けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

新型インフルエンザ特措法の改正に思う

2020-08-10 00:55:34 | 政治
現在、巷では新型インフルエンザ等対策特別措置法(以降、「新型コロナ特措法」と表記する)の改正のために国会を開けという空気が野党とマスメディアの中に蔓延している。今日はこのことにコメントしてみたい。

まず大前提として、新型コロナ特措法に欠陥が多いというのは周知の事実で、安倍総理を含め多くの方々の異論のないところだと思う。例えば、新型コロナ特措法の第45条により休業要請に法的根拠を与えながらも、一方で補償に関する法的根拠がない。休業補償をするなら補償もセットでなければ意味がないので、この部分が問題であるのは自明である。しかし、ではここに補償に関する法的根拠を加えればそれでよいかと言えば、そう簡単ではない。

多分、私が気にしている点はあまり議論になっていないと思うのだが、私の考えは、この新型コロナ特措法は「性善説を前提とするか、性悪説を前提とするか」という点で、その向かうべき方向が大きく異なるのだと思う。多分、性悪説と言ってもピンとこないだろうから、以下に順番に説明をしようと思う。

まず、新型コロナ特措法の第45条の書き出しは「特定都道府県知事は・・・」とあり、全国の都道府県知事などの首長が自粛要請を行うことになっている。これは大雑把に言えば、感染症の深刻度は地域により大きな偏りがあるので、その現場での判断が重要であり、地方分権の名のもとに、内閣総理大臣ではなく首長が主体的に自粛要請を依頼することとなっている。性善説に立てば、良心的な首長は、地域住民のことを第1に総合的な観点から最善の方策を打つことが予想される。しかし、仮に首長がとり得る選択肢が二つあったとして、片方は住民に最大の利益をもたらす一方で次の選挙での再選率を下げるものであり、残りのもう一方は住民を不幸にはするのだが次の選挙で当選する確率が倍増するというものであったとする。これは議論をシンプルにするための仮定だが、この様な状況で迷わず前者を選べる首長はよっぽど選挙に強い方なのだと思う。

ここで、この二つの選択肢はかなり過激な表現を使ったが、分かり易く言えば、「新型コロナによる死者は最小化しなければいけないが、自粛圧力で経済が窒息し、コロナ死者の何倍もの不景気による自殺者を出すことは許されない。両者のバランスを取りながら、少なくともコロナの毒性が目に見えて弱まっている夏の今、このタイミングでは、コロナの感染防止を最大限に注意しながら経済を回すことにも注力したい」という首長と、「(経済が崩壊してもきっと何とかなるだろうから)今は目を瞑って、ひたすら自粛に専念してください。あなたとあなたの大切な人の命を守るためです!」という首長がいたら、マスメディアは後者を絶賛し、全社の首長については「高齢者の命を屁とも思わない、自己中心的な首長」とレッテルを張りこき下ろすことだろう。という以前の問題として、後者の側のスタンスは今のマスコミの主流だから、この様な首長はテレビでひたすら報道されまくる。小池都知事がその最たるものだが、「悪名は無名に勝る」ので、とにかくテレビの出演頻度が高いということは次の選挙での大きなアドバンテージになる。中々、全社の様な発言をしてもテレビに呼ばれることは稀だから、小池都知事や大村愛知県知事の様な輩が次から次へと顔を出す。この様な立場は現在の政府の立場と異なるから、ついでに政府批判をすると、マスメディアは喜んでヨイショをするのである。

さて話を戻すと、この様に全国の都道府県の首長が性悪説の立場に基づいた行動を取ると何が起きるか?もう少し正確に言えば、新型コロナ特措法が改正され休業要請に休業補償がセットされたとすると何が起きるか?答えは簡単である。自粛要請が不要な地域の首長も、片っ端から自粛要請を行い、それに伴う休業補償を大盤振る舞いするのである。

現在、余り声は大きくないが、新型コロナの自粛に伴う給付金受給者の中には不正を働く者もいて、汗水たらして働くより給付金をもらっていた方が楽という方がいるという。ただ、現在はかなり特異な状況なので、本当に必要な人にお金を回すために、多少の不正受給者は目を瞑るというスタンスは悪くない。しかし、自粛要請の権限が都道府県の首長にあり、盲目的に自粛要請をしまくれば、大盤振る舞いで無条件で国からの休業補償がなされるとなれば、自粛の必要などなくても大騒ぎをして無理やり休業要請に繋げようという悪意を持った首長が表れるのは目に見える。しかもその様な人は、次の選挙でも勝ち残る可能性が高くなる。全国、そんな首長だらけになったら・・・と思うとゾッとする。

その様に考えると、新型コロナ特措法の改正をどの様に行うべきかというのは、中々、一筋縄ではいかない。というのも、「性悪説」を唱えようものならマスコミは袋叩きにするだろうから、そもそもの問題点を議論するのがタブー視されている。こんな状況でまともな議論がなされるとは思えない。

繰り返しになるが、新型コロナ特措法には欠陥が多い。しかし、今、その欠陥を是正できる環境ではなく、しかもその様な困った環境を作っているのはスタンドプレーが大好きな全国の首長、野党やマスコミの皆さんなのだ。様々な問題を是々非々で捉えるのではなく、政府を批判できれば何でもアリという色眼鏡が、こんな形で弊害になるとは思ってもみなかった。

世も末である。

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