けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

韓国におけるアメリカと中国の序列がもたらすもの

2013-10-30 23:58:47 | 政治
今日は非常に短絡的で思慮の浅いコメントを書かせて頂く。この記事を書こうと思ったネタ元はちょっと古いが下記の記事である。

2013年9月26日 日経ビジネスONLINE 「なぜ、韓国は東京五輪を邪魔したいのか 読者からの質問に答えて(鈴置 高史)

毎度のことだが、日経ビジネスONLINEは無料の会員登録をしないと読めないので私なりの理解で簡単に要点をまとめておく。

(1)「例えば、夫婦喧嘩した奥さんが通りに出て大声で亭主の悪口を叫ぶ。亭主は困って奥さんに譲歩する。この際、奥さんが恥ずかしい行動をしたとは世間は見ないのです。」というように、韓国では人の足を引っ張る卑怯さが「恥ずかしいこと」という評価が国民的にないために、他人が傷つけば相対的に自分にとってゲインがあると感じている。
(2)歴史の中で文明は大陸から生まれ島国に伝わったとの考えがあり、(本音では中国よりも韓国の方が上と思いながらも)文明上の上下関係的には中国>韓国>日本であると信じている
(3)韓国の国教たる儒教では上下の関係が極めて重要で、韓国は日本より上にある国なのに世界にそれが認められないことが気に入らない
(4)韓国には「強い人は譲歩しない」との特殊な確信があり、日韓ワールドカップ2002にしても河野談話にしても、日本人は「譲歩することで、お互いが歩み寄れる」と信じがちだが、韓国人からすると「日本が、韓国の方が上位にいると認めた」と勘違いし、日本が狙った結果には結びつかない。

とまあ、こんなところだろうか?失われた20年と言われるデフレで国力を大きく落とした日本、民主党政権で日米同盟もぐらつき中国やロシアに付け入る隙を見せまくった日本、3.11や福島第一原発事故など泣き面に蜂状態、時を同じくしてウオン安で好景気を迎えた韓国経済など、韓国に勘違いさせる要因は大いにあった。しかし韓国は、元々、日本よりも序列が上だと思っていたのだから、1997年のIMF危機で自信を失いかけていたところを、2002年のW杯以降、自己肯定するのに都合の良い事態が長く続いてきて、勘違いはやがて確信へと変わった。だから、最近の朴槿恵政権の日本をケチョンケチョンに言いまくる背景には、上述の(1)~(4)があるのだろうなということは説得力がある。ただ、ここまで理路整然と説明されなくても、最初から感覚的には誰もが感じていた話ではある。

しかし、この中の(3)だけはちょっと奥深さが違うと私はこの記事を読んで気が付いた。まさにこの(1)~(4)の中で最も重要なのは「儒教での上下関係」の重要性である。単なる感覚としての「あいつより上でありたい」という負けん気ではなく、「あいつより上でなければならない」という使命感である。そして、最近それが強く現れたのは日本と韓国の関係ではない。中国とアメリカと韓国の関係なのである。

例えば韓国併合以降、韓国は日本から酷いことをされたと主張している。朴槿恵大統領は「千年忘れない」と言うが、では千年前から今までの間に、韓国が中国から何をされてきたかを考えれば、日本が韓国にしたことなど取るに足らない恐ろしく屈辱的な内容であるはずである。しかし、それにも関わらず、日本には「千年忘れない」と言うのに、千年間酷いことをしてきた中国には文句のひとつも言わないのには理由がある。儒教的な上下関係を感じているからである。しかし、10年前であればこれほど中国に従順ではなかったはずである。それは何故なのか?

それは、韓国にとって「アメリカ>中国>韓国>日本」という序列が以前はあったのに、現在はその序列が「中国>アメリカ」に変わってしまったからである。特に北朝鮮に対する6か国協議でのアメリカのていたらく振りは酷いもので、「何やってんだよ!」と言いたくなるものだった。まんまと北朝鮮に騙されて、核ミサイルを手に入れられてしまった。さらにイラク戦争で失態を示し、リーマンショックなどの経済危機もあり、アメリカの重要性がどんどん地に落ち始めた。その癖、韓国哨戒艦の天安が北朝鮮に撃沈されても北朝鮮への反撃も許されず、アメリカに対する信頼は地に落ちる。一方で中国はと言えば、経済発展と軍事力増強を背景に、世界の中での重要度は増すばかりである。民主党政権時代の尖閣漁船衝突事件では、客観的には中国は多くのものを失ったのであるが、韓国には「株を上げた」ように見えてしまったから、相対的な序列として「中国>アメリカ」と確信するに至ったのだろう。日韓併合にしても、最近の数学社の韓国歴史教科書でもそれなりの評価をしておりながら、どうしても感覚的にそれを許せない背景には、序列が上のはずの韓国を、儒教的な道徳観を踏みにじり下剋上を試みたことがある。これほど序列を意識するから、アメリカと中国の序列の逆転が余程韓国にとっては重かったのだろう。

傍から見れば「別に、そこまでしなくてもいいんじゃない?」と言いたいところだが、あの朴槿恵政権の暴走は異様であり、論理的に説明できるようなものではない。馬鹿げているとは私自身も思うところだが、実際にはこの様な韓国の特殊な背景を理解しないと適切な判断が出来ないのかも知れない。であるならば、「河野談話」にしても、日本側が勝手に韓国を思いやって行ったことではなく、韓国からの条件提示に単純に取引を試みて裏切られたという事実を突きつけるなど、大いなる勘違いを事実をもとに訂正する努力が必要なのかも知れない。更には、アメリカによる日本と韓国との序列関係や、経済力や文化に関する序列、世界の中での評価としての序列など、遠慮せずに日本が上であることを思い知らせるのもひとつの手かも知れない。これと同様に、韓国にとってのアメリカと中国との序列が再度逆転する方向での努力も東アジアの安定においては重要かも知れない。日米を中心とする中国包囲網は、その再逆転の武器でもあり、TPPもしかりである。

今までは序列に拘るのはあまりに大人げないと思っていたところであるが、韓国相手には意外にこれが本質なのかも知れないと感じた。

←人気ブログランキング応援クリックよろしくお願いいます

みずほ銀行と阪急阪神ホテルズとオバマ大統領の共通点

2013-10-29 23:58:22 | 政治
変なタイトルで恐縮だが、読んでの通り、みずほ銀行と阪急阪神ホテルズとオバマ大統領の共通点について今日はコメントしてみたい。

言うまでもないがもう少し正確に言えば、みずほ銀行の反社会的行為の隠蔽に関する事件、阪急阪神ホテルズのレストランでのメニューの偽装事件、ドイツのメルケル首相を始めとする盗聴事件に関する共通点である。最初に結論を言えば、それらは単なる氷山の一角で、探してみればそこら中で同様のことをやっているのに、その証拠を掴めないが故にそれをマスコミは報じないという事件である。

と結論は簡単だが、もう少し順番に個別のケースを見てみよう。

まず、みずほ銀行の事件である。反社会的行為とは暴力団が意図的に飛ばし目的で組んだローンに関与したということだが、単純に考えて暴力団も頭を使って融資会社のブラックリストを上手く回避する手立てを考えているから、融資決定段階でのシャットアウトは何処まで行っても不可能だろう。だから、問題は不正な融資が後から見つかった段階で、それにどの様に対処するかが問われている。この対処を徹底して行えば、暴力団側からの反撃が出てきてもおかしくはないし、外部に対してもその辺の活動が表に出てもおかしくはない。それは銀行側からすれば、毅然とした態度で反社会的集団に対峙することを示す証拠だから、その様なものが漏れ出てこないとは考えられない。にもかかわらず、それらが出てこないのだから、他の銀行にも叩けば出てくるホコリがあるのは容易に予想できる。折角だから、その辺もマスコミが各銀行機関にアプローチをかけて、積極的に対処を迫れば良いと思うのだがその様な話は聞かない。結局は、氷山の一角の表に出た部分だけをモグラ叩きの様に吊るし上げてそれで終わりである。

まあついでなので書かせて頂けば、結果として銀行側は多くの現役役員が責任を取り、半年間の役員報酬返上となると共に、関係した役員OBにも同等の金額の自主返納を求めるという責任の取り方を示したが、私はこの対応に非常に不満である。私は自分の子供に対して徹底して言っているのは、「正直者が馬鹿を見ることだけは絶対に許さない。ズルしてインチキして、やるべきことをやらずして得をしようというのは絶対に認めない。」ということである。(長男が私の絶対原則を理解出来ているかといえば答えはNoであるが)何があろうとこの原則だけは私は譲れないと思っている。だから、みずほ銀行が襟を正して今後はコンプライアンスに徹すると我々が期待するためには、「正直者が馬鹿を見ていない」ことを示すペナルティの与え方を示すことが求められる。その判断基準は、その時の銀行の最高責任者が何らかの過ちを把握した際に、「過ちを正すことができた場合」と「隠蔽して先送りした場合」のふたつのケースにおいて、隠蔽して先送りしたことがばれたケースの方が隠蔽せずに襟を正した際の痛手よりも遥かに厳しいペナルティが下されることを明示的に示せば、私たちはその対応から「二度と同じ過ちは繰り返さない」という決意を読み取ることが出来るのである。しかし、今回のペナルティの与え方を見れば、最高責任者である頭取は自分の在任中に問題を発覚させた方が明らかに損であるという、「正直者が馬鹿を見るルール」が今回も適用されていることを公言したことに相当している。だから私に言わせれば本来の報道機関が取るべき対応は、過去に反社会的な行為が行われ、さらに隠蔽が行われたところまでは「誰もがやっていることだろうから許す!」というスタンスを示しながら、「その代わり、今後は二度と繰り返さない決意を明確に示すペナルティの与え方、責任の取り方を示して欲しい」ということをみずほ銀行に突きつけるべきであったと思っている。それができるなら、みずほフィナンシャルグループ社長(グループCEO)である佐藤康博みずほ銀行頭取は同ポストに留任しても私としては文句はない。

さて、次は阪急阪神ホテルズの食品偽装である。こちらの食品偽装のレストランも最近ではポロポロと出てきているように、その他の有名レストランでも当たり前の様に行われていることだろう。もちろん程度の差はあるだろうから、許容範囲のものもあれば阪急阪神ホテルズ以上の悪質なものもあるだろう。あくまでも氷山の一角であることは明らかであるから、マスコミも表に出たケースだけを捕まえてボロクソに言うのではなく、社会的に知名度の高いレストランに対し、一斉に公開質問状という形で同様の調査を依頼し、その結果を3ヶ月程度を目処に報告させるというアプローチを取る方が正しい。しかし、現在のところその様な話は聞かないから、これまた氷山の上っ面だけを見て騒いでいるだけのお祭り騒ぎの対応になっている。

まあ、同様についでなので書かせて頂けば、阪急阪神ホテルズの食品偽装に対する対応はみずほ銀行とは異なり、自分の方から不正を白状する分だけ明らかに「まとも」である。この部分は素直に評価しても構わないと私は思う。しかし、あまりこの点を評価する報道は聞かない。ただ一方で明らかに言えるのは、この社長の公表後の対応は明らかに責任者として失格の対応をしており、その点については明らかに責任を問われるべきである。多分、この偽装に関与した担当者はそれによって自分の給料が上がるようなこともなければ、偽装して得られるゲインは会社全体の中では相当限定的なので、「偽装によって儲けよう」という意識は比較的小さかったであろうことは推定できる。だから、現場の責任者や担当者のひとりひとりの罪を細かく断罪しようとは私は思わない。しかし、こちらにしても「正直者が馬鹿を見る」ことのない風土を確立するための何かを我々に感じさせる対応をしてもらわねば、また同様のことが起きてもおかしくはないと思ってしまう。折角、不正を白状したのだから、その部分を示さなかったのは非常に残念である。そのためには、「偽装と言われても仕方がない」ではなく、Faxなどを用いずに最初から社長が記者会見を行い、その中で「我々は、この事態を『偽装』であると認識している。『偽装』は言うまでもなく許されない行為であり、いわばお客様に対する裏切り行為を私たちは行ってしまった。だから、二度とこの様な事態を起こさない宣言の意味を込めて、皆様にこの『偽装』事件を公表し、謝罪する次第です。」と言うべきであったと思う。そうしていれば、社長は辞任などせずに済んだのだと私は思う。非常に残念なケースである。

さて最後の各国首脳の盗聴問題である。以前もスノーデン容疑者が米NSAの機密情報を暴露した際に、同様の通信傍受の話題が問題になった。その時、オバマ大統領は謝罪をすると共に、「これは何処の国でも行っていること」と発言していた。多分、インテリジェンスの専門家に聞けば、こんなことは当たり前のイロハの「イ」であると言うはずである。また、各国首脳もそんなことは熟知していて、盗聴されることを前提に活動しているはずである。これは氷山の一角以上に当たり前すぎる極々一部の尻尾のようなもので、本来は話題に上るような話ではないと個人的には思っている。もう少し正確に言えば、どの国もがやっておりながら、その規模がアメリカの場合は大々的過ぎたことが反感を買ったと考えるべきだろう。例えてみれば、「みんな、100円のオモチャを万引きしている。でも、あいつは1万円のオモチャを万引きしたから、皆で糾弾しよう!」という感じだろうか?例えて見るとその差は確かに大きいが、「お前が言うかぁ~!?」と言い返されても文句は言えないケースである。

ちなみに、今時、政府の主要メンバやそれなりの要人であれば、高度な暗号機能を備えた携帯電話を利用しているのは常識だろう。つまり、お互いに機密を守りたいと考えている者同志の電話は暗号により機密は保たれているはずである。では何でメルケル首相が怒っているかといえば、高度な暗号化機能を持たない一般人との会話をその携帯でしてしまったがために、その会話に限ってアメリカ側に情報が漏れたのだという。しかし単純に考えれば、高度な暗号化機能をもつ携帯電話を持たない人と、聞かれては困る機密性の高い会話をする方がガードが甘いといわれても仕方がない。別にアメリカはメルケル首相の携帯をピンポイントのターゲットとしていた訳ではなく、ドイツにおける首相官邸に出入りしている人々を広くターゲとにして盗聴していたので、それこそ何処にでもありそうな話でもある。だから、その様な国家安全保障の自覚がなかったメルケル首相が今頃になって逆切れしたというのが本当のところかも知れない。真実を知らないので何とも言えないが・・・。なお、話が逸れるが小泉元総理が北朝鮮を訪れた時、当時、官房副長官だった安倍総理は、控え室が盗聴されていることを逆手にとって「拉致問題に進展がないなら、テーブルを蹴って帰りましょう」という発言を行ったと言われる。まあ北朝鮮の特殊性はあるにしろ、盗聴など前提で行動するのが国家の最高責任者に求められることだろう。

オバマ大統領の対応については、先の2件の例のように謝罪を上手く行うことが問題ではなく、この様な問題を表舞台にさらけ出す前に、事前に水面下での接触をはかり、問題が表立つ前に手を打つことが求められていたのだろう。その意味では、オバマ大統領は春先に盗聴の事実を把握した時点で盗聴の中止を指示したというし、問題発覚後ではあるが直接メルケル首相に謝罪し、「私は知らなかったが、盗聴の事実を把握した時点で盗聴中止を指示した」と正直に述べたというので、信頼関係は大きく傷ついたが、対応としてはそれ以上の適切な対応が出来たかと言えば、私はその様な対応を思いつかないのでまあこんなところだろう。

最後に、EU内では盗聴などのスパイ禁止の厳重化が話題となっているようだが、私はこの方向性については少々疑問に感じる。もう少し踏み込んで言わせて頂ければ、原則としてのスパイ禁止を厳重化するところまでは良しとしても、(例えば殺人をしても正当防衛と緊急避難という例外規定があるように)逮捕後の裁判の中で「真に止むを得ないとの判断がなされる場合には、その活動の罪を問わない」という対応及び規定があって然るべきだと思う。私は海外ドラマの「24」が大好きなのだが、その主人公のジャック・バウアーは法律を破りまくりである。しかし、その法律を破らなければ、ドラマの中ではテロにより壮絶な数の死傷者が避けられないという状況であった。単なる架空のドラマのシナリオだからそんなことを引き合いに出して議論するのは不適切だろうが、国家、国民の命を守るNSAの担当者としては、時として自分がお縄になることを覚悟の上で、その様な法律違反もせざるを得ないケースが実際にあり得ると私は確信する。

勿論、今回のスパイ活動が本当に止むを得ない範疇かどうかは知らないし、多分、例外規定でも救済されないケースなのだろう。正論を戦わせれば多分勝ち目がないのは私も理解する。しかし、お行儀のかけらもないテロ組織集団や、ならず者の国家などが腐るほど存在する現状の中では、お行儀よくなり過ぎると対処できないことが多発し、事態はより悪い方向に向かうことは容易に予想できる。プライバシーの保護や知る権利を唱えるマスコミには酷な話かも知れないが、大局的な視点で見るならば、もう少し「何処の国でもやっている」レベルの話という点を前面に出すべきではないかと思う。

←人気ブログランキング応援クリックよろしくお願いいます

「韓国で何かあれば絶対日本が助けてくれる」という確信から来る誤解

2013-10-28 23:06:37 | 政治
関係のある、ふたつの記事について紹介してみたい。後述するふたつ目の記事を読むと、ひとつ目の記事の疑問がストンと理解できる面白い内容である。

まずは1件目であるが、下記の朝鮮日報のふたつの記事で、韓国が日本の集団的自衛権について噛み付いている

2013年10月28日 朝鮮日報「日本の集団的自衛権行使、韓国の同意なしに認めない
2013年10月28日 朝鮮日報「【社説】日本の集団的自衛権は米日だけでなく韓国の問題だ

まず、上述の記事は共に概ね同様の論点であり、下側は一般論としての記事、上側はその一般論を韓国大統領府から外交ルートで正式に米国に意思表示したというものである。

まず最初に、上側の記事をタイトルだけ読んでその記事の中身を想像して頂きたい。私はこのタイトルから、日本海上で米国の艦船が北朝鮮(ないし現時点では想定できないが中国)から攻撃された場合、日本が集団的自衛権を行使して米軍を守ろうとする場合には、「韓国の同意を得なさい!」と韓国政府が主張しようとしているのかと誤解した。韓国人からしてみると、こんな馬鹿げたこと(緊急性のある事態で、とても誰かの許可を得るのを待てないこと)にまで韓国が日本に対して口出しする権利があるのかと思えれば、こんな楽しいことはないのだろう。だから、その様な期待を持つ読者に媚びる形で、新聞の編集者はこの様なミスリードを導くタイトルをつけているのだと思う。しかし、実際の記事の内容はまったく別である。例えば、北朝鮮からの攻撃を受けて在韓米軍基地が攻撃されたとすると、その時に米軍を守るために日本の自衛隊が韓国に出かけていって、韓国国内で軍事行動を起こすかも知れない。しかし、その様な韓国国内での自衛隊の活動を韓国は認めないし、仮に認めるとしても韓国政府の承認が必要であるという記事なのである。

しかし、考えて欲しい。日本政府はその様な形での集団的自衛権を行使したりはしないのである。誰もそんなことを考えてもいないし、仮に韓国政府に頼まれても同盟関係にない韓国に対しては「それは出来ない」と断るのが日本政府の今後も含めた一貫した方針なのである。巷で言われる「日本の裏側論」にしても、それは米軍が戦争しているから自衛隊も出かけていって戦おうというのではない。例えば、石油などの外国からの資源に依存する日本としては、その様な資源の海洋輸送ルートの安全を確保するのは死活問題だから、正常が不安定化した場合にはこの様なルートに艦船を派遣する可能性があり、その場合に同様の目的で艦船を派遣した米軍がたまたま近くに存在する状況で、米軍がどこからかミサイル攻撃を受けたらそのミサイルの迎撃行動を自衛隊が行うことがあり得ると言っているに過ぎない。だから、集団的自衛権の行使という形で、韓国国内に自衛隊を派遣することはありえないのである。それは韓国だけでなく、仮に台湾やフィリピンなどから求められても、その様な形で自衛隊が戦闘に加わることはない。アメリカからハワイの防衛を求められても、多分、自衛隊は出動しないのである。

ただ、厳密に言えば韓国の領海に海上自衛隊が派遣されることはあり得る。それは、例えば朝鮮戦争が勃発し、国連決議などに基づき平和維持活動であるPKO活動の一環として自衛隊が活動する場合である。ただ、この場合には、韓国政府が拒否すれば日本政府も無理に韓国国内に自衛隊を派遣することはしない。本音では自衛隊員の命を無駄に危険に曝したくはないのだから、仮に韓国からその様な要請があれば、喜んで領海外からの給油などの補給活動に限定すれば良いだけの話である。つまり、自衛隊が韓国に派遣される話は集団的自衛権との絡みで議論すべき話ではない。だから、朝鮮日報の記事は、議論の論点が全くの的外れなのである。

ただ、ここまで話を整理してみると、イマイチ、腑に落ちないことがある。

上記の下側の一般論の記事では、日本がアメリカとの集団的自衛権の関連で、軍事力強化を図りだすのではないかという懸念を伝えており、これは(その危惧の妥当性は横に置いておくとして)その様な危惧を抱く国があったとして、それはそれで十分に理解できる話である。韓国の様に日本を敵視する国であれば、その様に感じるのは当然だろう。しかし、「日本が韓国に自衛隊を派遣したいと思っている」と多くの韓国人が考えているという、その根拠が私には理解できない。常識的に考えて、日本が何処かの国から攻撃されて困っているときに、アメリカが日米同盟を発動して日本を助けてくれるのは期待するだろうが、同盟関係にない韓国が日本国内に軍隊を派遣して助けてくれると考える日本人はいない。北朝鮮からの攻撃であれば、韓国軍が北朝鮮国内に侵攻して結果的に日本を助けることは考えられるが、日本国内に派兵することは考えられない。その裏返しも同様である。だから、どうして韓国人はその様なありもしないことで一喜一憂しなければならないのかと疑問に思った。

しかし、直接関係のない記事だが、答えは次のブログの中に載っていた。こちらが、ふたつ目の記事である。

2013年10月26日 地政学を英国で学んだ(奥山真司氏ブログ)「韓国トップたちの怪しい『世界観』

このブログはアメリカの国際情勢の専門家エドワード・ルトワック氏が出版したアジア地域の現状を考察した本「自滅する中国」の翻訳者である奥山真司氏が、その本の記載内容と最近の動向を合わせて韓国という国の理解の仕方を整理したものである。ちなみに韓国論はこの本のごく一部であり、ブログでは基本的に韓国に関することにのみ言及している。

さて、このブログでの整理内容は非常に興味深いものがあるのだが、著者が先の本のポイントとして指摘している点をさらに(私なりに)抜粋すると、以下の様になる。

(1)国家は普通は独立を尊ぶものだが、韓国は中国に従属したがっている。
(2)従属したがる理由は幾つかあるが、そのひとつは韓国は自国の安全保障のコストとリスクを受け入れず、代わりに中国(及びアメリカに対しても同様に)従属して安全保障の責任を逃れようとしている。
(3)この安全保障の責任を逃れようとする姿勢の矛盾を「日本との争いを欲する熱意」という歪んだ形で紛らわしている。

若干、分かり難いところを私なりに噛み砕いているので間違っていたら申し訳ない。そして、この従属したがる国という内容を裏付けるような最近の動向として、今年の8月に韓国で行われた日本と韓国の多くの政治家を交えたシンポジウムのような「日韓次世代指導者交流」にて、出席した日本の政治家が韓国の政治家から見聞きした内容を紹介している。その内容の中の興味深い部分を(私なりに)抜粋すると下記の様になる。

(1)鳩山元首相の言ったような「日中韓による”東アジア共同体”を作ろう」というリアリズムに欠ける発言が韓国側から多く出されて正直困った。
(2)韓国側の議員は、メディアの前とそうでない時で、態度がまったく違った。
(3)韓国側は「いざ有事になったら日本は必ず助けに来てくれる」と根拠もなく確信をしている様子であった。

民主党政権の失敗を経験した日本では、政治とは結果が伴って何ぼのものであり、理想の空論を幾ら語っても何の足しにもならず、国民を幸せにするないしは国益を増進する上で、あくまでも結果が全てであることを勉強した。結果が伴うためには現状を見据えた行動が必要であり、気に入らない現実であってもそれを受け入れて行動しなければならない。しかし、韓国の政治家(韓国国民も同様)は、何故か現実逃避をし、その現実逃避のリスクが怖いから中国に従属しようとする。政治家は現実逃避をしているから、当然の如く国会議員としての存在意義を結果を通して勝負することが出来ない。結果で勝負ができないから、虚像の中で勝負するしかない。虚像としては、日本を徹底的に攻撃し、国民に対して「スカッとした気分」にさせることで勝負しようとする。しかし、本音ではないことを国外の者はいとも容易く見切るから、メディアの前では役者に徹しても、昔からの交流がある人々にはガードがあまくなる。中国に従属しているから基本的に日本などに頼ることはないのだが、心の中では中国のことを信用しきっていないから、その中国に裏切られたらその時はアメリカと日本に助けを求めようと考える。彼らは、日本はお人よしの国だから、絶対最後は「助けてくれる」ないしは「助けなければいけない!」と確信しているのである。

最初の記事の腑に落ちない部分に関しては、北朝鮮がひとたびことを起こした際には、日本の自衛隊も絶対に助けに来てくれるという変な確信が韓国人の中にあると考えると理解できる。これは、政治家や報道関係者の間では全く疑いのない絶対的な確信のようである。しかし、一方で中国とアメリカに加え韓国軍の力をもってすれば、北朝鮮の攻撃の抑え込みは十分に可能だろうと思っているから、日本なんかに恩を着せられるのは不愉快な部分もあり、それを「日本との争いを欲する熱意」という歪んだ形で日本にぶつけることで納得しようとしていたのである。しかし、本気で日本の自衛隊の入国を忌み嫌うのであれば、「韓国の同意なしに認めない」などと言う代わりに「何があろうと絶対認めない」と断言すれば良いのである。しかし、「韓国の同意なしに認めない」という発言の裏返しとしては「韓国の同意があれば認める」という意味を含んでいるから、最後の最後には「日本は韓国を助けなさい!」という暗黙のメッセージも発信しているのである。

さて、この様に見てきたとき、アメリカ政府はこの程度の背景を熟知しているから、今回の件で韓国がアメリカ政府から勝ち取ったものは何もなく、単に「また馬鹿なこと言ってやがる。もう、こんな馬鹿には付き合いきれん!」という思いを強くされただけである。日本からしてみれば、韓国が頭を下げなければPKO活動でも韓国に自衛隊を派遣する必要が無くなったから、これは願ったり叶ったりである。韓国政府は「日本との争いを欲する熱意」を発散できたから勝手に何かを得たつもりでいるのだろうが、実際には失ったものしか存在しない。そのツケを払うのは韓国国民であるが、その韓国国民もマスコミと一緒にお祭りを楽しみ続けているのが現状である。

今回の記事は、その状況を再確認させられたニュースである。

←人気ブログランキング応援クリックよろしくお願いいます

頂いたコメントに対する回答

2013-10-27 23:33:04 | 政治
以前のブログ「The situation is under control.のニュアンスを知りたい!」に先日コメントを頂いた。その方のコメントの結論としては、安倍総理は「The situation is under control.」の意味を理解していないし、現状は制御不能の何物でもない。だから、「要するにIOCは欺瞞されたのか金で沈黙されたのだろう。妙な弁護をしないほうがよい」ということが書かれていた。今日はこのコメントに対する返信を書かせて頂く。

物事について、色々な立場や意見があるのは理解しているので、それなりにこのコメントを書いた人の気持ちは(私なりにではあるが)理解したつもりである。ただ、私がブログで書いたことの意図は十分には伝わっていない様に思えるので、その辺を整理している必要があると考えている。

まず、このコメントの方が何を議論したいのかを考えてみた。考えられるのは、(1)安倍総理は「The situation is under control.」の本当の意味を理解して喋ってはいないということを指摘すること、(2)状況は全く持って統制下にあるとは言えないことを強く主張したいこと、(3)IOCが福島第一原発の問題を日本政府に騙されて東京オリンピック招致を決めたことが間違っていると主張したいこと、とまあこのぐらいのことが読み取れる。他にも言いたいことがあるのかも知れないが、行間から安倍政権のやり方に不満を抱いていることは分からなくもないが、特にこの特定のブログに対するリアクションであることを考えて、必要以上に深読みはしない様にと考え、(1)~(3)について考えてみたい。

まず、結論から先に書いて、その後で詳細な説明をする。まず(1)に関しては、答えは安倍総理に聞いてみないと分からないというのが答えだろう。私は「総理は理解しているはずだ」と弁護する気は全くないし、前回のブログでも推測として書かせて頂いただけで、この点について議論する気は全くない。(2)については、「では、福島第一原発の状況をどの様に表現すれば良いと思いますか?」という逆質問が答えになるだろう。その答えが、福島の避難民の方々や、福島周辺の漁業および農業などの従事者の目の前で、声高らかに言い切れる適切な言葉が提案できるなら、その表現に私も言い換えることにやぶさかではない。寧ろ、その適切な言葉を教えて頂きたい。(3)については、今回のオリンピック招致競争はマイナスの減点材料が何処が一番少ないかの競争であった。つまり、IOCはリスクを定量的に相対評価したのであって、ひとつの国が100点満点ではないということから「その国が不適当」という結論には至らないはずである。相対評価的にはIOCは妥当な判断をしたと私は今でも思っている。

次に、順次、詳細に説明をしてみよう。

まず(1)であるが、私は絶対に安倍総理が「The situation is under control.」の本当の意味を理解しているはずと断言するつもりもないし、IOC総会の原稿を安倍総理自身が書いたとは1ミリも思っていない。どうせゴーストライターが書いたであろうことは容易に想像できる。ただ、留学経験があり、ケリー国務長官などとサシで会話したとかの話を聞けば、それなりの英会話力があるのも事実だろう。コメント中の国会答弁で「stationと発言している」部分は私は確認していないし、仮に実際に言っていても、膨大な仕事を処理する総理大臣がその程度の言い間違えをしてもおかしくない。だから、それを「『station』と『situation』の区別がつかないほどの英語に関する無能さの表れ」と判断するのは少々飛躍に過ぎると私は考える。だから、「あなたのブログに書いている内容は、少々、考え過ぎでは?」というご指摘であれば、甘んじてそれを受けるし、間違っている可能性が大いにあることは認める。ただ、読んで頂けば分かるように、それは私の論点ではない。そんなことを弁護するつもりで書いていいないというのが答えである。

次に、(2)についてである。私の基本的な立場は、物事には「0(ゼロ)」と「1」しかなく2者択一でしか議論できないという考え方は危険だと思っており、実際の事態はその中間の何処かにあるはずである。このコメントを書いてくださった方もその考え方には同意して頂けると思う。だから、その上で現在の状況をどの様に考えるべきかの問題である。まず、あの安倍総理の発言の後、テレビ、ラジオ、新聞の報道はこぞって安倍総理を「嘘つき」呼ばわりしていた。その根拠は全て汚染水問題であり、「汚染水が実際に海に流れ出ているではないか!それで制御されていると言えるのか!」という主張であった。その最たるものが韓国のネガティブキャンペーンで、海のない群馬県を含む東北周辺の8県の水産物を輸入禁止にして、「危ない!危ない!キャンペーン」を繰り広げた。この状況は私のブログ「韓国における日本の水産物輸入禁止問題に関する真実」にも書かせて頂いた通りであり、韓国のマスコミが大挙して「日本の水産物は安全だと言っているが、実際に線量を計ったら放射性物質が検出された!ほうら危険だ!」とまくし立てている。しかし、ブログを読めば分かるように、検出された線量は日本ではバックグラウンドの放射線量と識別可能な検出限界以下であり、それは韓国の放射線量規制の規制値の約1/40程度である。本当に探すのが難しいが、韓国内で日本の農林水産物の中から実際に危険なレベルの線量が検出された例は皆無との報道もある。これが現実なのである。しかし、世界中の原発を探してみても、放射性物質の漏えいが厳密に皆無という原発は存在しない。特にトリチウムに関しては原理的に除去不能と言っても良い存在だから、濃度を規定値以下に抑えた状況でダダ流し状態で運用するのが通常である。セシウムなどの他の核種にしても、原子1個レベルで完全に取り除ける訳はないから、ある基準値以下であるか否かが全ての評価・判断の基準である。確実に港湾内0.3平方キロメートルの範囲内では線量は基準よりも大幅に高いのだろうが、港湾から少し離れて測定すると、飲み水に対する(世界標準よりも厳しい日本の)規制基準と比較しても十分に低い値の線量しか現状では測定されていない。海底とかに原発事故直後の高線量の泥土が蓄積されていたりもするので、一部の魚介類から高線量が継続的に検出されているのは事実であるが、その種類が十分に限定できているので流通経路に危険な食材が流通しない様にコントロールできているというのはかなりの精度で信憑性がある。農産物についても同様で、ブログの「定量的なデータにより「危ない、危ない詐欺」を撲滅せよ!」で書いた通り、(事故直後は別であるが、2年以上経過した)少なくとも現時点での農産物は、流通には乗っていない「きのこ、ベリー類、山菜、いのしし」など一部の農産物を自宅で採取して食べない限り、膨大なデータにより定量的に安全であることが示されている。だから、汚染水の漏えいや放射性物質の拡散は現在でもゼロではないが、それをもってオリンピック招致が許されないという危険な状況ではないことは事実である。

一方で、完全に安全ではないことは事実であることは私も同意する。だから「危険だ!」と言いたくなる気持ちは分からなくもない。しかし、そこでの「危険だ!」の言葉は、実際には安全性が確認されている福島周辺の農林水産物に対する「風評被害」を誘発するきっかけになることを忘れてはいけない。安倍総理が報道番組に出演して繰り返したり、先日の国会答弁でも不機嫌な態度で言い返した言葉の中で最も重点を置いているのは、言われのない風評被害を生んではいけないという1点に尽きる。菅元総理、野田前総理の時代の民主党政権が、初期対応で適切に対応していなかったがために現在の状況は決して褒められた状況ではない。しかし、それでも上述のブログで指摘した農林水産物の安全性は私の予想したレベルよりは格段に高いレベルで安全であることを私は最近知った。正直、予想外と言っていい。ただ、勿論、何処かで気を抜くとボロを出しそうだから、「徹底的に我々はモニタリングをするから、危険な食物を流通されたら一発でばれるからな!」と関係各所を脅すのは良いだろう。しかし、それは決して危険性を世界に発信することとはベクトルが異なる。この点を忘れてはいけない。

次に(3)であるが、先にも書いたように今回のオリンピック招致レースは、各国で減点材料を比べあった相対評価の勝負であった。後述するが、私は福島第一原発の現状を決して安全とは思っていない。それは汚染水の問題ではなく、原発施設そのものの安全性である。しかし、同様のリスクは他の国にもある。今回、次点となったイスタンブールのあるトルコはシリアの隣国である。ご存じの通り、イランとイスラエルの間には核戦争の危機がある。シリアやレバノンはイスラエルと対立関係にあるから、トルコも含めたあの近隣諸国は核の火薬庫と隣り合わせ状態にある。だから、春先に起きたトルコ内の反政府デモによる政情不安定さよりも遥かに深刻な事態として、私は少なくともイスタンブールという選択肢だけは無くなったと確信していた。にもかかわらず、実際にはマドリードよりも高い評価であったという事実がある。つまり、近隣諸国での核戦争の危機などは絶対的な評価ではなく、相対的な評価としかIOCは見ていないのである。同様のことは2018年の韓国の平昌での冬季オリンピックについても言える。平昌へのオリンピック招致は2011年7月6日に決まったが、現在ほどではないにしろ、その当時から北朝鮮と韓国の関係は決して手放しで安心できる状況ではなかった。北朝鮮では2009年には2回目の核実験を行っているし、年がら年中「ソウルを火の海にしてやる!」とも言っていたから、核戦争のリスクもそれなりにはあったはずである。しかし、それにしても相対的な評価の中で、それほど大きな問題とは捉えられなかった。だから、今回のIOCの決定もその延長線上で行われたものであり、安倍総理の鶴の一声でコロリと変わったと言うのは寧ろバイアスがかかった評価であり、現状の安全性ではなく、国家として責任をもって取り組む姿勢が評価されたということであろう。であれば、IOCは妥当な評価をしたと考えて良いだろう。

以上がコメントに対する私の答えであるが、勿論、手放しで安全だとはこれっぽっちも思ていない。最近では報道関係でも全く指摘されないが、私の理解では、福島第一原発の置かれている状況で何が危険かと言えば、あれだけ傷んだ構造体の強度が一体どの程度の震度の地震に耐えられるかという点がひとつ。もうひとつは、現在でも原発周りの津波対策の防波堤が仮設の土嚢レベルのものしかなく、(震源は遠くて震度は小さくても)次に前回同様の大津波が押し寄せたらあの周辺の設備が全て破壊され、膨大な汚染水タンクはもちろんのこと、建物自体にもトドメを刺しかねないというリスクである。勿論、原子炉内や燃料プール内の燃料は相当な低温状態を長いこと維持しているが、次に襲う地震の影響で燃料周りの水が抜け落ちて継続的な冷却が出来ない状況になれば、再度危険な状況に戻ってしまい、爆発の危険性はどうか知らないが、放射性物質の拡散や作業困難な高線量状態になる可能性はあり得るのだろう。だから、なにひとつ楽観できる状況にないことは同意である。しかし、その様な危険性はあくまでも確率的であり、北朝鮮が核ミサイルを撃つ確率や、イスラエルと周辺諸国で核戦争が起こる確率との相対的な比較でしかない。重要なのは、北朝鮮やイスラエルに関連する核戦争は日本として出来ることは限られるが、福島第一原発の安全対策に関しては出来ることが様々あるということである。現状の東電の対応も、安倍政権下での政府の対応も、それぞれ決して私は満足などしないのだが、だからオリンピック招致反対や風評被害に繋がるネガティブキャンペーンをやったり、過剰に安倍政権を批判するのは筋違いだと感じる。

寧ろ、その様なことは福島第一原発に絡めないところで議論すべきであって、そのために苦しんでいる人々のいるところで言う話ではない。勿論、福島の被害者の中にも色々な立場の人がいる。野田前総理が福島第一原発の終息宣言を「嘘つき」というのはそれなりに妥当だと思うのだが、しかし、例えば年間20mシーベルト程度のある程度の放射線量を覚悟の上で故郷に帰りたいと強く願う人が地元に帰るためには、あのような宣言が必要であったのも事実だろう。一方で、終息宣言のせいで補償金額が減額されて困る人もいるかも知れない。立場が変わると受け止め方は変わるのが現実である。仮に原発被害者の方が、私のブログが日本政府の代弁者的に聞こえて、それで不愉快になることもあるかも知れない。その様な人が私に「間違っている」と言っているなら、私は素直に「不快な思いをさせてしまったら御免なさい。」と謝罪するつもりである。ただ、謝ることと主張を撤回することは別問題であるとも言わざるを得ないのだが・・・。

←人気ブログランキング応援クリックよろしくお願いいます

映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」のタイトルの意味を探して・・・

2013-10-24 23:43:11 | 日記
今日は政治のお話はお休みで、昨日観た映画(レンタルDVDで借りたもの)について書いてみたい。既に周回遅れという感じだが、日本では昨年の2月に公開された「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い(原題:Extremely Loud & Incredibly Close)」である。私の癖ではあるが、映画のタイトルに対する執着が強く、このタイトルの意味を考えた末の自分なりの結論をここでは書いてみたい。多分、このブログの読者も観たことのない映画だろうからどうでも良い話だが、興味がある方は映画を観れば共感を感じてもらえると信じている。ネタバレになる部分は最後の方に明記するので、映画をいつか観る気のある人は観終えてからコメントを読んで欲しい。

さて、この映画はアメリカの9.11のテロ事件を題材にした映画で、監督はスティーブン・ダルドリー氏で、2012年のロンドンオリンピック、ロンドンパラリンピックでは、開会式・閉会式の総合プロデューサーを務めたという。主人公の子供は新人だが、トム・ハンクスとサンドラ・ブロックが父、母役を演じている。9.11で父を亡くした子供が、その父が残した謎の「鍵」が何の鍵かを捜し歩くというストーリーである。何かのテレビ番組で映画評論家が絶賛していたので非常に気になっていたが、結婚してからは映画館で映画を観る機会がすっかりなくなり、しかもレンタルDVDにしても子供向けの映画を借りてみる機会が多くなってしまったから、大分遅れての鑑賞だった。大人向けの映画を嫁さんと一緒に観たのは久しぶりでもある。

まあ、自称・映画評論家と言われる人は、視聴者が映画に興味を持ってくれてナンボの商売だから、過剰に高い評価をするのは良く分かるが、1度見ただけではその意味が分からなかった。

引き合いに出すのも如何なものかとも思うが、アメリカにおける9.11は、日本における3.11に相通じるものがある。日本においても3.11を扱う映画はあるが、日本人にとって3.11を描くというのはある種、特殊な意味がある。私にとっては、最近の「あまちゃん」が描いた3.11がとても印象的だった。朝ドラという特殊性故に、「あまちゃん」には出演者の中には津波で死亡した設定の者はいなかった。ただ、短絡的には「ドラマチックに描きたい」とお涙ちょうだい的に過剰な演出に走りたくなるところを、宮藤官九郎の本領発揮で、極めて抑えた演出で「あまちゃん」流の3.11が描かれた。多くの登場人物は、打ちのめされ途方に暮れながらも、同情を誘うような素振りを見せず、誰かに頼るのではなく現実を直視しながら何処かで「自分の力で乗り越えなければならないもの」と割り切っているようなところがあった。思ったようには物事は進まないが、ひたむきに頑張り続ければ、いつか乗り越えられる日が来るという描かれ方だった。朝ドラという与えられた場の中で、短絡的でドラマチックなハッピーエンドとは異なる一種独特の抑えたエンディングだった。

一方で「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」は映画という媒体の中で、思いっきり狙った通りの演出が許されるのだが、見終わった後の感想は「???」という、クエスチョンマークが連続するものだった。それなりに「良かったね」という終わり方ではあったが、「それだけかよ!」と文句を言いたくなるような終わり方だった。正直、最初の1時間ほどは恐ろしく退屈なシーンが続く。さっさと先に進んで欲しいのだが、それがどの様な意味があるのかと思うような逸話が多く出てきて、思わずうつらうつらしてしまう様な流れだった。そして何よりも私が消化不良だったのは、何とも独特なタイトルの意味が全く分からないのである。私は確信を持って言わせてもらうが、もし有能な映画監督であれば、そのタイトルを何にするかは滅茶苦茶時間をかけて考えるはずである。それほどタイトルというのは重要な存在である。過去のブログでも少し触れたが、私は「ソフィーの選択(原題:Sophie's Choice)」という映画を観てえらく感動した。ある時、テレビでこの映画を放映した後、映画評論家の水野晴郎氏が、「人の人生には色々な『選択』がある。この映画も、そんなソフィーが下した色々な『選択』を描いている」と解説したが、私は非常に不快になったのを覚えている。この映画のタイトルの「選択」は、決して複数の「選択」など指してはいない。たったひとつの「選択」が全てを決めてしまったのである。物知ったように解説しようとして、脚本家や映画監督の意図を捻じ曲げてしまったという感想を持った。その様なこだわりがあるのでだと思うが、(根拠はないのだが)観終った時に何かこの不思議なタイトル「Extremely Loud & Incredibly Close」の裏に、私が気が付かなかった何かが隠されている様な確信を得るに至った。そこで、映画を観終わった後でネットでタイトルの意味を探しまくった。しかし、何一つとして私を納得させる答えは見つからなかった。

以下はネタバレになるのだが、その様なもがき苦しみと、その後で見出した結論についてまとめておきたい。

まず、ネット上に流れていた答えで一番多いのは、「『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』存在=母親」というものだった。父親との繋がりが強い故に、母親とは上手くいかずもがき苦しんでいた子供が、最後の最後に母親と和解するに至ったので、だから「母親」が答えだと言いたいのだろうが、それは有り得ないと私は確信する。この問題を解く上で、私が気になった点を以下に整理しておきたい。

(1)「Extremely Loud & Incredibly Close」というタイトルは、子供が自分の「鍵探しの旅」の進捗を逐次まとめていた本の表紙に書かれたものであった。だから、この映画のタイトルを理解する上では、この子供が何故表紙のタイトルとして「Extremely Loud & Incredibly Close」を選んだかを理解する必要がある。子供が母親を意識してこの様なタイトルを付ける訳がない。また、本の表紙のタイトルは子供が最初に付けただろうから、母親との最後の最後の和解を予期できていた訳がない中で、母親を表題にする訳がない。

(2)映画の原題と邦題を比べると、「Incredibly」を「ありえない」と訳している。素直に訳せば「信じられないほど近い」となるはずだから、敢えて「信じられない」を「ありえない」と訳すことには何か意味があるに違いない。

(3)タイトルとは直接関係ないが、映画の宣伝では謎の「鍵」がこの物語の非常に重要な「鍵」という位置づけであったが、終わってみれば、「鍵」などどうでも良いものであった。鍵の持ち主が「貸金庫に一緒に行ってみるかい?」と聞かれ、私は当然の如く「行く」と答えると思ったが、少年はそれを拒んだ。家に帰ってからも、膨大な時間をかけた「鍵探しの旅」が無意味であったことに感情を抑えきれなくなり暴れるに至った。「鍵」は「鍵」じゃないじゃないか・・・という不満は私にも伝染して不快になった。

(4)映画のオープニングは父親がWTCビルから落下するシーンから始まる。それ以外にも様々な所で人の落下シーンが登場する。煙を上げるWTCビルは映し出されていたが、WTCビルの崩壊シーンなど、あまり刺激的なシーンを利用していなかったから、どうしてそこまで落下シーンに拘るかが分からなかった。この拘りはあまりに不自然である。

(5)映画監督は最後に母親との和解のシーンや、ブランコで遊ぶシーンを挿入している。少々、短絡的な挿入の仕方の様に思える一方で、前半部分の1時間ほどの間には退屈なシーンを多用している。映画をドラマチックに仕上げたければ色々なやり方があると思うのだが、この監督は一般受けのする映画という誘惑を断ち切って、前半をわざと退屈に演出するという選択をしたように感じた。能力の高い監督なのに、何故、その様な演出にしたのだろうか?

まあ、こんなところだろうか?1日ほど考えて、最後の最後に(1)の「何故、少年は本の表紙に『Extremely Loud & Incredibly Close』を選んだのだろう」という問題に立ち返り、「では、少年にとって『Extremely Loud & Incredibly Close』とは何なのか?」を考えるようになった。少年は目的をもって「鍵探しの旅」を続けていたはずである。だから、その目的を達成できずに家に帰ってから荒れてしまったのである。では、何を求めて「鍵探しの旅」をしていたのか?

私の答えは、この少年は自分の心の中に様々なトラウマがあり、それを乗り越えなければならないものと感じていたに違いない。その「乗り越えるべきもの」を探して「鍵探しの旅」を続けていたのである。その「乗り越えるべきもの」は極めて抽象的で、しっかりとその原因を「これだ!」と言い切れるものではなく、ぼんやりとしたものである。父親がWTCビルからかけてきた電話の向こうの騒々しさや、自分をところ構わず襲い続ける「電話に出なかった自分」を責める声など、タンバリンを叩いていなければ耐えられない「ものすごくうるさい」ものがそこにある。一方で、逃げようとしても逃げれない、自分の体にまとわりつくような「ありえない近さ」も感じていたに違いない。決して、この様に解説する様なものではなく、多分、少年の心の中では「何か良く分からないが、感覚的にしか捉えられない『乗り越えなければならないもの』を敢えて言葉にするならば、それは『Extremely Loud & Incredibly Close』って感じかな・・・」という程度のものだったに違いない。だから、それを「何か、もっと具体的な物」と信じて探そうとしていると「母親?」とか誤解してしまうのではないかと思った。

多分、少年は毎夜毎夜、父親がWTCビルから落下してくる夢を見ているのではないかと私は思った。その夢から逃れる、ないしは電話に出られなかった自分を受け止めるためには、何か父親が与えた試練を乗り越えなければならず、そのために「鍵探しの旅」を始めたのだろう。しかし、見つかった「鍵」の答えは、少年が期待する様な「父親が与えた試練」を感じさせるものではなく、その長い長い時間が全くの無駄になったことが耐えられなかったのだと思う。しかし、答えは意外な所にあったのである。少年が「乗り越えなければならないもの」を探している時、自分の母親も自分なりに「乗り越えなければならないもの」を持っていて、それを乗り越えるために自分と一緒にその何か(「鍵」のことではない)を探していてくれた。自分一人で乗り越えなければ許して貰えないと信じていたのに、自分が上手く関係を構築できないと感じていた母親が、母親なりの「乗り越えなければならないもの」を探している姿を目の当たりにして、永遠の孤独から解放されたような気持ちを感じたのだろう。だから少年は、ブランコという壁を「乗り越えられるかも知れない」と信じるに至り、偶然にもそのブランコの下に父親が残した手紙を見つけ、ブランコを乗り越えるに至った。

時系列的にはどちらが先かは分からないが、「Extremely Loud & Incredibly Close」と題した「鍵探しの旅」をまとめた本の最後に、赤い紐を引っ張ると、ブランコから投げ出された父が放物軌道を描きながら上手くWTCビルに着地するパラパラ漫画を描くことができた。今まで落下してきた父しか思い浮かべることが出来なかったのが、WTCビルにジャンプアップする父の姿に昇華することが出来るようになった。まさに、彼が「乗り越えなければならないもの」を乗り越えたことを象徴するシーンである。

蛇足ではあるが、少年の苦しみは長い長いトンネルであり、(監督にとっては)その感覚を我々が感じるためには前半の退屈な長い長いシーンが必要だったのだろう。決して9.11をドラマチックに描くのではなく、自分自身で乗り越えなければならないものとして描いているように感じた。誰かが手を差し伸べて乗り切るのではなく、あくまでも自分自身で乗り越えるしかないのである。その乗り越えるための「鍵」として、あくまでも小物としての「鍵」が登場する。それは決して「魔法の鍵」ではなく、もっと地味でつまらない「鍵」なのだろう。あくまでも小物でしかないが、それがなければ乗り越えるべきものを乗り越えることが出来なかった、そのきっかけとしての「鍵」は重要な意味を持つ。誰も、「魔法の鍵」に頼ることは出来ないという象徴なのだろう。

映画を観終わった後の不完全燃焼な感覚と、色々と考えて自分なりの答えを見つけて映画を思い出した時の評価は大分異なるものである。アメリカ人にとって9.11を描くということは、そう単純なものではないのだろう。それを理解するには、少々、生みの苦しみの様なものが必要なのかも知れない。だから、あの映画のそれぞれの退屈なシーンは、今となっては全て必然のようにも思えてくる。少年が謎解きの様な「鍵探しの旅」に出かけたように、監督も我々に「謎解き」を投げかけたのかも知れない。多くのユーザによる評価ではこの映画はあまり高い点数を得ていない。その「謎解き」の難しさがその評価の低さの原因であると今は感じている。それも9.11をテーマとする映画の宿命かも知れない。

色々と書きながら、上手く表現しきれていないが、それでも言いたいことの70%ぐらいは表現できたのではないかと思う。あの映画を観た人の多くはタイトルの意味を探しにネットを捜し歩くに違いない。その時の感情を共感してみたい。そんな気持ちで今日のブログを書かせて頂いた。

←人気ブログランキング応援クリックよろしくお願いいます

17世紀の出来事を裁くために必要なこと

2013-10-22 23:35:51 | 政治
ちょっと興味深いニュースを見つけた。まずは朝鮮日報の記事を見て頂きたい。

2013年10月22日 朝鮮日報「カリブ海諸国、過去の植民地支配めぐり賠償を要求

朝鮮日報はニューヨークタイムズの記事を引用し、カリブ海にあるジャマイカ、ハイチなどの計14カ国は、17世紀から19世紀にかけてこの地域を植民地支配したイギリス、フランス、オランダなどに対し、謝罪および金銭的賠償を要求する動きを見せていると紹介していた。パッと調べた限りでは日本のメジャーな新聞には記載がないようだが、驚くことに共産党の機関紙の赤旗がこれを報じていた。しかも、日付は8月10日と2か月以上も昔である。

2013年8月10日 しんぶん赤旗「カリブ共同体・共同市場欧州5カ国は謝罪を植民地時代の虐殺・奴隷化で補償要求へ

これらの記事は共に16世紀以降の奴隷貿易の被害者(の子孫)に対して、その犠牲に伴う損失の賠償を議論している。イギリスだけで300万人、全体合わせれば約1200万人ともいう。これらの動きのきっかけとなったのは、「英国政府は今年6月、1950年代にケニヤの独立武装団体『マウマウ』に加えた過酷な弾圧について、公に謝罪すると共に、被害者5228人に対し総額1990万ポンド(現在のレートで約32億円、以下同じ)の賠償を行うと決定した。」という成功体験によるという。同様の例は、「オランダ政府は先月(9月)12日、インドネシアでの虐殺行為について公式な謝罪を行い、犠牲者の遺族1人につき2万ユーロ(約269万円)を支払うと表明した。」と続いている。このオランダ政府が謝罪したのは、1945年から5年ほどの間に行った虐殺行為に対してであり、日本が占領していた地域を日本の敗戦とともに再占領し、その時に起きた独立運動の参加者に対して即決処刑を行い3~4000人程度が犠牲になったという。この犠牲者に対してオランダ政府は一人2万ユーロ(約270万円)を支払うという。

さて、この様な記事を喜んで赤旗と朝鮮日報が報じるというのも何処か面白いが、第2次世界大戦以降の虐殺行為への賠償と、100年以上も昔の賠償の話が同列に語られるのは良く分からない。17世紀と言えば300年前だから、300年前がOKなら500年前も1000年前もOKの様な気がしてくる。さらに言えば、日本の様に海で国境が仕切られる国とは異なり、地面続きで領土が接する欧州の国々では、国境の決定は戦略の歴史である。300年前の侵略戦争で失った領土の復帰を要求できる権利を認めるのであれば、今後、幾らでも領土紛争が発生してもおかしくはない。ナポレオン戦争の後のウイーン会議で戦争前の秩序の復帰を議論したように、関係各国はあるところで線引きをしたいところだろうが、その線引きをすべきタイミングと言うのは絶対的に正しいタイミングなどは存在しない。だから、既に時効のレベルを超えた期間の経過は、パンドラの箱を開けるのではなく基本的には現状維持の中で、個人補償の代わりに国家的な「援助」という名目で対応するしか選択肢はない。虐殺行為は領土問題よりは扱いやすい問題だが、しかしパンドラの箱を開けることは和解への近道ではなく、逆に怨念を募らせることに繋がるリスクがある。それでもオランダが賠償に応じるに至った理由は、2011年にオランダの裁判所が「戦争犯罪には公訴時効が適用されない」と判決を下したからという。ちなみにこの辺の事情は、(現在はその記事を朝鮮日報のサイトで読むことが出来ないが)先月の9月13日の朝鮮日報の記事において紹介されていた。如何にも日本に歴史問題で圧力をかけたい韓国としては嬉しいニュースなのだろう。まさにパンドラの箱が空いた状態である。

ただ、私はこの状況を寧ろ好ましい状況とみている。ここで忘れてはいけないのは、(朝鮮日報のように)これを日本と韓国の歴史問題に直接絡めて短絡的な損得勘定で一喜一憂するのは愚かである。物事を考える時、自分との利害関係を強く意識して考えると判断を誤ることは多々ある。だから、一般的な議論に立ち返って議論すべきである。ではどう考えるべきなのか?

答えは単純である。この問題は特定の国や特定の民族の歴史などに特化した問題ではない。だから、国際的な議論の中でコンセンサスをまとめ上げ、そのコンセンサスに従い全ての議論、全ての判断を行うのが筋である。つまり、国際的な法律家が多くの議論を行い、ひとつの方向性を国連の中で国際法として定め、それに従い国際司法裁判所にて判断を行うべきである。もっとも、国際法とは必ずしも明文化されたものである必要はないから、国際司法裁判所で裁判を行いながら、判例を積み重ねてその方向性を定めて行ってもいいだろう。つまり、全ての議論を当事者間(国家レベルでは2国間)で行っていては、特に17世紀の問題などを扱うことを考えればわかるように絶対に着地などできない。例えば奴隷制度への補償として子孫ひとりに100万円を払ったとして、1200万人いたら12兆円にも達する。こんな金額を笑って景気良くポンと出せる国など今はない。だから、自動的に国際司法裁判所での裁判に委ねるのが国際的な流れになるはずである。それは、中国を相手にしても韓国を相手にしても、日本としてはいずれにしても望むところである。

さらに言えば、この手の議論はブーメランのように自らのところに返ってくる。韓国を例に取れば、ベトナム戦争で韓国兵が行った膨大な残虐行為が、何時までも無限に続く時限爆弾として継続することを意味する。中国に至っては、ウイグルや様々な辺境地域でこれまでに行ってきた虐殺行為は尋常ではない。例えば、過去にも書いたが中国がウイグル地区で実施した原爆実験では19万人が急死し、急性放射線障害など健康被害者は129万人ともいう。こちらもウイグルが独立でもしようものなら、兆単位の賠償訴訟に展開しそうだ。

この様に考えると、寧ろ日本としてはこの手の議論を平場に堂々と出して、世界を舞台に議論していけば良いのではないかと思う。国際司法裁判所で議論することになれば、日本が行った虐殺行為と共に日本が行った善行も平等に表沙汰になる。戦後、日本人が韓国国内に残してきた個人財産を連合国軍および韓国が没収したことも、裁判を通して広く韓国国民に知らされることになるだろう。そうなれば、如何に韓国政府が国民の個人補償をピンハネしてきたかが良く分かるはずだ。しかも、そのピンハネの当事者の中には、現韓国大統領のお父上が含まれている。それはそれで喜劇の様な世界である。次第に韓国は、どこかで事が大きくなる前に幕引きを図らねばならないと考え出すかも知れない。慰安婦問題や歴史問題が解決するとしたらそんな状況かも知れない。

どうも日本人は事なかれ主義で物事が拗れるのを嫌う傾向があるが、実際にはそれほど悪い話ではないはずである。折角、世界が目覚めるというのであれば、日本もそれに付き合ってみれば良い。世界標準で見れば、日本はそれほど常識はずれの国ではないのだから・・・。

←人気ブログランキング応援クリックよろしくお願いいます

もしも「ポーランド政府がナチス親衛隊の重鎮に勲章を与えた」ら?

2013-10-21 23:11:07 | 政治
色々と忙しくてブログを書きそびれてしまった。少し時間が経ってしまったが、時事通信によれば、韓国外務省報道官は17日の定例記者会見で安倍総理が靖国参拝をこの秋にも見送ったことを、「韓国への配慮とは思わない。韓国国民全員が同じ意見だと思う」という趣旨の発言をした。今日はこの、靖国参拝について少しコメントしてみたい。

まず、先の記事を紹介しておく。

2013年10月17日 時事通信「参拝見送り『配慮と思わない』=『日中韓』年内開催は困難-韓国

これまでの慣習としては、中国、韓国共に「総理、官房長官、外務大臣のTop3」が靖国参拝を行わなければ、それ以上に問題視はしないとの方針だったが、最近はどんどんハードルを上げて、ついに「配慮と思わない」とまで言うようになった。行っても行かなくても文句を言われる究極の状況で、言ってみれば「完全無条件降伏」の要求を突き付けた形である。一切の譲歩をしないという宣言にも取れるから、交渉の余地は全くない。それはそれで明快なシグナルだから、宮沢内閣時代に韓国の盧泰愚大統領側の「謝罪すれば許す」という甘美な言葉に騙されて誤った判断をしてしまったのに比べれば、今後の対応は分かり易い。というか、選択肢が殆どないと言うべきかも知れないが・・・。

しかし、下記の記事を見ると面白いことが分かる。

2013年10月10日 朝鮮日報「韓国政府、戦犯・靖国参拝・独島妄言の日本人政治家に勲章
2013年10月10日 聯合ニュース「韓国政府の叙勲 日本人12人に疑問の声

この記事を最初に見た際に事前にメモっておいたのだが、朝鮮日報のサイトは現時点では過去の記事ということで、会員でないと読めなくなっている。ただ、記事の内容は下側の記事で読み取れる。ポイントとしてはこれまでの韓国政府から外国人勲章を授与した受勲者の中に、A級戦犯の岸信介元首相、児玉誉士夫氏、笹川良一氏が含まれているという。他にも731舞台関係者や竹島などに対する発言でケシカラン奴も多数ということだが、あくまでもポイントはA級戦犯だろう。つまり、これらのA級戦犯が受勲したのは民主化が進むよりも大分前だろうから、その時代と現在では全く別だと言いたいのだろうが、しかし事実としては今現在でも受勲は取り消されてはいない。したがって、オフィシャルには韓国政府はA級戦犯であろうと、韓国国民のために尽くしたと認定して勲章を与えることを良しとしていたのである。当然、A級戦犯とはその程度の軽いものとして位置づけ、その頃は少なくとも幾らA級戦犯が合祀された靖国神社を総理大臣や政治家が参拝しても、大して批判することはなかった。この問題が公になって、韓国では「受勲を取り消せ!」とテンヤワンヤ状態のようだが、受勲時に明らかでなかった新事実が発見されていない限り、オフィシャルに受勲の取り消しはできないようで困っているらしい。

しかし、これは非常に分かり易い例である。これほどのチャンスはない。

これだけ、正式な手続きで国家として勲章を与えるにふさわしいと判断された人間が、時代が変わると「墓参りに行くことも許さん!」ということになる。もし韓国が、これら全ての受勲者の見直しをオフィシャルに行い、新事実が見つからなくても幾らでも過去の政府の正式な取り決めをチャラにできると世界に公言するならば、見かけ上は「受勲が取り消されたA級戦犯が合祀された靖国神社への参拝は許されない!」という主張は筋が通る。しかし、これだけ話題になりながら受勲の見直しが行われないということは、A級戦犯でも勲章を受け取れると政府が公式に認定することになる。となると、それでは総理の靖国参拝はケシカランという話には無理がある。

何故なら、彼らがA級戦犯を特別扱いするのは、A級戦犯こそアジア諸国の多くの人民の命を死に追いやった死神と認定しているからである。しかも、それはナチス・ドイツのホロコーストと同レベルだというのだから、言ってみれば「ポーランド政府が、ナチス親衛隊の重鎮に戦後、勲章を与えた」ことに匹敵する。まかり間違っても、ヨーロッパの如何なる国でもナチス・ドイツの重鎮に勲章など与えることはありえないから、これは何処かに矛盾があることを意味する。

多分、考えられる選択肢は以下の通りだろう。ひとつは、A級戦犯はホロコーストの様な戦争犯罪人とは完全に質的に異なる存在であるという理解。もうひとつは、A級戦犯はホロコーストと同等だが、歴代の韓国政府がホロコーストの共犯者で、その罪人と裏で通じていてこの様な判断をしてしまったという理解である。その共犯者とされる父を持つ現大統領が、「父はホロコーストの共犯者です」などと認めるはずはないし、一方で「A級戦犯は大したことない」などと認める訳にも行かない。であれば、強権を発動して過去の受勲の事実を遡って遡及的に取り消すという、如何にも最近の韓国がお得意の戦術しか残されないのであるが、これは、「この国は、朝令暮改で、何を約束しても信じるに足らない国ですよ!」と世界に宣言する様なものである。

言い換えれば、詰将棋の「詰み」の状態である。その様な「詰み」の状態の中で、参拝見送りを「配慮と思わない」という韓国側の発言である。

今の日本政界の中には、韓国にトドメを刺すことを快く思わない勢力が大多数を占めるから、ここで韓国が歩み寄りの態度を示せば事態は違った方向に進むかも知れなかった。しかし、「詰み」の状態の中で日本に対し「完全無条件降伏を要求する!」と強気で言うのだから、終戦間際の大日本帝国の中枢(A級戦犯も当然含まれる)よりもタチが悪い。韓国でA級戦犯の受勲の記事が出た段階で大声を上げるのは節操がないと言われそうだが、ぐっと堪えていたら相手が逆切れしてきたのだから、そろそろ大きな声を上げても良い頃だろう。

何度も言うが、これはチャンスである。「あなたの国は、ホロコーストの戦犯に勲章を与える国なのか?」と何度も世界に問うべきである。多分、相手はまともに答えられないはずである。

←人気ブログランキング応援クリックよろしくお願いいます

高い授業料とグランデール市長の反撃

2013-10-17 23:20:46 | 政治
最近、韓国のマスコミがドタバタしている。過去にこのブログの「ミサイル防衛システムと空気が読めない朴大統領の悲劇」でも触れたが、戦時作戦統制権の移管時期を再延期することとリンクして、韓国のミサイル防衛としてアメリカのMD(ミサイル防衛)に参加するか否かが問題となっている。今日はこの辺について思うことを書かせていただく。

まず、下記の朝鮮日報の記事では、MD体制で重要兵器とされる「THAAD(終末段階高高度防衛)迎撃ミサイル」導入の可能性について言及している。

2013年10月16日 朝鮮日報「韓国、統制権移管再延期のために米MDに参加?

最近、この手の話題が頻繁にニュースとして掲載されており、この問題が如何に韓国において重要なのかが良く分かる。しかし、日が変わって今日の新聞では下記のような内容に変わっていた。

2013年10月17日 朝鮮日報「ミサイル防衛問題でブレる国防部、ついに長官が自ら火消し

こちらにも詳しく書いてあるが、「国防部高官は14日『SM-3の必要性を検討する』と述べ、国防部報道官は15日『SM-3の導入は不可能。下層防衛は高度100キロメートル以内だ』と述べ、THAAD導入を示唆する発言を行っていた。韓国型ミサイル防衛(KAMD)に関する国防部首脳の立場に3日連続でぶれが生じた格好だ。」とあり、2転3転している状況の中で、最後は国防部長官が自ら火消しにやっきになったという状況である。建前上の発言は、北朝鮮に近接する韓国においてのミサイル防衛としては低軌道の下層防衛用が主役となるので、限られた予算は最も費用対効果の高いところに集中するということだろう。一方、アメリカとしては北朝鮮の首根っこを押さえるためには、近距離の韓国の防衛だけを固めれば良いのではなく、いかなる方向に核ミサイルを撃とうが無駄なあがきだと見せ付ける必要がある。アメリカ東海岸に核ミサイルを撃ち込む能力がないことは分かっても、ハワイや西海岸、日本の米軍基地などにおいてアメリカが一寸でも脅威を感じていると隙を見せれば、それを突いて取引の交渉を迫られる可能性がある。だから、韓国におけるミサイル防衛は様々な事態に対処可能な複合的な体制となるのが理想的であろう。

と、まあここまでは普通の解釈である。しかし、こんな単純な話であればここまで事態は拗れない。アメリカが統制権移管再延期に絡めて何度も揺さぶりをかけ、一方で韓国が頑なにこれを固辞する一方、軍部の内部にはアメリカよりの発言をするものも現れている。そんな中で政治色の強い閣僚に該当する長官は必死でこれを否定する。極めて政治臭い背景がプンプンである。

多分、誰かが指摘するまでもないことだろうが、背景はふたつある。ひとつは、アメリカの本音は北朝鮮なんてどうせあと1年でなくなる国だから、そのためのミサイル防衛など本気で考えていない。当然ながらターゲットは中国である。北朝鮮危機が高まったときには日本海にイージス艦を展開して対処していたから、北朝鮮だけを意識すれば別に韓国にミサイル防衛の基地を常駐しなければならない理由はアメリカにはない。しかし、中国を含めて抜き打ち的な攻撃への対処を考えれば、中国の首根っこの韓国に基地があればアメリカは願ったり叶ったりだろう。それが中国への無言の圧力になるから、今後も引き続き中国をけん制し続けるために、今回の北朝鮮危機は好都合な訳である。しかし、そんなことは中国は熟知しているから、韓国の宗主国である中国としては韓国に対して「私の言うことを聞きなさい!」と圧力をかけてこれを必死で阻止しようとするのである。しかし、軍事の専門家であれば宗主国様の属国になって生きながらえるのではなく、合理的な軍備増強で対処したいと考えるのが筋である。少なくともナショナリズムの炎に油を注がれた韓国国民は中国の属国として生きることを望まない。しかし、左翼的な志向の強い韓国政権は、北朝鮮との対決を覚悟して乗り越える事態の打開を望まず、中国の仲介の元での解決を期待するから、政権側の主張と軍部との意見の間に乖離があるのである。

ただ、韓国の朴政権の思惑はもう少し複雑である。権力闘争を勝ち抜いてきた朴大統領だから、韓国の命運を中国だけに委ねるのではなく、もっとずる賢くアメリカと中国の両天秤にかける戦略がベストなことは分かるはずである。つまり、アメリカとのミサイル防衛の規模を縮小したり、思わせぶりな対応を取りながらスケジュール的な問題を先送りにして時間を稼ぐなど、色々とやりようはあるのかも知れない。しかし、それらを全て捨てて中国に全てを託すような判断をするのは、ここまでの議論にはない付加的な理由があるとしか思えない。それは多分、韓国の恐ろしい冷徹な戦略なのである。つまり、中高軌道の中高層のミサイル迎撃は日本への核攻撃を韓国が防衛することにつながるのであり、(それは仮に在日米軍基地の防衛であっても)韓国としてはそれに手を課すことは韓国にとって大きな損失なのである。現在、東アジアはゼロサム・ゲームと言われており、誰かが勝つためには誰かが負けなければならない。憎っくき日本が滅亡してくれればそれに越したことはなく、原爆を神の懲罰と呼ぶその精神の背景には、北朝鮮が日本に核ミサイルをぶち込んでくれることを強く願っている下心がある。悲しいが、これが現在の韓国政府の現実である。

だから、アメリカのMD体制への参加は、この濡れ手に粟のぼろ儲けシナリオを否定することに繋がるから、韓国政府は死んでもそれに賛同することは出来ない。政治的な判断であればあるほど、この様な結果に繋がるのである。

しかし、これをアメリカ政府はどう見るだろうか?当然、韓国の下衆な下心をアメリカ政府も熟知しているが、中国がどうのこうの言う前に、米軍基地への核攻撃を韓国が容認する下心は明らかな裏切り行為である。韓国の誤算は、「相手が日本であれば、強気に出れば何とかなる」と勘違いしているだけではなく、「アメリカだってイケイケ・ドンドンで攻めれば何とかなる」と勘違いしてしまった点である。安倍政権になってからの日本は勿論、アメリカがそんな低レベルの恫喝的な外交で安易に降りる訳がない。プライドの高いアメリカは、何処かで韓国に対し冷めた対応に出るだろう。

ちなみに、鳩山民主党政権に騙されたアメリカが冷めた対応に出たところで、日本は尖閣や北方領土で各国からの揺さぶりを受けた。高い授業料をあそこで払うことになった。今回の授業料も相当高そうだ。韓国は授業料を払いきれるのだろうか?ゼロサム的な考え方をすれば、日本には大きな漁夫の利が回ってくるかも知れない。私はそれは、グランデール市長の反撃の様な形の動きとして現れるものと期待している。

←人気ブログランキング応援クリックよろしくお願いいます

韓国における日本の水産物輸入禁止問題に関する真実

2013-10-12 23:58:52 | 政治
色々と調べると面白いことが分かったので紹介しておく。福島第一原発からの放射性物質に汚染された水産物に対する韓国の反応についてである。

まず最初に、下記の記事を見て頂きたい。

2013年10月4日 朝鮮日報「【コラム】嫌気がさすほどいらだたしい日本人の冷静さ

岸田外相に正論をぶつけられて、地団駄を踏む韓国人の顔が目に浮かぶような記事である。まあ、色々と書いてあるのだが、ポイントとしては放射性物質による汚染の定量的評価ではグウの音も出ないぐらいに劣勢に立たされながら、風評被害の加害者として必死で風評の火を焚き付けようとしながら、その影響が日本国内では殆ど現れず、風評が飛び火して韓国国内の風評被害に発展し、国内での水産物が総崩れ状態になったことを「嫌気がさす」と吐露しているのである。通常、冷静な人であればこの文章を読んで「悪いのはどちらか?」の答えが即答できるのであるが、それを捻じ曲げるのが「風評」の恐ろしさで、それがブーメランになって帰ってきて地団駄を踏んでいるのである。

しかし、岸田外相からあれだけ言われてもガンとして受付けないのだから、何を根拠に開き直れるのかを調べてみた。すると、表題だけを見ると如何にも韓国国民が「韓国の主張は正しい」と錯覚しそうな記事が見つかった。

2013年10月11日 中央日報「日本、水産物の汚染を8月にすでに認定
2013年9月11日 サーチナ「韓国『証明書付き水産物から放射能』…日本の検査結果に不信感

最初の記事は、日本政府が詳細に行った調査結果を韓国政府に提供した情報である。事故発生当初は確かに汚染状態であったことを認めると共に、自然の懐の広さを示す時間経過に伴う状況の改善状況を極めて定量的に示したデータである。過去のブログ「定量的なデータにより『危ない、危ない詐欺』を撲滅せよ!」でも書いたが、一部の種類の魚には高い値の線量が検出される傾向があるので、その様な種類をモニタにより把握し、その様な魚が流通することを厳しく監視しているのである。その様な魚は流通には乗らないが、しかし、正直ベースでクロダイなどの一部の魚で500ベクレル/Kgを超えるものがあったと情報提供している。しかし、この記事では「日本政府が実は汚染された魚が存在し得ることを認定した」と題して、「やはり、日本政府がその危険性を認めている」とミスリードする様な論調を展開している。

更に下側の記事はもっと厄介である。日本が検査結果で安全と認定した水産物から放射性物質が検出されたというのだから穏やかでない。しかも、検査ミスで見逃したというレベルではなく、64件中の62件から汚染が検出され、日本の検査体制との不一致が如実に表れたと訴えているのである。これを称して、ある議員は「日本側の放射能検査結果と韓国の検査結果が深刻な不一致を見せたことは大きな問題だ」と安全管理体制を厳しくすることを求めている。

そこで、では本当に日本の検査で安全とお墨付きをもらった水産物が、韓国の基準を満たしていないのかと心配になって調べてみたら、この様な日本の正当性を示す記事は日本語では見つからなかったが、一部の方が翻訳してくれていて下記の様な記事が見つかった。

2013年9月29日 忠清(チュンチョン)日報「今月日本産輸入食品放射能不検出」
原文:韓国語)(日本語訳

原文の記事をGoogle翻訳しても概ね同様の内容が記されているので、誰かの日本語訳は概ね合っているのだと思う。これを見ると、9月の1か月間の間には、汚染された日本からの輸入品(農産物、水産物を含む)が見つかっていないという記事である。これは何とも不自然である。8月には96%以上の確率で汚染が検出され、9月には1件も検出されないとはどういうことか・・・?答えは先のサーチナの記事にさりげなく記されていた。

まず、過去のブログ「定量的なデータにより『危ない、危ない詐欺』を撲滅せよ!」にも書いた通り、自然界には放射性物質は数多く存在するから、バックグラウンドの線量と検体の線量を識別することは困難だから、日本での安全基準の1/10に相当する10ベクレル/Kg以下では検出不能ないしは不検出として日本では扱われる。全量検査をしようとすると、そこまで精度の高い遮蔽物でバックグラウンドの線量をシャットアウトすることはできないから、この様な判断は極めて妥当である。しかし、韓国では日本の水産物を貶めたいので、少量の検体を徹底的に検査し、バックグラウンドの線量に紛れる微量の放射性物質を突き止め、これをもって「検査結果の深刻な乖離」と称している。

しかし考えてみて欲しい。ここで議論の遡上に乗っている線量は10ベクレル/Kgである。日本では国民の不安を払拭するために、欧州などで一般的な国際基準の370ベクレル/Kgをさらに1/4に引き下げ100ベクレル/Kgと設定している。韓国国内の韓国産の水産物の基準は370ベクレル/Kgのままで良しとしている。

岸田外相の主張は、これだけ厳格な日本の基準に照らし合わせて「安全か危険か?」を判断して輸出しているのだから、それを危険扱いするのは非科学的だと言っているに過ぎない。少し勇み足気味に言わせて頂けば、仮に韓国が自国に流通する全ての水産物(農産物も含む)に対し、このさらに1/10に相当する10ベクレル/Kgを基準値に設定し、この基準値を守れないケースが頻発する日本の水産品を輸入禁止するなら「まあ、仕方がないか・・・」と言っても良いだろう。しかし、中国の原爆実験の影響を受けてバックグラウンドの線量が日本よりはるかに高い韓国では、そんなことをしたら自国の農水産物が破壊的なダメージを受けることを熟知しているから、370ベクレル/Kgを維持するのである。その1/40程度の誤差の領域で大騒ぎしているのは「風評被害」狙いなのは明らかである。

この様な状況でWTOに日本が提訴したら答えは見えている。韓国も知識のある人はその辺の事情は熟知しているはずである。多分、心臓がバクバクものであるのだろう。しかし、ここは心を鬼にして、「正しいことは正しい!」と現実を突きつけてやらなければならない。

その時を待っている。

←人気ブログランキング応援クリックよろしくお願いいます

朝日新聞などの良識派OBに期待したい

2013-10-11 23:58:34 | 政治
以前から考えていた記事をやっと今日書かせて頂くことにした。それは、反日・嫌日的な報道機関へ如何にして対処するかという問題についてである。

言うまでもなく、朝日新聞や毎日新聞などは思想的な偏りが報道姿勢に現れている。表だったベクトルは、「弱者の立場に立った報道」ということなのだろうが、その先が短絡的な部分があり、「弱者」と対立関係にあるのは「強者」であり、「強者」の典型である最大の権力を持つ政府こそが「弱者」の最大の敵という短絡的2分論のイデオロギーが見え隠れする。時として「強者」は「弱者」を包み込み、助けるために手を差し伸べてくれる存在となり得るのだが、そんなことはお構いなしである。敵の敵は味方だから、中国及び中国共産党などには滅法甘く、共産主義的な左翼思想を水面下の意識の中で志向しているかの様である。大腕振って「日本を共産主義にしよう」などとは決して言わないが、資本主義による競争社会が何よりも嫌いなのである。その資本主義を先導する政府はあくまでも敵であり、第1次安倍内閣の時代には、時の朝日新聞の論説主幹であった若宮氏は「安倍の葬式はウチで出す!」とまで豪語して安倍潰しに走っていた。決して政策ごとの是々非々の評価ではない偏向がそこにはある。

多分、慰安婦問題などの問題解決には、最初に火に油を注いだ(読売新聞からも名指しで指摘された)世紀の大誤報を報じた朝日新聞が、その偏った情報源からの偏向報道を総括する必要があると思うのだが、あまりにも偏向的な経営陣や論説主幹などの存在を考えればその様な日がくることは考えにくい。既に多くの人が「朝日新聞の言うことは、何でも正しい」と信じ込んでしまっている状況では、この様な事態を解決に向かわせる術はないのではないかと途方に暮れるところである。

しかし、その様な朝日新聞ないしはテレビ朝日などでも、時として???と感じる瞬間がある。例えば、このブログでも少し指摘させて頂いたが、6月24日のテレ朝の報道ステーションでは、都議選が終わった総括を共同通信社の田崎史朗氏と古館一郎氏がしている最中に、番組スタッフからメモが入ったところが堂々と映された。そのメモはテレ朝のディレクターか誰かから田崎史朗氏への「みんなの党をヨイショしてくれ!」というメッセージだったのだが、その様な偏向があることを番組ではバラしてしまった。また、9月22日の報道ステーションSundayでも、長野智子氏が安倍総理の「The situation is under control」発言を糾弾しようとして逆に論破され、屈辱的に狼狽するシーンが流された。編集された番組だから非常に違和感を感じたのだが、暗に安倍総理の主張の正しさと、反政府的な糾弾活動に福島を利用することへの抵抗を感じさせるものだった。

当初はこれらは偶然かとも思ったのだが、徐々にこれらが偶然ではないという確信に近い感情が湧いてきた。変な例え話だが、外務省国際情報局の局長だった孫崎享氏は、外務省時代に知り得た外交上の日本の弱点を、報道番組などに露出して暴露しているのだが、流石に懐にいた人だから要点を心得ていて、無茶なことを言っていてもそれなりにインパクトがある状況である。国益のために国民の税金でここまで食わして貰っていたのだが、その時に知り得た知識で国益を損なって、いまはそれで飯を食うという喜劇の様な話だが、それはそれでひとつの教訓を与えてくれるものである。つまり、内部に食い込んだ事情を良く知る良心派の人を探せば、それが突破口にもなり得るという話である。

例えば、是非とも下記の記事を読んで頂きたい。

2013年10月10日 ビジネスジャーナル「週刊朝日編集長の『セクハラ懲戒解雇』から透ける、朝日新聞の内部崩壊

先日、10月8日付で朝日新聞出版の「週刊朝日」の小境郁也編集長を懲戒解雇するという朝日新聞出版からの報道発表があった。そこでは理由を明かさず、「重大な就業規則違反があった」とのみ記されていたから、誰もが「何があったの?」と興味を持ったと思うが、たった数日でその内訳が暴露された訳である。まあ、「そこまでベタな犯罪行為をするかぁ~?」と突っ込みを入れたくなるような内容がこの記事では明かされている。その気になれば、大抵の記者なら掴めるようなネタなのかも知れないが、この記事の執筆者はバリバリの朝日新聞記者OBであり、かなりの裏事情を知っているようである。具体的には、

「話はそれるが、少し前、『これが表に出れば、最低でも編集担当の責任者は辞任、状況によっては社長が辞任しなければならないような不祥事を一部の幹部が隠している』と言う朝日新聞関係者から、筆者に情報が寄せられた。」

との記載があり、この手の話題には事欠かない感じがぷんぷんする。また、これは私が好きな「ぼやきくっくり」さんのブログに2007年に掲載された記事だが、朝日新聞OBの本郷美則さんという元研修所長が当時の朝日新聞の論説主幹の若宮氏をインタビューを通して糾弾している記事がある。

2007年2月27日 ぼやきくっくり「朝日新聞 若宮啓文論説主幹インタビュー

これも同様で、朝日新聞記者OBが朝日新聞を揺さぶっているというものだ。ここには記載はないが、別の場所では新聞の発行部数を水増しする「押し紙」という姑息な手法を糾弾したり、色々と新聞業界の問題点を糾弾したりしているようだが、特に元居た朝日新聞に対する批判が強そうである。

別に、朝日新聞の発行部数を落とすことを狙うのではなく、朝日新聞の思想的な偏りの背景を鋭く突いてくれれば、もう少しましな議論ができる報道機関に変わるチャンスがあるかも知れない。朝日、毎日などの偏向性の高い報道機関であっても、必ず僅かではあるが良識派と呼ばれる人たちがいるはずである。その人たちは、社内では多分冷たい飯を食わされてきているに違いない。しょっぱなはその恨みつらみから来るものでも構わないから、その様な良識派の人々を少しづつ結集し、問題点をあぶり出していければチャンスはあるだろう。思想的な傾向と人事評価などの関係などの話題があれば面白い。

橋下大阪市長の自出を暴露する人権侵害に続き、出来心とは程遠い超悪質なセクハラ&パワハラ問題など、変わるならば今がチャンスである。勇気あるOBが数多く現れることを期待したい。

←人気ブログランキング応援クリックよろしくお願いいます

オバマ大統領の発するメッセージを読み解く・・・

2013-10-10 22:46:06 | 政治
先日のブログでオバマ大統領の評価についてコメントした。ここではオバマ大統領を評価する記述であったが、その後、様々な形でマスコミはオバマ大統領を酷評するに至った。というのも、8日にホワイトハウスで行った記者会見において、東南アジア歴訪を中止したことについて「訪問すべきだった」と延べ、その結果、歴訪中止で「中国が自らの考えを主張しやすくなった」としてマイナスの実害が生じたことを認めたからだ。通常のアメリカ人は、自らの判断ミスをそう簡単には認めないから、これをもってマスコミは「ダメ大統領」の烙印を押したのだろう。

しかし待って欲しい。何か違和感を感じないか?単なるボヤキをアメリカの大統領は公開したりはしない。ならば、何らかのメッセージが込められていると考えてしかるべきではないか?

勿論、対外的なアピールとしては、ケリー国務長官の言動よりもオバマ大統領の言動の方が重い。実際、写真撮影ともなれば、各国の元首の方が中心付近に集められ、ケリー国務長官は隅に追いやられたりもしていた。だから、TPP交渉においても、オバマ大統領が参加していればもう少し事態が進展していたかも知れないが、そこに居たのがケリー国務長官だから進展しなかったというのはあまりにも短絡的だ。さらに、中国が好き放題言っていたとして、ケリー国務長官がそれに「待った」をかけられないとは思えない。それほど無能な男ではないだろう。だから、オバマ大統領の「中国が自らの考えを主張しやすくなった」との発言は、真の意味での実害を意識して自らの判断の誤りを謝罪したり、後悔の念を吐露したものとは考え難い。にもかかわらずあの様な発言が出たからには、自然に考えれば何処かの国に対して何らかのメッセージを発したと考えるべきであろう。まず第1には、東南アジアの中国と対立する国々に、「今回は行けなかったが、アメリカは決して後ろ向きではない。中国に対して毅然とした態度で臨み続ける。」というメッセージが込められていると予想される。しかし、それだけならばもう少し違った表現になっていたかも知れない。つまり、「中国の主張に対して、どの国もNoと言うべき所でちゃんとNoと言うべきだ!アメリカは、ちゃんとNoと言うぞ!」というメッセージのようにも取れる。

問題はそのメッセージを届けるべき相手国が何処かということである。実際、それを意識してのことではないだろうが、安倍総理はかなり毅然とした態度で「法の下の支配」の原則を主張し、積極的平和外交についてもアピールした。この辺のやるべきことをきっちりやる安倍総理の姿勢はオバマ大統領も信頼感をもって見ているだろう。しかし、日本については言うまでもなく仕事をするのは見えていたから、そのメッセージの向かうべき先は日本ではない。言うまでもなく、答えは「韓国」である。中国に対し、「私はあなたに忠実な”Yes Man”(朴大統領は”Yes Woman”?)になりますよ!」と公言してはばからない韓国に、「あなた方の態度は、アメリカの国益に明らかに反する」というメッセージをぶつけているように私には見える。

ちょっと趣旨が異なるのだが、韓国の中央日報に次のような記事が載っていた。

2013年10月8日 中央日報「【グローバルアイ】日本はある!

タイトルは意味不明ながら、米国における日本と韓国に対する温度差を指摘した記事である。「韓国は『日本の過去』を見るが、米国は『日本の未来の役割』に関心を持っている。」との記載があるが、これは「フランスなどのドイツ周辺諸国は未来に関心を持つが、日本の周辺諸国では損得勘定で過去の問題を掘り起こすことに必死だ」と言い換えても良いかもしれない。アメリカが特殊でもなければ日本が特殊でもない。現実が見えていないのは韓国であることに薄々気が付いていることを告白するような記事だろう。しかし、それに対する言い訳など幾らでも出来るから、結局は言い訳を繰り返してこの記事は終わっている。

これだけではない。朝鮮日報も同様である。

2013年10月5日 朝鮮日報「集団的自衛権:米日同盟強化、選択迫られる韓国

2013年10月7日 朝鮮日報「朴大統領の『日本責任論』韓米の対立材料に

日米の親密な関係に対し、韓国の戸惑いは本格的なようだ。この記事の中で誠信女子大のキム・ヨルス教授は「最悪のシナリオは日本と中国が尖閣諸島をめぐり、現在の対立状態から紛争状態にエスカレートすることだ。その場合、韓国は米日か、中国かという選択を迫られる可能性がある」と述べたという。こんなことで悩むということは、既に軸足が相当中国に傾いているという証拠である。その戸惑いをアメリカは敏感に感じ取るから、様々なところでメッセージを送るのである。韓国がことあるごとに「日本の悪口」を言い続けてもこれを黙殺し、一方で日本に対しては最大限の協調関係を演出する。同盟国であるアメリカは韓国の得意な下品な対応を取ることが出来ないから、所々で暗にシグナルを発しているのだろう。

今のところ、韓国はアメリカのメッセージを受け取る気配はない。このメッセージを受け止めようとすれば、それは国内からは「国賊」呼ばわりを受けることに繋がる。火中の栗を拾う覚悟のないケツの穴の小さな韓国の政治家には土台無理な話だろう。しかし、アメリカと日本の間では事態は着実に前に進んでいる。そのうち、アメリカ国民の多くもこの対照的な2か国を認識し始めるだろう。その時こそがチャンスである。

日本のマスコミは、あまり短絡的に事態を捉えない方が良いのではないか・・・。

←人気ブログランキング応援クリックよろしくお願いいます

命を守るための発想の転換が必要である

2013-10-09 23:15:30 | 政治
「またか・・・」とため息が出るようなニュースである。ストーカー被害を警察に訴えた女子高生が、その日の晩に殺害された。何処か間違っている。その何処かについて、発想の転換を含めて提言してみたい。

昨日からこのニュースでもちきりだが、今日の会社からの帰りの車の中で聞いたラジオでもこの話題について触れていた。素人の我々からすると、ストーカー規制法が施行された状況の今であれば、警察に対してストーカー被害を訴えれば何とかなると思いがちだが、実際には被害者が後を絶たない。長崎でのストーカー殺人事件では、警察がたらい回しを繰り返し、迅速かつ適切な対応をしていないがために殺人に至ってしまった。今回の事件も、亡くなられた女生徒は学校にストーカー被害を相談し、それを受けて高校では4日の日に高校の最寄りの杉並署に相談したそうだが、管轄が違うということで三鷹署へ相談するように促していたという。これを受けて被害女性は両親と8日の朝に三鷹署を訪れて相談したが、三鷹署は犯人の携帯に3回電話して、犯人が電話に出ないために「三鷹署へ電話するように」との留守電メッセージを残してそのまま放置したという。直接連絡が取れればもう少し犯人に冷静になるような説得をすることもできたかも知れないし、逆に犯人が激情的な性格であればその傾向を電話での応対から把握できたかも知れない。結果として、警察は無責任にも最も火に油を注ぐ応対をしてあの様な惨劇に繋がってしまった。

全く何やってんだよ!と言いたくなるところだが、ラジオに出演していた解説者によれば、ストーカー規制法の施行が実際にはマイナスに働いている可能性があるとのことだった。ストーカー規制法の精神としては、「このまま行けば明らかに惨劇に繋がりかねないような状況においては、警察が何処まで踏み込んで良いかを規定している」のだが、実際には何処までしか踏み込めないかを規定したような状況になっているという。以前、現在の自衛隊の直面する問題として、どの様な時に何をして良いのかというポジティブリストが現在は規定されているが、事態は常に不測の状況の中で起こるのだから、通常であればポジティブリストでは対応しきれない事態が頻発しておかしくない。世界標準の軍隊の規制は、常に「ここまでやったらNG」という禁止行為を規定するネガティブリストで行われる。特措法を積み重ねて継ぎはぎだらけの自衛隊と、指揮官の裁量に任せられている他国の軍隊では、既にハンディキャップが設定されている様なものである。だから、緊急事態の中で瞬時に適切な行動が求められる人たちには、本来はブレーキに関する規定をするのではなく、速やかな行動をアシストする権限が法的に与えられてしかるべきである。細かいところでは議論は複雑だが、最近、色々と議論が多い機密保護法案についても同様で、言論・報道の自由は当然保護されてしかるべきだが、アメリカなどとの間で交換された機密性の高い秘密情報が漏えいされそうになった時、その漏洩を事前に防ぐ緊急避難的な対処がまずは求められる。スノーデン氏の話も同様だが、一度、公開された機密は既に「覆水盆に返らず」であり、当初の原状復帰は不可能となる。ストーカー事件で殺されてしまった被害者の命が戻らないのと同様である。だから「覆水」とならないための対策が最重要課題のはずである。

この様に書くと、「機密保護法案とストーカー問題は別物だろう!絡めて議論するのは乱暴だ!」と言われそうだが、勿論、議論の詳細が全く異なるのは認めた上で、ある種の共通項はあるのだと思う。先のラジオの解説者が説明していたのだが、ストーカー規制法を国会で審議していた際には、常に加害者側の人権を侵害しないための配慮が最大の論点だったという。犯罪においては常に言われることだが、被害者の人権はないがしろにされるのだが、何故か知らないが人権活動家などのベクトルの向かう方向は、いつも加害者側の人権保護なのである。しかし、事の緊急性という視点で見れば、被害者側の人権は「待ったなし」なのであり、実際に多数の死者を生んでいる。その人権(生命)は、決して回復されることはなく、犯人を死刑に追いやっても自らの命がよみがえることはない。しかし、では加害者の人権はどうかと言えば、「言われのない誤った逮捕」という事態を生む可能性はあるにせよ、その様な人の名誉を回復することは後からでも可能なのである。経済的な損失を補填するルールや、例えば会社を解雇された場合などの原状復帰ルールなどの法案を組み合わせれば、遅ればせながらではあるが人権の回復に繋げる手立てはあるのである。しかし、人権活動家などが「1ミリたりとて、(実際の犯罪行為が行われる前に)加害者の人権が侵害されることは許されない」などと無茶を言うから、国会での議論が「建前だけ、形だけの被害者救済」と「実効的な加害者の人権保護」という誤った方向に向かってしまうのである。上述の警察署の対応が不十分なのは、法案の審議段階での議論が加害者の人権に終始したために、これが警察に対し「あまり、先走って動きすぎない方が良い」という誤ったメッセージを送ってしまっていたことと関係があるのではないかという。さらに、この様な事件の頻発は、被害者側には「警察に行っても役に立たない」というメッセージを、加害者側にも「最初から警察は無茶をしない(速やかに行動すれば殺害は達成できる)」という誤ったメッセージを送ることになっている。全く、本来の法律の精神はそこにはない。

だから私は主張したい。究極の被害者救済のためには、ある種の割り切りとして、部分的な行き過ぎた人権の侵害を恐れずに許容することとし、合わせてその結果犯される(ここでは加害者と見なされて不当な法的措置を受けた側の)人権が後日回復できるためのフォローの法案を組み合わせ、最悪の回復不能の事態を回避するための踏み込んだ対策を考えるべきである。繰り返すが、一時的な人権侵害など恐れてはいけないのである。中長期的にその人権が十分に回復できるならば、まずは永遠に回復できなくなる可能性のある側の人権(機密保護法の場合には国益)を最優先すべきである。

これは、大きな発想の転換である。雇用の流動化を目指すための金銭解雇なども類似の発想である。これまでは、絶対に切り込んではいけないと誤解していたタブーにも、冷静に考えれば切り込むのが筋と言うべきアプローチがあるはずである。機密保護法案にその様なアプローチを適用するにはどうすれば良いのかは一ひねり必要かも知れない。

しかし、この様な柔軟な発想の転換が事態を打開する。その柔軟な思考を国会の場では戦わせて欲しい。昔ながらのベタな空論を振り回す政党の言うことなど論破して、ことの本質を突いて欲しい。まずはストーカー被害者をなくすところから対処して欲しい。

←人気ブログランキング応援クリックよろしくお願いいます

オバマ大統領の本当の評価はどうあるべきか?

2013-10-07 22:14:31 | 政治
最近のアメリカの情勢を見ていると分からないことがある。それは、オバマ大統領の力量をどの様に理解すれば良いのかという点である。今日はその辺についてのコメントである。

実は今朝の産経新聞の朝刊に、2020年東京五輪招致に尽力した森喜朗元首相へのインタビューという位置づけの記事があった。ネット上では詳細には掲載されていないようなので引用は控えるが、(手前味噌的な記事ということで話半分程度に聞いたとしても)元々スポーツマンである森元総理の影ながらの様々な活動が今回のオリンピック招致にどれほど重要だったかが伺い知れる。まあ、狸爺的な感があるし総理退任のドタバタ劇からあまり印象が良くない(正直、好きではない)のだが、過去の私のブログの中でも「人は見かけによらないか?(その向こうにある希望)」という典型例として森元総理を紹介させて頂いた。どうも日本社会においては、彼は小渕元総理の亡くなった後、密室でコソコソ良からぬ動きをして総理の座を射止めた「裏で何をやっているか分からない男」的なレッテルを貼られている。それは確かに正しいのだろうが、しかし、問題は裏でコソコソやるか否かではなく、何をやるかが問題なのである。今回のオリンピック招致のためには、裏でコソコソ動くことが成功への絶対条件であり、それをアンフェアだとは世界中が思っていない。「正々堂々と裏でコソコソ動く」という、日本人的には一見、理解し難い概念が実は世界の常識でもある。中国、韓国がアメリカの地で南京大虐殺、慰安婦像などをまことしやかに語って反日キャンペーンを行っているが、これはアンフェアではあるが法で取り締まることはできない。それを止めるには法的な措置を取るか、反撃のロビー外交を繰り広げるか、そのいずれかを選択するのが「外交」という一種のスポーツのルールなのである。だから、例えば民主党の岡田克也氏のようにガラス張りの世界の中で政治を動かすべきという潔癖症的な考え方があっても構わないが、こと政治に限っては、目的を実現するための政治的なアプローチよりも、その結果として得られる「成果」を最大の評価軸において物事を考えるのが常識である。

とまあ、話は思いっきりオバマ大統領と関係ないところで前振りさせて頂いたが、ここから本題へと戻して行こうと思う。繰り返しになるが、物事の評価はそのアプローチの方法ではなく、そこから得られる成果が重要であり、その様な視点で見たときに、手詰まり感がプンプンのオバマ大統領の政治手腕は如何ほどであるかという点である。

まず、オバマ大統領を最初に窮地に陥れたのはシリア問題である。化学兵器の使用に対するペナルティとしての空爆が話題となり、多くの報道機関はイギリス議会での空爆承認の否決に始まり、結果的に空爆できずにプーチン大統領の手の平の上で踊らされた感がある現状を、多くの人は「オバマ外交の敗北」と捉えている。私もその様に理解する側のひとりであるが、しかし、あそこで空爆していればもっと厄介な事態に陥っていたことも事実である。過去のブログでも触れたが、このシリア問題は「正解」のない難問・奇問の部類で、イランや北朝鮮などを意識して「レッドラインを超える極悪非道な行為は決して許されない」というメッセージを発する必要がある一方、制裁を課した後の状態は確実に制裁を課す前の状態よりも劣悪な状態に陥る可能性が高いことも認めなければならない。だから、空爆という制裁を課さずに、実効的には制裁を課したのと同様の状況を作り出すのが次善手となる。

実は噂によれば、9月の上旬にプーチン大統領が「シリアの化学兵器の破棄」を口にする前に、この「化学兵器の破棄」を口にした人物がいる。それはケリー国務長官であり、プーチン大統領が「シリアの化学兵器の破棄」を提案する前に、完全にオフレコの場において記者に対し「シリアの化学兵器の破棄が可能であれば、アメリカが空爆を見送ることもない訳ではない」と漏らしたという。その時、多くの記者は「アメリカの自信のなさを吐露してしまったケリー国務長官の判断ミス」と考えたというが、今となってみれば「空爆をしないで済む口実」を誘導するためにオバマ政権側が(プーチン大統領に)仕掛けた罠であり、結果的にプーチン大統領がこれをアシストしたと見る向きもあるという。本来は大統領が判断すべき空爆の是非を議会にかけようとしたことも、(それまでのアメリカのスタンスを維持するなら空爆を回避できない状況において)議会にかけることで時間を稼ぎ、その間にプーチン大統領の提案を引き出す策を水面下で行っていたとすれば、もし仮に実際に空爆をしていた際に置かれていたであろう現在のオバマ大統領の窮状を、上手い具合に回避できた絶妙の妙手だったと評価すべきかも知れない。

「たら、れば」の話で恐縮だが、もし仮にここで空爆を強行していたら、その後、何が起きていたであろうか?間違いなく、オバマ大統領の支持率は9月末頃には大幅に下落していただろう。この場合、現在のオバマ・ケアを睨んだ予算案不成立に伴う上下院での駆け引きは、オバマ大統領にとって相当不利な状況になっていたかも知れない。マスコミ的には「レイムダック」と罵声を浴びせられながらも、無用な支持率の低下を微妙に回避しながら政府のシャットダウンを向かえるに至った。結果として、既に法案が成立しているオバマ・ケアに対する予算案の不承認の責任が共和党に向けられて、共和党としては「進むも地獄、引くも地獄」の状況に追いやられている。今後の見所である債務不履行のデッドラインの17日に関しては、どう考えても国家の存亡よりも党利党略を優先したら共和党が壊滅することは目に見えているから、現在、立場的に不利な共和党はここでの譲歩は必然的に避けて通れない。日本で言うところの「雨降って地固まる」的に、この最大の難局を乗り越えればオバマ大統領はオバマ・ケアへの反逆が今後は当面(少なくとも来年の中間選挙までは)不可能な状況を作り出すことに成功したとも言える。

この様に政治家の評価は非常に難しいものがあるが、如何に評価するかという問題の基本的な考え方は、リファレンスとなるレベルを何処に設定するかで決まってくる。例えば、「シリアに対しては化学兵器工場などの要所の空爆を短期で完了し、民間人などへの被害が皆無な状況で大量殺戮兵器を使用不可能な状況に追いやり、一方ではアルカイダ系の反政府勢力を増長することもなしに、シリアのアサド大統領が譲歩する状況」を基準レベルとして想定するならば、現在の状況はアメリカの威信が傷つけられているのでリファレンスレベルよりは大幅にマイナスの状況といえる。しかし、「イラクやアフガンの様に泥沼化して財政支出が穴の空いたバケツのように増えていくと共に、アルカイダ系の反政府勢力が政権を奪取するような状況」を想定するなら、現状は相対的にはすこぶる良い状況とも言える。「十分に選択肢となり得る実現可能性が十分にある状況」が幾つか考えられる場合、その中のもっともありそうな状況を平均点のリファレンスレベルと設定し、その状況に対して現状がどの様な位置づけかを国際的な側面と国内的な側面から評価すれば、実はオバマ大統領は綱渡りではあるが上手く綱を渡り切った(ないしは渡り切ろうとしている)状況にあるのかも知れない。さらに政府閉鎖に伴う状況も、デフォルトを目前に控えた状況で戦況の有利/不利が明確に識別できる状況を作り出した状況は、結果的に自らは譲歩せずに難局を乗り切る結論に達することが可能なようだから、実質的にはそう悪い状態ではない。何処の国でも議会のねじれ現象は本質的な状況だから、その状況を乗り切る舵とりとしてはそれなりに評価されてもおかしくはない。これまた結果的ではあるが、イランの核開発がイスラエルを巻き込んだ中東の核戦争勃発のリスクを高めている問題についても、オバマ大統領がイラン穏健派のロウハニ大統領と電話会談を行い、少なくとも一時の最悪の状況よりは進展した状況は評価されてしかるべきである。勿論、イスラエルはイランに対して楽観的な評価などする訳がないから、相変わらず緊張はそこに存在するが、イスラエルも核の先制攻撃は自らの破滅、世界経済の崩壊を意味することは熟知しているから、イランが背に腹を変えられない「レッドラインを超える」確実な証拠を掴まない限り、ギリギリのところで微妙な平衡点でバランスを取り攻撃を思いとどまるしかない。

我々はこの様な状況を「運も実力のうち」と呼ぶから、やはりオバマ大統領は世間の評価よりは遥かに評価を受けるべき存在かも知れない。ついついマスコミは人の不幸を喜ぶから、レイムダックと囃し立てているが、真の評価は本当はまだまだ分からない。数十年後に歴史家が検証したとき、「あの人は凄い人だった」と評されたとしても、現役時代には罵声を浴びせられているのかも知れない。

本当のところは私も良く分からないし、ひょっとしたら、マスコミの評価通りにあまり評価は高くないのかも知れない。もちろん、個人的には極めて単細胞的なブッシュ前大統領との対比で(黒人初の歴史的な大統領でもあるオバマ大統領は)有能な人であって欲しいという願望もある。その様なバイアスは思いっきりあるのは認めた上で、あまりオバマ大統領を過小評価しない方が良いのではないかと最近感じはじめている。

←人気ブログランキング応援クリックよろしくお願いいます

日中韓と、しまむら「土下座」問題のデジャブ

2013-10-05 18:52:21 | 政治
ネット上ではにわかに話題になっていて前から気にしていた話題が記事になった。

Yahoo!ニュース(弁護士ドットコム)2013年10月4日「半沢直樹のマネ? 「しまむら」店員への「土下座強要」は法律的にどうなのか?

ご存知の方も多いと思うが、この記事はここで何が起きたかのごく一部しか書いていない。ネットユーザが炎上したとしか書かれていないし、記事上ではこのクレーマー側が「倍返し」をしたかの様な記事となっている。いわく、しまむらの店員がけしからんので、半沢直樹を気取ったクレーマーが「倍返し」をしたのだが、弁護士の方が店員の対応の悪さをタテに土下座を強要した場合の(クレーマー側に問われる)刑事罰はどうなのだろうか・・・という記事である。

まあ、法的な話題はそれでも良いが、実際の話題がその遥か先を行っていて、周回遅れとなった記事の内容としては個人的には今さら・・・と少々疑問が残る。それは、この土下座をさせた側のクレーマーは、言葉だけではなく、まさにリアルな「100倍返し」をもろに受けることになったからである。多分、キーワードで検索すれば分かると思うが、半沢直樹では大和田常務は単なる降格で済んだが、今回のクレーマーは、まあ例えて言えば「悪行のペナルティを受けて出向を命じられたが、出向先がアフリカ奥地の治安が劣悪な紛争地で、しかもいろいろな事情で家族全員で引っ越すことになってしまった」とでも言う感じだろうか?悪ふざけの写真で学校を退学になった学生や、損害賠償を請求される大馬鹿野郎が後を絶たなかったが、今回のケースはその遥か先を行くケースである。例えるならば、確か韓国で犬を連れた女子大生が地下鉄に乗り、車内で飼い犬が糞尿をしたのにそれを放置していたところを写真にとられ、それがネット上で話題になって顔写真と犬からその犯人が特定され、その人のありとあらゆる個人情報が丸裸にされて、大学に通うことはおろか自宅で息を潜めて暮さざるを得ない状況に追い込まれたのに近い。韓国のお家芸であるネチズンが、天に代わってお仕置きをしたつもりなのであろう。

まさに、今回のケースはクレーマーも自業自得だし、しかしだからと言って日本版ネチズンもやり過ぎである。ただ、今回面白いのは変な方向にも火の粉が飛び移った点である。私には予想外だったのだが、土下座の写真をネットに掲載されてしまったしまむらの店員までつるし上げの対象になりそうなのである。というのも、UHB北海道文化放送の番組「U型テレビ」では「いま土下座がブーム!」と題してこの話題を取り上げ、番組のFacebookのページには「札幌の店員を土下座させた写真が投稿され話題に。理不尽な目にあい憂さ晴らしをしたい気持ち、非を認めたらすぐに形の上で大袈裟なくらいに謝罪する知恵が働く、など考えさせられる問題でしたね。『相手を思いやる気持ちがなければ謝罪は相手に伝わらない』というコメントも印象的でした。皆さんはどう思いましたか?」と書かれているそうだ(未確認)。これをそのまま読めば、しまむらの店員は短絡的に「何かあったら、土下座しちゃえばいいんだよ!」と考えていて、これ見よがしに謝意のかけらもない状況で土下座したと断定しているように取れる。だからこそ、「いま土下座がブーム!」と言えるのだろう。どうも、テレビ局の編集部にまでお馬鹿さ加減が伝染しているようだ。

ただ、今回の一連の流れに対し別に誰の何処を直せということを言うつもりはない。「バカッター」とも言われる一連の熟慮の足りない人々の話題は枚挙に暇がないし、コメントしようにも単なる正論以上のことは言えない。だから、今回も当初はブログで取り上げていなかったが、忘れかけたころに上記のサイトのような話題が持ち上がり何回か見ているうちに、何処か「デジャブ」の様な感覚を覚えたのでついつい取り上げてしまった。同じ感覚を持っている方もいるかも知れない。

「謝れ!謝れ!」と言って相手に土下座をさせ、それでも飽き足らずにネット上で相手の極悪非道ぶりを世界に拡散しようとしているクレーマー。そのクレーマーの行く末は、ネット上から総スカンを食い、ネットの世界から退場を余儀なくされるばかりではなく、リアルな世界でも生活もままならない状態に追いやられた。そんなところを(社会的な影響力がより強い存在の人から)横から茶々が入り、「土下座して謝ったふりをしているが、心が籠ってないから、そんなの謝罪じゃない」と謝った側がまた非難された。そかし、それを受けてネット世界では「偏向報道だ!」とこれまたバッシングが起きる・・・。

あまりに何処かで見た世界である。そちらの世界のリアルなバッシングはまだまだこれからなのであるが・・・。

←人気ブログランキング応援クリックよろしくお願いいます

美談よりも、命を守る技術の啓蒙が重要である!

2013-10-04 23:42:54 | 政治
今日は少々読者から怒られそうなことを書かせていただく。先日、踏み切りで倒れている70歳代の男性を助けようとして、正義感の強い40歳の女性が犠牲になる事故が起きた。特にテレビのニュースではこれを大々的に取り上げ、その美談をよりドラマチックに報道し続ける。これに違和感を感じる人は少なからずいると思うが、その違和感について少し書かせていただく。

まず、私はひねくれ者だから、物事を素直に受け止めることができないという背景があることは最初に断らねばならない。感動している人の横からチャチャを入れるのだから、不快に感じるかも知れない。その点には反論せずに謝るしかない。その様な立場である。なお、私が最も書きたいことは最後の方に書いてあるので、最初の書き出しはおまけである。その点も先に謝っておく。

では、私の感じた違和感を順番に書かせていただく。多分、本当のことを言ってしまうと遺族の方の心を踏みにじることになるのが目に見えているから書かないのだろうが、報道記事を見ていると腑に落ちないことがある。線路に倒れた老人は、線路に「首を乗せる」様に倒れていたという表現が多々見られるが、言うまでもなくその書き方は極めて不自然である。その老人が急に体調を崩しうずくまったのなら、偶然にその様な体勢になったことは考えられる。しかし、それが意図せずにその様な体勢になったのなら、新聞では「首を乗せる」という記述にはならなかったはずである。常識的な日本語能力と推察力のある方なら、多分、この様な状態となった背景に何があるかは予想がつくと思う。それが事実かどうかは裏など取れていないので私の出鱈目な推測かも知れない。しかし、新聞の記述の不自然さからすれば、常識的には線路に首を乗せて倒れていたのは偶然ではないと推察される。だとすれば、不幸にも亡くなられた女性は何のために命を投げ出さなければならなかったのか、悔やんでも悔やみきれないことになる。遺族はそれでは報われないし、更には生き残った方を責めることになるから、だから本当のことを書かないのだろうと予想はできる。しかし、意外にこの様なケースが今後、数多く出てくる可能性は否定できないから、その様な時に自分がどのような考えでどう行動するかは、事前にシミュレーションしておくことが必要だと思う。その重要性を、何処かのマスコミでちゃんと伝えて欲しいと切に願う。

人の命に「重い」「軽い」はないと言いながら、例えば無限の未来を持つ幼い子供の命と、100歳を越えた超高齢者の命を比較するなら、当然ながら若い人の命の方が重いというのは本音である。仮に船が遭難し、脱出用のイカダに乗船できる人数に限りがあるなら、まずは年齢の若い方から順番に脱出させ、残った人たちは次なる生存のための手段を皆で探すというのが筋だろうと思う。勿論、私も40代だが40過ぎたら同列に平等に扱うのは吝かではないし、正義とはなんぞやと言うのは難しいから、納得できずに抜け駆けしようとする人も多く出てくるかも知れない。その様な人を悪く言うつもりはないが、今回のケースでは、やはり自然の摂理である順番を大きく狂わせた事態にあり、若い正義感の強い人はそれなりの行動に走りがちだが、「おい、ちょっと待て!」という声がどこからか聞こえてきてもおかしくはない。亡くなられた方は素晴らしい行動をしたのだから賞賛されてしかるべきだが、あまり「よし、私もイザとなったら・・・」と考える人を増長するような報道も如何なものかと感じている。とは言え、この様な勇気ある方々がいなくなることは私も本意ではない。

最後になるが、私が最もここで言いたいことは、如何にすればこの様な犠牲者を出さずに済むか、その具体的情報を報道の中で何故語らないのか、その報道する側の在り方を追求したい。少なくとも、何処か1社ぐらいは気づいても良さそうなのに・・・。それは、この様な事態における対処の仕方のレクチャーである。もし私がこの場にいたら、タイミング次第では助けに入っていたかも知れない。しかし、その際には確実に最優先とする行動基準がある。それは、まずは自分の身の安全を確保することである。線路に人が倒れていた場合、如何にすれば自分の身を安全に保ちながら救助を行うことができるかを考えたはずである。生き残った男性は、線路と線路の間に体を移動され、電車の下の隙間に入って命が助かったという。亡くなった彼女は、多分、老人であることを考慮して、体に負担を与えないように上半身を両手で抱えるようにして救助に当たったのだと思う。しかし、それでは電車の進行方向に自らの体を置くことになるから、下手をすれば電車に引かれるリスクを犯すことになる。それにより老人に何らか障害(例えば骨折など)が生じるかも知れないが、最もリスクの少ない対処法は両足を持って線路横方向に引っ張ることではなかったのかと思う。引っ張りながら電車を目視することもしやすいから、自分の置かれた状況の危険度も把握できる。最後の最後には手を離して逃げることもできるし、仮に引かれても怪我の程度も小さくなることも期待できる。

話は逸れるが、私は緊急時の救急処置の講習会というのに過去2回ほど参加したことがある。例えば心肺停止状態の人がいた場合、AEDなどの緊急処置で命を救うことが可能である。その装置の使い方や、心臓マッサージ、人工呼吸などの方法をそこで学んだ。そこで指導されて驚いたのは、心臓マッサージの力のかけ方である。ろっ骨の真ん中のみぞおちの辺りを両手で押し込むのだが、相当、力をかけて押さなければならない。このため、体重をかけすぎてろっ骨など骨折してしまうリスクが高い。しかし、その講師の方は「どうぞ、思いっきりバキバキとろっ骨を折っちゃって下さい。骨折は後で幾らでも治療できます。しかし、心肺停止を放置したら、仮に死を回避できても酸欠による脳内の障害が残ったり、実際に死んでしまったりするのだから、骨折なんてそれに比べたら軽いものです。そこで遠慮は禁物です。バキバキ折る覚悟でやっちゃって下さい。」と笑いながら説明していた。多分、笑ってはいるが大真面目な話なのである。些細な障害などを恐れて遠慮して、そのせいで命を引き換えにしてはいけないのである。その教訓をせめてここでは啓蒙して欲しかった。この様な緊急避難的な状況で身を守る技術は、ある程度、この様なニュースに合わせて報道することで普及することはできるのだと思う。駅のホームから転落する人を助ける場合でも、ホーム下に避難できるスペースがあるか否かを確認してから飛び込めば、誤って自分の命を落とすリスクを減らすことができる。

人助けのために命を落とす方の美談を報じるのは良いが、命を落とさずに済ませるための技術の啓蒙活動はもっと有益な報道だと思われる。しかし、あまりその様な話は聞いたことがない。「考えた報道」というものをもう少し心がけてもらいたいと感じた次第である。

不快に感じた方がいたら申し訳ないとしか言いようがないが、同様に感じる方も多いのではないかと思っている。

←人気ブログランキング応援クリックよろしくお願いいます