けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

慰安婦問題と消えた年金と食材偽装事件と弱者のすり替え

2014-01-31 01:29:03 | 政治
全く持って意味不明なタイトルだと思う。この関係を順番に説明したい。

まず、消えた年金問題はご存知の問題で、社会保険庁の杜撰な年金記録の管理のせいで、せっかく収めたはずの年金の記録が消え果て、貰えるはずの年金が貰えない人が多数生じる事態に陥り社会問題化した。今から思えば、第1次安倍内閣の崩壊はこの時から始まったと言って良い。その時、マスコミは大々的に時の政権与党を責めまくった。勿論、戦後の長きに渡って君臨した自民党政権がちゃんと管理できなかった結果責任は問われるべきであり、問題発覚時の時の責任者の安倍総理が当時のマスコミにボロ糞に叩かれたのは致し方ない。ただその時、消えた可能性のある年金をどの様に扱うべきかという点については議論が分かれるところであろう。例えば、年金記録と自分の経歴、記憶に乖離がある場合、その消えた年金の復活を希望する人は、基本的に自分が年金を納めたことを証明する責任が課されていた。例えば、給料の明細書を残していれば動かぬ証拠といえるのだが、しかしその様なものを捨てずに取っている人など殆どいないだろう。仕事を転々としていた人は、過去の年金の納付を証明してくれる証人を探そうにもそれだけでも大変で、多くの場合には証拠を見つけることができないことになる。そんな時、必ずしも証拠がなくとも、当時の状況をヒアリングするそれなりの担当者を定め、ヒアリングの際の答弁内容の辻褄が合っているか否かの判断を行い、それなりに妥当性があれば救済してあげようという流れがあった。しかし、場合によってはそれでも納めた年金を受け取れない人が出てくる可能性は大いにあり、マスコミの多くの人々は、「弱者救済」の名の下に自己申告を無条件で受付け、言われたままに記録を復活して上げるべきだという主張があった。その様な人々は、「我こそは弱者に寄り添う正義の味方」というアピールを出しまくり、社会的にはそれなりに評価されていた。勿論、その様な中には悪意を持って虚偽の申請をする人も確実にいるわけで、その様な人には税金を原資としてその人の生活を潤わせる無駄を強いられることになる。しかし、先の正義の味方を気取る人々は、「そんなの、国がちゃんと管理していないから悪いんであって、1人でも被害者が出る可能性があるなら拡大解釈して、被害者救済しなければいけない」と主張する。確かに、状況によってはその主張が正しい可能性は大いにあるが、その妥当性はもう少し議論されて然るべきである。

そこで、食材偽装のケースを例にケーススタディをしてみたい。某有名レストランで食材を偽装し、それがあるところで発覚したとする。そのレストランでは、「当レストランで食事をした人は希望に応じて全額返金する」と決定し、レシートなどの証拠を可能な限り提示することを求める一方、レシートを紛失した人にも返金は対応すると発表したとする。その返金開始の日の朝、店の前を見ると1000人を優に超える人々が並び、その中には浮浪者らしき人も多い。食事の金額を尋ねると、皆が2万円以上の食事をしたという。その日はひっきりなしに返金を求める人が並び続け、1日で5000人以上に対して合計で1億円以上の返金をしたとする。しかし、そのニュースを聞いて翌日には行列が倍に増え、1週間経っても返金を求める人が減ることがなかったとする。この状況を見て、流石に経営者が決断し「レシートがない人は返金しません」と方針を変更したとしよう。果たしてこの経営者の対応を責めることができるだろうか?

先の消えた年金問題では、申告者に対するヒアリングをある程度厳しくすることで、流石に悪戯に虚偽の申告をする人の気持ちを思いとどまらせることが出来るかも知れない。しかし、それは正直に申告する人にとっては「疑られている」という不快感を感じる元となる。弱者に寄り添うと自負する人々は、その様な不快感を与えることも許されるべきではなと言うだろうが、ではこのハードルを下げるとどうなるだろうか?その結果は先ほどのレストランのような事態にもなりかねない。つまり、弱者の立場に寄り添うのは良いが、それにも限度があるということを感覚的に示す一例になるのではないかと思う。

これは慰安婦問題や歴史問題についても同様である。韓国をはじめアジアの近隣諸国の中には、慰安婦となって非常に苦しく辛い思いをした被害者は多くいただろう。実際、日本ではアジア女性基金を作り、そのホームページでは被害者の苦しみを認定し、歴代の総理がそれらの人々に謝罪の手紙を送ると共に、民間で捻出した財源で賠償金を支払ったりしている。しかし、その様に賠償を行った人々が真の意味で日本政府が賠償し、総理が謝罪の手紙を送らなければならない相手であるか否かは厳しく審査などはしていない。言わば、自己申告を性善説にたって受け入れているわけである。しかし、南京大虐殺の被害者の数が当時の南京の人口を超える人数であるなど、仮に日本人が信じられないほど極悪非道で常識に照らしてあり得ないような残虐行為をしていても実現し得ないような被害者数を言われると、相手の言い値を聞くにも限界があると感じてしまう。慰安婦に関しては、貧しい農家の両親が、借金の肩や口減らしのために自分の娘を(韓国の)業者に売りつけて、そのせいで辛い思いをした人がいたとして、その責任を今の日本政府に求めても、それはお門違いとしか言いようがない。実際、自国申告の自称慰安婦を韓国側が精査したところ、いかにも胡散臭いことを言う人が多くて(心情的には全員を認定してやりたいと思っているはずの)韓国人ですら認定できなかった自称慰安婦は半数以上にも上る。その様なフィルタを通過した人ですら、聞き取りのたびに証言がころころ変わったり、信憑性という意味では疑問を感じる人も多い。しかし、河野談話を発表する前提となった聞き取り調査では、日本側の調査チームは慰安婦の方々に直接質問をすることも許されず、本人の言い分を一方的に聞かされるだけで、その信憑性を判断する材料すら与えられず、その中で「軍が強制関与したことを認めよ」と一方的に迫られ、結果として玉虫色の決着を見ることになった。それも、「今後はこれ以上の要求はしない、これが最後だ」という韓国側の口約束に乗せられてのことである。しかし、実際にはその後もその河野談話を「動かぬ証拠」として全世界に声高に糾弾するようになるのだから、言ってみれば日本政府は先ほどの何千、何万人もの虚偽の返金を求められるレストランのような状況である。

つまり、弱者に寄り添うのは良いが、明らかに膨大な似非「弱者」が存在することが明らかな状況で、何処まで弱者を尊重すべきかという問いに対し、「せめてレシートの提示ぐらいはして下さい」と求めているのが今の日本政府のスタンスである。しかし、(読売新聞ですら紙面上で「誤報」と非難するほどの)朝日新聞の慰安婦報道に対し、朝日新聞は「相手が真の『弱者』である可能性が否定できないのだから、無条件で『弱者』を救済するのが筋である」と主張し続けている。多分、慰安婦の人々が日本側の要請に応じ、(韓国人弁護士などの立会いの下でかまわないから)日本人主導の聞き取り調査をさせてくれていたならば、(本当に彼女らが真に日本政府から謝罪を受けるべき存在であるならば)その証明は比較的簡単に導けたはずである。少なくとも河野談話を発表した当時の首相官邸には、何とか慰安婦の強制連行を裏付ける証拠を得たいと思っていた人が少なからずいたのだから・・・。にもかかわらず、彼女たちを取り巻く弁護士たち(その多くは日本人であったりもするのだが)は「絶対に、何があってもレシートの提示に応じてはいけない」と慰安婦を洗脳し、事態は拗れたまま動かない状況である。

一見、弱者救済は正しそうな感じがするが、実際に置かれている状況はそんな単純ではない。少なくとも歩み寄りの精神を見せて貰わねば、正義の味方を気取る人達に賛同することは出来ない。どこかで「弱者」をすり替えているのではないかと感じるのは自然な感覚である。その様な複雑さが今の慰安婦問題、歴史問題には付きまとうのであり、これが解決の道を閉ざしている様な気がする。

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朝日新聞などの「弱者のすり替え」と胡耀邦総書記の憤死

2014-01-30 00:50:27 | 政治
前回のブログ「都合の良い似非『弱者』のレッテル張りはもう止めよう!」を書いた際に、実は当初はタイトルの中に「裸の王様」という言葉を入れることを考えていた。結局、別のタイトルとしたのだが、頂いたコメントの中で「裸の王様」という言葉を使って「何か変だなと気付きながらも反対すれば悪者にされかねない空気を読んで賛同している善良な人々」の存在を指摘して頂いた。私の書きたかったポイントはここにあり、国民の中の多くの人々はあくまでも善意の感覚として、オピニオンリーダーと言われる人々の作り物の「善意」に共感を示すのだが、しかし、何処となく違和感を感じながら「王様は裸だ!」と言えずにズルズルと引きずられてしまう・・・、多分、現状はそんな感じなのだと思う。ここで、「王様は裸だ!」と言うのが純真無垢な子供であれば「あれっ、やっぱそう?」と思う人もいるのであろうが、オピニオンリーダーたる人々は、事前に「王様を陥れようとする輩がいて、それらの人々は『王様は裸だ』と吹聴しているから気を付けて!」と情報インプットをしているので、人々は中々その洗脳から解き放つことが出来ない。多分、問題がややこしいのはその様な背景があるからだろう。

その様な洗脳は中国や韓国の専売特許だが、その洗脳が解ける瞬間を綴った記事を見つけた。この記事の出典は時折引用するRecord Chinaなのだが、そのRecord Chinaの記事を引用する形で作家の門田隆将氏が自らのブログで記事を書いていた。その両方を引用してみたい。

Record China 2014年1月29日「私が恨むべき日本はいったいどこに? 日本を訪れて“妄想”がなくなった―中国ネットユーザー
門田隆将ブログ「夏炉冬扇の記」2014年1月29日「日本人はそこまで『憎まれる』べきなのか

このRecord Chinaでは、中国のネットユーザなどの書き込みを引用する形で、中国国内のプロパガンダから解き放たれたかなり良識的な中国人の紹介を見ることが出来る。今回の中国人は、留学で日本の仙台に来ていたのだが、中国で洗脳されていた当時には「常軌を逸した憎むべき日本人」が大勢、そこら中にいると信じ込んでいたという。それでも留学先に日本を選ぶぐらいだから、100%の人間がそうだとは思ってなかったのだろうが、しかし、例えば10%とか20%とか、決して無視できない率でその様な人がわんさかいると信じていたのだろう。しかし、実際の日本は我々が知る通りの平和で文化的な国家であり、その証拠に総理大臣をケチョンケチョンに罵倒し、中国などの反日活動をあたかも日本が悪いことをしたがためのペナルティかの様な無茶な論説をしても全くのお咎めがない。極めて礼儀正しく、喜んだり悲しんだり、悩んだり苦しんだり、人を愛したりもする。当たり前のことだが、普通の人間であり、決して憎むべき存在ではなかった・・・ということである。最後の結びは「自分の生活がしっかりしていれば、他人を恨む必要はないのだ。自分が他人を尊重すれば、他人も自分を尊重してくれる。日本に対する“妄想”は日本に行ってなくなった。」であり、中国の本質を代弁している。

一方、門田氏のブログにはそれにコメントが加筆されており、30年にも亘る中国人との交流を思い出しながら、その時代の流れを解説している。少なくとも30年前には「『軍国主義と今の日本人は違う』という小平の教えが徹底されていた」としている。それが朝日新聞が靖国参拝問題を大々的に取り上げ、外交問題化させるまでに反日キャンペーンを日本国内で行い、これが流れの変換点であったとしている。その後、江沢民の時代に徹底的な反日教育を行い、憎むべき日本人像が確立してきたのだという。

もう少し私なりに補足するならば、(Wikipediaにも記載がある有名な話だが)中曽根元総理が1985年に靖国神社を公式参拝した後、その翌年から靖国参拝を取り止めた理由を、「(私の靖国参拝によって)親日派である胡耀邦が中国共産党内の批判にさらされて失脚する可能性があったからだ。それはどうしても困ることだったから」と述べている通り、この当時は日本と中国は友好的であったが、中国国内の権力闘争が激しく、中国国民や共産党指導層の支持を得るために、その駆け引きの道具として「反日外交カード」が利用されてきた。先の胡耀邦総書記は中国国内の民主化を進めると共に、日本に対する理解も深かった。あの中曽根元総理をして、靖国参拝以上の優先度で守るべき人とされるくらいだから、その程度は計り知れない程だろう。しかし、その胡耀邦総書記はその急進性から権力闘争に敗れ、中共中央政治局会議で「一部の同志は私が党風問題を語るのを聞きたくないようだ。しかし私はやはり話さないわけにはいかない。いまわが党が党風を論じなければ、いま腐敗を掴まなければ、わが党はわが国は・・・。(腐敗の)根源はどこにあるのか。根源はわが党内にある! 国家に混乱の局面が現れた責任はわが党、党の中央委員会にある! わが政治局にある!(「胡耀邦の死と中国の民主改革」より抜粋)」と興奮して捲し上げ、その直後に心筋梗塞で卒倒し、その1週間後に死に至る。天安門事件が起きたのはその死をきっかけにしてのことである。つまり、朝日新聞が意図していたか否かは別として、中国国内の権力闘争には熾烈なものがあり、民主化問題や外交問題などの火種が多数ある中で、潜在的な中国共産党指導部の怨念を上手くくみ取る者が権力を握りやすい構図があった訳で、朝日新聞の反日キャンペーンはまさに中国のそういった指導者に悪用されてきたわけである。胡耀邦総書記の死後数年して江沢民が権力の中枢に就く。彼は、反日カードを利用しない手はないだろうと公言してはばからない上に、反日教育を強化してきたのである。

これらの時代の流れの中で、朝日新聞は少なくとも中国のことを「第2次世界大戦で、大日本帝国によって多大な被害を受けた被害者であり、よって同情されるべき『弱者』である」と位置付け、「反権力」を旗印に日本政府を叩くことこそが「弱者」に寄り添った正義であると考えていたはずである。しかし、その朝日新聞が寄り添ったのは数多くの貧しい中国国民ではなく、国民を搾取して裕福な生活を安穏と過ごす「強者」の中国共産党指導部であり、決して「弱者」には寄り添っていなかった。もう少し言えば、貧しい国民に寄り添おうとして「腐敗撲滅」を訴えて憤死した胡耀邦総書記の敵(かたき)とも言うべき人々に寄り添い、結果的に今現在の信じられないほどの格差社会の中国の礎を築くのに加担したと言っても良い。どう考えても「弱者」になど寄り添っていないのである。

しかし、そんな朝日新聞などはマスメディアの利点を最大限に活用し、自ら(自社と言うべきか)の政治信条の正しさを国民の間に洗脳する活動を長らく続けてきた。それは、第2次世界大戦中に朝日新聞や毎日新聞などのメディアが戦争を称賛し、新聞が売れることを優先して国民の心情を戦争に掻き立ててきた行動の歴史と、(方向性こそ違うが)紙一重の行為と言っても過言ではない。

あの時、中曽根元総理と胡耀邦総書記がツーカーだった時代に、もう少し早くに国内で「王様は裸だ!」という声が上がっていたら、日本と中国の歴史も変わっていたかも知れない。胡耀邦総書記が死なずに済んだと言えば言い過ぎかも知れないが、その後の反日教育の徹底はある部分で防げたのかも知れない。中曽根総理の後に靖国参拝したのは1996年の橋本龍太郎総理であり11年ぶりだった。その間、総理の靖国参拝は控えられていたが、江沢民政権が「愛国主義教育実施要綱」を制定したのは1994年で、「抗日戦争勝利50周年」にあたる1995年から徹底した反日教育を推進してきた。結局、11年もの間、日本の総理は靖国神社の参拝を控えたが、それでも江沢民の暴走を食い止めることはできなかった。

この様に「弱者のすり替え」は、意外な方向に波紋を広げたりすることがあることを我々はもっと知るべきである。そして気が付いた時には声高に弱者のすり替えを行おうとするマスメディアに対し「王様は裸だ!」と大きな声で言うべきである。

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都合の良い似非「弱者」のレッテル張りはもう止めよう!

2014-01-27 23:48:21 | 政治
今日はちょっと視点を変えてブログを書いてみたい。まず、下記に幾つかの項目を列挙してみた。これらに一通り目を通していただきたい。

・消費税増税
・TPP参加
・特定機密保護法
・アベノミクス推進
・集団的自衛権容認
・法人税減税
・規制緩和(自由競争経済)
・雇用における金銭解雇ルール導入
・普天間飛行場への辺野古移転
・安全が確保された原発の再稼動
・尖閣諸島棚上げ拒否
・河野談話の見直し
・憲法改正(96条)
・憲法改正(9条)
・慰安婦問題における軍の強制関与の否定
・総理の靖国参拝
・外国人の参政権
・オスプレイ配備
・軍事予算の増額(微増)

各項目は、個別には微妙に相関を持つ議題もあるが、その多くは独立した議題であり、それぞれに対して賛成ないしは肯定(積極)的か、又は反対ないしは否定(消極)的かを議論できる項目である。しかし、にもかかわらず、世の中の大半の人(多分、大雑把な見積もりで7割程度)は「ほぼ全て賛成/肯定」か「ほぼ全て反対/否定」かに分かれる様に思う。本来であれば、そのひとつひとつが是々非々で議論されてしかるべきなのに、にもかかわらず多分、それだけの偏りを見せるにはそれなりの理由があるはずである。

では、上記の項目に「ほぼ全て反対/否定」という判断をする人の共通項は何処にあるのだろうか?それはひとつには、回答者が「(その設定が妥当か否かは別として)個人的に設定した『弱者』に寄り添う立場に立ちたいという視点で回答する場合」が考えられる。その他にも考えられる説明はあり、「政府の行うことは全て悪であり、反体制的な行動こそ国を正しい方向に導くという政治志向の場合」にも同様の結論に至るだろう。ふたつの立場は全く別の立場の様にも見えるが、しかしあながちそうとも言い切れないところがある。例えば消費税増税を例に取れば、小さな政府を目指して個人は自助努力で問題解決を目指すべきという立場に立てば消費税など増税する必要は無いのだが、民主党が掲げたばら撒きのポピュリズム政策に多くの国民が踊ったように、少なくとも半数以上の国民は潜在的に大きな政府ないしは中ぐらいの政府で、今以上の社会保障制度の充実、経済的な援助・保護などを求めているはずである。であれば、(タイミング的に今かもう少し先かの議論を除けば)この消費税の増税に反対するのは筋違いとなるはずである。

しかし、例えば典型的な共産党、社民党などの考え方がそうであるように、法人税などを増税してお金のあるところから積極的に税を徴収し、社会的な弱者である一般人には寧ろ減税すべきという考え方をする人がいる。これらの人々は、企業は「強者」、一般国民は「弱者」であり、弱者の保護のためには強者の側がどこまでも大きく譲歩すべきだという原則を頭に描いている。しかし、企業を強者として否定するなら共産主義社会を標榜すべきであるが、今の社民党や共産党ですら、純粋な共産主義社会など望んではいない。乱暴な言い方をさせて頂けば、「強者」と「弱者」のレッテル張りの部分をつまみ食いし、世の中での善悪の議論を短絡的なイメージ論争に繋げようとする、議論のすり替えを行っているに近い。これは、世の中で起きている出来事に対し、誰かが痛みを引き受けなければならないのであれば、それは自分たちから一番遠い存在の人々が良いだろう・・・という発想であり、議論の母集団が一般国民であれば、一番遠い存在とは富裕層であったり大企業の経営層であったりするので、多くの国民の賛同を得易いというものである。

しかし、この様な考え方はその様な痛みを強いる対象の人達が、無限にその痛みを感受し、何処までも譲歩して決して反逆などしてこないという前提の上で成り立つ話である。法人税などを例に取れば、単純に税率が高ければ資本主義社会ではより税率の低いところに生産拠点を移すことを考える。現在は、日本企業は日本国のために可能な限り生産の拠点を日本国内に残し、少しでも日本国内に雇用を生み出そうと考えるが、それにも限度がある。余りにも海外と日本との法人税に格差があれば、景気次第では海外に逃げ出さないわけには行かなくなる。それは明らかに、弱者である日本国民にとっても不幸な事態であり、国民の生活をより厳しい状況に追いやることになる。法律でも作って日本企業が海外に出れないようにすれば別だが、それは資本主義社会とは全く異なる社会であり、日本国民がその様なものを望むとは思えない。であれば、レッテルを貼られた「強者」自体も状況に応じて「弱者」となり得るわけで、その様な「弱者」に全ての皺寄せを強いるやり方は全くもって間違っている。

つまり、「誰かが痛みを引き受けなければならないのであれば、それは自分たちから一番遠い存在の人々が良いだろう」という発想を改め、誰もが公平なルールの上での自由意志で経済活動を行いながら、バランス良く誰かに皺寄せを押し付けるのではなく、結果的により多くの人々がハッピーになる選択肢を模索しなければならない。この、当初「皺寄せを押し付けても良い」と考えていた対象は上記の例では「企業」を例としてあげたが、その他の事例(上述の議題)を見比べれば、その皺寄せを押し付ける対象は「国家」とか「日本政府」であったりする。その様な読み替えを適宜行えば、上述の議題で「ほぼ全て反対/否定」となる人の思考は概ね理解できる。

一方、逆に「ほぼ全て賛成/肯定」となる人々については、その思考の判断基準には概ね「国益」というものが据えられて、国益を最大化すれば国民の利益も(期待値としては)最大化されるという仮定の下で議論がなされている。ただ、注意しなければならないのはその「国益」なるものも、「短期的な視点」からの国益か「長期的な視点」からの国益かで結果は変わりうる。典型的な例は、先日のブログでも「瞬間最大風速的な逆風」を短期的な視点で過大評価するか、それとも長期的な視点での「平均風速としての逆風」で評価するかで、評価結果が180度変わりうるように、一言で国益と言っても実際には奥が深い。様々なシナリオが存在する中でその一つ一つを吟味し、その中で最も可能性・信頼性の高いシナリオに基づいて国益を判断しなければ、本当の意味での国益につながるかは怪しい。

だから、上述の議題で「ほぼ全て賛成/肯定」とするのが健全だとは思わないが、その健全性を適切に評価するためには、「強者」と「弱者」のレッテル張りにより議論を直感的且つ短絡的にしようとする行為に警鐘を鳴らし、その議論の危険さを声高に指摘して是正を図らねばならない。

変な例えだが、ひとつの例がここにある。

朝鮮日報2014年1月21日「韓国系高齢者を追い出した米マクドナルドが公式謝罪

米国ニューヨークのコリアンタウンのマクドナルドで、韓国系の高齢者たちが店内に長時間居座っているとして、店側が警察に通報し、高齢者たちを店外に追いやった。しかし、韓国人の居住密度が非常に高い地域であるがために在米韓国人社会は「差別」だとして反発し、マクドナルドに対する不買運動の計画などをぶつけて、結果的にマクドナルド側が全面謝罪し、マネージャを後退させると共に韓国系従業員1人を追加で採用する約束までしたという。他の韓国系以外のメディアでは、事実を伝えると共に韓国系社会に冷ややかなニュアンスで伝えているが、朝鮮日報などは勝ち誇ったかのような扱いである。

これは、アメリカ国内で韓国系の高齢者の住民が自らに「弱者」のレッテルを張り、強硬な主張によりアメリカ社会で「我侭な権利を獲得」した例である。ここではアメリカ社会は韓国系住民の我侭に屈した様に示されているが、彼らはいつか必ずしっぺ返しを食らう時機が来るはずである。同様のことは色々ある。地球温暖化問題やPM2.5などで中国に対する世界の風当たりは強いが、肝心の中国は「我々は発展途上国という弱者だから、国際社会は最大限の配慮をして然るべき」と開き直る。しかし、多くの国々はその様な「弱者」のレッテル針にはウンザリしており、やはりどこかでしっぺ返しを食うのは目に見えている。

今の日本のマスメディアは、いつの間にかこの韓国系の高齢者の住民の様な存在に「弱者」というレッテルを張り、自らを優位な立場に置くことに酔っているように見えてならない。多くの場合において、既に彼らは適正な判断ができなくなっているのではないか?

そろそろ日本国民は、真の意味での「弱者」とは何かを問い直してみる時期ではないかと思った。特に日本のマスメディアにそれを求めたい。

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第1次世界大戦の英独を引き合いに出すと何が問題か?

2014-01-25 00:00:57 | 政治
昨日のダボス会議の安倍総理の基調演説の後、英ファイナンシャル・タイムス紙の質問に答える形で現在の日本と中国の間の関係を第1次世界大戦当時のイギリスとドイツの関係に例えたことが話題になっている。

様々な新聞社から色々な記事があり、例えば下記の様なものがある。

ウォール・ストリート・ジャーナル2014年1月23日「安倍首相、日中関係を第1次大戦前の英独関係にたとえる
産経新聞2014年1月23日「『事実を書いて欲しい』 首相見解を『日中衝突』とみる英メディア報道に官房長官が反論
日本経済新聞2014年1月23日「日中関係『第1次大戦前の英独』首相発言がダボスで波紋
ハンギョレ新聞2014年1月23日「"第1次大戦直前の英-独と類似" 安倍、中-日戦争の可能性に言及 論難

基本的に、今回の記事は英ファイナンシャル・タイムス紙の記事を引用する形で世界に配信された。ウォール・ストリート・ジャーナルの記事では元々の質問が何であったのかすら書かれておらず、安倍総理があたかも自発的且つ挑発的に発言したかのように「日中関係について触れ」という言葉で解説されている。しかし、質問の内容は3つ目の日経新聞にも書かれているように、「日中が武力衝突に発展する可能性はないのか」であり、これに対して第1次世界大戦の当時の英独を引き合いに出し、「質問のようなことが起きると、日中双方に大きな損失であるのみならず、世界にとって大きな損失になる」と強調したという。実は、ウォール・ストリート・ジャーナルの中にはダボス会議の前に「対中領土問題めぐる安倍首相の言動、日中貿易が抑止力に」という記事も書かれており、日中の緊張関係にブレーキをかけるのは日中の経済依存度の高さであるともしていたが、安倍総理の発言は「第1次世界大戦では、貿易的に相互依存度が高かった英独すら戦争に突入した」ことを示唆したわけで、当然ながらその意図が重要なのである。記憶が定かではないが、どこかの外国の新聞記事で、ほんのごく最近、日本と中国の関係を第1次世界大戦当時のイギリスとドイツの関係に似ていると指摘した記事があったが、ひょっとしたら安倍総理はその様な捉え方があることを把握した上で、「そんな単純ではない。努力が必要だ。具体的な効果を伴うアクションを今起こさないといけない訳で、戦争が起きてから後悔しても遅い!」と言いたかったのかも知れない。具体的になんと言ったかは知らないが、途中に恣意的なフィルターが入ると、ウォール・ストリート・ジャーナルの記事が「英紙フィナンシャル・タイムズ(FT)は『首相が武力衝突は論外だと明言しなかった』と報道」と紹介している通り、捻じ曲げられて報道されてしまうのかも知れない。

しかし、それだけ責めるのであれば、いったい何処が問題なのだろうか?

単純に考えて、私にはここで首相が「戦争などありえない」と答えるのと、「戦争になれば、双方にとって損失だ」と答えるので大きな差があるとは思えない。問題となり得る発言は、「仮に戦争が起きたら、それは相手の責任だ!」というもので、挑発に対しては受けて立つと言えば売り言葉に買い言葉になるからアウトである。しかし、実際の安倍総理の発言はそうでないから、それの何処が問題なのかが私には理解できない。

これを受けて、最後の産経新聞の記事では菅官房長官が「事実を書いて欲しい」と世界に発信したことを報じている。その時、菅官房長官は「首相発言の全文を読み上げた上で、『第一次大戦のようなことにしてはならないという意味で言っている。首相の発言は全くおかしくない。事実をちゃんと書いてほしい』と反論した。」という。この「首相発言全文」の引用は重要で、報道機関は様々な国からのロビー活動の影響を受けて、情報を恣意的に加工して報道するわけで、今回の件はその刺激的な報道を裏取りせずに垂れ流す報道記者の怠慢の結果、恣意的な誤った情報が一人歩きしたものを打ち消すためには、事実の提示しか他に手は無い。

また、最後に紹介したハンギョレ新聞は、韓国の報道であるにもかかわらず、比較的抑えた報道をしている。ファイナンシャル・タイムスやBBCのように曲解して報道しようという勢力がいる中で、発言そのものは「不適切」であるとは指摘してこそはいるが、安倍総理はこの一連の記者とのやり取りの中で、「中-日の軍事当局間に軍事ホットラインが必要だという主張を繰り返した」と発言したことをちゃんと紹介している。この様に、危機管理メカニズムと軍当局間のコミュニケーション・チャンネル整備は安倍総理が従来から繰り返しているものであり、短絡的な「大丈夫!」などという発言では事態を解決には導かず、具体的な効果を伴うアクションの有無が重要なのだという安倍総理の姿勢を象徴的に示す情報を隠さずに紹介しているのは好感が持てる。

以前の橋下大阪市長の慰安婦発言の時もそうだが、日本も含め世界各国の報道機関の中には悪意を持って恣意的な報道を狙っている存在があることを認識し、無用な誹謗中傷を受けないようにする自己防衛は責任ある立ち場の人にとっては必要だ。しかし、その様な悪意を自己防衛だけで防ぐことは不可能で、守りに入りすぎれば逆に何も得るものもなくなってしまう。こちらにとってのゲインがない中で、相手は達磨さんが転んだ的に少しづつ少しづつゲインを重ねるので、小平の時代の尖閣諸島に対する日本と中国の立場が現在では大幅に変わっているような事態は、今後も引き続くことは間違いない。何処かで「No!」と言わねば、何処まで行っても無限の譲歩を引き出されてしまう。

そんな中では、今回の安倍総理の発言と菅官房長官の連係プレーは評価に値する。攻めの外交を志向するのであれば、覚悟を持って、政権全体でフォローしながら連携してことにあたらねばならない。安倍総理を菅官房長官がサポートし、菅官房長官を岸田外相や小野寺防衛相がサポートする。更に彼らを世界中の日本の外交官・各国の大使がサポートし、更に彼らを菅官房長官がサポートする。All Japanの体制で臨むしか手はなく、これまで天下り先の心配しかしてこなかった官僚が国家存亡の危機と捉えれば、かっての様なタフネゴシエータぶりを発揮できるのではないかと期待している。その証拠に、アメリカはTPP交渉での日本のタフネゴシエータぶりに相当頭を悩ませているはずである。

昨日のブログでは、本の僅かではあるがウォール・ストリート・ジャーナルの紙面を引き合いに、僅かな変化の兆しを紹介した。この様な変化は、地道な活動を続ければ、きっとイギリスでも見られるようになるだろう。だからこそ、最大瞬間風速の逆風を恐れずに、正しいと信じることを続けて欲しい。

これから1年間の頑張りの通信簿を、多分、来年のダボス会議で見ることが出来る。どうなっているかが見ものである。

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瞬間最大風速的な逆風より、中長期的潮の流れを読み誤るな!

2014-01-24 00:31:38 | 政治
今日のニュースで、日本の首相として始めて安倍総理がダボス会議で基調講演を行ったことを報じていた。この中ではアベノミクスに関する日本の経済の好転状況と、更なる投資の呼び込みに向けた内容が多く語られたが、報道を見れば残りのある程度の時間を使い外交、安全保障に関する発言をされたそうだ。特に司会者からの質問に答える形で、「靖国神社には大変な誤解がある」として自らの靖国参拝の意味を「再び戦争の惨禍で人々が苦しむことのないよう不戦の誓いをした」と明瞭な説明をした。

私はこの安倍総理の発言に対して(中国、韓国を除く)諸外国がどの様に捉えているかに興味があったのだが、日本の報道というフィルタを通すと雑音が乗るので、日本語版ではあるが幾つか思い当たる海外(西欧諸国)の報道を探してみた。パッと見た感じでは過剰に好意的に受け取ることは無くても、これまでのように何でもかんでもイチャモンをつけるような報道ではなく、「また言い訳をして・・・」と突き放すのではなく、総理の言い分は言い分としてちゃんと聞きましょう(そして、それを悪意を持った解釈を加えることなく素直に新聞記事として伝えましょう)というスタンスで対応している様に見えた。
特に意外だったのはウォール・ストリート・ジャーナルの記事である。私は、ウォール・ストリート・ジャーナルとは基本的に親中派の新聞社で、反日的な視点で紙面を構成するものであると思い込んでいたが、何故か、急激に日本に対する見方が変わってきたのかと思わされるものがあった。まず、今日の記事から確認してみる。

ウォール・ストリート・ジャーナル2014年1月23日「安倍首相、持続的な経済成長への決意表明―ダボス会議で基調講演
ウォール・ストリート・ジャーナル2014年1月23日「安倍首相、靖国参拝に理解求める―ダボス会議で
ウォール・ストリート・ジャーナル2014年1月23日「往来の自由は確保されるべき=安倍首相、ダボスで中国けん制

ひとつ目の記事は淡々とダボス会議での安倍総理の基調講演を扱ったもので、純粋に経済の話に終始している。しかし、先にも述べた様に実際には外交、安全保障の話題にも触れており、その点を第2、第3の記事で説明している。第2の記事は安倍総理が靖国参拝について説明している部分で、少なくとも悪意を持って捉えた記事ではない。最後の記事は、日本にも色々問題はあるかも知れないが、東アジアの不安定要因の本質は中国であり、日本がかき乱しているわけではないことを説明している。そして、論理的な思考力がある人なら理解できるように、「アジア・太平洋地域にあって、繁栄の基礎となるのは人や物の自由な往来だ。海の道、空の道などを守り抜く手段とは、法による秩序を揺るぎないものにすることだ」と「法の下の支配」こそが国際社会に共通のルールであり、「武力と威嚇」という中国のアプローチを名指しこそは避けながら批判した。そして、その対話と法の支配を達成するために、アジアの国同士での信頼関係の醸成を呼びかけており、そのプロセスを主導しているのがまさに日本であることも示唆している。安倍総理の言葉、「成長の果実は、軍備拡張に浪費されるのではない」を借りて、経済成長の果実を殆ど軍事費に回さない日本という国と、相当な軍事予算を不明瞭に使いまくる中国とを対比させもしている。最後にバランスを取って中国の主張を紹介するのも寧ろ読者に冷静な判断を求める上で役に立っている。

これに対して、靖国参拝後の同紙の論評は酷いものがあった。ざっと拾ってみよう。

ウォール・ストリート・ジャーナル2013年12月27日「安倍首相の靖国参拝に米国が異例の批判
ウォール・ストリート・ジャーナル2013年12月27日「【オピニオン】安倍首相の靖国参拝、朴大統領の正当性を鮮明に

ひとつ目の記事は、アメリカの立場として「理屈はどうであれ、日本と韓国がこれ以上関係をこじらす原因を作る日本の行動には耐えられない」という立場をつづるものであり、日本人としても(では、そもそもどちらが本質的に悪いのかを問わなければ)十分に気持ちは理解できるものである。しかし、後者の方は明らかにミスリードである。記事の中には朴大統領への「日本との関係悪化を放置したとして国内からの批判を浴びるどころか、朴大統領のアプローチには今や、予見性の高さが見られる。今後、ほぼ全方面からこの姿勢を貫くことへの支持を得られるだろう。」と思い切りヨイショしている。その少し前までは、朴大統領は幾らなんでもやり過ぎではないかという論調もあったぐらいだから、この掌の返しようは驚くべきものだ。しかし、それを臆面もなく紙面に掲載するところが何とも偏っていて寧ろ面白い。

しかし、その批判の矛先が日本に向く状況からの変化は、実は今日のダボス会議での基調講演よりも前から出始めていた。例えば下記の様な前日の記事である。

ウォール・ストリート・ジャーナル2014年1月22日「【オピニオン】安倍首相の靖国参拝は戦略的な一手

記事を読むと、タイトルとの整合性がイマイチ分かり難い内容で、あまり戦略性を感じさせる記事にはなっていない。しかし、その戦略などどうでも良くて、この記事は少なくとも安倍総理の靖国参拝を誹謗中傷してはいないという点が注目すべき点である。そして、日本のやるべきことをやれば、中国・韓国を除くアジア諸国を始め、アメリカも十分についてきて評価してくれるという論調の様に読めた。そして、安倍総理は最初からそれを読み切って行動していた(多分、そこが戦略的と言いたいのだろうが・・・)という評価である。別に何も新しい評価ではなく、日本の保守系メディアや安倍総理自身が主張している通りのことをあらためて欧米メディアがなぞっただけで、何を今更・・・という感じである。そして、「戦時中の韓国に対する残虐行為への後悔や自責の念をより完全に明確化するかどうかは日本次第だが、日本との関係改善のために過去の歴史から決別する方法を見出すことが韓国政府にとって長期的な利益になる。」と解説するように、「結局は韓国次第だよ!」と韓国にボールを預けるようなまとめ方である。中国に対しても同様なスタンスで、終いにはアメリカ政府に対して「米国の外交政策がより繊細であれば、安倍首相の靖国参拝の意味を認識し、非難によって日本政府との関係をぎくしゃくさせずに済んだことだろう。」と寧ろアメリカ政府が「失望」などと言う言葉を使ったことをたしなめているように見える。

少し話が逸れるが、私は非常にこのウォール・ストリート・ジャーナルの論評は無責任だと感じる。それは、例えて言えばこんな感じだろうか?ある高校のクラスには、先生の手にも負えない札付きのワルが何人かいて、殆どの生徒がそのワルを刺激しない様に息を殺している。しかし、クラスの学級委員が急に叫びだし、「何で俺たちはビクビクしながら学生生活を送らねばならないんだ!」と叫び、その札付きのワルを怒らせてしまった。先生たちは事態が荒れ気味な状況になったことに頭を抱え、「君は学級委員なのに失望したよ!」と学級委員のことを咎め、それを聞いた札付きのワルが「おお、先公、いいこと言うじゃん!お前(学級委員)は黙ってりゃぁいいんだよ!」と言って先生とつるんで学級委員を責める。しかし学級委員は開き直り、「何で俺が責められなきゃいけないんだ!」と先生の言うことを聞かず、引き続きワルと学級委員の間の緊張感の高まりが続き、他の生徒がピリピリしているのをみて、先生が学級委員に「まあ、君の気持は分かるから穏便に・・・」とピエロ的な振る舞いをして、全体の緊張を打開しようと奔走する・・・。まあ、こんな風な状況に近い。つまり、開き直って言ったもん勝ちで、そもそも論的に是々非々で善悪を判断するのではなく、自己主張の強いものに対して結局主張を認めてやるという感じだろうか?しかし、その様な駄々を捏ねた者が得をするという世界は何とも住みにくい世界で、私は世の中がその様になることは許せない。日本はこれまで空気を読み過ぎて大人の行動を取り過ぎていて、何事も我慢させられてきたところなのだが、日本が開き直った途端、「まぁ、まぁ、まぁ・・・」となだめに声色を変えて忍び寄ってきている感じだろうか。
また、こんな記事もあった。

ウォール・ストリート・ジャーナル2014年1月22日「米有力議員が安倍首相を訪問、揺れる日米関係で助っ人

読んで字のごとき記事なのだが、これまでは議会に通じる人脈が日本側にはいなかったのだが、安倍総理がやるべきことをやっているのを見て、さらには政権が長期化しそうなことを見て、アメリカの有力議員の方から安倍総理に寄ってきたというのである。そのアメリカの議員の影響力がどれほどかは知らないが、少なくとも悪い話である訳がない。日本の目指すロビー活動にも通じるものがあり、日本政府の理解者、日本の立場からの情報発信者がアメリカ国内にいることは好ましい。いずれにしろ、一時期の「日本はもう、お終いさ!」という論調からは潮目は変わったことが分かる。短期的に見れば安倍総理の靖国参拝は好ましくはないかも知れないが、それはある時点を切り取った瞬間最大風速的な逆風を評価したものに過ぎない。真の勝負は持久戦だから、細かなところで一喜一憂するのは愚の骨頂である。

全体の大きな流れを冷静に見るべきであろう。そんなことを知らしめた記事だった。

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アメリカ側の視点で日本の歴史認識問題を考えてみると・・・

2014-01-22 00:49:05 | 政治
相変わらず日本の歴史認識に対する中国、韓国の反日攻撃は後を絶たない。常識的に考えて、この問題を打開する方法などありそうもないのだが、少し頭を冷やして何でも良いから効果がありそうな手段を考えてみた。あくまでも仮説だが、地道な活動のひとつとして考えてみる価値があるのではという提案をして見たい。

まず、細かな議論をする前に最近驚かされた先日のニュースを取り上げてみる。最近アメリカの下院・上院を通過した「2014会計年度包括的歳出法案」の中に、2007年の慰安婦決議案を日本政府が守るように米国政府が要請するよう促す記述があると韓国のマスコミが大はしゃぎである。日本国内では殆ど目にすることの無い記事だが、どうやらこの法案は、アメリカの歳出削減に関連して起きた議会閉鎖の影響で溜まった法案を一気に通すため、個別の予算執行法案を束ねた所謂「オムニバス法案」として何から何までごちゃ混ぜの法案を作成する中で、個別の「国務省海外業務歳出法案」部分に記載のある合同解説書のアジア太平洋の部分に収録された部分的な報告書の中にこの記述があるらしい。このオムニバス法案は全体で1582ページにもなり、誰も何処に何が書いてあるのか全体を把握している者がおらず、この仕込を行ったマイク・ホンダ議員などが下院の通過を機に事情を暴露して初めて公になったという。ただ、アメリカでも日本でもこの点を指摘する報道は殆ど無く、実質的には韓国が勝手に盛り上がっているだけという現状のようだ。法案の中の解説書の中で報告書として僅かな記載があるだけだから、実質的にこれを真に受けて何らかの行動を改めようという人はいない。ましてや騙まし討ちの内容だから、法案が通ったかどうかで何かが変わるわけでもない。ただ、このマイク・ホンダ議員にしても、単に韓国のロビー活動の中で資金提供を受けたからここまでやるかといえば余りにも短絡的で、韓国が絡まなくても日本のことを少なからず好ましく思っていないという背景はあるのだろう。

ここで話は変わるのだが、元財務官僚の高橋洋一氏が「現代ビジネス」の「ニュースの真相」欄で執筆した最近の記事の中で面白いことを書いていた。高橋氏が2001年にアメリカで映画「パールハーバー」を見に行った時の話なのだが、高橋氏曰く「映画館に入る時から周りのアメリカ人からジロジロ見られて奇妙に思った」とのことで、既に日米関係は大きく改善されているにもかかわらず、「パールハーバー」の恨みは忘れていないということらしい。ただ別にこれは当たり前の話で、日本人で言えば忠臣蔵を見れば吉良上野介のことを憎っくき奴と思うのだが、本気で吉良上野介のことを極悪非道の酷い奴と憎んでいる奴はいないのと似ている。パブロフの犬的な条件反射に近く、「パールハーバー」と言われると日本人に対してアッカンベーをしたくなる感覚と言っても良いだろう。しかし、その程度の人が大半でありながら、日米経済摩擦などの影響もあり、「叩けるところで日本を叩いておきたい」という本能のようなものも一部の人の頭の中にはあるのだろう。そんな日頃の鬱憤に、日本の歴史認識が絡んでくるとついつい調子づいてしまうのだろう。しかし、あくまでもこの程度であり歴史認識などアメリカ人からすれば剥きになるほどの話ではないはずなのだが、マイク・ホンダ議員の様にそれがそうでもない理由というのは我々も少しは考えた方が良いと思う。

ここから先は短絡的で少々乱暴な議論になるのだが、少しばかりお付き合い願いたい。ちょっと前の話だが、大晦日の晩のテレビ朝日の朝まで生テレビでは、やはり安倍総理の靖国参拝の話題も議論になった。その中で、パネリストの中国人の宋文洲氏が面白いことを言っていた。それは中国人がA級戦犯を許さない理由の説明なのであるが、大雑把にいえば以下の通りである。まず、戦後の日中国交回復を目指していた時に、中国側としては大日本帝国より受けた様々な被害を考えれば心の中にわだかまりがあるが、敢えて国交を回復するために「中国にとって憎いのは日本国民ではない。日本国民も戦争の被害者だ。だから、戦争責任を一部の政治家や軍人に背負わせて、残りの日本人とは仲良くすることにしよう」と考えて国交回復を行ったのだという。だから全ての罪をA級戦犯にかぶせるのが日中間の当時の合意であり、安倍総理の「その約束を破るような行為」が許せないのだ・・・という論調であった。一見尤もな説明だが、宋氏の説明は大分性善説に立った説明であり、今現在の大半の中国人がその説明を聞いて納得するとは思えない。何故なら、先日のブログでも書いたとおり、仮に日本が「A級戦犯だけは特別に罪人と扱おう!A級戦犯は靖国から分祀する!」と約束したとしても、「ではB・C級戦犯も同罪だ!」と次から次へとエスカレートするのは目に見えている。宋氏の言う「戦争責任を負わせるべき一部の政治家や軍人」とはA級戦犯になった中の絞首刑で死んだ極々一部の人達(靖国神社に合祀されている人々)を意図しているのだが、そこまでで線引きなど決して中国も韓国もしてくれはしないのである。

この様に中国や韓国からすれば際限なく責任を追及したいところであるが、例えばアメリカなどからすれば最低限の人が責任を取っていればそれで良しと考えるのが自然だろう。実際に、A級戦犯で絞首刑になった人はそれなりに居るのだから、アメリカが今更歴史認識など気にするのは一見不自然である。しかし、それでも中国・韓国が日本の歴史認識を口にした際に同調する者がいるのには別に理由があるのだろうと思う。私の理解では、話しがこの様にややこしくなる最大の原因は多分、「天皇の戦争責任をどう扱うか」という点にあると考えている。私はこの点について敢えて戦争責任の有無に関してどちらの立場も示さないが、日本人以外の外国人の常識的な感覚として、「(建前上でも)最高権力者であったはずの天皇陛下に戦争開始の決断をした責任がない」と結論付ける議論には流石に無理があると感じるのだろう。日本人としては、当時の天皇陛下が自分の意思で戦争を始めることも止めることもできなかったのは周知だから、天皇陛下に同情的な気持ちになるのは大いに理解できる。ただ、諸外国の人々にその感覚を理解させるのは困難であろう。たまたま、GHQの最高司令官のマッカーサー元帥は天皇陛下のお人柄と、日本人の精神的な支柱である状況を見て、戦後の日本を不安定化させずに統治するための最良の方法として天皇陛下を利用して、その見返りに天皇陛下の戦争責任を問わないという判断があったのだろう。イラクやアフガニスタンなどでの統治の失敗状況を考えれば、当時のアメリカの決断が大正解であったことがうかがい知れる。そして、極東軍事裁判などを通して戦争責任者が裁かれる中、天皇陛下には罪人としての白羽の矢が立たなかった訳で、サンフランシスコ講和条約の第11条で「判決を受け入れた」ことによりオフィシャルに天皇陛下に戦争責任が存在しないことが確認されるに至る。これは、「朝鮮戦争や共産主義勢力への対向」という時代の流れの中で、アメリカを代表とする国々が自己都合で選択した結果ではあるので、その時の当事者でなければ「天皇陛下に戦争責任がない」という判断は腑に落ちないと感じる人がいてもおかしくない。特に中国や韓国の人であればなおさらである。

一方日本はどうかと言えば、折角、サンフランシスコ講和条約の締結で天皇陛下の戦争責任を有耶無耶にすることができたのに、それとは別に戦争責任の自己総括をしようとすると、再度、天皇陛下の戦争責任問題が再燃する可能性があったので、戦争の総括をしたくても出来ないという気持ちが強かったのだろう。そして昭和天皇が崩御し、時代も平成になってある程度の時間が経つと、(今更、亡くなった天皇陛下の責任など追及しても出来ること等何もないから)天皇陛下の戦争責任を問うことなしに戦争の総括ができる環境になったと思う人々が出てきて、微妙な形で様々な総括を行おうとした。多分、河野談話も村山談話もその様な流れの中で許された戦争に関する総括なのだろう。しかし、中国、韓国からしてみれば「結局、天皇陛下の戦争責任は問わないままかよ!」と逆切れされることになり、アメリカなどの西側諸国の中でも「確かに変じゃね?」とか「そういや、長いこと総括らしい総括がなかったな・・・」と同調する者が出てきたのだと思う。

しかし、昭和天皇も含めて戦後の皇室の長い長い平和的な活動の中で、日本人として今更昭和天皇に戦争責任を負わすことなど合意が得られようはずもなく、諸外国の一般人の感覚でな得できるような結論を単純に出すことが出来ないでいる。ただ、忘れてはいけないのは、中国も韓国も、日本が天皇陛下の戦争責任を仮に認めても態度を変えることはありえないので、ここでの議論はあくまでも中国や韓国が相手ではなく「話せば分かる相手」である西欧諸国に対してどう向き合うべきかを考える必要がある。

この様な背景を仮に前提とするならば、私としてはひとつの仮説を立ててみたい。それは、日本の皇室への理解がアメリカやイギリス、フランス、ドイツなどの国々において深まり、これらの国々の指導者や有識者が、昭和天皇が第2次世界大戦の中でどの様な立場に置かれていて、そして戦後のマッカーサー元帥が如何にしてあの様な決断をしたのかの背景を知ることになれば、もう少し日本の歴史認識と中国・韓国の歴史認識のギャップの理由を理解できるようになるのではないかと思った。余りに楽観的な意見と言われそうだが、中国や韓国からの歴史認識攻撃に剥きになって対向すると、それはそれで彼らと同レベルの低水準に降りていくことにもなり、それはそれで誤解を招くことになる。勿論、言われっぱなしはありえないので反論はするが、それとは別のアプローチもパラレルで考える必要はありそうだ。その様なアプローチのひとつとして、歴史的なことも含めて日本の皇室への理解を世界に広めるという地道な活動は意味があるのではないかと感じた。それは、単にイギリスやオランダなどの王国間の王族との交流というのではなく、日本の皇室の歴史を一般の国々の中で理解してもらうというものである。

こんなことで効果があるのかと問われればあまり自信はない。正直、藁をも掴む思いとでも言えるのだが、やらないよりはましなのではないかと思った次第である。

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30年後に沖縄が自立しているための長期的視点を持っているのか?

2014-01-20 00:34:28 | 政治
今日、名護市長選が行われ、無所属で現職の稲嶺進氏が当選?した。この数日前、自民党の石破幹事長が自民党推薦の末松文信氏の選挙応援に入り、医療や教育に関する末松氏の公約実現のため500億円の「名護振興基金」を創設する構想を表明したという。これを聞いて普天間飛行場の辺野古移設反対派の人々は、「札束で顔をひっぱたく行為」と憤っている。今日はその辺について考えてみたい。

まず、普天間飛行場の移設問題は、ルーピー鳩山元総理の出現により殆ど修復不可能な状態にされ、中国・韓国の反日と同様に理屈を抜きにした感情的な議論となっている。そんな中での札束の登場だから、札束が出てこなくても不愉快なところ、火に油を注ぐような状態に至った訳である。私はこの「札束で顔をひっぱたく行為」というのは非常に下品な行為だから不快には感じるが、しかし、すこし着目すべき点を変えてみると事情が異なって来るように思える。それは、例えば日本の農業政策に代表される様々な保護政策と相似形であるという点である。

まず、沖縄という地政学的に戦略上重要な場所にあるがため、第二次世界大戦では軍人のみならず多くの民間人が無用に多数の死者を出すに至った。故に、仲井間知事の発言でも話題になった「格別の御高配を賜り」という言葉の出典である沖縄の海軍司令官大田中将の打電内容「沖縄県民斯く戦ヘり。県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」を暗に受け継いで、様々な振興予算をつぎ込んできた。更には米軍基地があることから、そこから落ちる経済効果など、それなりの恩恵を受けている訳である。子供の頃には沖縄の本土復帰を祝い海洋博覧会なども開催されていたし、沖縄でのサミットまでもが開かれた。さらには北海道と合わせて復興のための大臣も存在している特別ぶりである。しかし、その様な長い長い保護の歴史に中で、沖縄は自立することが出来なかった訳である。それ故に、この様な札束攻勢が効果を持ってしまうのである。

現在、沖縄の中で辺野古容認やオスプレイ容認を口にすれば、それは韓国や中国で反日に異を唱えるようなリスクを伴う。しかし、例えば普天間飛行場の代替え地にフォーカスした場合、未来永劫、その代替え地が沖縄にあり続けることには圧倒的に反対が多数でも、中期的に普天間の固定化解消のために辺野古というワンステップがあることを許容できる人は本音ではそれなりの数になるはずである。にも拘らず、沖縄の地元紙などの論調が一方的なのは、これは個人的な勝手な推測だが「ゴネれば、ゴネただけ見返りが大きくなる」という甘えがあるからではないかと感じている。多分、仲井間知事が安倍総理の決断を非常に高く評価したことからも分かる通り、仲井間知事は普天間の固定化を避けるための現実的な手段として、辺野古移設を承認する決断をするだろう。であれば、名護市の稲嶺市長が賛成しようが反対しようが、事務的には淡々と辺野古移設は進むことになる。勿論、反対派の過激な行動が勢いづくのは予想されるが、結果的にそこに基地を作るとなれば、政府は振興予算をそこに投じることになるのは目に見えている。それは、末松氏の当選の引き換え条件ではなく、稲嶺市長となっても同じことである。

私が強く感じるのは、沖縄の基地問題をどの様に解決していくかという問題を解くには多分30年程度の長期的スパンでの戦略が必要であるのと同様に、沖縄の地域経済を如何にして活性化していくかという問題をやはり長期的な視点で独立に考えなければならないということである。にも拘らず、基地移設反対というシングルイシュー化戦略であったり、自民党推薦の末松氏や石破幹事長でも長期的な視点での地域経済の活性化など、本来考えるべき論点をすっ飛ばかして短期的・短絡的な論点にすり替えていたように思える。一説には、例えば洋上に浮揚型の巨大メガフロート飛行場を建設するという構想もあったが、それは「沖縄にお金が落ち難い」という理由で候補から除外されたと聞く。それが本当かどうか知らないが、多分、30年というスパンで考えれば、その様な巨大な人工島(実際には移動も可能)の飛行場が沖縄周辺の海域に建設され、そこに多くの米軍基地が移設される可能性は大いにあるだろう。もちろん、公海上であれば船舶の航行も自由なので問題であろうが、沖縄の島々から12海里以内に係留する案であれば、防衛上の課題の多くは対処できる可能性が高い。仮に沖縄県民の総意が基地の大幅縮小であるならば、沖縄にお金を落とさない代わりに人工島建設にその分のお金を投入し、両者がWin-Winのはずの着地点を見出すことは可能であるだろう。しかし、その時は本当に沖縄への振興予算は縮小され、その分が人工島の維持管理に回される。その時、沖縄が自立できていれば良いのだが、この選挙の一連の流れを見る限りでは、その様な覚悟があるようには見えなかった。

沖縄という離れた場所故に情報が限りあるが故の杞憂であれば良いのだが、本当のところはどうなのだろうか?選挙が終わり、仲井間知事が何らかの決断をした暁には、沖縄県民も30年後を見据えた戦略を優先順位1位に格上げしてはどうだろうか?

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総理を投げ出した次は、ひょっとして選挙まで投げ出すのかも・・・(殿のご乱心)

2014-01-17 01:53:03 | 政治
今更ながらであるが、ちょっとだけ細川護煕元総理の都知事選出馬についてコメントを・・・。

まず最初に私の細川元総理に対する感想を述べておく。私は都民でもないので選挙権はないが、仮に都民であれば「東京オリンピックを確実に成功に導ける人」というのが最優先の条件と考えている。これは、都民ではなく日本国民としてのエゴかも知れないが、オリンピックの成功は確実に都民にとっても有益であるはずで、社会保障や防災などその他の課題とも密接にリンクしている問題だと考えている。だから出馬の可能性を初めて聞いた時には、「総理経験者が東京オリンピックの旗振り役をやったら凄い!」と感じた。脱原発というキーワードは、私にとっては「あまりにも短絡的な思考」としか言えないが、それでも都知事は脱原発には権限も何も持ち合わせないのだから、どうせ大した影響力は行使できないだろうから「東京オリンピックが成功するなら・・・」という気持ちで少々好意的に話を聞いていた。しかし、テレビで小泉元総理と並んで記者会見している姿を見て、「いやぁー、年取ったなぁ・・・。これでは1期は務まってもオリンピックのある2期目までは体が持たないな・・・。」という実感を持った。総理在任中に関しては、新聞記者などの評判は色々あるが、新しい時代の象徴的なイメージがあり、何かを変えてくれるという期待があった。しかし、今の彼にはその様な期待など感じさせるものはない。既に政治的センスというものを失っていたところに小泉元総理が茶々を入れて、ついうっかりその気になってしまったという感が強い。だから、2期を務め上げられない都知事などいらないという理由で、細川元総理を都知事に押す気持ちにはなれなくなった。

さて、この様な私の個人的な気持ちは横に置いておくとして、細川元総理は何か良く分からないが、都知事選への公約等を発表する記者会見が2回も延期しちる。この辺の事情を読売新聞が下記の様に推測している。

Yomiuri Online 2014年1月16日「過去に五輪返上論…細川氏、発言の一貫性苦慮

みんなの党の渡辺代表が指摘するように、徳洲会からの5000万円の不明朗な借り入れ問題で責任を取って辞めた猪瀬前知事の後任に、東京佐川急便からの1億円借り入れ問題で総理の座を辞した人物が着くというのは、多くの都民からは違和感を感じずにはいられないだろう。しかし、これまでの多くの政治家は、責任を取って辞職し、その後に選挙を経て復活当選したのであれば一通りの「みそぎ」を行ったと見なす風潮があった。だから、20年近く昔の話をことさら大袈裟に取り上げるつもりは私にはない。ただ、過去に東京オリンピック返上論を池上彰さんの著書のインタビューの中でぶち上げていたのは致命的なように感じる。脱原発にしてもオリンピック返上にしても、ブレーキしか踏めない政治家は政治家として失格であり、しっかりとアクセルを踏むべきところで踏める政治家が求められる。その辺の質問対策と選挙公約などの政治方針の一貫性に思いの外手間取っているというのは事実だろう。1回の記者会見延期までは「何か作戦があるのかな?」と期待を持たせるかも知れないが、2回目の延期は政策遂行力のなさを物語る失態なのだから・・・。

ちなみに、折角なので佐川急便問題に関する私の考えを述べておくと、一度罪を起こした者はその後に再挑戦できないというルールは明らかにおかしい。世の中では、(例えば芸能人の覚せい剤事件などがそうだが)ちゃんと刑に服せばその後はそれなりに温かい目で見てあげるという風潮があるが、検察が社会的制裁や事件の悪質性、有罪とするだけの確信的証拠の有無などを勘案して「不起訴処分」とした場合には、それなりの社会的制裁がある以上、「再挑戦を許さない」というのはバランスを欠く。だから、今回の細川元総理であれ、可能性は薄いが4年後に猪瀬前知事が立候補する場合でも、一度は辞職して責任を取ったのであれば、それは都民の判断に任せてそれ以上は深追いしないというのが良いと感じる。実際、細川元総理が都知事に当選したとして、そのために東京オリンピックの準備が滞り、細川元総理は4年を待たずに都民からの突き上げを食らって辞職しなければならないというシナリオはありそうな話である。その時、猪瀬前知事が「東京オリンピックを招致したのは私だ!もう一度チャンスをくれ!」と言って立候補するシナリオもあながちありえない話でもない。まあ、こんなことを今考えても仕方がないが・・・。

さて、ここから先は少々視点を変えてみる。脱原発が都知事選のテーマとして不適切なのは多くの人が感じているところだと思う。しかし、何処かの自称発明王の様に趣味で都知事選に立候補するのも本人の自由だから、脱原発を訴えてもそれはそれで構わない。そして、実際都知事には脱原発を実現するための何の権限もなければ、都知事であるという理由で脱原発の影響力を発揮することもできない。別に都知事であってもなくても、発信力のある人であれば肩書にはこだわらない。小泉元総理がその例である。だから、細川元総理がもし影響力を行使したいなら、原発立地地域の県知事に立候補するか、国政の場で勝負するのが筋である。小泉元総理が支援しているそうだが、もし仮に脱原発を1歩でも前に進めるのが目的なら、小泉総理が出馬して細川元総理が支援するスタイルの方が100倍インパクトはあるし、当選の可能性も100倍高くなる。しかし、実際に立候補したのは政治と金の問題の前科と東京オリンピックに滅茶苦茶ネガティブな姿勢を持つ細川元総理である。

これは何とも臭い話である。まるで、都知事に当選する気など全くないような行動である。単なるアドバルーンを上げることが目的のようにすら見えてしまう。実際、細川元総理は当選、落選にはこだわらないかの様な発言もしているらしいから・・・。だとすると、「脱原発さえアピールできればそれでいいや。落選は織り込み済みさ!」と割り切っていたのに、脱原発をアピールする選挙公約の記者会見を開こうと思ったら、どうやら記者からの質問の大半が原発と関係ない政治と金の問題や東京オリンピック返上論など、自分が語りたくないことばかり聞かれそうだと今になって分かり、二の足を踏んでいるという状況ではないかと思ってしまう。

あの時も「殿のご乱心」と言われたが、今度はトップの座(総理ではなく都知事)に登りつめる前に「やっぱ、やぁーめた!」と選挙を投げ出してしまうのではないか・・・?と思ってしまった。

本当に20日には記者会見が開かれるのだろうか?何となく疑わしい状況のような気もする。

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政府の言うことに懐疑的になれる中国人、なれない韓国人

2014-01-16 01:13:57 | 政治
今日は少し視点を変えたコメントをしてみたい。まず、下記の記事を読んで頂きたい。

Record China 2014年1月13日「日本人小学生の放った言葉に中国人家族が絶句、『われわれの愛国教育は間違っていた!』―中国メディア

これは中国の軍事関連ネット掲示板の米尓社区に中国人が投稿したものを引用した記事である。あまりにも良くできた話で実話なのか作り話なのかは分からないが、内容的には何処にあってもおかしくない話である。簡単に要約すると、日本人男性と結婚し日本で暮らす中国人女性が小学1年生の息子を連れて故郷の中国に家族で帰省した際に、その女性の姉の小学3年生の息子が、小学校で受けた反日教育をそのまま2歳下の従弟の日本の男の子に、学校で受けたままに反日感情をぶつけ、周りの大人が歪んだ愛国教育に気が付くというお話である。日本人の小学1年の子供は礼儀正しく大人を敬うのに対し、一人っ子政策で我儘放題に育った小学3年生の中国人の子供は部屋の掃除から何から何まで自分では何もできず、大人を敬うどころか大人の方が子供に気遣う状態であるという。そんな(中国の子供と違い)誰からも愛される資質をもった日本人の子供に対し、中国人の子供が日本人の子供に「(中国人の)大人が喜ぶ中国語を教えてやる」といって、「僕は死んで当然の日本人です。僕は中国人に謝ります」という中国語を教えたという。喜んでもらえると思い照れながその言葉を発した純真な日本人の子供を見て、中国の愛国教育はここまで歪んでしまったかと嘆いている。この行動を非難された中国人の子供は「パパたちは中国を愛してないんだ!」と反論したというが、子供の彼からすれば教えられたままのことを行動に移しただけである。

同じくRecord Chinaに、同様の記事もあった。

Record China 2013年12月24日「中国人ベストセラー作家、米紙への寄稿で『愛国主義は中国政府に乗っ取られた』―独メディア

内容はタイトルを読んだままの内容であり、愛国主義が政府にいいように利用されていることを嘆く記事がニューヨーク・タイムズ紙に寄稿されたというののである。若干補足すれば、愛国とは国を愛することであり、政府を愛することではなく、この二つを中国政府は混同して愛国教育を行い、自らの政権を肯定する教育を愛国教育と読んで偏狭な民族主義に乗っ取られたと言っている。

さて、これらの記事を読んで何を感じるか?まず最初に言えることは、「教育」の重要性である。ここまで徹底的に反日教育を行っていれば、安倍総理が何をしようが余り結果は変わらない。日本が全てのことにベタ降りしない限り、彼らの満足は満たされず、彼らへの譲歩は彼らの愛国教育の肯定に繋がるから、この偏狭な民族主義を正すためにはどの様な外交政策を取るべきかはちゃんと考えなければならない。多くの日本のメディアはその様な彼の国の反日教育などの前提をすっ飛ばかして性善説に立って議論するから、安倍総理の考え方との間の大きな溝が埋められない。それを理解した上で、様々な出来事を理解していかなければならないということである。

ただ、ここまでであれば今までも普通に感じていたことだが、ふたつの記事を見比べていて少しばかり気が付くことがあった。それは、中国の中には良識派の人がいて、中国政府の行う余りに無茶な主張を鵜呑みにすることなく、本当の正しいことは何なのかを考える余地が残されているという事である。これは、中国の特殊性として言論の自由がないから、その自由を求める中で中国政府の言うことを懐疑的に見る目が養われるチャンスがあるという事である。だからこそ、一般人レベルでも子供の会話を聞いて偏狭な愛国教育の理不尽さに気が付くことが出来るし、中国政府を批判する発言を行う人々も少なくない。

しかし、これが韓国となると事態は異なってくる。伊達に言論の自由があるから、政府やマスコミの言い分を懐疑的に見る目が養われていないのである。特に反日教育に関しては特に酷い。勿論、国家と政府の混同を意図的に行う様な教育ではないのだろうから、日本国ないしは日本政府に対する反日感情と、一般の日本人への反感は別のものとして認識し、日本文化事態は若い人には受け入れやすいのかも知れない。しかし、竹島問題、徴用工問題や慰安婦問題など、様々な案件に対して両国の言い分をフェアに聞き比べようという余裕までは持ち合わせていない。この点は、少数ながら中国人には見られるバランスのとれた人々が、韓国の中には殆ど見出すことが出来ない。ひょっとしたら存在はするのかも知れないが、それを口にした途端に村八分で袋叩きにされるのが目に見えるから言えないだけかも知れない。しかしいずれにしても、韓国の方が中国よりもタチが悪い症状を見せているように私には思える。それが、最近の朴槿恵大統領の言動にも表れているし、私が「既に、韓国は相手にせず中国に注力すべき」と考えるに至った背景にあるようにも感じる。

やはり教育は重要で、偏狭な民族主義を国家をあげて教育している現状は何とかしなければならない。安倍総理は、中韓の主張する歴史認識への弁解を正面から取り組むよりも、その偏狭な民族主義の教育の是正という点をアメリカに対してぶつけた方が戦略的にはやり易いのではないかと思う。

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中国の対応が変わってきた兆候(日本の土俵に導いて・・・)

2014-01-15 01:25:47 | 政治
最近は韓国の愚かな外交政策にばかり目が行きがちだが、あまり相手にしてもしなくても関係ない韓国よりも、実際には中国の動向の方が日本にとっては重要であるのは間違いない。防衛識別区の強引な設定や、最近の南シナ海における漁業区域の設定など、明らかに「力による現状変更」の実態が目立ってしまうし、中国の報道機関を中心とした過激な反日報道もインパクトは十分である。しかし、本当に注目すべき点はもっと地味なところにあるように思える。今日はその辺についてコメントしたい。

例えば日本国内でも、下記の様な報道で注意を促している。

産経新聞2014年1月14日「中国、外交官40人余を投入し宣伝戦 現地メディアに参拝批判の寄稿

記事によれば、中国の環球時報は安倍総理の靖国参拝を受け、中国の大使など在外公館の幹部外交官少なくとも43人が現地メディアに寄稿し、参拝批判を展開しているとのこと。昨年末にも、中国の王毅外相が各国の外相と電話会談を行い、日本非難の包囲網を形成しようとしたことが報じられていた。その後も各国の駐日大使は上記記事の様に活動し、例えば中国の劉暁明駐英大使はイギリスの新聞のデーリー・テレグラフに寄稿し、日本をハリー・ポッターの闇の帝王ヴォルデモート卿になぞらえ、日本に言われのなき誹謗中傷を行っていた。ただ、日本の林景一駐英大使もこれに速やかに反応し、「中国こそヴォルデモートにならないで」と反対の論説を同紙に寄稿した。その後議論は更に加熱し、最終的には林大使と劉大使が共にBBCのトーク番組に出演し、プレゼンターを介して議論を戦わせることになったという。

News Sphere 2014年1月10日「日中大使、英BBCトーク番組で舌戦 司会者の日本攻め質問に苦戦?

具体的な内容までは知らないが、中国側は劉大使の英語の方が流暢であったことや、日本の覚悟を探る目的でプレゼンターが「尖閣を中国にあげれば?」、「地域全体、世界全体を危険に陥れるほどの価値が尖閣にあるの?」という辛辣な質問をしたことを受けて論戦に勝ったと断じている様だが、林大使は適切に反論していたのも事実の様である。重要なのは、この様な論戦に国際舞台でスポットライトが当たることであり、これまで対外発信を行っていなかった日本がやっと重い腰を上げたことに意義がある。

ちなみに、これらのニュースは最初はあまり気にも留めなかった記事であるが、実は下記の記事を読んで注目するようになった。

Record China 2014年1月14日「欧米諸国は日本攻撃に興味なし、中国は自国だけで対日闘争を乗り切れ―中国紙

この記事でも上述のBBCの論戦の紹介があるが、本題部分としては環球時報が「欧米諸国は日本攻撃に興味なし、対日闘争は中国のみの力で乗り切れ」と題した記事を掲載し、中国国民一丸となって世論戦に勝利せよ!との啓蒙を行っているという点である。この「欧米諸国は日本攻撃に興味なし」という部分からも、林大使の反論の影響で少なくとも中国側においては「当初の目的を十分に達していない」との自覚があることをうかがい知れる。そして、「国際世論は日本と中国の世論戦の因果関係を分析することに興味を持っても、日本という国家イメージを攻撃することに興味はない」として、日本に対しては好意的な感情を持ちながら、「日本と中国の世論戦の因果関係」を冷静に見つめているという評価を行っている。そして、「今の問題は、中国政府が日本攻撃の急先鋒に立っているのに対し、中国の一般国民の対日世論はそれほど高くはないことだ。日本に対する国民感情には強いものがあるが、文化的エリート層の多くは『反日』や『反米』のレッテルを張られることを嫌がる。」とし、微博などで冷静な反応を見せるエリート層に対し苛立ちを示している。

これらの最近の流れを見ると、一時期の過激で今にも戦争を始めようかという中国報道機関の風潮とは明らかに風向きが変わってきた感がある。冷静に考えれば、防衛識別区の無茶な主張にもアメリカが中国を一方的にぼろ糞に批判してこなかった背景には、経済的な結びつきが強すぎて、双方が一線を越えて相手に無制限の制裁を与えるとなると、戦争には至らなくても両国が経済的に共倒れするだけでなく、世界経済が大恐慌並みの打撃を受けかねないリスクを警戒せざるを得なかったものと予想される。この意味で、中国としても軍事的衝突、経済的な衝突を避けながら、一方で日本の主張する「法の下の支配」を回避して日本に勝利する残された手段として、世論戦を最重要視し始めたのではないかと推察される。であれば、日本もそれに対する対策を適切に行うことで、国際社会に日本の主張を認めてもらいながら、中国との軍事的、経済的な紛争を回避することが可能になる。東京オリンピックの招致活動ではないが、日本にとっては真面目な取り組みというのは決して苦手ではない。十分に勝算のある世界なのである。

一方の韓国は、中国の様な冷静な分析が出来ていないようである。下記の記事がその証拠でもある。

中央日報2014年1月13日「【コラム】戦犯に対する米国の二重性

笑ってしまうのだが、韓国人がアメリカに入国する際の審査にて「ナチスとの関係の有無」が問われるのに、「日本帝国主義との関係の有無」が問われないのは、アメリカのダブルスタンダードの結果と結論付けている。その様な議論が中国、韓国、北朝鮮以外では通じないことを受け入れることが出来ず、一方的にアメリカを非難するのである。

この様に見れば、不快ではあるが中国を相手にした国際社会での世論戦争に注力し、日本は淡々と事実をベースとした議論を進めて行けば良いことが分かる。意外に事態は日本の思う壺の様な感触を感じたが、少々楽観的過ぎだろうか?

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炙り出された中国・韓国の本音

2014-01-10 00:15:43 | 政治
最近の韓国の報道は生き生きとしている。というのも、昨年末までは朴槿恵大統領の反日陰口外交が国益を害し、それが少なくとも北朝鮮の脅威が高まる中では自国民の生命の安全にも悪い影響を与えることに気がつき、その外交方針の修正を示す必要性を報道機関が感じていたのに対し、安倍総理が靖国神社を参拝したことで、胸を張って朴大統領を支持する根拠を見出すことができたからである。過去のブログの中でも、「歴史は日本では『ヒストリー』だが、中国では『プロパガンダ』、韓国では『ファンタジー』である」という言葉を引用したが、韓国人にはファンタジーのように「自分の見たいもの」を実際には異なる現実の世界の中に無理やり投影し、そこにファンタジー性を求める傾向がある。自国の大統領という尊敬したい人物が落第点を与えられるのは見たくない現実であり、国民から支持される大統領であって欲しいという願望を、彼らにとっては絶対真理であると確信する靖国参拝批判・歴史認識批判を朴大統領の安倍総理批判の中に見出し、それまでの冷え込んだ日韓関係のもとになる反日陰口外交に免罪符を与える根拠とした。まあ、そんな感じだろうか。

その様な中で、調子付いた韓国の中央日報は下記の様な記事を掲載した。

中央日報2014年1月8日「【寄稿】アジア、日本の右傾化を警告する

この記事は、駐韓中国大使館代理大使の陳海氏によるものであり、中央日報の記者が書いたものではない。しかし、流れの中で韓国の報道の基本的な路線と一致する内容である。ちなみに、この日本語版の記事には記載がないが、別の下記の記事によれば陳海氏は下記の様にも言及しているという(ひょっとしたら韓国語版には記載があるのかも知れない)。

中国国際放送局CRI Online014年1月8日「韓国駐在中国代理大使、安倍首相の靖国参拝を批判
===============
言うまでもなく靖国神社は日本軍国主義の象徴であり、右翼勢力の精神的支柱だ。靖国神社には東条英機を含む14名の第二次世界大戦のA級戦犯と1000名以上のB級・C級戦犯が合祈されている。安倍首相が靖国参拝についていかなる言い逃れをしようと、その下心を隠すことは出来ない。
===============

ここに「靖国神社には東条英機を含む14名の第二次世界大戦のA級戦犯と1000名以上のB級・C級戦犯が合祈されている」と明記されているように、陳海氏は靖国神社が否定される理由はA級戦犯にだけあるとは言っていない。A級戦犯は戦争開始の決断をした責任を問うものが多いが、B/C級戦犯は実際に非人道的な虐殺行為を行った直接的な当事者も含まれる。勿論、たまたまその部隊の指揮官であったがために罪を問われた者が圧倒的だろうが、少なくとも実際に残虐な行為を行った人が全くいなかったとは考え難い。であれば、仮に日本側が譲歩してA級戦犯を分祀しても、「ではB/C級戦犯も分祀しろ」と言うのは目に見えている。今までは、予測として「目に見えている」と言っていたが、中国大使館代理大使ほどの人が他国の新聞に中国政府と異なる内容を寄稿することはあり得ないから、B/C級戦犯も総理参拝の障害になることを代理大使が宣言する以上、中国の本音(及び新聞を掲載した韓国の本音も同様)がこの様なものであることは証明されたと言って過言ではない。また、この記事の中では「日本が中国を侵略する間に3500万人余りが犠牲になり、経済的損失も6000億ドルに達した」とも書かれており、到底説明できないような「被害者数を何桁数え間違えたのか?」と聞きたくなるような好き勝手な言いようである。であれば、彼らの主張の延長線上には、B/C級戦犯には漏れたかも知れないが3500万人の被害者に対して実際に非人道的行為を行った者はB/C級戦犯以外にもいるはずだから、A/B/C級戦犯を全て分祀した後でもその様な加害者を見つけ出して全て分祀しなければ駄目だと言い出すかも知れない。ここまで、日本と中国・韓国との関係は、日本が一方的に譲歩する一方、中国・韓国はその譲歩を受けて更にハードルを上げるという事態の繰り返しの歴史である。日本としては良かれと思ってやったことが、結果的に韓国国民に誤った認識を与えることに繋がっていく。南スーダンの銃弾提供事件では、日本の善意は韓国にとって「日本を糾弾する材料」に置き換えられることを改めて示された。河野談話の件も、日本のこれ以上にない譲歩を、極めて悪意を持って日本を貶める材料に韓国は利用した。日韓通貨スワップにしても、韓国に求められて応じたのが、韓国からは「日本が日本の都合で勝手に求めてきたから応じただけ」と切り替えした。全てがこの様な流れである。

今、例えば朝日新聞などの反日メディアの主張に耳を傾けるならば、「慰安婦の被害女性に国家として賠償に応じ、A級戦犯を分祀するなどして中国、韓国との軋轢の源を取り除くことが日本政府の行うべきこと」となるのだろうが、少なくともA級戦犯と靖国問題に関して言えば、その様な行動は確実に裏目に出ることが証明された。この記事は、まさにその証拠となる記事であると私は感じた。

銃弾提供から靖国参拝批判にかけての一連の流れの中で、安倍総理が韓国や中国のためを思って譲歩しようが、日本の国益に則って行動しようが、結局は結果は同じものとなることが良く分かった。今回は少なくとも政府自民党はもとより、多くの国民にしても韓国への温情は相手のためにもならないことを思い知った。とすれば、北朝鮮有事の際にしても、円安ウォン高による韓国の不況及び経済危機に対しても、日本は助け舟を出すのに躊躇することになる。少なくとも韓国政府からの明示的な懇願がなければ、助けた途端に罵声を浴びせられることの繰り返しだから、朴大統領が国民に向けて「日本に助けを乞うべし」という明確なメッセージを投げかけることが(日本政府としては)韓国救済の条件となる。このことだけは、安倍政権は肝に銘じなければならない。

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安倍総理の靖国参拝の背景をもう一度見直してみる

2014-01-09 01:39:44 | 政治
相変わらずテレビでは、安倍総理の靖国参拝問題が話題になっている。度々で恐縮だが、再度、安倍総理の参拝の背景について詳細に見直してみたい。

まず、アメリカは日本に対して「失望」という表現を用い、強く安倍総理の行動を非難した。正確を期すために、下記にそのプレスリリースを引用する。

====米大使館プレスリリース2013年12月26日========================
日本は大切な同盟国であり、友好国である。しかしながら、日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに、米国政府は失望している。
 米国は、日本と近隣諸国が過去からの微妙な問題に対応する建設的な方策を見いだし、関係を改善させ、地域の平和と安定という共通の目標を発展させるための協力を推進することを希望する。
 米国は、首相の過去への反省と日本の平和への決意を再確認する表現に注目する。
=================================================================

最初に私が最も興味があったのは、アメリカの失望の背景にあるのが「真珠湾攻撃という卑怯な手法で多数のアメリカ国民を死に至らしめた、時の政権の責任者たるA級戦犯を、アメリカは絶対に許さない」という事なのか、それとも「東アジアの不安定な状況に、更に火に油を注いだことを許さない」ということなのか、その何れかが知りたかった。しかし、上記の文章(原文は当然英語だが)を見れば答えは明らかである。

まず出だしが「日本は大切な同盟国であり、友好国である」から始まり、非常に冷静な声明であることがうかがい知れる。この部分から、私の疑問の前者は排除される。そして、問題の所在は「日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったこと」と規定していおり、私の疑問の後者であることが明らかになった。さらに、「日本と近隣諸国が過去からの微妙な問題に対応する建設的な方策を見いだし、関係を改善させ、地域の平和と安定という共通の目標を発展させるための協力を推進することを希望する」とあり、見様によっては「既に韓国も中国も相手にしていないから、日本だけは信じているぞ!」という気持ちの裏返しとして、「失望した」という気持ちになったことがうかがえる。ちなみに結びは「首相の過去への反省と日本の平和への決意を再確認する表現に注目する」であるので、これは歴史認識を誤ったがための参拝ではなく、不戦の誓いと言う安倍総理の発言を評価することを意味している。反日メディア(朝日、毎日を含め、韓国・中国等のメディア)では、思い切り鬼の首を取ったように安倍総理を批判しているし、少なくともアメリカには多くの親中、親韓の人脈があるから、それなりの勢力が非常に靖国参拝を不快に感じたのは事実だろう。さらには、例えば原爆投下で罪もない民間人を無差別殺戮したアメリカを憎む日本人は極少数であるにもかかわらず、原爆投下を肯定的に捉える博物館展示などの話を聞けば大多数の日本人が嫌悪するのと同様に、今現在では許しはしながらも、真珠湾攻撃の決断をした責任者も祀られる靖国神社を現職総理が参拝したことに嫌悪するアメリカ人は多いだろう。これは事実である。しかし、それが中国・韓国による反日キャンペーンに与することに繋がらないことは明らかである。

その証拠に、現在ワシントンを訪問中の韓国の尹炳世外相は、ケリー国務長官との会談の後、共同の記者会見で安倍総理の靖国参拝を「歴史問題が地域の和解と協力を妨げている。(日本の)誠実な行動が必要だ」と批判したにも関わらず、ケリー国務長官は何も語らなかった。年末にはヘーゲル国防長官と小野寺防衛相との電話会談が延期になったが、結局は年が明けて実施された。また、下記の記事を見て頂きたい。

産経新聞2014年1月7日「『糾弾』『憤り』とは違う米国の『失望』の底意 論説副委員長・五十嵐徹

こちらでは、大使館の声明が国務省声明に格上げされ、ワシントンの米国務省での定例記者会見でハーフ副報道官に記者が「『失望』は『遺憾』や『懸念』より強いか?」と質問したところ、「辞書で確認したらいかが」と受け流したという。これは、極めて異例な表現を使いながら、それが異例であるが故に人によっては都合よく捉えることが可能であり、中国・韓国は「糾弾」「憤り」と捉え、日本に対しては「本音は単なる残念と言う意味だよ・・・」と訴える余地を残しているのである。何とも不思議な対応である。しかし、ここにはアメリカの辛い所でもあり、例えばアメリカ国債を大量に保有している中国に対しては、程々に良い顔もしなければならないというバランスも意識しているのかも知れない。まあ、その様な背景はともかくとして、今回はアメリカは国益に沿って上手く立ち回ったという感じが強い。

さて、では日本は国益に照らしてどうだったのかを考えてみたい。確かに、短期的には中国、韓国との外交がストップし、経済的にも中国、韓国宛ての輸出は反日の影響を受けるだろうからデフレ脱却にはマイナスである。ただ、政治というのはもう少し長いスパンで見るべきものであり、総理という職に問われる結果責任を中長期的に見れば、少し違った見え方があるかも知れない。その典型は河野談話である。産経新聞が正月元旦以降、色々とすっぱ抜いているが、河野談話は日本政府と韓国政府の合作であり、その記載内容は日本の信じる事実を踏み外し、韓国の意に沿った内容に書き換えられている。その背景には、当時の河野官房長官をはじめとする当時の責任者は、「これで韓国との間の歴史問題に終止符を打てる」と判断したはずだが、結果として韓国、中国は河野談話を根拠として日本への攻撃をエスカレートさせた。そして、幾ら世界に弁解しても、「河野談話で認めたことを覆すな!」と言われるようになってしまった。その結果責任は宮沢総理、河野官房長官(当時)に問われてしかるべきだが、当の本人たちは素知らぬ顔である。先にも説明した様に、アメリカが真珠湾攻撃を胸のシコリのように感じるように、アメリカが日本の総理の靖国参拝を歓迎する日は決して来ないだろうが、参拝を黙認できる程度には事態を改善できる可能性はある。それは、中国、韓国も口先だけは批判するが、それは単なる「お約束」程度のことに過ぎないような日が来れば、歴史問題のアレルギー反応も慣れにより収まるだろう。その様な抗体をこれらの国々に生じさせることは、長期的な日本の国益に繋がる。歴史カードを、切り札カードとしての効力を削ぎ落し、単なる普通のカードに格下げすることを意味する。これは明らかに国益に叶う。ただ、その様な方向にもって行けるか否かはこれからの対応次第である。

この様に考えれば、靖国参拝は「(何かの)終わり」ではなく、「勝負の始まり」を意味している。中国の報道の中には、ガス抜きのために一部メディアで過激な記事を掲載しながら、中国政府は極めて抑制的な対応を取っている。また冷静なメディアは、「アメリカは『失望』とは言ったけど、結局、何も日本にペナルティを与えることをしなかった」と客観的にアメリカの声明を評価している。まだ、中国の方が相手にしやすい状況である。韓国は暫く相手にせず、(アメリカは言うまでもないが)中国との関係にフォーカスした方が勝負としては良さそうである。

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習近平国家主席の地盤が固まる前に・・・

2014-01-04 01:24:02 | 政治
年が明け、新年ボケで新聞の記事などあまり読めていない。そこで、年末に気になっていた記事についてピックアップしてみたい。

Zakzak 2013年12月26日 「【世界を斬る/日高義樹】中国軍部がクーデターに成功、習政権を乗っ取っている… 米国防総省の衝撃的分析

日高義樹とは皆さんもご存じの通り、元NHKのワシントン支局長などを経て、その後もアメリカのハドソン研究所客員上級研究員として活躍し、テレビ東京の「日高義樹のワシントン・リポート」などで冷静な分析をご覧になった方も多いと思う。私は日高義樹氏の講演会にも参加したことがあるが、非常に説得力のある説明で持っていたメモ帳に片っ端からメモった記憶がある。その日高氏が中国の国内情勢について気になる指摘をしていた。元ネタは米国防総省の情報機関である国防情報局の内部メモで、キッシンジャー博士などとの情報交換の中で得た情報と合わせ、中国国内では軍部主導(共産党とも結託して)全権を掌握し、「中国軍部は、すでに実質的なクーデターに成功し、中国政府を乗っ取っていると思われる。習近平国家主席は軍部が選んだ、名ばかりの指導者に過ぎない」としている。この元ネタという情報は、正確には知らないがアメリカ国内では様々な調査機関が様々な報告を上げ、玉石混淆状態の中から取捨選択してオバマ政権の中枢が政策判断に利用するという類のものだろう。だから「玉」なのか単なる「石」なのかは確定していないものであり、それを前提として物事の判断をするのは短絡的である。しかし、この記事で重要なのは、最近は中国国内の正確な情報を収集するのが困難となっており、そんな中でこの様な判断を下す情報員がいるという事実である。つまり、軍部が実質的にクーデターを起こして全権を掌握した部分は眉唾ものだが、習近平国家主席の権限が盤石ではない、ないしは軍部の後ろ盾がなければ安穏としていられない綱渡りの状況にあるというところまでは間違いないのだろう。

実際、その気配を匂わせる記事が流れている。

Zakzak 2014年1月3日「中国・習近平主席の護衛総入れ替え クーデター警戒が理由か

要点は「中国の習近平・国家主席など中国共産党や政府要人の警備を担当する党中央警衛局の最高責任者に習主席の腹心中の腹心である栗戦書・党中央弁公庁主任が就任するなど、同局で大幅な人事異動が行なわれ、警備担当者も中国人民解放軍の特殊部隊の精鋭に総入れ替えされていることが分かった。」ということで、何とも裏に何かありそうな雰囲気が漂う。最近では共産党政権転覆のクーデターや習主席暗殺などの噂もあり、実際、昨年秋に急に2週間ほど表舞台から消えた時期があり、表向きは「水泳か何かで背中を痛めた」という報道があったが、実際のところはその様なことで表に出れないのは考えられず、暗殺計画か否かは知らないが、相当な大怪我に巻き込まれた可能性は高いと見られていた。その直後の警護の総入れ替えは目立つので、この時期まで時間を稼いでから実行に移したとみるのは妥当だろう。であれば、命も奪われかねない危険な立場に身を置いているのは間違いない。可能性としては、汚職や腐敗の撲滅を強くやり過ぎていて、守旧派の面々が生き残りを賭けて力技の習近平国家主席の追い落としを狙っていることを察知し、絶対的に信頼できる人間で身を固めているのかも知れない。

ここで少し冷静に物を見れば、もし習近平国家主席が軍部のお飾りとすれば、防空識別圏の設置に際して習近平国家主席は軍部から何らかの強気の発言・発信を強要されていたはずで、それがなかったことからも少なくともお飾りではなく、対等な程度には一目置かれて無理難題までは吹っ掛けられない状況のように思える。それは「軍部に手を出さなければ自由にしてやる」と軍部から要請され、軍部に対しては共存の道を示しながら、一方の共産党内での権力を確かなものにするために、政敵の追い落としに腐敗・汚職を利用しているようにも見える。最近の習近平国家主席は民衆受けする行動に躍起の様で、自らの生命線を民衆からの指示に求め、その延長線上に共産党内の足場固めがあるのだろう。

これらの現状は習近平国家主席には屈辱的だが、一時的には軍部に実権を握られても、いつの日か共産党内の全権を掌握さえすれば、最終的には軍に対しても優位に立てるという段階論的なアプローチを試みているのかも知れない。この様な中で中国が日本と軍事衝突する場合、軍部はより直接的に実権を握ろうとするだろうから、習近平政権は自らの保身のためにも、軍部に対しては反日的な態度を見せてガス抜きしながらも、実際には極限的な緊張状態を避けるために深追いはしないという状況が好ましい。まさに靖国参拝を外務省などに避難させる一方で、自らはあまり問題視した発言を控えながら、反日デモを抑え込むという行動がその具体的な対応として整合している。

様々な情報からも、やはり習近平国家主席の権力基盤が不安定であることは間違いなさそうであり、それを前提に対中政策を考える必要があることを再確認させられた感じである。

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