発達障害という言葉の負と正。発達障害が正しく理解されていない現状での間違った「ラべリング」行為と無責任。
同様に、アメリカではとうに使われているという「スクールカースト」という言葉とその指し示す現実の存在。
日本の学校の、教室内の人間関係がこの言葉によって固定化・差別化され、助長されていくことへ思いが及ばぬ無知蒙昧。
人間関係をそんなに簡単に割り切るな!愚か者が好んで使いそうでいやな気分になる。
そのうち「学校内アパルトヘイト」なる言葉も出てきそうだ。
インドの方は「スクールカースト」なる言葉をどう思うであろうか?実にいやな言葉だ。
そうそう、先週の『35歳の高校生』もこの「スクールカースト」が主題であった。誇張はあるが確かにそのような関係は存在するだろう。
しかし、そのような関係から無縁である生き方もまたできるのである。
この「スクールカースト」なる言葉で、他を苦しめる奴、楽をする奴が出てくるだろう。
・・・・・・ 「学校内異文化集団」なら各々独自性を発揮しているだろう!学校は、教室は異文化の集団であるべきだ。
安易なネーミングがつくる安易なラべリングの浅はかさに思いをはせよ!
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