怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

「新聞・テレビはなぜ平気でうそをつくのか」上杉 隆

2014-10-08 23:08:34 | 
個人的な体験としてマスコミに対しては非常にひどい目に合ってきた。
それまでは新聞、テレビは嘘をつかないと信じていたが、美しい誤解でした。ある意味偏見に満ちご都合主義で、たとえ誤報であってもほとんど謝ることはなく訂正記事は小さい。映像は嘘をつかないというが長時間のインタビューでマスコミの都合のいい部分だけを取り出して編集してしまえば、全体のインタビューの様子とは印象がまるで違う映像を作ることもできる。叩こうと思う相手を悪役に仕立てるように編集するなんて言うのは朝飯前。世間に受け売れることが第一。
先日朝日新聞が従軍慰安婦と原発の吉田調書で社長が謝っていたが、これは異例中の異例。ほとんどの場合嘘を垂れ流しても責任を取ることもない。いつも上から目線で記者会見などで罵声を浴びせている記者を見ていると何様かと思う。自分は正義の味方で庶民の代表?マスコミの一員というだけで大きな権力を握っていると思っているのでは。記者会見で傲慢不遜な対応をされた身としては何か大きな勘違いがあるのではと思ってしまう。
ではそんなマスコミの実態はというとどうであろう。上杉隆はそんなマスコミの実態を批判し、記者クラブの廃止を求めて闘っている。この本はそんなマスコミの醜い実態を余すことなく告発している。

読み比べてみるとわかりますが新聞各紙を見るとほとんど同じ文章になっている。取材現場にいる記者はある意味機械的にできるだけたくさんメモをデスクに上げる。メモを書いた記者は自ら頭を働かせて記事を書くのではなくメモを送るだけ。デスクはそれを見て記事を書くが、現場の臨場感はない。飛ばし記事や間違いが増えるわけです。署名記事にしても最終的な責任はあいまいになってしまう。
そして記者たちは談合ではないがメモのすり合わせを行っているしお互いに情報交換を行っている。同じような記事になるはずです。ここには政府関係者などの情報源を含めてなれ合いの構造がある。これらの膨大なメモはオフレコも含めてデスクから編集局長、編集委員など上層部まで上げられる。
さらに驚くことにそれらの情報は報道機関上層部から政権中枢に届けられ内閣官房機密費で買われている。メモに書かれている本音の情報を含めて官邸中枢は居ながらにして全部の情報を得ているのです。政権にとって都合の悪い政治家への対応やメディア対策も考えることができる。情報と金を通じて政治とマスコミの癒着構造が出来上がっている。
加えてギルド制度たる記者クラブ制度がこの構造を補強している。部外者を排除することによって報道を独占するとともにある意味癒着して官邸官庁からの情報の広報機関となっている。
この本には明らかな嘘としての震災報道、でっち上げの鉢呂大臣の「放射能」発言、小沢一郎へのバッシングなどを具体例を挙げて書いてある。それらのことについて報道機関としての検証も謝罪もきちんとされた記憶はない。朝日新聞を批判する新聞社はは罪なき自信があって石を投げているのか。
著者は今やジャーナリストを休業して自由報道協会代表として活動をしている。欲を言えば自由報道協会は寄付で成り立っているというが、その経済的基盤はどうなっているのかも書いてほしいものです。
今やネットの時代で既存のマスコミは苦しい状況なのですが、それだからこそ報道の質が問われていると思うのですが、ますます売らんかなのセンセーショナルに流れていくみたいです。でも氾濫するネットの記事は玉石混合で無署名のものはほとんどがゴミということもあって報道リテラシーがますます重要になってきています。目からうろこの事実もありの報道の在り方を考えさせられる本です。
コメント
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