最近、元総理や与党幹事長だった過去の政治家が次々と中国に招待され、かの国に政治利用されようとしている。今日はこの問題にコメントしたい。
多分彼らの言い分は、日中関係が拗れた時のパイプがないのは日本にとって致命的だから、そのパイプ役に私がなりましょう…と言いたいのであろう。それにより、国内での自らの政治的なポジションを高めようという下心があるのは言うまでもない。その下心は横に置いておくとして、国益のために有益であるのであればそれを評価するのは吝かではないが、実際のところはどうなのかを彼らには是非とも考えて欲しい。
話を少し逸らせて関係ない例え話をしてみよう。映画やドラマの中で、拳銃を持った二人の人物がお互いに銃口を向け合い、片方が引き金を引けば他方も引き金を引いて両者が即死するのは免れない状況で、それぞれが本音で語り合うシーンを時々見かける。両者が命(国の場合は国益)をかけて真剣勝負で向き合う時、両者がお互いの言い分を言い合い、双方の溝は埋まらないまでも次への展開を感じさせる何かがそこに芽生えたりする。一方、片方が拳銃を突きつけ他方が丸腰で絶体絶命の立場にあるときはどうだろうか?その登場人物がドラマの主役であればお話として対話が成り立つ場合があるが、それが脇役であれば何を言っても相手にされることはない。ため口を叩こうものなら、虫けらの様に殺されるのが関の山だ。
先ほどの話に戻れば、中国、韓国、ロシア、イランなどの国々とのパイプを築くのであれば、一方的に相手が優位な立場にある中で「ご機嫌取り」的な立場で乗り込んで、真の意味で有益なパイプとなる関係を構築することなど出来るはずがない。極端な話、双方の肩書がアンバランスであったとしても、相手の喉元に短刀を突きつけ、こちらは真剣なんだと迫り、相手も同様に真剣にこちらに向き合う関係を作ってこそ、初めてパイプとしての機能が実現される。過去を振り返れば、小泉元総理は靖国参拝などで拗れた中国関係に対し、会いたくなければ会う必要などないと自ら首脳外交を模索せず突っぱねたところ、先方の中国からは是非とも首脳会談を開きましょうと持ちかけられた。小泉元総理が北朝鮮を電撃訪問した際には、金正日と会いながらも一度たりとも笑顔を見せることはなかった。国益と国益がぶつかる外交というものは真剣勝負なのだということを態度で示し、その結果築き上げられる信頼関係がその後の有益な対話につながる。一方的に相手に媚びへつらう外交は外交ではない。要人とニコニコ握手することは目的でも手段でもない。その様なことは全く不要なのである。しかし、何故か日本国内ではニコニコして握手することが目的かのような扱いが多い。外務官僚などは、その様な雰囲気の上に胡坐をかいて、その先にある国益に繋げる何かを模索しようとしない。ニコニコ握手をすれば次に繋がると信じ、そこで満足しているのである。それを疑わないマスコミにも大いに問題がある。
実際、民主党政権下では何百人もの議員団を引き連れ中国に対して朝貢外交を行った。その議員団を率いた小沢一郎氏は、尖閣漁船衝突事件の際にも尖閣国有化の際にも、全く何もすることが出来ず、築いたはずのパイプが単なる張りボテのお飾りのパイプでしかないことを世に知らしめた。天皇陛下まで自らの権威を誇示するために利用しておきながら、ひとたび事が起きた際には全く何も出来なかったという事実は消し去れない。つまり、少なくとも中国、韓国を相手にするのであれば、相手が嫌がることもズバリと言い合い、相手に悪意があることを前提としても、何らかの建設的な前進につなげられる様な何かを双方で見つけられる、その様な信頼関係を築かなければ全く意味がないのである。例えば、尖閣問題の棚上げ論議に関しては、仮に一万歩譲って棚上げするというならば双方はその当時の立ち位置に留まり、抜け駆けしてゲインを得ようとする行為は慎まなければならない。しかし、国内では反日教育を徹底し、反日世論に火をつけ、自国の領土だと新たな法整備まで行っている。両者が尖閣周辺に立ち入らないように自粛するならともかく、大量の漁民が漁に出ることを容認するにとどまらず、あたかも扇動的にそれを推奨しているかの様なありさまだ。にもかかわらず、元々、所有権を有している地権者が存在しているのに、その所有権の移転だけで一方的に非難している。あまりにアンバランスな一方的な言い分であり、せめてその問題の是正を求めることぐらいは言わなければならない。日本の戦争責任に言及するなら、南京大虐殺の30万というあまりに桁外れの事実とかけ離れた一方的な言い分は、双方の歩み寄りを阻害するものになる。証拠に基づき被害者の人数を絞り込み、且つ、その被害者の位置づけがどのようなものであるのかも明確にすべきである。それが国際法的にゲリラ・テロリストと等価とみなされる戦闘服を着用しない非正規戦闘員までを含むのか、敵前逃亡を図ろうとした兵士を中国兵が銃撃した際の死者などまで含むのか、南京以外の中国各地での死者までを含むのかなど、本当はどのぐらい酷かったのかを証拠に基づいて明らかにする気持ちが双方にあるならば、多分、信頼関係を築き上げて問題解決の道を探ることは不可能ではないだろう。
最初の話題に戻れば、鳩山元総理、村山元総理、加藤元幹事長などは、その様な相手の喉元に短刀を突きつけるような覚悟で、真剣に両国の国益に資する成果を上げるつもりで臨んでいるようには思えない。村山元総理、加藤元幹事長などは、鳩山元総理の様なあまりにも中国に媚びたような国益を損なう発言をしていない様だが、鳩山元総理に至っては総理として国民に迷惑をかけ、総理を辞して一議員となった後も迷惑をかけ、さらに議員を引退した後も引き続き国民に迷惑をかけ続けている。あまりに素人過ぎる。
そろそろ、笑顔で握手することを目的とする外交は卒業すべきと、国民が認識すべき時ではないか。
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多分彼らの言い分は、日中関係が拗れた時のパイプがないのは日本にとって致命的だから、そのパイプ役に私がなりましょう…と言いたいのであろう。それにより、国内での自らの政治的なポジションを高めようという下心があるのは言うまでもない。その下心は横に置いておくとして、国益のために有益であるのであればそれを評価するのは吝かではないが、実際のところはどうなのかを彼らには是非とも考えて欲しい。
話を少し逸らせて関係ない例え話をしてみよう。映画やドラマの中で、拳銃を持った二人の人物がお互いに銃口を向け合い、片方が引き金を引けば他方も引き金を引いて両者が即死するのは免れない状況で、それぞれが本音で語り合うシーンを時々見かける。両者が命(国の場合は国益)をかけて真剣勝負で向き合う時、両者がお互いの言い分を言い合い、双方の溝は埋まらないまでも次への展開を感じさせる何かがそこに芽生えたりする。一方、片方が拳銃を突きつけ他方が丸腰で絶体絶命の立場にあるときはどうだろうか?その登場人物がドラマの主役であればお話として対話が成り立つ場合があるが、それが脇役であれば何を言っても相手にされることはない。ため口を叩こうものなら、虫けらの様に殺されるのが関の山だ。
先ほどの話に戻れば、中国、韓国、ロシア、イランなどの国々とのパイプを築くのであれば、一方的に相手が優位な立場にある中で「ご機嫌取り」的な立場で乗り込んで、真の意味で有益なパイプとなる関係を構築することなど出来るはずがない。極端な話、双方の肩書がアンバランスであったとしても、相手の喉元に短刀を突きつけ、こちらは真剣なんだと迫り、相手も同様に真剣にこちらに向き合う関係を作ってこそ、初めてパイプとしての機能が実現される。過去を振り返れば、小泉元総理は靖国参拝などで拗れた中国関係に対し、会いたくなければ会う必要などないと自ら首脳外交を模索せず突っぱねたところ、先方の中国からは是非とも首脳会談を開きましょうと持ちかけられた。小泉元総理が北朝鮮を電撃訪問した際には、金正日と会いながらも一度たりとも笑顔を見せることはなかった。国益と国益がぶつかる外交というものは真剣勝負なのだということを態度で示し、その結果築き上げられる信頼関係がその後の有益な対話につながる。一方的に相手に媚びへつらう外交は外交ではない。要人とニコニコ握手することは目的でも手段でもない。その様なことは全く不要なのである。しかし、何故か日本国内ではニコニコして握手することが目的かのような扱いが多い。外務官僚などは、その様な雰囲気の上に胡坐をかいて、その先にある国益に繋げる何かを模索しようとしない。ニコニコ握手をすれば次に繋がると信じ、そこで満足しているのである。それを疑わないマスコミにも大いに問題がある。
実際、民主党政権下では何百人もの議員団を引き連れ中国に対して朝貢外交を行った。その議員団を率いた小沢一郎氏は、尖閣漁船衝突事件の際にも尖閣国有化の際にも、全く何もすることが出来ず、築いたはずのパイプが単なる張りボテのお飾りのパイプでしかないことを世に知らしめた。天皇陛下まで自らの権威を誇示するために利用しておきながら、ひとたび事が起きた際には全く何も出来なかったという事実は消し去れない。つまり、少なくとも中国、韓国を相手にするのであれば、相手が嫌がることもズバリと言い合い、相手に悪意があることを前提としても、何らかの建設的な前進につなげられる様な何かを双方で見つけられる、その様な信頼関係を築かなければ全く意味がないのである。例えば、尖閣問題の棚上げ論議に関しては、仮に一万歩譲って棚上げするというならば双方はその当時の立ち位置に留まり、抜け駆けしてゲインを得ようとする行為は慎まなければならない。しかし、国内では反日教育を徹底し、反日世論に火をつけ、自国の領土だと新たな法整備まで行っている。両者が尖閣周辺に立ち入らないように自粛するならともかく、大量の漁民が漁に出ることを容認するにとどまらず、あたかも扇動的にそれを推奨しているかの様なありさまだ。にもかかわらず、元々、所有権を有している地権者が存在しているのに、その所有権の移転だけで一方的に非難している。あまりにアンバランスな一方的な言い分であり、せめてその問題の是正を求めることぐらいは言わなければならない。日本の戦争責任に言及するなら、南京大虐殺の30万というあまりに桁外れの事実とかけ離れた一方的な言い分は、双方の歩み寄りを阻害するものになる。証拠に基づき被害者の人数を絞り込み、且つ、その被害者の位置づけがどのようなものであるのかも明確にすべきである。それが国際法的にゲリラ・テロリストと等価とみなされる戦闘服を着用しない非正規戦闘員までを含むのか、敵前逃亡を図ろうとした兵士を中国兵が銃撃した際の死者などまで含むのか、南京以外の中国各地での死者までを含むのかなど、本当はどのぐらい酷かったのかを証拠に基づいて明らかにする気持ちが双方にあるならば、多分、信頼関係を築き上げて問題解決の道を探ることは不可能ではないだろう。
最初の話題に戻れば、鳩山元総理、村山元総理、加藤元幹事長などは、その様な相手の喉元に短刀を突きつけるような覚悟で、真剣に両国の国益に資する成果を上げるつもりで臨んでいるようには思えない。村山元総理、加藤元幹事長などは、鳩山元総理の様なあまりにも中国に媚びたような国益を損なう発言をしていない様だが、鳩山元総理に至っては総理として国民に迷惑をかけ、総理を辞して一議員となった後も迷惑をかけ、さらに議員を引退した後も引き続き国民に迷惑をかけ続けている。あまりに素人過ぎる。
そろそろ、笑顔で握手することを目的とする外交は卒業すべきと、国民が認識すべき時ではないか。
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