けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

離党した後のシナリオは?

2011-12-28 23:50:54 | 政治
一部の民主党議員が離党届を出したニュースが話題になっている。

建前上は野田総理の増税に対する前のめりの姿勢を批判し、八ッ場ダムの建設再開なども相まって、マニュフェスト違反だということで政府の対応に反旗を翻したことになっている。しかし、誰一人としてそんなことを信じている人はいないだろう。ブログの中で何度も言っているが、最初にマニュフェスト違反をしたのは、ガソリンの暫定税率の継続を判断した小沢一郎元代表その人である。「コンクリートから人へ」と言いながら、自民党の息の根を止めるために、小沢氏の言うことを聞くところには「コンクリートからコンクリート」に、言うことを聞かないところには「コンクリートから無」へとあからさまな利益誘導型の箇所付がなされていた。これを見て批判した議員が一体どれだけいたであろうか?

また、結局、公務員の給与を2割削減するというマニュフェストにしても、民主党を支持する労組に配慮して、ギリギリのところで法案を通せず、結局、民間給与が下がる中で公務員の賞与は上がることになる。この時、今回の離党者の中の一体何人が給与引き下げを訴えていたのか?

結局、選挙で有利に働くことにはそれがマニュフェスト違反であろうと黙認し、選挙に不利に働けば大騒ぎするのである。野田総理は少なくともこれまでの民主党代表、すなわち政権交代前の小沢元代表の時代から数えて、3代の代表に比べたら明らかにポピュリズムを封印した代表であることは間違いない。選挙のことを考えれば増税やTPPへの参加表明など言うはずはない。方向性の議論は別として、少なくとも真面目に政治家としての信念に基づいて行動している。この状況は、少なくとも次の代表選がある秋までは変わらないだろう。一方で、このまま行ったら早期に解散があったら絶対選挙に勝てないのは目に見えているから、沈みゆく泥舟からいち早く逃げて、自らに責任があるのを棚に上げて外から政府に向かって批判することが政権交代時の自らの公約違反の呪縛から逃れる最も安直な方策だと考える。「だったら離党しよう!」というのは極めてわかりやすい行動だ。

しかも、どうせ次の選挙でも参議院の議席数には変化がないのであるから、選挙前後に離合集散があって、ねじれを解消できるだけの数が集まれば、キャスティング・ヴォートを握れる可能性が出てくる。あれだけ人数の少ない少数政党の国民新党が民主党を振り回すことが出来るのだから、それを見ていれば、キャスティング・ヴォートを握る誘惑には勝てないだろう。

しかし、その様な打算的な政治家が日の目を見ることは無いであろうと予想している。可能性は二つあると思う。ひとつ目は、その様に崩壊しつつある民主党が、離反者に対して同じ選挙区で候補者を立てれば、前回の支持者の多くが他の党に票を入れる上に残った票を2分することになるので勝てる見込みはない。もうひとつは、小沢氏を中心とする勢力が大挙して党を割ったとすると、残った勢力はむしろ自民党と組みやすくなるので、野田総理と野党の代表たちが解散総選挙を行うことを条件に、選挙後の連立を約束するようになるかも知れない。その様になれば、もはや少数政党はキャスティング・ヴォートを握れない。

もちろん、そんな状況は小沢氏は百も承知だろうから、(裁判で勝利するという前提のもとだが)民主党が崩壊する前に自民党側の分裂を狙い、秋の代表選で自らが代表に返り咲いた後のシナリオを考えているのであろうが、もはやそこまでの力はないだろう。

勝手な予想であるが、野田総理が来年の秋にまだ総理である可能性は限りなく低いであろう。しかも、その時までには解散総選挙が行われており、新たな枠組みでの連立政権も生まれているのだろう。次の選挙では、ハリボテのマニュフェストではなく、増税やTPPなどの様々な課題に対する議論が深まり、少しは希望の持てる政治家が増えていると期待したい。

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世界に向けて、日本の自浄能力を示そうではないか

2011-12-27 22:54:25 | 政治
昨日、福島第1原発事故の事故調査検証委員会の中間報告が発表された。最終報告まではまだ数ヶ月かかるそうだが、徐々に事故の状況が明らかになってくる。また、12月24日付けの産経新聞の記事でも、池田前経産副大臣の記した事故発生後の5日間の覚書も公開されている。

これらを見ると、確かに安全神話の上に胡坐をかいて対策を練ってこなかった東電や原子力村の専門家および政府の責任もあるし、後になってみれば分かる判断ミスも大きな問題だったことが分かるが、それ以上に菅総理を筆頭とする当時の政権が原因の人災という側面が強いことも分かる。

少し古くなるが、Aeraの12月12日号の記事「退任で漏らしたひと言福島第一原発吉田所長が交代」の中で、一時話題になった菅総理の「海水注入停止指示」について、東電の武黒フェローが「首相の了解が取れていない」と伝えたのが原因だとして、菅おろしのための「でっちあげ」だと断罪している。この記事を書いたのは大鹿靖明氏で、私はこの方の記事を読むたびに、「流石!」と感じることも多くあるほど信頼している記者の一人である。しかし、事実はでっち上げではなく、過去のブログでも触れたが、関西テレビ(ローカル放送なので東京では見れない)の5/25放送の「スーパーニュースアンカー」青山繁晴の“ニュースDEズバリ”の中で、青山繁治氏が緻密な取材のもと、何が起きていたのかを明らかにしている。下記のURLにはその番組のテキストが起こされているので読んでみると良く分かる。

http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1005.html

その時の菅前総理は、場の空気を考えずに怒鳴り散らし、自分の思い込みの「危険性」を過剰に強調して専門家に詰問し、様々な選択肢の中でどの選択肢が最もリスクが小さいかを議論するのではなく、自分が聞いたリスクの可能性がゼロか否かだけに議論を集中させようとした。明らかにミスリードの原因を作ったのであるが、そこにいた閣僚クラスの重鎮は菅前総理を除けば殆どが文系出身で、何を言っても怒鳴り散らして詰問する総理にやり込められた感のある専門家の意見の重要性を認識できなくなっていた。最後に、(可能性がゼロだと断言できないのであれば、断言できるまで)「詰めろ!」と指示をした菅前総理の言葉を聞いた東電本社の人が「総理の許可が下りてない」と理解したのは、日本語を解する者としては当然の判断であり、その原因を作ったのは紛れもなく時の総理である。

大鹿記者の取材能力は非常に高いと思うが、それでもこの様な間違いがあるくらいだから、当時の政府側の情報操作(テレビ朝日の報道ステーションでも、一時期、「首相官邸側は正しい判断をしたが、東電などが対応を誤った」というような内容の特集を放送していた)がどれだけ必死だったかは良く分かる。

しかし、池田前経産副大臣の先の覚書でも明らかにされているが、菅前総理が福島第1原発に乗り込んだ際の出来事として、『「何のために俺がここに来たと思っているのか!」菅氏は免震重要棟に入ると夜勤明けの作業員が大勢いる前で怒声を上げた。池田氏は「これはまずい。一般作業員の前で言うとは…」と感じた。』とあるように、実際には命がけで日本を救った原発の作業員たちにも、自分の権力を振りかざして好き放題なことをしたのである。原発の吉田所長も、「総理が来ても、幹部の方で十分な対応が出来ない」と頭を抱えてしまったほどなので、如何に迷惑なことをしたかが良く分かる。スリーマイル島の事故のときに「カーター・マジック」と呼ばれた現象の再来を狙い、自己の保身にこれを利用しようとしたのは容易に見て取れる。「恥を知れ!」と言いたいところだ。

またもうひとつの菅前総理の特徴には、「法律というものを理解できない」という権力者にとっては致命的な要素も目立つ。自衛隊の指揮権を総理である自分が持つことも知らなかったことは有名な話であるが、原発事故の中でも同様であった。自衛隊のヘリが原発に向けて放水する際の経緯であるが、菅元総理は口頭で官僚にあれしろ、これしろと指示をするが、明文化された指示書を用いた指示でなかったために、自衛隊も動けずにいたそうだ。しかし、当然のごとく動かないので、権限の無い人に愚痴りまくり、当時の首相補佐官・細野豪志氏が元防衛政務官で民主党では切っての防衛通の長島昭久氏に助けを求め、事務的な手続きを指示してヘリからの放水に至ったそうだ。

総理大臣による原子力緊急事態宣言に伴い、首相官邸に設置された政府原子力災害対策本部(首相官邸危機管理センター)が設置されるが、各省庁の幹部らによる緊急参集チームを地下1階の危機管理センターに押し込め、自分は居心地の良い5階の執務室にこもり、自分と近い一部の人間と、自分の御し易い少人数の専門家のみで主要な意思決定をしてきた。下記のURLに小泉元総理時代の原子力総合防災訓練の状況が原子力安全・保安院のホームページに記載されているが、この写真を見れば首相は重要な大勢の関係者の中で対応をしている。

http://www.nisa.meti.go.jp/genshiryoku/bousai/tomari-11.html

それは、意思決定を1箇所に集約し、指揮命令系統を1本化するためであろう。しかし、菅前総理は原子力災害対策特別措置法の意図する行動を取らずに、政治主導を合言葉に好き勝手な行動を取りまくった。池田前経産副大臣の覚書は、その初期の様子を物語っているようだ。

みんなの党の渡辺代表は、「事故の調査は国会の事故調査委員会で徹底して原因究明、責任追及をやるべきだ。菅直人元首相も含めて(証人喚問し、偽証するなど)場合によっては牢屋に入ってもらうところまでやるべきだ」と述べたそうだが、彼の証人喚問は是非ともやって欲しい。そうでなければ、うかばれない人が多過ぎるのである。

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中国との付き合い方を考える

2011-12-26 21:43:51 | 政治
急なキム・ジョンイル氏の死だったが、喪に服するということもあり、一見落ち着いた状況の現状だろう。日米韓のどこを見ても、強硬な態度を取って、事態の打開を図ろうという雰囲気がないので、1年程度はこのままの状況で推移していきそうな雰囲気が漂う。北の核開発は時間との勝負なのだから、事態が安定化したと安心していてはいけないのだが・・・。

さて、今日はその隣の中国との付き合い方を考えてみうようと思う。

先日、韓国の海洋警察の隊員が不法操業の中国漁船の船長に殺害されたが、当の中国はその当日は遺憾の意すら示さず、翌日になってやっと遺憾の意を示した。しかし、自国民に非があると認めた謝罪ではなく、「両国関係が拗れないようにしなければならない」的なニュアンスで、むしろ韓国を諌めるような雰囲気すらあった。中国のマスコミも、完全に韓国悪玉論を張り、「警察官の使用した武器のせいで死亡したとの説がある」と、韓国陰謀説をアピールしていた。多分、尖閣問題を経験した日本人は、こんなことでは驚きはしないだろうが、「またか・・・」という気持ちは強い。

ちょっと前も、中国内で、車にひかれた少女を見て見ぬふりして放置した人々の映像が流れ、世も末だと誰もが目を被った。有毒な物質を工場から川や海に垂れ流し、国家の威信をかけた新幹線の橋脚にはゴミを混ぜて強度もクソもない状態で平気で建設し、イザ鉄道事故が起きたら橋脚から落ちた車両を生存者の有無を十分に確認する前に重機で叩き潰し土中に埋めてしまう。

多分、例をあげ続けたらそれだけでページが尽きてしまうほど、この国の国民の多くが倫理観を持たず、自分さえ良ければ良いと信じている。この国には「愛国無罪」という言葉があり、(本来は反権力的な意味で使われた言葉であるが)今では権力側が自分達に好都合なことを「何でもあり」と正当化するための道具に使っている。

この様に書きながら、何故か何処かで見たような記憶がよみがえる。そう、意外に身近にある、それは「モンスターペアレント」である。両者の共通点は、「自分さえ良ければよい」「言った者勝ち」「権利は主張するが義務は知らない」といったところだろうか?学校の先生方は、昔と違い今は生徒の父兄が教職を「聖職」とは思って尊敬してくれないし、体罰も含めてちょっとした落ち度をマスコミも叩きまくるので、疑心暗鬼状態でついつい受身にまわってしまう。それを見透かしたように、モンスターペアレントは吠えまくり、気が付けば好き放題状態である。

この様なモンスターペアレント的な人々を相手にするにはどうすれば良いのか?答えは簡単ではないが、少なくとも言えることは、「言うべきことをきっちり言うこと」が基本中の基本である。さらには、1対1の関係ではどちらの主張に分があるかを測りかねるため、第3者を巻き込んで外堀を埋めるようにして自らの正当性の裏づけを示さなければいけない。多分、モンスターペアレントは地域の教育委員会などに早々にクレームをつけ、教育委員会側に学校側が如何に酷いかを刷り込む戦略をとるのであろう。モンスターペアレント側に教育委員会が付いてしまったら学校側には勝ち目がない。だからPTAなどを巻き込むなどして、早い段階から学校側が孤立しない環境を確立しなければならない。

尖閣問題を例に引けば、温家宝首相は国連総会に出席するためのニューヨークを訪問中に、世界に対して日本の不当性を発信し、何も知らない人までを巻き込んで流れを作ろうとした。しかし、日本政府側は、下手なことをして中国を刺激したくないと考え、指をくわえて見ていたために、ビデオ映像という決定的な武器(証拠)があるにもかかわらず、完全に主導権を奪われてしまった。結果論的には、あまりの中国の非道さが目にあまり、特に領土問題で中国に対する不満がくすぶるアジアの国を中心に対中国への共闘の必要性を植えつけたために、日本政府の意図とは関係なしに対中国包囲網が出来上がってしまった。結果的には良いのかもしれないが、それを意図的に行うのが政治力である。

話を戻して韓国の海洋警察官の殺害に関しては、韓国は中国に対して対抗意識を示すよりも、中国の非道さをひたすら世界に訴えた方が良いのだろう。多分、中国沿岸の公害で汚染された地域ではまともな魚が取れないだろうから、中国の漁師が水産資源が豊富な外国の領海内に進出して違法操業せざるを得ないのは止められない。中国政府も漁師の反発を恐れるから、違法操業を強く取り締まることが出来ない。中国政府は話をうやむやにして、何とか今を取り繕うことしか考えていないのだろうから、今後、同様のことが起きるのは目に見えている。うがった見方をすれば中国は、中国の漁師が必ずしも悪いと言い切れない状況で韓国の海洋警察が中国民を死に至らしめる事故が起きるのを待って、反撃に出ようと考えているのかも知れない。したたかな国を相手にするならば、事が起きる前から今回の他山の石を教訓にして、周到な戦略を練っておかなければならない。

本来ならば、韓国は対中国、対北朝鮮を意識すれば、日本は強力なパートナーとなるべきはずである。しかし現実には、慰安婦問題や竹島問題などで反日感情を煽るなど、パートナーを意識した行動をとっていない。これは、彼らにとっては日本は政治的利用価値が低いと感じているからなのであろう。細かなところで日本のプレゼンスを高めることで、パートナーとしての重要性を認識させ、その結果が無用なトラブル(慰安婦問題など)を抑え込む抑止力となることが理想的である。

さて、話を少し戻して、本当に困ってしまうのは彼らの「倫理観」のなさである。悪いことを平気でして、咎められても開き直って相手を攻め立てる。おまけに経済力と日本の10倍以上の人口(さらには軍事力も)を背景にして、変な優越感をもっているのであるからタチが悪い。
あくまでも直感的な予想であるが、ここまで来た国は遅かれ早かれ何処かで破綻して、崩壊するのを避けられないのであろう。元々は、一部の権力者が労働者から富を搾取するのを「労働者よ、連帯せよ!」を合言葉にして革命を成し遂げた共産主義の思想を目指していたのに対し、現在の中国は、富が一部の権力者に集中し、不正や汚職で貧富の差がさらに拡大する状況である。自己矛盾も甚だしいが現状を是正することはもはや不可能だろう。一方で、労働者の意識は徐々に高まり、彼らが賃上げ要求をしたら、ガス抜きのために賃上げは避けられない。安価な労働力を武器に世界を席巻した中国経済も、この様になればもはや今までの様な成長を続けることは出来ない。不景気になれば、これまでギリギリのところで押さえ込んでいた民衆が暴発する可能性が急激に高まる。「アラブの春」であれば、一部の権力者を追い払い、新しい政権を樹立すれば希望の光が見えて来る。しかし、今の中国は中国全土に汚職や不正が蔓延しているので、革命が起きるときには中央政府に対する闘争だけではなく、全国土中の政府機関や民間の富裕層も攻撃の対象になるかも知れない。革命という大義名分よりも、短絡的な略奪による利益の方が優先されるかも知れない。殆ど無政府状態の内乱が長々と続くことになるのであろう。

アメリカであれば、この様なシナリオに対しても対策を練るのであろうが、日本政府はどの様に考えているのであろうか?あれだけの経済大国のこの様な崩壊は、そのインパクトで言えば過去の大恐慌など比較にならないかも知れない。米国も含めてアジア諸国による中国に対する包囲網の形成は、ひょっとしたらモンスターペアレントをたしなめる効果があり、結果的に中国の崩壊をソフトランディングさせるのに思わぬところで役に立つのかも知れない。

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北朝鮮との付き合い方を考える

2011-12-20 22:43:09 | 政治
北朝鮮のキム・ジョンイル氏が亡くなり、世界中でテンヤワンヤの状態である。日本国内でも様々なニュース番組で、専門家のコメントや視聴者からの意見などが寄せられていた。

その中で、「これを機会に対話を行い、北に援助をして事態を打開しよう!」という声も聞かれたが、全く的外れな意見だと思う。この手の問題を考える時に、日本人は性善説に立った議論をしがちであるが、歴史を通して多くの国々は、権謀術数を駆使して自分たちに都合の良いことだけを考えているので、性悪説に立った議論をしないと判断を誤ることになる。

さて、その性悪説に立つとして、北は何を考えるのだろうか?常識的に視点は二つあり、ひとつは「理想的なゴールを設定してそれを目指す」こと、もうひとつは「絶対に避けなければならない最悪のシナリオを設定し、それをさける」ことである。北にとって前者は「核開発を完了し、アメリカと言えど手出しが出来ない国家となる」ことであろう。問題はもうひとつの視点で、最悪のシナリオをどう考えるかである。もちろん、国内的なクーデターなどもキム・ジョンウン氏は気にするだろうが、国家としてはそんなことは前提とする訳がなく、最悪のシナリオは多分「アラブの春」そのものだろう。つまり、国民の生活が改善され、生活にゆとりが出て来て、携帯電話、ツイッター、フェースブック、衛星放送などを通して情報が横通しで伝わるような状況になると、キム・ジョンウン氏もカダフィ大佐のようになることは目に見えている。だから、それを如何にして回避するかを真剣に考えているのだろう。

だとすると、援助などを行ってもそれを国民に提供するなどもっての他で、私が指導者なら軍部の間でその救援物資を独占し、相変わらず国民が貧しい状態であり続けるようにするであろう。「北風」と「太陽」の話が例え話として良く話題になるが、太陽政策とは北朝鮮国民に対する太陽ではなく、軍部や一部の特権階級に対してだけ利益のある太陽であり、貧しい国民には北風が吹き続けることを意味する。軍部や一部の特権階級が潤えば、将軍様に対する忠誠心も維持できるので、ますます北朝鮮の体制は安定する。揺さぶりをかけるはずが、体制を強固なものにしてしまうことになる。この点を忘れてはいけないのだろう。

では逆に、我々にとってはどうだろうか?最悪のシナリオは当然ながら北が核を手に入れることであり、何としても阻止しなければならない。しかし、それも時間との勝負でありあまり時間は残されていない。では、最善のシナリオはどうか?それは、北が恐れる最悪のシナリオそのものだろう。

仮に軍部のクーデターが起きたとしても、それは権力者の首が変わっただけで、北の体制そのものは変らないことを意味する。軍部が実権を握れば、ますます核の放棄は期待できなくなる。軍事的なアクションを取らない限り、事態を打開できなくなるのは目に見えているので、軍部のクーデターは我々の望むシナリオではない。

最善のシナリオとは、「アラブの春」よろしく北朝鮮の民衆が立ち上がり、軍の一部も巻き込んで市民革命を引き起こすというシナリオだろう。こうなると、残りの軍部も民衆を殺戮してまで抵抗しようとする勢力は少数派となり、「極東の春」を迎えることが出来るようになるかも知れない。この様にして民主的な勢力が政権を奪えば、民衆は核の放棄の対価として裕福な生活を保証されるなら、喜んで核を放棄するであろう。

であるとすれば、「極東の春」を誘発する政策を推し進めるのが我々の取るべき道である。例えば北朝鮮の民衆が相互の情報交換を行うための手段として、携帯電話やラジオや衛星放送などの情報ツールを闇で提供するという手もあるかも知れない。少々安直ではあるが、中国の国境付近に出稼ぎに来ている北朝鮮人に、無料で通信機器を横流しをすれば、それが国内に流通するようになるかも知れない。他にも考えれば案が出てくるだろう。

お行儀の良いことばかりを考えるのではなく、相手の最も嫌なところをさりげなく突くような戦略を、国家としてもって欲しいと思う。もちろん、その反動でキム・ジョンウン氏が弾けてしまうことも想定に入れた上で・・・。

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「従軍慰安婦」の持つイメージと実際とのギャップ

2011-12-18 23:33:36 | 政治
従軍慰安婦の問題が話題になっている。今日の日韓首脳会談でも、李明博韓国大統領が野田総理に優先的な解決を迫っている。日本からは、日本大使館前の従軍慰安婦の像の撤去を申し入れており、この問題は対中国、対北朝鮮で非常に重要な時期に、日韓関係を劣悪な状況に陥れる問題となりそうで怖い。

この問題の論点は大きく2点あり、「国際的なそもそも論に照らし合わしたらどう判断されるのか」と「慰安婦を集めるために日本軍(ないしは日本政府)による『組織的』な強制連行があったのか」の2点であろう。しかし、多分、韓国はこの様な論点では攻めて来ないだろう。あくまでも「従軍慰安婦という辛い過去をもった人々が可哀想だから補償を!」という感情論に訴えるのだろう。日本政府がそれに応えても応えなくても、どちらにしても韓国政府は得をする(日本が応えなければ、韓国内で反日感情が高まり、政府に対するガス抜きになるので悪い話ではない)という話なのだろう。報道でも良く言われているが、韓国(中国も同様であるが)では政権が不安定化すると、歴史カードを切って国内世論に配慮するという戦術が使われることが多く、今回もそのひとつだと見られている。

ただ、今回の背景には、8月30日の韓国の憲法裁判所の判決で、従軍慰安婦にされた被害者の賠償請求権について、韓国政府が何の措置も講じなかったのは憲法に違反するとの判断が示されたことに起因しているので、さらにタチが悪い。当然ながら、日本と韓国との間では1965年の日韓請求権協定によって個人の請求権は消滅したことになっているので、日本政府としては「法的には解決済み」としか言いようがない。

しかし、もともとこの協定を締結する時、日本政府は韓国人被害者に直接補償をする提案をしていたのに対し、韓国政府はそれを拒否し、日本政府が韓国政府に補償金を渡し、韓国政府から韓国国民に補償することになったのだそうだから、本来、補償が不十分であれば韓国政府に対する不満となって現れるべきである。今頃直接補償を求められるのはおかしな話だ。しかも、韓国政府はこの手の被害に対する請求は日本ではなく韓国政府に対して行わなければならないという事実を自国民に対して隠していた。ひどい話だ。さらに、2005年に当時の盧武鉉政権での歴史カードのひとつとして日韓基本条約等の議事録の一部が公開(当然、韓国政府に都合の悪い部分は公開されていない)され、「反人道的不法行為は、請求権協定で解決されたとみられず、日本の法的責任が残っている」と言い出した。身勝手このうえない話なのであるが、しかしこの情報公開にともない、「個人請求は韓国政府に行わなければならない」ことが明らかになり、韓国政府は思い切り返り血を浴びることになってしまい、これまた大問題になったというのだから笑ってしまう。(笑ったら失礼なのであるが・・・)

韓国の憲法裁判所の判決としては、個人請求に対する政府の無作為は違憲との判断なのだが、しかし裁判官の意見は6対3で割れていたそうだ。法律のことは良くわからないし、韓国のことなのでなおさら背景は良くわからないが、多分、予想するに法律というのは過去の国家と国家の条約などによる縛りに関しては、時の政府が「過去のことはチャラにしたい」と思えば、別の国内法からの解釈で何とでもなるということなのかも知れない。

ただ、はたから見ると、これは「幼い子供が幼いときに何らかの被害を受けて、親が子供の代理で裁判を行い、示談金を(親が)大量にせしめたが、被害者が大きくなってから『私は親からお金をもらってないから、(昔の加害者に対して)お金をちょうだい!』と裁判を起こす」状況に酷似している。可哀想か可哀想でないかで議論すれば可哀想な話なのだが、それを許していたらいつまでも事が解決しなくなる。だから示談書を交わしたらそれ以降は請求しない、権利を放棄するというのは当然のルールなのである。勿論、国家絡みでは上述の例以上に子供(被害者)が裁判(国家的な条約)に直接的に関与できないから、被害者が「私はサインしていない」と言いたくなる気持ちは分かるのだが、だからこそ本来は責任を持たなければならない国家(韓国政府)の責任を棚上げするような判断を韓国の憲法裁判所が行うということが私には理解できない。

韓国大統領が「解決を!」と求めるのであれば、仮に「反人道的不法行為は、請求権協定で解決されたとみられず、日本の法的責任が残っている」と主張するにしても、その法的な根拠を明らかにすべきである。そして、国際司法裁判所などに訴えるなど、正式に法的手続きで勝負をすればよい。国民の対日感情を煽り、それを人質にするようなやり方はよろしくない。

あと、もう一点の論点である「慰安婦問題は日本軍(ないしは日本政府)による『組織的』な強制連行があったか」については、多分、ここでは議論しきれないので諦めるが、あくまでもこの手の話は証拠に基づく議論でなければならない。勿論、「仮にそんな事実があったのなら、そんなことなかったことにしたい」という人も日本にいるのは認めるし、同様に「本当はお金のために自ら進んで働いたのだけれど、つらい過去だから、日本からさらにお金が取れれば貰いたい」と言う人も韓国内にいることは認めざるを得ない。話によると、慰安婦は相当なお金(沢山の人数を相手したので今のソープ嬢以上の給料)を労働の対価としてもらってたのは事実のようだ。また、募集の紙には「慰安婦」という仕事の内容は明記されていなかったので、「慰安婦になったのは騙された結果」と言うのも言いようによっては事実なのかも知れない。しかし、仮に今どきの怪しい夕刊紙に「月収300万円、若い女性を緊急募集」と書いてあったとしよう。これに応募したら仕事の内容が水商売で、「こんなつもりじゃなかった、騙された」と文句言う人がいたら、話を聞いた人は「可哀想」と思うのであろうか?多分、多くの人の感想は可哀想とは少々違うものになるのだろう。それは情報をもたない人が「従軍慰安婦」という言葉から受ける卑劣さ、非人道的な行為とのイメージに対し、実際の「従軍慰安婦」のイメージが少々違うものであることに似ているのだと思う。

過去の裁判でも、日本政府は募集の紙に業務内容(性的サービス)の詳細を明記していないことは認めている(争っていない)ようなので、慰安婦という存在自体を日本政府が否定しているわけではない。冷静にネットから情報を収集しても、出てくるのは両極端の頭に血が上った情報発信のみで真実は良く分からないのだが、その中身を深く吟味していくと、事実は最初に受けたイメージとは大幅に異なるものであることが見えてくる。韓国で反日運動に扇動されている一般国民は、一体どれだけの情報を知って盛り上がっているのか、その辺の話を聞いてみたい。

当然、韓国大統領も野田総理もこの辺の事情はご存知なのだろう。冷静な解決を望みたい。

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選挙制度改革の思考実験をしてみよう!

2011-12-15 23:48:58 | 政治
日経ビジネスONLINEに掲載されている、池上彰さんと、復興構想会議議長代理で有名な東京大学先端科学技術研究センター教授の御厨さんとの対談が面白い。昨日、いろいろな記事を探していて見つけたのであるが、この中でふたりは「政治家は『選挙屋さん』に陥った」とのタイトルで、選挙をはじめとする政治制度の課題を議論している。

「『政治主導』から『官僚主導』へ(官僚の正しい使い方)」でも触れたが、選挙の票のためになることなら魂をも売る政治家が多く、それが(選挙に対し相当の自信がある政治家を除く)多くの政治家の正しい判断を歪めているというのはまず間違いないだろう。ここではだから『官僚主導』へと逆説的な仮説を述べたが、ここではもう一つの対策を議論してみようと思う。

池上さんの記事を見までもなく、日本ではやはり選挙が非常に多く、それにより政治が捻じ曲げられている可能性は高い。このような問題を解決するためには、誰が何と言おうと「制度」を変えなければいけないと信じている。しかし、これまでの制度改革はある種の常識に法っていたために、ある壁を乗り越えることが出来なかった。そこで、少々、暴論的な独創的な議論をたたき台にすることを提案する。説明が長くなるが、出だしの部分でやめずに最後まで読んで欲しい。

まず、政治家が選挙に右往左往することがないようにするには、選挙の頻度を圧倒的に減らせばよい。衆議院議員の任期は4年、参議院議員の任期は6年で3年おきに半分づつ交代する。つまり、周期のずれから、3年以下の周期で選挙が行われるのが必須になっている。周期を最小にするためには、参議院の3年周期に衆議院も合わせて解散総選挙をし続けるということになる。しかし、実際にはそうはならないので1、2年間隔で選挙が行われてしまう。そこで、まず参議院の任期を8年とし、4年周期の入れ替えとする。衆議院は4年の任期とし、常に衆参ダブル選挙となるように固定する。固定するとは解散総選挙による任期途中での議員の入れ替えがないことを保証するというものである。

衆議院の任期を常に4年とするということは、総理の特権である伝家の宝刀「解散権」を召し上げたり、途中で民意を問うことができなくなってしまいそうだが、そこは別の方法で手当をする。

まず、総理は「解散権」を使い、国民の信を問うことができることとする。ただし、この「国民の信を問う」の意味を少々違うものに変更する。仮にこれを「支持率選挙」と呼ぶことにしよう。この支持率選挙では、単に政党に対する支持率のみを問うのである。つまり議員の入れ替えは行わない。例えば、簡単のために3つの政党のみが存在し、A党、B党、C党の通常の衆議院選挙での議席数が250議席、200議席、30議席(総数480の場合)であったとする。しかし、総理が国民の信を問う投票を実施し、その結果の政党支持率が30%、55%、15%になったとする。この結果、本来あるべき議席数の比率は480×0.30=144議席、480×0.55=264議席、480×0.15=72議席となる。しかし、実際の議員数はA党は250議席なので係数として各議員は56.7%の価値しかない。同様にB党、C党は、132%、240%の価値を持つべきである。そこで、国会内の各議題において投票することになった場合、賛成反対の票の総数を数えるのではなく、各政党ごとに票数をカウントし、それに先程の係数を乗算した結果の票数で、採否の判定を行なうという制度を導入する。議員の身分は安泰なのだが、政策の反映であったり首班指名であったりの投票では、直近の国民の判断結果に比例した結果を示すことになる。

以上は総理の解散権をトリガとした支持率選挙であるが、地方自治体のリコール制度と同様に、何らかの条件をクリアすると、総理の意思とは関係なく支持率選挙を行うというルールにすればよい。例えば、新聞社が行う支持率調査のようなものを行政側で全国的に行い、そこで「政府(行政)の支持率」を問い、支持率が例えば10%を切ったら自動的に支持率選挙を発動するという様にすれば、民意を極端に失った政権を無駄に延命させる必要はなくなる。

ここでは衆議院を対象に説明したが、場合によってはこの支持率選挙の結果は衆議院と参議院の双方に反映されるとしても良いかも知れない。つまり、ねじれ国会でニッチモサッチモいかなくなった場合、この支持率選挙を行えば、少なくともねじれは解消するのである。ただ、安直にねじれ回避のためだけに無駄な支持率選挙を行えば、国民の反発を買い支持率を下げるだろうから、一気に両院での過半数を失うことになるかも知れない。だから、それなりに支持率選挙の発動に対するブレーキは働いていると思われる。なお、通常選挙の後では、支持率選挙の結果はリセットされるものとする。

ここまではあくまでも大枠の話であり、本気でこの様なことをするのであれば、大掛かりな法律の改正(場合によっては憲法も?)が必要だろうから、実現性など微塵もないかも知れない。また、このような制度を実行しようとした場合、色々、予想外の問題が発生しうるだろうから、それらを予測して細かなルールを追加する必要も或だろう。しかし、思考実験的な意味でも良いので、ここまで独創的なアイデアも議論の土俵に乗せて考えることには意味があると思う。

この様な制度を導入することで、総理大臣の任期を限りなく4年以上に保てる可能性は高まると思う。各政党が党首選びの選挙をもっと短い周期に設定することは否定できないが、外国と比べて極端に任期の短い日本の総理のあり方を議論すれば、選挙制度に合わせて各党も党首の任期を4年に設定するだろう。場合によっては、政党の都合で総理大臣を変える場合には、同時に支持率選挙を行うことを義務付けても良い。

総理の任期が長くなり、政治家は少なくとも3年ぐらいは選挙のことを考えないで、国のあり方を議論できるようになるかも知れない。それなりにメリットがあると思うのだが、如何だろうか?

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国民投票の結果責任を誰が取る?

2011-12-13 23:38:26 | 政治
昨日の帰りの車のラジオで面白い話題が取り上げられていた。「通販生活」で有名なカタログハウスが、テレビ朝日に対して「原発に対する賛否を国民投票にかけよう!」という内容のCMの放送依頼をし、テレ朝がこれを断っていたという。

提案の内容は直接的な「反原発」ではなく「国民投票を!」ということなので便宜上は特定の政治信条を訴える内容ではないが、「原則として一部の政党CM以外の意見広告はNG」との基準に触れたようだ。CMが流れるのが報道ステーションのみとの話もあり、元々「反原発」「脱原発」的な思想を持っている番組なので、この番組でこのCMが流ないというのも変な感じがする。

実際、You TubeでCMを見てみても、国民投票をやろうということよりも、その様な記事を掲載した「通販生活」という雑誌の宣伝なので、少々、テレ朝の方が政府に過剰に遠慮したのかと勘ぐってしまう。

ただ、今日、ここで書こうと思ったのは「脱原発」の話ではない。国民投票という制度自体の意味を考えてみようという話である。国民投票とは、憲法の改正に関する手続きとして憲法第96条に規定されている制度である。私は法律についてはド素人なので詳しいことは分からないが、時代の流れに即して憲法自体を改正する必要性は当然あり、一方で占領軍としては日本の再軍備化をおしとどまらせるルールとして、政治家(時の権力者)のみでは憲法改正ができないように足かせをしたのだろう。

しかし、近年、テレビで話題に上るのは、地方自治体などで議論が行き詰まり、一般市民から投票により直接的な意見を吸い上げようというにとの要望があり、その結果として住民投票が行われたというものである。憲法における国民投票と異なり、地方における住民投票はその法律的な位置づけが不明瞭で、その結果に対する法的拘束力もなく、住民投票の結果に反する行動を自治体がとることも多い。

さて、ここで問題なのは、国民投票、住民投票の結果が正しい結果を導けるのか?である。正しいというのは適切ではないかもしれない。基本的に、国民が責任をもって判断し、その結果に対しても責任を持ちましょう・・・ということだから、正しいか正しくないかはあまり議論するにはそぐわない。だから、問題は「国民が責任をもって判断をしたことに対して、国民は責任を取れるのか?」という点にある。

例えば、過半数を得た意見が採用されるとすれば、51%対49%でも51%の勝ちである。国民の49%が反対していたことに対して、その責任を49%の人が痛感し、責任を取ってその結果を甘んじて受けるのかといえば、答えはNoであろう。さらに言えば、勝ち組みに投票した者でも、ひょっとしたら情報が不十分で判断を誤ったと後から言い出すかも知れない。法律、特に憲法の様な重要な事項は、コロコロ変わっては困るのである。法の安定性は国家の安定性に直結し、必要不可欠なのである。したがって、憲法改正であっても、衆参両院で国会議員の2/3以上の賛成の後、それを追認する形で国民投票が規定されている。右か左かに迷ったから、コイントスをするような気分で国民投票をするのではない。専門性をもった国民の代表たる国会議員が両院で2/3以上も賛成するのに、さらにそれにブレーキをかけれるように保険として設定されたものが国民投票なのである。カタログハウスの主張はわからないでもないが、個人的には分がない提案だと思った。

ちなみに、直近の話題では、ギリシャが国家破綻に関連して国民投票を行う/行わないという話題があった。フランス、ドイツをはじめとする欧州の首脳達は激怒し、思いとどまるようにギリシャに迫った。報道にも見られるように、ヒステリックになったギリシャの国民が、この状況で勢いに任せてどのような判断をするかは微妙である。緊縮財政にNoを突きつけたとき、それはEUからの離脱を意味するが、その離脱がもたらす経済的なインパクトをギリシャ国民は本当に覚悟して国民投票をするとも思えない。いや、多くの人は真面目に考えるのかも知れないが、怒りに任せて勢いで投票する人が51%以上に達することは容易に想像できる。しかし、その結果責任を国民に強いるのはあまりに非情である。

だから、政治家はいざとなれば自分が国民の避難をすべて受け止める覚悟で、決断を下さなければならないことがあるのである。その責任をちゃんと受け止めれる政治家がいない日本の現状は嘆くしかないが、しかし、そもそも論的には国民は単なるブレーキとしてのみ機能し、国家的判断を国民に求めるべきではない。

かって、我々は怖いもの見たさで政権交代を決断した。自民党政権が腐っていたのは間違いないが、明らかにポピュリズムに走る当時の民主党代表の言動には明らかに危険なものがあった。現に、その時の約束は殆ど破綻し、当時の自民党の政策を追従することが最近は多い。民主党が最初に行なったマニュフェスト違反は、ガソリンの暫定税率の廃止の放棄である。これを指示したのはその元代表だが、その元代表はその後も「マニュフェストを死守」というのだから無責任も甚だしい。北方領土の返還の可能性もほぼ消え、中国が尖閣諸島を韓国のように竹島化する日も遠くないかも知れない。怖いもの見たさで怖い鬼をあぶりだしてしまった現状に対して、どれだけの国民が「自分自身に責任がある」と感じているだろうか?多分、責任を感じると答える人は1割といないだろう。

「国民投票で国家的決断をする」とは、そういうことなのである。

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危険な美しさ(You're Beautiful.)

2011-12-12 23:52:50 | 日記
先日から資生堂 TSUBAKIのCMソングで「You're Beautiful」という曲が流れ始めた。

私はここ数年、洋楽の世界に疎いので、2005年にJames Bluntのこの曲がヒットしたことを知らなかった。ちなみに、このCMソングはリミックス作品でJames Bluntのオリジナルの曲ではないらしい。

私がこの曲が気になり出したのは、2ヶ月ほど前の朝の通勤の際に、FMラジオでこの曲がかかってからだ。何処かで聞いた懐かしさと、「You're Beautiful. You're Beautiful」と続くフレーズの美しさに心惹かれ、早速昼休みにネットで検索をかけた。You TubeにJames Bluntが歌うプロモーションビデオがあり、思わず見入ってしまった。

雪の降りしきる真っ白い世界の中で、黒い服を着た彼が歌い続ける。極寒の中、順番に服を脱ぎ、それを白い地面の上にきれいに並べていく。最初に観たときには全く意味不明であったが、非常に意味深な感じはした。

一体、これは何なんだろう。そして、最後は深い深い海に落ちていく。

私は最初、この曲はラブソングだと思った。英語の歌詞とその和訳を探して、何度も読み返しながら、やっと意味が分かった。

CMで流れている部分はこの部分である。

You're beautiful. You're beautiful.
You're beautiful, it's true.
I saw your face in a crowded place,
And I don't know what to do.

どうしてもこの部分が頭に残るので、ラブソングの印象が強いが、実は曲の持つ意味は全くの真逆である。洋楽に詳しくない方は、是非、曲を聞いて、歌詞を読んで、私の受けた感覚を味わって見て欲しい。だからここまでの記述でやめておく。

しかし、本当に美しい曲だと思う。美しすぎて、だから怖い。危険な美しさである。曲を聴くと、地下鉄で天使に出会い、微笑みかけられた主人公に感情移入をしてしまう。完全に酔ってしまい、感覚が麻痺してくるのが分かる。多分、その時はそんな感覚になってしまうのかも知れない。近づいてはいけない世界なのである。

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本当は策士なのか?

2011-12-11 23:59:53 | 政治
まず最初に、本題と関係ない話題から入らせて頂く。おとといの金曜日、福島第一原発の前所長の吉田さんの病状が発表された。食道癌とのことである。本人がわざわざ福島第一原発に出向いて作業員に自らの口で告げたようであるから、噂に聞くような悪い状況ではないのであろう。12/7の「ジャック・バウアーと吉田所長について思うこと」で少々うがった見方をしてしまったが、予想される最悪の事態ではないのだろう。ただ、被爆線量が70mSvというのは少々嘘くさい。免震重要等にい続ければそんなものなのかも知れないが、個人的には怪しいと思う。事の真偽は現場の人はご存知なのでろうから、その辺の事情を知った上で、現場の作業員が自らの体にも異変が起きているのではないかと心配する気持ちは予想できるので、そのために吉田さんは自らの健康状態を見せに行ったのかも知れない。真実はしばらくしないと明らかにはならないが、吉田さんの治療がうまくいき、且つ現場の作業員のローテーション(長く、現場にいた方々は、そろそろ場所を離れて交代すべきだと思う)の体制を早期に確立して欲しい。

さて、少々長くなってしまったが、以下が今日の本論である。

金曜日に一川保夫防衛相と山岡賢次国家公安委員長兼消費者問題担当相に対する問責決議案が参院で可決された。野田総理は二人の続投を宣言し、当人や興石幹事長も辞任の必要なしということで一致している。一体何が起きており、今後、どのように推移していくのかが良くわからない。

少なくとも、今後国会が空転するのは確実である。したがって、二人が辞任するないしは内閣改造で首の挿げ替えのどちらかを行うのはまず確実であろう。であれば、どのタイミングでその判断をするのが懸命であると判断しているのであろうか?

実は一川防衛相の問責が話題にのぼり始めたとき、私は気になっていたことが一つあった。それは、普天間移設のための環境影響評価書の提出を年内に行うとした場合、どの大臣が提出するのか?ということである。一川防衛相があっさりと辞任してしまうと、後任の大臣が提出しなければならない。しかし、これは沖縄県民にとって決して受け入れられないものだろうから、ここでまたひと悶着あるのは予想できる。とすると、その問題だけでまた問責決議を出せるのかどうかは微妙だが、しかし問責決議をレッドカードに例えれば、環境影響評価書の提出にはイエローカード的な評価がつきまとうだろう。とすれば、次にまたイエローカードざたを起こせば、それらを合わせてレッドカードとなるのは目に見えている。だとすれば、次の大臣になるべく汚点を残さないように、現大臣になるべく多くのイエローカードを背負ってやめてもらおうという魂胆なのかも知れない。

つまり、環境影響評価書の提出で批判が集中する中、その責任を取る形で自ら辞任をするというシナリオである。そう考えると、組閣のときから防衛の専門家を防衛相に据えて、環境影響評価書の提出に絡んで辞任という事態になると、本命の大臣を失うことになるので政権にとっては致命傷である。しかし、小沢派の議員を抜擢し、その議員が針の筵で且つ同僚議員からも「これ以上評判を落とすな」と批判の声が上がり自ら辞めるのであれば、小沢支配の呪縛からの巧妙なソフトランディングでの決別と、本命大臣の温存を両立できる。次の大臣が長島昭久氏などの専門家となれば少々怪しいかも知れない。山岡消費者問題担当相にしても、最初からこうなるのは目に見えていたし、どう考えても消費者問題担当相と山岡氏の組み合わせは裏に何かあると思わざるを得ないぐらいミスマッチだ。

多分、正月が開けて1月下旬頃には全ての答えが出ているのかも知れないが、野田総理は本当は相当な「策士」なのではないかと思ってしまう。

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「はやぶさ2」と日本の命運

2011-12-09 22:36:44 | 政治
昨日、「はやぶさ2」の予算削減で打ち上げに暗雲が立ち込めているというニュースがあった。詳しいことは分からないが、多分、各惑星の軌道の関係から、打ち上げ可能な時期が2014~2015年に限られており、一方で衛星の開発費用は競争のない世界での「1品もの」の製造なので、50%近い予算削減は開発の断念につながるということのようだ。

昨日の記事「『政治主導』から『官僚主導』へ(官僚の正しい使い方)」では、あたかも政治家なんかいらない!とも読めるようなことを書いたが、良く読んで頂けば分かるように少々意図が違う。官僚と政治家にはおのずと役割分担がある。例えて言うならば、ある程度安定した状況で正論を基準にすれば適切な判断が出来る場合には、有能な官僚が淡々と仕事をこなすと良い結果を導けるのだと思う。もちろん、官僚が性善説に従った行動をとるという前提が必要であるが。しかし、世の中はその様な甘い状況だけではなく、時として「突然変異」的な変革が必要であったり、正論から外れた別の議論が必要になることがある。そんな時は、軌道を逸れまいとする官僚は新しい道を模索することができず、政治家が決断をしなければならないことになる。

少々大げさな言い方だが、言い方を変えると、官僚は「戦術」を論じ、政治家は「戦略」を論じなければならない。それが役割分担である。

例えば、科学技術および宇宙開発に対する考え方である。何処かの現大臣が、「1番じゃなければ駄目ですか?2番じゃいけないのですか?」と言ったシーンを良くテレビで見るが、言い訳などしないで「あれは適切な発言ではなかった」と早く認めてしまえば良いと思っている。費用対効果比であれば、1番を目指すより2番を目指した方が効率的であるが、近年はシェアNo.1の企業だけが黒字でNo.2以降は赤字などという業界は多々あり、真の意味での効率追求になっているのかどうかは真面目に考えた方が良い。

先日も中国からのレアアースの輸入が止まったことが話題となったが、様々な物資は戦略物資となりえるのである。結論から言えば、将来、宇宙空間に資源を中心とした活路を見出さざるを得ない時代が来るかも知れない。地上でさえ、最初に見つけて宣言した国がその土地を領土と主張できるのであるから、宇宙空間にもその様な権益争いが生じるのは目に見えている。有人宇宙飛行に着目すれば、ロシア、米国、中国の3ヶ国が成し得ているのだからNo.4以降に甘んじているのは明らかである。

日本は、海洋資源はそれなりに豊富かもしれないが、陸地で見れば国土が狭く、資源の枯渇は国家の死を意味する。以前も、ある程度の周期で戦争が起きていたし、経済的にも大恐慌を完全に防ぐことは不可能である。そんな時、資源を持つ国はそれを武器にして、他国に対して有意な立場に立とうとする。どれだけの戦略物資を押さえるかは、国家としての生命線である。TPPにおいても農産物を議論する時には、主食の米が戦略物資となりうることを考慮し、自給率100%の維持が叫ばれるが、例えば家畜の飼料などに回されている品質の悪い米であっても戦争となれば皆食べるようになるので、その様な極限状態になった時に何が起きるのかを考えた戦略を立てる必要がある。飼料用の米を転用したとすると、では飼料には何を転用し、さらにその元を何で補うのか・・・という具合に。

農業の話はまだ生産することができる物資だから良いが、資源となるとないものはないのである。これから様々な物資が枯渇するのは、それが早いか遅いかを別にすれば、確実に避けられない状況である。その様な時に、どこに資源を求めるかといえば、ひとつの大きな可能性は宇宙にある。石油などのような化石燃料は別であるし、コスト的に採算が取れるか否かなどの議論はあるが、宇宙空間の権利主張が「早い者勝ち」と仮になった時、1番乗りでなくても上位に入れなければ、その後の世界で大きなハンディキャップを余儀なくされる。だから、宇宙開発に関する予算は言ってみれば「生命保険」のようなものであり、「どうせ早死しないから、保険料は無駄」と考えるか「もし早死したら、家族が路頭に迷うから、掛け捨てで良いから保険料を払う」と考えるか、判断をしなければならない。効率や確率で議論すれば前者であるが、リスクマネージメントの観点では後者だろう。だからこそ、政治的な判断で後者を選択しなければならないのである。しかし、現実は政治家が前者を選ぶという情けない結果となっているのである。

このような判断は、例えば原発問題でもあるかも知れない。例えば、安全の観点から脱原発を進めるのは良いが、現実に各廃棄物は存在するので、それらの管理には今後も長い目で付き合わざるを得ない。しかし、核開発は全て終了と決断してしまえば、今後、残される核物質を管理する技術を伝承することはできない。このような意味でも、ハードランディングではなくソフトランディングをしなければならない。さらに言えば、あまり大きな声で議論するのははばかられるのかも知れないが、これだけ多くの国が核兵器を持つ中日本が核兵器を持たないでいられるのは、必要となれば短時間で開発できる技術を持ち合わせているからである。しかし、日本中から原発がなくなれば、例えば北朝鮮や中国が本格的にヤバイ状態になったときに、核武装するのに要する時間が膨大になる。逆説的であるが、核(兵器)を持たないでいるために(核を利用した)原発が必要であるという裏の事情もあるのである。自民党の石破さんなどは、この様な議論も恐れずに口にしており、ある意味では誠実な政治家だと思う。この様な正論では議論できない論点にも、敢えて目を背けずに向かい合うことが政治家には求められる。

色々書いてきたが、歴史を見れば、時々、突然変異的な変革をもたらす瞬間が訪れて、その変革と変革の間は国々の序列は安定しているが、その変革の時に序列が大きく変わる。その瞬間に、先頭を走ることができるか取り残されるか、戦略的に様々な布石を打っておく必要があり、その様な判断・決断のために政治家は必要なのである。是非ともその様な戦略を語って欲しい。

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『政治主導』から『官僚主導』へ(官僚の正しい使い方)

2011-12-08 22:06:02 | 政治
今回、敢えて逆説的な提案をさせて頂く。このテーマで全ての問題を解決することなど出来るはずもないが、問題提起だと思って読んで欲しい。というか、思考実験と思っていただいた方が良いかもしれない。

私の提案は、「『政治主導』の代わりに『官僚主導』の体制を確立すべし!」である。なんと馬鹿げた提案だろうか(少々、自虐的に・・・)。

論点はこうである。政治家が政策を決める時、例えばTPPの例など分かり易いが、多分8割以上の政治家は常に「何が選挙に有利か?」「どうすれば票につながるか?」を判断基準にしている。この様な下心丸出しの行動で、到底、正しい国のあり方に導くことなどできようはずもない。ある意味、選挙で一喜一憂しなければならない議員の性である。

となれば、どうすれば選挙などの下心に左右されない政策決定のシステムを確立するかと言うと、選挙で一喜一憂する必要がない人が政策を決定すれば良いのである。それは誰かといえば、「官僚」なのである。

高度経済成長期、優秀な日本の官僚が日本を支えてきたといってもいいだろう。しかし、戦後からの復旧復興、アメリカに追いつき追い越せの目標を失った時点で、比率的にはそれ程多くもないのかもしれないが、ある程度の官僚が「国家のため」から「自分のため」に舵を切った。そして、天下り先の確保とその企業・団体への無駄金の投入を繰り返し、明らかに破綻するのが分かっていても状況をも先送りし、責任を有耶無耶にして甘い汁を吸い続けた。

マスコミは官僚バッシングをし、さらに民主党政権は自分をサポートしてくれるはずの官僚を「大馬鹿者」扱いし、政策立案能力のなさ故に自滅していった。その流れにストップをかけたのが、財務官僚との信頼が厚い野田総理である。しかし少々度が過ぎて、財務官僚の言いなりという状況も否定できない。

少々話がそれたが、下心で政策を捻じ曲げる政治家の考え方を正す制度は中々実現できそうもない。なぜならば、その制度を作るのが正されるべき政治家だからである。しかし、官僚が「天下・国家のため」に仕事に精を出すための制度であれば、まだ実現の可能性は相対的には高い(しかし、絶対的には実現の可能性が低い?)かもしれない。

基本的な考え方は、例えば「天下りによる利権の徹底排除」「政策に関する責任の明確化」「国家に貢献した者へのインセンティブの確保」などで如何であろうか?そのためには、指しあたって「国家公務員給料の大幅増額」「個々の政策に関係した官僚の(係長級以上の)全氏名の(条件付)公開と個々人の寄与率(逆に言えば責任率)の明確化」「第3者機関による個別政策の査定」「査定結果×寄与率×重要度係数の累積値に比例した賞与制度(及び人事制度)の導入」などを導入しては如何だろう?ちなみに上述の「重要度係数」とは、例えばお金の無駄遣いがあった場合、1億円の無駄と100億円の無駄は、その金額に見合った係数で重み付けすべきである。この様な制度を導入すれば、官僚はとてもではないが無駄遣いの温床となる天下り先にお金を回すことよりも、税金を有効活用するために頭を悩ますはずである。過渡期においては、かって上司だった天下り先の人の便宜を図り、自分も天下りをしようと思うかもしれないが、10年先には天下りなんて出来ないと思い込むのに十分な状況を作れば、可能性の低い天下り先よりも、可能性の高い現在の実績を上げることの方に汗をかくだろう。この様な体制が確立すれば、「政治主導」よりも「官僚主導」の方が信頼できそうである。

もちろん、ここで書いたことは暴論である。「政治家なんていらない」と言える訳もなく、優秀な政治家は当然ながら必要である。だから結局のところ、階層的に示せば、官僚は国会議員ないしは政府を構成する閣僚および政務三役の下に配置せざるを得ない。しかし、これは上司である政治家に絶対服従である必要もない。官僚は自分の責任を全うするに当たり、大臣と衝突することになるかも知れない。その際には、先ほどの査定の「寄与率」に「政治主導係数」を乗算すれば良い。つまり、官僚は反対したが政治主導で断行した案件は、明確にその指示をした政治家の責任として広く公開し、その責任を政治家に負わせれば良い。この「政治主導係数」は、官僚(事務次官)と大臣で相談して決めればよい。

長々と戯言を書いてきたが、無責任ながらここに書いたことは多分実現不可能であろう。しかし大切なのは、時として政治家と官僚が対峙することも厭わない真剣勝負の政治を実現することである。そうなれば、官僚と戦うために政治家ももっと真面目に勉強するだろう。少なくとも「乗数効果」も知らない人が財務大臣(その後は総理大臣)になることはないだろう。責任の所在を明確にし、一方で官僚が天下・国家のために身を投じるモチベーションを如何に高めるかである。

マスコミも、何処かの前総理大臣の真似をして官僚いじめをするよりも、官僚を上手く使いこなす術について議論しては如何だろうか?

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ジャック・バウアーと吉田所長について思うこと

2011-12-07 23:40:36 | 政治
少し時間が経ってしまったが、先週の月曜日、福島第1原発の吉田所長が入院のため所長職を解かれたとの報道があった。ショックだった。

これまでの一連の報道から、彼がいなければ現在はチェルノブイリを超える惨事に至っていたのではないかと私は信じている。しかし現在、この様に徐々に収束の道を歩んでいられるのは、死と向かい合わせの極限状況の中、彼が現場の指揮官として、そして原子力の専門家として適切な行動をとってきたからであろう。

例えば、菅前総理が海水注入の中止を指示したとされる事件は、菅前総理はその発言を否定していたが、私が最も信じる人の一人である青山繁晴氏が関西ローカルのテレビ番組「スーパーニュース・アンカー」の中で、関係者への詳細な取材の下、何が起きていたのかを明らかにしている。

参考URL:http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1005.html

非常に緻密な取材であるが、ここでの結論は極めて信ぴょう性が高い内容である。技術者に対し、確率が完全にゼロであることを求めれば、「科学の世界で確率ゼロとは断言できない」と答えが帰ってくるのは理系を豪語する菅氏であればわかるはずだ。しかし「詰めろ!」と言われ、「原子力村の村長」と言われる東電の副社長ですら、反論をせずに受け入れてしまったと言う。それを吉田所長はすべての責任を自分でかぶり、適切な判断を下した。

彼は最近の取材で、「もう死ぬだろう」と何度も感じたことを明らかにしている。責任ある立場の人が、自らも「死の危険」を肌に感じたら、当然ながら部下に対し避難指示をしなければならない。避難の遅れは、部下の死を意味するからである。しかし、あえて「死んでくれ」と言わんとばかりに現地に残り、結果的に日本という「国家の死」を回避した。褒められるべきか、責められるべきかは紙一重であろう。作業員の家族からすれば、恨み節のひとつも出てもおかしくない。しかし、自らも最前線で死の恐怖と戦いながら、原発の暴走を阻止したのだから法律やコンプライアンスとは一線を画したところの出来事である。自らの責任を問われるのを恐れて、自衛隊員に対してヘリコプターでの海水投下を指示せずに、統合幕僚長に責任をなすりつけた何処かの国の元防衛大臣とは訳が違う。

多分、私の予想では彼は沢山の法令違反を犯しているのだろう。総理の海水注入中止指示を無視したことはよく知られているが、多分、明らかになっていないことも多数あるだろう。例えば、4月に入り放射線の線量を測る線量計の数が足りなくて、複数人で1台の線量計を共有していた話があったが、そんなのは全国の原子力機関に問い合わせれば、2日もあれば必要な数を寄せ集めることは出来たはずである。しかし、それをやるとあっという間に法令で規定される被爆限度を超えてしまうので、敢えて線量計を取り寄せなかったのではないかと推察される。あくまでも推察でしかないが・・・。しかし、そうしなければ、あの現場を仕切ることはできなかったのだろう。それほど事態は深刻で、死を覚悟しなければならない究極の状況なのだったのだと思う。

結果的に彼は日本を救った。法令違反と引き換えに救ったのかも知れない。変な話であるが、海外ドラマの「24(Twenty Four)」では主役のジャックバウアーは、膨大な数の法令違反を犯しながら、それと引き換えにアメリカをテロの被害から救うのである。一律に議論する話ではないが、その様な究極の状況に置かれたとき、「法令遵守」は自分の身を守るには非常に都合が良い。しかし、そこに愛すべき家族や友人がいる時、自らの身を捨てて法令違反を犯さなければならない時もあるかも知れない。クリストファー・ウォーケン主演の映画の「デッドゾーン(The Dead Zone)」もその様な映画だった。マイナーな映画かも知れないが、私の好きな映画だ。

そんな彼の努力の下、現在は大分安定状態に近づいてきた。

さて、話は変わって吉田所長の病状である。東電が秘密主義を貫いているので何とも言えないが、実は吉田所長が入院する5日ほど前に、福島第1原発の副長が警察に逮捕されていたニュースをご存知だろうか?話によると、東京ビックサイトで行われた衣料品の販売で、10万円以上の商品のタグを1/10程度の金額に付け替えレジを通過し、逮捕されたそうだ。ただ面白いのは、そのニュースの取り扱いが非常に同情的なのである。関係者(販売員)によれば、いかにもバレバレのタグの付け替えをしており、捕まりたいという気持ちがあったのではないかとことで、精神的に追い詰められていたことが原因と暗にほのめかして記事を終えている。この事件があったのが11/19、吉田所長の検診は11月中旬とあり正確な日付は不明であるが、入院は11/24なので、事件の後に検診を受けたとすれば、相当、メンタル的なチェックを慎重に受けたことが予想される。非常に意思の強い方だから、大して問題はなかったのかも知れないが、少なからずの何らかの精神的なダメージの兆候ぐらいは出てきていたのかも知れない。時系列がこの順番であれば、東電としては、吉田所長がこの様なこと(詐欺・万引き)をしては取り返しが付かないので、先手を打ったということかも知れない。ないしは、放射線の被爆量が250mSvをはるかに超えていることが発覚し、これ以上の勤務は法律違反になるので退役させたのかも知れない。当然、退役させればマスコミが取り巻くだろうから、安全な場所として病院を選んだとも考えられる。

本当のところは全くわからないが、私は吉田元所長にはそろそろ平穏な世界で少しは身を休めて欲しいと願っている。本当に重たい病気ではなく、別の理由であって欲しいと切に願っている。ドラマの「24」の様に、ジャックバウアーがまた舞い戻らなければならない世界が待ち構えていないことを祈る。

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東電の取るべき技術的なアプローチ

2011-12-06 23:19:19 | 政治
1週間ほど前の話であるが、福島第一原発の事故状況の解析結果を発表した。チャイナシンドロームに近い状況であった可能性があるという結論だった。

実は、3月の事故の直後、私は心配になって様々なニュースなどをあさりまくっていた。それは最も気になる事態、チャイナシンドローム現象が起こりうるのかどうかを知りたかったからだ。しかし、テレビも新聞も、その点については一切触れることはなかった。多分、4月になってからだろうと思うが、ある専門家(多分、何処かの大学の教授だったと思うが、名前は忘れた)がやっと、この点について言及していた。その内容は、「チャイナシンドロームは心配ない」と言うものだった。大本営発表的な発言ではなく、その他の発言も理路整然としていたので、私はこの人の発言を信用するに至った。その時の説明はこうである。

「核燃料は最大で2800度程度まで上がるが、燃料棒のジルコニウム、圧力容器や格納容器を形成する鋼鉄などを溶かしながら、溶融した核燃料は不純物が多くなり核分裂反応が抑制され温度は徐々に下がる。さらにコンクリートを溶かすことで純度はさらに下がり最終的にはコンクリートの融点2200度?を大幅に下回る温度まで下がり、ある程度のコンクリートの侵食によりそこで核燃料はストップする。問題はそのコンクリートの侵食量とコンクリート厚であるが、設計上は十分な厚みがあるのでコンクリートを突き破ってチャイナシンドロームにはならない。」ということだそうだ。

東電の今回の発表を聞くと、最悪の事態を想定して全ての核燃料が落下した場合を評価し、その結果、コンクリートの侵食量は65cmであり、建物を貫通するほどではないとのことである。上記の発言を裏付けるシミュレーションを実施した結果、その妥当性が定量的に示されたものであると私は理解した。もちろん、これはシミュレーションなので、実際にどうかと言う点で異論を唱える人も多いようだ。ただ、「東電のいうことは何でもかんでも信用できない」的な主張や、データに基づかないラフな評価も同じように信用はできない。一方で、チェルノブイリほどの事故でもチャイナシンドロームは起きなかったのだから、今回の評価結果はやはり妥当だったのであろうと思う。ちなみに、一部の報道では「チャイナシンドロームが起きていた」と表現していたが、チャイナシンドロームは少なくともコンクリートを貫通することを意味するので、「チャイナシンドロームは起きていなかった」ないしは「チャイナシンドロームに近かった」が正確な表現であろう。

私はこの様に納得したのであるが、東電に対する不信感が強いのは事実である。何かを隠しているのではないか?ではどうすればよいか?今回の件に関して言えば、多分、答えは簡単である。東電は今回のシミュレーション条件を全て明らかにし、そのシミュレーションの追試を外部の機関の人にもできるようにすれば良いのである。科学技術の世界では、誰かの学術的な報告に対し、論文に記載された同一条件を元に検証を行うことで、その真偽を確認し、その人の発見・発表が正しいことを認めるのである。であれば、今回も技術の世界であるので、全ての評価条件を示せばよい。最悪の事態として全ての各燃料が溶融して下に落下したと仮定するなら、ジルコニウムの混入料や鋼鉄の組成(100%の鉄ではないだろうから)、コンクリートの素材、そのコンクリートの融点などを明らかにすればよい。そうすれば、65cmの妥当性を検証できる人は現れるだろう。

この様な評価により、最悪の状態で何処までの状況がありえたのかがわかるはずだ。ただ、実際はそこまでは悪くない可能性も高いので、最悪の状況を抑えた上で、「では、実際のところは?」と気になってくる。ここから先は根拠のない単なる推測であるが、コンクリートの侵食まで行っていたら1号機の建物内に人が入ることなんかできそうもないと思う。しかし、実際には建物内で作業ができているので、それよりはましな状況なのだろうと思う。例えば、配管の継ぎ目などは高温で溶融し(ないしは高圧で破損し)、ごく一部の核燃料は落下し、さらに燃料に直接触れた放射性物質を多く含んだ水も漏洩したが、核燃料が落下した場所には水が溜まっていて、途中から大量の水の注入も始まり、現在では低温な状態が続いているといった感じで・・・。

これは東電の予測と概ね同じなのだろうが、いかんせん根拠が薄い。今まで情報を隠しまくっていたツケで、今は狼少年状態だのだから信じてもらえないことを恨むのではなく、地道に信じてもらえるだけの情報、追試ができるだけの情報を開示していくしかないのだと思う。

技術者であれば、技術的なアプローチで信頼を勝ち得て欲しい。

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マスコミも劣化しているのか?

2011-12-03 23:29:22 | 政治
今朝の産経新聞の産経抄に面白いことが書いてあった。なるほどと思った。

要約するとこうである。最初は2ケ月遅れの就活の話から入ったのであるが、新聞記者志望の学生から「記者に必要な資質は何ですか?」と聞かれた時、新聞とは時として人の悪口(政治家の批判)を書くのだから、せめて人としての信義にもとることのないようにと、信義を守る気概が重要といったような答えを返したそうだ。これに対し、前沖縄防衛局長が居酒屋のオフレコ談義で言った暴言を新聞で素っ破抜いて失脚に導いた琉球新報の記者に対し、「何故、言われたその時に抗議しないのか?」と指摘し、黙って帰ってスクープというのは如何なものか・・・といった議論をしている。

私は、これは至極ごもっともと思うし、最近のオフレコの談話が表に出て問題となることに不満を感じていた。ただ、ちょっと付け加えたいと思うのでここに書くことにした。

まず一つ目は、仮にオフレコであろうと何であろうと、何で相手を見て話の内容を変えないのかが不思議なのである。最近は、言葉狩り的な風潮があるので、当然、それなりの要職の人は自己防衛をする能力が求められる。私の上司だった人は、仕事の上での来客があるとき、相手が女性一人の場合には必ず打ち合わせに私を同席させていた。極めて倫理観の高い人で、仮に何かトラブルがあっても誰もが身の潔白を保証してくれそうな人である。しかし、仮に悪意を持って何かを仕掛けられたとき、1対1では身を守りようがないというのである。高々、民間企業の課長級ぐらいで「何もそこまで・・・」とは思うのだが、多分、それなりの要職の官僚、政治家などであれば、悪意を持って人をおとしめようとする人も寄ってくるので、この程度の危機感をもって望むのは当然であろう。ましてや、防衛省というのは様々な思惑を持った人が周りに蠢く世界だから、幾ら居酒屋でオフレコといえど、「この中に、自分をおとしめようとする人がいないのか?」という感覚をもってしかるべきである。しかし、全くの無防備であるというのは信じ難い。あまりに緊張感がなさすぎるのである。「この人なら、私のことを刺したりしない!」と確信を持てるような相手でなければ、気を許した発言をしなければ良いのである。

多分、防衛省はもちろんのこと、普通の政治家であろうと、周りの世界は権謀術数だらけである。性善説を前提とするのではなく、相手がマキャヴェリストであることを前提としなければ、対等にはやっていけないのである。相手より一枚も二枚も上手でなければ世界で勝てないのであるから、ホンワカとした世界を期待してはいけないのである。あまりに甘ちゃんすぎる人が多過ぎる。

あと、もうひとつ思ったのは、新聞記者の取材の技術についてである。あるとき、ラジオで次のような話を聞いた。某有名新聞社の官邸付きの政治部の記者が、官邸付きから外れて待っていれば記事が飛び込んでくる環境から自分の足で稼がなければならない状況になり、フリーのジャーナリストを捕まえて「取材の仕方を教えてくれ」と言ったそうだ。本当ならば、その卓越した取材技術で食っていく世界なのに、甘い環境であぐらを書いている有名新聞社の記者をさして、マスメディア側も劣化したものだと嘆いていた。

この様な観点からすると、大勢の記者との居酒屋でのオフレコ談義というのも甘えた話だが、ここで暴言を暴露したら次からはこのような形で有益な情報を収集するのに支障があるとは考えないのであろうか?情報源を守るのがマスコミじゃないの?と思ってしまう。これまた関係ない話題であるが、第2次世界大戦中、米軍は日本の暗号を完全に解読する技術を持っていたそうである。あるとき、山本五十六を載せた飛行機がラバウル基地を発信したとき、その暗号電文を解読した米軍が、山本が乗った飛行機を撃墜するか否かで議論が別れたそうだ。撃墜すれば、暗号を解読されていることが日本軍にバレてしまうかも知れない。一方で、知将の山本を葬ればその効果は予想以上に大きいかも知れない。天秤にかけた結果、撃墜を選んだと聞いた。今回の琉球新報の編集部はいったいどれぐらい悩んだのだろう?

やはり最近、余りにもオフレコネタが話題になりすぎる。それは、やはりマスコミの劣化なのだと思う。政治家の劣化、官僚の劣化も問題だが、ひょっとすると、マスコミの劣化はそれ以上に深刻なのかも知れない。

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いつか何処かで見た記憶

2011-12-02 23:54:41 | 政治
いつか何処かで見たような記憶が蘇る。

一川防衛相と山岡消費者問題担当相の話である。思い出したのは、安部政権での松岡元農水相とそれに続く赤城元農水相と立て続けの閣僚の不祥事である。私は、実は安部元総理をそれなりに評価している。衆院での2/3ルールの連発という問題はあるが、重要な法案を通した数でみれば、歴代首相の中でもそう見劣りするものではないだろう。悪かったのは、所信表明演説をした直後に辞職した点で、あと1ヶ月我慢して、にっちもさっちも行かなくなってから辞任していれば(ないしは所信表明演説前の辞任)、もう少し評価は下がらなかったかもしれない。

話を本題に移すと、あの時、確かに年金問題や格差問題、強硬な国会運営などが争点になったりして部が悪かったが、トドメを指したのは松岡問題であっただろう。誰が見ても、身体検査をすればボロが出るのは明らかで、あのような人を大臣に指名した後に何が起きるかぐらいは予想できたはずである。お友達内閣だからなのか何なのか、理由は知らないが、あまりにお坊ちゃま的な甘い人選であった。

今回の野田内閣の場合、お友達ではないだろうが、小沢派に配慮した人選が裏目に出ている。輿石幹事長の人選までは非常に良かったのであるが、山岡氏を任命したら自分の首を絞めることになるぐらい、野田さんほどの人物なら分かっていたはずだ。さらには、素人発言やブータン国王に対する発言に加え今回の「詳細を知らない」発言を連発するあたり、うっかりミスの度を越している。防衛省内でも既に相手にされていないようだし、当然、それなりの人が見たら「この人では務まらない」ことぐらい、容易に分かったはずだ。にもかかわらず、小沢派からの推薦を受けて「他の○○さんではダメなの?」と聞けなかった辺り、ガラス細工の政権の弱さを示しているのであろう。

ちなみに、その前の鉢呂経産相の辞任の場合は笑ってしまうような失言ではあるが、まだ本業に関する資質を否定する問題ではなかっただけましであった。しかし、この二人は本業に直接関係する資質に致命的な問題があることを示す状況であり、安部政権での松岡氏の時よりも性質が悪いかも知れない。

多分、野田さんは民主党の中では相当有能な政治家であることは間違いないであろう。菅さんや鳩山さんの比ではもちろんない。それなりの強い意志と、状況を上手くかわす巧みさも備え、仮に政権交代のときに野田さんが首相であったなら長期政権になっていたかも知れない。今後、TPPや増税問題で小沢さんと対峙することを考えれば、最初からこの2名の人選を突っぱねていればよかったのかも知れない。「たら」「れば」を言ってもしょうがないのだが・・・。

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