ショベルカーが川底にたまった汚泥をすくい取り、川岸にうち捨てると、1人の女性が駆け寄り、どろどろのジャンパーを木の棒でたぐり寄せた。「娘が着ていたものに似ている」。一瞬、胸が高まったが、すぐに落胆に変わった。
鈴木実穂さん(43)は、大川小6年だった長男の堅登(けんと)君=当時(12)=と4年だった長女の巴那(はな)さん=当時(9)=を震災で失った。堅登君の遺体はすぐに見つかったが、巴那さんは今も見つかっていない。
実穂さんは、大川小の脇を流れる川で2月14日から10日間にわたって行われた大規模捜索に連日立ち会った。寒風が吹き荒れる中、汚泥を確かめ、休憩時には重機の窓ガラスを拭いた。「これが頼みの綱だから」。いてもたってもいられなかった。
捜索の最中の2月19日、2人の一周忌が近くのお寺で営まれた。夫の義明さん(50)が昨年秋、迷いながらも予約していたからだ。「1年たつころには巴那も見つかると思っていた。今は静かに見つけ出すのを待ってくれているはず」。そう心に言い聞かせて手を合わせた。
両親は震災以降、大川小に通い、巴那さんの手がかりを探し続けた。義明さんは週1回の休みを潰し、実穂さんは仕事を辞めた。 「夢の中でいいから会いたい」。昨年4月、実穂さんはそんな思いから2人に宛てた手紙を書き始めた。
《お兄ちゃんと巴那には『なみだをみせるな!』って言っていたお母さんなのに すっかり泣き虫になってしまいました》
日が暮れ、季節が移るたび、「今日こそ戻ってくる」という思いが何度もくじけそうになった。
《お父さんもお母さんもいろいろな人たちに支えられて毎日がんばれてます。きっときっと会えるから。待っててね。待っててね》
巴那さんに届くよう、手紙はひと月に1回ほど大川小の献花台に添えた。
《となりにお母さんがいなくてもねむれてる? お母さんは朝おきた時 もしかしたらとなりに巴那がねているんじゃないかって毎日のように思ってしまいます》
今年1月、実穂さんはようやく手紙を書く手を止められるようになった。巴那さんが初めて夢に出てきたからだ。
葬儀も済ませた。一周忌法要も営んだ。だが、区切りは付けられなかった。「必ず戻ってくる。それまではずっと捜し続けてやりたい」。そう誓い合う両親が最近、堅登君と巴那さんについてそれぞれ感じていることがある。
堅登君が震災当日に背負っていたランドセルに、巴那さんが大好きだったアイドルグループ「嵐」の本が入っていた。「分厚い本なのに妹のために何度も図書館で借りていたらしい。お兄ちゃんも絶対、一緒に巴那を捜してくれている」
巴那さんは友達を気遣い、教室を出たり整列したりするときはいつも最後になっていた。「みんなの後ろに付いていくタイプだった。他の子供たちが全員見つかるのを見守って最後に戻ってくる。本人はそう思っているのかもしれない」
5月には兄妹の墓が完成する。墓石には両親の思いが込められ、両手に幼子を抱くお地蔵さんが刻まれる。
「また、2人を抱きしめたい。いつまでも抱きしめていたい」
(是永桂一、荒船清太)