怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

1月9日鶴舞公園テニスコート

2023-01-11 13:47:46 | テニス
成人の日はいい天気
朝早いとこ支度をして8時40分に家を出て雁道バス停へ。
バスが運よく待つ程なく着て9時10分過ぎには鶴舞公園へ。

毎年成人の日には公会堂では昭和区の成人の日の式典があるのですが、この日は静か。どうやら日曜に済ませたのでしょう。
代りにと言っては何ですが、公園入口から噴水塔にかけてキッチンカーがズラリと停まっている。

どうやらこの3連休は[soul food jam」というキッチンカーが30台以上集結するイベントみたいです。

もちろんまだ朝早いので開店準備の真っ最中。
コートに着くとはげ親父、えみちゃん、のり平さん、久し振りに遠路はるばる来たヤッターマンといて乱打をやっています。
準備運動をしていると1059さんも登場。
それならばボレーとストロークに分かれて乱打をしつつぐるっと回します。
一回りして休憩。
早速ビールが出てきます。

えみちゃん持参のつまみとともにありがたく頂きます。
一休みしたらじゃんけんして試合に。
私は最初えみちゃんと組んでヤッターマン、はげ親父組と対戦。どこへ打ってもなかなか抜くことが出来ないヤッターマンに翻弄されて0:4と完敗。えみちゃんも正月孫に感染性胃腸炎をうつされたとかで何時もの走りが出ずにこんなもんですか。
10時になると森の熊さんが登場。実はこの日カバちゃんも遅れてくると言っていましたが結局無理だったようで不参加。7人でのテニスになりました。

天気はいいのですが、風が冷たくて座っているとそれなりに冷えます。
次の試合ははげ親父と組んでヤッターマン、森の熊さん組と対戦。最初のゲームこそ相手のミスがあって取りましたが後は歯が立たずに3連敗で1:3でした。1ゲーム取れただけでも良しとしましょう。
休憩中はビールとともにのり平さん持参のホタルイカの炙りも出て来て、これは美味しい。

おかげで余分にビールを飲んでしまいます。

はげ親父はお湯を持参してのウイスキーのお湯割りです。
少々酔っぱらってきたところで今度は1059さんと組んでえみちゃん、のり平さん組と対戦。最近は本人曰く強く打てなくなったからなのだそうですが、1059さんの力みなく空いているところへ打つ打球がさえて3:1で勝利。まあ、力んで打つと往々にしてホームランかネットに引っ掛けるのですけど…
次の試合も1059さんと組んでえみちゃん、森の熊さん組と対戦。この試合は一進一退の展開で最後のゲームをなんとか取りたかったのですが落として2:2の引き分け。
この後もう1試合やったんですが私は休憩で11時40分で早めに終了。
コート整備をして帰ります。
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1月7日熱田神宮公園テニスコートは3人だけ

2023-01-09 06:58:36 | テニス
週間予報では土曜日は雨だったのですが、近づくにつれて曇りの予報に。
雨は降っても昼頃にぱらつく程度。
果たして朝起きてみると薄く曇が全体にかかっているけど雨の気配はなし。

雨雲レーダーを見ても昼頃に薄い雲がかかるだけ。
と言うことで気合を入れ直して12時30分過ぎには出かけることに。

天気は相変わらず薄曇り。でも風はなくてこの時期としては結構暖かい。最高気温は10度を超えていました。
13時10分前にコートに着いても誰もいない。
この日はもともと参加者が少なくてはげ親父とカバちゃんの3人だけみたいなのですが、はげ親父は何か事故があった(後で聞いたら昼食に買ったパスタのソースが漏れたとか)のか12分遅れるとか。
仕方ないので事務所に行って利用料を払い受け付け。最近は窓口で利用カードをお持ちですかと聞かれるのですが、本人が遅れるという連絡があったのでというと問題なくスルー。
コートで一人だけなので暫くサーブの練習をしているとはげ親父が到着。カバちゃんも程なく到着で3人集まりました。
3人だけなのでまずは軽くラリーをして、ボレー、サーブの練習と普段あまりやらない練習をしました。
一休みしてそれぞれの病気自慢。
私は半年に1回は腰を痛めるのですが、カバちゃんは肩が痛くなるとかで月に2回ぐらいはカイロプラクティスに通っているとか。はげ親父は毎週1回は接骨院に通っているとか。カバちゃんによると可動域が狭くなっているので動かさないといけないのだが、自分でやるとどうしても痛い動作はしないので、可動域を広げるためには痛いけどそこを誰かに動かしてもらわないといけないそうです。言われると確かに自分で痛い動きはできないよね。
はげ親父がビールを1本出してくれたので頂きます。

一休みしたら1:2で試合に。一人側がサーブで1ゲーム交代で回します。ほとんどのゲームはブレークでしたが1ゲームカバちゃんがキープ。
二回りして休憩。
ここではげ親父は用意してきたお湯とウイスキーでお湯割りを飲みだすので私も有り難くご相伴します。

まあ、この日は3人なので早めに終わればいいかと、もう一度1:2でゲームをやって終わることに。
ここでも2回りしたのですが、1ゲームだけはげ親父がキープ。う~ん、私だけ一度もキープできなかったという残念な結果に。サーブ力がないとコートの空いているところに容赦なく打ち込まれてしまうので対応できなかったと言うこと。はげ親父もサーブのミスが多かった時は落としているのですが、1ゲームだけキープした時はサーブが入っていてダブルフォールトもなかった。
二回りしたら14時30分で、ここで終了。コート整備をして帰りました。
この日は3人だけなので利用料は基金から出しておきます。


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熱田旗屋の門松

2023-01-07 18:52:10 | Weblog
白鳥寄席ではいつも所長さんがあいさつするのだが、12月では熱田の独特な門松の話をしてくれました。

普通の門松と違い竹垣のようなものとか。
主に熱田の旗屋(当時は機屋)で飾られていたとかで、今では絶滅危惧種で旗屋でも飾られていない。どうしてかよく分からないけど今市内で確認できるのは大曾根の料亭「志ら玉」に熱田の門松が飾られているとか。
そういうのなら当然白鳥庭園の門松は熱田独特のものかと思ったら、さにあらず

少し豪華ですが普通の門松でした。
気になったのでいろいろな場所の門松を見てみたのですが、私が幼少の頃はちょっとした会社とか店舗では必ず立派な門松が飾られていたのですが、今では小さな松飾で済ませていたり印刷の年賀が貼ってあるだけで松飾など飾らないところが多くなっている。
そもそも門松は歳神様を迎えるための依代と言うか道しるべとなるもの。もはや正月に歳神様をお迎えして祭ると言う感覚はなくなって門松という風習自体が衰退してきたと言うことか。
それでもまだ門松を飾るところはあって、徘徊の途中で見つけたものは写真を撮りました。
熱田神宮では社ではなくて神宮会館に門松が飾ってありました。

でも普通の門松で熱田旗屋独自のものではありません。
実家の氏神の八釼社にも飾ってありました。

実家の学区には高田城の南北に富士八幡と八釼社があるのですが、なぜか富士八幡にはなし。
町中で見つけたのは、桜山の山田餅本店。

熱田神宮公園管理事務所にも飾ってありました。指定管理が造園業者の岩間造園なのでこれは当然か。

さすがにわざわざ大曾根の「志ら玉」へ行ってどうなっているか確認に行くほど酔狂ではないので、熱田独自の旗屋の門松とはどういったものかよく分からないままだったのですが、年が明けて白鳥庭園まで徘徊したら、清羽亭の入口にその門松が飾ってありました。

普通の門松とは全く違って竹がすくっと起ち上がっていて、上の方が竹でつながれています。見たことがない門松です。
横に案内板が立っています。

今の旗屋町は、当時は機織りの街で機屋。
独特の門松が並んだ町並みは竹林みたいだったとか。
今では全く見ることが出来ない風景です。こうして辛うじて保存されているのですが、どうしてこういう形になったのかはよく分からないまま。
日本のお正月の風景も世代とともに変わってきています。

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益田ミリ「ミウラさんの友達」

2023-01-05 22:39:20 | 
うろ覚えなんですが太宰治の「津軽」に、久し振りに帰郷して幼馴染と一緒にいても何も話すこともなく昔はあんなに肝胆照らす仲だったのにと過ぎ去った時間に呆然とする場面があったような気がします。
太宰のように故郷を離れ心中未遂事件を起こしたり薬物中毒になったりと無頼の生活を送った人とはあまりにも世界が違いすぎて仕方なのですが、友人とあることですれ違ってそのまま連絡が途絶えてしまうことは私も経験があります。学生時代には毎日のようにあって夜を徹して他愛のないことを話していた彼と今会ったら何を話すのだろう。もはや過去の思い出をたどるしかなく現在も未来も話題には上らないのだろう。
益田ミリの「ミウラさんの友達」で描かれているのは仲の良かった友達と些細なことで仲たがいして疎遠になったミウラさんの心の揺れ。喪失と新たなパートナーを見つけるまでの再生を描いています。
因みにこの本はコミックですので、寝転がって1時間ちょっとで読めました。

たまたま引っ越すことになり、その時不動産屋から紹介されたロボット「トモダチ」を100万円で購入。このトモダチは人間の表情を読みとって適切な返事をする。ただし返事の言葉は4つだけ。
その言葉とは「うん」「そうなの?」「大丈夫?」ともう一つは読んでいくうちに分かります。さらに購入者が一つだけ決めれるのですが、どういう言葉を決めるのかは読んでのお楽しみ。
まあ、この機能があるなら1億円以上はかかるはずなんですが、製作者は趣味でもうけなしで作っている。
実は製作者は紹介した不動産屋の弟で、面識はなかったのですが実は主人公と同じ会社に勤めている。ひょんなことから話をするようになっていつしか付き合うように。
それとともにロボットの「トモダチ」は返品される。心の再生を果たすまでの役割を終えたのです。
どういったこともない物語ですが、妙に心に響きました。
「大丈夫?」「そうなの?」「うん」
一緒に写っているのは今野敏さんの横浜みなとみらい署暴対係シリーズの短編集。ハマの用心棒と呼ばれる暴対係長の諸橋と係長補佐の城島。個性的な部下の刑事たちと組員一人の神風会の神野組長。おなじみの面々が活躍します。ところがよくあることですがシリーズの題名だけでは読んだかどうかわからず、とりあえず最新刊と書いてあるので借りたのですが、既に読んでいました。それもあって思い出しながら1時間足らずで読了。どうも記憶力の減退は覆い難いみたいです。
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磯田道史「日本史の内幕」「無私の日本人」

2023-01-03 14:42:01 | 
ここ最近NHKの歴史番組で出まくっている磯田道史さん。
歴史の面白さを一般視聴者に分かりやすく伝えて、もはやこの類の番組では欠かせない人材になっています。
因みに小田原城や岡山城に行った時には、お城の歴史や展示物の解説に磯田さんがビデオ解説に登場していた記憶です。もはや歴史ファンの間では一番のスターの感じです。
「日本史の内幕」ではその磯田さんの歴史オタク、古文書オタクぶりがよく分かります。

驚くことに磯田さんは15歳の時にすでに古文書を読みこなしていたとか。
高校の時に古文が苦手でかつ書道も避けてきた身としては、草書で書かれた文字は読むことが出来ず読めても意味が理解できないので異星人としか思えない。
そもそもは自身の高祖父が従軍した戊辰戦争を記録した「御奉公之品書上」という古文書を読み解こうとしたことからみたいですが、やっているうちに古文書が読めるようになったと言うのはその方面に素質があったとしか言いようがない。
読めるようになると面白くなってどんどん古文書を集めて解読するようになる。そうなると歴史の現場を直接見聞きした記録=一次資料から歴史の内幕を見ることが出来る。そこには官製の公式記録からは伺いみることが出来ない生活感のある細部が分かる。この本は一次資料から見ることが出来る歴史の内幕をいろいろ述べている。ほとんどは読売新聞に連載されたものなので短いですが読みやすい。その分体系だってものではないけど通奏低音としては一次資料から読み解ける歴史の実態。
官製の公式記録は時間がだいぶたってから時の為政者にとって都合の良い記述がされていて、敗者は敗れて当然の悪行とか傲慢とか誤りがあったとされている。何時誰の手によって記述されたのかをよく吟味しなければいけない。
もちろん一次資料と言えどもすべて正しいわけではないのだが、どうしてこういう書き方になったかと考えるとそれはそれで歴史の内幕が見えてくる。書いてある範囲は当然ながら古文書が残っている戦国時代から幕末維新ぐらいまでなのですが、日本は世界的に見ても古文書が残っている国。特に江戸時代は一般民衆迄識字率が高く太平な時代が続き完全に焦土となることがなかったからか武士だけでなく町民、農民の記録までいろいろな記録が残っている。
それにしても磯田さんの古文書オタクぶりはなかなかのもので、なじみの古書店に足繁く顔を出し掘り出し物の連絡があるとすぐに飛んでいく。小遣いはほとんど本代なのではと思ってしまいます。自宅の書庫にはどれだけの古文書があるのか。古書店主も商売は商売として古文書の本当の価値が知りたいし、分かる人に買ってもらいたいので声をかけるのだろう。磯田さんは結婚が出来ないと思っていたそうですがさもありなん。もっとも遅れても結婚はして子どもも出来たそうですけど。
ところでこの本で初めて知ったのだが、仙台藩領の吉岡という貧乏な宿場の旦那衆が現在の価値で3億円を拠出して、仙台藩の殿様に貸し付け利子を取ってその利子を宿場の家々に配り衰退を止めようとした話があった。旦那衆はほとんどの家財を拠出して宿場の衰退を止めようとしている。当時と言えば日本国という概念はほとんどなく町民にとっては仙台藩という概念も他人事。世界は宿場町の吉岡であって、公というのは宿場町。そこで9人の旦那衆が公のために起ちあがるのだが、私は後回し。無私の日本人です。もちろん9人の中でも付き合いで仕方なく最低限付き合っている者はいるのだが、中心となっている者たちは先祖代々続く家業の破産覚悟でのめり込んでいく。家族もそこに異論を言わない。磯田さんはこの話を知りもっとみんなに知ってもらいたいと「無私の日本人」を書いている。
「無私の日本人」には、穀田屋十三郎、中根東里、太田垣蓮月の3人が取り上げられていますが、本人たちは自分の名前を喧伝することを嫌い、今となっては全くの無名。矢鱈とマスコミに取り上げられることだけを価値基準としているある種の人々から見れば、馬鹿じゃないかと言われそうですが、その無私の生き方は清々しい。先日亡くなった渡辺京二さんの「逝きし世の面影」にあるように江戸時代の日本人の生き方には現代の私たちが捨て去ってしまった公のために無私となることを厭わない気概があったようです。
ところで仙台藩吉岡宿の話は磯田さんの本を原作に「殿、利息でござる!」という映画にもなっている。なんと仙台藩主に扮していたのは羽生結弦というのですが、この映画に関しても私は全く記憶にない。試写を見た人が原作者はもちろん出演女優も含めてみんな泣いたいい映画というのですが、興行収入も公開二日で2億円というヒット作だったと言うのですが、一度見てみたいものです。
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