けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

公明党と結の党に聞いてみたい、集団的自衛権の大きな論点

2014-05-30 00:57:13 | 政治
集団的自衛権の議論が盛り上がっている。様々な報道番組などでも議論は白熱しているが、しかし如何せん、論点が噛みあっていないような気がする。その最も本質ともいえる部分を今日は問題提起してみたい。私が答えを持っているというのではなく、あくまでも問題提起である。是非とも公明党、結の党の責任者には答えを出して頂きたいと思う。

その問題を述べる前に、公明党と結の党に共通するものの考え方を先に整理してみたい。

まず今回、安倍総理は手段的自衛権や集団的安全保障及びグレーゾーン事態に関する15事例を示した。それ以前にも、、第1次安倍政権時代に集団的自衛権に関する検討のための諮問機関「安保法制懇」の有識者が典型的な4類型を示していた。「集団的自衛権の突っ込んだ議論の整理」でも議論したが、公海上の米艦船に攻撃が及んだ場合、その近くにいる自衛隊の艦船が共同で反撃できるかという点が分かり易く、その米艦船が日本の防衛上、何らかのかかわりがあって展開しているなどの条件は必要なのだろうが、その際には個別的自衛権の拡張で米軍の防御のために自衛隊も反撃できるという立場がある。これは結の党の江田代表などは繰り返し主張していることで、集団的自衛権の限定容認を主張する日本維新の会との間で大きなギャップとなって存在する。しかし、テレビなどで江田代表が何説いているかと言えば、「やるべきことは同じなのだから、仮に日本維新の会と結の党が政権与党になり、連立政権を組むことになっても政策上の対立という問題にはならないと主張する。公明党も同様で、先ほどの類型に対しては、個別的自衛権で対応できるから、敢えて集団的自衛権を持ち出す必要などどこにもないと主張する。

そこで、私の疑問である。

現実の政治とは、喫緊の危機に対して現実的な対応を求められるのだから、決して「言葉遊び」で議論を煙に巻くようなことはあってはならない。だから、安倍総理の15事例に捕らわれず、個別の事例について、集団的自衛権か個別的自衛権かの議論は横に置き、それが自衛隊の活動として許されるのか否かは先に判断されるべきである。何故なら、「集団的自衛権」という言葉がもつ範囲があるとすればその範囲が何処までで、何が許されて何が許されないのかが分からないと、「集団的自衛権」という言葉でくくって良いのかどうかが分かり難いのだが、その範囲が何処までとは関係なくピンポイントで「この事例」と明言されれば、その事例は自衛隊が行動して良いパターンか否かは100倍も議論がし易いからである。先の米軍の防衛に関しては、若干の条件付きかも知れないが、結の党も公明党も「自衛隊は米軍を警護するために武力行使することが許される」との判断であった。

しかし、ここまでの議論を整理した後で、「では、武力行使が許されるとして、それを『個別的自衛権の拡張』と呼ぶのと『集団的自衛権』と呼ぶのとで、どちらの方が国際社会にとって妥当なのか?」という問いかけをするならば、それは特に外国の専門家の方々にでも聞けば答えが出るはずで、日本国内での思い込みの議論をするよりも議論は単純化するはずである。そもそも憲法9条には集団的自衛権も書かれていなければ個別的自衛権も書かれていない。だから、前述の結の党、公明党が「自衛隊の武力行使が許される」と判断するケースにおいて、それが「個別的自衛権の拡張」か「集団的自衛権」のどちらに該当するかは幾ら憲法9条をひっくり返して読んでも答えなど出るはずもない。国内の議論はどちらにしてもバイアスがかかっていて、どの意見がニュートラルなのかが分かり難い。であれば、アメリカや欧州諸国の軍事専門家にでも聞いてみて、後から「個別的自衛権」か「集団的自衛権」を決めれば良い話である。
何故この様に言うのかと言えば、テレビの報道では恣意的に「集団的自衛権」は「悪」で、「個別的自衛権」は「善」だという風潮があるが、これは森本前防衛大臣も指摘しているが、第2次世界大戦の大日本帝国のアジア諸国への侵略は、個別的自衛権の拡張という位置づけで正当化されていたからである。多分、中国が最近行っている覇権主義にしても、彼らは「どの国もが個別にもっているはずの固有の権利」と主張しているのであるが、しかし、誰が見てもそれは「権利の拡大解釈」でしかない。つまり、「個別的自衛権」であれば拡大解釈しても誰も諸外国は責めたりしないなどと言うのは大いなる勘違いである。一方で、集団的自衛権の考え方に関するコンセンサスは出来上がりつつあるから、拡大解釈などを伴わない通常の集団的自衛権の枠内で議論が閉じる「集団的自衛権」を根拠にする議論は、多分、多くの諸外国は違和感を持たずに受け入れてくれる公算が大である。

だから最初の質問は、どうしてこの様なプロセスで議論をしないのかということを説いたい。つまり、個別の事態に「集団的自衛権」と「個別的自衛権」のフィルターをかけずに「必要最小限の武力行使」の範疇にあるのか否かを判断し、その判断の説明に「集団的自衛権」と「個別的自衛権」のどちらの説明を用いるのが妥当なのかを後から考えるというプロセスである。この辺を説明することなしに、言葉遊びに終始するのは止めて頂きたいものである。

ところで、もうひとつ疑問があるので追加させて頂く。話を戻せば、「自衛隊の武力行使が許される」か「許されない」かの判断は、憲法9条に照らして判断されるべきである。ここで重要なのは、結の党も公明党も「自衛隊の武力行使が許される」と認めてこそいるが、それは明らかに日本の艦船が攻撃されていないのだから、それにも拘らず反撃が許される理由はただ一つしかない。それは、憲法9条のもとで自衛隊の存在が違憲と判断されない理由と同一であり、「国を守るための必要最小限」の武力行使の範疇と見なしているからである。しかし、安保法制懇がこの様な類型を挙げて議論するには理由があり、少なくともそれまでの政府の見解では「直接攻撃がない以上、それは『国を守るための必要最小限の武力行使』とは言えない」という判断をしていたはずである。つまり、これまでは「個別的自衛権の範囲ではない」ものを、これからは「個別的自衛権の範囲内」と変更しようというのだから、それは憲法9条に対する「必要最小限の武力行使」に関する政府見解をオフィシャルに変更することを意味する。これまでの日本政府の立場は、「集団的自衛権の定義」を明確にすることなく、漠然とした集団的自衛権を「必要最小限の武力行使」の外側に置いていたが、その「集団的自衛権の定義」を明確にして、その一部分が「必要最小限の武力行使」の内側に該当すると説明し、これが憲法の解釈改憲だと批判されている。しかしそれならば、「この戦闘行為は、個別的自衛権の範疇から外れ、憲法違反である」という行為を「憲法上、個別的自衛権の範疇であり許される」と考えを改めることは、これは憲法の解釈改憲に当たらないのかを教えて欲しい。勿論、論理的な説明とセットでの話である。常識的に考えれば、これも憲法の解釈改憲に該当しないはずはないから、「集団的自衛権」というキーワードを用いた解釈改憲はNGだが、「個別的自衛権」というキーワードならOKという説明は、論理的に破綻している。多分、この様な説明をしていると論理的な説明が出来なくなり、結果的に最初の議論に立ち戻り、個別の事態を是々非々で判断し、その背景の論理武装は後からで良いという話になるはずである。

何故か、この様な論点については誰も議論しようとはしない。誰もが、相手の攻め易い場所ばかりを狙ってきて、本質的な「そもそも論」に戻ろうとしない。しかし、折角、論点を明らかにしたのだから、もっと本気で議論をするべきである。

まずは結の党と公明党に、この辺の見解を聞いてみたいところである。

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(ブログ再開)靖国神社と遊就館

2014-05-29 00:11:36 | 政治
GW連休以降、体調不良が続き、更に本業の仕事の方も目茶目茶忙しく、ニュースに目を通している時間も夜中にブログを書く時間も確保できず、結局、長期に渡りブログをお休みしていた。未だに体調は不調なままだが、仕事の方が少し一段落したのでブログを再開しようと思う。

取りあえずはあまり最近のニュースに目を通せていないので、前回の靖国神社問題の続きをコメントしてみたい。先週のテレビ朝日のTVタックルで、ちょうど靖国神社問題を扱っていた。総理の靖国参拝を批判する人たちは、既に宗教的・盲目的にそれはいけないことだと信じ込んでいるから殆ど言いがかりでしかないが、しかしそれとは別に、自分達で客観的に彼らが靖国の何が気に入らないのかを見直しておくのも悪くない。

多分、その鍵を握るのが靖国神社の横にある「遊就館」なのだろう。

まず、日本国内で靖国神社に違和感を感じる人のその理由は、大きく「中国・韓国が猛烈に反発するから」と「靖国神社の背景には『天皇陛下万歳!』と言って死ぬ風潮を助長しているから」という2点に集約できる。前者は政治的損得勘定で確信犯的に反日プロパガンダをしている連中の戦略にハマっているだけだからどうでも良いが、後者は見過ごすことはできない。右翼と左翼を数直線で表せば、TVタックルに出演していた田母神氏は右で共産党の小池晃は左であるのは間違いないが、しかし、二人とも極右でもなければ極左でもない。田母神氏は戦争をしないで済むようにするためには戦争を出来る国になることが重要だと説くが、一方で戦争をしたいとは思ってはいないし、正確に言えばできれば戦争などしたくないはずである。極右なる人々は、今の習近平国家主席が語る「中国夢」の様な覇権主義を志向していて、戦争を寧ろ肯定的に捉える人々だ。日本を破壊して中国共産党に飲み込まれることを望むような極左や、大東亜共栄圏に突き進むような覇権主義の極右からしてみれば、田母神氏も小池氏も全然中央の原点よりに位置する。その様な極右の人達からすれば、天皇陛下を神と見立てて、イスラムの自爆テロの様な行動をも厭わない兵士が現れるほどの軍国主義化を期待しているのだろうが、その様な人達は極端な例であり、その様な極右の思想と靖国神社の関係を明らかにする必要がある。極左ではない左寄りの人々に言わせれば、極右の人達が目指す世界観と靖国神社の世界観が極めて類似の世界観であり、それを証明するのが「遊就館」だと主張している。つまり、第2次世界大戦の日本の侵略戦争を美化し、軍国主義を正当化している価値観が「遊就館」にあり、その「遊就館」と靖国神社は一体だというのである。そこで、「遊就館」の中に「日本の侵略戦争を美化」する主張があるのか、「軍国主義と天皇陛下のために死ぬことを助長している」様なものがあるのかを短い時間であるが見てきたのでコメントしてみたい。

最初に結論を書けば、その様な主張をする人達の気持ちがどこから来るのかは理解できたが、先ほどの右と左の数直線で言えば明らかに極右の人達からはかけ離れたニュートラルさで、田母神氏の立ち位置よりはもう少し中央よりというのが私の感想で、あくまでもセンターよりも右寄りという相対的な位置関係以上でも以下でもない様に思える。全体としては、遊就館はその当時の状況を知るための「戦争博物館」であり、その展示の中には左寄りの人には許容できない価値観が一部に含まれているのが気に入らないのだと思った。

では、順番に遊就館についてみて行きたい。まず、遊就館の展示場の内容は下記のサイトで見ることができる。

遊就館 展示室のご案内

これを見ると分かるのは、ゼロ戦や機関車などの大物展示の特別陳列室、大展示室を除けば、展示室は合計で19室あり、田原総一郎氏の言葉を借りれば「満州事変以降の出来事は侵略戦争」ということで、満州事変で線引きすれば展示室1~8の8室の明治維新から満州事変まで、展示室9~15の7室の侵略戦争の歴史、展示室16~19の4室の第2次世界大戦で亡くなった英霊の紹介と分けられる。この前半の明治維新から満州事変までに関しては、別に戦争を美化するとかその様な意図はなく、極めて自然な展示であったと言ってよいだろう。これに続く侵略戦争の歴史に関しても、その当時の戦争をそのまま表現した内容だと感じられた。実際、アニメ映像の放映もされていたが、ここではマリアナ沖海戦が扱われていて、例えば米艦船からの七面鳥撃ち攻撃で脆くも撃破された日本の戦闘機の話や、2度の攻撃で空母3隻を含む主要な戦力が壊滅した状況が語られており、日本軍が如何に悲惨にも惨敗したのかが分かる内容であった。決して日本軍を美化したものではなく、寧ろ、米軍の司令官のジェントルさと決断力の高さを称える内容であった。

では、何をもって左寄りの主張をする人達の気持ちがどこから来るのか理解できたかと言えば、展示室の順路上の最初に位置するビデオ上映の内容と、最後の英霊を神々と呼んで紹介する4室とが気に入らないのだと思う。最初のビデオ上映では、東京裁判が如何に裁判として不適切であり、その正当性が乏しいかを訴えていた。軍艦マーチなどで軍人を送り出すような姿もあり、これが戦争を正当化していると読み取れるという主張なのだと思う。また、日本が大東亜共栄圏と称してアジア諸国を支配下に治めようとしていたことを正当化しているとも言われている。確かに、言わんとしていることは分からないでもないが、これはあくまでも「負けた奴は黙っておけ!!勝者が歴史を作るのは常識だ!」と言っているのに近い。私の感覚では、ニュートラルな立場の評価は「負けたのだから、無理筋でも軍事裁判の判決を国家として受け入れるのは当然。しかし、政府などの国家としてオフィシャルな立場で不満を述べるのはまずいとしても、オフィシャルではない立場の者が問題点を指摘しても、それは責められる筋合いの話ではない」というところなのだと思う。政府は「遊就館」の主張が政府の公式見解だとは言っていないのだから、「総理が靖国参拝をするということは、日本政府の公式見解が遊就館の主張と一致する」という命題を勝手に設定し、それがあたかも「真」であるかのように一方的に主張するのはおかしい。また、先日の尖閣漁船衝突事件の時に中国がレアアースの禁輸をしたような資源の囲い込み戦略をしたときに、資源を持たない日本が良心的な手法で活路を見出すにはその当時の世界政治は余りに未熟であり、結果的に国外に資源を求めざるを得なかったのも事実である。多分、(有り得ない仮定の話だが)今現在の日本の共産党首脳部が当時の大日本帝国の内閣を仕切っていたとして、戦争に打って出ないという選択肢はなかったであろうことは容易に予想が出来る。
だから、私は「戦争を始めたところまでは理解できる。何故、もっと早く戦争を終結するために動かなかったのか?」が、当時の首脳部の責められるべきところなのだと思った。実際、山本五十六連合艦隊司令長官は戦争には反対だったそうだし、戦争を始めるにあたって「半年、ないし1年間」限定であれば思う存分に戦ってみせるが、それ以上長期化したら勝ち目がないとの趣旨を当時の近衛総理に語ったと言われる。本来は「だから戦争などできない」とネガティブな意味を込めて伝えたかったのだろうが、当時の近衛総理には「1年ならば戦争が出来る」とポジティブに理解してしまった。それで、最初の連戦連勝で勘違いして、調子づいて2年、3年と戦争を長引かせてしまったのだと私は思った。

しかし、遊就館の展示を見ていると「それは事実とは異なる」ことが分かった。詳細は忘れたが、展示の中で、日本は戦争が始まって1年も経っていない昭和17年から既にアメリカとの停戦交渉をし始めていたことを示すものがあった。しかし、アメリカは日本の「勝ち逃げ」を許さず、停戦交渉を避けて戦争を継続したのだという。何処まで正しいのかは良く分からないが、一説にはアメリカは真珠湾攻撃の何時間か前に奇襲攻撃を察知していながら、アメリカ国民が「本気」になるように仕向けるために、敢えて現地に情報を通達しなかったという噂もある。折角戦争になったのだから、叩けるだけ日本を叩いてやれとアメリカが考えてもおかしくはない。つまり、「何故、もっと早く戦争を終結するために動かなかったのか?」については、これはもはや不可抗力であり、少しでも日本に有利な条件での停戦などというのは幻想であった可能性が高いということである。結局、当時の日本としては詰将棋の「詰み」の状態の中であがいていただけで、どう転んでいても結果は大して変わらなかったのかも知れないと感じた。ちなみに、この様に私が感じること自体が左寄りの人にとって面白くないのかも知れない。

最後に、戦争で亡くなった英霊を神々と呼んで写真などを紹介する部屋については、私は正直、引いてしまった。鹿児島の知覧にある特攻基地を訪ねたことがあるが、そこには神風特攻隊で死んでいく若い兵士の遺書(正確には手紙)が多く展示されていた。その遺書を読めば、止めどなく涙が流れ出るのを抑えることなどできないほどであり、人前でありながら涙を流しながら読み続けたのを覚えている。それは感動的な、そして哀しい手紙の数々だった。しかし、「遊就館」に展示してあった手紙では泣けなかった。多分、英霊、神たるものが女々しいことを書くのはおかしいと、かなりフィルターをかけて強気の手紙を書いている人のものを選択的に展示しているのかも知れない。ただ、昔から日本では神様か仏様かは曖昧かも知れないが、生前の行い次第で死後に尊い存在になるという考えは一般的だったから、その様な視点で神となった英霊を具現化すると、あの様な展示になってしまうのだと思う。だから、最後の「第2次世界大戦で亡くなった英霊」の展示室は靖国神社の特殊性を象徴的に表しているのだが、そこには「戦争の美化」も「神としての天皇の崇拝」もないのだと思う。というより、天皇陛下が神であれば、英霊が神になってしまうと「天皇陛下とタメ」ということになってしまう。だから、死して神になるということが、天皇崇拝とは相いれないものだと感じた。

以上が私が靖国神社参拝、及び遊就館を見学しての感想である。多分、左寄りの人にとっては気に入らない内容だと思うが、「気に入らない」ことも受け入れる多様性が現在では求められており、その様な視点で考えるのがニュートラルな考え方なのだろう。そこに政治的な思惑が入ると、物事は捻じ曲げられてしまう。それは、悪意をもった政治的な思惑の方が責められて然るべきだと私は思うのだが・・・。

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靖国問題を解く鍵となるか?「鎮霊社」

2014-05-08 23:58:00 | 政治
実は、このGWを利用して靖国神社の参拝をしてきた。これまでも散々ニュースで話題に上った靖国神社であるが、私はこれまでどの様な場所か行ったことがなかったので、あれだけ問題になっているのだからどの様なところか一度、自分の目で確認してみたいと思い、参拝することにした。今日はその感想について述べてみたい。特に、安倍総理が昨年の年末に参拝した際に、本殿に加えて同時に参拝したことで有名になった「鎮霊社」というものを見ておきたかった。この辺を中心に、帰宅後に調べたことも含めて報告する。

まず本題からはずれて恐縮であるが、靖国神社の背景的なことを再確認しておきたい。以前から所々で調べてある程度は背景的なことも頭の中に入っていたつもりであるが、実際に参拝すると少々違った印象があった。それは、単なる空気感とでもいう、たわいのないものであるが、思いの外、(祀っている対象が特殊ではあるが)純粋な神社という印象を感じた。靖国神社というと潜入観念的に、「右翼」や「国粋主義者」的な人達が軍国主義を正当化するために利用しているような、その様なドロドロとした厭らしさの様なものが漂っているのではないかと思い込んでいる部分があった。しかし、実際に参拝した靖国神社からはその様な邪念の様なものは全く感じ取ることは出来なかった。多分、春と秋の例大祭や終戦記念日前後であれば、右翼の街宣カーや逆に左翼の反靖国キャンペーンなどでドロドロした感じが漂っているのだろうが、その様な時期を外して参拝すれば、全くその様な邪念を感じることはない。そして、大きな大きな大鳥居をくぐり、まず最初に目にする大きな銅像は意外なことに大村益次郎の銅像であった。この名前は、子供ながらにNHKの大河ドラマ「花神」で見たことを覚えていたが、何故、この人の銅像がこんなところにあるのかと、一瞬、目が点になった。しかしよくよく解説を読んでいけば、大村益次郎は戊辰戦争での朝廷方戦死者を慰霊するために、この靖国神社の由来である東京招魂社の建立を提案しているとのことで、時期は明治2年のことである。幕末を含めて明治維新への活躍が評価されながら殉死した志士も含めて英霊として祀られ、よって、坂本竜馬や吉田松陰などもこれに含まれている。第2次世界大戦終戦までの間には、内務省など国家的に人事が所管され、祭事に関しては大日本帝国陸軍や大日本帝国海軍などが中心に行っていたという。確かに元々は軍隊と非常に密接な関係をもった神社であることは間違いないが、先日の参拝者の顔ぶれを見ても若い人から年老いた人、(見るからに外国人と分かる)西洋系の外国人などもそれなりの数が見られ、その様からはあまり思想的に偏ったドロドロ感は全く感じられない。正直、拍子抜けと言った感じである。まあ、単なる肌で感じる空気感なので、あまりそれ以上の意味はないのだが・・・。

さて以下が本題であるが、靖国神社の本殿の横の方に、小さな社がひっそりと建っている。これが鎮霊社で、以下に写真があるが小さなものである。

靖国神社 境内のご案内「5.鎮霊社」

ご存知の方も多いと思うが、昨年の安倍総理の靖国参拝後の声明の中でも触れられている。

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靖国参拝後の首相談話より2013年12月26日
「本日,靖国神社に参拝した。日本のために尊い命を犠牲にされたご英霊に対し,尊崇の念を表し,そして御霊安かれ,なれと手を合わせて参りました。そして,同時に,靖国神社の境内にあります,鎮霊社にもお参りして参りました。
 鎮霊社は,靖国神社に祀られていないすべての戦場に倒れた人びと,日本人だけではなくて,諸外国の人びとも含めて,すべての戦場で倒れた人びとの慰霊のためのお社であります。その鎮霊社にお参りをしました。
 すべての戦争において命を落とされた人々のために手を合わせ,ご冥福をお祈りし,そして,二度と再び戦争の惨禍によって人々の苦しむことのない時代を作る決意を込めて,不戦の誓いをいたしました」。
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実は、私が最初にこの鎮霊社のことを知ったのは、私の好きな、ぼやきくっくりさんが下記の書き起こしで紹介していたからである。

ぼやきくっくり2013年10月24日「10/23放送 関西テレビ『アンカー』青山繁晴の“ニュースDEズバリ”

靖国神社の本殿には上述したように、幕末以降の多くの志士たちが合祀されているが、この中には例えば西郷隆盛や白虎隊、彰義隊などの志士などは含まれておらず、これは天皇に逆らう云わば賊軍として捉えられているためであり、天皇陛下という軸を基準に(敵か味方かで)明確に線引きがなされている。ただ、厳密に言えばもう少し微妙で、砲弾の飛び交う戦地で従軍看護婦として働き死亡した方々も、ここには合祀されている。一方で、空襲や広島・長崎の原爆で亡くなった方々は含まれていない。言い換えれば、日本国内で天皇陛下を崇拝し、「欲しがりません、勝つまでは・・・」と言って死んでいった者は合祀されておらず、戦地で捕虜となった敵兵も含めて負傷兵の治療に当たり、天皇陛下より何よりも、戦いで傷ついた兵士たちを助けたいとの思いの強い看護婦は合祀されている。この意味では、天皇陛下という軸では割り切れないようなモヤモヤっとした何かがあり合祀の判断がなされ、その微妙な線引きに対する後ろめたさの様なものから、この鎮霊社があるのかと勝手に想像した。

実は後から調べて知ったのだが、この鎮霊社の存在は、学者たちの間でも議論の分かれるところで、イマイチすっきりとした説明がなされていないのだという。というのも、この鎮霊社ができたのは1965年のことである。明治2年からすれば100年近くの日々が経っており、戦後も既に20年が経過している。また、先ほどの写真を見ても分かる通り、非常に質素な社である。非常に失礼な言い方で恐縮だが、靖国神社の本殿の建立の費用は多分、数十億単位であろうが、鎮霊社は多分、数百万円でお釣りが来そうな質素さである。しかも、参拝を希望すれば参拝できるそうだが、現時点ではここには鍵がかけられていて中に立ち入ることは出来ない。先程の青山繁晴さんは「警備員がいるから、お願いすれば入れる」と紹介していたが、本殿側の入り口には確か「参拝不可」と書かれていて、仕方がないので大回りして横側の方からアプローチすると、そこには「参拝希望者は社務所?にお回りください」と書かれていたように記憶している。お手を煩わせないと参拝できそうもないので、結局は20mほど離れた柵の外側からお参りを済ませた。何とも不思議な場所である。

ところでこの鎮霊社、色々と奥が深いようである。まず、下記のブログを読むと、安倍総理の参拝の前に、朝日新聞の記者が「鎮霊社」の活用を指摘している。

社会科学者の随想2014年3月5日
安倍晋三を靖国神社の鎮霊社にいかせるために『要らぬヒントを与えた朝日新聞の記者』駒野剛の大失策

このブログの中に克明に紹介されているが、実は昨年の8月、朝日新聞の駒野記者が総理大臣の慰霊先として靖国神社の鎮霊社を利用することを提案している。この記者の記事を朝日新聞のサイトから読むことは出来ないが、このサイトでは読むことが出来る。ポイントが少々曖昧で、鎮霊社のみを参拝する提案なのか本殿と鎮霊社を両方参拝する提案なのか分かり難いが、後者であればまさに安倍総理の行動そのものである。この意図することを私の言葉で意訳すると、「合祀されている者」という線引きで分けられた集合Aと、その補集合(A以外)の集合B(つまり「合祀されていない者」)に分けると、A+Bは全てを含むので、集合Aのために靖国神社本殿を参拝し、集合Bのために鎮霊社を参拝するとすれば、これはA級戦犯も糞もない、戦争の被害者全てに祈りを捧げていることになるからOKというロジックである。多分、安倍総理もこの考え方に沿っているのだろう。

ただ、このブログの主は否定的な立場でその提案を批判している。その細かいところは結構マニアックなので解説する気はないのだが、この関連を調べていると下記に面白い記事があった。

薔薇、または陽だまりの猫
2006年8月29日「鎮霊社『靖国』の回答検証/東京新聞
(および東京新聞特報より「『鎮霊社』からみた靖国神社 ひっそり鉄柵の中(8月12日)」)

これは、どうも東京新聞も大分前から鎮霊社に着目しており、その鎮霊社のことを記事にしている。ここには大きく二つの記事が記されており、前半部分は東京新聞が靖国神社に対して鎮霊社に関する質問を送った際のその回答についての記事が、後半部分には最初に2005年に東京新聞が記事として取り上げた際の深い考察が記されている。後半部分については、学者の考察の中でも、やはりとっても異質な鎮霊社の何たるかが良く分からないとの指摘があり、何故、100年も経ってから立てたのかは良く分からない。ただ、一説によれば(あくまでも一説に過ぎないが)、A級戦犯合祀に否定的な宮司の筑波氏が、A級戦犯の合祀を求める動きが出始めた頃にそれを察知し、合祀の前にその(英)霊の収まりどころとして急遽、鎮霊社を立てたのだとも言われる。この鎮霊社は先ほどの例では集合Aの補集合であるから、合祀された側と異なりその祀られている人の名簿は存在しない。漠然と、西郷隆盛や白虎隊、彰義隊などが含まれていると「語られている」に過ぎない。

ところで面白いのは前半の質問と回答の欄である。質問(2)には「A級戦犯の本殿への合祀(ごうし)を避けるため、鎮霊社を建立し、以後、合祀された一九七八年まで、実際に祀られていたという指摘がある。これは事実か。」とあり、これへの靖国神社の回答は「学者にはいろいろな推論もあろうが、御本殿の御祭神と鎮霊社の御祭神では全く性格を異にしている。鎮霊社の御祭神は奉慰の対象だが御本殿の御祭神は奉慰顕彰の対象と認識している。」となっている。どうも「奉慰」とは霊を慰めること、「顕彰」とは「個人の著名でない功績や善行などをたたえて広く世間に知らしめること(Wikipedia)」とされており、この意味では合祀されていない者は天皇陛下ないし朝廷から見て賊軍の様なネガティブな要素を含むという立場ではなく、逆に合祀されている者が何らかの加点材料があり、その功績や善行をたたえているということらしい。この質問と回答の面白いところは、この記事に記載されている下記の文章から読み取ることが出来る。

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「神社側は一時的にでもA級戦犯が鎮霊社に祀られていたなら、否定はできない。だが、肯定すれば、A級戦犯は鎮霊社から分祀して本殿に移されたと認めることになる。これは靖国を深刻な矛盾に直面させる。つまりA級戦犯の本殿からの分祀を拒んでいる靖国自身が、分祀した過去を認めることになるからだ」
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つまり、1965年からA級戦犯合祀の1978年までの間、仮にA級戦犯が鎮霊社に祀られていたとすると、本殿への合祀の際には鎮霊社から分祀されたことになる。「A級戦犯を分祀せよ」との要求に、靖国神社は「分祀は不可能」との立場を示していたから、仮に鎮霊社からの分祀が事実ならば再度、鎮霊社にお帰り頂くのは可能になってしまう。だから、論理的にはこの質問(2)には「No!」と明確な回答があって然るべきなのだが、実際にはそうでなかったところが靖国神社側にも何らかの葛藤があり、それが理由で言葉を濁したという推測である。中々興味深い論点である。

さらに言えば、この回答はA級戦犯が顕彰の対象であるということは、つまり功績を称えられるべき対象だと宣言したことになる。A級戦犯はその後に名誉は回復されるのだが、当初は戦争犯罪人として死んでいったのだから、顕彰される理由は「A級戦犯と認定されることになった元の行為」か「A級戦犯として死んだ行為」の何れかになる。折角だから、靖国神社にその理由を明確に聞いて欲しいものだが、多分、予想される答えはA級戦犯の汚名を着せられても、身を挺して日本国および天皇陛下をお守りした行為がその顕彰の理由なのだろう。しかし、微妙なのはA級戦犯は基本的にその容疑を否認し、無罪を主張していたのであろうから、そこで無罪になっていたら顕彰の対象とは成り得ないのである。その意味では、彼らは意図せずに棚から牡丹餅的に顕彰の対象になったと見ることもできる。この意味で、1978年になってからのA級戦犯の合祀という行為は、「鎮霊社」というフィルターを通してみてみると、中々、一筋縄ではいかない矛盾やモヤモヤっとしたところが炙り出されてくるようである。
少々、ゲリラ戦法的なところは否定できないが、この鎮霊社を軸とした論争を深めることが、総理の靖国参拝問題(ないしはA級戦犯合祀の問題)の解決の糸口にはなりはしないだろうかと感じたところである。この様な視点に辿り着いたというのも、個人的な靖国参拝の成果だったかも知れない。

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