怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

生物と無生物の間

2008-03-08 09:25:35 | 
どうも結構評価が定まった本を図書館で見つけると読んでいるので、いまさらといわれそうですが、この本「生物と無生物の間」は新書ですが740円とは安い。最近の新書はワンテーマとか言って、寝ッ転がって2時間もあれば読めるようなものが多いのですが、これは読み応えがあります。文科系の私としては難しいところもあるのですが、そこは適当にごまかして読み飛ばしても、言わんとしている事は、そこそこ理解できます。
半分ぐらいまで読んでいくと、「生命とは自己複製するシステムである」ということとそれを実証する二重らせん構造のDNA発見までの物語で、ここまではよく知られていることで、他の本でも読んだ記憶があります(ロザリンド・フランクリンについては全く知りませんでしたが)。それにしても、これは余談ですが「野口英世」が現在の評価に耐えうる業績というのはほとんどないみたいなのですが、何故紙幣の顔になったのでしょうか。もっと日本を代表する人はいろいろいるような気がしますが、織田信長はやっぱ人を殺しすぎたのでしょうか。豊臣秀吉は朝鮮侵略がいけないのでしょうか。徳川家康は勤皇でないからかな。
で、本論に戻りますが、この本の第8章から俄然面白くなってきました。少なくとも私にとっては新しい知見ばかりで静かな知的興奮を味わいました。
原子は何故そんなに小さいか。われわれの身体は原子に比べて何故そんなに大きくならなければいけないのでしょうか。実は生命現象もすべて物理の法則に帰順しています。生物の形態形成には、一定の物理的な枠組み、物理的な制約がありそれに従って構築された結果と考えられ、自然淘汰の結果ランダムな変異が選抜されたものではないのです。生命現象に必要な秩序の精度を上げるためにこそ、原子に対して生物はこんなに大きい必要があるのです。
この本の白眉は第9章だと思いますが、今までシェーンハイマーなんて全く知らなかった(1941年に自殺している)し、しかも1930年代に画期的な実験と証明がなされていたなんて。重窒素を使った実験については読んでいただくとして、その結果導き出された新しい生命観は「生物が生きているかぎり、栄養学的要求とは無関係に、生体高分子も低分子代謝物質もともに変化して止まない。生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である。」となる。
すなわち著者の定義によれば「生命とは動的平衡にある流れである」
第10章以降は動的平衡の意味を、そしてその柔らかな適応力と滑らかな復元力について述べています。生命とは機械でなく、時間という要素の中で動的平衡を保っている神秘さに粛然としてしまいます。740円(税別)は絶対お値打ちです。

コメント (1)
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