けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

号泣野々村元県議と集団的自衛権の関係

2014-07-26 23:53:26 | 政治
今日は、最近の報道機関の大好きなネガティブキャンペーンをやっている暇があれば、もっと真面目に取り組むべき問題があるだろうというお話である。

先日、たまたま帰りの車の中で聞いたFMラジオで機密情報保護法に関する話題があり、その番組のコメンテーターは、ついうっかり機密情報を漏えいさせると2年以下の懲役や100万円以下の罰金となることを例に取り上げ、「全く信じられない怖い法律ですね」と論評していた。国家の命運を左右しかねない機密情報を漏えいして2年の懲役が重いという感覚が私には理解できないし、よっぽどのことがない限り普通の機密情報漏えいであれば逮捕できないように法適用のハードルを上げるべきという主張も理解できない。結論としては、彼らは法律を骨抜きにするのが目的で、その骨抜きのために一般国民をミスリードするためのキャンペーンを張っている感じだ。集団的自衛権への反対論者の主張も似たようなもので、集団的自衛権行使のハードルを思い切りあげると共に、行使可能な範囲を滅茶苦茶限定的にしようとする。こちらの方も、多くの報道機関が結託して反政府キャンペーンを大々的にぶち上げ、これまた政権の足を引っ張ろうとしている。

話は少し変わるのだが、中学生になった息子が最近、この手の時事ネタを自宅で冗談で話すようになった。自分から新聞やニュースを見て時事問題を心配するような真面目な性格では決してないので、(日教組系なのかどうか知らないが)学校の先生が中学生を洗脳しようとしている様に見える。「戦争反対!!」みたいなことを言うので、過去の歴史の話をその息子にしてみた。例えば警察予備隊との名称で自衛隊の前身が出来た時、多くの人は「戦争反対!」、「憲法9条を守れ!」と叫んで自衛隊が出来ることを阻止しようとした。しかし、ドラえもんのジャイアンの様な中国が好き放題にやりまくっている現在、その「戦争反対!」の声が通って「のび太にとってのドラえもん」の様な自衛隊が日本になかったとしたら、本当に「戦争に反対したこと」ないしは「戦争を遠ざけたこと」になっていただろうかと聞くと、「そんなことはない。全く逆だね。」との返事が返ってきた。1960年や1970年の日米安保改定の時も、「アメリカ軍が日本に駐留すれば戦争に巻き込まれる!」とか「憲法9条違反だ!」と言いながら「戦争反対!!」と多くの人が唱えていたはずである。しかし、これも自衛隊が弱小だった時代に、ドラえもんに成り得なかった自衛隊の代わりにアメリカ軍がドラえもんになるという話で、「今、日米安保が無かったら、ジャイアンに好き放題やられて、かえって戦争が身近になっていただろうね!」という話で最後は決着した。

先程の話で言えば「戦争反対!」というのは適切ではなく、「戦争をせずに国益、国民の生命財産を守る!」という「目的」が本当は第1にあり、その目的自体は集団的自衛権推進論者でも反対論者でも共通の認識を持っており、その実現のための「手段」が違うだけなのだが、ネガティブキャンペーンというのは「相手の本来の目的を、あたかも真逆の目的であるかのように、国民をミスリードする」ことを狙う奇襲戦法である。やっていることは極めて卑怯なことなのだが、イデオロギーというのは宗教的で、中国の「愛国無罪!」と同様で、法に触れる犯罪行為も自らの信じる宗教の理念に沿った結果をもたらすなら、それは咎められることではなく「神は許す!」と勝手に決めてしまうのである。盲目的に信じる神の様な存在、ないしは誤った絶対真理が根底にあると、論理的な議論が成り立たない。卑怯な相手も卑怯との自覚がないのでタチが悪い。

面白いと言っては不謹慎だが、最近、安倍政権の内閣支持率が低下し、不支持が支持を上まる状況になった。最近、安倍政権が支持率を低下させるようなミスはほとんど犯していないので、この支持率低下の理由は明らかで、集団的自衛権の閣議決定に関連した朝日新聞、毎日新聞、東京新聞などの報道機関のネガティブキャンペーンがボディブローの様に効き始めたという状況だろう。これらの報道機関からすれば「してやったり!」というところだろうが、本当にその様なノー天気さで良いのだろうか?

ひとつ比較のために例を出してみたい。危険運転致死傷罪では、最大で20年までの懲役を罰する非常に重たい法律だから、その適用は厳密に制限されている。危険運転致死傷罪は適用対象になる行為は下記の4点であるが、「これだけは許せない!」とだれもが思うような多くのケースにおいて、実際には適用できていない。

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1:アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させる行為
2:進行を制御することが困難な高速度で、又は進行を制御する技能を有しないで自動車を走行させる行為
3:人又は車の通行を妨害する目的で、通行中の人又は車に著しく接近し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転する行為
4:赤色信号又はこれに相当する信号を殊更に無視し、かつ重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転する行為(以上、原文まま)
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例えば、数年前の京都であった事故では、無免許の無謀運転であったのだが、「進行を制御する技能を有しないで自動車を走行させる行為」とは、仮に無免許であっても無免許運転を繰り返している間に運転の技能を身に着けてしまうと、危険運転致死傷罪には適用できなくなってしまう。飲酒運転にしても、事故の際に直ぐに警察を呼んで正しい対処をしてしまうと「アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態」であることが立証出来てしまうが、ひき逃げをしてその場から逃げ去り、酔いを冷ましてから自首するとこの罪は適用できなくなってしまう。正直者が馬鹿を見て、本来、厳罰に処すべき相手を相対的には軽微な罪で許してしまうことになる。

では何故この様な抜け穴だらけの法律になってしまったかと言えば、国家権力がこの法律を乱用し、些細な交通事故の良識ある一般国民を不当に長期間拘束できない様に予防線を張ったためである。つまり、飲酒運転で事故を起こしても逃げないという最低限の良識を持ち合わせた一般市民は厳罰にできて、法の抜け道を駆使して逃げまくる超悪質な犯罪者は厳罰に問えないというザル法を作っておきながら、「私たちは加害者の人権を必死で守った!」と胸を張って自慢している。しかし、これは本当にあるべき姿なのかと私は目を疑らざるを得ない。

法というのは万能ではないから、「悪質な犯罪者には、その罪に適した厳罰を容易に適用できる環境」と、「悪質ではない過失による加害者が、不当に厳罰を科せられない様に守れる環境」を両立することは不可能に近い。であれば、私としては答えはひとつである。それは、「悪質な犯罪者には、その罪に適した厳罰を容易に適用できる法体系」を構築する一方で、「悪質ではない過失による加害者が、不当に厳罰を科せられない様に、社会が司法の暴走を食い止める様な監視機能を備える」ことが重要であると思う。いわゆる「運用で逃げる」という考え方である。

以前のブログ「求められるのは『国家が悪魔であるととことん疑うメディア』なのか?

でも触れたが、田原総一郎氏などは「国家が国民を騙す」という暴走を目の当たりにしてきた戦前世代の人々は、「運用で逃げる」怖さを熟知している。その様な人達からすれば、「飲酒運転しておきながら逃亡し、水を大量に飲んで時間を稼ぎ、血中アルコール濃度を下げた後で出頭する様な一部の輩を厳罰に出来ない程度のことと引き換えに、国家権力の暴走を食い止めることが出来るなら『安い!安い!』」と思うのだろうが、この様なモラルハザードは何らかの形で負のエネルギーを蓄積し、予測できない形での権力の暴走に繋がる可能性がある。ある一面的な部分だけに着目し、他方がおろそかになるリスクをあまりにも軽んじすぎている。如何にも危険である。

ここで注意すべきことは、国家権力の暴走を食い止めるように法律をザル法にしておけば、「社会が司法の暴走を食い止める様な監視機能を備える」必要はないかと言えば、法律が国家権力の暴走を食い止めることが出来様が出来まいが、そんなことにはお構いなしに監視機能を発揮して頂かなければ困るのである。その監視機能を最も担っているのは報道機関であり、その報道機関が監視機能をないがしろにし、手を抜いていたら「それこそ、そちらの方が危険!」なのである。「限りなく個別的自衛権に近い集団的自衛権」を認めるか認めないかなどと言う議論よりも、100倍重要な監視機能を適切に実行して頂かないと困るのである。
では、私が気にしているのは何かと言えば、下記の記事のことである。

産経新聞2014年7月18日 「容疑は『切符代360円』収支記載 野々村元県議宅を家宅捜索 兵庫県警

最初に断わっておくが、私は野々村元県議は大っ嫌いで、あの記者会見が海外に報道されまくったことで、国益を無視できない範囲で損なったのは事実である。日本国民として許せない思いは強い。そしてもちろん、状況証拠的には真っ黒な政務調査費の不正支出に対し、逆切れで切れまくる態度は議員にあるまじき態度である。あの様なものが許されてはモラルハザードもいいところだから、有耶無耶にしないで欲しいという思いは強い。しかし、彼は7月11日に議員辞職を申し出、既に議会はこれを受理している。また、不正と指摘される政務調査費の全額返還を公言し、実際、7月18日の午前7時前に振り込み完了の報告メールを送っている。実際に入金が確認されたのは、システムの都合上25日だそうだが、メールなり何なりで返金を宣言している以上、その時点で返金がなされているという前提で評価はなされるべきである。議員辞職という社会的制裁と、全額返還という原状回復的行為を行った以上、明らかな違法行為の証拠がなければ家宅捜査はやり過ぎとしか言いようがない。勿論、その後の地道な捜査で、家宅捜査をする前に十分な「悪質性が高い犯罪行為の証拠」を掴んでいれば家宅捜査をするのは当然である。しかし、残念ながらその様な尻尾はまだつかむ前の状況らしい。しかも、家宅捜査の容疑はPTA式典への出席と偽って申告した往復交通費360円の不正支出というが、あまりにも少額で、且つ「うっかりミス」の可能性も否定できない軽微な悪質性を主張するにはあまりにも脆弱な証拠である。

勿論、「このままでは終わらせない!」とか、「こんなことがまかり通っては、不正支出が止められない!」と主張する人はいるだろうが、もし本気で政務調査費の不正利用を撲滅したいなら、野々村元県議を深追いするより、一斉に領収書の無い政務調査費を洗い出し、状況証拠的な悪質性が疑われる県議の氏名を公表し、政務調査費の正当な理由の証拠の提出か、それとも返金かの選択を迫れば、日本国中で「不正はヤバい!!」という土壌が出来上がるきっかけを作れる。たった一人の「出る杭」を打ち続けることなど、本来の「不正の撲滅」という目的においてはあまり重要ではない。その他の不正疑惑がある議員との間での着地を円滑に進めるには、「疾しいところがあれば、議員辞職して全額返金しろ!そうすれば深追いしない!」という戦法の方が効果的であるはずである。にも拘らず、野々村元県議にスポットライトを当て続ける様な行為は、その他の県議に飛び火するのを未然に防ぎ、一人に全ての罪を着せて葬り去ろうとしている行為に見える。

勿論、私も野々村元県議はボコボコにしてやりたいほど憎いが、これは法の下の支配であるべきで、感情論で取り組むべき問題ではない。確かに、360円も5億円でも、不正取得には違いないから法的には家宅捜査は当然可能であろうが、しかしこの辺は所謂「運用で逃げる」範疇で、ある程度の裁量を警察や検察に与える一方、その裁量が暴走とならない様に報道機関などは監視をしなければならない。しかし、私の知るところ、その様なコメントを述べたテレビや新聞を知らない。報道機関もポピュリズムに走り、「運用で逃げる」という知恵を適切に運用するための自らの役割を忘れている。

本当に集団的自衛権に関する国家の暴走を防ぎたいのなら、この様な報道機関の役割を着実に果たすことの方が重要である。捻じ曲げたネガティブキャンペーンなんかより、自らの責務を果たすべきである。それが出来なければ日本の未来は暗いものになってしまう。かって、明治時代にロシアの皇太子の暗殺未遂があった時、当時の日本の司法は法に基づき無期徒刑とした。そう、大津事件のことである。少なくとも、その当時は国益を失っても、ポピュリズムには走らなかったという実績である。しかし、現在の韓国は、司法、立法、行政に加えて報道機関のいずれもがポピュリズムに走っている。日本の韓国化は何としても防がねばならない。

悔しいが、野々村元県議の家宅捜査に反対の声が聞かれる様でなければ、健全な報道機関とは言えないというのが、私の結論である。

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引き金を引いたのは親ロシア派でも、その裏に何かあるかも知れない・・・

2014-07-24 01:18:50 | 政治
サッカーのW杯期間中はサッカー中心でスケジュールが組まれ、時差ボケ感覚の日々が続きブログどころではなかった。W杯が終わりブログを再開できる状況になったはずだが、何とも不完全燃焼でブログを書く元気がなかった。私はオランダのサッカーが好きなのでオランダを応援していたのだが、日程がタイトの上に延長で消耗しまくり、名将ファンハールも省エネサッカーでリスクを回避し、スペイン戦に代表されるような面白いサッカーは決勝トーナメント以降は影を潜めてしまった。次に応援していたのはメッシである。アルゼンチンではなく、あくまでも個人としてのメッシを応援していた。これまでの経歴は歴史に燦然と輝くものだが、その様な天才が最後に「神」になるにはどうしてもW杯の優勝が欲しかった。しかし、試合を重ねるごとに徐々に輝きはくすみ、大会MVPという栄光には不満を感じる人も多いだろう。結論としては今回のドイツは優勝すべくして優勝したと言っても良く、前回大会のスペイン的な良さを取り入れながら、レーヴ監督なりのアレンジを加えて面白いサッカーをしていた。ブラジルを完膚なきまでに叩き潰した準決勝の試合は圧巻であり、孫子の代まで語り継がれる名(迷?)勝負となるのは間違いない。その意味では納得してはいるのだが、第1希望、第2希望が叶わず第3希望に落ち着いたという欲求不満が心に残り、そこに「サッカー・ロス」的な気持ちも重なり、日頃のニュースを熟読する気にはなかなかなれなかった。今後、暫くリハビリしながら少しずつ復帰していこうと思う。

という言い訳の後に、最初に選んだネタがウクライナでのインドネシア航空機撃墜事件である。客観的な状況からは、親ロシア派の犯行の可能性が圧倒的に高く、どのテレビを見ても、どの専門家の解説を聞いても、相当、ロシアのプーチン大統領の分が悪いとの報道が全てと言っていい。だから別に親ロシア派ないしはロシアの肩を持つつもりはないのだが、現在の報道は少々バイアスがかかっているように感じるので、「大穴狙い」で感想を書いてみたい。

私のブログでもこれまでに下記の様なコメントを書かせて頂いている。

2014年3月3日 ウクライナ問題に対するまとめ(個人的なメモとして・・・)
2014年3月22日 ウクライナ情勢を再考してみる(1)
2014年3月23日 ウクライナ情勢を再考してみる(2)
2014年3月31日 既にプーチン大統領は「損切り」を行ったのか!?


特に最後のブログなどにも詳しく書いたが、佐藤優氏の言葉を借りればウクライナ暫定政府と反暫定政府(親ロシア派)の関係は言ってみれば毒ヘビと毒サソリの関係の様なもので、どちらも決して「正義」を大声で語れるような立場ではないはずである。EUにしてもアメリカにしても、ロシアの庭に勝手に土足で入り込み庭を踏み荒らしている様なものだから、善意の第三者ぶるのは余りに調子が良すぎるとしか言いようがない。ただ、親ロシア派にしても毒サソリなので決して褒めれた立場ではない。多分、そんな中で起きた今回の事件に対し、ここで情報戦に勝利することで流れを一方的に自分の方に引き寄せようとしているというのが今回の事態である。
現在の状況を比較的客観的に理解するには、下記の記事が良いだろう。

Blogos 小泉悠2014年7月22日「マレーシア機撃墜 米露の熾烈な情報戦

この記事でも分かる通り、各国の「情報戦」下にある現状を考慮すれば、事の真偽を判断することは我々には不可能に近い。テレビでは繰り返し親ロシア派の通信傍受の情報が流されているが、仮にウクライナ側の極右勢力がロシアを陥れるために民間機を撃墜したのなら、嘘の通信傍受情報を流して情報操作をしていてもおかしくない。あまりにもクリアな音声で、あまりにも無防備な会話を聞いていると、如何にもヤラセっぽくて俄かには信じ難い。ウクライナ側からの情報では、親ロシア派による地対空ミサイル「ブーク」の搬出の映像が流されていたが、上記の記事にもある通り、ロシア側の反論は極めて筋が通っている。また更に、ロシア航空局のレーダー情報ににてウクライナ空軍のSu-25攻撃機がマレーシア航空17便の付近を飛行していたことが確認されているそうだが、この辺の関連なども確かに不明である。ウクライナ軍の「ブーク」用レーダーの活動状況のデータは、この地域で戦闘機を有していない親ロシア派への対応を考えれば、何故、これ程までにレーダを稼働させなければいけないのかが不思議である。親ロシア派があっさりフライトレコーダをマレーシア側に提供したが、この辺は何か勝算があるからあっさりマレーシアに提したのだと思う。この提供先がウクライナだと、疾しいことを捻じ曲げて公表する可能性があるが、マレーシアは立場はニュートラルなので、その中に記載の情報を正確に公表するだろう。そこでSu-25攻撃機の接近などの会話がコクピット内であったとすれば、形勢は逆転するかも知れない。

ここから先は私の当てずっぽうで言わせて頂くので、あまり信用なさらない方が良いと思うが、この様な可能性も少しはあることを意識して頂ければと思う。

まず、結論としては地対空ミサイルを発射したのは親ロシア派だろう。これは米軍の衛星の監視下であるから、同様の情報を監視しているロシアに対し、あまりにも出鱈目な情報を発しては世間の信頼性を失うので、アメリカの公式発表はある程度信頼できると考えた。しかし、何故、親ロシア派が地対空ミサイルを撃ったかは理由が少々違う。民間機を狙ったのではなく、ウクライナ空軍のSu-25攻撃機を狙ったのだろう。実際、今日もSu-25攻撃機の撃墜のニュースが流れていた。しかし、実際にはSu-25攻撃機を狙ったはずが、民間機を撃ち落すことになった。私の頭の中では可能性は二つあり、ウクライナ軍機がワザと民間機の近くを飛んで誤射を誘発しようとしていたこと、もうひとつが地対空ミサイルに追尾されたSu-25攻撃機が回避行動の中で民間機の近くにワザと近づき、結果的にミサイルが誤って民間機側の追尾するに至ったというストーリーである。この様に思う理由は、ウクライナ軍の「ブーク」用レーダーの活動状況を見ると、少なくともウクライナ軍の中の極右派の中には民間機を撃ち落し、国際世論がウクライナ側に傾くのを狙っていたフシがある。しかし、あまりにリスクが大きすぎて二の足を踏んでいたところ、輸送機の撃墜などを経験して「親ロシア派に引き金を引かせよう!」と考えた者がいたのだと思う。極めてリスクが低く、しかも言い逃れができる戦略であり、中々、良い(悪魔の)アイデアだと評価?できる。

多分、アメリカとロシアはこの辺の事情を理解し、微妙な駆け引きを行っているのではないのだろうか?勿論、こんな話は出鱈目である可能性は高いが、「情報戦」下にあることを考えれば、一方の主張を鵜呑みにするのは余りに危険である。ウクライナ政府側が圧倒的に有利であることは認めながらも、そちら側だけに偏りすぎると道を踏み外しそうな気がする。まずはフライトレコーダーの解析結果を待つのが良いだろう。ニュートラルな視点でニュースを見る習慣が今こそ問われていると思う。

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集団的自衛権をサッカーに例えて説明するならば・・・

2014-07-01 23:30:24 | 政治
いわゆる集団的自衛権の行使容認に関する閣議決定がなされた。報道はこぞってこれを非難し、特に報道ステーションなどはその急先鋒ともいう番組構成であった。何度もブログでも書いているので2番煎じ、3番煎じになってしまうが、折角だからコメントしておこうと思う。

まず、マスコミが安倍総理の非難に用いる最も象徴的な表現は「日本を戦争をする国にした!」と言うところだろう。もう少し前までは表現は微妙で、「日本を戦争が出来る国にする!」で留めていたのかも知れないが、今では完全に「日本を戦争をする国にした!」と断言している。しかし、「戦争が出来る国」と「戦争をする国」では180度方向が異なる。「戦争が出来る国」は単なる能力として、戦争を挑まれれば戦うことが出来る能力を有している、その機能としての能力を示しているに過ぎない。しかし、「戦争をする国」とはその理由を問わずに戦争をするのだから、あたかも好戦的なニュアンスが強い。可能な限り戦争を避けるための外交的努力を極限まで行い、仮に突発的に戦争が起きたとしても可能な限り早期に和平を試みて、戦争回避を最優先とする国というニュアンスの対極にある国という印象を強く植え付けるものである。

しかし私が知る限り、誰一人として、安倍政権の行動が「その様な好戦的で戦争に突き進むための行動」に導くものであることを論理的に説明してくれる人はいなかった。全ての説明は、「国家権力は原則として国民を騙すものである」という根拠不明の大原則を前提として、だから仮に安倍政権が戦争を起こさなくても、次に続く政権の何れかが戦争を起こすはずというロジックの上に成り立っていた。これは、安倍総理を信じている人でも、安倍総理の言葉を鵜呑みにしてはいけないという窘めの言葉である。

しかし、私に言わせれば全く逆のロジックも存在するのである。

それは、「左翼的な思想で汚染された報道機関の中には、イメージ戦略で国民を欺き、一部の外国勢力の望むがままの思想誘導を行い、国家を危機に導く危険がある」というものである。実際、過去にも私のブログへのコメントでご指摘を頂いたように、永世中立国のスイスなどでは永世中立を貫くために、自国民に対して細心の注意を払うべき注意事項として民間防衛のマニュアルが配付されており、そこには興味深いことが書かれている。つまり、外国勢力が行う情報戦として、いわゆるオピニオンリーダと言われるような一見良心的に見える人をターゲットにして反国家的な思想を植え付け、その人を介して誤った思想に騙されるような危険があることを示し、常に肝に銘じて情報を是々非々で吟味すべしと言っている。言い換えれば、大新聞社が一大キャンペーンを繰り広げたら、それだけで盲目的に正しいと信じ込んではいけないということである。「国家権力は原則として国民を騙すものである」という命題も時として正しいのは確かだが、「敵対勢力は情報戦において、まずはオピニオンリーダという人を介して反国家的思想を洗脳しようとする」というのも同様に時として正しい。第2次世界大戦中の例を引いて「マスコミの言うことを盲目的に信じよう!」という洗脳に騙されてはいけない。自分の頭でちゃんと考え、ひとつひとつのロジックの組み立てに是々非々で判断をしなければならないのである。

次に目を引いたのは、テレビには多くの学生や若い母親などが集団的自衛権反対の官邸前のデモに参加している映像やインタビューが流れていた。その様な人のコメントを聞くと、何か論理的な香りのする説明ではなく、極めてスイスの民間防衛において慎むべき典型的な例として示されているような、国と国との情報戦での洗脳に犯された人の発言ばかりが聞かれた。そんな彼女たちに聞いてみたいのは、「もし、あなたが1960年、1970年に学生であったならば、あなたは『日米安保反対』デモに参加していたと思いますか?」という質問である。多分、全ての人は「Yes」と答えるであろう。その上で、「では、今の時代を生きるあなたとしては、日米安保が結ばれなかった方が良いと思いますか?」と続けて聞いてみたい。当然であるが、こちらは間違いなく「No」であろう。その上で、「では、時代の雰囲気に流されて『正しい』と感じていたものが、実は間違っているという可能性が少なからずあるということは認めますか?」と聞いてみれば良い。そして、正しいか正しくないかは感性で感じるものではなく、論理的な議論の上で答えを導くべきものであることを伝えたい。感性に頼るのはイメージ戦略を狙う人の術中にハマる危険性が非常に高いことを忘れないで欲しい。

次に、番組内のキャスターは「安倍総理には、手段的自衛権の行使により自衛隊員が死ぬことになるかも知れないことを、ちゃんと説明して欲しい!」とも言っていたが、これは同じことを私も熨斗を付けてそのキャスターに返してやりたい。

サッカーに例えて言うならば、上述の主張は「ディフェンスラインを上げてコンパクトな守備を志向することは、敵にバックラインの裏を突かれて失点するリスクがあることを、ちゃんと説明して欲しい」という解説に似ている。しかし、その言葉をそのまま鵜呑みにするならば、それは「バックラインは思いっきり引いて守りなさい」と言っているに等しい。しかし当然ながら、「ディフェンスラインがズルズルと下がってしまったら、防戦一方になって何処からでもシュートが打てるエリアで守備をすることになり、決定的なシュートが雨あられと撃ち込まれるリスクがある」ことも、ちゃんと説明しなければ、それは正しい情報を提供したことにはならない。安倍総理の主張する積極的平和主義は、まさに「攻めの守備」であり、現代サッカーでは常識である「コンパクトなサッカー」である。それは確かに裏を狙われるリスクは高くなるが、総合的なリスクを下げ、ボールを奪ってから攻撃までの距離を短くする。相手は必然的に慎重にならざるを得ないから、それがある種の抑止力に繋がるという具合である。2006年のワールドカップで日本が惨敗したのは、中田ヒデやジーコが欧州の現代サッカーを目指したのにディフェンダー陣がリスクを恐れて引いて守り、中盤が空洞化して攻撃に迫力がなくなってしまったからである。リスクはある一面にだけ存在するのではない。ありとあらゆるリスクを吟味し、その中で最も総合的リスクが小さいものを選ぶのが定石である。だから、刺激的な発言を総理から引き出してイメージ戦略で迫るという報道姿勢はアンフェアである。

今のマスコミは、途中をすっ飛ばかして短絡的に(イメージ戦略だけで、集団的自衛権を阻止しようという)結論を得ようとしている様に見える。サッカーで言えば中盤の無い「放り込みサッカー」そのものである。もう少し中盤を組み立て、組織的に守り組織的に攻め、相手を崩して点を取るサッカーに通じる議論をしてもらいたいと思う。

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