けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

生産調整の見直し(≠減反廃止)に伴う補助金増額は悪か?

2013-11-30 23:35:52 | 政治
今日は農業政策について、私自身あまりよく理解できていないので、その整理の意味を込めてコメントを書いてみる。違っていたらご指摘をお願いしたい。

まず、先日テレビのニュースでは政府が減反政策の廃止という歴史的転換を決断したと報じていた。しかし一方で、例えばテレビ朝日のニュースなどで「『減反見直し案』決定も…補助金増額で“骨抜き”」という報道のされ方をしていた。この中では「減反を廃止できるのかどうかが焦点でしたが、与党からの要求で農家への補助金は増額され、大転換というより、骨抜きの改革案となりました。」と非常に批判的であった。減反で補助金が増えるというのは私的には何とも意味不明なので、いろいろと調べてみた。先週?のBS朝日の「激論クロスファイア」には林芳正農水相が出演していたので、そのビデオを見て解説を聞いてみると、農水省では一言も「減反廃止」とは言っていないらしい。正確には「生産調整の見直し」であり、減反の定義次第であるが、転作を含めた減反への政府の関与(補助金等)を止める訳ではなく、寧ろ積極的に関与すると言ってよい状況である。結果的に補助金の総額は増額されるのだが、問題は戦略的、国益的にそれが有益かどうかという判断である。

さて、言うまでもなく減反政策とは、外国の米と比べて生産単価が高い日本の米が商業ベースに乗るためには、生産された米を政府が高価で買い上げて安価で市場に流すという農業保護の政策に対し、これが需要を超える過剰な米の生産に直面すると、無駄に政府の税金が投入される上に膨大な米の在庫を抱えることになり、生産量を調整することを目的として作付け面積の減少を要求する一方でそこに補助金を投入することになった制度である。私の調べた限りで定かでないのは、転作奨励金という形で米から別の農作物や花などに農地を振り替えることへの補助金を投入する一方、耕作放棄地(休耕田)として転作しないでも補助金が支払われており、その金額がどの様な配分になっているのかは分からなかった。しかし、単純に考えれば転作すればそちらでの収入が期待される一方、転作して数年すれば何処かで転作奨励金の対象外になりそうな気がする一方、耕作放棄地の場合には明らかに減反指示に応じ続けているのは明瞭なので、こちらは補助金が継続的に貰えるような気がする。日本の農家の大部分は兼業農家で、お米の作付け面積は1ヘクタールに満たない農家が多い。つまり、兼業農家の場合には耕作放棄して稼働を減らし、その分、別の仕事に就けば2重取りで効率が良い。だから、耕作放棄に伴う純粋な減反政策の補助金は、農家の規模を縮小する方向で機能してしまっていた可能性が高いと私は感じた。現在の目指すべき農業は、競争力を付けるために大規模化を志向すべきであり、そのためには純粋な減反政策は兼業農家の保護に繋がり好ましくない。兼業農家の小規模な農地を集約し、それを企業などが大規模にな生産体制で活用する方向で進めるためには、補助金を出すなら耕作放棄ではない者に提供すべきだと考えた。この点で、林農水相の説明には納得出来た。

ただ、先のテレビ朝日のニュースなどでは補助金の増額を問題としていたので、ここで農水省が推奨する家畜用の飼料用米への転作奨励金というものの考え方を整理してみた。まず、この飼料用米の何たるかを調べてみた。参考になる資料が下記に見つかった。

ISSUS BRIEF Number 716 (2011年6月16日)「飼料用米の現状と課題

飼料用米とは言うまでもなく家畜の飼料用に用いる米のことであり、現時点では生産量は極めて少ない。飼料用米の中には、所謂飼料用米そのものに加え、稲ホールクロップサイレージ(稲WCS)と呼ばれる実だけでなく茎や葉も同時に収穫し、密封して発酵させた粗飼料などが含まれ、これは輸入乾牧草の代替となる。ただ、この粗飼料は牛など限定的な家畜に利用され、豚や鳥には利用されない。この稲WCSは一見合理的に見えるが、収穫には専用の機械が必要で、普通の試料用米の様に主食用米の機械を利用できないらしい。このため、飼料用米として稲WCSを生産するには、ある程度の大規模な農家でないと対応できない。ちなみに、飼料用米の利点としては、豚肉の場合には脂肪中のリノール酸が減り、オレイン酸が増加するという。オレイン酸はオリーブ油に多く含まれ、人の場合にはリノール酸よりオレイン酸の方がずっと健康には良いと言われている家畜も同様と考えれば、飼料用米の利用にはそれなりのメリットはあるようである。ただ、鶏卵では、飼料用米の給与量が多くなるほど卵の黄身の色が薄くなると言われており、消費者の指向的には黄身の色が濃いのを好み、そのためにパプリカなどを鶏の飼料に混ぜたりすることも考えれば、鶏卵用の飼料には向かないかも知れない。 

この飼料用米の見直しは、バイオ燃料の関連で2008年頃に国際的な穀物価格の高騰が起きたことに起因し、投機的な動きの影響も合わせて国内での自給率の向上には大いに意味のある動きである。ただ一方で、諸外国からすれば家畜飼料の穀物の日本への輸出にブレーキをかける効果もあり、大掛かりな補助金で対処するのには課題が残る。特に、非関税障壁と見なされれば、WTOなどに提訴される可能性も否定できない。現在は規模が小さいからある程度の許容範囲内にあるのだろうが、今後、生産調整の見直しの中で飼料用米の作付けが増大し、そこへの補助金が膨大になると外国も黙ってはいなくなる可能性はある。この辺の論理武装は必須だろう。

なお、この飼料用米の最大の利点は、水田での生産となるために、これまでの減反政策で耕作放棄されたり野菜などに転作された農地とは大きく異なり、急遽、主食用米の生産量を増やす必要性に迫られても、容易に戻すことが出来る。一般的に戦略物資として各国の主食に関しては少なくとも自給率を高める必要があるが、有事の際に小麦などの輸入量が低下した場合も含め、主食用米の生産のポテンシャルの維持という意味では今回の政策は戦略的に大きな意味がある。この家畜用の飼料用米として(私は、実だけでなく茎や葉も同時に飼料に使えるという意味で、「一粒で二度おいしい」効率的な)稲WCSを作ろうとすると、これは新たな機械が必要となるので、ある程度の大規模化が前提であるだろう。一方、今まで耕作放棄して兼業農家を続けてきた人々は、飼料用米を作ると仕事にならないので兼業を止めて専業に戻るか、それらの農地を集約するのに協力する形で農地を手放すか、どちらかになる可能性が高い。飼料用の穀物の価格の乱高下や、この飼料に伴う食物自給率の低下を改善するためにも、この政策は補助金の額は増えるが食料安全保障上の見地と、将来のあるべき農政への誘導という意味では価値のある政策の様に思えた。

だから、補助金の額が増えるか減るかではなく、もっと本質的なところでの議論を充実させてほしいところだが、あまりこの家畜用の飼料用米の是非について議論しているマスコミは少ない。民主党への政権交代当初、民主党が兼業農家も含めて補助金をばら撒いた個別補償制度には一定の評価を行っていた報道機関が多いと思うが、あの制度は耕作放棄地を生み出し片手間に農業を行う兼業農家を生き永らえさせるための制度である。農地の集約には逆行していると思う。(民主党政権に対しては媚びていたくせに、自民党政権に対しては)どうも、反政府的な批判をすればそれで自分の仕事は果たせたと満足しているエセ・ジャーナリストが多すぎるのではないかと思ってしまった。農地のリース制度とリースされた土地の税制などを上手く調和させ、単純な兼業農家虐めにならない形で目指すべき方向に誘導するのは好ましいことだと思う。

以上が私のこの問題に対する理解の整理である。間違っていたらご指摘をお願いしたい。

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猪瀬都知事の異様な無防備さがこの人の性格を表しているのか?

2013-11-28 23:58:42 | 政治
昨日までに防空識別圏と特定秘密保護法案のコメントを書いたので、今日は猪瀬都知事の5000万円借用の話を書いてみたい。

まず最初に誰もが思うことだと思うが、猪瀬都知事の対応が余りに無防備のノーガードで驚かされた。今まで、例えば小沢一郎の金にまつわる話を聞くならば、田中角栄元総理や金丸信元副総理などの裁判を通じて、如何にすれば検察の追及をギリギリのところで逃れられるかを徹底的に研究し、如何に悪事を働いても最後は秘書のせいにしてトカゲの尻尾切りで逃げおうせると、まあ敵ながら天晴という姿を見せられてきた。ところが、この猪瀬都知事ときたら、前々から自分のところに追及がいつかは及ぶことが最初から分かっていたはずなのに、全くそのための対策を練っていない。お坊ちゃま的なノー天気さなのか、本当に犯罪的な要素が皆無だから身構える必要など何もない清廉潔白だ(だから、積極的に模範解答を事前に用意しなかった)と自分では確信していたのか、何とも不思議なのである。弁解が二転三転しているのは見苦しい限りだが、あれほど聡明な方がこの様な対応を取るのは俄かには信じがたい光景である。この辺の事情は後程推測してみたい。

ところで話を少し戻すが、今回の徳州会から猪瀬都知事へのお金の流れについては、実は1か月半前からテレビにおいて(氏名は伏せられていたが)かなり具体的に指摘されていた。この辺の内容は、私の好きな「ぼやきくっくり」さんのブログに、10月16日の関西テレビ「アンカー」青山繁晴の“ニュースDEズバリ”の文字起こしの中で紹介されている。

関西テレビ2013年10月16日「アンカー」青山繁晴の“ニュースDEズバリ”

既に1ヵ月半前の話題であるが、この時点で有名な現職知事が5000万円を受領し、ガサ入れのあった2日後の9月26日に仲介者を通じて返金されたと紹介されていた。また、有名な元知事には3億円が渡り、その他の首長にもお金が渡っているとのことだった(ついでに、元首相を含む与野党議員に徹底的にお金をばら撒いているとも指摘されていた)。はたしてこの知事、元知事は誰だろうと思っていたが、どうも話の展開からすると元知事は石原慎太郎前都知事(日本維新の会共同代表)で、(状況証拠的には)都知事の後継として猪瀬都知事が石原前都知事に指名された際に、お金の工面についても徳田虎雄氏に頼めば幾らでも何とかなると紹介したのだろう。面白いのは、与党の国会議員だけでなく、野党や首長を含め、広くばら撒いているというのが特徴である。その中に、猪瀬都知事も引っかかったという訳である。それらの多くの議員は、これらのお金の足が着いたときにどう対応するかの論理武装をしていたから、捜査の真っただ中で当然、捜査陣の目に入るリスクのある形でお金を返却するなどしなかった。しかし、猪瀬都知事はこれまた無防備だから、「問題になる前に返しちゃおう」と行動に写し、それが表立って窮地に立たされているのである。何とも無防備なことか・・・。

ここで、猪瀬都知事に対する考察の前に、何で徳洲会はお金をばら撒きまくったかについて確認したい。参考情報は先ほどの「青山繁晴の“ニュースDEズバリ”」の記事である。ここには面白い内容が書かれている。それは、徳田虎雄氏が国会議員だったときに、青山繁晴さんに「どうすれば総理になれるか?」などと聞いていたという。青山さんの解説では、総理になるには自民党の派閥の領袖になるのが前提で、それ以外のルートで総理になるのは非現実的と応えたそうだが、どうも徳田虎雄氏は青山さんに派閥の領袖に取り次いで欲しいと思っていたように見えたそうで、お金をばら撒いてでも自ら(ないしはその後継者)が政治的に重要なポジションにつくことに相当な執念を燃やしていたのだという。だとすれば、猪瀬都知事については何を期待していたのだろうか?言うまでもないことだが、当時、自民党議員だった次男の徳田毅議員がいつの日か総理大臣になれるように、ないしは一足飛びにそこまで行けなくても、閣僚や政務3役などの重要なポジションに就くために、日本の政治のキーマンになり得る人物にかしを作っておけば何かの役に立つかも知れないと考えたのだろう。現に、徳田毅議員は2005年9月の内閣総理大臣指名選挙では自分自身に投票している。親父の夢を引き継いで、総理になる夢は強く持ち続けているのだろう。そんな息子のために、徳田虎雄氏は常軌を逸した公職選挙法違反行為をするだけでなく、大金を辺りかまわずばら撒いたのである。だから、その中には当然、そんじょそこらの国家予算よりもはるかに大きな予算を動かし、尖閣諸島の購入などで日本政府をあたふたさせるなど、総理と対等に話が出来るポテンシャルを持った東京都知事というポジションに対し、当然ながら唾を付けておこうと金をバーンと出したのはうなずける。猪瀬都知事にしても、確率は5分5分でも賭ける価値のある東京オリンピック招致の希望もあったから、石原前都知事ほどの影響力は期待できなくても、石原前都知事から継続的な関係を維持することは魅力に感じたはずである。

この様な形で思わぬ形で5000万円を手にした猪瀬都知事だが、何故あれほど無防備であたのかを少し予想してみたい。あくまでも胸の内を予想しているだけだから根拠はない。誰からも指摘されていないが、今回の5000万円に関して、これが仮に選挙資金目的での借入だとしても、1円残らず全てが選挙資金なのかどうかは分からない。例えば私も住宅ローンを組んだのだが、計算上、必要最低限の費用よりも多く借りることにした。家を建てたことで、それまでの貯金が全て吹っ飛んでしまうから、銀行の預金残高がそれまでに比べてあまりに少なくなることに恐怖を感じ、筑後数年間のお金の流れを見ながら、状況に応じて繰り上げ返済の対象にすれば良いと銀行の残高を少し多めに残した。猪瀬都知事からすれば、病気のご婦人の入院費用など様々なことを考えれば、ほぼ全財産を選挙に投入したら相当不安に駆られるに違いない。だから、生活資金を例えば2000万円ほど残したいと考えてもおかしくはない。だから、3000万円ほどが選挙資金目的で、残りの2000万円は生活の保険の様な意味合いのお金であると考えるのは想像に難くない。お金に色がないのはその通りで、「嘘をついても分からない」という意味もある一方で、「本当のことを言っても分からない」という現実もある。この様な考えが頭にあれば、東京都として選挙資金の上限が6000万円という指摘を受けても猪瀬都知事の頭の中では論理矛盾はない。結果として使わなかったのだが、5000万円のうちの幾らが政治資金だと確認して借りた訳ではないから、結果的に使わなかったのだから政治資金目的のお金は0円だったと見なせばこれまた矛盾なく説明できると思ったのだろう。しかし、「生活に窮すると困るから借りた」というのもプライドが許さないので、ぶら下がり取材の時は正直に(少なくともそのうちの一部は)選挙資金が足りなくなったら使うことも考えて借り入れたと答えてしまったのではないか・・・。まあ、弁解がましいことではあるが、あまりにも無防備なので勘繰ってしまうのである。

さて、ここから先はどうあるべきかという「べき論」について考えてみる。正直、私としてはこれは難しい問題である。まず、もし仮に猪瀬都知事が徳田氏側から病院などの許認可に絡んだ便宜供与を求められ、それを実際に実行に移す(ないしは、実行するために必要となる何らかのアクションを取っていた)何らかの証拠があるのなら、当然ながら事前収賄罪などにより逮捕及び辞職となるのが妥当だと考える。しかし、仮にあのお金が選挙目的の借入であり、結果的には使われなかったが借入金額を報告していないという公職選挙法違反だとしたら、それが辞職に相当するか否かは意見が分かれるところだ。法律というものは様々な行動を規制しているが、例えば殺人などの様に罪の重いものもあれば、道路交通法違反という軽いものもある。公職選挙法にしても、買収などの行為は極めて悪質だが、報告書への記載漏れなどは相対的に罪が軽い。さらに、報告書への記載漏れは「全く持って、弁解の余地がない」のか、「弁解の余地は十分にある」のか、その辺の事情にもよるだろう。以前、鳩山元総理が親からの膨大な子ども手当に絡んだ巨額脱税事件の際に、金額的にも総理職の辞任位はあっても良いのではと思っていたが、議員辞職とまでは思わなかった。結果として不起訴になったから、総理の職まで手放さずに済んでしまった。都知事の場合には大統領職だから、知事の辞任は議員としての立場の辞職に相当する。中間解がない存在である。であれば、事件の推移を観察し、お金の授受の裏に便宜供与などの収賄的な要素があるか否かに着目し、公職選挙法がらみでの逮捕、辞任は少々やり過ぎの様に感じる。

まあ、東京オリンピック招致の最大の功労者でもあるので甘い判断となってしまう感もあるが、ドロドロとした利権にどっぷりつかって相当悪質なことをやっていたケースとは異質なケースだと感じている。もし東京オリンピックが無かったら、猪瀬都知事自信が辞職を決意する話もあり得るかも知れないが、現在はオリンピックを途中で投げ出す方が無責任と本人は考えるだろう。

なお、後は枝葉の話だが、借入書に関しては次のように予想している。多分、お金の授受の際には借入書は交わさなかったのだろう。徳田毅氏側は(最初からあげるつもりのお金だから)借入書の提出を求めなかっただろうが、猪瀬都知事の方が「それはまずいので、簡単な借用書を作るから受け取ってくれ」と言って後で作成して渡したのではないかと思う。ないしは、徳田毅氏側はその借用書も一緒に猪瀬都知事側で預かってくれと言ったのかも知れない。やはり、突っ込みどころはあるのだが、猪瀬都知事の中では正直ベースで借入書を作ったつもりでいるので、これまた無防備にもマスコミに公開してしまったのだと思う。

とことん、この人は正直者(というか、心の底から嘘は付けない人)なんだろうな・・・というところである。

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政府が「マスコミってチョロイじゃん!」と思ってしまう、そのマスコミの態度が危険である

2013-11-27 23:55:59 | 政治
特定秘密保護法案の参議院での議論が開始された。先日のブログ「時を経て権力の判断の是非を問うなら自らの襟も正すべきだ!」でも少し触れたが、今日はもう少し突っ込んだ議論をしてみたい。というか、この問題を理解するのにポイントとなりそうな他者のブログを引用する形でポイントを整理してみる。

私が的を得ていると感じた3つのブログは以下のものである。

(1)うさみのりやのブログ 2013年11月19「日特定秘密保護法案と一色正春さんと核燃サイクルと
(2)現代ビジネス・ニュースの深層 長谷川幸洋2013年11月22日「課題山積の特定秘密保護法案が成立へ この際だから秘密を守れない国会議員と秘密を暴けないマスコミは自省せよ
(3)現代ビジネス・ニュースの深層 高橋洋一2013年11月22日「反対論者が持ち出すツワネ原則は的外れ!特定秘密保護法と比較すべきは各国の実法制だ

まず、(1)のうさみのりやさんのブログでは、尖閣ビデオ流出で話題になった元海上保安庁職員の一色正春さんのツイッターを引用している。例えば、某コメンテータが「特定秘密保護法が施行されると、居酒屋なんかで指定された秘密をうっかり喋ったりなんかすると捜査されてしまうんです。本当に怖い世の中になってしまいますねー」と述べていたのに「居酒屋でテロに関する情報を喋れば捜査されるのは当然」とツッコんでいる。言うまでもない話である。つまり、今回の特定秘密保護法案では、「知る権利」と「国家機密の保護」の対立をどの様に捉えるかが重要であり、その一方のみを過剰に重要視する一方、他方を軽んじた発言をしても議論の意味はない。上述のコメンテータの発言などその最たるもので、それが客観的に保護されるべき国家機密であるか否かに関係なく、何でもお気楽に「居酒屋で喋ってオーライ」などと考えている極端に偏った考え方で一般世論を誘導しようという発想が今のマスコミや言論人の中に蔓延している。これはかって、反原発派と原発推進派がそれぞれ先鋭化して議論を噛みあわなくさせたが故に、結果的に安全対策のための議論が進展せず、福島第一原発の惨事につながってしまったことと酷似している。相対立するふたつの価値観、「知る権利」と「国家機密の保護」の対立をバランスよく議論するのが正攻法なのに、ゲリラ戦に持ち込もうとしたから結果的に、政治家からは「言いっぱなしの無責任な主張」と見なされてまともに取り上げて貰えないのである。この辺を一色正春さんは「もっと真面目に反論しろ!」と指摘しているのである。

さて、ふたつ目の記事は東京新聞・中日新聞の論説副主幹の長谷川幸洋さんの記事である。彼の特徴は、まさにこの一色正春さんのご指摘を真摯に受け止めたような真面目な反論になっている。とにかく、この特定秘密保護法案の必要性を大いに認めているのである。また、法案に反対する人々が持ち出す西山事件にしても、「(本当に)マスコミは政府を敵に回して秘密を暴露するような報道をしてきたか?」と問うている。確かに沖縄基地返還の密約を暴くという意味では西山記者は国民に情報を提供するために一定の役割を果たしたのだが、しかし、彼のしたことは「途中から肝心の秘密資料を社会党議員に渡して、(彼が人の道に反してまで取得した情報は)政府の追及材料になった」ということだそうだ。つまり、国民の「知る権利」にこたえるために体を張ったのではなく、反政府活動として政府の政敵のために(如何わしい手段で)機密を得ようとしたとも理解できるのである。本当のところは純粋な正義感なのか、決して胸を張れない疾しさがあるのかは知らないが、仮に疾しさがあってもそれを認めたりはしないのは分かるから、その様な話を水戸黄門の印籠の様にこれ見よがしに言われても、冷めた気持ちで聞かざるを得ない。その辺は、攻める側も客観的に訴えた方が良い。

さらに大きな問題はこの先である。本音で言えば、マスコミが特定秘密保護法案に反対する最大の理由は、非常に大部分の記者は、これまで政府高官や官僚などから「オフレコ」と称してリークしてもらった情報を中心に記事を書いてきたから、この法案が出来ると重要な情報は「オフレコ」で入手できなくなり、汗水たらした「足で稼ぐ取材」を余儀なくされるのを恐れているからである。今の新聞記者のレベルは非常に低く、物事を上っ面でしか捉えていない。私が愛読している産経新聞などは「尖がった記事」を売りにしているから多少はその辺の努力があるのかも知れないが、某新聞社などは優秀な記者もある程度はいるのは事実だが、半分以上の記者のレベルは酷いものである。思い込みや一方的な自分の主張の押し付けが多く、その記事を読んでも「なるほど」と思うことは少ない。これを長谷川幸洋さんは「ポチ記者」と呼んで非難している。つまり、「本気でこの法案により自分の身を心配しなければいけない記者は、本当にいるのだろうか?」という疑問である。それを「法案反対!」と言うと、あたかも自分は「ぽち記者」ではないと言っているようでカッコいいから、それでファッションの様に反対を身にまとっているのである。勿論、この様に「オフレコ」でリークされた情報が正しいとは限らず、政府高官や官僚などの思うツボの「代弁者」になってしまっている可能性も大いにある。そして同様に、法案に反対する政治家たちにも、「お前たちがペラペラ秘密を暴露しまくっていて、それで良く物が言えるな!」とツッコんでいる。まさにその通りである。

最後の(3)の記事は、物事を判断する際に「ミスリードを狙った誤った情報」に惑わされてはいけないとのご指摘である。幾つかポイントはあるのだが、例えば世界と比較してその法案の妥当性を議論する場合、何をリファレンスにするかという取捨選択についてである。例えば、先の長谷川幸洋さんの記事の中でも「ツワネ原則」なる世界70か国以上の500人以上の専門家が参加して作成された理念型のガイドラインを参照している。所謂、言論人、有識者と呼ばれる専門家が議論してまとめたので妥当性があるものと思えてしまうのだが、それは各国の具体的な法律に通じる共通理念ではないらしい。実際に国家の安全保障の責任を担う人たちは「性悪説」を前提に物を考えなければならないが、有識者は「性善説」とまでも言わないまでも、徹底的に「最悪の事態」を想定した議論とは異なる。責任のない人の議論と、責任を背負った人の議論が異なる結論に到達するのは必然だから、その差を真正面から認めて考えなければならない。

また高橋洋一さんは、私としては目から鱗であるのだが、実は「霞が関文学」とは全てが「悪」ではなく、ある時は「善」にもなるということをご指摘されていた。それは、下記の内容である。少しばかり引用させて頂く。

===============
「あるマスコミの人は、特定秘密保護法案の別表に書かれている4分野の表現が曖昧でいくらでも拡大解釈できるといい、例えば、別表一のロの『防衛に関し収集した電波情報、画像情報その他の重要な情報』という文言の中の、『その他の重要な情報』をあげていた。
これは、法令用語の基礎知識だ。『その他の重要な情報』という場合、その語句の前までの『防衛に関し収集した電波情報、画像情報』は『重要な情報』の例示であり、それらと同等なものが列挙されているという意味だ。
 これに対して、『その他重要な情報』と書くと、その語句の前までの『防衛に関し収集した電波情報、画像情報』以外にも『重要な情報』があるという意味になる。
===============

つまり、「その他の(重要な?)情報」というものが単品で出てきた場合と、句読点なしで連続した「防衛に関し収集した電波情報、画像情報その他の重要な情報」とでは全く裁判では別の意味を持つことを、専門家として指摘している。だから、もし本気でこの法案に反対する人がいたならば、具体的な案文を元最高裁の判事だった人などを20~30人ほどピックアップし、法律家としてその案文で何処までのリスクがあるのかを正確に判断してもらえば良いのである。しかし、その様な真面目な議論をすると政府の主張のある部分までは正しいことが分かってしまったりするから、イメージ戦略として「その他の重要な情報」なんて青天井で何でもアリじゃん・・・と主張して止まない。もう少し真面目に議論してもらわないと我々にも分からないのである。

さて、最後にもうひとつ、これまでの議論に出てこなかった重要な視点を指摘したい。多分、反対派の多くの中には、先ほどの「その他の重要な情報」の様なあいまいな表現を排除すればそれで安心できるように考えているようであるが、本当にそうであろうか?法律に明確に規定されているのに、その文言では縛り切れなかった防衛ラインがあることを、ほぼ全ての国民は知っている。そう、憲法9条である。誰がどう読んでも、それを日本語として読めば自衛隊の存在を認めている法律には読めない。だから、現在の日本国憲法が出来たときには、あの共産党ですら「憲法9条では国を守れない。幾らなんでもこれではダメだ!」と主張していたほどである。しかし、その様な明文化された法律を骨抜きにするという、「国民をだますかもしれない政府にかけるブレーキ」の最重要な憲法に対しても、極めて恣意的に捻じ曲げた憲法解釈を許容しているのである。これを是正して、「実情に憲法を合わせる」か「自衛隊の戦力も放棄する」の2者択一を志向すれば正直者と言えるのだが、この「明文化された法律を骨抜きにする」現状を死守することを「護憲」と呼ぶのだから、これでは幾ら法律に明文化しても意味はない。重要なのは、マスコミがその法律の本質を理解した上で、「本当はスルーして良いところ」と「議論の本丸」となるところを整理し、政府が暴走しようとしても「マスコミのレベルが高いから、ごまかしではその場を逃げ切れない」と政府に思わせる状況を作ることが大切である。しかし、今の現状は「マスコミってチョロイじゃん!」という雰囲気がバレバレである。これではジャーナリズムが防波堤にはなり得ない。

色々書いてきたが、現在のマスコミの「特定秘密保護法の反対キャンペーン」はあまりにジャーナリズムの手抜きの象徴だと思う。もっと体を張った主張をする記者が出てこないと、それこそ政府の思う壺である。その点をマスコミはもっと反省すべきである。

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軍部が調子付いて暴走することを読めなかった習主席

2013-11-26 23:59:43 | 政治
防空識別圏の問題がその後も大きな問題化している。ここでは新聞ではあまり分かり難いと思われる点も含めて、もう少しく見ていきたい。

まず、先日のブログでも述べたように、一般的に防空識別圏が複数の国で重複することは珍しくはない。論理的には日本の様な島国では重複して当然と考える方が正しい。実際、韓国も台湾も、防空識別圏の重複を指摘して中国に異を唱えた。ただ、韓国と台湾では微妙にその意味することが異なる。韓国に関しては、防空識別圏の重複はあったが、韓国領土の上空に防空識別圏が設定されてはいなかった。ただ、韓国と中国は領土とは異なる暗礁である離於島(中国名・蘇岩礁)関する権利を争っており、この暗礁の上空には防空識別圏が設定されている。ただ、この暗礁は干潮時でも海面下4.6mの海中にあり、排他的経済水域としてこの地域を争っているだけである。だからその意味では、この問題は両国間の重大な懸案とはなりえない問題である。一方で台湾は、自国の領土と主張する尖閣諸島上空に防空識別圏が設定されたから領土を侵害されたことになり、立場的には日本と同じである。なお、台湾も防空識別圏を設定しているが、日本、アメリカとの外交上の問題化を避けるために自国領のはずの尖閣上空は防空識別圏には設定していない。この辺は、アメリカが沖縄を占領している時代の防空識別圏との重複を回避し、その後もその状態を維持したものと予想される。

ここで中国外務省の主張によると、韓国との間の防空識別圏に関する問題は外交的に解決可能との認識だそうだ。しかし、実際にはそう簡単ではない。何故なら、韓国は中国に対してこの空域を飛行する場合に中国に通告しないとしているが、韓国と台湾や東南アジア、オーストラリアなどとの間の飛行機がこの防空識別圏を何処かで通過するならば、これらは全て「申告のない国籍不明機」としてスクランブルの対象になりうる。中国が韓国の飛行機に攻撃を仕掛けることはないが、飛行機のパイロットからすれば他国の空軍機が毎回スクランブルをかけてくるとなると、それなりに精神的なプレッシャーが大きい。短期的にはどうか知らないが、必ず何処かで問題化するだろう。

さて、この様な中で「日本も防空識別圏を設定しているのに、何故、中国が防空識別圏を設定して問題なのか?」という疑問の声も聞かれるが、これは中国が宣言している防空識別圏に関する対応が世界標準からかけ離れた異常な行動であるからである。先日のブログでも紹介したように、領土・領空に対して防空識別圏は相当広く設定されているから、つまりそれは公海上の空域である。公海上の領空の飛行の自由は国際的に認められているから、中国への飛行計画の通告の有無にかかわらず、中国軍機は中国領空への侵犯が懸念される場合に進路変更を求める以外には、通行を邪魔する行動をとることは許されない。しかし、中国政府は「防空識別圏を飛行する航空機が中国軍機の指示に従わない場合は武力による緊急措置を取る」と明文化して表明しているから、世界的な認識は「公海上の飛行の自由を侵害する国際法に反する強引な主張」ということになっている。さらに、一般的には飛行計画などを提出する義務はなく、例えば防衛相は事項計画は航空会社からではなく、国土交通省から情報を取得している。日本発着以外の飛行機に関しては定かではないが、常識的には近隣諸国の国土交通省(国によって名称は異なるだろうが)間で情報の提供を相互に行えば、やはり防衛省は日本の国土交通省にアクセスすることで概ね情報を取得できる。だから、航空会社が直接飛行計画を提出しなくても、少なくとも中国空軍も飛行計画情報の収集は可能なはずである。

だから、この様な国際ルールがあるがために、アメリカは「われわれは識別圏を飛行する際、(中国に)飛行計画を提出せず、無線周波数などを認識させることもしない。米軍機は(中国が求める)措置を一切取ることなく飛行できる」と宣言している。当初は日本の航空会社(JALとANA)は中国に飛行計画を提出したが、政府からの飛行計画提出中止要求がなされた結果、両者とも27日から提出を取りやめることになった。結局、「みんなで渡れば怖くない」作戦とでも言うべき状況で、関係諸国が中国の要求を黙殺しても、少なくとも中国の領空を飛行しない限りは中国も無茶な行動は出来ないはずである。

ところで、今回の中国の行動は中国にとって「吉」と出たのか「凶」とでたのかどちらだろう?それを読み解くに当たり、下記の記事を少し見て頂きたい。

産経ニュース2013年11月26日「『不審機にはミサイル攻撃も』中国の軍事専門家

何てことはない、中国の軍事専門家が「外国機の圏内侵入に対しては、中国軍の防空ミサイル網が警戒態勢を取ると警告」したのである。また更に、は中国空軍の報道官は「中国人民解放軍は防空識別圏をコントロールする能力がある。安全を保障するため脅威に応じて適切な措置を取る」と述べたという。先にも触れた通り、防空識別圏といえど単なる公海上だから管轄圏など国際的には存在しない。しかし、これに対して中国国内では「実弾で攻撃すべし」などの声が高まり、専門家ですら上述の国際法無視の論調を公言する。

しかし、これらを世界中の人々は見ているのである。このニュースを耳にした人々は、全て、中国の横暴さを思い知ることになる。そして、明らかに戦前の日本を超えるような覇権主義にひた走っていることを目の当たりにする。一方で、新疆ウイグルやモンゴルなどの人権弾圧も激しい上に、PM2.5問題などで中国にビジネス拠点を置くリスクも急上昇中である。あの経団連ですら呆れるぐらいだから相当なものである。これは尖閣漁船衝突事件の後のレアアース禁輸措置で受けた中国のダメージを遥かに凌ぎ、様々な形で中国のバブル崩壊のリスクも高まることになる。
また、下記の記事は笑ってしまう。

産経ニュース2013年11月26日「韓国が防空識別圏拡張を協議へ

どうやら中国はパンドラの箱を開けてしまったようである。友好国と位置付けてしまった韓国ですら、対中国での防空識別圏の拡張議論に発展する。当然、中国の防空識別圏との重複範囲は広がる。中国外務省が考える話し合い解決は益々簡単には行きそうにない。

また今回の事態により、これまでは建前上は日本の集団的自衛権の議論では北朝鮮からのミサイルを想定して「アメリカ軍が攻撃を受けたら・・・」との議論だったかも知れないが、今後は「中国も含めてアメリカ軍が攻撃を受けたら・・・」との議論にすり替わることになる。この時、韓国は益々、立場的に苦しくなることだろう。何故なら、中国とアメリカを両天秤にかけたのは、絶対に何があっても中国とアメリカは戦争には至らないという前提があったからだと思うが、その前提が崩れるのである。アメリカからすれば、相手が北朝鮮であれば「アメリカ、一国で対処可能」と考え日本の手段的自衛権は無くても我慢できたが、相手が中国であれば日本の集団的自衛権は何物にも代えられない必須の条件となる。それを韓国がNoと言えば、アメリカの韓国に対する対応は更に厳しくなるのは目に見えている。つまり、韓国と組んで日本を歴史問題で攻撃しようという中国の魂胆は、結果的に破たんの方向に向かうきっかけを作ってしまった訳である。朴大統領からすれば、日本との対話の場を設ける良い言い訳にも使えるかも知れない。急遽、日韓首脳会談開催などというニュースを見ることになる可能性も否定できない。

今回の事態の背景には、習近平国家主席的には「日本も設定している防空識別圏を中国も設定する」という、世界が拒否できない主張を掲げて尖閣棚上げ論に日本を誘い込む作戦だったのだろうが、最後のところで軍部が暴走し、「どうせ防空識別圏を設定するなら、(通常の防空識別圏ではなく)日本の自衛隊機を防空識別圏に入り込めない様に脅しをかけてやれ!尖閣には近づかせないぞ!」と羽目を外し、結果的に習主席の意図しない方向に話が流れてしまったのではないかと思われる。しかし、今となっては後の祭りで、今更軍部に撤退(つまり、公海上の飛行の自由を認めるように、方針転換を公表させる)を指示すれば急速に支持基盤を失う可能性もある。この様な足元の乱れを見透かされれば、今の中国では新たな権力闘争に発展する可能性も否定できない。さらに、伝家の宝刀を抜いたら竹光だったことがばれてしまい、この結果、国内の不満を反日で逸らすことも難しくなる。新疆ウイグルやチベットなどを力で抑え込んだように、これからの中国国内は更に強権的になる可能性は高い。時限爆弾のカウントは益々進むことになる。

この様に、言うまでもなく今回の中国は「一人負け」状態である。さらに、バブルの崩壊を恐れるなら中国はこれ以上の強硬措置は取れないはずである。上げた拳をさりげなく引込めるのも得意な様であるが、日本政府は中国が拳を降ろしても言うべきことはしっかり言い、次回も同様の暴走が起きない様にしっかりと釘を刺すべきである。ここで、仏心を出してはいけないのである。

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国際司法裁判所に「日本の領土に中国が防空識別圏を設定した」と訴えろ!

2013-11-24 18:11:16 | 政治
昨日の夜9時前頃、NHKのニュースを見ていたら、中国国防省が尖閣諸島上空を含む東シナ海に防空識別圏を設定したとのニュースが報道されていた。小野寺防衛相が、この中国の行動は非常に危険な行動であることを非難すると共に、外務省では駐日大使に電話で抗議したとの話だった。テレビでニュースを見て検索をかけたが、日本の新聞は比較的反応が鈍いようだった。ただ、産経新聞だけは気合の入り方がちょっと違っている。タイムスタンプも含めて記事を羅列してみる。

(1)産経ニュース2013年11月23日12:39「中国、尖閣上空に『防空識別圏』日本と重複…空の緊張必至
(2)産経ニュース2013年11月23日21:22「米政府筋は懸念表明 中国の尖閣上空に防空識別圏設定で 対中抑止機能せず
(3)産経ニュース2013年11月23日21:45「中国『強兵路線』に 防空識別圏設置、政権求心力高める狙いか
(4)産経ニュース2013年11月24日00:36「中国の尖閣防空識別圏設定 警戒強める日本政府 不測の事態に発展も 遠のく関係改善
(5)産経ニュース2013年11月24日00:58「日本政府が中国に厳重抗議 防空識別圏設定で 防衛相『大変危険な行為』
(6)産経ニュース2013年11月24日03:31「主張 防空識別圏 中国は挑発の責任負うか
(7)産経ニュース2013年11月24日08:46「米、中国に『強い懸念』防空識別圏設定で伝達
(8)産経ニュース2013年11月24日10:54「防空識別圏、高村氏『中国に抗議すべき。一触即発回避を』

短時間の間に凄まじい勢いで情報発信している。この辺が今回の事態の重要性(少なくとも産経新聞はその様に認識している)を物語っている。ちなみに国外の新聞でもこの辺は報道されており、例えばウォールストリートジャーナルなどでも下記の様に報じられている。

ウォールストリートジャーナル 2013年11月23日「中国、尖閣上空など東シナ海に防空識別圏設定
ウォールストリートジャーナル 2013年11月23日「中国、尖閣上空などに防空識別圏設定―日中の軍用機衝突の恐れ

ここで、今回の事態がどの程度深刻かは少し冷静に判断してみたい。防空識別圏と言う言葉がイマイチなじみが薄い言葉なのでWikipediaで調べると、通常は領土から12海里に設定される「領海」に対しては領土と同等の権利が認められ、「領空」は領海の上空に設定される。しかし、12海里という距離は、航空機の飛行速度が超音速を超えた現在では、領空侵犯から領土に達するまでの時間があまりにも短いため、防空的な視点ではさらに領空の外側に防衛ラインを設定し、そのラインを超えた時点でスクランブル等の緊急対応が実施される。つまり、防衛上の必要性からくる「領域」ではあるが、国際法的に認められた確固としたものではない。その意味では、領土問題のない国と国の間でも、防空識別圏の重複は論理的にはあり得る話である。実際、今回中国が設定した防空識別圏の多くの部分は尖閣諸島を基点としたものではなく、(仮に尖閣諸島を日本領と承認したとしても)純粋に中国領を基点にした防空識別圏が設定されたとしても日本の防空識別圏と重複する事態は避けられない。この様な問題が今までは問題とならずに今回急に表立ってしまたのは、元々はこの空域には日本のみが防空識別圏を設定していたのであり、これまでは中国は防空識別圏を設定していなかったがためである。

逆に何故中国は防空識別圏を設定していなかったのかが疑問だが、この辺の背景は調べたが見つからなかった。あくまでも私の予想だが、当初、沖縄がアメリカの占領下にあった時、アメリカは沖縄を基点とした防空識別圏を設定していたのだと予想する。その後沖縄が日本に返還された後でも、日本はそのアメリカの設定した防空識別圏を引き継いで、沖縄駐留の米軍基地と合わせて、日米両国がこの防空識別圏を有効活用していたのだと思う。この当時の中国はまだまだ国力が(アメリカと対抗するには)劣っていたから、防空識別圏で対立する相手が日本に変わっても、日米同盟でアメリカの息のかかった日本に異を唱えることはしなかった。尖閣の領土問題自体は1972年以降になって中国が異を唱え始めたが、日本の尖閣を含む防空識別圏にこれまで異を唱えていなかったのは、尖閣の領土問題に本気で取り組んではいない表れだったのだと思う。それが今回は「本気」に変わったということなのだろう。中国の軍関係者の間では、それなりに前から(尖閣の領土問題以前の問題として)防空識別圏の設定の議論はされていたようで、日本の政府関係者も今回の件は「想定の範囲内」として冷静に見ているようだ。上記の産経新聞の(5)のニュースでも、昨日、この防空識別圏に合わせて中国軍機が日本に飛来したが、それでも尖閣周辺の領空を侵犯してはいない。この意味でも、中国はエスカレーション自体は「達磨さんが転んだ攻撃」の様に、亀の歩みでゆっくりと日本の主張に楔を打ち込み、気が付くと相当食い込んだ状態となっているという作戦なのだろう。

ところで、今回のニュースで一点、気になったことがあった。それは、中国大使への抗議が電話でなされたという点である。上記の記事の中では、外務省からの抗議は電話で行われ、明日の25日に実際に大使を呼び出して厳重に抗議するとなっている。私の感覚では、「何故、即座に呼び出さないのか?」と疑問に思ってしまうのだが、この辺が中国のしたたかさなのかも知れない。この防空識別圏の設定の効力は昨日の朝10時よりとなっており、本来であればそれを知らずに民間の航空機がこの空域に侵入した場合には危険が大きいから、事前に余裕をもって主知徹底するのが筋なのだと思う。しかし、ワザと週末(しかも、日本では祝日)に急遽発表し、電話で大使を呼び出そうとしたら「週末なので対処できない。週が明けたらお伺いする。」と開き直った回答を受けたのではないかと思う。丹羽前大使が呼び出されて、深夜に中国外務省に出向いた話は有名だが、勤勉なビジネスマン上がりの日本人が適切な対応が出来ず、結果としてあたかも中国が日本の宗主国であるかの様に演出してしまった。今回はその逆を行く演出なのだろう。

しかし、日本としても手をこまねいている訳にはいかない。反撃に出なければならない。しかし、力に対して力で反撃するのは賢明ではない。上記の(7)の記事にもあるように、アメリカも素早い反応で中国を非難したが、その他のイギリス、フランスなどの国々の力も借りて、世界に向けて中国の行動に対し「強制力による解決」に反対の立場を表明してもらえばよい。なお、ここでの「強制力による解決」に対する真逆の考え方が「法の下の支配」であり、日本はここでこのカードを切るべきだと思う。つまり、尖閣諸島の領土問題を国際司法裁判所に提訴するのではなく、日本の領土である尖閣諸島上空に防空識別圏を設定した行為に対し、国際司法裁判所での裁定を申し出るのである。尖閣諸島を実効支配している日本の立場としては、尖閣諸島を「紛争地」と認めることは決してできない。だから、領土紛争として尖閣問題を国際司法裁判所に提訴することは絶対にできない。しかし、今回の場合には尖閣諸島を日本の領土という前提で裁判に訴えるのだから、日本としては中国の主張に一歩も譲歩することなしに問題提起をすることが出来る。中国としてはその様な裁判は認めにくいが、少なくとも「尖閣は中国領」と洗脳されている中国国民は「待ってました!」「この機会に日本をやっつけろ!」と思うに違いない。中国政府もこの問題を黙殺することは出来ず、国際世論が裁判の受諾を認めるように中国に迫るだろう。

非常に危険な香りのする今回のニュースだったが、物事は冷静に考えて相手の戦略とは非対称な対応で相手を撃破するのが賢明である。是非とも国際司法裁判所に提訴して欲しい。

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必死で証拠を探した結果が示すもの・・・

2013-11-22 23:58:56 | 政治
何か、方向性の様なものが見えてきた感じである。以下のふたつの記事がその象徴だろうか?

産経新聞 2013年11月21日「主流になってきた『河野談話ノー』自民から共産支持者まで
朝鮮日報 2013年11月22日「慰安婦:強制連行示す資料6点、日本の公文書館で発見

最初の記事は、河野談話に対する国民の認識が変わり、自民党支持者は勿論のこと、共産党支持者でも半数以上が談話の見直しに賛成であるという。これは最近では産経新聞のスクープでもあったように、河野官房長官のもとで行った談話作成作業においては、軍が関与した強制連行を示す証拠は一つも見つからず、その根拠となった慰安婦の発言にしても、発言者への質問などの発言内容の裏取などが全くない、現代の裁判では証拠能力としてはとても認められない様な限定的な証拠をもとに、談話が作成されたことを一般国民が広く知ることになったことに起因している。実際に軍の関与による強制連行があったか無かったかの議論を横にどけて、韓国政府の「強制性を認めて謝罪すれば許す」という口約束を信じての政治判断であった。

これに対し、私を含めて多くの人は、「本当のところはどうなの?」という疑問を持つはずである。橋下大阪市長の例の発言も、まさにそのような疑問から来ている。証拠があるなら仕方がないから諦めて徹底的に謝罪する。しかし、それでも証拠がないなら「ちょっと待ってくれよ!おかしくないか?」と言わせてもらいたいのである。

しかし、あれだけ橋下市長が噛みついただけでなく、2007年には安倍政権が閣議決定で「強制連行を示す証拠はなかった」とまで断言しているのだから、日本に慰安婦の罪を認めさせたい輩は、必死になって強制連行・軍の関与の証拠を探しているはずである。日本国内であれば、不都合な証拠を隠滅してしまえという動きもあるのだろうが、中国や韓国では逆に何とかして(バレなければ嘘でもいいから)証拠をひねり出したいと思っていたから、相当な労力をかけて証拠探しを行っているはずである。

そんな中で、河野談話では僅かばかりの強引なこじつけで「軍の関与」と「強制性」を認めたのであるが、それは日本軍占領下のジャワ島で起きたスマラン事件(白馬事件)やマゲラン事件を根拠にしている。安倍内閣で閣議決定した「強制性を示す証拠はない」とする政府の立場に対し、2007年に当時社民党の辻元清美氏がマゲラン事件を例示して質問主意書にて軍の関与について噛みついている。これらの事件は1943年のほぼ同時期に起きており、娘を取られた抑留所のオランダ人リーダの一人が、日本軍の陸軍省の監督責任者に対して訴えたことを受け、その責任者が慰安所の閉鎖を判断していた。一説では責任者を処罰したとも言われるが、その責任者が日本軍の軍法会議などにかけられた記録まではない(あるのは敗戦後の裁判記録だけ)。私は正確なところは把握していないが、責任者に対して責任自体は追及されることになったが、実際に軍法会議にかけられる前にもみ消されたというのが実際だろう。ただ、慰安所が一斉に閉鎖させられていたのは事実であり、軍として不適切な行動であったことを日本軍も認識し、その状態を是正していた実績が証拠として残った形だ。これに対しては、敗色濃厚だから、あとで吊し上げられるのを恐れて閉鎖したと指摘する人もいるようだが、当時の日本軍がそんな負け戦を前提とした行動を取るはずがないのは誰もが承知のことである。だから、その意味では「軍人ないしは(複数の軍人としての)軍が関与した履歴は残されているが、それは日本軍を上げて、組織的に強制連行を行って慰安施設を構築していた証拠がないことを示したものである。ここまでの話は、私なども様々な機会に聞かされていた話である。

ここで、ふたつ目の朝鮮日報の記事は、さらに追加の強制連行の証拠が見つかったと大々的に報じているから、さぞかし「新事実」が見つかったのだろうと思いきや、記事を読む限りでは一部の不届きものによるあくまでも個人レベルの犯罪行為の証拠しか見つからず、しかもそのうちの大部分は先のジャワ島での事件に関連した裁判記録の様である。何も新規性のある証拠は見つかってはいない。益々もって、「そこまでして、やっぱ、その程度の証拠しか見つからないのか?(それ以上の証拠なぞ、最初からないんじゃないの?)」という気持ちになってくるのである。しかし、それでもそれがニュース記事になるというのは、「本当のところはどうなの?」と思う人たちをミスリードするために、「証拠は次々と出てきているから、強制連行があったと思っていいんだよ!」と訴えているかのようである。つまり「証拠が見つかった!」と言い続けるのが目的で、「その証拠の中身」については議論するつもりはないのである。

しかし、これだけ、日本と韓国・中国の関係がこじれていると、この様なニュースに対し世界の有識者たちは、早期の決着を狙って証拠の中身を自分なりに確認しようという動きが出てくるのではないかと思う。その時がチャンスであり、そのための情報発信を地道に続けなければならない。

日本維新の会の橋下代表は、最近では大阪構想で手いっぱいの様だが、この辺でもうひと暴れすれば、風向きは大分変っているのではないかと思う。その時、大手の報道機関がどの様な扱いをするのかは見ものである。

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キャロライン・ケネディ大使に安重根は「英雄」か聞いてみよう!

2013-11-21 23:55:23 | 政治
一昨日の帰り道、車の中で聞いたラジオで筑波大学の古田博司教授が日韓問題について解説を行っていた。その中で指摘された、最も重要なポイントを中心に今日は議論してみたい。

韓国の最近の反日ぶりは異常で、朴大統領の病的ななりふり構わない発言には、日本だけでなく世界中の多くの人が辟易していることだと思う。なぜそこまで彼女が反日パフォーマンスをしなければならないかは、彼女の生い立ちや現在の政治的、経済的な韓国の不安定さからくる自らへの不平不満を逸らすためであることは、言うまでもなく誰もが熟知していることである。しかし、韓国国民全体がその反日運動をお祭り的に肯定し、外国の総理大臣経験者を暗殺したテロリストである安重根を、国を挙げて英雄視する一大キャンペーンをしている辺りは相当違和感を感じるところだ。朴大統領が習主席に中国のハルビン駅に記念碑を建立することを依頼し、(実際のところはどうか知らないが、朴大統領曰く)順調にことが進んでいるというが、このことが何を意味するかと言えば中国の自己否定に近い。まさに、新疆ウイグルやチベットの人々が中国政府に楯突くことは彼らなりの独立運動だから、中国政府が彼らに「テロリスト」というレッテルを張っても、立場を変えれば独立運動の英雄という評価につながる。折しも、スペインの全国管区裁判所では、過去に中国が行ったチベットでの大虐殺(ジェノサイド)という容疑で、江沢民主席や李鵬首相ら元政権幹部5人に逮捕状を出したところである。だから、「歴史上の評価」は国によって真逆の評価があるのが当たり前であり、スペインの全国管区裁判所からの逮捕状を黙殺しながら安重根の英雄視を承認するのは明らかに矛盾している。中国からすれば「何でもかんでも、勝ったもん勝ち!」との理屈もあるが、サンフランシスコ講和条約でも戦勝国の一員として認められなかった歴史上の証拠を考えれば、韓国は日本には勝ってはいないのだから「勝ったもん勝ち」ではない。にもかかわらず、最近の様な無理筋の展開は何とも理解に苦しむ。

そんな私の悩みを解決してくれたのは、筑波大学の古田教授のひとことである。それは、「韓国は日本に戦いを挑んで勝利することが出来なかったので、現在の自らの立場の正当性を主張する柱を持っていない。」ということである。これだけだと少々「それだけ?」と言いたくなるところだが、実はもう少し奥が深い。日本においては、敗戦により連合国軍が日本弱体化のために様々なトラップを仕掛けたから、特に教育界や報道の世界の中に大量の左翼勢力が根付いてしまった。しかし、韓国にはその様な米軍によるトラップはなかったし、韓国の弱体化は北朝鮮による朝鮮半島の制圧を意味するから、どちらかと言えば真逆である。さらに軍の息のかかった政権などが続いてきたから、本来であれば左翼勢力が強固な力を持つ土壌はなかったはずである。しかし、中国は日本に対して戦いを挑んでいたし、北朝鮮の金日成元国家主席にしても抗日パルチザン活動をしていたから、これらの国には国家としての存在の正当性があるのである。言わば韓国は「棚ボタ国家」であり、日本との戦いの歴史がなかったことが韓国人にとってのトラウマなのである。だから、そのトラウマを正面から受け止めようとすると、抗日パルチザン活動をしていた北朝鮮(実際に戦争をしていた中国も同様)に国家としての正当性を認めざるを得ない状況があり、予想に反して左翼勢力が大きな力を握ってしまうのである。

一方、その様な左翼的な立場と一線を画しながらそのトラウマに勝つためには、「日本と戦って勝った」という空想の世界での精神的な柱が必要なのである。李承晩がリスクを犯して竹島を強奪したのには、多分、その様な背景があるのだろう。だから、「独島は我が領土」と子供たちにまで洗脳を続け、歌まで作ってお祭りの様な騒ぎを続けるのは、単に領土紛争という位置づけだけではなく、「韓国人の精神的な支柱」の死守という位置づけが本心なのだろう。

そうなると、慰安婦問題だろうが徴用工問題だろうが、さらには仏像返還問題などにしても全て、「日本に勝ち続けなければ、あまりにもガラス細工のように不安定な自分たちの精神的な支柱が崩れてしまう」という恐怖心が背景にあり、「しゃあない、この辺で許してやろうか・・・」と言えないのである。というか、実は過去にこの様な内容に近い発言をした人はいる。それは金大中元大統領であるが、彼は左寄りで親北朝鮮派であったから、空想の世界で精神的な支柱を求める必要はなかったのかも知れない。しかし、その様な人は一般的ではないから、日本人が「慰安婦問題など、韓国に謝罪して許しを乞うても(韓国の)政権が変われば、またリセットして謝罪のやり直しを求められ、何処まで行ってもゆすり・たかりは終わることはない」と感じる不信感は、(上述の説明を聞けば)相当な確率で確からしいことが分かるだろう。

しかし、その様な背景を知った上で考えてみれば、今回の安重根問題は日本にとってはチャンスである。安重根が伊藤博文を暗殺したのは(既に日韓併合の閣議決定はなされた後ではあるが)1909年で日韓併合の前年である。韓国は日本のことを戦争犯罪国と位置付けているが、世界的に見れば伊藤博文が暗殺された頃の日本はまだまともな国だったという評価が一般的だろう。だとすれば、世界は安重根のことを「英雄」と捉えるのか、それとも「テロリスト」と捉えるのか、それを聞いてみれば良い。手っ取り早いところでは、キャロライン・ケネディ大使にマスコミの方で聞いてみれば良い。間髪入れずに「英雄」と答えれば韓国の勝ち、「テロリスト」ないしは「歴史上の評価は国によって異なる(つまり、判断は難しいという意味)」と答えたら日本の勝ちである。キャロライン・ケネディ大使の発言は、一瞬で世界を駆け巡る。テロとの戦いに苦しんでいる米国が、短絡的に「英雄」と評価する訳はないから、このニュースをきっかけに「どうして韓国は、こんな無理筋の主張を続けるのだろうか?」と世界が考え始めるかも知れない。そして、それをきっかけに「日本と戦うことが出来なかったトラウマ」が世界に知らしめられれば、日本に関する世界の見方は変わるかも知れない。

ちなみに、「歴史上の評価は国によって異なる」は(少なくとも韓国人にとっては)日本の菅官房長官の主張の正当性を(部分的に)認めた発言であるから、キャロライン・ケネディ大使がこの様に発言すれば韓国のマスコミは一斉に大使をケチョンケチョンに叩きまくるだろう。しかし、アメリカ人にとっては準ロイヤル・ファミリーへの侮辱は許せないだろうから、事態はこの点でも日本にとって都合の良い方に流れ出す。

だから、例えば産経新聞あたりにこの様な質問をしてもらいたいと思う。如何だろうか?

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朝日新聞の最近の社説をまとめ読みしてみた

2013-11-20 22:29:43 | 政治
昨日のブログを書き終えた後で、久しぶりに朝日新聞の最近の社説を読んだ。その時に思ったことを書かせていただく。朝日新聞の社説一覧は下記のページでリスト化されているが、記事は有料会員でなければ見れないようだ。ただ、私はスマートフォンの「社説リーダ」を使っているので読むことができる。

朝日新聞 社説一覧

まず、人それぞれに思想信条の自由があるから何を書いても良いというのは認めるとして、ちょっと「それはないんじゃないの?」という気持ちになった。

最初に気になったのは福島第1原発の4号機の使用済み核燃料の取り出し開始の記事「核燃料の搬出―区切りにはほど遠い(11/19)」である。この関連記事は他の新聞社も含めて記事として読むことができるが、私は正直、感慨深い気持ちでそれらの記事を読んだ。このタイミングでそこまで進展していたのは、私としては驚きであった。もっと、亀の歩みのように進展が遅いのではないかと思っていたが、どうして中々の進展である。確かに、朝日新聞が主張するように「状況が飛躍的に改善する」状況ではないのかも知れないが、4号機の使用済み核燃料プールの危険な状態は、ちょっと福島第一原発に興味がある方なら良く知っているはずである。位置的には、原発の上部階に設置される核燃料プールため、水素爆発の影響で構造体が相当痛んだ状態となっている。次に震度6級の大きな地震が福島周辺で起きたとき、大津波が襲わなくてもプールに亀裂が入り、大量の水が漏れ出したり建物丸ごと崩れたりしたら、周辺の放射線量が急激に上がり、収束作業に致命的な影響が出ることは容易に予想できる。だから、ある程度は状態が安定している(汚染水の漏洩があるから、どちらかと言えば悲観的な事態だが)第1から第3号機よりも、対応的には喫緊の課題であったはずである。だから、燃料棒の搬出が開始され、1年程度である程度の目処が立つ状況ということは、大いに歓迎されてしかるべきである。しかしマスコミというのは癖があって、自分には大甘だが人には厳しく、100点満点が取れなければ99点も0点も同じだと考える傾向がある。今回のケースでは、汚染水の漏洩や情報公開の不備など、原点材料が多くあったのは認めるが、少なくとも加点材料はあるケースである。それが30点なのか50点なのかは知らないが、大震災によりマイナスからスタートしたのだから、プラスの点数を評価できるようになったのはひとつの区切りとも言うべきニュースである。それを、「100点じゃないからバッシングでOK」というのは、とてもではないが正当な評価ができる組織とは思えない。こんな報道機関ほど、「現場の社員はしっかりやっているが、会社(東電)の経営陣がダメだから駄目なんだ!」と気の利いた振りをしがちだが、結局、今回の報道などは「現場の社員もダメダメじゃん!」とレッテルを貼ったようなものである。血の通った報道とはとてもではないが思えない社説だと思った。

次に気になったのは「JR北海道―早く経営の刷新を(11/18)」である。全く持ってけしからんニュースなのだが、社説を何処まで読んでも、「悪いのはJR北海道の経営層」という決め打ちである。しかしご存知のように、この様な事態になったのは、経営層ですらタッチできない複数の組合・労組の強力な権力と、その労組間の権力闘争に絡むゴタゴタである。昨日のブログにも書いたが、ついつい「権力」というと国家でいえば「政府側」、会社でいえば「経営層側」にのみ権力が存在すると考えがちだが、実際にはそうはなっていない。政府の暴走を止めるためにマスコミには強大な権力が与えられているが、その権力を時として弄んで乱用することがある。労組は、組合員の権利を会社から守るために存在するのだが、時として過剰な既得権益を盾に経営層の介入を過剰に拒否したりする。生徒は先生よりも年下でか弱い存在と思われがちだが、体罰が許されないことを逆手にとって教師を恫喝する生徒も珍しくはない。現在は、様々な場で逆転現象が起きているのである。だから、外形的な上下関係ではなく、現実に即して問題を洗い出し、その問題の是正を報道機関であれば指摘すべきだが、この社説はそうはなっていない。例えば対立する組合間で、安全な運行に必要な情報の横通しができていない場合に、その状況の是正を会社が求めても労組側がそれを突っぱねていたら何もできない。大阪市役所も、組合に逆らう市長を選挙で落選させるための政治活動を行ったりして、間接的に上司の人事権を部下が持つという歪な状況が橋下市長により明らかにされたが、特に一部の報道機関の「反権力こそ正義」という短絡的な主義主張が、現在の歪んだ環境の元となっている。この記事では、その様な本当の意味での問題解決に切り込む覚悟が感じられない。

次は「原発ゼロ―最後は国民の意志だ(11/14)」であるが、朝日新聞を始め左寄りの報道機関は小泉元総理の即原発ゼロ発言に大喜びである。以前は散々、「ワンフレーズ・ポリティクスはけしからん」と言って小泉元総理の議論の単純化戦略を貶していた報道機関が、今ではこぞって小泉元総理の「ワンフレーズ」に酔いしれている。あの時、「短い言葉でイメージ先行の発言をするが中身がない」と散々いっていたのが嘘の様である。しかし、原発問題に取り組んできた記者であれば、一見単純そうに見える脱原発が何故単純でないかは、ちょっと考えれば理解できるはずである。先日のブログ「小泉元総理の原発即ゼロ発言をどう捉えるべきか?」でも書いたが、「トイレのないマンション問題」の致命的な課題(青森県で一時保管している使用済み核燃料の返却先や、海外で保管していただいているのプルトニウムが送り返された時の問題)に対し、今はまだ明確な問題解決のデッドラインとなる時期がもやっとしているが、パンドラの箱を開けることでデッドラインが僅か数年先(日米原子力協定の更新のある2018年)という実現不可能な時期に確定してしまうという事実を、この社説を書いた人達が理解できていないことは明らかだろう。小泉元総理の理解も怪しいが、それでも(私も思い切り尊敬する)元総理の心の奥底の戦略はイマイチ良く分からず、入り口は脱原発だが、出口は最終処分場問題なのかも知れない。それでも手放しで喜んでいる辺りが何とも短絡的だと感じてしまった。

最後は「社保庁解雇―政治のパワハラだった(11/13)」である。消えた年金問題の責任が問われ、社会保険庁の解体と日本年金機構の設立の流れにおいて、日本年金機構に採用されずに解雇された人の中に、著しく妥当性を欠く人が1/3ほどいたと人事院が判断したという内容である。確かにあの時は社会保険庁の無責任ぶりが問題となったが、解雇された人と無責任だった人との相関はなく、詰め腹を切らされた形だったというのである。その判断はその通りだと思うが、しかしあの時は社会保険庁叩きの一大キャンペーンをマスコミがこぞってやっていた。「社保庁社員の方を持つのか!」という空気を作り出したのはマスコミだったはずだが、その空気を作り出した反省は僅か一言で終わりで、「政治のパワハラ」と政治家のみを断罪している。どうも、都合の悪い時には自らの権力を過小評価するらしい。

例えてみれば、世界第2位のGDPの経済大国が、ことあるごとに発展途上国だから、経済規模に見合った社会的責任など担えないと泣きを入れながら、弱いものには軍事力を背景にパワハラを繰り返している、そんな風景に酷似している。都合の良い変わり身の早さとでも言うべきか。昨日のブログで書いたばかりだが、この人達には10年待てば自浄能力というものが芽生えるのか、相当怪しいと感じたところだった。

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時を経て権力の判断の是非を問うなら自らの襟も正すべきだ!

2013-11-19 21:55:30 | 政治
現在、特定秘密保護法案の審議が進んでいる。私のスタンスは、特定秘密保護法案の必要性を支持する一方で、後世の歴史家による「時の権力者の判断の是非」を問うメカニズムを担保するべきだと考えている。その意味で30年後の原則公開と、例外指定する場合ハードルの設定は重要である。ただ、今回はその辺のメカニズムのあるべき姿は横において、今日は特定秘密保護法案を肴にして異なる視点で「時の権力者の判断の是非」の後世の評価の重要性を議論してみたい。

現在話題の秘密保護法案の中では「知る権利」の担保が議論の中心にある。言うまでもなく「知る権利」とは国家権力を監視する機能を担保するための権利であり、「思想信条の自由」「表現の自由」など、一般国民と共に報道関係者に対する権利が保証されている。これは民主主義の根幹にかかわる部分であり、良い政治家を当選させ、悪い政治家を落選させることで国民の意図の通りに政治を動かすためのツールである選挙制度とリンクさせられて機能するものである。だから、時の政権が道を踏み外そうとした時、その事実を把握するための「知る権利」は極めて重要であることは議論の余地はない。それはその通りである。

しかし、これまた多くの人の同意が得られると思うが、現在は民主主義の根幹である選挙制度は十分機能しているとは言い難い。ポピュリズムに駆られた大キャンペーンを行い、その結果として当選するのに必要な人数の支持が得られれば、その人は大多数の人が「この人は政治家として不適格」と思って入れも、その当選を阻止することは出来ない。マイナス票という票がない以上は、例えば参院選などのように複数人数区であれば当選の確率は避けられない。勿論、衆院選であれば良いかといえばそうでもなく、小選挙区という限られたエリアで評価されてしまえば、全国的には不適格者と評価されてもやはり当選しうる。比例代表制に至っては、その政党の名簿順位によっては、得票数に関係なく楽勝で当選することもあり得るのである。だからこそ、選挙制度は定期的に見直しが行われている。

この様に、選挙制度というものが不完全で、理想的な政治の実現のためのツールとして不十分であるのは我々も知っているのだが、これはジャーナリズムにしても同様のことが言える。10日ほど前のブログ「韓国メディアが韓国を戦争に導く兆候を示し始めた・・・」の中でも引用させて頂いたが、池田信夫氏の下記の記事にあるように、ジャーナリズムの良心というものも余り過剰に信頼してはいけないのである。

アゴラ 2013年10月25日「検閲より商売 - 『そして、メディアは日本を戦争に導いた』

この記事にあるように、第2次大戦中に朝日新聞系の新聞社は「戦争をあおればあおるだけ売れる」という判断から、思いっきり好戦的な論調を繰り広げた。つまり、ジャーナリズムが持つ権力というものが商業主義に走る時、国家権力のもつ危うさと同様の危険が付きまとうのだが、その危うさに対する自覚というものが今のジャーナリズムには感じられない。勿論、ジャーナリズムに対して検閲的な監視メカニズムを組み込むことは政府の監視機能を弱体化するから危険であるが、あまり既得権益的に特別扱いしている現状がそれで良いのかといえばはなはだ疑問である。

例えば、ヨーロッパなどの消費税率が20%を越えるような国では軽減税率として新聞などを非課税にしている例が多いが、これなどは権力を傘に着て乱用した結果の過剰優遇ではないかと思う。もちろん、そこまでして正しい行動を行っているのであれば納得もできるが、「正しい」という概念は絶対的なものではないから、それをいいことに偏った報道をしても開き直ることができる。朝日新聞の慰安婦報道などは、読売新聞をして「誤報を誤報として朝日新聞は認めるべきだ」などと責められるほどだから、朝日新聞にもこの現実に正面から向き合っていただき、自分なりの総括をちゃんとして欲しいものだが、朝日新聞はこの問題を黙殺して正面から向き合おうとはしない。また、安倍総理の発言を捉まえて「右傾化も甚だしい」と批判の声を上げるが、その100倍以上に右傾化が激しい中国や韓国の右傾化の報道などは殆どなされない。その際たるものはヘイトスピーチ報道であり、両者、どっちもどっちの双方が偏った集団だと思うが、新聞やテレビの報道では一方のみを批判的に取り扱う。さらには、そのヘイトスピーチの100倍以上過激な本国での超ヘイトスピーチ問題はスルーして報じない。私のブログで腐るほど指摘している「事実」と「真実」の違いをジャーナリズムを自負する人には意識して欲しいのだが、事実を恣意的に捻じ曲げて報道しながら「事実なのに、何が悪い!」と開き直るのでは人々を幸せには導かない。それが世界標準なら良いが、世界標準から極端に乖離した日本人の美徳は、世界に出ると逆効果なのである。

日本人の美徳として、「他人のことは他人に任せ、まずは自分を厳しく律しましょう」という考えに基づき、韓国や中国の横暴を暴露せずに日本の些細な発言や問題を過剰に騒ぎまくる。その分かり易い例は、例えば日本の歴史教科書の検定制度に関連し、日本は周辺諸国条項で近隣諸国の国民感情に配慮することにしているが、中国、韓国には日本に対する配慮などありえない。中国、韓国が不適切な記述を自国の教科書に記述しても、それを日本は相手国に是正させる術を持たない。一方で中国・韓国は、近隣諸国条項を盾に世界に「日本、けしからん!」と発信してそれが力技で反映されたりする。しかし、この不平等な関係が日本の教科書問題の報道で指摘されることは稀である。

また、この様な問題は報道機関に限ったことではなく、有名な言論人の中にも誤った情報を発信して責任を取らない輩も多い。その最たるものは、ノーベル賞までとった某作家であろう。今から50年ほど前、戦時中に日本に渡った在日朝鮮人の帰還事業が行われていた際、北朝鮮のことを「地上の楽園」と持ち上げて多くの若者を地獄に導くことに手を貸した人が、その言論活動の総括を行っていない。最近では反原発を気取っているが、どうも中国が核実験に成功するとそれを賞賛していたとも言う。このような人が平和や安全を平気で語り、それをノーベル賞の権威の威を借りて囃し立てる。

頭に血が上った当事者が、リアルタイムで適切な判断を下せないのは良く分かる。機密保護法の秘密を指定する側が、当事者として適切に開示できないリスクも良く分かる。30年もの時を経て、それでも時の権力者が適切に情報開示できない可能性を指摘するのはご尤もだと思うが、それを指摘するのであれば、危険な権力を持つ自分たちが行ってきた権力の行使が適切であったのかを、自分達の手で検証する評価機関を作って欲しいと私は強く思う。そこには国家など関与せず、報道機関が自主的なルールを作り、そのルールの上で議論を戦わせれば良い。つまり、自分たちが過去に行ってきた報道の是非を、有識者や各社の責任者を交えて、毎年、10年以上経過した案件の報道に対する総括を行う制度を導入してみては如何かと思う。もう既に何十年も経過した話題もあるから、最初のうちは10年以上前の記事を重点的に総括することになる。その中では、当然ながら朝日新聞の慰安婦報道なども取り上げて頂きたい。北朝鮮の拉致被害者の救済を求める政府の声に、捏造だでっち上げだと批判的だった人々に対しても、その総括をして頂きたい。

特定秘密保護法案の秘密の公開は、その時の政治判断の是非を検証するために行われる。であれば、商売のために言論を捻じ曲げた人々は、同様にその判断の是非を評価されてしかるべきである。それは機密でも何でもないから、10年ほどの年月を経れば冷静にもなれるであろう。ジャーナリストは、自らの権力をもう少し謙虚に見つめ直して頂きたい。言論の自由は「既得権益」だと開き直らないで欲しいのである。

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韓国と中国の共同で「新疆ウイグル」の歴史教科書を書いてもらおう!

2013-11-15 23:55:39 | 政治
韓国の朴槿恵大統領が面白い提案を行った。今日はこの提案の活用方法について提言してみたい。

朝鮮日報2013年11月14日「朴大統領 韓・日・中の共同歴史教科書発刊を提案

朴大統領曰く、「ドイツとフランス、ドイツとポーランドのように北東アジア共同で歴史教科書を発刊することで欧州のような協力と対話の慣行を積み重ねることができる」とのことで、歴史教科書を日本、韓国、中国でまとめ上げることができれば、現在の歴史問題に対してプラスの効果をもたらすと期待しているらしい。

ただ、我々日本人であればこの手の議論が如何に不毛かは経験的に痛感している。何度も同様の努力をしながらも、歴史教科書の作成過程の基本姿勢が日本と韓国の間では180度異なる。日本の場合には当然ながら、全ての記述は証拠に基づいて真偽を判断する。例えば邪馬台国論争などのように、諸説があれば諸説を併記しながらその根拠を明確に示したりもする。あくまでも、客観性を重視した記述を尊重している。しかし言うまでもなく、韓国では証拠などは意味はなく、現在の自らの立場に沿った記述が「正しい教科書」なのである。その辺の事情を上手く記述した記事がある。

Zakzak 2013年9月26日「【突破する日本】日中韓で異なり過ぎる歴史観 韓国はファンタジー 中国はプロパガンダ

最近は良く聞かれる表現だが、「歴史は日本では『ヒストリー』だが、中国では『プロパガンダ』、韓国では『ファンタジー』である」といわれている。つまり、証拠を拠り所にしないのであれば、何処まで行っても着地点を見出すことは出来ない。また、事実を事実として記述するのではなく、「ファンタジー」であるためにはひとつの事実を自分に都合の良いストーリーに書き換えなければならないから、その意味合いは本来の姿と180度違ったものになるかも知れない。分かり易いところでは、日本の総理大臣を暗殺した犯人は、世界標準に基づく客観的な評価では「テロリスト」であるはずだが、韓国においては「日帝の悪魔を成敗した英雄」となる。これを両論併記すればまだ許容できるが、「ファンタジー」に「読者を夢から覚めさせるダサい記述」が書ける訳もなく、一方的にファンタジーを強要せざるを得ない状況がある。日本の歴史研究家や言論人は、この点で長い間煮え湯を飲まされてきた。だから、この様な提案が如何に不毛であるかを熟知している。

しかし、韓国人の理解は全く異なっている。「我々が正しい歴史を日本人に諭しているのに、日本人は頑なだからこれを受け入れなくて困っている」という考え方なのである。だから、この現実をまずは韓国人に自覚してもらうしかない。しかし、日本人が何を言っても聞く耳を持たない。ただ、例えばアメリカやヨーロッパ諸国がそれを指摘しても、「あなたたちは韓国のことをFar Eastの小国だと思って何も知らないだけ」と反論して議論にもならない。であれば、その現実をどの様にすれば痛感させることができるだろうか?

応えは簡単である。中国と韓国が共同で歴史教科書を書いてみれば良いのである。この場合、もし記述に大きな隔たりが生じても、お互いは当事者だから「あなたは何も理解していない!」という言い訳などできない。中国は長い歴史に中で朝鮮半島の国々を属国として扱い、長い間搾取をし続けてきた。朴大統領は「1000年忘れない!」と言い切ったが、もしそれが正しくてしっかりと過去のことを覚えていれば、それは屈辱の歴史である。中国がその屈辱の歴史を、支配者としての立場からありのままに記述しようとすれば、それは決して韓国国民にとってはファンタジーにはならない。支配されていた時期もあったが、長きに亘り独立を勝ち取っていた(はず)と韓国は主張するだろうが、それは今の中国の歴史とは違うストーリーであるはずである。だから、歴史研究を共同で進めれば進めるほど、両者の亀裂は深まるばかりである。それを痛感するには丁度良い提案である。だから、「日本はペンディングとして暫くは様子見で参加しないから、取りあえず中国と韓国で中世以前の歴史を進めて下さい。有益な進展があるようであれば、途中から参加させて頂きます」と答え、両者の対立を模様眺めすれば良いのである。

ただ、そこで仮に中国と韓国が歴史教科書の共同研究を始めたら、そこで面白いボールを日本側から投げ込むことを提案してみたい。それは、「新疆ウイグル」の歴史の記述を韓国、中国の両者ですり合わせを行わせるのである。「新疆ウイグル」は大陸故の悲しい征服の歴史を繰り返し、18世紀に清に征服されて「新しい領土」という意味の「新疆」という枕詞を付けて呼ばれるようになった。清の崩壊以後も中華民国に支配され、それでも1933年と1944年の2回に渡り、独立を試みた。一旦は独立に成功するものの、しかし1949年に現在の中国に征服され、「新疆ウイグル自治区」という名称の今現在に至っている。この歴史の流れは、言ってみれば日韓併合の歴史に相通じるところがある。日韓併合との違いは、日本の場合は(国民レベルではある程度の蔑視のような冷ややかな目はあっただろうが)政府的には韓国の教育レベル、経済レベルを引き上げ、本当に日本と同化させる政策を取っていた。だから、朴正煕は日本軍において中尉にまで上り詰めることが出来たのである。しかし中国の場合は、ウイグルを完全に征服して民族を弾圧し、その資源や財産を略取している状況である。過去にも何度か書いたが、中国の核実験では19万人ものウイグル人が急死し、129万人もの人が健康被害をこうむっていると言われている。最近の民族の弾圧の比ではない。

まあ、韓国としては日本と中国の併合・征服の差分を認めることは出来なくても仕方がないが、少なくとも「新疆ウイグル」の歴史は戦前の韓国の姿を映す鏡の様なものであることには容易に気が付くはずである。その「新疆ウイグル」の歴史を韓国の歴史学者がどの様に総括を行うかを私は見てみたい。それを「正当な行為」と評価しても、「不当な民族弾圧」と評価しても、いずれにしても韓国は何らかのものを失わざるを得ない。だとすれば、乗りかけた舟でありながら、途中でさじを投げだして撤退せざるを得ない状況に追い込まれるはずである。

その時に我々は冷静に語りかけるのである。「歴史とは、そういうものなのだ。歴史の評価を複数の国ですり合わせるためには、証拠に基づく事実の収拾しか手はない。証拠を抜きに議論すれば、永久に着地などできないのだ。歴史の中では、征服者が一方的に都合の良い筋書きを描いてきたが、現在では一方の主張に基づく都合の良いストーリーを『歴史』とは呼ばないのである・・・」と。それでも韓国は納得しないだろうが、「中国も韓国も悪いのは全部、相手の方!」という主張に説得力が無くなるのは目に見えている。

だからこそ、朴槿恵大統領の提案を私は歓迎したいと思っているのである。

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小泉元総理の原発即ゼロ発言をどう捉えるべきか?

2013-11-14 23:33:57 | 政治
小泉元総理の原発即ゼロ発言には驚いた。これまでの私のブログでも「即ゼロとは言っていない」という見解を示していたが、どうやらそれは「違う」との主張のようだ。今日はこの件についてコメントしたい。

小泉元首相の主張のポイントは単純で、ひとつは「使用済み核燃料の最終処分場が確保できない」という点、もう一つは「政治で一番大事なことは方針を示すことだ。原発ゼロという方針を政治が出せば、必ず知恵のある人がいい案を作ってくれる」という点である。順番に見て行こうと思うが、まずは後者の方に着目したい。

「政治が方針を示せば、知恵のある人がいい案を作る」というのは一見正しそうに見えるが、実はこの道は既に歩んできた道である。野田総理の時代に、「政治が方針を示した」ことがある。民主党内のポピュリズム派の議員が原発ゼロを党内の大勢にまで高め、野田総理もその方向で調整をして閣議決定する予定だったが、閣議決定直前にちゃぶ台がひっくり返され、結局閣議決定を見送った。それは、総理大臣ともある人は、表に出ている綺麗ごとだけではなく、表に出したら魑魅魍魎が湧き出るような問題までをしっかりと考えて十分に調整を行い、開けてはならないパンドラの箱が決して開かない様に十分に事前の調整を行わなければならない。その辺の事情は私の過去のブログ「原発問題の論点を整理してみた!」にまとめている。手前味噌で恐縮だが、それなりに良くまとめていると自負しているので、興味があれば(1)(2)だけでも読んでみて欲しい。この中の「(1) 使用済み核燃料の扱い」の中でも示したが、六ヶ所村での核燃料の保管は再処理が前提であるから、再処理の打ち切りと共に保管の必然性がなくなり、その場合には即座に全国の原発に返却されることになっている。今、原発政策において政府の信頼が揺らいでいるが故に政策遂行が上手く進まない状況だから、即原発ゼロを実行に移すためには「政府は信用できる」と誰もが疑わない形で進めなければならない。であれば、青森県からの「約束を守ってくれ!」と言われたら、その約束を守らざるを得ない。しかし、その約束を守るためには使用済み核燃料を全国の原発施設に運ばねばならない。しかし、即原発ゼロ派ないしは反原発派の人達は、決してそんなリスクの受け入れを認めないから、使用済み核燃料を何らかの輸送手段で青森県から搬出したとして、受け入れ側の原発の直前で搬入を阻止する行動がとられ、輸送途中の不安定な状態で宙に浮いた状態になってしまう。これこそ究極の危険な状態なのだが、デッドロック状態になってその危険な状態が継続するのは目に見えている。結果として政府の信頼は地に落ちて、物事が何も進まない状態になる。この状態を解決する手は唯一で、青森県に再処理を再開することを確約して使用済み核燃料を再度引き受けてもらうしかない。この展開は容易に予想できる。

これよりも更にたちが悪いのは、「(2) プルトニウムの処分について」の方である。英仏がMOX燃料への加工を前提に日本から運び出して保管してくれているプルトニウムが大量にあり、これが原発即ゼロとなった途端に一気に日本に送り返される。さらに深刻なのは、このプルトニウムの保管は日米原子力協定で承認されているのであるが、その更改時期が2018年に訪れる。この時に原発即ゼロとなっていれば、契約延長は出来なくなるのは確実だから、即座のプルトニウム処分が国際的に迫られることになる。しかし、小泉元総理の議論の前提には使用済み核燃料の最終処分場が見つからないことがあるのだから、このプルトニウムの最終処分は論理的に出来ないことになる。明らかな矛盾である。

私のこのブログでは7つの課題を示させて頂いたが、確かに(3)~(7)の課題であれば小泉元総理の主張である「必ず知恵のある人がいい案を作ってくれる」というのも期待が出来ると思う。それは否定しない。私の先日野ブログ「」では、その可能性として海流発電を紹介させて頂いた。天気にも昼夜にも季節にも依存しない安定した発電機の稼働を実現可能であり、これなら何とかなるかも知れない。3~4年先にメタンハイドレートの実用化が可能になり海外に頼らない火力発電が可能になれば、海流発電の実用化が仮に10年近くかかるとしても何とか凌ぐことは可能だろう。シェールガスの輸入の目途も立ち、直近の3~4年を乗り切れば何とかなるのであれば、夢や希望も持つことは出来る。

しかし、である。上記の(1)(2)だけは知恵のある人でも解決できる問題ではない。最終処分場のリスクを何処かで引き受けないことにはこの問題を解決できないのである。ちなみに、ある時一瞬だけ光明があった時期がある。私も最近になって知ったのだが、日本とアメリカが共同でモンゴルと交渉し、少なくともモンゴルから輸入した核燃料は使用後にモンゴルで引き受けて最終処分するという下交渉が2011年の時点で行われていたという。飯島勲内閣官房参与がBSフジの番組内で語っているのを聞いて知ったのだが、下記の日本語版Newsweekにもそれらしき記事がある。

日本語版Newsweek 2011年4月1日「アジアの核廃棄物はモンゴルへ?

もっともこの計画は事前に暴露され、話がまとまる前にモンゴル国内で反対運動が起きてとん挫したという。可能性があると言えばこれしかないような気もするが、札束で貧乏人の顔を叩きつけるような行為であるのは間違いないので、この様な計画が本当に上手くいくとは私にも思えない。

であるとすれば、「知恵ある人はアイデアを出して!」と求められたら何と答えれば良いのか?私にはひとつだけ、この様なデッドロックを解決する解決法があるのではないかと思っている。ひょっとしたら、小泉元総理はその様なことを目論んでいるのではないかとすら思っている。それは、「原発ゼロ」と「最終処分の実現」をリンクさせることである。つまり、安倍政権は「最終処分場が国民の合意のもとで決定されたら、その処分地の建設着工の日を基点にして、5年以内に原発ゼロを実現する」という宣言をするのである。言い換えれば、「原発を早期に廃止したければ、最終処分場の決定に真摯に取り組みなさい。反対ばかりしていたら、原発を廃止できませんよ!」と相手にバーター取引を迫るのである。以前から「『トイレのないマンション』論議が向かうべき先は『脱原発』なのか?」の中でも指摘させて頂いているように、原発ゼロではトイレのないマンション問題を解決することは1ミリも出来ない。単に、問題解決の先延ばしが出来るだけである。しかし、その先延ばしのつもりが上述の(1)(2)のために、先延ばしどころか即時の解決が迫られる事態になるのである。だから、トイレのないマンション問題を解決するためにも、「原発ゼロ」と「最終処分の実現」をリンクさせることが有効なのである。

かくして、最初に述べた小泉元総理の「使用済み核燃料の最終処分場が確保できない」という問題、「原発ゼロという方針を政治が出せば、必ず知恵のある人がいい案を作ってくれる」を両立するためには、「原発ゼロ」を引き換えに「最終処分の実現」を迫るしかないのである。
多分、今後ますます、原発ゼロでトイレのないマンション問題が解決できないことは話題になるはずである。その点を小泉元総理がどの様に裁くのか?そこが見所であり、大穴ではあるが私の予想する流れを期待したいところである。

【補足】
ちなみに、私は「『トイレのないマンション』論議が向かうべき先は『脱原発』なのか?」で書いたように、自治体による最終処分場の受け入れは非現実的だと思うので、核燃料再処理施設の実現技術確立が遠回りの様で近道ではないかと考えている。ただ、この流れに戻るためには、最終処分場の建設が不可能という国民的な合意が必要であり、そこに至るまでのサイクルとして上述の「原発ゼロ」と「最終処分の実現」のリンクに意味があるという立場である。

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韓国が後戻りするための処方箋

2013-11-13 23:58:24 | 政治
ちょっと驚くべき記事に出会った。

朝鮮日報2013年11月13日「【コラム】日本を見る目、世界が馬鹿なのか

驚くことに、この記者は極めて冷静に日本と韓国の現状を分析している。日本を何処まで行っても「戦犯国」と呼ぶところは多少は韓国のバイアスがかかった部分も見られるが、記事を読めばその辺は全く議論の本質とは関係なく、日本の何処が評価できて韓国の何処が評価できないのかが詳しく解説されている。あれだけ反日バイアスの強い朝鮮日報であるのだから、そんな新聞社がコラムでこんなことを書いて大丈夫かと私の方が心配になってしまうのであるが、タイトルの「日本を見る目、世界が馬鹿なのか」の意味は、「いや、決して世界は馬鹿ではない。反省すべきは韓国だ!」という裏の意味を持っている。この記者が暗い夜道を歩かないことを祈るばかりだ。

例えば、日本の集団的自衛権の行使を世界各国が評価する理由を、「日本が国際社会で『信頼できる国』『合理的な国』だという評価を得られた」からとしている。極めて妥当な評価だ。そして、ドイツが戦犯国としての反省する立場に立っている理由はイギリス、フランス、アメリカを敵に回したから謝罪・反省せざるを得なかったとし、日本は相手が韓国だから反省する必要がなかったとしている。部分的には認めても良い議論だが、しかし大局的にはこれは日本人なら誰でもご存知のように誤りであり、日本に徹底的に謝罪・反省をさせるべきタイミングで朝鮮戦争が勃発し、アメリカ国内での反共産主義の高まりを反映し、アメリカは日本を自陣営に引き込むために「(罪悪感で左傾化するくらいだったら)謝罪・反省はもうその辺でいいよ!」というスタンスを日本に示した。しかし、そんな正解は横においておいて、この記者のポイントは、「では、韓国がイギリス、フランスに成れれば日本も本気で謝罪するはずだが、現状の韓国はイギリス、フランスの様な世界的な評価を受けている国に向かっているのだろうか?」という点を論点としている。そして「答えは否」として、そこが問題だとしているのである。以降の議論は基本的にはこの様な点を繰り返しかみ砕いて説明している。

さて、この様な冷静な評価を読みながら、一体、この記者は何者だろうと気になった。記者の名は楊相勲(ヤン・サンフン)で、役職は論説室長だという。一体、この記者はどんな記事を書いているのか気になった。朴大統領が狂人的な病的反日妄想に突き動かされている中、「流石の朝鮮日報もまずいと思って方向性を転換し始めたのか?」と最初は思ったが、この記者は何年も前から同様の記事を書いているのである。流石に過去記事は朝鮮日報では有料会員のみにしか読めない様だが、「楊相勲」「朝鮮日報」で検索すればいろいろ出てくる。指あたって下記の2件を見つけた。朝鮮日報のサイトでは読めないが、そのタイトルを検索すれば記事の内容は取りあえず読むことは可能だ。一度読んでみれば良いと思う。

楊相勲(ヤン・サンフン)論説委員記事
朝鮮日報2007年9月19日「【コラム】うそで塗り固められた詐欺王国・韓国」
朝鮮日報2013年6月3日「【コラム】それでも世界から愛される日本」

驚くべきは1件目で、韓国人は嘘で塗り固めた話をする癖があるということを指摘し、それは世界的に見ても独特な病的な部分であり、それを認めるところから始まるという。そして、嘘でごまかすのではなく、事実を受け入れることからくる「基本に忠実になるということ」を忘れた韓国を批判している。「いや、日本もそこまででは・・・」と謙虚に謙遜したくなる記事である。2件目の記事は最近の記事だが、中国や韓国の強烈なネガティブキャンペーンの中でも、日本は世界の中で圧倒的に愛されている現実と、世界の中では特に欧州において(ポジティブな評価もあるが)ネガティブな評価が多いのが韓国人の特徴であるとしている。そして、その後には今回の記事と同様の議論が続いている。

韓国での反日はお祭りの様なもので、日本で言えばクレーマーやモンスター・ペアレントに近いものである。その当事者は決して自分のその様な姿を冷静に見ようとはしない。多分、この記事はその様な人々の心には響かないだろう。また、この様な人が一人居たからと言って、我々の韓国への評価が変わることもない。しかし、何処かで韓国が過ちに気が付いたときに、「何処まで自分たちは後戻りすれば良いのだろう?」と思い悩むときに処方箋として機能する可能性はある。その時に処方箋がない状態であるよりは彼が存在することは雲泥の差である。

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韓国国内の慰安婦に関する魑魅魍魎

2013-11-12 23:53:31 | 政治
先日から韓国国内の新聞では話題になっていたニュースが、日本でも話題になりつつある。

ハンギョレ新聞2013年11月6日「‘基地村女性管理’朴正熙 親筆署名文書 公開

読んでの通りのニュースなのだが、事の重大さは下記の記事の方が理解しやすいだろう。

サーチナ 2013年11月11日「朴正煕政府が売春女性を慰安婦と呼び管理=韓国議員が資料公開

つまり、日本の第2次大戦中の慰安婦問題をホロコーストに匹敵する非人道的行為と糾弾する韓国国内において、朴槿恵大統領のお父上の朴正熙大統領の指示の元、米軍兵相手の慰安婦施設を国家で公式に管理していたという証拠が、朴正熙大統領の署名入りで見つかったという内容である。更には、実はこの「基地村」と呼ばれる問題は以前から問題となっており、下記の記事では4年ほど前にも「基地村被害者」と日本の「慰安婦被害者」達が手を携え、共に戦うことを誓い合ったという。

ハンギョレ新聞2009年5月9日「慰安婦-基地村 ハルモニ ‘同病相憐 初の出会い’

こちらの記事の最後には、日本の慰安婦の場合には日帝に立ち向かう人々と認識されて評価される一方、基地村被害者の場合には白い目で見られて辛い思いをしていたということが記されており、「今回の出会いは当事者たちが社会的偏見を破って自ら立ち上がった歴史の一場面」と囃し立てていた。しかし、実際には韓国の恥部を自らさらけ出すはずはなく、韓国政府は黙殺を図ろうとしていた。その事情は、最初の記事に記されており、ある議員がこの朴正熙大統領の署名入りの証拠を示して、「当時性病にかかった基地村女性は強制的に収容生活をさせられた。事実上、国家が組織的に性売買を管理したわけだ」と国家の責任追及をすると、韓国の省庁に相当する女性家族部の長官は「該当文書を初めて見る。被害者支援の次元で文書が作成されたと見られる。 資料を見て全般的な考証作業を行う」と答えたが、実はこの議員は1年前に既にこの資料を見せて同様の質問をし、当時の長官より調査の確約を得ていたが、結局、全く調査に着手せず後任に引き継ぎもされなかったことが暴露されてしまった。記事から確かなことは読み取れないが、今回、朴正熙大統領の署名入りの証拠が公に公開された背景には、昨年は内々の国の対応を期待して要求したことが黙殺され、公開するしかないと判断したかのような流れである。

日本の慰安婦の場合は借金の方や騙されて金で売られて身を落とした者もいるのは事実であるが、基地村被害者の中には性病の予防や治療のために無理やり注射を打たれ、ショック死で死亡したものもいるというし、性病になった者は強制的に隔離されて自由を奪われたりしている。辛い身の上なのは同様である。基地村被害者は、主として米軍を対象として国家が管理したものであり、アメリカからの外貨獲得の主軸にも据えられ、国家的な強制性をもって管理されていたとも言われる。この意味で、慰安婦被害者と基地村被害者は同類の様な扱いがされているが、実際には大きな相違点が存在する。基地村被害者は相当な国家レベルで管理された慰安婦制度であることが疑いもない証拠と共に存在するが、日本の慰安婦問題は国家の関与の証拠がなく、その点では当時としては世界中で存在していた民営の売春宿と同レベルとの見方が出来る。だから、ここまでの証拠が出てきたのであれば、韓国側が日本の慰安婦の非人道性を非難するのであれば、日本軍の積極的な関与や強制性の証拠が問題となってもおかしくはない。

ただ、このニュースを今しばらく静かに眺めていた方が良いのではないかと私は感じている。韓国における慰安婦の歴史は、何もこの基地村被害者だけでは決してない。朝鮮戦争当時もしかり、ベトナム戦争ではさらに酷いことが起きている。Wikipediaで「韓国軍慰安婦」を検索すれば、ドロドロとした暗黒の歴史が脈々と続いていることが分かる。特にベトナム戦争では、韓国は慰安婦制度を導入しようとしてアメリカ軍に反対され、その結果としてベトナムでの驚異的な数の強姦事件の多発とその結果としての混血児出生問題である「ライダイハン」問題が残っている。にもかかわらず、ベトナムを訪問した朴槿恵大統領は謝罪もせずに知らぬ顔をした。

最近の韓国では、数学社の歴史教科書の中で、朴正熙大統領および李承晩大統領時代を称賛する動きがあり、その様なこれまでの流れと一線を画す教科書が検定に合格する背景には、朴政権がその様な流れを容認する傾向があるからである。しかし、日本の日教組も同様だが、韓国でも教育界では左派勢力が主流派を占め、その様な流れを好ましく思わない勢力が多い。今回の朴正熙大統領の署名入りの証拠の暴露も、その様な朴政権に対する対決姿勢からくるものであり、この様な魑魅魍魎は今後もウヨウヨと出てくることが期待される。一方で、アメリカ国内では日本の慰安婦問題を非難する流れが強まっており、その整合性のなさが何時しか話題となるであろう。勿論、アメリカ政府も慰安婦問題については脛に傷を持つ身だから深追いはしたくはないが、日本の慰安婦問題に「(自称)被害者は決して嘘をつかない」と純真な女子高生的な発言をするような潔癖な記者であれば、アメリカ政府に気兼ねしてその問題を掘り下げないで済ませることもないだろう。放っておいても、橋下大阪市長はこの機を逃さないだろうから、自然に「慰安婦とは何ぞや!」という問題が韓国、アメリカを中心に盛り上がるのは目に見えている。

であれば、日本政府としてはしばらくは模様眺めとすることが賢明な選択だろう。1年後に事態がどうなっているのか、それを見てから行動しても遅くはないはずである。

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自民党のTPP対策にみる慰安婦問題の正しい取り組み方

2013-11-11 23:56:22 | 政治
今日は、自民党のTPP対策にみる、慰安婦問題の正しい取り組み方というヘンテコなタイトルでコメントを書いてみる。

慰安婦問題の記事を読み歩いているうちに下記の記事に辿り着いた。確かに「入門書」としては基本的な所を抑えながら、あまりマニアックな部分や過剰な激情的な表現などもほどほどに書き下しているので分かり易い。

アゴラ・ディスカッションペーパー「NYタイムズのための『慰安婦問題』入門

今更ながらの記事なのだが、これを読みながらふと気が付いた。少なくとも、この記事の書き出し部分「今年の1月2日、ニューヨークタイムズ(電子版)は『日本の歴史を否定する新たな試み』という社説を出した。」にあるように、韓国のこれまでのロビー活動の成果として、アメリカ人に「慰安婦問題」を「性奴隷」と誤訳させることに成功していた。ニューヨークタイムズの記事は、韓国の新聞か朝日新聞かと見間違うほどの決めつけぶりだが、別にこれはニューヨークタイムズだけの問題ではなく、クリントン前国務長官までが「性奴隷」発言を繰り返していたので、ある程度の市民権を獲得していたのは事実である。そして、安倍総理を偏狭なナショナリストと決めつける評価を下していた。

しかし、4月頃に安倍総理が勇み足の発言をしたのを除けば、中国・韓国を除けば安倍総理の国際的な評価は偏狭なナショナリストではなく、中道に近い路線を歩んでいるとの評価が一般的だろう。女性の人権問題に対する発言なども、クリントン前国務長官に評価されている状況である。一方で、中国の偏向振りは過激さを増し、太平洋をアメリカと中国で折半しようという覇権主義を前面に出し、悪びれた様子もない。さらには中国国内の爆破事件などのアメリカの報道に対し、特派員の国外追放をチラつかせて国内のみならず西側諸国にまで言論弾圧を仕掛けている。韓国も同様で、明らかにアメリカとしては理解に苦しむ異常なヒステリーぶりを示しており、その中に簡単に偏狭なナショナリズムの炎を見出すことができる。

私の感覚では、あそこまでアメリカ国内に韓国や中国の作り話が浸透し、今時、痴漢でも冤罪があるのに「(自称)被害者は嘘をつかない」という前提を確信している圧勝状態であれば、これ以上過激な深追いなどしなくても、韓国の優位性(「慰安婦問題」を大半のアメリカ人が誤解しているという状態)は今後も維持し続けるだろうから、ゆっくりと真綿で首を絞めるような戦略を取っていれば、今後もますます日本が貶められる道を進むのは目に見えていたのではないかと思う。

しかし、現在、韓国は道を誤ったと私は思う。最近の韓国の動向をみると、極めて「政治色」が色濃い活動をしているのである。アメリカ国内での慰安婦像の設置は明らかに「政治色」の濃い活動なのだと思う。しかも、その韓国の「政治色」がアメリカに実害をもたらすような形で表れ始めている。中国への傾倒である。それは、北朝鮮という「ならず者国家による被害者」ではなく、明らかに「被害者ぶった確信犯」の顔なのである。(建前上は)信頼の上に成り立つはずの外交が、アメリカに対する裏切り行為として中国との両天秤にかけ、しかし一方では自ら身を切ることを避けてアメリカに過度に国防を依存する態度を示し、その理由が「日本が悪いから、韓国は被害者なの・・・」と開き直る。「この人は、本当に被害者なの?」と聞いてみたくなる欲求がますます高まっているのではないかと思う。

残念なことに、アメリカの政権中枢にも親中派の人が多いらしいので、中国にまでその様な疑問が及んでいるかどうかは分からないが、少なくとも、今年初めの状態に比べたら、明らかにアメリカ国内での韓国と日本の立場は変わってきているはずである。だから、この流れを維持することが大切であり、潮目が変わったことをさりげなくアメリカ国内に浸透させる必要がある。それは、決して急ハンドルを切るのではなく、少しずつ少しずつ、ハンドルを切るのである。

多分、安倍総理の外交戦略はその様な路線なのだと思う。ただ、一言言わせて頂ければ、日本維新の会の最近の活動はいささか頂けない。それは、「歴史問題検証プロジェクト・チーム」を立ち上げ、その座長に中山成彬氏を据えたことである。誤解しないで欲しいが、「歴史問題検証プロジェクト・チーム」の立ち上げは否定しない。問題は、その座長に相当なバイアスがかかった人を据えた点が問題だというのである。これでは、このプロジェクトチームが如何なる結論を出そうとも、それを真に受ける外国人など誰もいないからである。

丁度良い例がある。下記の記事を見て頂きたい。私は実はこの記事を読んだとき目を疑った。

産経新聞 2013年11月5日「関税撤廃、減反廃止にも沈黙の農林族 保護行政に限界、条件闘争にシフト?

私の頭の中では自民党のTPP対策委員長である西川公也議員を、「農業票欲しさの私利私欲議員」だと勘違いしていた。しかし、この記事を読むと真逆の責任感のある議員であることが痛感できる。彼の最近の言動に関する記述として、「日本の農業を弱くしたのは誰の責任だ。1番は農林族といわれる政治家の責任、2番は農林官僚だ。3番は農業団体の指導者の責任だ。罵声が飛んでもひるみません」と講演会で農業関係者に啖呵を切ったり、「最近、西川氏の言動にしびれを切らし『もう黙っているわけにはいかない』と直訴する農水省出身の若手議員には『何を言っているんだ。君たちが何もしなかったからじゃないか』と一喝したほどだ。」という話を聞けば、日本の農業を真の意味で守るためには、ぬるま湯の中から一足早く抜け出し、強靭な肉体を作らなければ遅かれ早かれ衰退してしまうという危機感が読み取れる。石破幹事長の戦略かどうか知らないが、反対派が多いTPPを取りまとめるためには、そのとりまとめ役にTPP推進派を据えてはいけないのである。民主党政権でも同様の考え方で挑んでいた。同様のことは他にも言えて、原発の安全性を確立するためには原子力規制委員会のトップには、どちらかと言えば原発に厳しい立場の人を据えるのが正しいのである(私は現在の田中委員長を評価しているが、多くの人はもっと厳しい立場の人を期待しているのだと思う)。

だから、日本維新の会がプロジェクトチームを立ち上げるなら、少なくともニュートラルな人を座長にしなければ意味がない。極端な話、朝日新聞の元主筆みたいな人を据えれば、その結果に信憑性を与えることが出来るのだと思う。

少々話が逸れたが、手前味噌のハンドル急旋回では世界はついてこない。だから、世界の信頼を勝ち取るための慎重且つ(自民党のTPP対策委員長である西川公也議員を指名する様な)思い切った進め方が求められていると思う。日本維新の会には猛省を促したい。

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グレンデール市の公式サイトにある東大阪市の記載を突破口に!

2013-11-10 23:27:52 | 政治
今朝の産経新聞の見出しは、韓国が慰安婦問題を拡大するよう、アメリカ国内を中心に各地の総領事に指示して反日活動を推進していたという話題であった。

産経新聞 2013年11月10日「韓国、慰安婦問題の拡大指示 米西海岸で戦略的展開

記事の一部を引用すると「関係者や韓国メディア『コリア・タイムズ』によると、韓国国会外交統一委員会に所属する国会議員らが、米国西部を対象に国政監査を行うため10月27日、在ロサンゼルス韓国総領事館に、ロサンゼルス、サンフランシスコ、シアトルの総領事を集め、慰安婦問題を国際人権問題として扱うよう指示した。」とある。カリフォルニア州のグレンデール市ではご存知のように慰安婦像が設置されて話題になったが、その他にも慰安婦像設置の動きはある。逆に、日系人による設置反対の動きも話題になり、日本も反撃に出始めている状況である。だから、韓国としても今まで以上に世界的な反日運動を拡大するように力を入れ始めたということである。
この背景には、歴史問題を中心にしてアメリカと日本の固い同盟関係に楔を打ち込み、アメリカにとって「日本より韓国を重視」という立場に引き込むことが生命線になっているからである。アメリカにとっては、対中国のことを考えれば東アジアに強固な拠点が必要になるが、無駄に米兵を死に至らしめたくないという気持ちもあるから、反米的思想が根強い韓国よりも、日本を拠点として位置づけたいところだ。統制権の返上も、元は韓国側が言い出したことであるが、最近は寧ろそれを逆手に取った動きである。朝鮮半島有事の際にも最前線の地上戦にまで米兵を投入せず、各種ミサイルで北朝鮮の拠点を叩き、そこに韓国陸軍が進行して露払いをした後で米軍を投入するのが理想だろう。しかし、先日のブログでも触れた通り、韓国は米軍が前面に出てくれないと北朝鮮との戦争に勝利してもソウルは壊滅状態になるのは目に見えているので、何としてでも米軍に前面に出て欲しいと願っている。

しかし、最近の外交状況を見れば明らかだが、米軍は明らかに朴槿惠大統領の日本叩きに嫌気がさしている。日本の集団的自衛権の容認にしても、明らかに韓国よりも日本の重要性を認めての発言である。このまま行けば、統制権の延期問題もどうなるか分からないから、ここでの選択肢は心を入れ替えて日本との関係改善に努めるか、これまで以上に歴史問題での日本叩きを先鋭化し、アメリカや世界の世論を武器にアメリカ政府に日本と韓国の2者択一を迫るという二つになる。前者は、朴政権にとっては自殺行為だから、必然的に後者を選択したということだろう。もちろん、この決断が未来永劫変わらないとは限らないが・・・。

さてここで日本政府の対応であるが、最初にやるべき問題はただ一つだと考えている。それは極めてショボイ行動である。それは、グレンデール市の最近のドタバタ劇に対して、ひとつのコメントを出すことだと思う。少しばかり詳細を解説したい。

最近、グレンデール市長が「慰安婦像の設置は間違っていた」と日本のメディアに対して発言し、また東大阪市に対する書簡の中でも同様に謝罪のニュアンスを込めた発言をしており、それに韓国のマスコミが激怒しているという。実はこの手の話は日本の主要メディアで取り上げられるには若干のタイムラグがあるが、下記の細かな経緯を含めてリアルタイムでその他の新聞では少し前から話題になっていた。事の経緯は下記の記事が参考になる。

J-castニュース 2013年11月7日「米グレンデール市長、東大阪市に慰安婦像で『謝罪文』 韓国メディア激怒、現地で『吊るし上げ』状態に

ポイントは、グレンデール市と姉妹都市関係を結んでいる東大阪市である。間違っていたら申し訳ないが、私の理解ではグレンデール市は小さな市で、選挙で選ばれた5人の市議の中から持ち回りで市長が選ばれる。慰安婦像設置に際しては、現在の市長が市長出なかったときに採択され、4人が賛成し現市長のみが一人反対したという。その後市長に就任後、日系住民と韓国系住民に加えて母国の日本と韓国の間で蜂の巣をつついた状態になり、その状況に対する後悔の念と、日本への申し訳なさの気持ちを吐露した訳である。そんな市長の下に、東大阪市は今年の7月25日付で抗議の書簡を送った。内容は、グレンデール市の公式サイトに東大阪市を含む各姉妹都市が慰安婦像設置に協力しているという誤った情報が記載されており、少なくとも姉妹都市でありながら東大阪市は協力などしていないので「虚偽の記載の訂正」を求めたのである。これに対し、グレンデール市長からは10月1日付で謝罪のニュアンスを込めた返信をしているが、そこには公式サイトでの「虚偽の記載の訂正」に対しては言及がなく、その後の訂正も行われなかったために、再度、10月31日付で抗議の書簡を送っている。未だにそれに対するリアクションはない。それが、最近の11月6日になって韓国の大手テレビ局MBCが取り上げ、「『慰安婦像建立』を謝るなんて…」と噛みついている。

多分、最初に書いた総領事への指示はこの様な背景を意識したものであるのだろう。だから、真実を証拠に基づき論理的な議論しようというのではなく、多数決の原理で議論しましょうという論調で攻めている訳である。これに日本が反論するのも泥沼になるし、少なくともグレンデール市は韓国系移民の数が圧倒して一大政治勢力となっているから、数で勝負するのは分が悪い。しかし、誰もがグウの音も出ない真実はここにある。

東大阪市は姉妹都市でありながら、慰安婦像の設置には賛成していない。その事実を、公式な書簡で抗議したにもかかわらず、それから市長の謝罪までは2か月を要したのである。さらに、その書簡には謝罪の意味が込められていながら、本来の東大阪市からの抗議の趣旨である公式サイトでの「虚偽の記載の訂正」がなされていないという事実がある。これは明らかに、数の暴力である。これが突破口になると私は思っている。つまり、アメリカ国民に対して大々的に、例えば下記の様な意見広告をアメリカの主要新聞に掲載するのである。

「日本政府はこれまでも過去の歴史問題に多くの謝罪を繰り返してきた。慰安婦問題にしても、日韓請求権協定で解決済みであるにも関わらず、河野談話を発表した上に歴代総理からのお詫びの手紙もお送りし、アジア女性基金を通して僅かではあるが民間を中心に補償活動を積極的に行ってきた。その謝罪の有無にしても、『事実に基づいた議論』が両国関係を改善する上での近道であると考える。しかし、証拠の伴う史実に基づいた議論をしようとしても、韓国は聞く耳を持たない。グレンデール市に対する東大阪市からの『虚偽の記載の訂正』の要望も、事実を確認すれば簡単に訂正すべき問題だと分かるはずだが、それがアメリカ国内であるにもかかわらず、事実を曲げて訂正要求を頑なに拒否をしている。これでは議論も歩み寄りもできない。少なくとも第三国であるアメリカ国民の皆様には、公平な立場で物事を見守るようにお願いしたい。」

ここで黙っていてはいけない。韓国でこの問題が盛り上がっている今だからこそ、是非とも反撃に撃って出て欲しい。別に、慰安婦問題に正面からぶつかれという話ではない。

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