けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

マシンガンの様に立て続けに国際司法裁判所に提訴しろ!

2013-07-31 23:58:20 | 政治
当然の予想された結果であるが、先日の住金新日鉄の判決に続き、今日は三菱重工に対しても戦時下の強制労働に対する賠償命令の判決が出た。対馬の仏像の返却拒否、靖国神社の放火犯に対する日韓犯罪人引き渡し条約に基づく引き渡しに対する拒否など、韓国は既に法治国家としての体をなしていない。28日に行われた東アジア杯の日韓戦では、スポーツの世界にまで常軌を逸した度肝を抜く巨大な横断幕や伊藤博文を暗殺した安重根の肖像などを掲げていた。強烈な反日教育を親子2代に渡り受け続けた世代には、もはや弁えるべき限度がない。その結果、海外でのロビー活動に基づく反日洗脳活動が後を絶たず、アメリカでの慰安婦像の設置などを見れば、既にアメリカ人でさえ我々が訴える正論が通じないことを明らかにした。

強制労働に対する賠償命令はその典型で、世界共通の正義、規範に照らし合わせた「真実」を世界に問うべき時が来ていると思う。その方法は、国際司法裁判所への請求権消滅の確認を求める提訴であろう。

今、日本に一番求められていることは、これまでの長い歴史の中で、アジアの周辺諸国に対してどの様な謝罪を繰り返してきたか、そして経済的支援に加え発展のための技術支援など、様々な形で戦時中に迷惑をかけてきた国々に償いの行動を取り続けてきた。慰安婦問題なども、アジア女性基金などでの取り組みや、歴代総理の謝罪の手紙など、その謝罪の歴史が長年繰り返されていることを示す材料にもなっている。これらを世界に訴えることが韓国や中国の横暴であったり、反日教育の凄まじさを世界に知らしめ、中国、韓国の反日洗脳活動という謀略を食い止めるきっかけになるはずである。しかし、この様な活動を単品で進めても、世界中の誰も振り向かないだろう。であれば、それを強引に振り向かせる仕掛けが必要である。それが、国際司法裁判所への提訴である。

私の勝手な思いとしては、マシンガン的に訴訟を連発するのが効果的だろう。韓国に対する請求権消滅の確認、竹島の領有権問題、韓国・中国の反日教育の是非など、畳み掛けるように訴えるのが良いだろう。そして、同時に安倍総理が世界に対して示している「法の下の支配」を基本原則を強調し、明確にその判決の受け入れを表明するのである。世界中のマスコミはそのニュースを報道するだろうから、その記者会見の中で安倍総理自ら「裁判を通して、我々が戦後の日々をどの様に歩み、謝罪し、経済的、社会的に貢献してきたかも明らかにしていきたい」と訴え、終戦までの歴史を否定することを主眼とするのではなく、戦後70年近くの長きに亘る活動をアピールするのである。多分、その集大成として、再来年の終戦70周年記念の安倍総理談話の中に、その戦後の活動がアピールされるのであろうが、そこでいきなり言っても多分世界には通じない。その前に、裁判という事実を突き合わせて戦う論理的なフィールドでアピールし、総理談話の露払いとするのである。

勿論、判決の受け入れ宣言は例えば竹島の領有権を認められないリスクも伴うが、日本という国が法の下、公平性と正義を重視する良識ある国であることをアピールする良い材料になる。多分、韓国は竹島の裁判には乗ってこないだろう。しかし、請求権消滅の確認の裁判は、元々、韓国の裁判所で議論されている話だから、この判断の是非を国際基準で評価してもらう裁判への参加を拒否する理由はない。だから、是非とも日本政府には国際司法裁判所への提訴を実現してもらいたい。

そのためには現在は非常に良いタイミングである。経済再建はプライオリティNo.1であるが、中国、韓国での裁判リスクは巨大なマーケットの中国(小規模であるが韓国も同様)などでの経済活動のリスクに直結する。その意味では、経済再建のためにも意義がある行動だと思う。

如何だろうか?

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まだまだ、野党の大再編は起きない

2013-07-30 23:35:03 | 政治
産経新聞社とFNNの合同世論調査結果として、民主党と共産党の支持率が逆転したという。東京都議選での善戦で話題となった共産党だが、これは昔ながらの熱心な支援者を除けば「他に選択肢がない」という消極的な支持が中心だから、その様な政党に後塵を拝するというのは「ひとつの時代の終わり」の象徴的な出来事だろう。

話は変わるが、日本柔道連盟の上村会長は早々に辞任すべきだったのがやっと来月中の辞任を明らかにした。ここまでだらだら引きずってきたが、どこからどう考えてもあれだけの状況を逃げ切れる訳がないのは明らかだ。この数か月で日本柔道協会はより立場が厳しくなった。その責任は彼にある。先日のTPPに関するブログでも書いたが、未来永劫、TPPに不参加のままで逃げ切れるはずがないのは、当人達が一番良く分かっているはずである。同様に、あれだけガバナンスの欠如が問題視されて、2度の選挙でこれだけの審判を受けながら、それでもこの期に及んで「誰も責任を取らずに逃げ切れるに違いない!」と信じきっているのは理解できない。これらは全て共通していることだが、「選択肢になりえない選択肢」を「有効な選択肢」と勘違いする姿は、指導者には必要不可欠な「将来に関する多数のシナリオを頭の中に描き、その中でのリスクをマネージメントする能力」が極端に欠如していることの証明である。安倍総理に関しては、6年前の参院選で負けた段階で、若干の判断の遅れはあったかも知れないが、それが致命傷になる前に勇気ある撤退を行い、結果として6年後の復活の道を築く布石となった。今の民主党にはその様な布石を敷く力すら残されていないことが証明された訳である。勿論、今回の参院選での惨敗の責任のA級戦犯は海江田代表ではないのは事実である。A級戦犯は鳩山、菅両元総理と小沢一郎元代表、それに輿石前幹事長のトロイカ・プラス・ワンが最大の責任者である。だから、せめて自ら返り血を覚悟で菅元総理を除名にするぐらいすれば「党改革を行った後に責任を取るのかも知れない」と感じる支持者もいるかも知れないが、結果として党執行部の責任を追及する細野幹事長の首を切ってお茶を濁す辺りは目も当てられない。東京選挙区の候補者一本化調整が不適切であったという反論をする識者もいるが、党のガバナンスを考えれば、まずは菅元総理を除名した上で細野前幹事長の責任問題を追及するという手順が正攻法であり、執行部が手順を踏んで決めた決定なのだから「悪法もまた法なり」を徹底するのが必須である。気に入らなければ逆らって、処分されそうになたら相手の責任を訴えれば許されるなどと言うルールは何処にも存在しない。まずはこの原則を思い知るべきである。

一方、一時は飛ぶ鳥を落とす勢いであった小沢一郎氏は、最近では社民党や緑の党など反原発派の弱小政党を寄せ集めてひとつの勢力を作り上げようと画策しているらしい。元民主党のブレーンである北大の山口二郎教授は自信のツイッターで「まだ日本の政党政治の中に居場所を見つけられるのではない」と述べているが大間違いである。衆院選で嘉田滋賀県知事の名声を悪用した結果、今回の参院選では議席を失った。一部の例外は排除できないが、最近は調子の良いことを言ってその責任を取る覚悟がないポピュリズム候補を排除する傾向が少しずつ目立ってきている。だから、野党の再編とは、その責任ある発言を行える勢力を如何に結集するかという点に尽きる。

みんなの党はどうかと言えば、渡辺代表の主張はあまりにも極端な純化路線を前面に出し過ぎて、かっての民主党の「予算を組み替えれば財源なんて何とでもなる!」という主張との差分が分からない。菅元総理が「官僚なんて大馬鹿野郎」といった発言とも類似していて、ミスター年金と言われた長妻元厚生相ともかぶって見える。結局、何も成果を残せなかったのは、有能だがずる賢い官僚を「天下国家の危機のために一丸となって改革に取り組む」方向に誘導することが出来なかったからである。騙し騙し、そして良心的な改革派勢力を上手く利用しながら事態を少しずつ変えていかなければならないが、その様なポテンシャルを渡辺代表が持ち合わしているようには見えない。だから、渡辺個人商店が野党再編の軸となることはありえない。

また、橋下共同代表や松井幹事長も一時は参院選の責任を取って辞任の意向を示したそうだが、これには訳があるのだろう。任期が残り2年半を切って一時期の勢いが消えた中で、その残された時間の中で大阪構想のラストスパートを行なわなければならないことを考えれば、この二人が早期に国政に専念できるようにするためにも、暫くは国政から離れた所に身を置きたいと考えてのことだろう。結果的に留任となったが、今後もこれまでの延長線上で行動することが確認されたのではなく、日本維新の会の中の活動を大阪構想を実現する道州制、地域主権への活動に絞ることの宣言に近いのではないかと感じる。

結果として、野党再編の主役がいない中での再編劇を我々は見ることになりそうである。まず最初に起こるのは、民主党内の現執行部の責任追及をするグループが大挙して民主党から脱退すること。同様に、みんなの党の江田幹事長を中心とした集団も渡辺代表と袂を分かつだろう。しかし、日本維新の会の東軍と西軍の確執が残された中で、これらのふたつの集団が日本維新の会に合流することは考えにくい。結果として、彼らは橋下共同代表や松井幹事長が2015年末の任期満了までに大阪構想を完了させ、その翌年2016年の夏の来たるべき次期衆参ダブル選挙にて国政に打って出るのを息を潜めて待つことにならざるを得ない。つまり、ドラスティックな野党再編は暫くの間(2年半)は起こりそうで起きないというのが私の予想である。

ただ一方で期待したいのは、民主党の失敗の教訓を活かすのであれば、「反対のための野党」に専念するのではなく、懸案ごとに是々非々で判断する「責任政党」としての自覚が現れ出すのではないかということである。少々楽観的すぎるかも知れないが、日本国民もここ数年で高い授業料を払い学習したために、政治家に求めるものが変わりつつあるような気がする。

ただ、その結果は3年後の総選挙を待つことになる。その半年前に、丁度、大阪市長、府知事の任期が切れる。動き出すのはその時で、(生活の党と社民党を除けば)今しばらくはアベノミクスの行方の模様眺めに終始するのだろう。

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日韓戦の横断幕の大きさに驚き、目覚める人がいるかも知れない

2013-07-30 00:43:22 | 政治
昨日の東アジア杯男子日韓戦で、韓国は性懲りもなくまた「歴史を忘却した民族に未来はない」と書かれた横断幕を掲げて問題となった。さらに、伊藤博文を暗殺したテロリストの安重根の肖像画も合わせて掲げていた。私はその試合を見損ねたので、最初、ニュースでこの話を聞いたときは「またか・・・」と思う程度であった。しかし、ネット上にもその写真が取り上げられると共に、テレビのニュースでもその映像が流されており、その横断幕や肖像画の大きさに度肝を抜かれた。今日はこの点にコメントしたい。

昨年のロンドン五輪の3位決定戦の日韓戦では、試合後に朴鍾佑選手が竹島の領有権を主張するメッセージを掲げ、FIFA及びIOCから処分を受けたが、メダル剥奪を逃れた。多分、韓国からすればあの一軒の決着を見て、スポーツ界のフェアプレーなんて「何でもアリ」感が高まっているのだろう。FIFA及びIOCの判断の甘さが悔やまれてならない。しかし、思い起こせばその際の掲示は小さなボードで一人で簡単にもてる程度であった。小規模な個人的な行為と見て取ることはできた。実際、チーム全体で竹島の領有権を主張しようと提案があったそうだが、チーム内で否定されて実行に移されなかったという背景もある。

しかし、今回の横断幕の大きさはそんな半端なものではない。概ねサッカーのピッチの横幅並みの大きさに見えるから、多分、45mぐらいの幅の超大掛かりな横断幕であったのだろう。安重根の肖像画も、ゴールマウスの10倍ぐらいの大きさの広大なものである。韓国サッカー協会は流石にマズイと思ったようで、前半終了後に強制撤去をおこなっている。しかし、日本からの抗議に対して韓国サッカー協会は特に対応しないとしているらしい。一方で、日本側の応援団の一部が旭日旗を掲げたことに対し、東アジア連盟と議論中だという。もちろんFIFAの応援時の政治的な主張を禁じる規定に照らし合わせたとき、日本側の行為と韓国側の行為を公平公正に議論して頂けば良いので、東アジア連盟などとケチなことは言わず、上位のFIFAが納得できるような対応を求めれば良い。FIFAが納得できなければ、事態はより深刻になるので、これはこれで先行きを見守れば良いだろう。

しかし、これらの事件を見て改めて痛感するのは「もはや、韓国国民の良心に期待することは不可能である」という事実である。実は私は、このサッカーの記事以上に下記の記事に驚きを隠せなかった。

産経ニュース2013年7月28日「韓国、評論家の呉善花氏の入国を拒否 評論活動が影響か

この呉善花氏のことを検索すると、例えば下記の様なサイトが引っかかった。

国際派日本人養成講座2003年10月5日「国柄探訪: 日韓文化摩擦を乗り越えて

ここには、韓国の一人の女性が日本を訪れて、それまでの韓国での反日教育と実際の日本との間のギャップが記されている。そして、文化の違いということで幾度か頭を傾げることもあったが、一方的に自分の価値観を押し付けるのではなく、それぞれが相手の文化を理解して接することで、初めて到達できる「相互理解」というものがあることが書き綴られている。それは些細な「消しゴムの貸し借り」に端を発する出来事であったりするのだが、それなりに的をついたご指摘だと思う。そして、その誤解の根源が何処にあったかといえば、韓国で徹底して行われている「反日教育」がその根本原因だとしている。この様な視点から、彼女は今年の春先の段階で朴大統領の反日的な強硬姿勢を下記のブログで予告している。

BLOGOS 2013年4月18日「朴槿惠大統領『親日幻想』に騙されるな―呉善花(拓殖大学教授)

この中でも同様に指摘されているが、下記の様に反日教育についてまとめている。

「(略)・・・そして日本人を『血も涙もない人間だ』と悪魔のような存在として教わったのである。いま60歳前後以下の教育を受けた韓国国民はだいたい、このような侮日の感覚をもっている。韓国で何かあるたびに日の丸を燃やしたり踏みにじったりするのは、そのためである。・・・(略)」

教育現場で幼い時から悪魔と洗脳され、マスコミもこぞって洗脳をアシストし、その様な歴史が半世紀ほど続いた結果、60歳以下であれば同様の感覚が確立されているという。サッカーの横断幕を掲げるような奴は多分、20~30代ぐらいだろうから、幼い時から悪魔と洗脳された子が、さらにその子供に悪魔と洗脳し、誰一人として「日本人は悪魔だ!」という命題に懐疑的になれない時代に今、韓国は突入している。現在61歳の朴大統領は、その様な教育を受けた世代として、更に若い世代の共感を得るために、自らが正しいと信じる「歪んだ歴史観」「捻じ曲がった民族意識」を振りかざしている。そんな韓国で生まれた韓国人(現在は日本人の呉善花氏)が、「そんなことはない、王様は裸だ!」と叫ぶと、親類の結婚式だというのに、その様な人は入国拒否されてしまう。とことん、純化路線に走る姿勢を崩さない。

世界中の何処に行っても、人それぞれは様々な考え方をするので、100%、例外なく同様の考え方をするとは限らない。日本で言えば、極端なナショナリズムに燃える右翼もいれば、中国、韓国のヨイショに勤しんでいる者もいる。そしてその大多数は平和的で協調的な人達であるの。これは民主主義の国であるが証拠であり、極端な右翼であってもそれを排除できないという約束がそこにはある。一方で韓国はどうかといえば、国民の大半が反日のナショナリスト予備軍で、強硬なナショナリストも大多数いる。マスコミなど殆どそうである。しかし、極々僅か、0.001%にも満たないような僅かな親日、ないしは親日とは言わないまでも公平公正に日本を評価する人々は、上述のナショナリストたちに強硬に排除され、見つかろうものなら国賊扱いで村八分である。それを、民間レベルでイジメの様にネチネチやっているのであれば理解できるが、国家レベルで公式にそれを明言したのが呉善花氏の入国拒否である。立場の異なる両国が理解を深めるためには、少なくとも両者の立場を理解する公平公正な立場の人間は必要不可欠である。日本には少なくともその様な土壌は十分すぎて困るぐらい有り余っているが、韓国の純化路線はその様な人の存在を抹殺しようとしている。これではお互いの理解など不可能である。

少なくとも、その態度だけを見る限りは、戦争と背中合わせの北朝鮮と、いざ戦争になれば後方支援を担うはずの日本との評価において、どの国が敵でどの国が盟友なのかは相当怪しいものになっている。その様な国に対して、「誠意を持って接すれば必ずわかってもらえる」というのは無理だというのを、あの横断幕の大きさを見て改めて感じさせられた。日本政府は、もっとマスコミがあの横断幕の大きさを報じるように、菅官房長官は「幾らなんでも、あの横断幕の大きさは常軌を逸している」と日本国内に訴えるべきである。そうすれば目が覚める人もいるかも知れない。

人が目覚めるには、それなりのきっかけがいるが、あの横断幕の大きさは驚きのレベルだと思った。

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日本維新の会、橋下代表はジェームズ・E・アワー氏に依頼して公開座談会を開催せよ!

2013-07-26 21:02:53 | 政治
まずは今日の産経ニュースの記事を見ていただきたい。

産経ニュース2013年7月26日「【正論】ジェームス・E・アワー 日韓の間の『真実の話』をしよう

ヴァンダービルト大学日米研究協力センター所長であり、レーガン政権下の国防総省で安全保障局日本課長および日本部長を務めた経歴をもつジェームス・E・アワー氏が、韓国の政治家、政府当局者、経済人たちと会談を行った際の状況説明と、それらに対する自らの見解を紙面上で語っている。色々な話題が語られており、その中には慰安婦問題や靖国参拝問題についても含まれる。彼の見解には日本のマスコミが好む「日本政府に対する反体制な志向」の変なバイアスはなく、客観的な事実を背景として議論を進めている。

例えば慰安婦問題については、「それは韓国人を対象に絞った計画ではなかったし、戦時中のこの事業で犠牲となったすべての国籍の女性が被った真の苦痛について、日本が心から悔いていることは疑う余地がない。」と指摘し、加えて「今の日本、韓国または米国の指導者は誰も45年の戦争終結まで中国で行われた売春の慣行を許していない」としている。これらは極めて日本政府の主張と整合していると読み取れる。だから、国際社会に対しては、この前提に立つという土俵の上で、多くの議論をして頂きたいところだろう。

また面白い論点として、アーリントン国立墓地には南北戦争中、奴隷制を支持する南部のために戦った者も埋葬されており、非人道的な罪、戦争犯罪に対する罪などに該当する者をその国の指導者が参拝してはいけないなどというルール、認識はない。だから、日本のA級戦犯が眠る靖国神社への参拝を糾弾するためには、日本のA級戦犯がナチスドイツの大量大虐殺の責任とを負うという前提が必要になる。アメリカにとっても日中、日韓のゴタゴタは国益に反するから、であればこのゴタゴタを解消するための努力はアメリカの国益にも適する。その意味で、ジェームス・E・アワー氏が音頭を取って、例えばアメリカなどの第3国の歴史研究者が参加する形で、本当に「日本のA級戦犯がホロコースト並みの悪事を働いた責任を負うべきか」を評価する研究会を立ち上げる提案をして頂けば、前向きに事態が動き出す可能性が期待できる。ついでに提案させていただけば、刺し当たっての期限を3年程度設け、その期限内ないしは検討結果が出るまでの間は、総理大臣、官房長官、外務大臣、おまけに副総理までの4閣僚は靖国参拝を自粛すると確約すれば良い。もちろん、当事国の中国、韓国が第3国の歴史家の検討の進め方にイチャモンをつけて議論が進まない可能性もあるから、この期間を無制限に長くすると中国、韓国に悪用される可能性がある。3年が妥当かどうかは分からないが、その辺も議論して頂ければ良い。

多分、この中では慰安婦問題における国家・軍隊による強制連行への関与や、南京大虐殺のような両国の歴史研究者の間で評価が異なる案件に対し、第3国の目からその客観性を評価してもらえば良い。ここで行うべきことは、白黒をはっきりさせることではない。あくまでも、中国や韓国の主張に明快な根拠・証拠が存在するかどうかを議論するだけで良い。例えば南京大虐殺を例に取れば、中国側の主張では30万人の大虐殺と主張しているが、それが嘘であるという結論などに導く必要はなく、何処の戦場でもありがちな小規模な虐殺(虐待)があったことは否定できないが、ナチスドイツのホロコーストと比較されるような中国側の主張する大規模な大虐殺を裏付ける証拠は見つからなかった・・・となれば、少なくとも総理大臣が二度と同じ過ちを繰り返さない誓いと共に、戦没者に祈りを捧げることを否定する理由はなくなることになる。

以上の取り組みは、日本維新の会の橋下代表の主張に通じるところがある。ジェームズ・E・アワー氏であれば、日本のマスコミがこぞって橋下叩きに利用した先日の橋下代表の慰安婦発言から、そのポイントとなる部分を分かり易く一般市民(日本国民のみならず、広く世界に対して)に対して適切に翻訳(言語的な翻訳という意味ではなく、噛み砕いて説明するという意味)してくれるのではないかとも思う。だから、橋下代表とジェームズ・E・アワー氏には、何とか公開座談会形式で会談を行い、これをインターネットやテレビの取材などに応えて世界に発信して頂きたいと思う。そして、その会談内容の詳細をテキストに起し、さらにそれを英訳(できれば、韓国語と中国語にも)し、世界に向けて発信して頂きたい。

なお、昨日のブログで安倍総理の靖国神社参拝を8月14日と予想させて頂いたが、私の頭の中でのシナリオでは(勝手に安倍総理の靖国神社参拝を8月14日と決め付けた上で)、この会談をその翌日の終戦記念日にぶつければ、その注目度は最大になると見込んでいる。いわば、安倍総理と橋下代表の連係プレーである。

私としては、是非とも実現して頂きたいのだが・・・。

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安倍総理の靖国参拝を占う

2013-07-25 23:05:41 | 政治
毎日新聞の報道によれば、安倍総理は中国、韓国に配慮して、8月15日の終戦記念日の靖国神社参拝を見送ることを決めたと言う。しかし、それをフォローする報道は見られない。菅官房長官もこの件に関する言及を避けている。ここで私は断言したい。安倍総理が靖国神社をこのタイミングで参拝しないという選択肢はあり得ないと言うことを。

私のこの断言の趣旨は、別に安倍総理は靖国神社を参拝すべきだという意味ではない。そうではなくて、安倍総理が昨年の総裁選前に「前回、総理在任中に靖国神社を参拝しなかったのは痛恨の極み」とまで言っているから、必ず何処かのタイミングで参拝するのだろうという前提に立つなら、このタイミングほど最良のタイミングは他にはないという単純な事実を言っているに過ぎない。さらに、敢えて言うのであれば、8月14日に参拝するのが良いと思う。理由は下記の通りである。

先日の参院選での勝利の後、中国の新華社通信の記者の質問に答えて首脳会談、外相会談の必要性を述べ、「中国国内でも私の発言をしっかりと報道して欲しい」と発言したという。中国、韓国とは何処かで関係改善を図らねばならないし、関係的には今が最悪の状態とも言える。しかし一方、もし両国関係が改善の兆しを見せてしまうと、その時点で靖国参拝をしてしまえばせっかく改善し始めた関係がリセットされてしまい、安倍総理の後ろ向きの姿勢が鮮明になってしまう。さらには、(実際にはそう簡単には事態は変わらないのだが)その関係改善が形となり、様々な民間レベルの交流が復活したとすれば、そこで靖国参拝をすれば日本のみならず世界の報道機関も、野党に加えて盟友の公明党も、さらには同じ自民党内からも、安倍総理に対するバッシングが強烈に巻き起こることは目に見えている。このインパクトは橋下代表の慰安婦発言に対するマスコミの寄って集っての一斉攻撃に通じるかも知れない。橋下代表の立場は単なる弱小野党のツートップの片割れ程度だったからあの程度で済んだのだが、それが日本の総理大臣となれば世界中で面白おかしく取り扱われるかも知れない。だから、選択肢としては日中、日韓の関係改善が図られる前に靖国参拝をしておかなければ、その後に靖国参拝することは不可能になる。

ここで、各国の実情はどうかと言えば、経済再生に向けて強い歩みを続けている日本に対し、中国、韓国の経済はジリ貧である。円安で輸出は好調だから、中国や韓国で今まで同様に日本製品に対するネガティブキャンペーンがあっても、現時点で対中、対韓輸出が落ち込んでいる状況で今後多少落ち込みが増しても、他国への輸出が好調であればそのインパクトは相対的に小さい。一方で、韓国などは対立が激しくなることで日本人観光客が減り、電化製品の売れ行きにも影響が出てくれば、国内経済にネガティブな要因が強まる。肩を怒らせて恫喝して「お前の方から頭を下げて首脳会談をお願い出ろよ!」と迫りたいところであろうが、「だったら今は会わない」と応えれば困るのは相手である。中国も同様で、弾けつつあるバブルを緩やかにソフトランディングさせる政策を李克強首相がリコノミクスと称して進めている以上、経済が今まで以上に失速するのは確実である。このとき、日中間系が不安定で世界からの投資家がチャイナリスクを恐れる状況を作るのは懸命ではない。さらには、関係悪化は対日輸出の落ち込みに繋がりかねないから、今の中国は速やかなる日本との(少なくとも民間レベルでの)関係改善を(本心では)期待しているのは確かである。

だとすれば、今、安倍総理が靖国参拝しても、通り一遍の非難声明は当然ながら行われるだろうが、そこからあまり時を経ないで関係改善の動きが起こるかも知れない。その実績が確立すれば、少なくともそれ以降は同レベルの行動(靖国神社への参拝や奉納など)に対して今回以上のエスカレーションを行わないという基準が出来上がることになる。これまで、総理、官房長官、外務大臣が参拝しなければ過剰な反応はしないと言う暗黙の了解が確立していたが、先日の麻生副総理の靖国参拝と安倍総理の靖国神社への真榊の奉納では、その暗黙の了解を破って中国、韓国が異常なヒートアップを見せていた。しかし、あまりその点が問題とならず、逆にそれが新たな基準となったかのようにも見えていた。しかし、今回はそれをリセットするチャンスでもあるかも知れない。

A級戦犯の合祀の問題をどう捉えるかの議論はあるにしても、戦争で国のために命を投げ出して死んでいった人々のために、後世の国民が祈りを捧げるのに他国から後ろ指を指されるのは明らかにおかしい。これまでの戦後の歴史の中で、日本がこれまでの間に政府、民間を通じてアジアの近隣諸国にどの様に謝罪を行い、国家賠償を行い、経済的や様々な形での援助を行い、戦争に対する償いにどれだけ真摯に取り組んできたかを具体例を挙げて世界にアピールする。さらに、日本のA級戦犯はナチスドイツのホロコーストに関する残忍極まる人道的な罪とは異なる存在であることを説明し、だからこそ二度とその様な悲惨な歴史を繰り返さないという宣言を込めて、戦没者に対する慰霊の気持ちを明らかにすることの正当性を訴えればよい。

終戦記念日は報道機関のマークが厳しくなっているから、この日に靖国参拝をすれば多くのマスコミが一斉にテレビカメラで映像を捉え、世界中にこれを発信するだろう。ただでさえ終戦の日のイベントでスケジュールがタイトだから、お忍びで参拝するなど不可能である。しかし、8月14日はポツダム宣言を受諾した日であり、つまり日本が(日本国民に対してではなく)世界に対して敗戦を受け入れることを宣言した日である。この記念日に英霊の御霊に祈りを捧げ、翌日の8月15日の終戦記念日に国民に向かって、これまでの日本の謝罪と償いの歩みを丁寧に説明し、今後二度と悲劇を繰り返さないという誓いを宣言するという流れは、(中国、韓国は受け入れ難いだろうが)日本の主張としては筋が通っている。

選挙前であれば、選挙でのネガティブキャンペーンに利用されかねないから靖国参拝は無理であったろうし、今後数ヶ月経って中国、韓国が長期政権となる安倍総理への戦略として柔軟路線を示し始めたら、やはり靖国参拝は遠のいてしまう。だから、参拝するならこのタイミングしかないのである。そしてこれは、まさに千載一遇のBestなタイミングなのである。

安倍総理がどう考えているのかは知らない。しかし、もし私が安倍総理の立場であれば、側近のを通じて「靖国参拝を諦めたらしい・・・」という嘘の情報(厳密には、8月15日は断念したが14日は断念していないという見方をすれば、必ずしも嘘ではない)をリーク(嘘なので、当然、官房長官などが公式会見で言うことはできない)し、マスコミを油断させてお忍びで参拝するだろう。小泉元総理も似たようなことをしていたが、マスコミの批判はあっても、賢明な判断であったと私は思う。

答えは8月14日、15日に出るはずだ。

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TPPに対する論理的な思考とは・・・

2013-07-24 23:58:07 | 政治
TPPの交渉が始まった。ニュースでは相変わらず農業分野などでネガティブな情報を流し、農業団体に支援された自民党員が交渉が行われているマレーシアに乗り込んで、交渉の担当官にプレッシャーを与えている映像も流されている。結果として、TPPへの参加が良いか悪いのかは現時点では分からないが、論理的な思考で明らかに出来る部分もあるはずだ。TPP参加の是非を議論するのは専門家に任せるとして、その交渉参加への決断が遅れたことに対する是非を考えてみたい。

まず、フローチャートにして整理してみると分かりやすいだろう。



最初の選択肢は「早期に交渉参加の決断をする」であり、この判断で「Yes」であれば、少なくとも交渉の結果勝ち取る条件は早ければ早いほど有利な条件となる可能性が高いことは明らかである。言い換えれば、早く判断したことで、交渉の結果が不利となることはあり得ない。次に、この先の選択肢は「交渉の結果が許容範囲であるため、TPP参加を決断」であり、「Yes」を選択するケースは最もHappyなシナリオで、早期判断で好条件を勝ち取ってめでたく「TPP参加」に至ると言うものである(Case-A)。しかし、ここで「No」となる場合もある。つまり「交渉の結果が許容範囲でない」という状況である。この先の選択肢は「TPP不参加を選択可能」であり、ここで「Yes」であれば、「参加条件が国益に沿わないから不参加」に至る(Case-B)。これはHappyとは言いがたいが、少なくとも早期に交渉参加を決断したことが悪い結果につながってはいないことは確かである。ところで先の条件判断で「No」についてはどうか?これは「参加条件が国益に沿わないから参加したくはないが、もはや逃げ切れない状態で、已む無く参加」に至るというものである(Case-C)。これについては後ほど議論する。

次に、一番最初の条件判断で「No」を選択する場合を考える。つまり、「早期に交渉参加の決断をぜず、ずるずると交渉参加判断の時期が遅れる」という事態である。この場合に漏れなく付いてくる状況は、「既に早期交渉参加組みが多くの決定を行っており、仮に交渉参加を決断しても、早期判断に比べ相対的に日本に不利な条件が確定済みとなっている」という状況である。このルートにおける次なる条件判断は、「結局、最後の最後の判断は交渉に参加である」である。ここで「Yes」の選択の場合、つまり遅ればせながらの参加となる場合、次の条件判断は「交渉の結果が許容範囲であるため、TPP参加を決断」である。ここで条件が許容範囲で参加を決断する「Yes」の場合を考えてみれば、「結果的に許容範囲の条件を勝ち取ってTPP参加となるが、決断の遅れに伴い勝ち取った条件はCase-Aよりは不利である(Case-D)」というものとなる。ここで「No」であれば、「交渉の結果が許容範囲でない」という状況であるが、先ほどの例と同様で、この場合には次の選択肢「TPP不参加を選択可能」に対し、「Yes」であれば、「参加条件が国益に沿わないから不参加」に至る。ただし、これはCase-Bとは微妙に意味が異なり、「(今となってはどう転んでいたかは分からないが)ひょっとしたら早期に交渉開始していれば好条件で参加を決断できたかも知れないが、結果的にTPP不参加を決断(Case-E)」というものである。「たら」「れば」を言えばきりがないが、愚痴りたくもなるストレスがつのる結果である。一方で、条件判断で「No」の場合は「もはや逃げ切れない状態で、已む無く参加」に至るというものであるが、これもCase-Cとは微妙に意味が異なり、「もはや逃げ切れない状態で已む無く参加ではあるが、(今となってはどう転んでいたかは分からないが)ひょっとしたら早期に交渉開始していれば好条件で参加となっていたかも知れない(Case-F)」というものである。最後に残されたルートは、結局最後まで一貫して「TPP交渉不参加を貫く(Case-G)」というものである。

さて、ここまで整理したところで、この「Case-Gを選択して良かった」というケースがどの様な場合かを考えてみたい。もし仮に、交渉の結果、「許容範囲の条件を勝ち得たのでTPP参加」というCase-AないしはCase-Dであれば、これは「TPP交渉不参加を貫く」というCase-Gは裏目に出ていることになる。また、「参加条件が国益に沿わないから不参加を最終的に決定」というCase-BないしはCase-Eであれば、様々な選択肢を手にしたが結局、TPPに参加しないという選択ができたのだから、決してCase-Gに比べて悪い結果ではない。後になって、「交渉に参加していたらどうだっただろう?」などと迷わなくて良いだけ、寧ろCase-BないしはCase-Eの方がCase-Gより好ましいと考えるのが自然である。となると、Case-Gは「参加条件が国益に沿わないから参加したくはないが、もはや逃げ切れない状態で、已む無く参加」に至るというCase-C及びCase-Fよりは結果的にはましだったというシナリオが導かれる。ただし、Case-Cであれば明らかに「最後までTPP交渉不参加を貫けば良かったのに・・・」という結論になるが、Case-Fに関しては「最後までTPP交渉不参加を貫けば良かった」のか、「もっと早く決断してCase-Aに導くべきだったのか」は判断が付かない。だから、Case-Cにならない限り、仮にCase-Gになったとしても本当にそれで良かったのかは明らかでない。

ところで、各ケースはあたかも同じようにその状態への到達可能性を前提で議論したが、本当にこれらのケースは状態として有り得るのだろうか?例えばCase-Gは簡単に「TPP交渉不参加を貫く」と書いてしまったが、これは条件判断「結局、最後の最後の判断は交渉に参加」に対して「No」を選択した結果なので、「最後まで何と言われようと、交渉に参加の圧力を突っぱね続けることができる」という前提が必要となる。これは本当に有り得るシナリオなのだろうか?

以上、色々とシナリオを吟味したが、興味深い論点を整理してみよう。とりあえず、下記の3つはどうだろう?

(A)好条件(例えば早期参加)で交渉すれば、国益に合致する条件をかちとれるのか?
(B)交渉参加後にTPP参加は国益に反すると判ったときに、TPP不参加を選択可能か?
(C)最後まで交渉参加の圧力を本当に突っぱね続けることができるのか?

上述の(A)は、これは「やってみなければ分からない」というのが正直なところだが、努力次第で結果を変えることが出来るという性質を持ち合わせる。次に(B)であるが、以前、民主党政権時代に前原誠司氏が「イザとなったら、嫌なら抜ければ良い」と発言して「出来るわけないだろ!」という反論の集中砲火を受けた。勿論、決着は付いていないのだが、私に言わせれば答えは簡単である。答えは、「交渉を途中で抜けることは出来ないが、最後に国会で『批准』しなければ、等価的に『TPP不参加』と同じ」である。政府は国会に「TPP参加」の批准要求をかけるが、「TPP参加は国益に背く」が共通認識となっているのであれば、与党が党議拘束をかけずに採決を行えば批准などできずにTPP参加はお流れとなるのである。何をもめているのか知らないが、これで十分ではないのか?意味不明である。そして最後の(C)であるが、これはTPP反対派は何か勘違いしている。この点を整理してみよう。

今現在の状況を振り返れば、自民党、公明党の政府与党がTPP交渉の参加を決断した。日本の報道機関は少々勘違いしている部分があるのだが、ジャーナリズムなるものは反体制であることが重要だと思っているから、政府与党の方針であるTPP参加を目指した交渉参加に対し、農業関係者や医療分野などで「TPP参加は弱者苛めだ!」というスタンスで政府与党の足を引っ張っている。しかし、例えばTPP交渉が完了してTPPが始動し、日本だけが高い関税で不利な状況に追い込まれ、輸出産業界が振るわずに景気が一気に冷え込み、失業者が増えるなどという状況になれば、マスコミは「TPPに参加していれば、こんなことにはならなかった!」と言うだろう。さらには、保護されたままの農業分野も、結局、何も変わらずにジリ貧が更に加速し、農家の平均年齢が70を勇に超える事態になれば、「そもそも、TPPを回避してぬるま湯に浸かっていたから悪い」と非難轟々となる。中国包囲網のひとつの手段とTPPを考えているアメリカからすれば、日本の不参加で不満が募り、日米同盟に歪がでてそこを中国に突かれ、尖閣を中国に占領などされようものなら、「やっぱりTPPは参加しておくべきだった!」となるかも知れない。冷静に考えれば、TPP参加で困るのは農家よりも農協などの利権団体である。さらには、日本医師会などを含め、自民党の集票マシンと化している団体を守るためにTPP反対を唱えている人が殆どだから、流れが少しでも変わればマスコミは一気に「TPP参加すべし!」の大合唱に流れる。その代わり見の速さはこれまでも経験済みなはずである。この様に考えれば、農協や日本医師会などの利権団体が最後まで隠せない限り、最後まで交渉参加の圧力を突っぱね続けることができるなどあり得るはずがない。だから、結果的に(B)でTPP不参加を選択可能(と等価)である限り、何処かでTPP交渉参加する選択はCase-Gよりも明らかに良い判断だし、(C)で最後まで逃げ切れないということはCase-Gというのは実際には「選択不可能な選択肢」ということになる。

この様に考えれば、真の意味でTPP参加が国益に適うのか反するのかに関係なく、より早い段階で交渉参加の決断をするというのが「正解」のはずである。TPPのメリット、デメリットを何処までも議論し続けて、交渉参加の決断を遅らせるのは「確実に国益に反する」と言えるのではないかと考える。

実際、今回の交渉参加により、かなり不利な状況に追い込まれているという現実が見え始めてきた。しかし、それは「即座にTPP交渉脱退」を指し示すものではない。利権集団に操られて、マレーシアまでプレッシャーをかけるポーズを示すために出かける暇があったら、もっとやるべきことがあるだろう。成長戦略の中で、どの様に農業問題を扱い、どの様にジリ貧の農業を立て直すかを考えることもなしに、物見遊山でマレーシアまで出かけていく馬鹿が何処にいる。

彼らが何処で道を誤ったのかは明らかである。論理的な議論の前に「最初に結論」を定め、後からその結論に導くための屁理屈を捏ねくり回したからである。国会議員に求められるのは、論理的な思考であり、後付の屁理屈ではない。だから、今はどれだけポジティブな議論ができるか、それを彼らは示すべき時なのである。

分かっているのだろうか、あの人達は・・・。

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あなたのその行動は国民にとって害悪だ!

2013-07-23 22:49:35 | 政治
少々強烈なタイトルで申し訳ない。名前を語るのも嫌なので仮にY氏と呼ぶことにしよう。原発反対を訴えて当選した彼のことである。今日は彼の行動が持つ意味について確認してみたい。

まず順番に議論を整理したい。原発問題を議論する際に、その議論の出発点を何処に置くかで結論は多分異なるであろう。例えば、今現在の技術レベル(シェール革命が起き、一方でもんじゅ等の再処理技術が世界中で頓挫しているという現状を含む)及び福島第一原発事故を経験した現実を前提にすると共に、更に加えて(ここが重要なのであるが)原発施設が日本の中にまだ建設されていないという(現実とは全く異なる)状況を前提条件と捉えて、「これから原発施設第1号機を日本国内に作るべきか否か?」という議論をするのであれば、多分、多くの人の結論は「原発はいらない」となるのであろう。私もこの議論には同意する。しかし、今から何十年も昔であれば議論は全く異なるはずである。

例えば、石炭から石油へのエネルギー革命で中東の石油への依存度が極端に高まり、一方でオイルショックが起きれば石油に変わるエネルギー源の確保は国家の浮沈にかかわる最優先課題と位置づけられた時代を前提とする場合である。さらには、広島、長崎に原爆が投下された後、世界中の大国がこぞって原爆を保有していった中で、原子力関連技術の蓄積はあくまでも平和利用というオブラートで包みながらも、イザとなった時に手遅れにならないために、国家の選択として原子力技術の確立が避けて通れなかった時代と考えても良い。さらにそれは、公共の福祉に沿った判断であれば、国家のために必要であれば個人の権利の一部もある程度拘束されても致し方ないという考えも強くあり、スタート時点ではトイレのないマンションでも、いつかはトイレを確保することは可能だろうと安直に考えられていた時代でもある。その様な時代を前提とし、世界の趨勢がひとつの方向に向かう中で、ひとりだけそこから取り残される決断をすることが何を意味するかを考えれば、過去の政治家や産業界が、(苦渋かどうかは知らないが)ある種の大きな決断をしたとしてもそれは自然な流れであろう。

だから、ここから先の有益な議論とは、その様な時代に原子力の利用に手を染めてしまったという現実に沿った前提条件をそこに設定し、その土俵の上で議論を進めなければならない。つまり、現実には多数の原子力発電所が存在し、数多くの使用済み核燃料が同様に存在し、さらには福島第一原発を初めとして現存する原発全てを少なくとも数十年後には廃路にしていかなければならないという現実を踏まえた上で、今後、どの様な選択をするのが正しいかという議論をするべきである。

ここでまず理解すべき点は、日本中の原発を廃路にするにはそのための費用が発生するが、その費用は今直ぐ原発を止めて廃路にしても、今後、安全が確保できる範囲で稼動させた上で寿命に伴い廃路にする場合であっても、どちらも廃路にかかる費用は同じであるということである。原発のランニングコストを議論する場合、先に示した「まだ日本の中に原発が存在してはない状態」を前提として評価するランニングコストと、「既に原発が存在している状態」を前提とした、あくまでも今後の運用において必要となるランニングコスト(過去の費用を組み込まないという意味)とは全く異なる値になる。反原発を唱えたい人からすれば不本意な設定かも知れないが、現実に即した議論とはこの様なものである。この前提で議論する場合、共産党や社民党などの極々一部の勢力を除けば、少なくとも10年(幾つかの政党にとってはそれ以上かも知れないが)の期間をかけて原発ゼロに導くというフェードアウト型の着地は、政党の政策としては概ね8割以上の多数派意見とみなすことができるだろう。その着地が10年か30年かで違いはあるかも知れないが、その過渡期においては安全が確保された原発の再稼動は止むなしという判断である。

さて、問題はここからである。では、如何にして安全を確保するかという議論である。過去のブログでも散々議論してきたが、福島第一原発があの様な事故を起こした背景を振り返れば、私なりの結論は「反原発論者と原発推進論者の議論が噛み合わなかったこと」が最大の原因だと考えている。常識的に考えれば、原発推進論者であっても原発の危険性は熟知しているので、その危険を回避するための方策を最大限に取りたいと思う所だが、これまでの対策に仮に不十分な部分が見つかった時に、その対策を大掛かりに講じることが何を意味するかを考えれば、正面切ってその対策を取ることが出来なくなってしまう。つまり、「安全だ!安全だ!」と当初は言っていたのに、「いや、実は色々調べてみたら十分ではなかった。今回の対策を施せば十分になるから対応したい。」などと言われれば、反原発派は喜んで「ほうら、お前らの安全神話など嘘八百ではないか!」と大騒ぎするのが目に見えている。先月のBS朝日の激論クロスファイアに東京電力の社長が出演して色々なことを語っていたが、原発に対する避難訓練ひとつを取ってみても、安全を前提とする電力会社が大々的な避難訓練を行うと、安全神話との整合性が取らなくなるから、一般市民を巻き込んだ避難訓練ではなく、こじんまりと関係者のみで避難訓練を行わなければならなかったと述べていた。

これらは非常に悲劇的な事態である。本来は「安全」と「危険」は0(ゼロ)と1の2値で判断されるものではなく、その間の連続的な値を取り得るものである。つまり、危険な事態の発生確率は0%でも100%でもなく、例えば0.0000000001%とかの様にどれだけ0%に近づけるかを議論すべきものである。だから、0.0001%から0.000001%へ安全率を2桁改善する対策が見つかれば、2桁改善の対策を取りたいと申告し、反原発派も「原発には反対だが、安全度を向上する方策は歓迎する」という対応を取るのが前向きな議論というものである。福島第一原発の吉田所長が貞観地震での津波の高さの情報を受けても対策が取れなかった理由の最大の原因は、この様な背景が第一にあったと考えるのが妥当だろう。

だから、民主主義国家において国会議員の大多数が少なくとも10年の歳月をかけて原発をフェードアウトするという共通認識があるのであれば、ラディカルな反原発派であろうと多数派の選択した道を歩む中での安全性向上を議論して頂かなければ、それは先の失敗の繰り返しに繋がるので困るのである。0.000001%から0.00000001%へ安全率を2桁改善できるのであれば、それを大いに評価できる前向きな精神を持って頂かないと困るのである。それが十分か十分でないかの議論は当然必要にしても、少なくとも安全性の向上に対する飽くなき取り組みを良しと認めてもらわねば困るのである。0.0000000001%と100%を「絶対的な0%ではない点で同一」と十把ひとからげにされては困るのである。

沖縄の米軍基地問題もそうだが、迷惑施設でありながらそれが存在しなければその迷惑以上に悲惨な事態になりかねないというような問題は山積みである。「将来的に石垣島や沖縄本島などが中国に占領される危険性を覚悟の上で、米軍基地を沖縄から全て追い出すのか?」と問われれば、当然ながら「中国による占領は困る」という結論になる。では、「米軍の代わりに自衛隊を軍隊に格上げし、徴兵制と共に大幅に増強して沖縄に駐留させるか?」と問われれば、「それなら米軍にいてもらった方がまし・・・」ということになる。であれば、それが亀の歩みであっても沖縄負担の軽減を着実に前に進めているのであれば、その歩みを速めることに精を出すべきであり、「亀の歩みなら止めてしまえ!」ということにはならない。一歩でも二歩でも前進したのなら、それを評価してもらわなければ事態は変わらないのである。

この様な視点でY氏の行動を見れば、彼は科学的な根拠がない0 or 1の議論で国民を欺こうとしている。彼は何度も繰り返し、「震災瓦礫も危険であり、あれも危険、これも危険、全部危険」と誤った洗脳活動を繰り返している。思想・信条の自由は認めるから過剰に放射線を怖がるのは勝手だが、事実に反した過剰な「怖い怖い詐欺」は社会にとって害悪である。そして、この様な人達は決して0.000001%から0.00000001%へ安全率2桁改善を評価しないだろうから、彼らの危険な活動が幅を利かせれば利かせるほど、原発の安全対策は後ろ向きにならざるを得ない。しかし、国会における8割もの多数派政党が10年程度の脱原発までの移行期間を容認するのであれば、少なくともその期間は危険な原発と共存しなければならず、その危険性の低減に前向きでなければ、結果として危険な状態にさらされることになるのである。つまり、言論・思想の自由は認めるにしても、根拠のないデマを吹聴して国民を危険な状態に陥れる活動・行動は、現在の法律では取り締まることは厳しいかも知れないが、多くの国民が「それは害悪以外の何ものでもない!」という認識を持ち、その様な害悪を排除する知識を身につけて然るべきである。しかし、不思議なことに多くのテレビ局は映像的に人目を引き易いという理由で、様々な番組にインタビューやゲストとしてY氏は出演していた。テレビ局の良識を疑りたくなる状況である。

このY氏のラディカルさは、彼を支持する団体に中核派や日本の国益を害する諸外国勢力がついていることからも伺い知ることが出来る。悪魔に魂を売ってまで国会議員の椅子を求めるという姿を、多分、彼に投票した人達は知らないだろう。しかし、この様な病巣は一旦体に取り込まれると、徐々に転移して体全体を蝕みかねない。

その様になってからでは遅いのである。彼の行動は、科学的、論理的、経験的に後ろ向きであることは上記に説明したとおりである。そんな彼に踊らされてはいけない。悪魔は仮面を被って手招きをする。国民は早くそれに気がつくべきである。

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安倍総理の足を引っ張る自民党の亡霊を手始めに退治する方策

2013-07-22 23:40:43 | 政治
昨年末に安倍政権が樹立されて以降、アベノミクスの快進撃は続いており、一時期の株価の乱高下こそあったものの、その後に落ち着いて、昨日は参議院選挙で与党の大勝利を収めた。決められない政治に幕を下ろし、少なく見積もっても後3年は継続する長期政権の下で、政治が大きく前に進む躍動を感じ始めている。しかし、自民党の圧勝ムードが高まっていた今年の春辺りから、自民党の大物OBを中心に怪しい動きが目立っていた。所詮は引退した議員だからどうでも良い話のようにも感じるが、その様な話はマスコミや海外のよからぬ勢力は大喜びである。今日は再スタートした安倍政権が少なくとも身内などに邪魔などされぬよう、安倍総理の足を引っ張る亡霊を先に退治する方法について提案してみたい。

さて、先ほどの怪しいうごきであるが、その最も顕著な例は自民党の重鎮(大物OB)による共産党機関紙「赤旗」への寄稿である。言うまでもなく、資本主義を基本原理とする自民党にとって、共産主義を標榜する共産党は明らかに敵対勢力である。政治家であれば同じ党に所属していても微妙に主義主張が異なることは否定しないが、しかし、志を同じくする同志であるはずの党の最高責任者に反旗を翻すために、敵対勢力と行動を共にするような行動は「裏切り行為」としか言いようがない。民主党が政権を取った後、僅か数年で崩壊状態になった理由は、同じ党内での内ゲバが白昼堂々と行われていたことに大きく起因する。鳩山元総理、菅元総理が総理辞任ないしは政界引退後に、どれだけ民主党の崩壊に寄与したかは言うまでもない。その様な意味で、自民党の大物OBなどがこれからの安倍政権にとって、どれだけネガティブな要因になりうるかを過小評価してはいけない。それが小さな小石でつまずくことのないうちは良いが、次第に大きな重石となる前にその危険性を摘んでおく必要があると考える。この意味で、「赤旗」へ寄稿したり、わざわざ中国まで出向いて日本の国益に反する中国に対するヨイショ発言をする人達を敢えて「亡霊」と呼び、その亡霊退治の方法を考えてみた。

ではそのためにはどうすれば良いか?私は、これらの人々に「自分に都合の良い発言」だけをさせるのではなく、「自分の都合の悪い発言」も合わせて発言させるような工夫をするのがひとつの手だと思う。例えば自民党や政府が、何処かのシンクタンクに声をかけて、そのシンクタンクから自民党の亡霊達にインタビューを行い、その内容を公表させるのである。

例えば分かり易い例としては日本の「右傾化」問題だろう。中国、韓国は安倍政権を「右傾化」と非難するし、アメリカの中でもこのような「右傾化」を危惧する声は少なくない。しかし、この「右傾化」なるものを、単なるこれまでの日本と現在の日本との「相対評価」ではなく、諸外国との比較の中で明らかになる「絶対評価」を亡霊達に求めるのである。

多くの人が感じていることだと思うが、日本の「右傾化」という主張はこれは日本だけにフォーカスして過去の政権と比較した議論をするからこうなるのであって、もう少しグローバルな目で見れば結論は異なってくるだろう。例えば、太平洋戦争時代に同一の経験を共有しているはずの「中国」「台湾」というふたつの中国において、歴史認識や日本の戦後の謝罪や貢献に対する評価は180度異なる。これは、(敵の敵は味方というロジックもあるかも知れないが)それだけでは説明がつかないほど台湾国民の日本に対する印象はすこぶる良いという事実がある。中国が、フィリピンやベトナムなどの国々と領土問題を抱えて問題を起こしていることなどと比較すれば、真の意味での「トラブル・メイカー」が誰なのかはおのずと見えてくる。

これと同様に、日本を「右傾化」というのであれば、その様な人々は中国や韓国の「反日暴動」をどう評価するのかを聞いてみるべきである。つまり、「右傾化度」の様な指標を適宜定義して、その右傾化度を中国、韓国、日本に対して同様に評価させるのである。

例えば、以下に示すような手法である。まず、右傾化と左傾化、ないしは極右と極左というのは政治的な偏りとしてあまり区別する意味がないので、所謂センターからどれだけ離れているかを評価することとしよう。一次元の軸上に1~10の10段階で評価し、1は極めて平和的・中立的・友好的なポジションで、10をファシズムに匹敵する極右、極左状態だとする。政権に関して言えば、多数の閣僚などの平均値を議論するのはあまり意味がないので、総理大臣や国家主席や大統領、及びその取り巻きの右傾化度を議論すれば、一次元軸上に「点」として右傾化度を示すことができる。一般民衆の右傾化度の場合には、極端なナショナリストと普通の平和的な人とが国民の中には混在しているから、右傾化度をx軸に、その確率分布(人口分布的なもの)をy軸に示す「右傾化度分布」を評価しても良い。当然ながら、インタビューをする相手は細かなデータを持っている訳ではなかろうから、あくまでもイメージとしてどの様に感じているかを示してもらえれば良い。

多くの一般国民は、日本の右傾化を主張する人の「中国・韓国の右傾化度」と「日本の右傾化度」の評価の相対的な関係(すなわち、どちらの方が右傾化しているのか)と、自分の抱いている評価のイメージとを比較することで、その感覚が共感を持てるものなのか持てないものなのかを肌で感じることができる。多分、自民党の亡霊の多くは中国、韓国に対して甘い評価を行う一方、安倍政権には非常に厳しい評価を行うであろう。相対的に、習近平国家主席や朴大統領よりも、安倍総理の方がより右傾度が高いと評価するならば、多くの日本人は「えーっ、そんな馬鹿な!」と感じるだろうから、どの人の主張には偏りがあり、どの人の主張には偏りがないのかを明らかにすることが出来る。もし仮に中国、韓国の右傾度が安倍政権より高いと言うならば、相対的にもっと酷い奴らを責めずに何故身内だけを責めるのかに疑問を感じるだろう。

当然ながら、これは右傾化だけの話ではない。例えば、田中元総理と周恩来首相との間で尖閣の棚上げ合意があったと主張するならば、何故、両国の外交文書に明確な合意が記されていないのかの説明を求めれば良い。そして、声明などの形で公になっていないにしても、密約でも良いから両国の合意として位置づけられて外交文書に明記されている内容と、単なる会話として話された経緯はあるとしても、一切の公式な記録に残されていない内容とで、国際的な位置づけがどの様になされるべきであるかを聞いてみればよい。また河野談話などの見直しをけしからんというのであればそれはそれで一理あるとしながらも、では昨今の中国や韓国の蛮行をどの様に評価するのかをひとつひとつ評価してもらうのである。慰安婦問題について更なる謝罪が必要というならばそれはそれで一理あるとして、では河野談話以降、アジア女性基金などの創設を含めた日本の対応に対し、さらに過激に謝罪と賠償要求を強く求める韓国をどの様に評価するのかを聞くべきである。そして、韓国最高裁が慰安婦問題に対する韓国政府の不作為を違憲と評価したり、最終且つ完全に解決したはずの元新日鉄住金などの強制労働に対する韓国高裁の判決(及び最高裁の差し戻し)などを引き合いに出し、日韓基本条約などとの関連で韓国側の主張をどの様に評価すべきかを聞いてみるといい。さらに、対馬の仏像の問題、靖国神社放火犯の引渡し拒否などについて、その既に法治国家年としての体をなしていない韓国の現実をどの様に評価するのかを聞いてみたい。日本のヘイトスピーチを非難するならそれはそれで一理あるとしながらも、中国や韓国で行われる反日無罪の暴行や少年少女にまで徹底した反日教育をどの様に評価するのか、その率直な感想を聞いてみたい。そしてその評価を、喧嘩両成敗として総懺悔するのではなく、絶対的な指標でその悪質度を定量的に評価してもらいたい。アメリカでは交通事故を起こしても先に謝ることは絶対しないといわれるが、絶対的には相手が悪いのに、まず先に自分の悪いところを認めて謝ってしまうというのは世界標準ではない。相手に謝る気持ちがないのであれば、せめて「自分の悪いところを謝る」と同時に、「相手の悪いところ」も指摘していただき、その悪さの度合いを絶対的な尺度で示していただかないと、建設的な議論は前に進まない。その様な要求を拒む理由は彼らにはないはずである(強硬に回答を拒否するのであれば、それを公開するのもひとつの手である)。

この様にすれば、多くの亡霊がどれほど「亡霊」なのかが見えてくるはずだ。

勿論、これは多くのマスコミや諸外国の政府、報道機関にも問い合わせてみたいことだが、自分に不利なことを諸外国の人々は語ろうとしないだろう。しかし、まかりなりにもかっては自民党の重鎮として君臨した人ならば、自分の政治信条を都合が悪かろうと明確にする義務があると迫ることは出来るだろう。その様な人々が本音を語るとき、その亡霊は「パチン」と音を立てて消えてくれるのではないかと私は予想する。

そう上手く行くかどうかは怪しいが、足元を確実に固めるためには試しにやってみる価値はあると思う。

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面白味も高揚感もない選挙が終わり、これからが本番の始まりである

2013-07-21 23:58:07 | 政治
参院選が終わり、自民・公明の与党過半数が回復し、ねじれが解消した。非常に手短ではあるが感想を書いておく。

まず、今回の選挙は何とも不思議な選挙であった。自民党からすれば圧勝ムードだったが、6年前のトラウマから、安倍総理はねじれの解消を最優先に掲げ、一切のチャレンジがなかったように感じる。自民党の今回の選挙の最大のテーマは「如何にして失策せずに乗り切るか」であり、相手を打ち負かして圧勝して憲法改正に必要な2/3議席に如何にして近づけるかという考えは全くなかった。それほどまでに、石橋を叩いてでも確実に渡りきり、アベノミクスの完成により最低限の経済再生を実現するという強い意志を示していたのかも知れない。選挙区ごとの得票数を見る限りでは、2人区以上で2人目を擁立して更なるプラスの議席が狙える選挙区は幾つもあったと思うし、その様なチャレンジをしていれば自民による単独過半数も実現できたのかも知れない。しかし、その様な誘惑には目もくれず、あくまでも着実な捻じれ解消を求めていた。

一方の野党は、自民党の圧勝は横に置いておいて、何とか2人区以上での議席を確保しようと必死で、自民を攻撃するというよりは野党間での漁夫の利狙いの様な感じでもあった。みんなの党の渡辺代表は、多分、(私の勝手な予想では)橋下市長の慰安婦発言の意図を理解した上で、あくまでも選挙での損得勘定を考えて、維新票を横取りすることを狙って勝負をかけたのだと思う。結果を見る限りでは、橋下市長の慰安婦発言の影響は今回の選挙では極めて限定的で、逆にみんなの党は策を弄した割には得るものはなかったという状況だろう。細かい選挙区での票読みまでする気はないが、あそこで渡辺代表が橋下市長の慰安婦発言を受けて「みんなの党の立場とは相いれないが、橋下市長が主張する『謝罪すべきことは謝罪し、事実が明らかになっていない点に関しては、有耶無耶な決着ではなく明らかにするための努力を日韓両国ですべき』という一点については、それを否定することは誰にもできないのではないか?また、日本の慰安婦問題の真実を明らかにすると共に、女性の人権のためには諸外国の慰安婦制度についても光を当てるのは有益かも知れない。」ぐらいの発言をしていれば、もう少し違った結果になっていたのかも知れない。

さらには、多くの野党がアベノミクスの批判をしていたが、一時期の株価の乱高下が一服して以降は、下手に攻撃しすぎてアベノミクスが成功したら逆に自分の政治生命に傷がつくという変な遠慮から、この辺についてもあまり議論にはならなかった。原発問題なども同様で、衆院選前も参院選前も同様に、朝まで生テレビの中で野党の責任者に具体的な脱原発の実現方法を問うても、誰一人としてその道筋を示せるものがいなかった。国民もこの辺の現実に嫌気がさし、野党候補者もあまり反原発を前面には出さない様になっていた。この辺からも、野党候補者もチャレンジをせずに守りに入っていた感がある。

とは言え、結果として面白い点もある。生活の党、社民党、みどりの党などのポピュリズム政策を掲げて票を得ようとする勢力が圧倒的に減退した点であろう。しかし逆に、東京都の様に5人区ともなると、4議席目、5議席目の得票率は意外に低くても何とかなってしまうため、この様な選挙区こそポピュリズム政策の草刈り場となり易いことが示された。電力を使いまくるという東京都民が反原発候補を当選させるという喜劇が何とも言いようもなく腹立たしいが、しかし、その候補は正々堂々と公職選挙法に違反する「100万人メールメール大作戦」なるものを公式ホームページ上で展開し、当然ながら本人のメール受信の同意がない知人、友人のメールアドレスを情報提供するよう呼びかけ、実際にそのアドレスにメール送信をして、更にご丁寧にその直後に総務省に選挙違反しましたと謝罪しているというから笑える。殆ど確信犯だから、今後の展開(当選無効?)が楽しみともいえる。

終わってみれば、結局はあまり面白みもなければ、高揚感も湧かない終わり方だが、確実に1歩前に進んだともいえる。とりあえずはそれで良しとして、3本目の矢が如何なる方向に飛んでいくのかを見守りたい。

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朴大統領の最近の支持率の高さの理由を考えてみた

2013-07-20 23:58:19 | 政治
先日のブログ「韓国と中国で始まった粛清の流れの源流」を書きながら韓国の朴大統領の支持率を調べたら、6月末の統計であるが70%を超えた非常に高い支持率であった。就任当初のお恥ずかしいドタバタ劇や、米韓首脳会談時のセクハラ騒動などで、一時は支持率を下げていたのを知っていたので、最初に70%オーバーと聞いて最初は信じられなかった。しかし、よくよく考えてみると納得できる話である。

韓国では歴史問題で日本叩きをすれば支持率が上がると信じられているが、今回の高支持率は日本叩きによるものではないだろう。勿論、相当プラスに働いているのは事実だろうが、最も重要な要素は、対北朝鮮で中国の後ろ盾を得たことで、北朝鮮の核放棄の可能性に現実味が出てきたからである。中国もイマイチはっきりしないところがあり、中韓首脳会談による共同声明でも北朝鮮を名指しして非難してはいないが、中国の本気度は日増しに高まり、中国が「北朝鮮より韓国を重要視し始めた」という雰囲気づくりにはある程度成功したので、それはそれで北朝鮮に対する強いメッセージになると韓国政府は感じたはずである。面白いのは韓国のマスコミは、(特に外交的な面における)国益という視点ではかなり政府と一枚岩の関係があり、日本とは異なり太鼓持ち的な論調を多く見る。

この支持率の原因は私の勝手な思い込みではあるが、しかし、この仮説が正しいとすると見えて来るものがある。それは、韓国国民は相当、北朝鮮の核に対する恐怖心が強いという事実である。我々日本人もその恐怖心に関しては同様であるが、国境を接する韓国に比べ、可能性としては(北朝鮮保有の核弾頭数が限られていれば)ミサイル迎撃で回避できるかも知れないし、仮にミサイルが飛んできたとしても韓国の次だろうという楽観的な考え方も可能な日本とでは、その恐怖のリアリティの程度は雲泥の差であるはずである。国民のこの感覚を肌で感じている朴大統領は、まずは中国が本気を示さないうちはアメリカの核の傘に期待をしたのだが、最近の中国の態度を見て一気に中国に傾斜する決断をした。それには、今後の追加核実験や何らかの形で北朝鮮の核ミサイルが現実の脅威と世界が認めるに至った時、韓国は中国との全面戦争を恐れるアメリカの力による不確実な北朝鮮に対する抑止力よりも、北朝鮮との戦争に対してのハードルがアメリカよりも低くなった中国の方が、よっぽど頼りになるという実利を韓国国民も認めてくれるだろうという計算が働いていたのではないかと思う。そして、それがズバリ当たったのだろう。

韓国の北朝鮮に対する態度を見ていれば、とてもチキンレースをする覚悟など無いように見えるし、盧武鉉大統領が外交資料を後世に残さない様に破棄しなければならないほど、金正日に対して反米的な態度を示し、北朝鮮をヨイショしてでも平和的な関係を築こうとしていた必死さが感じられる。北風政策と太陽政策の間で揺れる気持ちは、理屈では我儘を許してはいけないと分かっていながらも、拳銃をこめかみに突き付けられたら頭を下げざるを得ないだろうという感覚を写したものだろう。だからこそ、飯島勲内閣官房参与の訪朝などは、韓国の思い描く対北朝鮮に対する不安定要因になり得るから、血相を変えて批判したのではないかと思う。

ただ、この支持率の高さは諸刃の剣であることは忘れてはいけない。中国は中韓首脳会談で「朝鮮半島の非核化」を求め、韓国もこれを追認した。中国べったり路線になれば、米軍との軍事同盟の中においても、日本の非核三原則の様にアメリカからの核の持ち込みを禁ずるように迫るかも知れない。中国は北朝鮮に対して相当怒っており、金正恩の特使、軍部のNo.2のチェ・リョンヘ氏が5月に北京を訪れた際にも、「習近平国家主席に会いたいなら、その着ている軍服を着替えてから出直せ!」と相当失礼なことを言ったそうであり、今現在は最悪の関係にあるのだろうが、金正恩が急に中国に頭を下げだしたら、中国の態度も急にもう少し柔軟に変わるかも知れない。その時、韓国哨戒艇沈没事件では北朝鮮の仕業とすら認めなかった中国が、韓国に対してどの様な態度を示すかは分からない。あくまでも国益で判断する国だから、感情論的に「韓国のことは裏切らないよ!」などと言ってくれるわけがない。その時韓国国民が「本当に(アメリカより)中国を選んでおいて良かった!」と思うのか、それとも「だから言わんこっちゃない!」というのか、想像するのは容易だろう。

ただでさえ経済的に茨の道にある国だから、それだけでもいつ支持率が暴落してもおかしくないのだが、そこに外交的致命傷が加わったなら、即座に政権は崩壊する。その時、最近過激さを増してくる粛清の反動で、世間が朴大統領にどの様に矛先を向けるかを考えれば、先進国の仲間入りをしたはずの国では珍しいような政治的な動乱が起きたとしてもおかしくはない。

よその国だからあくまでも他人事ではあるが、この国は一度、痛い目に合わないと変われないのではないかと思うと共に、その痛い目はそれほど遠くない時期(例えば2年以内)にあるのではないかと感じている。

韓国との関係改善は、その後に考えれば良いとの割り切りも必要かも知れない。

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デトロイトの財政破綻から読み取る「想像力」の欠如の問題

2013-07-19 23:58:13 | 政治
昨日、アメリカのデトロイト市が財政破綻で破産した。ピーク時の人口が185万人が68万人にまで減少したというのだから、これでは財政破綻も仕方がないだろう。今日はこのニュースから何を読み取るべきかをコメントしたい。

順番に議論を整理してみよう。市の財政破綻といえば、我々は北海道の夕張市をまず先に思い浮かべるだろう。それまで産業界のエネルギー源の主流が石炭から石油に移り行く中で、大規模な炭鉱事故などをきっかけに大部分の市民が職を失い、それまで石炭で栄えた町が急にゴーストタウンに変わっていく。炭鉱は元々山の中にあるから、夕張などは石炭がなければあれほど栄えることがなかったはずの町であろう。だから、一時的に夢を見たかのように繁栄した町も、炭鉱の廃坑で本来のあるべき姿に戻った感がある。自治体としても打つ手はなく、行政サービスを切り捨てても間に合わず、結果的に財政破綻となってしまった。

「流石に夕張は特別だろう!」と我々は思ったわけであるが、今回のデトロイトの破綻はその様な言い訳がきかない事例だろう。夕張のように山の中の町ではなく、自動車産業がなくてもそれなりに栄えるポテンシャルを持ちえた町のはずである。リーマンショックで景気が冷え込んでGMは倒産したが、その後も地道に復活の道を辿ってきていたはずである。にもかかわらず、今回の財政破綻である。税収は、当然、企業の業績悪化と労働者人口の減少に比例して急激に落ち込むが、行政のサービスレベルを維持しようとすれば、人口の減少とはあまり関係なく支出は概ね維持される。結果的に雪達磨的に財政赤字は膨れ上がる。破綻の確率が高まれば借金の金利が高騰し、あるところで堰を切って雪崩が止まらない状態になったのだろう。

このニュースを聞きながら、私はブルース・スプリングスティーンのMy Hometownという歌を思い出した。私の大好きな歌のひとつである。学生の頃、曲を聴きながら歌詞カードを何度も読み直したことを覚えている。不景気で産業が廃れ、荒廃して治安が悪くなった町から去り行く覚悟を決め、親から子に伝える言葉が「ようく見ておくんだ!これがおまえのHometown」である。親から自分が言われた言葉を、自分もまた子供に伝えなければならないその哀しみ・・・。歌の中でも治安の劣化が繁華街の賑わいを奪うフレーズがあるが、最近のデトロイトでは、発生した犯罪の解決率(つまり、犯人逮捕)が9%程度に落ち込んでいたという。治安の悪さは半端でなく、次から次へと人口の流出がとまらない負のスパイラル状態だったのだろう。

ここで、ひとつ目の教訓は、人口の急激な減少は国家の崩壊につながるという、その縮図を見せられたということであろう。逆に言えば、人口減少に対する歯止め、すなわち少子化対策については少々の禁じ手を使ってでも確実に実行しなければならないということであろう。デトロイトの市政では藁にもすがる思いで税収を上げることに必死であったのだろうが、今となっては「あの時、もっと積極的にあれをやっておけば良かった」と感じるようなこともあるのだろう。その様な政策は、その時は「まだまだ、そこまでやらんでも・・・」と思ったのかも知れないが、雪崩が起きてから悔いても後の祭りである。同様のことは少子化対策についても同じであり、先日、散々ケチョンケチョンに言われた「女性手帳」の導入であるが、私には今日、デトロイト市民が過去に「まだまだ、そこまでやらんでも・・・」と思ってしまったことを悔いている(かも知れない)姿に重ねて見えてしまう。確かに、子供を生むか生まないかは個人の自由だが、もし生むのであれば「人生設計を若いうちから考えた方が良い」と啓蒙することは悪くないはずだ。女性だけに責任を負わせるのが良くないなら、男性にも「男性手帳」を配ればよい。課題があるなら課題に対処すれば良いのであって、アイデアを最初に戻ってチャラにしてしまうという後ろ向きの姿勢は、とても少子化対策を真剣に考えているようには思えない。いつかは結婚という制度そのものに手をつけなければいけないかも知れないときに、高々、「女性手帳」の導入に躊躇してどうする・・・と思うのだが、彼(彼女)らにはその様な危機感を現実のものと感じることができていないのだろう。

この様に書きながら、ふたつ目の教訓が明らかになってくる。それは、「想像力の欠如」という問題である。問題が顕在化し、堰を切って雪崩が起きるようになる前に、その雪崩が起きたときの姿を如何に早く「想像」出来るかどうかが運命の分かれ道なのだと思う。例えば、男女間であれば些細な一言が相手を傷つけ、それまで築き上げてきた愛情や信頼関係が失われて別れてしまうこともあるかも知れないが、その様な言葉を発する人は、その言葉を言った後のことを決して想像できてはいないだろう。例えば、読売新聞からも繰り返し名指しで「誤報である」と指摘される朝日新聞の1992年の慰安婦報道であるが、後に韓国国内で「(慰安婦ネタで)日本政府から金を奪い取ってやる!」と言って金を集めて詐欺罪で逮捕された人々の言葉を十分な裏取りもせずに報道したことに対し、彼らはそれが日本の国益にどの様な影響を与えるかを決して想像できてはいなかったろう。例えば、「予算の組み換えをすれば財源なんて幾らでも出てくる!だから、大盤振る舞いをしても大丈夫!」と言っていた人達も、自分たちが政権を取ったときに何が起きるかを想像など出来ていなかっただろう。勿論、デフレ下で消費税増税したら景気の冷え込みが一層激しくなることの想像力も必要であるが、この期に及んで問題先送りを続けたときの海外のアベノミクスに対する失望がいかほどかと言う想像力も必要である。諸外国はきっと、日本に対して誠意をもって(決して悪意など持っていない)接しているのだから、日本も相手のことを慮って自らを犠牲にしてでも相手のためになる行動を取らなくてはいけないと言う幻想を信じたい気持ちは分かるのだが、もし仮に、相手国が悪意に満ちていて、自らの国益のためには手段を選ばないという考え方で日本に接してきているとしたら何が起きるのか・・・という想像力も必要である。原発に関して言うのであれば、危険を隠して原発を再稼動する真の危険性を想像する力と、目を瞑って全ての原発に対して盲目的に危険のレッテルを貼ることで被る経済的なマイナスのインパクトを想像する力に加えて、その両者の真ん中で危険と経済を両立する手立てはないものかと想像する力も必要なのだろう。これらは全て、ありとあらゆるシナリオを想定し、その中の最悪の事態を回避し、最良ないしは次善の選択肢を選択するために如何にして早め早めに手を打てるのかという課題を考えるとき、その「想像力」がどれ程大切であるかを意味している。

もちろん、今回のデトロイトの件でその「想像力」が何を意味しているのか、何処でどの様な道を歩んでいれば今日のこの事態を回避できるのか、それは専門家でも簡単に答えられないような複雑なものなのだろう。だから、先の原発問題でもその「想像力」を具体化した答えが何であるのかは、それ程簡単であるはずがない。しかし、「反原発」と「原発推進」の両極端の人々は間違いなく、「答えは簡単だ!」と感じているに違いない。韓国や中国に歴史問題を問われ、「取り合えず謝っちまえ!」と考える人も、「答えは簡単だ!」と感じているに違いない。「政権さえ取ってしまえば何とかなる!」と確信していた人々も、その当時は「答えは簡単だ!」と感じているに違いない。だから重要なのは、自分の考えが「ひょっとしたら間違っているかも知れない」という想像力と、相手の主張の誤りを指摘するのではなく「では、どうすれば良いか」という具体的な対案を可能な限り詳細化して示すこと、そして対立する意見がぶつかり何らかの決断が出来ないときにその結果がもたらす不幸な事態を想像する力、これらが必要なのだろう。

多分、そうは言っても、追い込まれないと覚悟が出来ないのが人の性なのだろうが、そうやって見過ごすには余りに大きな出来事であった。

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韓国と中国で始まった粛清の流れの源流

2013-07-17 23:47:40 | 政治
ここ最近、気になっているニュースがある。ひとつは韓国のニュース、もうひとつは中国のニュースである。色々考えてみると、それぞれが共通点があるように思えてきた。

産経ニュース2013年7月15日「前政権の受難始まる?朴政権が差別化作業

韓国ではご存知の通り、大統領職を退いたあとの受難が長く続いている。盧武鉉大統領がその最たるもので、自らが追い込まれて自殺したわけだが、他にも全斗煥大統領などは死刑判決を受けたり(その後に減刑の後、特赦)、殆ど命にかかわるレベルで追い込まれることになる。だからこそ、任期終了後に同一政党から後任の大統領を輩出し、自らへの追っ手に手心を加えてもらうのに必死である。李明博大統領ですら竹島に上陸して、ナショナリズムの火を炊きつけることで支持率を回復し、同じ与党の朴大統領へのバトンタッチに全力を挙げていた経緯がある。そして、そこまでしなければならない韓国の歪んだ政治状況が、日本を中心とする国際関係を誤った方向に導く結果つながっている。それでも李明博大統領は上手くバトンタッチが出来たのだから、とりあえずは安泰と見られていたのだが、同じ政党に属しながら主流派と非主流派の対立が激しさを増して、結果的に同じ仲間ながら憎さは100倍という、更なる政治の歪みを演出することになった。しかし、この事態の意味することは、この朴大統領は自らの任期の後、政権交代につながろうが同じ党の次期大統領にバトンタッチが出来ようが、どちらに転んでも自らの退任後に受難が待ち構えるという時限爆弾のスイッチを入れてしまったということである。そこから逃れるためには、完璧なまでに大統領一族の誰一人として完全に利権から隔離された状態を5年間維持するか、ないしはナショナリズムの更なる焚き付けにより自らを英雄に祭り上げるか、この二つぐらいしか逃げ道はない。前者はちょっと考えにくいだろうから、実質的には後者しかない。しかし、何故、そこまでする必要があったのかを考えると頭の中にクエスチョンマークが溢れてくる。

同様のニュースとして、中国でも最近は粛清ムードが強まっている。テレ朝の日曜お昼のサンデースクランブルではここ2週続けてその話題を続けていた。驚くべきは、中国のドラマ「新・紅楼夢」に出演した女優12人全てが中国の元鉄道大臣・劉志軍被告の愛人であるという話題である。そんなことは常識的にあり得ないと思うのだが、そのカラクリは簡単に言えば、劉元鉄道大臣が自らの愛人となる女性のオーディション(建前上はもちろんドラマのオーディション)を行い、そのオーディションに合格すると自動的におまけでテレビのヒロインの役がついてくるというのである。女優12人を全て愛人にするのは不可能であっても、愛人12人をドラマのヒロインにすることは彼の力をもってすれば可能である。それもこれも、鉄道省がドラマのスポンサーとなっており、膨大なお金がそこで動いているからである。さすがに元大臣は裁判の後に財産没収の後に死刑となったが、それでも死刑は2年の執行猶予付きと言うから厳しいのか緩いのかが良く分からない。

同様の愛人がらみの話題としては、重慶市の幹部を歴任した雷政富書記が愛人に性行為ビデオが暴露されたとして、新聞に性行為の最中のビデオ映像を写したボカシ入りの写真が掲載されていた。どうやら金銭的に揉めた18歳の愛人がビデオで脅迫、映像を公開したというが、雷書記は様々な汚職の結果、懲役13年、政治権利剥奪などの実刑判決がくだったという。サンデースクランブルにはその行為中の写真が写されていたが、その生々しさはとてもではないが真昼間からテレビで流してよいのかと疑ってしまうほど行為そのままの写真であった。しかし、その様な摘発はこれらの一部の例外的な位置付けではなく、大量の汚職で摘発される人の95%は愛人を抱えているのだといい、その愛人のためにお金が必要となり汚職が更に行われているのだという。

習近平国家主席は最近、共産党内の汚職などの粛清を徹底する姿勢を示している。もちろん、これらの汚職が政権中枢では例外的に存在しないという訳はないから、あまりやりすぎるとブーメランのように自らに戻ってきてしまう。それでも、粛清をある程度成功させるためには協力者が必要であり、そのために政権中枢の汚職には目をつぶるから、少なくとも地方の汚職は徹底的に叩くことに協力させ、国民の目を欺くという作戦なのだろう。しかし、いくら政権中枢でもその様な粛清の間ぐらいは汚職を自粛せざるを得ないから、それまで囲われていた政権中枢の要人の愛人が金を求めて脅迫し、勢い余って何かを暴露するという可能性はあり得るから、これは相当な劇薬であることには違いない。

偶然かもしれないが、これらの両国の劇薬的な粛清は、何処か似たような理由による可能性が捨てきれない。例えば韓国、中国共に最近は経済的にジリ貧状態である。さらに両国とも、国民の間の経済格差などの国内問題を抱えている。韓国に至っては北朝鮮問題での政府の対応のまずさから、辛酸をなめ続けていて国民の不満も大きい。経済が好調なときはその不満をごまかすことが出来ても、経済が傾きだすとその不満が爆発して、何処かで政権を脅かすような事態になりかねない。中国はさらに深刻で、シャドーバンキング問題で中国版のバブルの崩壊がカウントダウンされているとも言われる。李克強首相などは、バブルの崩壊のインパクトを軽減するために、意図的なバブル潰しを試みている。李コノミクスとも言われるようだが、バブル潰しは必要だとは誰もが分かるのだが、今しばらく夢を見続けられるかも知れない状況に強制的且つ人為的に終止符を打つのだから、それで損失を蒙る人々の恨みを買うのは間違いない。政権に強い不満が渦巻き、中国共産党としては非常に危機的な事態に陥ることが予想される。そこでは、金の切れ目が縁の切れ目で、同様に愛人連中が暴露合戦を繰り広げるかも知れない。

この様な不満の爆発のインパクトを可能な限り縮小するためには、少なくとも政権担当者は疾しいところなど何もないと嘘でもいいから振舞うのが有益かも知れない。しかし、権力欲が強くその頂点を極めた人達である。よっぽどのことがない限り、そんな聖人君子を演じ続けることなど出来るわけがない。つまり、政権崩壊の足音が甲高く響く音が耳から離れず、その恐怖と戦いながら今を過ごしているからこそ、その様な忍耐に耐え続けられるのではないかと勘ぐってしまう。この恐怖感が、最大の共通点なのかも知れない。もちろん、国民の多くがそう簡単に騙される訳がないから、その様な人に対する保険としてナショナリズムの焚き付けをするのである。両国とも共通のターゲットは日本であり、日本を叩き日本を潰せば、相対的に自国の経済の浮上のきっかけをつかめるかも知れない。だから、両者が手を組んで歴史カードを前面に出して日本を潰しにかかる。かなりの無理筋の攻撃だから、諸外国に対してその説得力を確保するためにも、韓国と中国の連携は必然なのかも知れない。その努力の甲斐もあってか、最近の朴大統領の支持率は70%を超えているという。あれだけポカが続いた大統領とは思えない支持率の高さである。多分、(中国には支持率調査など存在しないだろうが、イメージ的には)習近平国家主席も同様の状況なのだろう。

これらの一連の行動をみると、やはり共通点が多いような気がする。李コノミクスも朴大統領などの綱紀粛正もスジとしては良いのだが、それはその動機が純粋な場合の話だろう。これだけ不純な動機丸出しで国民の目を欺き続けられる訳がない。かって日本では、連合赤軍の粛清が暴走し、集団リンチ殺人へと繋がった経験がある。今回の粛清がその集団リンチの様に展開するとは全く思っていないが、アベノミクスで日本経済が復活したとき、追い詰められた両国が思わぬ方向に展開しないとも限らない。今しばらくは、一連の動きを絡めて事態の推移を見守っていくべきだろう。

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韓国高裁の新日鉄住金に対する判決は日本にとって朗報である!

2013-07-14 21:29:40 | 政治
先日のブログ「なんだ、結局、日本の領土を奪いたいだけじゃん!」にも最後に指摘した、韓国高裁の新日鉄住金に対する植民地時代の強制労働に関する賠償命令を出した件についてコメントしたい。タイトルが何とも逆説的だが、最後まで読んで頂ければご理解いただけると思う。

先のブログでは、ロイターの記事「韓国高裁、植民地時代の強制労働で新日鉄住金に賠償命じる」を引用したが、この判決に対し、韓国内では例えば下記の様に報道がなされている。まずは朝鮮日報の記事から見て行こう。

朝鮮日報2013年7月10日「韓国高裁 強制徴用問題で新日鉄住金に賠償命じる

こちらの記事は、日韓基本条約における取り決めや、その後の韓国政府のスタンスとして今回の様な強制労働に関する事案は日韓基本条約の例外規定には当たらずすでに解決済みであること等、都合の悪い情報は全く表に出すことなく、淡々と事実を述べながら、何も知らない韓国民に対して今回の裁判が一見、論理的に正しい判断であるかのような論調を示している。私もこの記事を読むまで知らなかったのであるが、これは単に高裁判決がこの様なトチ狂った判決を下したという意味ではなく、今後の最高裁でも同様な判決が出ることを意味している。というのは、この裁判は一旦最高裁までいった裁判で、当初の判決はこの裁判が先に日本国内で起こされた裁判であり、日本の最高裁で既に敗訴が確定したことを根拠として、韓国国内でも一審、二審共に「日本の確定判決は韓国でも効力が認められる」として敗訴していた裁判であるが、これに対して韓国最高裁が、「日本の判決は日本植民地時代の強制動員そのものを違法と見なしている韓国の憲法の中核的な価値と真っ向から対立する。こうした判決をそのまま承認することは、韓国の善良な風俗やその他の社会秩序に反する」として差し戻したものであり、そこで高裁が判決を覆したという経緯があるらしい。この流れからすれば、最高裁がこの判決を支持しない理由は何処にもないから、今後、最高裁判決が確定することは間違いない。そして、この様に聞くと韓国国民は「それは、最もな論理だ!」と言いそうであるが、国際間の条約は法制度的には国内法よりも上位に位置するものであり、2国間で定めた条約に国内法を司る韓国司法界が口を挟むことはできない。韓国政府は日本に対するイチャモンをつけるためのウルトラCとして、この例外として「反人道的不法行為」なる概念を提起し、その対象を「慰安婦」、「サハリン残留韓国人」、「韓国人被爆者」の3点に絞って日本に交渉を求めてきた。逆に言えば、これ以外の案件は「完全、かつ最終的に解決」していることを追認してきた。だから、今回の韓国高裁の判決は、韓国政府が韓国国内法の上位に位置する条約に照らせば請求権が存在しないとお墨付きを与えてきた案件を、その様な上位概念を無視して法体系に完全に矛盾する判決を下したことがポイントである。しかし、朝鮮日報ではその点が全く触れられていない。

ところで、他の新聞はどうであろうか?聯合ニュースを見てみよう。

聯合ニュース2013年7月11日「新日鉄住金の徴用被害者4人に1億ウォンずつ賠償、初めての判決

こちらの記事を見れば、韓国政府が日本政府と同様の立場をこれまで取ってきており、既にこの案件に関しては請求権が消滅していることを明確にしている。しかし、この記事によれば「昨年5月に韓国大法院(最高裁判所に相当)が協定締結で個人の請求権が消滅したと見るのは難しいとする判断を示した」としており、韓国国内法よりも上位の国際間の取り決めに対し、司法界が「そんなことには従えない!」と明確に反旗を翻したと解説している。このため、この問題が日韓関係の外交問題に発展することを指摘し、韓国政府は難しい立場に立たされたとしている。そしてこの記事の面白いところだが、外交当局筋の情報として、「強制動員をめぐる請求権問題を慰安婦などほかの事案とまとめて包括的に解決する方策を検討すべきだ」との考えがあり、「慰安婦問題などに対する補償問題を議論する際に、強制徴用問題も含めて取り組んだほうが、韓日請求権協定をめぐって従来の解釈との衝突を軽減できる」としている。つまり、慰安婦問題も今回の例も同列に扱うことが出来て、何でもかんでも言ったもん勝ちという作戦でいこうということである。

この記事の意味することは何か?これは(特殊なケースではあるが)三権分立の逸脱に他ならない。つまり、通常であれば行政が司法に口を出すという形が一般的な三権分立の破たんであるが、法を守る番人である司法界が三権分立を破たんさせるのだから、既に「法の下での支配」が破たんしているという意味である。少なくとも、聯合ニュースの記事を書いた記者も、そして外交当局筋の人も、今回の件は韓国側に圧倒的に不利な状況であることを認識していることを明示的に示している。しかし、その常識を覆すための作戦として、無理筋の考え方を捻り出そうとして苦しんでいるのである。そして、韓国政府がどういう対応を見せるかは現時点では明らかではないが、常識的にみて、朴政権はここで請求権は消滅したとの判断を下したらあっという間に崩壊するのは目に見えている。日和見的に、これまでに築き上げられてきていた外国との条約をチャラにして、「あれも賠償しろ!これも賠償しろ!」という乞食的な行動に出るのは目に見えている。

しかし、この状況は日本にとって不都合な事態であろうか?

答えは否!これほど日本にとって好都合なことはないだろう。多分、この様な状況を突きつけられれば、諸外国も「流石に韓国、無茶なことを言うなぁ~」という反応を見せるだろう。日米が中国に対峙するに当たり、合言葉にしているのは「法の下の支配」であるから、それを同様に韓国に照らし合わせれば、やはり韓国では「法の下での支配」が破たんしているという評価に繋がる。これまでに築き上げてきたルールや国際法に照らし合わせて判断するのが「法の下での支配」であるから、日本と韓国がここまで拗れるのであれば、国際司法裁判所にでも行って白黒はっきりつけた方がいいのでは・・・という流れを作り出すことが出来るかも知れない。日本の苦手なロビー活動であるが、「国家間の紛争を積極的に国際司法裁判所を活用して平和的に解決しよう!」というスローガンは、少なくともアメリカという国では受け入れられやすい。慰安婦像を作るくらいなら、国際司法裁判所で白黒つけてしまえという流れにもつながる。竹島問題についても、韓国が自分の言い分に自信があるなら、(あれだけ実効支配を続けているのであるから、常識的には相当有利な条件なので)いっそのこと裁判で白黒つけてしまえば・・・という考えにもつながる。少なくとも、アジア諸国では日本に対する好感を持つ国が多数を占める中で、無茶苦茶な主張を平然とする国だけが例外的に日本に敵対意識を示しているという統計が出た直後というのも都合が良い。日本国内でも、中国、韓国と平和的に協調していくべきだという考え方が多数派を占めている現状で、今回のケースは「怒っている相手に頭を下げれば良いという単純な話ではなく、謝り続けているのに、国家一丸となって理不尽な要求を突き付け続けることは永遠に終わりそうもない」ということを気付かせる良いニュースだったかも知れない。経団連なども、「取りあえず、中国相手に謝っちまえ!」という主張を繰り返えしてきたが、今回の様なケースで短絡的に謝り続けることのリスクを思い知らせることになったかも知れない。つまり、言うべきことをちゃんと言い、相手に常識的な行動を取らせる努力をしなければ、かの国々では無限のリスクのスパイラルに落ち込む危険性が避けられないことを突きつけたのである。

これらの意味で、私は今回の韓国高裁の判決を歓迎する。それは、日韓関係が新しいステップに移行する第一歩になるきっかけとなるからである。それを、世界に知らしめることになる、良いニュースであったと思う。

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自虐的に日本を振り返る必要などもうない!

2013-07-12 23:51:41 | 政治
先日のブログ「公平公正な報道は幻想か?」では日本のマスメディアの報道の公平公正性について言及したが、選挙を前にしてか、ますますその世論誘導的な偏った報道が目に余るようになってきている。まずは下記の同じ情報ソースをもとにした記事を読み比べて頂きたい。

産経ニュース2013年7月12日「際立つ中韓の『日本嫌い』前回から急増、他のアジア諸国と対照的
時事ドットコム2013年7月12日「韓国の98%『謝罪は不十分』=安倍首相好感度、中国で9%-米調査

この二つの記事は共に「米調査機関ピュー・リサーチ・センター」という機関で行った調査結果をもとにして記事を書いているのであるが、その新聞記者が結論付けたい方向性は真逆である。時事ドットコムはタイトルからも分かるように、日本の歴史認識が誤っており、その結果として韓国では戦後の日本の謝罪が不十分であるとほぼ100%近い人が感じており、中国でも安倍政権に対して好感を持っている人が9%程度しかないことから、アジアの中で日本が孤立しており、その様な方向性に真っ直ぐ向かっている安倍政権はけしからん!という論調が強く表れている。これに対して産経ニュース側は、どちらかと言えば時事ドットコムの真逆で、日本はアジアの中では非常に好感を持って受け入れられており、韓国、中国のみが例外的に反日的な感情を抱いていることをアピールしている。日本の新聞社というのは、言うまでもないが共同通信社などの通信社から元の記事の提供を受け、それを掘り下げて自社独自の記事とすることが多いが、産経ニュースはこのニュースの情報ソースが共同通信社であることを明記している。この共同通信社の記事を探すと、確かに時事ドットコムと同様のスタンスであり、つまり産経ニュースは出典を尊重して出典の主張するニュアンスも残しながら、しかし、本家本元の情報ソースである「米調査機関ピュー・リサーチ・センター」の情報を読み解けば、少々、異なるニュアンスである旨を示している。

ちなみに、この産経ニュースには先日、こんな記事も載っていた。

産経ニュース2013年6月28日「尖閣どこ吹く風、日本依然首位 台湾の『最も好きな国』

どうも産経ニュースの視点は一定している様なのだが、他の新聞社の論調が違うので少々気になって調べてみたが、どうも背景にはドス黒い何かがあるようである。実は、”正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現”「韓国98%「謝罪は不十分」・米調査を時事通信報道・他の国は?謝罪は不要!嫌われ者は支那朝鮮」なるブログでこれらの背景を解説している。このブログでは、この出典となる「米調査機関ピュー・リサーチ・センター」の元記事を紹介し、そこに記載されたことを詳細に解説してくれているのであるが、出典の記事は下記になる。

Pew Research Global Attitudes Project, July 11, 2013 Released. "Japanese Public’s Mood Rebounding, Abe Highly Popular, China and South Korea Very Negative Toward Japan"

さて、どちらの記事の方が元ネタの意に沿った記事であろうか?この記事は、別にアジア諸国が日本に対して抱いている感情のみを扱ったものではなく、広く日本の状況を解析している様なのだが、明らかに産経ニュース以上に日本に対して好意的な評価をしており、中国、韓国の異常性が際立っていることを明らかにしている。その最たるものが、日本の戦争責任に対する謝罪のアジア諸国の評価である。「正しい歴史認識・・・」の記事にご指摘された内容の受け売りになるが、実は元記事には上述の日本の新聞に掲載されていない情報が含まれている。この手のアンケートは集計の仕方で見方が変わるのだが、例えば「良い」「どちらかと言えば良い」「どちらかと言えば悪い」「悪い」という設問に対し、「どちらかと言えば悪い」+「悪い」を否定的な意見、「良い」を肯定的な意見、「どちらかと言えば良い」はカウントに含めないなどという集計の仕方をした場合と、「良い」+「どちらかと言えば良い」を肯定的な意見と見なした場合では多数決判定が変わってくる可能性があるから、設問における選択肢全てのパーセンテージを示して頂かないとイマイチ信用できない。

これに対して時事通信に記載の内容である「日本の謝罪を『十分』と思う人は韓国で1%、中国で4%。『謝罪は不要』との回答は韓国で1%、中国で2%だった。これに対し、日本の謝罪を『不十分』とする人は、フィリピンで47%、インドネシアで40%、マレーシアと豪州でともに30%。日本では『不十分』28%、『十分』48%、『不要』15%となった。」においては、その様な記述がないから違和感を感じていたが、出典を見れば全ての数字が記されている。その出典によれば、全ての国で『謝罪は不十分』、『十分』、『謝罪など不要』、『分からない』を選択肢として調査をしており、当然ながら『謝罪は不十分』は否定的、『十分』と『謝罪など不要』を合わせたものが日本の立場に肯定的という比較をすべきである。この様に見ると、「否定的:肯定的」の比率は、フィリピンで「47%:48%」、インドネシアで「40%:35%」、マレーシアでは「30%:32%」、オーストラリアに至っては「30%:55%」と驚きの数字となる。中国や韓国があれだけ大々的にネガティブキャンペーンを行った結果の数字であることを考えれば、この数字を示されたアメリカ人はきっと驚くに違いないと思う。あれだけ日本の右傾化が一大キャンペーンであたかも真実化の如く吹聴されているのに、少なくとも日本との間で領土問題を抱えていない国や、領土問題を抱える台湾ですら、中国、韓国を除くアジア諸国は日本のことを肯定的に評価している訳だから、中国、韓国の主張はいったいなんだったのかと言うことになる。

しかし、本当に驚くのは日本の新聞社が日本人向けにこの様な報道を行うことの背景である。これは、如何にも「中国、韓国が評価してくれない安倍政権はけしからん!これでいいのか、国民諸君!」とでも言いたげな内容である。どうして、「米調査機関ピュー・リサーチ・センター」の記事がこの様に化けてしまうのかと考えると恐ろしいものがある。

引用ついでに書かせて頂けば、三橋貴明さんのブログ「新世紀のビッグブラザーへ」の中の2013年7月10日の記事に「怪しすぎる朝日新聞」というものがある。これは、国際通貨基金(IMF)のブランシャール調査局長という方がアベノミクスについて語ったことを扱った記事なのだが、他の新聞社の記事に対して朝日新聞だけ論調が真逆なのだという。朝日新聞では見出しが「『アベノミクスが新たなリスク』IMFが初めて指摘」とあり、(海外はともかくとして)少なくとも日本は「アベノミクス」に起因したネガティブなリスクを背負っているとの駄目だしを食らったというニュアンスである。しかし、朝日新聞以外の記事では全て、世界経済としては減速感がある中で、日本だけが珍しく今後の経済見通しが高評価され、その結果、上方修正することになった旨を記載している。確かに、これまでにもG8の会合などでアベノミクスが大々的に評価されながらも、「財政再建も忘れるなよ!」的な釘を刺されたとの報道を良く耳にしており、全くそれと同様の指摘なのだろうが、今回はそれらとは異なり、定量的な大きなアベノミクスの高評価材料を示したわけだから、これまで以上にネガティブに扱う朝日新聞の背景には、「アベノミクスが成功されてはまずい!」という意図が垣間見れる。

これらの一連の捻じ曲げられた報道の背景には、何とかして安倍政権の足を引っ張ってやろうという魂胆が見えるのだが、それを選挙期間中に特定政党へのネガティブキャンペーンを堂々とやるというところがこれまでになかった新しい特徴かも知れない。

しかし、日本の報道機関の不公正さは別途議論するとしても、自虐的にならざるを得なかった一部の国民からすればこれらの情報は朗報かも知れない。これだけアジア諸国から評価されている日本が一部の米国人から右傾化と非難されるのは、超右(左)傾化する韓国、中国の限度を超えたナショナリズムの反日行動に触発されて、言わなくても良いことを言わされて落とし穴に嵌められた橋下代表などを見ての結果であり、それはフェアな評価ではない。実際には中国、韓国の行動が異常であり、それをリファレンスにして自分を顧みる必要はなく、少なくとも自虐的になる必要はないということを再確認することができたデータとして、今回の結果を非常に感慨深く見ることが出来た。

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なんだ、結局、日本の領土を奪いたいだけじゃん!

2013-07-10 23:58:58 | 政治
7月4日付の下記の朝鮮日報の記事をご一読願いたい。

2013年7月4日朝鮮日報「【コラム】日本が『正常な国家』になるには

朝鮮日報の記者が書いたコラムであるが、日本が隣国の信頼を勝ち得て正常な国になるには3つの方法があるとし、その最良の方法は「現在の日本列島の一部を戦争犯罪の代価として、過去に被害を与えた国に割譲すると宣言すること」だという。この記者は本当に自分が何を言っているのか理解できているのだろうか?

ご存じの通り、日本と韓国の間では日韓基本条約を結び、「完全かつ最終的に解決されたことを確認する」としている。最近の慰安婦問題においては、この「完全かつ最終的に解決」には慰安婦問題は含まれていないと主張し損害賠償を日本に求めているが、少なくとも領土に関してはこれ以上、一切、文句は言いませんと両国間で確認をしているのである。ちなみに慰安婦問題に関しては、日本政府は河野談話やその後の村山談話で謝罪を行い、国家賠償こそ対応はできないが、半ば日本政府が影になってアジア女性基金という形で民間から補償金を集め、それを慰安婦と訴える方々に補償するとしていたが、韓国は国を挙げてその補償を拒否するようにと慰安婦の女性に迫っている。他の国々の女性はその補償金を受け取っているが、韓国が頑なにその補償金の受け取りを拒否するように仕向ける理由は、何としてもこの日韓基本条約で解決済みの「国家賠償」をひっくり返し、青天井で次から次へと補償問題を吹っ掛ける布石を敷こうとしているのである。まさに、今回の朝鮮日報の記者のコラムがその証拠に他ならない。

これまで、韓国側は謝罪が足りないと言い続けたが、実際には幾度となく繰り返し繰り返し日本政府は謝罪をし続けている。安倍総理にしても、謝罪をチャラにしようとしているのではなく、謝るべきところは謝るにしても、どさくさに紛れて何でもかんでも言うことを聞けと言われても、それには応じられないと言っているに過ぎない。河野談話に携わった当時の石原官房副長官も、「あの河野談話で日韓の歴史問題に終止符を打つという暗黙の合意があった」という趣旨の発言をされているが、完全にそれを反故にされた形である。次から次へと謝罪と補償要求が繰り返される。靖国問題にしても、A級戦犯が問題だと言われて(ありえないとは思うが、仮に)「じゃあ、A級戦犯を分祀しましょう」となったら、その次は「じゃあ、B級もC級も分祀しろ」となる。理屈の上では、B級やC級戦犯の中には現地で本当に残虐なことを行って処分された兵隊も含まれている(もちろん、ジェントルマンであってのに階級が上だったので処刑された兵隊も非常に多くいるのも間違いない)から、最前線から隔離された本土でたまたま閣僚だったというA級戦犯の政治家よりも責任が重い戦犯が含まれるのは明らかである。彼らが全て分祀されなければ、納得できない中国、韓国人は多くいるだろう。しかし、どの戦死者がそれに該当するかどうかは分からないから、結局、A級戦犯の分祀を認めたらその次にはまた何かが要求されのは間違いない。その様になるのは両国にとって不幸だから、流石に無茶なことには無茶と言うのは当然の権利である。しかし、韓国側の主張は黙って謝り続けないから駄目だというのが現状である。このコラムにもそう書いてある。

しかし、その一連の要求の延長線上にある本音が「日本の領土の奪取」であることが、今回のコラムでポロリと明らかになってしまった。そもそも韓国は日本に対して戦争など仕掛けておらず、仕掛ける前に戦争が終わってしまったというのが事実である。それに対し、戦後に連合国に対して「韓国も戦勝国の仲間に入れてくれ」と要求したのだが一蹴されてしまった。戦勝国扱いになれば、その見返りに日本の領土を奪い取ることが出来たかも知れないからだが、連合国からこの要求を拒否されて、李承晩大統領は勝手に李承晩ラインを引いて竹島を占拠してしまった。流石に対馬まで奪取するのには気が引けたのだろうが、現在の状況を見る限り、この朝鮮日報の記者は「少なくとも対馬もよこせ!」と言いたいのだろう。敗戦国なのだから、そのくらいして当然であるという気持ちがこのコラムの文章には表れている。

ちなみに、このコラムの主張とリンクしたニュースがある。先月末に中国を訪問した朴槿恵大統領は、中国で二つの要請を行った。一つは伊藤博文を暗殺した韓国のテロリストの安重根の石碑を、暗殺現場の中国黒竜江省のハルビン駅に建てたいという要望。もうひとつが、日本の植民地支配に抵抗した朝鮮人らが部隊の拠点を置いた陝西省西安に、記念の石碑を建てるというものである。特に後者は分かり易く、韓国は結局、日本の降伏までの間に日本に戦争を仕掛けることが間に合わなかったのだが、その部隊が中国国内に避難していた西安にその石碑を建てることで、「韓国が日本軍に抵抗していた=戦争をしていた」という方程式を世界に認知させようという戦略である。ここで、韓国が戦勝国に格上げされれば、ますます先のコラムの主張に箔が着くというものである。しかし、これは事後の歴史の修正に他ならない。

だから、日本のマスコミは、もっとこのコラムの記事を取り上げて世界にアピールすべきだと考える。韓国の言う歴史問題とは、この様なことを意味しているのだと世界に知らしめるべきである。広島・長崎の原爆を神の懲罰と言ってもろくそっぽ謝罪もせず、「単なる1記者の発言」と開き直っていた韓国が、アシアナ航空事故で韓国のテレビアナウンサーが「死者が中国人で幸いでした」と発言したことに対しては、韓国外務省の報道官が「当事者はすでにメディアで公開謝罪している。テレビ局も代表理事の名で謝罪している。中国の国民に彼らの謝罪を受け入れてもらいたい。中韓両国の国民は相手国との友情を大切にしていると信じている」とまで言って土下座外交をしている。冷静に見れば、民間人のポカだから政府側は「極めて遺憾」と言えば済むことである。生放送のテレビであれば、ついうっかりのポカなどどこでもあり、編集部が大勢で何度も読み直しを行い、新聞社のオフィシャルな方針として宣言した「神の懲罰」発言とは全く重さが異なる。

にもかかわらず、あそこまで中国に明らさまな土下座をするのは、中国と組んでの日本の領土の奪取をより円滑に進めるための苦肉の策に他ならない。何故、マスコミはもっと取り上げないのか?これら一連の流れを直視して欲しい。

そして、このような言いがかりに対抗するには、やはり「法の下の支配」の原則を、韓国に対しても求めるべきであろう。参院選が終わったら、直ちに竹島問題を国際司法裁判所に提訴すべきである。それが私の結論である。

(追記)
後で気が付いたが、下記のニュースには驚いた。

2013年7月10日ロイター「韓国高裁、植民地時代の強制労働で新日鉄住金に賠償命じる

慰安婦問題に対する韓国の最高裁判決にも驚いたが、それに関しては韓国側の「日韓基本条約では慰安婦問題を想定していなかったから、別途、請求権が残っているはず」というこじつけの論理を笑って聞くことができたが、今回の判決は朝鮮日報の記事と同じで、「日韓基本条約」が何について取決めしたかの認識が裁判官ですら皆無であることを証明したものである。その意味することは司法の立場からの「日韓基本条約」の一方的な破棄につながるのだが、これを行政、立法の立場がどのように評価するのか?そこが見ものだろう。

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