音なのか」という記事に関連したコメントを今日は書いてみたい。AERAでは反響が大きかったようで、その後も続報的な記事が載っていたが、内容的には同一である。

この記事のポイントは、世田谷区の保坂区長が8月にTwitterにつぶやいた内容に端を発し、社会の中での子どもを未来への財産と位置づけて大らかな気持ちで見守るべきか、個別の個人の権利が優先させるべきかを「子ども」というスクリーンに投影して議論が盛り上がっているというものである。具体的には、保育園や幼稚園の周辺の住民が「子どもの声がうるさい!」「園庭で子どもを遊ばせるな!」と幼稚園や自治体にクレームをつけ、これらの方々が問題解決のために非常に地道な苦労を続けているというものである。比較的ニュートラルな立場での記述にとどめ、例えばクレームをあげる人々に菓子折りを持って定期的に訪れたり、地域参加型のイベントに招待しながら相手の固い心の扉を開くことで解決するしかない・・・というようなまとめになっている。

保坂区長は元々は社民党の衆議院議員だったが、前回の衆院選で落選後、昨年社民党を離党して世田谷区長に当選した。自治体の首長になった以降は比較的地域に根ざした地道な活動をしているようで、比較的好感が持てる。今回の議論も非常に重要な問題提起であり、社会で子どもを協力して育てるというコンセプトを具体化するポイントを適切に突いた形である。多分、9割以上の方々はその意見に賛同するが、ほんの数%の極端な方が強硬な態度をとるのである。この構図は至る所で見ることが出来る。

類似の議論は別の形でも話題になっていた。その前からネット上のニュースでも載っていたが、何周か前のフジテレビのMr.サンデーでも取り上げられた、某漫画家が飛行機で移動中に、自分の座席の近くで子どもが泣き続けていたことに腹を立て、その親と客室乗務員、更には飛行場内でも航空会社の職員に激しくクレームをつけたことを自身のブログに乗せて炎上したというものである。テレビでは非常に控えめな紹介をしていたが、その本人の記事を読むと正気の沙汰とは思えない内容であった。テレビの取材を受けた一般人のコメントでは、「親が子どもを泣き止ませようと努力もしないで開き直っていたら、私もこの人のようにブチ切れるかも知れない」というものもあり、主流派の意見である「子どもだからしょうがない」という意見と対比させ、「色々、意見が分かれるところですね・・・」としていたが、実は本人の記事を見る限りはそうではないらしい。つまり、飛行機に乗ってから泣き続けた赤ちゃんに対し、母親と客室乗務員が協力してひたすら泣き止むように努力をし続けたが駄目だったそうである。そこまでの情報を提供された上で同じくコメントを求めたならば、多分、コメントは一方的なものになっていただろう。

これとは少し話が異なるが、私も同様の経験をしたことがある。子どもが夏休みに入り、朝方の6時半ごろ、近所の公園(高いネットで囲まれた、スポーツでの使用を前提とした公園)で子どもとあるスポーツの練習を始めた。真夏だから既に日は昇り、ラジオ体操やら犬の散歩やらで多くの人々が活動を始めている時間帯である。しかし、その数日後に公園に「朝8時前のスポーツ練習は禁止!」と張り紙がされていた。確かに、公園には「“早朝”の利用は控えるように」と書かれているが、その「早朝」の定義が正確になされていないため、その人は一方的に「私にとっての早朝は朝8時前!」という主張をしたのだと思う。当然ながら匿名なので、その人と話をすることも出来ない。私の個人的な感想は、真夏の6時半であればラジオのボリュームを上げてラジオ体操をしている人々も大勢いるのに、何故、スポーツ練習は駄目なのだと聞きたいところだ。勿論、子供達が賑やかに遊ぶ公園はどれなりに雑音レベルは高いだろうし、ボールをネットにぶつけて不要な騒音を立てる聞き分けのない子どももいるのだろうから、感情論的には分からなくもない。だから、一方的に自分の意見を主張する気もなく、相手の言い分を聞いて妥協点を探せればと思っていた。例えば、「せめて朝7時までは控えてくれ!」と言われれば、ご飯と練習の順番を入れ替えたりすれば会社への出社前に子どもと20~30分ぐらいの練習時間を確保できる。しかし、「私が会社に出かけた後にしてくれ」とか「朝8時過ぎまでは練習NG」となるとそうは行かないから、これは「練習など許さん!」という声に等しく聞こえる。昔であれば、スポ根ものの漫画が溢れ、スポーツに朝から取り組む子どもを見れば微笑ましく感じられたものだが、今ではそうはいかないらしい。

これは、東日本大震災の震災瓦礫の処分問題も全く同様だろう。東日本大震災から復旧できずに困っている人を見れば同情はするが、自然界には放っておいてもそこら中に存在する放射性物質には目を瞑り、ほんの僅かに放射線量が高いであろう地域の震災瓦礫を受け入れることは拒否する。これら一連の議論の中心は、「言ったモン勝ち」「権利は主張しなければ損!」「義務なんて糞食らえ!」という発想がある。この手の議論のややこしいのは、通常は相互に依存しあえばある利益を得るためには別の何かを諦めなければならないという対立する利益とリスクのバランスの調整で話がまとまるはずだが、ある視点に限定した場合には自らが失うものが何もないという状況があり得る訳で、その際にはこの利益とリスクのバランスが一方的に崩れてしまうのである。震災瓦礫の問題では、放射線の危険性は理解はできるが、例えば自動車事故の危険性は毎年5千人以上の死者を出しても誰も気にしない。交通事故の死者とは事故から24時間以内に死亡した者という定義だそうだから、実際に事故を原因とする死者ないしは重度の後遺症を伴う人はそれよりも更に多いのだろう。先日の中央道の事故にしても、類似の危険な状態のトンネルは全国に多くあるはずだから、危険性を気にするなら即時にそれらのトンネルを通行禁止にして、その安全確認と真の意味で安全な構造への造り変えを半年程度かけて行うのが筋である。しかし、その様な車にまつわる危険性を指摘する声が震災瓦礫の様に一般市民から上がることはない。それは、車の危険性に対しては、「じゃあ、これから車の使用は全員禁止!」ということになると自分が困るからである。失うものがあると、途端に口が重くなり、利益とリスクのバランスは取り易くなり、落としどころが探せるようになる。

先程の某漫画家が飛行機内で泣く子にクレームをつけた件では、この漫画家は「小さな子供を飛行機に乗せてはいけない!」、「仮に乗せるなら、防音性の高い個室などの設備をつけて高い金を払ってそこに乗ってもらえば良い!」という様なことを飛行機会社に主張したそうだが、今後、子供を産んで自分がそのルールで泣きを見る可能性がないから、利益とリスクのバランスを取る必要がなく、好きなことを言えるのである。しかし、昔であれば、自分が直接迷惑をかけていない人から何らかの迷惑(例えば、赤ちゃんの泣き声や震災瓦礫の受け入れ)を受けそうになっても、「お互い様!」と言って許しあえたはずである。これは、「いつかは自分も他人に迷惑をかけるかも知れない」という想像力の問題なのだが、想像力のない人に何を言っても無意味である。しかし、「お互い様!」と言って柔軟に物事を進める社会と、言ったモン勝ちでクレームをつけられたら素直に引き下がるという社会では、どちらが住みやすいうかといえば勿論前者である。

AERAの記事のニュアンスとしては、ドイツの様に法律で明確な規定をするのは狩猟民族には適するが、農耕民族の日本ではもっと和を大切にするアプローチが有効で、立法での対応には後ろ向きのようである。ただ、それが立法で対応するか否かは別として、「国は誰の側に寄り添って誰をサポートしたいのか」を明確に宣言し、その情報を強く発信する必要があるのだと思う。変な話ではあるが、日本人の夫婦の多くは、旦那さんが奥さんに「愛しているよ!」と声かけたりすることは少ない。欧米であれば、事あるごとに「I love you!」と声をかけあうのが常識である。日本人から見れば少々気持ち悪くもあるが、多民族国家であれば日本のような「言わなくても通じ合える」という文化ではなく、「ちゃんと言わないと通じない」ないしは「言うべきことをちゃんと伝える」という風にして常に気持ちを確かめ合う必要があるのである。しかし、私の理想は年取って死にゆく時に、夫婦で手を取りあって「愛しているよ!」と言い合えるような関係である。だから、国家が「子供は将来への希望、だから社会で支えあって育てていく!」というスタンスをより明確に国民に示すべきだと思う。東日本大震災のあとTVではACジャパン(昔の「公共広告機構」)の広告が話題になったが、あの様な形のCMを政府がお金を出して行うことも第1歩だろう。「子供が人様に迷惑をかけないようにするのは親の責任。でも、子供達がすくすく育つ様に見守るのは日本国民全員の責任。誰もが許し会える社会を実現しよう!」という様なCMや、「東日本大震災からの復興は日本自身の復興につながる。そのために日本全国の国民が協力して、1日も早い復興を実現しよう!(震災瓦礫の受け入れにご協力を!」と言うようなCMをTVで流したりするところから始めても良い。

そろそろ「言わなくても分かり合える」という幻想を卒業すべきだと思う。最終的には立法も必要だとは思うが、この選挙が終わった後の政権では、この様な基本的なことに対しても、国民に強くメッセージを発信して欲しい。

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色々と証拠が集まってきた!

2012-12-06 23:15:12 | 政治
若干ではあるが、昨日のブログへの補足を書かせていただく。
日本未来の党の比例区の候補者名簿の提出の遅れの件であるが、下記のサイトでFNNのニュースを動画で見ることが出来る。

FNNニュース(2012年12月5日) 「衆院選 日本未来の党、比例名簿提出めぐり驚きのドタバタ劇

これを見れば、森裕子副代表が総務省の担当者に手を合わせて懇願している写真が紹介されていた。如何にもお目こぼしを求めるような姿である。さらに、下記の記事にによれば、東北、中国、四国各比例代表ブロックの名簿が発見された際の経緯が詳細に書かれている・

Yahoo!ニュース(産経新聞 2012年12月6日)「日本未来の党、疑惑の5時間半…比例名簿なぜ手書き
「(・・・前略・・・)名簿提出をめぐり総務省幹部と押し問答を続けていた未来の森裕子副代表が同党関係者の女性に耳打ちした後、突然、大声を張り上げた。
『こういうものは早く出さないと。あったあ!よかったわねえ』
それまで見つからなかった東北、中国、四国各比例代表ブロック名簿の「発見」を、報道陣にアピールする意図が見え見えだった。」

この記事によれば、「こういうものは早く出さないと」との発言であるから、当初の提出書類には肝心の名簿が含まれていないことが証明された形である。さらに別の記事によれば、総務省職員が「午後5時になりました。受け付け会場を閉鎖します」と言った後に扉を閉めようとして、その扉を閉めている間に日本未来の党の関係者が滑り込んだとされている。つまり、扉を占められる前には滑り込むことはできたが、その滑り込みは5時を過ぎてからであり、同時に書類の提出が5時以降であることが証明されたことになる。これらの一連の行動は、多くの報道関係者の監視の元で行われており、多くの報道関係者の証言を集めれば十分に証拠能力があるものと思われる。

また、提出された名簿が手書きだったことは報道の通りだが、実は罫線までが手書きになっており、規定のフォーマットを使った提出ではなかったことも明らかになった。つまり、これはインターネットにつながったPCからであればその電子フォーマットを何処からでも入手可能であるだろうし、誰かが作成したものをメール等で受け取ることも出来る。裏を返せば、この手書きでの提出と言うことはインターネットにつながったPCのない場所、ないしは印刷のためのプリンターがない場所で作成された書類であることの証明でもある。名簿順位の変更なら、殆ど全ての情報は元の名簿の電子ファイル内に記されているから、それをコピペするだけで短時間に作業を終えることが出来る。常識的には切羽詰った状態であれば手分けして、誰かが電子的にそのファイルを作成し、そのファイルを総務省近くにいる関係者にメールないしFaxで送り、そのファイルを受け取った人が何処かでプリントアウトして提出するというのが流れであろう。例えばFaxであればコンビニでも最近は受け取れるから、Faxを受信して、それをコピーしたものを提出すれば手書きなどということにはならない。同様に、PCからUSBメモリやSDカードにコピーしたものをコンビニでプリントアウトすることも可能だそうだ。この選挙名簿の提出場所が何処であったのかは知らないが、官庁の建物の地下などには通常はコンビニが入っていて、多分、そこでプリントアウトすることは出来たはずである。にもかかわらず、彼らは手書きで作成してそれを提出することになった。なおメールでもFaxの場合でも同様であるが、これらの手段を用いる場合の共通の特徴は、それらの作業の行われたタイムスタンプが履歴として残るということである。別にそれが何を意味するかはここでは言及しないが・・・。

なお、このドタバタ劇の発端は、日本未来の党の代表代行の飯田哲也氏が当日の朝になって比例代表の名簿順位を変更しようとし、嘉田代表の承認を取った上で名簿順位の変更を指示したことから始まる。と言うことは、飯田氏は代表代行職にありながら、選挙においては非常に重要な死活問題でもある自分の名簿順位を当日の朝になるまで知らなかったことを意味している。嘉田代表は「小沢さんを使えなくて官僚を使えこなせますか?」と豪語していたが、実際にグリップを効かせて使いこなすことが出来るのか否かはこの辺の事例が大いに参考になりそうな気がする。

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それは明らかに「アウト!」ではないのか?

2012-12-05 21:49:54 | 政治
なんとも驚いた。公職選挙法違反の可能性が非常に高い事態が起きた。あくまでも事実関係を中心に、毎日新聞等の多くの新聞を検索して得た情報をもとに、問題点を以下に整理する。

この問題点とは、衆院選公示日の昨日、日本未来の党が比例名簿の提出に手間取り、締め切り時刻の5時に届出が完了したのかどうかが疑られる事態となったことである。細かな経緯は報道の通りだが、私が問題視しているのは、締め切りの午後5時になり、届け出会場で総務省の担当者が「会場を閉鎖します」と宣言し扉を閉めようとした際、日本未来の党の関係者が割り込むように中に入って書類を提出したという。産経新聞の報道によれば、電波時計を持った記者が時刻を確認したところ、5時を10秒ほど経過したタイミングだったという。常識的に考えて、総務省の担当者が扉を閉めるタイムラグを考えて、その時間分だけ早めに「会場を閉鎖します」と発言する訳はないから、この宣言があった時刻が午後5時ジャストで、扉が閉まる際のタイムラグとして10秒が経過して日本未来の党関係者が滑り込んだというのは客観的な整合性が取れている。つまり、公選法が規定する締め切り時刻を過ぎて書類が持ち込まれた可能性が極めて高く、総務省もこの行動を問題視し、届出の妥当性を協議していたのが事実である。ついでに言えば、法解釈として締め切り時刻の5時というのは、受付会場に入室した時点で5時ならばOKなのか、それとも提出すべき最後の書類が受付担当者の手に渡った時刻が5時でないとアウトなのか、という点も際どい話である。これが確定申告などの国民の利益を優先するサービスや、遅れてもリカバーできるルールがあるサービスの締め切りであれば柔軟な対応も許容できるが、公職選挙法とはそのようなものと一線を画するものだからそう単純ではない。とにかく国会議員というのは国民が従うべき法律を決める人たちだから、最低限、ルールを厳格に守って頂かなくては困るのである。

さらに、この締め切り後に日本未来の党側は「東北、中国、四国ブロックの名簿が見当たらない」と訴え、5時40分ごろに駆けつけた森ゆうこ副代表が険しい表情で名簿の探索に当たったという。ネット上を検索すると、総務省の担当者から森副代表が神妙な顔で説明を聞く横で、状況を聞いている別の日本未来の党関係者の男性が顔をクシャクシャにして手で目を覆いながら泣いている写真が見つかる。しかもこのような写真は他にもあり、総務省の担当者との話し合いの後で、深刻な顔で爪を噛む森副代表の横で泣いている女性の写真もある。見るからに、総務省の担当者からダメ出しを受けて絶体絶命の状況に陥っていたのが伺える。

というのも、当初、提出された書類の中に比例3ブロックの候補者名簿が不足していた他、様々な書類の不備があったそうだが、総務省側の発表によれば、締め切りを1時間半ほど過ぎて、この3ブロックの候補者名簿が見つかったので受付を済ませて審議に入ることになったという。不足していた書類が後から見つかるというのは不自然な話だが、報道によっては「机の下から見つかった」とか、「未来の担当者らが締め切り前に持ち込んだカバンの中などを確認したら名簿が出てきた」という話が乱れ飛んでいる。ここには、5時40分に総務省にごり押しして駆け込んだ森副代表がいた訳だし、最終的に受理された候補者名簿が手書きだったというのも新聞上で話題となっている。今時のご時世で、手書きの書類が提出されるということが意味するものは何なのか?ここで何かがあったのではないかとの疑惑もあるのだが、仮に森副代表が違反となるような行為をしていなくても「未来の担当者らが締め切り前に持ち込んだカバンの中などを確認したら名簿が出てきた」が事実だとすると大問題である。と言うのは、通常は書類一式を提出して受付を済ませたら、その受付を済ませた書類までが提出を受理された書類であるべきであり、極端な話、その場を一旦離れた後で不備を指摘された際に、「実はあの時持ち込んでいたかばんの中にあった」といって書類の受理を求めたら、それは完全にアウトのはずである。この意味でも、5時時点で提出済みの書類のみを審査対象としたのか、それともその時点では提出されていなかった書類まで含めて審査を行ったのかは、今後調査を行えば明確になるはずである。

そもそも、総務省からは公示日当日の提出でのトラブルを避けるため、前日までの事前審査が推奨されているが、日本未来の党からは事前審査の申請がなかった。新聞報道によれば、日本未来の党の担当者が午前9時半ごろ、いったん比例名簿を中央選挙管理会に持参したが、党幹部から急きょ「比例名簿の順位を入れ替えるからそのまま持ち帰るように」との指示があり持ち帰ったそうである。その背景に何があったかはここでは触れないが、とてもではないが申請書類の受理のデッドラインを緩和すべき情状酌量の余地のある理由でないことは明らかである。

その後、午後4時以降になってブロックごとに申請書類が持ち込まれたそうだが、嘉田代表は比例区の名簿提出の前に街頭演説で「比例は未来に!」と呼びかけたそうである。これは、届出前の選挙運動という位置付けになるそうで、こちらも公職選挙法に抵触する行為かも知れない。

まあ色々あるのだが、この衆院選の終了後に幾つかの裁判が行われることは容易に予想される。これは公約以前の問題であり、くれぐれもルールの遵守だけはお願いしたいものである。

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原発問題の論点を整理してみた!

2012-12-04 23:51:59 | 政治
衆院選の公示により、特定政党を非難したり逆に推薦したりする行為が規制されるため、今朝からテレビ局では純粋な個別の政策についての議論に移行し始めた。私はデフレ脱却への経済政策が今の非本において最大の課題となるべきかと思うが、やはりTVウケするのはエネルギー政策のようで、今日見たフジテレビのとくダネでは原子力政策を扱っていた。そこで、自分なりに原子力政策の論点を整理してみたい。

(1) 使用済み核燃料の扱い
ここでの使用済み核燃料の扱いとは、単に長期的な視点での核燃料の最終処分先のことを意味していない。多分、最近の動向を見ている限り、爆発の危険性が皆無の少し放射性レベルが高い廃棄物の最終処分ですらすったもんだしているのだから、使用済み核燃料棒の処分について10年程度の期間で処分の道筋が確立できる可能性は皆無だろう。この点は多分、多くの人が共有できる認識だと思う。だから、多くの原発では核燃料プールに使用済み核燃料を保管しているし、加えて核燃料の再処理名目で青森県の六ヶ所村に運び込まれている。この六ヶ所村での核燃料の保管は再処理が前提であるから、再処理の打ち切りと共に保管の必然性がなくなり、その場合には即座に全国の原発に返却されることになっている。実際、政府が脱原発の閣議決定を行おうとした際に、青森県側から返却の申し入れがあったとも聞く。しかし、既に各原発の使用済み核燃料棒も保管用のプールが満杯に近く、新たな保管用のプールの建設を行わなければ受け入れできない原発も多いだろう。色々検索してみると、下記の資料などを見ると、六ケ所村での貯蔵量が2900トン、全国の原発で収容可能な管理余裕は6340トン(全体の容量は20630トン)である。

経済産業省 資源エネルギー庁
第33回基本問題委員会 配付資料 資料4「原子力政策の課題」(事務局提出資料)

かろうじて総量的には六ケ所村の核燃料をすべて返却しても、全国で分担すればマイナスにはならないが、福島第1原発の2100トンは別の場所に移動しなければならないから別枠とすべきであり、実質的には殆ど余裕はない(総量17190トンに対し、余力1340トンと7.8%に過ぎない)。これは意外にも深刻で、最近も敦賀原発の活断層は大飯原発とは比べ物にならないほど危険性高いことが指摘されたが、この様な活断層のある場所では核燃料プールでの燃料棒の保管自体も危険である。これは、福島第1原発の4号機は原発が停止中であったのに爆発までしているのだから明らかである。だとすれば、この様な危険な場所を避けて安全と思われる場所を探して、そこに核燃料棒を集約して集中的に管理しなければならないが、そのためには新たな燃料プールを建設して保管を行うことになる。しかし、安全や危険というのは相対的であり、もともと福島第一原発は地震のリスクがゼロと評価されていた場所である。とてもではないが、原発稼動に伴う見返りで現状維持を行うのが限界で、六ヶ所村からの返却にしても、ましてや他の危険な原発の核燃料棒の持込にしても、その地域では猛反発が起きて自治体の首長が首を縦に振るはずがない。

この状況は、実は普天間飛行場の問題に極めて類似している。一旦寝た子を起こしてしまったら、そのままの状態が続くことが最悪と分かっていても、実現不可能なベストな選択肢を誰もが譲らなくなり、実現可能なベターな選択肢を許容できなくなってしまう。もし、上述の問題を解決できるのであれば、普天間の固定化という問題も簡単に出来るだろう。しかし、普天間問題がデッドロックに陥っているのと同様に、使用済み核燃料棒の問題も10年程度のスパンで解決できるとはとても思えない。
この使用済み核燃料棒の問題は脱原発の入り口の議論であるから、これが解決できなければ出口の議論も同様に絵に描いた餅である。

(2) プルトニウムの処分について
福島第一原発の3号機ではプルトニウムを含むMOX燃料を用いて発電を行っていた。このように言われるとプルトニウムの保持が当たり前のように感じられるが、核拡散防止条約(NTP)に加盟しながら原発に転用可能なプルトニウムが保管することが許容されている非核国は日本だけで、これは極めて特例的な扱いである。核燃料サイクル構想で生じたプルトニウムは、既に日本には膨大な量が保管されている。さらに言えば、英、仏に対しても使用済み核燃料から取り出したプルトニウムをMOX燃料に加工する処理を委託しており、下記の資料を見ると実は海外保管分の方が約3.7倍と多い。

平成24年9月11日 第39回原子力委員会定例会議 資料第2号

建前上は再処理を前提にプルトニウムを保有しているわけだし、英仏が保管しているのもMOX燃料への加工が前提だから、原発ゼロとなれば当然ながらこれらを英仏は一気に返却してくるだろう。しかし、福島第1原発の3号機ではほんの僅かなプルトニウムの飛散だけでも他の放射性物質とは比較にならないほど大騒ぎをしたのだから、このプルトニウムを受け入れる先など国内にはないだろう。これは上述の核燃料棒の保管以上に深刻で且つデッドラインの切られた問題である。このデッドラインとは英仏からの返却に加えて、もうひとつの問題もある。日米間では「日米原子力協定」が結ばれているが、下記のページにそれに関連した問題が整理されている。

公益財団法人 日本国際問題研究所「満期が近づく日米原子力協定の今後

要は、本来はプルトニウムを個別詳細に管理しなければならないところ、1988年に同意したこの協定の中では、包括事前同意方式を導入して半ば日本側の裁量で柔軟に運用できる道を確保したのである。この協定の効力は30年で、6年後の2018年には更改をする必要がある。先ほども書いたようにNPT下の非核国で日本だけが持つ核燃料サイクルの特権は、韓国も同様に狙っており、こちらは2014年の更改で確保するよう動いているが、ただでさえ不安定な朝鮮半島を刺激しないためにも、この核拡散防止に厳格な運用が求められる傾向は続くだろう。少なくともアメリカにとってはこれは安全保障上の問題であり、日本が原発ゼロを目指し核燃料サイクルを断念すれば、この協定は更改などできるはずもなく、少なくとも2018年までに貯めに貯め込んだプルトニウムの処分が余儀なくされる。つまり、仮に奇特な自治体がプルトニウムの受け入れを許容したとしても、その保管自体が国際的には許されない状況となり、短期的な処分が求められる。客観的に見れば、この時間スケールでプルトニウムの最終処分など不可能なのは明らかである。であれば対処可能な選択肢は、原発依存度は下げるが原発をある程度の期間は維持し、そのための核燃料サイクルを継続する政策を維持することで、次の30年?という時間を稼ぐことぐらいしか見当たらない。脱原発を実現するには(1)の問題に加えて、少なくともこの問題の答えを提示する必要がある。

(3) 再生可能エネルギーへのシフトに伴う国民負担
再生可能エネルギーへのシフトは、おそらく全ての政党が共通に賛同する部分であろう。この技術革新は次なる産業を育て、将来的な持続可能な発展の鍵を握るのは間違いない。しかし、これに伴う痛みは無視することが出来ない。今朝のとくダネでも取り上げていたが、フランスとドイツの平均的な一般家庭の電気料金は約4倍である。具体的にはフランスでは4400円であるが、ドイツでは17500円である。日本での電気料金の試算でも14000円から20000円程度の間とされていたが、EUよりもLNGの買い取り価格が高く、これまでも総括原価方式が採用されていたようにただでさえ割高な日本という国で、ドイツよりも割安で抑えられるという期待はできない。ましてやドイツでは、現時点で原発が8基ほど稼働中であり、再生可能エネルギーの比率も現時点で20%にも満たない状況で、今後、原発の稼動停止と比率の増加に伴いますます価格は上昇することになる。結局、ドイツでは先日、高価な電力の買取を諦める方向で舵を切り出した。
しかし、日本国内では絶対儲かるという政府のお墨付きだから参入した事業者が多い中で、この買取価格を引き下げたらその事業者は赤字を出しかねない。細かな契約書がどうなっているかは分からないが、仮に裁判沙汰になって事業者が勝つことになれば、その赤字の補填を国が税金でおこなうことになる。一旦設置してしまえば継続的にお金を生み出す「打ち出の小槌」の様なシステムで儲ける人がいる一方、国民はその高い電気料金で苦しまなければならない。ドイツですら挫折したのに、日本がその痛みに耐えられるかと言えば、まだそれだけの覚悟があるようには私には見えない。

(4) 地球温暖化への対応
かって鳩山政権では、地球温暖化防止への取り組みとして、2020年までに1990年比で25%削減すると宣言した。条件付の公約だから条件が満たされなければ約束はチャラでも言い訳はできるが、国際的な信用が失われることは間違いない。そもそも、原発依存度を53%まで高めて乗り切ろうと言う政策だから、原発ゼロとなれば不可能な話である。しかし、異常気象は年々厳しい状況で、少なくとも2020年時点では火力発電のウエイトが大幅に上昇したままであることは確実だから、その場合の二酸化炭素の排出量は当初の目論見とはかけ離れて、大幅に増加している可能性がある。この辺は幾つかの条件を設定すれば簡単に見積もりを出せるのだろうが、かなりの確率で削減どころか増加した状態が継続していることになるのではないかと危惧している。脱原発をするから温暖化防止には後ろ向きでよいという話ではないから、25%削減とは行かなくてもせめて10%削減程度の目標達成を期待したいところだが、原発ゼロでどの程度のレベルを達成可能であるのかは明確にした上での議論が求められる。

(5) 経済へのインパクト
上記の(3)でも書いた様に、脱原発にはお金がかかるという現状がある。電気料金の上昇は産業界での製造コスト上昇に直結し、デフレ下で不景気に喘ぐ企業の体力をさらにそぎ落とすことになる。更には、電力使用制限令などで自由に電気を使えないとなると、計画的な生産も行えなくなる。多くの企業が安くて潤沢な電力を求めて海外に生産拠点を移すことを模索している中、今後の継続的な原発稼動停止は産業の空洞化につながる。これは雇用の損失につながり、失業者が増えてさらに景気を悪化させる引き金になる。ただでさえ20年にも渡るデフレ不況で苦しむ現状で、国内の雇用を更に失うリスクは致命的である。再生可能エネルギーの開発が新たな産業を育成し雇用を生み出す可能性はあるが、海外の安い太陽光パネルを利用した発電などでは国内の雇用や内需の喚起にはつながらない。全てのつじつまを合わせ、整合性が取れた計画の構築は不可欠である。行き当たりばったりでは日本は沈没する。

(6) 資源の安定供給
LNGなどは戦略物資であり、昨年の尖閣漁船衝突事件の後にレアアースを中国が禁輸しただけで日本は右往左往して何をされても何もできなかった。ロシアや中国などから天然ガスをパイプラインで輸入しても、その比率は有事の際には他国に切り替えることが可能な範囲でなければならない。最近は日本が輸入するLNGの単価が高いと指摘されるが、確実に安定供給ができるルートの確保のためには、値段の高い、安いに関係なく確実に安定量を取引してくれる国との信頼関係を築き上げなければならない。原発依存度が急激に下がった時にLNGを必要量確保できるかどうかが話題になったが、それでも確保できた背景にはこの様な安定的な条件での取引が背景にあったのであろう。アメリカのシェールガスにしても、アメリカ政府はFTA非締結国以外の国には天然ガスの輸出を許可していないので、これを期待するのであれば最低でもTPP参加に賛成でないと整合性は取れない。理想的なのはメタンハイドレートの開発であり、この開発が完了して安定供給ができるようになるまでの時間スケールでのLNGの安定供給を如何に確保するかは大きな課題である。

(7) 今後の技術者の育成
これは脱原発でなくても頭の痛い話で、福島第一原発の事故以来、大学の原子力工学を志望する学生は減少傾向にあるという。誰の目にも原子力にバラ色の未来を描くことはできず、廃炉ビジネスは大きな需要として期待できるにしても、廃炉が完了したらそれ以降は仕事がない。しかし、この様な技術者は廃炉や最終処分などのためには必要であり、これらの技術者の技術レベルが原発依存度を下げる生命線である。学生が希望を描けるシナリオを提示できることが求められるが、脱原発の傾向が強ければ強いほど技術者の確保は困難となり、大きなジレンマとなる。

以上が私の整理する論点である。専門家から見ればもっと奥深い細かな課題もあるのだろうが主要なところは概ねカバーできているだろう。これらの論点に照らし合わせた際の各党の採点は各自に任せるが、高得点が取れそうな党を本当に見つけることはできるのだろうか?

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