けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

内心、心臓がバクバクな朴槿恵大統領

2013-12-30 23:57:11 | 政治
「またか?」と言われそうだが、靖国参拝のその後の動向からのコメントを。

相変わらず韓国では「安倍の失策」と大喜びだが、本当にそうだろうかと私は言いたい。実際のところ、胸がバクバクなのは朴槿恵大統領ではないだろうか?と言うのも、様々な時限爆弾がセットされ、それが少しずつカウントダウンされているからである。一つ目の時限爆弾は下記の記事にある銃弾提供問題の動向である。

産経新聞2013年12月30日「国防省幹部『緊急性高かった』韓国の虚偽明らかに
サーチナ2013年12月30日「韓国軍が自衛隊に弾薬要請 状況緊迫で政府に事前報告せず=韓国

日本国内では産経新聞などが報じたが、中国系のサーチナの方にもう少し詳細な記述があるのでこちらを引用してみよう。

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国際政策次長は国会で、韓国軍が自衛隊に実弾の支援要請をする前に国防相へ報告はあったのかという韓国野党・民主党のホン・イクピョ議員の質問に、報告は「なかった」と答えた。「長官に報告もなくUNMISSに要請したのか」と問われると、国際政策次長は改めて国防相や外務省に報告をしていなかったと発言。「ハンビッ部隊の状況が急速に悪化し、予備の弾薬を確保しなければならないと判断したのでUNMISS本部に報告した」と説明した。
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誰が聞いても、韓国政府側の声明に虚偽が含まれていることは出来らかで、日本政府の主張は全く持って正しかったことが証明された形である。記事の中ではこれに続けて「外務省長官は『現地の活動について理解が得られていない部分が多い』とし、海外派兵部隊は現地で広く協力しながら活動していると述べ、理解を求めた。」とある。「理解が得られていない部分」とは何を刺し、その理解しない当事者が誰かは明示されていないが、読みようによっては現地の韓国軍隊長のひっ迫した状況に対する適切な判断に対し、韓国政府やマスコミが理解を示さず、隊長の行動が不適切と判断される状況を暗に指摘して隊長を弁護しているようにも見える。韓国国外では報道されているが、韓国国内の新聞を少しばかり探したが、(日本語に翻訳された中には)記載がなかったり極めて小さなスペースに最小限の記事で事実関係を示しただけであり、靖国問題で日本を叩きたいところで日本に付け入る隙を与えるなと、政府に対して温情を示したような対応である。しかし、記事は中国からも流れ込み、結局は国民の知るところになるし、日本政府もこの事実を内々に諸外国に対して外交的に周知するだろうから、韓国政府が追い込まれるのは目に見えている。

なお、この事実も含めて一連の流れを産経新聞が丁寧に整理していし、銃弾提供の決断の背景についてはその次の記事に記載されているので参考までに。

産経新聞2013年12月28日「銃弾1万発80万円無償提供 感謝もできない韓国
産経新聞2013年12月27日「菅長官、韓国の銃弾返還方針に不快感『極めて難しい問題あったが、徹夜で応えた』

ポイントとしては、後者の記事にもあるが、ここでの銃弾の提供は単なる個人的な貸し借りの問題ではなく、武器輸出3原則に関わる政府の国際的な行動原理のこれまでの政府答弁を逸脱する行為であり、法的には明示的にNGとはされていないまでも、政府の方針を大きく転換する一大事という事実である。金額にして32万か80万かの問題ではない。これまでの国会での質疑などの経緯から閣議決定などの資料を精査し、どの様な論理武装でその判断を正当化し、さらには秘密とするのか公開とするのかの対応から、国際的な非難など想定される様々なシナリオを担当を分けてシミュレーションし、その中で大きな決断をしたのである。最初に現地で銃弾の要請があったのが夜の10時半頃だそうだから、緊急で関係者を招集し、徹夜での作業を余儀なくされたはずである。丁度そのタイミングは普天間飛行場の辺野古移設に関する沖縄との最終調整やアメリカとの交渉などもあっただろうから、察するに相当なテンテコ舞い状態であったのだろう。たかだか徹夜を菅官房長官が恩着せがましく言うとは思えないから、その状況が如何に切羽詰ったものであったかがうかがい知れる。徐々に韓国国内では韓国政府の嘘が暴かれて、「この政府、本当に信用できるのか?」という声が、国内外を問わず聞かれるようになるはずである。

そして、次なる爆弾は下記の徴用工問題の展開である。

産経新聞2013年12月30日「戦時徴用訴訟 和解を拒否 政府、韓国側に伝達

日本政府はこれまでの「裏交渉で、韓国側の甘い言葉に乗せられた」流れを断ち切り、正々堂々と正面からがぶり四つで受けて立つ戦術に切り替えた。少し話は逸れるが、下記の記事も合わせて読んで頂きたい。

中央日報2013年12月30日「<靖国参拝>日本、米国にNSC初代局長送り事態収拾へ

韓国の中央日報がご指摘の様に、これが上手く功を奏するかどうかは未知数だが、安倍政権は谷内正太郎初代国家安保局長(内定)をアメリカに送り、事の背景を少なくともオバマ政権には伝えようとしている。また別件だが、親韓派で家庭内野党と言われた世間的には右翼に対して対極にあるバランスある人物である安倍総理夫人が総理就任直後の1年前に靖国参拝を一人で行ったことも紹介したりした。中国、韓国以外の国の特派員を招待して状況を紹介したり、ロビー活動も本腰を入れているのは目に見える。

つまり、徴用工問題は日本政府と韓国政府のガチンコの勝負となる。安倍総理の唱える「法の下の支配」を前面に押し出し、国際法に照らし合わせた判断を求めているのである。この時、韓国側に勝ち目がないのは一目瞭然である。何故なら、過去の韓国政府は徴用工問題は日韓請求権協定で解決済みの立場を表明していたから、少なくとも国際法的に日本の主張が採用されるのは確実である。その時、韓国政府は3権分立の立場と国内世論に押される形で、海外からの非難に立ち向かわなければならない。そして、国際司法裁判所で敗訴すれば、国内法の上位に位置する条約や国際法(国際司法裁判所の判決)と国内問題の整合性に対処しなければならない。最も、その時期はまだだいぶ先だが、来年1月に大法院で新日鉄住金と三菱重工業に対する判決が出たとき、日本側はこれを拒否する訳だから、韓国政府は正攻法では日本企業の資産差し押さえに出なければならない。しかし、資産差し押さえに出れば国際司法裁判所での敗訴が問題になるし、政治判断で資産差し押さえに出ないと今度は韓国政府が不作為の罪を糾弾されかねない。どちらに進んでも「詰み」状態である。日本政府は合わせて竹島問題も提訴するだろうから、泣きっ面に蜂も良いところである。

この様な状態で韓国政府は日本政府に「クリンチ」で逃げたいところだが、今回の靖国問題で完全に「クリンチ」に逃げる道が封じられてしまった形である。さらに言えば、北朝鮮問題もどう転ぶか分からない。円安が急速に進み、韓国経済はIMF危機の再来のリスクもはらみ、日本との通貨スワップ問題で泣き付くことも視野に入れたいだろうが、既にその可能性は皆無に近く、中国に泣き付いて骨の髄までシャブラレかねない状況である。一方の中国では習近平国家主席への権力の集中など、権力闘争がかなりヤバい方向に向かいつつありそうで、「本当に中国にすがって良いのか?」という国内世論も巻き上がりそうである。

ただでさえ、様々な問題を抱えながら反日外交で逃げ切ってきた朴大統領だから、ここで日本に弱腰になれば一気に憤懣が噴出する。しかし、日本に泣き付かねば助かる道がないとなれば、歴代大統領の様に失脚後の自らの暗黒の未来を気にせざるを得ない。

内心、心臓がバクバクと言うのは私の勝手な主張でもなさそうである。

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中国、韓国、そしてアメリカの靖国参拝に対するスタンスの比較

2013-12-29 23:58:31 | 政治
安倍総理の靖国参拝問題の行方だが、少し面白い状況の様に見える。今日も続けてコメントしてみる。

まず中国であるが、厳しいことを言っておきながら、中国の日本大使館前での反日デモが計画していたところ、中国の警察により取り押さえられてデモ行進が出来なかったらしい。実際、大使館付近で横断幕を掲げようとした男1人が中国の当局関係者に取り押さえられたそうだが、それ以外はこの週末に目立った動きはないらしい。韓国が完全にあちらの世界に逝ってしまっている中で、中国も当然連携するかと思いきや、意外にも冷静な対応の様である。生誕120年で話題となった毛沢東であるが、その時代には貧富の差はなかったということで、習近平国家主席的には政権内にはびこる腐敗の撲滅で国民の不満が爆発する前のガス抜きをしようとしている中で、反日デモは諸刃の剣という認識の様である。PM2.5の問題や中国各地の公害被害もそうだが、それだけ中国国民内の不満のマグマが恐るべき破壊力を持っているという証左でもありそうだ。

一方の韓国はどうかと言えば、日本との対話の全面凍結を考えているらしい。駐日大使の一時帰国も考えているようだから相当なものである。

朝鮮日報2013年12月29日「靖国参拝:全対話凍結、国際協調で『日本孤立作戦』

それまでは、(以前の論調を変えて)反日外交オンリーだと朴槿恵大統領を批判していた新聞社などが、こぞって朴槿恵大統領を支持するように変わってきている。日本との対話の全面凍結も当然支持しているように見える。実際、アメリカからの「失望」の声明を受けて、韓国政府及びマスコミは大喜びである。というのも、アメリカのウォール・ストリート・ジャーナルでは、下記の記事の様に「悪いのは朴大統領だと思っていたら、本当は安倍総理だった」という様な論調なので、アメリカが賛同してくれたと思い喜んでいるようだ。

ウォール・ストリート・ジャーナル2013年12月27日「【オピニオン】安倍首相の靖国参拝、朴大統領の正当性を鮮明に

確かにこの記事は偏った記事であり、この記事を鵜呑みにすれば、今回の安倍総理の行動は相当な失点になったと見るべきかも知れない。しかし、この記事の執筆者であるカール・フリートホーフ氏は、韓国在住の政治学者で、現在のポジションは峨山政策研究院・世論調査研究センターのプログラムオフィサー兼マンスフィールド財団米韓ネクサス研究者ということらしい。過去にも、安倍総理による「対話のドアは開いている」という発言に対し、朴大統領に対して「対話ぐらい、してもいいだろう?」というスタンスを取っていたからまるっきり韓国側のバイアスがかかった存在ではないが、その発言も韓国国内のマスコミの動向をなぞった形なので、韓国の世論を反映した発言が多いということなのだろう。

ところで、ここまで韓国よりの発言がある中で、中国の方はアメリカの動向をどう見ているかというと、これもまた面白い。

レコードチャイナ2013年12月28日「安倍首相の靖国参拝は人気取りのため、米国は『失望した』と言うだけで日本を批判せず―中国メディア

記事の最後意の部分を引用すれば、「同時に、今の米国にとって日本は必要な存在だ。世界戦略が収縮しているなか、アジアの戦略的利益を守るためには、日本は米国の戦略的核心となっているからだ。そこで米国は安倍首相の靖国神社参拝に片目をつぶり、痛くもかゆくもない『失望した』というあいまいな表現を使用。中国や韓国のような厳しい批判をすることもないのだ。」ということで、これもまた冷静に観察しているというところか・・・。

ちなみに先ほどのウォール・ストリート・ジャーナルであるが、下記の様な記事も見られた。
ウォール・ストリート・ジャーナル2013年12月29日「安倍首相が米国に突き付けるジレンマ
ウォール・ストリート・ジャーナル2013年12月29日「【社説】安倍首相の靖国参拝は日本の戦略的負担に

時系列を逆に引用して申し訳ないが、まずは前者の記事においては総じて参拝に批判的ではあるが、アメリカがあれだけ「失望」という言葉を使った裏には、沖縄の地位協定に関する協議などの動きから、アメリカ政府が安倍総理の靖国参拝を事前に知っていて、それを容認していたと中国、韓国に取られたくないという思惑があったらしい。つまり完全に不意打ちであり、事前に思いとどまらせる様な動きをしていたのが振り切られたと分かって欲しいということである。つまり、アメリカ政府的には不満であることには違いないが、実際のところはポーズに過ぎないということなのだろう。また、後者の社説においても同様に批判が記載されているが、その主要なポイントとして「安倍首相の靖国参拝は、日本の軍国主義復活という幻影を自国の軍事力拡張の口実に使ってきた中国指導部への贈り物だ。」として、一方的に問題だらけの中国に反論の口実を与えたのが宜しくないということである。これはごもっともなことであるが、積極的平和主義自体も中国はケチョンケチョンなのだから、中国のご機嫌を損ねない様に中国の野望に立ち向かうことは出来ない。その意味では、ご指摘はもっともだが、関係が最悪の時に行った方がインパクトは小さいし、中国政府の反日デモ禁止の方針などを見れば、いつか行くなら最高のタイミングだったと解釈もできる。なお、韓国に対するコメントとしては、結局韓国は日本と仲良くせざるを得ないという認識であり、先のカール・フリートホーフ氏の様な短絡差とは異なる。その様な視点であれば、韓国政府の行き過ぎた対応は再度、「やっぱ、朴大統領の方が悪い・・・」という流れに繋がるかも知れない。

最後に、少々視点を変えてコメントしたい。

上述のウォール・ストリート・ジャーナルの一連の批判の根底に流れるのは、靖国神社というものが、ナチス・ドイツに繋がる右翼の聖地という思い込みがあるからである。私もかってはその様に感じていた時期があるからそれは仕方がない。これらの背景には、「化学兵器や性的奴隷など戦時の残虐行為の事実をごまかし続ける」ことに対する疑念である。確かに、ある時期からは侵略戦争の色を濃くしたのは事実だし、化学兵器の使用など残虐行為を行ってきたのも事実である。しかし、それを言うならアメリカも原爆で10万人以上の罪もない民間人を大虐殺した訳で、ナチス・ドイツと同一視するのであればその「基準」というものをアメリカのジャーナリズムに求めても良いだろう。つまり、日本を例にした各論ではなく、一般化した基準である。それを示したうえで、歴史上の史実を証拠に基づいて精査し、日本が避難されて然るべきかを議論すべきだし、靖国神社の参拝がそれほど悪いことか否かを判断してもらえば良い。日本の一部でも、安倍総理の靖国参拝を「ドイツ首相がヒトラーの墓を訪ねるようなもの」と例えていたりした。しかし、同じ第2次世界大戦の敗戦国であるからとひとくくりにするのは論理的でない。第2次世界大戦の戦争責任者が祭られているからNGではなく、そこにナチス・ドイツ的な何かを見るから参拝がNGなのである。私は知らないから誰か教えて欲しいのだが、第1次世界大戦でもドイツは敗戦国だった。その第1次世界大戦の戦争責任者であるが、ドイツ皇帝のヴィルヘルム2世は結局、オランダに亡命したために戦争責任で裁かれることはなかったし、その他の政治家、軍事指導者もそれほど重い訴追を受けることはなかったらしい。当然、その様な人が眠っている墓を政府の要人が訪れても非難など受けないし、それ以前の問題として、誰もそんなことを気にしていない。だから、第2次世界大戦における日本の戦争責任者はアドルフ・ヒトラーに対応するのか、それともドイツ皇帝ヴィルヘルム2世に相当するのか、その辺を議論してもらうべきだろう。そして、仮にA級戦犯が悪いというのであれば、「B、C級戦犯に関しては参拝の是非の対象にはならない」という明確な基準をアメリカ側で担保してもらえれば良い。それはそれで、1歩前進と言って良いものだから・・・。

今の現状は、何処までがNGなのかが年々、インフレーションしている状況である。少なくともこの状況を放置するのは国益に反する。何処かでそれを止めるためには、何処かで一石を投じる人が必要である。今回の安倍総理はその役を買って出たのだと理解している。

なお蛇足だが、先のウォール・ストリート・ジャーナルの社説では、「中国では26日、共産主義国家建設を指導した毛沢東氏の生誕120周年が祝われたが、毛氏が追求した政策では何千万人という人々が死亡した」と、しっかりと毛沢東が行った非人道的な行為も記載している。どちらの方が悪いのか、一度、じっくり聞いてみたい。

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アメリカの中に深く根付く親中派の存在を忘れてはいけない

2013-12-27 23:58:15 | 政治
安倍総理の靖国参拝について、追加でコメントを加えてみたい。昨日のブログでも問題はアメリカ次第と書いてきたが、その後、少々雲行きが変わってきた。結論としては日本政府は特に騒ぎ立てることをせずに、状況を冷静に見守るのが妥当ということには変わりないのだが、少し思うところがあるので書いてみたい。

まず、昨日の時点では「失望」という強い表現を使ったのが駐日アメリカ大使館の声明だったのが、その後、国務省の声明に格上げして再度発表されたという。さらに、小野寺防衛相とヘーゲル国防長官との電話会談が中止になったという。こちらの事情はまだ時事通信にしか紹介されていないから良く分からないが、沖縄県の米軍基地負担軽減への協力を要請するための電話会談であり、スケジュールを調整中でほぼ27日午前中に決まっていたところの中止だというから、それがスケジュールが完全に確定した後の中止か調整がつかずに延期になったのかは不明である。ただ、少なからずメッセージ性を持っているのは良く分かる。

この辺の事情を見ると、一部のマスコミは大喜びで「安倍総理の失態」と書きたいところであるが、世界のルールを無視した公海上の航行の自由を無視した防衛識別圏を中国が勝手に設定した際に、一旦は強く非難をしておきながらバイデン副大統領は中国とも上手くやっていこうという態度を示していたので、実際のところはこれで何かが変わるということではない。沖縄県の仲井真知事が辺野古埋め立て承認を行ったことで止まった時計の針は動き出したが、ここでアメリカが頑なな態度を取ると時計の針がまた止まることになる。オバマ大統領は極めて実務的で国益を重視するから、言うべきことを言ったら後は実務的に仕事を進めるのがこれまでのやり方である。相手が中国であろうが韓国であろうが、そして日本であろうが同様である。この問題が鎮静化する正月が明けるまでの足踏みぐらいが丁度良いのであろう。

ただ、だからと言って日本の立場として結果オーライという訳には行かない。何故このようになってしまったかは冷静に分析する必要がある。そして、その答えが私の好きな「ぼやきくっくり」さんの青山繁晴さんのTV番組の文字起こしの中に書かれている。

ぼやきくっくり 2013年10月10日「10/9放送 関西テレビ『アンカー』青山繁晴の“ニュースDEズバリ”

ご存知、青山繁晴さんがアメリカを訪ねて米軍関係者と様々な意見交換をされた中で、多くのアメリカ人(特に軍関係者及び政府関係者)の考え方を細かく紹介している。それは、単に民主主義の国であるが故に多様な考え方の人がいるというのとは全く異次元な話であり、まだ中国が経済大国となり牙を剥くはるか前の時代から、アメリカの中枢やマスコミなどの中に深く入り込み、常識的には同じ価値観を有しているはずの日本に対してよりも遥かに中国の言い分に同調し、パンダに抱き着く「Panda-Huggers」という呼び名で自らの立場を明らかにすることを臆しない人々が多数いるのである。これらの人々の考え方はオバマ大統領やバイデン副大統領、さらにはケリー国務長官にヘーゲル国防長官にまで影響力を及ぼしているということである。最近の靖国報道の中でも取り上げられているが、青山繁晴さんはこの放送があった10月上旬の時点でケリー国務長官とヘーゲル国防長官の千鳥ヶ淵戦没者墓苑への献花が「靖国には行くな!」という明確なメッセージだと指摘していた。それは、青山繁晴さんの推測ではなくハワイのアメリカ太平洋軍司令部の幹部クラスが何人も明言していたというから相当なものである。そして、この番組の最後のまとめとして、これらの親中派の人脈の背景には中国(韓国も同様である)の工作活動があり、「国防総省もNSCも国務省も」その影響を強く受けているということであった。これに対しては、「違うなら違うとの対外発信を考えなければならない」というのは当然であるが、それがうまく機能できないのにはひとつに学校の教師たちが(中国、韓国に何か言われたら、被害者の言い分を丸呑みしなければならないという)中国寄りの価値観教育を受けてきているのが関係しているということだった。情報発信という意味では竹島や尖閣のビデオを多国語で情報発信したりするのはその第1歩であるし、より徹底したロビー活動を体制を組んで根気強く行うことも重要であるが、それだけでは十分ではないということである。事実に基づく歴史の振り返りというのも重要なのだろう。その様な作業を、アメリカの有識者も巻き込んで、共同で進めていく活動が必要なのかも知れない。

これだけアメリカの中枢に親中派が食い込んでいると、舵を大きく切ろうとすると大鑑は沈没してしまう。緩やかに緩やかに、舵を切らなければならない。その緩やかな舵という意味では、(総理在任中に1度は参拝するという前提に立てば)後付にはなるが今回の参拝のタイミングは悪い時期ではない。何故なら、日本が舵を切っても艦の方向が何も変わらない状態であったのだから・・・。

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結局、参拝しても何か変わる訳ではない安倍総理の靖国参拝

2013-12-26 23:58:55 | 政治
安倍総理がついに靖国参拝を果たした。気の利いたコメントはないのだが、折角なのでつまらないことだが書いておく。

過去にも何度か靖国参拝ネタでブログを書いたが、安倍総理の政治信条と公約からすれば少なくとも在任中に参拝が1度もないというのは有り得ない。ただ、その参拝が政治問題化する影響・インパクトが最小となる時に行われるのが国益的には好ましいので、その意味では日中、日韓関係が最悪のタイミングの時がベストのタイミングだろう。だから、防空識別圏問題で中国が拳を世界に鼓舞した状態から一息つき、一方の韓国との間でも銃弾提供問題で揉めに揉めている今こそがチャンスである。ただ、我々がその様に総理の深層心理を読もうとするのとは逆に、実際のところは安倍総理は中韓との関係の如何にかかわらず、1か月以上前からこの日に参拝しようと決めていたのではないかと思うようになった。あまり根拠はないのだが・・・。

中国、韓国の反応は相変わらずだが、既に最近のかの国の反応は何をしても瞬間湯沸かし器的な反応をしているので、非難の文言自体は過激になっていても、思いの外、「(自国政府の声明は)単なるポーズでしたね!」という空気が中国、韓国の国内には流れている様に見える。面白いのは中国版ツイッター「微博」では冷静な反応や中国共産党批判のつぶやきもみられており、政府側が削除に苦慮しているらしい。丁度、毛沢東の生誕120年の祝いの日でもあり、「こんな日にぶつけるなんて!」と非難の声も聞かれるが、「日本の侵略で死んだ中国人よりも、中国政府が殺した中国人の方が少ないとでも言うのか?」と共産党批判の声も聞かれ、中国政府の世論誘導と反日キャンペーンが徐々に機能しにくくなっている状況も読み取れる。韓国にしても、命を守るのに必要な銃弾を提供しても噛みつかれるのだから、多くの日本国民も、「(少なくとも韓国に関しては)ここまで来たら何をしても同じ」と思っているのではないだろうか。今日も朝鮮日報には面白い記事が書かれていて、日本が提供した銃弾の価格が32万円であることを理由に、「【社説】日本にとって32万円の弾薬提供はそんなに騒ぐことか」という社説を書いていたが、例えば山の中でマムシに噛まれたときに、たまたま通りがかった人が血清を持っていたとすれば、「その血清を然るべき場所で買えば通常幾らで買えるか」という話は、マムシに噛まれた人にとっては「全く無意味な問題」であり、その人にとっての価値はまさに「命の値段」そのものである。それが手に入らなければ死んでしまうのだから・・・。にも拘らず、「たかだか32万円で、でかい顔するな!」と言われるような国であれば、遠慮してもしなくても、結果は同じである。日本国内でも靖国参拝は記事にはなっていたが、(マスコミだけではなく)経済界など外野が結託して日本政府を非難する様な動きは以前よりは少ないように見える。

この様に考えれば中国、韓国などはどうでも良い話で、最後に気になるのはアメリカの反応という事になる。駐日アメリカ大使館からは「失望」という言葉を使って過去に例を見ない厳しい声明が出されたようだが、これもアメリカの「ポーズ」なのだろう。アメリカからすれば、中国も韓国も既に「コントロールできない国」となっていて、事態の改善のためには日本など他の国が腫れ物に触るように丁重になだめて対応するしかない。であれば、腫れ物に触るのではなく、腫れ物を潰しにかかったような今回の日本の態度に対して幾ばくかのメッセージを送らねばならないから、この様な声明が出されたのだろう。しかし、私から見ればこれも「中国韓国へのポーズ」でありメッセージそのものだと感じられる。それは「(中国、韓国よ)お前たちのことを、見限ってはいないよ!」という精一杯の声だから、日本も国益に反しない範囲でそれを容認してスルーするのが良いのだろう。ただ、これは当てずっぽうでもあるのだが、最近のTPP交渉での日本のタフ・ネゴしエータ振りに頭を抱えたアメリカ政府筋の人間が、今回の件を利用して「日米間は決して蜜月ではないよ!」というメッセージを込めて、「次回はもう少しTPPで譲歩しろ!」と訴えているようにも見えた。

いずれにしても、日本政府としては米中韓のいずれの国に対しても、特に騒ぎ立てることをせずに、状況を冷静に見守るのが妥当ということなのだろう。

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韓国での南スーダンの銃弾提供記事を追っかけてみた

2013-12-25 23:01:37 | 政治
今更であるが、痛快この上ないニュースである。南スーダンでの自衛隊から韓国軍への銃弾提供のニュースである。

ご存知の通り、南スーダンに派遣された韓国のPKO部隊が、治安の悪化に伴い弾薬の補充の必要性に迫られ国連に弾薬の補充を依頼したところ、韓国軍と同一の自動小銃を利用する自衛隊から1万発の銃弾提供がなされることになった。この経緯は読売新聞や産経新聞に下記の様に書かれている。

読売新聞2013年12月25日「敵だらけ韓国隊『ありがとう』…陸自小銃弾提供
産経新聞2013年12月25日「韓国軍『1人当たり銃弾15発』と要請、提供後は『日韓の絆の象徴』と謝意

南スーダンで活動する陸上自衛隊を指揮する井川賢一1佐などによると、日本時間の22日未明、韓国隊の隊長から直接電話を受けたという。その内容的には「周りは敵(の反政府勢力)だらけで弾薬が不足している」「ボルの活動拠点内には15,000人の避難民がいる。敵については北から増援も確認。1万発の小銃弾を貸してほしい」との内容である。さらには要請に応じた銃弾を受け取った後、「たった今空港で弾薬を受領した。この弾薬は日本隊と韓国隊の強い絆の象徴で、ジュバを訪れることができれば改めて感謝をお伝えしたい」と謝意を伝えてきたという。韓国と同一の自動小銃を利用している国は日本とアメリカとのことで、この要請は国連経由でも照会がかかったようだが、韓国隊の隊長からの直接の要請及び国連を経由した要請以外にも、その緊急性故に在日韓国大使館からも日本政府に要請があったという。産経新聞の報道によれば、その際韓国側では要請の内容を公表しないで欲しいと希望したそうだ。韓国側の非公表要請の表向きの理由は、現地にて銃弾不足であることが漏れると治安上の問題となり得ることがあるからだが、その後の韓国政府の慌てぶりからすると「国民には知られたくない」という魂胆は明白である。

しかしこの後が面白い。朝鮮日報の報道を順番に見てみよう。

朝鮮日報2013年12月25日9:31a.m.「PKO:実弾提供、韓日の主張に食い違い

ここにはかなり詳細に韓国側と日本側の主張が併記されている。韓国政府の立場はあくまでも「国連南スーダン派遣団(UNMISS)に弾薬支援を要請し、UNMISSを通じて支援を受けた(だから、日本には支援要請などしていない)」というスタンスで、「予備量を確保するため臨時で借りたもで、銃弾は不足していない。」と開き直る。また、日本政府が情報を公開した背景には当然のことながら武器輸出三原則や集団的自衛権との係わりを持つ政治判断であることから、(特定秘密にも該当しないので)広く公開してその判断の妥当性を国民が出来るように情報公開に至ったのであるが、その公開した情報と韓国政府の主張が食い違ったために、韓国政府とのやり取りの詳細まで公開することになった。これに韓国政府が噛みついた格好である。さらに小野寺五典防衛相の説明として、最初の要請は国連経由ではなく現地の韓国軍部隊の責任者からなされたことを明らかにし、さらに別の日本政府当局者は「現地部隊が直接(銃弾を)提供する法的な根拠がないため、外交当局間の合意で、国連を間に立てて引き渡す形式を取った」と生々しい事実を明らかにした。その論理的整合性を考えれば、韓国政府が嘘の答弁を行っていることは明白である。しかし、その嘘を塗り隠すために「銃弾提供問題を日本政府が政治問題にすり替えた!」と批判している。韓国政府当局者は「弾薬を持ち韓国を出発した支援チームが現地入りすれば、自衛隊から借りた小銃弾をそっくり返す」と述べたそうだが、そっくり返せばこの話はなかったことになると思っている辺りが何とも子供じみていて楽しい。

タイムスタンプを見れば、この記事の2分後にアップされた記事が以下のものである。

朝鮮日報2013年12月25日9:33a.m.「PKO:韓国軍への実弾提供、韓日の外交問題にすり替え

韓国政府の主張する政治利用の詳細は、(1)国際協調主義を基盤とする「積極的平和主義」の正当性をアピール、(2)国家安全保障会議(NSC)の存在意義を示す機会、(3)「集団的自衛権」の行使に向けた実績の積み重ね、ということである。しかし、どれを取っても韓国が直接的な被害を受けるものはなく、感情的に不愉快ではあるが、中国の様に思いっきり実害がある立場ではない。にもかかわらず、「UNMISSを通じ、迂回的に実弾の支援を受けただけにもかかわらず、日本側が軍事的な役割の拡大に結び付けている。外交ルートを通じ、強い遺憾の意を伝えた」として日本に対し「警告」のメッセージを発したと主張している。

さらに30分後、以下の記事が掲載されている。

朝鮮日報2013年12月25日10:02a.m.「PKO:武器提供に敏感な日本、韓国政府の予想上回る

韓国的には単に銃弾の貸し借りのつもりだったが、日本政府が過剰に敏感な反応をし、NSCを2回も開いた上に官房長官談話まで発表したことに驚きを感じているとのことだ。これは日本政府の反応だけではなく、本来は韓国・中国に従順な日本の反日メディアすら「武器輸出三原則」や「集団的自衛権」にかこつけて炎上し始めたため、韓国政府があおりを食らったという解説である。この辺の意識に韓国政府は無防備であり、そこは韓国政府の問題だとしている。ただ、直接的に韓国政府(というか大統領府)を批判するのではなく、「(所謂国防省に相当する)国防部がほぼ全面的に決定したこと。日本に対する政務感覚のない人ばかりが集まって決定したため、全般的な状況を見極められなかったようだ」として、国防部がA級戦犯として人身御供を立てている感がある。しかし、この要請の決定会議には大統領府の行政官も出席しており、決して責任を逃れられる状況ではない。にも拘らずの弁解だからこれまた子供の駄々に近い。

新聞社としては別に困った話ではないが、しかし癪に障るということで、この2分後の記事が以下のものである。

朝鮮日報2013年12月25日10:04a.m.「PKO:韓国軍への実弾提供、日本で野党の批判高まる

日本の野党も銃弾の提供が誤りだと騒いでいるとして、何か良く分からない援護射撃を出している感があるが、別に日本の野党が何を言ったからと言って、韓国国内での議論に影響を与えるものではない。

これらの一連の記事とは別に、これらの記事の合間に朝鮮日報の社説が掲載された。

朝鮮日報2013年12月25日9:58a.m.「【社説】日本に集団的自衛権の口実与えた韓国軍の無能さ

「まあ、何を言っても韓国軍の無能さを否定はできないだろ」という社説なのである。ただ、「日本は首相が直接会議を主宰したが、韓国は現地にいる責任者の提案に基づき国防部が単独でこの重大な決定を下した。」としているが、本音としては「韓国政府は誰も検討さえせず、頭を悩ますこともなかったのだ。これでは何のために毎週のように外交安全保障の関係閣僚会議を開催し、また何のために大統領府に韓国版国家安全保障会議(NSC)事務局を新たに設けたのか、理解ができない。」として、結局は政府(大統領府)が無能であることも指摘している。

ただ、この記事には深く読むともう少し別の情報が記載されている。「韓国は今年3月、南スーダンに210人の工兵部隊とその警護に当たる70人の兵士を派遣。自衛隊も主に工兵を中心とする320人規模の平和維持部隊を派遣している。」との記述があり、ここで「工兵部隊」という記述がみられる。この「工兵部隊」とは戦闘を専門とする要因ではなく、様々な作業を行うための要因であり、Wikipediaで「工兵」を調べると「戦闘においては実際に戦う歩兵・戦車・砲兵部隊だけでなく、土木建築などの技術に特化した部隊が求められる。敵の防禦陣地や自然障礙の破壊、野戦築城や道路の建設、爆破工作、塹壕掘り、地雷原敷設などの能力を持つ。」などの説明がある。また派兵時期が3月であったが、この時期にはまだ治安情勢はそれほど悪くない。この夏に南スーダンの大統領と副大統領が対立して一気に情勢が悪化したことからすれば、その後の武器の補充を考慮に入れれば装備の軽さが責められて然るべきか否かは微妙であろう。まかりなりにも、正式な政府が存在する国に平和維持活動として参加するため、過剰な装備をその国の政府が嫌うのは目に見えており、必要最小限との判断だったのかも知れない。しかし、事態が急変したのであれば、自らの生命の安全と15000人の避難民の防衛を目的として、早め早めに手を打つのは賢明な状況判断である。日本に借りを作るのが嫌だから、命の危険を承知で丸腰で頑張れ!と命令できる責任者がいるのなら、韓国政府及び韓国マスコミには是非ともその様な人を紹介してもらいたいものだ。だから、この様な国防部の判断を「政務感覚がない」と批判するのは簡単だが、その様な批判の「政務感覚しかなく、安全保障的な感覚がない」ことに対する評価はどうなのだろうか?命がけの軍人のことを将棋の駒の様にしか考えられない暢気なことを言う人の主張を、韓国国民はどの様に評価しているのだろう。

なお、これらの記事は今日の出来事であるが、昨日の時点で韓国政府は下記の様に反論をしている。

朝鮮日報2013年12月24日「日本からの銃弾支援に懸念の声 韓国政府は反論

既に紹介済みの韓国政府の弁解だが、この様な事を繰り返すから、菅官房長官は「国連、韓国から要請があった。それが全ての事実だ。」と簡単明快に事実を明らかにし、さらに追い打ちをかけるように、安倍総理も重ねて「人道上、危機管理上、判断した。現場(で韓国側)からは感謝の念をもらっている」と、上述の韓国隊の隊長からの謝意を引き合いに出した。

本当に責められるべきは、武器携行の不十分さというミスをそれだけのミスで済ませるのではなく、誰が見ても聞き苦しい言い訳を繰り返し、細かな証拠を日本政府に突き付けられる形で自らを窮地に陥れた韓国政府の判断ミスが責められるべきであろう。常識的いは、「自衛隊からの銃弾の提供に深く感謝する。ただし、だからと言って日本の『積極的平和主義』、『集団的自衛権』、『武器輸出三原則の見直し』を容認する訳ではない!」と言えば良いだけの話である。

まだ海外の報道ではあまり話題になっていない様だが、少なくとも世界の政府レベルではこの韓国の醜態は周知の事実となった。嘘で塗り固めた子供じみた我儘外交はまだまだ続きそうである。

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「儲かりまっか?」「ぼちぼちでんなぁ~」という会話で満足する街角インタビュー

2013-12-23 23:58:40 | 政治
今日も時間がないので呑気なコメントを手短に・・・。

昨日のブログで安倍総理がテレビに出演したことに触れさせて頂いた。各テレビ局は安倍総理に対する攻撃として、一般庶民に対する街角インタビューで「景気は良くなりましたか?」と質問し、「いや、全然我々のところまで届いていません」という回答を引き出して、満足したかのように「いつになれば景気は良くなるのか?」と暗にアベノミクスが失敗でもしているかのようなイメージを演出していた。確かに、あれだけの長い長いデフレがそう簡単に良くなる訳はないし、仮に良くなっていたとしても賃金がアップするのは春闘以降になるから、サラリーマンが実感できるのは早くて来年の6月以降になるだろう。しかも、4月から消費税増税が始まるから、3%以上の目に見える給料のアップがなければ実感などできる訳もなく、駆け込み需要のリバウンドが一服する秋以降が現実的な路線だろう。

しかし、私が今述べているのはあくまでも街角インタビューで「景気、良くなりましたね!」と明るい声を拾えるようになる頃の話であり、実際にはそれよりも大分前から好景気の実感を薄々感じているのが事実である。実際、好景気、不景気の判断は大分時間がたってから過去を振り返って「あの時が好景気の始まり」「あの時が不景気の始まり」と判断するのだから、論理的にもタイムラグはあって当然なのである。つまり、街角インタビューや新聞の世論調査などを行っても、中々、現状を正確に捉えるのは難しい。経済評論家に景気判断を問えば、難しい経済指標を組み合わせて色々説明をしてくれると思うが、我々が本当に知りたいのはその様なマクロな景気の動向ではなく、庶民レベルに好景気の波が本当に届いているのか否かの判断である。勿論、自分のことは自分で良く分かっているが、世間一般がどうなのかという比較は誰でも興味があるのだと思う。

しかし、ではその様な情報を引き出すことが出来ないかと言えばそんなことはない。世論調査や街角インタビューの質問の仕方を変えれば良いのである。具体的には、「景気が良くなったという実感はありますか?」という質問形式ではなく、例えば「昨年、一昨年と比べて景気が悪くなっているという実感はありますか?」の様なネガティブな形式で質問すれば良いのである。
笑い話ではあるが、(私は関西人ではありませんが)関西の人の挨拶で「儲かりまっか?」は英語で言えば「How are you?」であり、「ぼちぼちでんなぁ~」は「I’m fine, thank you.」と聞いた。多分、漫才ネタの様ないい加減な話である。続けさせて頂けば、「あきまへんなぁ~」が「So-so.」で、「I feel bad.」のニュアンスを出そうとすると「首くくらなあきまへんわぁ~」ぐらいになるのだろう。つまり、悪い方にオフセットを付けた返答が普通であるという。これは街角インタビューでも同様で、周りから「あの人、よっぽど景気がいいんだ…」とは思われたくないから、世の中の平均並みであれば遠慮がちの表現にならざるを得ない。しかし、質問が「景気、悪いんですよね?」と聞かれれば、「いや、そんなことはないよ!昨年よりはましかな?」とか、「実感と言える程ではないけど、徐々に良くなっている雰囲気は感じますよね」と言った回答が返ってくる。しかし、仮に菅内閣、野田内閣の頃に同様の質問をしていれば、「どんどん景気が悪くなってるよね!」とか、「もう、どん底ですね!」と返ってきたはずだ。どちらの質問に対する答えの方が真の意味での世相を反映しているかと言えば間違いなく後者である。だから、もし報道各社が真の意味での景気の動向を知ろうと思えば、質問の仕方を工夫すればより精度の高い情報を得ることが出来るのである。

しかしながら、マスコミというのは本能的に現政権を褒めるのが嫌いなのである。景気が滅茶苦茶良くなれば、「バブルの恐怖、再来」とか言うだろうし、回復の歩みが遅ければ「アベノミクスの幻想に惑わされるな!」と書きたいのである。

しかし、国民は本当にそんなネガティブなことを聞きたいのかと言えば、「景気は気から」の言葉通り、「本当は良いのであれば良いと言ってくれ!」と思っているのではないだろうか?そちらの方が、景気を好循環させるのには有益な報道姿勢である。

別にマスコミの曲がった根性を叩き直そうとは思わないが、中にはもう少し良心的なジャーナリストもいるはずだから、試しにこの様な世論調査をやってみれば良いと思う。頭を使えば、より精度の高い情報は得られるはずである。

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安倍総理のテレビ出演に思う

2013-12-22 23:56:34 | 政治
中々、年末の忙しさでブログを書く暇がない。今日は一昨日の金曜日に、安倍総理がテレビに頻繁に出演していた件についてコメントしたい。

私が見ていたのは昼のTBSの「ひるおび」と、夜のテレ朝の「報道ステーション」であるが、どうやらその後にもテレビ東京の「ワールドビジネスサテライト」にも出ていたらしい。番組ごとに少し特徴があり、「ワールドビジネスサテライト」では府の経済財政諮問会議メンバも出演していたりして、安倍総理に対しては寛容なスタンスだったようだ。「ひるおび」に関しては、レギュラー陣以外には数名の政治評論家と宮崎哲弥氏が出演していたが、宮崎氏は特定秘密保護法案の制定の趣旨には賛同しているようで、特に首相の批判は激しくなることはなかった。「報道ステーション」にしても、散々、当事者のいないところで反政府キャンペーンを繰り返していながら、結局のところ、特定秘密保護法案の致命的な欠点を首相に認めさせることも出来ず、首相が返答に窮する様なストレートの質問をすることもなかった。淡々と見ていると、「この人達、意見の相違はそれ程ないのではないか?」と思ってしまいそうな程、荒れることもなくお約束の質疑で終わってしまっていた。

さて、この状況をどの様に見れば良いのだろうか?

例えば分かり易いところで特定秘密保護法案を例に取るならば、その法律のメリット、デメリットを総合的に判断することで、本来は法案が可決されたことの是非を問わねばならない。私が見た「ひるおび」と「報道ステーション」にて安倍総理が繰り返し説明していたのは、「少なくとも現状には問題があり、何らかの法案により適切なルールの下で『秘密』が管理されなければならない」というポイントである。これは最初に議論されるべきポイントであり、「現状のあり様が、極めて健全な状況」であるならば、それは新たな法案を潰すことこそが国益に叶う訳である。しかし、「現状のあり様が、極めて不健全な状態」であるならば、少なくとも新たな法案の制定を前提に議論し、その向かうべき方向を議論して然るべきである。安倍総理の気にしている「国民への分かり易い説明」はまさにこの点に力点が置かれており、報道による反政府キャンペーンが「盲目的な反対」を国民に強要しているが為に国民が直ぐに理解できるかどうかは分からないが、全ての出発点はここにあるはずである。しかし、少なくとも「報道ステーション」ではこの点をスルーしている。安倍総理によるこの法案の真の狙いは、東アジアを中心とする国際情勢が急激に変化する中で、日本だけでは国家を自衛できる時代は既に終わっており、だからこそ国民の生命財産を守るためには、アメリカや欧州などの価値観を共有する諸国との間で情報を共有し、精度の高い情報でより適切な状況判断が行われることが必要であり、その情報共有のために必要な世界標準だとしている。冷静に聞けは、その趣旨には反論の余地など残されておらず、法案の制定を前提とした上で「より良い法案とするための議論」がなされて然るべきである。であるのに、報道ステーションのスタッフは枝葉の危機感を煽るようなポイントだけをクローズアップしていた。しかし、その殆どを安倍総理はいとも容易く反論し、時として分かり易い説明を加えていた。例えば、古館アナが「安倍総理が秘密のチェックをする限りは信頼できても、その後の総理が変わり、政権が代われば恣意的に秘密を指定されるかも知れない。」と指摘すると、安倍総理は「信頼できない総理がいても、その後に代わった総理が前の総理の指定した秘密をチェックする。だからこそ、その指定の妥当性がチェックできるのだ。」と解説していた。完璧にカウンターパンチを食らった格好だが、古館アナは意に反さず、自らの主張こそが正しく安倍総理が間違っているという雰囲気を漂わせながらインタビューを続ける。これまで批判的なテレ朝の解説員もろくそっぽ総理の困るような質問も出来ず、古館アナが精いっぱいの抵抗を試みるところを傍観していた感じだ。安倍総理が断言した「適法のアプローチでの取材で逮捕されることは有り得ない」という発言に対してすらツッコミを入れていなかった。過去のブログを読めば分かるように、私は特定秘密保護法案の必要性には絶対的に賛成するが、どうも法案の具体的な法文は完成度が低く、恣意的な運用の可能性は残されていると感じている。ただ、その詰めの足りない部分を補う方法として、法の施行までの1年間をかけて関連法案の整備や、その法文の解釈の仕方を明確に閣議決定(質問主意書に対する解答も含む)で示すなど、単なる国会答弁よりも一歩踏み込んだ対応で対処できるものと、それでも不十分である物を精査し、不十分な点については今後数年間かけて法案の修正を行っていけば良いと思っている。この様な個別具体的な対応こそ、法案の完成度を高めるために有益であり、その様な精査に報道機関も積極的に参加すれば良いのである。しかし、報道ステーションを見る限りでは「言いっぱなし」の感が拭えず、決して前向きな議論とは思えなかった。

この様な報道機関の幹部クラスの連中は、多分、日米安保(60年、70年)闘争で反対派に属していた人達(ないしは、その流れをくむ人々)が主流であり、その先代には北朝鮮への帰還事業を「東洋の楽園」と持て囃していた人達がいる。日米安保などにしてみれば、その当時に反対派だった人の気持ちは良く分かるのだが、今現在の国際状況からすれば、既に歴史家の判断として「反対運動は間違っていた」という明確な回答が出ているはずである。であれば、盲目的な反政府キャンペーンが如何に危険であり、物事は是々非々で良い部分と悪い部分を対等に評価して論理的な議論の末に決断を下さなければならないか、その必要性を痛感していなければならないはずである。しかし、現在のキャンペーンはその様な視点が一切なく、安倍総理へのインタビューを見れば一層、そのマスコミの対応の不備が明確になる感じである。

少なくとも、ジャーナリズムは健全な民主主義にとって必要不可欠であり。そのジャーナリズムが機能していない現状は嘆かわしい限りである。何を言っても反省の色を見せない報道機関は相変わらずだが、もう少し国民がこの様な報道機関に厳しく接する必要はあるのだと思う。

無駄だと分かりつつも、この様なブログを書き続ける所以である。

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猪瀬都知事はバッシングに見合うだけの「巨悪」なのか?

2013-12-20 01:23:49 | 政治
猪瀬東京都知事が辞職表明した。個人的には東京オリンピック招致の最大の功労者でもあり少々残念だが、現在の憔悴しきった彼の顔色を見れば、この辺が潮時というのが正直なところか。手短ではあるが、この辺のことにコメントを加えてみたい。

まず、今回のケースを見ていて思ったことは、先日のブログ「みずほ銀行と阪急阪神ホテルズとオバマ大統領の共通点」でも書いたことにも関連するが、マスコミの猪瀬バッシングは阪急阪神ホテルズの食品偽装の会見をした(元)社長に通じるものがあると感じている。このブログでは、みずほ銀行の反社会的勢力への融資の問題にしてもは阪急阪神ホテルズの食品偽装にしても、さらにはアメリカによる盗聴問題にしても全てが同様であり、そこら中で誰もが行っていることでありながら、正論で言えば確かに非難されて然るべき問題である。あのブログの時には発覚していなかったが、みずほ銀行、三菱東京UFJ銀行、三井住友銀行のメガバンクの3行では全て社会的勢力への融資の問題が発覚した。しかし、私の記憶では三菱東京UFJ銀行、三井住友銀行の問題発覚のニュースは扱われ方が極めて小さかった。正直、リアルタイムでは気が付かなかったほどである。結局、最初に白羽の矢が立った者だけが馬鹿を見て、後続した連中はラッキーこの上ない展開であったということだ。特に顕著なのは阪急阪神ホテルズであり、自らが罪を認めて公表したにも関わらず、その部分の情状酌量など全くなく、その他の同罪ないしは寧ろ悪質な同業者と比べて明らかに「割の合わない」仕打ちを受けることになった。冷静に見れば、「何か問題が発覚しても、ギリギリのところまで隠し通し、同様の問題が他社で発覚したらドサクサに紛れて公表するのが良し」という教訓を再確認する事態となった。マスコミというものは、本来は問題の真相究明と再発防止のために、「我こそは正義」と問題を起こした者を糾弾するのが使命であるが、実際の彼らの行動は「再発防止」ではなく、問題の隠蔽を助長する行動に徹した訳である。これが正義とは私には思えない。

今回の猪瀬都知事の問題にしても同様で、彼が行ったことが不適切であるとして、その不適切さ、ないしは悪質さの程度に応じて社会的制裁を受けて然るべきだと私は思う。しかし、世の中の熟練の政治家の多くは、派閥の領袖や自分の親分・兄貴分などの政治家から「法の抜け道」を事細かに伝授され、悪質さでは仮にずば抜けて悪質であったとしても、如何にすれば自らの身に司法の手が及ばないかのノウハウを熟知している。一方で志の高い猪瀬都知事の様な人は、自らも認めているように政策通ではあるが政治家としてはアマチュアなところがあり、誠に無防備に脇が甘かった。例えば、外国人からの政治献金は法律で規制されているが、実際に日本国籍を有しない外国人から献金された政治家は、その犯罪行為で議員辞職などしていない。これは、厳密には明らかに問題だが、程度の問題としてはこの程度の脇の甘さ(外国人献金であれば、国籍をちゃんと確認した上で献金を受け取るというルールの徹底を怠ったこと)は「議員辞職」には見合わない軽微な罪であり、だから結局、検察も過剰な対応としての起訴に踏み込まずに不起訴とする対応になったりする。今回のケースは、(多分実際のところは)政治家としての脇の甘さで過剰に選挙資金の融資を受け取り、結果として使わずに済んだので、お金には色がついていないから「もしもの時の資金」として確保していたお金を政治資金収支報告書に記載しないでおいたパターンだろう。勿論、後日、その融資ないしは裏献金の見返りに明らかな贈収賄事件に発展する便宜供与を図ったならば、その時点で犯罪が成立するので逮捕されても仕方がないが、その犯罪構成要件を満たす前の段階であれば、「清廉潔白とは言えないが、まだ犯罪に手を染めていない段階で強烈な社会的制裁を加えるのは不適切」というのが一般的なところだろう。変な例えだが、友人から覚せい剤の話を聞いて、「面白そうだな。俺も今度やってみようかな?」と答えたところ、その翌日にその友人が逮捕され、上記の会話を警察で自供したとする。警察は任意での事情聴取や覚せい剤反応の検査を行うかも知れないが、覚せい剤に手を出した実績もお金を払ったこともなければ、結局は犯罪を構成する条件を満たさずに興味を示す発言だけで逮捕することはしない。それが芸能人であれば、その興味を示した発言を捉えてその芸能人のバッシング記事を書くかも知れないが、まだ犯罪に至っていないのだからそのバッシングが妥当であるかと問われれば、そのバッシングがもとで受ける社会的制裁と「ちょっとした出来心」がバランスが取れているとは言い難くい。当然、心に疾しいところがあるので記者から質問を受ければ、何処かで辻褄が合わない答弁に終始することになるのだろうが、その不十分な説明責任に対して偽証罪などの法的拘束力がない限りは、それを根拠に引退・辞職に追い込むほどの話ではない。

政治家の多くは多かれ少なかれ、脛に傷を持っているのが当たり前だから、たまたま自らで埃を叩いてしまったアマチュアの政治家がいたとしても、相対的にそれがどの程度の社会的制裁を受けるのが妥当かという目線でペナルティを求めるのが「バランス」というものだと思う。しかし、マスコミにしても野党を筆頭とする政治家にしても、「弱い奴は徹底的に叩く」という性癖が強いから、今回の様な徹底追及を行うことになっている。東電病院の問題にしても、(これだけガードが甘いアマチュアの政治家を相手にして)検察及びマスコミが起訴して有罪に持ち込めるだけの十分な根拠を持っているかと問われれば、「疑惑」の域を出ない程度の問題ではないかと私は理解している。彼の答弁は心に疾しいところがあるから論理的に矛盾しているところがあるかも知れないが、答弁の矛盾は犯罪行為そのものではないのだ。

結果的に、そこまでの社会的制裁が妥当であるか疑わしい所で一人の政治家の政治生命を奪っておき、その結果、東京オリンピックの運営に支障が出るかも知れない。しかし、マスコミというのは決して自分の行動を振り返り、反省などしない。しかも、本来は猪瀬都知事以上に悪質な形で違法献金を受け取った政治家がゴマンといるはずだが、それらの政治家に対する追及の姿勢などちっとも見せない。アマチュアの政治家がポカをする(ないしは検察が答えを示す)のを寝て待つだけの怠慢を平気でやってのける。本来は、もっと巨悪に立ち向かうのがマスコミのはずだが、最近は巨悪に立ち向かう気概のあるマスコミを見ることはない。

雰囲気的には虐めの構図に似ているように見えてならない。悔しかったら、阪急阪神ホテルズに続く食品偽装会社、三菱東京UFJ銀行及び三井住友銀行の経営層などに対し、誰も見向きもしない中、阪急阪神ホテルズやみずほ銀行と同じだけの情熱をもって責任追及をし続けて欲しい。問題発覚前にお金を返却した単なる疑惑のみの猪瀬都知事に対してだけ徹底したバッシングをするのは、バランスとして悪すぎやしないだろうか?


なお、最後に今後のことについて一言だけ・・・。石原前都知事の時代の尖閣購入資金の募金が15億円規模で東京都に眠っている。次なる東京都知事は、この問題についても適切に着地させる必要がある。そのためには、尖閣に対する日本固有の領土という認識・心意気を強く持った政治家が好ましいと私は思う。現在名前が挙がっている政治家の中で、この点に該当するのは小池百合子衆議院議員ぐらいだろう。多分、安倍総理は最終的に彼女を擁立するのではないかと思う。

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日本版NSCの機能は既に動き出しているのかも知れない

2013-12-17 23:58:35 | 政治
日々、北朝鮮の動向が気になるところだが、今日は中国の方について少し前のウォールストリートジャーナルの記事を中心に考えてみたい。結論としては、何処まで読めているのか分からないが、安倍総理の攻めの積極的平和外交の姿勢は東アジアの平和安定に、非常に効果的に機能する可能性を感じている。

では順番に説明する。お話の発端は最近のウォールストリートジャーナルの記事である。中国が防空識別圏を設定し、公海上の航行の自由を脅かす一方的な力による状況変更を試みる中、ウォールストリートジャーナルでも様々な論評がされてきた。ごく一部だが、幾つか紹介してみたい。

ウォールストリートジャーナル記事
2013年11月27日「【社説】米国が中国に示したB52爆撃機という返答
2013年12月5日「【社説】米副大統領のメッセージは不十分―防空識別圏撤回要求が必要
2013年12月13日「【寄稿】アジアでの制空権リスクにさらす米国の対中外交

最初のB52爆撃機の投入の記事は、アメリカの対応として「よくぞやった!明確なメッセージを中国(そして世界)に送った!」と称賛した感がある。言うまでもなく公海上の航行の自由を脅かす中国の主張は国際法上、許されざる内容で世界中が反発したものである。ジョン・ケリー国務長官とチャック・ヘーゲル国防長官が単純明瞭な形での中国非難を宣言し、明確に「(武力という手段を用いて)尖閣には手を出すな!」とメッセージを送り、オバマ大統領も1回は中国を非難する声明を送ったが、どうもその後が続いていない。

2件目のバイデン副大統領の記事は、大統領~副大統領のラインに関しては、「日本ほどアメリカは頑なではない」という誤ったメッセージを中国に送ったように見える訳で、それを「米国と日本の立場に隙間を生む恐れ」に繋がるとして非難している。国際ルールとは如何なるものかということを、単に公海上の航行の自由とは別の視点で、日本が自国固有の領土だと主張している北方四島も竹島も、日本は係争地として認識しているから防空識別圏を設定していない様に、尖閣を係争地と認めるように日本に要求している中国が防空識別圏を設定すること自体が非常識だとしている。ちなみに日本が尖閣上空を防空識別圏に設定している点は、ロシアや韓国が北方四島や竹島上空に防空識別圏を設定するのと同様であり、占領下のアメリカの設定した防空識別圏を引き継いだ1969年時点で中国からは何の異論もなく、実際に日本の施政権下にあることを考えれば何ら国際標準とは矛盾していない。中国が異を唱えるなら、尖閣に防空識別圏をぶつけるのではなく、日本の防衛識別圏に尖閣上空を含めない様に要求するのが筋なのである。

ただ、その様な論理武装も理論的な議論の通じる相手に対して有効だから、中国に対して何を言っても効果はない。だから、もっと明快な形でメッセージを中国に送らなければならないと唱えている。その主張は下記の記述に集約される。

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中国は権威主義的な姿勢を強めている。歴史を振り返ると、世界の大国がこうした領土を拡張しようとする行動をすぐに阻止しないと平和が危険にさらされるという教訓がある。
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また更に、この「阻止」の具体的な実現方法を下記の様に明記している。

=================
米国は中国指導部に、防空識別圏が取り消されなければ、米空軍・海軍が共同で尖閣諸島周辺の巡視を開始すると伝えるべきだ。長期的には中国が軍事的な威嚇を続けるのを容認するよりも、こうした断固たる態度の方が平和に寄与するだろう。
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私が見ても、「(アメリカさんが)そこまで言うか?」と思ってしまうほど踏み込んだ発言である。その後の最後の記事にしても、業を煮やして繰り返し繰り返し、大統領~副大統領ラインの対応の不十分さを繰り返し指摘している形である。東アジアの制空権の確保はアメリカの国益に直結するという事実を再確認したものである。この様な点では、日本の安倍政権はウォールストリートジャーナルが指摘する様々な論点を熟知した上で、必要かつ適切な行動をしていると言える。防空識別圏を飛行する航空機の飛行計画を中国に提出していないのは日本だけになったが、それも「日本だけが仲間外れ」という流れではなく、今後は「日本だけが適切な行動を取った」という評価に繋がっていくのではないかという予感を感じさせる。

この様に読んでいくと、ウォールストリートジャーナル的には(安倍政権はともかく)オバマ政権には駄目出しをしている訳であるが、ただ、時期的には少し前の記事だが、下記の興味深いポイントも合わせて指摘している。

2013年12月3日「【寄稿】中国の防空識別圏、習主席はなぜ売り込まないのか

オバマ大統領もバイデン副大統領も、中国に対しては過剰に刺激しない様に気を使っている感があるが、その様な常識の通じる西側諸国の責任者とは異なり、中国がその様な遠慮をするとは思えない。だから、習近平国家主席が防衛識別圏をもっと強烈にアピールしても良さそうなはずである。百歩譲って、習近平国家主席が遠慮するならせめて李克強首相はもっと前面に出て主張していても良さそうなものである。日本の歴史認識の非難などはそうだった。しかし、中国から聞こえてくる声は、軍部や外交部からの勇ましい声のみであり、トップレベルの政治責任者からはその様な声が中々聞こえて来ない。これは明らかに不自然な反応である。私の過去のブログでも指摘したが、習近平国家主席の中国国内での指導力は限られていて、バイデン副大統領との会談の際にも相手の目を見て話すのではなく、いつぞやの菅元総理が胡錦濤前国家主席に対した時の様に原稿にばかり目をやって話していたのに似ており、殆どフリーハンドの実権は握らされておらず、集団指導体制の中での決め事に沿った発言しかできていないことが読み取れるのである。

ただ、このウォールストリートジャーナルのご指摘が興味深いのは、その理由が権力の掌握が不十分であるからではなく、習近平国家主席の目が国内問題に強く向いていて、腐敗官僚の撲滅に思いのほか力を強く入れており、その結果としてアメリカや日本との対立を必要以上に首脳レベルの対立に格上げしたくないという理解のようである。つまり、軍部の暴走や外交部の強気な言い分は、国際社会から見れば「またかよ・・・」というレベルであり、首脳レベルで言及しさえしなければアメリカと本気で対立することはないだろうと(習主席が)タカをくくっての対応の様にも見える。

私は、意外かもしれないがこの指摘には大いに納得できるのである。習近平国家主席が権力を掌握したいのであれば、まずは軍部の有力者と強いパイプを築かねばならない。しかし、中国国内の汚職は相当根が深いのだから、軍部の有力者の中にも相当な数の汚職があるはずである。先日もテレ朝のサンデースクランブルで取り上げていたが、中国の国民的な歌姫の湯燦が失踪した事件の陰にも、軍部の有力者が絡んでいるという話があった。この様な話は枚挙に暇がないから、習近平国家主席がこの路線を突っ走れば軍部からの抵抗も予想される。軍部の協力なしには権力の掌握は不可能だから、日本やアメリカとの衝突(例えば局地的な戦争)を直視すれば、この様な国内問題になど構っていられないはずである。

しかし、それにも拘らず習近平国家主席が腐敗撲滅に拘るのは、軍部の反乱よりも国民の暴動の方が怖いと感じている証拠で、少なくとも国民が納得できるレベルでのガス抜きは彼にとって必要なのである。しかし、そのガス抜き以上の圧力としてPM2.5問題が予想外に深刻化しているから、ますます習近平国家主席的には国外問題で揉めている場合ではない。軍部の暴走の可能性は皆無ではないが、習近平国家主席の了承なしにはアメリカを巻き込む形での戦争にGoサインが出る訳がない。つまり、局地戦的に戦いが起きたとしても、全面戦争に発展する前に中国指導部は火消しに走るはずである。この辺は、下記の記事にその理由が詳しく書かれている。

朝鮮日報2013年12月15日「【コラム】韓国こそ『冷静、冷静、また冷静』に行くべき

何と、この記事の記者は私が前から目を付けている楊相勲論説室長なのだが、アメリカの軍事力が如何に中国の相手にならないほどの強大なもので、しかも、質的には日本も負けず劣らずであり、(アメリカが恐れるのは中国ではなく日本というぐらいに)中国は日本とアメリカの連合軍相手には、局地戦ですら戦う前から結果が見えているというのである。中国軍部のイケイケドンドン組には理解できないかも知れないが、山本五十六的な人ならば事態が呑みこめているはずで、その様な状況を把握している習近平国家主席は日米との対立を煽るために軍部にすり寄るより、寧ろ腐敗撲滅を錦の御旗にして軍部を含めた暴走する有力者を粛清する道を選んでいるように見える。

その様な習近平国家主席を相手にするなら、まずは遠慮ではなく、原理原則をストレートにぶつけて「襟を開いて、真摯に話をしよう!」と対峙するのが賢明である。現状は戦争に向かう途中ではなく、中長期的にみれば戦争からの回避行動の様に位置付けられるのかも知れない。

相手の隠れた姿を情報収集により炙り出し、それを熟知した上で最適な状況判断をする。日本版NSCは既に動き出しているのかも知れない。現状を悲観するのは気が早い。そんな気がした。

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張成沢氏の処刑の裏にある、北朝鮮の核武装に関するふたつのシナリオ

2013-12-14 20:10:36 | 政治
張成沢氏の処刑には流石に驚かされた。ロイヤルファミリーの一員であるからというよりも、張成沢氏の温存(生存させておくこと)は金正恩からすればひとつの「カード」になり得るからである。それを、何も言われる前に切って捨てるのであるから相当な覚悟である。今日はその辺の事情を少し考えてみたい。

まず、今回の張成沢氏の処刑について、一番影響が大きいのは中国の対北朝鮮政策なのだと思う。何故なら、張成沢氏は明らかに北朝鮮と中国との窓口であったからである。中国共産党とすれば、権力の世襲は共産主義とは相入れることが出来ない制度であり、流石に3代目の金正恩を満面の笑みをもって迎え入れることは出来ない。理想的には集団指導体制への移行を期待したいので、金正恩の存在との妥協の産物として、例えば日本の現在の天皇制を真似して「象徴」として君臨する存在を許容しながらも、実際の政治や軍部は集団指導部により管理されることを望んでいるはずである。実際にそこまでの移行を急進的に進めることは中国としても不可能であることは分かるから、徐々に張成沢氏の権力が強まり、逆に金正恩の権力が徐々にフェードアウトすることを期待し、その第一歩として張成沢氏との関係を意識的に強めていたのが中国政府の立場なのだと思う。だとすれば、金正恩からすれば今回の処刑は、絶対に後戻りしないという「背水の陣」を敷いた中国への「No!」というメッセージを声高に伝えたことを意味する。これまでも北朝鮮には六ケ国協議で顔に泥を塗られた経験が何度もあるから、「今度の今度こそは許せない!」と習近平指導部は強く感じたはずである。この意味では、現時点では冷ややかながら模様眺めに出ている中国の今後の対応は見ものである。

さて、ここで処刑までしなければならない金正恩の事情というのにも着目してみたい。中国が完全に「金正恩はルビコン河を渡った」と確信するに至る処刑を行うには、それなりの背景が考えられる。私はここでは、全く内容が真逆のふたつのシナリオというものを考えてみた。

ひとつめのシナリオは、北朝鮮が核武装を概ね完了し、アメリカ本土は別としても、中国を含め韓国、日本への核攻撃能力を持つに至り、今更、中国に頭を下げ続ける朝貢外交に徹する必要などなくなったと金正恩が判断したというシナリオである。張成沢氏は、中国なしでの北朝鮮が生き続けられない事実を熟知していたから、金正恩がその様な方針を打ち出したとしてもそれを体を張って止めようとするはずである。であれば、引き続き中国から侮辱を受け続けて我慢するか、張成沢氏を抹殺して中国の懐を振り切るか、そのどちらかを選択しなければならない。若い金正恩には過去の長い長い歴史などどうでも良いから、一足飛びに中国と対等な関係となり、同様にその結果としてアメリカ、日本とも対等な関係になりたいと思ったのではないか。

そしてもうひとつのシナリオは、先のシナリオとは真逆であり、北朝鮮が核武装に手こずっており、折角、核実験やミサイル実験でアメリカ、韓国へのブラフに成功している中で、その核武装への道が遠いという情報が海外に流出することを恐れたというシナリオである。張成沢氏は中国とのパイプが太いから、そこで北朝鮮の核開発の状況を喋ってしまうかも知れない。というか、既に何らかの現状を匂わせる発言をした後かも知れない。北朝鮮側の手の者が、中国側にその情報が漏れていることを掴んだ後で、これ以上の情報漏えいを防ぐために張成沢氏を処刑したというシナリオである。生きたまま幽閉しておいて逃亡されようものなら、全てを洗いざらい喋られる可能性があるから、金正恩としては先に手を打って処刑したという流れである。

これらのシナリオは内容的に真逆だが、どちらの方が正しいかの確証は誰も掴めていないだろう。ただ、北朝鮮が中国を強く意識した追従姿勢を示すようであれば、まだ中国と対等にはなれていないと思っていることの表れだから、核武装に手こずっている後者のシナリオの可能性が高い。一方、中国にさえも強気な態度で臨む傾向が強まれば、前者の核武装が完了したという可能性が高まる。そのどちらかが確定しない限り、核武装を概ね完了させたというブラフが世界的には通用することになる。

日米韓、そして中国が一斉にその辺の品定めに奔走しているというのが現状なのではないだろうか?

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国益のために、先鋭化ではなく現実を直視する目を持って欲しい

2013-12-12 23:58:44 | 政治
今日は政党政治について考えてみる。先日、みんなの党の内紛が爆発し、江田憲司氏が渡辺喜美代表に離縁状を叩きつけて党が分裂した。江田憲司氏が渡辺喜美氏にしてもそれぞれ、元々は純粋な政治家であった訳で、この様な事態になったのは残念で仕方がない。

ところで、みんなの党も民主党と同様に分裂することになったのだが、この二つの党を同一視するのは甚だ失礼である。民主党は政権を奪い取り、政府与党になるという権力の甘い誘惑に負けた人たちが、政治信条的には水と油であるのにもかかわらず、権力という接着剤で強引にひとつの政党にまとめあげられた政党なのである。その中心にいたのが小沢一郎であり、かっての彼の背中には政権奪取を感じさせるオーラの様なものがあったのだろう。そんな彼の元に鳩山、菅元総理が寄り集まり、小沢色を僅かにオブラートに包むことで、相当広範囲な政治信条の人をひとつにまとめ上げてしまった。しかし、みんなの党の場合にはそれとは異なり、かなりストライクゾーン的には狭い範囲に政治的な志向をまとめ上げ、現実を若干無視した感がある理想を追求する形で多くの人が集まった。日本維新の会の橋下共同代表も一時はみんなの党とは蜜月関係にあり、というのも政治的な志向は相当近いものがあった。ブレーンと言われる人たちが重なることからも、明らかに同じレールの上を歩む集団として認識されていたのである。

しかし、結局は橋下代表にしても江田憲司氏にしても、気が付けば完全に修復不可能な対立関係に陥っている。その様になった理由は何かと考えれば、答えは「先鋭化」という言葉に尽きると思う。みんなの党は、それなりの数の勢力ではあるが、野党第3党というポジションに甘んじており、更なる党勢の拡大のためには自民党との差別化が必要である。一方で、多くの政治的な論点では同一の方向を目指す部分もあり、本来は政策ごとに是々非々の対応を取り、まあ2/3程度が同一路線、残りの1/3が対立路線となるのが妥当なところであった。しかし、これをそのまま実行すると、世間の目には殆ど閣外協力する準与党勢力ではないかと思われてしまうリスクがある。となると、ことさら対立を強調して政権与党とは一線を画した存在であるとアピールしなければならないから、ほんの僅かな政策上の差異を見つけては、それを必要以上に強調し、相手の考え方をケチョンケチョンにけなさなければならなくなった。同様のことは日本維新の会に対しても同様であり、当時は大阪維新の会の代表であった橋下共同代表との間で僅かな主導権争いが自分の思い通りにならず、結果的にこれらの党の間の些細な差異を見つけ、それをことさら強調して相手の党をけなすことになってしまった。それが今度は党内にも飛び火し、江田憲司氏とも袂を分かつことになってしまった。

多分、この二人の政治信条の差異は小さく、例えば集団的自衛権に対する考え方などの僅かな部分なのだろう。橋下共同代表と渡辺代表との差異も、例えば脱原発の時間軸上のスケールの違いに過ぎない。この差が大きいのか小さいのかの議論はあるかも知れないが、これらの差は「政治的な現実」を何処まで真摯に受け止めるかで変わってくる。集団的自衛権に関しては、現在の東アジアをめぐる情勢をどの様に捉えるかが重要であり、安全保障に関するプライオリティを若干高めに設定すれば、自動的に集団的自衛権は許容せざるを得なくなる。必然的に特定秘密保護法案もしかりである。同様に脱原発に関しても、野田政権が「脱原発」を宣言しながら閣議決定できなかった背景があるように、政府にはどうしても短期的な原発ゼロを言えない「パンドラの箱」の様な開けられない現実が重くのしかかっているのである。しかし、その様な現実を直視していては政権与党との差別化は出来ないから、無意識のうちに精鋭化して潔癖症的な対応に走り出してしまう。

しかし考えてみれば、何から何まで全ての政策で一致するほど同じ考え方の人など稀有だから、その様な精鋭化に走ってしまっては、ますます孤立することになる。何処かで現実を見極め、実現可能性の十分に伴う政策を提示してこそ、有権者も安心してポジティブな1票を託すことが出来るようになる。共産党などへの1票は、現実を踏まえれば実現不可能な理想論ばかりだから、申し訳ないがネガティブな政権与党へのブレーキとしての1票でしかない。だから、政治を前に進めるための一票ではなく、停滞させるための1票となっている。理想的なのは、みんなの党や日本維新の会などの党が、ポジティブな1票の受け皿となることであるのだが、それが先鋭化することでネガティブな1票の受け皿に成り下がっている傾向がある。それをさらに発展させたのが、江田憲司氏によるみんなの党の大量離党である。

政治家が色々なことを考えるのは構わないが、その様な精鋭化は日本の国益には反している。先日も書いたのだが、脱原発を訴える人たちがラディカルな原発即ゼロ運動をする代わりに、せめて現在の体制の不備を指摘して、改善提言を行いながらソフトランディング的に原発ゼロを目指してくれていれば、福島第一原発の事故は免れたはずである。原発推進派の責任は大きいが、彼らが頑なにならざるを得ない土壌を作ったのは、ラディカルな急進派の活動の結果である。それは国益に反したし、多くの国民を不幸に陥れた。だから、政治家には現実を直視し、些細な差異を探し出す精鋭化の代わりに、多くの共通点を探し出し、両者の主張の欠点を補い、良いとこ取りの修正案を探し出す丁寧な議論をする能力が求められる。最後の最後に多数決で決めるのは民主主義だから仕方がないが、その途中までは地道に妥協を恐れない精神が必要となる。

この辺は、ゴマンとある個別の政策に対する各政治家の政治信条というよりも、その基本理念のプライオリティ設定の考え方次第である。個別の議論などよりももっと基本的なことであるが、過剰に選挙を意識しすぎると先鋭化の誘惑に負けることになる。

どちらがどうのと言う前に、もう少し現実を直視した政治家であって欲しい。

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それは習近平による崔竜海政治局長への侮辱から始まった

2013-12-10 23:58:32 | 政治
先日のブログ「張成沢氏の失脚の裏に何がある?」では、張成沢氏の失脚の裏に何かあるとだけ書いて、何もツッコまずに終ってしまった。今日は、少しばかり気になったことを書かせて頂く。

最近のニュースやワイドショーでも相変わらず張成沢氏の失脚の記事には事欠かない。何せ、折角放送した金正恩がらみのニュース映像を思いっきり加工して、それまで存在したはずの張成沢氏の映像を完全に抹殺するなど、日米韓などの有識者が見れば一発でバレバレのことを、思いっきり金をかけて画像編集(しかも動画)するのだから、金正恩からすれば一世一代の大勝負的な雰囲気が立ち込めている。先日には、張成沢氏がばっちり写りまくっている金正恩の写真集が発売されたばかりらしいから、我々からすれば如何にも突然の出来事の様に思えるのだが、私の見立てでは春ごろから用意周到に練られた粛清劇ではないかと思っている。微妙な時系列が分からないので何処までの信憑性があるかは不明だが、まあ読んで頂きたい。

多くの専門家は、今回の粛清劇は煙たい後見人や実力者を一気に権力の座から引き降ろし、自らこそが唯一無二の存在だと誇示したいがための行動であったとの評価の様だが、私は少し違う見方をしている。私が考えている運命の分かれ道は下記の記事である。

東亜日報2013年6月13日「『崔竜海政治局長、軍服での習主席面会を拒否された』北朝鮮情報筋が明かす

今回の粛清で概ね、煙たい存在の権力者は一掃できたが、残った中での最大の権力を握ったのは崔竜海人民軍総政治局長である。比較的若いこの軍部の要人は、金正恩の前では比較的人懐っこい態度で接しており、金正恩からすれば口うるさい後見人とは違った気さくな存在だったのだろう。その崔竜海氏が、今年の6月に中国から見放されそうになっている北朝鮮のことを「見捨てないでくれ!」と中国に懇願するために派遣された訳である。崔竜海氏の中国訪問の記事はその当時も少し話題になったし、私も「何故、張成沢ではなく崔竜海なのだろう?」と不思議に思ったことを記憶している。何故なら、張成沢氏は中国との間に太いパイプを持っていたし、中国も張成沢氏が若い金正恩をたしなめてくれることを大いに期待していたから、張成沢氏が中国に派遣されていたら中国ももう少し歓迎してくれたであろう状況だった。しかし、この崔竜海氏は思いっきり中国に冷遇された訳である。記事によれば、「習主席との面会が帰国間際になった理由は、北朝鮮に圧力をかけようという中国側の意図的な行動だったが、崔政治局長が軍服を着ていたことも理由の一つだった」とのことで、軍服はともかく習主席との面会の日程が中国側の意図的なドタキャンで後ろにずれ込んだことを示唆している。ここには大きな駆け引きがあり、「中国側は、崔政治局長が軍服を着て中国関係者に会う姿を誇示することで中朝間の軍事的関係を強調しようという意図があると見た。」とあり、北朝鮮の思惑に対して中国は思いっきり手を払いのけた形である。

この記事の最後にある「当初午後5時10分に予定された崔政治局長の帰国便の離陸は2回延期され、午後9時頃になった。興味深いことに、順安空港で飛行機から降りた時、崔政治局長は軍服姿だった。」からは、崔竜海氏が相当な侮辱を受けて憤慨し、怒り心頭で北朝鮮に戻り、自らのプライドを保つために軍服で北朝鮮に降り立ったことを示している。ここには二つの事実があり、ひとつには金正恩は張成沢氏ではなく敢えて崔竜海氏を中国に派遣したかったこと、もう一つは金正恩と崔竜海氏はこの様な屈辱は「中国+張成沢」の組み合わせがあるが故の結果であると実感したことである。中国もそうだが北朝鮮も名誉を重んじる国だから、国家レベルでの冷遇は「まあ、しゃーない」では済まされない重たい出来事である。この出来事が、金正恩が「中国+張成沢」を忌まわしく思うきっかけとなったはずである。

では、そもそも何故金正恩は張成沢氏ではなく敢えて崔竜海氏を中国に派遣したかであるが、これも張成沢氏の掌の上で中朝関係が進むのを恐れ、いつしか中国が安定的・平和的に金正恩を外しにかかるとすれば、それは金正恩に代わる存在として張成沢氏が北朝鮮国内で実権を握っていることが条件となる。だから、中国とのパイプを張成沢氏から離れたところで確保したかったというのが金正恩の本音だろう。しかし、中国からは非常に辛辣な態度で「No!」を突き返してきたのである。これに崔竜海氏の愚痴(張成沢氏のせいで、北朝鮮が恥をかかされた)が加わり、金正恩は相当な危機感を持ってこの事態を捉えたことは間違いはない。しかし、そうは言っても中国の権威は強大だから、中国が絶好調の時に「No」とは言えないのである。だから、「No」といえるタイミングを金正恩は狙っていたのだと思う。ただ、張成沢氏が実権を握ったままで中国に「No!」などと言えば、中国がどう動きだすか分からないから、「No!」を突きつけるためには「張成沢氏の実権を剥奪した後」で且つ「中国が北朝鮮に手を焼いている暇がない時」という条件がセットで必要になる。このセットは、ほぼ同時に満たす必要がある。

今回の粛清の様にイザとなれば金正恩の鶴の一声で北朝鮮国内の人事は何とかなるから前者は比較的容易に実現可能であるが、問題は後者の方である。中々中国はポカをしてくれないから、後者の「中国が北朝鮮に手を焼いている暇がない時」というのは見つけ難いが、そんな中で中国の防空識別圏の設定が行われた。これは明らかに中国のオウンゴールであり、世界から総スカンを食った形である。張成沢氏の二人の側近の公開処刑は11月下旬ということで、多分、防空識別圏の設定(11/23)の前に公開処刑が行われたのではないかと予想されるが、中国から北朝鮮には防空識別圏の設定の事前通告位はあったかも知れないから、その情報から「下手すれば、中国と日米が戦争になる。少なく見積もっても、北朝鮮に圧力をかける余裕は一時的には無くなるはず」と読んで「今だ!」とばかりに行動(まずはジャブとして、本丸の張成沢氏を避けて彼の腹心に最初に手を出す)を起こしたのではないかと思われる。そして、世界と中国の反応を見定めて、公に張成沢氏の粛清のセレモニーを最近になって行ったのである。

このことから分かるのは、北朝鮮は米韓との対決姿勢は鮮明であるが、中国の支配下から独立するためには中国とも一線を画した関係でありたいと狙っているということである。幸いにも韓国の二股外交は破綻したことが確定的になり、中国とアメリカの板挟みで韓国は動き難い。中国も日米との対決が鮮明になり、北朝鮮としては願ったり叶ったりである。そんな中で張成沢氏を粛清し、中国、韓国、日米がそれぞれテンヤワンヤ状態の間に口うるさい後見人を排除し、一気に核開発&ミサイル搭載を完成させようと考えたのだろう。

まあ、ここまでの読みは素晴らしいところだが、しかし、張成沢氏なき後に緻密な戦略のシナリオライターが控えているとは考えにくい。だから、今回の金正恩の決断は中国の後ろ盾なしに弾けることの金正恩なりの宣言の様なもので、今後は次から次へとこの様な出来事が続くだろう。特に軍部をバックにしたあまり思慮深そうでない崔竜海氏がNo.2となることは、何らかの軍事アクションも十分想定される範囲である。

北朝鮮と韓国はいよいよ、危険水域に入ったと考えるべきであろう。

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政策判断のプライオリティ設定を誤るな!

2013-12-06 23:58:12 | 政治
まさに特定秘密保護法案が成立しようとしているその瞬間であるが、最後にもう少しだけコメントさせて頂く。いろいろ書きたいことはあるのだが、ある程度ポイントを絞って書かせて頂く。

まず最初に、最重要なこれだけはどうしても国会議員の先生方には理解してほしいというポイントを書かせて頂く。政治家と官僚の違いは何か?それは単に「選挙によって選ばれた」などという表面的な差異ではなく、有権者が政治家に何を求めているかという点が重要である。有権者が求めているのは、様々な論点に対する適切なるプライオリティの設定である。例えば原発問題を例に取れば、「原発のリスク」以外にも「原発を稼働停止することによるリスク」も当然ながら政策判断には必要な論点である。デフレで長い間もがき苦しんだ日本の経済と、中国、韓国、北朝鮮といった周辺地域の不安定化などの状況を考慮した上で、ありとあらゆる論点を取り上げ、リスクとメリットを評価し、そこにプライオリティで評価指標に重み付けをするのである。官僚は問題を整理し、各論点にリスクとメリットにより得点付けするところまではプロフェッショナルとして完璧にこなすのだろうが、その細かな評価指標の各点数を単純加算するのではなく、重要な部分にはより多くのウエイトを付け、さほど重要でない部分には軽いウエイトを乗算し、それらを加算して総合評価を行う際に適切なウエイトを選択してくれる保証はない。しかし、政治家は選挙により民意を付託されており、それはその政治家のウエイトの設定が適切だと信じるからに他ならない。政党政治とは、そのプライオリティないしは評価に乗算するウエイトに関して共通の思想に基づく人が集団をなして政治を効率的に前に進めるためのシステムであり、ある政党に投票するということはそのプライオリティに共感を示していることを意味する。

だとすれば、政治家はプライオリティ設定のプロフェッショナルでなければならないが、今回の特定秘密保護法案に対する野党の行動は本当に、戦略としてそのプライオリティを適切に判断したのかが疑われる。様々なニュースや討論番組でも特定秘密保護法案の問題点は指摘されており、私もこの法案が現時点で完成度の高いものだとは思っていない。正直に言えば、完成度としては及第点以下ではないかとすら感じている。しかし、与党の自民党、公明党が法案に合意している以上、野党が何を言っても法案が成立する可能性は極めて高いことはずっと前から明らかだった。であれば、ここで大きなふたつの判断があり、その判断のどちらを選択するか、そのプライオリティの設定の適切さが政治家に問われている。そのふたつの判断とは、(1)ひたすら反対して法案の成立を可能な範囲で邪魔する、(2)どうせ成立してしまうなら少しでも完成度を高め問題点を可能な限りで潰すよう、適切な修正論議を建設的に行う、である。言うまでもなく、(1)は与党の足を引っ張り「反対したという実績」さえ残せれば、法案の完成度など問わない・・・という判断である。(2)は不本意ではあるが、国民にとって少しでも安心安全のために嫌々ながら法案の修正点を具体的な法文案も含めて具体的に提案するというものである。法案の成立に反対する立場でありながら、結果的には法案の完成度を高めるのに力を貸すのだから不本意この上ないのは確かだが、少なくともどうせ成立することを前提とすれば、これほど国民本位の考え方はない。だから、この様な行動を多くの政治家が実践すれば、それはその政治家が如何に国民の方を見ているかが分かるのだが、この「どうせ成立する」という部分が気に食わないから、このままでは危なっかしくて仕方がないというところに目を瞑って暴走するのである。これが、適切なプライオリティ設定だとは私には到底思えない。まさにアマチュアそのものな訳で、だったら官僚に任せた方がぶれなくていいんじゃないの・・・とすら感じてしまう。

特定秘密保護法案に限った話ではないが、これが最大の問題点である。言うまでもなく福島第一原発の事故は、その様な誤ったプライオリティ設定によって引き起こされた。原発反対派の人々が、もし仮に稼働している原発という現状をまずは認め、3.11以前の時代に「原発即廃止」よりも「まずは原発の安全性向上」の議論を優先していれば、あのようなリスクが放置されることはなかった。中京大学の武田邦彦教授が前に言っていたのは、原発の安全性に問題があったと気が付いてそれを改善しようにも、これまでの方針を変更したり誤りを認めたりすると、それを突破口に反原発派が騒ぎ立てるので、安全性の向上に積極的になれなかったし誤りを正せなかったということである。安全性を向上するということは、その前の状態の安全性が不十分であったことを認めることになると、そんなことに気を使っているのである。この判断をしたのは原発推進派であるが、彼らにその様な判断を強いるような戦略をたて続けていた代償だと見るのが正しいだろう。だから、「たられば」の話になってしまうが、原発反対派がそのプライオリティを「原発即廃止」よりも「安全性の確保」においていれば、少なくとも今の福島の問題はなかっただろう。原発推進派を責めたい気持ちは分かるが、安全性を向上するための取り組みに専念し、その中で「そこまでやっても確保できる安全性はこの程度」というものを定量的に示し、だから「このままで良いのですか?」と国民に問うていれば良かった。明らかに、真の意味で国民・一般市民のためのプライオリティ設定が出来ていなかったということである。与党の暴走を食い止めたければ、その様な地道な努力が本当は必要であり、そこに野党の存在意義があるはずである。

以上が現状の最大の問題であるが、次なる問題も重要である。プライオリティと相通じるところがあるが、新法案に反対するということの意味を良く理解しているのかが疑わしい。つまり、法案の提案は「まずは現状に問題があるとの認識の上で、この問題を解決するためには現状維持ではいけない」という前提のもとにある。法案を否定するならば、それは(1)現状維持が好ましい、(2)もっと良い法案を提案する、の何れかでなければならない。マスコミは徹底的にこの法案に反対するが、ならば現状維持を好ましいと考えているのかを明確にすべきである。多くのマスコミは、「議論が尽くされていない」から法案に反対というが、であれば(1)(2)のいずれの立場なのかを明示すべきである。現状維持は良くないという問題意識を共有するならば、(2)の様にならばどうすれば良いのかを提言するなり自社の方針を明言するなりすれば良い。民主党は法案の対案を示したが、であれば民主党の代案は(2)の「もっと良い法案」なのかを採点すれば良い。自民党の案と野党の案を採点し、自民党の案に問題があればその点を指摘すれば更なるブラッシュアップに繋がる。しかし、マスコミも野党も、具体的にどうすればより100点に近づけるのかを示したりはしない。仮に示せばそれを叩く新聞が出て来るからであり、わが身を安全な場所に置き続ける為には代案など出さない方が好都合である。しかしそれは(2)とは明らかに一線を画すから、つまりは現状維持派と同類である。

しかし、これは先週の朝まで生テレビの中でも議論になっていたが、現状がどれほど酷いかを聞けば、新法案が仮に不完全な物であっても、少なくとも一歩は踏み出したと感じるはずである。というのは、現在の問題点の一つに「秘密指定を恣意的に行われる可能性がある」「機密解除が原則60年上限といっても、それでも例外があるから実際には青天井では」という点があるが、現状はもっと酷く、官僚は勝手に様々な問題を秘密に指定しているばかりか、いつかは公開されるのではマズイ機密は官僚の判断でシュレッダーにかけて廃棄されてしまったり、官僚の自宅に持ち帰ってしまっていたりするのである。「シュレッダーにかけて廃棄する」のは明らかに「60年以上も機密を解除しない」よりも劣る管理方法である。これは、現状では何も彼らを縛る機密管理の法案がないからそれが問題なのであり、少なくともルールが設定されたことは評価されてしかるべきである。だから、秘密指定が適切であったのか否かの判断を「完全独立な第3者」が行うべきか「第3者的機関」で良いのか、それは議論が分かれるが、少なくとも官僚が見えないところでコソコソやるのに比べたら全くましな話である。この点も「現状維持」と「不完全ながら法案成立」のどちらがましか、そのプライオリティを適切に評価するべきなのである。

さて3つ目の問題であるが、仮に完全に独立な第3者機関を設定しそこで秘密指定の適切さを判断したとする。そうすれば適切に判断がなされるのか?答えは「否」である。下記の記事を見て頂きたい。

産経ニュース 013年12月5日「特定秘密 民主政権の秘匿をメディアはどう報じたか

ここでは権時代に起きた尖閣漁船衝突事件において、海上保安庁の一色正春氏がビデオをYouTubeに流した問題を、各メディアがどの様に報じてきたかが紹介されている。自民党は当時から、あの様な情報は「特定秘密はない」いう立場だったが、民主党政権は確実に「特定秘密に相当」として扱おうとしていた。秘密会的に限定された国会議員に閲覧を許した事実はあるが、一般国民の知る権利の対象とはなりえないというスタンスは明確だった。それは、まああれだけのタコな政権だから適切な判断が出来なくても仕方がないのだが、しかし、「我こそは正義なり」と大上段に振りかざす天下の大新聞がどの様なスタンスだったのかは知っておくべきであろう。

記事を引用する形で順番に見て行こう。参考までに、まず最初は仙谷元官房長官の発言も加えて、朝日新聞と毎日新聞の記事は以下の通りである。

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仙谷氏:「大阪地検特捜部の(押収資料改竄(かいざん)・犯人隠避)事件に匹敵する由々しい事態だ」「逮捕された人が英雄になる。そんな風潮があっては絶対にいけない」
朝日新聞社説2010年11月6日:「仮に非公開の方針に批判的な捜査機関の何者かが流出させたのだとしたら、政府や国会の意思に反することであり、許されない」
毎日新聞社説2010年11月6日:「国家公務員が政権の方針と国会の判断に公然と異を唱えた『倒閣運動』でもある」
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どう考えても大阪地検特捜部の押収資料改竄・犯人隠避事件と同列に扱うべき話題ではなく、明らかに国民の知る権利の対象となり得る事案である。記事では一色氏は書類送検だけで不起訴だったから「逮捕」の事実はないともご指摘していて、仙谷元官房長官は明らかに誤った表現(誤報)で人権侵害に相当する。にもかかわらず、天下の朝日新聞、毎日新聞は完全に民主党政権にべったりである。もともと反自民・反権力色の強い左派系の新聞だから、民主党政権に対しては大アマの論調が多く、自ら知る権利を放棄していた証拠がここに示されている。つまり、朝日新聞や毎日新聞の社説を書くような人たちが秘密指定の管理の第三者に指定されたら、この様な誤った判断をしてしまってもおかしくはないということを意味している。にもかかわらず、今になって「知る権利!」「知る権利!」と騒ぎ立てるのだから、そのブレ幅は相当なものである。第三者的機関を内閣府内に設置し、首相も第三者的にチェックするという考え方は、確かに問題のある考え方だとは思うが、仮に朝日新聞や毎日新聞の社説を書くような人たちに任せていたらもっと酷いことになるであろうことが予想できるなら、そのブレ幅の少ない人たちに任せた方がましかも知れない。この辺は、法案を運用しながら最適化の補正を少しづつ行えば良い話である。

この様に、「我こそは正義」と偉そうに言う人たちは、その人たちが日本政府のことを信じることが出来ないと思うのと同様に、その思想・信条の偏りから私には彼らのことが信用できない。例えば、石破幹事長が絶叫系のデモを「テロと本質的には変わらない」と発言したことにマスコミは噛みつき、「表現の自由を侵害するものだ!」と批判しているが、であれば在日特権を振りかざして脱税をおおっぴらに繰り返す連中のデモ行進を「ヘイト・スピーチ」と呼び糾弾することと、「表現の自由の侵害」の折り合いをどうつけるべきなのだろうか?一方で、「ヘイト・スピーチ」と呼ばれるデモ隊と敵対して彼らと頻繁に暴力事件を繰り返す団体のデモ行進は、何故、糾弾しようとしないのか?さらには、韓国や中国国内の超超が幾つもつく「超ヘイト・スピーチ」「超ヘイト・クライム」の糾弾に、どうして及び腰なのかが理解できない。つまり、朝日新聞や毎日新聞にとっては「ご都合主義」が当たり前な訳で、その様な人が日本政府を「ご都合主義」で「法案の恣意的な運用」の恐れがあると言っても、目糞、鼻糞を笑うとしか見えないのである。つまり、真剣に反対しているようには見えないのである。

最後に、先週の朝まで生テレビでは面白いシーンがあった。番組最初に各新聞社の世論調査の紹介があり、アナウンサーの村上祐子アナが「(某新聞社では)法案に反対の方が多い結果が出ていた」「他の2社の調査では(両方とも賛成の方が多いのだが)賛成・反対が拮抗していた」と紹介していた。これを聞いた田原総一郎氏が激怒し、「違う!賛成の方が多いと言え!」と叫び、村上アナが「そうですね、賛成の方が多いですが拮抗しています。」と言い直そうとするのを更に激怒して「そんなんじゃダメだ!」と叱りつけていた(正確な表現は忘れたが・・・)。これらは、マスコミによる反特定秘密保護法案キャンペーンが繰り返し行われた結果の世論調査だから、相当、反対側にバイアスがかかっているはずだが、それでもこの程度に収まっていて、それが不愉快だから反対票が多い新聞社だけ「反対が多い」と断定的に取り上げ、賛成が多いと「拮抗している」として結果を黙殺するのである。この手の議論は、恣意的に事実を捻じ曲げようとする試みが宜しくないという話なのだから、その議論に加わるのであれば、両者の各論点ごとの意見のひとつひとつに是々非々で臨み、現状維持か良い法案を作り上げるべきなのかを明示して、真の意味で国民のため、国益のために最良な道を選択しなければならない。そのための真摯な対応を、せめて新聞社にはとって貰わないと、国民の間に真の意味の議論は広がらない。

結果として法案は成立し、その完成度はそれ程高まることなしに着地してしまった。私としては100点満点からは程遠いが、現状維持よりは大いにましな及第点の部類だと思っている。

決断できる政治というものを、国民はもう少し評価しても良いのだと思う。

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役割分担をした安倍総理とバイデン副大統領の演技

2013-12-05 23:55:00 | 政治
アメリカのバイデン副大統領が日本、中国、韓国と歴訪している。この中での話題の中心は当然ながら中国の防空識別圏問題であるが、バイデン副大統領と習近平国家主席との会談の中では、防空識別圏の撤回を求めなかったことが報じられている。さらには、アメリカの民間航空会社は中国からの飛行計画提出の要求に応じて計画を提出しているとも報道があり、日本政府が日本航空、全日空などに飛行計画の提出の自粛を要求したのと対照的な対応から、日本のマスコミの中には「ハシゴをを外された」感があるとの論評もある。今日はこの点についてコメントしたい。

まず最初に確認しておきたいことは、安倍総理にしてもアメリカ政府にしても、何らかの戦略をもって臨んでいるはずであるということである。戦略なしに一方的に好き放題言うのは無責任な評論家のすることで、国家の最高責任者たる安倍総理は、当然ながら国益を最大化するための戦略を持っている。アメリカという国は極めてしたたかで、軍事的な意味合いが強い案件に対してこの国が戦略なしに動くことは有り得ない。だから、国益を最大化するにはどうすれば良いかというのを熟考し、その結果得られた最良のゴールに向けて、中国が自ら進んでいくような仕掛けを考えていると見るのが妥当だろう。

少し話が逸れるが、例えば尖閣諸島の領有権問題を例に取って考えてみたい。日本の主張は明確で、日本固有の領土だから領土問題など存在しないという主張だが、アメリカはその日本の主張をそのまま認めることはせず、「領土問題にはアメリカは中立な立場を取り、どちらの側にもつかない」としている。元々、アメリカが沖縄を占領していた時代にはアメリカが自国領として好き放題に利用していたのだから、そんな殺生なことを言わないでよ・・・と言いたくなるところだが、アメリカの国益としては無駄に他国の争いに巻き込まれるのは好ましくない。一般的なマスコミの論調はこんなところだろう。ただ、日本の施政権自体は認めており、以前から尖閣は日米安保条約第5条の適用範囲であると宣言し、これを損なういかなる動きにも反対するとの立場を表明していた。つい先日にはケリー国務長官、ヘーゲル国防長官がそれぞれ声明を発表し、異例なことに国防長官名で公表した「文書」に尖閣諸島への日米安保条約第5条適用を明記までしたという。この様なニュースを聞くと、「まあ、そんなものか・・・」とスルーしてしまいそうだが、冷静に考えれば論理的に破綻している。もし、領土問題に巻き込まれるのがアメリカの国益に反するなら、日米安保条約第5条の適用範囲と明言することは賢明ではない。「適用されるかも知れないし、適用されないかも知れない」と言っておけば、中国に対する抑止力にはなるが、日本に対しても言質を取られないから、アメリカの選択肢をフリーにするメリットがある。それを敢えて捨てているというのは俄かには分かりずらい。

この問題の読み解き方が、一連の流れの答えだと私は最近気が付いた。それは、一見、自己矛盾しているように見える尖閣に関するアメリカのスタンスを、矛盾しない形で理解する方法がある。言われてみれば単純なのだが、それは「(日米安保条約第5条の適用範囲と明言することで)軍事的な意味を含む強制力による領土問題の解決に関してはアメリカは武力をもって阻止するが、国際司法裁判所などを通じた平和的な法の下での問題解決を図る限りにおいては、アメリカは中立を貫く」と高らかに宣言していることに他ならない。そして、アメリカは国際司法裁判所に提訴すれば日本が勝つことを熟知しているから、実質的には領土問題について「日本の側に寄り添っている」ことになるのである。今までもブログで何度も書いてきたが、安倍総理の口癖である「法の下の支配」がアメリカにとっても同様に原理原則であり、中国に対抗するための最大・最強のカードだと認識しているのである。この点では、安倍総理とアメリカ政府の認識は完全に一致している。

さて、この様に考えながら中国の防空識別圏に対する対応を考えてみる。日本からすれば、尖閣諸島という日本固有の領土を含む防空識別圏は、論理的に有り得ないので当然ながら「撤回を強く要求」するしかない。しかし、アメリカからすれば防空識別圏の設定は国際法上は何ら制限されるものではない。だから、尖閣諸島に対して軍事的な強制力を伴わなければ中立であるはずのアメリカ政府からすれば、アメリカ国内の民間航空会社が飛行計画の提出に応じてもそれを止めさせることは(領土問題で日本の側についていると宣言する)一歩踏み出すことに繋がる。しかし、中国が誤った最大の問題はその運用のルールであり、防空識別圏に侵入した航空機に対して「指示に従わない場合には防衛的な措置を講ずる」というのは公海上の航行の自由を定めた国際法に違反しており、この部分については絶対に受け入れることなどできない。だから、運用ルールの見直しはアメリカ政府として当然求めるし、東アジアの状況の一方的な変更を認めないという原理原則も当然中国に伝えているはずである。それが、日本人としては「撤回を求める」べきだと感じてしまうから、そこに温度差の様なものを感じてしまうのである。したがって、ハシゴを外されたと感じるのは単なる日本人の思い込みであり、実際にはハシゴなど外されてはいないのである。

では、一体どの様な戦略がそこにあるのか?まずは、中国政府はメンツを潰されるのを思いっきり嫌うから、防空識別圏の撤回要求を幾ら強く求めても、中国は絶対に認めるはずがない。中国のメンツを立てながら事態を改善に向かわせるには、日本政府が思いっきり怒ったふりをして、そしてアメリカ政府が中国に助け船を出し、中国政府が日本への対抗意識から日本にとっては当然受け入れられない条件にてアメリカと和解し、中国国内向けには「日本政府が呑めないような条件を勝ち取った」と言い訳が出来る落としどころに誘導するのである。それは、「飛行計画提出の強制」と、「指示に従わない航空機への防衛的な措置」の撤回を中国に呑ませるのである。

こう聞くと、「それって、中国の方が勝ち取ったものの方が大きいんじゃない?」と思われるかも知れないがそうではない。この撤回は、国際法のルールに則った行動を中国に呑ませることを意味する。そして、まずはここまで中国に後退させ、さらにその後で追い討ちを逐次かけるのである。このタイミングで日本政府は次のように中国を非難するのである。

「尖閣諸島はあくまでも日本固有の領土であり、その領土・領空に被る形で他国の防衛識別圏を設定することは国際法のルールに反する行為である。尖閣諸島は日本固有の領土だから日本政府が尖閣諸島上空に防衛識別圏を設定したのは当然であるが、中国政府はその当時(1969年)は尖閣諸島の領有権を主張していなかったし、その結果、日本による尖閣上空を含む防空識別圏設定に対しても中国政府は反対していなかった。だから、現状を一方的に変え、日本固有の領土である尖閣上空に防空識別圏を勝手に設定した中国の違法性を国際社会に問いたい!」

と訴えるのである。当然ながら、先日のブログ「国際司法裁判所に『日本の領土に中国が防空識別圏を設定した』と訴えろ!」に書いたように、国際司法裁判所に訴えるのである。このタイミングでアメリカは合いの手を差し伸べる。それはこんな感じだろう。

「中国は日本に対して『尖閣諸島の領有権問題を認めろ!』、『小平は尖閣問題の棚上げを主張したが、今回も棚上げに合意しろ!』と言っているくらいだから、尖閣諸島の領有権を日本が主張していることも確実に認識しているはずだ。つまり、中国的には領有権を争っていると自覚している地域に防空識別圏を設定するのは国際ルールに反する。中国が国際ルールを尊重してアメリカの提案した『防空識別圏の運用ルール』に合意したのだから、『法の下の支配』に従い領有権を争う区域に防空識別圏を設定するのはマズイ。だから選択肢はふたつあり、(1)取りあえずは尖閣上空を防空識別圏から外す、(2)日本の要求に応じて国際司法裁判所を通じて尖閣の領有権を主張する、のいずれかを選ぶべきである。」
と諭すのである。これはどちらに転んでも日本にとっては大きなプラスである。一方で、中国は(1)の選択肢を選ぼうものなら政権が持たないから実質(2)しか選択肢はない。もちろん、(2)も選ばずに無視を決め込むというのも中国的には選択肢になり得るが、国際社会はそれを認めはしない。国際法のルールに従う道を示した矢先に国際法を破り捨てるような行為だから、これは結構目立つ行為である。やはり、国際社会からは中国の特異性が強調され、中国への投資意欲は削がれるだろう。そうなれば、徐々に兵糧攻めをしている様なもので、中国の国力は削がれていく。

この様に考えると、日本とアメリカは絶妙の連携をしており、役割分担的に日本が起こったふりをして、アメリカが善意の第三者的に落としどころに誘導するのである。安倍総理とバイデン副大統領はこの辺の役割分担を確認し合ったのだろう。

最後に一言加えておくが、バイデン副大統領と習近平国家主席の会談の映像は何処かで見たような光景だった。以前、胡錦濤国家主席と菅元総理が会談したとき、菅元総理は愚かにも官僚の用意したペーパーを見ながら喋り続け、一方で胡錦濤国家主席はアドリブで相手の顔を見ながら喋っていた。菅元総理が下ばっか見ていて胡錦濤国家主席の顔を見れなかったのを見て、多くの日本人は悲しくなったが、今回の習近平国家主席の行動はそれに近い。つまり、習近平国家主席は政策的にはフリーハンドで自分の判断で出来るものが少なく、集団指導体制の中で決められた路線から外れないようにするために、下ばっかを見て会談する羽目になったのである。

考えてみて欲しい。あなたの交渉相手が菅元総理だったらあなたはどう感じるか?「楽勝間違いなし!」と思うはずだ。バイデン副大統領もその様に感じたはずだ。アメリカが中国に仕掛けた戦略の詳細はまだ伝わってきていない。しかし、それなりの仕掛けがあったはずだ。もう少しすれば、その辺の情報も伝わってくるだろう。楽しみである。

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計り知れない韓国の動揺

2013-12-04 23:19:42 | 政治
先日からコメントするつもりでいtが、既に日が経ってしまった記事について今日は取り上げてみる。

朝鮮日報2013年12月1日「【コラム】世界は韓国を中心には回らない

すっかり有名になった記事だが、ここ最近、韓国では朴槿惠大統領の一方的な反日宣伝外交に対する方針の見直しを促す記事が多い。先月のブログ「韓国が後戻りするための処方箋」では、朝鮮日報の楊相勲論説委員の記事「【コラム】日本を見る目、世界が馬鹿なのか」を引用して、世界の中での日本の高い評価を認める一方で、韓国自体は「現状の韓国はイギリス、フランスの様な世界的な評価を受けている国に向かっているのだろうか?」と問いかけ、事実はそうなっていないから韓国人はそうならなければ世界の中で日本の様に評価されないとしていた。この手の記事は最近徐々に、韓国国内の多くの新聞に見られる傾向だが、今回のこの記事の凄いところはその内容とその執筆者である。

まずは出だしの部分を引用してみよう。
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(「【コラム】世界は韓国を中心には回らない」より抜粋)
地球が宇宙の中心だと信じられていた時代があった。この荒唐無稽(むけい)な天動説が1000年以上も天文学の主流にあったことを思えば、これがいかに当時の人々に気に入られ、安心させてきたかが分かる。事実、そのように信じても生きていくのに何の支障もなかった。だが、最近のこの国の政治家たちのように「世界は韓国を中心に回っている」と誤解し、行動するのは危険千万だ。このところ韓半島(朝鮮半島)の外から聞こえてくる氷の割れるような音は「韓国版天動説」に対する警鐘だ。
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この記事の内容は、韓国人が正しいと思っていることの中には世界の非常識が含まれている場合が最近では少なくないとして、これを天動説と地動説になぞらえ、朴槿惠大統領が正しいと信じ込んでいる外交政策は、実際には単なる天動説に過ぎないのではないかと指摘し、その様な天動説が朴政権で蔓延していると批判している。「韓半島(朝鮮半島)の外から聞こえてくる氷の割れるような音」と表現される、如何にもその音が聞こえてきそうな絶妙な文体で、読み手への訴求力は非常に高い。これは、今までの韓国としては考えられないほどの辛辣な批判であり、彼が天動説と捉える反日一辺倒で中国とアメリカとの間の二股外交という政府の方針の変更を求めているのである。この中では、信じ難いことに日本の集団的自衛権行使の容認も含まれている。しかもその執筆者は姜天錫主筆なのである。新聞社としての社の方針・編集に関する最高責任者である主筆の記事であるのだから、この辛辣な内容を考慮すれば、これは朝鮮日報としての方針転換を宣言したことに相当する。

ちなみにこの記事の最後は次のように締めくくられている。
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(「【コラム】世界は韓国を中心には回らない」より抜粋)
北朝鮮という問題児が隣にいる韓国の選択は、最強国の米国ほど自由自在でない。島国の日本のようにスッパリと二者択一するのも難しい。「韓米同盟」と「韓中友好」のはざまでバランス問題の正解を出すには、国を挙げて知恵を絞り、手探りしていくしかない。その際には「韓国は韓半島(朝鮮半島)統一ムードが熟せば『韓米同盟縮小』と『統一に対する中国支援』を取り換えるだろう」というブレジンスキー元米大統領補佐官の言葉が、個人的な疑念ではないということを常に念頭に置くべきだ。
「世界は韓国を中心に回っている」と信じるのは危険千万で何の根拠もない「政治的天動説」に過ぎない。この色眼鏡を外さなければ、韓国も世界も見えてこない。
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ここでは、中国とアメリカとの間で上手い具合に泳ぎ切ろうとしてきた韓国のこれまでのやり方が既に破たんしてきたことを感じ取り、一方でこれが正しいと提言できるほど簡単な答えなどなく、「国を挙げて知恵を絞り、手探りしていくしかない」としている。この危機感は相当なものである。それほど、今の韓国の置かれた状況は深刻な状況なのである。

さて、時を同じくして、同じ朝鮮日報にタイトルからは一見???という内容の記事もあった。

朝鮮日報2013年12月2日「【寄稿記事ナナメ読み】米中を従え国益を最大化させよ

前日の主筆の記事では否定していたアメリカ、中国間の二股外交に対し、この記事のタイトルを見ると一見、その様な二股(ここでは「米中を従え」という部分にその意味が読み取れる)の極限的な答えを模索しているように見えた。しかし中身は全くの逆であった。この記事は、中国・東華大学の韓国人教授が(韓国の)毎日経済新聞に11月4日付で寄稿された記事をナナメ読みして論評している。そこでは、アメリカと中国との間のバランサーとして二股外交をするのではなく、さらに一歩進んで米中を従える韓国外交の展開というものを訴えている。その背景には、「小学生のようだった20世紀の時とは違い、21世紀の韓国は大学生並みの体格になった。それだけ韓国の立場は強まっているのだから、それに見合った外交を展開すべきだ。米中両国を韓国の『左に青龍、右に白虎(東西を守る神獣)』にし、韓国の国益を最大限にするため21世紀に見合った外交的座標を作らねば」としている。

ここまで見ると、先ほどの主筆の言う天動説そのものであるが、この記事の最後の3行には「本稿は中国が防空識別圏設定を発表する約3週間前に掲載されたものですが、ウ教授が本稿の主張を今後も維持できるか、見守りたいです。」と締めくくられている。つまり、「この期に及んで、まだそんな悠長なこと言っていられますか?」と疑問を投げかけているのである。わざわざ過去の記事を取り上げてまで、「そこまで言うか?」と疑ってしまうほど、(最後まで読むと)主筆の主張を受けた論評になっている。
もっとストレートな記事は次のものである。

朝鮮日報2013年12月2日「韓国が目指すバランサー外交、米中対立下では実現困難

ここでは、(様々な意見が併記されているが、記事の主要な部分では)これまでのバランス外交では対応し切れない困難な現状を指摘し、「伝統的な韓米日三角同盟への復帰を急ぐよう提言している」という意見に賛意を示した感じだ。その中では、中国に対するプレッシャーを与える存在としての日本を評価し、これを活用することも視野に入れている。

そして、今後の大きな方針の指標として、「(何らかの懸案が生じた場合)誰も異議を唱えることができない国際的なルールや原則に基づいて自らの立場を定め、これを守っていくことが望ましい」としている。言い換えれば、これまでのやり方は「国際的なルールや原則に基づいていない」というご指摘そのものであり、それが天動説とも読み取れる。

一連の記事を見ると、これは韓国では既に「何かおかしい・・・」という疑問から、「これではダメだ!」という確信に変わったことが読み取れる。所謂、潮目が変わった瞬間である。中国の防空識別圏の設定がその引き金を引き、そのタイミングで張成沢氏が失脚した。

韓国の動揺は計り知れない・・・。

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