怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

「あん」と「砂の器」

2019-06-19 20:52:56 | 映画
土曜日は結局テニスに行かずに家でゴロゴロ。
手持無沙汰で、かみさんの見ていた映画「あん」を一緒にしっかり見てしまった。
実は仕事の一環で、年に1回手分けしてハンセン病の療養所に慰問に行くことがあり、まだ若かりし頃に局長のかばん持ちで東京の多摩全生園へ行く機会がありました。確か池袋から西武鉄道に乗っていったような。
当時はまだまだ偏見は残っていて、私も内心はおっかなびっくり。医師でもある局長から今は全く心配ないと言われ、菌は紫外線に弱いから心配ならあとで日向を歩けと言われた記憶がある。お昼に行って所長さんと一緒に昼食を取ったのだが、隣で局長の食べるのを見て遠慮がちに食べていたような・・・その後名古屋出身の入所者の方々と1~2時間ほど懇談するのだが、比較的症状が軽い人が来ると言われたのだが、外見でそれなりの症状が分かった人が多かった。とにかく入所以来隔離状態で名古屋のことについても新聞、テレビで知るしかない。市電が走っていて八高のれんが作りの門があったとか、私の小学生時代の頃の話をしたら話がつながった記憶です。なごやかな懇談で入所者の皆さんから恨みがましい話は一切なかったのですが、療養所の歴史を聞き、入所者の来し方行く末を考えると世間の理不尽さと言われなき差別への無念の思いを身にしみて感じました。
その後療養所には熊本と静岡に行ったのですが、どんどん高齢化が進み名古屋出身の人も減ってきていました。
今ではハンセン病に対する理解も進み、人権回復の声も高まっていますが、あからさまには言われないにしても、まだまだ差別意識は残っていて入所者の人たちが故郷に帰ろうとすると忌避する声が親類縁者からも強いとかいう話は聞きます。
ハンセン病をテーマにした映画では「砂の器」がありますが、確か私が大学生の時に封切りになったと思います。私が多摩全生園に行った時の知識はほとんどこの映画からのものでした。
この「砂の器」は、「あん」と比べると「動」の映画。

記憶をたどると森田健作の汗臭い演技と丹波哲郎の茫洋とした刑事。加藤剛とか緒形拳とかもはや鬼籍に入ってしまいました。刑事は東北に行き島根県に行き、とにかく日本中を走り回り犯人の加藤剛を追い詰めていきます。療養所に入るまで親子で日本全国を放浪する姿には、どこにも誰にも受け入れられずに彷徨するしかないハンセン病患者の悲しみがあふれ出ていました。
そこから最早半世紀近くたった日本を舞台にした「あん」。

街の小さなどら焼きやを舞台に静かに物語が紡がれます。樹木希林が作っている「あん」は手間暇と愛情をかけて本当においしくそうです。そしてあんを作っている樹木希林の嬉しそうな姿。長い間磨いてきた熟練の技が世間の人に認めてもらえる。言葉には出さないけど全身がうれしさを醸し出しています。
ちなみに私が和菓子は苦手であんは基本食べませんけど、そんな私にもおいしさが伝わってきます。
どら焼きはおいしくて大評判となるのですが、やがてうわさが広がり、お客が寄り付かなくなる。どんなに味がよくても言われなき偏見のうわさには勝てません。今では入所者の皆さんも普通に街に出て散歩したりしているし、普通に買い物したり触れ合ったりしているのですが、内心の忌避感を拭い去れないのは残念ながらまだまだ現実かと思います。
どら焼きやをやめた徳江を療養所へ訪ねていくのですが、急に老け込んだ姿には樹木希林の演技を超えた迫力がありました。市原悦子の指が変な具合に曲がっているのですが、どうやったんだろうと言ったら、かみさんにそこへ突っ込むのかと言われましたけど。
ハンセン病を患い偏見にさらされながら、隔離された空間で一生を送らざるを得なかった深い悲しみがじ~んと伝わってきます。
緑が多くて平屋の建物が並んでいるのは見覚えがあって、あとでクレジットを見たらやっぱり多摩全生園でした。
ところで樹木希林の孫が出演しているのですが、イマイチ役としての関係性が分からなく、演技もこの年代でもっとうまい子はいっぱいいるんではと思うのですが、これは樹木希林への忖度?監督の河瀨直美もそこらあたりは大人の対応をしたということか。
原作はドリアン助川ですが、かみさん曰く、こんなふざけた名前の人がこんないい小説を書いたのか。これも言われなき偏見と差別意識かも。
「砂の器」「あん」。動と静の対極的な描き方ですが、どちらも心に残る映画です。
コメント
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