怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

久しぶりの三島神社へ

2011-12-06 19:57:50 | Weblog
金曜日は伊豆へ旅行に行きました。
あいにく天気は雨模様
名古屋高速から湾岸道、そこから東名に入るのですが、雨のためか至る所で渋滞、と思って見ていると事故。名古屋高速と湾岸道でそれぞれ事故っていました。対向車線でも事故っていて、こちらはバスから酒飲みながらまさしく高みの見物。しかし渋滞の影響でなかなか進みません。湾岸を一旦降りて下道を走り岡崎で東名に入るのですが、ここでも事故。急ぐ旅ではないのですが、のろのろ運転はいらいらしてしまいます。
それでも愛知県を抜けだすころから快調に流れて行きます。バスでは泌尿器系に弱点があるのでビール、お茶は遠ざけ、お酒を少し飲んでうとうとしていきます。
お昼の目的地は葛城「北の丸」というところ。
ヤマハの系列でゴルフコースの隣です。

温暖な気候で遅れ気味なのがちょうどよかったのですが、紅葉が見頃でした。
北の丸は古い民家を富山から移築してきたみたいで趣があります。周りの客を見ると金曜日のお昼ということもあって、みんな女性ばかり。そのせいかどうか料理は一つ一つは量が多くなくて、女性向。それでもビールだ酒だといっている分にはちょうどいいのでした。
庭園が広くて、ちょうど食事しているときに結婚式の記念写真を撮っていました。食堂から丸見えなのでみんなであの花婿は年とっているとかいろいろ論評して酒のつまみにしていました。
食後に散策したのですが奥の方はイノシシが出るから立ち入り禁止になっていました。半分しか散策出来ませんでしたが、池のほとりのもみじは真っ赤でした。

ここから三島へ行き、三島神社へ。
三島神社は結婚したての頃、義父母を連れて修善寺に行ったとき立ち寄って以来です。かすかに記憶はあるのですが、神社はみんな同じようなものというと罰が当たるかもしれませんが、まあ来たことあるかなというぐらい。

境内には大きな金木犀の古木があって、これは天然記念物みたい。一応写真を撮っておきました。

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新参者

2011-12-03 19:45:12 | 
テレビでもおなじみの東野圭吾の加賀恭一郎シリーズです。
今回は日本橋の古くからの街を舞台にしてますが、キャッチコピーの「着任したての刑事、加賀恭一郎に立ちはだかるのは人情という名の謎」というのは少し違和感があって、加賀恭一郎が人情の機微を読みながら謎を解いていく(大して違わないか)物語です。

加賀恭一郎シリーズは「ガリレオ」シリーズのいかにも工学部での理科系の知識を駆使しての謎解きとはまったく違って人間の感情をどう捉えて謎に迫っていくかという趣が強いのですが、今回の「新参者」は東京の下町(日本橋はそうなんですかねえ?名古屋しか知らない者としては浅草とか亀有とかは下町っぽいんですが)を舞台にしていることもあって、より人間臭さが出ています。
一人の女性の殺人事件を短いエピソードを重ねながら犯人に迫っていくのですが、それぞれのエピソードに人間のやさしさや悲しさがちりばめられていて、1冊で終わるのがもったいないような読後感です。前作の長編「赤い指」とは違って、もっといろいろなエピソードを読ませてよと思うのです。
でもそうしないと小説にはならないのでしょうが刑事なのに単独行動が多すぎるし、やたらと金払いがいいのはやっぱり一人身だから?。どことなく生活感というものが感じられません。それでいて新参者といいながら誰も気づかないような人情の機微をさりげなく感じてしまうのは人間できすぎでしょう。
テレビでも人気が高かったみたいですが、阿部寛がぴったりの気もするし、ちょっといかにもかっこよすぎるのではという気もするし、本を読みながら監督になったつもりで俳優を誰にしようかなんて考えていくのも一興です。
いや~ぁ、最近の東野圭吾に、はずれがないですね。
シリーズ最新刊として「麒麟の翼」もでて、そろそろ図書館でも簡単に借りれるようになってきました。寒くなって外出がおっくうなときに読書を楽しむにはちょうどいい1冊です。
コメント (1)
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失われた20年の終わり

2011-12-01 20:27:58 | 
失われた20年とはなんだったのか。

著者によればバブル崩壊後の長い停滞は覇権国アメリカの逆りんに触れた日本に対する「日本異質論」「日本封じ込め論」を受けた長期の円高によりもたらされたもの。
1990年代は円の為替レートと購買力平価との乖離がマックス2倍をつけるまでになっていた。まさにその乖離が20年続いていた。
このような状態で日本企業が生き残るためには円高に見合う大変なコストダウンのプレッシャーを受けたわけです。
その結果は輸出産業での賃金引下げであり、それに波及しての内需産業での賃金切り下げです。こうしてデフレが定着していきます。
ユニットレーバーコスト(生産性見合いの労働コスト)は90年代半ば以降大幅に下落しました。
しかしこうして日本企業の高コスト体質は解消され
円高で鍛えられることによって世界最高品質の製品を高い生産効率の下で作ることのできるきわめて筋肉質な経営体質を持つにいたったのです。
今「日本異質論」は「中国異質論」へと変わりアメリカは「中国封じ込め論」へとシフトしています。
購買力平価との乖離もデフレの進行の中で徐々に解消されています。
1990年代から「失われた20年」は「日本経済を鍛えた20年」だったといえる用になったのです。購買力平価は1990年代初めの1ドル200円から2010年の1ドル111円となっています。
血のにじむような努力とデフレ不況に耐えながらここまで調整してきたのです。
アメリカにとっての脅威が中国になり日本に対する風向きが変わってくるともに円高が解消されてくれば日本経済は好循環になり長期上昇が始まる。
まったく希望の持てる展望ですが、今のところ円高は止まりそうもありません。
アメリカの大統領選挙をむかえオバマと共和党の泥試合はチキンレースとなっており、ギリシャに端を発するヨーロッパの混乱はますます広がっています。
アメリカもヨーロッパも政治が混迷しています。そして日本も東日本大震災、福島原発事故からなかなか立ち直れていません。
なかなか失われた20年が終わっていないみたいです。
しかし、しかし、確かに日本に対する底流は変わってきている気はします。法人税率とか関税とかいろいろ言われておりますが為替レートが圧倒的に企業業績に影響します。
今購買力平価まで為替レートが円安になれば景気は一挙に持ち直していくのでしょう。
悲観論ばかりでなく、こういう状況もあるのだということを確認するには最適ですし、こういう本を読んでまた投資マインドを鼓舞して・・・大きく含み損を抱えるのでしょうか。
いささか覇権国アメリカの意向で世界がすべて動いていくみたいな気もするのですが
いろいろな動きを捨象して世界経済をシンプルに見ればこういうことなんでしょう。



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