怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

「小田嶋隆の友達論」

2024-02-22 20:35:42 | 
小田嶋さんによると、最近の若い人たちは(こういう言葉が出るようでは年取った証拠なのですが)、友だちの数が人間の価値を判定する指標になっているとか。論敵に対して「どうせお前のような奴は友だちもろくにいない淋しい人間に決まっている」と罵声を浴びせる。
でもこれは小田嶋さんには新鮮な驚きであるとともに、一匹狼気取りの単独行動者には何を言っているやら。
そう言えば今はfacebookなどでは矢鱈と全く見も知らない人から友達リクエストが来るのだが、それもその延長?詐欺の類もあるのだろうけど友だちを求めている風潮が基底にあるのだろう。
この本は一匹狼の小田嶋さんが友だちについて考察して持論を述べた本です。

高校時代や大学時代に親しく付き合った親友は学校と言う施設の副産物、社会に出ると利害関係や上下関係が介在しているので新しい友だちは作れない。う~ん、ちょっと納得いかないところもあるけどな…その意味では学校を出てもずっと同じ地域に住んでいていつまでも学校時代の連れとつるんでいるヤンキーは友だちに恵まれている。小田嶋さんは友情は子どもとヤクザの専売特許と喝破しているのだが、友情にくるまれて生きるヤンキーは幸せかもしれない。「ヤンキー経済」を読むと地方の活力のもとは彼らのような気がする。
大学を出た人間は、地域から分断され、生まれたと街の地域とは別の枠組みに参入する。これはよく分かる。大学を出て大企業に入ると企業に身をゆだね辞令1枚でどこへでも行く流民と化す。故郷は遠くにあって思うものとなっている。
なかなか刺激的な論考が進められていますが、納得できる部分とちょっと違うかなと言う部分があり、いつもながらの小田嶋さんの私の思ってもいない視点からの論理展開には結構いろいろ考えさせられました。
各章の終わりには先人の箴言がのっていて、それに対する小田嶋さんが反歌を短く書いていますが、それだけを読んでも楽しめます。時間がない人はそこだけ拾い読みしてみたらどうでしょう。そこだけでなく皮肉に満ちた箴言がたくさん載っていて感心しきり。
「親友の借金を断る人間は親友とよべない」と言う話は、逆方向から見れば「親友に借金を申し込む人間は親友とよべない」う~ん、そうかもね。
友だちとはちょっと違うのですが、職場で用もないのに人が寄ってくる上司は出世すると言うのは実感で、人間力は仕事の実力と同じように評価される。自分自身もみんなが顔を出してくれるとうれしく思っていたのですが、それは友だちとは違う人徳と言うもので私には人徳はなかったみたいです。
この歳になると日常的に付き合う友人も日々疎くなって一人減り二人減りとなり、親友とは誰か、真の友だちとは誰かなどと眠れぬ夜に寝返りをうちつつ考えてしまうこともあって、文章は読みやすいのですが、内容は結構自分の人生の来し方に突き刺さってきて重い本でした。
もう1冊は暇に任せて飛ばしつつドンドン読めるような本と言うことで、大沢在昌の狩人シリーズの最初の本。今回の主役は秋田のマタギの孫の梶雪人で、親が殺された事件の真相を探る為新宿に出て来たことにより封印して来た地獄の釜の蓋が開きひと騒動。先日レヴューした「冬の狩人」と重なるのは新宿署の刑事の佐江のみです。

ところで借りて来て本を開いてみたらハードカバー340ページで小さな活字の2段組。最近老眼が進んできた身としては見ただけでパスしたくなったのですが、せっかく借りてきたので我慢して読んだのですが、読みだしたら一気でした。
内容は読んでもらえばいいのですが、この小説は1996年に中日スポーツ連載したもの。読んで違和感を感じたところはこの当時はまだスマホはおろか携帯もみんな持っていない。ポケベルを持っていて、ポケベルの文字表示があると言う世界。新宿は台湾マフィアと中国マフィアが暗躍して日本の暴力団としのぎを削っていた時代。1995年ぐらいの新宿の雰囲気とか風俗が分かって、時代の空気を感じます。名古屋の田舎者で憧れの東京のいろいろな情報を一生懸命集めた記憶がふつふつと湧いてきました。
コメント
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